はてなキーワード: 早期退職とは
30代非正規低学歴低収入、故にお金も貯金もなく、これまで恋人も家族も頼れるような知り合いもいないといわゆる弱者男性である。
これまではそれでものほほんと暮らしているいけている、誰にも頼らず静かに暮らすのが性になっているように思っていたが、
実は身体の方はそうでなかったらしく体力の低下になのか急に心がモッキリと折れてしまったようで、すべてが嫌になってしまった。
だが死ぬという選択肢はなかなか取れないでいる。昔は「いざとなったら死ねばいいか」みたいなことを考えていたが
非正規ながらある程度楽しく務めた仕事のことやこんな自分でも仲良くしてくれている友人らのことを考えてしまい、どうにも死ぬという選択肢が取れない。
今はこんなに嫌なのに、昔の楽しかったことを思い出してしまうのだ。
昔正社員を目指した時期、色んな会社から不採用の通知を受け取る際に「キャリアビジョンが見えず早期退職しそうだから」というフィードバックを貰ったことがあった。
俺、今そういう状態。ずっと親を介護してたんだけど、半年前死んだら遺産が2000万。介護のために仕事を休職し、そのまま早期退職でやめたとき、早期退職の割増退職金含め手元に6000万あったので。あわせて8000万
なにやってるかというと、トレード。これが買ったり負けたりで増えもしないし減りもしない。ほかは読書、歴史と科学と翻訳小説をよんでる
これだけ。
正直読書は飽きないと思うが他に人と関わる趣味がほしいので、地域の文化協会の案内とか見てる。
今考えてるのは実家がでかすぎるので、これをシェアハウスとかゲストハウスにできないかということ。そうすると暇じゃなくなるなと。
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
大学にいると時折早期退職をして学生に戻っている人を見掛けることがある。
私が所属する美大でもそれは同じで、一般大を出て社会でキャリアを積んでから、夢だった美大に来るという人もいる。
だが、彼らの一部(であると信じたい)には、まるで学生を部下のように扱う人もいる。
グループワークでも「私は考える人で、あなた作業する人」という構図で、アイデア出しやブレストには積極的に参加するものの、その後の実制作ではほかのメンバーに投げっぱなしという行動を見ることも少なくない。
私は大学院生かつTAの立場なので、見掛ければそれをやんわり注意するが、本人は問題行動をしているという自覚がないのかヘラヘラされることが大半だ。
年齢が上だったり、社会経験があったりしても、学内では対等の立場である。
# 結論
今、どえらい会社説明会を受けてきた……これが「どえらい」かどうかは人によるけど、別にどえらくも何ともないと思うひとはスルー推奨。
都内の某IT企業。就活サイトでたまたま見かけただけだけど、面接時の提出書類に手書きの履歴書を指定しているのを見て、「この時代に手書き指定!?」と衝撃を受けた。令和のIT企業が手書き指定とはどういうこったいと思って説明会に申し込んだ。
参加者は、私と、もう1人女の子(仮にAさんとしておこう)がいるだけ。中小企業あるある。
ややあって採用担当のおばさんが入室してきて、説明会スタート。アクセもネイルも巻き髪もばっちりな、眉しか描いてない私の5億倍美意識の高そうな方だった。
おばさんはまず最初に、「では、マスクを外して下さい」と言った。「外していいですよ」ではなく? と戸惑ったけど 「マスクってもうしなくていいんですよね」とおばさんはニコニコなので、「そうですね、個人の自由ですもんね」と返した。そう、個人の自由。外して下さいじゃないねん。インフルとか流行り始めてんの知らんのか??
そんなこんなで説明会が始まると、おばさんはまず志望業界を私たちに聞いてきた。AさんはIT業界1本、私はIT以外にも目を向けていると答えた。事実、色んな業界の説明会や選考を受けていたから。
だがしかしこれがおばさんの逆鱗に触れたらしい。「そんなふらふらした気持ちではIT業界ではやっていけない」とブチ切れ。えっこれ面接!?!? 説明会ですよね!?!? 面接で「まだITには絞ってない」とか言ったらんん? ってなるかもだけどさ、少なくとも説明会は「まずは話を聞いてみよう」くらいのスタンスでやるものだと思ってるよ。
まあ、無駄にバチバチするのも嫌だしAさんにも迷惑なのでとりあえず「そうですね」と流してその話題は終了。
マスクの件とこの事件(?)で私は完全にやる気をなくし、ここから先何か言われたら極力言い返そう……と心に誓う。どうせ選考受けないし。
次に、「どうして説明会に参加しようと思ったんですか?」と聞かれる。ここでもAさんだんまり。何なら私もだんまりなんだけど、絶対何か言った方がいい空気なので「履歴書が手書き指定なのが気になった」と回答。おばさんは「それだけ? それだけでここまで来たの?」と素で驚いていたけど、私無駄に行動力はあるのでそれだけで来ました。ごめん。
案の定……とかはあんまり言わない方がいいのかもしれないけど、「字は人を表す。私は十何年人事をやっているが、字だけでその人がどんな人か、百発百中で見抜くことができる」とのお答え。ありがとうございました。
次に現在の選考状況の話。IT企業から内定を貰っている、と言うとおばさんめちゃくちゃビックリしてた。「どこの会社? 何してるの? 選考フローは?」……めっちゃ聞くやん。「でも、面接2回と性格診断だけですから」と答えると謎に納得された。こら。
続いて説明会資料が配布される。配り終えたおばさん、開口一番「何かご質問は?」。
……それ、説明会の最後にやるやつでは?? Aさんを伺うと、やっぱり私と同じようにビックリしたような顔をしてた。2人でビックリしていると「無いんですか? ウチに関心が無いんですか? 何しに説明会に来たんですか?」とおばさん再びキレそう。
Aさんも何か発言する素振りはない。選考受けないしこのおばさんには既に嫌われてそうだしいいや、と思って、あわあわしながら以下のようなことを伝えた。
「説明会は全体説明→質疑応答の流れがスタンダードの文化で生きてきたので、先に質疑応答を求められるのはちょっと文化の違いがあって戸惑っている。出来れば先に全体的な説明がほしい」
「文化の違い」で鎮められなかったらどうしたもんかと思ったけど、おばさん、これ以上やり取りしても無駄と判断したのか説明会開始。いや出来るんかい。
最後に選考フローの説明。企業バレを避けるためにぼかすけど、すげえ色々やる。「面接2回とかで入るとミスマッチ起こして早期退職に繋がるので〜」とナチュラルに他社disりをぶち込む。やめなさい。
最後に、本当に質疑応答をして終了。帰りのエレベーターでAさんとおばさんの悪口で盛り上がってしまった。
圧迫面接なんて言葉もあるけど、まさか説明会でここまで威圧されるとは完全に予想外。IT企業は狭いと他所の説明会で聞いたけど、就活生が将来の取引先やお客様になる可能性無きにしも非ず(カゴメなんかは製品送ってくれるらしい)。せめて、せめて説明会は気軽に話を聞きに行けるものであるべきと思ってる。だって説明会だもの(みつを)。
これまでの経緯について、だらだらと書きます。
夫:32歳、大学院卒、社会人8年目、手取り年収500万円、副業年収75万円
妻:32歳、短大卒、保育士7年目で結婚⇒パート5年目で妊娠&出産⇒現在は専業主婦
息子:1歳
当時ブームになっていたFXを始めることにした。このときの資産は60万円で、最初に入金したのは10万円ほど。バイトで稼いだお金が元手。
大学2年から大学院1年までの約4年間FXに取り組んだが、その割にリスクをとるような取引はしなかったため、最終的にほとんど±0で終わった。
FXで大損した話がネットに溢れていたため慎重になっていたと思う。
ただ、本気で取り組めば稼げるようになるはずだと信じていた。大学時代に数千万円貯めて就職したくないと思っていた。
結局4年費やしても何の成果も得られず、自分に投資の才能はないと悟った。
一晩で30万円溶かしたときはショックだった。その次の日に一人で北海道旅行に行く予定で、キャンセルしようかギリギリまで迷ったけど行った。
結果的には行ってよかった。1月だったけど奇跡的な暖冬で、良い傷心旅行になった。
今から思えばこの経験をしておいて良かったと思う。資産が増減すると自分にどのようなメンタルの変化が起きるか分かった。
若いうちに投資を始めるのは大事。仮に失敗しても元手が少なければ損は少なく、後の人生でいくらでも挽回できる。
大学院2年目のときにゲームや専門書の転売を半年ほどやって50万円ほど稼ぎ、資産は150万円になった。
このときはFXは完全に辞めていた。社会人になったのでリスキーな投資ではなく安定投資をすることにした。
ネット上からWebスクレイピングで株価データを入手し、自分で決めたルールで取引するとどうなるかをシミュレーションするソフトをExcelで作った。
頑張って作ったのに、どんなルールを使ってもせいぜい年率4%しか利益にならず、これならインデックス投資したほうがマシだと思って辞めた。
ちなみにFXをやっていた頃から経済ニュースは参考にしなかった。経済ニュースを見て大金持ちになれるなら世の中の経済学者は全員金持ちのはずだがそうはなっていない。そもそも社会人で日中仕事をしている状況で経済ニュースなんて見れない。などと言い訳していたが、実際のところは勉強が面倒だっただけ。
入社した会社には、10%の奨励金を貰える自社株制度があった。1年目の最初は財形貯蓄をしていたが、1年目の終わりに自社株制度を使った良い方法を思いついたので財形貯蓄は止めた。
毎月の収入とボーナスをすべて自社株の購入に充て、次の月に売却するのである。そうすれば奨励金10%(税金を引けば8%)分が利益になる。
ドルコスト平均法のように購入時期を分散するだけでなく、売却時期も分散するのでリスクは少ない。
この方法は今も続けているが、毎年30~50万円の利益を生み出してくれている。
ここで資産が大きく増えたのは結婚したからである。結婚時は私の資産が300万円で妻の資産が800万円だった。
私の資産が150万円ほど増えた理由は、会社の寮に入っていたため家賃と光熱費を大きく節約できたためだ。具体的な金額は覚えていないが、合わせて約3~4万円だったと思う。
妻は結婚するまで7年保育士をしながら800万円貯めた。実家暮らしで、無駄遣いしない性格だったためである。
誰もが知るように保育士は薄給で激務であるため、結婚を機に辞めた。それから約5年は年収100万のパートを続けていた。
結婚は価値観のすり合わせが大事だと思うが、それほど苦労はしなかった。結婚前からお金の話や将来の話はオープンにしていた。
ただ、妻に財布を握られて投資ができなくなるのが心配で、将来のライフプランや投資で想定されるメリットなどをパワポ資料を作ってプレゼンした。プレゼンについてはかなり気に入ってくれて、投資を自由にやらせてもらえることになった。
家の家計管理も私がやることになり、毎月の家計簿も付けている。
投資については、この時期からインデックス投資をすることにした。海外株、海外債券、国内株、国内債券をバランスよく保有する形で投資信託を毎月購入していた。
ただ、リスキーな投資にも手を出しており、仮想通貨も購入した。当時の仮想通貨はバブルで、急上昇したあと急降下する動きをしたため、私は数十万円損して終わった。
新型コロナウイルスが発生した2020年である。またFIREムーブメントが起きた年でもある。
FIRE本で書かれていた内容だが、投資については昔から有名なインデックス投資のやり方のままで目新しさは無かった。ただ、FIREは投資だけでなく収入や支出などを含めた、新たなライフスタイルの提案なのだと感じた。
今の家計管理をもっと洗練すれば、早期退職できるのも夢ではないと分かった。計算してみると50歳で資産1億円を達成してFIREできる見込み。
家計管理を洗練すると言っても、既に支出はそれなりに切り詰めている状態だった。車を持たず、民間保険には加入せず、携帯は格安SIMで、夫婦そろって服も買わない。
減らせる支出は外出や外食ぐらいだったが、コロナのおかげで両方減らすことができた。この年の年間支出は約300万円。
投資については、リスク度合いを大きく引き上げた。投資信託の中身を全て米国株や全世界株に変え、資産の9割を投資信託、残りを現金という配分にした。
株式はリスクが高く金額の増減が激しいものの、長期的にみた成長率は現金や債券より高いと分かった。緊急で必要になる程度の現金が確保できているため、残りは株式にしても問題ないと判断した。
この判断のおかげで2021年には投資の利益が300万円になった。なお2021年以外の年の利益は平均100万円ほどであり、2016年以降で利益が50万円を切った年は無い。
また2020年に不妊治療を始めた。結局子供が生まれるのは2022年となるが、体外受精まで進んだため合計で100万円ほど費やすことになった。
実際は150万円ほどかかったが、市や県からの補助金、確定申告の医療費控除分を引くと、この金額である。
不妊治療については結婚後初めて夫婦の意見が大きく割れた。これまでも子供の話はよくしており、お互い子供が欲しいと言っていたが、その本気度は違った。
私は子供は自然に産まれると思っており、高額な不妊治療をしてまで欲しいと思っていなかった。普通の買い物でお金を払うときは、払うお金に対して妥当なリターンが想定できるかどうかで判断する。しかし不妊治療は、言わば高額なギャンブルである。
数十万や数百万のお金を費やしたとしても、子供が産まれてくる保証はない。子供が産まれるまでいくらかかるが分からない。そういうお金の使い方が受け入れられなかった。しかも産まれた後は2000~3000万円ほど費やすことになる。
しかし妻にとっての子供は、人生に絶対必要なものだった。不妊治療で子供ができなければ養子を貰いたいとまで話していた。
私自身は、子供ができなければそういう人生を楽しめば良いと思っていた。しかし妻は、子供がいない人生はただの暇つぶしになると言う。
夫婦の幸せを考えるなら子供は必要な存在なのだと思った。それに私自身も、今後の人生において子供がいないことを後悔するときが来るかもしれないと感じた。そういうわけで不妊治療を始めることにした。
コロナバブルのおかげで株が値上がりし、資産が3000万円に到達した。2020年に400万円増え、2021年に600万円増えたので、2年で1000万円増えている。
FIREを意識するようになって家計を見直したこと、コロナで外出が減ったことも影響し、手取り収入に対する支出の割合が50%になった(2019年以前は40%以下)。
なお2021年後半にはTwitterで話題になっていたレバナスを50万円分購入し、今では半額になってしまった。
2年続けた不妊治療の甲斐あって、息子が誕生した。息子が産まれたことで支出が増えるかと思ったが、今のところあまり変わっていない。
国や会社から手当金が貰えるようになり、外出や外食の頻度がさらに減ったので、それらのお金がおむつやミルクに消えることになった。息子の服やおもちゃなどはメルカリで安く購入し、ベビーカーは人から貰った。
3か月ほど育休を貰って育児をした。最初の頃は、自分の人生はこれで良かったのだろうかという葛藤があったが、4か月目くらいになると息子を愛おしく感じるようになった。
2023年まではジュニアNISAに入金できるため、2年分の160万円を入金した。
仕事のストレスが強かったため、将来サイドFIREできるように副業を始めた。始めた当初は一か月に60時間労働して6万円稼いでいたが、徐々に効率アップし、2022年の後半には一か月に40時間労働して12万円稼いだ。
副業を始めたことでFIREできる目標年齢が大幅に下がり、34歳で仕事を辞めてしまおうかと考えていた。
2022年は株価が下がったものの、急激な円安のおかげで資産が伸び、4000万円に到達した。資産の8割以上をドル資産にしていたのが良かった。
また転職はしていないが、仕事の内容が大きく変わったことでストレスが無くなった。34歳で仕事を辞める計画は先延ばしすることにした。
副業に対するモチベーションも下がったが、今後のことを考えると続けた方が良さそうなので一か月に20時間労働して5万円稼いでいる。
資産を築く方程式が以下だとすると、重要度合いは収入と支出が40%ずつ、残りの20%が投資というイメージ。
実際のところ収入ー支出で毎年300万円ほどになっており、投資の増分は100万円ほど。2021年は300万円増えたので例外もある。投資資産が増えるほど福利効果を感じられるようになるというが、減少するリスクも高まるのであまり安心感は無い。
家は今も今後も賃貸アパートの予定。妻は一軒家に憧れがあったが、理想の家を手に入れるには1億円かかることをYouTubeで知り、中途半端な家に住むくらいなら賃貸で良いという考えになった。
車も持つ予定はない。ただ子供が産まれると車があれば便利だなと感じることが増えた。電車で人に迷惑をかけることがないし、行動範囲も広がる。それでも車を持たないのは夫婦そろって10年以上のペーパードライバーで、運転すること自体が怖いから。
保険については、妻は家系にがんの経験者が多いため入りたがっている。その話になる度に、保険商品は確率で考えれば損になること、資産があれば保険は不要であることを説明している。
現在保有している資産の割合は以下で、現金以外は米国株と全世界株。
投資信託:25%
毎月の投資額の内訳は以下の通りで、自社株を除けば毎月18万円投資している。なお年2回のボーナスには手を付けず、毎月の投資額の一部となっている。
自社株:20万円(一か月後に売却)
投資信託:8.3万円
ETF:7万円
・下落相場では資産額が半減することは覚悟し、絶対に損失確定はしない
投資のことは自分なりに勉強&実践してきたつもりだったが、振り返ってみると収入を増やして支出を減らす方が効果的だった。今後も資産が増えれば福利効果を強く実感できるかもしれない。
資産の増減には昔ほど動揺しなくなった。大学生のとき30万溶かしたのはかなりショックだったが、今では30万円程度の増減は日常茶飯事。たまに大きく動いたときには1日に100万増減する。動揺しないのはインデックス投資に対する信頼が強いため。
将来の目標は息子が小学生になるまでに仕事を退職することと、息子に1億円の資産を残すこと。
これからの時代は子にお金を残さないといろいろ厳しいかなと思っている。ただ息子がお金を無駄遣いするような性格だったら、あまり残さず夫婦で高級老人ホームに入りたい。
ワイも金はない側の人間だけど、ここまで落ちてないという自負はある
外資系の保険会社で働いていた夫・邦夫さん(仮名・59歳)の早期退職を機に、心機一転、北関東のはずれにある小さな町に、二人の子供とともに移住した田辺恵美さん(仮名・51歳)。
前編『59歳外資系勤務夫が51歳妻と地方移住も…「奥さんは働かないの?」近隣住民が向ける好奇の目に切り裂かれたメンタル』では都内から車で3時間ほどの移住先へ引っ越してから、ご近所との交流に一抹の不安を覚えながらも、新生活が始まった様子を伝えた。
上の娘は私立中学校へ、下の息子は公立の小学校への編入手続きを済ませたのだが、これが失敗に終わってしまう。
PHOTO:iStock
「言葉遣いや地元の慣習に馴染めなかった娘は学校でも浮いてしまったようで、毎日暗い顔をしていました。私立と言っても地方では結局地元の人間の集まりなんですよね。同じ小学校や同じ町内から通学しているようなコばかりで、遠方、それも東京からの編入生である娘は周りから距離を置かれていたようです。
本人は普通に振舞ってるつもりなのに『気取ってる』『セレブぶってる』とか言われて仲間外れにされたみたいですね。息子は息子で『でかくて変な成金趣味の家の子供」という目(偏見?)で見られていたようです。『成金趣味』だなんて、小学生が日常的に使う言葉じゃないと思うので親や周りのおとなの影響でしょう。
一番ショックだったのは先生方もよそよそしかったことです。授業参観に行った時、いくら手をあげても指してもらえない娘の姿や、休み時間に他の子供たちが先生に誘われて校庭で遊んでる中、ひとりで教室に残る息子の姿を目にした時は胸が押しつぶされそうになりました」
自分はいわゆるゆとり世代。2013年度新卒。希望通りでは無かったが、特段苦労する事もなくトントン拍子で中堅の会社に就職した。周りをみても、就職活動の苦労は、第一希望の業界や会社に入社することは出来ないがどこで折り合いをつけるかだった。無い内定の友人達は、どうしても希望の職業に就きたいか、モラトリアムを延長したいかと言った感じ。
モラトリアムを謳歌した友人達も、自分で何か始める、または数年遅れですんなりと就職。
一方、自分の親はバブル世代で、自分が逆立ちしても入れない企業たちから囲い込みされてその中の一社に入社したらしい。親の就活話しを聞くと、羨ましくて自分達は苦労したものだと思っていた。
ちなみに母親は新卒時に超大手企業に勤めていたため、子育てが終わってからの再就職も経験を買われた為、用意だったらしい。
会社に入ってからは、いわゆる氷河期世代の人達もいたが、自分達や親世代と同じようだと思っていた。たまに飲み会で当時の就活苦労話等も聞いたがイマイチよくわからなかったし、今思えば、彼らは氷河期でも勝ち組の人達だったんだなと思う。
しばらくして、違う事を経験してみたくなり退職。職業訓練校に通う事になった。
訓練校では生産管理を学んでいた。クラスメイトの構成は、バブル世代3割、ゆとり世代3割、残りは氷河期世代だった。バブル世代の面々は、リストラにあった人もいたが、子育てが終わり早期退職し、今後はゆっくりしたい人や現場から管理職へキャリアアップしたい人達だった。一方のゆとり世代は、自分のように違う事を経験したくなった人、モラトリアムを味わいたくなった人、結婚を機に退職した人、フリーターから正社員を目指す人々だった。
自己紹介で今までの経歴を話すのだが、もちろんゆとり世代は学生に毛が生えた内容だった。
驚いたのは氷河期世代で、華やかな経験を持つ人達もいたが、就職に失敗しその後派遣を転々としているとか、40代過ぎてバイトの面接も受からないだとか、就職を諦め今まで資格取得の勉強をしてたが年齢的に諦めたとか、ブラック企業を超える漆黒企業で長年勤め身体を壊したとかだった。
今まで、正直、氷河期とか言ってるけど結局は自己責任じゃないか?と思ってたが、こうも世代が偏ると明らかに不平等さが際立っていた。
氷河期世代の人達は愚痴っぽく、ゆとり世代の呑気さや、バブル世代の経歴について、よく愚痴を吐いていた。気の毒だとは思ったが、話を聞くのは正直辛かったし、氷河期世代で無くてよかったと思った。
訓練校生の就職活動は、ゆとり世代は若さを買われ、バブル世代は経験を買われトントン拍子に進んでいった。
氷河期世代は、漆黒企業の専門職経験者以外は、苦労していた。若くも無く、経験や技能を持たないものは選ばれないのか。
見ていて辛くなったが、どうする事も出来なかった。
うちの小学生の子、不登校でほぼ毎日家にいてマイクラやったりYouTube見たりして過ごしてる(この話は長くなるし、今回の筋とはずれるから略)。
で、最近うちの兄が早期退職して、半年くらいのんびりしてから再就職するらしい。決まりそうなとこがあるみたい。
年に数回家族同士で会うんだけど、先日、「Sくんはどうなの?まだ不登校なの?おれしばらくヒマだから、連れ出そうか?博物館とか。」って言ってくれた。
うちの子のことを気にかけてくれてるんだ…。それだけでうれしい。さらに遊びに連れてってくれようとしてて…。なんかすっごいうれしかったな。
おれが高校になるころ、兄は一人暮らしはじめて、就職して結婚して子ども出来て、子どもたちは手が離れて。疎遠になってたわけじゃないけど、家族だったころにくらべると関係が薄くなってた。
でも子どものころ、兄が大好きだったなぁ。くっついて出かけて、なんでもマネして…。いい兄だったから好きだったんだな。そして今も変わらずいい兄だった。
おいおい中学生の君!聞いてくれ!インフィニティーなコンテンツが見たくてたまらないんだ!オレ43歳で、氷河期ロスジェネ。20歳代のときはニートだったから、テレビと2ちゃんで浪費してたんだ。でも今はプロが作ったコンテンツがめちゃくちゃあるんだぜ!Amazonやネトフリ、ディズニープラス、読み放題のAmazon、近所の図書館でどんな本でもウェブで取り寄せられるんだ。それにゲームもXboxゲームパスでたくさん遊べるのに、オレがしてるのはただボケーっとしてることくらいだ。なんでかって?朝早く起きて子供を保育園に送って、夜は8時前に帰ってきて、あとは自由な時間が2時間くらいしかないんだ。映画を見てても寝ちゃうし、最近はうつ病にもなってるんだ。FIRE(早期退職)っていうのがどうすればできるかばっかり考えて、FXでやったら妻に内緒で貯金の一部分を使ってしまったんだ。自己啓発の「明日死ぬかもよ」って本を見たけど、「今から死にます。真剣に死にます。」って書いてあって、3、2、1、死んじゃったよ……。あのときこれやっておけばよかったとか、あれやっておけばよかったとかって後悔すると思ったんだけど、全然そうでもなくって、死を受け入れちゃってたんだ。でも、後悔したいんだ。
Googleもそうだけど早期退職の募集があると「この会社潰れる」とか言い出す人いるんだが
下り坂で早期退職募集なんてしたらみんな出て行くから悲惨なことになるし
あんまり良い条件を提示できないから社員も悪い条件のまま退職せざるを得なくなる
そもそも業務に対して人員を割り当ててるので戦略変更や市場変化で業務内容が変われば人員も変わる
「プログラマーはもういらないけど営業は欲しい」とか普通にあるけど、プログラマーが営業やりたいかは別でしょ?逆もそうだけど
「この先仕事が無くなってお前(ら)の給料上がらないから、他の仕事探すなら今のうちだよ?」
っていうのと
「社員減るので残ってくれたら給料上がるけどこんな良い退職条件が今後あるかは分からないよ?」
っていう天秤にしてるだけだから
なので早期退職を募集してても人員が足りてない部署はあるし新規採用も同時並行で進めるのは当たり前
日本は事実上の一般職っていうのが多くてプログラマーでも「技術系でしょ?」ってことで工場勤務とか平気でさせられる
結局は人事異動で人員整理しているんだけどそれに対して社員希望のケアなんて全然無いよね
「嫌ならやめれば?」っていうのを暗に迫ってるわけだけど
そういうクソ人事と退職パッケージだったらどっちがいい?っていう話だよな
今は35歳で資産2000万ある。すごいでしょ。
(本来なら友人や恋人や家族に使うべきところを貯めただけの金額なので実はすごくない。)
ここから年間の手取り収入、支出を計算したら、45歳で仕事辞められることが分かった。
あと10年、頑張るぞ。
年齢 | 資産 | 収入 | 支出 | 備考 |
---|---|---|---|---|
35 | 2000 | 500 | 200 | 年間300万貯める。 |
40 | 3500 | 500 | 200 | |
45 | 5000 | 500 | 200 | 早期退職 |
50 | 4000 | 200 | ||
55 | 3000 | 200 | ||
60 | 2000 | 200 | ||
65 | 1120 | 120 | 200 | 年金受給開始、月10万貰う。 |
70 | 720 | 120 | 200 | |
75 | 320 | 120 | 200 | |
80 | -80 | 120 | 200 | 金を使いきって死亡。 |
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本作は弱者男性召喚士となり弱者男性に女をあてがうことで強くする。
基本は育成型シミュレーションゲームだが、イベントバトルでは美少女とのガチ戦闘が発生する。
本作の主人公。元社畜アラサー。ブラック企業を早期退職しニート生活を送っている。倒した美少女を洗脳する能力がある。
【美少女たち】
【弱者男性】
1.普通の男
2.負け犬男
ニートや引きこもりの負け組中年。能力は平均的だが社会復帰が難しい。
3.クソ雑魚男
メンタルが弱くすぐキレる劣等種。能力は低く、どんな環境でも適応できない。
この情報でみんなに差をつけよう!
【名前】
【種族】
【職業】
【身長】
169cm
【体重】
56.5kg
【誕生日】
【年齢】
38歳
【性格】
卑屈な性格で自信がない。自分に自信がないため女性と話すことができない。そのため童貞である。
【趣味】
【特技】
家事全般が得意。特に料理の腕には定評があり、プロ級の腕前を持つと本人は思いこんでいるが実際は出来合いのタレを使った料理しか作らない。
【好きなもの】
【嫌いなもの】
【備考】
顔立ちは悪くないのだが、不摂生な生活をしているため肌荒れが目立つ。
基本的に部屋に引きこもってばかりいるため体力もない。