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2017-06-27

棒銀って強いんだっけ

https://anond.hatelabo.jp/20170626192037

id:sugimurasaburo さんからIDコールを頂いただきました。ありがとうございます船橋海神id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護趣味ブログで嘆くこと、在野で中世古文特に助動詞研究を行っておりますキャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。

以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります

よろしくお願いします。

けりの基本性質=回想の助動詞

加藤一二三という男、ありけり」を訳してみましょう

(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のものです。

失礼かどうか

元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています

現代語に残る「けり」

この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。

もし強引にありえるとしたら

米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。

(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw

場合によりけり」の「けり」

https://anond.hatelabo.jp/20170626193212

トラバ増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。

ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。

まとめに代えて

「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないか想像します。ここから物語論範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っていますNHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います

  • 降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男、昭6)

お粗末さまでございました。

2017-06-26

居酒屋サークラ

居酒屋チェーン店長をしているのだが、最近入ってきた女子大生バイトの子がちょいちょい俺の肘や背中おっぱいを触れさせてくる。

シフト希望の用紙を渡してくる時、ほんの一瞬だけおっぱいで俺の背中をサワサワーと撫でてから、前にまわりこんできたりする。

そういうことがもう何度も続いている。

俺がからっとしたタイプなら「今おっぱいサワサワーって触れたぞw」と言って軽く流すのだが、残念ながらまったくそういうキャラじゃない。毎回おっぱいサワサワーに気づかないふりをしている。

の子はどちらかというと地味なタイプで、あまり化粧にも慣れていない感じで、たまに異様に真っ赤な口紅をつけてきてみんなから日本人形かよとからかわれたりしている。もしかしたら処女かもしれないなんて噂もある。俺より一回り近く年下だ。

彼女さりげなくおっぱいサワサワーをするような子だとは誰も思っていない。

俺は店長だし、当然こんなこと誰にも話せない。話すべきでもないだろう。むしろ俺の方が変な奴だと疑われる恐れもある。

正直、俺は今までこんな経験をしたことが無かった。

珍しいことなんだろうか?よくある話なんだろうか?ちょっとヤバイ子なのか?

男女逆だったら一発でアウトだろう。職場さりげなく股間を押し付けてくる男がいたら、通報モノだ。そう考えたら、俺はほんらい怒りを感じるべきなんだろうか?ポリコレ的には憤るべきなのか?

だが怒りはまるで感じない。なぜかというと彼女は地味だけどかなり見た目が可愛らしく、おっぱいも大きいし、好きな映画とかミュージシャンを教えるとすぐにチェックして楽しそうに感想を言ってくれるし、うるんだ瞳で真っ直ぐにこっちを見てくる時の表情が絶妙にいじらしくて、正直に書いてしまうと俺はこの子にはまりはじめている。

おっぱいサワサワー絶対に偶然じゃないと思う。わざとじゃなければこんなに何度もおっぱいサワサワーとなるはずがない。

一体どういうつもりなんだろう?

と、ここまで書いたのが一月ほど前。増田にアップしようと思いつつ何となく放置していた。

今は状況が大きく変わってしまった。

今、うちの職場修羅場と化している。なんと六人いる男性従業員がみんな彼女に狂ってしまったのだ。大学生から妻子持ちのおっさん社員まで、揃いも揃って彼女にご執心だ。長年の友情破綻しそうなやつらはいるし、思いつめてみるみる痩せていくやつもいる。

なるほど、これがサークラってやつか。

こういう恐ろしい怪物がいるらしいという噂は聞いていたが、初めて目の当たりにした。というか、俺もすっかりはまっていた。情けない。

彼女が巧みに男心を操っているのか、男たちが勝手にはまりこんでいるだけなのか、そこら辺の機微はわからない。

おっぱいサワサワーの件を鑑みると、やはり彼女は全てを掌握しているような気がする。確信犯なのだ。俺以外の男達にもおっぱいサワサワーをやってるんじゃないだろうか。

魔性の女って、以外とこういう地味な子に多いのかもしれない。

とりあえず俺は周囲を観察することによって、正気を取り戻せた気がする。今でも彼女に潤んだ瞳でじっと見つめられるとおかしくなりそうだが、どうにか耐えている。

俺以外の男達は、完全にいかれている。客観性のかけらもない。全員が「彼女は本当は俺を愛している。だからおまえら全員死ね」という世界観で生きている。目がぶっ飛んでる。

今後うちの職場はどうなってしまうのか、彼女は究極的に何を目的としているのか。そもそも目的なんてあるのだろうか?

都民ファ

都民ファ」って略称が、すっごい中国語っぽいなーと思ってるのは俺だけか。後ろの「みんふぁ」が「明华」って感じ。

もうTong Ming Huaってキャラ何となく俺の中では誕生して、ニュースで「都民ファ」が出るたびに「ワタシのこと違う

アルヨー」って頭の中で喋ってる。

https://twitter.com/mishiki/status/877923213795250176

今、某声優ファンだけど「強火」になりたくない。

今日応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。

できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。

けど、送れた。緊張した。

沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。

けど、それでいいと思う。

それでいい、という事にしたい。

私は、その声優さんに関してはライトファンでいたいと考えているからだ。

私がその声優さんファンになってから、まだ1年も経っていない。

中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。



その、2次元から離れていた期間の事を少し話そうと思う。

私はとあるジャンル所謂「追っかけ」をやっていた。

ジャンルはぼかすが、お笑い舞台アイドルバンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。

元々高校生の頃からそのジャンルファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。

便宜上、その人をaさん、aさんが所属する団体をAとする。

Aの規模は決して大きくない。

「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。

aさんと出会うまでは同じジャンルももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。

距離の近さだ。

さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。

Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。

出待ちイベントで直接話すことができる。

そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手自分を覚えてもらえる。

自分存在相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。

そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。

当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。

私は、チケットを取るのが上手かった。

Aは規模が小さいのでチケット完売することはまずない。

なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。

まり、「より良い場所で見られるか否か」。

座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。

そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというもの存在する。

決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。

Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。

本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。

どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである

そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。

いじわるをされたりしないだろうか。

そんな不安は、当日公演を見たらすっ飛んでいってしまった。

遮るもののない視界。

手を伸ばせば届きそうな距離

しっかりと私宛と認識できるファンサービス

やっべちょうたのしい。

こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。

それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。

公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。

地方の公演にも行くようになった。

出待ちも毎回するようになった。

そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。

そうなるともうやめられない。

結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。

どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。

その頃の生活についてもさらっと触れてみる。

1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。

キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、

地方公演に行った後空港徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。

就活は一応した。就職を機に追っかけをやめようと思っていた。

しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格勉強をする道を選ぶことになる。

名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。

何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。

よく働いた。そして給料は全てaさんのために。

2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。

なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。

aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。

さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。

理由は色々ある。

誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。

それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。

しかし、まあ、そうなってくると問題も色々起きてくる訳で。

Aでは、最前列で見ている面子ほぼほぼ固定されていた。

その面子の中にはもちろんaさんの他のファンもいる。

中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。

それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌い性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。

しろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。

テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。

抽選販売保険をかけて何口も申し込んだ。

手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)

余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。

今でも実家掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。

もう使えない意味の無いチケットなのに、なぜか捨てられない。

一応金券だからだろうか。いや、多分理由は違う気がする。

私が100枚買ってもチケット完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。

おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。

まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。

その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。

詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。

話を戻す。

私はaさんから、他のaさんファン比較して1番良い扱いを受けていたと思う。

相対的に見てまとも」

「他のファンと揉めない」

「毎回来てくれる」

チケットを沢山買ってくれる」

「気の利いた差し入れ(時に高価なもの)をくれる」

これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。

当時の私も、その事は理解していた。

理解していたからこそやめられなかった。

やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたかである

私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。

チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。

差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者から評価も下げないように気をつけた。

他のaさんのファンとも積極的交流をもち、仲良くした。

出待ち自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。

全部、最初は打算なくやっていたこと。

たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。

たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。

私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。

でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。

それでも、自分特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。

けれど、

例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。

例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。

例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。

_______辛かった。苦しかった。しんどかった。

Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。

違うか。

私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。

(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からファンが離れていったから)

自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。

幸いにも、5年間の間にAの他の演者ファンで、私と同じようなスタンス応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたか孤独ではなかった。

これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。

1人でないことがどれだけ心強かったことか!

けれど、aさんはAで一番人気で一番ファン問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。

事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果

「みんなはいいよね、私なんか……」

と思う事も一度や二度ではなかった。

その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。

元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。

そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……

舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」

そう思って走り始めたはずだった。

それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。

けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。

道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。

手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。

同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。



そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。

他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所理不尽横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。

普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。

まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。

徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。

完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。

そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。

どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。

特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。

たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。

「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」

と言ったことがある。

しかし、そんなつもりはないと返ってきた。

それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。

そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。

最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。

そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。

こうして、私とaさんの5年間は終わった。




随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。

今私は、ある声優さんファンをしている。

去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。

その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。

なのだが、そのアニメきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんキャラに惹かれることが多いことに気付いた。

まりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものから、その人の他の出演作を見てみたくなった。

その人本人にも興味が出た。

そんな感じでなんとなくそ声優さんを気にかけるようになって、やがて

「もしかしたらファンなのかもしれない」

と思うようになる。

出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、

ついに自分がその声優さんファンだと認めざるを得なくなった。

そしてここから、この記事の本題である私の悩みが始まる。

(そう、なんとここまで全て前置きなのである)

私は、「強火」なファンしかファンの形を知らない。

普通の温度で応援するやり方がわからない。

けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。

aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。

嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。

もう、あんしんどい思いはしたくない。

更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合時間費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。

300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。

イベントチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。

リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。

この先その声優さんファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。

そう、つまり、あの頃と同じことは実際問題不可能

そんなことは私のスッカスカの脳みそでも理解している。

理解しているのだが。

では、どうやってファンをしたらいいのだろう。


ファンである自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。

元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである

正直悩んだ。

イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。

間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。

けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。

悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。

「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」

というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。

けれど、危惧していた悪い癖は案の定バドバ出てしまう。

その悪い癖というのは、他のファンを観察してしまうこと。

その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、

どの程度必死ファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないかファンサービスをされているか……など。

まりは、

「あっ、今あの人わかりやすファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」

というようなことを考えてしまうということである

Aを見に行っていた当時は、

見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……

と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。

観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。

aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである

そして、観察対象自分比較して不安になったり安心したりするのが常であった。

その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。

その声優さんファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。

けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手自分卑下して、勝手に傷ついてしまう。

そんな事をしても無意味なのはわかっている。

「好き」という感情を他人比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。

またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。

こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。

けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。

そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。

なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。

先日、同じ声優さんファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。

私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。

私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。

もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。

最近は二回連続イベント最前列を取ることができたし(これは指定席抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケット普通に取れた。

運による要素もとても多いのだが、つい「 このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-06-24

アイディアマウント」を使いすぎるとバカに見えるぞ

よくビジネス書記事なんかで

アイディアを出すには」

アイディアすら出せない」

批判ばかりで対案(アイディア)がない」

 

みたいな「アイディアマウント」を見かける

 

これは「批判する」ことより、「アイディアを出す」ことの方が難度が高いということを、皆何となく理解しているからなんだろうが

殊更にアイディアを強調しマウントを掛けると、それより上の階層の人から値踏みされかねないので注意した方がいい

 

上の階層というのはつまり

批判アイディア という難度の力関係と同様に

批判アイディア計画<実行<成功<… のように難度が続くわけだが、その高難度の作業に当たってる人という意味

 

例えば「実行」が分かりやす

自分が何らかの作業を行っている時に

批判者「君のやり方は間違っている」 という人はもちろんイラッとするのだが

提案者「もっとこうしたらどうだろう?」 という人に対しても、だったら自分でやってみろよ!と思うことがあるのではないだろうか

 

アイディアを出すことより、それを実行・実現することはもっと難しく

それを更に成功に導くにはもっと難しい

例えば既に会社サービス運営成功している人にアイディアをぶつけてみると、ほとんど考慮済みだったりする

彼らはアイディア複数出すことな造作もなく、むしろその良し悪しを吟味し、計画し、実行、成功することが難しいと理解している

からそういう人からアイディアマウント」を行っている人、あるいはそれを見て喜んでいる人は「その程度の人間」というふうに見える

 

それを理解している人は、未実現のことに対して多くを語らない

実現中、あるいは実現後に初めて語り始めることが多いのだ

 

ちなみに、私は以前アイディアがいっぱい出るが、一つも実行できない現場で働いたことがある

アイディア層の住人は居るが、計画・実行層の住人が不在だったのだ

アイディア層の住人はアイディアマウントが好きで、アイディアを出した後は満足して放置してしまう傾向にある

実際に実現しようとすると、驚くほど高コストだと皆薄々気づいているのだ

実現できないする気もないアイディアを出す行為は、批判行為と大差ないとそこで気づいた

2017-06-23

初対面「だけ」Not人見知りの人

私がそうなんですけど他にそういう人います

初対面だとお互いに何も知らないか

「お住まいどこですか?」

「ご出身どこですか?」

趣味は何ですか?」

みたいなべタな質問から会話がスタートして「へぇ、私も東横線沿線なんですよ。通勤辛いですよね~」と会話が盛り上がるんだけど、2度目、3度目と会う回数が増えていくと、差し障りのないネタも無くなってきて会話が続かなくなる。

で、そんな沈黙が嫌だから何となくその人と会うのを避けるようになっちゃって、挙句相手に「あれ、私嫌われたのかな?」と思わせてしまうという悪循環

いつもこんな感じで気まずくなるんだけど、他にこういう人います

[] #28-3「超絶平等

貴様遅刻とは珍しいな」

俺はウサクにその時の出来事を話す。

「それは……あの市長もまた妙なことを」

おかしくないか? 二足歩行で歩いただけで、足が不自由な人を差別していることになるのか?」

「そうだなあ、時と場合による……」

「ウサク、この会話は俺とお前だけだ。そういうのはいいから」

「ふむ……まあ、それだけでは差別ではないだろうな。仮になったとして、その解決方法が『自分たちも同じような移動方法をする』ってのは、すごく間抜けな話ではある」

まり市長の態度や、周りの対応不可思議だったか不安になったが、やはり俺の違和感は気のせいではなかったか

「そうか……だが、どうしてみんな市長のやり方に大人しく従うんだ」

俺みたいに面倒くさいから建前だけ従ったりする人ばかりでもないだろう。

まさか市長のやり方に賛同しているわけでもないだろうし。

「みんな“差別主義者”にはなりたくないのだろう」

ウサクの言っている意味がよく分からない。

差別にはならないはずなのに、それでは辻褄が合わないじゃないか

俺の怪訝な表情を察したのか、ウサクはそれを補足するかのように言葉を続ける。

とある至言があってな。『相手差別されたと思ったら差別』なんだよ」

「おいおい、それが大した理屈じゃないってこと位さすがに分かるぞ」

字面通りに受け取るもんじゃあない。この至言本質は、『差別じゃないかどうかを安易に決められない』という点だ」

ウサクの言いたいことが何となく分かってきた。

みんな慎重になっているってことか。

「ああ、はいはい。いわゆる“デリケート問題”ってやつだ」

「そういうことだ。何かを『差別じゃない』って明言することは、シガラミの多いこの社会ではかなり難しいことなのだ」

市長みたいな人から言わせれば、俺たちがそうやってオカシイと考えるのも差別的からってなる。

恐らく他の人たちも、それを踏まえた上で批判しにくいわけだ。

ウサクのいう「差別主義者になりたくない」ってのはそういう意味なんだろう。

「この調子だと、『ヘテロセクシャル差別的から全員バイセクシャルになれ』とか言ってきそうだな」

ウサクは乾いた笑い声をあげながら、冗談めかしてそう言う。

冗談ではないが、このままだと冗談にもならない。

その説得力が今回の市長にはあったのだ。

実の所、俺には差別がどうのとかはよく分からないが、今回の市長のやっていることがおかしいってことだけは分かった。

ただ、いかんせん今回は“デリケート問題”な分、声を大にして反対することが憚られたのだ。

そして、それは俺やウサクだけではなく、他の住人たちも漠然と抱えていたものだった。

例えそれが市長定義した頭でっかちものだったとしても、みんな差別主義者になることや、その予備軍の疑いをかけられることすら恐れていたんだ。

(#28-4へ続く)

2017-06-22

早期リタイア生活はいいよ

何となく勉強して大学入り卒業して、パラサイトをしながら上場企業10年勤続して、投資したら5000万円たまったのでリタイアした

リタイア生活の良い面を語るよ

支出が減る

時間ができる

人生を考えられる

親孝行ができる

  • 実家に住むと親が喜ぶ
  • 将来的には介護とかもしてあげられる

サラリーマンなんてやめちゃいなYO!

2017-06-18

人・物・事の理想が高い世の中になった

コンテンツだけでなく、全てにおいてそうだ。

自助努力煽り危機感焦燥感をかき立て、何となく「このままだとダメだ」と思わせる情報が、既に飽和状態だ。

何者かになれたネットの向こう側の人と、自分との現実の差が、容赦なく突きつけられる世の中。

本来はそこまで肩肘を張らなくても生きていける世の中だったはずなのに、それにかじりつくさまは全力疾走の後のように息を切らし、もう窒息寸前だ。

企業求人理想も高くなり、「コミニュケーション能力があり、好奇心を持って仕事に当たり、自立し、かつアウトプットの質が高い人間」などと、自社に限らず通用する人材求人にのたまう。

また、結婚しなくても居心地の良い世になった。不倫セフレ、一晩限りの関係マッチングアプリ風俗の評判。

性がより簡単に手に入ることで、異性も同じように簡単に消費されていく。

お笑い芸人一発屋Instagramtwitterなど、

コンテンツも早く消費されるようになった。

ネタバレコント動画は競うようにアップされ、誰かが面白いと言ったものは瞬く間に共有される。

比較的大きな買い物は、ネットの評判を確認し、実店舗で見て買い物をする。

結果、売れ線のものけが残り、買い物の理想コモディティ化してきた。

吐いて捨てるほどの情報を、自分の思うとおりに選び取っていく内に、すべての理想が高くなった。

商品製造、性の魅力、コンテンツも、今後は減点がなく、プラスアルファのもの必要だ。

インスタントに食べては捨てるコンテンツ蔓延る。

自分能動的に選び取ったネット情報は、本来砂粒の如きものにも関わらず、いつまでも続く砂浜のように感じられる。

疲れないのだろうか?自分はもう疲れた

自分がこの連鎖を止めても、自分と関わる人間がそうであるならば、そこについていく為にまたネットにかじりつかざるを得ない。

スマートフォンを切って、パソコンを切って、テレビを切ったら幸せなんだろうか。

アル中の父は死ねばいい

正直死んでもなにも思わない。

子供のころは何も決めることはできない。人生においていつから子供責任をとらえばならないのか。それは人のせいだと思った時である。ただ、どうすることもできないし、何かしようとも思わない。ただ過ぎる日々を過ごすだけだる。

というか、韓国韓国うるせぇ。てめぇは何かされたのか。ただ、自分より下を探して安心しているようにしか思えない。または会社韓国人になにかされたのか。父は会社を辞めている。定年退職である最後のほうはあまりいっていなかった。そのくらいかアル中になった。こそこそと飲んでいる。

そろそろ認知症にでもなるのだろうか。

それはそれでめんどい

こんなことを思う自分に罪はあるのでしょうか。心が邪悪すぎて、それを父のせいにするのはいけないことだと思うが、どうすればよいのわからない。鬱すぎてわからない。というか、どうかしたいとも思わない。何となく自分もあのような心無い人間になってしまう気がする。

親が嫌いだった。

家族が嫌いだった。

というか今も嫌いだ。

子供の頃から今に至るまで、徹底的に親から距離を取る、自分の視界に入れないようにすることに心血を注いできた。

今では三年に一度くらいしか親のことを考える必要がなくなった。

そろそろ名前を思い出すのにも少し時間が要るようになってきた。

それで満足しているので、何が嫌なのかとか、どうやれば改善できるのかを考えた事はあまりない。

昔ならアダルトチルドレンとかネグレクトとか、最近なら毒親とか、そういう概念について調べたことはあったが、どれも他人ごとのようだった。

(というより、ある程度主体的に行動できる年齢になった頃には、親と離れる以外の対処法では一切満足できなくなっていた)

しか最近、人から勧められて読んだ「ド根性ガエルの娘」は興味深かった。

作者が親に対して、人生ではじめて自分気持ちをぶつけてみるシーンがある。

うろ覚えだが「わたしは(お父さんの人前での振る舞いが)恥ずかしくてみじめだった」と言うのだ。

作者は普段、親の喜ぶように返答しなくてはいけないと思って暮らしているという。

作者の親子関係の中では、親の悪い点を指摘する事は、親を不機嫌にさせることだった。

からこれは作者のはじめての反抗だったし、わざわざ親の失敗を指摘するだけの事に40年を要した悲しみが溢れていた。

このシーンを読んで、なんだかはじめて納得がいった。

私は、恥ずかしくてみじめだと思っていたのだ。

子供の頃、人と違うことをまだ肯定できない頃、私は自分の属する家庭を恥ずかしく、みじめだと思っていたのだ。

周りが遊びに行く週末、自分宗教行事に参加して何の興味もない有り難いお話大人しく聞くことを、みじめに思っていた。

親が世間一般とは異なる、宗教に基づく価値観のうえで行動することを恥ずかしく思っていた。

(宗教自体は強い勧誘や集金を行わず他人を傷付けず、歴史も古い無害なものではあった。ただしその価値観特に善悪に関する価値基準を神に置く点で、明らかに周囲とはロジックが異なっていた)

そしてそういう気持ちを親に言うこと、つまり親を批判することは悪で、悪い事はやってはいけなくて、たとえ自分が一切興味を持てない事にも親の喜ぶようなリアクションを取る=善いこと(ただし家の中でだけ有効評価基準に基づく)をするのを、息苦しくつまらなく嫌だと思っていて、そういう嫌なことをしなくてはならない自分をみじめだと思っていたのだろう。

親と距離を取れば取るほど、世間と家の考え方の相違が浮き彫りになり、自分世間のほうの視点に寄っていき、そのまま親と自分感覚がズレ続けていって軌道修正もできないまま大人になってしまったのだろう。

そういう事だったのかなあ、と気付いて何となくスッキリした気がした。

今更どうでも良いことではあるが、朝イチでウンコが出たような気分ではある。

2017-06-14

会社に長く勤めていたアルバイトのおばちゃんが、先日亡くなった。

交通事故だったそうで、信号無視した車にぶつかり、亡くなってしまったとのこと。



「3か5、どっちにします?」

同僚(お通夜に慣れてるらしい)に相談されたのがお香典の金額

三千円か五千円。

一番最初に思い浮かんで、わたしが言ったのは、「5で良いんじゃないの?」

理由は本当に何となく。。あまりお通夜に参加したことがなかったため、相場はよくわからないけど、

それくらいなもんなのかなって思った。



でもなんだか迷ってる同僚。

え、え~~~そんな態度取られるとこっちが間違ってるみたいじゃないか~~~~~



そこへ、亡くなったアルバイトのおばちゃんと仲の良かった総務のおばちゃんが現れ、

お香典の金額について聞いたところ、


あなたたちくらいなら3で良いわよ~会社としても出すし~」

と言われた。


総務に言われたので、同僚も納得。

じゃあ3にしようってなった。



その日の夜、実家の母にアルバイトのおばちゃんが亡くなったことを伝えたところ、

お香典、いくら持ってくの?一万円?」

と聞かれた。

「い、一万円はちょっと…さんぜn」

あんた三千円は失礼よ!!!絶対五千円にしなさい!!!!」



会社も出すし、総務に言われた金額だし…とも言ったはずなのだが、

こういうとき、母は話をあんまり聞いてくれない。

これ以上話を聞いてくれそうにないので、「はいはい」と言って香典の話はやめて、別の話に切り替えた。



翌日、三千円は失礼だと母に言われたことを同僚に話をしたが、

「でも会社で言われた金額だし…いいんじゃない?」

と言われ、とりあえず母には五千円出したことにしておいて、実際は予定通り三千円出した。



通夜が終わった後、家で母にしつこく香典の話を聞かれ、

「あたしが10年前におかあさんのお通夜をやった時、三千円出した人は1人だった!」

「●●さんが7年前にお通夜した時、三千円出した人は3人いたってー!」

「▼▲さんが三千円出すなら来ないでほしいよねって言ってたよ!」

と、香典三千円がめちゃくそ失礼という話をしてきた。

「あーはいはい」って返事をしたけど、きっと薄々気づいているかもな…。




ママ~この秘密墓場まで持ってくつもりなんだけど~ほんとは三千円なの~三千円で出しちゃったの~~)

(とても言えないけど~もやもやするから眠い目こすって~匿名で今これ入力してるの~~~)

ホントわたし~数年前に夜バイクで轢かれたんだけど騒がれるのも困るし翌日イベントサークル参加だったからこれも秘密なの~~~~~)

(轢かれた翌日~お尻にトライフォース型の痣が出来てたの~~~)




まぁ…終わった後で意味もないのだけれど、帰ってからお香典の相場をググって、

今回は5で良かったんだよなぁと反省



総務は3で良いって言ってたけど、相場的に良くなかったよ総務・・・

事前にもっとググって「3じゃ少ないみたいですよ~?」とか言えばよかったかな。

同僚には黙って、5にしてもよかったかもしれない。

(母の言う通りにするのが嫌なので3を選んでしまったことも原因の一つ)

反省だ~…反省して寝よう…。

こういう相場とかも大学とか就職活動で教えてくれよ~~~




次回がないことを祈ってるけど、次回はちゃんと5以上用意しなきゃいけないな。

3は無し無し。無いわ~。

見聞きするだけじゃダメだわ~…。

今度聞かれたら堂々と「5」って言わなきゃダメだわ~…。

終活写真

先日遠方で従兄弟結婚式があった。しかし残念なことに祖母身体的に遠出が出来ず、欠席であった。

なので祖母の実娘である母に撮った写真フォトアルバムか何かにして贈ったらどうか?と提案したが、母曰く。

祖母終活だといって色々整理をしている。写真なんかも捨てているか不要

とのことだ。

確かに残された側からすると写真というのは何となく処分しにくい。特に人物写真は。

何となく増田を眺めていてそのやりとりを思い出した。

2017-06-13

写真をとる習慣がないか非モテ

最近になって、よっしゃ婚活じゃと成功するまでカツ食い続ける生活なんだけれど、さすがに体重が気になってきた。ズボンがパツパツでオフィスで平然とパンツ直すような人間になってしまって本当に恥ずかしい。

でも悪いのは会社で、なんか適当契約がよくない。いつから来ていつまでに帰るかとか、いつ休むのとか、全体的な作業量デッドラインわからんとか、そもそも私の裁量権がどれだけなのかが、派遣先会社派遣元会社も知らんとのことで、何となくボケッと会社に居るときが多い。待機任務

から会社では死にたくなるかパンツ直すかしかなく、しかたなくパンツを直す。というかこの前インキンになりかけたか結構大事ことなんだ。大事ことなんだ。

それで、なんか適当契約のせいで、ボケッと待機なので帰りも遅い。12時間労働休みは月3日とか平気で法律を犯す。

黙々と仕事をするだけの仕事をしているので話し相手も居ない。インコピーコちゃんとか居ればいいけど、ピーコちゃん長生き過ぎて手がだしずらい。孤独ここに極まれり。

から、あーなるほど、パートナー大事って、そーいうことねと、齢ほにゃらら歳で今さら気がついて、そいでもって振り出しへ戻る。今夜はカツ丼だ。

んで、さぼてんでも頬張りながら婚活サイトでもおっぱじめますかと思ったんだけど、帰りが遅いかさぼてん開いてなくて悲しい。冷凍三元豚に大量のからしをのせてなんちゃってさぼてんで誤魔化しながら、婚カツサイト登録しようとしたら写真必要なのね、あれ。自分写真や友人の写真を撮る習慣がないか自撮りとかになるけど、スマホカメラじゃ顔が広角でやばい。他の人ってどうしてるんだろうか。

というか私はもしかして変なのか?普通は友人ととりあいっことかするもんなのか?というか私の人生結構孤独なんじゃないか。思い返すと、たしかにまーまー仲良くなるけれど、それ以上仲良くなることがあったか、いや無い。三元豚って結局なんなのかわからんし、なんなのかわからんものが胃に入ってると思うとムカムカしてくる。

人の声が聞き取れない

自体は聞こえるけど意味が聞き取れない。

他人に対して要求する滑舌の精度がかなり高い感じ。

つの文字につき母音と子音の片方だけなら何となく聞こえたりするからそこから推察してたりして誤魔化しながら生きてる。

対面で話していてもよく相手の声が聞きとりきれなくなり笑って誤魔化したりしてる。

テレビ映画でも台詞を何度もリピートしてようやく意味理解することがある。

特に駄目なのが電話だ。

要件を聞くのは推察でどうにかなるのだが、名前だけはマジでやばい

知ってる名前ならともかく知らない名前をいきなり言われても聞き取れない。

相手自分会社名前を喋り慣れてるせいで個々人特有の訛り方までしてるから本当に最悪だ。

電話なんて滅びろ!

メールでいいだろ。

会話なんて滅びろ!

文字でいいだろ!

喋るスピードタイピングすりゃいいだけだろ!

2017-06-12

頭の悪さが一定以上の人は選挙投票できるのか

こんなん増田しか書けないんだけど、超頭悪い人がいたとして、その人に選挙権与えるのはなんで?

選挙の仕組みや政治のことがほとんどわからないし興味もないような、政治経済の授業はいつも寝ていたような人に選挙権ある意味は?


もちろん、近代の約150年をかけて、諸先輩が民主政治推し進めて男女普通選挙が実現したってのはわかる。非特権階級選挙政治参加できるようになった。

それはわかるけど、政治に興味もないし、政治(国政もローカル政治のどちらでも)を理解するフィーリングもない人が今あふれている。

選挙の日に投票行かずに遊びに行ってしまうような。そういう人たちへ選挙権を持たせる意味は?

折角先人が獲得した男女普通選挙権利を擲つような層に、どう響かせるか。

別に政治に参加するorしないの自由もあるんだろう。けれど、そこには初めから選択肢すら視えない、あるいは理解しない層がある。


かなり煽り気味に書いたんだけど、実際自分政治がわからない。

政党があってそれぞれ主義主張があって。市会議員はこれこれこういう会派があって、地域では誰誰さんが誰誰の後援者で。

こういうのは何となくぼやっとわかるんだけど、鮮烈には見えない。見通せない。

それでもなんとか考えて投票するけど。

もちろん完璧政治感覚を持った人なんていない。だけど、自分無思想性や勉強不足を顧みてなんだかなー、と思う。

2017-06-09

主人公権力側のアニメラノベばかりが人気な気がする

レポートなど作業をしている時にアニメなどを垂れ流している。

そうすると、何となく最近アニメというのは主人公権力側にいるのではないかと感じてしまう。

こういう作品消費者に向けて作られている。

まり、今の若者物事の考え方というのが反映されていそうだ。

権力を盲信して、気持ちよくなる。

あぁ、今の若者ではないか

内容的に反権力作品を作るというのは難しいというのもあるのかもしれない。

とりあえず、作り手は戦中のように国家による検閲があるわけでもなく、統制経済下でフィルムを入手するために忖度する必要もないのは確かだ。

自発的権力服従してしまっては将来的にも良くない気がしてならない。

レポートを書き終えて、就職活動云々が来年に迫っていることを深く考える。

慶応に行った顔のかわいい高校の時の同級生は楽して会社に入るのだろうとか思ってしまう。

権力ペットとして楽しく生きてゆける羨ましさが込み上げてくる。

あぁ、彼女時代に上手く適合できる可愛い犬だ。

自分は良くなるか分からない容姿をマシにするために美容整形外科HPを見る。

そして、深いニキビ跡やらを見てどうにもならないのだろうぼやくのだ。

2017-06-08

[]

今回はモアイで読んだ、第71回ちばてつや賞の感想

一部追加されたようなので、感想更新

ブラック企業新卒 座敷山童子の入社 (第71回ちばてつや奨励賞

ブラック企業という題材を、キャラクターや情景含めて程よく描いているバランス感覚が上手いと感じた。

リアリティをどう描くかってのは個人裁量が分かれるところではあるけれども、私としては漫画あくまエンターテイメントなわけだから、卑屈に描くにしろコミカルに描くにしろその範疇をどう意識しているかだと思うんだよね。

反面、登場人物の一人である座敷山の設定が馴染んでいないというか、ちょっとプロット調整すれば成立する構成なのが気になるところ。

グラスホッパー (第71回ちばてつや奨励賞

情景描写が丁寧で引き込まれるね。

プロット自体の皆無っぷりはそれを際立たせている側面もある。

ただ、象徴的なものであることを考慮しても、やっぱり中身のないストーリー構成に物足りなさを感じるのが正直なところ。

20XX年地球記念日 (第71回ちばてつや奨励賞

クライマックスまで話のテーマを開示させないストーリー構成に感心した。

そのせいで話にのめりこむまでにやや腰をすえないといけないかもしれないが。

あと絵の乱雑さはやはり気になる。

画風と割り切るには粗すぎるので、ネーム段階のものなんだろうけれども。

ただ構図とかはしっかりしているので地力は間違いなくあると思う。

エイト (第71回ちばてつや奨励賞

まず小奇麗な絵が引き付けてくれる。

終始コマの大小関係なく一定クオリティなあたり、デジタルの強みを存分に活かしているね(いや、もしかしたらデジタルじゃないかもしれないけれども)。

プロットは、まあ悪くないと思うんだけれども、言語化しすぎなキラいがあるかな

セリフの長さと多さがストーリーまで冗長にしてしまっている印象がある。

心臓は、つめたい (第71回ちばてつや賞佳作)

後半から終盤にかけての、キャラクターたちの人間模様の多側面的に描いていたのは面白いと思うんだけれども、それくらいかなあ。

絵が無個性なのと、プロットが所々不自然に感じるから、総括としては印象が薄かった。

今回、他の作品がどれもレベルが高かったり、個性的ものばかりだったせいもあるんだけれども。

絆創膏のためのメヌエット (第71回ちばてつや賞佳作)

絵の部分で読者を飽きさせないようにする工夫が丁寧だと思った。

コマ割とか構図とか、漫画としての絵の見せ方がすごく上手い。

ただストーリーのために必要情報の取捨選択ができないというか、構成が所々とっ散らかっている印象がある。

本作の話はコンプレックスを持つ主人公男の子ロマンスを、ピアノというアイテムを間に置くことで語るものであることは明らかなのだが、本筋一つに絞って描かれていない。

かといってそれらをきちんと消化しきっているわけでもないから、蛇足感が拭えない。

女子大生1円玉神様 (第71回ちばてつや賞佳作)

センス方面に振り切った漫画って感じ。

丁寧な人物絵に対して、線からしてやる気のない背景のギャップが可笑しい。

2ページ目の5コマの箇所とか、もうわざと描いてるんだろうなあと思わせてくれる。

ただ、わざとやっていることは何となく分かるんだけれども、演出表現だと割り切るには全体的に安定感には欠ける画力かなあという印象。

プロット破天荒すぎるというか、そのための説明構成もごちゃごちゃしすぎてて目が滑りやすいのがツラいところ。

三つ子のたましい (第71回ちばてつや賞準大賞)

まず導入部が良いと思う。

中盤がインパクトの薄いゆったりとした進行だから最初に引きつける描写を入れて読者を離れにくくしているのが賢い。

コマ割がやや淡白な印象はあるが、まあストーリー構成上これでよかったのかもしれない。

終盤、ちょっとキャラ言語化しすぎな印象はある。

ただ、話のおさまりを良くするためにある程度は説明する必要はあるから、丁度いい案配がどの程度かっていうと難しいところかもなあ。

引っ越し (第71回ちばてつや賞大賞)

内容自体はさしてドラマチックなわけでもエンターテイメント性が強いわけでもないんだけれども、絵の説得力が非常に高くてそう思わせない。

ストーリー構成も上手くて、サブキャラ事情なども最低限見せることで、しがらみによってより雁字搦めになっている様が見て取れる。

序盤での死神による抽象的な語りがやや気になるところではあるけれども、それ以外は概ね完成度が高いと思った。

余談

いやー、今回の受賞作品はどれもレベルが高すぎ。

私の中では印象が薄かったものもあったけれども、それだってあくま相対的にであって、かなりのクオリティだもんなあ。

それにしても、私がこのサイトを利用したときに、いつも気掛かりなことがあって。

受賞した漫画ストーリー概要とか、審査した人のコメントとかは漫画より上に表示されるんだよね。

それで批評コメントとかが目に入ったとき場合によっては内容とかを察してしまったり、読者の印象がそれに引っ張られる可能性がある。

これは映画とかの広告で「衝撃のラスト!」とか謳ってしまう位のことだと思うんだよね。

衝撃のラスト」って言われたら身構えるわけで、それが大したことなかったり予想通りだったら肩透かしだし、仮に予想外でも感動は薄れるわけで。

から私はこの手の漫画を読むとき批評コメントは後回しにするか極力見ないようにするんだけれども、いつも上に表示されるから個人的に煩わしい。

そこまでする必要があるとは思わないけれども、もし媒体によって表示が違うならそっちに変えてみるか、何らかの方法であれの表示だけブロックした方がいいかもなあ。

2017-06-07

真面目すぎる後輩

美人でしっかり者で、多少仕事の量が多くても文句ひとつわずに頑張る子…ではあるんだけど、正直相手をしていて疲れるときがある。うちの職場のものにあまりルール化が徹底していないぐだぐだな部分がいっぱいあるうえに、皆が皆、この職場の全ての仕事精通しているわけではないので、多少筋が通らなかろうが、人によってやり方がバラバラなところがあっても、多少目をつぶってほしいんだけど…。私はこの職場の勤務は長い方だけど、結構担当してきた内容が偏っているので、全部を知っているわけではないし、「この仕事はこういう風にやるのが正しい!」とか断言できない。また、そういうことを判断できる立場にもない。

うちの職場ってそういうルーズさ、ぐだぐださが何となく認められてきちゃったところが私には気楽でいいんだけど、何でもきちんきちんとルール化してやらないと気が済まないタイプの子には非常に気持ちが悪いようで…。「この仕事はこうやってこうやって、この書類が出てきたらこのように処理するのが正しい」みたいな手順を示してほしいらしい。まぁ確かにそういう仕事存在するし、書類の日付のつじつまが合わないと「この書類ってどうよ???」とはなるんだけど、そんなに細かく手間をかけても誰も気にしない仕事もあるわけで…。

とりあえず大金が動く仕事とか、比較的外部からのチェックにさらされやす業務はきちんとすべきだろうけど、あんまり些末なことまで気にして、上司や周りの人間全然気づかないミスをわざわざ「間違いに気づいたので差し替えました」とか持ってこられると、「そこまでしなくていいよ」「あなた仕事多いんだからそんな細かいのでエネルギー使わなくていい」と言いたくなる。その緻密さで忙しい時期に突入すると、何時間残業しても終わらないよ?

別に彼女が間違ってるわけでもなければ手を抜いてるわけでもないので、非常に文句を言いにくいんだけど、「これは○○するのが正しいんですか?それとも…」と日々問い詰められると非常に疲れる。明らかに片方が正しくてもう片方が間違っているなら答えやすいし、彼女自分で正解にたどり着けるんだろうけど、どっちに転んでも大勢に影響ないものは良きに計らっていただきたい。その子と同期でわりとルーズなところがあり、ミスしても「○○を入れ間違えただけじゃないですか~」と平然と言い放つ子がいるんだけど、心の底からその二人の性格を足して二で割りたい。

2017-06-06

普通の人は死にたいって思わないの?

6歳くらいか死にたいと思いつづけている

もちろん死んでないし、積極的死ぬ気もないから生きているんだけど(一回自宅の二階から飛び降りたことはある。かすり傷だった)

通勤電車を見るたびに、「自殺志願者絶対に殺してくれるマンだかっのいい」と思うし、飛び込んだらどうなるのか想像する

何だっけ、アドラー心理学王座の陥落?で、弟妹に親の愛情が移って、第一子は親の愛情を取り戻そうとするって奴

私もそうだった

父親がまったく子供にかまわないひとだったから、余計に母親依存していたからか、弟妹の面倒を見て母に楽をさせてあげることだけを考えていた

でも私は母親愛情を取り戻せなかった

差をつけるようなことはされなかったけど、親だって人間から、3人も子供がいれば人間的な相性みたいなもの絶対にあって、多分私は母と相性が悪かった

私はお母さんの一番にはなれないんだ

そう思ったら何もかもどうでもよくなった

とあるごとに死にたいと思うようになったのはそれから

母を諦めた私は父の一番になろうと思った

父は進学校落ちこぼれで(それでも国立は出てる)学歴コンプが端々に見えた

幸い頭は悪くなかったし、勉強も嫌いじゃなかったから、父が喜ぶ学校には普通に入れた

でも行くことが目的だったから入ってからはもうどうでもよくなっちゃったし、父の一番になったからって、母が私だけを見てくれた幼少時には戻れないわけで

死にたいって思わない人の方が多数派なのは何となくわかるんだけど、みんながみんな幸せ環境にいるわけじゃないのに何でそんなに平気なのかなって、豆腐メンタルは思います

選択肢としての自殺

小さい頃から、いつも頭のすみっこ自殺という選択肢がある。

2年前に実際に行動を起こし、自宅の鴨居ロープをかけて首を吊ってみたことがある。

その時は幸か不幸か、ロープから首が外れてしま死ぬには至らなかった。

意識が一瞬で飛び、耳元で大きな爆発音がしたくらいで苦痛は全くなかった。

昨年練炭を浴室で火をつけてみたもののムセてムセてしんどかったからすぐやめた。

から死ぬ時は首つりがいいかなって思ってる。

今日は朝の電車に間に合わなくて遅刻ギリギリだった。

何となく同僚が冷たい気がする。

貯金が今年もほとんどできなかった。

少しでも心が揺らぐことがあると、「あーあ、そろそろ死んどくかな。死ぬのってそんな苦痛じゃないみたいだし」という考えがにじみでてくる。

友達もそれなりにいるし恋人もいる。仕事もあるし。

でも自分が死んだからって誰かが悲しむイメージがわかなくて抑制にならない。

一日に何度も自殺をすることを頭の中で予行練習してしまう。

先日猫を拾ってしまったので、自分が死んだら猫の引き取り手もいないだろうし猫を看取るまでは実行にうつしちゃだめだよな~と思って今日もなんとか帰りにホームセンターロープを買うのを止められた。

毎日死ぬことを何回も何回も考えてしまうのでなんとなくしんどい

病院に行ってもその場ですぐ治るわけじゃないだろうから行くのが面倒くさい。

だったらこの場でサクっと死んだ方が楽だよな~とかまた考えてる

プライドが高く自己肯定感が低く、生育環境問題があるからこういう考えかたになるんだろうか。そんなん治すのに気が遠くなるじゃんね。あー死にたい死にたい

誰に助けてほしい。

増田初心者脱出した指標と言うのはいろいろあるし、増田の長い歴史の中でもその基準はさまざまあったのだが、現在もっとも解りやす指標は、アウクソーの長文コメント意味するところが何となく「読める」ようになったあたりにある。

2017-06-05

食パンの山型と正方形型の違い

いっつも正方形型の方を何となく買ってるけど、山型だと何か違ったメリットとかあるんでしょうか。

2017-06-04

[] #26-2「オサカレビュー

レビューにおいて踏まえておくべきこと

本作のレビューをする前に、踏まえておいて欲しいことがある。

評価基準の是非についてだ。

近年放映された、アニメ実写化作品を例に話をしたい。

あれも出来は悪くないのだが、はっきり言ってアニメに抵抗感がない人は素直にそっちを観ることを強く推奨したいのが本音である

ミュージカル一つとってもアニメのほうが歌唱力演出、どれをとっても上だといわざるを得ない。

そもそも何十年も前の作品と優劣で勝負しなきゃいけないレベルの時点で、この実写化を手放しで褒めることはとてもじゃないが無理がある。

だが、そもそもアニメと実写を完全に同じものとして評価することも無理があるというのも確かだ。

ましてやアレは“翻案された作品を更に翻案したものであるから尚更だろう。

いくら原作だとか翻案元があるとはいえ、それはそれとして割り切って観ることも一つの評価の仕方だ。

当然、受け手の中には翻案元にそこまで思い入れのない人や、日が経ち過ぎて記憶が薄れてしまった人、そもそも観ていない、把握していない人だっている。

受け手側の前提に幅がある以上、評価に幅が生じることも当然で、そこに是非を求めることは難しいだろう。

はいえ、評価する人間の中にはそれぞれ何らかの“基準”があり、だからこそ優劣を判断できることは踏まえておかなければならない。

でなければ、あらゆる作品個人にとっても全て傑作になるか、全て駄作になるかのどちらかにしかならない。

作品比較する手法を毛嫌いする人もいるが、評価とは得てして相対的ものである

比較対象があり、自分の中に評価基準がある以上、それを無視して評価することこそ無理な話なのだ

何を言いたいかというと、今回のレビューもそういった部分を理解して読んでいただきたいということだ。

いくら客観的に見えるような書き方や評価方法をしたとしても、あらゆる感想は最終的には主観収束する。

自分いくら酷評しようが絶賛しようが、他人にとっての傑作、駄作は脅かされない(もしも脅かされたと感じたのなら、それは被害妄想である)。

また、書いても大丈夫範囲で内容を説明していくつもりだが、念のためネタバレ注意も喚起しておく。


…………

読んでいる途中だったが、ヤキモキしたので指摘せずにはいられなかった。

「なあ、前置きクドくないか? 今回のレビューとは直接関係のなさそうな話だし……」

レビューだとか感想というものが何かってことを深く考えたことがない人や、それらの距離感のとり方を自覚していない人もいるんだよ。それくらい書いておかないと、“ウブ”な反応をする人たちが出てきてしまう」

なんだか、俺にはオサカのその気配り自体無駄なようなものに思えて仕方がなかった。

特定の読者を想定して書いたものを、不特定人間が見れる可能性のある場所に公開すれば、必然的にそういうことだって起こりうるだろうし、恐らくそれは不可避だ。

そもそもオサカのいうことを理解している人間ならば語るまでもないだろうし、理解していない人間ならば説明したところで理解できないだろう。

「そういう“ウブ”な人間を、お前の裁量でどうにかできるとも思えないんだがなあ」

「そりゃそうだろうけどさ。例えば説明書に書くまでもないようなことを『書くまでもない』といって書かず、それでポカをやらかし人間が出てきたら、そこに多少の落ち度はでてくる可能性があるんじゃないか

なるほど、何となく意図が分かってきた。

どうやらこの長い前置きは受け手への気配りであること以上に、書き手保険のようなものも多分に含まれているのか。

「まあ、次の項目から本編の感想入るから。続けてくれ」

オサカに諭され、俺は気を取り直して読み進める。

(#26-3へ続く)

2017-06-03

無限大な夢のあとの 何もない世の中じゃ

子供の頃はあんまり意識してなかったけど、あの当時の就職氷河期っぷりとか世紀末っぷりとか、社会の辛い部分の真っ只中に居た人達にとっては本当にこんな感じだったんだろうなあ。

それでもデジタルという革命的な技術によって、いつかは閉塞感を突き破っていけるんじゃないかって希望はあったんだよな。

その頃に自分子供ネットなんて学校パソコンでたまに触れる程度の存在だったけど、何となくそういう感覚はあった。

今はその夢も無くなって本当に無限大な夢のあとの何もない世の中になった。

デジモンが当時滅茶苦茶流行ったのって、きっとそういう社会実態を語りながらどこか予言的だった所なのかもなと。

デジタルな新しい可能性と共存して次の世界世界を救う、その中で勇気友情を信じればきっとどんな壁も超えられるっていう耳障りのいい物語に惹かれたのかなと。

結局、デジタル根性論が混ざりあった果てにあったのはどこまでも続くような悪夢だったけど、もしかしたら当時の自分たち子供ながらにそれが見えていて、だけど信じたくないから美しい物語に夢中になる事で目をそらしてたのかなと。

自分しか出来ないことなんてなくて、描いた夢は掴めなくて、大事な友は失われて、知らないパワーなんて宿ってなくて、逃げたり諦めることを拒絶して歩き続けた果てには地獄があって……本当に何もない世の中だな……もう俺たちの世代は駄目だな。

まだ若いなんてオッサン達は言うけどきっともう駄目だ。

次の世代の子供達に託そう。

無責任だけど俺たちには無限大な夢なんて残ってない。

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