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はてなキーワード: 抽象とは

2017-10-23

anond:20171023134628

ネットとは関係ないけど、フリン効果と言って人間IQは100年前から上がり続けてるらしい。

社会が高度化して抽象的な思考要求されるから研究者は考えているらしい。

ネットだけでなくて、社会全体でIQを押し上げる圧力が働いているんだろうと思う。

ネットの普及で人は賢くなったのか?

ネットが普及しスマホが普及し

検索効果もより精度が上がり

「わからいから調べよう」

「なるほど、そうなのか」

と、解答を得るまでに1分もかからなくなってきた。

「その場でググる」は10年前から出来た事だが、今ではスマホの普及率も手伝って若年層から年寄りまで認識はかなり広がった。

さて、わからないことをすぐ調べられるようになって人は賢くなったと言えるのだろうか。

まりスマホ全盛時代の今の人」と「スマホがなかった20年前の人」とでは賢さに差はあるのだろうか?

賢さの定義付けをしていないので、ここでは主観的抽象的な話になってしまうが、皆さんはどうお考えだろうか。

詐欺被害は減ったのか?

予備校無料公開の授業動画の普及で学生学力は上がったのか?

様々な働き方やマネタイズノウハウが広まって人々の年収は上がったのか?


2017-10-20

エロ本存在を許容することは、女性人権に対する全否定である

かに被写体同意を得て撮影されているのであれば──AV出演強要問題のようなこともあるので、本当に全てが同意に基づいているかという点については疑う余地があるが──エロ本掲載されている被写体当人人権侵害されていないのかもしれない。

あるいは、エロ漫画などについてはそもそも被写体存在していないのだから人権侵害されていないという意見を聞くことも多い。

だが、本当にその通りなのだろうか。

以前は『LGBTたち』や『在日朝鮮人たち』といった抽象集団に対して殺せ、出て行けといった排除を呼びかけるのは違法ではないとされていた。だが現在はそのような抽象集団排除呼びかけも人権侵害であるとされ、先日ヘイトスピーチ対策法が出来た。

ポルノについても同じことが言えるのではないかポルノはたとえ被写体同意があったり、被写体存在しないものであっても、『女性性的対象である』という刷り込みを行い、女性尊厳を傷つけている。現にポルノにおける女性の扱いについて傷ついている人もいる。それは人権侵害であるという主張もなされている。

そのような主張に対して従来のような”個人人権”だけに基づいて『エロ本人権侵害していない。よって存在は許容される』と主張することは、女性──ここで言う女性とは、一人ひとりの女性を越えた、抽象的な女性集団のことである──の権利存在のものに対する全否定である

エロ本存在は許されると主張している人は、本当にそのことを踏まえて主張しているのですか。

2017-10-19

昔、都立図書館から取り寄せてもらって市立図書館で借りた

抽象直観って本に、特定の頁だけにではなく、

最初から最後まで、頻繁に、皮膚のはがれたのみたいのとか、

鼻くそ耳くそみたいのが挟まっていたことを思い出した。

2017-10-18

anond:20171018121031

話が抽象的過ぎて「信頼」とはなんなのかさっぱりわからん

独り善がりな例え話を始める前にわかやす説明を心掛けろ

お前は説明が下手なのだから尚更だ

例え話はやめておけ

2017-10-16

何か一つだけ抽象的な概念法則自然社会メカニズムを無かったことにできるとしたら

何がいいだろうか

2017-10-14

anond:20171014143413

わかる、わかるよ……!

緑の巨人伝って、映画としては退屈だしちょっと抽象的すぎるんだよね。

だけど私は好きなんだ。どこが良いか、ぜひ教えさせてください!

一応見たことがあるようだから、それを前提に書くね。

 

わさび世代になってすごい良くなったのが、劇場版のやわらかい作画だと思っている。

(スペースヒーローズなど例外もあるけど)

緑の巨人伝はこれが特に良くて、画面を見ているだけで心が癒されていく。

そしてキャラクタードラえもんって映画になるとジャイアンが優しくなるってよく言うよね。

この映画、みんなやさしいです。

緑の星でリーレとのび太たちが歩いてるとき

かい経緯ははっきり思い出せないんだけど、ドラえもんコケちゃったかなんかするのね。

その時皆声を合わせて「だいじょうぶ~?」って言うの。ジャイアンスネ夫も。

映画でも、モノによっては「何やってんだよドラえも~ん」とか言うでしょ?

この映画だとジャイアンスネ夫も、ドラえもんに「大丈夫?」って言ったの。

キー坊に水を持っていってあげないといけなくて、

でも容器が無くて、ジャイアン自分の靴にお水を入れてあげる。

靴が濡れると気持ち悪いのに。当たり前みたいに靴を使ってくれる。

しずかちゃんリーレのシーンも素敵。

リーレは素直じゃなくて、わがままで、でものび太たちや森の民を触れ合って少しずつ丸くなる。

そしてしずかちゃんリーレに話しかけるシーンがくる。

しずかちゃん敬語で少し話しにくそうに、リーレを「お姫様」と呼ぶ。

「こっちへ、皆の所へきませんか?」

その時リーレは、「リーレだ」ってちゃんと自分名前を伝えるの。

最初はここは自分の森だ!って主張してワガママ自分勝手だったけど

その時にはもう自分の愚かさに気づいて森の民のことも認めている。

それがしずかちゃんへの態度でわかるの。

私が一番好きなのがママとキー坊のシーン。

最初キー坊を良く思っていなかったママだけど、

ある日洗濯物を干していると、キー坊がやってきて手伝おうとしてくれる。

ママが「手伝ってくれるの?」と聞くと、キー坊が「きい!」って返事するのね。

ママあらあらあら~ってなって、「かわいいわねえ」って言いながら抱っこするの。

なんてことないシーンなんだけど、泣いてしまった。

その空気のあまりの優しさに、今こうやって思い出して書いててまた泣いてる。

ママキー坊を抱っこしてあげて、洗濯ものを干させてあげる。

そのシーン通してずっと、ママの表情がにっこりして優しくて、

私もなんだかすごく優しい気分になれるんだ。

ラストもすごい良くて、宇宙に行くって決めたキー坊をのび太くんたちが送り出す。

そのあと、帰宅したのび太ドラえもんにをママとパパが出迎える。

キー坊ちゃんは?」って聞かれる。

でもキー坊いないじゃん?ママのび太の様子で何か察して、何も聞かずに受け止めてくれるの。

抱きしめて泣かせてくれるの。

ドラえもんはパパが抱きしめてくれる。

ラストシーンだけじゃなくて、この映画はパパとママの書かれ方もすごくいいよ。

好きな部分をダーッと書いたけど文章めちゃくちゃでごめんね。

まとめると、やさしさがいっぱい詰まってる映画ってこと。

それだけで言うと、緑の巨人伝がナンバーワンだと思う。

正直あまりクワクしたりハラハラしたりはしない。

子供には少し難しいし退屈なんじゃないかと思う。

でもこの映画が言いたいことは伝わる。心にくるものがある。

本編見た後、EDのみんなの笑顔のかわいらしいこと……

映画としてはあまり評価されてないかもしれないけど

私は緑の巨人伝が 大 好 き です!!!!!!!!!!!!

2017-10-13

棄権

某氏が本当は呼び掛けていないということは置いておいて、棄権というのに異常なアレルギー反応があるのが謎だと思い始めた。

(念のために言っておくと、私は選挙に行くつもりである。)

まとめ

投票率向上のために若者白票出した方がいいというのはわからんでもない

しかそもそも票田のことしか気にしません見たいな政治家がまかり通ることを容認するのか、そういう自称リアリストがこの国を腐らせているのでは。

投票権尊重の在り方は人それぞれだし、選挙へ行くかどうかについてもっと柔軟な価値判断を持ってほしい。少なくとも「そんな奴は投票に参加する権利はない」といった発言は、普選運動への冒涜に他ならない。(税金を納めてないやつは選挙に参加するなの構図とたいして変わらない)

よくありそうな反応

普通選挙獲得闘争への冒涜である/貴重な権利無駄にするな

選挙欲しい人がいるのだから、持っていることはありがたいと思えというのはまあ正しい。しかしそこから導けるのは「選挙権大事にせよ」という命令であり、選挙権大事にする方法は人それぞれだろう。判断する時間が取れず、責任ある投票ができそうにないから、棄権するという態度は選挙権尊重しているからこそできる態度ではないのだろうか。一票に宿る歴史の重みを自覚せずに、責任感なんてなくてよいので適当投票せよ、などというのはそれこそ冒涜ではないのか。

投票できるのに投票しなかったら政治コミットする権利はなくなるよ

そもそも、このようにすぐに自分と異なる行動をするもの主権をはく奪しようという発想自体が、民主主義国民主権の発想と異なるように思える。

投票しなければ政治家の関心を得られないよ

若者向けによく言われる言葉だ。統計上の若者投票率向上自体若者向けの政策モチベーションへとなりうるため、白票でもよいので投じろという考えである。まあこの中ではたしかにまともな意見だと思う。ただそもそも票田となる対象を利するみたいな考えが気に入らない

・400万円

雑すぎ。

利益団体を利するだけ

選挙権行使して利益団体を利することもできるわけだし、利益団体はそれなりの根拠をもって行動している。(私は人々の道徳的感性にある程度信じているので、いくら何でも、自分業界を守るために虐殺やります!みたいな業界団体業界団体内で支持されるとは思えない)と考えれば利益団体による調整機能への信任としての棄権という考えもできる。

選択肢がないなら被選挙権行使せよ

これが実質的不可能なことが本質的問題かもしれない。

なぜ棄権絶対悪空気が醸成されたのか

人間マウントをとりたがる生き物だから

自分のやっている"善行"をやっていない人間を排撃するのはたのしい!という素朴な気持ちを持ちがち

小学校のころから刷り込み

選管がやたらとキャンペーンを張っている。成人式でもわけのわからないDVDが配られていた。子供のころから刷り込まれ価値観はなかなか疑いにくいし、それに反する行動には過剰反応を起こしがちだ。

そもそも投票率向上は良いことなのか

これは純粋な疑問だが、全国民が最適と思う投票行動をとった時、果たして現状より良い結果が出るのか?という疑問がある。

また完全に利己的な高齢者投票率が向上しても(若者の)私は特にうれしくない。

また若者投票率向上には一定意味があるかもしれないとも思う一方で構造的に若者投票率は上がりにくいのではという気持ちもある。この状況下で抽象的な「行こう」キャンペーンは単に選択肢のない人への暴力じみている気がするのだ。

結論

若者投票率向上は意味があるのかもしれない。なので普通に行きたい人は行くべきだが、その考えを他人押し付けないべきだと思う。選挙をやるのは本来世の中をよくするため、世の中を悪くしないためといった目的があるはずなのだが、「選挙に行こう」「選挙に行かないやつは非国民運動には、その大前提が感じられない。「選挙に行きさえすればよい」という意識は「お題目を唱えれば成仏できます」(念のため南無妙法蓮華経とは書かなかった)とたいして変わらない気がしてならない。

2017-10-12

anond:20171012201515

自分が受けてる差別解決する為の船」て何?

表現抽象的すぎんよ

2017-10-11

マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き

キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

2017-10-09

■マチアソビにて片渕監督講演会覚え書き



キャラクターに宿る存在感

この世界の片隅に」が目指したこ

片渕須直監督

藤津亮太アニメ評論家

いつもだと自分パソコン開くんですが。今日は藤津さんのパソコンで。

コメンタリー上映会2回目。まだ喋る内容がある。というかしゃべる時間が足りない。映画ポーズで止めたかった。

キャラクター作りについて。すずさんがそこにいるということを目標ひとつとしていた。これはマイマイ新子の頃から

絵空事では無く。肉付け。外側の世界を充実させることで、結果的パーソナリティを描けるのではないか

世界構成要素を本物で描く。我々の作るアニメーションファンタジーとなるのだが、日常空間から逸脱することでファンタジーを描くのだが、実際の世界を描くことでファンタジーリアリティが与えられる。

名犬ラッシーからラッシーイギリス舞台エリザベステイラー時代アメリカホームドラマの影響で作ろうとしてた。ロケハンにも行けなかったので、行ったことの無いヨークシャの炭鉱想像と調べたことの組み合わせで作っていった。

町に住んでいる人達準レギュラーにすることで、街自体を描く。そうやってストーリーにしていった。炭鉱の浮沈や犬を手放すことになったサブシーンを描いていく。考えながら走りながら作っていった。

町を本物らしく見せる鍵は町自体歴史があるという背景。町の川側から町を描くシーン。その世界を裏側から描写する。立体的に書き割りでは無い町。

アリーテ姫リアリティのあるファンタジー。国がどうやって運営されているかとかが描きこまれていた。城下職人暮らしを描くことで、アリーテの気持ち世界を描いた。

人の生活を示すことで、キャラクター存在感が出てくる。

大学入った頃に観た、高畑勲さんの作品の影響もある。ハイジの話し。ドイツの町に住むことになって、ハイジクララピクニックに行くが、楽しんでいたクララが突然限界がきて辛そうになる。二面性。リアル世界

当時はすごいめんとくさいなと思った。学生の頃はみえてない。世界みえてなかった。

人間を描くのはめんどくさいなと思った。名探偵ホームズはやりやすかった。宮崎駿さんが、人間の深みとか書くつもりの無い人だったから。

魔女の宅急便の時にそのあたりに踏み込んだ。普通の人がどう生きてるか。成長していくか。心の構造精神発達心理学など。伊丹十三さんとか岸田秀さんの唯幻論。人はどうできているか

1人の人の中には複数個性バランス。その場に応じて表面に出てくる割合が変わっていく。

アリーテ姫原作は単純なキャラ。悪役の魔法使いボックス原作主人公クレバーでは無いが、ボックスの悪役を掘り下げたことで、アリーテ姫は機転がきいた子になる。

自分を偽って生きているのが、自分たちの正体ではないか?虚飾の魔法使い。本当の人生を生きていない人の描きこみがアリーテ姫から始まった。

ブラックラグーンの作り込み。原作が途中から追いつかなかったので、ストーリーを聞いて描いていった。

この世界の片隅にの径子の台詞。径子は自分自分の道を選んだから。すずとりんはそうじゃない。ブラックラグーンOVA。周りのキャラにも、そうじゃない人生があったというエンディング悪漢たちの別の顔。

自分が選んだ道を歩いていけてる訳ではない。だからこそ、そういうありたかった人生に触れることでその人間を描く。

原作を超えたところを描きこんだブラックラグーン。立体的な背景。タイのような舞台タイ基本的外国支配を受けていないが、南の一部はインドネシア領フランス占領されたりしていた。

アリーテ姫自分人生を歩き始めたところから始まる。

そうじゃないところから始まったのが、ブラックラグーン

最初丸山さんは監督無しで3話ごとに交代でやる予定だった。さすがにそれはまずいだろうと基本設定決めるところをやってたら、丸山さんが監督を全く考えてなかったので気が付いたら監督していた。

ブラックラグーンはこれまでの片渕監督作品イメージと違うので、ペンネームでやるかという話しがあった。マイマイ新子と同時期。

うまくいかなかった人生を書いたブラックラグーンマイマイ新子の周りの大人たちは上手くいってない。原作には1000年前の設定は無かった。国府の話しは出た。

でも、1000年前の話しが出たら、そこをふくらませてそこに見えない世界を描くのがファンタジーであり、そこを描き込むのが本能みたいなもの

1000年前のことをきちんと調べることでファンタジーの描きこみができる。実際の280回くらいの発掘調査報告書を読んで、その中の図を集めて今の地図に重ねる。でも全然足りない。国衙調査でも足りない。でも道路などがわかる。1000年前と今の間にもいろんな世界がある。

1000年前の世界1000年前の話し。1000年前が真ん中。

ブラックラグーンタイ取材にいこうとしてたら、洪水でいけなかった。ベトナム香港などは行った。

マイマイ新子は3回くらいしか現地に行ってない。終わった後の探検隊10回。そちらの方が多い。

発掘調査報告書がメイン。古本屋から写真など。干拓地のきーこ。カネボウ工場社宅。そのカネボウ最後工場長から写真などをもらえた。

事前の知識を持ってロケハンに行かないと見てもわからない。塀のイメージなど発掘している現地でイメージが湧くためには知識が無いと出来ない。

事前に知っているからこそ、現地で発掘している人と話しがきちんと理解し合える。情報をもらえる。今でもあって昨日も泊まらせてもらった。

ハイジクララ矛盾マイマイ新子では子供たちは純粋だけど、周りは思ったように生きられてない。

マイマイ新子金魚が戻ってきたのが最後原作者体験らしい。死んだはずの金魚がまた出てくるという思いが子供世界。おじいちゃんの死の原作での書き込みを外して。

原作者は男女の性愛を描く人。それを入れなかった代わりに死の表現がにじみ出ている。死を描くための映画にしたくなかった。

普通に歳をとって死んだおじいちゃんの話しは重くしたくなかった。で、ヤクザの話しを膨らませた。

この世界の片隅にのすずさんは大人少女から大人への端境期という面が原作より強いと原作者から言われた。すずさんは18歳で自分意思とは関係無く嫁にいかされる。

すずさんは自分空っぽだと思っていたが、実は中にはたくさんあった。

マイマイ新子のきーこ。新子に対して現実的な子。自分には無い想像力を持った新子をうらやましいと思っている。きーこと新子は2人とも主人公

すずは自分の内側にあるものから変化する。空っぽな人はいないが、それを表に出せないタイプのすず。アニメーションやってる人も普通の人。

日本アニメドキュメンタリー性を持って進化してきたと思う。記録性。

年齢層が上がってきた。巨人の星読売巨人軍や二軍。実際にある世界を描くようになってきた。オバケのQ太郎とは違う。観る年齢層があがる。

長くつしたのピッピルパン企画書を見つけた。タバコや銃のブランド定義ピストルで済ませるのでは無くワルサーP38ルパン三世カリオストロでは赤いきつねコカコーラを描いてる。

日本アニメにそういうリアルを描く流れができた。母を訪ねて三千里は、周りの人間リアリティが入ってきて、中学生くらいがみられる作品

手塚治虫さんの漫画の描き方の本。アシスタントに車を描けといったらできなかった。手塚治虫さんの言う車は抽象的な車だったが、今は実際の車。

この世界の片隅にでは実名のある描きこみ。実現できなかったすずさん。抽象的な戦時中ではなく、現実カケラを組み合わせた。

出来るだけ背景を捉える。人物サイズを大きくしがちだが、もっと背景を描く。背景にあるもの存在感

効果音BGMについて。この世界の片隅にでは、出来るだけ実写の音響でということをお願いした。アニメ表現より実写の表現BGM無しでも良いかとも思ったが、BGM心理描写ができた。

anond:20171009130445

少し調べれば

なるほど、私は「少し調べる」こともしていないために、中学時代に抱えた理論社会人になっても捨てられないということなんでしょうね。

でも、論理抽象の話をするために、現実世界知識というのは本当に必要ものなんでしょうか?

純粋に「考える」ということに関してだけは人類はみな平等能力を持っていると思うんですが。

2017-10-08

ラブライブサンシャイン2期第1話を観て思ったこと、そしてμ'sとの比較について思ったこ

第1話について

◯良かったこ

 作画完璧で、非常に可愛かった。ズラ丸最高。また、作画について言えば、全体的に幼くなってた印象で、例えば果南とか最初もっとキツかった感じがしたけど、目元とか丸くなって可愛らしさがアップしたと思う。

◯残念だったこ

 シナリオが粗い。1期最終回から1年間という期間は短かったため、手始めのシナリオは急ごしらえになってしまったのだとしたら、これはマネジメント責任だが、1期最終回の評判の悪さを知っててなおこれだとしたら絶望的。

 ネットまとめサイトではまた廃校ネタ持ち出すの、といった感想があったが全くその通りで、一つのアニメの第1話の展開としてあまりにも盛り上がりに欠けるのではないか。そして、輝きたい!とか超抽象的なワード連呼、これはaqoursテーマになってるのかもしれないけど、どこらへんを指して、または具体的に何をすることが輝く、ということなのか観ていて分からない。だから全体的にふわっとした印象になる。μ'sなら廃校阻止、次にラブライブ制覇という明確な目標があったけど、aqours目標ってなによっていうのが分からない。これからどういう流れで話が広がっていくのか掴めない、だから観ていて不安になる。キャッチー楽曲を出すでもなく、新たな展開を見せるだけでもなく、1話からこれか〜って感じがしたのは私だけではないんじゃないか

μ'sとの比較について思ったこ

グループを取り巻く環境について

 aqoursのいいところは都会と地方比較という点において、地方の緩やかで落ち着いた雰囲気であると思う。μ'sもお嬢様学校という特殊環境ではあるが、秋葉とか都会の真ん中にあるので多少雑然とした感じがあるし、中央ゆえ、A-RISEとかライバル校に常に脅かされているような描写から緊張感も多少あった。

 沼津田舎でありかつ景観もいい、ライバルも今のところ2人組の戦闘力が高いのか低いのかよくわからないユニットしか意識しないから(忘れているだけかもしれないが)、安定的環境の中、学園の廃校とか問題はあるけど、こまけぇこたぁいいんだよ的な感じで、キャラクターの成長を安心して見ていられる。それはそれで萌えキャラアニメ死語?)としては良いことだと思う。もはやズラ丸が可愛いアニメとして見続けるだろう。

グループ歴史について

 先程触れた緊張感だが、μ'sとの違いについては、アニメ化されるまでの期間も考えておきたい。つまり、私はこのあたり不勉強だけど、アプリ先行で、アニメ化するまで色々な試行錯誤があったとのことで、PVとか見ているとアニメとは明らかにキャラクターとか世界観の設定が違っていたり、3Dモデルのカクカク具合が見ていて不安になる辺りなど、アニメから入った組としては、まだ未完成である印象が強い。アニメでも最初の頃は3Dモデルはもうちょっとなんとかならないか、と思ったことは少なくはない。

 何が言いたいかというと、μ'sには、廃校阻止という明確なミッションがあり、かつ中央にあるがゆえの競争環境にあり、更にコンテンツ的にも発展途中であった、キャラクターアイデンティティー含め不安定な要素があったため、常に緊張感を見るものに与えた。そして、3年生の卒業というテーマは、ラブライブの総括的な位置づけにもなったため、アニメ以前のPVとかの歴史をある程度知っている人間にとっては、それなりのカタルシスだったのではないだろうか。

 そして、aqoursにはそれがない。環境の緊張感もなければ歴史もなく、単なる二番煎じ。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである

 この二番煎じという点は、想像するに、μ'sの成功体験を前提とした企画段階において、保守的意見が勝ったのではないか。そうでなければこんなシナリオは書きようがない。

 これはもしかしたら海外展開観点から、そうせざるを得なかったのかもしれない、知らんけど。

 もしμ'sと差別化しよう、という観点があったとすれば、例えば町おこし、とか、もしくはラブライブ出場ではなくもっとヒューマンドラマ的な展開に焦点を当てるとか、こういったテーマ過去にやってるだろうから、なんかのドラマパクるとかやりようがあるだろう。その場合楽曲もμ'sより少なくなるかもしれないが、明らかにμ'sより楽曲の質が変わっているので、それはそれでありなのでは無いだろうか。とにかく下手したら劣化μ’sの烙印を押されかねないこの展開をなんとかして避けてほしいのである。まあ言ってももう遅いだろうけど。

楽曲について

 楽曲について触れたのでそれについても言わせていただくと、今回をきっかけに、改めて昔のPVやら曲やらを見た次第である。すると明らかにμ'sとaqoursの曲の質が違う。まあこんなことは私のようなニワカ者ではなく、ファンの方々で話し尽くされているだろうから細かくは語らないけれども、一言で言うとパンチが足りない。

 これはμ'sの初期設定が割と普通高校生っぽい感じで描かれており、青春というテーマを直接的に感じさせるためかもしれない。つまり、言い表すのが難しいけれど、青春といった普遍的かつ情緒的なテーマで訴えかけてくるため、私は女子高生ではないけれど、ちょっと感情移入するのだ。古今東西やられてきたこテーマだが、短い青春、一瞬で過ぎてしまう今を精一杯楽しみたいという、切なさである。そこでキャラクター性がそこまで確立していないPV、そして畑亜貴キャッチーな曲は、感情バッチリ訴えかけてくるのだ。

 一方aqoursについては、まあアニメが始まるまでの期間はあるにしても、μ'sの前提知識がある状態で見ており、展開が読める。そして、まあ正直に言うと曲もちょっとトーンダウンしている。恋アクとかはμ'sに負けず劣らずだと思うけど…

 だから、印象がμ'sに比べてどうしても薄くなってしまう。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである

最後

 述べたことは、そんなこと続編であれば普遍的に言えることと、と言われるだろう。aqours劣化μ'sとしての誹りを免れないだろうと諦めてはいる。

 それでも頑張って欲しいのはひとえにズラ丸が可愛いからである。ズラ丸だけではない、ダイヤ、ルビィ、果南など、お嫁さんにしたいキャラは実はμ'sよりaquasのが多い。地方という部分も好きだ。だから、いいかげんμ's、μ's言うのはやめて、aquasらしい活躍をしてほしいのです。μ'sのプロット改悪して乗り切ることはしないでほしいのです。

2017-10-07

[] #38-5「危ないアニメ

度重なる押し問答の末、シューゴさんはとうとう爆発した。

そして、一世一代の決心を宣言したのだ。

「もういい! もうたくさんだ! こんな曖昧基準で、表現が統制されてたまるもんか!」

ワガママを言わないでください。社会にとって害悪ものは統制される。それが今回はアニメだったというだけの話じゃないですか」

「俺から言わせればな、普遍性のないボーダーライン大義名分に、表現を統制しようとすることこそ害悪でありワガママだ」

「だからといって今のままじゃ、また苦情が来ますよ」

「上等だ! 奴らが文句を言うのはもちろん自由だ。だが、オレたちにも同じくらい尊重すべき自由がある!」

シューゴさんは頑なだった。

自分にとって不都合な影響を与えたくなくて、躾もロクに出来なくて、その責任をオレたちに擦り付けるしか出来ない。だったら、いっそ何もない家に一生閉じ込めておけ。それが一番確実で健全だ」

シューゴさんがいつもの調子でまくし立て始めた。

父もフォンさんも溜め息をつくが、どこか安堵もしていた。

シューゴさんほどではなかったが、二人とも今回の対応に不服であったのは同じだったからだ。

どこかでシューゴさんが突っぱねてくれることを期待している節があったのかもしれない。


そして、放送後……

シューゴさん、苦情が……」

「変える気はないぞ。主人公たちの武器はこれまでと同じ、人間相手にもバンバン使っていく」

「いや、今回はそこじゃなくて……」

「ん? どういうことだ?」

「『入浴シーンがセクシュアル的でよろしくない。青少年健全な成長に悪影響を与える!』……とのことです」

シューゴさんは大げさに笑って見せる。

父はあちゃ~と言いながら頭を抱えた。

「わっはっは、あ~そっちかあ~」

「ていうか暴力表現に関する苦情はどうしたんです? 今回はアクションシーンがいつもより派手だったから、むしろいつもより来ていると思ったんですが」

「たぶん、入浴シーンのほうが悪目立ちしたってことなんでしょう。そういう描写のほうが問題視されやすいですから

性別関係なく湯気をこれでもかってくらいつけているんですけどねえ。作画の手抜きを湯気で誤魔化しているんじゃないかって疑われるレベルで。更には放送局がそこに雑な修正まで入れてるほどなのに」

「一番スケベなこと考えているのは子供より、そいつらの方なんじゃねえか?」

「また、そういうこと言う……」

「どちらも表現の一形態だろ。これは良くて、これはダメ。ここまでなら良くて、これ以上はダメ。つまり区別しているってことだ。区別するってことは、そこには基準が設けられているはず。なのに、その基準はどういう構造をしている?」

「それは私も知りませんが、彼らの主張自体理解できるでしょう」

「都合のいい言説が使われているだけだろ。是非を判断する境界線はどう可視化されている? それは本当に普遍的な線引きか? 主張に汲み取るべきところがあるからと受け入れていったら、際限なく規制できてしまうぞ」

「そうなんですよね。主張の内容はそれっぽいことを並べてはいても、本質漠然としていますし。象徴的だったり抽象的なものの域を出ていない。とどのつまり恣意的判断しているのを誤魔化しているわけです。それで表現が統制されるべきかと問われたら、少なくとも我々の立場ではNOと言わないといけません」

「そんなこと言っても仕方ないでしょ。私たちも上から通達が来たか業務上やってるだけで、それが本当に正しいことか分からなくても、やらないといけないわけですし……」

「ああ、そもそも上の指示に大人しく従ったのがケチのつき始めだったよな。それで安易に変えてしまったら、他の表現も次々とその対象になる」

「そうして世間の目が矯正されれば、今までは全く問題視されていなかった表現まで規制対象認識される。風当たりだけが強くなっていき、ディストピアが出来上がるわけですね」

「二人とも、検閲のものの是非はともかくとして、結局何らかの対応はしないと……」

この時フォンさんはかなり戸惑っていたようだった。

目の前の問題から目を背けて、二人が不平不満を言っているだけのように見えたからだ。

「それなら大丈夫だ。今回のエピソードお上からの指令は来なくなる」

しかし、この時すでに対策は講じられていた。

アニメによってだ。

「え、どういうことです? むしろ余計に悪化しそうな気がするんですが」

ちょっとした“自由の応用”ってやつだ。実のところオレたちは表現の自由欠点があることを知っている。全面的に守られるべきものだとは思っちゃいない。なぜなら、それは言論の自由だとか、批評自由だとかいったものを受け入れないことに繋がるからだ」

「それは分かっていますが、だったらなぜ……」

「直に分かりますよ、フォンさん。表現の自由欠点があるように、言論批評自由にも欠点があるってことです」

(#38-6へ続く)

2017-10-04

[] #38-2「危ないアニメ

そうして、とある描写が物議を醸す。

主人公たちの使う武器凶器子供が真似すると危険だと苦情が来たのだ。

父たちはその対応におわれていた。

「『私はヴァリオリが好きです。だが、ああ、なんてことだ。登場人物たちが凶器を持っている。青少年健全な成長を妨げる。これはよくないことだ』とのことです」

同僚のフォンさんが苦情内容の一部を読み上げる。

監督シューゴさんは鼻で笑った。

一見すると尤もらしいことを並べてはいるが、その実は抽象的なテーマに対して恣意的判断を下しているに過ぎないことは見え見えだったからだ。

「いつも通りの、杓子定規意見だ」

「とはいえ、これも“一つの立派な批判”です」

それでも厄介なのが、このテーマについて知らない人間反論しにくい程度のレトリックは使われていることだ。

「的確ではないが間違ってはいない」要素を抽出し、それを根拠自分の主張と織り交ぜてロジカルに語れば、いちゃもんは“一つの立派な批判”になる。

無視したいのに、無視するわけにもいかない非常に目障りな存在となわるわけだ。

「そうだな。言論のもの自由だ。そして、その内容をオレがどう解釈するかも、な」

「その結果は?」

「その意見自身の好悪の問題善悪混同している。それを正論に摩り替えて、意見押し付けてくるばかりの頭でっかちな輩だ」

シューゴさんの吐く毒がいつにも増して強い。

とあるごとにこういった“ご意見”がきていたためウンザリしていたためだ。

彼のストレス悪態は日々増すばかりだった。

「まあ、いつもどおり“前向きに検討”しておけばいいんじゃねえの?」

社会における“検討”というものは、得てして結論とはさして関係がないことは周知の事実だ。

シューゴさんの立場から見れば、その意見いくら論理的に見えても、そもそもの“目的”が同意しかねるものなのだ

その意見を「一つの批判」として了承し、真面目に取り合うこと自体が思う壺だと判断したのだろう。

そうして、今回もシューゴさんたちはスルーを決め込むつもりだった。

だが、やや神経症気味なフォンさんは疲弊していた。

「それが……今回は随分と大事になりかけていて、非常に面倒な状態に。“上”の数名からも『ウゼェから何とかしろ』とお達しが」

「は~ん……」

フォンさんの濁しつつも含みのある言い方に、シューゴさんは何となく察したらしい。

この時期、裏では『ヴァリオリ』の表現問題だと思っている人間たちが徒党を組んで、親会社に直訴していたのだ。

それに耐えかねた会社代表は、とうとう父たちのスタジオ通達を出したのである

「不服ではありますが、こうなるとガン無視というわけにもいきませんね……」

「そうですよ。それに一番困るのは、そんな理由で親が子供たちにアニメのものを見せないようにすることです」

「“子供のことも考えて”か。そのセリフを言うのはいだって一部の大人だよな」

しか子供を盾にされると、さすがのシューゴさんもバツが悪い。

シューゴさんの両親は厳格な人物で、そのため彼は少年時代を娯楽に飢えて過ごさざるを得なかった。

その経験から、親の理想子供犠牲になることほど悲しいものはないと思っていたのだ。

「……ちっ、分かったよ。もめ事が起こると疲れるだけだから、とりあえず従っておくか」

それは納得したわけではない、消極的判断だった。

シューゴさんは作り手として、多少の批判を恐れていてはモノ作りなんてできないと考えていた。

それを汲み取りたい気持ちは父やフォンさんにもあったが、上の声が大きくなったとき無視はいかないのが企業の常だ。

大人しく従ってくれるシューゴさんにホッとしたと同時に、彼の鬱屈とした想いが手に取るように分かることもあって父は複雑な気持ちだったらしい。

「では早速対応……と行きたい所ですが、スケジュール的に数話分の大幅な修正はもう無理ですね」

「そうですね。なのでオープニングの前に、ひとまず“あのカット”を挟みましょう」

「うげえ……“アレ”かよ」

(#38-3へ続く)

2017-10-03

anond:20171003210746

稟議書無駄ワードぶっこんだ時点で負け

新しいものを覚える気のないおっさん達に

極めて抽象度の高いIT用語を使うと100%敗北する

[] #38-1「危ないアニメ

物事にはラインがある。

おっと、変なボケはやめてくれよ。

ガイドラインや、ボーダーラインかのことだ。

是非を判断する上では重要な線だな。

でも、その線をひくのは所詮人間

時には明確に可視化されず漠然としていて、統一もされていないことも多い。

なのに、その状態恣意的に決められることも珍しくない。

じゃあ、もしも抽象的なテーマに対して、そんなことをしてしまったらどうなるか。

今回はそんな感じの話だ。


以前どこかで話したが、俺たちの町では『ヴァリアブルオリジナル』というアニメ流行っている。

深夜放送から人気に火がつき、ゴールデン放送するほどになった。

だが、必ずしも良いことばかりではなかった。

本作はバトルもありのシリアスもありの作品だったのだが、深夜放送のままの表現では難しいと上から判断されたのだ。

まり事実上リブートを余儀なくされた。

例えば暴力表現はなくなり、容赦なく死んでいた登場人物たちも敵味方モブ含めて全く死ななくなった。

そのほか、登場人物達の言動もかなり抑え目なものとなり、ビジュアルもかなり変わっている。

あと国際色豊かになったらしい。

……異世界舞台であるファンタジーもので「国際色豊かになった」って言われてもピンとこないが。

それに元あるものをわざわざ変えてしまうというのも、別の意味冒涜的な気もするんだがそれはいいのだろうか。

第1シーズンからファンである友達は、放送当時かなり落胆したとボヤいていた。

そんなことをスタッフの一人である父に言ったら、「不自然修正を後で追加される位なら、文句絶対に言われないレベルにしてやろうとしていた」らしい。

まあ何はともあれ様々なもの配慮したアニメなんだなと俺は認識していたが、それでも問題が浮上しないというわけではなかった。


弟いわく、友達のシロクロが発端だという。

シロクロも『ヴァリオリ』に熱中しており、よく自分住まいごっこ遊びに興じていた。

こいつはお世辞にもごっこ遊びが似合うようなナリではなかったが、まあアニメをどう楽しむかにそんなことは関係ないよな。

そんなシロクロの様子を、同居人ガイドは訝しげに見ていた。

「くらえ、チョウナ・ブーメラン!」

「なんだシロクロ。その珍妙デザインブーメランは」

「『ヴァリオリ』に出てくるイセカっていうキャラ武器だ!」

「ああ、そういえばそんなアニメあったね」

手斧ブーメランハイブリッド性能を持っているんだ!」

何だかすごく危なそうだけど」

安心しろイミテーションだ!」

「あー……シロクロ? 居候の身であるボクが偉そうなことはあまり言いたくないんだけど、イミテーションからって人に向かって投げるのは自重してくれよ。特にボクには」

大丈夫責任は俺が取る!」

「そういう話をしているんじゃない」

「どういう話をしているのか分からないが、まあ分かったよ。じゃあ、ウロナの武器で遊ぶ!」

「ウロナってのも『ヴァリオリ』のキャラ?……って、それ弓じゃないか!」

「ただの弓じゃないぞ。こうやって足で固定できるんだ。すると両手で弦を引ける。すごい勢いで放てるってわけだ!」

「おい、だからボクに向けるな!」

「矢尻は吸盤だぞ?」

「だから、そういう話をしているんじゃない!」

「どういう話だよ」

まあ、子供(?)の微笑ましい風景だ。

だが、この状況を微笑ましいと感じない人間が出てくる。

彼らにとって、クレームを言うのには十分な理由だった。

(#38-2へ続く)

2017-10-02

https://anond.hatelabo.jp/20171002154059

横だけど、その例えだけ見ると人類は目の前の餌で行き先を決める豚みたいだな。実際そういうのもいるんだろうけど。

まあ身の回りにそういう豚しかいない環境にいるとイデオロギーなんて抽象的で餌にならないものには価値がないと思うんだろうな。

2017-09-30

謎なのが「情報を共有」というワード。「許可を得てほしい」ではなく「情報を共有してほしい」といういくら抽象的な言葉になっている点について、邪推せざるを得ない。普通に考えれば、ヤオヨロズのような零細制作会社けものフレンズのようなビッグコンテンツを捨てるなんていう決断はよっぽどのことがなければしない。二次創作するときは事前に許可取れよ、みたいなまっとうな要求だったら受け入れるのが自然だ。憶測しかないが、情報といっても物は言いようなので、例えば3DCGモデルをよこせ、みたいなメチャクチャ要求だったのかもしれない。

何より謎なのが、たつきが「カドカワさん方面よりのお達し」と言っているのに、この声明にはカドカワ文字が全く無い点だ。この声明に書かれていることが全て真実だとしたら、今回の件は「ヤオヨロズ」が「プロジェクト」に対して能動的に「辞退」を言い渡したわけであって、カドカワヤオヨロズまたはたつきに「お達し」をしたとするたつきツイートとは矛盾する。そこについて何も説明していない。

https://anond.hatelabo.jp/20170929131100

ポイントはここだろうな

http://kemono-friends.jp/archives/category/news/page/2/

http://archive.is/AusOW

けものフレンズ」の映像プロジェクトに関するご報告

2017.09.27

しかし、アニメーション制作担当していただきましたヤオヨロズ株式会社には、関係各所への情報共有や連絡がないままでの作品利用がありました。映像プロジェクトとしては次回の制作を引き続きお願いしたかったため、情報は事前に共有してほしい旨の正常化を図る申し入れをさせていただきましたが、ヤオヨロズ株式会社からは、その条件は受け入れられないので辞退したい、とのお返事でございました。


https://anond.hatelabo.jp/20170929005829

例のけものフレンズ騒動をまったく知らない人向けに解説するぞ

謎なのが「情報を共有」というワード。「許可を得てほしい」ではなく「情報を共有してほしい」といういくら抽象的な言葉になっている点について、邪推せざるを得ない。普通に考えれば、ヤオヨロズのような零細制作会社けものフレンズのようなビッグコンテンツを捨てるなんていう決断はよっぽどのことがなければしない。二次創作するときは事前に許可取れよ、みたいなまっとうな要求だったら受け入れるのが自然だ。憶測しかないが、情報といっても物は言いようなので、例えば3DCGモデルをよこせ、みたいなメチャクチャ要求だったのかもしれない。

何より謎なのが、たつきが「カドカワさん方面よりのお達し」と言っているのに、この声明にはカドカワ文字が全く無い点だ。この声明に書かれていることが全て真実だとしたら、今回の件は「ヤオヨロズ」が「プロジェクト」に対して能動的に「辞退」を言い渡したわけであって、カドカワヤオヨロズまたはたつきに「お達し」をしたとするたつきツイートとは矛盾する。そこについて何も説明していない。


けもフレ公式では、情報共有と連絡を別の事として扱っている。

何か2つ以上の事が(少なくともけもフレ公式としては)懸念になったときに使う。制作会社が真っ当であれば、それを制作会社拒否しなければならないような要求であった。

会社運用資金問題だってあるし、制作会社は続けてやりたいはずなので、よほどの無理な要求でなければ、受け入れて制作するはずだ。制作会社に他に大きな仕事がない限り。

何を共有したり連絡したりしてほしいかが明らかでないが、これだけの大きなプロジェクトを降りなければならないと思うほどの要求であった。

おそらくは、「その要求は無理なので取り下げてほしいです。でなければ次の制作は難しいです。」と回答したことだろう。

制作会社が真っ当でなかった場合には、けもフレ公式が正しい要求をしたことになるが、「正常化を図」りたいが「受け入れられな」かった。という表現が気になる。

制作会社は異常だと暗に非難していることになっていて交渉は決裂したという。

例えば、勝手仕事を受けてしまっていたとか。しかしそういうことなら、真っ当な制作会社でなくても、こんな大きなプロジェクトで抵抗するはずはない。

http://kemono-friends.jp/archives/category/news/page/2/

http://archive.is/AusOW

けものフレンズ」の映像プロジェクトに関するご報告

2017.09.27

けものフレンズ」に関しまして、すでに新規映像プロジェクト制作を発表させていただいておりますが、発表当初より同体制での継続か、新体制での新たな表現かも合わせて検討中で、現時点においてもまだ何も決定していない状況です。そのような中、今年1月~3月に放送されたTVアニメーションと同様の体制を優先として、視聴者のご期待に沿えるべく調整をしておりましたが、アニメーション制作会社であるヤオヨロズ株式会社より8月に入った段階で辞退したい旨の話を受け、制作体制を一から模索することになっているのが現状です。


新体制での新たな表現」と、すでに後釜になる制作会社監督が決まって、降ろしたかったので無理な要求をしたように思うような前提がある。

にも関わらず、「制作体制を一から模索する」と文章で締めるなど、責任制作会社にあると非難する文章であり、最初に書かれた、「新体制」の検討はどこに行ったんだ?と思わざるを得ない。

制作会社から発表がないのは、秘密保持契約か他の契約抵触する内容を要求されたので発表できないということなのかもしれないし、水面下の交渉がありまだ発表できないのかもしれない。

2017-09-29

例のけものフレンズ騒動をまったく知らない人向けに解説するぞ

まず前提。

けものフレンズプロジェクトは、ケロロ軍曹原作者である吉崎観音キャラクターデザインや設定などを考えて、それを元に、漫画とかゲームかいろいろつくりましょうね、っていうプロジェクト

そのプロジェクトなんだけど、あんまりうまく行かなかったらしく、アニメ放送前にスマホゲームサービス終了、アニメ放送開始直後には漫画が連載終了という、ねとらぼに言わせてみれば「ぺんぺん草も生えない荒野」みたいなプロジェクトで、けものフレンズプロジェクトアニメ部門なんて「敗戦処理」でしかなくて、誰にも期待されていなかったわけだ。予算メチャクチャ少ない。

そのアニメプロジェクト制作会社が「ヤオヨロズ」だ。数人でやってるようなとても小さい会社だ。監督を務めたのがたつき脚本ほとんどたつき吉崎観音が考えたとされている。たつきは棘のない台詞回しと精巧ストーリーで巧みにけものフレンズアニメを作って、視聴者の心を鷲掴みにした。アホみたいに人気が出て、当然すぐに2期の製作が決定した。

たつきサービス精神旺盛な人で、最終話が終わったちょうど1週間後に、12.1話と称して、声優に自腹でギャラを出してけものフレンズショートアニメを作って動画サイト投稿した。このサービスファンたちは熱狂して、みんなたつきファンになっていった。

ショートアニメを作って動画サイト投稿する12.1話手法は、宣伝に使えば結構効果があるのでは?ということになって、その後もJRAとのコラボアニメとか、日清どん兵衛とのコラボアニメが作られた。ショートアニメ宣伝目的CMながら、出来が良くてファンは大喜び。JRAは知らないがどん兵衛はさぞ売れたことだろう。ここまでが前提。

 

―例のツイートがされる

https://twitter.com/irodori7/status/912270635610472448

「突然ですが、けものフレンズアニメから外れる事になりました。ざっくりカドカワさん方面よりのお達しみたいです。すみません、僕もとても残念です」

たつきが2期の制作から外れるなんてことはこの時点ではどこも発表していなかった。つまりたつきフライングで発表したということだ。たつきTwitter運用においてメチャクチャ慎重な人で、暴言は吐かないし、情報公開も慎重にする人だ。もちろんこの文脈カドカワ名前なんて出したら、オタクたちがどういう反応するかなんていうのはよくわかっている人だ。つまりこのツイートは、暗に、ファンの皆助けてくれよ、という意図を含んでいる。あるいは助けなんてどうでもよくて、ただぶちまけたかっただけということも考えられないでもないが、そのへんは本人じゃないからわからない。

とにかくこれを知ったファンは大激怒。ぺんぺん草も生えないプロジェクト大人コンテンツにまでした功労者がこんな扱いを受けるのはひどすぎるし、たつき以外に2期の制作が務まるわけがいから当然だ(たつき声優以外のすべての仕事をやっていたと言われている)

 

―これに対してけものフレンズプロジェクト(カドカワ出資)の声明が出る。

http://kemono-friends.jp/archives/category/news/

要約すると

8月ヤオヨロズ(制作会社)のほうが2期制作を辞退した。

ヤオヨロズ関係各所への情報共有や連絡がないままでの作品利用をした。

・2期もヤオヨロズに頼みたかったけど、勝手作品利用されると困るから事前に「情報を共有」してほしいと言ったらヤオヨロズが辞退した。

この声明は怪文書じみていると言われるくらい変な声明だ。例えば8月ヤオヨロズが2期制作を辞退しているのに、9月の終わりに日清どん兵衛コラボ動画が発表されているという点が挙げられる。8月の時点で決裂していたらそんな動画投稿されるだろうか。日清は「制作体制変更は知らなかった」という声明を出している。8月に辞退したはずなのに日清ほどの大企業がそんなことも知らないものだろうか?

次に、「情報共有や連絡がないままでの作品利用」が何を指しているのかわからない。JRA日清とのコラボは、プロジェクト連携を取った上で制作された、となっている。12.1話吉崎観音許可を出したと吉崎観音自身ツイートしている。ただし吉崎観音原作者しかないので、その許可にあまり意味はない。吉崎観音独断許可を出しただけだったとすると、プロジェクトのほうに許可を取るべきだったのは明らかだ。でも問題だったのであれば動画を削除するはずであるにもかかわらず、12.1話はいまだ削除されていない。それに12.1話が原因なのであれば12.1話がそれにあたると明記すればいいのにも関わらず「情報共有や連絡がないままでの作品利用」があったなどと抽象的に書くのは正直言って意味がわからない。どの作品が「情報共有や連絡がないままでの作品利用」なのか全く不明だし、これに限らず全体的にあえて抽象的な言葉を使っているような印象を受けるという点が怪文書扱いされる所以だ。

ポイントなのは、無断での作品利用をしたこ自体が決裂の原因だとされているわけではないことだ。決裂の原因は、次から情報を共有」してね、とプロジェクトが申し入れたことについて、ヤオヨロズがそれを拒否して、2期の制作を辞退したということだ。なのでこれを見て、勝手作品を作った監督がそりゃ悪いわ、と言うのは取るに足らない意見だ。

謎なのが「情報を共有」というワード。「許可を得てほしい」ではなく「情報を共有してほしい」といういくら抽象的な言葉になっている点について、邪推せざるを得ない。普通に考えれば、ヤオヨロズのような零細制作会社けものフレンズのようなビッグコンテンツを捨てるなんていう決断はよっぽどのことがなければしない。二次創作するときは事前に許可取れよ、みたいなまっとうな要求だったら受け入れるのが自然だ。憶測しかないが、情報といっても物は言いようなので、例えば3DCGモデルをよこせ、みたいなメチャクチャ要求だったのかもしれない。

何より謎なのが、たつきが「カドカワさん方面よりのお達し」と言っているのに、この声明にはカドカワ文字が全く無い点だ。この声明に書かれていることが全て真実だとしたら、今回の件は「ヤオヨロズ」が「プロジェクト」に対して能動的に「辞退」を言い渡したわけであって、カドカワヤオヨロズまたはたつきに「お達し」をしたとするたつきツイートとは矛盾する。そこについて何も説明していない。

しかし、これがいか怪文書じみた全容の見えないカスみたいな声明であったとしても、それにはヤオヨロズが悪いと書いてあるわけで、ヤオヨロズには早く声明を出してほしいものだ。

 

声優が謝る(?)

けものフレンズ関係声優がワイワイ喋るニコ生の冒頭で、声優の一人が「いろいろと皆さんを不安にさせたり、お騒がせしていますが、私たちはこうしてけものフレンズを盛り上げることしか出来ませんので、これからも頑張っていきたいと思います」と発言。これが「声優の盾だ」「声優は悪くないのに声優に謝らせている」といった報じられ方をする。これは俺も見ていたけど、正直これを謝罪と捉えるのは無理があると思う。ただ謝罪でないにしても、お騒がせしているのは声優じゃないのに、お騒がせしています声優に言わせるのはファンとしては腹立たしい限りだ。全く触れずにしれっと放送するのもそれはそれでおかしいと思うので、冒頭で偉い人が出てきて全部説明した上で土下座しながら腹を切ってから放送をしてほしかった。

 

さらなる怪文書が投入される

9月28日に『けものフレンズ監督降板騒動功労者をのけものにする」KADOKAWA企業体質』というタイトル記事デイリーニュースオンライン投稿された。リンクするのもおぞましいので各自気になるならググッてほしい。要約すると

6月の時点で、たつきは思い詰めてしまっていて、もう作品は作れないと漏らしていたのでプロジェクト関係者はみんな我慢していた(情報源プロジェクト関係者証言だとしか書かれていない)

8月に入ると、吉崎観音たつきの才能に嫉妬して「ヤオヨロズを外せ」と言い出した(情報源制作関係者証言だとしか書かれていない)

KADOKAWA担当者吉崎観音嫉妬コントロールできなかったのでヤオヨロズを外すことになった(情報源制作関係者証言だとしか書かれていない)

これこそ本物の怪文書だ。まともな情報源がまったく書かれていないし、誰が書いた記事なのかすら不明だし、載ってる媒体が1ミリも信用できないところだし、そもそもたか原作者である吉崎観音にそこまでの権限があるはずがないし、たつき吉崎観音の仲の良さを知っていればありえない話だと一発でわかる。誰がどういうつもりで書いたのか不明だが、一人のファンとしての感想は、糞でも食ってろといったところだ。クリエイター侮辱するような記事を平気で書くような人間はできるだけ早く土下座しながら腹を切ってほしい。便所の落書きと一切変わらない唾棄すべき記事だ。

 

そのほか、増田にも怪文書投稿されるなど、情報錯綜している。けものフレンズプロジェクト声明が出て以来、誰も正確な情報を出さないから、こういったしょうもない怪文書が出るのに都合の良い土壌が出来てしまっている。

情報が少ないので、今のところ誰が悪いとか、誰がクソといった議論をするのは憚られる。関係者は一刻も早く正確な情報を出すべきだ。今回の件で皆傷ついてしまった。一人のファンとしてただただ悲しい。

2017-09-27

夢のない文系

夢のない理系(https://anond.hatelabo.jp/20170922053438 )という記事話題になっていたけど文系も夢ないよ!

理系の人はまだ大学院に進んで学問を極めようとか普通に選択肢にあるかもしれないけど文系だったらそもそも大学院に行く選択肢ない。

大学院はよほどの変人人生あがってて暇でしょうがない人くらいしか行かないんじゃないかな。あーでも法科大学院とかMBAとかは行く人まあまあいるのかな。

文系だったら、学者になる道はまず無いでしょ。

じゃあ法学部行って弁護士になるか、って人も一昔前だったらいたと思うけど最近弁護士が増えすぎてて司法試験受かっても大手事務所就職できなかったら悲惨で露頭に迷うって色んなとこで言われてて夢ないでしょ。

東大にいる友達最近東大生はせっかく文1受かっても最近はわざわざ法学部行って大変な勉強する人少ないって言ってた。勉強が楽で就職も強い経済学部が人気らしい。

弁護士でも目指さない限りだいたいの人が学部就職ちゃう就職しかないんや!

で、就活就活でなかなか大変。

大学で何勉強たかとか就活全然関係いから、みんな大学時代から就活に有利になるように色んな活動に励んだり励むフリしてる。

なんでか全然わかんないけど留学行くと就活に有利だからって1年だけ交換留学行って経歴かさ増ししたり、なんかよく分からないベンチャー意味があるのかよく分からないインターンに参加したり、はたまたもっと名のあるNPOとかNGOとかなんらかの社会的団体で働いたり、別に本気で救う気もないのに海外ボランティア行ったり。

あ、サークル頑張るとかバイト頑張るとかもあるwww

普通に大学勉強してまったり生きてたらだめで、みんな自分を大きく見せようと必死。いっぱいES出して小学生学力テストみたいなWebテストいっぱい受けて(東大生に受けさせて)グルディスで目立つように頑張って人間性くらいしかからなさそうな抽象的な質問ばかりの面接をいっぱい受けて、落ちる!

帰国子女ってだけの子がいっぱい受かってたり美人ってだけの子がいっぱい受かってたりするのを見ると何なんだろうってなる。おまけに理系院生も何を血迷ったか受けに来て勝ち目ないっつーの!

運良く良い会社に入れたら入れたでそれまた大変だよ。給料良いとこって激務なとこ多くてほんとに大変。

夜中まで仕事して、飲み会行って、飲み会から帰ってきてまた仕事!みたいな。飲み会も激しくて稼いでもすぐなくなっちゃう。

飲み会行かないと怒られるしノリ悪いと出世に響くっぽいから頑張って周りに合わせなきゃいけない。最初のうちは楽しいけどだんだん面倒くさくなってくるよw表には出さないけどw

まー今は給料良いとか言われてるけど今後どうなるか分からないし将来は不安

なんか面白いことないかな〜〜〜〜〜

anond:20170927201216

わかる

普通の人は散らかった部屋見ても「これは空のボトルからゴミ、これは洗濯済みの服だから引き出しにしまう、これは…」と一瞬で分類できるようだけど

私の場合は「モノ、モノ、モノ、わーなんか知らんけど散らかってるー」としか認識できない

視覚には問題ないのに時間かけないと散らばってるものを分類できない

抽象的なタスクだってそう

普通の人は手早く重要度や難易度を分類して「これは先にやる、これは後でで大丈夫」とできるんだけど

私は「スケジュールスケジュールスケジュール、わーやること一杯どうしよう」と焦ってしまう、そして焦るから余計冷静に分類できなくなる

本当なんでなんだろうね?

anond:20170927115332

中折れするタイプなら、バイアグラ

息切れするタイプなら、食べ物よりも日ごろの運動

スタミナという抽象的な言葉で求められるナニかは、状況によって異なる。

2017-09-26

私の左翼右翼

右翼左翼というカテゴリは、なぜか人に完全な説明を与えたような錯覚させる言葉だ。

一般的左翼的言説は、左翼進歩的であったり、人間中心的であったり、自他的であったり、自利的あったりする。

一般的右翼的言説は、右翼保守的であったり、自然中心的であったり、集団的であったり、個人的であったり、規律的であったりする。

これだけ雑多な概念ではあるが、左翼右翼対立していたり、対立していないこともある。

わたしは2つの概念に、どちらがより悪いかということを言うつもりはない。

これから書くのは、左翼右翼にある対するよくある誤解をできるだけ解いていこうという試みである

といっても私の力不足により、今は3つしかなく内容も不明瞭に見える。

それと誤解と断定して書いたが、恐らくは誤解であるという所だ。

なぜなら、左翼右翼完璧定義付けを、私はしないつもりだからだ。

それでは、なぜ左翼右翼に対する誤解と言うものを書けるのか。

それは左翼右翼に対してよく言われる一部の定義を仮として当てはめた時、明らかに左翼右翼思想が成り立たなくなり

そうなったときに、彼は左翼だ、右翼だと言うことがほとんど不可能になると思われるからだ。

ここで私のひとつ立場を明らかにしたいと思う。

私は"思想ジレンマ"というような言説、態度を認めていない。

どちらかのジレンマによる、右翼左翼キメラ的態度を認めないということだ。

(哲学的に言えば、ヘーゲル止揚という概念を認めていない。)

それを踏まえた上で、左翼右翼に対する誤解について書いていこうと思う。

左翼進歩的であり、右翼保守的である

左翼的言説とは、現状を改革することや、何かを変えようとの意向を持つ言説であろう。

右翼的な言説は、現状を守るときや、何かを大事にしようとするときのものだ。

これらから左翼は常に革命を求めており、暴力的であるとか、右翼は頭が固く時代遅れだなどと言われる。

まず、最初左翼的な言説に、まるで保守性がないというのは成り立たないことだ。

左翼が変革を起こす時、現状をすべて破棄するか、一部を破棄するかというどちらかを選択するだろう。

そして現在には存在しない概念を(規則など)を落ち込むことになる。

もし、その概念批判があれば、左翼はこれを守らなければならない。

その守るための言説に保守的言葉が無いとしたら、明らかにその概念はたちまち崩壊するだろう。

批判者の言説とは、おおよそこのようなものだろう。

君の進歩的概念適用された世界を認めたとして、その世界をどのように(同じような進歩的概念から)守るのだ?

次に右翼的な言説に、現状を進歩させるものではないとするものだ。

これは左翼的な言説に保守的な言説が混ざり込む以上、彼らは、その保守的な言説と戦わなければいけない。

その戦う言説が保守的ものだけであれば、ともに共存することになる。

右翼保守的なだけであれば、不純物と共存するだけである

そうではなく、現状維持のためであれば、不純物は取り除かなくてはいけない。

不純物を取り除いた後に、根本の原因である現状の変革を実施する。

劣化し始めるもの進歩し始めるのも、現状に問題があるためであり、その現状を彼らは変革するのである

しかし、その変革とは公平に見るとすれば進歩のものである

左翼保守的に見えたり、右翼進歩的に見えたりするのは、そもそも左翼進歩的であり、右翼保守的であるということを誤解していることによるのである

  

左翼相対的であり、右翼絶対的である

ここで抽象度が一気に上がって申し訳ない。

相対的であるとは、相対論自由という概念などである

(自由という概念は、相対的でないと成立しない。

もし私がりんごを食べるとして、ある場所では犯罪だが、ある場所では犯罪ではないとすれば

食べる場所によって犯罪の可否がきまるため、私がりんごを食べる自由相対的であると言える。)

絶対論とは、~べき論や、どこであろうと適用されることを望んだ言説である

これらにより、左翼優柔不断、すぐ裏切るなどや、右翼は頭が固い、傲慢だなどと言われる。

では、これも同じように左翼絶対的な言説が入り込む余地が本当に無いのだろうか?

その前に、左翼進歩的言説を行うものであることは、すんなり頭に入った人たちでも、

左翼相対的言説をしているか左翼だと認識することはあまりいであろうと思われる。

ここで相対的言説と絶対的言説について少し書こうと思う。

相対的言説とは、まさに例を取ってあげれば左翼的言説に近いもので有ることは理解してもらえると思う。

例えば自由や愛、幸福などだ。

自由を仮に絶対的定義しようとすればまさしく絶対的自由から抜け出すことこそが自由であると言うことが分かる。

こうすると、自由相対的という定義に転がり当てはまる。

絶対的言説とは、言説による力を発揮する場所定義するということである

例えば、国、集団など。その限定された場所によって、定義された言葉が、それに見合った意味となる。

さて、左翼相対的であるとのは、相対的言説を用いているかである説明した。

しかし、それは誤解である

左翼は確かに相対的言説を用いているが、よく見ればそれは、条件付きの相対的言説なのである

左翼相対的であるために、一定絶対性を必要としたのだ。

自由という概念は、他に絶対性がなければ、自由のもの絶対的ものとなってしまう。

そこから抜け出すために、一定絶対性を用意し、その絶対から自由を得ているのだ。

そのため左翼は完全に絶対的もの使用するため、完全に相対的であることはできないし望んでいない。

では、右翼はどうだろうか、右翼絶対的であろうとし、あらゆる不名誉を得てきた。

右翼絶対的たりうるための場所定義するが、その場所定義するプロセス相対的である

それは場所とは、物理的に言えば、自然によって決まっており、自然がもたらした、ものによって人が決めるのである

ある場所は良くないが、ある場所が良いといのは自然により決定している。

そして、場所定義することが相対的であるがゆえに

定義後の絶対性の担保にも相対性使用する。

こうして、右翼も完全に絶対的であることができず、また望んでいない。

左翼相対的に見える場合は、条件付けを見れば誤解であることに気づき右翼絶対的に見える場合は、場所定義確認すれば誤解であることが分かるのだ。

まり左翼相対的であることも、右翼絶対的であることも誤解である

  

左翼は実利的で、右翼は実利的ではない。

左翼が実利的に見えてしまうのは、ほとんど悪名高き功利主義によるものだ。

右翼功利主義をもたない。なぜなら功利主義幸福に関する思想であり、幸福という概念相対的言説だからである

このせいで、左翼感情のない人間という扱いになり、右翼計算の出来ない人間と言われる。

これは功利主義短期的な実利主義であるという誤解からまれている。

功利主義とはその場の短期的な視点での価値判断使用される思想ではないということだ。

もっと長期的な10年、100年というスパン幸福について考える思想なのだ

これらの左翼右翼の誤解はそもそも問題としては何なのだろう?

私が思うに左翼右翼という概念が、その人自身属性となってしまうことによるものだろう。

有る考えが進歩的であったとしても、その人自身はまるで関係ないはずである

しかし、左翼右翼とするとその場合は、人間と結合し、その人間自身左翼右翼的存在となってしまう。

本当に気をつけなければいけないことは、左翼的右翼的であることが、その本人の属性として、その本人の全人格を表すようにみていないかということだろう。

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