はてなキーワード: 普通なとは
大量消費社会、というのはそういうものだし、逆にそれだけ大量の無駄があるからこそ、普通なら商品として流通しないようなニッチな商品にまで大量の資本が投下され形になっているという側面がある。
「無駄なエンタメを大量に生産する」前提があるから、「一瞬で忘れられるようなコンテンツ」にお金が投下されて形になったということ。
もし、消費者が慎重に作品を選別し、一つの作品を長期間愛で慈しみ、じっくり味わう……ようになったら、あなたが関わったほとんどの作品はそもそも企画時点で没になっていただろう。大量のクリエイターは行き場を失っていただろう。
どちらがよいか、はもちろん考えてもよいが、残念ながらいいとこどりをするのは難しい。
普通にやれば圧勝間違い無しの戦いでゼロ打ちの惨敗を喫した反斎藤派と稲村陣営の手落ちについていくつか指摘したい。
ここが今回の一番間違ったポイント。
普通にやればパワハラ他、不適切な行為が認定されたという錦の御旗を持って正式に追い出せた。
マスコミその他の過剰な叩き(不確かな誹謗中傷めいたもの多々有り)にのって、意外と手強い斎藤知事相手に手間を惜しみナメてしまった。
事実認定無しでもいける「だろう。」
全会一致で潰してしまえば立ち直れない「だろう。」
甘い見込みは時にしっぺ返しを招く。
油断大敵
獲物を前に舌なめずり
歯茎を見せる
パワハラ、おねだり、そんな言葉が乱舞しているが、正式に認定されたものが一つも無い。
https://x.com/nittaryo/status/1857773037917196687
一般的な感覚としてのパワハラと、正式に認定されるレベルのパワハラは異なる。
勘違いしないでほしいのだが、斎藤氏の行動に問題が無いとは思わない。
そもそもが百条委員会で結論が出るまで待てばよかっただけの話。
然るべき場所で、第三者委員会にて正式に決定した後に正当な批判をせよという事。
更には百条委員会の情報が流出して、不品行な公務員と、発言を遮り隠蔽しようとする委員長という最悪の構図を生み出してしまった。
そして一般的な感覚としてのパワハラが問題だと言うのであれば、22人の市長を代表して喋った相生市長谷口芳紀氏も批判されなくてはならない。
https://x.com/makkinze/status/1858126392850063489
彼を批判する者が選挙中に稲村陣営から出てこなかった。身内に甘いと言われて反論できまい。
3 無能な味方は敵よりタチが悪い
いかつい顔をした中年や老人がよってたかって若い斎藤氏をボコボコにする構図はダメだ。
パワハラが悪いと言う席で机をぶん殴りながら主張するあの爺さん。お前の方がパワハラやってると思われるよ(偏見)
ちなみに最年少の芦屋市長である髙島崚輔氏は22人のアレに参加していない。よくわかってるね。
そして揉めると出てくるしばき隊他の左っぽい皆さん。都知事選で蓮舫氏に致命的なダメージを与えた件を忘れているのだろうか。
N党立花氏がヤカラのような人員を相手陣営に差し向けて揉めたとの不確定情報が有るが、揉め事の半分くらいはしばき隊の関連じゃないの(半分は立花氏関連だと思う)
今回は水に落ちた犬を叩けとばかりにマスコミ、政治家、各市長、活動家が一斉に殴りかかった。
終盤こそ大勢の聴衆が集まった斎藤氏の選挙演説だが、序盤の集まらない様子を嘲笑う人も多かった。
そんな事をする必要は無かった。
彼にも主張は有るだろう、聞いてあげなさいくらいの余裕を持って戦うべきだった。
選挙の自由は憲法で保証された権利である。彼は知事に向かないと思うが、彼が主張する自由は全力で守る。
斎藤氏の再選はとても危うい。また、N党の立花氏に影響力を与えた結果も憂いている。
その危うさをなくす為に全力で叩き潰そうとした気持ちはわかる。
しかしそれではダメなのである。お題目や綺麗事は手足を縛るかもしれないが、そのラインを超える事は自分の身を危うくする。
パワハラ許すまじと怒り心頭だった皆さん、ご自身の行為もパワハラかもしれないと振り返る勇気は有りますか?
少なくとも、パワハラと決めつけた方は決定前の不確定情報に踊らされている。
おねだりと嗤った人はデマ混じりのワインや家具に釣られていませんか?
あれだけ叩かれた斎藤氏は、辞職直後から辻立ちを開始するわけです。
普通なら家から出られず、年単位で無為な日々を過ごすしかないでしょう。
誰も足を止めず、かけられる言葉は罵声のみ。普通は耐えられませんね。
含み益が1億を超えてるって、それ、普通ならバラ色の未来みたいに思えるけど、実際はなんか違うんだよな。
「得られることの全てを求めるなかれ、失うことを恐れよ」ってのは、まさにこの状況にピッタリだと思う。
投資家の心って、たぶん普通の人のそれとは違って、常に恐れと欲望、冷静と衝動の間を行ったり来たりするんだよ。
ビットコイン、こいつはまるで歴史の中の金銀のようなものだよな。
例えば、アメリカの西部開拓時代、ゴールドラッシュの時だって、金を掘って大金持ちになった人もいれば、
逆に手を出して貧しくなった奴だっている。リスクとリターンが常にセットであるってのは、現代のデジタル通貨にも同じだ。
含み益が1億円。これ、単なる数字じゃねぇんだよ。
でもさ、問題は「いつ利益確定するか」ってこと。損失を恐れて売り時を逃すのか、欲張ってさらに上がると信じて放置するのか。
例えば、ナポレオンがロシア侵攻を決断した時みたいに、もう後には引けないって瞬間が来る。
それが上手くいけば大きな勝利だが、失敗すればどうなるか。彼は結局、無理をして失敗した。
だからこそ、リスクを取る覚悟ってのは、ある意味で勇気でもあり、愚かでもある。
だって、後悔の種がどっちに転ぶかなんて誰にもわからないからな。
だが、確実に言えるのは、利益を確定しないで保有してるだけでは、
結局手に入れたお金が現実的なモノとして感じられなくなるってことだ。
あの「一攫千金」の夢に心奪われて、あれよあれよと言う間に、気づけば利益が紙切れになっている。
歴史の中の資産バブルだって、今となっては全てが泡沫のように消えたからな。
「売り時」と「買い時」っていうのは、言葉にすると簡単だけど、それを感じるには経験と直感がいるんだ。
で、俺が思うに、そんなの、結局その人がどれだけ自分の価値観と向き合ってきたかで決まる。
例えば、アートを売る時、「価値が下がる前に売ろう」って決断することがある。
それって、実際にはそのアートが持っている感情をも手放すようなもんだ。
値動きが激しいからこそ、確定しないと恐怖に駆られるけど、
あの過去の大きな上昇を見て、「もっと上がるんじゃないか」って期待してしまう。
でもさ、ちょっと考えてみろよ。じゃあ、この1億円、実際に手にしたらどうだ?
結局、ビットコインってのは、現実世界ではすぐに使うことができないし、だからこそ余計にその魅力に引き寄せられるんだよな。
でも、もし俺があえて言うなら、ここで一度リセットして、次の一歩に踏み出すのがいいんじゃないかと思う。
欲をかいても、結果的にその利益は手に入らないことだってあるしな。
それでも、「後悔の無いように生きる」という意味では、やっぱり自分の信じるものに従うことが一番大事だよな。
「選択の時」に直面した時、その後の行動が何よりも大切だよな。
うちの会社に入ってきた新入社員、めっちゃ頭いいらしいんだよ。
大学も有名どころ出てるし、いかにも「やればできる」みたいな雰囲気出してる。でも会話が噛み合わない。いや、マジで。
ある日のこと。簡単な書類作成を頼もうと思って、「この書類、いつまでにできそう?」って聞いたわけ。そしたらさ、普通なら「○日までにやります!」とか「ちょっと確認します!」とか返ってくるじゃん?だけどそいつ、こう言うんだよ。
いや、わかるよ?目的を理解するの大事だよ。でもさ、その場では期限を知りたかったわけ。だから「目的は後で詳しく説明するから、まずはいつまでにできるか教えて?」って言ったら、また質問で返してくるわけ。
「目的によって書き方が変わると思うんですけど、その辺どう考えたらいいですか?」
こっちは聞いてんだよ、いつできるかを!って思いながら、「とりあえず急ぎだから今週中にお願いできる?」って少しイライラしながら答えたんだけど、そしたら「今週中って具体的に何曜日までを想定してますか?」とか言うわけ。
ついに我慢できなくなって、「お前、質問に質問で返すのやめろ!」って言っちゃった。
そしたら向こう、「あ、すみません。でもこれって、相手の意図を確認するためのコミュニケーションの一環だと思ってたんですけど、そうじゃないんですか?」だって。
おいおい、また質問で返してきてるじゃねぇか!って、もうツッコむ気力も失ったよね。
その後もそいつとのやりとりは続くんだけど、基本的に何を聞いても質問で返されるの。
「この資料、内容チェックしてくれる?」
「どの視点でチェックすればいいですか?」
「次の会議、準備できてる?」
「具体的に何を準備すればいいですか?」
「今週の進捗どう?」
「進捗って具体的には何を指してますか?」
いやいや、普通の感覚でわかるだろ?ってことまで全部質問で返してくる。しかもめちゃくちゃ真顔だからタチが悪い。こっちは冗談で返す余裕もなくなってくる。
そんな日々が続く中、ある日とうとう上司が動いた。なんかの打ち合わせ中、そいつがまた質問で返し始めたんだよね。
そしたら上司が「君は常に疑問を持つのはいいことだ。でも、相手の質問にまず答えるっていうのも社会人として必要なんだよ」ってやんわり諭したの。
その新入社員、「なるほど。では、どうすれば相手の質問にうまく答えられるようになりますか?」って、また質問で返しやがった!
もうさ、その場の空気が微妙な笑いに包まれて、上司も苦笑い。結局その日は「そこは自分で考えるんだよ」って流されたけど、これで変わるかと思ったら全然変わらない。
あいつに何か頼むたびにこっちはイライラするし、向こうは悪気がないからまた質問で返してくるし。最近なんて、あいつに話しかけるときには最初に「まず質問じゃなくて答えを教えて」って前置きしないとやってらんない。
私は百合好きの女オタクで、自分でも百合作品を描いてXやpixiv(最近だとBlueskyやXfolio)に投稿している。私は昔から男に興味を持てず、ずっと肩身の狭さや生きづらさを感じてきた。
私は子供の頃から女の子を描くのが好きで、毎日のようにコピー用紙にオリジナル衣装の女の子を描いてたのを覚えている。たまに母や妹を描いてプレゼントしたりしていた。その頃は絵が下手で、必ず片目をウィンクさせてホームベースみたいな輪郭を気に入って描いていた(そして最近、昔プレゼントした絵を妹から見せられて下手すぎて悶絶した)。
そして小学校高学年になって、なぜか今更プリキュアにハマる。子供の頃から逆張り気質があったようで、みんなが好きなものを好きなのはダサい、プリキュアが好きなんて子供っぽいと子供のくせに思っていた。でも高学年になったら一周回って恥ずかしくなくなったのだ。そしてそのとき、初めて二次創作し始める。高学年とはいえ小学生なのでプリキュアキャラのしょうもないわちゃわちゃを描いたゴミ漫画だったが、この頃から自分の百合好きは始まったのだと思う。
そして中学生に上がり、美術部に入ったのだがそこは地獄だった。美術部には大きく分けて二種類の人間がいる。真剣に絵を描きたい子たち、そしてただ騒ぎたいだけのオタク女(腐女子)。私は前者だったが、うちの学校の美術部は数人を除きほぼ後者だったのだ。私や他の真面目な生徒が真剣にデッサンしたりコンクールのイラストを描いてる中、腐女子たちはノートに二次元のイケメンキャラを描いてぎゃあぎゃあ大騒ぎ。クラスのオタクグループにも腐女子や夢女子はいれど、百合好きはいなかったので孤独だった。オタク以外の女子もK-POPアイドルやジャニーズに夢中で、“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くできない、そんな空気があった。当時の私はこれがすごく辛かった。中学生になっても男に興味が持てず、昔からずっと可愛い女の子が好きだったからだ。昔は一緒に自由帳で女の子の絵を描いていたあの子も、いつしか男キャラの絵ばかりようになっていた。保健の授業では、異性に興味を持つことが成長の証かのように教えられる。じゃあ私は成長してないってこと?と聞きたくなった。
今はSNSを通じて百合が好きな女性と繋がることができたので、孤独感は大分薄れた。でも、創作関連のサイトを見ていると同人女性はBL、男女、夢のいずれかに当てはまるという決めつけを感じてモヤっとしてしまう。やっぱり自分みたいに男に興味のない女は居場所がないのか…。子供の頃は男の子だと戦隊モノや仮面ライダーみたいなカッコイイ男が好きで、女の子だとプリキュアやディズニープリンセスみたいな可愛くてキレイな女性が好きで、同性を好きなのがむしろ普通なのに、思春期になったらそれが逆転して男は可愛い女性が、女性はカッコイイ男を好きになってしまう。こう考えると生殖本能で本来好きなものが歪められているように感じるのは私だけだろうか?
それと私みたいに“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くなれない空気に迎合して、本当は大して男が好きじゃないのに、男が好きなふりをしているという女性も多いんじゃないかと思う。そういう人には、別に男が嫌いでもいいんだよと言いたい。私は自分の人生に男は必要ないと思ってるし、それをおかしいとも思わない。
同時に、百合というジャンルは男が性欲を満たすための道具ではなく、女性のためのものであってほしいと思ってる。最近はSNSでも少しずつ百合作品を投稿する女性が増えてきているのを感じる。でも、まだまだ「百合=男性向け」というイメージは根強くて、性的なシーンを求めるコメントが付くこともある。実際、男作家が女性キャラに男の性欲を投影したり、場合によっては男性器も生やして男女の恋愛やセックスの真似事をさせている作品も多い。私が描きたいのは、女の子同士の純粋な愛情や絆なのに…(もちろん性的な百合を好きなレズビアンの方のことは否定しない)。
最近は、SNSで「私も実は百合が好きでした」という告白を見かけることが増えた。そういう投稿を見るたびに、心の中でそっと手を振りたくなる。きっと私と同じように、周りに合わせて自分の気持ちを隠してきた人たちなんだと思う。
これからは、もっと女性による女性のための百合作品が増えていってほしい。恋愛だけじゃなく、友情や姉妹愛など、女性同士の絆を描いた作品ももっと見たい。そして何より「男が好きじゃない」という理由で自分を責める必要なんてないということを、もっと多くの女性に知ってほしい。私は今でも可愛い女の子を描くことが大好きだ。そして、それは間違ったことじゃないと胸を張って言える。これは、あの頃の私に教えてあげたかった言葉でもある。
心理学では心理的リアクタンスとか、同情バイアスとか言うらしい。
それが働いていないと思われる状態が、以下ブコメ一覧で起きている。
Y_Mokko 好きでもない仕事を生きるために続けている話は良くて、好きでもない漫画の作画を生きるために続けてる話は叩かれるこの差
このブコメは当事者に全面的に同情的であり、やや視野が狭いとも言える。
一方で、2〜5位の注目ブコメは批判的かつ星もY_Mokkoより多い。
問題は、Y_Mokkoの視野に刺激されてしまった人たちによる批判的なブコメが次々と止まらない事だ。
普通なら、叩きコメントが注目ブコメトップに来た時点で、「言いたいことを言ってくれたわ」「こんなに叩かれてかわいそう」と言う心理が働き、批判のブコメ自体が少なくなったり、批判にしても何かうまいことを言おうと大喜利コメントが増える。
しかしそうならず、怒りしかない批判コメントばかりになっている。いつまでもこの同情的なコメントがトップに来ているから。
いつもの街コンとは少し違うって聞いて、今回のにちょっと期待してたんだ。
なんでも会場内でのトークだけじゃなく、二人でお散歩できるオプションがあるらしい。
散歩とはいえ、制限時間はせいぜい三分程度で、会場の周りをちょっと歩くだけだけど一緒に並んで外の空気吸いながら話すなんて、これは新鮮だなと思ってたんだ。
いざイベントが始まって、気の合いそうな女性がいたんだよ。話してみたら意外と気さくで笑顔も素敵で、少しずつ心が躍ってきた。
で、「よかったらちょっと外に出てみませんか?」なんて勇気を出して誘ってみたら、彼女は快く頷いてくれた。ヒャッホウッ!!胸の中のアホウドリは既に高鳴りを抑えられず、「これはもしかして脈アリなんじゃないか?」と期待しちゃうじゃん?
二人で会場の外に出たら、ちょうど夜風が気持ち良くてさ。並んで歩くと距離が近く感じて、話もいつもより弾む気がした。
最近ハマってることってありますか?とか、趣味の話とか、あんまりガツガツしてもアレだから適度にリラックスしつつ会話を楽しんでいたんだ。
これは順調だなぁって内心ニヤつきかけてたわけ。
青信号。普通に渡ってたんだけど、信号が変わってすぐだったからなのか、向こうから車が曲がって突っ込んでくるのが見えた。
車は赤信号を無視して、ギリギリでブレーキかけずに突っ込んでこようとしてるじゃないか!
「危ない!」って思って、反射的に彼女の手を掴んで引き寄せたんだよ。
なんとか車が行ってしまって、無事だったのはいいんだけど、心臓はもうバクバク。バクバクしてるなかで「大丈夫ですか?」って彼女に声をかけたんだ。
普通なら「ありがとう」とか「びっくりした」みたいな反応が返ってくると思うだろ?でも違ってた。彼女は何とも言えない表情でただ俺を見つめてたんだよ。
まぁ…驚いたんだろうと思って、もう一度「本当に大丈夫ですか?」と聞いてみたんだ。
そしたらだよ、彼女は何をしたと思う?バッグから何か取り出したかと思うと、ファブリーズみたいな消臭剤?のスプレーを取り出して、無言で俺の握った方の手に向かってシュシュし始めたんだ。
え?いや?ん?は?って感じだろ。俺が彼女の手を掴んで危ないところ助けたわけで、普通、そこは「ありがとう」じゃないの?ってなるじゃん?それを消臭剤をかけるって、まるで俺が汚いものみたいじゃないか!
その瞬間、俺の脳裏には「ジョジョの奇妙な冒険」第1部、ディオがエリナに強引キスして、それをされたエリナが泥水で口をすすぐあのシーンが浮かび上がってきた。
今までは「あれはディオがひどいからエリナがそうするのもわかる」と思ってたけど、今の俺はディオの気持ちが痛いほどよく分かった。
「この、おんなぁ〜!」って叫びたくなる気持ちが溢れてきたよ。ディオならここで容赦なく平手打ちしてただろうが、俺にはそんな度胸も胆力もない。だからただ唖然と立ち尽くすばかりだった。
彼女は俺の驚いた顔なんて気にすることなく、一通りシュシュッとスプレーをかけ終わると、立ち上がって、ほんの一瞬だけ俺に無言で頭を下げた。
何事もなかったかのようにくるっと踵を返して会場の方へ戻って行った。まだ時間は残ってるのに、俺との距離を取ることが最優先だったんだろうな。
俺は惨めに会場の方へ歩きながら終始ディオのことを考えていた。
いつもディオの行為を見て、「やりすぎだろ」って思ってたのに、今なら痛いほど共感できる。
ディオがあほれどジョースター家に因縁をつけるようになったのは、結局はエリナのせいだったのではないか?
こんな気分はもう酒でも飲まないとやってられん。酒。酒。酒。帰りに居酒屋にでも寄ろうと歩き出したんだ。
結局、その夜は一人でやけ酒を煽りながら、俺の何がいけなかったんだろう?と酔った勢いでそこらの他人に尋ねたりしてみたものの皆が苦笑いで何も答えない。
悲しくなってきて俺は泣きそうになった。
泥水はないだろ、泥水は…
でもディオも、きっと同じだったと思うんだ。
設置してから10年ぐらい経つトイレだけに色々な不具合が出てくる。
以前に温水洗浄便座の便座暖房機能が故障し、DIYでウォシュレットを交換したこともあります。
ウォシュレットのリモコンにある「流す」機能、「便器洗浄ユニット」の不具合なのか「流す(大)」のボタンを押しても、0.5秒ぐらいだけ水が流れてキチンと流し終えてくれない症状も出てきた。
ただしこれに関しては、レバーを手動で操作しつつ少し長めにレバーを2~3秒ほど引いた状態を維持すれば使えたので、時間のある時に何とかしようと思って一年近く放置していました。
トイレで水を流した後に普通なら、タンクの中の水が補充されれば水の流れが止まるはずなのだが、チョロチョロとタンクの中の水が便器に流れ続ける症状が時々出てくるようになった。
もう一度、水を流し直したりすると改善したりもするのだが不定期で症状が現れるし、気付かず放置して水が流れ続けると色々と勿体ないし、精神衛生上もよくないのでDIYで直すことを考えました。
(チョロチョロとタンクから水が流れ続けている場合、タンクの中の水が不足して補充する為、誰もトイレを使っていないのに水の補充の為に手洗い水栓から水が流れることがある)
自宅のトイレのタンクの型番と症状をキーにしてネットで調べると、修理した内容を記録したページがいくつか発見できました。
症状が時々しか出ないことから素人ながらの勝手な判断になりますが、部品そのものは問題なく動作しているが、そこに付いているパッキンが劣化しているから症状が時々出るのではないかと思いました。
特殊な部品の少し大きめなパッキンだからか、パッキン単体の値段としては高めの1600円ほど価格ですが、仕方がないので「HH08018S」を購入することに。
そしてついでに「便器洗浄ユニット」の不具合も直す為、こちらはユニットごとの交換をする為に「TCA320」を購入。
(※ TOTOの「便器洗浄ユニット」は三種類ほどあるようですが、流すレバーの付いている場所のそれぞれの違いや、タンクの種類により変わるので、対応している機種をキチンと選んで購入しましょう。)
近所のホームセンターで見たところ、この手の部品は売っていないようだったので、パッキンは高めだったけど送料や手間を考えると面倒だったのでAmazonでまとめて注文して購入。
届いたので確認したところ、届いた部品に付属したキチンとした交換マニュアルがついてきたので、さきほどのネットで見つけた症状を改善した内容のページと合わせて、マニュアルを見ながら交換作業をしました。
DIYの難度としては、キチンとしたマニュアルが付属していたのでそれほど難しくはなかったです。
トイレの部品交換の基本中の基本、止水栓を閉じて水が流れるのを止めてから作業をします。
タンクの蓋を外し作業を本格的に開始するのですが、トイレの水を流す為に上下させる「玉鎖」を外したり付け直す必要があるのですが、慣れていない為かそれが結構面倒でした。
「玉鎖」をロックしている部分が上下反転も可能だったので、上下逆にしてからの方が「玉鎖」を外し易かったりするのですが、特にマニュアルやネットの記録などにも記載がなかったので気付くまでは少し苦労しました。
マニュアルに沿って部品を外し、止水栓を閉じてタンクの中の水が空になったのでタンクの底が見えたので、ついでに汚れていたところもついでにお掃除。
部品を取り外したのでパッキンを交換した後、「玉鎖」の付け直す作業は場所によっては部品を装着する前に「玉鎖」を付けてからの方が楽な場合もあるので、その辺りは臨機応変で対応してパッキンの交換は無事完了。
こちらはモンキーレンチと+ドライバーなどの道具が必要ですが、交換そのものは簡単でした。
交換後、タンクの蓋を載せて止水栓を開放した水が流れるかの確認。
チョロチョロと水が流れ続ける症状自体は時々しか起こらないので、本当に改善したかどうかはしばらく様子をみないと分からないですが、「便器洗浄ユニット」は完全交換してからはリモコンからの「流す(大)」のボタンを押して問題なく使えるようになったのを確認したので、とりあえずは作業を無事完了。
元々予定立てるのが苦手だったが、大人になるともちろんそうはいかない
仕事はデスクワークで役職もないので、お客や取引先を相手にするような場面が滅多にない。
たまに出張とか打ち合わせの予定は入るけどそういうのはあくまで勤務時間内ので予定なので全然問題ない。
問題なのはオフの日の予定で、これがもうちょっとした用事だけでもダメなのだ。例を上げると
これはマシなほうなんだけど、週頭になると「土曜に歯医者あるなあ」ということが頭の隅にずっとあってどこか落ち着かなさはある
予定日の2週間くらい前から焦燥感が出てきてそわそわしてしまう。ただ会うだけでなんの用意もいらないんだが。
当日はだいぶ前から身支度して早めに家を出て待ち合わせ場所に近いとこでウロウロしてたりする。
日付も決めない予定なんで忘れそうになったりすることもあるが、それはそれで「なんかしなきゃいけなかったはず」という不安が出てきたりする。
結局どこか落ち着かなくなるのは同じでのんびりした気分でいられない
なぜかこの場合そこまで焦らない。緻密に計画を立てるというよりなるようになれという感じ?一人旅でも同じく。
公共交通機関などの乗り継ぎはめちゃくちゃ早め早めで動くけど、それ以外はけっこうのんびり構えていられる。
旅行はイレギュラーとして、その他はいずれも予定が嫌というよりは、予定が立ってしまうとそのことが頭から離れなくなるという感じ。
普通なら色んな予定が続くのが当たり前で、逆に予定がない日があると落ち着かないという人もいたりするが、
自分は逆で予定が入ってしまうとそのことがずっと気がかりになってしまうのだ。
ちなみに子どもの頃からずっと傾向はあったけど、歳を取るほど悪化してる気がする(遊ばなくなってオフの予定そのものが減ってるせいもあるかも・・)
まず音量がおかしい、くっそ小さい
劇場版作品をビデオ化した時にこうなってる作品は過去に何個かあったけど令和の時代ですらこういうのが見逃されてるって正直どうなのか
で、内容はそもそも読み切り漫画の劇場版って事で尺も1時間ぐらいしかない上に
漫画家を目指した女とその相棒との馴れ初めと別れぐらいしか内容が無いから次の展開が予想可能だし
どうしても感動させたいのか過剰なぐらいBGMが鳴り響くシーンが多くて正直アレだったけど
絵はちゃんと綺麗だし全くつまらんという事も無く普通な感じだった
あそこまで世間で持ち上げられていた様に思えた作品の映像化にしては
今更、BLって相当有害なんじゃないかって気づいた。ホント今更。これまでは同性愛者はBLを嫌ってるとか、ゲイは迷惑してるみたいな書き込みをネットで見ても「はいはい、何がなんでも腐女子を叩きたくて必死だなぁ」「ゲイを盾にするのやめたら?ただ自分はBLが嫌いってだけでいいじゃん」って思っていた。
でも最近、ふと「ゲイがゲイに向けて描いた同性愛作品よりも、女性の異性愛者が同じく女性の異性愛者に向けて描いた同性愛作品の方が圧倒的に世の中に出回っているってヤバくない!?」と思い始めた。BL作品って商業でも二次創作でもSNSで簡単に引っかかるし広告なんかにも出てくる。Xだとおすすめタブの影響で、BL好きじゃない人の目に触れる機会も増えたと思う。では「ゲイ向けは?」というと、すぐには思い浮かばない。田亀源五郎先生の「弟の夫」とか? 何食べは作者女性だし腐女子だしね。これってかなり不健全な状態なんじゃないだろうか。当事者が当事者に向けて描いた作品よりも、非当事者が非当事者に向けて描いた、異性愛者にとって都合の良いフィクションばかり世の中に溢れていて、LGBTの少年少女にとってもそれは同じと考えると、すごく申し訳ない気持ちになる。
「男女の恋愛だって当たり前のように娯楽として消費されてるんだから別に良くない?同性愛だけダメって逆に差別じゃない?」と突っ込まれそうだが、これはマジョリティとマイノリティの非対称性で説明できると思う。LGBTは身近にロールモデルが存在しないことが多く、人生について悩んだり不安になったりすることが多い。そんな中、BLが当たり前のようにSNSに溢れていたら、現実のゲイと実態とは異なるマジョリティに都合の良い描写や設定なのにもかかわらず「ゲイはそれが普通なんだ」と勘違いしてもおかしくはないだろう。例えばBLでは「受け」と「攻め」というセックスポジションを示す用語がほぼ全ての作品で使われているが、これはゲイは必ず挿入行為を行っているという誤解を招きかねないと思う。
そしてBLはミソジニー(女性蔑視)も内包していると思う。言い方が難しいが、女性が男同士の友情や恋愛を「さっぱりしていて羨ましい」と過剰に持ち上げ、ありがたがるのってちょっと嫌な感じがする。暗に女性同士はネチネチしていると言ってるみたいだし、女性を見下していると思う。それよりも女性は女性であることに自信を持って女性同士で連帯していくべきなんじゃないかと思っている。
正直な所、今夏のパワハラ関連の話題の中で前知事の基本的な態度に非常に衝撃を受け、議会全体からの否認(後援していた維新を含む)を受けるという事態に対しこのようなこともあるのだなと思いながら、その時点では然るべき手続きであると認識していた。
公益通報の法制度上、直接直ちに該当しうるかどうかという点については微妙と思っていたこともあったが、パワハラに関してそれなりの証言(当人を含む)があったことなどから、相応に正しい手続きの末の決定だと認識していた。
だが、現況の兵庫県での状勢を見るに、再選の可能性がむしろ十分にあり得る、ということにショックを受けている自分に気がついた。
肯定的な意見の大本になっていたのは、自殺した当人の(言及は避けるが)非違行為があったこと、クーデターを目論んでいたということだった。
一番最初にこの意見を見たときには、いわば『陰謀論』の典型的なものとして、考慮に能わないと一蹴した。
だが実際には、この意見はどんどん広まり、マスコミが報道しないことで、マスコミがこのクーデターに乗せられているがために今更手のひらを返せないのだ、マスコミは信用できない、という意見を取り込んでさらに広がった。
結果として選挙情勢で凄まじい追い上げを繰り返し、対立候補もリードを保ってこそ居るが実際に猛追をされているという報道が出ている。
自分は兵庫県民ではないし、今回の選挙に対し何かを言う立場には直接的にはない。無論住んでいる国のことではあるということで、アメリカ大統領選よりは間接的にものを言える立場なのかもしれないが。
ただ、『陰謀論』という典型例について一蹴することだけではおそらく、現況の状況を見誤りかねないと感じた。
正直に言えば未だにクーデターなどの状況は疑わしいとは思う。ただ、パワハラの問題がやや問題の周縁に終始していたという感触は確かにあった。
常に全ての証明が図れるものではないのだから、これだけ周縁にパワハラの問題が一定の事実として証明できるのなら、その本丸もそうだろう、と考えた。
あとは、当人が一貫して道義的責任を否定し続けるという極めて超越的な態度を取り続けたということに対して、『普通なら』ないし『政治的には』謝罪することの利益が、しないことを上回るだろうにもかかわらず、それをしないということに、非常に反感を感じていた、というところがある。
それはつまるところ、今回の猛追において、おそらくは兵庫県民の方々が改革を推し進めた(とする)斎藤前知事を信用しうると感じたということや、自殺者が(外部に発出した内容とは無関係だが)非違行為を行っていたということをもって、その文書の内容もおそらくそうだろう、と考えたことと、大差がない。
自分で組んだプリセットに依存しているという点で、結局自分が反対しようとしている行動と大差がないという状態は矛盾していて、愚かしい。
その反対しようとしている理由が推測と感情であって、それが世間に取り残されているというのならなおさら、その感情を矯正する必要がある。
ハリスがアメリカで全面的に敗北を喫したように、自分の視界の範囲内ではなく(それが主要なメディアに収まるものであればなおさらに)、自分がアクセスできていないメディア内の状況を見た上で判断する必要がある。
例えば現在は、非公表の会議の内容を開示したであるとか、自殺者のプライバシーを侵害するであるとか、そういった適正手続きの保障ということを、おそらくは、重視していない。
世間ではパワーハラスメントについて非常に敏感ではあるが、公務員などの「不適切な行動を取っているとされる」相手に対しては、おそらくは、重視されていない。むしろ、必要なものとも認識されることがある。
追記:論理的なことを端的に言いたいわけじゃないガチの感情日記です。ごめん。
何ヶ月か前、結構前に見かけた同担とたまたま電車で鉢合わせた。
いつの間にかすごく痩せて髪も綺麗になって、前見た時より質のいい服を着ていた。
私の目には彼女が輝いて見えた。あの車両の中で、あの駅の中で、一番可愛かった。
とても綺麗な彼女との正反対にぐちゃぐちゃの自分が恥ずかしくて下を向いて席に座っていた。
きっと相手は自分のことなんて認識してもいないだろうけど、バレませんように気付かれませんようにと祈って下を向いていた。降りる駅が近づいてふと見上げると、彼女の腕にはリスカの除去跡があった。そこでもうダメになってしまって、彼女が電車を降りたあと、隣の人が移動するくらい無様に大泣きした私は、気がついたらボロボロに崩れた顔で車掌に声をかけられていた。車庫行きの電車だったらしく、ただ降りてくださいとだけ言われて車両を降りた。
私は無様で馬鹿なオタクだから、信じていた。あの人の前では傷を隠さなくても、恥じなくてもいいと。
自担は元々容姿コンプの村の人間で、今でも体型や顔をとても気にする。
容姿で苦しんできたことが行動や言動の端々から痛いくらい伝わってくる。
だから好きだ。その分優しいから。演技だとしても、優しい言葉をかけられる人は優しい思考を持っている人だと思う。
自担はいわゆる友営(友達営業)だ。アイドルとしてもキャラも、接触時の挙動も、色恋とは程遠い。
私のファンとしての姿勢も(皆に伝わるように言うと)ノンケの女の子がノンケの女の子のインフルエンサーのファンをやっている感じ。自担のファッションやメイクが好きだし、何より容姿コンプからアイドルまで這い上がってきた泥臭い魂がかっこよくて可愛くて、尊敬している。
ブースに入ると、いつも自担は私の名前を呼んで、それから私が座る前にすごいスピードで私のファッションやメイクを褒めた。
いつも私が一番見て欲しかったところを褒めてくれて、努力に気が付いてくれたことが本当に嬉しかった。
他のメンバーから「こないだ○○と増田のコーデかわいい、ほしいよねって話したよ」と言われた時は、嬉しくて嬉しくてああ生きていてよかった、死にたくない、とさえ思った。
脱線したけど、本当に自担は誰より容姿コンプというものを理解していた。
いいトシしてそんな服着るな論を否定するつもりで「いいトシしてって言うけどー」と口にしたら、続きの「負けないでかわいい服を着るよ」という文言を聞く前にすかさず低くやけに真剣な声でそんなことないとつぶやいていたのを覚えている。
私に対する言葉が全てお世辞でも、その語彙や思考は経験や知識がないと出ないと思う。
思い込みだと信じてもらえないかもしれないけれど、確かにそういう人だったのだ。
したことがある人にしかわからない微かな兆候がいつも見え隠れしていた。
流石にそれは私の勘違いかもしれないけれど、少なくとも食に困難を抱えているのは確実だった。
だからいいと思ってしまっていた。腕を隠さないでいてもいいと思った。
病的な苦しみを知っている人だから、いいと思った。
私は自分の傷を恥じたことはない。けれどやっぱり否定的な人がいるのはわかっているから、時々隠すこともあった。
人生の進行上好印象を持たせなければならない人の前や、雰囲気を壊しそうな時、悪意を向けてきそうな人がいる時だ。
けれど、自担の前なら出していてもいいと、私は自ら判断したのだ。
もう慣れているので傷をジロジロ見られていたり、逆に見ないようにされているのはすぐにわかる。
けれど自担はそのどちらでもなく、全く大したものでもないような顔でいつも通り喋ってくれた。
もしかしたら、詰むオタクなんてリスカギタギタもまあまあいるから慣れているのかもしれない。
それでもすごく心地が良かった。哀れみも軽蔑も向けられないことが嬉しかった。
けれどあの日彼女を見て雷が落ちたように私は気が付いてしまった。
「普通じゃない」と。
私と同じ人の列に通っている人が傷を直していた。
つまり、それが普通なのだ。本当はあの人にだって、こんな傷見せてはいけないのだ。そういうものなのだ、と。
見せたかったわけじゃない、隠さないで普通に夏服を着たいだけだった。
不快な思いにさせたかもしれない。そう思うと怖くて、それから接触に行けていない。
もう何ヶ月も経ってしまったし、きっともう存在ごと忘れられていると思う、こんなに通わなかったのはじめてだし、名前なんて存在なんて、こなくなったらすぐに用無しだ。
そうやって気にして行けてないくせに、まだ思ってしまう。どうしても隠さなきゃいけないか?何十万も払って消さなきゃいけない恥か?と。
私はずっと正気を保つためにリスカをしていた。どうしてもやらなきゃいけない勉強や仕事があるのに動けない時というのは誰にでもあると思う。そういう何もかもがダメな時、私はリスカをしていたし、今でもたまにする。風呂にも入れず涙を流す肉体も、痛みでブーストしたアドレナリンがあれば無理やり動かせるし、お腹が空いてひもじくてそれでも痩せなきゃいけない日も、リスカをすれば食べすにすんだ。
それなのになんで何十万払って直さなきゃいけない?なんで、私が必死にタスクをこなしてなんとか人に馬鹿にされない迷惑をかけないようにするためにつけた傷を恥じなきゃいけない?確かに跡はケロイド状だけれど、きちんと閉じている傷をどうしてそうしなくても生きていける人に配慮して金払って消さなきゃいけない?そう思ってしまう。
ずっと開き直って生きてきたはずなのに、開き直ることにも隠すべきだと思うことにも振り切れず、宙ぶらりんで過ごしている。
元々パフォーマンスが大好きだから見ているだけの今も楽しいけれど、日に日に見せたい洋服が、伝えたい「かわいかった場面」が溜まっている。
私の分もあの彼女が払ってくれているかな、そうだといいな、そうだろうな、ああやってちゃんと傷を消すオタクがたくさんあなたの周りにいたらいいな。普通な日常を過ごしてほしいな。臭くなくて傷なくてめんどくなくて優しい人の相手だけできていてほしいな。会いに行きたいから普通になりたいな。会いたいな。