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2018-02-20

親子は対等

理念としてはわかるんだけど、実行しようとするとイライラする…

こんなに自己中で昼夜の区別なく頼りまくってくるのに対等って…

今のところ24時間年中無休の奴隷みたいなもんですけど…

子どもを一人の人として尊重しよう、対等に接しようとするあまり、つい見方が厳しくなって「それって人としてどうなの?」といらだってしまう。私のことも少しは考えろよと思ってしまう。知らなかったかもしれないけど母(私)も人間だよ。一応人権あるんですけど。

なんて、子ども配慮を求めるなんてダメ親なんだろうし。

知識経験の不足を補い、甘えを受け入れ適切に子ども扱いして、なおかつ人として対等に接するとか難易度高い。みんなどうしてんの…

暴力排除に潜む日本の病巣

横綱日馬富士引退 暴行問題
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24022990Z21C17A1CC0000/

上の記事を読んだ。なんとまあビール瓶で殴られると痛いか責任を取るため引退するそうだ。

もちろん私は一定格闘技に関しては異議を唱えるつもりはない。テレビボクシング試合を見た時はあまりの迫力に熱狂した経験もあるし。
しかし、今回の暴行による責任追及や、居酒屋含む飲食店全面暴行禁止の流れはあまり常軌を逸していると感じる。

「人に殴られないようにする権利」ばかりを尊重しすぎて、「人を殴る権利」を脅かしていないかということだ。

「人に殴られないようにする権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「痛くて嫌だ」と主張すれば済む。さら一般の人が受動殴打として害になるか検証されていない、体についた血液や体液に含まれ有害物質についても、免疫力の低い人の被害を引き合いに出せば、被害者簡単に創出することが出来る。

しかしながら「人を殴る権利」の方は、「人を殴りたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非暴力者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである

こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。
この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?

保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。

海岸での花火は近隣住民迷惑になるので禁止

路上駐輪は景観が損なわれるので即撤去

風俗店は即摘発

こういった流れが進行しているのも、活動的主体となりやす子供や若年層が減少し、一方で客体となりやす高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。

どんどんと窮屈になる日本他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。 >

anond:20180220150151

元増田です。

高校球児未来については例としてプロ野球云々とは書いたけど、一般労働者の例を出していることからも分かってもらえるとは思うが、その後の数十年の人生念頭にあるよ。

羽生選手については繰り返すが置かれているステージそんじょそこら一般人とはまったく違う。本人の意志尊重する以外にないだろう。歩けなくなる可能性があるほどの怪我だったとして、当然その辺のリスク説明があるはずで、その上で出場を選んだなら誰が止められるのかという話だよ。ブコメでも書いてる人がいたが「余計なお世話」。

finalvent氏の羽生選手に関する記事に寄せて

この記事http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/02/post-4b9b.html)については筆者だけでなく、ブコメでの反応を見ても本来混ぜるべきでないものを混ぜて考えている人も多く危惧を抱いたので私の考えを簡単に記しておきたい。

氏の主張としては「怪我が悪そうなので回復第一に考えて出場しないほうがよかったのでは?」というものだ。そこそこのボリューム記事なのでほかにも色々書いているが、煎じ詰めるとこの一言であろう。しかし決定的に間違っているのがこの「回復第一に考えるなら」という前提の部分である一見正しそうだし、実際多くの場合正しいのでたちが悪い。多くのブクマもこの一見正しそうなマジックワードに騙されている。

回復第一に考えるなら」という前提の何が間違っているのか。ここではこれを「回復してどうするの?」という問いに対する答えを考えてみることで説明してみたい。

おことわり

本題に入る前に最初におことわり。以下に私は「回復第一に考える必要などない」旨を書こうとしているが、それは「羽生選手が痛み止めを使えば金メダル可能性がある程度には飛べる」程度には回復していることを前提にしている。実際その程度の回復具合だったことが明らかになった今では不要な断り書きかもしれないが、たとえば「どう考えても滑れないしジャンプも飛べないのに正常な判断力を失って<出場>を主張している」ケースなどはまた別の話というか、普通に出場すべきでないことは明白であり本稿では考慮しない。

それでは本題に入る。

回復してどうするの?」

いきなり結論を書くが、回復したとして羽生選手にとってオリンピックでの金メダル以上のモチベーションはおそらくない。これが1年に何度もあるGPシリーズのうちのひとつ、あるいは毎年あるGPファイナル世界選手権なら「回復して次の機会に頑張ろう」という理屈も成り立つし、仮に本人が出たがっていても周囲が無理にでも止めさせるという判断はあろう。しかし4年に一度のオリンピック、それも金メダルが狙える状況で止めさせるのは、あまりに酷である

「そうは言っても23歳の未来ある若者なんだし」的なブコメ散見されたが男子フィギュアにおいて23歳は「未来ある若者」ではない。むしろラストチャンス可能性もあり、頑張れば金メダルをとれるかもしれないのなら「出たい」と考えるのは自然なことだ。最悪選手生命を絶たれたとしても悔いはないというくらいの計算も働かせたのではと推察するが、その上での出場判断をいったい誰が止められようか。繰り返すが出ても出なくてもこれが最後かもしれないなら出る、当たり前でシンプル結論である

これで最後かもという部分は反論が予想される。4年後の27歳でも十分に一線級で戦えるかもしれないからだ。銅メダルハビエル・フェルナンデスは26歳である。ただ信じられないほどジャンプ難易度インフレしている男子フィギュアでは、4年という時間と27歳という年齢はプラスよりマイナス作用する可能性が高い。実際もう30年以上25歳以上の金メダリストは出ていない。回復しても27歳の一発勝負金メダルをとるのは難しいなら、そして痛み止めさえ飲めばジャンプできるなら、多少の無理は押して目の前の金メダルをとりに行こうというのは決して分の悪い勝負ではない。最悪メダルもとれず怪我が悪化し今後の選手生命が断たれたとしても悔いがないと思えるくらいの年齢が男子フィギュアにおける23歳という年齢である

高校球児との違い

この点が一部ブコメにも見られた「甲子園での高校球児酷使問題混同してはいけない点である高校球児、とくに卒業プロを目指そうというレベル投手文字通り「未来ある若者である。本人がどんなに連投を望んだとしても、無理にでも大人ストップをかけることに一定合理性がある。もっと大きな舞台もっと大きな成果を挙げるチャンスを、若者特有の好ましくも危うい一時の情熱にまかせて摘み取ってはいけない。

私が冒頭で「回復第一に考えるなら」という前提は「多くの場合正しい」と書いたのはこういうケースである。無理せず回復を待って次のチャンス、次の飛躍へつなげよう!というのは高校球児をはじめとした多くのティーンエイジャーには当てはまるし、ハードワークを強いられ心身が疲弊している一般労働者にも当てはまる。世の中の99.99%の人にとって正しいのが「回復第一に考える」ことである

翻って羽生選手場合はどうか?オリンピックよりもっと大きな舞台があるのか?金メダルよりもっと大きな成果があるのか?たぶん答えは「NO」だし、仮に「YES」だとしても「YES」と言えるのは羽生選手だけである。「回復第一に考えて」というのは彼の身体を気遣った大人分別ある意見のように一見思えるが、実際には、世界最高の舞台世界最高の輝きを放つチャンスを永久に奪い去る暴挙に等しい。幾人かはコメントで指摘していたが羽生選手や彼の決断に対する敬意を欠く行為でもある。

Finalvent氏および氏に賛同した人たちにあらためて問いたい。「回復してどうするの?」。

その他雑多なこと

anond:20180219232323

バグパイプ奏者排除に潜む日本の病巣

演奏中45分間」も大学構内に立入禁止 北陸先端大が全面禁バグパイプに踏み切った理由

https://www.excite.co.jp/News/smadan/Z1509591737132/

上の記事を読んだ。なんとまあバグパイプ演奏中は呼気から有害音波が検出されるから受動騒音防止のため立入禁止なのだそうだ。

もちろん私は一定の分バグパイプに関しては異議を唱えるつもりはない。ネカフェで喫バグパイプブースに泊まることになった時はあまりの音に辟易した経験もあるし。

しかし、今回のJaist全面禁バグパイプや、居酒屋含む飲食店全面禁バグパイプの流れはあまり常軌を逸していると感じる。

バグパイプの音を聞かないでいられる権利」ばかりを尊重しすぎて、「バグパイプを嗜む権利」を脅かしていないかということだ。

バグパイプの音を聞かないでいられる権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「うるさくて嫌だ」と主張すれば済む。さら一般の人が受動騒音として害になるか検証されていない、服についた音の微粒子やら呼気に含まれ有害音波についても、騒音過敏症の人の被害を引き合いに出せば、被害者簡単に創出することが出来る。

しかしながら「バグパイプを嗜む権利」の方は、「バグパイプを奏でたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非喫バグパイプ者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである

こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。

この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?

保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。

海岸での花火は近隣住民迷惑になるので禁止

路上駐輪は景観が損なわれるので即撤去

風俗店は即摘発

こういった流れが進行しているのも、活動的主体となりやす子供や若年層が減少し、一方で客体となりやす高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。

どんどんと窮屈になる日本他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。

https://anond.hatelabo.jp/20180219232323

想像してみてみよう。

将来…そう、今から10年後か20年後かそれくらいに、「スマホ使用者排除」の名のもとに”非スマホ使用者”の権利ばかりが尊重される社会を。


歩きスマホするヤツは危険からスマホ使用室に限定して使え」

スマホ電磁波出して健康に悪いから、スマホ使用室に限定して使え」

スマホ幼児に色々悪影響あるからスマホ使用室に限定して使え」

スマホSNS他人の心を傷つける事があるからスマホ使用室に限定して使え」


対するスマホ愛好家の主張は。

ゲームの続きやりたいし」

会社の帰りの電車で他にすること無いし」

SNS投稿したいし」

なんとバカバカしい、幼稚な動機ばかり。


俺達はこれまで考えた事があるだろうか?

一昔前は当たり前だったツール商品が、何かをキッカケに一転して罪悪として虐げられる世の中を。

自分たちが大好きだったり、それ無しには人生が成り立たないと考えていたモノさえも、その市民権が突如として失われる恐怖を。

そしてそのモノの使い手や愛好家として、さながら武器収集家に向けられるそれに似たような、嫌悪と不信に満ちた視線で見られる恐怖を。


それでもやっぱり俺はタバコも、タバコ愛好家も嫌いだ。

2018-02-19

福祉こころが死んだ

障害児者支援仕事をしてきた支援員だけど、この仕事ってつらすぎない?

何度か転職してきてわかったことは、この業界にいる人は全員心に闇抱えてるってことだった。学歴コンプから知的障害者支援してると心が休まるって人、虐待受けてた過去自分の代わりに発達障害児を救いたいって人、など働く動機自分のためでしかない。しか法人側も職員も、さも人の役に立ちたいってキラキラした大義を掲げてさ。気持ち悪いんだよ。

露骨な人は、立場が弱い人に八つ当たりしてお金もらえて、こんないい仕事ないなって言ってた。利用者を怖がらせて笑って、でも本人には善意を装って「あなたに自立してほしいから厳しいこと言ってるんだ、わかるよね?」なんて話してた。

社会福祉士勉強で、利用者主体人権尊重、施しではなくエンパワメントをなんてつらつら覚えてきたけど、実際そんな聖人君子たことない。「現場では支援員が主導権握らないとなめられる、自己管理もできないのに権利主張してるんじゃねえ、彼らが何の役に立つ?自立?できると思うか?」って言葉をたくさん聞いてきた。

そろそろ辞めどきだな。自分利用者権利擁護して、意思決定支援して、主体性尊重するんだって気張って働いてきた。利用者さんとも信頼関係ができて「やさしい〇〇さん いつもありがとう」なんて手紙もらったりもする。けど、上司からは「世の中理不尽なんだよ、きれいごと言ってんじゃねえよ、お前はお勉強ばっかりしてきて、世の中わかってねえな」って毎日罵倒されていい加減疲れた

少し前から精神科行ってたが、ついに診断名ついて休職が決まった。支援する側からされる側になった 。人生ってつらいよな。いつか聖人君子降臨するまでなんとか生き抜いていこうな。

喫煙者排除に潜む日本の病巣

喫煙後45分間」も大学構内に立入禁止 北陸先端大が全面禁煙に踏み切った理由
https://www.excite.co.jp/News/smadan/E1509591737132/

上の記事を読んだ。なんとまあ喫煙後45分は呼気から有害物質が検出されるから受動喫煙防止のため立入禁止なのだそうだ。

もちろん私は一定分煙に関しては異議を唱えるつもりはない。ネカフェ喫煙ブースに泊まることになった時はあまり臭い辟易した経験もあるし。
しかし、今回のJaist全面禁煙や、居酒屋含む飲食店全面禁煙の流れはあまり常軌を逸していると感じる。

タバコ臭いを嗅がないでいられる権利」ばかりを尊重しすぎて、「タバコを嗜む権利」を脅かしていないかということだ。

タバコ臭いを嗅がないでいられる権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「臭くて嫌だ」と主張すれば済む。さら一般の人が受動喫煙として害になるか検証されていない、服についた煙の微粒子やら呼気に含まれ有害物質についても、化学物質過敏症の人の被害を引き合いに出せば、被害者簡単に創出することが出来る。

しかしながら「タバコを嗜む権利」の方は、「タバコを吸いたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非喫煙者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである

こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。
この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?

保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。

海岸での花火は近隣住民迷惑になるので禁止

路上駐輪は景観が損なわれるので即撤去

風俗店は即摘発

こういった流れが進行しているのも、活動的主体となりやす子供や若年層が減少し、一方で客体となりやす高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。

どんどんと窮屈になる日本他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。

現代の女の人はかわいそう

肉体美的な面で。

古代から現代まで男性肉体美シンプルに言えば「筋骨隆々」だと思う。

細かな好みの差などはあると思うが、大筋はこれで問題ないだろう。

狩猟などを行い、家族を守る。目的機能が一致している。

ところが女性場合はどうだ。やれダイエットだ、やれ部分やせだなんだと、痩せることを良しとした風潮がある。

古代では地母神の像なんかでもわかるが、ふくよかな女性ほど尊重されたし、現代でも部族によってはふくよかな女性がもてるが、

一般的に痩せてておっぱいなどが出てる者がもてはやされる風潮にある。

これは良くない。女性の肉体的な機能面と反する部分が大きいんのだ。

本来の肉体がもつ機能性をあえてそぎ落とすことで美を追求している。

おそらく男性筋骨隆々を目指すより困難が大きいはずだ。

女性らしく」なんて言葉があるが、肉体的な"本来女性らしく"を認めてあげるほうが

よっぽど女性たちは生きるのが楽になるんじゃなかろうか。

anond:20180219153643

うん、賛成するのは思想信条観点から自由だと思うよ。

ただし、世の中にいる男性差別反対派の意見について最大限に尊重した上で、賛成してね。

異なる意見についてはお互いに尊重し合うこと、それが思想信条自由観点におけるマナー

「獣のような」=ブスという意味ということなのかな

TBSアナウンサー小平奈緒選手のことを中継インタビューで「獣のような滑りだった」と表現したこと問題になっているけど、問題本質はこういうことか。

私は男だけど、別に女に対して「獣」と表現することがブスであるとほのめかしているとは思えない。

更に言えば、ブス自体も女の個性の一つのはずだし、そうでなければならないはず。

小平選手本人も苦笑するだけで、獣と形容されたことについては特に不満げな表情を見せてはいなかった。

女は、高木美帆のような正当派美人しか存在が許されないわけではないことは、彼女自身が一番理解していることだろう。

獣のような容姿生き様も、女の多様性の一つとして認められなければならない。

その意味では、「獣のような」と言われた時の小平本人の切り返し完璧だった。

情けないのは、獣というキーワード過剰反応している差別主義者だよね、特にツイッター女!

女の多様性尊重するのであれば、獣のような女も当然認められなければならないはずなのに、女自身が女の多様性否定しているという矛盾

2018-02-18

人類進化国境線消失

フリーメイソン理念自由平等博愛」は、それだけでは矛盾する概念です。

 

  • 全ての人に自由を与えたら、格差が生じて平等が損なわれる
  • 全ての人を平等にしようとしたら、過不足の調整過程自由が損なわれる

 

どうすれば、自由平等が両立できるでしょうか?

矛盾する両者を結びつける接着剤が「博愛」なのです。

 

アガペー

見返りを求めない無償の愛(アガペー)があれば、自由平等がなぜ両立できるのでしょうか?

格差を均衡させる力が発生するからです。

 

 

人々に自由を与え、豊かにする。

自由によって生じた格差は、博愛によって均衡させる。

均衡によって平等に近づいていく。

 

全ての人々がアガペーを得たとき

自分さえ良ければ他人はどうでもいい」

自分他人区別して、他人排斥したい」

と思うでしょうか?

 

まだ進化の途上にある人類では、単なる希望的観測に過ぎませんが、一切の争い事がなくなったとき自然国境線不要になっているはずです。

もちろん、言語多様性など、お互いの文化尊重する意味で、民族的単位は残りますが、それは今の国境線とは少し違う意味価値の上に成立するものだと思われます

 

anond:20180218173050

女性専用車両差別って言ってる意味がわからない

誤解がないように言っておくけど俺は男だ.

だってさ,そもそも男女で体の仕組みが違うじゃん.体の仕組みが違うから生物学的に雄と雌に分類されるわけで.この体の仕組みの違いってのは色々あるけど,パッと思いつくのは体格とか筋力の差.

俺は男としての人生しか歩んだことがないか女性気持ちはわからないけど,男性女性も同じくらいに電車内でそういうことをしたいという欲求があると仮定してもさ,圧倒的に男の方が有利じゃん.だって筋力量が違うんだもの

筋力の量が違えば,多い方はそういうことがしやすいわけで,反対に少ない方はそういうことをされやすいわけで,なら被害に遭いやすい方を優遇するという流れは自然なことだし必要なことだと思う.

言ってしまえば,体育の成績の基準女子の方が甘いのと同じだよ.だって体の仕組みが違うんだから仕方ないじゃん.

真の男女平等っていうのは何でもかんでも平等にするわけではなくて,性差をしっかり理解し,互いを尊重して協力していくことだと思う.

女性安心できるっていうのなら俺は女性専用車両を支持するし,逆に女性は多少階段から遠くても女性専用車両に乗ることでラッシュ時の混雑緩和に協力してほしい.

anond:20180218101507

なるほど、不当な差別に声をあげてよいハードルが男女間で違う(女性ハードルが低く、男性は高い)、という主張の人なのね。

残念ながら増田さんの立場には同意できないかな。男でも女でもハードルは一緒であるべきだと思う。

法的な差別の話ならそうだよね。

法的に男女に差別を設けるべきではないと思う(だから私は女性再婚禁止期間とか反対)。なので仮に女性専用車両法的根拠があるなら私は反対するし、そのような制度差別への抗議行動も正当なものだと思う。

でも、社会的には、女性差別がある以上、法的平等毀損しないやり方でそれを是正する必要があるのもわかる。

から、法的には男性も乗れるって言ってほしいんだよね。その上で、これは痴漢被害から女性を守るためのマナーです、痴漢ではない男性諸氏にもご協力いただきたい、と言われるなら、私はそのマナー尊重するし、そのマナーを敢えて破ってやるぜって主張してる団体はクソ野郎だなって思う、って話。

私の感想なんか知ったこっちゃない、多くの男性が「誤解」していた方が実効性が高いんだ、という反論には、まあそりゃそうやろなとは思う。ただ、だとしたら女性専用車両への抗議行動にも三分の理はあるよな、とも判断する。

2018-02-17

(記録)

メッセージありがとうございます

私のツイート不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。

しかしながら現在のところ該当ツイート撤回することは考えておりません。

理由は以下になります。長くなりすみません

ご存知ないと思いますが、私のアカウント現在Aについて多く語っておりますがそれ以前はBについてよく語っております

もう三年近くBをプレイし、愛してきました。

課金し、毎日プレイし、ほとんどのイベントを完走し、リアルイベントに通いカフェにも通い、グッズを揃え、ニコ生を視聴してきました。

現在コミュニティマスターを務め、運営様に感謝メッセージを時折送ってまいりました。

乙女ゲームをなかなか好きになれなかった私が、本当に心から初めて好きになった乙女ゲームがBです。

Bが本当に好きで、このゲーム出会たことに感謝しています

ここまでBを愛してきたのは、このゲームの懐の深さと、シナリオライター様をはじめとしたゲーム運営スタッフの方々の細やかな心遣いがあったからです。

私が語るまでもなくよくご存知と思いますが、このゲームはたくさんの個性的王子様が現れます。彼らは姫(私)を一辺倒に恋人として愛するわけではありません。

彼らがおかれた様々な境遇性格から、それぞれにまったく違った出会い方をして、次第に関係を深め、心を通わせます

必ずしも恋愛関係に落ち、結婚というゴールを迎えるわけではありません。

様々な種類と深さの心の交流がそこにはあります

この懐の深さを私は愛してきました。

恋人になるだけではない、むずがゆい恋人の前段階も、友人にも、よき相談相手にも、姉にも母にもなれる。王子様の数だけ、関係性がある。

中には好みではない交流もあります。その代わりに、涙するほど好きな関係性もあります

王子様の数だけ関係性を選べる。

私がBを好きな理由です。

これまでいくつかの別作品とのコラボレーションがありました。

原作を知るコラボも知らないコラボもありましたが、どのコラボイベントも楽しませてもらいました。

Bの懐の深さがあってのことだと、私は思っています

原作通りの関係性を保ったまま、Bの姫(私)とひとときの心の交流可能にしたのだと思います

コラボイベントなど、本当にシナリオライター様の苦労を思って感動すらしました。

今回のAとBのコラボレーション情報が発表されたとき、正直なところ不安でした。好きなものと好きなものが組み合わさったとして必ずしも良いものが出来上がるとはかぎりません。好きなものからこそ、期待を裏切られたときの悲しみがあります

しかし、今回のストーリーに私は大変満足しました。

大変に難しい、針の穴に糸を通すような作業だったと推測しています

ですが、A原作尊重し、同時にシナリオ自体として面白く、そしてBの王子様たちと姫との関係性も大事にした、よいシナリオでしたと思います

これについてはプレイヤーの数だけ、感想があると思います

この点をご不快に思ったのだと思います

私は「モブである姫を許容するBが大好きです。このゲームを愛してきてよかったと心から思いました。

そして、感謝言葉にしたかった。

当該ツイートは私の心の叫びです。Aが好きだ、Bが好きだ、ありがとうという生の叫びです。

ところで、宣伝をしながらネタバレをしないのはとても難しいものです。

面白さを伝えようとすれば、どうしてもネタバレに踏み込まずにいられません。

からプレイをする方の関心を引きながら、同時にこれからプレイの楽しみを奪わないというのはとても難しい。

当該ツイートは、その狭い隙間を目指したものです。ご批判は当然ありうると思いますが、私の精一杯の情報発信言葉でした。

私のアカウントをご覧になる方はほとんどがAのファン、BL関係にある主人公が好きという方です。Bをご存知でない方が多くいらっしゃいます

この方たちにどう私の愛情や思いを伝えるかは苦心しました。

手探りで模索してきたのですが、幾人かに、私が楽しくBをプレイしているところを見てゲームを始めたと言っていただきました。

しばらくゲームから離れていたけれど戻ってきたとおっしゃった方もいました。

とても嬉しかったです。

ツイッターでの交流はあまり得意ではないのですが、AとBを愛する気持ちを発信してきて本当によかったと思いました。

このゲームを私とは違う楽しみ方をしているBファンの方がいらっしゃることは想像できます

そういった方が、私のツイートを目にして不快になる可能性も全くないわけではないことは承知したうえで当該ツイートをいたしました。

それでも、できるだけ検索にはひっかからないよう言葉を選んだつもりです。

「姫」「モブ」といった言葉検索にひっかかることは予測できましたが、情報を求めるBファン検索することは考えにくいありふれた言葉であり、目にしたくないBファンの方には届かないように言葉を選びました。

わざわざ悪感情確認するために検索しなければ、おそらく該当ツイートには行き当たらないだろうと考え、投稿いたしました。

現在インターネット状況では後日、自分意図しない「まとめ」を作成される可能性もあります。その場合には、削除要請をする必要もあるとは考えております

現在まだそういった『まとめ』は確認しておりませんが、今後しばらくは注視していくつもりです。

以上により、私にはご指摘のツイート撤回する意思現在のところありません。

不快に思った方がいらっしゃったことは真摯に受け止めております

今後、私も考え方が変わって削除する気持ちになる可能性もありますが、現状はこの通りです。

王子様の数だけ物語がある。私が好きになれる物語がきっとその中にはある。

そういうBの懐の深さを愛したがゆえの心から叫びが当該ツイートです。

どうぞご不快に思ったツイート、または私のアカウントミュート・ブロックなさってください。

長々と語り、申し訳ありません。

好きなものは熱く語りたい性分です。お許しください。

(終わり)

anond:20180216151153

わかり手氏の例のツィートについて非常にモヤモヤしていた者として言及させていただく。

まず、氏の「魔女毒親」という見方的外れであることについては元増田同意である。ただしそれは、元増田の言うような「魔女集会タグイラストストーリーはない」からではない。むしろ魔女集会イラストは深い物語性をはらんでいるが故にあれほどの盛り上がりを見せたのだと考えているが、それについては後述する。

氏の抱いている「毒親」の概念は、「息子を溺愛し、子離れできずに子に害をなす母親」といったものだと思われるが、これは「毒親」の語源となったスーザン・フォワードの「毒になる親」やそこから発展した議論にみられる毒親像とはいささかのずれを感じる。そこで語られているのは、自身人格からして非常に未熟で、子供への愛情他者に対するものではなく自己愛に近い、それ故に子供独自人格意思尊重できず抑圧したり無視したりしてしまうという親の姿である。このような毒親にとって子供とは「彼氏」のようなパートナーとしての存在ではなく、自身社会に受け入れられ、社会で称賛されるための道具であり自分の一部であるとも言える。何より、こうした毒親子供の成長・成熟を望まないことも多い。子供いつまでも自分支配下にあることを望み、その望みに反して成長を遂げようとする子供に対しては敵意をむき出しにして虐待に走ったりもする。

これに対して魔女集会タグにおいては、大前提として子供は「自分を守るほどに強くたくましく成長する」ことを何より望まれている。「母を愛する子の当然の行為として母を守る」のではなく、母から独立した上で、自身意志として彼女を愛し守ることを選択するよう望まれているのである。この「自身意志として」という点が魔女集会モチーフの最大のキーポイントである。息子や娘としてでは意味がない。彼らが生みの親を愛するのは当然である(とされている)のだから。それは、養い子がほとんどすべての場合「捨て子」である要因にも通じるだろう。

魔女集会イラスト魔女たちはしばしば、ツンデレ言動をみせる。彼女が拾い子を養うことにしたのは、中には子を気に入って可愛がるために傍に置くことを望むケースもあるが、多くは「気まぐれ」であったり「ふとらせて食う」ためであったり「下僕としてこき使う」ためであったりと、「愛情動機ではない」ことが本人の口(モノローグ含む)から語られる。にも拘わらず、長じた子供は「自分意志で」彼女を愛するようになり、その愛によって恐ろしい魔女もついデレてしまう、というのが基本的な構図になっているのである。ここまででも、魔女集会モチーフに込められたストーリー性の存在は明らかである

さらに、「魔女」「捨て子」というキャラクター属性についても考えてみたい。まずは「魔女」についてである

上記のごとく、魔女たちはツンデレである。子を拾う以前から彼女らは孤独であり、人間社会から(時には同族社会からも)隔絶された存在である。そうした彼女らが子を拾って育てることを「愛情からではない」と殊更に強調するのは、彼女らが「愛情より子を育てること」を世界からあらかじめ禁じられているからに他ならない。白日の下を歩く人間にとって、魔女からの愛は呪いと同等であり、忌むべきものなのだ彼女らは人から愛されないと同時に、人を愛することも禁じられた、二重に孤独存在なのである

一方、養われる子の側もまた、孤独存在である。元より天涯孤独であったり、不慮の災難により親を失ったり、何らかの偏見から共同体を放逐されたりして、他者から物理的な庇護精神的な愛情の両方を失った状態にある。さらにそれは一時的ものではなく、将来にわたってもそのような状態にあることがあらかじめ定められた存在として描かれる。そのような状態で、彼はこの世でただ一人、自分を愛し守ってくれる可能性のある存在としての魔女出会うのである。失われた愛護魔女に求めるよりほかはないのは言うまでもない。魔女が親の仇であったりして表面上は魔女罵倒するシチュエーションもよく見られるが、彼が魔女庇護を受けなければ生きられない存在であることが動かせない以上、そのことは二人の関係性にスパイスを添える程度の要素でしかない。

愛を与えることを禁じられた魔女にとって、その禁にもかかわらず自分に対して愛を求める養い子の存在はかけがえのない存在となる。愛護を失った少年にとっても、禁を犯してまで愛を与えてくれる魔女はかけがえのない存在である。こうして互いにオンリーワンである二人が強固に結びつき、愛を与え合うようになる過程をBefore/Afterの2つの描写によって想起させること、それこそが魔女集会タグに込められたストーリー性なのである

なお、上記の論とは独立した別の要因として、「過程を描く」以上、不老であったり元からある程度の年齢であったり、せいぜい少し老ける程度である魔女を養い子の視点描写するより、子供から大人へのシフトが発生する養い子を魔女視点描写するほうがよりドラマ性を感じさせることになるだろう。そのため、作品群の多くは魔女視点描写されており、描写されるストーリー魔女側にやや傾いたものとなるようである

以上をまとめると、魔女集会で会いましょうというタグは、

「愛を与えることを禁じられた魔女が、その禁にもかかわらず自分に対して愛を求めてくれる存在出会い、彼の求めに応えて愛を与えることで彼を成長させ、その返礼としてより大きな愛を彼から与えられる」

物語である結論付けることができよう。

長文失礼。

2018-02-16

なんで男性専用車両ってできないの?

これだけ冤罪問題になっているんだから、もうさっさと導入してほしい。

女側の証言だけで有罪になってしまう以上、男が身を守る手段として導入すべき。

というか、もう全車両性別でわけろよ。男も女もそれで利害一致するだろ。

飛行機新幹線性別でわけろよ。

何なら車道歩道も男女でわけろよ。

女の権利ばかり尊重する社会ににうんざりなんだよ。

嫌悪を表明する権利」を尊重しよう

いわゆるオタクコミュニティ特に女性向け界隈なんかでは「みんなが好きなもの(この場合では何かのコンテンツなど)を尊重してなにかの悪口絶対言わないようにしよう」みたいな風潮あるよな。それ自体は極めて道徳的で素晴らしいと思う。みんながそれを守れたらいいよな。でも実際ヒトは好き嫌いってものがあるわけで、みんながみんな好きになるなんてもの存在し得ないわけだ。そしてつい「これ嫌い!」って言いたくなる瞬間もある。そこでどうするかって言うと単純に「嫌い!」とは言えないから、その何かが倫理的、もしくは道徳的に間違っているのではないか、あるいは「ルール」に反しているのではないか、というふうにあくまで「善意の指摘」という形に変えてそれを否定するようになる。これが一部から「学級会」なんて揶揄される所以とも言える。ここでよく考えて欲しいのは、その指摘の正当性などは置いておいて、それが好きな人がどう思うか、ということだ。ある人は自分倫理的に間違っているモノに良い感情を抱いてしまった、なんて自責の念に駆られるかもしれない。一方でそのような大変に複雑なステップを踏まずに「これ嫌い!」という「個人嫌悪の表明」であれば、「まあ好きな人も嫌いな人もいるだろうな」というように納得することができるだろう。つまり不文律を気にして遠回しに否定しようとするほうがむしろ、誰かをより傷つけているかもしれないのだ。「実際に問題があるのにそんな個人の好みの問題矮小化して語れって言うのか!」なんて思う人もいるだろう。もちろん、この種の指摘を全て否定しているわけではない。しかしこのような風潮がより議論対話を複雑化させているのは明白だ。タイトルではすこし語弊を招きかねなかったかもしれないが、もちろん特定人種宗教信者などへの嫌悪までもを許せと言っているわけでもないし、いちいち好きな人に嫌い嫌いとわめきにいくのを許せとも言っていない。言うなればピーマンが嫌い!」と言う人に、「その発言は全てのピーマン好きな人生産者人格否定しているぞ!」なんて詰らずに、「嫌いな人もいるよね」と、「個人の嗜好の違い」を私たちは受け入れられるんだってのに気付こうという話だ。

2018-02-15

anond:20180214210241

ウォッチャー観点だとそうやな。女性性的自由尊重されるが、男性のそれは尊重されない、のでこうなるのは仕方ないんじゃないかな。腐女子観察で納得するしか

anond:20180215170235

フェミニズム本来思想は、女の自己決定権を限りなく尊重するという考え方なんだけどね。

つの間にか世界では、女自身経済力を手に入れる考え方に変調してしまった経緯はある。

2018-02-14

この職場では義理チョコやめにしようとか

前日に言うなバカヤローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

やっぱゴディバゴディバ広告見て感化されましたね?

こちらとしては別に高いもの買う訳じゃないし、旅行お土産と同程度にしか考えてないんでお返しなくても何も思わないんですけど、まあもらった側はホワイトデーどうしようとか気にしますよね?

かにね、こちらも毎年バレンタインデーチョコを用意するのが慣習的になってしまったので、そういう気持ち尊重できなかったことは申し訳ないなあって思うんですよ

でも前日に言うなああああああああああ

え?バレンタインチョコとか前日に買ったり作ったりしてるって思ってるんですか?

作るときは渡す人数考えて1週間以上前から材料用意してるんですよ?

ちょっといいチョコ作るとなるとバターとか大量に使うのに高いんすよ

買うときだってバレンタインギリギリだといい感じのチョコなんて売り切れてるからわりと早めから買ってるんですよ?

チョコ賞味期限長いですしね?

義理チョコいらないこの職場では今後一切バレンタイン禁止って言うことで俺は女性に優しいんだぜとか自己満足してるかもしれないんですけどね?

13日にはチョコは用意済みなんですよ?

この手持ち無沙汰になったチョコどうしろと?

ていうかあなた去年後輩ちゃんからチョコもらって大喜びしてましたよねえ?

あれは社交辞令?嘘つくなアホ


バレンタイン文化を本当にやめたいなら前日に言うな、せめて二週間以上前に言え

株が上がるどころかヘイトしかまらんわ買ったチョコ溶かしてあなたの頭の上からかけて人間チョコレートマウンテンにしてあげましょうかこのやろう

2018-02-13

からさ、個性尊重社会なわけでさ

ネットで「共感」「善意」を理由コミュニケーションをしつこくとろうとするヤツは数の暴力ネットストーカーであり迷惑馬鹿とお利巧、素人プロでは同じ日本語しゃべってても何ひとつ共感」などはできない。そこにあるのは説得か失敗した説得だけ。

ネットで「女って」「男って」と主語の大きい話をするヤツは煽り行為釣りネタ

ネットで「ってどういう心理ですか」「何を考えているんだろう」は煽り釣りか、本気なら愚痴そもそも他人が考えてることを完全に理解することは誰にもできない。状況説明でさえも(同体験がなければ)納得するとは限らない。(ましてAIには肉体体験などないので重みづけが難しいんだけどほんとにやるのかねえ?)

ネット民は「もったいないこと、不潔なこと」をしたという告白・目撃情報で(それがフリでも)簡単に怒らせることができる。ごはんを地面におとして踏みにじるとか、アイスケースに土足で入るとか、EDなのに若い女と結婚するとか、地震とき避難者援助品のなかから生理用品とおむつを捨てるとか。

・でも逆に複雑微妙問題についてはいくら説明しても本当に理解して一緒に喜怒哀楽してくれる人などいない(少なくともそこらへんのネットには。家族でも恋人でも無理解もの無理解なんだよ)。

議論での意味のないマウンティング

朝生出演者みたいに自分の言いたいことをとにかく主張するだけで他の意見なんぞ知らん、って人いるじゃん。他の人を尊重しないで攻撃否定だけする感じ。俺の考えに行き着かないのはみんなバカからだ、みたいに。

あれで周りを説き伏せられるとも思えないし、議論が深くなるわけでもない。意味があるとも思えないのになんでそんな態度をとるんだろう。ストレス解消?

2018-02-12

褒めるのが得意というのが幻想だった話

店の店長として、若者を中心としたアルバイトスタッフをまとめる仕事をしている。

前職で実績ができ、「褒めて伸ばすのが得意な店長」というお墨付きをいただいた。

それを見込まれ、同業種の店に転職して1年半が経った。

転職先では散々で、かなり自信を失った。

分かったことは、私は褒めるのが得意なのではなく、自分より優秀なスタッフに対してすごいすごいと言っていただけということだ。


前職のスタッフはかなり優秀だった。

名門大学大学生院生が中心で、意欲があり、飲み込みが早く、スキルも高く、育ちが良いので性格も良かった。

学生以外の人たちもかなり優秀で、年下の私の話を尊重してくれた。

「本当はこの辺りまでやってほしいけど、大変だろうからここまでやってもらえれば良いか」という指示に対しても、その先を読んで期待以上の動きをしてくれる人が多く、感動しきりだった。

私は高校進学校だったが、芸術系大学に進んだため、勉強では彼女たちにとても敵わない。

だが、その業種での経験が長いので、スタッフが困ったことは大体解決できたので頼ってもらえた。

また、学校では教えないようなことを伝えられるので、慕ってもらえたと思う。

退職時の寄せ書きには「大好き」という言葉がたくさん並んでいて、とても嬉しかった。

自己分析なので間違っているかもしれないが、おそらく私は他人を羨んだり妬んだりすることが無い。

そのため、相手が年下だろうと「すごい」と思ったことは手放しでよく褒める。

褒めると相手もやる気を出してくれて、好循環が生まれる。

ただそれだけのことだったのだが、「褒めて伸ばすのが得意」だと勘違いしてしまった。


転職先では、スタッフ教育が足りていないのが目に見えていて、時間が空くと個人的作業勝手に始めてしまうような、意欲の低いスタッフが多かった。

前任の店長は、お客様が来店しても困っているスタッフがいても気づかないような人だったので、そのためだろう。

前職のスタッフほどではないが、頭の良い大学に通っている人が多く、能力も高そうだったが、やる気のなさを感じた。

「すごい」と思えるところが前職ほど見つけられず、あまり褒めることができなかった。

しばらく経ってから、別の店も兼任することになった。

その店のスタッフは、前職のスタッフよりも平均偏差値20以上低かった。

事務作業が無いため学力特に気にしていなかったが、失敗した後に対策する力や、先を読んで行動する力が足りないと度々感じた。

また、笑顔接客することすらできないスタッフが多く、笑顔お客様をお迎えする必要性を説いても響いていない様子だった。

お客様が来店してくださった時は感謝気持ち自然に湧いてきて、自然笑顔になるものだと思っていたので、それが分からない人にはどうすれば良いのか悩んだ。

それぞれに頑張っていたかもしれないが、「すごい」と思えるところが見つけられず、ほとんど褒めることができなかった。

だが、最近とても優秀なスタッフが何人も入った。それはもうしょっちゅう褒めている。

それまで、なぜ「褒めて伸ばす」ことができなかったのか考えた。


「すごい」と思ったこしか褒めることができない。それが私の能力限界なのだと思う。

上司には「人の良いところを見ようとせず、悪いところばかり気にしてしまう」という欠点を指摘された。

もっともだと思うが、前職の上司なら「そんな点は見受けられなかった」と言ってくれる気がする。

前職でスタッフに恵まれすぎていて、きれいな水でしかイキイキと動けない魚のようになってしまったのだと思う。

現職では心身ともに疲れてしまって、スタッフに対しての言い方がキツくなってしまたことがあった。

私の存在ストレスになったスタッフもたくさんいたはずだ。本当に申し訳なく思っている。

また、上司と相性が悪く、お互いの言い分と受け取り方がひたすら平行線になってしまった。


私はもうすぐ退職する。

尊敬できる人が多い環境に身を置ける人間になれるよう、努力していきたい。

2018-02-11

anond:20180211111732

上下関係が強そうでストレスまりそうな業界ですよね

お互いの役目を尊重してフラットに接する感じにはなれないものなのかな

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