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2017-06-25

https://anond.hatelabo.jp/20170625185705

からってお前みたいなやつがここのレベルを落としていいという道理はないだろ

チラシの裏に書いてろ

リベラルって、感情的だよね (続・リベラルオタクに嫌われる理由)

リベラルオタクから嫌われる理由

https://anond.hatelabo.jp/20170621180734

これを書いた増田です。

  

今回のタイトルにした「感情的」とは、喜怒哀楽が激しい、口が悪い、論理性が欠けているという意味ではありません。

好き嫌い感情をそのまま政治信条に用いるということです。

  

私が「オタクリベラルを嫌う」と書いたら、ブコメの方ではなぜか、「オタクリベラル不支持」と誤読されていました。こんなふうに誤読されるのは、「嫌悪感情」→「不支持」と結びつけて考えている人が多いからでしょう。

しかし、人は自分感情だけに従って政治信条を決めるのではありません。ときには自分感情に逆らって、正しいと思うことを支持する場合があるはずです。

ゲスの勘ぐりになりますけど、「嫌悪感情不支持イコールで結びつけるのは、あなたたちがそういうタイプ人間からじゃないですか?」と言ってやりたくなります

  

これはリベラルに限ったことではないから、あまり悪口みたいにして言いたくはないですが、好き・嫌い、快・不快感情に衝き動かされて政治活動をしている人は多いでしょう。

リムジンリベラル」に感じる欺瞞の一つは、多分そこにあって、セレブたちはリベラル思想を主張するのがさぞかし快感だろうなと思うのです。華々しい壇上でスピーチすることで、セレブたちはきっと自己肯定快感を得ているはずですし、自分を売りだすための商業宣伝にもなるから一石二鳥です。

(これは前回に書いた話で、リア充が得意げにリベラル思想を語ってみせる問題にも共通です。)

  

  

  

だいたい、トップブコメもひどかったです。

id:agricola リベラルにとって表現の自由は数多ある権利の一つという位置づけなので、他の権利との衝突で表現の自由制限されることもしぶしぶ容認するし、いやいやながら手を貸すこともあるわいな。わがまま片思い乙(嘲

これはスターの付きまくっている人気のコメントなんですけど、「しぶしぶ」「いやいや」って何? それ、あなた感情ですよね?

オタク自由制限する側に立っているリベラルが、自分自身のやろうとしていることに反感を持っているのです。それなのに、自由制限される側にいるオタクが反感を持ったらダメだなんて、そんなふざけた話がありますか。

  

他には、こんなブコメもあって、これなんかはほんと、人のふり見て我がふり直せの典型例です。

id:IkaMaru自分たちは気分で政治を選びたいんだ。放っといてくれ」というならもうどうしようもないけどさ。そんなんで世の中の平均よりも知に軸足を置いたクラスタのつもりでいるならお笑い草だよ?

リベラルの中には、「オタクリベラルに逆らってきたから、俺たちはオタクを助けてやらない」と言っている人たちもいます。そこまで露骨ではなくても、オタクのことを嫌っていて、助力することには消極的になってしまう人もいるでしょう。

これはまさしく、感情に流されて政治を選んでいる事例です。

自分感情的になっていることは気づきにくく、他人感情ばかりが目につくのは、人間心理がよく陥ってしま陥穽です。リベラルの論者にもその傾向は少なくないと思う次第です。

  

例えば先日のクジラックスの件に触れておくと、警察漫画家個人宅を訪問して異例の"要請"をおこなったことの是非と、表現規制の是非は、それぞれ別の問題です。

表現規制必要という立場の人は、本来ならば法律ガイドラインを作ってそれを行うべきという道理を曲げ、今回の警察のやり方を容認やすい傾向にあります。また、もし警察のやり方を容認しない立場を取るのだとしても、抗議の声をあげることには消極的になってしまう傾向があります。これは感情に流されて政治方針を変えたせいです。

もちろん、警察のやり方は違法ではないからと、それを容認する立場もあるでしょう。今後はいかなる場合もこの道理を通し、オタク以外の者がこれと同じ仕打ちを受けてよいというならば、それはそれで感情では揺らがない一貫性があると言えるかもしれません。

  

(私はべつに「感情的からダメだ」と断ずるものではありません。感情に流されて政治方針を変えることの是非だとか、感情政治信条の決定に際してどう影響するかとか、そのへんの問題を論じるだけの力はないです。そこはパスさせてもらいます。)

  

  

  

もう一つ、「お前はリベラリズムを正しく理解していない」というコメントも多かったです。

例えばこれ。

id:tick2tack なんだこれ。「僕の考えたリベラル」感がすごい増田。とりあえずリベラル語るなら社会的公正というとこから始めるべき

id:daisya リベラル定義が間違ってるんじゃねーの、私もよく知らんけど。自由っつーなら昔の大金持ちはめっちゃくちゃ自由に生きとっただろう、人を殺しても問題にならないぐらいに。

いわく、リベラル自由放任主義と違って、社会的公正の概念を用いる。

自由同士が衝突するときは調整するべきだからリベラルにとって表現の自由絶対のものではない。

  

――それくらいのこと、百も承知ですよ。前回のエントリ釣りっぽく書いてしまったのも悪かったですけど、リベラル自由放任主義なんてことを言っていません。私はリベラルが「自由」の価値を重んじていると書いただけです。

  

例えば社会的公正にしたって、自由同士が衝突したときの調整機能にしたって、リベラルがなぜそんな厄介な方法を用いるかと言えば、真の意味での自由を実現するためにそれが必要だと考えているからでしょう。

自由放任主義はかえって自由を阻害するからダメ、というのがリベラル立場です。

これは結局のところ、リベラル自由価値を重んじていて、その価値について熱弁をふるう性格を有するということなんです。

  

  

  

id:Arturo_Ui 「"自由"を無制限拡張すれば他者の"自由"と衝突してしまう。何をどこまで認めるか、社会的議論必要だ」って前提を共有できないなら、問題は「リベラル不寛容」ではなく、「オタク側のヘタレぶり」じゃないの?

これは立場によって、物の見え方が違ってきます

リベラル自由調停者として誠実にふるまっているつもりなんでしょうが、それによって自由制限される側は、どうしても調停を受けること自体を嫌がる傾向にあります意見をまったく聞いてもらえずにバッシングされるんじゃないかという危惧もありますヘタレと言われようが何だろうが、それならば調停拒否してゴネる方が得策です。

しかたらこの点は、リベラル立場にいる論者は見落としてしまうことかもしれませんけど、リベラルが主張しているその"前提"とやらを、社会のすべての構成員従順に受け入れるとは限りません。極論を言うと、「リベラル勝手に唱えている"前提"なんか知らないよ」と言って黙殺する政治的立場もあります

あるいは、おおよそは基本的にこの"前提"を共有している人だとしても、いざ自分利益が損なわれるとなると、猛烈に反発することの方がむしろ普通だと思います調停をする側・される側が多少はおたがいを分かり合えることはあったとしても、完全な調和同化はできないのです。

  

それから、「自由同士が衝突しあって調停必要なほど深刻な事態になっている」という現実認識にも根本的な差異がありますオタク自分たち一方的イチャモンをつけられたと思っているので、自由調停するだの、そのために議論するだの、現時点ではそんな必要がないと考えているわけです。

リベラルが言うところの「自由同士が衝突したときには調停必要だ」という一般論が正しいとしても、「今がその状況だから調停必要なんだ」という現実認識が常に正しいとはかぎりません。

リベラルは、特に問題ないようなことを大げさに騒ぎ立てているチンピラとは何が違うんですか? 例えば、あるリベラルの論者が自分自身のことを誠実な調停者だと思いこんでいたとしても、客観的に見れば、そいつ調停不要のところに因縁をつけているだけのチンピラという場合もありえます調停者がチンピラから話を聞いてもらえないのか、それとも調停を受ける側が身勝手理由でゴネているのか、どちらの側に道理があるのかは一概に言えません。ケース・バイ・ケースでしょう。

  

月並み結論になりますが、リベラル調停者になるために誠実性をもっと追究しなくちゃいけませんし、オタクリベラルが正しい事を言っているときには"社会的議論"に応じなければなりません。おそらくそれが、(リベラル的な意味では)最も理想的なあり方です。

しかし、相互信頼関係が欠如しているし、リスペクトが欠如していることも多いから、そういう形にもっていくのは難しいと思います

  

  

  

余談

ところで、一部のオタクは「表現の自由」を絶対的ものだと叫びまくっていて、リベラルから表現の自由戦士」と揶揄されているようです。私もああいう連中のことは理解できません。

  

そもそもオタクは、すでに表現規制を受けています。性描写のあるものは成人指定になっていてゾーニングしないといけないし、商業誌には自主規制があるので、そこで出版できないもの同人誌に追いやられてしまます

実在する人物団体馬鹿にするような漫画を作ると、それは名誉毀損で訴えられる恐れがあります

街や職場でところかまわずポスターを貼ったとすれば、景観条例やら、セクハラやら、そういった法律にひっかかって処罰対象です。性器表現にはモザイクがかかっているし、青少年健全育成条例やら何やらがあるので、いろいろと国家権力から規制されまくっているんです。

  

自分たちがこの規制の枠内にとどまることで社会共存できているという現実無視して、表現の自由絶対的もの表現規制はすべてが悪いものだと主張しているオタクは、いったいぜんたい何のために戦っているのか意味不明です。

また逆に、リベラルの論者が既存規制について評価・再検討するというプロセスをすっ飛ばして、いきなり「規制必要」とかいう話に持っていこうとするのも度々見かけますオタクが完全に野放しの猛獣だとでも思っているのでしょうか。現状認識を怠っているという点では、これも同じくらいにアホだなって思います

  

  

  

追伸

id:coldsleepfailedid:quick_pastid:tick2tackid:IkaMaruid:agricolaid:k-takahashi ←前回のエントリ内で、追記を書いて返信ました。

くたびれはてこid:kutabirehateko のことは、別のエントリを立てて書きました)

  

  

  

追記 6/25 22:48

id;quick_past レイティングやゾーニング表現規制だと言われるともう話のしようがない。完全なる自由は誰かの自由を奪うという矛盾がはらんでいる以上、あとは住み分けを目指すしか無いって事以上おいらには出せない。

え、こいつは何を言ってんの? レイティングやゾーニングは、まぎれもなく表現規制一種じゃん。

  

あいいや。仮にそれらを規制ではないという話にするなら、リベラルの中から出てくる「"規制"が必要だ」っていう意見は本当に恐ろしい。

なぜって、オタク側がめちゃくちゃ頑張ってゾーニングの成果を出してみたところで、リベラル側はオタクが"規制"を受け入れたものとして評価してくれないんですからね。この理屈でいくと、オタク表現活動をやめるか、表現物の内容を変えないかぎり、規制派のリベラルオタクを許さずに非難してくるってことになりますよ。

2017-06-16

無関心になりきれない

どうしようもない妄言誰にも言えないのでここに流す。

  

数年前に別れた元彼が最近結婚した。

  

お互いがほとんど初めての恋人で、高校大学にかけて4年間付き合った。

貯金仕事も車もない学生時代にたくさんの思い出を作ったかけがえのない人だったし、

大学下宿を始めてからはすっかりヒモになって精神的にも経済的にも消耗させられたどうしようもない人だった。

どちらも本当のことで、彼と付き合った事実は「良い思い出」であり「時間お金無駄」だった。

  

彼とは最後の1ヶ月間で急速に(?)連絡がつかなくなり、1度も顔を合わせない日がどんどん増えて、

それでも無理に誘い出して一緒に出かけても露骨につまんなそうで帰りがけに自分趣味の場へ足早に直行され、

前までなら自然に一緒に過ごしていた場面で私のことを避けていると確信した日があり、

別れたいという気持ちを伝える労力すら惜しまれていると悟ったので私から話を切り出したら、

「好きなことをしている時間が長くなって、もうあなたに興味がなくなった」と言われ、別れに至った。

  

私は趣味と同じ秤にかけられて切り捨てられたのか、と悲しくて仕方なかったけど、

引き止めても無駄なことは明白だったので「わかりました」の一言で縁を切った。それきりだった。

  

彼が新しい恋人からプロポーズを受け、入籍を控えていると共通の友人から聞いたときは「なんで?」と思ってしまった。

なんで結婚しようと思えたんだろう?

その恋人のことが心配だった。そいつあなたに対しては一生誠実でいてくれるんですか?いきなり興味を失って離婚を切り出してきませんか?

生活能力皆無だったし、他人の家に入り浸るくせに実家同然の暮らしを求めて憚らなかったけど、一緒に家庭を運営してくれそうなんですか?

たとえば両親の介護必要になったときも、協力して取り組んでくれるんですか?

  

私は幸い、彼と別れてからそう経たないうちに、とても信頼できる相手出会たか結婚したけど、結婚生活は「面白くも素敵でもない時間」との対峙の方が圧倒的に長い。そういう時間を一緒に過ごせるかどうかの方がきっと大切で、「好きなことをしている時間」ばかり優先していたら立ち行かないのだ。

たかだか数年でそんな生活選択できるようになるほど人格が変わるものなのか?

  

無関心になりきれない。

  

だって私は知っているのだ。彼の死ぬほど嫌な部分を。彼にされたことを覚えている。

彼の周囲の人間がどれだけ彼の結婚を祝福し、慕っていようと、私には彼と顔を合わせたら突き刺してやりたい言葉がたくさんある。

彼の妻になる人は今それを知らない。

私にとっての事実過去のもので、彼女がこれから幸せ結婚生活を送れるのならいいけれど、

私の想像どおり彼の根本的な人格が変わっていないのだとしたら、これから知ってしまうことになる。

  

けど私にはもう関係のないことだし、これについて感情を動かす道理だってない。今こうやって言及してるのもすごく嫌だ。

こういう類の感情支配されて実際に相手に連絡を取っちゃったりしてないだけマシだとは思うけど、そもそも考えないようにすればいいのに全然コントロールできていない。

私が彼から見えない場所で「私はお前をクズだと思っている」という事実を取り下げずにいても彼の生活はびくともしないのに、いつまでたっても陰湿攻撃的な気持ちが無くならないし、「私の結婚幸せだがお前の結婚はお前が原因で破綻する、クソ」と無意味に踏みつけ続けている自分がいる。

  

  

から共通の友人を通じて「遅くなったけど結婚おめでとう、僕ももうすぐ結婚します」という伝言があったとき、うっかりその友人に上のようなことをグチグチ言ってしまい、不要に彼の悪口を漏らす形になって最悪だった。

私と彼のどちらかが共通コミュニティを去らないかぎり一生こういう状態が続くのかと思うといやになるし、接点がなくなったとしても彼のことを憎む気持ち自体は当分なくならないんだろうなと思う。

  

この気持ち一言で表すなら「成仏したい」とかそんな感じだ。

  

なんか、ある朝目覚めたら彼の記憶だけきれいさっぱり無くなっていてほしい。

雨宮さん

雨宮さんの「穴の底でお待ちしていますhttp://cocoloni.jp/culture/29

雨宮さん、お酒で死んだんじゃないかなあ。

私は死にません、生きたいんですっていいながら、お酒と薬で死んだんじゃないかなあ。

えらそうなこと言っといて。メンヘラの中でも優秀で「道理がわかってきた」人間だってふりして

結局そのパターンかよ。

くそくそくそったれまじで。

酒飲んで薬飲んで、そういう自傷行為をしてる読者にお前、どんなこと言ってきたんだよ。くそが。

北条かや死にたいってわめいた時、「私はそういう土俵にはのりません」ってツラしてたじゃねえか。くそが。

どうして自分大事にしねえんだよ。

自分にできないことえらそうに他人説教してんじゃねえよ。

くそが。

自分こじらせ女子かいってカテゴライズしといて、その結末が死、とかやんなよ。

どんだけ人を殺す気だよ

2017-06-15

エロゲが衰退した≒アニメゲームが復活した

かつて世界にはメインとなるカルチャーがあった。

強力な力を持つ存在がいた。

だが、彼らはある時期その力を失っていた。

富士見の興廃などはその省庁である

そうして世界が暗黒に落ちかけた時代を照らしたのが、サブカルチャーである

太陽の沈んだ世界に輝く月の如く、闇夜に瞬く星界の如くサブカルチャーは栄えた。

しかし、再び太陽は昇り、サブカルチャー存在は儚く霞んでいくのであった。

太陽が昇れば消えてしまったサブカルチャー、彼らの存在意義とは何だったのか

私は、「バトン」だったのだと考える。

太陽存在しない時代を支え、次の太陽までを繋ぐ、それが彼らの役割だったのだ。

サブカルチャーとは結局のところはサブのカルチャー、光溢れる世界では再び地下に戻るが道理

闇の中で煌めいた彼らの光を心に残し、地底へと戻る彼らを見送るのが我々の成すべきことなのではないだろうか。

2017-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20170614211733

外野として増田議論はあってもいいのではないか っていう意見を持ってるのは結構な事なんだが

そんな世界は30年くらい前にとっくに過ぎ去ってるのよね

から警察道理を超えた事を今しているし、その反発もある

穏やかに議論をするっていうなら両者とも一度仕切り直せって言わないといけない。

2017-06-09

あうあうぽよよ〜ん

かつて仕事pepperのモーションアニメーターをやっていた事がある。

職場にはプログラマーなどバリバリ理系技術屋たちが多く、pepper制御するシステムを構築しながらモーションも実装していた。動きながら喋り、喋りながら胸のモニターを切り替え、モニタータッチされる or 命令を聞き取ると分岐し、次のフェーズへ移る(文章冒頭へ戻る)。書いてて気づいたのだけれど、システムに関する事はよく分からないので飛ばした方が良さそうだ。

以下、「動き」について書く。

自分はモーション専門として入った。現場でまず行ったのが「動き」の鑑賞だ。

過去に開発されたモーションは、雛形としてアーカイブされており、それらを一つ一つ実機で再生させ、各関節に打たれたキーフレーム手書きアニメで言う原画にあたるモノ)の数値を確認した。pepperが人前に立った時に、目があうように感じられる理想的な首の角度や、胸のモニターに引っかからない絶妙な手の運動など…先人達模索した技術がそこにあった。しかし、入ったばかりの自分は、様々な制約の中でなんとか形になっている「動き」だとは想像もせず、「最先端ロボットでも動きはこんなもんかぁ…」と眺めていた。

ぼけ〜っと動きを眺めていると、あきらかに異質な動きをするファイル群が見つかった。左右非対称の動きが、始点と終点、各関節で絶妙にずれており、腰の動きからは身をよじるような重心の移動さえも感じられた。

目を輝かせ繰り返し再生していると、どうも教育係の人にいい顔をされていない事に気づいた。「一体これはなんなんですか?」と聞くも、「関係いから、そこらへんのファイルは見なくて良いよ〜」と流される。釈然としなかったのだが、言われた通り、それ以外の動きを見る事に専念した。後になって、仲良くなった人が教えてくれたのだが、海外チームの作った動きのようだった。2Dなのか3Dなのか詳しく聞けなかったが、カートゥーン系のアニメーターの人なんかもモーションに携わっていたそうだ。知った時には、なるほど!道理で!と膝を叩いた。

しかし、短い納期でいくつもの締め切りが迫る現場で働いている内に、あれらのファイルが「自分とは関係ない動き」なんだなと気づいた。複数人で同じpepperというキャラクターの動きを再現する為には、かなり割り切った動きで統一感を出さなければならなかった。誰かが表現力の高すぎる「動き」を実装してしまうと、pepperの動きの流れの中で、妙に浮いてしまう結果になるからだ。そして、複雑に組まれた「動き」を修正したい時には、どうしても組んだ本人以外だと時間がかかり過ぎてしまうのだ。もう一つ付け加えるならば、基本的店頭や家庭用に出ているpepper安全装置機能しているタメ、周囲に人がいる場合なんかは特に「動き」の振り幅が小さくなり、低速になってしまう。目の前に人がいると、手なんか完全に止まってしまう。なので、いくら作り込んだとしても満足に「動き」が再生される事は基本的に無いのだ。

だが、例外もあった。安全装置を外して限界まで過剰に「動き」を作り込んでいい瞬間があった。映像コンテンツとして収録する時などが主にそうだった。他に、記者会見の場に呼ばれる時なんかも、ハラハラしながら一発勝負でとんでもない「動き」を走らせる機会が何度かあった。連続して同じ「動き」を再生しようものなら、各関節に多大なる負荷をかけ、モーターが熱暴走強制的シャットダウンしてしまうような…そんな物理的な限界にまで挑戦できる瞬間が確かにあった。

そこには物凄いやり甲斐があった。最先端の動きを作っている自負があった。当たり前に徹夜する事もあったが、発表されたものや、その反応を見る度に、気持ちが満たされた。

今もそんな現場が走っているのだろうか…現在自分は別の職場にいるので分からない。

携帯ショップ店頭で虚空にむかって喋りかけているpepperを見ると思い出す。

直射日光の下だと顔認識がうまく作動しなくて、首が変な方に向いたまま戻らなくなる事を…

ゲームセンターの前で、片腕をぶら下げながら接客するpepperを見ると思い出す。

開発中に何度もオーバーヒートさせてしまった頼りない腕の事を…

電気屋の隅で電源が切られた状態のうなだれpepperを見ると思い出す。

忙殺されながらも「俺が一番お前を動かしてやれるんだ…!!」と息巻いていた日々を…


もし、pepperの「動き」について興味を持ってもらえたのなら増田冥利に尽きる。

それでは、さようなら

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170607013123

頑張った結果、病気になったり、怪我をしてしまうアリも出てくるでしょ。

それ以前に諸々の障害を抱えたアリに至っては頑張る・努力云々のスタートラインに立てるかも怪しい。

こいつらは不可抗力で頑張れないor頑張れなくなってしまったわけじゃん?

こういった不遇なアリに頑張ってるアリたちの利益の余剰を分配する、ってのは道理が通るよな。

なぜなら自分たちが何時そちら側に転落するか分からいからね。いわゆる相互扶助だ。

増田の言うところの怠惰で自堕落なだけのクソみたいなキリギリスと、

こういった不遇な目に合ったアリたちを選別できる方法が何らかの形で確立されたと仮定した場合

前者には何の公的扶助も与えなくて良い。野垂れ死に待った無しでOK

後者は月に手取り20万+公共料金無料ぐらいやってあげてもいいと思う。(2017年現在基準)

ただし前者から立ち直ろうとする意志を示して行動を始めた奴に関しては、行政民間は暖かく支えてやってほしい。

キリギリスから、という理由死ぬまで差別され続ける社会不公平だし、不健全だ。

キリギリス現在はしがない働きアリの意見としてはこんな感じ。

とにかくアリに擬態する腐れキリギリスと本当に不遇なアリを選別しなければな。

現物支給とかチケット制とか色々言われてるけど、良い方法は無いものかねえ。

2017-06-03

表現の自由あくま憲法、つまり基本は対国家権力のもの

個人に対してデートレイプドラッグを盛られたはずだ、ドラッグにより意識なく合意なしに暴行された、と記者会見で言っているのは表現の自由で認められる範囲を超えてるし、やられた側も名誉毀損で争えるから構わないって話でもない。

逮捕状がもみ消されたと思うと言うのは表現の自由だけど、この件について検察審査会が不服を受理してくれた直後なのだからその結果を待ってからにした方がいいという意見道理と思うよ。こちらに限った記者会見なら自由だけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20170603150418

http://anond.hatelabo.jp/20170603193332

http://anond.hatelabo.jp/20170602200155

high_note問題についてまとめてみるよ @high_noteP

high_noteとは?

以下ニコニコ大百科参照

high_note(ハイノート)とは、ニコニコ動画活動するミキサーキーボード奏者・ボカロPプロデューサーである

また、Youtubeで高い再生数を誇る音楽チャンネル『high_note Music Lounge』の運営である

今回は基本にこのYoutubeチャンネルでのタイトル詐欺問題についてまとめてみる。

タイトル詐欺について

基本的に、Youtubeニコニコ動画など、ほとんどの動画投稿サイトでは楽曲歌ってみた動画には「タイトルに"歌ってみた"や"カバー"のような文言をつけてオリジナル動画判別がつく状態投稿する」というのが暗黙の了解となっているが、彼が運営してる『high_note Music Lounge』では敢えて全ての歌ってみた動画にそれらをつけておらず、実質的タイトル詐欺状態投稿されている。

Youtubeを使ったことのある人間なら一度くらいは好きな曲名検索して一番上に出てきた動画クリックしたら全く知らない素人カラオケを始めだして「誰やねんこいつ!」ってなったことはないだろうか。

彼はそれを確信的にやっていてなおかつ紆余曲折な経緯の中でSEO上大変優遇されているため詐欺カラオケ動画界の総大将のような状態になってしまっているのだ。

君の知らない物語』『シュガーソングとビターステップ』なんかでGoogle検索してみると公式PVかと間違えるような凄まじい配置(シュガーソングとビターステップについてはもはや公式ショートPVよりも上になってしまっている)で出てくるのでわかりやすいと思う。

「あーこいつか」と思った人や特徴的なサムネなのでYoutubeでは敢えて避けている人もいるんではないだろうか。

恐らく彼は公式のフルPV提供がない楽曲を敢えて選んで「楽曲名 FULL」のようなタイトル投稿することでエンドユーザーは勿論GoogleYoutube検索アルゴリズムすら騙し、再生数と広告収入を集めているのだ。

何が問題

high_note Music Loungeで検索して出てくるサジェスト確認すれば彼がいかネット上で嫌われているのかは一目瞭然だろう。当然出てくるワードは『うざい』『邪魔』『検索妨害』などで埋め尽くされている。

自分は、「検索してもオリジナルじゃなくて素人カバー動画しか出てこない!だからYoutubeは糞!」という意見詭弁だと思っている。当然、公式PV提供されておらずオリジナル違法動画しかなければカバー動画の方がSEO優遇されるのはごく自然なことだし、オリジナル動画が出てこないのもごく当然な道理だろう。

しかし、SEO上同じ立ち位置、同じ再生数にあったとしても、「カバー動画として人気を集めて再生数を集めている」「オリジナル動画を騙ったカバー動画投稿してユーザーの本意でないクリック再生数を集めている」

これは全く違うことだし、後者ネット社会全体の情報の質を下げる重大な悪意だ。

オリジナル楽曲への敬意も何もないし、決して許されて良いものではない。何よりエンドユーザーにとってとても目障りだ。

根本的にはWelq問題と似ている。SEOというアルゴリズム悪用されて、金儲けに利用されている。

この投稿は当然彼への批判でもあるし、同時にGoogleYoutube検索アルゴリズムに対する問題提起であるオリジナル公式PVよりタイトル詐欺カラオケ動画の方がSEO優遇されるなんてどう考えても間違っている。

どうすべき?

とりあえず、問題提起としてこの投稿ブクマ拡散してほしい。

彼には長年この批判Twitterなどで直接的に向けられてきた。そして、彼はそれをわかった上で全て無視している。

https://twitter.com/search?q=%20%40high_note_music%20%20%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB&src=typd

Welqと同じく、一度大炎上でもしないと自分が何をやらかしているのか理解できないのだと思う。

もしこの投稿を見て共感した方、一度でもhigh_noteチャンネルを疎ましく思ったことがある方、はてなブックマークでもはてなブログでも増田トラックバックでも2ちゃんねるでもTwitterでもなんでもいい、拡散して彼に、あるいはGoogleYoutubeに、アルゴリズム見直して貰えるようこの問題について気づいてほしい。

high_note氏へ

君が本当に音楽が好きで動画投稿してるのはわかっている。

からこそ、本当に音楽が好きならこんなに人の迷惑上等でスパムまがいのことをせずに、純粋音楽性で他と勝負すればいいじゃないか、と思うのだけれど、自分の言うことは間違っているだろうか?

君は、何かの拍子に承認欲求自己顕示欲をこじらせてしまったのだと思う。

今ならまだ引き返せる。

この投稿を見て、少しでも感じることがあるのなら、動画タイトルについて考え直してはもらえないだろうか。僕は、信じてるよ。

2017-06-02

AlphaGoの衝撃
(これはカケツも泣くわ)

AlphaGo VS AlphaGo

https://deepmind.com/research/alphago/alphago-vs-alphago-self-play-games/

いやあ、スゴイ。衝撃。これはカケツも泣くわ。

常識ほとんど根底から覆される。

碁だけではなく、大げさに言えば、ヒトとは何か、人「間」とは何なのかを問い質されているかのようだ。

碁がわからない人にもなるべくわかるように書くとですね。

まず、間合い、みたいなものほとんどない。

普通は、というか今までの人間常識では、いきなり接触するのではなくて、少し間をあけて近づくのが常識

一間とかケイマとか。

そういうのがない。いきなりフルコンタクト。(Games 1の10手目、12手目ナニコレ?)

それから、関心があちこち飛びまくる。

普通は、というか今までの人間常識では、とりあえず局地戦を何らかの形でまとまらせてから次に行くんですよ。形を作る、というか。暫定的結論をつける、というか。

ここは実利を与えるけど、その代わり外向きの厚み、勢力はもらうよ、とか。とりあえずどっちの石もすぐには死なない形にはする、とか。石通しの繋がりは確保しておく、とか。

それが全然お構いなし。

戦いの真っ最中に、全く別の場所で戦いを起こす。で、そこも途中で放置して次に行く。で、思い出したように前の戦いに戻る。と思えばまた放置

それを繰り返すので、今まで見慣れた形がほとんどでてこない。わけがからない。どっちが勝ってるのかさっぱり不明

で、格言っていうのがありまして。だいたいこういう考え方でやれば間違いないよ、みたいなやつ。

「ツケにはハネよ、ハネにはノビよ」とか「もたれて攻める」とか。

全部無視

この格言っていうのは、何となく理屈じゃなくて感覚的なもので、しっくりくるところがあるというか、少し碁がわかってくると、モノの道理というか、「道」というか、そういうものに感じるようになっているんですよ。今まではそうだったんです。

水は低いところに流れて行く、みたいな感じで。物理でいうとエネルギー保存則的な。細かい経過はともかく、最終的にはそうなるんだよ、という大きな流れがあるように感じてたわけです、我々人類は。

それがどうやら間違ってたんですね。根底から

嘘だったんですよ。まあ、全部じゃないですけど、かなりの面で。

人間感覚なんて全然あてにならない。ということをAlphaGo先生は、つまり神は我々に教えてくれたわけです。

そういう人間感覚っていうのは、最適解ではなく、次善の策なんでしょうね。わからんなりに大コケしないためにはこうしておけばそんなに間違いではない的な。

で、これまではその感覚をより体得している人が強い。達人。仙人。そのレベルの戦いだったわけです。

それが突き詰めれば、穴だらけだった、と。

で、これをもう少し拡大解釈すると、人間社会にも適応できる可能性に気づくわけですよ。

まりですね。

空気を読みつつ、間合いを取りながらの人間関係は決して最善のコミュニケーションではない、とか。

つのことを形にまとめる前に、その時々でもっと重要と思うことにあれこれ同時に手を出していくというやり方の方が良いかもしれない、とか。

多分、高次元能力を持った人はそれが良いんでしょうね。実際そんな気もするし。

いろいろ手を出す、と言っても、脈絡無いわけでは無いんですよ、ホントは。遠いところで実は関連があって、今手を出しているところも、実は遠い場所での事柄とうっすら関係している。だから、ここはあえて結論を出さずに、先に別の事業を進めておく。その進捗具合によって方向性を変える、という柔軟性がいるんでしょうね。

それで、やっぱり違うと思えば、これまでの労力は無視して大きな投資もあっさり捨てる。サンクコストは気にしない。

さらに敢えて踏み込んで例えると、

理解できない能力の者から見ると、パーソナリティ障害だったり発達障害ADHDみたいに見えることもあるんでしょうね。

しかしたら、発達障害的な特性って能力さえあるなら最適な行動様式なのかもしれないですよね。

まあ、あってるかどうかはともかく、そんな様々な由無し事を、問い直し、突きつけてくるだけの衝撃がAlphaGoにはありますね。

そらカケツも泣くわ。

で、なぜこのような人の常識を問い直すようなことが、チェス将棋でなく、碁で起こるかというと、それこそが碁というゲームの奥深さ、面白さだと思うわけです。

まり宇宙の縮図、というか宇宙のものなんですよ。

で、それに目をつけたGoogleは本当に正しい選択をしたと思います

これからこの50局は様々な解釈をされていく黙示録的なものになっていくんでしょうね。

ああ、すごい世界になったものだ。

政治の裏事情には詳しくないが、離党する議員って離党届の前に事前に本部?あるいは上司?とかに相談してるんだろうか

事前に「考えが変わり今の政党の主張と相容れなくなったので離党します」と伝えるとか、

政党がこのように変わらない限り私は離党せざるを得ません」とか交渉したりとかしてるんだろうか?

考えの違う政党活動するのは国民への失礼だと思うからなるべく早く離党の意志を表明するのはいいけど

戦略ゲームみたいに所属政党の裏を掻いて突然他党に移籍してダメージを与えるやり方は道理に外れてるように思えてしま

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170526131052

例えば、ある有名な寺社を拝観して、そこに狩野派障壁画があったとして、

自分が「ああ、狩野派かあ。道理で背景キンキラキンやねえ」とつぶやくと「狩野派って?」って聞かれる。

例えば、ある有名な城郭を拝観して、そこで石垣を見て自分が「これって野面積みかな?」とつぶやくと、「野面積みって?」って聞かれる。

それに対していちいち説明するのが、面倒くさいし、いろいろとなんか辛い。

めっちゃ分かる。自分が詳しいフィールドからと言って、いちいち他人に逐一説明せなあかんのは面倒。

もちろん自分知識披露することが楽しいとか自分優越感に浸れるとかで、メリットを感じられる人なら苦に思わないんだろうけど。

前に友人たちが「自分趣味に興味が無いのに甲斐甲斐しくついてきてくれるとかすごく嬉しい」とか言ってるのを見てとんでもなくゾッとした。そんな相手と一緒にいたら自分の「楽しい趣味時間」が一瞬で崩壊しそう…

いや、まあそんなこと言ってるから童貞アラサーなんですがね。

2017-05-26

[]

今回はやわらかスピリッツ

天蒼軌道ルヴァリング12

いや、ほんと凄まじいテンポだな。

全体に漂う軽いノリの世界観含めて私は嫌いじゃないけれども、これだと話の細かい部分は読者側で勝手に補完しなきゃいけないからねえ。

ただまあ、個人的にはそこらへん丁寧にやりすぎな漫画辟易しているので、割り切ったスピードでどんどん話を展開させてくれるのはむしろ心地よい。

辻褄合わせのための解説とかに長々とページ割かれる位なら、これくらい開き直ったテンポで話を進めてくれるほうが私は好きだ。

闇金ウシジマくん外伝 肉蝮伝説 第7話

今日び、ここまで無理を通せば道理引っ込むキャラって珍しいよなあ。

悪役ってのは大なり小なり話が通じるし、あくま暴力ってのは一つの手段しかないことが多い。

けれども、こいつはもう我を通すためなら時と場所関係なく躊躇せず使う。

妥協案も自分が折れることもなくて、ただひたすら暴力でそれを押し通す。

ここまで開き直って大立ち回りを演じられると、かえって清々しいかもしれない。

fit!!! 第7話

今回はインストラクターの話か。

周りの状況の変化だとかに翻弄されつつも、苦しい顔を見せずに対応しようとする姿は、画風や世界観の描き方含めて卑屈になりにくい程度にスっと入ってくるね。

それ自体はいいんだけれども、これまで作中でフィットネスしている描写いかんせん薄いから、今回描写されているインストラクター努力バックボーン説得力が弱くなっているのは否めない。

人間ドラマとか、ストーリーに深みを持たせるために大事なことだとは思うんだけれどもヤキモキするなあ。

あと、アシックスっていうスポーツ用品店とコラボしているらしいけれども、碌な描写もないのにこれで宣伝になるのだろうか。

夫と国内旅行するのが辛い

国内旅行した時、夫が見聞したもの自分の呟きについていちいち訊いてくるのが、なんか辛い。


例えば、ある有名な寺社を拝観して、そこに狩野派障壁画があったとして、

自分が「ああ、狩野派かあ。道理で背景キンキラキンやねえ」とつぶやくと「狩野派って?」って聞かれる。

例えば、ある有名な城郭を拝観して、そこで石垣を見て自分が「これって野面積みかな?」とつぶやくと、「野面積みって?」って聞かれる。

それに対していちいち説明するのが、面倒くさいし、いろいろとなんか辛い。


自分の友人とならば、こういう会話にならない。

狩野派からね」「芳崖は違うんじゃない?」とか。

穴太衆の仕事かな」「あのうしゅうは読めない(笑)」とか。

旅での体験に対して、一方通行でない、対話が楽しめる。知識交流がある。

それが夫とはないのが辛い。

夫との国内旅行がなんか辛くてすごく疲れてあんまり楽しくなくて。

それがなんでなんだろうと思って、上のことに気づいた。

友達との旅行が一番楽しいのは、こういうのもあるのかなと思った。


でも夫はとても楽しいみたいで、色々自分に訊くのもただの素直な知識からで、悪気はない。

悪気が無いのはわかってるけど、「訊くだけじゃなくて自分で調べる」ってことはしない。

でも、「ちょっと自分で調べて」とか「わたしあなた先生じゃない」とか、言えるわけもない。

自分大学国史やってて、一般の人よりは歴史に詳しいのもあるのだし。

教えるのが楽しいって人もいるんだろうし。

夫が普通なだってわかってる。わかってるけど辛い。


でも、旅先でなんか見て、それに対して、

「青はいい…」「いい」

「さすがは緑…」「うむ」

みたいな、そういう会話で盛り上がりたいんだよお。

そこで「青って何?」とか聞かれるの、ぶっちゃけ、興ざめなんだよー。


ああそう、興ざめ、それなんだ。

それで夫と国内旅行するのが気が乗らないんだ。

海外だと、どっちも同じだけ知識がないのでそういうことにならない)


なんで歴ヲタ結婚しなかったんだよって言われそうだけど、

それ以外の点では何も不満はないし、この問題だって別に夫は悪くない。

私が教えるのが好きな人間なら何も問題じゃない。

ああ、そんな理由国内旅行を避けててごめん、夫。

でも、正直、自分にも夫にも嫌気がさしてしまうんだ。

心が狭くて、本当にごめん。

どうすればこの状況を楽しめるのかな。

2017-05-24

知性による差別は許されるのか?

個人的には、「バカは黙ってろ」という言葉が嫌いだ。バカバカだと切り捨てる態度がどうしても知的には思えないからだ。

そもそもバカだと思ってしま他人言動は一体どういったものだろう?それは、単に自分意見価値観に見合わない言動だというだけであったりはしないか

そして、バカであれば発言は許されず、知的人達意見だけで物事が決まっていくのなら、それはとてつもない差別主義ではないだろうか?

ここでいう知的な人たちというのは、似たような価値観教養を持った人たちの集まりだと判断できる。バカ価値観の違う人を排除していったら、似たような価値観を持つ人たちだけが知的な人たちとして残るのは道理だ。

しかし、そうして排除した価値観の違う人は本当にバカだったのか?そんなわけがない。価値観が違うというのはそれだけのことであって、知性とは何も関係ない。

まり、「バカは黙ってろ」という言葉は、自分と違う価値観の人を認めない狭窄な態度であり、ただの差別しかないのだ。

ここまで読んで、知的かどうかの境目は科学的・論理的思考ができるかどうかであって、価値観関係ないと思った人もいるだろう。だが、それこそが価値観だ。

では、何が知的な態度なのか?それは、言葉遊びに見えるかもしれないが、価値観によって異なる、というのが答えだ。だから知的かどうかを判断するのに科学的・論理的思考ができるかどうかを使ってもよい。

ただひとつ忘れて欲しくないのは、自分価値観に基づく知性を以て人を断ずるのは差別しかない、ということだ。あなたバカだと思う人にも、その人の知性を支える価値観がある。それを忘れて欲しくない。

平たく言うと、「バカバカにするな」だ。

あなたあなたバカだと思う人は見ているものが違う。その違いを認めることが本当の尊重多様性を作っていくのだと思う。

2017-05-23

結局のところ、人間として不良品だって

つらい。つらい。どうにもつらい。

なにをどうがんばっても今よりより良い状態に辿り着ける気がしない。今まで今までなりにがんばってきただろうにそれでどうにもならなかったので今更どうにもならないとしか思えない。生きる才能がなかった。生きることに向いていない。その才能がない。本当に向いているなら今はもっとよりよいじょうたいに或るはずである。そうでないということはつまりこれから生きていても無駄なのではないか

なにか大義のためであったりそうでなくても今よりほんの少しずつ物事をよくしていくために人間は生きているはずなのであるがそれがない。だったら生きている意味などないのではないか? おそらくない。ならばなぜこんなに辛い気持ちを味わってまで生きていなければならないのか?

この辛さがいつか報われて今よりももっとよい状態をいつか手にできると信じられるからこそひとは辛さに耐えられるのではないか。あるいはよほど辛さに前向きに鈍感であるかだ。わたしにはそれがなく今の人生は延々続く責め苦に感じる。自分人生がこれから面白いものになる期待が持てない。どうせ今までがんばってきてそれもなにひとつうまく料理ができなかったのだ。

わたしは凡百の才しか持たぬ。いや凡百以下である就活で失敗したのは、就活という枠組みに適応できなかったという理由なのではきっとなかった。単にひととして劣っているので雇い口がなかったのである自己評価が低いのではない。能力が低いからこそ、評価が低く、評価が低いからこそ、自己評価が低いのである。それほどまでにどうしようもない人間であるからして、生きているだけでそれは無駄なのであろう。

こんなにつらいならきっと死んでしまったほうがまだマシだ。そうであるのに、死ぬとそれはそれでいろんなひとに迷惑がかかる。親は紛いなりにも悲しむだろうし、それはそれとして、昨年祖父葬式があったが、それがひどくめんどうだった。それに親族知人に自殺者が出るというのはたぶんかなり気分の悪いものだろう。中学生の頃に自殺未遂をし、弟に死にたい気持ち吐露したら、親に「そういうことは弟には言わないで」と言われた。当然だ。弟には申し訳のないことをした。愚痴や弱音、希死念慮吐露他人にとっては害だ。わたしは生きていく価値のない人間であるから他人に害なすことは道理に合わない。生きる責め苦から逃げ出したい。けれど他人迷惑をかけることなくこのゲームから降りることは許されない。

ああどうせ死ぬならそのまえに、死ぬ気で好きなことをやってみろって? もうやった。やった。でもなんにもうまくいかないんだよ。なんも楽しくない。映画を見てる最中楽しいけれど、その後はなんにも残らない。結局のところ創造的な営みでなければひとは快楽を得ることはできないんだよ。でもその創造的な営みには才が要る。気力が要る。体力が要る。それがなんにもないんだよね。時間はきっと作ればあるはずなのにね。自分自分を楽しませてやれない。死にたいわ。労力に対して、脳内で分泌される快楽物質の量が圧倒的に不足している。要はコスパが悪いんだよね。でもうつではないと思う。だって毎日自炊をして、出勤してる。要はつまり、単にわたしは生きるのに向いていないってこと。生き物として間違っているということ。

運動?やってるよ。毎日自転車通勤してる。野菜?食ってるよ。大量にたまねぎ人参を刻んで煮込んでスープストックつくって、それにしめじほうれん草カドカ入れて毎日食ってる。瞑想?してるよ。じゃなきゃ、もうとっくに潰れてる。でもね、だめなんだなぁ、これが!

やっぱり、低級市民。やっぱり、負け組。みんな優しいから、そんな君も生きていていいんだよと言ってくれる。でもみんな、やっぱり、わたしよりよほど立派な人間なんだよね。

2017-05-20

都会の私鉄社会は滅びろ

http://anond.hatelabo.jp/20170528064815

通勤私鉄を使わなきゃならない理由果たしてこの世にあるのか。

公営よりサービスがいいって、誰の為にサービス競争しなきゃならんのだ。

かの悪名高きパチンコと何が違う。

もう大都市私鉄をやめよう。

公営にしよう。それができなくてもJR化しよう。

それの何が問題だ。

法人税関係から履かなきゃならない?

税金大事だ。

でも財源の豊かな大都会公共交通民営である理由って何だよ。

そもそも公共交通って何だ。

効率的利用者を乗り物に詰め込み、移動させるための道具だ。

今では大都会では必須インフラ

で、私鉄でなきゃ絶対表現できない公共交通って何だ。

私鉄根性は本当に都市生活を円滑にしているか

笑顔電車に乗り込む風景の裏で外国人が、会社運賃制度殺意の波動を送っている。

満員電車に乗り込むサラリーマンが、駅員や駅の職員を後ろから刺す妄想をしている。

それでも民間ありきの都市交通は必要か。

都市交通の運賃が一本化され、通勤鉄道公営企業一社統一されたアメリカNYのように本当の意味での公共交通が実現できたらいいのに。

それができない理由って何だよ。

公共交通の新しい常識になれない理由って何だよ。

常識って何なんだよ。

いかお金搾取するかって話か?

企業が公に貢ぐ税金を稼ぐかって話か?

ふざけんな違うだろ。

本当の意味での大都会を名乗れるだけの常識があるかって話だろ。

鉄道は常に市民から殺意を浴び続けるのが常識か。

痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。

互いを敬う常識を推奨するなら、搾取の恐怖から利用者解放する事が筋じゃないのか。

都市鉄道=原則公営日本都市常識に加えてくれよ。

から笑顔で利用できる鉄道に乗せてくれよ。

これは我儘なのか。

自動車運転免許を取るのが面倒とかいうのとは話が違う。

運転免許迷惑子供関係ないが、都会の私鉄の面倒は子供をも巻き込む。

外国人観光客が短い距離の割には乗り継ぎで高い運賃を払わせることに不満を感じている。

東京電車に乗るのは皆がサラリーマンじゃない。

都会の通勤電車ラッシュだって会社交通費負担しているから成り立つのだ。

しか観光客は全額の交通費を払う。

「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。

現状は囚人のジレンマ

AさんとBさんがそれぞれ私鉄を[使う、使わない]。

使わないBさんの評価相対的に下がって、社会的に不利になる。

ゆえに[使う、使う]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、

実際のところは[使わない、使わない]で公益は最大だ。

まり現代大都市における私鉄の利用は効率的ではない。

我慢するぐらいなら使わない方が良いに決まっている。

でも道路交通ストレスが嫌だから[使う、使う]になってしまう。

じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。

使わなくても不利にならない状況を作るしかない。

から都会の私鉄公有化しよう。

そうでなければ、JRに編入しよう。

東京私鉄線が全部JR東日本になれば、郊外学生運賃の高さに嘆く事もなくなる。

会社の背負う無駄も少しはなくなる。

私鉄は好きだ」と別の人は言う。

そりゃそうだ。

好きならそれでいい。

だが使わなきゃならない理由にはならない。

宝くじはいくらか投資すれば当たるが、誰もが当たらなきゃならない道理はこの世にない。

全員がオートバイに乗れなきゃならないわけでも、アニメを見なきゃいけないわけでもない。

私鉄社会肯定する人間否定する必要はない。

私鉄社会電車に対する一番の苦痛だという人間権利も守れたらwin-winだという話だ。

乗れる乗り物、テレビネットで見る番組ジャンル

それらの願いが叶うなら都会の鉄道だって叶えてほしい。

車やバイクでの通勤通学を許可しろって話じゃない。

本来都市交通の電車で通わせてくれって話である

カネを巡る問題にはそりゃもう色々と大人の要素が絡んでくる。

ここは日本からとか、負担億劫だとか。国民が怖くて公金が出せないとか。

だが、これらの意地や怒りは良いものか。

これらに膝を折る事は、少しでも何かを良くするか。

偏見思い込みを捨て、思い切って行動する方が良かったものじゃないのか。

他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。

から叫びたい。

都市鉄道会社が独占・寡占で、運賃が一本化されている事の何がそんなに問題だ。

都市圏一本化運賃が実現したら大地震が起こるのか。

「初乗り運賃が何回も取られるのは嫌だ」「財務に追われるお役所の身にでもなってもみろ」

「なら車・オートバイ通勤許可しよう」「慣習を逸脱するのは良くない」

堂々巡り議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。

最初違和感がある、或いは見苦しく思えても、定着すれば問題にはならない。

今だからNYに学ぼう。

NY万歳運賃一本化万歳

運賃一本化を実現させてくれ。もう私の財布は限界だ。

2017-05-19

自転車降りババア考察

自転車に乗る。自動車でもいい。

前方に自転車に乗るババアがいる。

まりに遅い運転なので追い抜こうとする。

そうするとかなり高確率自転車から降りる。

そうじゃなくても危険を察知すると自転車から降りる。

箸が転がってもおかしい年頃というが、それの自転車版だ。

自転車上だといざ転んだりした場合怪我の度合いがひどいだろうから

ババアなりに道理にかなった行動ではある。

ただし、この間、ババア自転車を降りるまで彼女のそばには近寄ることができず

彼女の一連の行動を減速し見守る以外のことはできない。

世界で一番無駄時間だと思う。

もちろん原則として追い抜き禁止などと法律的なことをいえばババアに理があるのだろうが

そのまま真っすぐ進んでいればこちらのほうが十分な距離をあけて速やかに追い抜くのである

その降りるモーションが邪魔でそれもできなくなる。

自転車を降りて追い抜こうとするこちらを「まあこわい」という顔でみる。

どのような意図を持っているのか。被害者となったのでこちらには非がないということか。

いずれにせよモノゴコロついてからずっとこうなのでババアになると身につく習性なんだろうな。

いまさら感情的に「ムカつく」とか「死ね」とかは思わない。

そしてふとプリキュアに変身する間の悪役ってこういう気分で変身を待っているのかと思った。

ああ変身はじめたよ。あの色の付いた全身タイツ状態攻撃したらイチコロだけど変身が終わるまで待つべきなんだろうな。

待ってるのかったりーなんて思ってぼーっとみてるのかなと。

次回「モールス信号のつもりかその滅多矢鱈のブレーキランプは?自動車乗りババア考察

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518170010

だってここでの服装って、おしゃれの優劣を競うものではなく、他人迷惑をかけない社会的コードをわきまえていますよ、ということを示すものとしてのですから

臭かったり汚かったりするのは、他人に対する配慮がない、配慮をする能力がないことの証左ですので、他人に対する配慮がない犯罪である痴漢容疑者として見られる道理があるんですよ。

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516122417

主人公

ねぇ博士正義や悪ってなんなんでしょう?

レッドが悪い奴だと思うから野球勝負して追い出したんです。

でもあいつのおかげでチームは強くなったし甲子園にも行けるようになった。

俺のやったことは正義なのか、それとも悪なんでしょうか?

黒野博士

ああ、そりゃ簡単なことじゃ。

正義”の反対はなんじゃな?

主人公

悪じゃないんですか?

黒野博士

悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。正義の反対は、別の“正義”あるいは“慈悲・寛容”なんじゃ。

正義とは、人の従わねばならん道理を言う。”正義を行う”となれば、道理を守らせることにもなる。

主人公

それはいことなんですか?

黒野博士

それは必要なことじゃが、問題道理が一つでないことじゃ。

“殺すな・奪うな”までは殆ど思想共通じゃが、その先はバラバラじゃ。

“男女は平等”かもしれんし、“女性は守るべきもの”かもしれん。

“どんな命令にも従う”が正義なら、“悪い命令に逆らう”のもまた正義

主人公

じゃあ、なにが正しいんですか?

黒野博士

みんな正しいんじゃよ。道理に関する限り、正しい事は一つと限らないんじゃ。

主人公

でも、それじゃ困りますよ。なにが正しいのかわからない!

黒野博士

から”法”がある。なにをしてはいかんかの約束じゃ。

・・・これも正しいとは限らんがね。

じゃから、結局のところはその時ごとになにが正しいのかよく考える必要があるじゃろうな。

結局のところ、みんなにとって最も良い事を探して選択するのが”善”なんじゃろう。

じゃから正義は善と限らん。ともすれば自分の信じる道理他人押し付けることになるからな。

主人公

・・・よくわかりません。

黒野博士

じゃあ、最初質問に戻ろう。

やらなきゃならんと思ったからやったんじゃろう?

本当にそれが正しかったのか、最善のやり方だったのか、ときどき反省してみるんじゃな。

いずれ、自分で納得できる時が来る。

主人公

・・・はぁ。

じゃあ、悪って何なんです?

黒野博士

一般的定義から言うと、世の中のルールを破って他に迷惑をかける行為じゃな。

主人公

でも、博士は”悪”なんですよね?

どうしてわざわざそんなものをやってるんですか?

黒野博士

わははは、一般的と言ったじゃろ?

ワシにとって、悪はロマンなんじゃよ。ロマン

わかるか?

ルールにとらわれないことじゃ!

希望生命力突破点、新しいもの

幸せになりたいという欲望!

昔は、”科学”も”自由”も”人権”も”平等”もみーんな”世の中の平和をみだす悪”じゃったんじゃよ。

主人公まさか

黒野博士

なーに、ちょこっと歴史の本を読めばわかることじゃよ。

それじゃあな、少年! 若いうちは悩んでおけよ!

2017-05-15

ハイヒール滅びろ

ヒールを履かなきゃならない理由果たしてこの世にあるのか。

脚がきれいに見えるって、誰の為に脚をきれいに見せなきゃならんのだ。

かの悪名高き纏足と何が違う。

もうパンプスハイヒール義務化するのをやめよう。

フラットシューズを履こう。

それの何が問題だ。

マナーから履かなきゃならない?

マナー礼儀大事だ。

でもハイヒールマナーである理由って何だよ。

そもそもマナーって何だ。

敬意の表明を形式化し、人付き合いを円滑にする為の道具だ。

これをやっとき問題ないっていう便利道具。

で、パンプスでなきゃ絶対に表明できないマナーって何だ。

ハイヒールは本当に人付き合いを円滑にしているか

笑顔の裏で営業の人が、ハイヒール殺意の波動を送っている。

外回り職員が、早足の上司を後ろから刺す妄想をしている。

それでもヒール必要か。

フラットシューズで働けたらいいのに。

それができない理由って何だよ。

フラットシューズマナーになれない理由って何だよ。

マナーって何なんだよ。

爪先立ちの不安定な靴を履けるかって話か?

ヒールを履いた女の方がそそるかって話か?

ふざけんな違うだろ。

画一されたドレスコードを守るだけの常識があるかって話だろ。

痛みを耐え忍ぶ事を強制するのがマナーか。

痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。

互いを敬うマナーを推奨するなら、爪先立ちの靴から労働者解放する事が筋じゃないのか。

フラットシューズマナーに加えてくれよ。

から笑顔相手と向き合える靴を履かせてくれよ。

これは我儘なのか。

風呂に入るのや毛を剃るのが面倒とかいうのとは話が違う。

風呂剃毛修行せずとも出来るが、ハイヒールはいきなり履けやしない。

革靴は電車ホームの間にも中々落ちないが、ヒールの踵は側溝に挟まる。

世の中皆がperfumeじゃない。

あれはヒールで踊る事を選んだ人達だ。

私に選ぶ権限はなかった。

「履きたくなきゃ履かなきゃいい。

 でも履いていないと、履いている人間と比べて不利になる。

 だから仕方ない。

 皆、履かざるを得ない。

 結局、互いを縛るのは互いに過ぎない」

正論に見えて何の解決にもなっていない。

「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。

現状は囚人のジレンマ

AさんとBさんがそれぞれヒールを[履く、履かない]。

履かないBさんの評価相対的に下がって、社会的に不利になる。

ゆえに[履く、履く]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、

実際のところは[履かない、履かない]で公益は最大だ。

まり現代社会におけるヒールの着用は効率的ではない。

我慢するぐらいなら履かない方が良いに決まっている。

でもリスクが怖いから[履く、履く]になってしまう。

じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。

履かなくても不利にならない状況を作るしかない。

からフラットシューズドレスコードに加えよう。

フォーマルフラットシューズを開発しよう。

フラットシューズが正装になれば、ヒールと並んだ時に顔をしかめられる事もなくなる。

ヒールを嫌々履く意味もなくなる。

「履きたくて履いてる人もいる」と別の人は言う。

そりゃそうだ。

履きたきゃ履けばいい。

だが履かなきゃならない理由にはならない。

カレー辛口は訓練すれば食べられるが、誰もが食べなきゃならない道理はこの世にない。

全員がスカーフを巻かなきゃならないわけでも、サングラスをかけなきゃいけないわけでもない。

履きたい人間否定する必要はない。

履くのが苦痛だという人間権利も守れたらwin-winだという話だ。

メガネの形、腕時計の素材、

それらが選べるなら靴の種類だって選ばせてほしい。

サンダルスニーカー許可しろって話じゃない。

フラットシューズで働かせてくれって話である

身だしなみを巡る問題にはそりゃもう色々と感情的な要素が絡んでくる。

自分は守ってきたのにとか、嫌でもやるのが社会人とか。

だが、これらの意地や怒りは良いものか。

これらに従う事は、少しでも何かを良くするか。

最初から無い方が良かったものじゃないのか。

他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。

から叫びたい。

ハイヒールを履かない事の何がそんなに問題だ。

ハイヒール義務をなくしたら核爆発が起こるのか。

ヒールをやめたい」「ヒールでないと正装に見えない」

「なら正装の条件を変えよう」「慣習を逸脱するのは良くない」

堂々巡り議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。

最初違和感がある、或いは見苦しく思えても、定着すれば問題にはならない。

からフラットシューズを履こう。

フラットシューズ万歳

フラットシューズを履かせてくれ。もう私の足は限界だ。

2017-05-14

ご飯は熱かったら美味しくないだろ

今すごくお腹がすいてて

喫茶店で注文したハンバーグハヤシライスを前にしてる

けと熱すぎて食べられない

もちろんフウフウしながらなら食べられるが

そうやって熱さに耐えながら食べたら美味しくないだろ

熱さに耐えるので神経半分以上使ってしま

この事がわからない奴って全然集中せず飯食ってるだけ

スマホ見ながら飯食ってるやつと同レベル

おれは子供の頃もずっとこのことでふまんだった

ご飯よーっていわれて、食おうとしたら、熱い

これまだ熱いよって言って冷めるまで他のことしてると親が怒る

フウフウしながら食えっていうのな

嫌だよ美味しくないから!って断固逆らった

幼い頃は釈然とせず食ってたけどどう考えてもおかし

熱い熱いって感じないぐらいまで冷めてる飯が一番うまいだろ

ちゃんと味に集中できるのは熱くない飯だろ

なあ?

どう思う?

熱いハヤシライスだした喫茶店イライラしながら

冷めるまで待つあいだにこれを書いてる

やっと湯気がたたなくなってきた

世の中は飯に集中して食べてないアホばかりなのでこんな道理もわかってない

このエントリ賛同者もきっと20人に1人くらいだろう

けどもののわかってるあんたに向けてこれを書いた

ちなみに猫舌とか強い舌とかそんなものはないからな

舌の構成素材はおなじなので火傷する温度も同じだ

熱の苦痛を感じるか無理に無視するかの習慣があるだけ

2017-05-13

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

2017-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20170508143733

金を積んででも手に入れようとする客がいる(需要がある)からには、わざわざ値段を下げる道理運営側には無いだろうね

本来なら不買運動でもして不当に高価であることを抗議すればいいのに、抗議しようとした同類を叩いたりして客同士で足を引っ張り合ってるのだからどうしようもない

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