はてなキーワード: 矮小化とは
これさあ、なんですぐ遺伝とかそういう個人の問題に矮小化しちゃうんだろうか?
大谷翔平は1日10時間寝るらしいけれど、一般の日本の労働者がそんな事実行してたら家事も趣味の時間も作れなくて却ってストレス溜まりそう
「最も重要なのは「夜にしっかりと眠り、脳を休ませること」」と言うけれど、
そのために必要なのはスマホを早くやめる事ではなくて、スマホを存分やっても睡眠時間を確保出来るくらいに労働時間を削減する事では?
「遅くとも寝る3時間前になったら、スマホとパソコンはやめましょう」って、そんなの実行してたらまともに情報が入って来なくて仕事も人付き合いも破綻するわ
https://gendai.media/articles/-/134104?page=3
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炎上以降定期的にだされる小山田圭吾擁護シリーズの最新作で内容としてはいつもの
・グルグルまきにしてうんこ食わせたというのはデマというのを力説しつつも小山田本人がいじめだったと認めてるダンボールに押し込んで黒板消しの粉を振りかけたやつやロッカーに閉じ込めてガンガンけったやつについては可能な限りスルーないし矮小化する
・とにかく小山田は謙虚ないいやつであることを全編にわたりアピール
・俺の知ってる小山田君はこんなことする人じゃないからいじめはなかったに決まっているという結論ありきで展開される擁護
・いじめっていうなら小山田をネットリンチしたネット民のがカスだから小山田圭吾は被害者なんだわという結論
この四点セットによって作られてる本なんだけど
・今まで小山田本人しか言ってなかったうんこ食わせたは嘘の部分を同級生にインタビューとってこの部分についてはデマだろうという事の信頼度を挙げた
・小山田圭吾擁護シリーズに標準搭載されていたフリッパーズギターズの音楽は素晴らしくてぇ…コーネリアスこと小山田圭吾が無知蒙昧な愚民どもにキャンセルされることは文化的な損失でぇ…みたいな過剰な小山田圭吾賛美がオミットされてる
・前回の小山田圭吾擁護本みたく孤立無援のブログとその管理人がともかく全部悪いしあの管理人はカスみたいな感情的な悪口は言ってない(でも孤立無援のブログに触れた時その孤立無援のブログをやたら叩いてた本を読めみたいなこと書いてたから同じかもしれない)
・他の小山田圭吾擁護シリーズが徹底的に無視するなんで27年間定期的に燃えてたこのことを放置してたの?についてきわめて小山田圭吾に同情的な口ぶりながらも触れて放置したのはよくなかったときちんと指摘してる
・小山田圭吾擁護シリーズは後半になるほどネット民のカスさをなじることに力を入れがちなんだけどこの本はその点は控えめ(代わりに記事訂正応じないロッキング・オン・ジャパンの編集長と大した裏どりもしないで批判たれながした大手メディア等のメディア批判は多い)
以上の点から今まで刊行された小山田圭吾擁護本のなかでは一番客観的な本だったと思います。
でもやっぱり一番センセーショナルな部分はデマだったとしても本人が認めてよくなかったと思ってる部分についても擁護したり
いじめにあったとされる沢田君(仮)の内心を取材できてないないのに沢田君はいじめれてなかった二人には友情があったみたいに断言するのは
速報的記事。暇空敗訴は当然の結果だと思うけど、やっぱり名誉毀損って賠償額安すぎるよね。実際の被害考えたらこの額じゃ収まらないだろうに…。この結果を受けて送検済の刑事告訴はどうなるのか、今後にも注目。
散々誹謗中傷されて迷惑系YouTuberを含めて活動を邪魔されて賠償額たった220万じゃなあ。相手はカンパビジネスで儲けてる訳だし。こんなのを持ち上げといて(https://t.co/lQbTw5sx3v)ダンマリの卑怯者。
敗訴しても焼け太り。200万円ぽっち痛くもない。"訴訟費用の名目で2024年6月末までに約1億6000万円以上の「カンパ」を集め、Colaboに言及したYouTube動画や、裁判の準備書面を含めた文章をnoteで販売するなどして収益を上げて" 暇デマビジネス
やっぱ安すぎるし、カンパ金に応じた額を支払わせるべきだよね。
名誉毀損賠償額の相場、個人10〜50万、法人50〜100万から見れば高いのだろうけど何の抑止力にもならんな。訴訟大国のアメリカさんだとどんなもんやろと思ったら https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB160PB0W3A211C2000000/
インターネットの拡散力と脅威が当たり前になった今、法律をアップデートする必要があると強く思う。懲罰的損害賠償の導入を早くしてほしい。
一般人が一企業を相手取った日本国内で騒がれた件でこれだけ言われるのだから
世界的にデマ報道された観光地草津町への損害賠償額や草津町長への名誉毀損賠償額がどんどんアツくなるね!
暇空のカンパを収益ビジネスとするならガチでビジネスなマスメディアのデマ拡散で売り上げた分も当然対象よな
おまけ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/hima_kuuhaku/n/n123fd9c067a8 ← 親玉の言い分を盲信して誹謗中傷を続けてきたブクマカ達 / この一連の問題は、草津の件を遥かに超える卑劣で悪質な集団デマ加害事件
逆説的だけど、恵まれた環境に置かれた人間のしんどさってあるなって思う。社会制度がどうのとかじゃなく個々人の姿勢の話ね。内的にも対外的にも逃げられる言い訳の無さと言うか。
恵まれなかった人間なら多少弱音を吐いても「かわいそう、仕方なかった」で、頑張れば「あんな境遇からとても偉い」になる。
恵まれた人間が同じ事を言えば「贅沢な悩み」とでも言われて矮小化されがち。例え本人の感じている苦痛が本物だったとしても、まやかしや甘えの扱いを受ける。
全ては自分の意志次第、の自己責任マンは知らん。自分の思想を客観視した上で環境に不平を垂れる人間を見なくてもいいようにしていない、そういう人間を排除する社会へと変えられないお前の自己責任。まあ自分も構造主義より実存主義の方が好きだしあまり強くは言えない。
基準がなければ不満は際限なく増大するから目安として他人の水準を考える、というのも分からんでもないけど。にしても上はいるし。
もっと辛い境遇の人がいるから相対的に幸福、が通るならもっと恵まれた人もいるから相対的に不幸も通るのにね。そもそも自分の話になんでお前がしゃしゃり出てくる訳?下手すりゃ自分ですらなくどこかの恵まれない誰かを引き合いに出して。
いやまあ客観的というか一般的な基準で恵まれてると言えるような環境への文句に苦言を呈するのは分からんでもないけど。ガキの頃月3万の小遣い貰ってたけど足りなくて不満だった。もっと楽しいティーンエイジを送れたはずなのに損した、とか。
でもそういう外との関係がある問題とは違った内的な悩みについてまで、環境を持ち出して矮小化するのは違うんじゃないんですか。下手に恵まれてるからいらん事ばっかり考える、だとか。
もっと言えば世間の基準や外野の感想がどうだろうが、小遣いが足りないと思ったのならその人にとっての不満は本物なんだろうし。
でも何かこう、「客観的には恵まれてるけどそんなの関係なく自分は辛いからこうしてくれ」と、「妥当」であれそうでないんであれ不満が不満で終わらずに待遇改善を求めて、求められた側が「甘えるな、そんな悩みは贅沢だ」と突っぱねるなら全然分かるんだけど。
そんな要求が罷り通るほど世の中は云々、とかそういう事じゃなくてね。共感出来もしない悩みに対して助ける道理なんかないだろうし。そもそも共感出来ようが出来まいが助ける義務なんかないと思ってるけど。助けたれば助ければいいし、強いられる道理もない。協力ゲームの理屈は置いといて、道徳の話としては。
そういう場面でなく、別に助けを求める訳じゃないけどポロッとこぼした言葉を責め立てられるのは鬱陶しいよねって思う。
こぼすな鬱陶しいって話なのかもしれんけど。生き辛ない?そういう「意味のある」会話しか求めないの。
あとなんかジョジョでも幸福は絶対的なものじゃなく、スタート地点をゼロとする相対的なものだ、的な話があった。
環境の幸福度なんか逓減していくもんだろうから、このスタンスで言えばただでさえ恵まれる環境に生まれればそこから更に上に行くのはしんどくなる。
わざわざ自分が不利に置かれる価値観に与するのもマヌケっぽいけど、この考え方が特段変わったものだとも思えない。
そりゃ全くの一人で生きてる訳じゃないから、多少は他人の人生と比べて家庭の経済状況や親との相性とかを客観的に相対化するものだとは思うけど。
でも基本的には環境なんて所与のものであって、自分にとっては少なからず当たり前だと思ってる部分がある。
マジで辛い環境にいる人は、こんなんが当たり前でたまるか!って思ってんのかもしれんけど。
幸せになれない価値観なんか捨てて思考を矯正すればいいんだけど、それをやるならもう何でもアリじゃんって気もする。
新興宗教にハマり新しい価値観を得て、本人は幸せだと言っている。これは哀れ。
いつまでも仕事か辛いとばかり言って、価値観を変えて少しでも楽しもうという姿勢を持たない。これはワガママで子供じみてる。
これってダブルスタンダードだよね。どちらも幸せを求めた適応の話なのに。結局自分が信じてる価値規範を共有したいだけじゃんっていう。
おれは客観的に恵まれた環境にあって不満だらけの人間なので、態度次第では世間からの当たりが強くなる。
内面化された「環境に感謝」の規範をこそぎ落とし、「いやおれが辛いと思ってんならおれにとって間違いなく辛い事だし、他人の感想や、他の境遇を持ち出した相対化なんて関係ない」と開き直る事でせめて自分の中では居心地の良さを確保する。
その上で、「だからといって別に他人がおれを助ける道理はない。生まれ育った普通か恵まれてるくらいの環境を恨むこともない」とも思うことで社会との関係を維持する。そもそもおれの抱える悩みの大半が他人の助けでどうこうなるもんじゃないし。
自分なりに整合性を取った態度のつもりなんだけど、おれの言葉から言ってもいないスタンスを勝手に一義的に導き出す人もいるし、歪なのかもしれない。
まあこんなのも恵まれた人間の思考回路が前提になってるもので、そうでない実際の人間はまるで別の世界観を持ってるのかも分からんけど。分かった所で悩みが消える訳でもないし、どうでもいいや。
今どういう気持で生活してるの?
煽りとかじゃなくて、素朴な疑問。
ネイティブアメリカンに嫁いだ日本人のブログに、「一番納得した」とか「恥ずかしながら知らなかった」とかにたくさんスターがついてたみたいだけど。
結局彼らの「コロンブス」は、コロンブスが行った歴史破壊を肯定して、ネイティブアメリカンに対する差別的な思想を表現することが目的だったのかということ。
もしそうだったとしたら、公開停止して謝罪する程度で終わる問題ではないよね。
制作過程を明らかにして、一つ一つのシーンについても検証したうえで然るべき団体や当事者に向けた謝罪がないとだめだよね。
まさか第三者がブログで検証した内容だけで事実認定なんてできるわけがないし。
それすらなく、そんなやばいやつが未だに毎日のようにテレビに出て歌ってる状況は国際問題にもなりかねない状況なわけでしょ。
あのとき彼らを差別主義認定してた人たちは、そんな彼らがテレビに映る度にどんな気持ちになってるの?
勘違いしてほしくないのは、あのブログが嘘であるとか、原住民の反応が嘘であるとかそういう話をしたいわけではないのね。
そう感じるのは当然個人の自由であるし、意図するしないに関係なく、そういう風に見えてしまったことは否定ができないから。
問題は、「そういう意図で作られたものだ」と断定していた人たちなのよ。
この違いが解るかな。
「そういう風に解釈できる」と、「だから彼らは差別主義者だ」の間には、本来越えられない壁があるってこと。
今回の件において、その点についての事実認定はまだ行われてない。
「差別主義風のMVを作った人たち」までは事実認定だとしても、「差別を目的としてMVを作った」という事実認定はされてない。
この違い、わからないよね。
わかってるくらいなら、あのブログのあんなブコメにスターなんて集まらないのよ。
ここで質問です。
事実認定さえされていないことに対して、自らの主観だけで事実認定を行う人をなんて呼びますか?
差別主義を批判しているつもりが、自分が差別主義者だったと気づいた気分はどうでしょう?
受け入れられないですよね。
だからいなくならないんですよ。差別主義者って。自覚がないから。
そういう意味では、あのブログは差別されてきた人に寄り添うはずの人が、MVの解釈を説明するだけで終わらずに、ほぼ事実認定に近い形での言及を行っていたことは正直残念でした。
「偶然はこんなに重ならない」というのは、陰謀論が広がるときに使われる常套句のようなもので、むしろどうとでも解釈できるようなものを都合のいい解釈として並べてる時点で偶然でもなんでもない、意図的なものでしかないわけです。
ちなみに自分はMrs green appleの擁護者ではありません。
実際に被害者の存在する歴史問題を、自らの勝手な解釈で矮小化したという意味では、ある意味彼らも差別主義者であると思います。
多くのブクマカ達が行った差別主義認定とは全く違う解釈ですけど。
あのとき振り上げた正義の拳は、彼らがテレビ画面に現れる度にどうしてるんでしょうか。
今でも元気に振り回してるんでしょうか。
口ではどれだけ強気に振る舞ってても戦う相手のチョイスを見てるとすっげー自信なさげに見える。
https://note.com/keizokuramoto/n/n063fd6970085
暇空氏本人がどうあれ、「周りの人」が過剰に彼を英雄視して、実態以上にまつりあげてしまってる面もあるように思うんですよね。
僕の「小池都政はまあ上手くやってる面もある」っていう記事について、暇空氏が「国賠訴訟」で勝利した一件がある事を持って「だから小池はダメです。あなたの意見は受け入れられません!」って言ってくる意見とかあったんですが・・・
その「国賠訴訟」って何かと言えば、暇空氏のアクションに対して都がNPO関連の情報公開を渋った事に関して一件違法だという判決が出たというだけの話で、「小池都政全体の評価」からすると物凄く些末な話でしかなくて。(何ならプロジェクションマッピングの事例以上に小さい話)
それ以外にも、colaboが会計報告とかが多少杜撰だった事実はあるでしょうが、かなりインテリっぽい有名人(本人の名誉のために誰かは言いませんが)と雑談してた時に、
って言ってて、それはさすがに明確にデマですよ!てめっちゃ焦りました。
もうなんか暇空氏個人もコントロールできないほど「尾ヒレ背ヒレ」がついてってる現状がありそうなんですよね。
でも、ここまで「暇空氏を崇拝」するようなムーブメントが起きてしまうことは、さっきの内海氏に関する問題と同じような現象があるように思うんですよ。
めちゃくちゃ矮小化されてるじゃないですか! かれは全然暇空さんのことをわかってないですよ!戦うべきです!
倉本さんにこれだけボロカスに言われてるのに、戦わないなんておかしいよ!
倉本は俺のことわかってない!スペースで対談しろ!位言ってほしい。
ベビーレモンはスペースに呼び出すくせに。倉本さんともスペース対談してくださいよ。この人多分断らないよ。
他の人にスペースふっかけなかったら気にしなかったけど、ベビーレモンにはふっかけておいてこっちはスルーしているのはおかしい。
逃げにしか見えない。
この人と話したら論破されるかもしれないから逃げてるんじゃないですか?
それでは俺の好きな暇空茜じゃない。ただダサい男になってしまう。そんな暇空茜は見たくない!
あと石丸さんも相当アレだったけど、最近暇空茜も堀口連呼しててカルト感がして良くない。
大半の人は堀口ってだれ?ってなるに決まってるのに堀口!堀口!って。
しかも対堀口戦の訴訟負けてるのに。これは現実から目をそらしてる。現状で堀口を連呼されたところで「堀口もやばいが以上に暇空のほうがやばい」って法律が結果出してる以上誰も暇空茜の正しさを信じられなくなる。
そこを曲げちゃうなら、法の手続きに則って戦う正義の戦士ってイメージが一転して、石丸さんみたいに自分の都合で法を無視しちゃうって話になっちゃう。
だから堀口について語るのは個々の訴訟のときだけにしたほうが良いのに。戦い方まで下手になっちゃって。周りの弁護士は何をやってるんだ。
もう行く前から小池百合子が300万ぐらい得票を得て勝利するってわかりきってるじゃん
俺はリベラルだけど、俺が選挙に行って蓮舫に投票したって小池百合子が勝利することはもうわかってるじゃん
投票の比率に合わせて蓮舫の政策が取り入れられるとかなら行く意味もあるけど、小池勝利で100%小池の政策で今後進むんでしょ?
小池300万、蓮舫70万、田母神と石丸がそれぞれ20万ぐらいかねぇ
現職が有利って言うけど、そうじゃねえんだよ
だいたい選挙、選挙ってうるさいやつって国民の政治参加を選挙だけに矮小化しようとしている亡国の民なんだよ
政治参加の仕方は選挙だけじゃねえし、選挙行くよりもロビー活動したほうがマシだよ
選挙行くよりも増田で「日本死ね」って書いたほうが政策にコミットできるだろ
選挙だけ頑張ってんじゃねえ
元セクシー女優を企業が広告に起用し、炎上している件を見て考えたけど、
日常生活に「エロが侵食する」のがよくないんじゃないかと思う。
広告・表現にエロを使用する→その対象がエロに侵食され、エロと結びつく→エロ好きな人たちからニヤニヤしながら弄られるようになる=ハラスメントの完成
これが実現した例は既に存在していて、昭和のセクハラ社会である。
我々はそこから脱却するために長い時間をかけて改善してきたのに、なぜ逆戻りしようとするのか?
これくらいの表現でエロと結びつくかよ自意識過剰かよと思うかもしれないけど、「これくらい」が積み重なって少しずつ社会に認識を浸透させていく。
どういう認識かというと、「女性の体は見て楽しむためにあるものだ」という認識である。
見て楽しまれたい女性や、見られることを仕事にする女性がいるのは全く問題ない。
けれど、それを広告・表現としてみだりに発信し、社会に認識を浸透させるのはよくない。
また表現について批判を受けた時、個人の表現の自由の話に矮小化させてはいけない。
表現が社会に与える影響の話なので、需要のあるなしも関係ない。
その表現が社会にどのような影響を与えるかをよく考え、表現をコントロールする責任・義務があると思う。
過去に少しアダルトな仕事に関わっただけなのに、外野が無理やりほじくり返して騒いでいるだけじゃないか?
と思って確認してきたけど、この方はセクシー女優として活動していたことを肩書にしているし、
Xのヘッダー画像がかなり扇情的で、現在進行形でエロと結びついている方なんだなと思った。
なので、エロと結びついている女優を広告に起用した企業に対して、
声優はどうなんだ、アダルトなコンテンツに携わった声優は規制すべきなのか
↑
18禁ボイスドラマ出身のセクシー声優〇〇さんが子供向けアニメに挑戦!という風に宣伝したりしない。エロを肩書に使わない
現実のあらゆる属性の女性もエロいから規制すべきですね。外出しないでください
↑
広告や表現が発するメッセージが社会にどのような影響を与えるかの話であって、
現実の女性は一切関係ない。現実の女性は広告物でも表現物でもないので完全に見当違い
↑
話題のアレ(超◯◯)で情報漏れた、正確には情報漏れた友人が本人の情報確認するついでに漏れてると教えてくれた。
また出回っているコピペでこの情報が漏れたぞ、とネタにされてる内容に完全に合致する属性だし上記友人の名前もそこに出てる。
で、自分自身で自分の情報が漏れたかどうか確認するために割と危険そうな場所行って危険そうなもんダウンロードしないといかんのはだるいんだがどうしたら良いんですかね・・・
興味本位でやるな見に行くな、とのプレスリリースは出てるけど自分の情報が漏れたか確認するために見に行く(見に行かざるを得ない)のってどうなん?
友人にスクショで貰えというのはその通り、かつもうとっくに済ませてるんだけど自分で元ソースあたるべきだよなというので悩んでる。
自分よりもっとやばい情報が漏れている人が多いだろう(そして今後も増えそう)ので完全にワンオブゼムなんですけど、それでも自分にとってはおおごとなんですよね。
情報漏洩した会社はプレスリリースでは「一部の~」みたいな書き方してるけど、そういった矮小化はごまかしでは?99.9%漏れてても一部(全部ではない)になるような書き方も信用できない。
(実のところ別件で信用できないムーブされたので関わるのやめたというのもある)
情報漏洩窓口みたいなの作っているみたいだからとりあえずメール送ってみるけど、その会社のさまざまな発表が後手後手&ふわっとしている&他人事なんで自分でやっていくしか無さそう。
1997年1月31日に、FF7が発売されたときに、西階中の橋本直美の英語の授業をばっくれて こうすけが桜小路で風邪で寝込んでいる時代に、
プレステを桜小路に持ち込んでそこでやっていたが、最初に魔晄炉があるところでなんかこのゲーム難しいなという感想を持ったが、その後にどのように進捗したかどうかは分からない。
ユフィに関しては、その当時、ソフト全体の構成に比して、そのキャラクター自体が矮小化されており、これがその後のわいせつ文明につながるだろうなという危機感もなかったが、
最近、ユフィで検索すると、 しゃぶりつく、というよりも、「ユフィが出るぞ」と書いてあり、そういうような段階であるということである。
結論として、自殺に至る経緯への理解が全く異なる解釈のできる報告書が2部出来上がってるとしか言えない
公表版は当該児童の障害特性がことごとく(母親の意向を受けて)黒塗にされていて、児童の苦しみ、悩み、絶望がとても薄まっていて、いじめの事象のみが原因であるかのように読めてしまう
遺族への心情配慮が必要とはいえ、ここまで読み手側の認識が異なる黒塗はいかがなものかと思う
第三者委員会と教育委員会は全内容を把握しているものの、部外者は公表版しか知らない訳で
公表版による認識のギャップは埋め難く、そのあたりの現場からの不満が、度々の流出要因とは思う
また、いじめ加害者とされる複数の生徒や教員への誹謗中傷は公表版が要因の1つではないだろうか
いじめを矮小化するつもりはないが、流出版を読めば、いじめは自殺要因の1つではあるが、直接の引き金ではないという、第三者委員会の結論は納得できるものであるわけで
障害特性への無理解、支援体制の貧弱さが地方都市故なのか、偶然なのかは分からないけれど、これはとても悲しい、だけどたまに聞く話しでした
こんなニュースがあった。
盗撮から選手守る「衣装」…体操選手は自ら開発、バレーや卓球には赤外線吸収する新素材
https://news.yahoo.co.jp/articles/1845e8f09a37eff80519865d18e4da75f5f2fef5
(以下引用)
スポーツで女子選手が性的な意図を持って撮影される被害が後を絶たない中、トップ選手の間で、盗撮されにくい仕様のユニホームや衣装が広がってきた。
7月に開幕するパリ五輪では、バレーボール女子の日本代表チームが着用する。肌の露出を抑えた衣装を自ら提案、
開発した体操選手は「誰もが安心して演技できる環境を整えることが必要だ」と訴える。
(引用終わり)
以前、Yahooニュースで甲子園のチアリーダーの衣服が盗撮防止のために半ズボン着用を余儀なくされている話を見た。
コメント欄ではひたすら性犯罪者のバッシングばかりで、そもそも盗撮されにくい環境(衣服、座席位置など)を作れないのか?という意見は
見つけることができなかった。
また別の話では、能登の被災地で迷惑YouTuberが男性向け自慰用グッズを配布をしたことがあった。
私は叩かれるだろうと思いつつ、そのニュースのコメント欄に「性被害防止のための環境整備型のアプローチとみれば強ち間違いでもない」と書いた。
で、案の定ヒステリックに否定されるばかりだった。曰く、「被災地で性犯罪をする男が悪い」「まともな男は理性がある」と。
確か子どもを持つ親からのコメントが多い印象だった。そりゃあロリコンだとか関係なく、性犯罪をする人間が悪なのは当たり前の話である。
問題はいかにして犯罪者予備軍が犯罪を起こしうる条件を見つけ、潰すかという話をしたんだが。
冒頭記事のように、盗撮されにくい衣服の開発は地道な活動だが、環境整備型のアプローチとして確実に
性被害の削減に寄与する活動だろう。やっと達成に漕ぎつけそうな日本版DBSの導入もそうだ。
個人的には、AVや雑誌等を含むメディアで、マニアが発散できるコンテンツを提供することも犯罪抑止に含まれると思っているが、
今の日本では一般人(子どもを持つ親、表現規制派)のコンセンサスを得られない。
これはロリコンである私のポジショントークになるが、そもそも現代日本では若い女子(男子)中高生に興奮するのを糾弾する風潮が強すぎる。
彼女(彼)たちの性的魅力を楽しむことを禁忌とし、抑圧すればするほど盗撮を含む未成年への性加害は巧妙化し、地下化する。
性被害者は減らない。更に世間の親はヒステリックになり厳罰化の声が叫ばれる→性加害が巧妙化する・・・といったループとなる。
例えば未成年の身体(例えば新体操の女子中学生)の身体美を記録することに背徳感があり、
それで盗撮マニア側が余計に犯罪行為にエネルギーを注ぐ構図はないだろうか?
私は違法行為をしないロリコンだが、そういう背徳感で興奮している部分が無いかと言われたら嘘になる。
ロリコン趣味が認められて、そうした欲求を満たすコンテンツが公然と流通されるべきだと言いたい訳ではない。
少なくとも、何か事件の度に加害者の性的嗜好をバッシングしたり、厳罰化を訴えるだけでは性被害の予防・発見に寄与しない。
それは本邦で何十年もジャニーズ氏の性加害問題が無視、放置されてきたことから明らかだ。
バストが強調された二次元イラスト広告に文句をつけたり、オリンピック対策で出版物の表現規制を進めたこと、
更にそうした声が大きい団体を取り上げてきたことは、長年の性加害に対して何の抑止にもならなかった。
細かな表現規制を問題視してきたフェミニストや社会運動家が、その事実をどう総括しているのか不思議でならない。
表現規制問題を矮小化する訳では無いが、それよりも日本版DBSを推進する行政の実務者にはもっとスポットライトが当たるべきだし、
性犯罪を予防する製品を開発する企業はもっと支援されるような世論を作るようにしないといけない。
そうした方向に社会運動のリソースを割くほうが、たとえ一時のバズであっても悲しむ青少年を減らせることに繋がるじゃないか。
何十年もロリコンバッシングより先にやることがあったんだよ。本当は。
【余談】
1.大多数の人間(子どもの親、社会運動家を含む)は悪者を叩きたいだけで、被害者を減らす地道な活動に興味がある訳じゃないのかもしれない。
性犯罪予防に限らず、EBPMのような活動は今後も厳しいだろうという悲観があります。
2.私はジャニー氏が死去した2019年に性加害の事実を知り、憤りを覚えてはてな匿名ダイアリーに投稿しました。
当時は「今更ジャニー氏の趣味を知ったの?」と冷笑するコメントがつきました。BBC報道による外圧の後、日本社会の空気は一変しましたが
社会問題のカリカチュアは誇張の相対化で矮小化されがち。地域紛争の凄惨映像は訴求力、他人事で片付け。でも日常に戻れば他人事意識。藤子不二雄のミノタウロスの皿、肉食非難、意思疎通の非対称。直観的に歪な事、むしろ肯定的?ヒューマニズム批判、そんなメタ思考、実際の意図は不明。
社会問題をカリカチュアして描くっていうのも、問題提起としては難しい所がある気がする。
誇張して描かれた問題を現実に移し替えて考えてみると、なんだ実際にはこんなもんかと相対化・矮小化されかねないし、普段見ている社会をありのまま描いた所でそもそも問題として受け取れないっていう。
それだったら、例えば現実に起きている地域紛争の凄惨な映像なんかの方がまだ訴求力がありそう。情報として知ってはいても、ああそうですかと他人事で片付けているような。
もっともそれにしたって、その場ではあまり気分の良いものではないなあという気分にはなれても日常に戻ればまたすぐに忘れてしまって、結局他人事という意識は変わらないような気もする。
藤子不二雄のミノタウロスの皿なんかも、仮にあれを肉食への非難と捉えるなら不誠実な描き方という事になる。
ちょっと考えれば牛と人が意思疎通出来ている時点で現実をそのまま反転させている訳ではないし、結局肉食がどうこうというより人の姿をした生き物を食べる事への嫌悪感という事でしかない。むしろ現実では意思疎通能力が非対称な訳で、あそこまで直観的に歪な事をしているわけではないよねって気持ちになってむしろ肯定的に思えてしまうかもしれない。そこまで込みで踏み込んだヒューマニズム批判の意図があったかなかったかは分からんし、そんなメタ思考に及ぶ人間がどこまでいるのかも分からない。