「休み」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 休みとは

2018-01-19

35歳を過ぎて結婚していない人が難ありだと言われるのが辛い。

表題通りだ。私は29歳だから、まだ35歳ではないけれど、その上限が30歳の人もいれば、27、28でそう思う人もいるだろう。

私は、普通に生きていて、好きな仕事をして働いて、信じられる友達もいて、社外のビジネスパートナーもいる。毎日楽しいし、仕事向上心を持ってやってる。お母さんのことも、妹のことも大好きで、長期休みは毎回帰省する。そのたびに、地元友達と会うのが楽しみだ。地元を離れて5年ほどたつが、それでも変わらずに仲良くしてくれる友人たちがいること、帰省のたびに涙が出るほど嬉しくなる。

楽しんでいるのに、これまでの人生に満足しているのに、なぜ難ありと言われなければいけないのだろうか。難って、なんだ。

私は、このままの人生を歩んでいたら、結婚しなければ、社会腫瘍にでもなるのか?そんな暗い未来を頭の隅で考えながら生きていくなんてごめんだ。

はいま、人生を楽しんでいる。仕事を通じて、社会貢献もしている。

結婚は、いいものだと思う。

結婚したいと思える人がいるのは幸福だろう。

でも、だからって独身に対してひどい価値観を持ってる人が多過ぎやしないか

学生が終わるとき社会人になるのが怖かったけど、実際なってみたら楽しかった。

20代になるのも怖かったけど、なってみたら楽しかった。

長らく処女なのがコンプレックスだったけど、はじめてセックスをしたとき、「そんな、そこまで処女とか気にしなくてよかったんじゃん」と思った。

大人になるほど、今のところ人生はどんどん豊かになってきている。

これから、30代で独身のままだとそうはいかないのか?本当だろうか?本当に?

これから先の人生も、もっと明るい未来が待っていてほしい。

anond:20180119200414

高能なら説明せずとも理解できるだろ、単芝生やしてごまかしてんじゃねえよ低能

レッテル貼りとか話題外してくる辺りの付け焼き刃加減はお笑い種だぞ低能

もう終わってんだよお前は、「やらかした~」って思ってんなら素直に吐きな、明日休みから許してやらんこともないぞ、低能

夜勤仕事始めたんだけど。

ホテル夜勤仕事始めた。

18:00〜9:00くらいまでで仮眠休憩あり。

もともと夜型な感じだけど、体に負担かかってるなとは思う。

で、睡眠時間かについて色々調べたら、

最適な睡眠時間は3時間だとか、8時間だとか、

武井壮は45分睡眠だとか、

時間睡眠続けると体に負担かると

もうなんかめちゃくちゃだし、

よく考えたら、普通に昼間働いてた時も寝れない日とかあったし、休みの日は1日寝てたりする事もあったし

なんかどうでもよくなってきた。

取り敢えず眠い時に寝れば人間大丈夫なんじゃないか

夜勤明けに光合成もできるし。

眠いけど眠れない

デスクワークフリーランスだ。

今月は毎日タスクが詰まっていて、まともに休みがない。

体力がなくなって疲れが溜まっており、眼精疲労を感じることも多く、ゆっくり眠りたい。

しかし、よく眠れない。

まず、眠くなって横になってもなかなか眠れない。脳のスイッチが切れないというか、雑然とした思考が止まらなくなってしまい、数十分〜一時間以上眠りに落ちないこともよくある。

睡眠導入剤使用しても、「眠い」という段階までは加速するのだが、最後スイッチがなかなか切れない。

そして、睡眠時間が短い。

私は睡眠が長く、標準で8時間寝る事を基準としている。

しかし、このスイッチの切れない状態を経由すると4〜5時間で目が覚めてしまい、身体回復しない。

眠りが浅い時は決まって夢を見るのだが、大抵が悪夢なので気も休まらない。

連鎖して昼前に眠くなってしまう。

このループが抜け出せずに困っている。

睡眠環境が悪く(昼間は常時トラック乗用車エンジン音、扉の開閉音、人の話し声という騒音が絶えない。また、仕事柄昼間に寝ることもよくある)スケジュールが途絶えないストレスもあるだろうが、手軽に脳のスイッチを切る方法はないだろうか

毎日気絶するように眠りたい。

anond:20180119122740

あれに乗っかってんの、殆どがこれを口実に飯作り休みたい主婦だと思うが

いじめを乗り越えた「3つの掟」

これは俺の体験談だ。

俺は中学生の頃、いじめられていた。

殴られたり金を取られたり、物を捨てられたりしたわけではない。ある出来事きっかけで、友人グループから仲間はずれにされた。そこにいるのに無視された。聞こえるところで、でも直接ではなく、悪口を言われることが増えた。不名誉あだ名を付けられ、近くを通るたびにそのあだ名でヒソヒソ呼ばれたりもした。

そんなのいじめじゃないという意見もあるかもしれないが、当時の俺にはつらかった。もしかたらこのまま学校に行けなくなるかと思った。


だが俺にはそうすることはできなかった。

代わりにいじめを乗り越える3つの掟を決めた。それを心の中で唱えながら残りの中学生活を耐える道を選んだ。


1. 「人の悪口を言わない」

2. 「いじめてくる相手をとにかく避ける」

3. 「ひたすら勉強する」


1. 人の悪口を言わない

いじめてくる相手と同じことをしても意味がないと思った。悪口をこぼした人から噂が伝わって、またいじめられるかもしれない。絶対いじめてくる相手への不平を漏らさないことにした。いじめの原因となった出来事は、俺にも悪いところがないわけじゃなかった。だからそんなことをしたら余計に火がつくと思った。誰にも、何も言わなかった。親や教師相談するなんて言語道断だった。

2. いじめてくる相手をとにかく避ける

相手全員の行動パターンを調べ抜いた。どこを通って登校してくるか。昼休みはどこにいるか部活にはどのルートを通っていくか。それらを全て避けるようにして動いた。遠目に相手の顔が見えると血流がサッと冷たくなり、バレないようにこっそりきびすを返して別ルートに行く。そんな生活だった。とにかく逃げた。そして逃げていることがバレてはいけなかった。おかげで悪口を聞くことが減った。言われることが減ったわけではない。悪口不名誉なあのあだ名も、聞こえなければ言われていないのと一緒だと必死に思い込んだ。


3. ひたすら勉強する

義務教育学生最後に残されたもの勉強だと思った。他の全てを捨てたから、時間だけはたくさんあった。学校の授業を一言も聞き漏らさずに受けた。学校が終わると家でずっとずっと勉強していた。登下校以外家から出たくない。勉強だけしていたい。中学範囲をやり尽くし、高校問題集に手を出した。幸福なことに勉強の内容だけは先が見えないくらいたくさんあった。何も知らない親は、俺が急に勉強するようになったと無邪気に喜んでいた。ほどなく当たり前に成績が付いてきた。それでも心は重たいまま、頭脳けがキリキリ研がれていった。




始業前の教室で手持ち無沙汰の時間が嫌で、でも遅刻寸前になると逆に目立つから、と開始5分前に登校した。休み時間は全て寝たふりで乗り切った。始業のチャイムで目覚めるふりが上手くなった。授業が終わるとすぐに、でも目立たないようにそっと帰った。家に帰ると猛勉強した。そんな生活が続いた。

学校祭や体育祭は裏方役を選んだ。欠席すると余計に目立つからだ。同じように修学旅行も息を殺して参加した。行かなかったら負けだと思った。ただ、所属していたバスケ部は誰にも言わずにすぐ辞めた。狂ったように勉強ばかりしていたので、成績だけは相変わらず伸びていった。幸い試験の結果を貼り出すような学校ではなかったから、誰にもバレなかった。

おかげでその中学からでは考えられないような私立高校に余裕で合格した。だけど目立ちたくなかった。教師絶対秘密にしてくれと頼み込んだ。理由は言えなかった。教師は進学実績に匿名で加えるなら、と約束してくれた。

卒業式。開始5分前に行き、証書を受け取って式を終え、アルバムをもらって最後ホームルームが終わるとバレないようにそっと抜け出してそのまますぐに家に帰った。感慨はなかった。これでやっと中学生活を終えられた。いじめを耐え抜いた達成感ではなく、安堵の気持ちけがそこにあった。


高校では、1つめの掟「人の悪口を言わない」だけ守った。中学の同期が誰もいない環境で、久しぶりに仲の良い友人ができた。嬉しかった。いじめられることももうない。だけどもそんなとき中学時代自分が頭の中に呼びかける。調子に乗るな。人と関わるな。心に刻みつけた掟は、大学に行ってもなかなか消えてくれなかった。


実家の整理を手伝っていたら中学卒業アルバムが出てきて、いろいろ思い出しながら書いたら量の加減がわからず長くなってしまった。これが今いじめられている誰かの助けや参考になるとも思えない。俺も、俺をいじめていた相手も、もう大学もとっくに卒業して普通のオッサンになり働いている。別に今更復讐しようなんて思っていない。あのときひたすらに勉強たから今があると思えば感謝できるくらいだ。だけど俺は、久しぶりに集まった中学同期と「あのときは楽しかったなあ」って言いながら酒を飲むことはできない。それだけだ。

習字教室

同じアパートに住んでた幼馴染、Aちゃんと妹のBちゃん

めちゃくちゃ可愛くて大好きだった。本当に好きだった。Aちゃんがだいすきだった。

Aちゃんのおばあちゃんが習字教室をやってて、そこに一緒に通わない?って誘われて、幼稚園の時から行くことにした。毎週土曜日、13時くらいから15時くらいまで。AちゃんとBちゃんが前の席、私は後ろ。

よく考えなくても当たり前だけど、私だけ他人。AちゃんBちゃんは大好きなおばあちゃんから教えてもらえて、楽しそうだった。私にとっては知らない人だから、すごく緊張した。けど行き始めたし、Aちゃんが大好きだったから通い続けた。

おばあちゃんからしたらそうなるのは当たり前だけど、私よりAちゃんBちゃんをよく見て、指導して、ひいきした。私は放置が多くて、おばあちゃん!増田ちゃんもみてね!とかAちゃんが言ってた。でもしょうがないよね、先生から見たらAちゃんBちゃんは可愛い孫、私は他人なんだよなって子どもながらにぼんやり思った。

習字教室は学区外にあった。通い方は、私は鍵っ子だったので自転車で来て帰る。雨の日は1時間とかかけて歩いて行く。AちゃんBちゃんはお母さんによる車での送り迎えがあった。

初めは気にしていなかったけど、小学校6年間それが続いたのはけっこうつらかったんだと思う。

AちゃんBちゃんは小学校入る前くらいに大きな一軒家に住み始めた。庭のある大きくて綺麗なおうち。おとうさんの趣味だという豪華なキャンピングカーなんかもあった。お金持ちだ。

対する我が家は当時はかなり珍しい共働き。ずっと鍵っ子だった(クラス鍵っ子は私だけだった)。しばらくアパート住まいだったけど、お金が無くなったり色々あって、恐ろしいほどぼろぼろな平屋に引っ越した。風が吹き込み、トイレのドアは薄くて変な木で出来てて勝手に開いた。毎日サバイバル生活ができる家だった。狭くて、二段ベッドの上しかパーソナルスペースがなかった。でもその家は好きだった。夏休み毎日庭でひまわりと一緒に過ごせたから。

普段遊ばない友達が家に来たいというのであげたら、その子は偵察部隊で、うちのボロ屋をたくさん観察して、帰ってお母さんに報告して、私のぼろぼろのおうちの話は一気に広まった。そんなことするひともいるんだなと思った。

AちゃんBちゃんはすごくかわいい。本当に可愛くて、いい子で、大好き。おばあちゃんにも愛されてて、習字の後の筆もお湯で洗ってもらえる。私は他人から洗ってもらえなくて、たまーにAちゃんが増田ちゃんの筆も洗おうよって言って、洗ってくれた。でもほんとうに申し訳なかったから、大丈夫だよ、家で自分でやるよって断ってた。家はお湯が出なくて、水で洗うからたかった。

雨の日、かさをさして歩いて帰るけど、小学生には習字道具が重かった。AちゃんBちゃんは車でばいばーいって私に手を振ってくれた。家の方向が真逆なので、私も手を振って別れた。早く帰らないと寒いし、重いし、冷たいし、風邪を引いてしまう。雨はしとしと降り注いだ。

おばあちゃんの家にはおじいちゃんもいて、そのおじいちゃんは明らかに私に気を遣ってくれた。帰り際、私にだけこっそりぽたぽた焼を渡してくれたり、ある時はナイショで自転車の後ろに乗せて家まで送ってくれた。すごく優しかった。

Aちゃんは私にもいつも声をかけてくれて、優しくて、可愛くて、お菓子もくれて、きをつかってくれてた。おばあちゃんも、きちんと習字を教えてくれた。そのおかげで今綺麗な字を書けている。おじいちゃんも、ほんとうにすごくやさしかった。

そのはずなのに、その頃のことを思い出すとぼろぼろ涙が出てしまう。大好きなAちゃんとの思い出がたくさん詰まってるのに。いろんなお話も出来て、楽しかったはずなのに。

帰路、なんであんなに泣きながら帰ったんだろう。

Aちゃんちはお母さんがむかえに来て、お休みの日は家にお父さんもいたけど、なんでうちはお母さんの休みの日はなくて、お父さんは週に一度、木曜日20から10分、宅配仕事の合間にしか会えなかったんだろう?

しかたないじゃん。お仕事なんだからさ。

がんばっておしごとしてたんだからしかたないじゃん。お父さんのせいじゃないでしょ。私ががんばって我慢すればよかったじゃん。全然会えなかったけど、どこにも出かけられなかったけど、みんな休み明けにお土産くれる中一度もおかえしできたことないけど、仕方ないじゃん。グアムお土産とか貰いっ放しだったけど、夏休みは家と近くの公園を行き来してたけど、しかたないじゃん!

誰も悪くないよ!だれもわるくない!習字のせいにするのやめろ!悪くないじゃん!悪くないのに

そうやって人のせいにする

そういうところ よくないよ

あなた自己肯定感は全くない、もしくは著しく低い。最近、そんなことを言われた。

みんな悪くないのに、この話が原因かもなんて思ってしまう。今思い出しても涙が止まらなくなる。悪いのはこういう解釈しかできなかった私。みんなごめんなさい。元気になローソン

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

卒論

つらくかなしいです。

院に行くことが決まっているので、このままこの研究を続けないといけません。継続テーマ企業も関わってしまって私は逃げられない。このまま2年このテーマを考えないといけない。

何故この研究を選んでしまったのだろうか

まり興味もなく、少しできてしまった。それで続いてしまった

このテーマを一人続け、実験の用意をし、そのために相手方にーメールでお願いをし、金を取るために教授の言うことを聞いて、明確な指導特になく進捗を出せとどやされる。朝登校し、夜帰宅し、ご飯を用意することもできず、部屋は荒れ、休みにはクレーム対応をする。こんなことの何が楽しいのだ。

なんで頑張ってるんだ。こんなのをあと2年もやれるのか

私には出来ない、やりたくない。でも金は払ってしまった、期待がかかってしまった。関係ができてしまった。そう言うものにがんじがらめ

私の研究なのに特許を取るのは教授企業と絡んで製品化しても金を取って行くのは上、私ではない。私の研究なのに私がいない

遺書を書いたら生きたくなった。

思うままに書くので文体が崩れたりしても見逃してほしい。

なんかもう、ハチャメチャに「死にたい!」と思い続ける毎日であります

仕事ウソついて休んで怒濤の5連休をゲット。

好きな人には「明日休みです!」とメールしたものの、酒を呑んでダルいので「インフルにかかりましたすみません」とその"明日"の昼間にこれまたウソをつく始末。

そして酒を飲む。

それでも心が休まらない。

お笑い動画を見ていたのに、いつのまにか"最期ツイート"というまとめを読んで、ますます死にたさに磨きがかかる。

なんという悪循環

鬱々しい気分の時に暗い記事を読みたくなるあの現象、ほんとなに?

下を見て安心したいのか、同調安心したいのか、分かんないね

どっちもだろうね。

ウダウダ書いてもアレなんで。

そんなこんなで鬱々とした気分のまま更にネットの真っ暗い記事自分を追い込んだ結果、遺書を書いてみようかなと思いついたのです。

パッと浮かびました。ほんと、言いたい事はこれだけでした。

出会ってくれた人、ありがとう。みんなのおかげで私ができました。

ありがとう。』

そんな私は悲しいことに今から自殺します!ってめっちゃ皮肉やんけ。おいおい……。

と、書いた数時間後に気が付いた。

でもって、遺書をしたためたら一回死んだ気になった。生まれ変わった気分!ときらきらした気分にはなっていないけど、まぁもう少し生きるか……という気になれた。

一回、自分を殺すことも生きるためには必要なのかもしれないね

anond:20180118141011

アトピーの人を見ると大変そうだと思ってます

口にしないけど

増田が言うように乾燥とかで大変だと思うし

コンプレックスにも思ってるだろうけど

「大変だよね、わかるよ」なんて言葉デリカシーがないし

でも「今日体調不良休みます」と言えば、アトピーが直接ではないかもしれないけど、無理すんなよ

と内心思ってます

ジェネリック増田薬品引くや出す捲っ璃値ぇじ(回文

調剤薬局でお薬をもらいにいったら、

ジェネリック薬品でもいいですか?って聞かれたの、

普通ジェネリックじゃない薬で520円。

これがジェネリックだったらどんだけの安さになるのかしら?って思ったけど、

これがお薬代3円とかになったら、

逆にちょっとビビるわよね、

効くのかしら?とも思っちゃう

ある程度のありがたみ価格必要よね。

そんなことより、

今日大人しくしておきます

では。


今日朝ご飯

デトックスウォーターはお休みよ。

でもリンゴあるからリンゴホッツウォーラーにするわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

今の時代会社改革

多様化を認める」っていうのも1つのキーワードなんだろうか

会社に忠誠を尽くす人しか入りません」っていうのが旧来型の企業価値観

そりゃ人手不足倒産もするわって感じ

今は妊婦でも介護しながらでも在宅でも働き方は多様化できればいいし

結果さえ出すならどんなやり方でもOKって感じ

他人が休むことで俺の負担が増える」って向きもあるけど

お互い様だと思わないとだし

そもそも休みやすくなるように仕事の総量もしくは効率化に手を付けなきゃね

つらいこと

工場職場で検食があり、昼を食べると気持ち悪くなるので、わたしは昼飯を基本的に食べない。

昼は飲み物だけ飲んでる。

グループごとに集まってご飯を食べていて、私は事務の人と社員の人に良かったらここで食べなよって言われてそのグループで一緒に食べることになった。

半年くらい経った後、フィリピン人のクソババアに昼休みに「どうせ、昼食べないなら向こうの席に行けばいいのに」ってはす向かいに座る私がいる状態で向かいの人に話していた。

めっちゃ笑いそうになった。流石にここまで頭おかしいと思考回路もやべえんだなって思った。

でも流石にイライラたか夜勤の先輩にいったら、「流石にひどいか上司の言った方が良いよ」と言われた。

その時に自分はそこまで酷いこと言われたのか?と思った。

正直言って自分派遣社員だし、そこまで上司に報告する必要なんてなかった。

休憩の時にたまたま誘ってくれた事務の人と社員の人と被ったのでフィリピン人に言われた事を話したら先輩と同じ反応が返ってきた。

めちゃくちゃ驚いた。派遣なのにそこまでしてもらえると思った。

いや言わなくても良くねって思った。

報告してフィリピン人が注意されてそれでまた私に回ってきたらそれはそれで面倒臭い。と思いつつ上司相談した。注意してくれるらしいが、フィリピン人報復が怖かった。同じラインに入るといつももどうしようもないことで怒鳴ってくる。

私が後で掃除しようと思ったところを勝手掃除して「なんでやってないのよ!!!!」と怒鳴ってくるような人間が怖かった。

私はそういう人間相手するのがめんどくさいのでニコニコ笑って「すみません」って言う、でも他人に酷いこと言われたねって言われてハッとした。自分ってそんなに酷いこと言われたのかと思った。ショックだった。

そして報復に震えていてそんなことぐるぐる考えていたら、フィリピン人と同じラインの日に会社に行けなくなった。土曜日あたりに何か頭がおかしくなったんじゃないかってくらい怖くて怖くて家なんか知っている訳もないのに震えていた。会社に行けない。会社電話をかけられないフィリピン人が怖くて怖くて仕方がないのだ。

震えていたら、3日経って無断欠勤していることに気づいた明日派遣先電話する。

もう辞めたいって言ってる。自殺したい。

こんなことして自殺しなければならないのかもしれない。フィリピン人の言うように自分能力が低いか自殺した方が世界に良いのかもしれない。自殺したい、消えてしまいたい、生きるのが辛い。死にたいフィリピン人に言われたごときでって人は思うけど、自分酷いこと言われてても気づけない人間自分に対して優しくできるわけねえだろ。いい加減にしろ。手首切りたい。消えたい。

Twitterで…

> 最近25〜30歳の若者に「ここからどんどん仕事が楽しくなってやり甲斐が出てきてつい仕事ばかりをしてしまうだろうけど30〜35歳までに仕事の合間を

> って結婚しないとその先一気に一人で生きていく以外の選択肢がなくなるぞ」「孤独死したくなければ誰でもいいから籍を入れろ」と強く言って回っている。

というツイート結構流行っているみたいだけど、バツイチの私としては「価値観の合わない相手結婚するぐらいなら一人で暮らし孤独死する方がまし」だと思う。

私が結婚していたとき共稼ぎでだいたい同じぐらいの収入があり、家計用の口座に同額ずつ入れて暮らしていた。それは良いとして、元夫の望みは「将来実家そばに家を買って住む(できれば同居)」「子どもがほしい」「家事はなるべく奥さんにやってほしい」「将来は義理親の介護もお願いしたい」というムシのいい代物だった。結婚するときに「私は家事が苦手だからちゃんと分担してくれなきゃ結婚しない」と宣言しておいたんだけど、何だかんだ言って元夫は家事のめんどくさい部分を私に押しつけようとした。また、凄まじいマザコンで週末になると実家に行ってテレビを見てごろごろし、その間私が自由にできるならともかく、「一緒に行こう」とか、何にも着替えとか用意してないのに「実家に泊まれ」とか言われて非常にストレスフルだった。

自分はあまりいろいろなタスクを同時にこなせないタイプだったので、あまり忙しくない職場にいても、家に帰って晩ご飯を作ることを考えるだけで憂うつだった。そのうえ義理実家はやたらと親族の結束が固く、正月は必ず誰かの家に集まって宴会をし、夏やGWには親族一同の旅行に参加しなくてはならなかった。ただでさえ休みが少ないのに、その貴重な時間を全く楽しくない義理親族と一緒に過ごさねばならないことに怒りを感じていた。一度は正月我が家親族一同が遊びに来て、片付けの苦手な私は皆で座れる場所を作るのだけで疲労困憊した。結局私が「そんな大勢に食べさせる料理なんて作れない」と元夫に訴えたので、とりあえず皆は当時の我が家見学して、宴会居酒屋でやってもらったけど、フルタイムで働いていて家事の苦手な嫁に10数人分の料理を作らせようとする親族の連中を殺してやりたいと思った。

当然子どももほしくなかった。フルタイムで働きながら周囲に気を遣って定時で帰り、保育園にお迎えに行って家に帰りついたら夕食を作る…みたいな生活想像するだけでぞっとした。多少大きくなればそういう手間はかからなくなるかも知れないけど、なまじ成長すると余計なことばかり覚えて生意気発言ばかりするんだろうと思うと、子どもなんか持つよりペットを飼う方がましなんじゃないかと思うぐらいだった。

そしてなんで自分を育ててくれた親じゃなくて何の恩義もない元夫の両親の介護をしなくてはいけないのか意味不明だった。元夫には妹がおり、義妹は比較実家そばに住んでいたので、両親に何かあれば介護は引き受ける気があったようだが、元夫は「俺が長男なんだから…」と自分が主導権を握りたがった。「そんなに介護したければ妻に押しつけるんじゃなくて自分でやれ、私にだってはいるんだよ」と言ったがのれんに腕押しだった。

ちゃんと相手価値観希望吟味して、自分価値観と合うかどうか確認してから結婚しないと、フルタイム勤務で働きながら望んでもいない育児をして、自分を育ててくれたわけでもないジジババの介護をさせられるのである日本人平均寿命から行けば男性の方が先に逝く確率が高いので、結婚生活が無事続いたとしても女の方がお一人さまで後に残される確率が高いのだ。子どもがいたとしても実家に寄りつかないとか結婚していて先方の都合が優先するとかだったら丁寧に介護してもらえる保証なんてない。…ということで「結婚して子どもを作ったら孤独死は避けられる」という考え自体が浅はかだと思う。

たぶんこれからずっと一人で生きていかなければならないだろうし、両親が亡くなってしまったらどうしていいかからないのも事実だけど、「あのとき離婚を選んでいなかったら…」と思うと自由な今の生活の方がましだ。

2018-01-17

漫画業界仕事のあり方について

私は漫画アシスタントをしている。

先日、三田紀房先生の元アシスタント・カクイシシュンスケ先生

アシスタント時代残業代請求たことが話題になっていた。

私はアシスタント残業代請求することについては、ちゃんちゃら可笑しい話であると思う。

アシスタントという仕事は、何の仕事もできないうちから給料を頂ける上、

なおかつ技術力を存分に盗める。

それ以上に何を求めることがあるだろうか。

しかも、売れてる作家さんの元でアシスタントをしない限り、

11年も同じ職場で働くことは難しい。

普通は2〜3年で連載は終わり、職場解散=失職することも多い。

そのいつ職を失うかという不安もなく、同じ仕事場にい続けられることは、運が良いといっても言い過ぎではない。

また、残業をしたくないのなら、自分作画スピードを上げる努力をするべきだ。

アシスタント技術は、ただ単に上手い絵を描けるだけではなく、スピードも伴わなければならないと私は常々感じている。

漫画業界には残業代を求める以前に、もっと直していかなければならない部分はたくさんある。

例えば、アシスタント仕事を依頼する時だ。

「月火の予定でお願いします」とA先生から言われ、その日はそのA先生の予定で埋める。

少し絵の描けるアシスタント複数先生を掛け持ちしている場合が多いので、

あとから別のB先生に同じ曜日で入って欲しいと言われても、先のA先生の予約を優先し、お断りをする。

だが、もしA先生ネームが間に合わなかった場合、予定の前日深夜に「明日はお休みで」と言われることが度々ある。

そして、ほとんどの仕事場のお給料は日給制で支払われる為、実際作業した火曜日の分しか支払われない。

B先生を優先していれば2日分の日給が手に入ったはずだ。

もちろんアシスタントを雇い慣れている先生によっては、ちゃんと2日分支払ってくれることもあるが、

大抵の場合はその限りではない。

そしてアシスタント側は、A先生文句も言えず、泣き寝入りするしかない。

何か苦言を呈すと、「面倒臭いアシスタント」というレッテルを貼られかねない。

ネームが遅れるのももちろんよく理解できる。

だが、こちらもB先生を断ってまで仕事を受けている以上、予定を入れていただいている分のお給料はなければ困る。

こういったことが起こらないよう何か対策はとれないものなのだろうか。

また、漫画業界には「暗黙のルール」が色々あるが、アシスタント経験のない作家さんのところで仕事をした場合

そういった部分もよく知られず守られない場合も多い。

漫画家アシスタント個人事業主同士でトラブルは話し合い、お互いの妥協点を見つけていくしかないのか。

漫画業界の「明確なルール」を決め、「暗黙のルール」とせず、漫画家アシスタント両方が気持ち良く働けるようにすべきではないか

もしこの日記を読んだ方、漫画業界の方、どうお考えだろうか。

2年目、辞められない

気持ちを整理したくて書く。

2年目。今の仕事が猛烈に合わないと思ってる。

激務も、急な呼び出しがあることも、何か起こるんじゃないかという緊張感も、休み返上することも、全部嫌だ。

じゃあ辞めて転職すればいいんだけど、2020年がある。一生に一度あるかどうかの機会。関われる人は決して多くない。このチャンスを離したくない。

でも、疲れた

他社に行っても状況は変わらないから、転職するなら他業界に行くしかない。そしたら縁遠くなる。

今日は数ヶ月に一度くらいの頻度で定期的に来る「仕事が全く上手くいかない日」だったから、余計に病んでるというのもある。

2年目の仕事ぶりってどんなもんなんだろ。同期もいるけど頻繁には会えないし、わざわざラインするほどでもない。何より結論が出ない、もしくは既に出てることを話すのはあんまりきじゃない。

結局2020年までは持ちこたえるという結論しかないんだろうな。それまでにどうしようもなくなったら辞めようかな。

てか改めて考えると、仕事がうまくいかなかったというのもあるけど、お世話になってる上司に上手くいかないことを伝えたことも落ち込んでる理由の一つだな。「成長してる」と思って欲しかったのに、それができなかったことへのショックというか。

とりあえず今日はもう帰って寝よう。明日から休みから、しばらくゆっくりしたい。少し残ってる仕事はやらなきゃいけないけど。

anond:20180117193043

うーん、働いてるけどそれなりに時間のある人、というのが多いと思う。定時で帰れて暦通り休みの人。

休みおわる

やだな

めんどい

仕事したくない

楽して稼げる仕事ってないの?

転職してー

まり乗ったことのない東京メトロ路線とか降りたことない駅

都営新宿線特にそれで東側にいったこあんまないなぁ。森下から東側

あとは南北線麻布十番は行かないなぁ。

あ、南北線赤羽岩淵とか志茂も行ったことなかったかなぁ。

あとは千代田線乃木坂綾瀬町屋

その他、日比谷線神谷町

有楽町線新富町で降りたこともないなぁ。

半蔵門線押上でも降りたことない。

都営浅草線中延宝町もない。

副都心線北参道も降りたことない。

今度の休みに一気に行ってみよう。

2018-01-16

ICAN事務局長来日・面会要請安倍首相歴訪に関する時系列まとめ

時系列

2017年
12月14日 エストニア含めたバルト三国など歴訪予定。『1月中旬に1週間の日程で調整』 ※1
12月19日 エストニアなど欧州6カ国を歴訪予定。『1月12~18日の日程を軸で調整』 ※2
12月22日 ICANから安倍首相へ面会要請(1回目) ※3

2018年
1月5日 安倍首相東欧6カ国を歴訪正式決定。『1月1217日の日程』 ※4 ※5
1月8日 ICANから安倍首相へ面会要請(2回目) ※3
1月12日 11時5分 羽田空港より政府専用機にて安倍首相 外遊出発 ※6
1月12日 ICAN フィン氏来日 ※7
(中略)
1月14日 ピースボートによると外務省よりICANへ面会不可連絡受けたことが判明(連絡日時は不明)
1月16日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8

1月17日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8
1月17日 午後4時 安倍首相帰国予定 ※3
(詳細)
 + 午後4時9分 安倍首相 羽田空港帰国
 + 午後4時43分 安倍首相 皇居着。帰国の記帳。同51分、皇居発
 + 午後5時2分 東京二番町表千家東京稽古場にて初釜式出席、会食。
 + 午後7時13分 東京富ケ谷 私邸着

1月18日 昼過ぎ ICAN フィン氏 日本出国 ※3 
1月18日 安倍首相オーストラリア首相会談、夕食会 ※9
(詳細)
 + 午前9時38分 私邸発
 + 午前9時55分 東京市谷本村町 防衛省着。
 + 午前10時8分 オーストラリア ターンブル首相陸上自衛隊ヘリコプター市谷本村町 防衛省発
 * 午前11時18分 羽田空港にてICAN事務局長フィン氏
※URL貼り付け制限のためか貼れない…詳細は首相動静Twitterなどより


※1 - 安倍首相エストニア訪問来年1月中旬で調整(毎日) https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/010/190000c
※2 - 安倍晋三首相、1月12日からバルト三国など初訪問 対北朝鮮で協力要請(産経) http://www.sankei.com/politics/news/171220/plt1712200010-n1.html
※3 - 「日程合わず」と面会拒絶 安倍首相ICAN門前払い”の狙い(日刊ゲンダイ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221303
※4 - 安倍首相東欧歴訪を正式表明=12日から(時事) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010500639&g=prk
※5 - 平成30年1月10日(水)午後 | 官房長官記者会見(首相官邸) https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201801/10_p.html
※6 - 首相動静―1月12日(朝日) https://www.asahi.com/articles/ASL1D5VJLL1DUTFK00Y.html
※7 - ICAN事務局長が初来日 「日本は核禁条約参加を」(共同) https://this.kiji.is/324485393523901537?c=110564226228225532
※8 - ベアトリス・フィンICAN事務局長来日します(ピースボート) http://peaceboat.org/22104.html
※9 - ターンブル・オーストラリア連邦首相訪日(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005508.html 

東京滞在中に会える時間

1月17日 夕方以降
 ⇒7/1111/15の外遊帰国後は皇居に訪れ、帰国の記帳をおこなう(9/15北朝鮮ミサイル発射後の帰国時はなかった)
 ⇒裏千家初釜式」は4日間で政財界文化関係者、各国の大使ら2300人が出席される毎年恒例行事
 ⇒外遊した後の夜に空きはあるにはある
1月18日 午前中
 ⇒オーストラリア首相との会談のため、ほぼ無し

個人的感想

ICANの面会要請は日程がほぼ確定後に要請しており、後出し要請している様に思われる。
東京滞在時に会える時間帯は殆どない。
外遊帰国後の17日夜に時間はあるが、帰国した後に休みを取らず翌日の首脳会談に備えるべきなのか?
現実的にはかなりタイトスケジュールとなっており、厳しい
・フィン氏には日本国外務省代表として佐藤外務副大臣が会っている

備考(ICANへの日本からの参加団体)

ピースボート

ヒューマンライツ・ナウ

平和首長会議(広島市)

核戦争防止国際医師会議日本支部(広島市)

反核医師の会

創価学会インタナショナル

・Project NOW!

頼むから低用量ピル流行ってくれ~!

生理関係のツイ流れてくるたびに頼むから低用量ピル流行ってくれ~!って思ったので、低用量ピルについてオタクが色々書きました。頑張って書いたから読んで欲しい。

低用量ピルOCとも呼ばれる)とは、簡単に言うと体を妊娠中のホルモンバランスに持っていく薬のこと。

妊娠中は、排卵が無くなるから新たな妊娠もしないし生理も来ない。

体がそういう風になっているので、それを利用して、避妊したり、生理を軽くしようってお薬なのだ

ただ、本当に妊娠する訳じゃないので、月一で生理は来る。でも、だいぶ軽くなる。

(最近は3~4ヶ月に1回にする薬も出たみたい)

個人差有るけど平均的な重さの人がライナーだけで一週間すごせるようになったりする。

そして、薬をやめればちゃんと妊娠も出来るので安心してほしい。

ただし、妊娠中に起こることが副作用で出たりする。

例えば、つわりに似た症状が出たり、太ったりする可能性が有る(妊娠中のように、おなかが大きくなったりはしません)けど、妊娠同様個人差が大きい。

吐き気は薬が体に慣れれば出にくくなるし、先生相談すれば他の薬で対処できるから心配しないでほしい。

だいたい月3000円くらい、子宮内膜症と診断されれば保険で3割負担になるので、もっと安くなる。

けど、3000円でも、色んな良い効果があるので化粧水一本買ったと思えば、出せる金額じゃないかな。と思うんだ。

いや、わかるよ!3000円ってガチャ十連回せるし安くは無いってのは分かるけど。本当にメリットがたくさんあるので、結論を出すのはもうちょっと読んでからにしてくれ~!

メリット

子宮内膜が厚くなりにくいので生理が軽くてすむ

生理前後イライラPMSにも効果が有ると実証済み!

細胞増殖が減るので悪い細胞が出来る可能性が減る=子宮癌リスクが減る

・望まない妊娠可能性が限りなくゼロに近づく(でも性病は防げないのでゴムも併用してくれよ)

理論ホルモンが原因のニキビ減る(ことが多い。逆に出来る人もいるには、いる)

・いつ生理が来るのか分かる!しかも早めたり遅くしたりずらせる!(やり方は医師の指示にしたがってね)

これが本当に便利で旅行も快適!

皆、推しイベント100%楽しみたいやろ!荷物も減るからグッズもたくさん持ち帰れるよ!

まぁ、メリットばかりではないのでデメリットも。

デメリット

・血が固まりやすくなるので年に一回は血液検査必要(でも、他の悪い病気を早期発見できるかも)

この副作用で一万人に一人くらいの確率死ぬ可能性も有るけど、正しい知識、早い対応危険性は凄く下がる

子宮頸がんリスクは上がるので年一回、検査必要。(男性経験が無い人は痛いし、器具を入れるので嫌だと思うけど、経験が無い人は子宮頸がんの原因のウィルス持ってないことの方が多いから、先生にその事を伝えたら受けなくていい可能性がある。でも、どっちにせよ伝えるのも恥ずかしいよな。わかる)

・お医者さんで貰わないといけない。だいたい3ヶ月に一回ぐらい(要相談)。めんどう。わかる。でも、初回や年一回の検査以外は簡単な問診だけとかで済む場合が多い

・成長期が終わってないと飲めない

妊娠はしないが、性病は防げないので勘違いしてはいけない

残念ながら「妊娠しないなら生でいいじゃん」と言う悪い男もいるので、彼氏に飲んでいるのを伝えるのはおすすめしない

・年齢が上がると血液が固まりやすくなるので、40歳位までしか飲めない

・太っても血液が~なので太ると先生から注意が入る

煙草血液が~なので吸えない

ピル飲んでるって言うと男女関係なく、エッチが好きだけど妊娠しないように飲んでるんだ~と思われることが、まま有る。皆が皆じゃないけど、まだ偏見は有るんだ。悲しいか

デメリットの方が長くなってしまったけど、やっぱり良いところも悪いところも知って納得して始めて欲しい

なんで、女ばっかりこんな辛い目にあわなきゃいけないんだ。しかも、お金払って、面倒なことや嫌なこともあるのに生理を無理矢理軽くして、働いたり、学校に行ったり、生活させるなんて酷い。そんな必要あるのかって意見もあると思う。

分かるよ!あなたの辛さは体験できないし、本当の意味で、わかってあげられることは出来ないけど、想像は出来るよ。

生理重くて辛い。休みたいよね。

分かる!本当に休ませてあげたい!

それと、同時に、そんなに辛いってことは、大なり小なり子宮不具合が出てる可能性あるから婦人科に行って欲しいよ~!心配だよ~!とも思ってしまうのです。

から、もし、ちょっとでも興味が有れば何時でもやめられるので低用量ピル始めてみてくれよな。

そして、低用量ピル使ってみようかなって思ったけど何されるか分かんないし男の先生が多いか病院行くの怖いって人も居ると思うんだ。

めちゃくちゃ分かる。だからちょっとでも怖くなくなるように一応どんな流れで貰うかも書いておくね。

まず、低用量ピルを処方してくれる病院を探す。

ネット環境に繋がってたら「低用量ピル 病院 最寄りの地域」で検索すれば出てくるよ。

パソコン家族と共有で恥ずかしいって場合は、飛び込みで婦人科に行けば間違いないかな。予約ないとその日に貰うのは難しいけど、そこで予約して違う日に受診すれば良いのだ。

検索すれば分かると思うんだけど、最近女医さんも増えてきているのです。

(個人的に男の先生の方が遠慮が有るのか気遣ってくれるイメージがあるので悪いことばかりでも無いと思うんだけど、そこは、お好みで)

ネット検索して出てきた病院も、たいてい予約が必用なので注意。

電話で「低用量ピルもらいたいんです」って伝えれば良いから。相手は慣れてる大丈夫!怖くないよ!

都会はネット予約出来る病院もあるから、そういう所、探すのもいいかもね。

予約できたら次は受診。必ず保険証持ってってね。

初回は、質問表をうめて先生と話すだけって所が多いかな。

今までの症状説明して、先生が他の検査必要ってなったら、何かされるかもしれないけど、もし嫌だったら、ちゃんと伝えるんだよ!

大丈夫相手は慣れてるから。出来るだけ嫌じゃない方法で検査してくれるから。直接的な部位には触れず、お腹ゼリー塗ってエコーとかも考えてくれるから

決断できなければ「また、日を改めて」ってお願いしても良いかな。

先生は案外、優しいし。優しくない先生は、これから長く通っていかないと行けないのに絶対途中で嫌になるから「やっぱり結構です」って帰ってきちゃって、他の病院探しても良いと思うの。あんまり深く考えないで。

特に問題ないようなら先生から低用量ピルの使い方とか説明うけて、終了のはず。お薬もらって帰ってね。

ピルが1ヶ月3000円プラス受診料がかかる。

私は初回問診のみで、3ヶ月分もらって帰ったから1万ちょっと払いました。

心配なら予約の時にだいたいどれくらいかかるか聞いておいても良いかもね。

ほら、怖くないよ。あと、病院に行くと意外にたくさんの人がピル飲んでるんだな~って分かる。

でもでも、まだまだ普及しきれてないのが現実だとも思うので、もっと世の中に普及して、生理で辛い思いをする人が減ればいいな。

あと、生理放置してしまたことで後々、悲しい思いをする人(不妊になってしまったり、重い病気になってしまったり)も減ったら良いなって。

この記事婦人科へかかることのハードルを下げる手助けにちょっとでもなれば幸いです。

まり、上手くもない文章最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事による不利益には責任取れませんが、色んな方に読んでもらえると嬉しいです。

ひがみ根性マックス

我ながらみっともないなあと思う。

遊ぼうと連絡してくる友達に苛つく時がある。

いつが暇かと聞かれても予定など立てられない。

こちらはダブルワークで働いているのだし、旦那副業させて子供借金させてまで専業やってるアンタとは違うと感じているのだ。

でもこれはひがみだ。

羨ましいなら自分たちもそうすれば良いだけのこと。

自分がそうしないのは家族負担をかけたくないからだ。

そう理解した上で感情を爆発させないだけの理性は残っているので、会わないほうがお互いにベストな形なのだ

会えば会ったで「稼げない旦那なんていらなーい」、「養育費なんてなんとかなるよー」と、言うことなすことにいちいちイライラする。

こうやって遊ぶ金は旦那日曜日返上して副業してくれてるから出せるんでしょ。感謝はないのとか、奨学金って感じ借金なんだよ?知ってる?と思ってしまうし、年中休みなく働く旦那に対して、「家事平等じゃないとね」と言いながら夜中に帰宅したのをつかまえて洗濯物を干させるに当たっては全く賛同できない。

オマケにそれを知った義母からあんた、うちの子を殺す気?」と叱れたと聞いても、そりゃそう言うだろうと感じてしまうし、姑にいびられてるから胃を壊したと訴え、年始挨拶すら行かず、「口出すなら金出せよな」などと言うのだから、いい加減相手旦那はなんで離婚しないのだろうとまで思ってしまうのだ。

とにかく会ってもお互いに良いことはない。

私は私で遊ぶなら同じように働いてる人と共感しあえる会話を楽しみたい。

その友達自分と似た境遇の人と遊べば良いのに、「私のために予定をあけてはくれないの」としつこい。

なんで他人自分のために何かしてくれるのが当たり前みたいに思ってんのと思うし、正直、合わない人のために時間を割くくらいなら寝ていたいのが本音だ。

毎回忙しいと言っているのだから何回か断られたら大人なんだから察して欲しいと思うのはワガママか。

出来るなら不用意に人を傷つけたくないと思うのは、自分悪人になりたくないと考える卑怯さなのか。

誰かのために脇役にされること

小学生の頃、私は信じられないほど足が遅かった。体はぽっちゃりぎみ、本を読むのが好きで運動からきしだった。鬼ごっこで逃げきれた試しなどない。中休みに外に出るのが辛くて仕方なかった。

私の通っていた小学校児童数が少なくて、一クラス20人ほど。体育の時間は一人一人が全員の前でやることが多く(実際にその時間をとることが容易だったから)、私には酷く苦痛時間だった。

小学校5年生の体育の授業で、リレー選手を選ぶために、80メートル走を二人組でやることになった。私と走ることになったのは少し知的障害ぎみで援護学級にも通っている体の大きな男の子だった。その子もあまり運動が得意ではなかったと思う。

先生の合図で走り始めて、みんなが私に注目する。それだけで嫌で嫌で仕方ないのに、隣の男の子とほぼ同列で走りながら私はびっくりした。

「〇〇(男の子名前)〜!!がんばれ〜!!」

「すごい〇〇!!勝てるかも!!」

クラスの子達が、目を輝かせて、大きな声で相手男の子応援していた。その中にはなんと、担任先生の姿もあった。ただでさえ動きにくい足が、ずんっと重くなったような気がした。

そのままずるずると遅れていって、結局リレーは負けた。クラスメイトその男の子の周りに集まって、「頑張ったね」「すごいね」と褒めている。担任先生も嬉しそうな顔でその輪の中にいた。

その日のヒーローその男の子だった。私はヒーローをつくるために脇役になった。脇役にさせられた。

家に帰ってから初めて涙が出た。正しく美談であるはずなのに、その輪の中に入れない自分が悲しくて仕方なかった。

先生はきっと、クラスの子達に「弱い子を理解し、応援する素晴らしさ」を教えたかったんだと思う。それでも、その犠牲なる子存在を、もっと意識して欲しかったと思う。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん