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2018-04-21

通販アダルトグッズを買った

三十路独身女、由々しき事態である

三十路もだいぶ経つが恋人はいない。生物との交尾四捨五入したら10年はご無沙汰だ。

彼氏が欲しいかと言うとそうでもなく、仕事をきちんとこなそうと思ったら帰宅して食事をとり、気持ち程度にだらっとして睡眠をとらないと翌日の集中力が維持できない。

男に構っている余裕もセックスをしている余裕もないので別に必要もない。

そもそもセックス気持ちよかったことがない。

人生で唯一交尾したことある男はそんなに下手ではなかったが、長年二次元がお友達だった私にはひたすら退屈だった。

SかMかというと私はMだけど、奴はNだった。ノーマルのNだ。責めるという発想がなかった。本当にかわいそうだった。

挙句の果てに、私は前より後ろの方がもしかしたら気持ちいかも知れないことに気付いてしまった。奴には尻を交尾に使うという発想自体がなかった。本当にかわいそうだった。

かといって、他の人間との密接なコミュニケーションが心底億劫だし、そう言うことを許されるのは可愛い女の子だけだなという認識なので、性癖の合う男を見つけようとも思わなかった。

出来れば女の子がよかったが、尚更だった。だから一人なのは別にいいのだ。

一人なのはいいけど、性欲がないかといえばそんなことはない。ある。しかもMで、普通はしないことをしないタイプのやつだ。

めちゃくちゃ困る。二次元妄想でどうにかはならない。

そこで、玩具を買おうと思い至った。

都内には大きな明るいお店の玩具の店がそれなりにあるので、送料勿体無いし買いに行くのもいいなと思った。

私はまあ猪八戒みたいな見た目なので他所様にはご迷惑しかかけないが、とはいえMなので、一人でアダルトグッズを買いに来た女だ……という視線を浴びるのはそれはそれで股間に来るものがある。

しかしながらこれは頓挫した。なぜなら私の性欲は、布団の中と、仕事死ぬほど暇な時以外は完全に沈黙していたからであった。

欲しいのは主に布団の中に居るときなのだしかも夜より休みの日の朝だ。

いつか昼間に盛ってアダルトショップに買い物をしにいきたい。

いや、そうしたらもう通販しかなくない?

そう思って、私はアダルトグッズ通販サイトを開いたのだ。

まあ色々物色し、(色々な意味で)収まりのよいものを見繕って買い物かごにいれ、カートに進んだ。

最近通販はすごい。中身の偽装、送り元の画像なんて当たり前だ。

コンビニ受け取りにするとなんと名前偽装できる。お金コンビニで払えばいい。

ファ◯ポートに番号を入れ、レジ若いお嬢さんからダンボール玩具入り)を受け取る、このプロセスにさえなんかヤバいものを感じる。

コンビニ玩具に金を払って引き取るなんてとんでもない世の中……と思いながら、数日後に私はブツを持ち帰ったのであった。

そして箱を開けてみたんだけど、そう、通販サイトの悲しいところで、

『うわ想定よりでかい

一気に正気に戻った。股間の潤いがこう、スーッとなる。半分くらいでよかった。

現物を見ないで買うことには限度がある。全然まりよくない。ほんとに入るのかよこれ。

しかも次に性欲のビッグウェーブが押し寄せるのが何日後か、何週間後なのかも想像がつかない。試しようもない。

どうしよう。もう斯くなる上は支部とかでそういう助平な画像検索して気持ちを昂らせるしかないのか。めんどくさい。

匿名日記から言いたい放題できるけど、一緒に暮らす年下の女の子通販がバレて「エッこんなの使いたかったんですか?どうせなら今から試してみましょうか?」って言われてベッドに押し倒されたい人生だった。

まあここはロフトベッドだから二人も上がれないけど。孤独だ。

こうしてセックスの才能がない三十路独身女は、ベッドの上でスマホを握ってこの気持ちを吐き出すしかなくなってしまったのだ。

いや、ほんとにどうしよう。何が困るって、取り敢えず、私は独身だけど、ここが実家というのが最高にまずい。このサイズは流石に隠しきれないかも知れない。なんにも収まりよくない。

生きるのって大変だな、と思いました。

2018-04-20

anond:20180420230337

月の労働時間規定160hで残業が40h程度かな。

ただし平日帰宅後や土日でも平気でメール処理する感じ。

実態トータル250h位じゃないかな。

管理職から残業代ないし年俸制なんだけど、時間はある程度融通きくね。

オナ禁ができない

どうやら俺の脳は頭部ではなく、股にあるようだ。

はいつもこいつの命令に従ってきた。

いや、従わざるを得なかったというべきか。

俺の肉体と精神はすでにこの猥褻物支配されており、もはや理性で行動できなくなっている。

そんな俺も、幾度も最後の気力を振り絞って、このスケべな上官に逆らってきた。

しかし、上官の有無を言わせぬ鉄拳が俺をホワイトアウトさせる。

目が覚めた頃には、俺は白濁に湿ったティッシュを握りしめながら、画面の女のうるさい喘ぎ声を聞いていた。

何度こんな夜が続いただろうか。

たまに、仕事疲れた日は、エロ上司も気力がないのか、俺に残業させず、定時帰宅させてくれる。

しかし、それも三日と続かない。

俺の体調が戻れば、上司も元気になり、俺に夜の仕事命令する。

俺は立場上、口答えもできずに、無心で仕事に取り掛かる。

仕事を終えた後に、NTRヒロインを眺めながら感じるのは、達成感ではなく、人生に対する虚無感のみである

「俺はいったい、何をやっているんだ...」

こんなに苦しんでいる俺に、友は、同士はいるのだろうか。

この苦しみを共有したい。

己の身体卑猥寄生虫支配されてしまった、哀れな同士よ。

どうか一人じゃないことを伝えたい。

世間アンケートでは、オナニーは週2,3回が平均だと出ているが、あんなのは信じちゃいけない。

あれは虚栄心からくる見栄であり、自分を潔白な人間であると思いたい、思われたい奴らの自己欺瞞だ。

だって街でアンケートされたら、「まぁ、1...か2くらいですね...」と答えてしまう。

俺はオナ禁が三日以上続かないことが普通だと思いたい。

どうか同士の声が聞きたい。

俺の孤独な戦いを支えてほしい。

みんなの正直な意見を待っている。

ゆっきー

今はなきアーススタードリームが、3周年ライブBDを作るために、クラウドファンディングを行った。

2月にずっと経過をウォッチしてはここに書き綴っていたので、1日の大半を増田姓で過ごしている増田は知っているかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20180131000031

このクラウドファンディングはもちろん達成したし、自分も2万円を投下した。

目標を大幅にオーバーしたので、どれくらい黒字になったかはわからないが、自分お金が少しでもゆっきーのディナーに変われば嬉しい。

 

帰宅して円盤の到来を見てすぐに書いているので、映像はまだ見ていない。

ただ、これが届いたことで、これで本当にもうアーススタードリームはなくなったんだなという寂しさが込み上げてきた。

待ち続けていた最終巻が刊行された長編小説のようだ。

これが届かない内は、まだどこかでアーススタードリームが息をしている感覚があったが、その最後の鼓動がとうとう止まった。

 

もっとも、そんな懐古に浸っているのは自分や一部のファンだけで、当の本人たちはとっくに前を向いて歩いている。

48時間くらい前に書いた通り、ゆっきー舞台華枕』の主演を務め、日本中華枕ファンや元ドリーマーを感動させた。

自分単推しなので他の面々の近況は知らないが、少なくともオレンジは同じ舞台で輝いていた。

ありがとうアーススタードリーム

2周年ライブ音源は、今でもiPhoneでも聴いているし、車の中でも聴いている。

グループは消えても曲は残る。

 

先日、松任谷由実が、「自分名前が忘れられても、歌だけは残っていく。そんなふうになったら良い」と語っていた。

曲は残る。

ずっと残り続ける。

いつか、10年、20年先、ゆっきーを表舞台で見ることができなくなっても、俺は『君色に染まる』を口ずさみながら、こうして増田にゆっきーのことを綴っている今日を懐かしみたい。

鬱っぽくて心療内科に行った話

誰かのためになればいいなぁとは思ったけど、ほぼ自分のために書いた文章というか日記なので読みにくいと思う。ごめんなさい。

最近、鬱っぽいというか夜勤中に精神的余裕がなくなるスピードが早いのと物忘れがひどくなってきたので、心療内科に行ってみたんよ。元々、自分精神的な病気なんかとは関係ないと思ってたんだけど、ツイッターなんかでわかり手さんとか借金玉さんとかのツイートブログ見てたら行ってみるのもありかなぁと思いまして。

心療内科の初診の予約取るのもわりと時間必要だった。電話をすることへのストレス電話をしたらもうあとに引けない気がしたから。でも、仕事中に頭がパンクしそうになった時があってそこでもうダメだと思って勢いで予約の電話をした。

とりあえず、電話に出てくれた看護師の人には鬱っぽくてということで受診の予約をした。

受診当日、逆算思考が苦手なのと方向音痴自分を気遣ったら予約時間の40分以上前に最寄駅に着いてしまったので30分くらい散歩してから病院に向かった。

何というか、最寄駅から病院場所確認して散歩時間を潰している間、ずっと憂鬱だった。怒られるわけじゃないと分かっていても、どんなことを聞かれるんだろうと考えていると頭がずっしりとしてくる。

それで、いよいよ、初受診時間心療内科らしく待合室のソファも診察室の椅子もふかふかだった。

ドクターには具体的に困っていることを聞かれたので前述した通り、夜勤中の精神的余裕の無さと物忘れがひどくなってきていることを伝えた。

それから、鬱の診断を下すための質問をされた。DSM-5とかいう本(世界共通診断基準って言ってた)に沿って質問されて、それによると鬱ではないということで、抑うつという鬱っぽい状態だと思う的なことを伝えられた。

それから、順序が曖昧だけど次にADHDかどうか診断する質問をされた。集中力はあるかとかそういうやつ。それによるとたしか、軽いADHDとのことだった(ADHDに軽いとかあるかどうかわかんないし、もしかしたら自分障害者と認めたくない自分意識邪魔して軽いやつと認知したのかもしれない)。

まぁ、その時点で多少はショックだったんだけど、高校で塾やめたら一気にガタ落ちした成績のこととか集中力の件とか思い返すと、しょうがいかぁという感想

で、たしか次が心理テストでA4の紙に実がなっている木を書かされた。ドラマとか映画で見たやつ!と思いながら、真ん中にこれだと小ちゃいかなぁ…でも大きく書くのめんどくせえしなんでそもそも大きく書かんとあかんのやと思いながら木を書いてリンゴを3つほど付け足した。書いた後にリンゴの味を聞かれたので普通ですかね、と答えた。

診断によると自分は頑固で人の目を気にして抑圧状態になってると言われた。まあ、たしかにーという感じだったのでそうですねーと答えて、ドクターから総合的な見解ADHDとそれによる二次障害抑うつ状態とのことだった。

集中力がなくて仕事がうまく回せてないのをどうにかしないとという話の結果、コンサータが処方された。あー、借金玉さんが言ってた飲んで吐き気と戦いながら仕事するやつかと思いながら、それを2週間分処方してもらった。

それと、ドクターから仕事ストレスを溜め込むのはよくないか自分ブログに書くなり愚痴ノートを作った方がいいとの言葉も頂いた。

で、先月にインターネットのお陰でできた彼女の家に向かうバスの中でぼおーっとEva CassidyのFields of goldを聞いてたらどういうわけか涙が止まらなくなった。どういうわけもなく、自分発達障害であるというショックがそのタイミングで襲ってきたんだろう。彼女には病院に行くとは言ってたけど、「なんの病院?」という質問には答えられず、健康診断の聴力検査でひっかかったか耳鼻科に行くと嘘をついた。

自分障害者であることを家族にも彼女にも、今度新幹線で久しぶりに会いに行く数少ない友達にも言えないなぁと考えるとセンチな気分になってバスの中で泣いてしまった。

重く考えすぎだよなぁとこれを書きながら思いつつも、あと1回くらいは泣きそうだなとも思う。案外、言ってしまえば周りは受け入れてくれるのかもしれないけど、急に「俺、実は発達障害だったんだよね」と知り合いに言われても反応に困るだろうから、とりあえずは言わないでおこうと思う。

それにしてもなー、これからどうしよう。いや、特別どうもしないんだけども。

とりあえず、彼女の家で帰宅を待ちつつ、夕食の献立を考えつつ彼女に貸したスプラトゥーンでもするかなぁ。あ、コンサータ飲んだらウデマエ上がるかな?

2018-04-19

共働き夫婦父親は誰に愚痴とか弱音とか吐いてるの?

もうすぐ嫁が育休を終えて職場復帰する。復帰後自分原則毎日20帰宅を嫁と約束してて、職場上長及びメンバーにもその旨は伝えている。

が、現実問題今の仕事20帰宅はかなり厳しく、予行演習と銘打った4月以降、毎度早出やら持ち帰りやらで凌いでいる。

で、ここ数日。自分は1週間で2度ほど大きなやらかしをし、突発の深夜残業残業が発生した。結果、全ての家事が嫁に寄り、えらい迷惑をかけた。

帰宅プレッシャーを感じつつの自分ミスでの深夜残業は、精神的にかなり来るものがあるが、負担をかけている嫁には仕事の弱音や愚痴を吐くことなんてできない。かと言って、会社メンバーにも、普段早上がりで仕事巻き取ってもらってたりしてる手前、「嫁に迷惑かけててさ…でも仕事終わらんし」的な愚痴も言い辛い。

共働き父親はみんなどうしてるの?家と仕事の板挟みになった時誰にも相談できなくね?みんな突発残業なんかしないスーパーマンなの?

開かないプレミアムカー

仕事が終わって京橋駅に行ったら、京阪が死んでた。

当分動きそうになかったし、再開しても人口密度すごそうだったので、近所のバーガー屋で1時間以上つぶして駅のホームに行った。

電車は少し前に動き出していて、人は多かったけど思ったほどじゃない。

入ってきた特急もかなり空いてて、これなら意外と楽に帰れるなと思った……

プレミアムカーが入ってくるまでは。

プレミアムカー(有料車両)の扉は開かず、それを知らずに並ぶ人は大勢

その結果、隣の自分が並ぶ車両にかなりの人が移動し、車内はぎゅうぎゅう。

当然、自分が乗る車両の中から隣のプレミアムカーに入ることもできず、家畜として運ばれる気分で帰宅した。

目的地に到着し、やっとの思いで車両から降りてプレミアムカー確認すると誰も乗ってないの。

利用を中止してるの。

いや、こんな時はプレミアムカー解放しろよ。

プレミアムカーは立ち乗りを想定した作りになってないだろうから、吊革なんてないだろうけど、あの密度だったら一般車両なんて、他人体重かけるしか身体を支えられなくて危険半端ないわ。断然プレミアムカーで立っとく方がまし。

なんとなく、災害の時に不平等からという理由で、支援物資の毛布を配給しなかった事例を思い出しました。

満員の車内の遠くから、見知らぬ爺さんが見知らぬ婆さんを延々と説教してる声が聞こえていたのが、個人的地獄みが高かったポイントです。(2人は恐らく赤の他人

海外在住独身女が一人で海外中絶をした話

はじめに

人生で初めて中絶を、しか海外(先進国です)で経験してきたのでその一部始終等を書こうと思います

衝動的に書き始めてしまった上に、初めての投稿で思ったより長く、読みにくくなってしましました、すみません

他に同じような内容をポストされてる方がいるかわかりませんが、似たような境遇の人たちの参考にでもなればいいし、そうでない人たちにも暇つぶしにでも読んでもらえれば嬉しいです。

妊娠発覚まで

彼氏とのセックス避妊に失敗した(避妊具が外れた)。

やばいと思ったので12時間以内にスーパー薬局で緊急避妊薬を購入

(私がいる国では薬局処方箋なしで緊急避妊薬が買えます。値段は4000円ほど。)

3週間経っても生理がこないので妊娠検査薬で検査したら妊娠発覚...

確率は諸説あります避妊失敗から12時間以内の緊急避妊薬の服用で90%以上の確率避妊できるのはたしかっぽいのにどうしてこんなことに...

中絶する?しない?

妊娠発覚してから一般的にみなさんどれだけ悩まれるかわからないですが、私の場合はほぼその場で「中絶しよう」と決心していました。

理由としては3点:

1)彼氏結婚するつもりがない

2)経済的余裕がない

3)そもそもそんなに子供が欲しくない

じゃあ普段から低容量ピル飲んどけよって話なんですが、そこについては反省しました。

後でも触れます中絶してからは低用量ピルを飲んでいます

中絶しよう!予約方法は?費用は?

中絶しようと決心した私、早速病院を探します。

地名 abortion clinic」みたいな感じでググる自治体Webページが出て来ました。

基本的中絶自治体承認した少数の病院しか行われません。

今回私が選んだ病院中絶避妊専門の病院で、その病院ではほぼ朝から夕方まで営業時間の間ずっと中絶行為が行われていました。

予約方法基本的ウェブ電話になります

私の選んだ病院はどちらか好きな方を選べて、私は電話が苦手なのでウェブで申し込みました。

最後生理からどれくらい経ってるかとか、持病の有無とか、自治体健康保険に加入してるか否か、みたいな質問が続く問診票を埋めたら仮予約完了です。

病院から連絡が来たのは2日後でした。

病院からメールは、プライバシー保護観点からメール自体にはほぼ何も書いてなくて、ウェブ上のメールサービスへの招待と、そちらでやり取りをしようという内容でした。

こうすることによって中絶情報を、特に職場メールを見る人たちが多いので、他人に見られる可能性が減るのだそう。

費用無料でした。中絶手術そのものに加えて、手術前のカウンセリング、手術後に始めた低容量ピル無料でした。全部自治体健康保険カバーされるらしい。

ちなみに、保険未加入でも日本円で50000円弱と日本に比べてかなり安いみたいです。

中絶手術当日の話

いよいよ中絶手術当日がやって来ました。

予約はお昼でしたが、朝から何も食べるなとの指示があったのでお水を飲んで凌ぎました。

病院に着くと、玄関のドアに鍵がかかっていてインターホンが。押してみると看護師さんが応対してくれて、名前と予約時間を告げるとドアのオートロックを開けてくれました。

びっくりしたんですが、このドア、なんと二重扉になっていました。

1枚目のドアを入ると受付から入った人が見えるように透明な小部屋のようになっている短い通路があって、そこの奥に2枚目の扉があります

看護師さんは怪しい人間がいないことを確認して2枚目のドアを開けるそうです(付き添い禁止病院だったので付き添いを入らせないためでもあるっぽいです)。

受付をすませると緑のガムテープを2切れ渡され、スマートフォンのインカメと外カメを覆うようにはりつけろと指示をされました。ここでもプライバシー保護が重きが置かれていました。

待合室はシンプルです。ソファが並んでいて、ウォーターサーバーがあって。

一つ特殊な点があるとすればサイドテーブルに山盛り避妊具が置かれていて、好きなだけ持っていけるようでした。

15分ほど待つとカウンセラーさんに呼ばれてカウンセリングです。

ここでは手術の具体的な工程説明をされ、その上で中絶をすることに対して罪悪感があるか、どのように罪悪感に対処しているか、など精神科っぽいカウンセリングを受けます

また低用量ピル説明もされ、服用を勧められました。

このカウンセリングで、日本との中絶に対する姿勢の差を強く感じたのは、そのカウンセラーさんが言ってくれた「あなたはきちんと自分のやったことに対して責任を持っているわ」という言葉でした。

こちらの国では中絶も一つの選択肢である、と認められていると感じます

もちろん中絶に反対する活動家の方はいらっしゃるようですが、少なくとも医療関係者患者説教したり、否定的言葉をかけたりすることはありませんでした。

中絶は善でも悪でもなく、医療行為の一つである」という共通認識がしっかりあって、個人選択尊重される風潮がある。

これで随分精神的に楽になりました。

カウンセリングの後はいよいよ手術です。

トイレで下着を脱いで、妊娠確認するための尿検査をした後、病院で渡された巻きスカートのようなものに履き替えます

妊娠確認が取れると、抗生物質と強めの痛み止め・吐き気どめを処方されるので飲んで、薬が効き始めるまで待ちます

30分ほどカーテンで囲われた大きな一人用ソファリラックスしたあと、いよいよ手術室に呼ばれました。

まずは看護師さんが採血をしてくれます。これは梅毒HIV感染の有無を調べるもので、強制ではありません。その後麻酔兼気分がふわっとする薬を注射してくれます

そして先生がやってくると、まずは超音波で再度妊娠の有無を調べます

潤滑剤ベタベタ避妊具をかぶされた直径3cmくらいの器具を挿入されて、具体的にどの位置胎児いるか確認します。

確認が終わるとついに中絶です。

方法としては、吸引法と呼ばれる方法が用いられました。

薬で多少気分がぼけっとしていたので記憶が怪しいのですが、子宮口を器具で広げられ、クラミジア淋病検査(こちらは必須でした)のために細胞?を採取されたあと、吸引機を挿入、吸引開始されました。

この吸引、めっっっっっっっちゃ痛い。麻酔全然効いてない(個人差があるようです)。5分ほどでしたが、これも報いかと思いつつ人生で一番痛い経験しました。

手術が終わるとあらかじめ用意していたナプキン付き下着を履かされ、手術前に座っていた大きな一人用ソファに戻され、麻酔が抜けるまでまた30分ほど休憩です。

そして手術後の出血が酷くないことを確認されたあと、術後の注意点が書かれた紙を渡され、すべての工程が終了しました。

注意点としては2週間膣内に何も入れないこと(タンポンもダメ、お風呂ダメ)、出血やばい時は病院直通電話番号があるのでそちらにすぐに電話することを告げられました。

帰宅に関しては、タクシー帰宅を厳命されたので、タクシーに乗って帰宅、即布団へ倒れこみ次の日の朝まで寝ていました。

術後の経過

術後の経過はいたって良好でした。徐々に出血は減っていき、2週間ほどでほぼ出血がなくなりました。中絶後初めての生理もちょうど3週間後に来ました。

低用量ピルは手術の次の日から始めました。

避妊のためもありますが、低用量ピルの服用は中絶で傷ついた子宮回復と、生理週間を正常に戻す手助けをする作用もあるようです。

特に問題がない場合は術後の診察も必要ないとのことだったので、あれから特に病院へは行っていません。

中絶経験して思ったこ

中絶めっちゃ辛い(精神的にも物理的にも)。もう二度としたくないですし、するようなシチュエーションに陥らないように対策はしていきたいと思います

罪悪感はもちろんあります中絶前・中絶後共に「本当に堕してよい(よかった)のか...この子(胎児)の命を私の勝手で奪ってしまって許されるわけがない...」など考えました。

カウンセリングがなければ精神的な辛さはもっとひどかったと思います

自分選択責任を持って、などと大それたことは言えませんが、自分意思で堕したということはしっかり胸に刻んで避妊を徹底していきます

今回海外中絶をして、社会福祉の一環として中絶サポートされているなと感じました。

低用量ピルを服用していても100%妊娠を防げるわけではない以上、日本でも緊急避妊薬や中絶選択肢として、もう少し身近なものになってもいいなと思います

私はセックスが好きです。彼氏セックスするときはとても幸せです。スキンシップ大事です。

なので妊娠はしたくないですがセックスします。もちろん、自分でできうる限りの避妊しますが、妊娠してしまときには妊娠してしまうと学びました。

ですが女性人生プランにおいて、子供ができるということが必ずしも歓迎できることではないシチュエーション存在すると思います

中絶は褒められたことではないですが、そういう場面に直面したとき、頭ごなしに否定するのではなく中絶も一つの選択肢として受け入れられていけばいいなと思います

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございます

ふと思い立って書いた文章ですので、思ったより長くなってしまいましたし、表現等変な箇所があるかもしれないです、すみません

自分経験、感じたこと・思ったことを書かせていただきました。

賛否両論あるかと思いますが、あくまでも私個人の感想であって、社会がこうあるべきだ!!とか、日本が間違ってる!!とか言いたいわけではないです。

ただ、同じような境遇の方や関係者の方が、本当に追い詰められた時に、中絶が必ずしも悪いことではないと言っていた人がいたな〜くらいに思い出していただければ幸いです。

2018-04-18

境界性人格障害に近しいパーソナリティである病院で診断を受けました。

治ると言われたけど、もう30オーバーになっても自分の負の個性に引きずられて、人との関係を壊しては鬱症状を出してしまます

興奮状態になったときに、一旦止まってぐっと堪えてなんて、できてたら、今通院してないよ…と思いながらお薬貰って帰宅です。希望が見えてくるといいのですが。

転職

2年前、年収400万程度のとき転職活動して年収750万円のオファー

コンサル会社でちょうどブラック企業が人を殺してたので怖くなって、オファー辞退。

現在3月中旬から転職活動開始。

4件応募、2件書類通過、両方一次面接落ち。

自信をなくしてる。

IT人材は売り手市場じゃなかったの?

まだ1ヶ月にも満たない転職活動で弱音吐くのもおかしいけど。

最近AIに関する仕事してたせいで、簡単に決まると思ったんだけどなあ。

働きながらの転職活動は単純に忙しいし、精神的に苦しい。

でも今日エージェントと話したら、

コンサル会社勤務の私と同い年の子は始発で帰宅して2時間寝て出社って生活らしく、

2年前のオファー辞退は後悔してないんだけど。

2018-04-17

生きづらさの話

ここ最近ずっと悩んでいて、頭の中がぐちゃぐちゃになっているので一度文章にしてみようと思いました。

最近ハタチになった大学三年生。実家暮らし。猫が好き。とある専門性の高い女子大に通ってて、バイト学内と学外でふたつかけもってる。人見知りで集団行動が苦手で、大学にはひとりも友達がいない。典型的な女オタクだけど、学部の特徴的にお仲間がいないのでなお友達ができず、ぼっち生活を二年間送ってきました。不登校になってから今日でちょうど一週間になります

事の発端は、新学期初日前夜に母から「つらいなら大学辞めてもいいんだよ」って言われたことだけど、それがなくてももしかしたら破綻してたかもしれない。私は小さい頃から学校というシステムが苦手で、十数年間毎日のように学校行きたくないって言ってたので(じゃあなんで大学進学したのっていうのは後述)。この春休みバイトに明け暮れ、学んでいる専門的な勉強を一切しなかったので、確かに新学期死ぬほど憂鬱だった。でも辞めるっていう選択肢は当時の私の中になくて、きっとまたなんとなーく、適当に、単位を取ることだけを考えて、寂しい大学生活を送るんだなって思ってた。だけどその母の言葉きっかけに、『学校行きたくない気持ちボロボロとこぼれてきてしまった。

から面倒くさいことが嫌いで、嫌なことはすぐに投げ出しちゃう意志の弱い人間だった。勉強運動も嫌い、やりたくない。「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい」が嫌いだった。地頭と要領がよかったので高校はそこそこレベルの高いところに行けたけど、そこでも勉強しなかったので得意科目以外の成績はふつうに悪かった。でも、通っていた高校似非進学校である反面私のようなのが許してもらえるような場所で、友達先生も「しかたないなぁ」で流してくれた。だから学校は嫌いだったけど高校時代は楽しかったです。後にも先にもちゃん友達のいた学校生活はあの三年間しかない。サンキュー高校時代の友人たち、愛してるよ。

ただまぁ似非はい進学校でしたので、大学受験をしない子はほとんどいなかった。私も、高校卒業してすぐ就職っていうのは怖かったし、モラトリアムが欲しかったので大学進学を決めました。ただ勉強したくなかったので(今思うと怒られそう)、勉強しないでいい大学を考えた。のが今のところで、ずーっと続けていた習い事学問として学べる場所でした。家が近いし、身近に卒業生もいたので、そこ一本で落ちたら大学行かない!って気持ち受験。界隈では有名でそれなりにハードルが高かったはずなんだけど、なぜだか十月AOですんなり受かってしまった。拍子抜け。

もともとちゃんと参戦してたわけでもない受験戦争から早々に一抜けしてしまった十七歳私は、そりゃもう遊んだバイトして遊んでぽけーっとして。それでもまぁ習い事には行っていたけれど、オタク趣味が楽しすぎたのもあって、四月にはすっかり大学へのモチベーションを失ってしまってた。そんな状態入学して、周りには「ここにどうしても入りたかったんです!」って目をキラキラさせた綺麗な女の子たちがいて、授業は思ってた以上にキツくて、新しいことが何ひとつできなくて、友達がまったくできなくて、いろいろあって気づいたら引きこもっていました。これが第一不登校事件です。

その時はまぁなんとか復学(?)したんだけども、今また同じように部屋に引きこもっています。第二次不登校事件真っ最中です。

二年間、なんとかやってきました。友達いなくてもいいやって割り切って、集団を求められることの多い学部なのでそれはそれはしんどかったけれど(好きな人グループ組んで!が一番キツい)、ぼっちなりに誤魔化しながらやってきました。だけど急に限界がきてしまったみたい。寂しいもんは寂しいわ。

それと、今まで大好きだったはずの専攻を続けられる気がしなくなった。三年になって研究室に入って、同じ専攻のひとたちと作品を作らなきゃいけないんだけど、自分にできる気がしないんですね。体力とか技術とか、コツコツ積み重ねないとできないことなんだけど、最近の私はてんで努力をしていなかったので。自業自得なのはわかっています。でもなんだか心が離れてしまって、周りでキラキラ頑張っている子たちを見るのがしんどくて、激しい温度差を感じて、学校に行けなくなりました。座学がめんどいとか朝起きるのつらいとか卒業単位が超ギリギリとか他にも理由はあるけれど、大きいのはこのふたつだと思われます

行こうと思っても行けなくて、玄関までは行けるのにその先が踏み出せなくて、今はリビングにすら出られない。寝すぎて背中が痛いし泣きすぎて目が痛い。二重なのが自分の顔で唯一好きなとこなのに、瞼が腫れちゃって最高にブサイクなおめめになっちゃってる。ここ最近毎日アイメイクを涙で溶かしている。クレンジングいらず。

大学をやめようかな、と思いました。幸い親がとても理解のある人で、今まで投資してきたものを全てパーにしようとする私の行いを責めたりしないんです。兄弟もすごく真摯に私のことを考えてくれて、アドバイスをくれて。だけど私はいっこうに答えを出せなくて、家族迷惑をかけている。それがまたつらくて自己嫌悪して泣いてるんですけど一旦置いておきます

大学を辞めようかなって考えたとこです。昨日そう決めて、でも遺恨を残したまま辞めたくなくて、辞めたあとのことは何も決まってないけど明るい中退をしようって母と話しました。だけど帰宅した父に話をして、「だったら社会人としての責務を果たしなさい」って言われた瞬間、急に現実が襲ってきた。見えない未来が怖くなって、涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃになってそのまま部屋に閉じこもってしまった。

それと、泣きながら気づいたことがあって。大学を辞めよう、辞めたら楽になるって思っていたはずなのに、未練があったんです。それは十数年続けてきた、習い事から専門にした、大学で学んでいることでした。練習しなくなって久しいし、散々「もう嫌になってしまった」って言ってたのに、いざ辞めることを考えるとつらくてつらくてしかたなくて。諦めたくないって思ってしまって。うちの学校は三年と四年で作品を発表する場があるんだけど、そこに憧れた記憶が蘇ってしまって。冷めちゃったって思ってたのに、やりたくないって思ったはずなのに、結局私は捨てられないことに気づいてしまった。私という人間を形作るアイデンティティであったから。

自分や周りが思ってる以上に私はネガティブで、めちゃめちゃ自己評価が低い、らしい、です。しょっちゅう死にたくなるし自分必要とする人間はこの世にいないって思うし周りに迷惑しかかけない自分なんていなくなってしまえばいいのにって思う。正直イベント舞台ライブチケット取れてなかったら身投げしてた。オタクでよかった。だけど唯一、ずっと続けてきたそれは自信になっていた。んだと思います。ただネガティブな反面プライドが高いという面倒くさい性格の私は、思うようにそれをできない自分が許せなかった。できないならやめてしまえって考えた。でもそんな簡単にやめられないことにも気づいてしまった。うわっめんどくせぇ

だったら学校行けばいいじゃん、頑張ればいいじゃんって思いますよね、私も思う。だけどできないんです。今日も行こうと思ったけど、できなかった。バイトには行けたのに。頑張りたい、頑張ろうって思っても部屋から出られなかった。母が優しい言葉をかけてくれたのに何も言えなかった。申し訳なさすぎる。いい加減にしろって思ってるだろうなあ、私もいい加減にしたいです。

ほんっとうに生きづらいなって思います。今まったく未来が見えない。明日が見えない。しにたい。でもしねない。辞めたら楽になるって考えたけどそんなことなさそうだった。社会になんて出たくない。中退っていう経歴を持つのがこわい。でも学校にも行けない。なんでだろ。どうしたらいいんだろうね。

私はただ普通に生きたかった。普通に大学に行って、普通に友達がいて、普通に就職をして、普通にふつうに、ふつうってなんだろうね?世の中は普通に生きてる人たちで溢れているように見えるけど、どうやったらああなれるんだろう。めちゃめちゃ尊敬する。すごいなぁ。

だけど私が引きこもってる間に授業は先に進むし履修登録期間は今週中だし学費の納入期限は迫るし舞台チケットは当たるし推しイベの真っ最中から石砕かなきゃいけない。明日はどうすればいいんだろう。生きづらいのは誰のせいなんだろう。たぶん私のせいだなぁ。自己嫌悪はすすむばかりである

文章ぐちゃぐちゃですみません。読んでいただけたならありがとうございました。

精液検査を受けてきた話

30代前半、男、既婚、都内在住。精液検査を受けてきたので、その一部始終を余すところなく書いてみたい。誰かの参考になれば嬉しい。

訪ねたのは男性不妊の専門クリニックで、インターネットで事前に予約済み。受付へ行くと、20代と思しき女性職員ふたり組が迎えてくれた。名前を告げると、本人確認できる書類を求められ、代わりに問診票と番号札を渡される。以降は基本的に番号で呼ばれる。

待合室には夫婦ひと組、女性ひとりが座っていた。壁の外周に向かうように椅子が並べられており、お互いの顔は基本的に見えない。プライバシーの面は全体的によく配慮されていると感じた。

さて、問診票である。これは軽いアンケート用紙に近い。既婚か未婚か、子作りを初めてからの期間はどれくらいか不妊治療に対して抵抗感はあるか、などなど。記入をためらうような項目はまずない。さっと記入し、受付に提出。

記入から5分も待たないうちに、奥の方から職員男性が現れ、番号で呼ばれた。個室に連れて行かれる。部屋の扉には「採精室2」とあった。30年以上生きていて初めて見ることばだ。

部屋は薄暗い。リクライニングソファティッシュウェットティッシュゴミ箱、そしてDVDプレーヤーテレビがある。あ、もちろんヘッドフォンも。自分は入ったことはないけれど、ビデオ個室ってこんな感じなのだろうか。

男性職員は、薄いプラスチックのカップを取り出しながら言った。「今からマスターベーションして、全精液をカップの中に入れてください」。

まずは、シールフルネーム禁欲期間を書き、それをカップに貼ることから始まる。検査結果に取り違えが生じないためだろう。ただし、このシール粘着力が極めて弱く、カップの丸みに負けてしまい、今にも剥がれそうなのが気にかかった。

さて、出すものを出さねばならない。職員男性は、去り際に「いくつかDVDもありますので、どうぞご利用ください」と言っていた。見ると、DVD10枚ほどある。標準的趣味に近い品揃えだった。傾向で言えば、眉毛が細いギャルのものが多かったかもしれない。

また、一冊だけエロ本があった。一糸まとわなかったり、スク水をまとったりする女性たちの写真掲載されていた。むかし河原の土手に捨てられていたタイプのやつだ。実用性はほとんどないように見受けられたし、全体的に本にしわが寄っていて、あまり触りたくなかった。

ここで耳よりの情報だが、採精室にはwifiが飛んでいる。このクリニックが用意したものかどうかはわからない。とにかくカギのないwifiが飛んでいる。言うまでもないことだが、スマホwifiがあればなんでもできる。

このときクリアファイルに閉じられ、壁に掛けられた注意書きが目に留まった。20分程度しても部屋から出てこない場合、この日の採精は諦めてもらい、後日の再検査をお願いする、とのこと。

自分設備観察などをしていたし、あまりに早く部屋を出るのもどうかと思ったので(このあたりの気持ち女性には分からいかもしれないが、そういうものだ)、ゆったりと構えていたところがあった。時計を見ると、すでに10分近くが経とうとしている。焦った。

はいえ、いざ採精しようとすればすぐにできるのも男というものだ。ティッシュ及びウェットティッシュで入念に掃除をし、個室にカップを置きっぱなしにしたまま、部屋を出れば終わりである

待合室に戻ったら、受付の女性に「終わりました」と告げればよい。それ以上の言葉はいらない。すると、受付が職員男性完了電話連絡をし、プラカップを回収した職員が、検査にかかるおおよその時間を受付に告げ、それが自分に伝えられる。

検査結果がわかるまでは、だいたい1時間だという(後日郵送もできるらしい)。しばし外出して、近くのドトールコーヒーを飲みながら待っていた。

そもそもなぜ精液検査を受けたかというと、もちろん子ども希望たかである。子作りを始めてからまだ3か月強だが(このあたりは妻と見解の相違がある)、思うような結果が出なかったため、いっちょ受けてみるかという気持ちになった(妊娠に備えて婦人科に通う妻から示唆もあった)。

自分は、「何かが分かる」という体験自体純粋好きな人であるそもそも、たとえ種無しだったとしても、自らの男性性というか、存在意義が揺らぐとは微塵も考えていなかった。

はたして、結果は、無精子症であった。射出された精液のなかに精子が一匹もいなかったのである

無精子症100人に1人の割合で現れるという。そのほとんどが無自覚であり、自分もそのような疑念を抱いたことがなかった。顕微鏡自分の精液を観察する趣味はなかったし(どうやらそういう御仁もいるらしい)、まあ「正常」なのだろうと考えていた。3か月強の頑張りで子どもができないのだってたまたま(偶然)で、ごく普通のことだと考えていた。ひとことで言えば、精液は出るのにそこに精子はいない、という想像力は持てなかった。

もういちど検査しないことにはわからない、とドクターは言う。次回はエコーや触診をともなう詳しい検査になる。ただし、通常ならば数千万や数億のオーダーで観察される精子ゼロだったのだから、これはもはや体調だの検査上の誤りだのといった可能性はないだろう。

その日は、友人の結婚式二次会に参加する予定だった。精液検査からパーティーへと向かう人間はなかなかいないだろう。検査結果が無精子症ならなおさらであるしかも、新郎新婦はいわゆるデキ婚だ。なんたる巡り合わせだろう!

この日、もともとは終電帰宅も辞さない構えだったが、精子ゼロという結果が出た以上、いち早く妻に伝えねばならない。帰宅して上記のように説明したところ、妻は「オケーコ」と言った。オーケーという意味だ。妻はどんな言葉も語尾を伸ばして「コ」をつけるイルな言語センスをもっているのだが、こうしたシリアスな状況下でも口にするのだなと強く印象に残った。

さて、どうしたものだろうか。

今回の結果を知り、自分は多少のショックを受けた。だが、なぜショックを受けているのかが分からなかった。もちろん子どもができない可能性が示唆されたことは残念だし、妻には本当に申し訳ないなと思う。しかし、無精子症であっても各種不妊治療による妊娠可能だし、子どもができないならできないで、妻と二人で生きていくのも十分にありだと思っている。妻も、もともとそういう考えの持ち主であった。だから、挙児の可能性が低くなったことは、ショックの根本原因とは言えないと思う。

では、この違和感はどこから来るのだろう。一日考えてわかった。自分はにわかに信じがたいし、認めたくないのだが、やはり「男性性が傷つけられたことに対して」と考えざるを得ないのだ。常日頃から「男らしさ」などは馬鹿馬鹿しいと考えているのだが、生物学的に子孫を残せない(かもしれない)可能性が示されると、ナイーブにも傷ついてしまったのだ!

まり自分は、メタ的に「ショックを受けている自分」を知覚して、ショックを受けているのだった。これは、はてブ構造に極めて近いなと思った。そこで、長らくはてな村に籍を置く一員として、なにか村人たちに還元しなくてはと考え、こうして初めて増田を書いている。

すっかり話がずれてしまったが、精液検査10,000円前後可能だ。後で知ったことだが、一般的に夫は精液検査に極めて消極的で、妻がどうにか説得して来院するケースが多数派らしい。また、検査を受けるにしても、自宅で採取した精液を密封容器に詰め、妻にクリニックへと持っていかせるケース(!)が多いとのこと。

無精子症っぽい自分が言うのもなんだが、それってあまりに男らしくないっしょ。はてな民諸兄におかれましては、当記事心理的不安払拭し、然るべき時が来たら自ら率先して精液検査を受けてねという話でした。

地獄就活新卒非正規に使った話

就活精神病み、結局新卒カードでの正社員を諦め、非正規で働いてる者です。

エントリーのみも含めれば、軽く50社以上受けました。100はないと思うけど、途中から数えてない。面接も少なくとも3、40社くらいは行きました。でも、私は結局新卒カード非正規に捧げました。

そろそろ就活マジで精神を病む学生が出て来る頃だと思うので(私もこの頃からおかしくなっていきました)体験談と恨みつらみを書いていこうと思います

◾️スペック

地方公立 文系

キツい顔系のブス

ボランティア活動あり

ブラックバイトを4年間務め上げる

SPIはたぶん7割くらい

長所コミュニケーション能力系のこと、ガクチカアルバイト経験を話していました。ごく普通だと思います

◾️なんで就活を失敗したか

結論から言うと、私は新卒採用に向いていませんでした。

新卒採用企業がみているのは、伸び代だといいます。私は、それに加えて、「扱いやすさ」、そして女の子は「可愛げ」を求められていると感じました。

私には、可愛げも、育てる余地もないように見えたんだと思います。正直それなりに仕事勉強もできるし、受け答えもしっかりしているので、そう見えても仕方ないかなとは思いますが。

面接練習でも、履歴書でも、ESでも、特に大きな問題を指摘されたことはありません。企業研究もきちんとしてましたし、企業高望みもしていないと思います

でもとにかく最終面接が通らない。

お祈りしてきた企業はその理由を教えてくれないけれど、恐らくは「新卒っぽくないから」。

就職課やハローワークで、「中途だったらどこでも受かる」と言われた時にはもう笑うしかなかったです。ほかに指摘された点は直せましたが、こればっかりはどうしようもありませんでした。生まれ持った雰囲気問題じゃん。

◾️就活について

以下は完全負け組からのご意見なので、暇つぶし程度に聞いてやってください。

まず、SPIは早めにいい点を取っておいてください。

精神疲弊すると能力は下がります。私は集中力の欠如から、夏頃には文字が全く読めなくなりました。ツイッターすらまともに読めなくなっている状態で、まともな点数が取れるわけがないので、ある程度指標になりそうな点数を取っておくことをおすすめします。また、就活は後半に進めば進むほど中小企業を受けることになります。そうなってくると、SPIはまず行いません。別の対策必要になるので、その意味でも早めにSPI時間をかけるタームを終わらせるべきだと思います

合同企業説明会意味がありません。

非常に混む上、玉石混合すぎて効率が悪い。あと寒い暑いクオカードだけもらって帰宅するのがいちばんです。もし、顔を覚えてもらいたい企業出展しているなら、行くのもいいかもしれませんが、そうでないなら学内説明会に絞った方が絶対効率が良いです。結局私がそれなりに選考を進んだのは、学内説明会で知った企業ばかりでした。ただ時期的に学内説明会は終わっているでしょうけど…

やばいと思ったら早めに病院に行ってください。

長引くと就活どころじゃなくなります。もし病院に行くのに抵抗があるのなら、ハローワークでは就活生を対象としたカウンセリングを行なっている場合があります。調べてみてください。私は実際に受けましたが、愚痴の吐き場所としては非常に有効でした。

年明け前までには就活をひと段落させてください。

卒論で詰みます。私は詰みました。

教授に泣きつきなんとか卒業させてもらいましたが、本当に留年すれすれのところまで追い詰められました。秋頃になったら、一旦就活ではなく卒論に集中した方がいいと思います。もうその時期の新卒採用は、たまの掘り出し物を除いては、正直ハロワで年中採用を探しているところと大差ありません。ハロワ就職課に行けば、2月3月でも求人はあります留年してもう1年学費を払うのが嫌であれば、先に卒論にかたをつけるべきです。

就活エージェントは信用しないでください。

彼らにとって私たちは客ではありません。企業という顧客に流すためのただの商品です。もちろん全てが全てそのような人だとは言いません。ですが相性の悪いエージェントに当たってしまったが最後、余計に精神を病んで終わりますあくまビジネスだということを忘れないでください。学生気分でいると、いちばんダメージを受けるのはここだと思います

就活には理不尽なことが多いです。本当に多い。

面接の後、社員愚痴に数時間付き合わされて、帰宅したらお祈りが届いていたこともあります。こっちはキャバ嬢じゃねえんだよ。

あと、女の子就活はやっぱり厳しいです。

後半戦になればなるほど、女の子比率は上がっていきます。私が就活後半で出会ったのは、だいたいがちょっと地味で、真面目で、それなりの大学を出ている女の子でした。知ってどうなるということではないかもしれませんが、覚悟はしておいてください。

◾️今後について

とりあえずのところは、今働いている会社で、正社員として拾ってもらえるのが目標です。先日、周りに比べてひと回り少ない初任給いただきました。少ないとはい学生時代とは雲泥の差で、380円しかなかった口座が一気に何倍にもなってびっくり。

でもやっぱり、貯金をしてさら一人暮らしができるような額ではないので、正社員になりたいという気持ちは強まりました。今は新卒入社ではないという立場を活かして、システム諸々の効率化を上に提案したいと考えています非正規雇用では長くても数年しかいられないので、早く結果を出したいところです。

就活を乗り越えて(結果的に逃げたので乗り越えてない)、もう二度としたくない、というのが本音です。就活地獄です。

正直まだ長い文章を読むのは苦痛ですし、疲れているとすぐにメンタルにきます。一度折れた金属は元に戻らないと言いますが、メンタルもおそらくそれに近い。

から、なにかがおかしいと思ったら、寝てください。面接をさぼってください。好きなものを食べてください。それすらできなくなったら、病院に行ってください。

就活生の7人に1人は鬱状態だといいます体感もっと多かったように思います

就活おかしいし、理不尽だし、歪んでいます。みんな知っています

からやばいと思ったら逃げてください。死なないでください。非正規もわりと気楽で楽しいですよ。給料は少ないけど。院に行った知り合いもいます公務員浪人する知り合いもいます新卒カードは3年は使えます。まだなんとかなりますだって若いから若いだけでなんとでもなります

この春から就活スタートした皆さんが、少しでも穏やかに次の春を迎えられますように、願っています

月曜日からバーベキュー

俺は、田舎でやること無さすぎて土日は庭先で一人バーベキューやってる実家暮らしサラリーマン

娘が大きくなったら家族キャンプに行きたいと妻が買いそろえたバーベキュー用品をフル活用して今年に入って20回はバーベキューをしている。

同居中の父母は流石に飽きて付き合ってくれなくなっていた。

昨日会社から帰宅したら隣県で働いている弟(不定休)が実家に帰ってきていた。

定時上がりでやることなさすぎる俺は唐突月曜日からバーベキューをしてはいけない理由が無いことに気づいて炭に火を入れた。

庭先に出しっぱなしにしているバーベキューコンロにアシナガバチが巣を作りかけているのを蹴飛ばして追い払い火起こし器の中で完璧に火の入ったオガ炭を

コンロにぶち込んで作りかけの巣を焼き払った。

ビール片手に冷蔵庫で行き場を無くしたタラ野菜ホイル焼きにしてバーベキュー用に冷凍常備している手羽中を焼いて弟に振舞った。

無口な弟とは特に会話は無かったが、焼けた具材を美味しそうに食べていた。ただ夜で寒かったのもあってビール一缶空けたところで弟は自室に退散してしまった。

家の中では父と母と娘が暖房の効いた室内で俺が焼いたホイル焼きをおかずに晩御飯を食べている。

庭先に一人残された俺は何をするでもなく熾火をただじっと見つめていた。

2018-04-16

anond:20180415234051

よく似た状況で家出したことがあるよ。

雰囲気変えたり話し合いや手紙も書いたけど、言い訳所詮方便しかないし、少し時間が経つと元に戻る。悲しくて仕方なかった。

結婚三年目の初めに事前に告知して家出した。明日から家出するから、と言った時点でショックだったみたいだけど構わず自分職場近くのホテルを取った。家出中も連絡はたまにしてた。

意外だったのは離れてみて自分の中の彼への甘えに気づいたこと。あちらが全面的に悪いと思って家出したのに、感謝気持ちが芽生えたことは不思議だった。

夫はその期間、仕事もそこそこに飲みにも行かず帰宅して1人しょんぼりしていたそう。誰もいない家が寂しかったらしい。

結局、家出は三日目に予想外の実家トラブルが起きて終了したのだけど、結局私は夫のことが好きで尊重してあげたいんだということ、同時に夫も案外私のことが好きみたいだとも気づいた。不満な一つのことが全部みたいに見えてた。その後の夫の変化は小さなものだったけど、後日冗談で私が家出してやる、と言うととても悲しそうだったのでそれから言ってない。

私達の場合は何度も不満を伝えていたので夫は夫で責められている気持ちになっていたみたい。こちらは一緒に改善しようとしてくれないことに悲しんでいたのにね…

泣いて布団に潜り込んでる私をドアの隙間から窺う夫、私も経験ある。ムカつくし悲しいよね。なんでこんなに鈍感なの。

増田は一度手紙でも書いてみたらどうだろう。離婚したいわけじゃないなら伝えてみる先に何かあるかもよ。

惚れた弱味もあるのだろうけど、私達は今は本当に仲良し夫婦だよ。ネットが過ぎる時は構ってよ、と言いながら思いっき体重かけて甘えてる。手紙よりこっちのほうがいいかも。

手つなぎデートできてるなら大丈夫だよ、応援してる。

2018-04-15

ポケモンgoセックスレスになった

共働きの新婚1年目にして、レス6ヶ月が経過した。ちなみに拒否られ側です。

事象としては下記

・夜〜深夜、早朝、午前等に、夫がポケモンgo で外出してしまう。

食事中、外食時もポケモンgo の厳選やネットサーフィンをひたすらしている

・在宅時も同上

・夫がポケモンgo に嵌ったことにより、共通趣味がなくなった

・夫の主張としては、夫は無課金ポケモンgo をしているのに、妻たる私は趣味に浪費をしすぎでけしからんとのことで。色々あって、私は従来の趣味を捨てた。悲しくなった。何のために働いているんだろう。

打開策として、記念日に頑張って見た。

ムードがないだの、色気が無いだのと言われていたので、

記念日に、特別感のある料理を奮発して作った。カルパッチョローストビーフ、蛸とパプリカマリネキノコアヒージョラザニアワイン。 デザートはカタラーナ。(分量が多すぎるのは承知している、作り置いて翌日以降に分けて食べれるようにもしていた)

「夜19時から夕食だからね、19時にちょうど良いように作っておくからポケモンgo しに外出してもいいけど、19時には帰ってきてね」って言っておいたのに、

夫はポケモンgo で出掛けしまって、20時になっても帰ってこない。当然料理は冷めてしまって、それ以上に私は悲しくて悲しくて、寝室のベッドに潜り込んだ。

趣味から咎めない方がいいのでは?と言い聞かせる自分と、これは怒ってもいい事案なんじゃないか?と思う自分が半々で悶々としてるところに夫が帰宅して、夫は「寝てるの?」と声をかけてきた。私は「うん」とだけ答えた。会話は以上。夫はスマホの充電をしながらポケモンの厳選をし始めた。

ここで夫がもし仮に、「遅くなってごめんね」とでも謝ってくれてたら。私だって、「遅い!せっかく準備してたのにひどい!」と小言の一つや二つでも言いながら、気持ちを持ち直して夕食を始められたと思うけど、悲しくて悲しくて泣けてきて、もう何も言えなくなってしまった。

その後1時間ぐらい寝室に篭っていたら、漸く異常事態に気づいた夫が事態の収拾にあたろうとしたけど、もう私はシャットダウンせざるを得なくて、その日は「食べない、いらない」と言って、そのまま就寝した。翌日も悲しくて、夫を置いて一人で外出した。落ち着いたところで、悲しかたことを伝えてその時は収束した。

この件だけじゃないけど色々あって、料理をする気が失せてしまい、もう2ヶ月料理はしていない。

なんかもうどうでもよくなって、レス趣味も、もうどうでもいいや…ってことにした。悲しくなった。

別に浮気がしたい訳じゃない。

何のために働いているんだろう。

レスの主要因がポケモンgo って訳じゃないのは重々承知してるけど、

そのせいにでもしないと、つらい…。

以上はやや前の話になるけど、なぜ今になって筆をとったかというと、

子供欲しいねっていうのは夫婦共通認識で、こんな状況だし「だいたいxxの時期に排卵日を狙ってする?」と聞いてみたら、夫からは「それは情緒がなくて嫌だ」と言われて、じゃあどうするのって聞いたら「排卵日周辺でなんかムード作ってよ」と言われてしまい、

私なりにムード作ろうとして玉砕した料理の件が思い出されて悲しくて引き立ってしまっているから。

(排卵日とか生理周期とか、一応アプリで共有してるのに)

◼︎◼︎4/16深夜追記◼︎◼︎

優しいコメントも そうでないコメントも(悪い意味で受け取ってないです、語彙)、ありがとう。内容が内容だけに、今まで誰にも言えなくて辛かったので、反応貰えて嬉しいです。今後のアクションについてのご指摘内容は、目から鱗でした。どうでもいいや…と諦めてたけど、考えてみます

眠れなくて色々思い出されてきたので追記。

◼︎go plusの登場による手繋ぎ

ポケモンgoリリースされて間もない時は、ポケモンgo のせいで手を繋げなくなってしまって寂しかったけど、

ポケモンgo plusが出てから夫と手を繋げるようになって嬉しかったなぁ。

それも今は、ルール的に良いのか悪いのか分からないけど複数アカウント所持してて、スマホポケモンgo plusもバッテリーも常に複数手に抱えてたりするので、

ポケモンgo plus越しに手を繋いでて(なんか手の中でカチカチしてる)それもちょっと切ない。

◼︎一緒にポケモンgo

休日なんかは夫に付き合ってポケモンgoを私もしたりする。

この前はミニリュウ?が出るイベントで、3時間ぐらい延々と夫と歩き続けた。

会話しながら一緒にいられて嬉しいのが半分、せっかくの休日に何やってるんだろうって虚無感に苛まれたり、何でこんなにポケモンの話しないといけないんだろうってのが半分(好きな人ごめんなさい…)。

付き合いすぎると虚無感が勝るから、時々付き合って、時々別行動してる。

◼︎追記

・夫は家事はかなりしてくれてて、お互い半々を心掛けてる…つもり。正直、夫の方が家事は上手い。

ここ2ヶ月ぐらい私の仕事業務柄繁忙期で、ここ3週間弱ぐらいはほぼほぼ夫任せで感謝している。

ポケモンgoレス以外は、問題があったら一緒に建設的に向き合ってくれるし、良い夫なんだ。

でも、寂しい…。

・お互いバリキャリ寄りでストレス高めとは思う…。ただ、お互い上司と反りが悪い/大きくなりすぎた子会社との軋轢に苦しんでいるという点では似ていて、仕事愚痴は内容を選べば比較的盛り上がる話題ではある。けど正直、それ以外の色んなお話がしたい。

海の見える綺麗なカフェのその前で

親子ほど年の離れた2人の女性日傘をさして立っていた。若い方は中学生くらいの少女であった。

僕は買い物を終えて重くなった自転車必死で漕ぎながら、傍らの少女に目をやった。

こんにちは」と少女は声を上げた。

目が合った。

そう言い終わるか、終わらないかというときに目の隅に置かれた看板が目に入った。

その看板には聖書がなんちゃらと書いてあった。

挨拶を返するまもなく僕の自転車少女を通り過ぎていった。

いったいあの少女はこれからどうなるのかと思いながら帰宅の道を急いだ。

1日8時間よりおおく働かないと死ぬ

京浜東北線人身事故で止まる頃に

大学卒業しました。もとい、労働者になった22歳です。

社会があまりにも時間を奪うという愚痴日記となります

新卒で入った技術派遣会社最初に仕込まれるのはとにかく仕事のやり方です。午前9時から午後6時までの8時間いか効率的に働けるか。

「9時は業務の開示時刻です。それまでにはたらく準備をしましょう」

日報? 朝はやく出社して、9時までに提出してね」

「どうして日報を9時に出したの。それじゃあ確認ができないよね」

「どうして作業書類を片付けてるの? 定時までまだ五分あるよね」

理不尽ではないのかもしれません。学生時代とは違くって、社会ではきっとそういうものなのでしょう。

朝の6時に起きて2時間かけて通勤することも、30分前に出社することを強いるのにタイムカードは9時出社であることも。帰ったら疲れ果てて、本を読むこともゲームで遊ぶこともできなくて、自分時間なんてないことが当たり前。

きっと当然のことなんだと思います






しらねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




時間業務は8時間フルで働くんです、だあ? だったら仕事のための諸々全て合わせて8時間しろや! なんで通勤時間をこっちが人生貯金から自腹で負担しなけりゃならんのじゃい。

しかも途中で帰れないってなに? って社会の仕組みに御坂御坂は疑問を唱えてみる。早く仕事が終わったら早く帰らせろや。明日仕事明日やるためにあるんだよ。急ぎでもないなら明日渡してくれ。

午後の6時に仕事が終わる(大体きっちり終わらない)。2時間かけて帰った後は、疲れ果てて親の料理を食べてお風呂に入って寝る。

そしてまた朝。

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、8時間労働。8時間より多くの時間をかけて。



……とまあ、そんな新入社員の全力の恨み記事を、入社1週目のもっとナイーブだった時期に書こうと考えていました。そんな日記を書く気力すらなかったけどな。

入社1週目は朝昼晩と、食べては吐いてを繰り返して家では泣いていました。社会に慣れてない体と精神が悪かったのですが、そんな弱い人間からすれば、1日8時間労働は死んだほうがマシだと思うほどでした。なまじ、中学校卒業すれば終わるとか誰かを殺せば救われると"逃げ"の考えを持てたいじめられた時期よりも精神的には追い詰められるのは、自分で笑えてしまうほどでした。

冒頭で人身事故だとか書きましたが自殺するつもりはありません。その前に退職届を出すくらいの自衛本能はあります。あるつもりです。ですが、どんな仕事を見つけても1日8時間通勤の枷があると考えると吐き気しますし、長続きさせる気力もわきません。

通勤分の給料を払えと言いたいわけではありません。それが多くの人に適用されることかは知りませんが、通勤も含めて、1日8時間労働わたしにとって死にたくなるほど重労働だということです。

今すぐじゃなくても退職届を提出します。それはもう遅かれ早かれです。

次の職場通勤5分以内・10時出社・仕事が終わったら帰宅できる仕事場を探します。……北欧人になりたい。

昔の記憶を禊たい

増田書き込みがこんな内容というのもアレですが、読まれる前提ではなく吐き出すことに重きを置いているため読みづらいと思います。以下の内容は昔父親に性暴行未満?の行為を受けていたことを今日急に思い出したかもしれないということを長々と書いているだけです。

最近実家の浴室に椅子が再度設置された。それ以降何故か不安気持ちにさいなまれる事がたまにあり本日たまたま観ていたバラエティでその原因らしき記憶をふと思い出したがあまり曖昧であり果たして現実で起きた事なのか自信がない。

昔私は激務の父親がお風呂くらいの時間帰宅することができた場合は必ず一緒にお風呂に入っていた。弟がたまに一緒にいたりいなかったりしたが主に私が一緒にお風呂に入っていた。父親は弟の頭を流す際絶対そんなことをしなかったが、物心ついた時から私の髪の毛を洗うときは何故か浴槽用の椅子に腰をかけて太ももの上に頭を乗せさせた。その時彼は私の後頭部〜首筋に股間のそれを押し付ける。グリグリっと当時は長かった髪の毛を押し分けるような挙動をしてほっぺたに赤くなるほどの吸引力のキスをしたりヒゲをジョリジョリとお風呂から全裸の体全体に擦り付けるようなことをしていた。それを何故か母親にずっと言えなかった。今も言えない。それは緑色の浴室用の椅子の上でのことだった。小学校4年生になって引っ越すことになり浴室用の椅子が浴室から無くなると同時に父親風呂に入ることもなくなった。それ以降ずっと忘れていたというか思い出さないようにしていた事がバラエティ父親との近親相姦という文字列観測してしまい急にフラッシュバックした。相談窓口よく分からないしなんなら、自分の知ってる人にポロっと零して知られたくなさすぎるからここにそっと放流します。

何故か結婚式が将来あったなら絶対呼びたくないと思ったり、母親父親に優しくしなさいとよく言われるがどうしてもできないこれらの原因はあの浴室用椅子での出来事無意識でもトラウマになっていたからなんだろうか。生活費をだいぶ稼いでくれているのも事実から父親への親孝行老人ホーム代全額出すだけで許してほしいな。

でもあまりにも昔のことだから記憶が正しいかどうかわかりません。涙が止まらない。バイトに行けないヤバい。どうしよう困った。

ここまで読んでくださりありがとうございます

2018-04-14

痴漢

痴漢をされた。

腕を怪我していて治療の都合上前方に固定しなければならなかったので優先席に座っていたら、

電車入り口付近に乗り込んだ中年男性がやたらと股間を怪我で動かせない方の手に擦り付けてくる。

最初は揺れでたまたま当たったのかなと思っていたけど、あまりにしつこくスリスリされるので痴漢だと確信した。

人に押されたにしても車内の混雑状況はスカスカだ。

怪我で動けないなりに工夫して体制を変え腕を庇っても、

しらっと擦り付けるポジションに移行する中年男性を思い出すと今でもイラッとする。


席を立てる状況でもなく、注意しようとも思ったのだが、

男性の両手が電車の手すりを掴んでいて直接触っていた訳ではないので痴漢した証拠がないこと、

・前日に痴漢冤罪で人生ボロボロにされてしまった男性ドキュメンタリー番組を見ていたこと、

ネット上で痴漢に厳しい女=こわいフェミニストのおばさん…

という固定観念が広まっていること(今思うとフェミの人に失礼だしネットに踊らされすぎてる)

が頭をよぎり何もできなかった。我ながら馬鹿だなと思う。


モヤモヤが治らないので帰宅痴漢関係記事をぐぐってみたのだが、

フェミニストの方が書いた男性全体のdisっぽい記事(自分フェミニストの方がこわくて苦手なんです…)

美人さんが書いた痴漢被害者はブスだからされるのよ的な記事(図星です…)

2chまとめありがちな男性から痴漢冤罪女へのdis記事

痴漢モノのネット官能SS

しか見当たらずもう虚しさが募る一方だった。

本当は痴漢する人がなんで痴漢したくなっちゃうのか知りたかったんだが

あんまり納得すること書いてるページが見当たらなかったので諦めた…。


痴漢自体はじめての経験ではないのだが、今回ここまで引きずっているのは2つ理由があって、

手を使わない痴漢がこんなに消化不良でやきもきするものだと思ってなかったので

(こんなクネクネした微妙痴漢して楽しいのかな…)と思ったことと、

ネットの人たちがかなり痴漢冤罪を恐れていることを再認識たからだ。


もしかして痴漢に限らず性犯罪って女性被害と同じくらい他の男性被害も大きいのかなと思う。

男ってだけで何もしてないのに何か疑われたら誰だって気分悪いだろうし。


痴漢男性全体を生きづらくするし痴漢冤罪は女性全体を生きづらくすることなのでどっちも遊び半分でやるのはやめようね…。


書きなぐりたくなる稀によくある話。

私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。

父は既に他界した。

記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るとき笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白言葉友達言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分笑顔吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフ家族困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバム家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラ普通に笑うことさえ出来れば普通撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってから家族写真は本当に一枚もない。

両親どちらの祖父祖母も既に他界している。

親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理ときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。

母はまだ元気に笑っているが私は彼女申し訳ない気持ちしかない。

彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女子供が大好きだ、から彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛い子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃん赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。

SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。

どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。

どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子不細工からというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ

明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。

私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的恋愛結婚仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。

両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しかかばない。もしかせずとも我が家家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ

先日母に頼まれ年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないか平均寿命いかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心からまれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。

どこかに書きなぐりたくなった。

2018-04-10

体調悪くなるまでコーヒーを飲むと、チンコの感度がすんごい上がる

これぞライフハック

ろくに寝ないで仕事に行き、頭をガクガク揺らしながら眠気に耐え続けたのだが、こんなもんコーヒー飲んじゃえば解決じゃん!と思って缶コーヒーを飲んだ。

すぐにスッキリカフェインはすごい。頭が冴える。

で、もう1缶飲んだらもっと頭が冴えるんじゃないかと思ってまた缶コーヒーを飲んだら、お腹拒否反応を示した。

まらないゲップ、悲鳴を上げて踊る腹。頭も痛くなってきた。

調子に乗るんじゃなかった…と反省しながら電車帰宅し、いつものように全裸になってチンコを握ると、俺が知ってるチンコじゃなかった。持つだけで気持ちよかった。シコると普段の倍以上気持ちいい。

まり気持ちよさに感動して、満面笑顔エロ動画を漁り、今までにないほどの幸福感に包まれながら射精した。10分後、チンコは既に準備OKになっていた。

この衝撃的な出来事コーヒーの飲み過ぎとの間に因果関係があるんじゃないかと思っている。みんな、コーヒーを飲み過ぎよう。

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