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はてなキーワード: 自責とは

2024-04-12

人に興味がない

SNSのやり方見てたら、他人ポスト批判しつつ自分はこうする、ああするみたいなコメントばっかり

完全に自己発信するとき仕事や買い物のミス自責する(ほとんどお金のロスに関するもの)内容のやつだけ

見る動画はだいたいドキュメンタリーとか直接自分生活が向上しそうなもの

Youtubeはすべてくだらないので見てない

趣味もないのでそういった関係の繋がりはないが最近打算的にケーポップにハマろうとしてる

彼女とは同棲中だが最近は土日のデートもなく週7で働く日々

猛烈にSNSに向いてないな

自己肯定や承認欲求彼女がいるおかげで足りていて自責に関しては単純にミス自分に刻み付けるだけでメンタルの不調ではない

からSNSに何も見いだせないな

ほんと何が面白いんだろうな

2024-04-09

自責の念に駆られる理由

自分自分に「なぜこうしたんだ!?」「バカじゃねーのか!?」っていう自責の仕方する

で、今日彼女とメシ食ってる途中に「かじりかけのフライドポテトそのままだよ」って云われたけど完全に身に覚えがなくて、普段の俺ならそんなことしない、それもそのはずフライドポテト以外の食べ物は齧ってもちゃん自分の皿に置いてたのにそこだけ別人格に入れ替わったかのよう

言動とかも覚えてないことがおおい

でも多重人格みたいなことはなくて、むしろ人格がないのではないか?と思ってしま

メタ視点から見すぎて主観的感情がない

から状況次第の行動や言動が多い

他の人の自責とか責められてるの見てても俺みたいな感じじゃなくてちゃん本能とか意思に従ってやった結果だと思うのに、俺の場合は現に俺自身客観的に見てもおかしいと思う行動をやってるから頭を殴らずに居られない

でも何故こういうことが多発するのだろうか

2024-04-02

報酬系」ってなんかご褒美が無いと体が動かないぐらいに軽く使われてるけどさ

実際は、報酬系動かないって認知とか自我とかそういう精神的な作用ほぼ全て阻害されるようなもんだぞ

反省分析思索、後悔、計画自責記憶、こういう心的機能が起こらなくなる

自我自意識すらほだされるというかなりヤバい状態

当然、納得も満足も経験されなくなる(それを体験する心が希薄になるから)

そうなると人生スパンで達成する目標かに基づいて行動出来なくなるし

損得勘定も出来なくなる 世界ランクとかマウンティングレスバに興味がなくなる

向上心自尊心射幸心グリッドレジリエンスなどのいわゆる非認知能力も全てオミット

社会性も無くなり他人形成可能関係がほぼ0になるか幼稚で非建設的で相互被害的でそういう悪い関係しか実現できなくなる

自分を許したり許さなかったり、他人の落ち度を探したり自分の落ち度を探したり、こういう批判的な思考も起こらなくなる

目的達成のために認知が編成されることもなくなり、ただ衝動と低レベル不快へ対する反射反応だけになる。

楽をする事すら考えられなくなるから怠惰以下」という・・・

報酬系が回らない事のヤバさはもっと認知されるべき

2024-03-19

努力すれば誰でもできる」論がなぜ悪いか

信じてやって出来た人 → 良い(わずか)

 

信じてやって出来なかった人 → 徒労+絶望自責

信じずにやらなかった人 → 本当はやれたかも?というモヤモヤ

2024-03-15

anond:20240315192301

お前文盲か?

自責の話してる奴に他責とか言ってるの控えめに言って頭おかし

2024-03-10

悪口雑言を内側に向けてしまタイプ

 これは自慢でも何でもなく、真剣な悩み。

内側っていうのは、もれなく矢印を自分自身に向けてしまうという意味だ。人への愚痴や陰口、悪口罵倒ができない。その代わり、自らに向ける汚い言葉は沢山出てくる。だからそういう時は、外部との接触をすべて絶って、一人で汚い言葉に向き合う。

 学校バイト先に行くと、(ネット、あるいはここもそう、)さまざまな悪口や陰口が飛び交っている。私もたまに、友人たちのこぼす負の感情を聞く。私はそれらに「悪いこと」という感情よりも先に、「すらすら言葉にできるなんて凄い」と思ってしまう。何も言えないのだ。言えないし、分からない。

 今日、かかっているカウンセリング先生から、「〇〇さんは孤独に過ごしているみたいで心配」と言われてしまった。自らに悪口雑言を向けている時は、前述の通り外部との接触を断つ。別に悪口は言ってもいいのだ。少しくらいは。先生が言うにはそうらしい。

ストレス発散には、多少汚い言葉を吐くことも必要なのだろうか。本当に言えない。自分には溢れるほど出てくるのに。今も、何でこんなこと書いているのかと、ずっと自責している。

2024-03-06

[]初音ミクプロセカ的価値観とは相いれないかダメかも

はじめに

この文章は、タイトル通りの内容を書いてあるので、プロセカ大好きキッズ回れ右して「見なかったことにしておく」のを強くお勧めする。

一部の箇所でプロセカなどをボロクソに書いてあるので、大人でも精神不安定な人も同様。

また、俺が10年以上住んでいる初音ミク界隈に対して警鐘を鳴らす意図で書いてあるので、多少の偏見過激論述も含んていることを予め承知されたし。

初音ミク界隈は高尚だった

初音ミクが発売された2007年から、だいたい2015年あたりまでは、初音ミク界隈はとてもとても立派なものだった。

オタクへの偏見の目」というハンデを克服し、ボーカロイド文化という礎を築いたかである

初音ミク公式は、某巨大広代理店ドンパチやって辛勝したり、ピアプロキャラクターライセンス関連の規定を作って「初音ミクにまつわる同人活動の模範解答」を示したりしていた。

こうして理想的ヒーローとなった公式の下で、古くからのミクファン(ミク廃)どもは、作曲したり、絵を描いたり、DIVAリズムゲー)したりなどして、比較平和自由に過ごしていた。

初音ミク界隈にプロセカ民が大量侵入してきた

プロジェクトセカイというスマホゲーがある。初音ミク公式オリジナルキャラクターは6人だが、このゲームでは、追加のキャラクター24人ぐらいいる。

それだけ多くの別キャラクタープロセカ初期からいる訳だから、「リズムゲー」なんてのは隠れ蓑に過ぎない。

リズムゲーだったら、そんなに多くのキャラクター不要からだ。

ガチャが付いた紙芝居初音ミクらがMCしたり友情出演したりしているタイプソシャゲ」と言った方が本質を突いている。

この、あまりにもライトソシャゲは、初音ミク界隈だけでなく、その他他界隈のオタク子どもの注目を浴び、2020年以降、本格的に流行り出してきた。

この勢いを借りてプロセカ民を初音ミク界隈へ流入しようと初音ミク公式は奮闘している。

そして、この努力が実りつつあるのか、初音ミク界隈にプロセカ民が大量に移住してきた。

実際、初音ミク界隈のリアルイベントには、「痛バ」を持ったファンが近年数多く目撃されている。

「痛バ」は、初音ミク界隈の発祥ではないので、彼(女)らはプロセカ民だろうという推測ができるのである

プロセカの公式YouTubeライブをしているときをはじめ、何らかの公式発表がなされる度に、Xでは関連ワードトレンド入りしている。

さて、同人文化の延長線だった初音ミク界隈に、ソシャゲ社会暮らしてきた移民共存できるのかまで、初音ミク公式計算に入れているのだろうか?

プロセカ的価値観とは

プロセカ的価値観とは、一言で雑に言えば「利己主義であるが、具体的に言えば次の3点である

拝金主義/物質主義

プロセカでは天井までガチャれば欲しい物がとれるから、その原資であるカネはなんぼあっても良いし、ガチャ回数は多いのが至高。

缶バッジガチャを回しまくったり、メルカリで多少高くてもポチったりしてゲットした缶バッジで揃えた痛バは、努力結晶

公式供給至上主義

プロセカ運営の意に沿わないアカウントはBANされるから運営には無抵抗でいなければならない。リークなんてもってのほかプロセカ民主主義人民共和国総書記の慈悲と指導なくしては生きていけない。

同人グッズなんて作ったらダメだと思い込んでいるかそもそも作る発想すらない。(前述のとおり、一定基準を満たせば同人グッズは作ってもよい。)

承認欲求

不快に感じたら即Xでお気持ち表明。論理的記載しているはずもなく、自分気持ちをあてもなく書き連ねており、文字通りの怪文書である自責なんてしない。

傷をなめてもらえらば、それで良い。フォロワーが増えたら万々歳。最初から自衛しよう」という発想もなければメタ認知も無いため、怪文書を出した後のことは考えられていない。

ここまで読んでいている人の中には、おそらく居ないとは思うが、念のため書いておく。この日記に対するお気持ち表明文は、この項目に対する論拠になるかもよ。気を付けてね☆

スラム化する初音ミク界隈に未来はあるか?

初音ミク界隈は汚染されスラム化しつつある。かつての高尚な文化過去のものになりそうだ。

プロセカ的価値観をもったプロセカ民が大量に流入したためなのか?それとも、プロセカ的価値観を持った一部のプロセカ民に、初音ミク界隈全体で公式諸共「まえならえ」をしたためなのか?

どちらがより真実に近いかは全く分からない。しかし、この価値観を持った人がXのインプレゾンビ並みに多くなったのは事実である。いや、Xのインプレゾンビの方がまだカワイイかもしれない。

公式努力甲斐もあり、ファンの数はうなぎ登りだろう。しかし、その大半は、初音ミクを「ナウでイケてるファッション」として消費しているだけである。そこに愛はあるんか?

公式だって歌舞伎オーケストラ現代アートなどのコラボレーションを進めて、「高尚な文化アピールを頑張っているが、アピールだけではそんな価値観から変貌するはずもない。

初音ミクらの公式イベントは、こういった傾向を可視化している。

参加者側でも枚挙にいとまがないが、公式主催者)側もグダグダしている。たぶん来場者数と売り上げしか見ていない。本当の愛はあるんか?

公式イベントでさえ、かのようなものである。況や「同人によるイベント」をや。

ファンによるイベント黎明期から活発行われているが、近年多くやらかしている。

ある複数団体は前述の規定を盛大に違反した開催資金集めをしたり、別の団体では著作権ガン無視ファンメイドライブを開催したりしている。

まともな「ファンメイド」はもう出てこないだろう。

同人グッズも「金儲けの手段」になり果てたのか、公式OK出せる「原価」程度の価格から大きく上振れた値段を付けて開き直る針金まで昨年出てきた。

初音ミク公式沈黙したままである

ここまで、カオス無法地帯と化してしまった初音ミク界隈に未来はやってくるのだろうか?少なくとも同人文化が華やいでいた頃の初音ミク界隈にはもう戻れないだろう。

2024-03-03

anond:20240303003500

やってることは多様性強要群といっしょだな

どっちも他責バリバリ

けして自責で何かを選択することはないし、選択オチも誰かに押し付け

しねばいいのに

2024-02-28

anond:20240228110653

そんなに人間、やわじゃないよ

凶暴性を発揮したらなにがなんでも敵を見つけて殴るよ

陰謀論者が見えない敵と戦うのも、変なことにこだわって異常な叩きに執心する増田も見たことあるでしょ?

全部のヤツらがそうとは言わないけど、叩きたいなら相手は作ればいいんだから

ただ自分が最底辺と思い込むタイプ自責系は、たしか自殺に至るね

受け入れて生きられる人はどれだけいるのか……

2024-02-13

フェミニスト無謬カルト、やめたら?

三重交通批判していた人が三重交通からクレームが入ったと誤情報を流した件、当該の人物

フェミ騎士(50)自責浮気離婚歴有り 自撮り居住地を気軽に晒す迂闊さ

フェミ要素無しでも全く信頼すべきじゃないジジイだと思うんだけど

なぜかフェミニスト達はこんな人に対しても全ベットして「フェミ騎士が正しい!オタクが成り済ましたに違いない!」とバーサーカーし続けていた。

フェミニストって相手の話を聞いて肯定するって運動方法をしていて、本当に被害がある人に対しては有効手法だと思うんだけどさ。

インターネットフェミニズムでも同じことをしていて、全く知らない赤の他人に対してもとりあえず全肯定するようになったのが致命的にマズいと思う。

草津のしょこたんや三重交通批判したジジイのように信頼できる相手かも判断せず賛同してしまうせいで、間違った人が出てきても一切反省できず他人のせいにする

無謬カルト宗教と化してしまった。

対面で専門家判断してたからなんとか大丈夫だった手法安易に拡大したせいで失敗しまくってるし、

信頼性無くし続けてるんだからインターネットフェミニズムを見直さないとヤバいと思うよ。

2024-02-10

なぜ「小学館第一コミック編集者一同」の声明気持ち悪いのか

面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。

問題文章

https://petitcomic.com/news240208/

この文章が一読して耐え難いほどに醜悪理由を書く。以下、上記URL文章について「本テキスト」と呼称する。

結論

テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。


こうとしか読み取れない理由を書いていく。

なにを主張している文章

テキストそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。

前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館ドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。


順番に見る。

テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。


ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。

要約するとこうなる。


著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」


この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語使用している以上、ここには明瞭な主張がある。

それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。

暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」結論していることになる。


……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか

彼女が本当に「ドラマに口を出してしまたこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権行使)」は、12月時点で終わっていたのだから


そんなわけねえだろ。馬鹿か。


ここには明らかに問題すり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪論理欺瞞があるのだ。

明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。

一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキスト同意することができるだろう。


そんなやつ、どこにいんの?


誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。

にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか

何のための文章

素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇再現を食い止める」だ。

まりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。

ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで著作者人格権をめぐる認識」が事件本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動自殺関係がないことになる。


ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。


なにが「事態単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係時系列無視した、問題ミスリードだ。

そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。

ここには事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。

そうするともう少し穿った見方をしたくなる。

まり「本件を「著作者人格権問題」にすり替える」ことが、本テキスト目的だったのではないか、ということだ。

看過しがたい欺瞞

この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかもっとおぞましいのはこの先だ。

要約するとこうなる。

ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館ドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである

テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。


正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。


芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?

他ならぬ芦原氏がブログで書いていた言葉引用する。

https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。

加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。

(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

これは芦原氏が「小学館時系列に添って事実関係確認し、文章の内容も小学館確認して書かれた」文章だ。

さて、あらためて本テキスト引用する。

原作である先生にご納得いただけるまで脚本修正していただき

馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。

その文章確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?

ここに自己保身以外のいかなる感情があろうか。

ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。


そもそも意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのかガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。

明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から彼女修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館責任はないのか?


無論、担当編集者メディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場担当者たちを非難していい理由にはならない。

繰り返すが、現場担当個人責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力たから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任消滅させる理由にもならないのだ。


小学館責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向ドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的ドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて責任があるのだ。

にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。

それこそが本テキスト歴史的気持ち悪い理由ひとつだろう。

再度「誰に当てた文章か」

書くまでもないことを最後に書く。

ここまで確認してきたように、本テキスト作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」目的としたものである


その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。


この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない

欺瞞自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪レトリックを駆使した挙句そもそもテキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているかだ。

終わりに

本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。

小学館悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題TV局の体質的問題、悪意を増幅させるSNSというシステム問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。


それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。

騙されてはならない。


テキストは、どこをどう読んでも、クソ以下の文章だ。

2024-02-04

anond:20240120190246

発達障害自由意志が薄弱で他責思考な私は、このように相手自由意志尊重して自由意志に対する要請をしてくる相手が非常に苦手で、こういう要請を正面から受け止めるととても生きていられないと思う。

けれども、それが社会スタンダードである以上遭遇機会も多いので、「内的には自然現象であると割り切りつつ、外に対しては意志責任存在を装う」ことで一時しのぎ的に対応している。つまり物を失くしたら「ごめん」と謝るし形式的対策はするけど、心の中では徹底的に自責を避けて、例えば薬が合ってないかもな、などと考える。人間がお互いを自然現象である合意して回るような社会ならこんな心労は無いのにと思いつつも、実際そうでないのだから今ある社会に合わせるしかないというのには同意する。というより、現状の社会がこうであることも、他者自由意志要請する人間が居ることもまた、今のところの自然の流れなのだと思っている。

意思責任物語にうまく参加できないことを認めてもらい、部分的社会から降りて心の平穏を得るというモデルは、(私の個人的意見だけど)そんなに魅力的じゃない。

自然現象宿命ではない。自分意思他者意思自然現象であり、自然現象からこそ分析して利用/回避/あるいは克服できると認める。自由意志なんて尊い幻想は捨てて、使える道具を全部使って人間をハックする。全員が人間をやめて、平等自然現象として相互作用する。そういう社会が良いなと思う。医学化ってその流れの一部なんじゃないかな?

2024-01-30

anond:20240129231339

他人を叩けるような他責な人は大丈夫だよ

ストレス耐性強いか

更に脚本家が悪いってなる

 

漫画家自責タイプでしょ

上手くドラマ化できずごめんなさいって言ってんだから

anond:20240130022937

ドラマとか見て客観的にこの人の性格には、こういう傾向があるなとか思わないの?

登場人物が「全部おれのせいだ」とか「あいつのせいで全部こうなった」とか言ってて、それが客観的事実と異なってたら、ああ。この人は自責傾向あるなとか、この人は他責傾向あるなと思わない?

2024-01-26

anond:20240126200757

自分の心の中にいる自分を責める声の方が大きいのよこういう人は。

う~ん自責のフリして他責典型

2024-01-24

anond:20240123213944

適当実施やすものから書いてみた。全部やってもダメときはだめだし、どれが効果あるかはわからん

一応この数年はやるべきことがあるけど起きれない状態までは落ちてない

睡眠

みんないうと思うが、結局睡眠大事。最低6時間(体質にもよる)、ノンレムというか質の高いのをどれだけ稼げるか

あと二度寝というかうとうとで納得感というかよく寝れた感を得られるか

 ポケスリやってみたけど合わんかったし他アプリでも分析してない

で、睡眠のために、何ができるかというと他要素とめちゃくちゃ絡んでくる

お薬(デパスからエビゴかなんかに変えた。合う合わんの個人差激しい)、栄養運動温度体温、ストレス対策日光? それぞれ後述

【お風呂温度体温】

炭酸系のに5~10分。寒いときや緊張取れないときは朝晩でも朝昼晩でも

ぬるめ。高血圧なので短めにしてるがそこ大丈夫ならもっと長くてよいはず

かい羽毛布団と毛布と敷き毛布

部屋が暖かいからそれで充分

家でも分厚い靴下履く

手先足先をできるだけ冷やさな

多分そこそこの筋肉量や食事量にも影響されてる

食事栄養等)】

よくわからん。とりあえずバランスよく。

朝のバナナヤクルト1000はほぼ欠かしてない。

サプリは色々試したが、結局ツムラ12柴胡加竜骨牡蛎湯サイコカリュウコツボレイトウ)を可能な限り朝晩飲んでる。

あと胡麻(高血圧対策でもある)。胡麻麦茶

青魚野菜特に根菜キノコ類。鍋か具沢山味噌汁で過剰摂取気味に。

適度に豚肉も食い、たまにジャンキーものも食い、夜食で酒飲みながら塩っ辛いものを食べる。

血圧心不全)と肝臓への負荷は下げれてないがストレス溜めるよりはましだとある程度の割り切り。

運動

6000歩~8000歩ぐらいをベースに。

ちょうど長めの犬の散歩ほぼほぼ埋まる(梅雨の時期はこれが不安定になるからしんどい)

犬が居るとモチベが最大化するが、居なくても徒歩圏内であるいは電車一本なり自転車どっかに止めてなりで、楽しく歩けるコースを作るとよい

辛いときは少し離れた病院帰りや買い物帰りに数駅歩いて帰ったり、ハイキングコースみたいなところで1時間以上

質の良い睡眠と食欲の安定につながるはず

強い運動は気休めにバランスボール乗ったり、腕立て正常位とかでやってる振りしてるだけ

日光

朝起きてすぐ15分浴びろとか無理なので、とりあえず散歩

春~秋はあえて肌を出して浴びたりしてる

シミは増える

ストレス

なんでも自責にしがちなので、まず責任から徹底的に逃げる。ちょっと他責にするよう心掛ける。

一週間のうち予定は複数件入れない。

貯金、株系、外貨系、不動産系、金など、資産を分割してある程度何があっても耐えられるようにしておく。

(いざとなったら、1か月なり半年なり好き勝手やって人生閉じようぐらいの割り切り覚悟

【娯楽」】

趣味は多彩に。元気な時にできる趣味ちょっと元気ないとき用、ほんとに寝込む寸前用と段階を把握し、無理そうなら切り替える。

幸い自分は幼少の頃より、布団の中で妄想を繰り広げるという最後の砦があった。それすら出来なくなったのは50年ほど生きてきて2~3回ぐらい。

よく言われる、能動的な趣味受動的な趣味、それぞれの中でのバランス

能動は難しいが、クラフト系とかでもよい。散歩など運動系があればめっちゃいい。

受動自分は、アニメ小説漫画ゲームでぐるぐるしてる。動画系視聴が苦手寄りなので、漫画読めなくなったらもう妄想


季節の変わり目、冬、梅雨、盆と正月バレンタイン新年度誕生日クリスマス等で体調崩し年がら年中ギリギリになってる人ですが、

そんな感じでなんとか


裏として、裸で抱きあう、腰を振るというのがどうやらあるっぽい

抱き枕代用したりするとなんかうまくいくこともある

anond:20240123015315

「脳から話すんじゃなく脊髄から言葉が出る」

これ!!!本当にコレなの!!奥さんの悲しい点は、これを自責しないで、周りに責任転嫁ちゃうダメね。

なんなんだろ。親に構われず、誰からも救われず、独り言を話す時間が長くて妄想することも多くて、そういう経験もあるのかもしれない、、、。

2024-01-19

anond:20240119100306

自責しろ自責サイコー他責クズっていう自責至上主義蔓延した結果、人々が筋道道理について語ることがなくなり、責められたら自分正当性とか関係なく脳死謝罪って風潮になった。

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