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2024-11-21

今思えば、”小学校高学年”時代バランスの良さは異常だった

小学校高学年って大人子供の「いいとこ取り」ができる貴重な2年間だと思うんだよね。

身体が丈夫になるし、自意識が芽生えて大人ぶったり恋愛ごっこが始まる一方で、休み時間放課後はみんな仲良く外で遊ぶし、小学生ということで社会的にも「子供」でいられ、甘やかしてもらえるもんな。

これが中学生になると「いいとこ取り」のバランスが崩れてしまう。

中学に上がった途端に環境への不適応を起こしてしまう「中1ギャップ」という言葉があるけど、これは「競争」を意識した受験や、学年による上下関係の生まれ部活が始まることなどが原因とされている。

要は「大人社会」に引き込まれることで起こる問題だよ。

人には能力の差があり、身分の差があるという「大人社会」の現実中学生から見せつけられるわけだ。

恋愛ごっこ恋愛になるし、

休み時間放課後はそれぞれのグループに分かれるし、

中学生社会的に「半分大人扱い」になり、自立を求められもする。

親や先生は甘やかしてくれない。

小学生の頃は受験上下関係恋愛携帯責任もなんもなかった。

もちろんそんなもの幻想にすぎないことは分かってる。

過去を美化するあまり、あの頃の負の部分を隠してしまっていると思う。

それでも、俺にとっては”小学校高学年”時代は紛れもなく幸せだった。

あぁ~、あん時代があったことが信じられねぇ。

戻りてぇなぁ。

2024-11-19

仕事ができる子に嫉妬してた

人生に疲れてる感じがして、辛いかもしれない。

もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安しょうがない。

十年くらい、関西にある地元市役所臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。

部署の異動は一度だけ。最初水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。

会計年度任用職員略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員アルバイトパートだとすると、会任は契約社員位置づけである

ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。

私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般女性にとって大事なことだ。

私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ



不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。

不安の全体だと、恋愛結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分健康のこともある。

けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。

私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。

入庁当時の私は、25才だった。美容専門学校卒業したけど、リーマンショック関係で職が少なくて、フリーター転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷市役所だった。

月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。

数年前に会任制度スタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場感謝してる。

話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。

20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。

しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道部署から現在部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校中学校が一緒だった。

当時の私は、残業休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。

私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。



以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。

新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業代表者と同じ苗字だった。この子Sさん年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校出身だった。

直属の上司である係長(※蛇足だけど係長学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさん大学出たばかりで、最初全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味否定された。

Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子別に京都大学とか大阪大学とか、そういうレベル大学出じゃない。

けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。

あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。

関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。

反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。

Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。

結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。

上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃんあんなのイチイチ止めてたら、日本少子化待ったなしだよ~」だって……。

その係長だってSさんには甘々だった。この部署の中では、Sさん新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。

本来ベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年であるSさんに割り振っていた。イベントだってほとんど休みなくSさん休日出勤させていた。

「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもや一年以上、ずっと続いた。

Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。

 在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。



さらに、その次の年度だった。

季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからよろしく~」と皆の前で告げた。

A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。

まあみろ、ていう薄汚い感情自分の中にあった。でも、ここは職場から。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。

Sさん結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMP漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。

入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛アプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。

月給13万円台で、京都市内での一人暮らし不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。

私が好きな少年漫画で、「ドンまり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドンまり、という状況だった。若い頃の私は。

でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。

それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。

[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事正規職員登用の声がかかる気配なし

[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある

[趣味]…たまにアニメ漫画小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし



最後Sさんと会ったのは、同じ年だった。Sさん妊娠後、もうすぐ育児休業職場からいなくなるタイミング

うちの部署イベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。

バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式BBQだった。

私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん暗殺者かよ~」とツッコまれ

あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティサービスをしてるとのこと。

その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。

こんなことを、話していた。

(早く結婚できてよかったねと言われて)

「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定行事があって、そこで知り合って」

(仕事ができるねと言われて)

「ほかの人が協力してくれるので、自分は大したことないので」

(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)

係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」

 ※働かなくても共済組合から給料分相当額がもらえる期間

(Sさんが羨ましいと言われて)

幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」

嫌な感情が湧いた。

彼女は、Sさんは、私にはないもの絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって絶対にそう思っている。

そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさん自分が恵まれ環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。

Sさん自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。

Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。

すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎水割りします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさん職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。

あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。

保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでからテーブル真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。

水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想焼酎ソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。



流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ




何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。

あなただって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。

人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。

2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。

2人とも会釈だけして、Sさん獺祭ソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。

「え~、これ炭酸割じゃん!」

「いいじゃん。増田ちゃんサービスしてくれたのに」

10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。

翌週、Sさん職場にこなくなった。「体調不良です」と係長上司に報告していた。

産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。

昇給だって、年に三千円だけ。しか一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。



今年に入って、育児休業中のSさんベビーカー子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。

後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。

Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさん幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。

この、赤ちゃん職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。

でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから

同じ職場の仲間として、Sさん職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。

長文駄文、ここまでお読みいただきありがとうございました。

anond:20241119171729

休みの日外でゲームしてそう」の方がやばそうな気がする

モンキーなまこの大音頭

簡単にいうと、モンキー(猿)みたいに素早いなまこがいて、そのなまこが祭りを時々(2年に一回程度)するんだけど、その音頭がなまことは思えないくらい素早いので、一度は見てみたいという人が多いって話。


そのモンキーなまこなんだけど、音頭を踊ってる時が一番食べごろなんだ。素早いだけあって、筋肉も発達していてコリコリ感がハンパないしかも踊ってる時に出るアドレナリンとかの物質がなまこの体内で駆け巡り、それはそれは美味らしいんだ。

そのモンキーなまこ、実は今日食べた。会社の先輩がギリギリ合法ルートモンキーなまこを入手して、お昼休みに食べさせてくれた。

それがさ、ヤバいの。こんなコリコリななまこってある?って感じで、しかも旨み成分が全体に行きたわっていて、ナマコを超えてるんだよ。初めは酢醤油で食べたんだけど、次は塩で食べて、最後は何もかけずに食べた。やっぱりさ、何もかけないのが一番美味しいんだよ。なんていうか、音頭感っていうのかな、踊ってる時のリズムがなまこの体内でうごめいているっていうか。しかもなんていうか、モンキー感っていうのかな、肉的な旨みも含まれてて、これは唯一無二の珍味だと思ったよ。


先輩から瓶詰めでもらったから、今日晩酌つまみにするつもり。

(この文章AIではなく人間が書きました)

ボランティアとは?

「月2回のボランティア活動地域のために年間通してやってくんない?」

自営業休み少ないし、土日も仕事です。お断りします

「それは困る」

『出られる時だけ出る条件ならどうですか?年間通して2回くらいになりますけど』

「それは困る」

『ですよね、無責任に引き受けて稼働が年2回じゃ申し訳ないのでお断りします

「それは困る」

『毎月2回出てたら自営に影響出るんですけど。補償とかしてくれますか?』

「それは困る」

『ですよね、お断りします

「それは困る」

   

話が通じない

フリーランスシステムエンジニア楽すぎ儲かりすぎ

10年以上会社員やってきて2年前にフリーランスになった。

基幹システム系のコンサルタントエンジニアみたいな感じで独立したんだけどマジでなんでみんなこれやらないの?って思うレベル

ざっくりいうと土日休み労働時間毎日約3時間、フルリモートで月150万くらいいただけている。

働き方としてはプロジェクトによるがほぼフルリモート(週1,2出社案件もあり)でだいたい3か月更新業務委託契約

業界全体が高齢化していて人が足りていないってのがベースにあるんだけど、月単価で100万~200万くらい。

ハイレベルな人は月300万とか500万もいる。自分はけっこうザコなほうだけど全然やれてる。

まぁ普通にやってれば案件が途切れることはないし、1案件が1~3年くらいの長期なのでまぁまぁ安定的

忙しさの波はあるけど1日の実働は2~3時間、多くて6時間とかで何もない日もある。現にいま真昼間だがヒマなのでこうしてはてなに書き込んでいる。

まりにヒマなので別の案件を掛け持ちしているが、そっちでも月に50万くらいもらえる。

まじで人足りてない業界から楽して稼ぎたい人間くればいいよ、未経験最初しんどいけどどうにでもなる。

バイトなんかやるんならこっちのほうが楽だし金もらえるぞ。

2024-11-18

3年以上心療内科に通っていたが、なんか急によくなってきた

3年以上心療内科に通っていたが、ふと「走ってみようかなー」と思って走ってみた。

そうしたら30分くらいランニングしていた。それ以降晴れの日は毎日30分くらいランニング日課になった。

そうしたら寝付きもよくなった。乱れていた食生活もなんか急に野菜とか食べだした。

土日の休みは外出もつらかったが、最近ではどちらの日も外出して外食とかしている。

なんだこれは。本人も気が付ついていない間にインスティチュート人造人間と入れ替えられたのかもしれない。

楽天無人配送晴海を使った感想

ロボットけなげ可愛い

お昼ご飯頼んだんだけど、ついうっかり後ろを付いていってしまい、昼休みを半分ぐらい無駄にした。

危険すぎる。

あん可愛い機がうろうろしたら、いつもロボットの後を付けて言ってしまいそうで

危険

パカッとご飯を取りだした後、ぶるぶるっと震えるように動くのがかわいすぎる。

今日も会いたくて牛丼を注文している自分

キャバクラでお目当ての娘に貢ぐ人の気持ち

少し分かりました。

石破が陰キャすぎる首相はやめとけ

陰キャ首相なんかやっちゃダメだろ

APEC休み時間に他の首脳陣が交流する中、輪に入らなくて席に座って携帯ぽちぽちしてたんだって

集合写真にも写ってなかったじゃないか

典型的陰キャムーブで悲しくなるよ

学校クラスの輪に馴染めないぼっちオタクじゃん

コミュ障からで許してもらえるのは何の責任もないポジション人間だけ

まだオープンハウス営業マンにでも外交させた方がマシ

陰キャ首相は務まらない、恥ずかしいから辞めるべき

首都圏在住でバンドの追っかけするのは難しい

あるインディーズバンドの追っかけをしていて、追っかけているバンド以外もほぼ毎週末ライブハウスに通っている者ですが、結婚のため地方から首都圏(都外)へ引っ越すことになりました。

 

現在引越し後のライブ予定を入れ始めているのですが、とにかく!!都内で土日のライブがない!!!

 

私は土日祝休みでフルリモなので、都外の自宅から新宿渋谷下北へ向かう必要があるのですが、定時ダッシュでも開演に間に合わないのです。

大体開場18時、開演19時なんですが、土日祝休み普通社会人だと近隣勤めじゃないとライブ行けなくない?誰なら平日のライブ行けるの!?

自宅から新宿渋谷下北まで1時間はかかるので、早退しないと間に合いません…涙…。

 

「でも地方だとライブ自体少ないでしょ?」と言われてしまいそうですが、地方だとそもそも公演がないからまだ諦めがつくのです。近くでライブあるのに行けないのつらいです。

あと地方は公演があると8割週末開催だから、気軽に行けますね…地元で週末公演のツアーでも都内公演だと9割平日です…本当に悲しい。

平日しかライブしてくれない問題インディーズだけではなく売れてるバンドも該当します。

先日先行受付始まった結成15周年の某バンドツアーすら首都圏では土日祝公演0でした。

福岡大阪名古屋すら土日祝開催なのに…。

日本武道館で4日間もライブするなら土日も入れてよ…。

 

音楽趣味なら首都圏住みになってよかったじゃん!」と周りに言われるたび悲しくなります

かにフェスは行きやすくなりますが、限界インディーズバンド追っかけ女としてはあまり嬉しくありません…ロッキンなんて箱大きすぎてメンバーと目が合わせられないじゃん。

 

あと東京公演はチケットの倍率が高いなど、他にもバンドの追っかけをしにくい要素はたくさんあります

なぜ東京公演はあるのに神奈川千葉公演は少ないのでしょう。

 

バンドの追っかけがしにくい環境に身を置いたとしても、彼らの追っかけをやめられないのがファンの性です。

次回の全国ツアーに備えて東京から日帰り遠征できる都道府県毎日調べています

2024-11-17

親友自殺未遂した

親友自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。

親友職場出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子

シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。

出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。

ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまたことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。

親友自殺行為をしたつい1週間前にも旅行登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。

その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分デスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。

『○時までに来なかったら読んでね』

嫌な予感がした。時間になる前に読んでしまった。

自殺したこと場所警察家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。

時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいはいつも通り仕事に来るはずだ。

親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。

母親電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。

一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。

一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。

親友アパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。

親友はそのまま精神病院入院になった。携帯パソコンも使えない環境を案じて、塗り絵ブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。

地獄はそこからだった。

まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。

私の差し入れ主治医判断没収されたこと、生活の不満、不安定感情、いろんなものをぶつけられた。

それでも親友不安にさせるまいと話を聞いていた。

それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。

親友母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。

だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。

気力も体力も時間お金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。

それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束キャンセルしておいて、というようなお願いもあった。

親友を傷つけまいと、電話口では気丈に振舞った。

プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂したことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。

私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。

そこで気持ちが切れてしまった。

私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。

そして、こんな短期間で、医師看護師相談できて、私や家族心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めからしたことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。

こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。

あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だからむちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。

もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。

そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。

あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。

さようなら

長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう

追記

そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。

今日半年も前から楽しみにしていた、彼氏職場関係団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。

私は何を楽しみに生きているのだろうか。

幼少期に形成される身内との信頼関係

あんまり覚えてないんだけど、俺は幼年期に同居してる父方の祖母によく外に連れてって貰い、都内のあちこちに連れて行って貰っていたらしい。

年子の弟もいたので、嫁の負担を減らしてあげる心算もあったのだろう。

俺が一つ覚えているのは、祖母電車に乗って出かけ改札を出かけた時の事だ。祖母が一人で先に改札を抜けてスタスタと先に行ってしまった事があった。「おばあちゃん!」と呼びかけても振り向きもせず、切符概念も把握も改札のシステムもわからない俺はどうすればいいかからなかったので、そのまま改札を突っ切り祖母に追いついた。

他にもあちこち連れて行って貰った記憶はあるが、楽しかった記憶というのは正直あまりない。辛かったのか、行きたくなかったのかもよく覚えてない。

俺は愛想だけは良かったので、あちこち祖母について行くお婆ちゃん好きなおばあちゃんっ子だと言われていたので「俺はおばあちゃん好きなおばあちゃん子なのか〜」と当時は刷り込まれていたが、気づいた時には祖母のことはどちらかと言えば好きではなかった。同居家族としての割切りと諦念があった。こういう事を言うのもあれだが、正直に言って尊敬できる所を探すほうが難しかった。俺が歳を重ね、比較対象となる大人が増えていく度に、祖母デリカシーの無さや常識の無さ、相手気持ちに立って考える事が出来ない思慮の無さや軽薄さ、衝動で動く計画性の無さ、被害妄想に由来する攻撃性の高さ、感情の起伏の激しさなどが浮き彫りになって行き、悪い所ばかり目につくようになった。

俺は母方の祖母が寡黙で勤勉で優しくて好きだったし、母方の祖父は村一番の頑固者で難しい人だったが尊敬できる所もちゃんとあった。父方の祖母が好きではなくなったのはいからなんだろう。小さい頃はよく出かけてたよな……とぼんやりと思うことはあったが、正直どうでも良かったのであんまり考えた事も無かった。

そんな祖母ボケだした。実の親なのにノータッチな父(休みの日は酒のんでヤニ食って寝てるだけなので祖母からの呼びかけもガン無視、家のことは何一つやらない)と、ボケは甘えだと思ってる弟(祖母の呼びかけに対しても「なにいってんのかわけわかんねえよ」と足蹴にし、家のことは何一つやらない)は我関せず。母はパートをしながらわけのわからんことを言い続ける祖母の世話をしていて顔色を一つ変えず明るく振る舞っていたが、俺はこのままでは母が潰れると思い、実家に戻って祖母の世話の手伝いをする事にした。祖母は要介護1になっていた。「実母の世話もしない旦那なんて見切りつけてさっさと離婚しても誰も文句言わんよ。カフカの変身みたいにお母さんが居なくなったら残された家族がしっかりしだすかもよ」なんて言いながら、母の溜まりに溜まった愚痴を聞いていた。

そんな中で、母から俺が子供の頃に祖母に外につれてかれていた話を聞かされた。

祖母は俺を人混みに連れて行って、俺を撒いて泣きながら祖母を探す俺を隠れて見る趣味があったらしい。泣きながら「おばあちゃんどこ」と探し回る俺が可愛くてしょうがなかったらしい。母がそれを知った経緯は、父と母と俺の三人で出かけた時に、父が母を連れて俺を撒いて泣いて親を探す光景を母に見せたことがあったそうだ。母は大激怒したらしい。後に祖母も全く同じ事をしていたと知って唖然としたそうだ。

俺はその話を聞いて、改札で俺を置いて先に行く祖母記憶が、今までの曖昧感覚が、全てが繋がった気がした。そうか、俺はどこかのタイミング祖母が嫌いになったんじゃなくて、もともと祖母が好きじゃなかったのか。おばあちゃん子という刷り込みが、小さい頃あちこち出かけていたおぼろげな記憶が、俺の判断を鈍らせていた。なんなら父への不信感や信頼が皆無な事までも繋がった。

心理学用語に「安全基地」という概念がなんか書いてて面倒くさくなってきた。

2024-11-16

今日は本当に疲れた一日だった。あまり愚痴を書くのは好きじゃないけれど、どうしても記録しておきたい気持ちになったから、ここに書くことにする。

建設会社事務員として働いている私、もう何年目だろう?毎日業者さんや現場職人さん、上司たちとやり取りをして、スムーズプロジェクトが進むようにサポートしている。だけど、今日ほど「女であること」が足かせになったと感じた日はなかった。

朝、打ち合わせの準備

朝一で会議室を整えて、資料完璧に揃えておいた。今日は新しいプロジェクト説明会で、重要クライアントも来る予定だったから、絶対に失敗できないと気合いを入れて準備したのに、部長一言

「○○さん(私の名前)、今日お茶出しだけしといてね。男どもで話し合うから。」

え?お茶出しだけプロジェクトの進行管理を一手に引き受けてきた私が、お茶を出すだけ?冗談だと思いたかったけど、彼の顔は真剣のもの。私が準備した資料に目を通しもせず、さっさと部屋から出て行った。

ランチタイムでの会話

お昼休み、同僚の女性たちとランチをしながら愚痴をこぼす。すると、意外にも彼女たちも似たような経験をしていたことが分かった。

「結局、建設業界ってまだまだ古臭いところが多いよね。女性意見を言っても、上の人たちは聞く耳を持たないし。」

「それな!どうせ ‘可愛いからお茶汲んで’ くらいにしか思ってないのよ。」

みんな共感してくれて少し心が軽くなったけど、同時に悔しさが募る。私はただ、性別関係なく、自分仕事に誇りを持ってやりたいだけなのに。

午後の現場確認

午後、現場での書類確認を任されたけど、そこでまたもや一悶着。現場監督の○○さんが、私を見てニヤニヤしながら言った。

「こんな華奢な女が現場に来るなんて珍しいなぁ。重いもの持てないだろ?男を連れてきてくれよ。」

その場で言い返してやりたかったけど、口を開いたら負けた気がして悔しくて何も言えなかった。ただ、心の中では「こんなことで負けたくない」と思い、ぐっとこらえた。今度こそ彼らを見返してやるんだから

帰宅後の夜

帰宅してから今日の出来事を振り返りながら思う。私は、女性としてではなく、ただの「事務員」として仕事をしているはずなのに、どうしてこんな風に扱われるのだろうか?性別ではなく、仕事の成果で評価されたいと願っているのに、現実はなかなか難しい。

だけど、だからといって諦めたくない。明日もきっと同じようなことがあるだろうけど、私は負けない。いつか、女性であることが障害ではなく強みになるように、この業界を変えていけたらいいなと思う。

最後一言

「女だから」と言われるたびに心の中でこう叫ぶ。

Fuck that! 私は誰よりも優秀で、誰よりも頑張っているんだから性別なんかで判断するな!

明日も負けずに、頑張ろう。

ドラクエ4コマ劇場の思い出

30年も前、小学生だった自分が夢中になって読んでいた「ドラクエ4コマ劇場」。あの漫画ユーモアキャラクターたちのやりとりが、おもしろくて仕方がなかった。

4コマ劇場を通じて、ポニテがすごくよく似合う当時好きな女の子と仲良くなれたんだよなぁ。彼女はいつも図書室で本を読んでいるような、ちょっと大人びた女の子だった。ある日、僕が4コマ劇場の話をクラスでしているのを聞いて、彼女が「それ、私も読んでる!」って話しかけてくれた。普段まりしたことがなかったから、びっくりしたけど嬉しかったな。

その日から、僕たちはよく休み時間ドラクエの話をしたり、一緒に4コマ劇場面白かったシーンを真似して笑ったりするようになった。彼女はすごく頭が良くて、本の話もたくさん知っていて、僕は彼女との話が楽しくて仕方なかった。でも、卒業の頃には彼女地元の名門私立女子中学に進学することが決まっていて、それから会うことも話すこともなかった。

大人になってから彼女のことをふと思い出すことはあっても、どこで何をしているのかは全然からない。もう会うこともないのかな、と思いながらも、こうしてドラクエ話題に触れると、あの頃の思い出がふわっとよみがえってくる。

最近、「ドラクエ4コマ劇場」が一時的に復活するって聞いて、またあの頃の笑いを味わえるのかと思うと嬉しくなる。きっとあの漫画がなかったら、あの子あんなに仲良くなることもなかったし、僕の小学生時代は少し味気ないものになっていたかもしれない。ありがとうドラクエ4コマ劇場。そして、ありがとうポニテちゃん。今、どこでどうしているのかな。元気でいてくれたら、それだけでいい。

anond:20241116171758

食べ終わってエネルギー確保したんだから働けるよね?

もしかして休み後の食事後に休憩したからって仕事サボってるの?

anond:20241116160703

から土日休みだった人でもそういう生活から心配しなくていいと思う

休みイベント行くのは体力が有り余ってる人くらいよ

あの日見た姥捨山を僕達はまだ知らない

私は車で10分ほど走らなければコンビニスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。

以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。

「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松

お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネル空き家ばかり。

ただ、空気や水はずっと綺麗だし自然は美しい。

そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。


半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム

60代だしまパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。

駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。

電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。

ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。

でもこんなど田舎には戻りたくない。


地元小学校はいつ閉校してもおかしくないくら子供が減ったらしい。

私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。

子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。


別にこの土地の何もかもが嫌いなワケじゃない。

楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。

まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。

ただ、今の自分が戻るメリットがない。

幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしま自分が嫌だ。

自分お金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)

休みの日には近所を散歩したり友達遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。

あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。


田舎に両親がいて、頼れる兄弟もいない。

免許返納、介護、墓…全部自分がどうにかするしかない。

似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。

こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやす名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。


地元結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。

簡単そうで実は一番難しかったりする。



そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、

今日中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。

賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。

やっぱり私は典型的お上りさんだ。


もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。

脆くなった

母を亡くしてから、本当に心がもろくなった。

誰にも吐き出せない、ひたすらためこむって本当に毒なんだなって思う。

一人でいい。絶対的な味方がほしい。

今の自分には誰もいない。

誰も肯定してくれる人がいない。

常に自分に自信がなくて愚痴るのもおこがましいのかなって考えてしまって。

からってしょうがないとか割り切れるわけでもなくて。

その思考根底にあるのはやっぱり母の自〇にたいする後悔とか自責の念なのかなって。

もっとできることあったのに、とかなにもしなかった、とか自分のせいだ、か。

数年たった今でもその思いはずっと消えなくて。

考え出すと泣いてしまう。

から誰にも話せない。亡くなったときに関わった人以外には今でも伝えていない。

今でも一緒に住んでる体で話してしまう。

たから見たら異常なのかもしれないけど、

口に出すと泣いてしまいそうだから話せない。

定期的に鬱期が来る。

家で一人でボロ泣きしてる。

一生こうやって一人で生きていかないといけないのかと思うと気が重すぎる。

解放されたい。疲れた、もうしんどい

日々仕事でベコベコに心おられて、休みの日も頭から離れなくて。

休みの日くらいしっかり休みたいのに、全然心が休まらない。

仕事から解放されても母への思いか解放されなくて

結局泣いて泣いて泣き疲れて寝て一日終わって。

なんか頭ばぼーっとしたまま一日終わって。

ぼーっとしたまま次の日迎えて仕事行って…

その繰り返し。

全部諦めたい、捨てたい、逃げたい。

でも逃げられない。意気地なし。

いまだに高校に入り直して不登校になる夢と謎のゲーム専門学校空虚な昼休みを過ごす夢を見る

どっちも入ってないのに

anond:20241116013849

平日休み仕事だけど分かる。

平日昼間の快適さを知ってたら土日の混み具合は本当にげんなりする。

平日連休にして格安航空券あっちこっち遊び歩いている方が充実度高い気がしてきた

もう休日友人に会うなんて月に1度くらいで

嫁さんとは夜に顔合わせてりゃ十分だし子供もいないし

土日の方が通勤空いてそうだし

土日以外を休みにするとイベント事が行きづらいけどそもそもライブとかも特に行かないか別にいいな

飯屋も観光地も平日の方が空いてるし

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