はてなキーワード: 自責とは
※最後に、唐突にジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。
文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。
普段は、ツイッターの鍵アカで毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカのフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。
友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。
心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。
数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間だけが過ぎていってる。
なんでこんなことになってしまったのか。
当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。
虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。
夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。
彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。
1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。
今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察に電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。
家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。
そんな祖父母も、もう亡くなった。
葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかわからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。
でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。
個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。
でもこの決めつけも、自分が勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。
自分で自分を悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。
ただ、誰かにこの体験や自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、
この体験や感情を否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。
自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。
そして家族。家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在も過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。
兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分が兄弟に体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。
以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。
カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。
「自分は児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。
本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。
本当に、信じられないことに、祖父母を虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。
混乱する。事実と感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。
そんな自分が情けない。
悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実と感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかわからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。
でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。
被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考と感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。
誰が悪いのか?加害者が100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。
被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償を検討する際に在籍時期とか証言の妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。
被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。
広告取り下げ企業に対しては、「タレントの人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。
嗜めた。不満そう。納得できないらしい。
「警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」
と。
本当にきつい。自分にも当てはまる。
いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。
もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターのアカウントはログオフした。
死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
それは相手の立場に立って考えた時、自分がリターンを与えそうだという事を認識から省いた為に生じるものだと思いますよ。
利己的で自責に寄せた人間というのは、あなたと関わると楽しい、もしくは面白いといった理由で、あなたの友達の中にいるかと思います。
利他的で自責的な人間など存在しないという事をざっくり語ろうと思う。
人間の精神のあり方は、コストのやりくりが如何にやりやすいかで優劣が定まる。
となる。
利己的というのは自己完結した行動でコスト回復がどれくらいできるかという事であり、利他的とは他人に依存して何かをすることでコスト回復できるという事である。
利他的は度が過ぎれば相手に対して求めるコストが高くなり孤立する。要はめんどくさい人である。
利己的も過ぎれば同様である。よく自分勝手と言われるものである。
自責的というのはトラブルが起きた時、それを自身の課題と受け取れるという事であるが、これには高いコストを要する。
他責的と言うのは自責の逆であり、低コストだが度が過ぎると精神的成長が見込めなくなるなどデメリットが大きい。
例えば、利他的10割、自責的10割というビルドを組んだとすると、コストの回復のしようがない。
相手に与えた恩というものが与えた分だけ帰ってくるという事は無い。あまり知られていないが、人間には他人の苦労を正確に認識できないという特性がある。
そのため相手から見た自分の恩も、自分から見た相手の恩も過小評価されるのだ。
そうして恩を与え合った時、自分視点で見た時の帰ってくる恩というのは主観で10%程度の物であり、これで消費コスト分を回収するのは不可能である。
この場合に起きる不具合として、「自分ばっかり頑張っている」と考えてしまうバグがある。事実はそうではない。そうではないが確実にこれは態度に出て、日常生活に支障をきたす。
一方で利己的で他責的というと、これはもうよく見るものなので詳細まで語らないが醜悪なものである。彼女達はコストはあり余っているが、どこか余裕の無いようにも見える。
これは、コストが減る事に対する耐性が無いゆえに、可処分コストが少ないからである。
どちらに偏っていてもやる事は似たような物になる。
大事なのは両者のバランスである。が、自分を変えよう!といった事はほぼ不可能であると言ってもいい。自責と他責のバランスはまだ変化させることができるとして、利己的と利他的の変化については至難の業であると思う。
最初から利己的である人間は簡単で、自責に変えても他責に変えても良い。1~2か月ほどかかるかもしれないが、何かトラブルが起きた時に「自分がなんとかできたかもしれない」とか、「これは相手が悪いな」とか考える癖を付ければ良いだけである。
それで自責と他責のバランスは変化させることができる。変化にどれくらいの時間を要するかは周囲の環境とそれに対する自分の立ち振る舞いに依存する。
利己的と利他的のバランスを変化させる事はとても難しい。これは、それまでの人生を反映するからである。
人生の中で自分を殺す事があったり、道徳を信じる事があったりするとより利他に寄る。
逆に自身の望みを叶えようとしたり、面白い事をやっていると利己に寄る。
利他的というのは異常な状態と言っていい。普通の人は道徳に従う事があっても信じる事はない。道徳を信じたくなる時というのは、理不尽から逃れようとしている時に限る。
利己的な目的の為に相手に優しくするというのが普通の事であり、優しくした結果、相手から良いフィードバックを得た。というのは一見道徳的な話に見えるが良いフィードバックを得られる相手を選んだからである。
道徳に殉じた利他的な人間が利己的に戻るというのは難しい。どうすれば戻れるかは今後の課題とする。
のビルドが最も理想的であると思う。利己的に回復しながら、自責にコストを費やし、たまに他人のせいにして生きる。それくらいが良い
dpdp 簡単にコメントし辛いが、ここに書くってことは増田から何かが溢れそうだったのだろう。聴いて寄り添えるだけでも良くやっていると思うよ、私は。
inuinuimu 増田、本当に話してくれてありがとう。 ジャニーズの性被害の件や何やで、一度も話したことのなかった幼少期の痴漢被害を弟に話したよ。そして、すすきのの件も、加害者の心情に同情する思いがどうしても沸き起こる
nicoyou 増田の寄り添いは彼女さんにとって救いだろう。ありがとう。遠い出来事だったのがバックグラウンドがわかるとともに自分の事のように切り替わっちゃうことあるよなあ 事件 犯罪 増田
MIchimura ありがとう!!/いっこだけ、“自分は性犯罪を行う側の性別にいる”ってことはないよ。増田の性別だって被害に遭う可能性は普通にある。考えてくれてありがとう、あんまり思い詰めないで。 増田
differential 増田はとてもいい男だ。“自分が自分に抱く自己嫌悪の向き合い方” 気付かなかった過去に自己嫌悪出来るのは、増田の心が強く彼女が大切だから出来ること。どうか思い詰めすぎず、幸せな時間で上書きできますように
mawhata 増田は彼女の苦しみを受け止めようとしていて偉いと思う。性犯罪系のアダルトコンテンツは女性でもあくまでファンタジーとして好む人はいるし、それほど気にしなくていいんじゃないかな。男性の性被害もあるし。
aeka うおー、優しい。ありがとう。何と言ったらいいかまとまらないが。殺したかった彼女の気持ちに寄り添ってくれてありがとう。たくさんの被害について考えてくれてありがとう。
ch2cl2 あなたは自己嫌悪を抱く必要はない。自分が落ちてはいけない。彼女の苦しみを何も言わず受け止め見守ることが大切である。本人が消化するしかない。
neputa 認知したあとの行動にその人の人間性が現れる。増田はすごいしかっこいい。彼女さんに起きたことはとても悲しいことだけど、お二人に幸せがたくさん訪れることを願う。
hatsumoto 胸が痛む。せめて殺されるくらい恨まれる犯罪だって認識は必要。韓国みたいに化学的去勢して欲しい。彼女さんとの幸せを祈る
AtsukoMay 増田はちゃんといい人じゃん。大切な他人の気持ちを想像してくれるし、悲しみを一緒に持とうとしてる。増田は今以上に自責とか無力とかに苛まれないで踏みとどまってくれ。あとは、しかるべきしあわせで爆発しろ!
「上司として信頼できません」
部下からそう告げられた。直接の面談を打診したが部下のほうから断られ、リモートに切り替えた面談での話だ。
聞くと、過去に指示した仕事の結果に対して私が怒りを表に出し、部下はその対応に傷つき、気分を害したのだという。だから信頼して仕事ができない、ありえないのだという。
部下が挙げた私の対応にはもちろん心当たりがある。
さらに列挙した数回の「上司としてありえない対応」についてもちゃんと覚えている。
いずれも、部下の仕事ぶりがこちらの指示した内容と大きく異なっていた、あるいは、些細だが取り返しのつかない失敗をした場面でのことだった。
そんな部下に対して、やや怒気をはらんだ言い方をしてしまった。
確かに。
キレ散らかしたわけではないが、「こういう仕事はやめてくれ」と感情的に言ってしまった記憶がある。だが自分では、怒りを表面化させず淡々と伝えていたつもりだった。
「以後、気を付けます」と、どちらが部下か分からない反省の句を私から告げて、その場は収めた。
今後しばらく、彼は私の態度が改善するかどうかを厳しく判ずるだろう。
彼の年齢は20代後半、それなりの経験と対応力があると見込んで、OJTで業務を進め、少しずつ仕事のやり方を覚えてもらうようにした。
これまでの部下や同僚と同じようにうまくやっていけると考えていた。
だが、このザマである。
信用できない、と上司に告げる気持ちと勇気を想像するに、なかなか肝の座った男である。自分にはとてもできない。できたとして、周囲や不満をこぼしながら心の嫌いな上司リスト」に入れる程度である。
なかなか変なやつもいるものだなあ、今の若いやつは打たれ弱いんだなあ、と帰り道にひとり立ち飲みをしつつ、彼とのやりとりを思い出して、それなりのショックを受けている自分に気づいた。おかしい。こんなのはよくあるケースのはずなのに。
どこにショックを受けているのか。
再び怒りをぶつけられるかもしれない、と怯え、こちらの指示に反してリモート会議を依頼してきたことか。
私と言葉を交わそうとも、目線をかわそうともせず、それを隠そうともしない態度をとられたことか。
こういう仕事はしないでくれ、と強い口調で伝えたことが、怒りの発露ととられたことか。
そのどれとも違う。
私は「自分が部下をうまくマネジメントできる上司であると自認していたが、決してそうではなかった」という事実にショックを受けたのだ。
いったい何冊、上司の心構え、理想のチームマネジメント、ロジカルシンキングやメンタルについて書かれた本を読んだだろう。
いったい何回、それっぽい内容をブクマしただろう。
自分なりに、理想の上司としてふるまってきたつもりだった。少なくともビジネスパーソンとして恥じない仕事とコミュニケーションに努めてきた自負はある。
これまでも部下をマネジメントし、パフォーマンスも出してきた。決して大手企業やハードコアなコンサルのような規模や強度ではないが、だからこそ、かえって自分の裁量に左右される程度の規模でこれまでやってきたし、やってこれた。身の丈だ。
だが、しかし。
現在の自分は「アンガーマネジメントもロクにできないモラハラ予備軍筆頭、嫌われ上司のしょぼくれひとり飲み無駄ブクマおじさんこと増田」であったのだ。
ショックを受けないわけにはいかぬ。
さらに本件について考えを巡らせるに、部下のスキルの低さ、マナーの悪さ、不手際ばかりが想起され「あいつの仕事っぷりなら怒りをぶつけられて当たり前」と、部下の未熟さを理由に自分を正当化してしまいそうなの自分にもショックを受ける。本来なら自分はちゃんと教育と指導を行うべき立場であるのに。相手のせいにするなんて。
その一方で、あまりにも上司としてナメられすぎではないか、とも思う。ちゃんと仕事を教えても二言目には「これまでやったことないのでわかりません。無理です」と言う部下に対してもできるだけ優しく接しようとした腰抜けの態度の結果がこのナメられではないのか。彼は内心「言わなきゃわかんないだろうからシメてやったぜ」と思っているのではないだろうか。
こうしたナメられを認めるのもやはりショックである。
なけなしの自尊心を保ってここまでやってきた。ブクマと実践の間にある大きく広い河を超えようと自分なりに努力した。
そうやって身についた自信と自認なんてものはただの幻想でしかなかったのだ。
君たちはどう怒(いか)るか。
答えは一つ。
怒るな、ということなのだろう。
少なくとも、決して仕事で怒るな。
自らが感情をコントロールできてロジカルな存在だという驕りは捨てて、そのうえで知識の獲得と実践を怠らず、決して感情的になるな、ということなのだろう。
だが、本当にそれが正解なのか。そんなことが今こうして挫折した自分にできるのか。自分の信じた自分が崩れていく。
安心を求めて過去のはてブを遡っても、きっと安心にはたどり着けないだろう。そもそもブクマなんてほとんど見返さない。
きっと自分はいつまでも自責のふりをしつつ、他責して自分を守ろうとする怒りっぽいおじさんの道を歩むのだろう。
部下は今日も早く帰る。残業ゼロの月が連続する。もうあいつに仕事を依頼しないでもいいか、とぼんやり考えている。息を整えて六秒数える。漠然とした怒りは収まらない。もう六秒数える。お前はいくら努力しても決して理知的な上司にはなれない、と誰かが言う。
六秒、もう六秒。
繰り返すうち、確実に人生は過ぎていく。
まぁ正確には最低限の社会性と情動的共感性と道徳を持ち合わせていない女ですかね
その一方で女性Aの弁護団はAが「傷つきやすい少女」だったことを強調し、「操られ、自ら堕落していった」としていて、イアンに「暗い場所へと連れて行かれることになった」としている。また、弁護団はAがイアンを追っかけていた「熱狂的なファンではなかった」としていて、現在では自身の所業を「深く自責している」と法廷に訴えた。
イアンがAの子供を犯そうとしているビデオについてAの国選弁護人ジョナサン・フラーは「被告人(A)は子供の母親であり、ビデオを観て窺われるのはこの映像が過激なのはここで行われている性的行為そのものよりは、この映像にこの年齢の児童が母親とともに映っているということです」と述べた。
「現在被告人が嘆かわしく感じていることはまさにそのことであり、そうしたことに及んだことを、母親であれば当然のことですが、深く反省しています」
その一方で女性Bはイアンの熱狂的なファンだったとことが明らかにされていて、警察に逮捕された時にもBのiPodにはイアンの画像が1200点保存されていたという。Bの国選弁護人クリスティーン・レインは被告は「極度に未成熟な女性」で、産後鬱に悩まされ、イアンと出会った当時には人格障害にも見舞われていたと説明した。
昨年の夏に被告Bとイアンとの間に交わされた会話の抜粋も法廷で読み上げられ、その中でBが「あなたはすごい人よ、あなたはイアン・ワトキンスなんだから」とイアンに伝えたのに対してイアンは「そうだ、俺はそうなんだからおまえとおまえの娘は俺のものだ」と答えたという
『ザ・サン』紙の報道によればイアン・ワトキンスは今回、厳重な警備を誇るウェイクフィールドの刑務所から21歳の母親女性と手紙の交換をしていたことが報じられている。
問題の女性は16歳からロストプロフェッツのファンだったとのことで、イアン・ワトキンスから手紙で愛していると告げられたことから、刑務所まで彼に会いに行ったのだという。イアン・ワトキンスはその女性に対し、彼女の2歳の子供が彼女の性行為を見ていたというジョークを飛ばしたことが報じられている。
報道によれば、母親はイアン・ワトキンスと連絡を取っていたことを児童福祉施設から注意され、子供は児童福祉施設の保護下に置かれることになっている。
「我々はうんざりしています」と英国児童虐待防止協会の広報は明かしている。「イアン・ワトキンスが引き続き取り入る行為を行っていることに、完全に困惑しています。彼が過去に虐待した子供たちへの侮辱ですし、監視のあり方についての深刻な問題が生じるでしょう」
リンカンシャー出身のシングルマザーは、2016年に初めてイアン・ワトキンスへ手紙を書いたのだという。
「彼女に返信が届くと、そこには愛してると綴られていたのです」と彼女の友人は明かしている。手紙を受け取った彼女は2016年11月にイアン・ワトキンスの元を訪れたのだといい、当時の彼の容姿は以前よりも約25キロほど太り、髪の毛は白髪になって歯は腐敗しかけていたという。報道によれば、イアン・ワトキンスは彼女に対して「セックスの最中に娘が部屋に入って」くるかについて質問したのだという。
警察が彼女から押収した携帯電話やパソコンからはイアン・ワトキンスと依然として連絡を取り合っていることが明らかになり、2016年12月には彼女の携帯電話やパソコンを停止させられている。彼女は1月に子供が保護下に置かれたことを伝えるためにイアン・ワトキンスの元を訪れているほか、今年3月にも訪れている。
初診、1箇所しか行っていないので何が正解かもわからないが、ただの実例として
◾️病院の探し方
・精神科、心療内科、メンタルクリニックなどの名称があるが、初診のハードルを下げる意味で「心療内科」「メンクリ」を名乗る医院が多いぐらいで多分それほど差はない
・病院のwebサイトを見て、心理士のカウンセリングも受けられると書いてある所の方が医療と心理分野の連携が取れていて「薬をやたら出して点数稼ぐ医者」を避けられる可能性が高いらしい※昔大学の心理学科の授業で習った。これは対患者のコミュニケーションもそれなりに心得ている医師に出会える可能性も高いと思う
・Googleの口コミ、epark等各種口コミサイトの個別の意見は書いてる人のメンタルも不安定なので信頼性は微妙だが、総じて良い意見が多い/少ないの偏りは医院ごとにまあまあある。
・初診は電話予約の所か多い 得てしてそういう医院の方が評判が良いようにも見える
◾️問診の備え
・初診の問診票フォーマットを書こうとすると結構まとまらないのでメモも書いていくと良い 書くことで思い出す症状も結構ある
・最初に、何を相談しにきたのかを書く。私の場合は「仕事のストレスをコントロール出来ていないと思う」と書いた※ストレス源が確定されるかが適応障害、うつ判断に関わると見たので書いた。仕事が原因だと自覚があったので、直近の労働時間も伝えた。月合計250hぐらい
・身体の自覚症状について書く。胃痛、腹痛、下痢、動悸、頭痛、眩暈などの有無や食欲、睡眠の不調は問診項目にもあると思うが、私の自覚症状には他に大きい音が怖くなる、頭に靄がかかる感じがする、人の目が見られなくなる、仕事について誰かに相談しようとして涙が止まらなくなる など
・感情面の動きなどを書く。抱えているのが悲しみなのか怒りなのか無力感なのか、自責に駆られているのか誰かへの苛立ちなのか、何も感じなくなってきたのか。その辺りにフォーカスして書いた。患者がどんな環境に置かれているのかの情報は、ここまで挙げた3項目に関わる所だけ簡潔に。医師はカウンセラーではない。必要であれば聞いてくるのでとっかかりレベルに
◾️診察
・書かなかったけど聞かれたこと
通院のきっかけ
(私の場合、友人に仕事のことを話そうとしてめちゃくちゃ泣いてしまったこと)
(はっきり「すくないです」と伝えた)
家庭環境
(片親とかでもないが、なんとなくコミュニケーションが希薄な家に育った、とは伝えた)
手を洗いたくなるか
(神経症っぽい部分があるのかの確認と思われる Noと答えた)
朝起きれるか
(寝覚めは良いというか意識の浮上と同時に動悸がしてた)
・他、思ったこと
はじめてのメンクリだったが、私の行ったところは個人名で呼ばれないようになっていたり、次回診察日時が印刷される診察券を貰えたりという工夫があって、なるほどと思った 待合室は共同
上記の診察の結果私は適応障害、出来るならすぐ休職 の診断が出た
休職したくてきた訳ではなく、鬱になった時のためのかかりつけを作りたいのと薬などで眠れる、元気になれるなら処方を願いたいだけなのだが…もうダメなのか?と聞いたら
ストレスがはっきりしているからには離れるのが最優先との答えだった
誰かの参考になるかはわからないが、一例として置いていく
自責も過ぎると心を病むぞ
当たり前の話だけど、
そもそも開発チームに敬意持ってない人が、開発チームに敬意持てと言ってもそりゃ無理、というものだろう。
※開発チームが敬意を持っているかどうかはここでは語られていないけど、まーどっちでも。
大事なことは、
開発者って、こういう悪意がいつも自分に向けて飛んでくる立場だということ。
それが、あくまで究極的には「代理人」の立ち位置であるカスタマーサポートとの決定的な違い。
開発者自身が自分で作りたい量のソフトを作りたいように作れる業務環境は、あることはあるけど特殊。
そして、そういう系統の開発は、たいてい研究などのノンプロフィットか小規模開発。こういうチームが、費用が発生するカスタマーサポートと組むことは無い。
つまり、この開発チームは、会社上層部の方針や、企画チームなどのリクエストに従って開発をしている。
厳しいQCDでソフトを作ることを強く要求される。これが開発者の現実。
ノーバグで作ることはほぼ不可能で、規模が大きくなるほど、コード改修量当たりのバグ発生確率は上がる。
そして、バグに起因する不具合やらシステム障害が出ると、いろんなところから詰められる。
バグは回避困難なので、開発者はある種負けが約束された仕事、ともいえる。
結局、「お前ら何バグ出しているんだ」「お前ら何納期に遅れてるんだ」という怒られは覚悟する必要がある。
技術的負債のたまったシステムの改修なんて、ほぼ負け確定の勝負だ。
それでも「いやだ」という選択肢はまずない。
でさ、リリース後に発生するシステム障害や不具合、これを責められるのも、なかなかつらい。
「お前(達)が無能だから」とか「お前(達)のせいだ」という悪意に満ちた言葉が、ちょっとだけオブラートに包まれて飛んでくることもあった。
事実自分に起因する話だから、責務上仕方ないんだけど。人のせいにできないし、逃げ場はない。
カスタマーサポートは「あいつらのせいで」と責任を移譲できるけど、開発者には責任の移譲先はない。
開発者でもなすり合いはあるんだけどさ、バグを出したやつが誰なのかは割と明らかなので逃げ場はない。
しかも厄介なことに、責任といっても、単なる評価的な責任だけじゃない。
簡単だったらいいんだけど、超難問だったり、再現条件が見つからないようなバグもあったりする。
そして、解けるかどうかすらわからない難問を目の前に、顧客とかサポートから詰められることもある。
「早く答えてください!」とか「◎◎日になったのですが、まだ回答が来てません。なぜですか、答えてください」とか。
ただでさえ目の前の問題が難問だというのに、目の前の問題に苦戦していることについての説明責任までついて回るんだから、かなりメンタルが削られる。
なんでこの人たち給料が高いんだろう。
給料高いのが気に入らないなら、そりゃ開発者になるのが一番です。
皮肉でもなんでもなく。
開発者になるまでの努力をして、開発者になって1年やれば、多分実態がわかる。
それが「大したことない」と思えるなら、それは開発者が適職という事。
万事解決じゃないですか。
私も陰口叩かれてて草
新しい上司が就任した時に個人的に面談があったのだが、「皆さん、私さんだけに言い方キツくないですか?」と聞かれた。
確かに、私は他のスタッフと年齢が離れてるのもあって、こちらから積極的には雑談を振ったりとかはしてなくて(振られた話題は受け答えしていた)、ちょっと浮いてるよな〜…くらいは思っていたし、確かに相手からの言葉が他の人に比べてキツイよな…と思うことはあった。
だから、その思った通りに返したら、
上司から「もし、悩みとか嫌なこととかあったら聞くので、声かけて下さいね」という感じの言葉があって、それで面談は締め括られた。
それから2ヶ月が経ったある日のこと。
その上司が当たりのキツい他のスタッフとデスクで何か盛り上がっている。私はいつも通り話に入ってなかったが、明らかに私の容姿に関する陰口(年齢の割に老けてる、耳が遠い、おでこにシワがある)などのゴミのような言葉がやりとりされていた。普段なら「鏡見ろよ、おばあちゃん」くらいにしか思ってなかったが、形だけでも面談で心配してくれていた上司がノリノリで私の悪口を聞いているのが、結構ショックだった。
まあ、仕事をうまく回すための付き合いもあるだろうし?立場は分からないでもなかったが、あまりにも醜いその場では同じ空気を吸うのを憚られたので、その旨をオブラートにくるんで、なんなら「私がいると業務の運営に差し障るので」と自責発言をしてまで、上の上司に伝えて担当を変えてもらったのでした。
悪いが誤読してると思う。
これめちゃめちゃ繰り返してる奴ら居るが、
明らかに描かれてる「尾行して、追い越す」描写をなんで見落とすのかわからん。
あと元増田で指摘されてる「ターゲットの尾行してたから同僚の不倫も目撃したんだろ」もスルーしてるし。
・ぶつかったあとでスマホが落ちて割れている。そんなに都合よくスマホが落ちるか。落ちてスマホが割れるか。落ちて割れなかったケースは省略されているとも取れるが、それなら主人公はしょっちゅう(ほとんど毎日のように)ぶつかり行為をやっているということになる。警察にも逮捕されずそんな行為がずっと続くものか。
主人公は「歩きスマホをしている女性」(=落ち度のある女性)のみを狙っており、本人的にぶつかり行為を自己正当化できる余地を残している。
相手が前を見ていないからだ、というのはレスバでも主張している。
割れたスマホは「(自分が悪い癖に)権利ばかり主張する女」の象徴であり、レスバ場面につながる。
・ぶつかって女性が落としたスマホを主人公が持っている。これは強盗でありぶつかりとは(漫画のテーマ的にも)意味が違うのではないか。
ここからずーっと「割れたスマホは女の象徴である」だけで終わる。
というかあのグニャグニャに歪んだ喋るスマホをなんで実際に持ち帰ったと思った???
・主人公が女性が落としたスマホをわざわざ拾って集めることに意味がない。ぶつかって落としたスマホをコレクションするという趣味があるようにも思えない。
・事件的にもぶつかりと強盗ではレベルが違う。なぜ警察沙汰にならないのか。舞台は都会であり、周りに人がまったくいないような田舎ではない。こんな犯罪を繰り返すのは難しいのではないか。
・そもそも落として割れたスマホを拾って逃げるようなシーンがない。そういうシーンが省略されているにしても、自分からぶつかっておいて逃げるような行為はぶつかりおじさんの行動原理とあっていないのではないか。
ここまで全部それ。
割れたスマホは主人公にとっての「女」で、スマホ落下から部屋に帰ってからのスマホとの会話は心象風景である。
・主人公は電車内では痴漢に間違われないように手をあげているような人間で、内心の善悪はともかくとして慎重な性格をしている。ぶつかりシーンが現実だとしたらやたらと大胆というかキャラが違わないか。
「痴漢に間違われないように手を上げている」は微妙なとこじゃないかな…
仮にそうだとしても、前述の通り男は「歩きスマホをしている女」のみにターゲットを定めており、
仮に抗議されてもお前が悪いと言えるようなエクスキューズを確保している。
やたら大胆、という評価には当たらないだろう。
(個人的には、主人公は「歩きスマホをしている女からぶつかられた」という自己正当化のためのストーリーを自分でも半ば信じているんじゃないかと思う。
自分の悪事を自分で引き受けることができないほど小心な人物ではないか。
根拠としては、父が死んだあと、暴言に対して明確な自責の表現がないこと。
むしろそこから逃げるように「これからは残業できます」とまるで軛から逃れたかのような物言いをしている。
慎重かといえば、職場で同僚を「あの女」と呼んだり、発作的に父に暴言をぶつけたり、残業の法規制を無視しようとしたりとあまりそうは思えない)
興味持てるように色々聞いてるのに個性を出してこないし求められなくて、しかしスペックの確認ばかりはしつこく同じような話を繰り返す。しかし捨てられてるわけじゃなくマッチングしようとはしてる。これで努力が足りないなら、男は相手に歩み寄ろうともしないで「好きにならせて」貰わないといけない駄々っ子だ。男から責任を奪って子どものような扱いにするのは他責思考じゃなくて責任の放棄なのに、自説を述べる努力もせずにデリカシーに注意を払わず開けっぴろげに陰口を言って「キモいのは自分が悪いかも」なんて露ほども考えずに女性のせいにしてる人はまず自責して。道化を気取ってるつもりなら別だけど。
そりゃ理想を言えばそうだよ。
筋力を落とさないように体重を減らせるならそれに越したことはないよ。
でも、ちょっと考えてみろよ。
食事制限も運動も全くしてこなかった我慢頑張りゼロ生活を続けてきたやつが
いきなり食うもん減らして運動もするなんかできるわけねーだろ。
最初からそんなクソ高い理想を追い求めるからダイエットは長続きしねーんだよ。
そんなにすぐに切り替えて両方継続できる奴はブクブク太ったりしねーんだよ。
どっちかから始めろ。
まずはどっちかから始めて習慣化させて、
「どっちかはできたけどどっちかはできなかった」と自責を減らすことにも繋がるが
逆に考えれば「どっちかできたからどっちかはやらなくても大丈夫」と自分を甘やかすことにも繋がる。
ジムで汗かいた後にビールぐびぐび飲みながら脂っこいもん食ってる奴みたいにな。