2024-10-22

この十年、選挙投票先をランダムに・サイコロで決めている話。

私はこの約十年間、市町村議会選挙知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙投票先を、ランダムに決めている。

文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合ちょっと複雑になるけど)、とにかく自分意志であるとかを介在させないようにやっている。

(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)

なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主政権交代劇の際に、「無党派層」というもの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。

私は大学ゼミで、戦前男子普選の時代に「無党派層」というもの勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。

(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争突入してしまったのと、地域社会や院外団活動関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)

選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。

報道職場労組、近所付き合い、フットサルジムサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか投票所の門をくぐった瞬間何かの党派空気で入った人」を指す言葉しかない。

党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである

あるいは単に「負ける候補者に入れたくないか都知事選では石原に入れるし、2009年選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。

筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?

良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかなのだ

やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。

具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬議員に入れることになったこともある。

私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。

まりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。

日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、

選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後テレビネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。

私の選挙行動はそれを意図的にやっているかたちである

私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダム投票先であれば仕方ないが)、

自分意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。

そして議員が、「自分存在乱数の上の存在しかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。

もし私と同じようにランダム投票活動であるとか、何か珍しい(?)決め方をしている人がいたら、是非教えてください。

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