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はてなキーワード: 習得とは

2019-05-25

趣味習得した技術を使って仕事してたら、「他の人にできない仕事してます~って言いたいんでしょ?(笑)」みたいなこと言われて萎え

自分ができないからか知らんけど、もうそれ関連の進捗をそいつに言いたくない…

2019-05-21

anond:20190521201131

北斗神拳習得し、死環白(一時的視覚と情愛、記憶を失い再び目が開かれたとき初めてみた人間に情愛の全てを捧げる)を突くのだ

毒親って言われたくないか子供産まない

夫が、子供ができたら嬉しいと言っていたけど、このまま出産したら毒親になる自信がある。

躾と虐待は違うのに」の増田のような躾を受けてきたし、

tsussxxx226 言葉善悪理解させる難しさ、面倒臭さ、価値観の違う子供と向き合い、時間をかけて理解させるコスト放棄して、暴力感覚的に抑え込む楽さに逃げてるだけなのに。それを「厳しい躾」と評価している。

zu-ra 犬や猫も暴力では躾できない。何も知らんやつが適当なこと言うな。躾とは、徹底した陽性強化と消極的な罰(タイムアウト等)で行う。インターネット時代は素晴らしいぞ。すぐに情報は手に入る。勉強しろ

今このような躾を行うのが虐待にあたり、ブコメのような説教を受けることも分かっている。

勉強したくない。情報を手に入れて、正しい育児方法習得する努力をしたくない。一切やりたくない。

「難しさ、面倒臭さ、価値観の違う子供と向き合い、時間をかけて理解させるコスト」を放棄したい。

「徹底した陽性強化と消極的な罰(タイムアウト等)」を絶対勉強したくないし、習得する努力をしたくない。

日々働くのも大変なのに育児の大変さまで追加で抱えたくない。

痛い思いをして産んで、勉強して、働きながら必死子供と向きあうコストをかけたくない。

意識高いのに疲れた正社員フルタイム残業で働きながら育児なんて、奴隷すぎる。過労死しそう。

仕事をしていく上での意識の高さへの反発はブコメでもそこそこあるけど、

育児については、親が面倒くさがること・コストをかけないことが絶対的な邪悪とされる。

実際、子供は産まれたくて生まれるのではなく、親に生まれさせられるものだし、

子供虐待のない環境で育てるようにするのは、勝手に産んだ親の義務だ。

共働きでないと教育費を捻出できないし、働くのは大変になるばかりで、標準的育児レベルも上がり、全部の負荷が上がっていく。

絶対に産みたくない。

絶対的な邪悪とされ、集団から説教される機会が増えるだけ。

そして必死で育てた子供自身も、子供のうちは毒親被害者だけど、成人したら「楽さに逃げるな」「コスト放棄するな」「勉強しろ」と説教を浴びせられるだけ。

磯野貴理子話題になっていたけど、それで離婚になるなら離婚でいいくら子供要らない。重すぎる荷物

2019-05-13

anond:20190512233347

私の印象ですが

総論として、

男性生得的で身体

女性習得的で精神

というようなものがありそうです。

というか、それぞれの性別の方は上記に沿った主張をすることが多いです。

男性は“物理的に”溜まり、貯めすぎると夢精という形で意志とは関係なく排出されます

ちなみに私はトイレで排泄してる夢で夢精しました。

貯めすぎると水分が減りゼリー状になります

快楽についてですが、小便の排泄の気持ちよさを増幅したような感じですね。

ちなみに私は恋愛感情、言い換えるならつがいという形を取る愛が理解出来ません。

よろしければ語っていただけますか。

2019-05-12

16歳の賢い若者が、働き始めたり、専門的な学習に専念出来たり、モラトリアム謳歌して世界旅行に出かけたりできる世の中になったらワクワクする。そういう若者こそ、次の時代を切り開くだろうし、そういう若者を数多く輩出できる国家こそ次の時代リードできるだろう。

とりあえず自民党教育再生実行本部とやらの案は終わっている。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190512/k10011912971000.html

・あらゆる分野において変化が速い時代だ。枝葉の知識技能になるほど、学校にいる間に学校で学んでいる内容が陳腐化する可能性が高い。

・したがってこれから時代を生きていくには多様な学びと不断の学びが必要だと言うが、基本的リテラシーなしに学びを深めることは不可能基本的リテラシーが欠けていれば、学びは途絶するだろう。

・また、どんな学びがこの先の社会重要性を増していくかを個人政府が十分な精度で判断することは不可能

若い吸収力も回転数も最高の若い頭脳に、明日にも陳腐化する知識、役に立たない知識を詰め込むことは害悪である。そんな作業に数年を捧げさせる今の制度は控えめに言って賞味期限が切れている。なんなら腐っている。

・それならば、公教育基本的リテラシーを誰もが充分に習得できることのみに焦点をあてるべきだ。基本的リテラシー以外の多様な学び、枝葉の知識技能学校外や卒業後において、各自各自の意欲の応じて追求していけばいい。カリキュラムスリムになることで標準的な履修完了年限も短くなり、学習者は公教育くびきに縛られずに自分の歩みたい人生を歩む時間が増える。結果としてユニークかつ強力な人材の出現する可能性が高まるだろう。

以上の観点から自分ならこうする。

中学3年・高校3年制を廃止する。

小学校卒業後は4年一貫制。その4年間で下記5科目のみを到達基準(現行の高校卒業レベルに準ずる)に達するまで学習できる制度にする。

国語

数学

英語

プログラミング

自由科目(歴史地理物理化学など伝統的な科目の他、特色ある科目も認可さえ通れば自由に設定可能。それらをどれか1科目履修する。)

学費無料

・4年というのは目安となる履修年限であって、小学校卒業年齢以上であれば何歳でも履修可能であり、卒業可能である

卒業というのも形式的もの。全学習項目の合格を待たずに学習を切り上げるのも自由である

・学年は有って無いようなもので、各科目において学習項目を細分化学習項目ごとに修了・未修了の判定テストを受けて、合格すれば関連する学習項目を履修可能とする。

・判定テストタブレットパソコンを用いて行う。指定試験会場以外での受験は不可だが、試験会場は365日、朝から夜まで営業する。

自習が苦手な生徒のために学校存在するが、授業への出欠は任意である。一切授業に出ずに判定テストだけ受けて修了することも可能

仕事を増やすと個々のクオリティは下がる

アメリカでは当たり前に知られていることが日本では知られていない。

表題もその最たるものだ。

つの仕事にだけ集中できればその仕事クオリティ高まるし、専門家としての能力習得も早まる。

逆に、同じ労働時間で多数の仕事を一度にやらせれば個々の仕事クオリティは下がるし個々のアウトプット量も減る。

これは論理的に考えれば極めて簡単にわかることでまさしく「自明」という他ない事実なのだが、日本経営者管理者労働者は驚くほどにこのことを知らない。

とんでもない国が「文明国」を自称しているものだ。

マジな話、スポーツってつまんないよな??

特に部活スポーツ

 

スポーツ楽しい

見るのもやるのも楽しい

大人になるとそんな美化された記憶けが残りがちだが

学生の頃はどの部活にも魅力を感じなかった

どのスポーツも退屈すぎる

すぐに習得できてすぐにマンネリ化するものか、習得が困難すぎてスタートラインに立てないものか、対人競技ちょっとやそっとの努力ではまるで勝てないもの、そんなものばかり

まりにもゲームバランスが悪い

ならいざ知らず、現代ではドM専用の競技

たまに面白いという人がいるが、結局それは勝てるから面白いだけで、大して勝てなくなっても面白いという人はいくらいるだろうか

 

観戦の方も正直世間の大部分が見てるのは誰が勝ったとか誰が負けたとか、キャラクターの部分

スポーツ自体はあまり見てない

まあそれはそれでいいんだけど

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-07

プログラミングをはじめてみようと思う

標準的習得によってあと50年ぐらいはアッパードル生活をするだけの需要の見込みがある言語ってあるのかな。

2019-05-06

令和時代必須スキル

英語(TOEIC900点、TOFLE100点)、自分サービスを立ち上げられるくらいのプログラミング

簿記二級、投資知識スキル

これらを習得しておけば死ぬまで生活には困らないよ。ソースは俺

2019-05-04

GACKTマレーシア移住していた

テレビ番組理由を語っていた。

マレーシア物価日本よりも安い。

月12万円の家賃でも豪華な生活ができる。

 

みんな世界中のどこでも生活できるように語学だけは習得しておいた方がいいかもね。(GACKTって5ヵ国語が話せるんだってさ。スゴイね!)

今ならスマホ翻訳アプリでも会話できるようになりつつある。

そのうち語学学習すら必要なくなるかも?

anond:20190504064729

その通りだと思います

計算機科学は、いろいろな学問ミックスになっていて、それだけ単独にポンと存在してるわけじゃない。

その基礎をなす数学物理学を学ぶ方が100倍ましでしょう。

計算機科学は、タネンバウムの本などを読めば十分です。数学物理学の基礎があれば1か月で習得できるでしょう。

わざわざ計算機科学を専攻するために大学へ行くのは、時間お金無駄になるでしょう。

この辺りの不合理を解消するための教育施策必要ですね。

みんなで日本教育改善していきましょう。

2019-04-28

どの漫画アニメ面白いべきなのか分からない

もちろん適切な回答は時と場合、あるいは各個人政治的立ち位置によって決まるんだろう。

私は幼少期にろくに漫画アニメのたぐいに接してこなかったからか、そういう暗黙知が未だによく分からない。

どんな作品に対して「これは面白い!全ての人が鑑賞すべき!」という適切で自然感情を想起すべきなのか、あるいは作為的にですら自然であるかのように装えばいいのか、しかし今更習得できる気もしないけど。

高度に文脈依存政治的に正しい面白さ、日本人の得意技かもしれないけどやっぱり私みたいな人間には難しい。私も自然に正しい感情が持てる真っ直ぐな人間になりたかった。

なんか超必殺技出したい

だけどスキル習得条件がわからない

もちろんリアルの話な

必要となる知識量で検討

必要になる知識量が、

AI >>> React > WordPress

の順番になります

経験からAIをやるぐらいのガッツがあるなら、まだReactの方が習得やすくて、高収入仕事もあるだろうと判断しました。

WordPressPHP) → JavaScript(React) → AIPython、Keras)の順番で攻略するのがいいかも?

それならまずはPHPがいいかも?

数学微分積分すら出会ってないからたぶん厳しい

なるほど。

AIの本を読んでみて、判断材料にしてみてください。

もしも自分が思っていたのと違ったら、「急がば回れ」とも言いますから

  1. まずはWeb制作スキルPHPWordPressなど)を習得して、デスクワーク転職
  2. その後にAI勉強(独学、学校など)

というパターンもあり?

 

仕事って、複数スキル組合せで出来てますよね。

  1. Web制作PHPWordPress
  2. 過去仕事で得た知識自分の特技、趣味
  3. 写真撮影カメラ知識

とか、いくつかの柱を用意できれば、自分Webサイトを作って、副業を始めることも可能です。

 

とかもあり!?

2019-04-27

俺は天然の戦士から戦争がしたい。

それも今みたいな弱者でも使用方法さえ教え込まれれば誰でも使える重火器が主流の近現代戦じゃなくて刀剣や弓矢が中心だった古代中世戦争!!

まさにすべての男達の理想戦場!!

血湧き肉踊り骨を削りあう骨肉の戦い!!!

自慢じゃないけど俺は学生時代から兄貴以外には喧嘩で負けたことがない。

から「俺はなんでこんなに喧嘩強いんだ?」って思ってたくらい強い。

たぶん動体視力が優れてるから攻撃を避けるのが上手いのと顔や股といった人間急所攻撃することに躊躇するリミッターが存在しないことに俺の強みがあるんだと思う。

俺は学校勉強全然ダメだった。まずずっと座ってられないんだよね。

すぐ文房具遊んだ落書きしたり足でリズム刻んだりして集中できなくなる。

あとすぐ眠くなる。高校時代なんて誇張じゃなく殆ど寝てたと思う。

から今は学もないのでそれなりの仕事に甘んじるしかない虚しい人生

でもこんな俺でも一度国が戦争状態に陥れば活躍できるし重宝されるはずなんだ。

だって喧嘩いから。真面目にいざとなったら上司と同僚全員と乱闘しても勝つ自信あるわ。

小学生4年の時に既に自力ハイキックバク転を習得した程の運動神経は健在だから

問題は重火器主流の近現代戦では俺の得意の近接戦闘の出番が少ないっていうとこ。

から俺は核禁止条約どころか重火器禁止条約必要だと思ってる。

今の戦争は高度化し過ぎて、如何に楽に殺戮でききるかを前提とした非人道的兵器がどんどん開発されてる。これは絶対に間違ってる。

男の闘いとは鍛え上げた肉体を元手に刀剣で切り結ぶ死線のことを指す。

ヒョロガリ陰キャ達が互いに照準を重ねて引き金を引くだけのおままごと断じて男の闘いではない。そういうのはFPSでもやってればいい。

俺はこの肉体を持て余している。仕事なんて辞めて闘い続ける戦士になりたい。でも重火器戦闘は男の戦いにあらず。

悩ましいぜ。

2019-04-24

anond:20190424153033

50人にフラれたから、できたんだよね

人数というより、その回数の経験で、どうすればいいのか学習したっていう

もともと対人能力の高い人は、その必要がないけど

そうではないと、数をこなす経験がいる

だけど、勉強のように一人で本と問題集やって結果が出せてた人にとっては

実施回数をこなすのは、本当に苦痛なんでできないんだよ

本と問題集はなくて、試験だけを受け続けて、結果をだせっていう条件

死にゲー、アイワナ、アイワナビーザガイみたいなパターン習得ゲームを好きになれないと

リアルパターン習得はできないんだ

anond:20190424184704

5のフローラベホイミバイキルトイオナズン使えるんだから普通にキャラだろ

ビアンかを選んだアホは知らん

6はメラミコスパが良すぎる攻撃手段かつ簡単習得できるので「攻撃呪文を使わない」はエアプ

2019-04-20

至る所で英語プログラミングを学ぶことの重要性説かれるけど

お前らは当然もう習得してるんでしょ?

生活生き方仕事どう変わった?

はてな民普通の人にとって数学がどれだけ難しいかを舐めてる

はてな技術系の人が多いからか、AI人材を増やすためには行列の必修化を~とか寝言言ってる奴が多いけど

普通の人とっては中学数学ギリギリ理解できる範囲

高校に上がると数学Iでもう理解できないか、できても三か月もしたら忘れて二度と習得できない人が大多数なんだよ

適性無い人に高度なカリキュラムを教えようとしても無駄

日本人を見ると悲しくなる

外国語ができなくて自主的鎖国している日本人を見かけると悲しくなってくる。

敗戦後の3S政策で本当に努力が嫌いなんだなと。

GHQ支配が生み出した闇。

搾取されてるのに多分日本人は気づいていない。

何にも縛られないどころか、納税の義務を課せられた奴隷たち。

外国語習得できれば、世界基準日本はもはや時代遅れと分かる。

そういう現実には目をつぶって自分大丈夫だと言い聞かせる。

時代最先端を走っている錯覚人生成り立ってるんだろうな。

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