「名門校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 名門校とは

2023-09-22

日大出身だけど最近体育会系バカのせいで肩身が狭い

もともと名門校イメージで差つけられてるのに

これ以上アホだと思われて蔑まれるのはきつい

勘弁してくれよスポーツさん…

2023-08-30

勝ち組ほど子供を作りたがるのは男子だけじゃなくて女子もだよ

子どもは「贅沢品」になったのか。上位大学と中堅以下の大学学生たちに見えた「意識の差」』

https://news.yahoo.co.jp/articles/e8dd6ebe824bc0984ceff04d12d5c429cb88678a

この記事、昨今話題の「若者恋愛離れ」に対し、上位大学学生と中堅以下の学生とで子供を持つ意欲に差があるという調査結果は凄く納得いくけれど

この記事で残念なのは意見実例を挙げているのが男子学生ばかりで、女子学生が少ない事だな

実際、上位大学と中堅以下の下位大学とでの子供を持つ意欲の差って、男子学生よりも女子学生

自分は故あって上位大学女子学生が多く集まる場所にいるけれど彼女達本当に凄いもの

都内大都市実家の太い名家に生まれ、当たり前のように女子御三家のような名門校から東大私立トップ大に入り

それに加えて海外旅行お金のかかるレジャーも楽しむ、キラキラした学生ばっかり。

そして何よりも、生まれついてのブルベ色白の肌で大きな二重の瞳、童顔小顔の似たようなルックスばかり。整形やメイクではあれは無理だろう。

おそらくは彼女達の親の世代で既に婚姻における選別と淘汰が進みきって、容姿が良くないと結婚出来なくなっているんだろう。

そういう女性コンプレックスも何もないから、似たような上位大学男子結婚して自分達の優秀な遺伝子子供に受け継がせる事に何の不安もないんだよね。

そして「子育て」についても、福利厚生が充実した公務員大企業への就職約束されているので当たり前のように仕事と両立する予定でいる。

フェミニストしろそうでない女性しろ、「子育て女性負担がかかりすぎるから女性本心では子供なんてほしくない」という事にしておかないと

自己の主張に不都合から困るんだろうけれど、実際は上位層の女性ほど自己実現の一環として子供を望むし子育て負担感なんて感じてない。

一方、中堅以下の下位大学女子学生学業の成績や親の資産のみならずルックスも劣った人が多いので、自分遺伝子を受け継がせたくないか結婚出産に尻込みする。

よく言われる、「少子化女性が一人でも生きていけるようになったから」「自立した女性結婚したがらない」なんてのは大嘘

実際には経済的に安定し『自立』した女性ほど結婚子育てを望み、そうでない女性は望まないというのが現実だと思う。


anond:20230830030711

同和問題の話してる時に東北人「うちの地元じゃ部落なんて~」


首都圏中高一貫名門校の話してる時に広島奈良以外の地方民「うちの地元じゃ私立学校なんて~」





これ百発百中で湧くからウザイんだけど言わないと死ぬの?

2023-08-26

anond:20230826214237

抜け道」じゃなくて現実対応してるだけだよ

私立」と言うと金持ちが行く名門校しか思いつかない人もいるようだけど

地方は大体公立優勢で私立公立に落ちた人が行くすべり止め校、って所が多い

から私立助成しないと成績の悪い貧困家庭の子が行ける高校がなくなってしまうんだよ

かと言って全額補助にしてバカ名門校までタダじゃおかし

幼稚園も同じで地方によっては公立幼稚園ほとんどなくてほぼ私立なんて所もある、

かと言って貧困家庭の子幼稚園行けないとなると幼児教育を一切受けないまま小学校に入る事になり問題が起こる

でも全額補助だと金持ち名門幼稚園まで全額補助かよ!ってなってしまうからそうなってる

anond:20230826212534

幼保無償化私立幼稚園場合は「一般的な保育料相当額を補助」って形になってて

元々高額な名門私立幼稚園はそれ以上の金を取るけど、一般的私立幼稚園はその範囲内で収めてるので

高校も同じ事になると思う

高額な金取っても生徒に困らない名門校もっと取るだろうけど、それじゃ生徒が集まらなくなるような学校補助金額内に収めようとするだろうよ

anond:20230825110013

時と場合にもよるけど、個人的にはそれほど問題ないと考えている。

大阪桐蔭明徳義塾、かつての帝京のように、甲子園ヒール役で、スタンドから応援が少なくても順調に甲子園を勝ち上がっている強豪もたくさんある。思われているほど応援の偏りで負けたりはしていない。

過剰に声援が偏りがちなのは2007年佐賀北2018年金足農など、基本的甲子園常連ではない平凡な公立校が勝ち上がった時で、普段の力関係を考えれば、そういうことは許容範囲だと思う。

今回は、昨年優勝したメンバーが中心の絶対王者仙台育英に、107年ぶりを目指す日本代表するエリート名門校慶応が挑戦する、というわかりやすい対比と、六大学野球応援スタイル全面的甲子園に持ち込んだことが原因。見たことのある人はわかると思うが、優勝争いの時の早慶戦応援阪神以上にすごい。

個人的には2011年の2回戦、帝京八幡商戦。8回までは優勝候補だった帝京が3−0の楽勝ムードだったが、9回に八幡商のヒットやエラー日ハム松本剛)が続いて観客が盛り上がってスタンド全体が八幡商応援状態になり、最後には満塁ホームランが飛び出して大逆転勝ち。

2023-08-24

anond:20230824013327

なる

金属導入前の高校野球ってよくあんなもん見てられたなってくらい点入ってなかった

だって絶対的名門校が県大会序盤でも結構な高確率コールド出来ずに9回まで試合やるんだぞ

あんな木製時代ホームランも滅多に出ない甲子園なんかにみんなよく熱狂してたよなあと驚く。頭おかしいくらバントもするし

2023-07-23

追記あり】たった15年前の出来事もめちゃくちゃ間違って流布されてて衝撃を受ける

2009年卒の就活氷河期どころか思いっきバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。

ちなみにこの時期は、マーチ内ですら

みずほ銀行りそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」

みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。

早慶なんかだと

メガバンクは赤だろうが緑だろうが蹴るもの

というのが常識だったようだ。今の時代就活生や20世紀就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。


リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間就活から

この就職氷河期は、不景気突入嚆矢となる象徴事件リーマン破綻から新卒採用抑制時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期突入したのだ。

秋頃にメガバンク採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。

それから・・・

マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接儀式から落ちない」

という新卒就活常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田友達東大法学部しかコミュ強で容姿別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。


そして、このリーマンショック起因の就職氷河期11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。



ここまでは事実である

さすがに13年卒の親しい人間自分はいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。

誰か教えてほしい。


とりあえず2009年卒はバブル2010年から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。

特にツイッター民に対して。



追記

メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙位置づけだったのには理由がある。

当時の就活生は「大手しかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、

したがって、「大手・低倍率・給料福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。

この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断偏見作成したもので、

記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。

実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール三井住友銀行を蹴って中央発條入社を決めた人間友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹放送されるずっと以前だったが、もうメガバンク健康人間らしく働くにはあまり苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。



同じように証券会社保険会社大手だろうが忌避されていた。

ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。


このように大手金融採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、

東京海上日本生命営業幹部採用じゃないほう)の総合職マーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。

いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。

身分違いだったのだろうか。



さて、

当時の就活生は「大手しかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、

それゆえに大手金融は09年卒であろうと10年卒であろうと

無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業

しかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。

それはみずほ証券大手信託銀行である

みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、

信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園から

という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、

学歴コミュ力とルックススクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行希望するという謎のブームが生まれていた。

ちなみに、私は当時の信託銀行ブーム距離を置いていた。

ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、

完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。


書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天ソフトバンク本体内定者の学歴ボリュームゾーン日大って感じの会社だった。

今は一橋慶応になるらしいが隔世の感がある。



就活も今と比較したら随分シンプルだった。

大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。

バイトサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活気合を入れている」という見方をされていた。

これはつまり、あっと驚くような体験活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビア現実意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、

裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。

筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、

彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動エピソードもなく、

週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保内定した。

ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。

チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学野球部の有名選手いたことに

大学野球頑張っても俺なんかと同じ値打ちにされるのか……」

と大変なショックを受けたと言っていた。

実際、筆者は野球が好きなので六大学東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブースト全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。

東大早慶でも一般学生期待値は大して変わらず、マーチ日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。

マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKかにいけるのは直系附属出身者や県立トップから一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店関の山だった。◯◯自動車販売”とかもお馴染みの進路だった。

そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。

当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活インターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。

2023-07-06

投資家が誰に投資するかは明らか。大学入試問題を解ける人で塾に通ってる人だけこれは間違いない真実

投資って受験力がある人に金を使えばいいんでですよ

アメリカなんてそうでしょ?皆名門校

絶対に塾行ってたって

安心して

熟だけが経済を決めるんです

少なくとも今はそう思っている

あきらかにそうでしょ

東大出てるでしょ日本経営者

2023-06-15

anond:20230614215243

ブクマ先が消えていたので、Googleキャッシュにあったものコピペしました。

高校野球部への人材あっせんで飯食えるどこらかベンツ乗れるくらい稼げてるおっちゃんと知り合って、マジで色んな裏話教えて貰ったけど、

自分の息子にだけは死んでも野球ガチらせないと心に誓った

たとえ人材不足の代であってもプロスカウト挨拶がてら必ず顔を出す、

こういうレベル高校野球部で監督が清潔なところがあまりに少なすぎる

しかもその不正の類があまり低学歴風で下品丸出しでドン引き

監督お金パターン

レギュラー獲得順当な実力があることが大前提でそこからさらに親が監督に少なくとも100万円包まないとレギュラーには絶対にしてもらえない、

みたいな高校

日本人の大半がその名を知る、甲子園歴代名勝負に登場する某名門校もこのパターン

監督性奴隷としてお母さん差し出しパターン

→これもめちゃくちゃある。結果出てるのに唐突に謎の辞任をした有名校の監督はこっちパターンが多い。

監督母親に「あんの子レギュラー(あるいはベンチ入り)当落選上だよ」と伝えて、監督が肉体関係を強いるパターンも、母親が言外の意味を察して自ら抱かれに行くパターンもある。

きっしょい世界だなあと思った。

そんで一番クソだなと思ったのが、

そういう泥水すすって家族も巻き込んでレギュラー獲得して上手いこと甲子園出られるまでいったとしても(本人の実力あっても奇跡みたいに薄い確率甲子園出るためのハードルシビアすぎてたとえ田舎県の名門校であっても運の要素がデカすぎる)、

高卒プロ確定くらいのズバ抜けて実力がなければ野球なんかに秀でても全く潰しがきかないという現実

3年に1回は甲子園出られるレベル野球名門校レギュラーの進路実績見てみ?

地方のE~Fラン私大ぶち込まれてるパターンが大半だから

産近甲龍日東駒専ですら相当いい進路。

MARCH特に大学くくりの明治立教法政はめちゃくちゃシビアで、ここらへのルート自体がない名門校が凄く多い。

早慶なんて野球で行けたらマジで奇跡

大阪桐蔭甲子園優勝した正捕手主将ですらAO慶応SFC受かったとき大阪桐蔭野球部史に残る快挙」って扱いだったからな。

しか恐ろしいことにこんな人材でもAOの1期も2期も不合格食らって3期でようやく12月合格できたって経緯だから野球枠で早慶合格マジで日本中名門校でその名を轟かす球児であってもほぼ全員実質ノーチャンス。

(特に慶応野球部はAO入試の合否の下馬評が全くあてにならないのが昔からリスクが高すぎる。

文武別道野球名門校において、勉強特化型の一般生徒たちがせっせと稼いだ指定校推薦枠を高校側に出来レースとして回して貰って早慶に入るのが野球部的には一番確実。

しかし、それでも野球レギュラー指定校で早慶に行けるのは早稲田慶応それぞれ足し合わせても例年0~2人程度しかおらず、そこから漏れたら4番だろうがエースだろうが一気にE~Fラン私大行きの確率が跳ね上がることを付け加えておきたい)



野球なんて人生賭けてやるもんじゃ絶対ないと痛感したよ。

やるにしても時間以外を決して犠牲にしちゃいけない。

2023-06-10

中学受験で失ったもの

24年間、私はずっと恵まれていた。

家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。

でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶からだ。

先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。

でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。

小学四年生わたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。

そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。

小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。

同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。

そして小学六年生になった。

受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。

でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。

そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。

それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつ光景死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。

そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。

そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根屋根あいから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。

ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。

受験当日。結局わたしは、受験会場にいた。

名前欄に自分名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたし名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。

この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全ものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたし100%自分自身意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。

中高時代わたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき図鑑百科事典を読むのが楽しかたこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたし勉強が好きだった。

文学部卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたし仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたし選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だからわたしはこれで良かった。中学受験が苦しかたことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全もので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分子どもができたとしたら、わたし子ども中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分意思中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。

中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生幸せから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験記憶から救われるには、いまのわたし幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくま空想しかないけれど。わたし小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かにしかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから

2023-05-29

まれ関係なく名門校に行ける欧米が本当にうらやましい

海外発!Breaking News】「私は刑務所で生まれた」18歳女性、今秋から全額支給奨学金で名門ハーバード大学へ(米)

https://japan.techinsight.jp/2023/05/ac05282016.html

オーロラスカイカストナーさん(Aurora Sky Castner)は18年前、米テキサス州ガルベストン郡の刑務所収監されていた母親から誕生し、生まれてすぐに父親に引き取られた。

双極性障害を抱えていた父親に育てられたオーロラさんは、シングルファーザー家庭で決して裕福とは言えず、同州モンゴメリー郡内で引っ越しを繰り返したが、幼い頃から成績は常にA(日本の5段階評価の5)で読書が大好きだった。

欧米では刑務所で産まれ児童が、この状況からハーバード大学まで進学できる。

日本では同じことができるだろうか?

社会保障の貧弱な、日本刑務所で産まれた子はいいとこ生活保護を受けながらアルバイト生活ではないか

かろうじて通信制高校までは行けるかもしれないが、大学進学は周囲の大人が阻もうとしてくる。

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 1/3


先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。

小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。

この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。

小学校中学高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分サッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。

高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。

それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。

大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。

俺という人間が落っこちきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダー彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。

俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学サッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。

これがまた凄かった。価値観大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社内定して、それで最後に、俺の彼女そいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。

俺がいい会社内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。

ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。

大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。

まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。

今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。

今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビサッカー試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。

それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってから体験記になる。



1. 高校大学に入ってから

 運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代全国大会活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハード練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。

 高校と違って、大学場合セレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。

 幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。

 大学回生までは順調だったかな。部活毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。

 本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカー一部リーグ活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこら学生と一緒のレベルだった。

 練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。

 勉強部活もマジメにやったつもりだ。普通大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せ大学生になったのだ。

 関西地区での試合だと、応援団チアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニング完璧だったし、要所要所で相手ドリブルカットして、俺が蹴り上げたボールセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。

 試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中チアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterLINEは当時ない。GREEmixi黎明期だった)を交換した女の子がいた。

 その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。

 体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。

 千亜子は、恋愛積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。

 交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活最後満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。



2. キャプテン君のこと

 三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大サッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちからしかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。

 それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。

 俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通アルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子マイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。

 ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。

 ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。

(注)

サッカーでどこまで相手接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカー試合を見ることがあれば意識するのも面白い

自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ

自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手接触しても反則にならない。。

ボールを狙った行為でも、真後ろからスライディングなどは危険行為とされる。

 そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカー活躍できるレベルにはないという意味だ。

 当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強サッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。

 キャプテン君の試合最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手ふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。

 レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかまししまい、さらイエローを食らって……しょっぱい試合になった。

 当時、俺はある意味キャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。

 ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。

 人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分言葉自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212235

旦那と別れたい


昨日のことだ。ちょっと聞いてほしい。今、すごく気分が悪い。

旦那がしばらく遠くで仕事をしてる。最近は部屋の掃除もしてないから、窓を開けて掃除機をかけてあげようと思った。部屋の押し入れを開けて、襖の真下に溜まった埃を吸っている時、置いてあった白い段ボール箱が気になった。

掃除を終えた後で中を覗いてみたんだけど、旦那子どもの頃に集めていたと思われるグッズが詰まっていた。

少年ジャンプに、ぬいぐるみに、ガンダムカードに、子どもチャレンジ(1986生まれ用の中学版)に、小学校卒業式写真に……いろいろあったけど、その中にとある冊子があった。写真が入ったアルバムだった。高校時代と思われる。

最初のページには、グアムハワイのような光景があった。旦那が真ん中にいて、8人くらいで記念写真を撮っていた。

次のページには、柔道着姿の旦那と、その学友が並んでいる写真があった。進学校かつスポーツ名門校名前柔道着の胸のところに書いてあった。私と旦那が同じ商社に勤めていた時、友達上司から、「増田さん大学国体に出たことあるって」という話を聞いたことがある。

柔道場の前で、学友二人と並んで笑顔だった。坊主頭だった。スマイルがまぶしい。ほんわかした気分になった。

「昔は、こんな顔してたんだ」

感傷に至りながら次々にページを捲っていった。私の知らない旦那の姿があった。坊主頭旦那かわいいなって思った。昔から明るくてお調子キャラだったのかな。

でも、途中から様相が変わった。真ん中あたりからかな。気持ち悪くて吐きそうになった。

真ん中ほどのページからは、柔道大会中に旦那撮影したと思われる柔道女子写真があった。相手と組み合って対峙する直前のような光景だった。

細身で、小柄な女の子だった。顔はよくみえないけど、かわいいかな……? 遠目なので何ともいえない。

そして、その写真の右上にはマジックペンによる旦那の字でこうあった。

秋季大会もめちゃ可愛いアイカワさん」(※もちろん仮名)

次のページにも、そのアイカワさんの写真が続いた。寝技相手を抑え込んでるのを撮影していた。「粘ってようやく撮れた!! 超ラッキー」という文字があった。

次は表彰式だった。アイカワさんが優勝旗を持っていて、旗竿に顔を傾けて目を閉じている(疲れてる?)写真だった。矢印と、アイカワさんのフルネームが書いてあった。

あとは、大会が終わって、アイカワさんの高校選手柔道場の板張りのスペースで着替えているのを二階から撮影していた。やっぱり、アイカワさんだけ拡大してある。マジックペンでの名前表記付きで。

キモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイ!! マジで無理。

こんなの犯罪じゃん。

え、これはなに? ひどすぎるよ……。

の子だけじゃない。ほかの女の子柔道をやってる写真も撮っていた。大体4,5人分。しかも、写真の端っこにはその子フルネームが書いてある。

かにも、高校卒業の時の柔道部の寄せ書きが出てきた。色紙の真ん中に旦那名前があって、それを囲むように部員からメッセージがあった。衝撃を受けたメッセージがいくつもあった。ちょっとだけ、いやもう、好きなだけ書かせてもらう。私が読んだ順だ。

後輩A

同人誌コレクター増田さんへ あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

後輩B

増田さんは、△△高校アイカワさんがロリロリで好みなんですよね!! アイカワさんを是非モノにしてください 応援しています

後輩C

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。スーパーハードロリータ増田!! 早く警察に捕まってください!!笑 カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド 藤本より」

後輩D

ロリータ戦士 増田さんへ あなたロリータっぷりにはびっくりでした。あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

顧問先生

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(つとむればかならずたっす,のフリガナ)。何事も最後まで諦めず努めてください」

女子部員の後輩Aさん

増田先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください」

Bさん

「3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑」

Cさん

「これからも今までみたいに頑張ってください」

自分も一応女だからわかる。書くことがないときテンプレートだ。



あれから真剣離婚を考えている。

元々、夫とはそこまで合わないとは思ってた。でも、なんでも全部が一応、標準以上にできる人だったから、そのへんは割り切ってアプローチを受け入れたつもりだ。

まりイライラして、周りの誰にも愚痴を吐き出せない。もし吐き出したら、こっちまで変な人扱いされそうだ。とうてい話せない。話せないよ……。

別れたいけど、これは離婚できる理由になるんだろうか?でも、とにかく別れたい。気持ち悪すぎる。旦那気持ち悪い。気持ち悪い。

2023-04-24

AI君あれなんだっけ、米国太平洋に面したアメリカの州でスタンフォード大学やその州の名前を冠した大学名門校として知られハイテク企業も多く集積し農産物ではワインも有名な州、何だっけ

AI君教えて

2023-03-23

anond:20230323004354

東京農科工科大学みたいな感じよな

知る人ぞ知る隠れた名門校になるのはかっこいい

2023-03-15

在りし日のネットメンターに寄せて


あなたにはネットメンターはいるだろうか。あなた尊敬しているところの、例えばブログとか書いてる人で、考え方が人生の参考になるような人のことだ。

自分は今30代になったばかりだ。これまでにネットメンターは四人いた。それぞれ、当時は夢中になってブログを楽しんでいた。

今となっては活動をやめている人が多い。でも、やっぱり今でも感謝というか、これは灌漑というのだろう。自分という人間は、その人らの考え方を楽しむには齢を取り過ぎてしまったのだなぁ、と感じることがある。

今回は、素人の拙い文章になるけど、懐かしい記憶を堀り起こしてみたい。なお、皆さんおそらく存命だと思うので、ブログへのリンクとかは貼らない。迷惑をかけないためだ。



1人目 げっべさん

未成年の頃だ。当時、携帯電話を買ってもらったばかりの自分は、mixi登録していた。それで、コミュニティを探していたところ、「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」というのを発見した。

どういうコミュニティかというと、文字どおり笑ってはいけないシチュエーションで噴き出してしまい、周囲から冷たい視線で見られた、恥ずかしい思いをした体験参加者が綴っていくのだ。

人間飲み会なんかで皆が笑っている時に黙っていたりするのは、まだ何とか許される。しかし、葬式最中にいきなり爆笑したりなんかすると、周囲の視線が冷たいだろう。このギャップはなぜ生じるのか。当時、中学生だった自分には新鮮な疑問だった。

それで、この当時から登録20数万人を抱える当コミュニティ管理人がげっべさんだった。過去日記を見たところ、ナチスドイツヨーゼフ・ゲッベルス宣伝大臣から名前拝借したと思われる。

過去日記で、いろいろ面白そうなやつがあったので覗いてみたところ、これがまた最高だった。視点が斬新で、文章力があって、知性が抜群だった。

あとは、この人はDLsiteでR18の同人作品を作って売っていたのだが、その関連で創作における女性性について語るところの新鮮みが凄かった。あんな論説は見たことがないし、今後も見かけることはないだろう。シロクマ先生でもメロンダウトでもフミコフミオでも書けない。基本読書の人ならなんとかなるかもしれない。

実は、メッセージを何度かやりとりしたことがあるのだが、当時中学生だった自分にも優しく接してくれて、まさにTHE★大人だった。神だった。この御方こそが人生最初ネットメンターだ。

30代になった今、久しぶりにmixiログインしてみた。友達だった約50人は全員mixi利用をやめていた。確認しなくてもわかる。確信があった。

プロフ画面を眺めていたところ、若かりし日のアルバイト先でみんなに可愛がられていた高校生の『ゆめちゃん』が、今では32才になっていた。あまりリアル現実だった。信じられないよ……。

感傷はなくて、温もりのある懐かしさがあった。薔薇香りや、紅葉の美しさがわからなかったあの頃の、子どもっぽくて拙いコミュニケーションの思い出が蘇ってきた。私は、あの頃はどんな思いで人生を過ごしていたんだろう。感慨が込み上げてきた。それから小一時間mixiの思い出めぐりを楽しんだ。

で、げっべさんの話に戻るんだが、今ではあの人について何となく理解できるつもりだ。おそらく、今でいうところの発達障害とか、自閉症とか、そういうTypeの人だったんじゃないか? と思う。いや、当時のメッセージのやり取りとか、あの人がDLsiteで売っていた作品を再度鑑賞したり、ほかにもいろいろ思い出してみたけど、たぶんそうだ。

いわゆる、人生を生きるのが難しいタイプの人だったと思う。でも、そんな苦しい状況の中でも、mixiで屈指の人数を誇っていたコミュニティ管理人を務め上げて、創作活動もしていて、何より哲学的かつエロティック日記が神髄の人だった。

今改めて、感謝を申しあげたい。当時は生意気な中坊~高校生だったと思いますが、いろいろとありがとうございました。



2人目 伴さん

この方を知ったのは、当時新卒で入った組織で苦悩していた時だ。偏差値45ほどの大学を出て、生まれ故郷市役所に勤めることになったのだが、まあこれが辛い日々だった。

地方公務員ってさ、どんな人が職場適応できると思う? ブクマカなら知ってるかもだけど、小学校中学校内申点が高くて、地元名門校入学できるような人が地方公務員に向いている。早い話、クラスリーダーとか、ムードメーカーとか、生徒会長とか、スポーツ万能とか、とにかく何らかの形で先生から高い評価を受けていた、そんな感じの人だ。

自分は違った。コミュ障だったり、ネクラだったり、納豆だったりして、クラスに馴染めなかった。「置かれた場所で咲きなさい」とはいうけれど、発芽すらしなかった。そんなモノが社会人になっても通用するはずがない。

そんな時に、伴さんのブログ出会った。この人は防衛省に勤める国家公務員だった。自分と同じく、公務員適応できないタイプ公務員。ただし、自分と違って仕事ができるし、頭はキレるし、嫁さんもいるし、お金持ってるし、なにより理想に向かって匍匐前進している感じが格好良かった。当時は、目に穴があくほど彼の記事を読んだものだ。

で、この伴さんは協調性のなさが災いして、職場でいろいろひどい目に遭っていた。それでも努力をやめない姿勢がすごかった。当時20代半ばだった自分は、それらを見習っていた。

伴さんのように米国株投資を始めて、FXも始めて、タバコを吸い始めて、仕事マウント取られたらニコニコと受け流して、いつの日か相手がボロを出したら攻めて攻めて攻めまくって、野良犬キャンキャンと吠えて逃げるまで攻め立てて、相手が討論中にメンチを切ってきたら大声で威嚇して、相手の傍まで寄っていって「殺すぞ!!」という感じでこちらもメンチを切った。

実際、自分が伴さんみたいに行動するようになって、みんなの見る目が変わった。前みたいに馬鹿にされなくなったし、男性ホルモンが増えたみたいになって仕事を頑張れるようになったし、実力が上がったし、今は市役所庁舎管理仕事をしてるんだが、上司から1件につき20万円までは好きに契約事務をさせてもらえるようになった。

さて……実は、自分は失敗した。伴さんがやってるみたいに、男性ホルモン全開で仕事を進めていったところ、致命的なトラブルを起こして仕事を干されたことがある。まあ、初めての大失敗だったから、結局許してはもらえたんだけどさ。あれは反省した。

今ではわかることがある。結局さ、人間で一番大事なのって、仕事ができることじゃないよな。相手尊敬するとか、嫌な仲間とでもうまくやっていくとか、話の通じないお客さんがいても精一杯やりとりするとか、悪いことしてる人がいたら怒ってでも咎めるとか。人間にはそういうのが大事なんだよな。

実力とかお金とか持ち物って、その人が死ぬ時には実質意味がなくなってるけど、人柄とか人格って、命が途切れるその瞬間まで残るじゃん。もしかしたら、あの世までもっていけるかもしれないじゃん。

実際、伴さんは、あの人が自ら言っていたように社会不適合者なのは間違いないと思う。いつも何かに怯えていて、他人視線が怖くて、しかし戦わずはいられない。いい結果を出し続けて、みんなをギャフンと言わせてやる、自分を認めさせてやる!! そんなスピリットでひたすらに頑張っていた。それは、自信のなさの裏返しだった。

で、結局この伴さんは、嫁と子どもがいる状態国家公務員を辞めて、民間企業営業として入って、しか通用せずに大失敗して1年で辞めてしまったらしい。その後は、「自営業としての記事代行サービスでメシを食ってる」みたいな記事を拝見した。

残念ながら、数年前のそれが最後更新になった。たまにサイトを見に行っているが、更新される気配はない。

伴さんに倣っていいこともしたし、悪いこともした。後悔していることもある。特に不用意な言動仕事仲間を傷つけてしまたことだ。

けど、伴さんがいなければ、男性ホルモンをめらめらと燃やす自分出会うこともなかったと思う。そんな体験がなければ、目の前の人間尊重すること、いたわること、常に気にして動くことに関心が向かないままだった。

そのことに気づかせてくれたのは、紛れもない伴さんだった。コミュニケーションを取ったことはないけど、俺はあなた感謝してる。本当にありがとうございました



三人目 高田机上さん

2018年頃から活躍しているブロガー2019年頃だったか自分恋愛のうまくいかなさに悩んでいる頃にブログを拝見した。確かバズった記事があって、はてなブログトップの方に載っていたのだった。

恋愛一般論から始まって、男性ダメなところを取り上げたり、女性の心の視点に立ったり、恋愛必要な各要素(清潔感とか...)を論じていったり、男女の付き合い方を細々と説明していたり……。

当時は、これだ!! と思った。ここまで体系的に男女別の視点から恋愛を論じたブログは初めてだった。恋愛指南サイトは数あれど、それらはほぼ商業サイトであり、噓八百でも面白ければよかろうなのだ!!(勝てばよかろうなのだァァァァッ!!)、みたいな記事ばかりだった。でも、この高田机上さんは、元モテない男性として等身大自分を出していた。

が、風向きが変わってきた。2020年頃までは、恋愛Tipsを事細かにひとつずつ紹介していたが、次第にモテない男性バカにするような内容が目立ってきた。

特に2022年に始まった男女差LINE学がそうだった。LINE的に非モテムーブを取る男性を論い、ひとつひとつ侮辱的な言葉ダメ出しをしていく。挙句の果てには、女性がする恋愛上の遠回しな「お断り宣言」(婉曲な言い回し)を説明する際、自分の本の出版編集者に暗に断られた際の恨み言を述べていた。

半年ほど前から高田机上さんのブログを読むのをやめた。男女差LINE学長すぎやろ!! と感じたのもあるが、何より自分の読者層であるモテない男性馬鹿にしていて腹が立ったからだ。実際、この人の記事ブックマーク数はほぼゼロだ。昔はバズった記事があったけれども、近年は閑古鳥が鳴いている。

もし、男女差LINE学みたいなシワいコンテンツじゃなくて、もっと面白シリーズが出たら読もうと思っていたが、一時引退するらしい。「専業作家に挑戦し、なることができたら戻ってきて記事を書く」とあった。

ネットメンターには、こういうこともある。どれだけ面白くて尊敬できる人でも、年月が経つといろいろ変わってしまうのだ......。また記事を読ませていただく機会を楽しみにしています



四人目 在日琉球人さん

高校生大学生にかけて、この御方のブログを読んでいた。どの書籍にも書かれていない視点で、勉強になる内容が多かった。ほどほどに重たいテーマが多いけれども、たまに笑いもある。歴史政治を扱った記事が多い。

文字どおり沖縄まれの人になる。若い頃、大阪府大学生としてやってきたようだ。壮年なんだけど、文体は若々しい。なぜこの名前にしたかというと、琉球歴史鑑みるに、「自分沖縄県民ではなく琉球王国の一員」ということらしい。

mixiでは人気のブロガーであり、数年間活躍した後は、別のブログサービス転向した(はてなブログだ)。この人は、上の三人と違ってまだ活動している。個人的お気に入りブログ記事ひとつだけ挙げたい。

在日琉球人の王政復古日記

#成人式 より #未成年バカ祭り を!~ヤンキー花魁バカ成人こそ地元の宝である

https://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/01/11/222419

この日記の日付は2015年だが、実際はもっと昔のmixi時代投稿している。当時の私は大学生で、これから成人式!! という時期だった。

上の記事の内容は、まさに目から鱗一言であり、この体験がなかったら、未だに「暴れる新成人」なるもの勘違いしたままだった。

さて、こちらの在日琉球人さんのブログだが、社会人になってからは見なくなった。理由は、更新頻度の低下だ。一応、それなりの頻度で更新はあったが、前の記事の焼き直しや再投稿ほとんどだった。新しい記事が生まれなくなったのだ。

で、その原因というのが加齢だった。本人談になるが、齢を重ねる度に気力が湧かなくなっていき……と、ブログ内で呟いていたのを覚えている。

私も、在日琉球人さんとメッセージのやり取りをしたことがあった。理知的で、ユーモアがあって、ごくまれにキレるけど、己の知性を高めるために日々尽力している人に思えた。自分よりもはるかに賢いはずの人間ブログ記事を書けなくなってしまうなんて、年を取るのは悲しいことなんだな、と若かりし頃は思った。

今でも、在日琉球人さんのブログは年に一度はぐるっと目を通す。やはり、斬新かつ奇をてらっていない。今でも世間通用するブロガーだと思うが、なぜかあまり人気が出ない。面白いと思うのだが。



最後に~

月次な結論になるが、やっぱり若いうちはいろんな価値観に触れることが大事だと思う。自分は、中学生の頃からブログを読むのが好きで、それこそいろんな人の日記作品を読んできた。勉強になるのもあったし、正直毒になるのもあった(ネトウヨやツイフェミがその典型)。

深夜に眼が重くなることもあったけど、あの日々では多くの学びを得ることができた……え、何? 個人ブログよりも書籍の方が勉強になるだろ、だって? それは言わない約束ということで。

はてなブログは週に一度はチェックする。書籍も好きだが、しか自分個人が魂を削って書いたブログの方が好きなのだ。これからもいろいろと読んでいきたい。

面白いうえに、人生のためになるようなブログ運営されている方々におかれましては、重ね重ね感謝を申しあげます。今までありがとうございました。これからよろしくお願いします。

2023-01-15

anond:20230115171913

鳥人間コンテストくらいか

あれもチー牛ばっかりで何も憧れない

てか俺そういうこと言いたいんじゃなくてBSテレ東のTHE名門校とかあぁいう番組があればねって思う

anond:20230115170551

駅伝のものが退屈じゃん

BSテレ東のザ名門校が俺の中学時代でやってたらなぁって思った

anond:20230115161723

見てないなぁ

仮に駅伝で知る程度だと受験観壊れる

現に高校生クイズで伊沢とかのせいで名門校にはチー牛しかおらんと思ってる

から伊沢だけは許せへん

伊沢の見た目が良ければそっち目指してたかもしれん

2023-01-05

おぇぇぇぇぇ

THE名門校という番組早慶合格者数百人!とかい見出しサムネが畳の上で座禅組んでる生徒の写真だった

カルトきっしょ!!!!!

こりゃ壺も無くなりませんわ

2022-11-29

「うちの高校でそんな大学目指してる人なんかそもそも全然いない笑」

≠「うちの高校の大多数の人はそんな大学なら現役合格できる学力を有している」


ということを高校卒業式ときに分かって衝撃を受けた静岡某市にある県立名門校出身の俺。

まあとにかくMARCH同志社豊田工業大や静大同級生たちがとにかく落ちる落ちる落ちる落ちる。

2022-11-01

[]高校球児欲情増田

その名の通り、高校球児への肉欲を隠そうとしない増田

本人いわく最えちチームは大阪桐蔭らしい

「負けたときの泣き顔のえっちさについても名門校らしくずば抜けている」とのこと

夏の甲子園大会間中はなぜか活動を休止していた模様

2022-10-14

anond:20221014081618

差別っつーか「その人が住んでる学区だと」そう、ってだけだよな

アルマーニ制服で物議を催した中学みたいに公立だけど名門校ってのもあるわけで

逆に偏差値低い私立だと

「親が金あって受験させるくらい教育意識高いのに成績伸びなかった頭の悪い子しかいない」学校、って事で色々あるらしいし

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん