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2020-07-11

時が経つのがこわい

時が経つのがこわい。時が経つにつれて大事だったはずのことを忘れていってしまっていることがこわい。

母親は気性が荒く、褒めるときはとても褒めてくれるが怒るときにはほんのちょっとしたことでもひどく怒鳴り散らした。蹴る、はたく、髪を掴むということもよくされた。僕よりも兄の方が好きで、兄の好物を優先したり、喧嘩して明らかに両方悪くても僕だけ怒鳴ったりした。はっきり言って母親が嫌いだった。憎かった。小学校とき教師が「あなたのお母さんはうまく日本語が話せなくてつい手を出してしまうかもしれないけど、あなたのことを思っているんだよ、愛しているんだよ」と言った。母は外国人だった。ふざけんなと思った。そんなことで暴力正当化されてたまるかと思った。そんなことで母の愛を認められてたまるかと思った。身を持って母に愛されていない(少なくとも兄よりは)と実感しているのに、何も知らない外野に分かったようなことを言われ、自分が悪いことにされ、逃げ道はないのだと絶望した。絶対にこの女に愛されてはやらないし、愛してもやらないと決めた。しかし母はひとりぼっちだった。外国人で、嫁いできた先が田舎ということもあって、うっすらとハブられていた。母は強い人で、ハブられたところでなにくそとなるタイプだった。でも強かったらひとりぼっちいいわけがない。母を見捨てることもできなかった。大嫌いで憎くてたまらないのに、ひとりぼっちのかわいそうな母を放っておけなかった。つらかった。決して愛せはしないのに大事にしてやらなければいけないとどこかで思ってしま矛盾に、産まれなければよかったとよく思った。

一人暮らしをするようになってもうずいぶん経つ今、そんな苦しい思いを忘れそうになっている。

中学の頃、ほとんど全校生徒に嫌われ、いじめられていた。全校生徒がちょっとしたマンモス校の一クラス分ほどしかいないから、それくらいの人数に嫌われることなんてそこまで珍しいことでもない。でも、その頃の僕にとって学校ほとんど世界の全てだった。つまり世界を敵に回して戦っているようなものだった。戦えてすらいなかった。世界が敵になって僕のことをいたぶっていた。どこにも味方はいなかった。毎日学校行きたくないと思っていて、一度、休むほどの体調ではなかったけどとにかく行きたくなくて休んだら、父親に「仮病なんて使ってふざけてんじゃねえぞ」と言われた。父のことは比較的好きだったが、そのときばかりは母より憎たらしく感じた。親も教師も助けてはくれず、自分でも自分が悪いのだと責めることしかできず、日々の大半を希死念慮が覆っていた。こんな人間は生きていてはいけないのに、ただ死ぬのがこわくて、それだけで死ねないでいた。

大人になった今、そんなつらい出来事を忘れそうになっている。

から見れば、そんなこと忘れてしまえと思うかもしれない。負の感情に囚われ続けるなんて不毛なことはやめて、幸せになる努力でもしろと思うかもしれない。でもそれはできない。なぜなら約束たからだ。死ぬほどつらかったあの頃、僕は約束した。絶対にこの苦しい思いを忘れないと。これを自分人生のいい話なんかにはしないと。この恨みを絶対に捨てない、一生抱えて生きていくと。何も許さないと。だって他に誰も覚えていてなどやれないのだから自分が忘れたら消えてしま存在である泣いている幼い自分。憎い母も捨てられない僕に、かわいそうな自分を捨てられるはずがなかった。

誰かが悪いとか、いつか復讐してやるとかそういうことじゃなかった。ただ忘れないでいてやりたかった。誰も慰めてくれなかった自分を僕だけは慰めていてやりたかった。ずっと一緒にいてやりたかった。

でも今、忘れそうになっている。あんなつらい、苦しい思いを忘れそうだ。だって僕は生きているから。

幼い自分はあの頃から一歩も進むことはないけれど、生きている僕は生きる限り進み続けて、その自分から離れていく。それがこわい。だって何も終わっていない。解決していない。許せていない。何も変わっていない。頭の上に振り上げられる手がこわくて、怒声がこわくて、ボールがこわくて、人がこわくて、あの頃の自分を苦しめたもの全部が開けていった心の穴は埋まっていないのに、感情だけ忘れていく。傷はまだ痛むのに、傷つけられた怒りは忘れていく。それがこわい。怒りや、悲しみや、苦しみや、恨みが、もうほんの少ししか思い出せない。だから、そんなことがあって、そんな感情があったことを残しておこうと思って、ここに書いた。

2019-12-17

魔法言葉がほしい

彼女高校の後輩だった。とはいえ母校はマンモス校だったから、俺と彼女の接点などなかった。俺は理数科とは名ばかりのアホクラス彼女特別学科。俺が彼女のことを知ったのは、弁論大会の全校放送だった。みんなが世界平和とか戦争がどうこうとか、そんなテーマで話してる中、彼女人生観?みたいな話をしていた。こう書くとすごくやる気のある人っぽいが、抑揚もなくてつまんなそうに話してるだけ。でも、断トツに内容がうまかった。彼女は1年生で、それも結構な衝撃だった。特進のやつらって1年からめっちゃ頭いいんだなー、って友達と話したくらい。教師たちは2,3年生のうち、世界平和とかのありきたりなテーマを書いた生徒を選ぼうとしたんだろうけど、当然のように彼女代表になった。

理数科と特進科の接点なんてなかったから、彼女と話をする機会はなかった。でも、俺は彼女のつまんなそうな話し方と内容のギャップがずっと忘れられなくて、卒業式の時にアドレスを聞いた。彼女ちょっとびっくりした顔をして、でも教えてくれた。勇気がなかったせいで、彼女と連絡をとれたのは誕生日の日と、正月くらいだった。彼女が3年生のときの冬、受験頑張れってメールを送った時、ちょっと話が盛り上がって社交辞令っぽくはあるが受験が終わったらご飯に行こうと誘うことができた。その春彼女は滑り止めだという大学に進学して、本当に食事に行くことになった。俺がなんとか潜り込んだ大学とは比べ物にならない学校で落ち込んだりもしたが…。彼女にはそのうち彼氏ができていた。大学デビューとは言わないまでも、校則が厳しいせいでいつも結んでいた髪をほどいて、ちょっと化粧するだけでかなり綺麗になってたから、当然のことだった。俺は相変わらずたまにメールを送るくらいで、何もできていなかったし。

転機があったのは、俺が社会人になってからだ。彼女就活のあれこれで、彼氏と別れたみたいだった。俺はもうこれ以上チャンスはないだろうと踏んで、彼女食事に誘いまくった。電話をかけて、まれ彼女から連絡があればすぐに飛んで行った。タイミングが良かったのだろう、彼女就職が決まった頃、彼女と付き合うことができた。付き合ってから、驚いたことがある。

それが、彼女が何事においても努力を嫌う人だったということだ。

彼女文章を書くのがうまい高校の時も俺が知っている1年の間だけでも弁論大会以外に作文や詩とかで賞をとっていた(学校プリント彼女名前が載ってると、必ず大事にとっておいていた。気持ち悪いけど…)。聞いたら、大学の時は学生向けの小説でも賞をとったことがあるそうだ。だから、俺は初めて彼女を知った時のことを思うに、やる気がなさそうに見えたのは話すのが好きじゃなかっただけで、文章を書くのは好きなんだと思っていた。小説なんか、相当好きじゃないと書かないと思ってたから。でも、それは全くの勘違いだった。彼女就職すると、ぱたっと物を書くのをやめてしまった。俺は彼女文章が読みたかったし、それに彼女が書かなくなってしまうのはすごくもったいないように思えて、もう詩とか小説とかは書かないの?と聞いた。彼女は「書く意味がない」と言った。彼女の話を総合すると、文章を書いていたのはそれが課題だったり、進学やらの評価に直結するものだったりしたからで、自分で書きたい物はないということだった。すごく上手なのに、というと、私より上手い人がいるから私が書く意味はない、といった。子供みたいな屁理屈だけど、俺はプロ小説家でも彼女より下手な人はたくさんいるじゃないかといった。すると、彼女は「もし私より下手なプロがいるとしても、その人は私より書くのが好きだから」というのだ。

文章だけではない。彼女就職した会社で大きな仕事を任されると、いつもゲンナリしていた。仕事について会社で褒められても、決して喜ばないのだ。俺は彼女が喜ばないことについて、高校の時は特進科にいたくらいだから完璧主義なんだろうと思っていた。しかし、彼女は「褒められても困る」という。褒められても、要求されるレベルが上がるだけで旨味がないから、期待されたくないらしい。実際に、彼女仕事を頑張らないようにしているそうだ。確かに俺も仕事の量をセーブしたり、適当残業を延ばしたりすることはある。でも、彼女場合最初から全ての力を出さないようにしているように見える。

彼女は俺に、「何も頑張りたくないし頑張れないから、頑張らないことを頑張っている」というようなことを話してくれたことがある。俺にはわからない感覚だ。俺からしたら、それこそ彼女は頑張りさえすればなんでもできるように見える。小説家にだってなれるのではないか仕事だって出世できるはずなのに、どうしてなんだろう。俺は何もできないからどうにか大学に行かなくちゃと頑張ったし、置いていかれないように勉強して就職した。仕事もたいした出世が期待できないなりに必死にやっているつもりだ。

結局、俺は才能があるはずなのに何もしないで生きようとする彼女が妬ましいのかもしれない。それに、彼女のことを好きになったきっかけの文章を失うのが寂しいんだろう。彼女を劇的に変える魔法言葉なんてないのに、どうにかして彼女に何か頑張ってほしいと思ってしまう。他人を変えることなんてできないのに。無理だって分かっているけど、彼女の本気の文章を読んでみたい。

2019-07-20

anond:20190720222418

とーだいはマンモス校だよ。

一学年三千人もいるんだわ。

2018-05-27

anond:20180527140705

日大マンモス校から付属卒業生とか含めたら関係者が多いからじゃないかな。出身校だと思うと関心を持つ層がいる。それも理事レベルの根が深い話となればなおさら

それから教育問題からかなと思ってる。あとあの炎上ぶりは自分会社ではどうなるかと、我が身を重ねる人も多いのではないかと。

2017-10-31

ラノベを読んでいて

単純な疑問なんだけど作品の中で『一学年五クラスで一クラス五十人なんてマンモス校』という箇所があったんだけど、今のマンモス校ってこんなもんなの?

2017-09-14

評判イマイチアニメ映画観たらピンポイント直撃を食らい時が飛んだ

子供の頃、大好きな女の子がいたんだ。

俺はあの子のことが、本当に、本当に大好きだった。

でもあの頃はそれの正体がよくわからなくて、なんて言ったらいいのかもよくわからなくて、結局、俺は最後まであの子自分気持ちを伝えることができなかった。

中学1年の夏休み、あの子は家庭の事情で突然住んでいた街から引っ越していくことになって、終業式の日に教室で見た姿があの子についての最後の思い出になった。


あれからずいぶん時間が経って大人になり、人生の大きな選択みたいなこともいくつかあったけれど、事あるごとに「もしも」「あの時ああしていたら」というようなことを考えることがあると、真っ先にあの中学1年の終業式の日のことを思い出すんだよね。

あの時、あの子に「好きだ」と言えていたらって、その頃の中学1年生によくありがちっぽい、そんなささやか出来事を考えてしまうんだよ。

別に、もしそのもしもが叶っていたとしても、きっと何も変わらないんだとは思う。あの子は何も変わらずあと何日かしたら遠くへ引っ越していくし、そのあと何ができたわけでもないんだろう。でもあの時、俺はあまりに幼くて、かっこ悪くて、無力だったよ。

の子小学校の真ん中くらいの時に転校してきて、それからずっと同じクラスだったんだ。

まり女の子友達がいなかったけれど、あの子とはその時からとても気が合ってよく一緒に遊んだ。俺の小さな世界にいる数少ない女の子だった。

きりっとした綺麗な顔立ちで、ちょっと気が強くてお姉さん肌の明るい女の子だった。実際、同級生だったけどほぼ1年誕生日が早かったあの子はいつも少しだけオトナで、俺はよく背伸びをしていた気がする。それこそ13歳のとき奥菜恵みたいな誰から見ても完全無欠な美少女、というわけではなかったとは思うんだけど、間違いなく、俺にとっては世界で一番の女の子だったんだよね。

そうこうしているうちに中学生になったんだけど、入学式に行って最初確認したのは、あの子がどこのクラスにいるのかだったのを覚えている。

の子は俺と同じクラスだった。その頃地域マンモス校だった中学校で1学年9クラスもあるのに、同じところに一緒に名前が載っていて、嬉しかったのもあるけど、なんだかとても安心してしまったのも覚えている。ああ、これから不安もあるけど、きっと、2年生になっても、3年生になってもまた一緒のクラスになるんだ、なんてなんとなくぼんやりと思ってた。

1学期の間、あの子とは隣同士の席になった。なんだろう、子供だった俺はその状況に満足して、当然のように思って、そしてそれ以上何かをするということは無かった。学校に行って、好きな漫画アニメの話なんかを話して、ずっとこの席にいられたらいいななんて思ってた。

俺があの子のことが好きなことは、おそらくクラス中にバレていた。同じ小学校から来た友達もいたし、何より俺がずっと隣の席を見ていたからだ。

でも、そんな日は長く続かなかったんだよね。

あと一週間で夏休みだ、となった7月の半ば、俺はあの子の様子がなんとなくおかしいことに気づいて、とんでもなく不安気持ちになっていた。

急に態度が冷たくなった、とかそういうことは一切なくて、その逆のことが起こっていた。終業式の数日前からいつになくいろんなことを話しかけてきた。初めて会ったころのことや、小学校林間学校ときのことを話した。何か、とても嫌な予感がした。

終業式の前の日の放課後に家に帰ろうとしていると、掃除当番だったあの子が後ろから

掃除、一緒に手伝ってよ!」

と言い、俺のシャツの裾をギュッと掴んで引っ張った。

一瞬時間が止まった気がしたよね。あの感触を、今でもありありと鮮明に覚えている。

絵に書いたようなお約束少年だった俺は、たぶん嫌だよヘヘーン、みたいなことを言って、あの子から逃げた。

クラスの他の女子からなんかヒューヒューと茶化された。廊下に出ると、心臓バクバクしていた。

俺は教室の前の廊下で前の入り口と後ろの入り口の間を5往復くらいウロウロして、やっぱり教室に戻れなくて逃げるように帰った。

そんな日々はその次の日に、映画みたいな出来事もなく、あっけなく終わった。

終業式のホームルーム担任先生はあの子を黒板の前に呼び出して、突然ですがご家庭の都合で転校することになりました、と紹介した。

本人の希望があって、今までお知らせしていませんでした。


なんとなく薄々様子がおかしいことに感づいていたから、動揺はしなかった、フリを全力でした。

の子のことを見ることができなくて、礼が終わった瞬間隣の教室にやっぱり逃げるように入った。特に用事は無かったのにね。頭が真っ白だった。

隣の教室でぐだぐだしていると、小学校とき一緒のクラスだったちょっとおませなお節介焼きの女子がやってきて、俺を見るなりあんた何やってんの、あの子にちゃんと自分気持ち伝えて来たんでしょうね?ちゃんと告白してこいよ、後悔するぞとかなんとか言いやがった。12歳の世界において、女子男子よりもだいぶオトナだと思い知らされたね。

その時俺が口走った言葉を思い出すと我ながらひどすぎて死にたくなるんだけども、確かこんなことを言った。はぁ!?ばっかじゃねーの!?やめろよ、そんなんじゃねーよ。

って、漫画かよ。今でも死にたくなってくるよ。

でも、それもそうかとなんとか思い返して、人影もまばらになってきた自分教室エイヤーと戻った。

この日が最後だったあの子は、まだ教室にいた。

が、それとあと2人くらい、普段まり話したことのない女子が何やら残念だねと話していた。

そこで俺は黒板の前にバン、と立って、ちょっといか今日は俺と一緒に帰ろうぜ!

と言い放つ妄想をあとから何度もしたのだけれど、現実の俺はそんなことはなくて、2人の女子に怯んでまた廊下に出てしまい、やっぱり前のドアと後ろのドアの間をウロウロウロウロとしていた。

そうしていると、友達が通りかかって、何やってんの帰ろうぜ、と言った。

お、おう、そうだねみたいなことを言って、学校を出た。

それが、あの子を見た最後だったよ。


帰る途中、意味もなく遠回りをした。また、とんでもなく受動的なバッタリに一縷の望みを掛けていた気がするけど、すぐに忘れようともしていた。

その友達が、ああそういやあの子転校するんだろ?と言ってきた。ああ、そうみたいだね。と答えたら、ふーん、と返ってきた。そいつになぜか無性に腹が立った。彼は別に何も悪いことしてないんだけども。

歩きながら、無理やり色々なことを考えて納得しようとした。そうだよ、そんなどうせあと何日かでいなくなるのに、今更何か変なこと言ったって迷惑だ。俺の自分勝手だ。そうだ、どうにもならないんだから、何も言わないのが正しいのだ。だから、これでいいんだ。とかなんとか。

映画を観ていたら、アタマがあの頃に飛んでいた。

何もできなかった。あまり子供で、勇気が無くて、情けなくて、後悔とも無念ともなんとも言えなくて、ほろ苦いというか、苦かった。

あの時こうしていれば、って何度も何度も繰り返して、何パターンものルート妄想した、そんな10代の時間だったよ。

大したことじゃないってことはわかってるんだよ。誰にだってあることで、よくあることで、ちっぽけなことだよ。

でも、12歳の心の風景っていうのはとても、とても不安定ものなんだよね。オトナでも子供でも無くて、気持ちだけそこにあるけれど、どうしていいのかわからないんだよね。イマドキの中学生はまた違うんだろうなっていう気もするのだけれど、少なくともあの頃の12歳はそんな感じだった、きっと。

別にとんでもない大事件なんか起きなかった。宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこないし、況してや隕石が落ちてくるようなことなんてないし。

でも、12歳の世界にとって、好きな女の子に「好きだ」って言えるかどうかっていうのは、時に隕石が落ちてくるよりも大きな問題だったりすることもあるんだな。

あの頃の、あの「純度100%の『好き』のカタマリ」って一体なんなんだろうな。

なぜそうなのかという理由も問わず、えろい下心もなく、ただただ純粋な何かだった。あの頃のあれと同じ気持ちって、一生戻ってくることは無いんだろうな。

そんなことを考えていた。


インターネットの普及した現代のせいだ。俺はムクムクと出来心が湧き上がって、ついFacebookを立ち上げて、検索窓にあの子名前入力してしまった。

便利な社会残酷だ。もの10秒だった。この長い長い時間は何だったんだっていうくらいあっという間に、あの子がそこに存在しているのが見つかった。

どこからどう見ても、間違えるはずもなく俺が知っているあの子の顔がそこにあった。

あの時の歳の何倍もの時間が経って相応の歳の女性になってはいたけれど、変わらずちょっと気が強そうな美人だった。

その写真を見て、今まで薄々感じながら自分に気づかないフリをしていたことにやっぱり気づいてしまった。

俺はどうやらその後の人生において、好みのタイプだとか、好きな芸能人だとか、そういった気持ち基準が、すべてあの子になっていて、いつも面影を追いかけていた。


の子は、独身だった。

からだっていうことはない。

そんなことをしていたらハッと我に返って、今度はとても自分気持ち悪くなって、そっとその画面を閉じ、Facebook検索履歴を消した。

子供の頃、初めてあの子の家に遊びに行った時に一緒にコースを作って遊んだエキサイトバイクのプイーンというBターボの音と、出してもらった麦茶の味と、あの日グイッと引っ張られたシャツの裾の感覚がぐるぐると回って、それからゆっくりと消えていった気がした。

もう、検索することはきっと二度と無いだろう。


そんなこんなで挙動不審になりながら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を3日連続で観に行こうとしていたら、今年中学1年生の息子が、あーあれ俺も観たいんだ、一緒に行くわとかなんとか言ってついてきた。

映画を観終わったら、息子が

「何だよ、めっちゃいい映画じゃんか。何で評判イマイチなんだよ。俺すげー好きだよこれ。」

と言った。


オッケー、わかったよ。

君がそういうなら、俺はもう、それでいいよ。

2016-01-17

アキラくん

中学の時の先輩の話だ。

俺はかなりのデブなのにも関わらず、サッカー部所属していて、ベンチにも入れず、運動もできず、じゃあ何でお前部活なんかやってたんだと言えば、人間関係が好きだったからだ。

当時、周りが俺をどう思ってたかは知らないし、後輩は影で使えねー糞デブと呼んでいたのは薄々きづいていた。

ただ部活では戦力外であったけど、多分、人当たりがよかったんだろう、同学年もそうだし、先輩にも結構可愛がられていた。シゴキもたくさんあったが。

アキラくんはその中でも最も仲の良かった先輩で、且つ結構ヤンキーだった。俺は両親の心配する顔が浮かびとても、ヤンキーなんかとてもなれなかったのだが、心が弱く、すぐになびいてしまう男であった。

アキラくんはやたら俺をかわいがり…というと聞こえはいいが、度胸試しにぶっこまれたり、今でも言えないようなヤンチャな事も全部させられた。ハードコアサンドバックから根性焼きまでほぼ全部させられた。

でも不思議とまぁ楽しかった。これは実際、その共同体にいないと分からないし、思春期特有感情だったと思う。

練習はきつかったが、仲間の結束は結構たかったし、こういったいじりも、どちらかと言うと当時の在野の中学生のノリで、「おめー俺らの中学だせーと思われるようなことすんなよ?」という、今考えるとよくわけの分からない理由だったらしい。

それぐらい俺は豚だったにも関わらず、皆からはだからこそ - 愛嬌があって、伸ばしのがいのある豚というか。

ある日、いつものようにアキラくんの家まで一緒にいくと、アキラくんがいつもと違う。

「おまえさぁー、●組のやつ知ってんだろ?」「●組の●田って子(女の子だ)も知ってる?」

(ここで組数を伏せているのはとんでもないマンモス校で、ドン引きするぐらい組数があったのだ。だから特定簡単。)

この●田は、バレー部主将身長は高く、顔はキリッとしていたが、顔の一部に大きなほくろがあり、それが魅力でもあったが、美人最後に言い尽くすには何かが足りない、まぁとはいえ人気のあった女の子1人だった。

どうやらアキラくんはこの子の事が気になっていたらしい。

そして、俺は●組に友だちが多く知ってる奴がたくさんいた。特に●田は小学校に俺と仲良しの女の子親友でもあったので、間接的によく知っている方だった。

いつもは結構ヤンキーで、すぐに他校と喧嘩して(俺は常に全速で喧嘩になるとチャリを漕いで逃げた)謹慎させられるアキラくんだったが、この時だけはいつもと違って見えた。

「あのさー、お前もし次に●田と話す時あれば、これ渡しておいてくれないかな?」アキラくんは俺に彼の書いたラブレターを渡してきた。

「テメー中身読んだら、ダンプに突っ込まっせからな」

アキラくんは当時の俺でもはっきり分かる、幼い顔と大人の顔の中間のあの中学生特有のはにかんだ笑顔でいたずらっぽく笑ってみせた。

アキラくんは●田と付き合うことが出来、帰りに二人が歩いてる所を冷やかす奴がいたら、全て俺がアキラくんに報告する係となった。もう立派な舎弟である

アキラくんたちと最後に行った試合は県大会の二回戦で、となり町の宿敵の中学に負け、アキラくんも俺も号泣した。俺はその5年後に初めての彼女が出来て、もう地元に戻るところもない。

アキラくんは何をしているだろう。土建屋でもやってるかな。

世界はお互い変わったのだが、ほんの少しだけ、今の彼の世界を覗いてみたいと思う時がある。

2015-03-24

グッバイ早稲田、いい夢見ろよ

今年早稲田卒業する俺が新入生にアドバイスしたい

http://anond.hatelabo.jp/20100217113611

入学前参考にした覚えがあるので

自分卒業前に何か書いてみたいと思った

ひとり暮らしはしてなかったし

真面目に学問してたわけでも就活無双してたわけでもないので

学生たる者こうしたまえってのは あまり言えないんだけど

折角だし、これおすすめという物事を書いていくね


その1 医療費補助を申請しよう

早稲田大学学生健康増進互助会学生早健会)

http://www.waseda.jp/student/hoken/gojyokai/iryokyuhu-p01.html

全員入学オリエンテーションで説明を受けるはずなんだけど

たぶんほとんどの人が忘れてる学生早健会

季節ごとに無料歯科検診とか栄養指導

新歓期はアルコールパッチテストなどを実施しているありがたい団体

ご紹介したいのは、ここでは日常生活でかかる医療費を補助してもらえること(上限年間6万だったかな)

事前に本人名義口座を登録して、学生証と領収証を受付に持っていけば数カ月後に

自己負担500円を差し引いた額が振り込まれると神機能

かなり助かるので是非使うべきだと思う


その2 新聞記事サーフィンしよう

図書館 学術情報検索

http://www.wul.waseda.ac.jp/imas/

きっと1年目のオリエンテーションゼミ教授から

図書館の使いこなし方や論文・文献を見つけ出すノウハウみたいなもの

教えてもらえると思うけど、自分イチオシ新聞の横断検索

大学読売朝日毎日日経などの主要各紙と契約しているので

ログインしさえすれば1970年代からのほぼすべての記事検索できる

自分の興味あるワード検索すると見出しがずらっと出るから時代ごとの変遷が見て取れて

ウィキペディアサーフィンみたいな面白さがある

就活シーズンが近くなったら企業名業界ワード検索してみるのもいいかも

自分はあまりチャレンジしなかったけど海外紙もあるよ


その3 映画を見よう

本を読むの大学生特権?だけど 映画時間のある大学生ならではだと思う

馬場歩きの途中にあるミニシアター早稲田松竹は、

テーマを設けて国内外のいい映画をやってるから時間を見つけて行くといいよ 

2本立てとかを見終わると日が暮れてたりして愕然とするけど笑、不思議松竹で見た映画は印象に残るよ

図書館でもミニブース映画は見れるから、授業の間が空いてたらいくのもあり


その4 運動しよう

大学では運動サークルでも入らない限り

高校時代に比べて運動時間が減るのは確かだと思う

学生会館の地下には、かつて小島よしおも通ったというジムがあって

http://ameblo.jp/wasedanosusume/entry-10228174332.html

年間2000~3000円で綺麗な設備を使える 授業の合間に行きやす

ガーデンプレイスヨガとかやってるから女子はそれもいいと思う

戸山キャンパス文カフェの地下にはプールがあって、初めて見つけた時は目を剥いたけど

http://waseda-sports.jp/news/34832/

バルセロナ水泳とかに出ちゃうレベルガチボーイが隣のレーンに泳いでたりするので

参考にもなるし、マンモス校のはずなのにやたら空いているのでおすすめ 1回100円

名称は迷走してるけど、早稲田学部ごとの科目とは別に

学部生が聴講出来るオープン科目というものがある 語学教養ITボランティアスポーツとか

それらを余裕のある曜日にとるのも、楽しく運動不足解消・友達作りも兼ねてということでいいかもしれない

万人におすすめトランポリン これほど爽快なものはないよ 

スポーツが得意な人はカバディとか 日本代表なれるかも


その5 工作しよう

理工キャンパスには、材料を持ち込めば、

ろくろからレーザー加工機まで 多彩な設備を使わせてもらえる工房がある

http://www.koubou.sci.waseda.ac.jp/

長いスパンでモノづくりを進めていくのは醍醐味があるもの

中々有意義時間を過ごせる DIYとか興味がなくても、行ってみればムクムクと

何か作りたい気持ちが湧いてきたりするし、一見価値あるよ 


その6 ピクニックをしよう

残念ながら早稲田ICUみたいなばか広い芝生があるキャンパスではない

ないけど、中々いい公園庭園は近くにあるんだよね

大隈庭園戸山公園が有名ドコロだけど、

個人的オススメ中央図書館の裏にある甘泉園公園

http://www.city.shinjuku.lg.jp/seikatsu/file15_03_00011.html

暖かい日は、お弁当サブウェイサンドイッチでも持って行くと気持ちいいよ


その7 就活どうしよう

入学式で、「早稲田に入ったあなた出世するかどうかは保証できないが、あなたの友だちが出世することは確実だ」

みたいなこと言われたけど、卒業する今まわりの進路を見るとなるほどねって感じはする

さて、あなたがこれから日本就活ゲームに乗るかどうかは自由だけど、もしやるならキャリアセンターは足繁く通うといいと思う

waseda net portalキャリアコンパスコーナーに、内定先ごとの卒業生就活振り返り記みたいなのがあるんだけど

これは参考になるし読み物としても中々面白いので、就活どうしようかなってときはここを読むことから始めるといいよ


その8 その他おすすめのお店

山手卓球

http://www.yelp.co.jp/biz/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E5%8D%93%E7%90%83%E5%A0%B4-%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA

映画版ピンポン」に出てくるような昭和館溢れる卓球場 馬場近くの栄通りにある 

飲み会帰りに行くと本当に楽しい 

隣の卓球台で躍動する常連の爺さんたちの半端ない踏み込み

やたら上手いミャンマー人たちのカットマンぶりを見られるかもしれない

・早美舎  

http://www.sobisha.com/shop.html

印刷関係・お揃いのグッズ作りのお店

レポート提出間際、パソコン室のプリンターは混んでてアテにならない

そんなときはここに駆け込むべし 若旦那が神の如き手捌きでUSBからPDF印刷してくれる

ここで何単位救われたかからないレベル

ママハウス

http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13006270/

親戚のおばちゃん家きたみたいな感じを味わえる韓国料理屋さん

日本代表試合とかをのんびり観るのにもよかった

ここのお弁当は丼一杯300円でかなりコスパがいい 

牛丼「ライフ」ヤバイ

つけ麺屋「高木屋」人間食べ物じゃない辛さ

中華料理屋「太公望教授でも容赦しない主人のキャラ

ここらはかなりエキセントリックな体験が味わえるので

1年生のうちに友だち誘って挑戦して、

後輩ができたらご馳走しに連れてってあげると面白いかも

早稲田生協

自分生協加入しなかったけど、結構電化製品とか色々売ってるし本が安いし

amazon代わりに使ってたら結構お得だったかなと思わないでもない

やたら新入生にゴリ押ししてるパソコンは買わなくていいよ レッツノート自体は性能いいけど


くぅ~疲れましたw これにて完結です!

もっと色々書きたい気もするけど

明日卒業式なのでもう寝なくては

さて、

新入生はいい友だちできるといいね 

ひとりでも楽しめることは、上記以外でも沢山あるし

大学の周りだけが学生生活じゃない

宗教左翼自己啓発のお誘いにはくれぐれも気をつけて

2014-08-23

代ゼミ 27拠点→7拠点 に思う

よく三大○○というものがある

そして、三大予備校と言った場合は、河合塾代ゼミ駿台である

少なくても、僕が予備校のころは、「今でしょ」でお馴染みの東進なんかは

授業を放送で切り売りしているなんかうさんくさいところであった

本日読売新聞によれば、代ゼミは全国27の拠点を7つに減らすという

そしてその削減校の中に、仙台校も入っていた

私が予備校時代の話である。聞いた話で真偽は不明だが、だいたいその通りだと思う

「全国の代ゼミで、寮生が一番多いのは仙台校」

そう。仙台校は東北6県より学生を集めるマンモス校だったのだ

はっきり言えば、私大の多い宮城をのぞけば

大学とは高校の中でもトップクラスの限られた人間が行くところ」

と思ってる地域は多い。その中でも、大学に行きたい、ちょとでも都会に出たい。

そんな地方民が中核都市仙台に集まり、同じ環境の人たちと寮生活をし

そして東京なりなんなりの大学へ進学していく。

田舎には戻らないという固い固い意志

その舞台が、代ゼミ仙台校だったのだ

削減された理由

そんな意識が変わってきたこともあるし

しろ、今は他県の地方都市でも「今でしょ」でお馴染みの東進の授業も受けられるし

予備校生活なんてだっさい一年間を過ごしたくない

そんな思いしなくても、大学だったら行けるし

たぶん、こんなとこなんだろう

僕は予備校にいた。そういった人たちと頑張った思い出がある

さようなら代ゼミ仙台校。さようなら予備校

2014-03-18

ブラック研究室

小保方晴子さんのニュースを見て、心が痛む毎日です。


STAP細胞論文小保方晴子氏の博士論文から写真流用 理研認める】

http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/14/riken-stap-conference_n_4961849.html


倫理を再確認せざるを得ないことは残念に思う」というコメントがありましたが、論文を書く上で必要となる倫理を学べない学科研究室が多いのも事実です。

いわゆるブラック研究室では、そのような風潮がある気がする気がします。(小保方さんの居た研究室がそのような研究室かどうかは定かでは無いですが。)


自分が属していた研究室は、放置ブラック研究室でした。教授が得意とする研究分野から少しでも外れた研究を進めると、見事に放置される人も。

いい意味では自分のペースで進める事ができますが、悪い意味ではゼミ発表の時ですら「私の専門外なのでよくわかりません。」というコメントしかないこともざらにありました。

卒業論文修士論文添削をするといって提出させた論文に対しても、学生の前で平然と「私はあなた論文を見ていないので、何をしてるかわかりません」と言う場面も。

余談ですが、その適当さ故に被った被害として、教授から言い渡された助成金の申請に手違いがあったせいで、十数万のお金を失ったこともありました。

「そういう事もよく有りますよ」といって他人顔するだけで、さすがに怒りを覚えました。あなたの指示で出した申請なのに、その対応はないでしょ…。

研究者としては尊敬しますが、人としては大嫌いでした。まあもう二度会うこともないだろうからいいんですが。お金戻ってこないかな…。


自分研究室以外にも、(さすがにお金絡みの事例は少ないだろうが)ブラック研究室は多く存在します。

教授の方々にも、自らの成果を研究として残したり、生計を立てたりと事情があるのはわかりますが、もう少し、学生と向き合ってくれてもいいんじゃないかなって思います

そういう小さな問題でも解決されれば、もっといい環境が出来ていくんじゃないかなぁと思うばかりです。


まあ、マンモス校じゃ無理だと思いますが。

2013-09-10

ぶさいくの相手はもう嫌だ

職場に、ちょっとやそっとじゃお目にかかれないレベルブサイクがいる。

チビなのにふくよかなので、ミニボストロールとか呼ばれることもある。

実は高校が同じだった。マンモス校なのでクラスが違うとほとんどの生徒が名前も知らないレベルだけど、

そいつだけは他学年にも有名だった。

高校の時から、「私はやたらモテるモテすぎてしんどい」と周りに吹聴する奴だったけど、それは今も変わっていない。

もちろんウソだけど。

ところが先日、彼女に初めて(と思われる)彼氏ができた。

取引先の御曹司で、これまたお世辞にも普通とは言いがたい顔。

けど、性格面白く、モテはしないけど友達は多い。

どうやらボストロール一目惚れしたらしい。

なんと付き合って一週間で婚約ボストロールまさか玉の輿の大はしゃぎ。

これでうまいこと虚言癖が収まりボストロール妄想話を昼休みに聞かなくて済むと思いきや、そうでもなかった。

どういうわけか、「◯◯課の◯◯さんが私を抱いた」だの「◯◯課の課長セクハラされた」だの、

今までにないニュータイプ妄想が始まり挙句の果てに

「今、社内で30人から同時に告白されている。返事を待ってもらっているけど、私じゃ襲われそうで怖いから、あなたが断ってきて」

御曹司にお願いしたらしい。

おつむの弱い御曹司が真に受けたのは言うまでもなく、うんざりした被害者の数名が会社を辞める事態に。

自分も、そのせいで仕事量が増えたので、知り合いの会社に身を寄せることにした。

うちの部署はほぼ壊滅状態、会社自体ももう半年ももたないだろう。

小振りのボストロール一体に傾国の力があったとは、多分誰も想像してなかったと思う。美人局やるなら、ホンモノの美人がよかった…

という、やるせない気持ちを吐露してみた。

2013-07-05

お嬢様系だったという話

小さい頃からヴァイオリンを習っていたと話すと、それだけで「良家の子女」とみなされることが、ずっと不思議で仕方なかった。

そんな自分は両親とも公務員東京多摩東部(井の頭線沿線)の生まれで、小学校の時に北関東引っ越して今に至る。

修士号を取るまで在籍した学校経済事情優先で全て公立と、良家の子女になる要素は皆無。


東京にいた時はアパート暮らしで、近所にヴァイオリン先生がいたので、興味があって4歳から楽器を習い始めた。

自分の学区は児童の人数が多い、いわゆるマンモス校で、小学校入学したら同じ先生楽器を習ってる人が何人かはいるだろうと胸をときめかせたのだが・・・一人もいなかった。

一方、発表会では姉弟子に当たる中学生高校生の子たちが、ホールメンデルスゾーンバッハ無伴奏ホ長調を弾いているのを、順番の最初のほうで終わった自分はなんとなく聴いたり聴かなかったりで過ごし、最後は皆で合奏と、それはそれは大々的だったのだが、同時に「一体皆はどこから習いに来ているのだろう、近所じゃ見かけない人達だし・・・」と不思議でならなかった。

保育園から小学校に上がって、周りが皆幼稚園上がりで衝撃を受けたこともあり、子供ながらに結構しょんぼりしていたかも。


そして最近東京の頃の記憶をなぞっていたとき、長年の謎が解けた・・・気がした。


なんのことはない、どうやらその地区主婦のお母さんが圧倒的多数で、さらにその中でも家が裕福で、小学校幼稚園から私立に通っている子(特に女の子)だけがヴァイオリンを習っていたと、そういうことだったらしい。

少なくとも当時の東京多摩東部西武新宿線中央線東横線くらいのエリアでは、そういうケースが殆どだったらしい。

そして地方であっても、ヴァイオリンを習う子の、名士の娘さん率は高かったらしい。


確かにエスカレーター式の私立一貫校は受験に多大な時間を取られずに済むので、嗜みや教養の一環として何らかの習い事をさせるだろうし、それが女の子なら、楽器の一つくらいは・・・ということでピアノヴァイオリンを習うと。

それ以外だったら、親がプロ音楽家だったり、熱心なクラシック愛好者か楽器愛好者くらいか(地方の名士には愛好者多そう)。

ともかくそういう事情もあって、日本だとヴァイオリンは「お嬢様楽器」というイメージが強いと。


かくいう自分は父親がクラオタで独学でヴァイオリンを弾いていたし、ヴァイオリンレコードばっかりかけていたっけ。

もっとも、自分は非常に不器用で要領が悪いこともあり、しかも当時はクラシックが大好きというわけでもなかった。

結局受験楽器のレッスンを両立させることは出来ず、今ではアマオケのその他大勢で弾くのがやっとだったり。

4歳からやっていてメンデルスゾーンも弾けない、ノイズ生成器に近い。

幸い、大人になって薄給仕事ながら時間の余裕は出来たので最近レッスンを再開し、今度こそメンデルスゾーン・・・ということになった。

それもこれも、昔の発表会で生演奏を聴いてしまたからだ。単なる懐かしい思い出であっても、その音が耳から消えることはない。

弾いたあの子は今頃何してるのかな・・・

2012-07-09

 今年、一年間の浪人生活を経てようやく大学に進学することが出来た。

私の進学した大学はいわゆる「高学歴」といわれるような大学であり、生徒数も全国でも有数のマンモス校である

なれない大学生活もあっという間に過ぎ、前期も終わりに近づき、学内には期末テストで終われる生徒の姿を見かけるようになった(かくいう私もその一人なのだが)。

過去問探しに奔走し、必死友達にすがる。私の通う大学には付属校があるため、そこからエスカレーター大学入学した人は

先輩たちも多く重宝されるのだ。そんな時ふと思うのが、「友達って一体なんなんだ」ということである

自分友達が少ないほうだと思う。お昼ごはんを一人で食べることも少なくないし、休日は一人で本を読んですごすことが多い。

だが、お昼ごはんを食べる人間が、休日を一緒に馬鹿騒ぎしてすごすことが出来る人間友達なのか。

それってただの知り合いじゃないって思っちゃうわけです。

だれでもいいわけでしょ。寂しさを紛らわせることが出来れば。寂しいのがいや。そういう感情があるから、群れたがるわけでしょう。

から入学当初に必死アドレス集めに奔走するわけでしょう。では、あなた。その手に入れたアドレスの中に今でも連絡を取っている人が何人居ますか?と問いたいわけです。

からない。園感情がまったく理解できない。うわべだけ、寂しさを紛らわすだけの存在なんて友達って呼べますか。

ただのレスポンスがくる人形しか思っていないわけでしょ。

そんなことを考えながら、大学内の集団をみてると怖くなる。寂しいという感情に支配された人形たちが、狂ったように下品な笑い声を上げているわけです。

ホント、怖いBGMでもつけたらホラー映画の完成ですよ。

あの大学人間を減らすべき。少なくともいらない学部2、3個はあるでしょ。クズ養成所としてしか働いていないよ。学内に居ると実感する。

きらきらした目で学校見学している高校生とその府警方を見ていると、「絶対入っちゃだめだぞ!こんな大学クズしかいないからな!」と叫びたくなる。けどそれは出来ないチキン

2011-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20110714165023

学内偏差値が3桁」あったってことは、学内偏差値が100越えてたってことよね。

で、偏差値100超えって、全体の0.00002%。らしいんだけど、

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%B7%AE%E5%80%A4

増田学校って、一学年500万人いたの?

すごいマンモス校だったんだね。

たぶん俺の計算おかしいと思うので、元天才増田に説明してほしい…。

2010-03-24

早稲田大学に入学する! 直前の人に警告する

 あなたがたが通うことになる早稲田大学は、1学年につき約1万人ほどもの人が通うマンモス校だ。当然いろんな人がいる。いろんな出会いがあり、いろんな出来事が待っている。

 それは数ゆえの、そして早稲田という土壌を目指したある種の人々が織りなす一大青春劇! である。

 その劇中でどのような役割を演じるのか、どう動いていくのか、というのは、個人の意識に依るところが大となるのはもちろんのことだ。

 しかしもう一つ、大きな脅威が、早稲田で暮らす者たちを待ち受けている。

 それは学友たちでも、教授がたでもない。左翼宗教の勧誘でもない。

 最大の敵にして、現在学生が抗えず、また抗おうともしない相手…… 『早稲田大学職員』である。


 四月一日入学式に向けて、すでに東京入りしている新、一年生も多いことだろう。

 大学側から公布された大学全体の入学式、そして学部入学式。科目登録の日付を手帳に記して、新しい日々に夢を膨らませているかもしれない。

 マイルストーンを購入して、授業やサークル情報を読み込んでいる人もいるだろう。

 大学生活の日々を活力にあふれたものとするものの最有力候補、サークル活動。 私もこの大学の四年間は、イコールサークルでの四年間であった。

 早稲田大学に存在する、公認、非公認問わず全体で数百にものぼる数のサークルたちは、春になると例年のごとく、戦争突入する。

 入学式に参加する新入生に甘言の羅列されたビラをバラまき、大学構内にブースを並べてカワイコちゃんをはべらせ、新入生はタダだと謳い飲み会に誘う。

 あらゆる手練手管でほかより多くの新入生を取り込み、その戦力を強化せんとせしめる。

 その争いは熾烈を極める。走り来る自動車を物ともせず、警備員は総シカトである。新入生が手を差し出そうものならば、いたいけな彼(彼女)が思った10倍のビラが返ってくるとみてよい。

 すべてが去ったあとには、踏み散らされた哀れな紙吹雪しか残らない。

 早稲田大学生は青春を謳歌している。

 これが通過儀礼であり、また儀式遂行する首長たちの姿なのである。

 ところが近年、この自然な営みを圧迫する、大きな陰が早稲田大学を覆いはじめている。

 この『新入生歓迎』行事という儀式の姿を、根本から変えようとする勢力が、早稲田大学には潜んでいる。

 さながら中世における西洋からの侵略者。その圧政の影響は、私が入学した頃からこの儀式の様態をたどれば明らかだ。

 私が入学した2006年新勧活動における最初の洗礼は、(事前に大学に来たものでなければ)戸山キャンパスの正門である。

 新入生は、全体入学式をうけるために正門から体育館まで歩くことになる。その道は数多の上級生によって作られ、

体育館に入るまで、両脇に並んだ上級生にビラを渡され続ける。一度手を出したが最期、その上に積み重なること山のごとし。

 次の年、2007年以降、戸山キャンパスにおける以上のような新勧活動は禁止された。

 基本的に、大学での新勧活動は、大隈講堂で行われる学部入学式か、大学構内に構えたブース、そして戸山キャンパス脇にある学生会館内に限定される。

 早稲田に(ほぼ)初めて訪れた新入生を圧倒し、勢いでサークルに勧誘するという極め技を奪われたのである。

 この時点で、上級生、そして新入生においても、話術があまり得意でない者が、新たな繋がりを得る可能性が一つ、失われたことになる。

 翌2008年は、私も幹部学年として新入生勧誘にあたっていた。この年については、あまりに忙しすぎてよく覚えていない。

 さらに翌年の2009年は、就職活動で忙しくあまり顔を出せず、覚えていない。

 そして今年、2010年度の新勧活動は、著しい制限を受けることとなったようである。

 それは、新勧活動を許可される時期の早期化だ。

 例年の新勧活動は、4月1日から一週間弱ほど行われていた。

 それが今年は、3月30日から4月3日までしか許可されないというのだ。

 この、『許可』というのは、大学構内でビラをばらまいたり、ブースを設けることが出来る期間であって、各サークルが独自で行う飲み会や、部室においての新勧活動を含むものではない。

 しかし、より多くのサークルに、よりオープン感覚でもって接することができるのは、野外に設置された、「誰でもカモン」「誰でも見やすい聞きやすい」ブース、そして数多くの勧誘員とふれあう『新勧活動期間』である。

 入学式が始まるのは、例年通りの4月1日。

 この始まりの日よりも前に、誰が早稲田大学を訪れるだろうか。

 もちろん、いち早く情報を得ていたり、気の早い者、モチベーションの高い者、行動力のある者は30日から大学へ向かうだろう。

 しかし早稲田大学は、そのようなものばかりでもない。

 多くの新入生にとって、学生生活を充実させるはずの素敵な出会いが失われること、必定。

 このような  改 悪  を決定したのは一体どのような勢力なのか。血気盛ん、天下無双アウトロー集団たる早稲田大学学生たちに、このような理不尽を強いることが可能なのは誰か。


 それが、 早稲田大学職員 なのである。

 彼らは私たちの学生生活を陰から監視している。

 私たちの親から余分なほどに吸い上げた養分で腹を膨らまし、私たちの自由を、青春を、なんの考えもない規制によって締め付ける。

 これはなにも、新勧活動に限ったことではない。

 学生会館は彼らによって完全に管理され、開館時間や部屋の利用、部室の使用権まで、私たちは「与えられている」状態だ。

 夜22時まで残っていれば、わざとかと思うほどにいやらしい警備員の館内放送を聞くことになるだろう。

 大学ネットシステム関係はザルで、少しでも変な登録、操作をしようものなら部室のキー登録が消え、ネットの使用が不可になる。

 迅速なアフターケアはない。

 大学で授業があっている時間は、09:00から21:30である。

 彼らは0900から1700までしかいない。

 一般企業大企業公務員、など様々な職種への就職活動を支援する就職課の職員は、どう見てもエキスパートに見えない。

 なにごとにも融通が効かない「お役所仕事」。これが、すべての職員に通じる言葉だ。

 そして少し調べればわかることだが、彼らは、 なかなかに、 高給取り である。

 彼らは私たちの大学生活に必要なものではあるが、不必要な部分もおおいにあるように、私はこの四年間で感じた。

 このような、決して便利ではない、しかし不可欠な大学職員が早稲田大学には巣食っている。

 彼らはこれからも、私たち学生たちの自由をせばめ、彼らの怠慢を増やしていくのであろう。

 そのことに気付かずいや、気づかないフリをして、「円満」に学生生活を送ることは可能だ。

 しかし、私たちは入学した時点で、すでに既得権益によって不自由を強いられている。その事実は、決してなくならない。

 私たちは、戦うにしろ、無視するにしろ。 それを知った上で、自分なりの行動をとることを迫られているのである。


 ………………だから、 新入生のみんな、 3月30日から、新勧活動やってるので、早稲田大学にきてね! (私は卒業しているのでいませんケド




*大なり小なり、様々な誇張を伴なう表現を駆使しておりますが、言いたかったことは結論の一文くらいです。すべてが真実であるという保証はありません。

2010-03-09

「どもり」と「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」と、時々、ニート

色々なコンプレックスを抱えながら生活してきた。

ニートをこじらせていた時期もあった。

いや、ニートを飛び越え、ヒッキーにまでクラスチェンジしていた。

そんなコンプレックスヤローの半生を反省してみる。

基本スペックは、

30歳。男。会社員。既婚。子供3人。友達0。

人と関わるのはひどく疲れるので、最小限の人間関係しか築かない。

というか根暗で、人から好かれることも無いという孔明の罠

携帯の着信履歴もここ数ヶ月無い。


小学生の頃、活発でクラスの中心的な存在だった。

今思えば、目立ちたがり屋で、仕切りたがり屋で、見栄っ張りなナイスガイだったと思う。

スポーツ万能で、勉強を特にしなくても良い点を取れる。

そこそこモテた。

人生の絶頂期。

そして中学へ進学。

複数の小学校が集まってくるマンモス校だった。

小学生の頃と比べると若干影が薄くなってはいたが、そこそこの存在感を出すためがんばって見栄を張っていた。

そんなある日、面識の無い学生に話しかけられた。

たわいのない話だった。

「はぁ!?」

周囲に存在感を示すため、粋がっていた私はそう返した。

面識の無い学生は、わたしに殴りかかろうとしていた。

面識の無い学生のツレがそれを止めてくれた。

なんとかその場はおさまった。

・・・・ここから地獄が始まった。

面識の無い学生は、1つ学年が上のヤンキーだった。

生意気な奴だ」

わたしの名は、同学年のヤンキー共に知れ渡ることとなった。

数々の嫌がらせ

部活ランニング中、硬式ボールを顔面に投げられ危うく大惨事に。ということもあった。

呼び出してリンチ。なんて話も聞こえてくるようになった。

俗に言うイジメというやつだ。

まさか自分イジメの対象になるとは考えたことも無かった。

恐怖にかられたわたしは、愛書「ろくでなしブルース」を擦り切れるほど読みつくし対応策を練った。

またジャンプの最後のほうについてる「2週間で強くなれる!」とかいう通販に手を出したこともあった。

そして天パをからかわれ、わたしは始めて天パを意識した。

朝はブローに1時間ほどかけ、チン毛を伸ばした。

そんな努力結晶も「雨」という奴は、無常にも奪ってしまう。

汗をかくとチン毛に戻るので、部活も行かなくなった。

さらに、毛深いことを笑いのタネにもされた。

付いたあだ名は「スネちゃま」「スネ夫」「モジャオ君」

夏でも長ズボンデフォになった。

そんな中学1・2年を過ごしていた。


だが中学3年になると、徐々にわたしに対する嫌がらせは減っていった。

ヤンキー共の攻撃対象は、別のチン毛君に移っていた。

安堵した。

だが、いつ何時攻撃の対象に晒されるか分からない。

ヤンキー共と仲良くなる。

これが当時の私が出した結論だった。

一見すると友達のようだが、対等な立場ではないパシリ的な存在になりさがる。

殴られ、からかわれ、家に遊びに来ると物品が盗まれる。

そして逃げるように、ヤンキー達の手の届かない偏差値の高校へ進学した。

恐怖と緊張の毎日だった、中学生活とはうって変わって平凡な高校生活が待っていた。

男子校だったので、恋愛とは無縁だったが平和で落ち着いた日々が戻ってきた。

バイトなども始め、徐々に友達も増えた。

そこそこ楽しい日々だ。

だが、中学時代のヤンキー共から再び呼び出されることが多くなった。

パシリではなく、暴力の対象として。

殴られ蹴られエスカレートしていった。

夜中、一晩中殴られていたこともあった。

素っ裸にされ殴られたこともあった。

小学校時代の友達の前で殴られていたときは、言いようの無いみじめさだ。

昔好きだった子の前でなんて時もあった。

自宅の電話が鳴るのが怖くてしょうがなかった。

そして私は決心した。



これまでの交友関係は捨てる。


一切の電話に出ないようした。

外出するときも、帽子などを被り変装をした。

格好悪いが逃げ回ることにしたのだ。

家まで来ることもあったが居留守を使ってやり過ごした。

バイト先に来たときは、心臓が縮みあがったが、何とか隠れきった。



そして、日本トップクラスのFラン大学合格した私は故郷を捨てた。

ヤンキーではない普通の友達との関係も捨てた。

イジメられていた過去を捨てたいというプライドか。

大学生活は平穏だった。

Fラン大学ゆえ、日本屈指の学生が集まっていたが、大学でのイジメは見たことも聞いたこともなかった。

イジメという恐怖から完全に開放された。

バイト関係の合コンが2,3度あった。一度もうまくいったためしはないが。

カラオケにも行った。

ユニコーンの「大迷惑」を歌った。

空気が重くなった。

「・・・ホント大迷惑だよ・・・」と言われた。

バイトをやめた。

それ以降、人前で歌ったことは無い。

2年に進級するとき、大学の友達は1人だった。

3年に進級するとき、その一人の友人は退学した。

大学に誰も知り合いがいない状況となった。

4年になると就職活動をしなければいけなかった。

「どもり」持ちである私は非常に憂鬱だった。

「え・・ぇえーーぇ、え、ぇーーえ、Fラン大学から来ました。ぁあ、まぁー、まー、増田です」

就職活動をせず、FF11にはまった。

そしてこの時期、童貞を捨てた。

バイト先の人妻

サイコーの腰使いだった。

そんなこんなで大学卒業し、晴れてニートとなった。

実家に戻り、ヒッキーとして質素に暮らした。

FF11廃人ギルドに入り、寝る、食べる、排泄、シコる、ゲーム以外の行為を行うことが無くなった。


そんな折、数少ない知り合いから運良く就職の話をいただく。

ニート生活丁度1年目のことだった。

勤勉に働き、女性と関係を持ち、結婚した。

デキちゃった婚だった。

仕事私生活も、まずまずだった。


だが仕事上、経験を重ねるごとに人前で話すことが多くなってきていた。

そして「どもり」が自分の中で大きな問題になった。

もうこれ以上は無理だ。転職しよう。

プログラマーになった。

これで人前で話すことは無いはずだ!

しかし、電話番をまかされることになった。

「ぁ・・あぁはあ、は、はあーはー、あー、はい。ま、まぁー、まー、増田株式会社です」

1年で転職した。

「たった一年でやめやがって」と思われそうだが、地獄のような1年をよく耐えたと思う。

電話の恐怖は、「どもり」の人間にしか分からないだろう。

次の会社では、電話に一切出ないようにしていた。

そこそこ平和だった。


だが、プレゼンをやることになった。←今ここ


「どもり」と「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」とコンプレックスが多い人生だ。

「天パ」と「音痴」と「ムダ毛」はどうにでもなる。

ストパー掛けたり、脱毛、音痴は歌わなければいい。

だけど「どもり」は別格。

「どもり」がある以上、仕事は制限され、恥をさらしてしまう恐怖に一生晒される。

おそろしす。

人生の折り返しを迎えた三十路の初春。

コンプレックスいっぱい、キモオタヒッキーでも何とか人並みの生活はできている。

2007-11-22

うちの弟はこんなもん

小さい頃、追いかけっこをすると必ず転ぶ危なっかしい弟で、それで救急車に2回もお世話になってどうしようもなくやんちゃで、でもみんなそれが好きでかわいがって、兄は落ち着いていてそれと比較されると不快な顔をしていたずらして、小学校で素行は良くなくて、中学受験で兄より偏差値は高くても次男だからあまり歓迎してくれないのがとてもつらかったと思うし、せっかく入学した中学マンモス校で人の個性なんか関係なしに型通りにものを運ぶことを強要された教師どもが子供未来を摘み取っていくどうしようもない学校で、中学時代にやんちゃで学校からしょっちゅう注意されて、それでもやめなくて結局受験のときに見放されて、それが原因ではなく勉強が得意でなくてできなくてしなくて遊んでばかりだったから兄とは偏差値も離れている高校にいってしまって、中学校に見放されたあたりからよくない仲間とつきあいだして、眉毛を剃るのを先頭に髪の毛を長く伸ばして汚らしい色に染め、仕舞には高校金髪ピアスで登校、成績も最下位で2年生で進級したところで学校に行かなくなって、携帯電話勝手に親の同意書を書いて契約して請求書をかさませ、自室に閉じこもって夜中出かけて朝帰って酒も飲みタバコも吸い、自転車を盗んだり夜中小学校に忍び込んで補導されたり、まだバイクで暴走していないものの渋谷の同じような格好をした暴力団の下部の下部の下部のそのまた下部のどうしようもない若者を集めてサークルだとか言って金をつぎ込ませて、そのうちいろいろな悪いものを引き込んで、家中の金をあさり金目のものと生活用品を誰だか知らない仲間の車を呼んで運ばせ家出して、そのうち金をどこからか借りたのか遊びほうけて、携帯電話はいつまでも使い続け、たまに帰ってきたと思うと人の肌の色をしていなくて、それでも兄はなんとか話をしてみて、やっと優しい言葉をかけられたと、そのときの弟の涙は一生忘れられないと思ったのに、家出から帰ってきて両親は高校ぐらいでないとこれから先つらいと定時制にやってみたけど、そのうち興味も失せて、携帯電話にかじりつき、契約書はDocomoが親の同意書だけで契約成立させるような金目当てのフランチャイズばっかりだからどうしようもなくて、親は弟の名前で契約できないように申し立てると今度は兄の名義で携帯電話契約したのをDocomoから送られてきた郵便で知って、ああ、なんだろうこれちゃんと今月払ったよねと言ってあけたら知らない電話番号で契約されていたから1分ぐらい思考停止してたから母親がずっと兄が探していたパスポートの可能性を指摘したときにはもう兄の部屋からパスポートを盗んで契約したという可能性の思考は自分の中では過ぎ去っていたよとそっと言ったんだけれどそれでも考えたくはなかったよねとその兄は母親に伝えて、あーあ、なんでだろうとこれまで100回はつぶやいた自信はあるが、それ以外の家族としての兄としての自信は全くない18歳とはこの自分であるということを認識したくなくて、どうしてこんなことになったのかもう3年ぐらい考えているけど答えは出ず、父親、母親、自分、社会学校、弟、、、といろいろなもののせいにしたけど全部答えじゃないと思ってしまったからあああああああああああああああああああああああああああああもういやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、帰りたいあの頃に帰りたい帰りたいかえりたいかえりたい帰りたいどうしてこんなに食い物にするどうしてこんなに追いつめるどうしてこんなに訳が分からないどうしてこんなに冷たいどうしてこんなにうつろうんだどうしてどうしてどうしてどうして、ああ。

2007-10-18

地方再生

地方分権」だとか、「一極集中はいかん」だとか色々言われてるけど、

そもそも集中させない、つまり地方に人を戻すことは可能なのか?

俺は中国地方から阪神間に転勤した。「何より学生の数が違う」と感じた。

そりゃそうだ、関西京大阪大神戸大だけが国公立じゃない。私立の関関同立だっていい大学だ。

マンモス校近畿大があり、ボンボンが行く大学も結構あると聞いた。

東京に至っては、東大を筆頭に早慶上智マーチ学習院、あの狭い中に一流大学目白押しだ。

他地域と決定的に違うのは「地方出身者が毎年大量に供給される」ということ。しかも仕送り付きで。

広島の修道大学って言っても知らない人の方が多いだろう?

都会の大学を出てそのまま都会に就職、っていう流れが強いままじゃあ、政府自治体がいくら頑張っても無理じゃね?

そこら辺を何とかできると思ってるのか・・・

 
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