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はてなキーワード: 自意識とは

2019-04-22

anond:20190422150150

自意識邪魔をするタイプは面倒ですね。

生きづらいでしょうけど頑張ってください。

2019-04-19

anond:20190419151335

現実では女の下方婚状態は1割あるかないかですが?

「相当変化」?どこが?

変化してるのは出生率に貢献しない身勝手自意識だけじゃねーか

2019-04-18

モテるための努力が異常者にはできない

まず何をすればいいのかわからないのと、自意識が先行してできないでいる。

特にそんな行動をしようとすればするほど、

「こんなコミュ障ブサイク無職童貞が今更やっても無駄だ」などの内なる声に勝つことができない

数々の恋愛経験をされてきたり社会で上手いことやっていけている人は、本当にすごい。

俺は異常者だからできない。まともになりたい

2019-04-15

anond:20190413114026

 私は現役東大生だが、

 「現役東大生だが、上野千鶴子祝辞ゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。

 ここには上野氏の祝辞https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。

 以下、引用中略は[……]、上野から引用は「」、上記はてなから引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。



ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

 この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である女子医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。


↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題[……]で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

 東大は(権利問題として)特権的学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しか大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試不正無関係であるとは言えないだろう。


↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

 これは、追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

により推察されているとおりだと思う。


↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

 女子学生偏差値のほうが上だというのは、東京大学受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値正規分布性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。


↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

 大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計フィールドワーク社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。

 まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論誘導しているのだろう()


↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

 そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。


↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

 ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。

 ここで示されているのは、①女子安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。

 東大の「1.03」という数字不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしものではないだろう。


↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

 確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である


↑どうやって?

 差別に満ち溢れた社会の中頑張って勉強してきて。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。

 統計的傾向は個人説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体否定できるものではない。

 そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。



〜同様のため中略。極めて不毛。〜



↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

 [どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通意味で)レトリックであろう。文学於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。

 高学歴男性批判なのだから、『彼女頭が悪いから』における見方一定価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから


男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

 そのような事例は、全体の傾向からして少数派である判断たからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子勉強が出来ると魅力が減るという偏見存在証明することになるという反論の二つが想定できる。


↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

 原因ではなく、東大於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。

 “時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率データと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効データであれば問題なし。


↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

 これも文意がうまく取れなかった。

 上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人スタンスによると思うので割愛。私の意見結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。


↑これ普通に気になるな

 気になりますよね。


↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

 闘ってきた、ということは事実記述。恵まれ環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。


↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

 不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。


↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

 傾向は個人説明しない。

 加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである


↑これはまあそういう意見もあるよね。

 そうですね。


↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

 学問の話だけではない。普段生き方価値観の話だろう。

 第一ブラックホール観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。

 この言葉は決して、能力の使途範囲積極的規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。

 そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから


結局東大生弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

 おそらく全ての人は、あるところに於いて強者であるとともに、また別のところでは「弱者である。絶大な権力を持つ政治家社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱身体医者晒しいるかも知れない。東大女性だって社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実於いて強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。


↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

 [「弱者である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?

 ……付言するなら、「弱者である自己否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから


総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

 統計根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問第一条件ではないし(科学方法論に於いて絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊しかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。

 それに、学問営為実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学看護学臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問日常接続しているはずなのだそもそも、このスピーチ学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。

 権威主義を警戒する姿勢は全く健全ものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯姿勢による対応だと思われる。

2019-04-12

anond:20190412214327

あるよ

俺は自意識が高いブロガー電子書籍の話持ちかけて手数料20万とって売れない電子書籍作らせてる

2019-04-10

不倫の行き着く先に幸せはない

それを自分の身で実感することになるとは思わなかった、というお話

ツイッターでわざわざ新規アカウントとって投稿することでもないしそんな気力もない、5ちゃんに書くとなると長文自分語りになる。

スカスカ恋愛脳クソ女と思う人が多いと思うけど、もやもやが止まらないのでここで吐き出させてくれ。

前提

私:20代後半女性、未婚、昨年夏部署異動

相手:30代後半男性、子持ち既婚、メンタル

発端は私自身の部署異動。入社以来総務や経理仕事をしていたが、もともと外向きの仕事希望していたこともあり、地域営業職への異動希望をだし、昨年受理された。

右も左もわからない自分に新しい上司メンターとしてつけてくれたのが相手の人だった。

その地域でもトップを争うような実績もあり、知識豊富で面倒見の良いベテラン営業マン。多くの新人がその人の元で育っていったということらしい。

ちなみに、私の会社組織が少し特殊で、自分とその相手の人は同じ建物仕事をしていない。そのため毎日顔を合わせるわけではない。

ただ、営業に同行してクライアントとの話し方や提案の仕方などを学ぶ“先輩”として自分もついてくれることになった。

相手からは本当にたくさんのことを学ぶことができたと思う。それは実務的な部分だけではない。とても楽しそうに、自信と誇りを持って仕事をしている姿は、

営業職の楽しさ」を教えてくれているのだなと感じた。そんな姿がとてもかっこよくて、とてつもなく憧れた。

そんな日々を過ごしていたある日、クライアントとのアポイント夕方になったため、その後お疲れ様会をしようという話になった。

もともと私は人とお酒を飲むのが好きであり、男性と2人で食事をすることに抵抗感がないことや、

(もちろん自分彼氏がいたり相手パートナーいる場合配慮するが)

仕事を通して仲良くなっていたこともあったため、本当に先輩や友達と飲みに行くくらいの気持ちで、2人で飲みに行くこととなった。

先に結論を言っておくと、この時点でそういう関係になったわけでもないし、ワンナイトしてしまったわけでもない。

ただ楽しく飲んだだけ。色んな事を話して、話して、とても楽しかたことを覚えている。

ただ、不思議だなと思ったのが、“家族”の話が一切相手からでてこなかったこと。

30代後半で家庭持ちだと家族話題って出てくることが多いから、この時点では「未婚かバツ持ちかなー」と思っていた。

ここで聞き出さなかったこと、本当に自分で浅慮で頭が悪かったなあと振り返って思う。

メンタル弱いということはこの時点で話してくれた。一時会社休職していたこともあるらしいが今は回復しているということで特に気にしなかった。

自分の中で憧れが恋愛感情に変わっていくのを感じた。

そんな中、きっかけとなった日が訪れる。休日プライベートで出かける約束になったのだ。

目的地で楽しみ、食事して、その後に相手から想いを告げられた。憧れていた人から自分も好かれていた事。

正直、とても嬉しかった。そしてその日から仕事パートナーだけの関係ではなくなった。

それから真実を知るまで、とても楽しく充実していた。仕事終わりに食事したり、色々なことを話したり、セックスしたり。

仕事もたくさんのことを教えてもらって。幸せだった。でもそれは自分けが自分たちだけの幸せだったのだ。

ある日、とうとう相手からカミングアウトされる。相手には奥さんがいること。中学生なる子供がいること。

だけど夫婦関係崩壊していて家庭内別居状態だということ。奥さん方の家族と同居(2世住宅?)しているが関係がうまくいっておらず、それがきっかけでメンタル不調が再発しているということ。

中学生の子供が高校生になったら離婚を考えていること。

それをきいて「あー、やっぱりかー」「そりゃ家庭の話はしないわー」と思うのと同時に「不貞行為する既婚男性常套句じゃないかーい」と心の中で突っ込みをいれた。

しかし、その時は頭スカスカ恋愛脳クソ女だった私は、正常な判断ができなかった。

メンタル再発するくらいひどい家庭なんだ!私が支えないと!私なら幸せにできる!」

うすっぺらな自意識バカみたいな正義感、そして発揮すべきでないところで出てきてしまった母性本能

「とりあえず“その時がくるまで待つ”」を選んでしまったのだ。

タイムマシンがあったらあの時の私をひっぱたいて目を覚ましてやりたい。

ちなみにメンタル不調は本当だと思う。相手食事がとれなくなり、職場の同僚だけでなくクライアントまでもが心配するくらい激やせしてしまっていたので。

(私といるときは少しだけ食事をしてくれたため、さらに一緒にいなきゃという気持ちになってしまっていた。)

カミングアウト後も、罪悪感を持ちながらも関係は大きく変えずに過ごしていた、頭スカスカ恋愛脳クソ女の私は完全に依存してしまっていた。

この関係の中で自分必要とされていることが嬉しかった。仕事で絡みが多いので完全に連絡をシャットアウトすることが不可能だったこともある。

しかし世の中は甘くない。悪は暴かれるのである事件は起こった。相手奥さんが私の家に訪れたのだ。

私は実家に住んでいて、父・母と暮らしている。

奥さんが訪れたのは、ちょうど仕事で私の帰宅が遅くなった日で、母が対応してくれた。

家を特定されたのは奥さん不貞行為証拠を押さえるために興信所を雇っていたのと、雇っていたその期間に相手の車で家の近くまで送ってもらったことがあったこから

帰宅後、母と長い時間話をした。母は冷静だった。もともと私の家は家族仲も良く、普段から色々なことを話せる関係ではあったので、母は私の話を聞いてくれた上で叱ってくれた。

こんな関係を続けて幸せになれると思っているのか?その相手と仮に一緒になったとして誰が祝福してくれるのか?奥さんだけでなく、未来のある相手の子供も傷つけている。

お互い慰謝料も払い、子供がいるなら養育費も払いで金銭的に困った生活になるのは目に見えている。母は私に苦しい人生を歩んでほしくないし、そのためにここまで育てたのではない。

また、奥さんが来訪した際に母と連絡先を交換しており、やり取りをしていたらしい。

聞いた話だと、奥さん子供の将来を考えて離婚はしたくないこと。また、私もまだ若い年齢だということもあり、正しい道に進んでほしいということを考えてくれていること。

おおごとにせず話を決着させたいと考えていること。

頭をガンっと打ち付けられた気持ちがした。同時になんて取り返しのつかないことをしたのか、と大きな後悔が押し寄せた。

私が見ていたのは、目先の幸せだったのだ。頭スカスカの私でもさすがに理解できる。

本当に申し訳ないと思った。自分の浅はかな考えで人を凶器よりもひどい方法で傷つけていて、かつ気を遣わせていることに、「取り返しのつかないことをしてしまった」と

ようやく、遅すぎるが気がつくことができたのだ。

それから相手とは会っていない。仕事でも一緒になることがなくなった。

しかし、相手メンタルがきがかりで、完全に連絡を絶つことができなかった。

やっぱり好きという感情にはあらがえず、そのままズルズルと一か月がたってしまっていた。

距離をとると冷静になるもので、やっと自分の将来について考えることができた。

多くのものを失ってでも一緒にいることが最適解なのか?私は自分家族友達と縁をきりたくない。それに人の不幸の上に自分幸せを創り上げることはできない。

もし自分相手が一緒になった場合はどうか?今も奥さん家族と不仲でそれが一因でメンタルに不調をきたしているのに、私の家族からも同様の扱いを受けてしま可能性が高い。

「愛があればお金はいらない」建前では言うことができるけど、本当にそういう境遇になったときに笑って同じことが言えるのだろうか?私にはきっとそれはできない。

私は相手幸せにすることができない。

引き際だと思った。

やっと、連絡をとることをやめることができた。そして現在に至る。

結局。

相手は結局離婚することになったらしい。メンタル不調により、休職はしないまでも営業職はおりてしまうそうだ。

私は奥さんにはこんなものでお詫びになるとも思っていないが慰謝料を支払った。

そして明日上司に退社の相談をする予定である

きっと自分人生は独りで終わっていくのだろう。自分幸せになる資格はないのだから

こんなだらだらと書いたもの最後まで読んでくれる人は少ないと思う。

ましてや現在進行形でそういう関係を持っている人や持ってしまいそうな人がここまで読むことはないとは思うが、今回私が感じたことを最後にお伝えしたい。

ばれないなんてことは絶対に、絶対にない。不倫の先に幸せはない。自分相手もいつかは不幸になるし、周りの人も全て壊してしまう。

全てを投げ出してでも続けるべき関係なのか?今感じているその“幸せ”は本物なのか?

渦中にいるとなかなか難しいとは思うの、自分自身も冷静に考えてほしいと思う。

どんな背景があろうが、そういう行為をした時点で加害者なんだよ。

この自己陶酔文章が、誰かが冷静になる一助になることを願って。

2019-04-08

anond:20190408152438

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。

おうち探しの結論が「大好きなフレンズと一緒のここがおうち」であるなら、「人間フレンズにひどいことした」は、避けて通れないかと。

イルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える

元々の話は、人間動物ねじ曲げてしまたことの悲劇、罪悪感、グロテスクサが表現されてるか、でしたよね。それらは一つの責任の取り方かもしれませんが、そうしたニュアンスは、存在しないかと。リョコウバトの場合、「君の家族は全員死んだけど他にも仲間はいるよ。殺したの俺の仲間だけど」というのが「責任」かと言われると、ちょっと。もちろん、絶滅動物に対して人間が償うべきなのか、どう償うのかは、大きなテーマであり、けもフレ2内の1エピソードとして処理するのは限りなく無理です。しかし、だったら最初からリョコウバトを出さなければ良いかと思うわけです。そのあたりが深く考えてないという話です。

余談ですが「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います

キュルルが、イエイヌ孤独、寂しさを理解しつつも、「飼い主の責任」のために去って行く、と、取れる描写があればよかったですね。また飼い主の責任の話を強調するなら、イエイヌが「ヒトなら誰でもよい」と言ってしまってるのがダメでしょう。イヌは「ヒトなら誰でもよい」生き物ではないわけで、そっちのほうが誤解が大きいし、「イヌは人なら誰でもいいんだから、他の人に、あげればいいじゃん」という無責任に繋がりかねません。

私なら、最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。

何歳くらいを対象に考えてるのかわかりませんが、「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからないと思います

サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。

あの時、サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、「同じ系統のパワー」に見えるんですよね。一期の野生解放と同じものか、ちょっと混乱する。

内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。

念のために確認しますが、私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います。一つの作品で、画面に映ったこと全部に完璧説明をつけようとすると、かえって面白くなくなるので。それを理解した上で「すべてに筋を通すべく没頭」するのは一つの楽しみ方ですが、作品単体にそれを要求する必要はない。わからないことがあることを含めて楽しめば良いかと。もちろん、楽しめないほど大きな矛盾があれば別ですが、私はそれは感じませんでした。

他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。

続編作品のほうが様々な制約があり、オリジナル新作ほど融通が利かないのはその通りだと思います現場の方々は整合性を取ろうとしたのだと思いますけもフレ2で、派手でない部分で、筋、整合性を通してる部分があるのも、もちろんだと思います

その上で、重要な部分で、フウチョウが出てきたりするあたりはファンタジーであるなと。「記憶ケムリクサが不自然に発動したこと」にご都合性がないとは言いませんが、「幻想だか現実だかもよくわからないフウチョウコンビが、どこにでも現れて説教する」は、後者のほうがファンタジー度が高いでしょう。

キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要がありますベタなのは、それによってセルリアンを倒す助けになるとかですね。そうでなくても構いませんが、そういうのが必要です。けもフレ1で、かばちゃんミライフレンズ化だったというのは、「セルリアンに食べられたかばんちゃんが復活した理由」というドラマと結びついてるから意味があるわけです。

ワカバ場合ワカバリン関係性、ケムリクサの赤い霧の世界がなぜ生まれたか姉妹達とはなんだったのか、という、キャラ動機起源世界の成り立ちが解かれて、それが最終決戦の盛り上がりに繋がるところに意味があるわけです。ワカバが、宇宙人なのか、天使なのかの細部は、想像に任せるで良いのです。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

合理性があろうがあるまいが、1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います

そして「”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしま」うこと自体簡単かもしれませんが、その結果、出来上がった作品面白くなるか、評価されるかというと、それはまた別問題ですよね。「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

不備について、いくつかは、これまでにも書いたと思います。この記事だと、イエイヌ周りとか、キュルルちゃんの「おうち」「正体」周りですね。

細かな不備はさておき、大きく重要なのは、おっしゃっていた「視聴者視点では行動が横暴に見える。」という点が、印象に残る点だと思います。作り手の意図として「視聴者に対して、キュルルを横暴に見せたい」と思っていたわけではないでしょう。だとするのなら、意図に対して演出脚本が失敗しているわけです。

初見ではわからいかもしれないが、よく考えるとわかる」部分があるのは作品に深みを増しますが、それは細部にやる話で、ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない、というのが普通の作劇かと。

anond:20190408014023

広い意味調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまます

けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカアシカにショーをさせ、イエイヌ人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。そうだとするとヒトの業はアンチテーゼとしては機能しないです。ただ、テーマについて、議論を受けて改めて考えなおしてみたのですが、それぞれ責任の取り方を示唆する決着にはなってたと思いますイルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える。イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います木村監督仕事受けたあとインタビューで「娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ」とお話したそうです。この言葉謙遜、およびプロとしての矜持だった、道具に徹するという意志の現れだったのでしょうが騒動で傷ついていたファンには「たつき監督への侮辱か」と受け取られてしまったようで、残念なことです。作劇のプロとしての基準がどのようなものか存じませんが、一般的エンタメ方法論の尺度では、(見得を切った割には)十分な水準に達していなかったということでしょうか。俺としてはとっちらかっているとまでは思えなかったです。

「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。性格自己申告の目的がわかりやすくするため、と申しました。サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。むしろ俺は貴方レベルでそれを見落としたことに驚いています。すくなくとも演出の目論見は失敗したと言っていいでしょうね。

ミドリケムリクサ自体回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。

いただいた他の論はあまり説得力を感じませんでしたが、この解釈は的を射ていると思います考察によって筋を通すことができる、それに耐えられる作品になっている。そういう信頼がたつき監督にはあり、木村監督には無かったのでしょう。見返しておられるとのことで詳しくは控えますが、あらゆるポイント伏線と回収があります。りんが記憶の草を触られて居心地悪くしているシーンは流し見るとなんかエッチ雰囲気に見えてしまますが、きちんと意味のある描写です。内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。俺はけもフレ2もSFアドベンチャーとして設定を考察していますしかし先に触れてらっしゃいますが、全体的な伏線-回収のスタイルには2つの作品は確かに大きく異なっています

「さぁとっとと野生解放するのです」… かの名言を忘れているとは。おっしゃる通りで返す言葉もないです。やれやれ咀嚼が足りてないですね。噛めば噛むほど味が出る、これがたつき監督けもフレ1以後の作品凄さでした。個人的には、けもフレ2もそのスピリットを色濃く受け継いでいるように思えます

ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなりますけもフレ2は、そういう作品ではないので、

これには異を唱えておきますけもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。ボスウォッチでキュルルちゃんを探すことができてしまうと、けもフレ1で海に落ちたボスラッキービーストは探せなかったのと矛盾が出る。伏線だけでなく視聴者の印象にも配慮しなくてはならない。最終話唐突ボートが出てくると、あれ? けもフレ1のかばちゃん出立でバスを使ったのはなぜだよ、というショックを与える可能性があるので、うみのフレンズ回で予め出しておく。”うみのごきげん”はそのタイミングで合わせて出す。パーク内でのボスウォッチの在り方は、けもフレ1では”脳みそソコについてんのか!?”というビックリ要素でしか無かったですが、バスハンドルディスプレイウォッチをかざせというようなGUIがあるところからみて、ウォッチボス形態の一つだったと考えられます。そして引き出しに大量の異型筐体のボスウォッチ。「コレを持っていって」っと手渡す。様々な疑問に筋を通す解釈を俺は見つけることができました。見逃してしまうような設定開示を考察で結ぶことができる、これはたつき監督お家芸だったはずですが、継いだ最初仕事再現できる手腕には舌を巻きます

このようにけもフレ2では設定が矛盾しないように、しかもそれを前面に押し出さず(制作が苦労している感が出ないように)背後で処理している。考察を進めると考える上でヒントになる(あるいは制限になる)情報があちこちにあるわけです。視聴時の情報の引っかからなさが、けもフレ2の優れたポイントです。キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズなら、コレは擬似的に不老不死を実現していることになる。そうすると、けもフレ1の山頂の戦闘機にも理屈がつけられるような気がしませんか。よくある批判に、キュルルちゃんの正体が最終的には謎じゃないか、というものがありますがそれを言うと、わかばの正体も最終的には謎でした。俺から見ると、どちらも読み解くのが… とても楽しい貴方ほどのレベル視聴者にこの作品メルヘン扱いされているのは、勿体無いことこのうえないです。”義憤”や”同調圧力”などがそうさせてるとしたら… ううむ、最初の諍いのとき制作プライドを曲げてでも頭を下げて、互いに許し合うべきだった。残念です。

あのシーン(引用者注けもフレ1の全員集合シーン)を、フレンズセルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラ基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

anond:20190408003651

140字程度で語れる自意識なんて安っぽいもんだよな

増田不思議

まずテキストだけというのがいい。

ブラウザで開いた時の古いタイプ記事投稿画面というのがまたいい。

なんとなく落ち着く。

Twitterが好きになれない。

ずっと使ってるしそれなりの繋がりもできたけどやっぱり好きになれない。

増田はつながりなんてない。ないのにある。

そこがいいと思う。

増田にぶら下がるコメントはだいたい酷い。これけっこう底辺かもなと、バクサイ的なものを感じることが多い。

ブコメは鋭いことを言ってる事もちらほら見かける。そのバランスがまた変で、コントロールしきれてない感じがいい。

これまで2,3回かなりのホッテントリになった事がある。

SNSでバズったとか自身ブログアクセス稼いだ時とは違い、最初しばらく自分の書いた物だと気づかなかった。

それくらいの自意識で書ける媒体なんてもうネットにはほとんど存在しない。

増田は、雑誌のページの端っこに小さい字で書かれた小話みたいだなと思う。

2019-04-02

https://anond.hatelabo.jp/20190331231904

息子はお前のものではないし

都合の良い遊び相手ではないし

願望をかなえてくれる道具ではない

まれてある程度の自意識が生まれた時点で

一人の人間だと考えろよ

自分が息子にやってることを他の人にやったら

どう思われるか、自分がやられたらどう思うか

すこしは考えて行動しろ

それで自分はうれしいとか他人と息子は違うとか

考えるならお前は終わってるからATMになるか離婚して

養育費だけ稼ぐ存在になったほうが良い

なんか私の周囲は私が「良いなあ」って言うと本気で羨ましがられてる、と自意識を高める人達が多いらしく

「(頭お花畑無知でいられて)良いなあ」って意味なのを理解していない様子

2019-03-26

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00000047-jij-pol

麻生氏が札幌を「奥地」と表現、というが、記事にあるような引用ができないなら表現なんて成り立たない。たとえば「○○氏は女性を『産む機械』と表現されたが」という前提の上で「女性は『産む機械』ではない」という表現問題があるなら、全ての報道機関はこれを報道できない。こんなことに噛みついて、道民の票が得られると思わない方がいい。


そもそも道民北海道以外の日本のことを「内地」って呼んでんだぞ。「内地」というのは「内地本国)/外地植民地)」という二項対立で用いられる言葉だぞ。「奥地」なんてまだ本国内じゃんか。たとえ無意識であれ、道民のこの屈折した自意識理解もしないで「奥地」なんて表現に噛みつくあたり、北海道のことをほんと何も分かってないんだな。

ひとつになんてなれねーよ

何が人種差別撤廃条約だよ

世界はいつまで人種で遊ぶつもりなのかな

見た目、言語が違うんだから直感で、「あ、こいつやべーやつだ」って思うことはしょーがないだろ

その瞬間の感情否定して、「そんなこと思っちゃだめだ」なんて意識したら、自分感情を押し殺す機会が増えるだけ

韓国人中国人の話し声はストレス理解出来ない言葉の羅列はストレスだわ

「耳障りだな」って言っただけで差別的とかふざけんな

こっちは脳が「処理できなくて苦しい」って信号を、「耳障り」って言葉に変換しただけだろ

想像しすぎだわ、俺の表現邪魔すんな

どんどん人間から直感が無くなってきた

人間人間らしくない人間になっていて、不感症にさせれれていくのかと思うとつらいね

芸術感性自意識が殺されていく世の中

AKBジャニーズツイッターZOZOメルカリ電子マネー

一部の人間だけがそれを理解して、不感症な彼らに一時的幸せを与える

あたえば与えるほど恒久的な幸せ、愛からは遠ざかっていく

愛を表現することは、恥ずかしい事になってしまいました

世界の愛が減らされている

頼む、みんな気づいてくれ。幸せの種はそこにはない

ただ直感、感じたことを表現することを恐れないで

インターネットではだめだ

それは表現とは言わない、生身対生身で無ければどんな表現もただの嘆きだ

はてなは別だが。

2019-03-23

anond:20190323183758

自分他人の好きが違うのなんて当たり前、だから楽しいのよ!」って言う弦巻こころみたいな純粋リベラルマインドを持っているから自信をもって勧められるんだよ。弦巻こころ分からんなら典型的ポジティブ欧米人のノリと思えばいい。

  1. 「合わなかったの、残念ね!でも好みが違うのは当たり前だからあなたが気に病むことはないわ!(自分ダメージを受けるという発想はない)もし偶然に好みが一致したならそれは素敵なことよね!だからまた何度でも、いろいろ紹介してあげるわ!
  2. まず相手に寄り添ってレコメンドする感覚が薄い、自分が好きなものオススメしたい気持ち第一相手に合わせようと相手理解したつもりになるのは、自分相手じゃないから上手くいきづらいことが分かっている為あまりしないが、するとしても他人の好みを愚弄する発想はなく、すべての人の人生が違うということと同じくらいすべての好みを尊重しようとするから、寄り添ったレコメンドには嫌味を込める意図は一切ない。
  3. 「好みにヒットしたのなら応援してあげるのは当たり前よ!今は私のほうが詳しいからできる限りのことを教えていくわ!自分のペースで取り組みたいならあなたから制御してちょうだい!自分趣味なんだから自分で主導権を握らなきゃダメよ!でもあなたは何も言ってくれなくて分からいから、とりあえず私の思うように手伝っていくわね!」
  4. 上記のようなスタンスから一発でホームランをあてるつもりはない。一つのレコメンドに囚われることなく次々切り替えて本当に自分にあう良いものを見つけてほしい。だからそう言っているのになぜ真逆の捉え方をするのか分からない。
  5. 「なぜ趣味が知られるのが嫌なのかしら?どんな趣味も素敵だわ!私が同じくらい好きになれるかどうかは分からないけれど、どんな趣味でも胸を張るべきだと思うわ!それに好きなことは共有できた方が楽しいじゃない!オナニーを見せるのが好きなら私はぜんぜんウェルカムよ!」
  6. 「何を言っているのかしら?あなたはどう見ても人間よ!人望がどうとかはよく分からないけれど、私が話しかけたいと思ったのだからあなたはもう私のお友達よ!それでいいじゃない!ハッピー!ラッ(略」

 

全体的に、自分がどう(悪く)思われるだとか、相手をどう(悪く)思う、みたいな事には関心がなく、勧めたいモノが主役と考えているし、うまくマッチすればハッピーという事しか考えていない(それ以外を考える意義はない)ということだね。

要するに増田は、自意識に囚われすぎ。その状態物事を楽しむのは難しい。

anond:20190323012024

もうね、この元増田文章のもの元増田自身の何もしない言い訳にあふれてて、しか自意識だけは一人前っていう痛々しさがもうたまらん。

説教垂れる態で甘ったれたこと言ってんじゃねーよ。若者が~じゃねーだろ。そこまで言うならお前がやれや、お前が。

2019-03-21

過剰な自意識はどこから来るの?

教えておじいさん

anond:20190321140928

自分が恥ずかしかろうと、そんなものはとうに超越してるんだよ。歳食うと余計にね。

多少自分外野キッズ中傷されようが、話しかけたうちの何人かが楽しんでくれるようになったのなら、俺は嬉しいんだ。

他人を指さして恥ずかしいアホだみたいに言う奴らは、結局のところ鏡写しのように、自分自身が自意識に囚われすぎているだけなんだ。

2019-03-18

anond:20190318143652

かにそーゆー傾向あるな

そのクール安心してポジティブにワイワイさわげるものをつねに探してる気がする

寂しがりなくせに自意識だけ肥大化したオタクってほんと人間のクズだわ

anond:20190205000524

自意識をこじらせる」という醜い文脈を初めて見た。

anond:20190317210523

女の言う「女の美しさ」は男の言う「男の美学」と同じで、何の客観的事実もない観念的な虚構だということがよく分かる。

  

ニキビのない自分」という、欲しくても絶対に得られないと思っていたものを手にしてもなお

ニキビのなかった16歳の自分」というかつて存在したこともなく、これから絶対存在することのないものを欲しがる。

  

実際16歳ぐらいの女なんてどんなにキレイキレイしてフリフリした袋被せても、その薄っぺら存在から突出した自意識が鼻につくだけの存在だ。

そんなものが女の間では自他共に認められた「美しさ」の定義なんだから笑える。目指すところが低すぎるといえよう。

そんな「キレイな16歳」に16歳の子供がなりたいというならまだしも、いい歳した大人がなりたいというのだから不憫ものだ。

「今ここにいる自分」より「どこにもいなかった16歳の自分」のほうがいいものだとしたら、今日まで生きてきた自分の立つ瀬がないというものだ。

2019-03-16

絶対に付き合えると確信してた子に二度と会わないと宣言された

月に2回は飲み行くなりしてた。

ネカフェで朝まで二人っきりで過ごすなんてことも珍しくなかった。

心が通じ合っていた。お互いのことを夫婦みたいに分かり合ってた。大切に想われてた。

女性特有の打算的な感じが全然なくて、男性脳で物凄く包容力があった。

はてなやってるような「俺は頭が良い」みたいな自己愛をこじらせてるような自意識高い系男は皆好きになっちゃうような人だった。

だって劣等感の裏返しでこさえた女はクソ的な思想持ってたのにその人に出会たことで吹き飛んだくらい。本当に本当に本当に愛してた初恋だったよ。あの人は女神

でも彼氏ができたからと告げられて音信不通にされた。もう連絡を取る手段はない。

彼女と知り合ってからの期間も一緒に過ごした時間も俺よりずーっとずーっと短い男に取られた。

これなんなんだよ。

本当はヤリマンだったのか?

でも彼女を信じている気持ちが強くて頭がグチャグチャになる。

俺が何したっていうんだよ。

2019-03-14

anond:20190314223214

自意識が高すぎる思春期小中学生時代SNSが身近にあったらと思うと恐ろしいとしか思えないけどな。

2019-03-11

部長が堕ちる漫画」ってのがあるんだが、途中から先に読み進めない

ざっくり言うと堅物の部長腐女子部下とオタク女子部下によって、オタク沼(女性向け)に落とされるってコメディWeb漫画で出て、こないだ単行本が出たらしい。

いかにも昭和っぽさのある言動部長が、乙女ゲーをやってみたり声優イベに行ったりしてオタク沼に落ちつつ、我が身を反省するみたいな話。

なんだけど。

いや、紹介記事を読んだ時点では何か面白い展開で部長が沼に落ちるのかなって期待してたんだよ。

それが、ごくごく普通に乙女ゲーだとか女性向けスポーツアニメ映画かにハマるだけなんだよな。

更に、その作品たちについて部長コメントする中で「小津映画の気配を感じる」とか「クロサワ映画の風を感じる」とか言い出すと、いやなんつーかコメディだとしても本当に「無理」って感じてしまう。

この作品に限らず、オタク側の作品が作中でオタク趣味自体を崇め奉るようなことを言い始めると、何とも言えない自意識の強さを感じてしまうんだよなあ。

オタクであることを卑下する必要はまったくないと思うけど、殊更に素晴らしいもののように褒めたたえて書かれると、懐かしい顔文字だけど「( ;´Д`)」こういう顔になってしまう。

さてさて、最後まで読めるかなーこれ。

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