はてなキーワード: 家出とは
今回のみてて新しいビジネスを閃いた。
舞妓芸妓あそびってやった事ないしどんな料金システムかも知らんし舞妓さんと会話もした事の無い人間の方が大多数な訳じゃん?
家出娘にそれっぽい着物着せてメイクして舞妓さん派遣しまーす。ってやっても「コイツ偽物だ!」なんて言える人いないんじゃね?
着物なんかペラペラでも京言葉っぽいの何となく話せればバレやせんだろ。
ウチは意味わからん古くさいゲームや日舞とかよりお客様が楽しむ事を重要視してますとか言ってお酌だけさせとけば誤魔化せそう。
んで、おやおや特別コースをご希望ですかネットでご存知かも知れませんが相場はコレだけですが今なら安くしておきますこれであなたも晴れて旦那さんデスヨー的な感じでボッタクリ。
最後は怖いお兄さんが出てくる。
どう?
心情を整理したいだけのごちゃごちゃ記録
高校生のころ、強迫性障害になって留年ギリギリの不登校だった 家出もODもリスカも全部やってた
大学生になって一人暮らし始めたら急にメンタルが回復して、自分はもう健康なんだって思ってた
とにかく会社に行きたくない、いい歳して家で1人で泣きわめいてた
別に会社や職場にこれと言った不満はない 怠惰な自分には労働が厳しかった
不眠が酷くなって、心療内科に通いだした
どういうきっかけかは覚えていないけど、高校生のとき そして今また通院していることをカミングアウトした
彼氏はそれを優しく受け止めてくれた
前から計画してた春からの同棲は、変わらずしてくれることになった
2人で暮らすことで、私のメンタルが安定すればいいねって考えでいた
現実はそんなに甘くなかった
彼氏は優しい、世間でいう「理解のある彼くん」って奴なんだと思う(本人は否定するけど、、、)
なんでだろう、気づいたら悪化した
仕事は月1で欠勤している
お風呂に入れない
身だしなみに気を使えない 大好きだった化粧もロクにできなくて、すっぴんで出勤することもよくある
イラつくと毎回じゃないけど癇癪を起こして暴れ倒す
私は彼氏に捨てられるのが一番怖い
こんなに迷惑をかけているのに、捨てられるのが本当に怖い
それを考えてやっている訳じゃないけど、心の奥底で彼氏の優しさに甘えきっているんだろうなぁ
甘えが重なって、症状が悪化したのかな
私は自己中だから、自分が職場の飲み会に誘われればホイホイ行くくせに、彼氏が行くかもってなるとめちゃくちゃに嫌がってる
常に他の女の影を気にしてしまってる
本音だったら位置情報アプリを入れて常に見ていたいくらいの気持ちがある
夜遅くだったから今晩はもう寝たい、って意味だったらしいんだけど、もうずっと、ずっと限界なのかもしれない
どうしたらいいんだろう
私のメンタルが安定してくれたらいいんだろうけど、どうしたらいいか分かんない
このままじゃどうなるか分からない
あと半年とちょっとだけど、この期間で自分を変えることはできるのかな
これといった趣味はない
朝起きれない
ネットで検索して出てくる解決方法、甘ちゃんなのもあるけど今の自分には難しすぎるの
あーあ、どうしよう
通院してたらそのうち治るのかなぁ
おやすみなさい
愚妻の分際で俺の記憶を指摘し正そうとしやがった。
常識的に考えて間違えてるのは妻だ。
出勤前に軽いバトルがあり、半日あればじっくり考え、己の愚かさに気がつくであろうと期待し俺は出社した。
優しい俺は帰宅しても蒸し返さず紛争そのものが無かったことにするつもりだった。
バカなのか。
前者なら仲直り
おおむね仲直りしなければならんのだからハナから仲直りすれば良いのだ
ところがである、間違えているのは俺だと言い張る。
仮に、仮にである、俺が間違えていたとしても妻が折れれば良いではないか
論理的に考えればわかるだろうに。
妻がどれほど主張しようが俺が折れることは絶対にない、2億兆%無い
だからこそ俺は喧嘩そのものが無かった粉飾的平和的誤魔化し的処置で
笑顔で許してやろうと、
だがそんな俺の優しさを踏みにじり
なぜ?
アホなのか
話し合いは無意味だ
だから俺は着替えて外に出た。
四歳の息子が「とうちゃんどこにいくの、ボクも連れてって」と懇願しているが、
心を鬼にして家を出た。
子育てマニュアルによると夫婦喧嘩を見せると子供の脳が萎縮しバカになるらしいが
知ったことではない。
俺に間違いがあるとすれば
過去の俺があまりにも優しすぎて記憶障害の妻を娶ってしまったことだ
まぁいい金はある、どこにいこうか
久しぶりのパチンコ屋、充電代のつもりで打ってみた。
1万秒殺
ムカつく、これも妻が悪い
妻が喧嘩を仕掛けてこなければ無駄な時間と金を使うことは無かった。
(ダンゴムシになって転がる)
ムカつく。
腹が減ったのでステーキを食うことにした。
一番高いの食ったろ、妻が悪い
食った、美味かった、妻ざまぁ
まだ22時、帰りたくない
今回はそこまでやるつもりはない、
馴染みのバーに行くと閉まっていた
ムカつく、妻が悪い
店内の照明が薄暗い、妻が悪い
三杯目でようやく酔い始めた
酒のツマミに愚妻がどれほどムカつくか過去の鮮明な記憶を掘り返し頭の中でリストアップしたった
なぜ俺はこんな可愛いだけしか取り柄のない女と結婚してしまったのだろう。
結婚してくれなきゃ死ぬとほだされ騙され結婚してやったのに。詐欺だ。
四杯目でどうでもよくなってきた
結婚してしまったものは仕方がない、俺は一生記憶障害の女を養っていくしかない、諦め
まだ雨が降ってる、少し肌寒い、妻が悪い
自宅に戻りシャワーを浴びベッドに入る
次はすき焼きやで
概要で「これらの結果は、ポルノグラフィとレイプが代替物であることを示唆している」とか言ってるし、本当かよ。
ちなみにKendall(2007)の前にも先行研究があり、Court(1976)、Baron and Straus (1984) Jaffee and Straus (1987)がある。これらはポルノの利用とレイプ被害に正の相関(すなわちポルノをよく利用する地域のレイプ被害が大きい)が見出されていたんだが、地域固有の効果をコントロールできていない(cannot control for unmeasured location-stpecific effects)と書かれていて、これらを改良したのがこのKendall(2007)らしい
簡易的な「differences-in-differences」法で調査したところ、インターネットが急速に普及した25州と普及が遅かった26州を比べ、レイプ発生件数は人口10万人あたり-2.2件の差があったそうな。つまりインターネットの急速な普及に伴ってレイプ発生率が減った
このような差は1995-2003、すなわちwindows95発売以降インターネットが普及した時のみ現れ、1990-1995年の間では特に差が出なかったらしい。そうなんだー
これはどういう効果なのかな?中身までには触れてないはず。ポルノの影響かもしれないし、個人の情報発信によってそれこそ認知の歪みが是正されたのかもしれない
なお、Kendall(2007)でもレイプ固有の影響なのか犯罪全体が減っているのかは調べてて、殺人の件数も調べてる
殺人の件数は継続して減っているらしいけど、急速に普及した州は普及が遅かった州より減りが遅かったそうな
まあ銃乱射の憎悪犯罪とか、アメリカ特有の何かはあるのかもしれん
また、暴力犯罪(violent crime)および財産犯罪(property crime)はインターネットアクセスに対して優位な差がないって言ってる
これはBhuller et. al. (2013)と同じことを言っていて、なにか性犯罪だけインターネット普及率と関係性が高いようだ。不思議だ…
インターネットと売春には負の相関が、インターネットと家出には正の相関があるとされている
その他の性犯罪(強姦、近親相姦、ソドミー(アメリカでは犯罪なの?)、わいせつなポーズ)なんかは相関が見られないらしい
Bhuller et. al. (2013)の「出会い系とポルノ利用との区別がつかない」結果と総合して、
「家出した青少年が出会い系の利用増加で被害に合ってる」という構図が見えるが?
また、年齢ごとの性犯罪とインターネット利用の関連を見て、15-19歳男性が一番犯罪の減少率が高かったので、
そこからポルノの利用との相関を見ている。これは正しいの(?)
結論として、この研究結果は「他の国、他の時代、あるいは他の方法論やデータセットを用いたさらなる研究が必要である」と注意はされているが、
「ポルノグラフィーのアクセス自由化は、女性の性的被害を増加させない可能性があることを示唆している。」
と結ばれている
id:mats3003 APAホテルが新宿地域で年確を必須にして、カードでの無人チェックインを停止するだけで、トー横の一部はいなくなると思うんだがね。歌舞伎町はキッズが集まる環境が整いすぎてるのが、他のエリアと違う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4720812029387104290/comment/mats3003
sirobuさん がスターを付けました。
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tourism55さん がスターを付けました。
びっくりしちゃった。本文のつらい環境にある少年少女の悲痛な思い読まなかったんだろうか?
APAホテルや他のホテルが未成年者を追い出せばトー横は無くなるって言ってるんだけど。
数少ない居場所から見えないどこかに追い出して何がしたいの?虐待された少年少女なんてメンタルすり減らして死ねばいいんですかね。
それがどうだかは知らんし実際数量的にどうであろうが関係はないので、とくに問題はないだろう
あとパパ活というのはパトロン活動みたいなものが基礎になっているのではないか
売春目的で最初からパパ活ということで探している両者は勘違いしていると思う
もとより売春行為が目的なら「大人の関係」ないし「大人」または「関係」、旧名「割り切り」だろう
基本的にはデートをしてお金をやり取りするキャバクラ同伴・アフターの個人営業みたいなものがパパ活ではないか
感情やら価値観やらは置いといて「関係」の話でいうとキモイとか問題が多いとかそういう話はぶっちゃけ聞かない
一番多いのは「ひやかし」「ドタキャン」あと交渉に入る以前に「説教」と聞く
20歳の男子が毎月呼んでくれる50歳過ぎのおばちゃんとか、広い戸建てに一人と犬一匹で住んでる医者の家に定期で呼ばれる30歳とか
アパレル店の店長をしているという20歳過ぎの子はどうやらそのアパレル店の店長が野良デリヘルみたいなことをしていて派遣されてきたっぽいとか
合計100例くらいなので母数はあんまりないけれど、そう悲惨な話とかひどい出会いの話は聞かない
一人だけどうやら騙されて野良デリヘルをさせられてるっぽい家出娘みたいな子にはあったが、まあそういう日もあるだろうという事で話を聞いておわることもある
女子大生っぽい子がどうやら処女を捨てたくて形だけしたくて来たっぽい子もいた
こちらも都合のいいタイミングで都合のいいパートナーが調達できればたすかるし、相手もお金以外は求めてないので双方トラブルになったり問題や行き違いがあったことはない
キモいおっさんが汚いリュックを背負って臭いシャツのまま入っていくのを見るのは早朝の風俗店なのだがどうだろうか
すこし早く出勤すると通る繁華街で日の出から営業している風俗店に入っていくのを時折みる
几帳面なサラリーマンっぽいシャツにスラックス、四角いリュックに動きやすい靴のおっさんは一人でホテルに入って行ったりするところを見る
それはおそらくデリヘルだろう
それぞれに求めているサービスがわかれていて、それらがかみ合うことは非常に少ないと思うが性欲旺盛おっさんのあつまりみたいなところで座談会したわけでもないので知らん
関係の待ち合わせはホテルから一定の距離離れたあたりの角で待ち合わせが定番化しているところがあるようで、見ればわかる
何人かの定期とその子らが都合あわないときは野良と会ったりするおっさんから見ればこんな感じだが、なんか一番悪い例だけをとりあげて全体のイメージができてる気がしないでもない
とくに他人の幸せや不幸をどうしようと考えてるわけではないので、自分はとりあえず円満ではあるのでどうでもよいことだけれども
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。
連れ去りとは妻が夫と相談せず子供を連れて家出なり実家に帰るなりし、夫と子供を合わせないようにすること。
妻はDVを受けていると主張し、夫はでっちあげだと主張することが多い。
法律的には圧倒的に母が強いので、全然夫が悪くない場合でも養育費だけむしり取って子供には絶対会わせなくするなども多く、子供に会えないという辛さで自殺する人も少なくないらしい。
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今のところ身内の正当性は認められそうでホッとしている。
こんな厄介な境遇にある人がたくさんいると知り、リアルな意見を見てみたいとTwitterで連れ去りで検索して当事者(連れ去られ夫)のツイートを見させてもらった。
ほとんどが妻への不満や子供に会えない辛さ、幸せだったころの思い出などで溢れていた。
「娘に舌を入れてキスしたりもしたな。あの頃は幸せだった」のようなもの。
…?となってその人のツイートを遡ると、胸を触ったら感じてたなど吐き気を催すようなものもあった。
そういう感じの人が複数人いた。
本人はなぜか分かってなくて妻を恨んでるんだろうが、そりゃ連れ去るだろう。
まず
逆境サバイバー、性暴力被害者、DV被害者、家出人などは、容易に関係性の依存を発症します。発達障害、ASD、ADHD、LD、境界知能、知的障害のある人なども、悪意を察知することが苦手です。契約を適切に理解できない人と契約してはならないという規制が必要です。
という主張があるというのは理解している?
~~~(略)~~~
逆境サバイバー、性暴力被害者、DV被害者、家出人などは、容易に関係性の依存を発症します。発達障害、ASD、ADHD、LD、境界知能、知的障害のある人なども、悪意を察知することが苦手です。契約を適切に理解できない人と契約してはならないという規制が必要です。
自ら志願した人に関しても、上記の特性及び、複雑性PTSD、性化行動、性的自傷、トラウマの再演により、自ら進んで傷つく体験を求めて行動することが、精神科医療の研究では、明らかにされています。契約時に、逆境サバイバー、性暴力被害者、DV被害者、家出人などは、容易に関係性の依存を発症します。
発達障害、ASD、ADHD、LD、境界知能、知的障害、逆境体験、DV、性暴力被害者と契約してはいけないという縛りが必要です。
~~~(略)~~~
https://childrenrightsnews.blogspot.com/2022/04/blog-post.html
https://togetter.com/li/1884669
といっても、最初の方を1分程度眺めただけで、あとははてぶコメントで推測・補ったという程度なのですけれど。
そのお嬢さんは、スマホ依存なのでは・・と感じます。そして、性依存になる可能性もゼロではないのではと心配になってしまいました。
本や体験談などを聞くと、根底にあるのは「不安」や「寂しさ」です。
愛情が向けられているか不安になり、寂しさを埋めて欲しいからSNSや出会い系等を利用しすぎてしまうのだと解釈しています。
心配している。と。
言葉にして、そしてお嬢さんが嫌がらなければ、一緒にお食事をしたり外出をしたりして楽しい時間をともに過ごしてください。
勿論、一方的な押し付けになってしまっては逆効果ですし、難しいとは思うのですが。
ただ、提案して、そして嫌がった場合に、その意思を尊重してもらえた。そして自分のことを好いてくれているから提案したのだと感じることはできるでしょうし、無駄ではないと思うのです。
なにか好きなもの(個人的には、お菓子やケーキよりお料理お惣菜だったら素敵だなと思うのですがw)ないか?あったら一緒に食べないか、とかそんなやりとりをして、関心を持っていると愛情を分かりやすく伝えてあげて欲しい。
見知らぬ相手に年齢詐称して会うリスクを冒すというのは、寂しいのではないかと、自分の体験からも思うので。
自分も反抗して自傷行為や軽い家出、売春未遂(というのも変ですが)を沢山行いました。
そして上記のは、例えば自分がそれくらいの年の頃にこういう暖かい言葉がけをもらっていたら嬉しかっただろうなと夢想しながら書いてみました。
最初は拒絶するだろうけど、気にかけてくれているんだと少し喜ぶ、幼い子供の自分を想像して。
母親との距離感が近い、というのは切腹モノの”恥”という強烈な意識を私は抱くようになった。
その意識は思春期の到来によって引き起こされる内面的変化の表れで抱いたものではなく、別のきっかけによって植え付けられたものだった。
「〇〇君はなんとお母さんのことを『ママ』と呼んでま~す!!wwwwwwwwwwwwwwwww」
信じられない人もいるだろうが、少なくとも90年代まではこのレベルのキチガイ教師はザラにいた。
また、当時は『ママ』呼びする男は問答無用で気持ち悪い奴という認識が共有されていて(今どきの若い子で公然とママ呼びしている人は普通にいると大人になってから知って仰天した)、それこそロリコンに匹敵するくらいの扱いを受けていた。
だから、暴露されたクラスメートは卒業までかなりかわいそうな扱いを受けていた。
ちなみに私はこのショッキングな出来事が起きた日、家に帰ってすぐ母親に対して
と宣言した。
母親は「そうか、もう”ちゃん付け”は嫌だか!」と爆笑していたが、なんと本当にその日から私のことをを”ちゃん付け”で呼ぶことをきっぱりとやめた。
加えて、私はこの時期から約十年にも及ぶ長い間、母親との雑談を一切しなくなった。
担任の愚行一発で、私は母親との距離をもっと遠くしないといけない強烈な危機感を抱いてしまったのだ。
それまでは小学生の子供らしく母親とそれなりに会話をするほうだったと思う。
夜一緒にテレビを見ながら、かつて竹中直人がお笑いタレントで「笑いながら怒る男」の芸で一世を風靡したことや、
志村けんがドリフの初期メンバーでなかったことなどを母親から教わった記憶がある。
それから時は流れ、大学生になっていた私は運転免許の合宿のために地方で3週間ほど滞在した。
合宿中のある日、同日入校した男連中と休憩室でテレビの情報番組を見ていた時、
画面に映る女性タレントを見て私が「この子超可愛いなあ。こういう彼女いたらなあ」と口にすると、
男の一人が「俺、家じゃそんなこと口が裂けても絶対言えないわ……」と唸った。
どういうことかとその場の皆が不思議がっていると彼は
「母親の前でアイドルとか女子アナのこと可愛いなんて言うともう……『そんなにこの子がいいなら一緒になって家出て行けばいいじゃない!!』って大泣きして怒り狂うんだよね……」
となかなか衝撃的なカミングアウトをした。
周りが騒然としながら、そうなったときお前どうしてんの?キレ返すの?と尋ねると
「いや、もうずーっと『ごめんごめん、俺が悪かったから泣かないで』って泣き止むまで言って落ち着かせてる……」。
お前それもう彼氏やんけ、と皆から引き気味にかわれていたが、私はというと「あーここまで母親との距離が近い奴もいるんだなあ」と妙に安心していた。
合宿が終わって実家に帰ると、私は母親と再び雑談をするようになった(10年以上のブランクがあったので何を話していいのかわからない状態で半年くらいはぎくしゃくしていたが)。
それから、オッサンになった今に至るまで、他人とその母親との関係性がうかがえるエピソードを聞かされる機会が結構あったが、距離感が近い母子は結構いるもんなんだなあと思う場面は多かった。
配偶者の実家の近くに家を買うつもりであると母親に伝えると「あなたを取られちゃうみたいで凄く嫌なの」と不快感をあらわにされ最後の最後まで反対されたとか、
部活の引退試合を終えチームメイトや父兄が集合している場で「〇〇ちゃん、お母さんを抱きしめて~!!w」と強烈なハグをされて死ぬほど恥ずかしかったとか、
家では『お母さん』呼びをすると完全に無視を決め込まれて食事抜きにされるからついにママ呼びを脱却する機会を逃したまま大人になってしまったとか。