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はてなキーワード: 自意識とは

2018-02-20

認知なんてありえない

どこまで把握されて認知なのかもわからない

最近よく目合うなーと思ってはいて、それはさすがに自意識が過剰だったんだけど。

所謂認知だった?うそ

うそだったらいいなあ。

よりにもよってこんなタイミングでさ。

こんな奴ですら離れるのが惜しくなったのかなあ。

タイミングもあるけど、どうせ覚えてもらえるなら、いいかんじの見た目で覚えてもらいたかったなあ。

見た目変えて改めて覚えてもらえるように頑張るとするかー

からまた大学へ行く

うつ病留年して一年大学を休んでたけど、ようやく具合が回復してきたので四月からまた授業に出ようと決めた。

単位は足りていないし、将来のビジョンはまだ描けていない。何もかも手探りな状態だけど、もう一度立ち上がってみる。

神様は信じていないから、自分の力で飛んでみせるしかない。

どうしようもない日々。どうしようもない人達。大嫌いな自意識。今度こそつまらないことぜんぶ振り切って行こう。

私は飛べる。

あなた達を置いて行く。

もう二度と会わないと思います

お元気で。

2018-02-09

自意識過剰童貞が書いた文章

後輩に彼女ができていた。彼女は同期の人だった。

俺は極端にその辺の事情に詳しくないし興味がない。

なぜこんなことを知ったかというと後輩から話の流れで聞かされたのである

俺はそもそも人に褒められたり好かれたりするのが得意ではないし、認識をされていたくない。

そんな中わりとその後輩は俺を慕ってくれていたので、なぜか俺は自分のことのように嬉しかった。

しか自意識が高めの俺は、今後同期と会った時に後輩のことを思い「あまり他の男性としゃべらないほうが良いのではないか?」とか思ってしまって

普段通りの対応ができなくなっているだろう。挙句の果ては、たぶんちょっとぶっきらぼうに対応して、後輩との叩く対象として共有の種になれればとも

思ってしまっているのである

俺にも彼女ができたらこういう気持ちにならないで済むのだろうか。

おやじぶる人

あたしおやじから~とか、男っぽさとかガサツさを気取るタイプの人の言うことで嫌いなパターン

「ちまちま野菜とか体にいいおかずがワンプレートになってるカフェランチって全然足りないよねw」みたいなやつ

それだけならまだいい、ってかたぶん世間ではむしろカフェ飯にそう感じてる人が多いから、好感もたれる類の発言

(ということも本人は自覚してると思うけど)

そこに「私なんかリーマンのじさんと一緒に並んでからあげ定食ガッツリ食べちゃうわ」的、結局そういう自分について言いたいってのが入ってくるのが嫌い

あと、居酒屋で飲むドリンクなんかで

カシスなんとかとか女子が好む甘いドリンク飲めなくてー、あたしなんて焼酎ロックとかですんませんw」みたいな感じも嫌い

焼酎ロック飲む女性が嫌いなわけではもちろんありません)

そこの自意識のありかたっていうか

ジャニオタなんて男の性を買ってるだけなんですから

男になおしたら買春ツアー趣味おっさん自意識全開にして長文書いてるようなもんですよ

うざくないわけがないです

2018-02-08

ツイッター依存症ぼっちオタク

さっき大好きな人に話しかけてきた(もちろんネット上のことだ)

冷や汗と動悸が収まらない。

ちょっと不審者じみているから画面越しで助かった。

私の日課ツイッター匿名アプリを使って、好きな人ラブコールすることだ。

みんな嫌がってはいない(と、思いたい)

何より私が楽しいので、通り魔のようにメッセージを送りつけている。

しかし困ったことに

匿名アプリを導入していない人も、それなりにいる。

そんなもの、面と向かって挨拶して感想でも何でも言えばいいだけなのだ

それが出来ないから困っている、私にとっては死活問題だ。

本人すら気付いていないかもしれない、この素晴らしさを、伝えたい。

あわよくば私の言葉きっかけに何か投稿してはくれないだろうか。

感想を送りつけたいという思いと

拗らせた自意識の間で悶々としていたとき、最強で最高の作品投稿されてしまった。

もちろん匿名アプリは設置されていなかった。

これは称賛されてしかるべき作品なので、私ごときでも何か言わねば、というか言いたい、一言でいいから。

それから丸一日ほど悩み抜き、まずはツイッターへ鍵をかけようとした。

鍵のかけ方を検索して→リプライとDMの意味を調べて→匿名アプリ使わないの?という旨を問いかけた。

いま思えば、どうせ本人へ話しかけるのだから感想でも愛の告白でもやっておけばよかった。そんな大それたこと思いつかなかったし、閃いたところで、やっぱり照れが勝っただろう。

結果から言うと、惚れ直した。

作品はもちろん作家である私の大好きな人が優しかった。

匿名アプリについては検討してみること、そのうえで感想を伝えたいと思ってくれたことに感謝すると言ってくれた。

…私まだ、感想言っていないのに。

尊敬する大好きな人に温かい言葉をかけられて泣いた。本当に画面越しで助かった、絶対に危ない奴だ。

ひとりで空回って何やってるんだろう、コミュ障以前にただのバカじゃん。

その勢いのまま、愛の告白をしてきた。ずっと伝えたかたこと、直近の作品のこと…

思い返すと恥ずかしいが、言い逃げ出来るのがネットの良いところだ。

ずっと一方的メッセージを送りつけていた。

小心者なので、その方が気楽なのだ

でも、たまには許されるなら、こういう突撃もいいかもしれない。

一方通行型の感想送信アカウントでも作ってみようかな、それも楽しいかもしれない。

anond:20180208174616

こんなとこに流れ着いて書き込みまでしてるのに誰にでも人当りが良くて絶対に嫌われない善人の自分という自意識を持っているのだとしたら

それはただの傲慢妄想狂です

そんなわけあるかって自覚を持ちましょう

2018-02-07

anond:20180207183856

「女」をお金に換える人って自意識高くなるし十中八九性格悪くなるよね。性格悪くならなくても金銭感覚バグる

金銭感覚バグったブスってもう水没したWindwosXPぐらい価値ないよ。

anond:20180206202730

スタンフォード監獄実験みたいな作用もあるけど、人事って儲けを出さな場所からアカン人の流刑地にもなり得るんだよね。

ローテで短期間所属する人は問題無いけど、長期間まるで動かず人事にいる人って、つまり持って行き場が無い人であって、本人もそれを理解してるから歪みやすい気がする。

その割に、社内の情報把握が容易に出来るので、情報武器自分に有利な環境を作って引きこもり、あたか権力を握っているかのように振る舞い出す。そのうちに分不相応に歪んだ自意識を太らせておかしな奴が出来上がる。

流動性って大事だなって思う。

2018-01-31

この界隈の人の過剰な自意識

http://b.hatena.ne.jp/entry/pumpkinsword.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/003438

はてなブックマーク - アイマスから足を洗った - 今日の松音日記

何か自分判断特別だと思って書いちゃったんだろうけど。いちいちトンチンカン自意識過剰ウンザリどうぞどうぞあなたの事は全く気にしていないので、お好きにして下さいとしか

自分の行動にすごく価値があると思ってるのが、本当に理解不能。内容が変すぎるからコメントちゃう人も多いんだろうけど。まぁ、その時点で負けな感じはする。

2018-01-30

萌えのままに二次創作ができなくなってしまった





ありがちな話だけど、pixivtwitterでの評価を氣にしすぎて楽しく二次創作活動ができなくなった

5年位前から、好きな作品二次創作小説腐向け)を書いてる

今まで3つほどのジャンル渡り歩いてきた

ジャンルAは気が向いた時にpixiv小説を上げてた

twitterはやってなかったので同ジャンルの人と特に交流したことはない、オフ本も出したことはない

それでもブクマコメントをもらえることがすごく嬉しかった

好きな作家さんからブクマがついたり、pixiv相互フォローになってたりするとほっこりした

ただ当時大学生リアル生活のほうが忙しかったのと、原作が終了したこともあり徐々に熱が落ち着いていき投稿しなくなった

ジャンルBはそれから数カ月後に出会った

アニメを見てむちゃくちゃに興奮し、萌えのままに小説を書きpixiv投稿した

この時初めて「同ジャンルの人と交流したい」という気持ちが芽生え、twitterを作った

すごく楽しくて転がり落ちるようにのめり込んだ、当時仕事があまり忙しくなかったこともありあっという間に同人生活交流の中心になった

初めてオフ本も作り、何回もイベントに出た

「いつみ見てます」「あなたの話が好きです」という言葉差し入れの山、回り続けるブクマ、どれもが麻薬のようだった

そのうち、それなしでは小説が書けなくなっていった

どうすれば売れるか、どうすればちやほやしてもらえるかばかりを考えて話を書くようになった

目立つ大手絵描き文字書きとだけ交流したい、(自分が思う)下手な人、ROM専とは交流したくないと思うようになった

自分よりブクマがついている人、売れている人を妬むようになった

自分が書いているのは「小説」なんだというよく分からない自意識に取り憑かれていた

原作に対する萌えを失ってもなお、1年くらいは承認欲求のために小説を書いていた

ジャンルCと出会ったのはそんな矢先だった

早速二次小説を書き始めたが、動機萌えのままというのももちろんあったが、pixivtwitterでそのカプがそれなりに盛り上がっていたからだった

つのジャンルである程度の読者を集めていたから、このジャンルでも読んでもらえる、ちやほやしてもらえるに違いないというゲスい考えのもと小説を書いた

ジャンル者のtwitterフォローしなかったし、新ジャンル用のアカウントも作らなかった

既に多数のフォロワーがいる今のアカウントを使った方が箔がつくと思ったのと、このジャンル投稿を始めてからのほうがフォロバしてもらえると踏んでいたからだ

数ヶ月書けて書いた大作を投稿した、SNSは期待の新人が現れた!と自分話題で持ちきりになると信じてやまなかった

結果は爆死もいいところだった

途端にジャンルに対する熱がすーっと冷めていった

ジャンルBの人もCの人も、爆死した自分をあざ笑っているのではないかという感覚に陥った

せめてtwitterアカウント分けをしていれば恥さらしにならなかったかもしれない、別人として振る舞えばよかったと後悔した

それでもCジャンルで書きたいという気持ちはまだあるから自分の中にある小説を書くことへの原動力が、100%の承認欲求だけではないのだと思いたい

今、どうやったら二次小説を楽しくかけるのか完全にわからなくなってしまった

冷静に考えれば、ジャンルCで投稿した話には上で書いたようなゲス自意識が滲み出すぎていたんだと思う

ジャンルAやジャンルB初期に書いていた話は、推敲全然していないし日本語もめちゃくちゃ、自分が見下してきた二次小説のものだけれど読んでてとてもわくわくした、純粋に元の作品が好きで書いたんだろうなという感じがする

ジャンルB後期は「日本語うまいね」「文章がきれいだね」と言われることはあっても、「萌えました」と言われることは格段に減っていた

承認欲求が悪いこととは今でも思っていないけど、自分はあまりにもそれにまみれすぎてしまった

どうしたら萌えのままにもう一度小説が書けるようになるんだろう

はじめて二次創作に触れた頃の、純粋情熱を取り戻したい

楽しくて仕方がなかったはずの趣味なのに、もう全然楽しくない

2018-01-29

はてなブックマークを見捨てることにした

最近とみにゴミかつ不毛情報しか上がってこないと感じている。

自意識をこじらせた連中が、ポリコレ棒やらなんやらで他人を殴ったりマウンティングしたりする場になっていて、一般的ニュースサイトでは浮上してこないようなネタ集合知発見する、なんてSBが担うべき役割はまったく果たせなくなってしまった。

さらはてなブックマーク

さらはてブ寄生するゴミブクマラーどもよ。

お前らは死ぬまで現実鬱憤はてブというマウンティング会場で晴らしてろ。

anond:20180128013504

今更そこを気にする?パロディ元ネタになってるゲーム漫画だって、30代40代オタクでないと分からないラインナップのオンパレードでは?そのくらいの年齢でもオタク活動を続けている作者だからこそ原作には最近ネタも混ざっているけども、作品観のベースは一昔前のネット住人的なノリであることを考えると、特に気にするようなシーンではないと思うのだが。むしろ若い子の多くはネタの大半が分からくともフィーリングで楽しんでいるようだし、そのくらいの受容性を見習った方がいいのでは?

 

増田のように、作品中に2ちゃん風やニコ動風の描写が出てくると、決まって「冷めるわー」的な反応をする人が大量にネットに湧くことを我々はもう何度となく見てきた。人はちょっと聞きかじった事があるくらいのネタなら素直に害意なく、なんなら知っている気分にすらなって楽しむことができるのに、「俺はこれをよく知っている」みたいなものに対しては、へんな自意識が働いて、「あーハイハイ陳腐なこった」みたいな思考に陥ってしまう。これははっきり言って下品だし幼稚な思考だが、みんながやっているようにみえるのでなかなか思考を改めようと思う人は少ないようだ。けれど、その「みんな」というのはほとんどが生意気盛りの子どもたちの発言の集合である率が高い、ということを考慮せねばならない。ネットの向こうの顔の見えない人間が、どれだけリアルに幼く、育ちの悪い人なのか、ということに想像力を常に働かせていないと、自分自身精神的に幼くなり、育ちの悪い人間と同様の思考回路が脳に焼き付き、人格的に落ちぶれてしまう。それくらいにネガティブ感性の伝染力は強い。そのことに無自覚で無邪気すぎるネットユーザーがあまりにも多いと私は思う。

 

また、アニメオタクに多いのだが、勝手に高すぎる期待をして、それとは違う表現制作側がすると、クソだクソだと貶す人がネットでは目立つ。もともと他人に対して多くを求めすぎるというのは日本人の悪習だと思っているが、この現象に関しては、「自分の思った通りに作ってくれないと嫌だ嫌だ」と駄々をこねる子どもとなにも変わらない。そこにクリエイティブに対するリスペクトは何もなく、自分作品でもないのに、他人がその人の価値観表現の一端として作っている作品に、自分価値観でもって勝手校正を入れようとする感性は、ただただ醜悪だ。「鑑賞」という行為に対する基本的リテラシーが欠如しているばかりでなく、人間としてあまりにも盲目で、多様な価値観を受け入れられる器を造成するだけの視野想像力が未熟であることを感じさせる。そういう人が客層として少なから存在するアニメ漫画業界において、ポプテピピックが自ら「クソ」を自称していることの意味を、よく考えるべきだと思う。

2018-01-26

トイアンナよりもはあちゅうよりも可哀想な人

トイアンナ離婚したとかはあちゅうが未婚とか皮肉でもなんでもないよ

ふたりとも結婚に向いてないなんてはたから見ても直観にわかるじゃん

本人たちも何年も前から分かってるだろうし別に大して悩んでもないでしょ

彼女たちが自分らしく生きるとああなるってだけの話 周りがとやかく言うもんじゃない

でもトイアンナはあちゅう読んでた俺の友達のことは本当に可哀想だと思ってる

美人で賢くて働き者でユーモアもあって優しい子だったけど

すごく幸せ結婚をしたがってたけど多分もう無理

手遅れだ

彼女は「食べ物人間をつくる」ということは知っていたのに

「観てるもの・読んでるもの自分世界運命を決めてしまう」ということは

まり真面目に信じなかった

信じたところで辞められなかっただろうとは思うけど

スマホの広まった世界活字好きが文字から目を離すのはダイエットよりキツいか

彼女も結局のところトイアンナはあちゅうみたいに

恋愛のようにみえものを楽しんで報われない苦味に大騒ぎして

最後は気の利いたテキストにまとめてみせる人間になっている

あれだけ幸せ結婚を夢見てたのに

仲間の結婚をあれほど羨んでいたのに

まあでも彼女の幸不幸は俺が決めることじゃないし未来は何が起こるかわからいか

俺はどちらにしたって黙ってるしかないよな

可哀想とか思ってごめんな

撤回するわ

贅沢言うなら

自分らしく生きてるよって心から言えるようになっていて欲しいな

望み過ぎか

人生めんどくさくても

自意識がめんどくさくても

元気にしてりゃあそれでいいよ

もし元気もなかったら

せめて連絡寄越してくれたら

美味い飯つくってやりてえな

anond:20180126141105

一人焼き肉がつらいのは「焼肉はみんなで行くもの」だから自意識も多少あるけど店側もそういう用意してないじゃん?

便所飯とかは自意識過剰だけど。

https://anond.hatelabo.jp/20180126135613

からすれば売上になるので普通にありがたいが?後ろめたさは自意識では。

佐倉絆とわたし

この「女が好きなAV女優アンケートhttp://zerokkuma.hatenablog.com/entry/2018/01/21/020623をうけて、わたしわたしの好きなAV女優さんの話をします。

ひらりささんは自分の名を模したアカウントで誠実にやってるのに対してわたし増田でごめんなさい。

佐倉絆さんのこと凄い好きだけど邪な目でしか佐倉絆を見てないから「コイツ佐倉絆で抜いてるんだ」と思われながら生きるのは自意識的に死にそうなくらい辛い、というかまあ厳密に抜いてはないんですけど…抜くという概念?性欲処理の作業を「抜く」の一言で片付けられる男性諸君が羨ましいです。まーーーえっちな目で見てるんだけどね!

わたし佐倉絆さんとの出会いは、「徳井義美のチャックおろさせて〜や」という番組内の企画「手コキカラオケ〜90点以上とったら100万円〜」である

最初佐倉目的ではなく、挑戦者側に「某アイドルグループの手●くんに憧れている青年が出ている」という呟きをTwitterで友人が呟いていたのがすべてのはじまりであった。

わたしも友人も別に手●くんのファンというわけじゃないけど、彼はめちゃくちゃ面白いですよね。人間として面白い。男としての性的魅力は全く感じないけどとかく面白くていい奴だと思う。たまに見ると元気が出る。なんでモテるのか(よく噂は聞きます)1mmもわかんないけど、定期的に「手●見てえ」ってなる、不思議

でだ、その手●くんを目指してるってんだからそれなりに歌が上手いかチャラくてちょっとかっこいいかって思うじゃん、すっげえブサイクだった。ブスだけど格好付けて手●風の発言をして、手●を模した髪型をして、手●みたいな歌い方をするわけよ、手コキされながら。イきながら手●くんの決めポーズすんの。最高に面白いじゃん。しかも「恋を知らない君へ」(割としっとりした曲)ってチョイスがもう最高すぎて腹わたちぎれた。歌詞的に切ない曲なのでこの曲を歌いながらきったなく喘いでる姿はファンの人が見たら絶対怒るだろうけどわたしはあの映像より笑える映像をその前もそのあとも見たことがない。(手●と手コキってなんか似てるね)

そうして定期的に見るようになった手●カラオケ、手●以外の挑戦者も「おもしれーなw」って見てるうちに運命出会いが訪れるわけです。「よく見たら手コキしてる方の女の人めちゃくちゃカワイイ……!」って。

篠田麻里子似で、女子アナみたいに清楚なのになんかすっげえエロい

舌の出し方が天才的。ミリ単位天才

しみけんのお墨付きだもんそりゃ上手いわ

必殺技「絆のしずく」というくらいあって、唾液の量が半端ないんですよ、とろっとろ。ちゅーしたら絶対気持ちいいの。

きったねえ歌声なんか耳に入らないくら佐倉絆の「いっちゃうぅ?」しか聞こえなくなった やばい。大体の挑戦者より背が低いきずぽんは挑戦者肩に腕を乗せながら上目遣いでじぃっと見つめて来るんだけど、それがまた最高なんだ。手コキ部分は映らないかカラオケしてる挑戦者ときずぽんが着衣でうっとり見つめ合う図が映るんだけど、そこだけ見るとほんと月9みたいなんだよね……まあ手コキしてるんですけど。

細い指が、甘い声が男性器を握りながらわたし脳みそを握って溶かした。性的対象男性のみのはずだったのにえっちな気分になると「佐倉絆」、こときずぽんのことしか考えられなくなってしまったのだ。

気づいたらネカフェできずぽんの動画を夜通し見ていた。終電逃して夜中にネカフェに入ったはずなのにまた終電間際だった。笑えねえ。

手コキ物はもちろん、上原亜衣ちゃんとの百合モノがマジで最高。っていうか百合プレイって言ってんだからきずぽんと亜衣ちゃんがひたすらヤッてんのがこっちは見たいんですよ、「百合だーーー!」って飛びついたのに時々何が悲しくてきずぽんと亜衣ちゃんが2人してオッさんのちんぽ舐めてんの見なきゃいけないんだ、羨ましい、そこ代わってくれ。

(もちろん手コキが見たくてAVを見てる時は男性ありきだけど、百合が見たくてAV見てる時は男性器求めてないじゃん…?いちごパフェが食べたいのにトンカツを出される胸焼け感……)

あと、個人的にあの真っ白なきずぽんが水着の形に日焼けしたやつ、意味わかんないけど意味わかんないくらいドツボですね……

で、だんだん見進めるうちにわたしは、気づいてしまったのだ。「きずぽんの手コキを見たいんじゃなくて、きずぽんに手コキして欲しいんだ」って。あの細い指で、ねっとりとした視線で、意外とサバサバした声で、きずぽんに触られたい、きずぽんの手で陥落したい。私が男だったらAV男優にならなくとも件の「手コキカラオケ」に出演エントリーすれば、100000分の1くらいの確率でその施しを受けることが出来るかもしれない。けれど、わたしには生えてないのだ、男性器が。いくら願ってもわたしはソレを持ち合わせない。その時点で佐倉絆に手コキをしてもらえる確率は0.000000001からゼロになるのだ。こんなに悲しいことはない。

世の中の男性という生き物は実にずるい。実際にきずぽんと触れ合うことができなくたってAV男優に自らを投影することが出来る。その時点で5割くらいはきずぽんとセックスしてるようなモンじゃないか

ずるいずるい、超ずるい。短小だろうが包茎だろうがついてる時点で全部男性器なんだから、憎くて羨ましくて仕方ない。

お前もどうせ包茎だろ?とか思うことで日常不条理自己消化してきたのに(男性諸君からしたら実に理不尽な話だろうが、直接そういった表現他人を罵ったことはないので許して欲しい)きずぽんに出会ってからは「でもこんな男でも“付いてる”んだもんなあ……」と悲しくなってしまうのだ。


そんなわたし科学技術が救ってくれたのだ!

そう、VRである

http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=84kmvr00001/

これね、マジすごい。VRが見れるビデオ店のVR機器は他の人の汗や精子臭いがすると聞いて迷いあぐねた結果、このためにAmazonでVR装置買ってよかった……なんと、きずぽんとわたしが結合してるんですよ、きずぽんもわたしも付いてないのに。どこからともなく現れた空想ち●こがわたしときずぽんを繋いでるという限りなくファンタジーフィクション

でも、今までわたしがきずぽんに手コキして貰うためには知らないおじさんとか到底自己投影なんか出来そうにないマッチョ黒人とかその他諸々エクストラとにかく「わたしではない何か」を通さなくちゃいけなかったのに、VRきずぽんはわたしの知らないおじさんではなくて、「限りなくわたしに近い男」を見てくれるわけです。もう8割くらいわたしときずぽんがヤッてるじゃん。

あのえっちな舌がわたしの口内を貪るためにちろりと覗く紅。

わたしファンタジー男性器を這うきずぽんの指。ファンタジー男性器にかかるきずぽんの唾液、そしてファンタジー男性器がきずぽんの小さな口の中へ………

実際は誰も居ないけれど、確かにわたしの隣に温もりはあった。今まで体験したどんなセックスよりもきずぽんとの擬似セックス夢心地で、とろけるように甘い時間だった。

科学技術わたしの無茶な願望を少しだけ現実にしてくれた。

でも、やっぱりきずぽんの手コキをよりリアル体感するために本物の男性器が欲しくて欲しくてたまらないのである

VRは所詮VR、VR機器は汗だくで湿っていてもきずぽんが抜いてくれて華々しく散ったハズの証拠現実には存在しない。だからわたし佐倉絆でえっち気持ちになったとき専用のわたし男性器を諦めない。

もし、天変地異が起こったり白い生物魔法少女契約を交わして男性器が生えてきたら、わたし金髪に染めて手●くんのソロ曲I’m coming」(すげえやばい)を歌ってきずぽんとにっこり見つめ合いながら手コキカラオケするのだ。絶対100万円獲ってやるわ。

2018-01-25

anond:20180124232919

作品を観るとき自分が男だか女だか腐だとかそんな妙な自意識を持ち出す必要が本当にあるだろうか?

 

ずっと観ているが、おそ松さんは一貫してアバンギャルド表現をし続けていると感じる。なかなかそういう作風のものが他にないから、いつも興味深く観させてもらっている。なに受けを狙っているだとか、そういう穿った見方を払拭するくらいに多様な切り口でショートショート的な作り方をされていて、合成や宇宙海賊のようなSFの切り口にしろ、実松さんやイルカのようなドキュメンタリー/ハートフルストーリーのような切り口にしろ、結局はギャグとしてまとめていても風刺パロディ寓話的要素を詰め込む作りになっている。映像表現的にも多彩だ。それをみるに、この作品クリエーターたちの創造力が発露される場となっているように感じる。そういう作品は観ていて気持ちがいいし、よい作品だと思う。

 

それを見る側の卑小な自意識によって、なに向けだとかに矮小化して、それでもってつまらないと断ずるなど、笑止千万というところだ。昨今、インターネット上の貧相なコミュニケーションに晒されているうちに、ずいぶんと傲慢思考をする鯉になっている人間がたくさんいるように見受けられる。たとえば自分が絵を描くとき、それを鑑賞してくれる人のために受けをねらって描くのだろうか?そういう部分がないわけでもないが、それ以前に、まず自分の内に描きたいという思いがあるから描くのだろう。例えそれがビジネスであったとしても、その根本的な順序を違えていると創作なんてものは出来なくなる。おそ松さんという作品は、とりわけそうしたクリエイティブ欲望に忠実で居続けようとする思想性を帯びた作品であるように思う。その点で、誰に媚びているわけでもない作品であり、媚びているように見える部分は多分に風刺表現なのだ

 

私たち創作を見せてもらっている側であって、創作する側も、さきほど絵描きで例えたように、人間である。その人その人達創作姿勢を汲み取ろうという親和的姿勢なくして、見せてもらっている側が楽しむことなど到底できない。それはどんな作品についても言えることだが、その基本的なことを忘れて、自分の好きな要素だけ食べようとパクパクと口をあける鯉になっていないか、そのせいで認知が歪んでいないか謙虚に自省する機会をすべての人が持つべきだと思う。

2018-01-22

anond:20180122222900

こういう人のめんどくさいとこって、じゃあ他人に認められるなら誰でもいいかっていうと、

そういうわけでもないってとこなんだよなあ

より多くの素晴らしい人から賞賛されないから、という理由いつまでも満足しない

結局今あるものを受け入れられずに自意識けが肥大しちゃってる

2018-01-19

anond:20180119064530

masudamaster先生

ドロップブックスでかるま龍狼作品集めたというコメントは、まずいと思ったから消したわけじゃないぞ。かるま龍狼作品が意外とつまらなかった(抜けなかった)から黒歴史として消しただけだ

ketudan先生

俺の中ではかるま龍狼はISUTOSHIや新貝田鉄也郎(他とろろいも一味)と同じカテゴリ。斜に構えた姿勢がかっこいいと勘違いして真正から仕事に取り組まなかった人。オタク自意識過敏世代尻尾

synonymous先生

かるま龍狼ちょっと前のが結構良かった。今は知らない。

古参はてなー違法ダウンロードを責めるどころか雑談はじめちゃうのにどうやってモラルを語れと?

2018-01-18

意味を超えて。感覚に生きるということ。

「生きる意味とは?」考えたことありますか?

まさに中2のときから、今に至るまで、30になるまでずっと僕はこの問いに囚われてきた。

日見テレビの話とか、馬鹿なことをした知り合いの話とか、下ネタとかそんな会話で埋め尽くされる社会が嫌で避けて生きてきた。

一方で、人に誇れるものも無く、孤独自分が、損しかしていない気がして、世の人はとうの昔にこの問いを乗り越えたに違いなくて、自分はなんて馬鹿なんだとずっと思っていた。

この問いの答えを出さなければ生きていける自信がなかったし、棚上げして60歳くらいにまた悩まされたりしたら辛そうだから、考えようと思った。

「生きる意味」について考えようと思ったら、意味という言葉は何なのか、言葉とは何なのか知る必要があると思って、小説哲学書を読んだ。

「生きる意味」を問うてしま自分を知る必要があると思って、心理学神経科学の本を読んだ。

暫定的だけど、腑に落ちる答えは得られた。

種としての生存確率をあげられるように生物進化してきた。外界や自分の状況を組み合わせてシュミレーションすることで、より良い意思決定ができるようになる。そのシュミレーションを行う上で、世界事象を表す概念必要だ。概念文字という記号が結びついて言語が生まれた。

意味、つまり世界説明する言語の中で最も根本的なモノ、を求めてしまうのはこのシュミレーションを行う機能暴走だ。あるのはただ世界だけで、それを粗く写し取った言語がある。言語があって世界があるわけではない。

僕は「生きる意味から開放されたと思った。

意味は無いけど世界はここにあるのだ。ぐるぐると回り続ける思考の中にいて世界を感じられないは不幸だ。美味しいワインを飲んでも、好きな女の子セックスしてても、とりとめのない考えに囚われて、その心地よさを味わえないのはどう考えたって損なのだ

昭和文豪達は不幸だ。自意識をこじらせた不幸な人間たちを書き続けて評価されるなんて悲しい話だ。

巨大なペニスになりたい。ただ感覚だけの世界を漂いたい。それは動物的で人間らしく無いように感じるが、思考することこそが人間らしいのか?人間は肉体を軽視しすぎてこなかったか機械学習のおかげで人間思考なんか大したものじゃないことがわかってきた。産業革命で肉体が過小評価されるようになったんじゃないか

あなた幸福ですか?美酒を、セックスを、この世界ありのまま感じることができていますか?

2018-01-15

山椒魚世界の神であるか?

 現代文の授業で山椒魚を初めて読んだとき、この捻くれ者は、私によく似ていると思った。だが決定的に違うところがある。それは山椒魚世界の神であったが、私は神にはなれなかったという点においてだ。その違いとは些細なようであって、とても重大なことであると私は思う。それは、私が誰かの神に、世界になりたいのに、なれない不完全な出来の人間であるからだ。

まず前提として、この文章はすべて、井伏鱒二氏の短編小説である山椒魚」を借り、私が私について語るだけの、極めて主観的でくだらないものであるということを示しておく。恐らく十八の人間が書く文章なんてたかが知れていると思うが、それでも私は山椒魚にとてつもない親近感を抱いているのである。それについて少しばかり、私が今まで思ってきたことを書けたらいいと思う。

まず「山椒魚」とは一体何かということを明確にしておく必要がある。山椒魚とは前述したように、井伏鱒二氏による短編小説である山椒魚自身身体が成長しすぎてしまたことによって、住処である岩屋から出られなくなってしまう。外に出ようと幾度となく繰り返す山椒魚だが、それが叶うことはついになかった。外の世界自由に生きる生物たちに嫉妬を抑えきれない山椒魚は、ついに悪党となり、山椒魚は岩屋に入ってきた蛙を閉じ込め、自身と同じ状況に追いやることで、自身精神の安定を保とうとしたのである。蛙は屈することなく二匹は岩屋の中で激しい口論を二年にも及んで繰り広げるが、空腹で動けなくなり、死しか望めない蛙に対して、ようやく山椒魚友情を感じるのだ。山椒魚は聞く。「お前は今、何を考えているようなのだろうか?」と。それに対し蛙は、「別に今でも、お前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのだった。

この山椒魚を初めて読んだ時の感想は、「二年も口論を繰り返していたのか」とそれに尽きる。だが数回これを読み深めていくうち、山椒魚とは、ただ友達が欲しかっただけの、普通人間なのではないかと思うに至ったのだ。山椒魚には寓意が込められており、簡単に例えを出すならば「うさぎかめ」のように、ほかの生物もの真意本質を遠回しに伝えるというものだ。私の中で山椒魚普通人間であるし、出られなくなった岩屋は肥大した自意識であり、蛙はそれらをすべてわかっていた人間なのだ。これらも前提に、本題へ入ろうと思う。

何故この文章題名を「山椒魚世界の神であるか?」にしたかは至極単純である。私にとって山椒魚は、世界の神であるからだ。もっと突き詰めて言えば、岩屋の中に閉じ込められた蛙の世界であり神であるということだ。まず先程書いたように、岩屋は肥大した自意識であると私は思っている。山椒魚はその自意識に閉じ込められた、或いはそこから出ることを拒んだ所謂可哀想人間に過ぎない。蛙はその山椒魚自意識を満たすため利用された、こちらも可哀想人間であるという認識をしている。山椒魚は蛙を利用し監禁することによって、死の間際に、世界となり神となることに成功したである

人間人間の神になるために必要なことは、その標的からすべてを奪うこと以外に存在しない。山椒魚は蛙を自分の住処に閉じ込め取り入れることによって、蛙からありとあらゆる自由を奪うことに成功している。それがなければ山椒魚は神になれなかったし、もしかしたら山椒魚は図らずも神になっただけかもしれない。だがそれだけ、人間人間の神になるということは難しいことなのだ。それが善悪のどちらに所属するかはまず置いておくとして、私はそれをやってのけた山椒魚を素直に尊敬する。山椒魚悪党となることで蛙を閉じ込めたが、この時の山椒魚の心境を鑑みるに、標的が蛙であった必要はなかったのだと思う。よくニュースで聞くような、無差別殺人犯の言う「誰でもよかった」と同じように。ただこの「山椒魚」にとって、この蛙が蛙でなかった場合、二年間口論が繰り広げられることも、最後にようやく友情が芽生えることもあり得なかったのではないだろうか。

 しかし、だからといって山椒魚が神であるということに相違はない。閉じ込められた蛙にとっては、憎むべき対象も、愛すべき対象も、結局は山椒魚しかいなかったのである。蛙は最後に「今でも別に、お前のことを怒ってはないんだ」と言った。それはおそらく、蛙自身も、山椒魚を神とすることで救われた一人の人間だったからだと思う。山椒魚が蛙を閉じ込めたとき、蛙は、閉じ込められた岩屋の中で堂々と「俺は平気だ」と宣言する。それは山椒魚を見くびってのことだったのか、それとも逆に、山椒魚ならば…という、敬愛の証だったのかもしれない。ただ私が思うのは、おそらく蛙も、もしかしたら山椒魚と同じような立場になっていた可能性があるということだ。メタフィクションのような話になってしまうが、蛙は山椒魚よりも体が小さいので、少なくとも岩屋から出られなくなってしまうということは考えにくい。なので、自由に飛び回ることのできる外の世界―要するに「山椒魚」の世界観で「社会」で、同じ立場になっていたかもわからないのだ。山椒魚肥大した自意識から出られなったが、それはあくまでも人間の内側で起こっている出来事に過ぎない。自身の激しいナルシズムが引き起こす極端な自己評価他者評価ギャップに悩み、それを見栄で隠そうとしたために発生した、ある種一時的反抗期のような、よくよく考えてみれば、我々も通ったことのあるような道でしかないのだ。だが蛙は人間の内側でそれを発生させてはいない。人間人間が大量に入り混じる、失敗の許されない、いわば監獄のような世界でそういった問題に悩まされていたとしたら、それはきっと山椒魚よりも可哀想で哀れな姿になっていたに違いない。山椒魚は蛙を閉じ込めることで、自身と同じ状況の人間作成し、その結果精神の安定を保とうとしたが、それは蛙も同じだったかもしれないということだ。蛙は山椒魚に「わざと閉じ込められる」ことによって、可哀想人間に捕らえられ逃げられない自分を作り出し、自分社会に対する折り合いのつかない問題から逃げ出そうとしたと考えれば、最後の「今でも別に、お前のことを怒ってはいないんだ」というセリフにも納得がいく。

この文章を書くにあたって、自分の「山椒魚」に対して抱いた如何ともし難い薄気味悪さというのは、蛙によってもたらされた山椒魚への許しが生み出したものだと気付いた。小説である一言言ってしまえば確かに終わりなのだけれども、例えば自分が身勝手理由他人監禁され、しかもそこで死を迎えなければならないとなった場合最期相手を許すことが出来るものだろうか。それが愛する人家族ならいざ知らず、どこの誰ともわからない人間にいきなり監禁された時点で、普通に考えて怒りなんて言葉では済まない。それこそ二年間によって繰り広げられた喧嘩でさえ、この最期によればおつりがくるほどだと思う。最初こそ「二年間も口論していたのか」なんて暢気な感想を抱いたけれど、少し考えてみたら、最期の蛙の言葉は、私にとっては最早呪いだ。もしも私が山椒魚だったとして、自分が閉じ込めた相手が死の間際に自分を許す旨の発言をしたら、嬉しさも喜びも何も感じることは出来ない。むしろ、「この人は今まで何を考えて自分の思い通りになってくれたのだろう」という不信感すら残ってしまうだろう。自分という一人の人間を殺したという事実から逃げるなよという、怨念のようなものさえ感じさせる。それを考えると、山椒魚が蛙を閉じ込めたというよりも、蛙のほうが、山椒魚を好きに操っていたようにしか考えられないのだ。蛙は山椒魚のことを、自分と似た人間だと思い、自身社会に出たことで削られてしまった自尊心自意識回復するために、「わざと山椒魚と一緒にいた」ようにしか思えない。物理的にそこから出られなかったとしても、こころだけでも自由になることは出来たはずなのだ山椒魚と違って自由に泳ぎ回ることが出来ていた人間ならば。だがそうではなかった。ということは、蛙は自由に泳ぎ回っているように見えて、その実、社会という檻から逃げられず、自分肯定するために必死だった、ただの哀れな、普通人間しかなかったのだ。

最後にもう一度、これは私が井伏鱒二氏によって描かれた短編小説山椒魚」を借りて書き殴っただけの、主観的陳腐文章であることを明記しておきたい。ここに書かれていることはすべて、私が勝手に作り上げた妄想であって、おそらく山椒魚には、これよりももっとポジティブメッセージ寓意)が込められていることだろうと思う。しかし私にとって「山椒魚」は、どうにもポジティブものとは受け取れなかった。可哀想人間が寄り添って、互いの削れた部分を埋めるために、互いの世界になろうとする。そんな常人には理解出来ない、孤独で閉鎖的でどこまでも自分本位人間本質を描いているように見えたのだ。

私は山椒魚に似ている。けれど私は誰かの世界にはなれなかった。私にとっての「蛙」がこれから現れることはあるのだろうか。山椒魚が蛙を操っていたのか、蛙が山椒魚を操っていたのか。本当のことは、誰も知らない

              

                                                                                                    了

2018-01-13

anond:20180113141019

masudamaster先生

ドロップブックスでかるま龍狼作品集めたというコメントは、まずいと思ったから消したわけじゃないぞ。かるま龍狼作品が意外とつまらなかった(抜けなかった)から黒歴史として消しただけだ

ketudan先生

俺の中ではかるま龍狼はISUTOSHIや新貝田鉄也郎(他とろろいも一味)と同じカテゴリ。斜に構えた姿勢がかっこいいと勘違いして真正から仕事に取り組まなかった人。オタク自意識過敏世代尻尾

synonymous先生

かるま龍狼ちょっと前のが結構良かった。今は知らない。



みんな否定してるが人妻熟女好きなら、かるま龍狼いいと思うよ

2018-01-12

anond:20180112001841

そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。

いや、思ってないよ。

あのな、腐女子だって一人一人嗜好や考えの異なる他人なのな。それをもうちょっと真摯に捉えた方がいい。

腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。

この考え方自体が、もう古い。

腐女子という呼び名すら使わない人もいる。

私たち」を脱した腐女子も、いい加減に腐女子という言葉から解き放たれたい人たちも、既にいる。

いるんだよ。あなたにその存在は見えないし、知らないだろうけど。

あなたあなたのことだけを語っている。

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