はてなキーワード: 選民思想とは
肝心の怪獣戦闘がいいから基本的には満足なんだけど、二点だけそれでもなーという点が。
飛行形態時とかはウミガメシルエットになったりスピンしたりするんだけど、変形時はあからさまに煙で隠したりしてる。シームレスに変形したり部分アップでごまかしつつ変化を見せたりしないから、この点は手抜きというか…実写特撮的だな・モデル差し替えてるだけだなと感じてしまった。多大な労力を使う3Dだから逆に実写的な限界が生じているのか?と気になった。そういえば怪獣の成長(巨大化)とかも目を離したら、という風だった。損傷で頑張ってたのは手の切断ぐらい?
主人公たちの服がエピローグ含めずっと一緒。これもモデルの問題か。汚れとかは頑張ってて1話見たときは期待が高かったんだけどなぁ。大人の制服組はこういった問題を回避できるんだから主人公たちも学校服にすればよかったのに。それでもママの服が同じになるけど。
そも人間モデルが怪獣に比べて簡略というのは怪獣に力入れてるってことなので目をつぶるけどそれとは許容できるラインが別。
どちらも他の作品でもおきる問題なんだけど、全体的に高クオリティな映像をお出ししているからこういった部分が手抜きに見えてひっかかった。
ジュブナイルものとして良くできてるし人間ドラマも悪くなかったけど、優れてるとはいえないひっかかりかたがまあまあ。
怪獣で人口減らしてぇ~!ってのが昔でも今でもかなりの支配階級の人間の思考になるのが謎。
せめて現代で人口問題が起こってるシーンがあればよかったけど、ただの選民思想でとりあえず減らそって考えっぽくてわけがわからない。古代の計画の再演だけどどっちの理由も謎でなぁ。
さらにどんでん返ししたかと思ったらそいつの野望も同じでやんの。現トップを切って自分の派閥が既存組織を支配したい感じかな?私怨込みでトップ切る理由はわかるが人類減らしてぇ~は共通ビジョンなもんで。コイツなにがしたいん?主人公やガメラの処遇・行動目的には影響しねぇな?とモヤモヤした。演技も露骨に悪役でなぁ。
そもそも想定残人口が低すぎて文明維持できそうにないんよ。怪獣に荒らされた後だし。
目的といえば裏切られたトップたちが余裕だったのも見ながらだとわからない。食料がすぐに無くなり転覆が成功されたら餓死なのにグラス片手に怪獣談義してんの。世界的組織が幹部家系とはいえ科学者一人で作った反乱組みでひとつの発射場を占拠したところでリカバリーが効くと考えたのか。(それでもイカ怪獣+主人公コードで支配されたらやばくね?)よくわからない。
彼らは人口を減らした後の地球が目的なはずだから帰還に寄与しないギャオスを応援する理由にもならない気がするんだけどなぁ。
主人公たちの扱いも怪獣の増殖(体積?個体数?)の餌だったわけだけど、じゃあさっさと善人面したり事情を知らない人間を高めの地位につけて騙したりせずに拉致っちゃえばいいよね。世界中の子供が候補で怪獣に狙われ(生き延び)たら優先度アップ。どうせ滅ぼす文明社会にのんびり監視端末渡して解放してるのがなんだか謎。
ガメラと主人公に絆がない。と言い換えてもいい。おそらくメイン主人公がゴジラ信者なのはコード保持者でガメラやオレリウム?だっけ?エネルギー石とシンクロできるから。だけど別に彼らが心を通わせてるわけでもなくて人(自分たち)を守ってくれてるガメラを慕ってるだけの一方通行。
そもそもガメラは多分他の怪獣と同じ存在で、古代で反乱がおきて反乱側の人間がコードを使って人間を守るように命令した。のかな。そういう風に解釈した。主人公を守るのもコード持ちを食べたら増殖して人類がやばいから。
つまりガメラは守り神に見えても人間に洗脳された人類を怪獣から守るマシーンなわけですよ。脳だけ弄られた逆仮面ライダー?ジャイガー戦を見るにコード保有者を優先するけど一般市民の退避も待ってるようですし。
敵怪獣が現れたら都合よく何の縁もないただ敵に食われたらやばいコード保有者を守って身を犠牲にしても人を逃がし、敵を倒したら見返りも何も求めずただ去っていく。究極に人類に都合がいい、都合よくされた悲しきモンスター…。自立行動以上の自我を感じない。古代でおそらくワンオペで怪獣しばき倒して勝利して、だけど命令解除されず放置され現代でうん万年前の命令に縛られたまままたワンオペで怪獣しばき隊の無償奉仕してる。
序盤で主人公がカメを助けるじゃん?その心の優しさがガメラに見止められると思うじゃん?ないんだなそれが。
自我のなさは最後のオマケの月破壊まで及びこんなもんシナリオに操られるだけじゃねーか。それが出来るなら襲われ待ちしないで怪獣の痕跡がある各所を先制攻撃しとるよ。
主人公はガメラシンパだけどさぁ。君、過去を見た上でガメラの気持ち考えたことある?ってね。
そういうガメラ自身への掘り下げが行われなかったから、(考察しないのもどうかと思うが)当事者たちはともかく俯瞰する視聴者の自分からはガメラは哀れな存在に思えたし主人公たちと共感する妨げになっていた。
ヒーロー怪獣はなぜ人類を守るのか。まあ平成のまま生物兵器の一言で片付けてもいいけどせっかく尺があったのにもったいない。それこそ精神的な意味でのガメラの「Rebirth」を描いてもよかったのではないだろうか。
うーん…月を目指すわけでもなく当時財団が作ってたオーバーテクノロジーの超PHSをパクったかのような雰囲気になってるわで良いインパクトはないよね。なぜジョブズにしたかったのかさっぱりわからない。
話数 サブタイトル
第2話 地下水道
第3話 深く静かに潜航せよ
第4話 斬る
第5話 月は無慈悲な夜の女王
第6話 幼年期の終わり
シンプルなタイトルと古典作品のタイトルが混じっている。しかも斬るが小説の間に挟まるから日常からSFへの転換を表してるとも受け取れない(斬るって名前の有名作品が実はある?)(斬る自体はギロンのシンプルなタイトルで好き)。
そして古典作品の引用も非常に雑。月や潜水艦やネクストステージなど要素はかかっているかな?とは思うがリスペクトは多分ないよね。増田はどれも読んだことないけどサブカルじゃ頻繁に引用されるからそれと比較してもね。ナデシコやブラッドボーンとかと比較しても雑だなぁと。内容に見合わない引用タイトルをつけるセンスの方が鼻についてしまう。
なぜか前線に出てくる指揮官や待機の天丼を繰り返す自衛隊に思ったほど意味がなかったり東京への援軍に沖縄やハワイ?から要請するって距離的にどーなんだろと気になったり。
6話のギャオスが基地跡地で誰にも観察されず育ってたり(政府との連携時で調査隊とか行かないか?)。
ガメラは全身からの放電?がクソ強いから火球使わなくてよくない?とか。切り離しに犠牲が必要な設計とか。腹部負傷したやつに重労働はそりゃ裏切られるよ…よく人望集めたなね。とかね。キャラがよくても脚本の部分部分が悪くもありで全体評価で良いストーリーとは言えなくなる。
全部怪獣で帳消しになるんだけどね。
というわけで、気になる点はあるものの一周目は確実に楽しめると思う。二周目以降に怪獣部分以外が楽しめるかは人それぞれかもだけど、これだけ書いた増田でもまあ見れるんじゃないかな?程度には面白い。
ラストは二期を匂わせとも取れるけど、どうでしょうね。今はわりとおなか一杯で満足しちゃってる。なのであれで綺麗に完結と受け取るよ。(時差が気になるけど)
ガメラたいして知らない人がみてもマジで一気見する力はあるから、見て。ストレス要素も少なく怪獣かっこいいだけで完走できるから。ダメージ負いまくってそれでもボコるガメラかっこいいから。
みてね。
みて。
みろ。
ミソジニーとかミサンドリーとかインセルとかホモソーシャルとかゾーニングとかマンスプレイニングとかジェンダーロールとかマーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージでやめろ
用語の使い方に脳のリソース割いてる間にそれっぽいこと言って相手押し潰して喋らなくしようみたいな魂胆でやってんのか
それともやっぱこういう意識高いっぽいことに傾倒する奴ってある種の選民思想的なもんあったりするし、目覚めた私のありがたいお言葉ぞって感じで難しい言葉をついつい使ってしまうのか
ともかくやめろ
本当にやめろ
すいませんやめてください
勘弁してください
本当に何言ってるんかわからないんです
浪人して良い大学に行った友人が、絵の仕事がしたいがどう就活すれば良いかと相談をしてきた。私は現役でアホな大学に行ったので彼女より年次が早く、相談を受けた時にはすでに就職していた。彼女は親には反対されているがアニメーターになりたいのだと言っていた。
アホなりに考えたが私も親御さんと同じ意見だった。絵の仕事と言っても多岐に渡るし、メーカーなどの広報・デザイン部門を目指すなどして、良い大学の新卒カードを無駄にしない方が良いんじゃないか、そこで思ってたことと違うと思ったら働きながらアニメーターの就職先を探せば良いのでは、みたいなことを言った。とりあえず私は新卒カードを捨ててどブラックなイメージしかないアニメーターを目指すのは反対だと言った。
その後も何度か同じ相談で誘われたが、いつも同じ結論しか返せなかった。
私の解答は彼女の希望する内容ではなかった。私にはアニメーターの夢への背中を押して欲しかったのだろう。だから何度も相談してきたのだろう、今思えばだが。後日SNSに「絵を描けない素人にはどうせスキルを持つ者の悩みは分からない」「私は誰からも理解されない」と明らかに相談の件についての愚痴が長々と書いてあった。結構な回数相談に誘われて使ったお金と時間はなんだったんだ、私も社会人になりたてで悩み事がいっぱいあるのに、と思ってしまい、当時私も青かったので彼女との繋がりを全部切るという子どもじみた行動を取ってしまった。
そして月日は過ぎて現在、なんとなく彼女のアカウントを見に行った。結局新卒カードを使って就職活動はせずにアニメーターになるもメンタルを壊し、今は同人活動をしながら過ごしているらしかった。
「私の絵は現役のアニメーター(彼女の相互フォロワー)にも認められている」「⚪︎⚪︎(当時流行ってたアニメで、私の大好きな作品)みたいな下手な絵が持て囃されてる理由が分からない」「あのレベルの作画で監督になれるなら私も数年で作画監督になれると思う」と色々豪語していたが、今は二次創作のエロ本を描いて暮らしている。失礼ながらバズっている様子はない。どうやって生活しているのかは分からない。
そんな彼女の様子を見て、これは増田にしか書けない感情なのだが、「やっぱりな」と思ってしまった。
適度な自信や自己肯定感は武器になると思うが、まだ趣味で描いている段階で自分の気に入らない作品や作画監督をバカにしたり、「絵を描ける私」「そうではないそれ以外」を仕切る選民思想(?)だったりの過剰な自信と承認欲求は仇にしかならないと思っていたからだ。彼女に対して私は絵が描けないというコンプレックスもあったかもしれないが。
私も別に大した生活は送っていないのでまったく大きな顔は出来ないが、あの時の彼女の夢と自信はまだ今も在り続けているんだろうか。
私は荒川誠や笛木浩文の名で釣りを行い、彼らにヘイトが向かうように仕向けている。
ここ最近感じるのは、リベラル界隈が『かなり』釣りやすい事だ。
彼らは自らを「リテラシーが高く、知的」と信じてやまないが、差別や反政権を焚きつけるとコロッと騙される。
例えば、ターゲットへ成りすまし、あからさまな差別発言を行ったり、
フェイクニュースサイトと合成写真を用いた手法は特に効果が高く、
「創価学会USA会長荒川誠」と自民党、安倍晋三を絡めた話題は、あの津田大介も釣られ、数千ものリツイートを稼ぎ出した。
「自民党と創価学会USA、ワクチン接種で協力」は合成写真【ファクトチェック】
https://factcheckcenter.jp/n/nd5d73e57bfa5
彼らはQアノンを馬鹿にしているが、それは彼らが『ネトウヨ』だからであり、
結局のところ、ポジションでしか物事を考えられないので、リベラルサイドに都合のいい嘘や陰謀は疑いもなく信じるのである。
彼らがこのような話題に引っかかりやすい理由として考えられる点はもう一つある。
・彼らの中の「正しさ」のみが絶対正義であり、異なる意見を認めない
・少しでも彼らの持論から逸れれば、今まで味方であっても「敵」扱い
現に、立憲民主党の原口一博や鳩山由紀夫が『DS』を連呼し陰謀論を展開しており、確実に彼らには「素質」がある。
そのうえ、身内にも甘いので訂正されにくい。絶好の漁場なのだ。
ワイは細い女フェチ(あのちゃんくらい)だけど、ロクな女がいないことに気づいた
マッチングアプリであった5人中3人が水商売、1人がニート、1人がフリーターだし、全員整形してた
まず自活力が低い人が多い
一日カップラーメン一食で暮らしてるよーとか、料理なんてできるわけないじゃんwってスタンスだったりする
仕事もできないorする気がない、体力がすぐなくなっちゃうから嫌なんだとさ
それにだいたい変な思想持ってる
仕事するくらいなら死ぬってすぐいうしさ、太ってる人見つけるとめっちゃ馬鹿にしてる
仕事もしてないくせに自分が一丁前でカーストの高い人間だと思い込んでるらしい
この人との間には絶対子供作ったら、子供も選民思想の激しいニートになるだろうなって感じ
ガリガリ女は愛玩動物だと思って接した方がいいよ、ちょうど目が飛び出たチワワに見た目も似てるし
https://anond.hatelabo.jp/20230806114145
についた反応について大まかに返信。返信は本投稿で終わりにします。
id:Tmr1984 下請けとの身分差別が無くなったらそれこそ職場のストレス増して転職して外資に流れてしまうのでJTCに身分差別は必須です。
https://anond.hatelabo.jp/20230807085915
私は昔、工事監理の部署に居た事があって、協力会社(下請け会社)の人達の工事進捗を監理したりした。
その時の人達と働いた時は、意思疎通が取れやすい人も取れにくい人もいるし、
取りにくいと思っていたけど、自身の伝え方を変える(仕様書を細かく作ったり、安全上絶対守って欲しい事を守らせる為、順守事項を絞る等)ことで、
相手に伝わって業務が進んだことは複数あった。逆に私が勘違いしていた所を教えてもらって、助けてもらった事も複数あった。
逆に、下請けではない発注側の同僚が、周囲の話を全く聞かなくて勘違いしたまま工事を進めたことで施工間違いがあって、
そのことを上司に指摘されて逆切れしてる場面に出くわしたこともある。
増田が「下請けの人達が無能で病んだ」という場面が具体的にどんな場面だったのかよく分からないけど、
私個人の体験は「立場の問題ではなく、自分が業務を遂行するにあたって支障をきたす人はどこにでもいる」という感想。
一方で、増田のように、職務上の相手とのやり取りに病んでしまうなら、病む前に自身が悩む相手と一線を引く事は確かに大事だと思う。
「困った人の困りごとについて愚痴を言うことと、その人の属性を差別することをごっちゃにして正当化することは違うよ。」という意味。
id:brightsoda “自身の悪阻の辛さへの八つ当たり先に下請けの人を” その人が原因で吐いてるんでしょう 腋臭の人のせいで気分悪くなるのも八つ当たりか? 下請けの人も腋臭の人も落ち度ないのは一緒よ そして元増田はいじめ
そうだよ。下請けの人も腋臭の人も落ち度ないのは一緒よ。気分が悪くなる事が八つ当たりなのではないよ。
でも、だからといって「下請けの人が自分にとって不快な奴なら来ないで欲しい」って要求が正当化されるか、といったら違うでしょ。
「職場にいる人が自分にとって気持ち悪い人で苦手だけど、そういう人もいるのも職場だしなあ、でもストレスたまるなあ」と思いつつ、仕方ない事は分かりながら愚痴を言う人と、
自分と違う島で同じ業務を行う訳でもない下請けの人が入ってくる条件に、自分に取って不快な見た目や清潔感等、業務の差し障りに直結まではしない事項を
「下請け入れる時はこれをマストにしてほしい……」と要求する人では意味合いが異なると思う。
id:frothmouth 同意します。こういう人がいると増田も捨てたもんじゃないな、って思う/同時に、同じ内容を男が書いても反発されるだけだろうな、という絶望感もある
id:frothmouthさん、私もこの内容を性別伏せて、自身が悪阻経験があるという事実を伏せたうえでこの内容を書いたら、
反発があっただろうな、という悲しい諦めがあり、自身の性別と悪阻経験について記載しました。
それでも「ザ男の書いた文章」等、主張の中身ではなく、文章から見える性別の印象をコメするずれた人とか現れて、さもありなんです。
でも、本来は、私が増田で主張している内容って話し手の性別は関係ない話なんですよね。
差別って、人類が社会性を持つ動物である以上無くならないんだろうな、と自身の差別性にも嫌気がさしながら思いますが、
差別を無くす事は困難だけど、諦めずに自分のスタンス・あり方を内省、反省し続ける事くらいが、いま私個人に出来る事なのかなと思っています。
id:kuzudokuzu そうタンカ切るってことは、今後自分も誰かの心境のために「ごっちゃにする」のを自分から封じることだぞ。つまり、「他人に呪いを振りまく代償に、自分にも呪いをかける」もんだ。誰か一緒に死んでほしいタイプ?
あなたが仰っている意味、「差別は良くない等、厳密に分別をつけるよう主張することは、自分自身の首を絞める事になる」という意味合いで合ってる?
(意味違ったら教え直してくれると助かる)
私は、今の私も、自身も自覚すら出来ていない色んな差別心がある未熟者だけど、
色々失敗したり、相手を傷つけながら、「それは差別だから、考え方変えないといけないな」って思って変わった部分、幼い頃から数えれば沢山あるよ。
id:kuzudokuzuさんだって年を取るにつれて、色んな考え方が変わってきたことはあったでしょう?
自身の差別心について誤って取り扱ってしまう事が発生してしまうことは、半ば仕方ない事でありつつ、
諦めはせず、分別をつける事を考え続ければいいし、
それは、失敗しても、多少の自己嫌悪と軌道修正を行うだけで、「呪いをかける」と表現される程の事ではないと思ってる。
そんなに悲観的に捉えなくても、「自身の加害性を減らせればいいな」って前向きに捉えてもいいんじゃない?
id:kishimoto0050 後半に書かれているような若くて優秀な君こそ自分たちの仲間に相応しいしJTCに来てほしいみたいな別種の差別意識丸出しで人を集めているから結局下請けをバカにするような空気が出来上がっているのではと思いました
私の以下の文章
確かに私もこの文脈で「優秀な人材」という言葉を使うのは、一種の選民思想用語なので、反省する必要がある。
私の選民意識が芽生えてしまった箇所は、該当増田(https://anond.hatelabo.jp/20210516174729)の
非正規雇用には「正社員に挨拶すること」を義務付けておき、正社員は一切その挨拶を無視する。ヤバすぎる。
私はピュアガールなので社員に「なんで今無視したんですか?」って聞いたけど、社員が「なんでだろう…考えたこともなかった。」って言ったのでドン引きした。
という行動、考え方を見て。一緒に働く人が「下請けの人を差別して良いとナチュラルに正当化する」人ばかりだと、職場の空気が良くなくなるので、
該当増田が上記のような違和感を持ってる部分は、私は得難い部分に感じられて、「優秀」と書いてしまった。
id:kishimoto0050さんが心配する"下請けをバカにするような空気が出来上がっている"とは真逆ではあるけれど、
これはこれで私の選民意識そのものであるから、そのような人は素敵だなと個人的に思うに留めて、それを第三者に言って加害しないように気を付けようと思う。
一応言っておくと、id:kishimoto0050さんが"若くて"と私が言っていない新たな言葉を足しているけど、
私は売り手市場時期の世代なんだけど、正規雇用だけどポンコツな私より、
非正規雇用だけど私よりずっと仕事ができる就職氷河期世代の人々を沢山見てきた。
私自身が学歴や面接だけ受けが良いポンコツだったから、マイケルサンデルの「実力に見えるものは全て運」という説は納得するし、くじ引きで採用面接しても変わらない気がしている。
だからこそ、下請け差別は良くないでしょ、って気持ちが私は高いのかもしれない。
私は採用においてどうであるべきかを考える立場ではないので、これ以上は意見を控える。
id:hilda_i それはそうだけど、自分が苦しみの渦中にいるときに、他人のことまで気遣えるっていうのはなかなか出来ることではないわ。結局人は正しくてわきまえている弱者しか救いたくないっていうのが、真実だとは思うけど。
確かに、世の中には、自分がまともに相手したら病んでしまう加害性の高い人もいると思う。
医療関係者の人の愚痴を聞くと、正直「まともな対応するだけ無駄じゃん・・・」と思う話が多い。
だからこそ、気遣う余裕が無い状況は沢山ある中で、後から振り返って「自分気遣えなかったな。」って思うだけでも大事だと思う。
そして、「人は正しくてわきまえている弱者しか救いたくない」んなら、
尚更、鼻炎の下請けの人は来ないで欲しいと要求するのではなく、
「悪阻で色々過敏になっていて、多少休憩が増えるかもしれない」等の相談をする方が、
悪阻という弱者性に理解を得られやすくなって、妊婦当事者の辛さも理解されやすくなると思う。
(id:hilda_iさんが想定していた弱者は「下請けの人」なのかなと思いましたが、逆も然りで、両方、気遣いが大事な事は変わらない、
元増田のブクマコメントやトラバに最初から釣り指摘が並んでいてくれたら、私も特に釣られようと思っていなかった。
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
@syukihide999
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北海道大学社会科学実験研究センター・博士研究員。専門は社会心理学、リスク心理学、犯罪心理学。俳人のプレインズウォーカーです。
というのがあるけど偶然だそうです。なので、アカウント名だけ紹介しました。
https://note.com/kudan9/n/n4b48ab8d5fa0
既に相手方が明らかにしているように、暇空茜から平穏権侵害や名誉毀損に関する訴訟を提起されましたので、この点についてお知らせします。
ってところであれ?と思わせるほうがよくない。
というか実名でRの取り扱いの拙さがばれるとまずいって、それは学者とか学生?
まあ大前提として別人です。ネットに落っこちてたのも別人と言ってますし。
別人じゃなかったら敗訴したら大変ですね。
そうであれば、博士号も取り消し、大学院も退学。論文も抹消。当然のことです。
なぜなら、それだけのことをやっているからです。自分はエリートだからジュニアイドルやAV女優はつぶしていい、漫画家はつぶしていい。選民思想にもほどがあるでしょう。
なお、私の個人情報を特定しようとする動きに関しては、その発信の真偽にかかわらず対応が必要なものです。発見した場合はTwitterのDMでお知らせくだされば幸いです。
人のプライバシーは暴いて殺害予告をしたとして訴えられているのになんて虫がいいのだろう。どんだけ自分に甘いエリート様なんでしょうね。
でも心配しないで下さい。あなたの個人情報なんていりません。怪しいサイトがありますが、別人ということですし。
ただ、別人じゃなかった場合は敗訴確定後、大学に退学させるように徹底して申し入れるように加重せざるを得ないのでは?
さらに大学の犯罪心理学って何を研究しているのでしょうか。誹謗中傷の技術なのかな?
発言を辞めるどころか論文に書いて教授とかになれるわけでしょ?
おそろしいことですね。
本当に選ばれた一部の人間にしかプログラミングを習得することができないのだろうか?
そんなことはない。
1+1=2を理解できる人なら、コンピューター(電子計算機)の仕組みは理解できるし、プログラミングも理解できる。(1+1=2を理解できない人は算数の復習から始めたら良い)
プログラミングで選民思想を振りかざすサイコパスに反証するため、ここでプログラミング習得の実験をやってみたい。
まだプログラミングをやったことがない人がいたら、1か月間一緒に勉強してみよう。
期間は、2023年7月1日から2023年7月31日までの1か月で、1日1時間程度の勉強時間を想定してみよう。(土日など休日は丸々1日を使っても良い)
(参考情報)
ユダヤ教も一枚岩ではなく、分派していろんな宗派がある。歴史的にもパリサイ、エッセネ、サドカイ、ゼロテなど様々な立場があった。
イスラエルの建国に関しても、ユダヤ人のコミュニティーは賛成派と反対派で分かれていた。
一口にユダヤ人と言ってもいろんなやつが混ざっていて、まともな人もいればヤバイやつもいる、ということ。(人が多くなるとどんな集団でもヤバイやつが出てくる?)
選民思想(自分たちだけが特別という考え方)はユダヤ教だけに見られるものではなく、歴史上どの国や文化でも発生している。
イスラエルの建国方法に反対していたユダヤ人の主張を見てみると、ヤバイのはユダヤ教そのものではなくて、神の名を借りて悪事を働くサイコパスだということが分かる。
ユダヤ人社会に混在していたサイコパスに騙されないためにも、そもそもユダヤ教がどのように成立したのか?その歴史を知っておくことは重要だと思う。
そしてそれはインターネットが発達した現代ではそれほど難しいことではなく、誰でもアクセスできる公開情報から知識を得ることが可能。
昔のカバラについて現代人が紐解く場合、圏論の視点を持って現代的な物理学との関連性を照合するように努めないと、何を言っているのか?全く意味不明になると思う。
カバラという本には、ユダヤ人の世界観が示されており、彼らが考えている宇宙の成り立ちが描かれている。
創造の書(そうぞうのしょ、סֵפֶר יְצִירָה セーフェル・イェツィラー、イェツィラーの書)とは、ユダヤ教神秘主義思想カバラの基本教典の一つ。
伝承によればユダヤ人の祖であるアブラハムの作品とも言われ、アブラハム自身が直接書いていなくとも、120年頃ラビ・アキバにより成立したものとするのが通説である。
10の「数」(によって象徴される4つの根源的元素と6つの方位)と22の「文字」(によって象徴される元素)を用いた、神による世界の創造を描く。
また、この「数」と「文字」を合わせて「33の智恵の経路」とも総称する。
この「数」の原語はセフィラ(סְפִירָה)であるが、この単語を「創造の段階」の意味で用いた最初のカバラ文献として重視される。
なぜカバラの理解に圏論が必要なのか?というと、カバラで描かれている図解を圏論の可換図として見直すことができるから。
宇宙が作られる過程で、その構成要素が4個ある・6個ある・10個ある…だとか、個数は本質ではない。
単に分類方法が違うだけで、大雑把に分ければ4個になったり、もっと細分化すれば10個になったりと増減しているだけなので。
数学(圏論)を理解していない無教養なユダヤ人だと、ユダヤ人と自称していてもカバラを理解してない/誤解している場合もあるので注意が必要だ。
教育を受けたユダヤ人の中でノーベル賞受賞者が多い理由は、カバラなどアイデアの着想となる資料を持っているからだと思う。
言い方を変えれば、何もないところからオリジナルで発想しているわけではなく、元ネタがあってうまくコピペしているだけの連中にも見える。