はてなキーワード: 高坂正堯とは
前編はコチラ
https://anond.hatelabo.jp/20240901181941
スポニチがスッパ抜いて失笑を誘った。池袋の裏手で聴衆もほぼ無くビールケースに乗って面白カルト候補応援する姿が写真掲載され面白画像として出回った。
元記事は削除されてこれくらいしか残っていない。https://matomame.jp/user/20yama20/86adf5030479d91ccee5#9c0b66168507bff3b75a
日本解放第二期工作要綱とは1972年に日本の右翼活動家によって中国にて発見されたとされる、中共による日本赤化の工作の指針文書。要するに中国版の32年テーゼだ。因みに1972年は田中角栄による日中国交正常化があった年だ。それに伴って国府(台湾政府)とは断交した。
32年テーゼというのはコミンテルンが1932年に定めた日本共産党の革命指針の綱領で、日本は2段階革命のどこの段階かの判断に始まり、天皇制の打倒、小作の廃止、7時間労働などを定めていた。後半の2つは奇しくもGHQが実現している。
日本解放第二期工作要綱は、この32年テーゼと同じものを中共が作っていた!とするものだ。だから日中が国交を樹立すると共産主義になるぞ!と。
だがコミンテルンと中共の立場は全線違うからそんなもんはあり得ないし、そもそも効果が無い。日共は過去はコミンテルンの下部組織だったが中共とそういう関係であった事は無い。
しかも右翼活動家が偶然発見しただけで、他にはその文書を見たものは居ない。という事で、これは嘘だと考えられている。
もう一つの文脈が、西尾幹二が2007年頃?に発表したコミンテルン史観で、これが受容されるうちにドンドンとトンデモ化して行った。
例えば、満州事変はコミンテルンが画策した、日米開戦はコミンテルンの策略、GHQはコミンテルンだった!、などなど。杉田水脈は「コミンテルンは今も存在しその活動が活発になっている!」と言っている。大企業や学者や中央官庁で経歴をいくら積んでも比例代表制で党の票は回して貰えないが、コミンテルンが生きてると言うと比例上位に就けて貰えるのだな。あれもこれもコミンテルン!と仲間内で「議論」(陰謀論)を活発に言い合うと、コミンテルンの活動が活発になった事になるのだ。
田母神幕僚長がこのコミンテルン史観を論文で開陳して馘首された。
このコミンテルン大流行の後に小池はこれに引っかかっているのである。杉田水脈と小池が同じ程度と思う人は少なかろうが、少なくとも同じ程度だった事はあったという事だ。
最初は自民党に叛旗を翻して離党し反都議会自民議連を旗印にしたので初登庁には音喜多ら都議二人以外がお迎えをしないアウエイ状態であった。
しかし希望の塾を発足するとそんなコアの2人には発言権はロクに無くて議席の無い野田秘書が全部仕切るパシリ状態。
またこの頃の野田は歌舞伎町で豪遊している所を週刊誌に撮られている。
市ヶ谷商業高は牛込柳町近くの新宿区矢来町にあったが廃校になり、土地活用方を探していた。当地は人口減少が続く都心の坂と狭隘路の中にある土地で、高層ビルなどへの転用が難しい。また住宅街の奥にあってランドマーク的な使い方も無理がある。
そこで舛添は韓国を訪問した際に韓国人学校への転用の約束をしてきた。これに右派は大反対して反舛添の声を上げた。
舛添が金の問題で失脚して小池が都知事に就任するとこれを反故に。
これも極右ゴロとの付合いが影響していると思われる。
それでは転用方の代案は?と問われた小池は当時問題になっていた保育園に転用すると答えた。
だがこれは相当トンデモな解答で、保育園は電車で行くものではない。更に柳町は渋滞の名所で朝夕に送り迎えするのは困難だ。しかも付近は人口減少地帯で、保育園の立地としては完全に不適だ。また保育園としては施設が大きすぎる。
故に当地の保育園転用は考慮もされず放置状態となっていた。最近になって、付近の中学校の建て直しに伴い新宿区が特養ホームを建てる計画を立て、ようやく土地活用が進みつつある。
小池は元々リベラルだった。また、芦屋出身の兵庫民で選挙区も兵庫だったが、郵政選挙で小泉政権の刺客として東京10区に飛ばされた落下傘候補である。
つまり風や波に乗って立場を変えてきた人物であって、思想史とか戦後政治史とか全然頭に入っていない。戦後政治史というのは自民党史でもある。
一方、小池都知事と都民ファという潮流に乗ろうとした前原誠司は逆に90年代の保守のエリートみたいな経歴を持つ。松下政経塾にも行っていて、更に京大の高坂正堯ゼミ出身だ。高坂正堯門下生という事は、猪木正道や戸部良一らの防衛大校長らの系譜でもあり、それはオールドリベラリズムとリアリズムの系譜でもあるという事である。吉田茂の海洋国家論にも影響を受けているし憲法九条問題も、その護持は日米安保との合わせ技で安全保障と経済発展の安定土壌を手に入れる吉田らの施策と理解している。その結果、戦後日本は常軌を逸した経済発展を遂げ、戦争に負けたのに極東の中心となった。
国際的な立場が上がったので安全保障の美味しいトコ取りは出来ないというのが当時の課題であっし、9条改正問題はその為のものであった。
しかし小林よしのりブーム以後の保守論壇というのはバカが出来る人をパージする場となってしまい、9条は亡国の策略とかGHQはコミンテルンだとか言うのがまかり通ってしまう。
前原は焦っていたのだろう。自分が確りとした思想的地盤にのっているのにポピュリズムに駆逐されてその地盤が無くなり、保守政治との接点が無くなってしまった。一方、コミンテルンが未だに活動盛んと言えば政治的に重用される。
そこでポピュリストの権化である小池に接近して合流する事で党勢を伸ばせると考えた。
ところが調子に乗りすぎた小池は「排除します」発言をしてしまう。前原はこれを説得できると思ったようだが、何せ前提の知識や経験が違う。小池の「保守思想」の全てがネトウヨっぽい天ぷらだとは考えていなかったようだ。しかしそこに至るまでの経緯を見れば天ぷらというのは明らかだ。
その後希望の党は大敗して党勢ほぼゼロとなってしまう。ずっと時代の風と波に乗ってやってきた小池にとってここを起点にマスコミのバッシングが始まり7つのゼロも含めて問題にされ一つ一つの発言や施策の根拠をガチ詰めされる流れになるというのは恐怖だったのではないかと思う。
そこでそれまでのイデオロギー的振舞いは全部止めた、というところじゃないか?ずっとその後は本当に大人しくしていた。
2020年にコロナが流行し、当初安倍総理が甘く見て放置し、国民の怒りが上がってきた辺りで感染防御に切り替えた。この流れに乗って「3密」や移動抑制を呼びかけたところ、ポピュリストの才能がいい方向に作用して過去のヘマは忘れられて今に至る。
【旅行記】
数ヶ月アジアを旅したことがあり、旅の前後に何冊も読んだ。その中から。
深夜特急/沢木耕太郎:ベタだがそれでも外せない。文庫でいうと3巻くらいまでが面白い。
漂蕩の自由/檀一雄:たしか上記の本経由で知った。この人、どうやら人格はかなりアレ。しかし話は味わい深い。メシの描写も良い。
チベット旅行記/河口慧海:読みかけ。坊さん大冒険。RPGかと思うレベルの体験の連続。
いつも旅のなか/角田光代:色んな国での話を少しずつ。次は何が出てくるのかな?とサクマ式ドロップスでも舐めるように気軽に読める。
行かずに死ねるか!/石田ゆうすけ:チャリで何年もかけて世界一周した人の。段々たくましくなっていく。
人生の100のリスト/ロバート・ハリス:好き嫌いが分かれそう。ヒッピー?旅とドラッグとセックスと本が好きなオッサンの旅行記というか半生記というか。
【自己啓発/似非科学/特定の政党の考えを強く押したもの、これら以外】
新書のくくり無し。ここ数年で読んだ比較的カッチリした本の中からおすすめの著者を挙げる。
仏教:魚川祐司
投資:ウィリアム・オニール、マーク・ミネルヴィニ、ジム・ロジャーズ
【エッセイ】
http://anond.hatelabo.jp/20141207214956
「はてなーの血肉となった3冊を教えて欲しい」
http://anond.hatelabo.jp/20141207214956
のブックマークで挙げられていた本の中から、Amazonのレビューで5つ星のものだけをピックアップしてジャンル別に並べ替えたもの。
正月暇になりそうだから読む本を探している人の参考になれば幸いでございます。
はてブ | 検索キーワード | Amazon検索結果へのリンク | レビュー数 |
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kerodon | 歌よみに与ふる書 | 歌よみに与ふる書 | 8 |
hayakuzaka | 茨木のり子 詩のこころを読む | 茨木のり子 詩のこころを読む | 31 |
inmymemory | ボードレール 悪の華 | ボードレール 悪の華 | 10 |
inmymemory | アルチュール・ランボオ イリュミナシオン | アルチュール・ランボオ イリュミナシオン | 4 |
中国からの刺客に無防備、米国はなぜ安全方面を考慮しなかったか
政治は風向きが変わると、その渦中にいた人間は、その運命が右から左へ、上から下へと突如翻弄されることになる。
台湾が国民党独裁の時代、中国大陸から逃げてきた亡命者を「投奔自由」と比喩し、国民党系のメディアは英雄扱いした。
私は中国からの亡命者のなかでもミグ・パイロット、京劇俳優、作家、医者(周恩来の主治医もいた)、物理学者(中国の核物理学者もいた)、通訳など八十数人にインタビューし、『中国の悲劇』という本にまとめたことがある。
ただし国民党の宣伝となってはいけないので米国へ逃げた人々も追いかけ、拙著の最後の場面は、台湾人作家で北京へ逆に亡命し、はては米国へ再亡命した奇異の存在、陳若儀をサンフランシスコに訪ねて「それでも中国に希望ありき」という談話で掉尾を飾った。
80年代前半まで、台湾には「同胞救済協会」のような支援組織もあり、亡命者が台湾にあらわれる度に、大きな記者会見を開催し、ミグ・パイロットには黄金数キロという懸賞もつけて賛美した。
第一に中国からの亡命者は台湾ではなく、欧米を目指し始めたこと。
第二に台湾は自由化を驀進しはじめ、とくに亡命者を賛美する風潮が掻き消えたこと。
どこかの国の状況と似ている。ベトナム戦争の英雄は、米国に帰ると邪魔者扱いされたように。
既報のようにグアンタナモ基地に八年間、「タリバン」の容疑者として拘束されていたウィグル人兵士13名は、パラオ諸島に移送される。
最初は17名と言われたが、すでにそのうち四名はバミューダで暮らし始めたことが分かった。
ウォールストリートジャーナル(09年6月23日)は、「はたしてこれらのウィグル人らはパラオ諸島で身の安全が保障されているのか」とする疑問を報道した。
まともな軍隊も警察もないパラオは人口わずか二万。二百数十の島嶼国家。台湾と外交関係があるため社会のインフラ建設と整備には台湾がおおきく貢献してきた。
その台湾が中国と接近している政治境遇の大変化も手伝い、中国の代理人や刺客の侵入はわけもないこととなる。
「南洋ののんびりした島で休養がとれることは彼らのメンタル回復に役に立つはず。なにがしか働き、貯金し、かれらの人生の夢は最後にメッカ巡礼なのだから」と。
パラオ諸島が、かれらタリバン兵士被疑者を受け入れたのは、米軍の二億ドルの援助であり、人道的理由は二の次だろう。
もしヒューマニズムが最大の動機というのなら三年前の米国の打診開始の時点で受け入れる筈だから。
▲両天秤外交も挫折の時代へ
さて中央アジアのイスラム国家、キルギス政府は「米軍の継続駐留を認める」と百八十度逆転の決定を『平然と』行った。
驚き桃の木山椒の木。
簡単に経過を振り返ると、アフガニスタン空爆の拠点としてキルギスのマナス空港を米軍の集荷流通センターのごとき兵站拠点としてきた。
昨年からキルギスでは「米軍は出て行け」という運動が(ロシアに支援されて)組織化され、ことし二月、キルギス議会は米軍の撤退を正式に決議した。
米軍は2010年8月をメドに撤兵する予定となった。背後にはプーチン政権の援助(水力発電プロジェクトなど20億ドル)があった。
この直後、或る米軍高官に聞いたことがある。すると、かれはにやりと嗤って「いずれ逆転がある」と意味深長に言った。『米軍の出費拡大がキィですよ』と。
両天秤外交は嘗てマレーシアなど新興アジア諸国でも顕著だった。当時は米国とソ連に援助合戦を競わせた。
▲政治とは不条理で成り立つ
キルギスは米ロに援助を競わせ、まんまと両国から援助拡大の約束を取り付け、米軍には空港使用料の値上げを認めさせた。
そこには倫理が介在する余地がない。私は嘗て高坂正堯氏が言ったことを鮮明に思いだした。
「宮崎くん、そうはいうてもやな。外交に道徳をいれたらややこしくなるで」。昭和四十三年春、セミナーが終わって大阪中之島から北新地の二次会場へ向かう電車のなかだった。私は外交と道徳について質問したのだった。
冒頭パラオのことに戻る。
南太平洋に存在する島嶼国家十二のうち、六カ国が中国に寝返り、六カ国が台湾との外交関係を続けている。
いずれも激しく両天秤外交で成果を味わい、とくにキルバスなどは、二転三転。援助の多寡で自由自在に外交関係を切ったり繋いだり。同様のことは中南米諸国とアフリカで顕著である。
変化の予兆は中台の「雪解け」「一中市場」「国共合作」からである。
政治的潮流の大変化とともに、中国も台湾も、援助合戦の無意味さを認識し始めた。
もとより札束により外交関係を維持するという外交戦術を選んだのは台湾国民党時代であり、その台湾が国民党の政権復活により、みずから始めた援助外交を終息させる。
不条理!
いや、政治とは不条理そのものではないか。