はてなキーワード: 尊重とは
貧困で女性や子供の人権なんか軽視されてるアフリカあたりの後進国は出生率バカ高くて先進国はどこも出生率ダダ下がりなわけで
出生率が下がった一番でかい要因は「豊かになって女性や子供の人権が尊重されるようになった」なんだよね。はてサ的には歓迎すべきことじゃないの?
乳牛農家も牛乳消費者も、牛に感謝して慈愛をもって牛を扱おうとする
もちろんそうでない人もいるだろうが、社会的・模範的にはこのような態度で生産・消費するのが肯定される
動物たちが直面するリアルがハードであればあるほど、人間は目の届く可能な範囲では良いものにしようとしたり、想像できる限りで美化して尊重しようとする
それが人類というわがままな存在に付き合わせる動物たちへの慈愛の示し方なんだ
一般的な馬主もファンも事業者もほとんどがそのような人間的品性を持っているので、エゴであることは理解しつつも動物への愛を示さずにいられない
それすらも開き直ってシニシズムに傾倒してしまうのは、一時的になら誰にでもあるかもしれないが、常時そのような考えであるならば、心の発達が一般とはかけ離れている人間と言わざるを得ないだろう
俺はケモの趣味がないので美少女化したウマのゲームはやっていないが、そういう現実の何かにスポットをあてたコンテンツ郡自体は、基本的に良いものだと思っている
オタクは結局のところ一般人にすぎず、アレやコレやを美少女・美男子化したりするのは悪く見ると性欲ドリブンのように見えるかもしれないが、ほとんどの場合、ハードルを下げるための照れ隠しのようなものだ
コンテンツ化されているからオタクの顔をして入ってこれるだけで、もともと興味がないとオタクとはいえ、あっちこっちに手を出すことはしんどいのだ
それくらい今はあらゆるものがコンテンツ化されているから、社会への関心と、溢れる慈愛の注ぐ先を、二次元コンテンツという下卑た形で展開してもらえれば、その崇高さがバレずにキモオタと同列かのように小馬鹿にされつつも、関わっていける
それで刑罰を喰らうわけじゃないから憲法上の表現の自由は確保されている
オトナプリキュア9話、咲舞の変身回まで視聴。
ここまでもしんどかったけど、今回が決定打になった。
SNS(主に旧Twitter)でも9話放送後から「スプラッシュスターの扱い、これどうなん?」
みたいな話題はちょくちょく見たけど、正直それ以上に
「咲舞変身キタ!」
「満と薫はプリキュア!」
「4人揃ってくれてありがとう!」
これに結構ビックリしたんだけど、かといって自分の考えをツイートすると超連投になってとっ散らかるし、ツイート数ばかり増えて検索汚しアンチ野郎になりかねないので全部まとめて書けるスペースに書くことにした。
結論から言うと、スプラッシュスター好きなイチ視聴者としては信じられないところをいくつもスルーしている作品。
同じ作品内に比較対象として5GoGoがいるからなおさら強く感じる。
ここから咲舞以外のスプラッシュスターの登場人物を踏まえつつ、その理由を書いていく。
何話で何があったとかって話もするので、よくわからんところは公式の全話リストで補完してほしい。
https://www.toei-anim.co.jp/tv/precure_SS/episode/list/
変身時におけるフラッピとチョッピ(以下フラチョピ)の扱いについて色々とSNSでも意見が挙がっているけど、特に引っかかったのがフラチョピに対する咲と舞の反応。
どんな反応かと言えば、無。まったく何もなし。これにはマジで納得できない。
フラチョピの扱いについて亡くなった声優さんの件を挙げて英断だったとか仕方がないとかって意見も見たけど、それらは咲舞の無反応の理由になってない。
咲舞にとってフラチョピは大切な友達にしてパートナーだったでしょ。
スプラッシュスターを視聴した人がそれを忘れるはずがないし、仮に未視聴だとしても「プリキュアと変身を共にするパートナー妖精」と聞けば、そこに浅からぬ絆があることは想像に難くないはず。
なのに咲も舞も無反応ってどういうこと?
5GoGoのキュアモみたいな、ただの変身に必要なツールじゃないんだよ。
11話のフラッピ看病回に12話のチョッピホームシック回と、序盤からしっかり見せてくれてたでしょうが。
まだ全話終わってないから明言はできないけど「あれは本当のフラチョピではない」として、それをあの時点の咲と舞は知らないでしょ?
仮にその情報が事前にあったとして、突然現れた旧友の姿に終始無反応を突き通せるか?
変身前のネガティブすぎる咲(これも納得できないけど今は割愛)とそれを鼓舞する舞も変身できるできないの問答になっていてフラチョピの話題は挙げないし、急に出てきたコミューンを普通に手に取るし、バトルが終わって変身が解けたら「変身できたね…」で感慨にふけって終わり。
なんだこりゃ…って思いながら見てた。
あのスプラッシュスターで積み重ねた物語の先に、こんな未来が存在してしまうんかと。
オトナプリキュアにおけるスプラッシュスターの存在は「恋愛や結婚に関わる大人の悩み」を課せられており、それが最優先なんだろうなあ。
変身バンクなしでいきなりプリキュアの姿になっていたら少しはマシに感じられたかも?
それでも一切言及しないのは相当変だと思うけど。
<美翔和也>
フラチョピと同様に、本編にしっかり関わっていながら存在を消された人。
咲と良い影響を与え合っており、日常寄りのカップリングとしてかなり良い感じに描かれていたと思う。
まず咲と和也は5話で初めて出会うんだけど、その時に舞は不在なので特にきっかけにはなっていない。
それ以降も16話では「大切なのは諦めない事、諦めたら夢は絶対に叶わない」とプリキュアみたいなメッセージを残したり、27話の夏祭りや34話の学園祭実行委員の話、最後は45話のクリスマスと、あまり舞が関わることなく咲と和也の間で進む話が定期的に挟まれる。
クリスマス回なんて『 ケーキと和也とクリスマス! 』とかタイトルにまで名前が出てくるし。
プリキュア関係者以外の中では咲とのイベントが結構多かったし、それぞれの成長にも繋がっていて、最初こそガチガチな咲ちゃんといまいち読めない和也さん…って雰囲気だったのが終盤はちゃんと自然体の交流になっていた。
しかしオトナプリキュアで咲舞に課せられたノルマを考えると、消されて然るべき人物だった。
何故なら、4話=舞が恋人と別れる回で「カレと結婚を控えていて、仕事も充実した幸せな咲」と「カレと上手くいかず、仕事も充実とは言えない舞」の対比をする上で、和也が存在してしまうと咲舞をポジティブに繋げてしまう可能性がある。
舞の「上手く行ってない感」の表現を阻害してしまうし、和也を出演させてしまうとある程度説明も必要になる。
そして9話=咲の悩みとスプラッシュスター変身回。
和也自身、小さい頃から宇宙飛行士になるという大きな夢を抱いて過ごしてきて、咲とお互いに良い影響を与え合ってきたことは本編の通り。
そんな和也が、仮に宇宙飛行士になれなかったとしても「夢のためにフランスへ留学して自分を高めたい」という咲の気持ちを尊重してくれることは疑いようがない。
それこそ9話変身前の咲みたいに。
仮に咲が憧れの和也さん(人格そのまま)と共に何年も歩み続けていたとして。
目の前にシャドウが現れて、親友にしてパートナーの舞が手を伸ばしてくれている、そんな状況で「あの頃とは違う!もう子供じゃない!」と自虐する人間だったかと考えると、全然そうは思えない。これは願望です。
以上から、美翔和也という存在はオトナプリキュアにおける咲舞に課せられた役割に対して強いノイズになってしまうため消されたのだろうと受け取った。
<満と薫>
咲舞とはそんなに疎遠だったのか…っていうのが一番効いた。
それと、二人とも作劇的に便利なポジションだよね。
異変を察知できて、一般の方々が認識できないシャドウの存在を周知できるインフルエンサー。
話を進める上でとても便利。
あの様子だとPANPAKAパンにも何年も顔を出してないでしょ。
偶然咲と顔を合わせないタイミングでばかりパンを買いに行ってたかも…みたいな、うっすい可能性を手繰り寄せるしかない。
PANPAKAパンのパンとみのりちゃん、これらって満と薫の新たな人生を形作った大きな要素だと思ってたんだけどな~。
パン買いにも行ってないんか…。
5のメンバーでも「そんなに会ってなかったの!?」はあったので、スプラッシュスター固有の話ではないかもしれないけど。
最終話で満はパンを作ってみたい、薫は絵を描いてみたい、と言ってたけどそれと将来は別の話だったか…。
5GoGoの面々は本編でこれと宣言していた道から外れてないから満と薫はどうなるかと思ってたけど、二人とも外してきたな…。
満はパン屋に来たお客さんの「ありがとう」から、薫はみのりちゃんと一緒に絵を描いた経験から出た言葉だと感じられたからこそ最終話の発言は良かったんだけどなあ。
一応配信者になったという結果については、そういう道も無しではないと思ってる。
閉じた世界から羽ばたいて、より多くの人と通じ合おうとする姿勢がこの道を歩ませた…ということならば。
ただ配信者としてここまで広く周知されていることを咲も舞も知らず、声を聴いてもピンと来なくて、満と薫からそれを伝えられることもなくここまで来た、くらいまで疎遠になるとは想像していなかった。
でもちゃんと登場時に咲舞に声をかけてもらえたのは良かったんじゃない?
同じく突然登場した友達であるはずのフラチョピには無反応だったし。
最終的に優子とくっつくのは本編の繋がりで納得できるんだけど、健太のコメディアンの夢についてノータッチ。
16話では親に家業を継ぐことを望まれても諦めたくないという意思を見せて(親のことは勘違いオチだったけど)、
31話では最高の相方候補である宮迫君をひたすら勧誘しまくり、
37話の文化祭では健太&宮迫タッグの話がほぼメインになっていた。
コメディアンとして花開くのは大変っていうのはよく分かる。
これはその他様々な「オトナプリキュアにおけるスプラッシュスター」に不信を抱いているから余計に気になっているだけかも。
当方たまに見るバラエティ番組と年末のM1グランプリくらいでしか漫才を見ないので何とも言いきれない。
個人的には「現実ってこんなもんだよね」をスプラッシュスターに背負わせたように思えてしまう。
さよなら俺の初恋…とかいうノンデリ発言が奥さんの隣で飛び出したことについては「そんなことわざわざ言わせるなよ…」と「まあ健太ならギリギリ言うか…?」といったことを思いつつ、最近は「咲の初恋の人には触れてないな…あっ存在が消えたんだっけ、良かったなお前消えなくて」ってなってる。
<太田優子>
25話の海の家回の繋がりでお店を切り盛りする未来に繋がった?
そこに健太がセットで運用されている、と考えるとコメディアンの夢について一切言及がなくてもまあ…いいのかな…?
以上。
とにかく「課せられた役目」が最初にあって、そこに咲と舞があてがわれた結果こうなったというのを強く感じる。
大人の悩みを描くなら、結婚をはじめとした将来を踏まえた恋愛要素は鉄板。
けどこれは5GoGoキャラには任せられない。
異世界の王族が相手という時点で現実的な悩みに持っていくのが難しいし、そもそも5GoGoのキャラを本編外のキャラと恋愛させたら爆発炎上してしまう。
だから咲と舞に大人の恋愛を担当させて、ついでに対比もさせた。
ステレオタイプの幸せを掴んでいるものの自分の夢と天秤にかけて悩む咲、自分の本当にやりたいこととは何なのかで迷う舞。
最終的には、私はこの道を進むと決めた!→咲舞並び立つ→変身ヤッター→満と薫も来て万々歳…という話。
絵面のエモさでなんとかしようとしてない?
作品自体が5GoGoがメインだからとか、本筋の進行に影響が…みたいな「尺の関係で仕方がない」といった意見、これこそ全然理解できない。
尺が厳しければパートナー妖精との再会について一切言及せずにバトルして良いか?
そんなわけなくない?
他にもオトナプリキュアについては、美々野さん悩みにぶつかってなくない?いや悩みがないのが悪いわけではないけどさ…とか、シロップとうらら会ってなさすぎじゃない?とか、初代とスプラッシュと5の舞台の位置関係どうなってんの?とかいろいろ言いたいことはあるけど、まだ放送中だしどう転ぶか分からないよな…と堪えてる。
ここまで書いてきたスプラッシュスターの扱いについては、ここから巻き返しようもないだろうしガッカリ度が桁違いだったので書き残した次第。
最後に。
オトナプリキュアシリーズの続編が発表されたら、絶対に思い入れの強いプリキュアは出てほしくない。
何年か振りに姿を見せたメップルミップル、シプレコフレ、モフルンなどなどのパートナー妖精に何も言及せず変身するプリキュアの姿は見たくない。
弱者男性に対してよく女性の事を1人の人間として尊重しろみたいな意見あるけど、仮に弱者男性が女叩きとかミソソニーを辞めて女性の事を1人の人間として尊重したところで、結婚できたり彼女ができる訳じゃ無いと思う。
いくら女性の事を1人の人間として尊重したとしても恋愛市場や婚活市場では低収入非正規雇用中年童貞見た目も冴えない弱者男性は虫ケラのような扱いを受ける事には変わりないと思う。
だからネットに籠って女叩きしようが女性の事を尊重しようが非モテである事には変わりない。
女性を尊重するとかミソソニーを脱却するとかじゃなくて努力して弱者から脱却する事が大切だと思う。
先ずは収入あげたり正社員になったり清潔感や服装や見た目や体つきコミュ力とか諸々改善して努力して弱者男性から脱出するのが大切だと思う。
弱者男性に対してよく女性の事を1人の人間として尊重しろみたいな意見あるけど、仮に弱者男性が女叩きとかミソソニーを辞めて女性の事を1人の人間として尊重したところで、結婚できたり彼女ができる訳じゃ無いと思う。
いくら女性の事を1人の人間として尊重したとしても恋愛市場や婚活市場では低収入非正規雇用中年童貞見た目も冴えない弱者男性は虫ケラのような扱いを受ける事には変わりないと思う。
だからネットに籠って女叩きしようが女性の事を尊重しようが非モテである事には変わりない。
女性を尊重するとかミソソニーを脱却するとかじゃなくて努力して弱者から脱却する事が大切だと思う。
先ずは収入あげたり正社員になったり清潔感や服装や見た目や体つきコミュ力とか諸々改善して努力して弱者男性から脱出するのが大切だと思う。
元増田です。
確かにそうだなと思った。
今は相手がいないけど、相手の事を尊重して、倹約一筋になりすぎないようにしたい。強く必要だと言うなら、大切なことだと受け入れたいと思ったよ。
気を付ける。ありがとう。
『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』って
原題の『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing our Daughters』も何だかな…
our Daughtersって、結局少女達を誰かの『娘』という観点でしか見てないじゃん
なんでgirlsじゃ駄目なの?
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
↓↓↓
2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
東京都人権部は、歴史的事実を扱う作品への検閲を、二度と繰り返さないでください。在日コリアンへの差別という重大な問題を起こしたことを謝罪し、公開を中止した作品の上映を行ってください!
10,192人が東京都によるレイシズムと検閲に 反対する有志一同さんのキャンペーンに賛同しました。目標賛同数15,000を一緒に目指しましょう!
2022年8月30日から11月30日まで、東京都の指定管理施設である東京都人権プラザ(公益財団法人東京都人権啓発センター)の主催事業として、アーティスト・飯山由貴の企画展「あなたの本当の家を探しにいく」が開催されています。
同展では、附帯事業として、飯山の映像作品《In-Mates》(2021年制作)の上映が予定されていました。しかし、作品内で扱われる関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件を歴史的事実とすることへの懸念などを理由として、東京都総務局人権部職員たちにより、上映が禁止されました。
《In-Mates》は、国際交流基金主催の展覧会に際して制作された映像作品です。戦前期の精神病院に入院していた朝鮮人患者らの診療記録から、ラッパー/詩人のFUNIによる詩とパフォーマンスを通して、彼らの心の葛藤を表します。朝鮮人患者たちにとって、当時の東京がどのような場所であったのかを観客に想像してもらうため、作中では関東大震災時の朝鮮人等の虐殺事件が扱われます。
《In-Mates》の上映を懸念する旨を記した人権部職員のメールには、《In-Mates》作中で歴史学者が「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」と発言しているシーンに対して、「関東大震災での朝鮮人大虐殺について、インタビュー内で「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」と言っています。これに対して都ではこの歴史認識について言及をしていません」と書かれていました。
また、小池百合子都知事が、毎年9月1日に東京都墨田区の都立横網町公園で開かれている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文の送付を、今年も送らなかったという内容の朝日新聞の記事を参照したうえで、「都知事がこうした立場をとっているにも関わらず、朝鮮人虐殺を「事実」と発言する動画を使用する事に懸念があります」とも明記されていました。くわえて他にも、在日コリアン(在日韓国人・在日朝鮮人)の権利を毀損する内容が記されていました。
これは明らかに都知事への忖度であり、東京都人権部による《In-Mates》上映禁止の判断は、都政による在日コリアン(在日韓国人・在日朝鮮人)へのレイシズム、民族差別に他なりません。「人権が尊重される社会を実現する」ことを掲げているはずの東京都人権部による差別と検閲は、決してあってはならないことです。
二度とこのようなことが繰り返されないよう、強く抗議するとともに、以下の内容を要望します。
小池百合子都知事は、これまでの自らの行動が行政職員による偏見と差別行為の煽動となっていることを自覚し、本事件が発生するに至った経緯をあらためて調査し、公に説明してください。また、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文の送付を再開してください。
東京都総務局人権部職員らは、憲法第21条2項に定められた検閲の禁止とともに、15条に規定された「全体の奉仕者」であることに真摯に向き合い、都知事への忖度による《In-Mates》への検閲が、歴史修正と在日コリアンへの差別の正当化であると認め、差別を扇動しうる行いを謝罪してください。
また、東京都人権啓発センター主催事業の展示や附帯事業に対し、企画主旨や展示作品の内容、作家性、作品に関係する共同体を最大限尊重することを約束してください。東京都人権啓発センター専門職員が有する人権教育の啓発と普及における専門性を尊重し、これを歪めるような越権行為を二度と行わないことを約束してください。
加えて、当初予定されていた、《In-Mates》の上映と出演者によるトークイベントを改めて実施することを求めます。
みなさんの賛同の声を東京都総務局人権部および小池百合子都知事に届けます。また、東京都議会に請願・陳情を行う計画です。この署名は請願・陳情の後押しともなります。多くの方にご賛同いただきますよう、お願い申し上げます。
仲のよい家族が、スキンシップが無くて寂しくて辛いと感じていて、
しかもそれを合法的に埋めることができるのは自分しかいないって状況にあって、
「もう家族だから触りたくない」という理由で、その辛さを他人事にしてしまうのは、けっこう冷たいんじゃないか。
それは仲がいいんだろうか。家族なんだろうか。
たとえば、親や兄弟姉妹が、もし何かあった時に手を握って落ち着くなら握ってあげたいじゃん?
責めてる訳じゃないよ(あなたの妻がレスを苦にしてるか分からないし)。
嫌悪感もなんとなく分かるし尊重されるべきものだと思う。けど、
この話がどうあれ、日本の教育がそこまで悪いとも思わないんだよな
天才が育たないみたいなこと言われるけど選択肢は増えているように感じるし
罠は大きく3つあります。
〜目次〜
法律を守ったり、礼儀礼節を守ったり、社会のルールに基づいて適切な判断と行動をする能力のことを「筋を通す社会性」と定義します。
「本当は筋を通したいが、自分の地位が低いため妥協するしかない」という種類の社会性です。
サービス残業でも働くとか、上司が間違ったことを言っているけど指摘すると逆ギレされるから黙るとか「世の中は完璧じゃないから仕方ない」
と割り切る社会性のことです。
「理不尽に耐える力」とも言えるでしょう。
「筋を通す社会性」は自分の地位や人脈、能力の範囲内で発揮されます。なるべく「筋を通す社会性」を発揮した方が立派な社会人になれます。
「優秀な人ほどすぐ辞めていく」なんて決まり文句は優秀な人が「筋を通す社会性」を発揮した結果、「妥協的な社会性」を求められる場所から離脱することで起きる現象です。
責任が重い重要な仕事をしている人ほど「筋を通す社会性」が求められます。
「残業代が貰えなくても働く」「上司が間違ってても従う」「悪さをしないと存続しないような業界・会社で働き続ける」
という長期的にみて損する行為なので、あまり良いものではありません。
生活水準をあげたかったら「筋を通す社会性」を発揮する必要があります。ただ、「筋を通す社会性」を発揮するには
「筋を通す社会性を発揮する上で必要な能力・人脈」が必要になります。
例えば東大卒で人脈も実績もある大手企業のサラリーマンが「この会社のやり方は良くない。〇〇さんのコネで✖️✖️社へ転職しよう」
という判断をした場合が「筋を通す社会性と人脈を発揮」するケースになります。
昔は儲かっていた企業でも傾いた事例は存在するため「この会社のやり方は良くない」という感覚が正しいものであれば長期的に見て良い結果になるでしょう。
逆に30歳のスキルも人脈もないサラリーマンが「サービス残業とか無理、明日から会社辞めるわ。働いた分、手厚い待遇くれないと」
とか言い出したら「舐めとんのか?」という感じになるでしょう。
30歳のスキルも人脈もないサラリーマンには妥協的な社会性を発揮して現在所属している会社で働くか、無職になるかの二択しかありません。
もちろん妥協的な社会性を発揮すると長期的に損をしますが、筋を通す社会性は身の丈と同じレベルにしか発揮できないためしょうがないです。
このように「可能な限り筋を通す社会性を発揮し、必要に合わせて仕方無く妥協的な社会性も仕方なく発揮する」というのが健全な状況です。
しかし、過干渉ヒスママには筋を通す能力は低いので、妥協的な社会性を自分の子供に求めてしまいます。
過干渉ヒスママにとって社会性は「自分のご機嫌を取ってくれること」です。
そして、一部の先生も妥協的な社会性を子供に求めてしまいます。
習ってない方法で算数の問題を解いたら✖️とか、努力してる感を出すために非効率な勉強方法をさせるとか。
彼らは質の低い妥協的社会性を子供に教え込もうとしてしまうのです。
豊かな暮らしを実現する上で必要なのは筋を通す社会性です。先生は社会を知らないと言われる原因はここにあります。
「社会性=理不尽に耐えること」という定義になっているならば、健全な社会性を持っていないため黄色信号です。貧乏まっしぐら。
前の記事で書いた「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動するべきか」の感覚になっているならば赤信号、もう社会に適合できません。
「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動するべきか」が分離している状況は具体的にいうと
「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という思考回路です。
健全に育った人間には意味が分からないと思うのですが、妥協的社会性を子供に求めるタイプの大人に育てられると
「これは〇〇した方が良いんだろうな。でも先生の命令通り××のやり方でやらないと怒られてしまうな」という経験をしているため
「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という病的な発想になってしまうのです。
私の場合、勉強の無駄を省いて上位50%の成績から、上位5%の成績まで成績を上げましたが、成績が上がった後、私の元々の成績を知らない
先生が来て「勉強の無駄を省く???手を抜きたいだけじゃないか??成績が良いからって調子乗ってんのか?」という反応をされ、反抗したら
陰湿に虐められることになった経緯があり、元気のあるうちは揉めたり抵抗したり、塾を辞めようとしたりしましたが、自分の親も先生も言葉が通じないため
塾を辞めることができず成績が下がりました。
「今までこうやって勉強して成績を伸ばしたな。でも先生の言う通りに勉強しないと虐められるし。でも先生の勉強法は良いと思えない。。」
「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」と言う発想になっていました。
妥協的な社会性を出すと短期的に揉め事が減って得しますが、長期的には損するため、筋を通せるなら通した方がいいです。
私は塾を辞めようとして親や先生と揉めましたが、過干渉ヒスママに子供の意思を尊重するような高度な感情はありません。
子供には人権がないので、筋を通すことは難しいですが、私が人生をやり直せるとしたら塾を抜け出して図書館で勉強します。
自分が困難な状況にいると「自分に問題があるから困難な状況に追い込まれている」と考えてしまいます。
これが落とし穴です。「きっと自分がおかしいんだ」と思った時、寄ってくる人間は「だからお前はダメなんだよ」
彼らは確実に勝てそうな相手を選び、マウンティングすることで自尊心を満たしています。
偉そうにしていますが、冷静に彼らを見てみると大したことがありません。
私にマウントしてきた人は大学を留年しているくせに、私に向かって「高学歴の底辺よりFランのトップ」みたいに
言ってきました。留年しててトップなんてのは認知が歪んでるから出てきた言葉としか思えません。
罠1で妥協的な社会性を植え付けられたり、罠2でクズから説教されたりするため、
底辺に陥った人間に必要なのは「周りの意見を無視して自分が正しいことをしてみる勇気」だったりします。
自分に問題があると思うと、自分を信じれなくなりますが、自分がダメな状況の時に自分に対して向けられるアドバイスはクズの妄言なので
自分の考えでなんとかするしかありません。自分を信じましょう。
まずは自分で考えて、自分の考えの通りに行動しましょう。その過程で適切な社会性を身につけましょう。
そうすればなんとかバイトが務まる程度にはなりますし、普通に働ける程度にはなります。
人は自分の経験したこと以外は共感も理解もできないため、底辺に陥った弱者男性の状況を適切に理解してアドバイスするなんか無理です。
機能不全家庭に生まれ、複雑性PTSDを抱えると人と関われなくなったり、社会生活が困難になったりします。
そんな人が人間関係を築く方法は、人間関係を形成するときの目的に注目することです。
例えば、新しい環境に移動すると「新しい環境の人と仲良くすること」が人間関係の共通の目的になります。
その次に「自分の趣味を共有したい」とか「自分の身に起こった面白い話を共有したい」とかに人間関係の目的を移行します。
ただ、人間関係にブランクがあると「健全に生きてきた人が何を考えてるか知りたい」とか「新しい人と仲良くしたい」とかで
人間関係の目的が止まってしまうので、最初の方は仲良く話せても人間関係が続かなかったりぎこちなかったり
※これは毎日XことTwitterを見ている人間が観測範囲から見えることだけで考えた戯言です
Xは今日も燃えている。その原因の多くは思想的な対立かと思うが、その内容は以前よりかなり複雑化しているように思う。
以前の思想対立の主流は「ネトウヨvsパヨク」であり、匿名掲示板時代からある古式ゆかしい対立である。特に安倍元首相在任時はこれが顕著であった。
今回はこの思想対立をベースにどのように思想が分裂していったかを考えたい(なお、この文章ではあえて思想対立のベースを「ネトウヨ」「パヨク」と記載する)。
基本的に二項対立だった論争は、2020年から旗色が変わってくる。その原因はもちろん新型コロナウィルス感染症、Covid-19である。
ここで生まれたのがみなさんご存知「自粛派vs反自粛派」「ワクチンvs反ワクチン」の対立だ。
この時点では(現在も)多くの者が前者の立場を取ったため、あまり思想ごとの偏りは多くなかった。せいぜい政府の対策の遅さを非難するべく「パヨク」側が前者に立っていたのが目立つぐらいだろうか。
しかし発生が中国・武漢であったとされている点、政府がアメリカ製のワクチンを推進したという点から「ネトウヨ」「パヨク」の一部が「反自粛」「反ワクチン」に移ったことは抑えておきたい。
さて、その前後で起こっていた思想対立といえば「ツイフェミvsアンチフェミ」である。
これは比較的単純で、ツイフェミ陣営は「パヨク」、アンチフェミ陣営は「ネトウヨ」が主であった。というのも、当時のTwitterで湧き上がる論争は概ね「宇崎ちゃん献血コラボ」「温泉むすめ」「ラブライブ!サンシャインのJAコラボ」等に対するツイフェミからの批判が嚆矢となることが多かったので、「左派の表現規制vs右派の表現の自由戦士」という文脈で語られることがほとんどだったためである(そもそも表現規制は右派のお家芸だったのだが…そこら辺は割愛)。
しかしここで一つの変化が生まれる。それがトランスジェンダーを巡る問題である。
人権の尊重を是とする「パヨク」およびそれに準ずる「ツイフェミ」にとって、トランスジェンダーおよびLGBは当然尊重すべき存在であり、欧米各国の動きを見ても当然と考えられていた。
しかし、「ツイフェミ」と呼ばれる女性の一部が「フェミニズム」を掲げている理由は主流左派のそれとは異なっていた。それは男性から性的に客体化される恐怖や怒り、男性嫌悪が行動の原理となっていたという点である。
この視点から考えるに、彼女らにとって身体男性がトイレや銭湯に入ってくるというのは全く受け入れられない。結果的にトランスの排除に向けて「ツイフェミ」は分裂する。いわゆる「TERF」の誕生である。
ここで興味深いのが「TERF」と「ネトウヨ」の合流である。戸籍制度の護持を標榜する「ネトウヨ」にとって同性婚は蟻の一穴となりかねないものとなっており、必然的にLGBTに対しても反対的な立場を取るものがほとんどだった。これが、「TERF」と「ネトウヨ」を結びつけるに至った。本来は対立する思想が各論反対によって一致するというのは興味深い。
(もっとも、ラディカルフェミニストの思想は本質的にかなり保守的であるため、合流は当然という見方もある)
ここまででもお腹いっぱいであるが、今最も新しい思想対立を最後に紹介する。
それが「ウクライナ・ロシア戦争」と「イスラエル・ハマス紛争(パレスチナ-ガザ地区)」の思想対立である。
日本国の立場としては前者は「ウクライナ寄り」後者は「中立」であると筆者は考えている。
しかし「ネトウヨ」と「パヨク」はここでさらなる分裂を迎えることになる。
まず「パヨク」の方は比較的シンプルで、基本的には「ウクライナ寄りの中立」「パレスチナ寄り」となっている。
憲法9条を基にした戦争反対という考えがベースにあり、被害がより深刻な陣営に寄り添うという思想からは当然のことのように思われる。しかし注意したいのが「パヨク」は基本的に「反米」であるという点である。なので米国が支援するイスラエルと戦闘状態にあるパレスチナ(ガザ地区)については積極的に支持できる一方、同様に米国が支援するウクライナは消極的な支持となっている。その証左にウクライナの抗戦を諫め降伏を促す言論は基本的に「パヨク」から出てきている。これが高じた一部の「パヨク」は明確にロシア側の立場を取るものも少なくない数観測できる。
まず「ウクライナ・ロシア戦争」においては基本的に「ウクライナ寄り」の者がほとんどかと思う。というのも、ネトウヨのほとんどは政府見解と一致した親米保守であり、反中・反東側陣営という点から見てもウクライナ支持がほとんどかと考えられる。
だが「イスラエル・ハマス紛争」においてはかなり微妙である。先ほど述べた通り「ネトウヨ」は基本的に政府見解と一致した思想に軸足を置いているため、かなり中立となっている現在の日本の立場には拠り所がない。
もちろん親米保守の立場からイスラエル支持、パレスチナ批判を展開する「ネトウヨ」もいるが、どちらかというとドイツのイスラエル決死支援を嘲笑うぐらいで特に支持を明確にしていない場合も多いように思う。
しかし「ネトウヨ」が親米保守であるというのはあくまで原則論である。中には極右として自民党すら切り捨てる勢力も存在する。それが「参政党」「日本保守党」の支持勢力である。思想の違いは存在するが、共通するのは強烈なラディカル右派であるという点である。
どちらも政府自民党の不満へのカウンターとして存在しており、前者は「政府のコロナ対応」後者は「トランスジェンダー法案の可決」を機に勢力を伸ばした。
当然の如く反「パヨク」や反中反韓ではあるが、日本第一主義の観点から反米(というか反戦勝国)的視点も持ち合わせており、その観点から「ウクライナ・ロシア戦争」においてロシア側を支持する者も多い。
そしてえてして反ワクチンの思想も兼ね備えているケースが散見される。
さて、ざっくりまとめただけでもこのような分類になったが、実際にはもっと多くの対立が存在している(インボイス推進vs反インボイス、AIvs反AI etc…)
ワンイシューでの思想対立が難しい現状において、統率の取れた反対運動というのは以前よりも減少しているのかもしれない。しかし、それに反比例するように炎上自体の回数は増えているように思う。
なんか野党支持者って党を合併するのも共闘するのすらいやなんでしょ?
色んな考え方や主義主張があるのは当然なんだから、一つにまとめることなんて出来ないんだよ
それが国家運営ってもんだろ
そもそも色んな考え方や主義主張持った人が集まってる政党の方が、より多くの支持を獲得出来る
そんな単純な足し算もお前らは出来ないのか?
子供もいないし色々状況違うと思うので参考にならない気がするが。
うちは新婚のうちからレスだったよ。同じく触れたり布団一緒に入るのも拒否された。
ブコメで触れるのもダメなんて人として...とか言われてるので夫側の言い分も書いておくと
結婚して家が〝安心できる場所〟になっちゃったから、仕事で心身共に疲れてるのに興奮するような状況を求められるのが安らげなくて辛かったらしい
増田の夫もお子さんが産まれて疲れてるから性欲より癒されたい、安らげる場所を守りたいという気持ちがあるのかも
この言い分を聞くまでにもかなり話し合ったし、許せなくて殴り合いになるくらい喧嘩した。
「私があなたのせいで人生で女という性別を捨てなければならない。時間を奪われた。私があなたのせいで辛い思いをしていても放っておけるなんて夫婦じゃない。自分だけ安らぎが欲しいなんてムシが良すぎる。一生をかけてお前に仕返しする」みたいなことを言った。
別れないし生活費もらうし離婚するなら今までの性生活拒否の証拠も持ってるからあなたの責による離婚になる。私は満たせない性欲を外注するからな、とも言った(する気はなかった)
そう言いつつレスられのブログやTwitter等客観的なレスられさんの体験記を見てもらったり、いかに辛いかを伝え続けた。これは今でも継続していて、最近だと「あなたがしてくれなくても」というドラマも見てもらってる。今後もレス理解に関するコンテンツは見つけ次第見てもらうつもり。レスに苦しんだ日々は絶対忘れない。
そういうの続けてたら辛さをだんだんと理解して、自分がなぜこんなにも拒否してきたかを説明するようになってくれた(自分でもなぜセックスにこんな嫌悪感を感じるようになったかわかってなかったらしい)
性欲でするんじゃなく努力で週1はするという約束になり、1〜2週間に1度はするようになったよ。
ここまでの言い争いが醜すぎて、辛い気持ちと向き合いすぎて、正直もうこっちにも性欲ない。夫の方が少し性欲復活してるかも?くらい。したい気持ちもたまにはあるっぽい。
こっちはもう義務感と、コミュニケーションとしてしてるけど、もうしなくてもいいような気持ち。今ではレスってた頃の夫の気持ちがわかる。
お互いのしたい気持ちがマッチする解決方法ではなかったけどレスが解消したことと、相手の辛い気持ちを尊重する関係が戻ったから良かった。
いつか性欲復活してお互いしたい!って気持ちでできたらいいな〜
生まれてから高校までアメリカで過ごし、それ以降は日本で住み就職もしている。今20代前半。
最近X(Twitter)でこんな動画が賛否両論を生んでいた。
https://x.com/sgwhn8727/status/1627815915457839104?s=20
「子どもたちの自己肯定感を上げるため、わたしのクラスでは毎朝affirmationを言います。I am loved, I am brave, I am smart, I am kind, I am a problem solverと言い合って、ポジティブな気持ちで1日過ごせるようにします。これを毎日繰り返すことでポジティブな自分になることが狙いです。」
これを見て、自分が今まで生きてきて感じたことを色々と思い出したので少し書く。
便宜上、「アメリカ」「日本」と大きな主語を使うが、もちろん家庭や土地によって差はあると思う。
アメリカでは↑の動画のように、「あなたは素晴らしい存在である」と言われ育つことが多い。
「あなたは賢い」「あなたは強い」「あなたは愛されるべき存在」と。
日本では謙遜という概念や「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように、素晴らしい能力を持った人でも偉ぶらず控えめであることが求められることが多い。
そんな日本の文化を窮屈に思い、アメリカの文化を羨ましく思う人も多いだろう。
しかし、アメリカの「自己肯定感アゲアゲ」文化には致命的な欠点が存在する。
身も蓋もないことを書いてしまうが、いくら本人が「自分は素晴らしい存在だ」と思っていても、現実は違うことの方が多い。
「アメリカは個性を尊重する」とか言ってる人もいるが、誰だってバカより賢い人の方が好きだし、ブスより綺麗な人の方が好きなのだ。それはどこの国も変わらない。
そもそも、「誰もが素晴らしい」が声高に主張される社会=そう言わなければいけない社会、ということである。
社会に出たら嫌でも自分のランクを思い知らされる。自分の上位互換がいくらでも転がっている。
自己肯定感のメッキが剥がれる瞬間が辛いなら、最初から身の丈にあった感覚を持ち生きたほうがマシではないか。
特に今、日本中国韓国の若者と同じように、多くのアメリカの若者には金も希望もない。
インフレや格差にあえぎ、親と同等の暮らしをすることをあきらめている人がほとんどだ。戦争や気候変動など世界的な問題も山積みだ。
こんな中で「自分は素晴らしい」「人生は素晴らしい」と言われても困るのである。もはや呪いでしかない。
「自分は素晴らしい」という言葉は呪いだ。なぜなら、むしろ自分のクソさに気づいたとき、そのクソさがものすごく大きく見える。
その人は「ブスの戦い方」を指南していた。美人はどうやたって生きていけるが、ブスは工夫しなければいけない。しかし、努力すればむしろブスは美人よりも大きな成果を上げることができると。
その話は「ルッキズムを植え付けるな」なんて批判されていたが、自分は感動した。
自分が美男美女ではないから生きづらいと言っている人に対して、「あなたは美しいよ。素晴らしい存在だよ。」と言うのは正しいのだろうか。
非美男美女としての生き方を提案するのが本当の優しさなのではないだろうか。
もちろん美醜だけでなく、頭が悪い、身体が弱い、など、それを素晴らしいよ・あなたの個性だよで終わらせるのではなく、弱者としての戦い方を徹底的に教え込むべきなのではないか。
そもそも、アメリカの自己肯定感は間違っている。「自分は素晴らしい」と思わせるのは自己肯定感をはぐくむことではなく
どんなスポンジケーキかということを考慮せずに、クリームをゴテゴテ塗ってごまかしているようにしか思えない。
「あなたは素晴らしい」と言われ育ったが、そうではないことに気づいてから人生計画を立て直すのに時間がかかった人はたくさんいると思う。
自分ももう大人になったし今は幸せなので、今まで受けた教育にだらだらと文句をつける気はないが、最初から人生がクソゲーだと教えられていたらもっと楽に生きられたと思う。
自己肯定感とは、どんなに自分や自分の人生がクソでもなんとか生きていける能力だと思う。
でも昨日食べたラーメンはおいしかった。信号ですれちがった犬がかわいかった。昨日より1mmは仕事ができるようになった。だからよかった。
日本の「自虐文化」は批判対象になることが多いが、実際無意識に救われてる人も多いのではないかと思う。
あと、これは書くか迷ったんだけど、アメリカの自己肯定感アゲアゲ文化は奴隷を育てるためではないかと思ったことがある。
日本の詰め込み個性ガン無視教育は批判されているし自分もどうかと思うけど、ほぼ全員に最低限の教育を施し、子供たちが次の道へ進みたいと思ったときへの土台作りはできると思う。
しかし、アメリカは頭のいい子への教育は天才的であると感じるけど、バカへの教育はあまりよくない。最低限の基準に達していないバカに「君は素晴らしい」「我々は強い」と言って、一部の天才の奴隷にしようとしているのではないかと思った事すらある。これは陰謀論とかではなく本当に。まあ奴隷育成に失敗して中身スカスカなのに態度がでかい人間を量産してるけど。