はてなキーワード: 自意識とは
小学校高学年って大人と子供の「いいとこ取り」ができる貴重な2年間だと思うんだよね。
身体が丈夫になるし、自意識が芽生えて大人ぶったり恋愛ごっこが始まる一方で、休み時間や放課後はみんな仲良く外で遊ぶし、小学生ということで社会的にも「子供」でいられ、甘やかしてもらえるもんな。
これが中学生になると「いいとこ取り」のバランスが崩れてしまう。
中学に上がった途端に環境への不適応を起こしてしまう「中1ギャップ」という言葉があるけど、これは「競争」を意識した受験や、学年による上下関係の生まれる部活が始まることなどが原因とされている。
人には能力の差があり、身分の差があるという「大人の社会」の現実を中学生から見せつけられるわけだ。
中学生は社会的に「半分大人扱い」になり、自立を求められもする。
親や先生は甘やかしてくれない。
小学生の頃は受験も上下関係も恋愛も携帯も責任もなんもなかった。
過去を美化するあまり、あの頃の負の部分を隠してしまっていると思う。
それでも、俺にとっては”小学校高学年”時代は紛れもなく幸せだった。
戻りてぇなぁ。
これは自分が好きなジャンルのオタク(あくまでもTwitterによって可視化された一部のオタク)への悪口だ。
私は私と同じジャンルにハマっているオタクの「コンテンツの変わっているところや界隈の身内ネタ・内輪ノリみたいなものを列挙し、そしてそれを対外的に面白おかしく(全然面白くない)見せようとする」投稿が苦手だ。そしてそうした投稿の背景には「自ジャンルは他と違って知識や教養が必要」という他ジャンルへの見下しと自ジャンル上げ、「そして自分はそんなコンテンツにハマっている」といった自意識があるように思う。これがかなりキツい、というかこれこそが私が感じている不快さの本質だろう。
このキツさを例えるならば、オタクの小中学生が「周りの同級生とはちょっと違う自分」と気取っている様子を側から見ている感覚というのがいいだろう。そして自分もまたそのオタク小中学生と好きなものが被っているだけに余計に恥ずかしさを覚えているという状況だ。これが本当に小中学生ならまだ可愛げがあるし、「そういう時期もあるよね」と言える。しかし私が好きなジャンルのメインとなるファン層は30歳前後からそれより上の年代だし、私も私で成人している。小中学のそれとはキツさのレベルが段違いだ。
ジャンルのことを話すと見せかけて自意識がはみ出てるツイートが本当に苦手だ。でもそもそもSNSは自意識を発信するものだしその表現は人の自由であると言われたらぐうの音も出ない。私がキツいと思っている投稿も別に規約に反してるわけではないのだから、それを不快に思うのは私の問題だということも理解している。
私が一人で勝手に不快に思って、一人で勝手に悪口を言っているだけ。だから別にジャンルに紐づいた自意識が滲み出てるツイートをすること自体は否定も反対もするつもりはない。
私がムカついているのはここからだ。上に書いたように側から見たら自分たちだってイタくてキツいくせに、人の好きなものを平気で踏みつける物言いをする自ジャンルのオタクが心底ムカつく。自分のイタさには目を背けているくせに、自分が踏みつけられることには敏感なくせに、自分自身が持つ差別意識には無自覚なオタクが嫌いだ。「『自ジャンルは他と違って知識や教養が必要』という他ジャンルへの見下しと自ジャンル上げ」は見ててキツいと前述したが、こうした「見下しと自ジャンル上げ」が定期的に、そしてときに内面化している差別意識を表すものとして流れてくる。
自分と同じものにハマっていて、自分より年上の人がそうしたことを平気で鍵パカアカウントで発信しているというのが本当に見ていられない。
集団ヒステリーとしか思えない反AI絵師のやってるウォーターマークやらノイズやらが実質的に全く無意味な事を彼らは認識していない
まずインターネットに自らが上げる画像を100%強固なプロテクトを仮にかける事ができたとしても、商業イラストレーターや同人作家は商業流通品や頒布物を小汚いノイズまみれにするわけにいかない(明らかに売り上げに対してマイナスにしかならないので市場が容認しない)ため、実質的に納品イラストや同人誌そのものにかけられない。
で、Lora作る為だけなら別にインターネットの画像なんて絶対使わなきゃいけないという仕組みでは無いので商業作品のサンプル画像や、商品自体からスキャンすればいいだけだし、同人誌なんて違法アップロードが平然とされるようになって久しいので簡単に無料でクローリングなんて今まで通り出来てしまう。
つまり、商業活動してるイラストレーターや同人誌を出してる同人作家は実質的にそのウォーターマークつけてる作業、Loraで絵柄模倣したい人間からしたら全くもって無意味なんだよね。徒労お疲れ!としか言いようがない。
商業活動も同人活動もせず、インターネットにアップするオンリーの作家ならある程度効果があるかもしれないが、そんな無名のぶっちゃけ画力もお察しの絵師様()の絵なんてハナからLora作る需要無いんだよね。
ブスが容姿に見合わない肥大化した自意識で過剰に自己防衛してるだけなのと同じ。お前に需要は無い。
ま、集団ヒステリーを続けても無意味なのを2年経っても理解出来てないお子ちゃま達はおまじないとして頭にアルミホイル巻き続けるんだろうけど。
言わんとする事を言おうとすれば、タイトルのようになるしかないのだが、この事実が既に矛盾を抱えていて、「自己責任論という対象への批難をする他己責任論」の蔓延元であるように思える。というと、他己責任論者と詰られたと勝手に感じた自意識過剰でずんぐりむっくりの干渉的なタイプの人間が、あんたはじゃあ失敗のすべては個人責任で、被抑圧的な対象に同情しないんだね、みたいなことを言ってくるのだが、まあまて。
誰もそんな事言ってなければ、あんたを責めもしていないから、一度聞け。
そんな自分を責めている被抑圧者の要求がなにを求めているのかといえば、あんたの勝手な自意識の解消ではなく、まず問題の正しい把握である。
自己責任論が批難される理由は、まあ端的にそういうことなのだが、自己責任論とは個人に生じた悪い現象を自業自得だとする論理だ。
ここでは、
悪い現象の責任を個人に帰責するのはやめろ→自己責任論は諸悪の根源→攻撃→他己責任論者への転回(自己責任論への詰責、被害者の加害者への転身)
という一連のプロセスが発生しているのであるが、これは個人的にも社会的にも同時並行で進行する。
デフレへの視点で捉えるとわかりやすい(経済的な問題はいつも視点が一点集中していて、多角的な視点から一つの現象を捉えようとはしない。)
通り一片というのは、負の側面だけを捉えているということで、個にとって悪質な自己責任論を撤廃、廃絶させてしまった先に何が残るのかという事を、《自己責任論者》は考えようとはしない。
そもそも彼らがしているのは、存在しない自己責任論者に対するテクストの訂正行為じみたもので、勝手に「自己責任論」という議題を設定して問題を追求しようとしているようなものだ。
つまり、そのような対象(自己責任論者)は現実の人格としては存在しないに等しい。だから、それに対する攻撃は、そもそも何に対して怒っているのか、攻撃しているのかがわからない。
が、彼らの攻撃は自己責任論者として現実の人格を叱責する。換言すれば、自己責任論の問題を現実に帰責し、具体化する(してしまう)ことで、無関係の他者を詰問する。
このような状態を人格の二元性と名付ける。この名称自体にそんな錯誤と矛盾が表れている。あたかも「自己責任論」のように。
そのような状態では言論も攻撃的か、批難的か、あるいは攻撃的に批難的かになる。
整理しよう。
自己責任論の負の側面は悪い現象は自業自得になるということだが、では正の側面は良い現象も自業自得=本人の努力という捉え方に回収される事だろうか?
注意してほしいのはここで人格が二元化された観念的な状態を区別することだ。
つまり、”自己責任論の正の側面として何らかの良い現象を受けている個人なんていないということ”だ。
あたかも上級国民に向けられる復讐根性のように、これ自体が正の論理だから、負の論理はわからないとか、そういう事もない。
なんていうか、まずその、あなたの負の状況というものが無い。その穴も都合よくつくられたシチュエーションである。
にもかかわらず自己責任論が個人である私を批難しているように”現実において”感じるとしたら、それはたぶん観念的な他者への他責が社会意識にまで拡張された時代だからで、だからって別に一方的に他責されてる被害者がいるわけではない。そんなふうに思うやつがいれば自身が目の敵にする迫害者と同じ。だが、そんなふうに思うやつが実在するわけではない。
しかし、そのような変質を受けたものではない、自己責任という語句の意味については肯定されるべきで、本当に憂いるべきは誤った負の観念が正しい意味まで同時に否定してしまう事だ。
さて貴方が本当に否定したいのは、自己責任論ではなく、それ自体誤った自己責任論の状態であり、求めているのは、廃絶という意味ではない負の否定である。負は無限に廃絶されるべきだ。だがその循環自体の廃止は誰も望んでいない。
負の状態を否定するために廃止を望んではならず、この廃止を望んでいる状態や廃止された状態が負の状態といえるのではないか。
一定の結論を出すために、個人は個人に責任を持つべきだし、持てる社会の状態が結局は望まれている。
しかし、「自己責任論」に限らずに、誤った観念がそれを阻害している。その状態の改善こそが求められている。だから問題なのは「自己責任論」そのものではない。「自己責任論」という記号的問題にまつわる状態の全て。「自己責任論」がどのように社会において問題にされているかというシチュエーションが最も討議すべき根幹的な問題。それを問わない結果が誤った方向に行く。諸悪の原因は本当はこれ。なので、誤った社会的観念における誤った状況の防止のために、誤った社会的観念が個人の逸脱の原因という意味で、社会は責任のがれなんかせずに、「自己責任論」なんて議題の設定の仕方はやめて「個人責任」とか「個責主義」とか、もっと現代的な抑圧論に結びつけて考えたらいいし、そうするべきだと思う。
問題なのは、自分の及ばない範囲の問題まで自分の責任にされているというか、そうだからって自己責任を否定するんじゃなくて肯定するのが大事だっていう事なんだけど、その自己責任っていうのは正しい言葉の意味を肯定しようってことで、社会的に捻じ曲げられた仮置の信号として解釈すべきでなく、そこに置くべきではない。社会的には個人の社会責任があるという自負でよくないか。
それといっしょに、
この部分を読んだとき、男性にもそういうのあるんだなーと安心感を覚えた
大学生の頃の私は本当にこの通りの考え方をしていたし、そういうのを拗らせて男性嫌悪にもなっていた
元の増田に勇気をもらったので誰かの参考になったらいいなと思いながら大学に通っていた4年間の間にこじらせていた男性嫌悪とその時から今にかけての恋愛の価値観を書いていこうと思う
大学に通ってた4年の間、私は色々と痛い行動をし続けていた
X(当時はTwitterだったけど)で頻繁に男性批判を展開していいねとリツイートを稼いでいた
男の性犯罪の報道に引リツをして「#また男か」「クソオスは去勢しろ」等と投稿し怒りを募らせ、たまに絡んでくる弱者男性系のアカウントとレスバする毎日を送っていた
ネット上に溢れる『特定の』愚かな男性の振る舞いをあげつらって笑い、それを男性全体に当てはめて見下していた
私の脳内では男性のすべてが潜在的にモラハラセクハラクソ野郎であり、女性より劣った低知能のカスなんだと本当に信じていた
じゃあリアの日常はどうかというと基本的になるべく男性に関わらないようにして生きていた
大学のサークルには入らなかったし、ゼミや必修で一緒になる男子もなるべく話さないようにした
けど、リアで痛いことをしていなかったかといえばそんなことはない
最大の黒歴史を例にするなら、たとえば食堂で面識のない男子二人組にいきなり口論をふっかけたこともある
(恥ずかしすぎて記憶もおぼろげなんだけど、たしかその男子たちは萌え絵か何かのネット上の議論を話していて、ひとりが口走った萌え絵擁護の意見に腹が立って「それってどいうこと!?」って突っかかりに行ったはず…)
少し自分語りになるけど、男性嫌悪を拗らせたときの振る舞いの根源なので、私の過去のネット上での振る舞いについても触れておきたい
しかも拗らせている腐女子だったので、高校の頃からはいわゆる自治厨的な『愚痴垢』での活動を始めていた
知らない人のために補足しておくと、愚痴垢というのは自分の気に入らない人に粘着して陰湿に監視し陰口を言いまくって共有する誹謗中傷垢のことだ
例えば鍵垢にせずR18のBL絵をTwitterに投稿してる人を片端から引リツして仲間内で晒し上げた
(当時未成年なのにエロ絵を見て回っていた自分のことは棚上げだ)
カプ名や地雷展開をタグ付けせずに投稿してる人にも粘着してひたすら叩きまくった
いわゆる『腐女子の村の掟』を破る人をいちいち監視してぐちぐちぐちぐちぐちぐちXで文句を言いまくっていた
BLの掟にとどまらず、例えば露出の多いコスプレイヤーなんかも晒し上げまくっていた
鍵垢の引リツで「芋女が調子乗ってる」「キャラが汚れる」とめちゃくちゃに叩く
その人がBOOTHでエロ系のコンテンツを売っていればすかさずサンプルを晒し上げて「お腹に手を当ててデブなのを隠したいのかな〜????笑」とか「デブ専風俗のパネルみたいw」とか普通に訴えられたら全面敗北するような誹謗中傷を投稿しまくっていた
大学生の頃は通常の垢、愚痴垢用の垢、男性嫌悪投稿用の垢の3つを使い回していて、段々と男性嫌悪垢の運用時間が長くなっていっているような状況だった
「今にして思えば……」ってやつだけど、私の男性嫌悪と愚痴メンタルは根っこの部分で繋がっていたのだ
例の初デートサイゼリヤ論争のとき、私は論争そのものよりもその後に現れた、イラストをパロディーしたコスプレイヤーの女性に対して憎悪を募らせた
初デートサイゼのイラストと同じ構図で胸の谷間を強調しながらフォークを口に運ぶ女性の画像だ
お察しの通り「ブスが調子に乗ってる!!!!!」「弱者男性ごときにチヤホヤされたいとかブスの承認欲求終わってんな!!!!!」系の誹謗中傷をぐちぐちしまくった
私は男性嫌悪系の投稿もそうだけど弱者男性を擁護する女性への嫌悪を強めていった
お気づきの人もいるかもしれないけど、実は私は男性を嫌悪している以上に「男性にちやほやされている女性」に嫌悪を持っていたのだ
別にいじめというほどのいじめはなかったけどカースト上位の女から強いられる同調圧力に私は苦しめられていた
カースト下位の私は上位の女が我が物顔でクラスを支配してる中でタンスに隠れる虫か何かのように息を潜めていた(という自意識を拗らせている)
別に、カーストのトップオブトップ、陰キャにも優しい美人の完璧超人とかはいいんだけど、いわゆるギャル系の女は嫌いだったし、カースト上位でもないくせに妙に男子と仲の良いサブカル女なんかはもう本っっっっっっ当に嫌いだった
嫉妬と言ってしまうと私のプライドがズタズタになって耐えられないので否定したい
とにかく男子に媚びを売る中〜下くらいの女が嫌いだった
そういう自意識を拗らせていたから自分は男子と距離を置いていた
・可愛い服を身に着けていいのはカーストトップオブトップの女子だけ、中途半端な女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない
・化粧をしていいのは可愛い子だけ、ブス女の努力ほど見苦しいことはない
・彼氏を作っていいのは綺麗な子だけ、ブサイクと付き合ってるブサイクは何がしたいの?目が腐るんですけど????
当然私は『選ばれなかった方の女』だから、身分相応に地味な格好をして地味な化粧をしていた
そして、私と同じかそれ以下の女が彼氏を作ったり男子と仲良くしてると殺意を抱いた
世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手にカテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた
要は酸っぱい葡萄だと思う
・私の嫌いなあの女たちが好きになっている「男」なんてのは本来大したものじゃないのだ
・大したものじゃない「男」に必死に尻尾を振っておしゃれして金をかけて取り入ろうとするなんてあの女たちはバカだ
・私はああいう尻軽クソビッチ低脳女とは違う賢い女だから本質を見抜いている
書いてて本当に恥ずかしい
だから男は全般叩きまくっていたし、男に媚びている(ように見えた)女も叩きまくっていた
叩かれる方じゃなく叩く方にいるために腐女子界隈の同調圧力に身を浸し、小学校の頃にできなかった「〇〇さんが悪いことしてました!良くないと思います!」みたいな振る舞いをTwitterの仲間内に行って自尊心を慰めていた
そういうわけで大学生の間中はひたすら男(と腐女子の掟を破る者と男に媚びている女)を叩きまくっていた私だけど、社会人になってからこの嫌悪感は一気に解消された
それは新卒で入った会社でリアルの等身大の男性とコミュニケーションを取る機会が増えたからだ
流石に学生の頃とは違って会社では同僚男性と密に話さないといけない機会も増えた
入社前の私は男性嫌悪の拗らせが最高潮になっていたので「私に舐めた口を聞いてきた男は公衆の面前で論破して泣かせてやる!」「場合によっては金玉を蹴り上げて潰してやる!正当防衛だ!」ぐらいに高ぶっていた(全盛期の宇◯美里かな?)
セクハラやパワハラも行われなかったし恋愛的なアプローチも一切なかった
職場の会議ではこっちの意見を尊重してくれるし、昼休みや飲み会の席でもこっちの気持ちを察して適切な距離感を維持してくれた
当たり前といえば当たり前の話なんだけど、世の中には尊敬に値する男性もいるという現実を目の前にして男性嫌悪も段々と自然に薄まってきた
Twitterから拾ってきた情報だけを頼りに脳みその中でこねくり回して発酵させていた男性像は実在の男性とはかけ離れていた
大学生の間中ずっと動かしてきた男性嫌悪垢のフォロワーさんのつぶやきに対して「いやそれは言いすぎでしょ」とか「この人イメージだけで男を叩いてそう」といった感想を持つようになって、結局社会人になって一年経たないうちにアカウントを消した
さっき書いたことの繰り返しになるけど、尊敬に値する普通の男性だ
ただ、男性嫌悪を拗らせてあれこれ自分で自分に抑圧をしていたせいで、彼氏ができてからかえって失ってしまったことへの後悔がとんでもないことになってきている
彼氏の好きなポイントを発見するたびにそういう後悔で胸が苦しくなる
体育祭で上着の袖をまくってノースリーブみたいにしてハチマキをカチューシャみたいに縛って可愛い子ぶりたかった
何の恥じらいも無く放課後に制服でデパコスを物色してイブサンローランのコスメを買いたかった
今の私はかつてあれほど憎んでいたサブカル系の女子にすら憧れている始末だ
ギターのケースを背負ったまま帰り道にアイスを食べたりとかしたかった
男性嫌悪を拗らせていたせいで貴重な10代を棒に振ったという後悔で本当に胸が苦しい
私の顔面じゃキラキラした青春を送れたのかわからないけど、それに挑戦することはいくらでもできたはずだった
段々何を言いたいのかわからなくなってきた
幸い私は元の増田のように精神科にかかるほど重症化していたわけじゃなかった
もしあのとき新卒で入った会社でセクハラなり何なりされていたらもっと男性嫌悪を拗らせて酷いことになってたかもしれない
前回のトランプ政権時に在米だった増田やけど、トランプはコロナの時に世帯年収が一定以下の人々にトランプ名義で給付金の小切手を送ったり、田舎なら働かなくても余裕で食っていける額の失業給付金割増をやったりしたんで、庶民を中心として当時のトランプに生活を支えられた人々が結構おるねん。あの頃はどこの国も自国の感染制御に必死で外国になんか構ってられなかっただけなんやが、結果的にトランプには自国民向けの施策をちゃんとやった人物という記憶がある。
その点バイデンは(これも貰い事故やけど)ウクライナやイスラエルに税金をジャブジャブ投入してるイメージがあるし、実際そうしてる。
だから「なんや、綺麗事ばっか言うて結局俺ら助けてくれんやん、生活苦しいのに」ってなってるのが今のアメリカなんやと思う。
あとは研究でも言われてることやけどアメリカ国内の移民、特にラテン系はもうだいぶ世代が進んでいて、自分たちのことを「ラテン系」とかではなく正真正銘アメリカで生まれ育った「アメリカ人」だとする自意識を持つようになってきている。こいつらはさらに移民が入ってくることで自分たちの仕事がダンピングされることを懸念しとるんで、今回の選挙でも不法移民排除を打ち出しとるトランプ陣営を大きく伸ばす要因となった。
それは、「男」という概念全体に対しての巣を守る昆虫のような連帯意識・帰属意識が、女よりもだんぜん薄いことにあると思うんだけどどうだろうか?
女は自分が所属するグループとかのサイズではなく女というデカい概念に対しての所属・相互承認意識がかなり強くあって、ゆえに
自閉症スペクトラムなどで女社会への適合がうまくいかないと自分は女というより女体持ちと称したほうが適切といった自意識を持ったり、
トランスジェンダーに対しての紛糾などがあるのだと思う
女体があるだけでは女ではない、女社会による審査と相互承認を通過してないヤツを女として扱うなという強烈なホモソーシャルが存在していて
男にも同様のものが当然あると前提したうえでホモソーシャルという言葉を用いるから、なんか違和感があるのではないか?
俺は平成生まれだけど、◯◯しないやつは男じゃねえ!みたいな風潮や同調圧力を感じてきた記憶は特にない
「俺達男だろ!」というニュアンスのことをレトリックではなく本気で言ってくるヤツにも出会った覚えはない
「男なんだから△△やれよ」の形式ならある。自分はたまたま体が男であり、ゆえに時たま義務が課せられることがあり、ただそれだけという感じ
「男」という概念全体への憧れや帰属意識はあんまりない。これが昭和や自衛隊やハードな体育会系とかに生きた人だと感覚が違ってくるのかもしれないがそれはわからん
あと書いてて途中で追加で思ったが、男が思う抽象概念としての「女」、女が思う抽象概念としての「男」、そして現実の男と女全体、それぞれギャップがあるよね
マチアプで女はまんべんなくいいねを得られるが男は上位数%が独占する、みたいな話があったとはずだけど
女が思う抽象概念としての男は上澄み数%の存在で、それは男が思う女のイメージが若くて化粧後のかわいい顔をしているのと似たようなものなのだと思う
己がロリ、いやぺドと言っても過言ではなかった頃から約15年。性的対象が12~15歳の男児で固定されている化け物になってしまった。今や立派なショタコン、性犯罪者予備軍である。
二次元のショタには飽き足らず、道行く中学生に胸が踊る。流石に3次元の児童ポルノに手を出したことはないが、AI絵と実写の間にどれほどの違いがあるのだろうか。
薄氷のように脆い倫理観だけが、辛うじて私を健常者たらしめている。むしろ絶世の美女でもない成人女性の自分が健全な少年の性癖を曲げたいだなんて烏滸がましいことを考えてはいけないという自意識の方がいくばくか貢献している節さえある。
そんなどうしようもないショタコンの私だが、一般的な成人女性として成さねばならぬことがある。男女交際だ。成人女性たるもの、誤差3~5歳程度の、かつ高校卒業以上の男性との交際経験の1つや2つなくてはならない。
選り好みは特にしなかったが、他人に言っても恥ずかしくない、高身長で学歴も同程度、就職先もまずまずのところに内定を貰っている彼氏をこさえた。安臭い虚栄心を満たすために承諾した身なので多少の罪悪感はあるが、今のところそれなりに彼女としての義務を果たしているはずだ。
しかし交際を重ねるにつれて、問題が表出し始める。ウェットな空気に耐え難い拒絶反応があるのだ。
デカい男の性衝動に対してシンプルに恐怖しか感じない。私は格闘技のプロでも何でもないのだから、向こうがその気になれば抵抗して無事ではいられないだろう。
加えて、私はどちらかと言うと甘えさせてあげたいタイプなのだが、自分より一回りも二回りも大きいTHE成人男性に甘えられると怖気が走る。可愛い子猫ちゃんを抱きたいのであって、ライオンに甘噛みされたい訳ではない。というか力関係として不自然すぎる構図でオキシトシンも何もあったものではない。
もう一つの問題として、シンプルにショタコンを拗らせすぎていて高身長の男の筋張った大きな身体に興奮できない。というかここが一番問題である。不細工でなくて爆乳のお姉さんならある程度無理矢理犯されてもそんなに苦痛ではない、と言い換えれば共感していただけるのではなかろうか。性的対象として見ることが出来れば一応の問題はなくなるはずなのだ。
ショタとポルノの結び付きが私の中で強固になりすぎた結果、自分より目線の低い男性の8割くらいにヲホ~と鼻の下を伸ばすようになってしまっている。パブロフの犬、いや低身長の雌だ。私は低身長ではないが。
流石にオッサンとか不潔な感じのとかは除くが、一般男性における巨乳と同じ感じで低身長が性的なものとして意味付けされている。
もちろんショタと低身長は似て非なるものだ。だがロリものと謳った大人顔の貧乳成人女性のポルノを我々は喜んで見る。犯罪に手を染めないために代替物に手を出すのは別に悪いことではないと思う。
何が言いたいのかというと、低身長の男に乗り換えれば問題は解決すると考えられる。巨乳じゃないと勃たないから乗り換えると言っているのと同じくらい最低なのだが、勃たないものは仕方ない。私の場合幸いにも世間の需要と逆行する形になるので、巨乳探しのような熾烈な競争に打ち勝つ必要はなさそうだ。
そう思いながら男探しを始めると、男性の高身長信奉は女サイドから見たそれより熱烈であることに気付いた。マッチングアプリなんかでは大抵の男性は身長をいくらか盛っているし、低身長の男は長年のコンプレックスのせいか自己肯定感が低い傾向にある。(女の巨乳と違って、スポーツなんかでもデメリットになるからコンプレックスが強固になるのも頷ける)ついでに高身長の男はチー牛でも謎に上から目線な奴の割合が高い。骨が長いだけで偉そうに、お前の努力じゃないだろ。まあお前の巨乳もお前の努力じゃないだろと言われてしまえばそこまでなのだが。
話が逸れたが、自己肯定感があまり高くないせいか、低身長男は恋愛市場にそもそもあまり出回っていない。出会ったとしても、私のような受け身の女に博打でアプローチするような人は低身長でない人に比べて少ない。
低身長好きアピールでもすればいいのだろうか。俺は貧乳の方が好きだよとかわざわざ言っている男くらい気持ち悪いと思うので言わない方がいいと思うのだが。
今は縁があるのを仄かに期待して、身長にコンプレックスがあった場合にそれを刺激せず、むしろ包む方向で行きつつ低身長を味わうための方策を考えて、もとい妄想している。
己がロリ、いやぺドと言っても過言ではなかった頃から約15年。性的対象が12~15歳の男児で固定されている化け物になってしまった。今や立派なショタコン、性犯罪者予備軍である。
二次元のショタには飽き足らず、道行く中学生に胸が踊る。流石に3次元の児童ポルノに手を出したことはないが、AI絵と実写の間にどれほどの違いがあるのだろうか。
薄氷のように脆い倫理観だけが、辛うじて私を健常者たらしめている。むしろ絶世の美女でもない成人女性の自分が健全な少年の性癖を曲げたいだなんて烏滸がましいことを考えてはいけないという自意識の方がいくばくか貢献している節さえある。
そんなどうしようもないショタコンの私だが、一般的な成人女性として成さねばならぬことがある。男女交際だ。成人女性たるもの、誤差3~5歳程度の、かつ高校卒業以上の男性との交際経験の1つや2つなくてはならない。
選り好みは特にしなかったが、他人に言っても恥ずかしくない、高身長で学歴も同程度、就職先もまずまずのところに内定を貰っている彼氏をこさえた。安臭い虚栄心を満たすために承諾した身なので多少の罪悪感はあるが、今のところそれなりに彼女としての義務を果たしているはずだ。
しかし交際を重ねるにつれて、問題が表出し始める。ウェットな空気に耐え難い拒絶反応があるのだ。
デカい男の性衝動に対してシンプルに恐怖しか感じない。私は格闘技のプロでも何でもないのだから、向こうがその気になれば抵抗して無事ではいられないだろう。
加えて、私はどちらかと言うと甘えさせてあげたいタイプなのだが、自分より一回りも二回りも大きいTHE成人男性に甘えられると怖気が走る。可愛い子猫ちゃんを抱きたいのであって、ライオンに甘噛みされたい訳ではない。というか力関係として不自然すぎる構図でオキシトシンも何もあったものではない。
もう一つの問題として、シンプルにショタコンを拗らせすぎていて高身長の男の筋張った大きな身体に興奮できない。というかここが一番問題である。不細工でなくて爆乳のお姉さんならある程度無理矢理犯されてもそんなに苦痛ではない、と言い換えれば共感していただけるのではなかろうか。性的対象として見ることが出来れば一応の問題はなくなるはずなのだ。
ショタとポルノの結び付きが私の中で強固になりすぎた結果、自分より目線の低い男性の8割くらいにヲホ~と鼻の下を伸ばすようになってしまっている。パブロフの犬、いや低身長の雌だ。私は低身長ではないが。
流石にオッサンとか不潔な感じのとかは除くが、一般男性における巨乳と同じ感じで低身長が性的なものとして意味付けされている。
もちろんショタと低身長は似て非なるものだ。だがロリものと謳った大人顔の貧乳成人女性のポルノを我々は喜んで見る。犯罪に手を染めないために代替物に手を出すのは別に悪いことではないと思う。
何が言いたいのかというと、低身長の男に乗り換えれば問題は解決すると考えられる。巨乳じゃないと勃たないから乗り換えると言っているのと同じくらい最低なのだが、勃たないものは仕方ない。私の場合幸いにも世間の需要と逆行する形になるので、巨乳探しのような熾烈な競争に打ち勝つ必要はなさそうだ。
そう思いながら男探しを始めると、男性の高身長信奉は女サイドから見たそれより熱烈であることに気付いた。マッチングアプリなんかでは大抵の男性は身長をいくらか盛っているし、低身長の男は長年のコンプレックスのせいか自己肯定感が低い傾向にある。(女の巨乳と違って、スポーツなんかでもデメリットになるからコンプレックスが強固になるのも頷ける)ついでに高身長の男はチー牛でも謎に上から目線な奴の割合が高い。骨が長いだけで偉そうに、お前の努力じゃないだろ。
話が逸れたが、自己肯定感があまり高くないせいか、低身長男は恋愛市場にそもそもあまり出回っていない。出会ったとしても、私のような受け身の女に博打でアプローチするような人は低身長でない人に比べて少ない。
低身長好きアピールでもすればいいのだろうか。俺は貧乳の方が好きだよとかわざわざ言っている男くらい気持ち悪いと思うので言わない方がいいと思うのだが。
今は縁があるのを仄かに期待して、身長にコンプレックスがあった場合にそれを刺激せず、むしろ包む方向で行きつつ低身長を味わうための方策を考えて、もとい妄想している。
私だけ特に背が高かった。
いつも二学年以上上に見られて、幼少期には知恵遅れと勘違いされた。
体育の時間で奇数の時は必ず私が一人余ったし、身体が弱くても力仕事を任された。少しでも小さく見られたくて、背を丸めて歩いたこともあったし、記念撮影の時に膝を少し曲げて背を低く見せてた。
標準体型だから悪いのかと思ってモデル体型まで痩せて、フェミニンな格好をして歩いても、たまに駅で「女装かな」って言われた。
化粧の問題かと思って2万円するメイクレッスンにも行って化粧を勉強しても、毎月美容室に通っても、歩いてたら知らないおじさんによくわからない言葉で罵倒された。(もしかしたら身長は本当は関係なくて、あのおじさんたちは、罵倒できたら誰でもよかったのかもしれない。それでも私は「デカい」からターゲットにされるんだと傷ついた。)
拗らせてしまった自意識もあると思うし、私の性格の悪さもあるんだと思う。でも「好きでこの身長になったわけじゃない」って泣き叫びたかった。
大人になって、やっと背が高いことを含めた自分を受け入れることができて、好きなハイヒールを履いたり(電車で頭ぶつけるけど)、胸を張って歩くことができるようになった。
でもデカいって表現で何度も泣いたから、たまにインターネットで見る「デカ女」という字面だけで辛くなる。小さな頃から背が高くて、たくさん泣いた自分を思い出して涙が溢れそうになる。
ずっと蔑称として使ってきてたじゃん、それ。
すなおになんもわかんにゃーいって言ってりゃ「素直でよろしい」って褒めてもらえると思ってるんだよな、馬鹿は。
その自意識がすでにうるせえんだよ
ただただ黙ってろよ。
増田が書いてるのは、歪みでも何でもない。だいたいみんなそんなもんなんだよ。
誰だって自意識と社会の矛盾の中で押しつぶされそうに生きてるのよ。
アニメオタクなんだろ、エヴァンゲリオン見てるだろ。君はシンジ君だよ。そして僕もだ。
シンジ君は、別に特別な思考のな人間でも何でもない、全国の少年の悩みの代弁者だから共感されたんだよ。
それを自分だけのスペシャルだと思い込んでる姿こそ、本当の認知の歪みなんだよ。
増田が目を向けないといけないのは、自己ではなく他者への認知だよ。
彼は、私とは違う。彼は、私とは似ている。違う人がいる同じ人がいる。
みんな似てるようでみんな違う。弱男なんて、シンプルな箱に収まる人なんて、本来存在しない。
そういう複雑さを知ることで、本当の自我であるパーソナリティを獲得してくのよ。
オタクなら分かるだろ。たくさんの作品にふれたからこそ、その作品の良さが味わえるようになるんだよ。
それが成長なんだ。
型にはめてシンプルにするな。それが本当の近道だ。