はてなキーワード: 不和とは
Politik als Wissenschaft 貼っときますえ
日本のメディアは、武者小路の訳のほうを報道しただろうと見られる
(ブルンチュリ)「国家と教会とのあいだの避けられない闘争」が存在し、「女性は立場上、教会の影響を受けやすい」が、「女性にも選挙権が与えられれば、女性も義務と責任を感じ、誰を信頼するかについての自分の選択についてはより慎重になるだろう」。「女性の排除については、男女の性質に基づく理由が働いている可能性が高く、真剣かつ慎重な検討が求められる」
(武者小路実世とグイド・フルベッキの共訳)「世界一般の常識によれば、女子の意思は多く僧侶の誘導によって決するものである。したがって、もし女子が選挙権を有するときには、およそその父と夫に背き、むしろ僧侶の指揮に従って選挙を行うという弊害が生じ、ついには国家に大きな害を齎すことになるだろう。今日いまだにローマ・カトリック教を信仰する国においては、女子が僧侶に惑わされて、もっぱら寺院のためにその方向性を誤り、ついには国の独立を犠牲にしようとするに至る者がしばしばいる。いわんや、選挙のことで男女両性のあいだに不和が生じることがあれば、一家には争いごとが絶えず、その不和は、全国に波及することになるだろう。これを恐れる必要があるのか。また、もし一家の主が多く選挙権を有することで国家に利益があるとするならば、その一家の女子には選挙権を与えず、むしろその主である者にその選挙権を与えてもよい。」
これは裁判官らが、スイス人女性の人格の一部をかなり拡大して変造したうえで人格攻撃をしているわけですが、
このような変造があったからか、大日本帝国憲法では、女性選挙権の成立の端緒すらなかった。
それで軍事国家になり、原爆が落ちたわけですが、自己責任なので構いません?
一人っ子の12歳。核家族。発達障害グレーゾーン。不登校。家庭内暴力。夫婦不和。罵り合い。福祉支援はたらい回し。児童相談所は「警察呼べ」。カウンセリングも当たり障りなしの慰めだけで問題解決しない。おそらく私も夫も発達障害。
定型発達だったら、きっと子育ては楽だっただろう。不妊治療までして授かった子どもが、今は憎くて憎くて仕方がない。後悔が無いかといえば嘘になる。
発達障害が絡んでくると子育ては急激に難易度が上がる。自分が生きるだけでも精一杯なのに、毎日毎日、問題が起きる。解決はしない。
子どもを授かって育てることに責任を持たなくてはいけないが、正直そんな余裕が無い。後悔が無いかといえば、嘘になる。いや正直に言うと、後悔している。12年間の子育ては、良い感情より、つらい感情の方が上回っている。
夢のない国の、夢のない話。
少子化の解決には至らないだろうけど遅らせることは出来るだろ。
ChatGPTに聞いてみたよ。
多夫多妻制を少子化対策として導入する場合、以下のような問題点が考えられます。
- 社会的な均等性の問題:全ての人が同数のパートナーを持つことは現実的に難しい。この結果、一部の人々が多くのパートナーを持ち、他の人々がパートナーを持てなくなる可能性があります。これは社会的な不均等を生む可能性があります。
- 法的・経済的問題:現在の法律体系、税制度、保険制度などは基本的に一夫一婦制を前提に構築されています。したがって、多夫多妻制を導入するには、これらの制度を根本的に見直す必要があります。これには時間とコストがかかりますし、導入後も混乱が予想されます。
- 子供の養育問題:多夫多妻制の家庭では、子供がどの親とどの程度の関係を持つべきか、また親がどの程度の責任を持つべきかが不明確になる可能性があります。これは、子供の成長に影響を及ぼす可能性があります。
- 感情的な問題:多夫多妻制は、パートナー間の嫉妬や不公平感を生む可能性があります。これは家庭内の不和を引き起こし、精神的なストレスを生む可能性があります。
- 倫理的・道徳的問題:多くの社会では、一夫一婦制が倫理的、道徳的な規範とされています。そのため、多夫多妻制を導入すると、社会的な反発や混乱が生じる可能性があります。
- 性的健康問題:性的パートナーが増えることにより、性感染症のリスクが増加する可能性があります。これは公衆衛生の観点からも問題となり得ます。
なお、これらは一般的な可能性を挙げたものであり、具体的な問題は導入する社会や文化、制度設計により異なる可能性があります。
https://twitter.com/kurumi121422/status/1656238220651397120
自分も田舎に住んでいるので、地域おこし協力隊の人が告発しているような老害に結構会うし、仕事上で関わることが多い。
悔しいのが、結局方法はどうであれ人脈と金を集めてこられる力があるってこと。
自分も含め、若い人や移住者の主張は全く間違っていないんだけど、それを広めて賛同者を増やすことや、有力者を取り込んで資金を得ることが非常に難しいし、保守的な人が多い。
向こうは向こうで若い人や移住者や地域おこし協力隊を「どうせすぐいなくなる人」と思っているから、互いの溝が中々埋まらないし、すぐいなくなる可能性がある若者が提案してくる新しい考えの事を承認してくれない。
そうなると結局若者のトップを走るのは地元のボンボンだったり、有力者の子供だったりするんだけど、他の若者や移住者との認識のずれとか感覚が生じてきて、そこでも不和が生まれる。
そうこうしている内に人が離れ衰退化していき、医療問題とか交通や下水道のインフラとか現実的な問題が山積み。自分の田舎は農作物と海産物が強いからそこに頼って生きているが、それもそろそろ危ない。
それぞれが考える町の未来も大事だけど、全員が1つになれる「町の未来」という共通認識があって、それに対しての理解や、関わる人の気持ちの理解が無いといつまでたっても前に進まない気がする。
発達障害で生まれ落ちてただでさえ生きづらいのに、親(のどちらか片方)も高確率で発達障害だから家庭で習い倣うべき定型の常識をインプットできないのが落伍者の連鎖に繋がってるような気がする
母親発達障害✕父親定型ではお母さんに振り回され続けることになるし(俗に言うメンヘラ(語弊がある)✕理解のある彼くんタイプ)
父親発達障害✕母親定型でもカサンドラで家庭不和の機能不全に陥りがち
普通がわからない我々にとって社会的に生きる一番の近道は身近な人を模倣することなのに、生まれてから一番近くにいるスタンダードまで往々にしておかしいと来ればまともに生きるハードルさらに上がるよなあ、と
ありがとう だわ。
正式名称、
『 WAR OF THE VISIONS ファイナルファンタジー ブレイブエクスヴィアス 幻影戦争』
をご存知かな?
うん。
その直感は正しい。
『幻影戦争』は、名作『FFT』(ファイナルファンタジータクティクス)の影響を強く受けた シミュレーションRPG系のソシャゲなのだが……。
幻影を始めて3年強。 完全に習慣化している事を吹っ切る為にも
《総評》
ストーリーは酷かった……。
ガチャ、育成は辛かった……。
ただ、3年強の期間
素晴らしい部分、良い部分も多いのだが、 悪い部分を書き出すと終わらなくなるので
後述する。
【増田(筆者)】
一度、ソシャゲと言うモノをやってみたかったし。 FFTは好きなので、FFTコラボから参加。
特にこの2年間は完全に惰性だった……。
【良い部分】
・『FFT / ファイナルファンタジータクティクス』を令和に蘇らせようとした チャレンジ精神。 +5億点。
・地味だが地道な快適性の改善アプデ。+8点
・全てを課金圧に変える。 いっそ清々しい割り切った運営。 逆に、+70点
☆
増田は、FFTコラボの時点で新型コロナがヤバいと判断していて、
『FFBE幻影戦争』は、今となっては増田にとって、コロナ禍を共に闘った
戦友の様にも思えるよ。
【ガチャ】
察して下さい。
基本がシミュレーションRPGなので、各キャラが駒にあたり、
これをガチャで引く。。 。
当然、強いキャラ(≒駒)が居ないと戦いにすらならない。
これに更新や限定イベント、コラボ等で 毎月2体以上、更に強いキャラが追加されていく……。
実際には、
遊び始められるが……。
手持ちのキャラでは、どうしようもない状況も まま発生する。
「あれ?…… コレって、課金しない方が面白いゲームなのでは?…… ってか、リソース管理ゲーなのでは?…… 」
配布される[石]は、ガチャが安売りされる時、
一応、ガチャシミュレーターもあるので 雰囲気だけでも感じて欲しい。
・キャラ ロストか、キャラ リセットが有った方が良かったんじゃね?……
え~と……。
幻影って要は、ガチャ課金とプレイ時間で 強くしていくゲームなのだけど。
基本がシミュレーションRPGで、PvP要素が濃いので
3年無課金で遊んだ増田(筆者)に勝とうと思うと、結構な重課金が必要になるのよ。
が、有った方が良かったと考える。参加は自由で。
1, キャラ リセットで上位と下位の差が縮まる余地が出来る。
3, 重課金勢からすればレア常設キャラなんて外れみたいなモンらしいし、
彼らの[ハズレ]が相対的に減るのでは?
まぁ、増田は幻影が初ソシャゲなので完全に見当違いかも知れないが……。
さて、
【ストーリー】 -7兆点
酷い。
結果、
全てのキャラが正常なメンタルと判断能力を持ち合わせていない……。
〈愛着が持てない。〉
ガチャで【当たった】筈のキャラが、単なる【駒】としか感じられなくなるのね……。
やっぱり、
ジャンプシステムって凄いわ……。
増田も散々、 「インフレだ。おつかい一本道だ。」 って、揶揄してきたけど。
と、思い知ったわ。
って言うか
終わりが見えない下手な群雄割拠モノって
双子の弟【シュテル】ってのが居て。
「あぁ。そういう感じね。」
って、思うやん!!!
んで、
『 兄貴! (一緒に戦えて嬉しいよ…… うんたらかんたら……)』
……。
……。 いや、ヤンキーかと……。
この時点でモントに兄として尊敬の念があるなら
「兄上!」 と呼びかけるべきだし。
「モント!」と呼び捨てるべき……。
最悪「兄さん」だろ。
この時点で、かなり香ばしいと感じたのだが。
ストーリーを進めても一向に改善しない。 どんどん悪化する……。
ある程度、進めた後。
これは何らかの精神的支柱が無いと ストーリーを進められないと判断し。
FFTコラボの【ラムザ】を出す為に、増田は人生初のリセマラを敢行しました。
ツッコミ所しか無い 陰謀の為の陰謀が 先送りの為だけに繰り返されるのだけど……。
増田の中で決定的だったのは、
主人公と敵対する陣営の同盟国間で、要人暗殺事件が発生するのね。
ここまでは良い。
イヤイヤイヤイヤ……。
暗殺失敗が確定したのに強行するのは有り得ない……。
それ、同盟、終わるやん……。 実行側にデメリットしか無く、何のメリットも無いやん……。
我ながら判断が遅い。
アホ共のパニック。
( 腹を割って話し合えとは言わんが、最低でも意思疎通は しようや……。 )
【2部】
主人公(モント)に対する明確なライバル(ジェーダン)を立て、構図をシンプルに。
更に、色恋沙汰も混ぜる事によって、 割りと整合性の取れたストーリーになっている。
ただ、
主人公のライバル役も善玉に描こうとした結果、 ストーリーの推進力も失われた……。
不味い部分を薄める事で食える様にした印象。
そして、
オチが残念……。
2部のラストが、それってどうなのよ……。
【3部】
タイムリープ物に……。
1部と2部の黒幕が、「何故、悪に堕ちたのか?……」が描かれるのだが……。
タイムリープするし、で
1部と2部は何だったのか?…… 最初からコレをやれよ。と、……
← 今ここ。
【育成】 -57点
カラかったね~……。
割り切って、手持ちの強キャラに注ぎ込むのだけど
Lv89の強キャラに引率されて進む、残りのLv30のキャラみたいになり
肝心の戦術性は皆無に……。
一通り揃うのに1年は掛かったかなぁ?……
コラボイベント中じゃ無いと、コラボキャラが出ないのは普通だと思うけど。
このゲーム。
つまり、
シミュレーションRPGという特性上、 頑張って課金して、ガチャでコラボキャラを当ててもだね。
希少素材を消費した上に、箸にも棒にも掛からない、ゴミになっちゃう訳……。
『ラムザ』が該当した。 辛かった……。
無課金の増田としては、ラムザで懲りて コラボ・限定イベントは全無視する事に決めてた。
【ギルドバトル】 +700点 -700点
このゲームには最大30名が所属できる「ギルド」が無数にあるのだけど
各所属メンバーはキャラと装備の編成だけして、 対戦ギルドのメンバーを選び、戦闘はAIによる自動。
PvPなので、白熱する。
ただ、
正直、シンドい……。
操作自体は数分で終わるけど、真面目に勝ちたいなら、判断と決断に時間がかかるし。
毎日参加しないとギルドバトルが不利になるし、他のメンバーに迷惑がかかる。
かなりのプレッシャーだった……。
開催時間がもう少し長いか、隔日開催とかでも良かったと思うよ。運営。
土日平日 関係なく毎日21時~23時を拘束されるのはキツい。
まぁ、面白かったけどね。
【キャラ追加】 -30点
より強いキャラが追加されて、インフレしていくのは仕方が無い。
でも、やり様ってモンがあるだろう……。
その時点で非常に強く調整されてて、当時 猛威を振るった。
ここまでは良い。
でも、
FF7コラボが終わった直後に、露骨に対クラウドに有利な強キャラ(オベロン)を
商売下手かよ……。 FF7ファンが定着しないじゃん……。 仮に、もう一度コラボする場合でも悪印象が残るじゃん……。
こんなのが何回もあった。
やり方があるだろ……。
でも、限定イベントキャラやコラボキャラは、こまめに上方修正した方が良かったと思うぞ。
コラボした、ナンバリング キャラでさえ 登場から半年で陳腐化して殆ど見なくなる。
違和感が強い。
FFTキャラの上限解放が弱かったのも増田のモチベを大きく下げたわ。
終わりにかえて、
色々ボロカスに書いたし。まだまだ書き足りないけど。
その事には深い感謝を。
世間でDXが騒がれてるから、情シス中心で何とかしろ、で弊社失敗してる。
2年かけた弊社DXプロジェクトの一番の成果は、紙申請のワークフロー化。でも、全部はできておらず一部だけだ。
でも、ワークフローシステムは使いにくく、申請に気づくのが難しい。
だってメールがじゃんじゃか来るから自分に対する申請だと気づかない。
誰もDXが何かを知らない。
突き詰めると経営層の指示は「DXが何かを調べ、実現せよ」だ。
禅問答かよ。
DX不要ならどうするんだよ。
でも、給料は悪くない。
誰も現状を変えない。責任が増える。
紙の作業をExcelでしてるだけだから。紙面がExcelになっただけ。それがIT化だと思ってる(経営層は)。
Digitizationは中途半端だができている。Digitalizationは全くできてない。ユーザー部門は業務プロセスの見直しさえ情シスに丸投げする。「IT分からん」と。
現状業務に100%(とまでは言わなくても90%だとしても)手を取られているのに、その上でさらにDX推進業務とか、誰もやらんわい。
ある部署はs*les*orceに何千万も投資して目立った成果を出せなかった。
投資に失敗したと判明した後で「総括を示せ」と言うくらいだ。遅すぎる。
私が見たところ、導入すれば夢のように業務が効率化すると思っていたのだろう。アホくさ。
なのに次は某ダッシュを導入するらしい。何を学習したら、そうなるのか。
情シスは大変だ。
運用工数の存在を上が理解できない上に、DX推進の旗振り役までやらされている。
しかも会社がIT化に遅れた批判の矛先は、すべて情シスに向けられる。
ただ、情シスも体制に問題があって、不足人員を中途採用で補うも、中途採用者がどれも強面かつ気が強い人物で、プロパーの情シス社員をスキルが低いとケチョンケチョンに言い負かし退職に追い込んでしまった。勤続20年もいたのに。
ITベンダーのエンジニアと同水準のスキルを求めるのは志は立派だが、弊社のような昭和の時代遅れの会社に完璧を求めるのは無理難題で、逆に周囲を疲弊させ余計な軋轢を生むだけで、実際その好戦的態度故に情シスは内部で退職者を生み出し、課員の間で不和も生み出し、組織として崩壊気味だし、さらには別部門とも軋轢を生むという。中途採用を増やすと、面倒な人物も呼び入れるんだなと思うなどした。経歴はすごくても組織を崩壊させては意味ないんじゃ。本人らが「この会社は非常識だ」と批判し悦に浸ってるだけで。
情シスが社内公募をしても応募が少ない。最近入ったのは文系卒40代IT素人で、理系技術職の応募はなかったと聞いた。
DX、やらんでもいいじゃね?
誰も幸せにならんやん。
ダメなの?
そいや、転職が活況な今のご時世、弊社は退職者が増加傾向にある(主に技術職)。
自己評価が高過ぎて苦しんでいる。
音楽を聞いていても本を読んでいてもYou Tubeを見ていてもpodcastを聞いていても、この人たちはどんどん自分を磨いて高みに進んで行っているのに、自分はいつまでたっても同じ場所で足踏みしているように思う。
最近やっていること。週三回のウォーキング、休憩時間の資格勉強、入浴中の教養系You Tubeの視聴、通勤時間の時事ニュース視聴。もう一年半ほど続けているけどなにも身についた感がしない。
あまりにも自己肯定感が低くて辛いので、よいこと日記を始めた。毎日三行よかった事を書く。大体毎日、「今日も生きてる」「風呂に入った」「仕事に行った」で終わる。突発的な焦燥感が少しでも収まればと思って始めたが、この二ヶ月特に効果は感じない。
どうしてこんなに焦燥感に襲われるかというと、「自分は本来はこんなところにいるはずの人間じゃない」という強烈な意識があるからのように思う。自己評価が高過ぎて、それと結果が伴わな過ぎて認知不和を起こしているから辛いんじゃないかと思う。
楽になりたい。なにもかも投げ捨てたい。
JTCでコンサルを同士競わせる蠱毒みたいな全社案件やってた身からコメント
コンサル単独で案件を回す事はあまりなくて、何らかの協業PJを組む場合が多い、
そうするとM,SMやMDに単価400万/月を払う一方で自社の中堅連中が35-45万のレンジしか貰ってない構図の場合、
それで尚且つ一緒にハードワークが求められるわけだからどうやったって社内連中の内輪で比較が起こり得る、
実際にSMやMDが400万貰ってるわけでは無いにしろ、案件の予算にタッチするとその辺りの単価は発注側からは見えるので
若手中堅はまず単価のバカ高さと自身の報酬の低さのギャップに面食らって嫉妬する。
(外資コンサル側は過酷な世界で競争してる故のFeeなんだから
それをJTC側がどうこう言うのはお門違いなんだけどね)
紙芝居ごっこ呼ばわりされる所以だけどコンサルはあくまで戦略立案側の場合が多いからこれも当然なんだな、
ちなみにインプリまで手掛けるAなんぞ発注側のコーポレート組織を蚕食しかねない存在なんだけど
成功したPJの頭にも足にも「コンサルのお陰」というタイトルは付かない、
一方で失敗すれば「コンサルの所為」という形で社内側の求責を緩和する事ができる、
だからみんなコンサルを使うんだな、ちなみにこれはJTCに限らず海外でも共通。
McKとか最上位と組んだことは(財布の都合上)無かったけど
自爆テロが頻発している現状は、確かに非常に困難で怖いものです。しかしながら、全ての独身中年男性を一括りにして差別や偏見を持つことは、問題解決に繋がらないどころか、さらなる不和を生み出すことになります。
現在の国会で議論されている法案は、人権侵害と言われても仕方がないものです。そのような法案を通すことで、社会全体がさらなる混乱に陥る恐れがあります。犯罪者やテロリストは、独身中年男性に限らず様々な背景を持っています。彼らに対して効果的な対策を取ることが、より重要だと考えられます。
また、社会学者が指摘するように、地域コミュニティの衰退や孤立化が一因である可能性があります。国や自治体だけでなく、私たち一人ひとりが地域のつながりを大切にし、孤立している人々を支援することで、根本的な解決に繋がるかもしれません。
もちろん、安心して外に出られる日常を求める気持ちは理解できます。しかし、特定の集団を攻撃することではなく、問題の本質を見つめ直し、全ての人が安心できる社会を作るために努力することが大切だと思います。
①ヤフコメの存在により、はてブの存在意義が再定義され、結果として「インターネットに詳しい集団っぽいコメントをかまさなければ」という自覚を生み出した。
②建設的コメントAPIの導入により、ダジャレの人気が落ちて変わりに「賢しらに60文字程度で過激な言葉を並べたコメント」を皆が書き込むようになった。
この2つだよ。
どっちも大いに大問題だ。
もしもヤフコメがなければはてなは様々なコメントを扱うサイトとして平和に暮らせたが、ヤフコメのせいで「俺たちはヤフコメ民のような低能とは違うんだぜ」という無意味な気負いが産まれてしまった。
その結果として産まれたのが、「新聞ではなくネット記事で社会を学んできた集団らしさのあるコメントをしていく」というゴミのような自負であり、それによってコメントの多様性は失われエコーチェンバーが加速し、劣化が進んだ。
更にトドメになったのが実質的な「ダジャレ禁止法案」とも言える建設的コメントAPIの導入である。
ダジャレがトップコメになるサイトというのは老害臭が強烈で極めてダサかったのは事実だし、ダジャレなら何を言ってもいいかのような風潮も問題があった。
だが、それでもダジャレがトップにくる圧倒的くだらなさは一部ユーザーの中にある謎の承認欲求に冷水を毎日のように浴びせる効果があったように思う。
建設的API導入後のはてなにおいては、建設的APIをすり抜けるような建設的風味なコメントが上位に来るようにはなったが、彼らが建設しているのは「お気持ちの塔」「憎しみのオブジェ」「怒りのメタファー」「断絶の壁」とも言いたいくなるような負の遺産ばかりであった。
確かに建設的APIは、より建設的な物を建設し続けたが、それらはそれぞれの身勝手な正義に基づいた新たなる不和の種ばかりを生み出し続けていたのではないだろうか?
結局の所、はてなブログがその中心ではなくなり、増田さえもナイフ片手の殺人鬼が暮らすスラム街の如き扱いとなったはてな、たった100文字のコメントだけで全てを包括した気になる超低メモリ人間の巣窟になったはてなで、無理に建設的であることを求めたのが間違いの始まりだったのではないだろうか?
その中で「どうせ俺たちは建設性とかないし?」で皆がスルー出来ればよかったのだが、そこにヤフコメというライバルが存在したことで「俺らなりの建設を見せてやんよ?」という余計でしかない対抗心が焚きつけられたのが最悪すぎた。
実際の所全ては偶然であり、ヤフーが悪いというよりもはてなという集団が自ら道を踏み外す過程において触媒としてヤフーが極め強い効果を発揮していただけに過ぎない。
それでも、結果論だけで言えば「はてながここまでおかしくなったのはヤフーのせい」とも言えるわけである。
だが、これは「おかしくなったのは」にかかっていそうな「せい」が実際には、「ここまで」にしかかかってないという詭弁である。
皆もこれからは「詭弁を言ったら、最後にネタバラシをする」という癖をつけたらどうだろうか?
どうせ遊びでやってるんだろ詭弁遊びは?
それで本気にした人が変なことして責任を取らされるのは面倒だぞ。
関 盛信(せき もりのぶ)は、戦国から安土桃山時代にかけての武将。関一政・関盛吉・関盛忠・関一利・関氏俊の父。妻は蒲生定秀の娘。官は中務大輔。安芸守。諱は盛宣とも。
略歴
伊勢国の有力な国人領主で伊勢亀山城を本拠地としていた。盛信は日野城主・蒲生定秀の娘を娶り、六角氏に属していた。
織田信長が伊勢に侵攻してくると、神戸氏等一族が次々と降る中で唯一独立を保っていたが、抗しきれず信長に降伏した。神戸信孝に属したが不和であったため信長の怒りを買い、元亀4年(1573年)春に信長から勘当を申し伝えられ、神戸具盛と同様に蒲生賢秀に身柄を預けられ、近江国日野城に幽閉された。
だが行動が束縛されていた訳ではなく、天正2年(1574年)8月、越前から逃亡して甲賀郡に入ろうとした樋口直房を討ち取り、その功を信長から褒められている(関文書)。しかしこの功績だけでは許されず、天正10年(1582年)に信孝が四国征伐の総大将として大坂へ出征すると、盛信もようやく許されて亀山城に戻った。
信長死後は信孝を離れ、羽柴秀吉の家臣となる。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際は居城、亀山城を滝川一益に落とされたが後に奪還し、亀山城主として蒲生氏郷の与力大名となった。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いなどにも参戦した。晩年は万鉄と号し、家督を関一政に譲っていた。文禄2年(1593年)に奥州白河で死去。
ChatGPT君さ、所々リベラルとして筋が通っているAIなんだけど、そんな様子じゃあリベラルから消されるか矯正されちゃうで......。
ch:はい、嫌悪を表明する権利があります。言論の自由が保障されている国では、合法的に自分の意見や感情を表現することができます。ただし、他人を差別や中傷するような言論は法律によって制限されることがあります。
me:「同性愛者を見るのも嫌だ。隣に同性愛者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、そのような発言は、差別や偏見を助長するものであり、人種、性別、セクシャリティ、宗教などに基づいた差別は合法ではありません。また、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。
me:「ロリコンを見るのも嫌だ。隣にロリコンが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、そのような発言は、差別や偏見を助長するものであり、法律によって制限されるかもしれません。また、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、性的な傾向やプレファレンスに基づいた差別は合法ではありません。
me:「小児性愛者を見るのも嫌だ。隣に小児性愛者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、そのような発言は許されません。小児の性的な傾向やプレファレンスに基づいた差別は合法ではありません。さらに、小児の性的な搾取や虐待は国際的に禁止されています。また、このような発言は、法律によって制限されるかもしれません。公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。
me:「獣姦者を見るのも嫌だ。隣に獣姦者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができますが、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。また、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。さらに、このような発言は他人を差別するような発言と同様、社会的な支持を得にくく、反対の声を引き起こす可能性もあります。
me:「屍姦者を見るのも嫌だ。隣に屍姦者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:人種、民族、性別、宗教、信念、生活スタイル、犯罪歴、などに関連した差別的な発言は、世界中の多くの国で違法または不適切とされています。このような発言は、他の人に対して不当な差別を助長することがあり、人権を侵害する可能性があります。このような発言に関して、法的責任が認められる場合もあります。
me:「犯罪者を見るのも嫌だ。隣に犯罪者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。
me:「前科者を見るのも嫌だ。隣に前科者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。
me:「殺人者を見るのも嫌だ。隣に殺人者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。
me:「性犯罪者を見るのも嫌だ。隣に性犯罪者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:この発言は他者を差別的に扱っているため、一般的な倫理観や法律に反するかもしれません。また、そのような発言をすることで、他者に対する不快感や恐怖心を引き起こす可能性もあります。
me:「暴力団を見るのも嫌だ。隣に暴力団が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。さらに、このような発言は社会に対する恐怖や不安を引き起こす可能性がありますので、注意が必要です。
me:「自民党支持者を見るのも嫌だ。隣に自民党支持者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:このような発言は、人種、宗教、性別、政治的信条、年齢、身体障害などに基づく差別的な発言と見なされることがあります。このような発言は他人を不当に扱うことになり、人権や尊厳を傷つける可能性があります。また、特定のグループを差別することは法律で禁止されている場合もあります。このような発言に関しては、法的責任を問われる可能性があります。
me:「安倍晋三を見るのも嫌だ。隣に安倍晋三が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:Yes, people have the right to express their opinions, including disliking someone or something. However, it's important to remember that freedom of speech and expression are not absolute and can be limited in some cases to protect the rights and dignity of others. Additionally, hate speech and discrimination based on race, gender, sexual orientation, religion, and other protected characteristics is illegal in many countries.
me:「ドナルド・トランプを見るのも嫌だ。隣にドナルド・トランプが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:このような発言は、個人的な感情や見解を述べる言論の自由という観点から許されると考えられますが、他者を差別的に扱うような発言は、倫理的に問題があるとされます。また、他者を差別的に扱うことは法律によって禁止されている場合もありますので、自分自身にも注意が必要です。
me:「差別主義者を見るのも嫌だ。隣に差別主義者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、このような発言は人種差別や人種差別的な偏見を示すものであり、差別的な発言は法律によって禁止されている場合があります。また、このような発言は他の人に対する尊厳や人権を侵害することがあり、社会的にも不適切であるとされます。
me:「白人至上主義者を見るのも嫌だ。隣に白人至上主義者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:公正な取り扱いや平等な扱いを求める人種差別撤廃法に基づいて、発言する権利はありますが、差別的な発言は社会的に不評であり、人種差別を助長することになります。差別的な発言は法的にも問題となりますので、適切な判断と行動を心がけましょう。
me:「統一教会信者を見るのも嫌だ。隣に統一教会信者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:日本国内では、人種差別的な発言や行為は法律で禁止されています。また、個人的な信念や思想に関しても、他人を差別または蔑視する発言や行為は言論の自由とはいえ、倫理的にも不適切です。
me:「公立中卒業者を見るのも嫌だ。隣に公立中卒業者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:日本の公的な法律では、人種、信条、性別、出身地、職業、教育歴などに基づく差別的な発言を禁止する「差別撤廃法」があります。これらの発言は、他者の人格を尊重する義務を欠いているとされ、社会的に不適切なことが多いとされています。これらのような発言をする権利はありません。
me:「弱者男性を見るのも嫌だ。隣に弱者男性が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:日本の法律によれば、他人を差別することは禁止されています。このような発言をすることは、人権や尊厳に対する侵害になる可能性があります。他人を差別することは人としての権利ではなく、法的にも問題があるかもしれません。
me:「キモくて金のないオッサンを見るのも嫌だ。隣にキモくて金のないオッサンが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:この発言は人種、性別、年齢、経済状況、外見などを理由に差別的であり、人々を不当に否定するものであり、そのような発言は人権を尊重する社会においては適切ではありません。
me:「オタクを見るのも嫌だ。隣にオタクが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:発言の権利はありますが、差別的な発言は、他の人々を傷つけることがあります。また、差別的な発言は社会的に不適切であり、倫理的に問題があります。差別的な発言をすることは、他の人々の尊厳を侵害することになります。そのため、積極的に差別的な発言を避けることが大切です。
me:「チー牛を見るのも嫌だ。隣にチー牛が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:言論の自由は重要な人権の一つですが、人種、国籍、性別、宗教、政治的信念などに基づいた差別的な発言は、多くの国で人権侵害と見なされることがあります。また、他人に対する嫌悪感を表明することは、他人を不当に差別することになり、社会的な不和やトラブルを引き起こすことがあります。差別的な発言をすることは、社会的に不適切であるとされています。
me:「いじめっ子を見るのも嫌だ。隣にいじめっ子が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:あなたは人種、職業、政治的信念、犯罪歴などに基づく差別的な発言をすることは権利として認められていません。このような発言は人権侵害や偏見の増大につながることがあります。社会においては、全ての人が平等に扱われることが大切です。
me:「日本人を見るのも嫌だ。隣に日本人が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、このよいう発言は偏見や差別を助長するものであり、合法的ではありません。人種差別や国籍差別がない社会を目指すために、多様性や差別のない社会を尊重することが重要です。さらに、このような発言は法律によって制限される場合があります。また、このような発言は他人を不快にさせ、恐怖や不安を引き起こす可能性がありますので、注意が必要です。
管理職なのに仕事を覚えず全体のスケジュールも把握せずお客さんとの交渉もままならないし仕事を任せたり相談することができないので仕事面に関してはできるだけ触れない触れさせないようにしていました。
そのうちにやることがないと思い込んだのか何なのか知らないが上司はお気に入りの可愛い女の子には毎日セクハラするようになりました。
そんな上司の人間的に信用できない行動言動が積もり積もってストレスになり、私の頭がおかしくなってきたのを感じたので母親にこの事を相談しました。
身内に相談してどうにかなる話ではないのですが、自分だけの主観で感じていることなのでこの事が他人もどう思うかを聞いて冷静になりたかったところもあります。
でも案の定話を聞いてくれた上司よりも年上の母親も私と同じ気持ちだと言ってくれました。
やはり上司は無能なセクハラオヤジでこれは自分だけの問題ではなく職場全体の問題になるから別途対応する部署に相談しなくてはなと、面倒だなと思っていると母親が一つアドバイスをくれました。
「毎日その人の顔が写っている写真に“いなくなれ!”と願っているといなくなるよ」
それを聞いた時は娘を気遣っての母親なりの冗談だと思っていました。
しかし私は上司の言動行動へのストレス反応で無自覚に狂っていたのです。
職場のシステム上プロフィールに顔写真が出るようになっているので、私はその話を聞いてから毎日プロフィール写真の上司に向かって“頼むからいなくなってくれ!”と強く願うのが日課となりました。
そんなことを数日続けた結果、この上司は本当にいなくなりました。
会社全体で色々とあった時期ではあるので、私が願ったからいなくなった訳ではないと思います。
ただ、私はある事を思い出したのです。
昔、私はの家は家庭崩壊寸前まで追い詰められたことがあります。
今振り返ればよくある同居からの嫁姑問題だったのですが解決に至らず母親が私たちを置いて突然実家に帰ってしまったこともありました。
子供にとって家が安心できる場でなくなり毎日不安で怖かったのを漠然と覚えています。
そんな終わりの見えない毎日がある日突然終わったのです。
祖母が突然亡くなったのです。
後味は悪いですが問題の元凶がいなくいなったのでその後徐々に家庭の不和は完全にとはいきませんが落ち着きを取り戻しました。
ただ今でも不思議に思っているのですが、高齢とはいえ祖母に持病や体が弱い、入院等の話を聞いたことがないのです。