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はてなキーワード: 満州事変とは

2022-11-29

anond:20221129105929

日本性差別蔓延ってるというのは、まともな海外ジャーナリズムでも取り上げられて調査されてる話で、ちょっと調べれば出てくるんですけどね

サムライジャパンの人たちは江戸時代から進歩してないので、外国人は何もわかっていない!遊郭は綺麗だし在日キモいけど慰安婦満州事変なんてウソだしアイヌとは和解してるから差別なんてないんだよ!と言っているのです…

2022-08-18

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中央公論平成26年9月号に戸部良一帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。

開国来日外交英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国駆逐し、自分東アジア盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本歴史外交史を読めば、簡単なことです。

 

では、「あの大東亜太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうがしかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ自衛のためです」の主張には、賛成しかます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。

極東軍事裁判判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこ理屈世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治横槍をおさなかったなら、日本外交アメリカ戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍自己メンツのために日本犠牲にしたのです。

 故リチャード・ストーリという有名なイギリス日本史家は、「日本外交明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチドイツ日本を同じものとして考えるからです。

まったく異なった二国の外交説明させて下さい。

 日本中国戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。

 日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要ナチドイツ同盟を結び、ドイツ欧州を、日本東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしていますアメリカ正義保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢二丁拳銃で打倒したという西部劇です。

専制全体主義国家暴力脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)

 日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本もっと英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います

 

 昭和12年(1937年7月7日盧溝橋での偶発些細な事件では、日本中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。

アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もありますアメリカ戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本中国全土を占領しようとか、東アジアから英米勢力駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジア植民地解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗あい不可能になりました。

 もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。

ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはや日本だけいちはや復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的占領のぞくと、西洋諸国植民地になったという経験ももちません。ヴェトナムインドネシアビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治生活を強いられたかという、経験したことがありません。

 日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがありますアメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。

イギリスフランスオランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。

 

なお、日本南方天然資源確保・・・といいましたが、ナチ東欧ソ連一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカから資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダ商業ベースでの購入をのぞみ交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。

 万が一のインドネシアへの進出のため、また英米中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカ石油輸出禁止在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談提案します。それは軍部が対米交渉障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカハル国務長官などが強く反対し、この提案拒否します。

なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。

 

 さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉ワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任がありますしかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任がありますハル国務長官には、アメリカ学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。

 日本昭和はいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのとき事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力意見が強まったりまったりしていました。日本場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行戦時体制ができ、陸軍要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費のぞくと、法案予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味国会機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部議会世論を気にしていたのです。

 

陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子小説や思い出。向田邦子小説芹沢光治良の「人間運命」も面白い本です。)

 日米交渉の難点の一つは、中国から撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。

 大東亜共栄圏思想ですが、日本中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底日本人の中国にたいする「シナ中国コンプレックス」をもっていたのです。

 東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。

日本場合いくら東条などでもある一定以上の文化教養があったわけです。それを、ナチ日本も一緒にしてもらっては困ります

 この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます日本場合は、これ以上の負担国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。

東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬ハト派」の人間外務大臣にして、交渉継続します。(東郷昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪禁固二十年の判決。)

東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています

 日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気必要でした。

 中国も内部に大問題をかかえており、また、日本一方的大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国協定を守らないので困っているという点では、英米日本と同舟でした。

陸軍英米大平方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本帝国主義政策関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。

また、よく誤解されることは、「日本日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊中国大陸駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本中国偶発事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊駐留させていただけです。

 日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。

2022-07-21

長周新聞について調べたら面白かった

記者座談会 統一教会自民関係にメスを 反共右派として育てた為政者の罪 | 長周新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/24165

岡良様 on Twitter: "長周新聞・・・スゲェーな!"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/oka1029ri/status/1549691233039446018

これらの記事が「真のジャーナリズム」とか「地方紙気概」とか絶賛されてて、

かに部分的には正論なんだけどちょっと怪しさがないか?と思ったので長周新聞について調べてみたよ。

 B 日本統一教会の原点は戦後反共産主義を掲げて岸信介を中心とした右翼連中でつくっていた「防共挺身隊」といわれ、岸信介出身地である熊毛地方には一定集団いたことが知られている。山口県戦後共産党トップだった野坂参三宮本顕治志賀義雄などもいて、それこそ彼らは田布施の隣である出身だったりもする。政治的には右も左も激しかったわけだが、その防共挺身隊岸信介パイプを持っていた韓国反共宗教団体である文鮮明統一教会ドッキングして、日本統一教会誕生したという。

こことか、岸信介日本における統一教会活動バックアップしてたとか自宅の土地統一教会アジトとして使わせてたとかいう話はこれまでに色々な媒体で見たけど、

岸信介自身が作った防共挺身隊韓国統一教会ドッキングして日本統一教会になった」って話は見た覚えがない。

岸信介統一教会と昵懇の仲だったどころか岸信介の作った組織が発展して統一教会になったんだよ!

なんて話が本当だったらすごいショッキングだし、他でも大きく取り上げられてると思うんだけど。これは何がソースなの?

長周新聞について | 長周新聞

https://www.chosyu-journal.jp/aboutus

要するに派閥抗争に敗れて日本共産党を除名された人が集まって作った日本共産党(左派)の機関紙

政局的には今はれい新選組推している模様。

気概はあるかもしれないけどこれを地方紙で括るのはちょっと無理があるなぁ。

共産党分派を許さない(民主集中制)ので思想意見割れたらどっちかが抜けるまで戦うしかないわけだけど、

日本共産党(左派)は徹底的に毛沢東を崇拝し中国共産党方針に従うべきという考えの派閥だったので、

日本共産党日本独自路線でやっていくべきだとする主流の自主独立路線とは相容れなかったみたいだね。

そんな感じで日本共産党(左派)はあまりにも毛沢東を崇拝していたため、

日本共産党は彼らを「毛沢東盲従集団」とか呼んで罵倒していたよ。こういう左翼罵倒ボキャブラリー好き。

毛沢東盲従集団福田一派の虚像実像

http://maoist.web.fc2.com/jcp/jcf000.htm

福田正義の経歴も面白くて、満州日新聞で記者やってたとき後藤新平の功績を称える伝記を書いて日帝中国侵略正当化に荷担していたんだけど、

それについてはひた隠しにして自分を「不屈の革命戦士」と売り込んでいたただのお追従野郎とか散々言われています

長周新聞創設者であり編集主幹であり日本共産党(左派)初代中央委員会議長である福田正義2001年に亡くなっているんだけど、

長周新聞ではその死後も彼を編集主幹として名を掲げているとのこと。

この辺がやっぱり日本共産党とは違い毛沢東主義を貫いている日本共産党(左派)っぽくて、個人崇拝が強めだよね。

日本共産党志位和夫がずっと選挙もなしに委員長に居座っててどうなんだとは言われているけど、そんな露骨個人崇拝をするようなことはないし。

そしたらリニューアル前の長周新聞Webサイト面白コンテンツがあるという情報があったのでWebアーカイブで見てみた。

2002年に行われた福田正義氏追悼記念集会特集ページで、スピーチとかの内容が記録されているよ。

中でもこれがすごい。

福田のおじちゃんに誓うこと

https://web.archive.org/web/20160304141021/http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/himawari.htm

長周新聞長周新聞人民保育所という社員用の保育所を設けていて(それは偉いと思う)、

そこ出身の子供たちが「楽しかった、運動会!」「「運動会!」」みたいなのをやるパートがあったみたいだね。

 小六男・小六女 わたしたちのお父さん、お母さんは、

 小六男 貧困失業戦争もない、新しい社会を実現するために、

 小五女 新聞仕事をしています

 小六男 ひまわりは、一九七三年四月、長周新聞保育所としてつくられました。

     間

 小二男 ひまわりがなかったころ、

 中一男 赤ちゃんは、昼と夜、別のベビーホームにあずけられ、

 小五女 まだ仕事が残っているときは、段ボールで寝かされていた。

 中二女 だれもかまってあげられないので、赤ちゃんは、人の足音がするときだけ泣くようになった。

 中三男 家に帰るのはいつも夜中でも、朝早く家を出て、赤ちゃんもお母さんといっしょにがんばった。

 小五女 そんなとき福田のおじいちゃんが、

 小四男 子どもたちが病気をせず、のびのび生活できるように、

 中二女 お父さん、お母さんが安心して仕事ができるように、

 中二女 そして、子どもたちが将来、お父さん、お母さんのように、社会の発展のために役立つものになるようにと、

 中一男 ひまわりをつくってくれました。

 下学年 ひまわりは、今年で、二九年目です。

 中三男 ひまわり卒業したぼくたちの先輩は、おじいちゃんのあとを受けつぎ、

 小四男 長周新聞でがんばっています

 五年生 わたしたちも、先輩たちのようになるために、

 小六男 ひまわり毎日がんばっています

この「福田のおじいちゃん」への個人崇拝色の強さ!

かに保育所設立したのは福田正義だったのだろうけど、福田のおじいちゃんがまったく一人でやってくださったみたいな言い方なのがなんかすごい。

 小六男 一、勤労人民尊敬し、労働やたたかい、生き方に学ぼう!

 小六男 二、大きい子は小さい子を温かい心で指導しよう!

 小六女 三、女子男子に負けないくらい、がんばろう!

 小五女 四、学校の成績で仲間を差別せず、ひまわり目的で団結しよう!

 小五女 五、学童会や中学会で決まった方向を実行し、自分中心の考え方をなくそう!

 中一男 ぼくたちは、このスローガンのもとに、団結して生活しています

五番がかなり民主集中制っぽさがあって良い。

 小六男 福田のおじいちゃんはみんなの声を代表して、長周新聞をつくられました。

 小六男 自分の小さな幸せでなく、みんなの幸せのために、奮斗した。

 中二女 福田のおじいちゃんは、ひまわりにいつも心を寄せてくださいました。

 中二女 わたしたち学校の帰りにおじいちゃんにあって、「こんにちは」というと、ニコニコ笑ってあいさつをしてくださいました。

 小二女 長周四五周年のとき

 小四男 体が痛かったのに、

 小六女 わたしたちの出し物のときは、いちばん前で見てくださいました。

 中二女 そして、病気とたたかいながら、ウソをあばき、まちがっているものとは、断固たたかい、

 中一男 ぼくたちにほんとうの真実はなにかを教えてくれました。

 小六男 福田のおじいちゃんは、

 中三男 戦争のない、平和日本未来のために

 小六男・中二女・中三男 生涯、真実を貫いた。

 小六男・小六女・中一男・中二女 長周新聞は、強い!

長周新聞は、強い!」の力強さに笑ってしまった。

こういうのを2002年にやってるっていうのもなかなか驚きだ。

これ見て思い出したのが何かというと、森友学園話題になったときに出た幼稚園の子供たちの映像だよね。

安倍首相、がんばれー!」「安保法制国会通過、よかったです!」ってやつ。

毛沢東主義・スターリン主義を貫徹すると何故か結局指導者の個人崇拝に行き着くの面白いなぁ。

法的根拠特にない安倍晋三国葬に反対するのは正論だと思うし私も同意するんだけど、

それ書いてる新聞めっちゃ指導者を崇拝する式典をやって子供たちにこういうのをやらせてたっていうのもなかなかだよ。

カルト宗教話題になってるときに見るとこういうのも別の形の「二世問題のような気もするなぁ。

 小六男 おじいちゃんに誓うこと

 小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。手伝いをがんばります

 小四男 自分のことだけでなく、人のことを先に考えて行動します。

 小五女 わたしは長周に入るために、自分からすすんで重いものを持ち、力をつけます。

 中一男 なんでも自分から率先して働き、だれとでも団結し、友だちをもっとつくります

 中三男 わたしたちは、おじいちゃんの遺志を受けついで、

 全員 かならず、平和社会を実現することを誓います

「小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。」のパターナリズム感!

全体的に目上の者の言うこと聞いて正しくあれみたいな感じがあるけど、

日本共産党(左派)は元から反米愛国主義を掲げていてナショナリズム色が強いから、やっぱりパターナリズム的な感じなんでしょうか。

子供たちの理想として「ジャーナリストになる」とかじゃなく「長周新聞に入る」が謳われているのもなんか二世問題っぽいね

そんで安倍晋三暗殺に紐づいて統一教会政治の関わりについての批判国葬への批判は概ね正論として、

長周新聞が他の問題についても正論を言ってるかというとそうでもないわけで。

https://twitter.com/lautream/status/1301343209751109632

ちょっと前の香港問題では「世界中国の味方!アメリカ孤立!」とか言って中国共産党を支持していたり、

ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」 ロシア研究者有志が声明発表 専門的見地から行動提起 | 長周新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/shakai/23102

ウクライナ危機国際社会はどう向き合うべきか 緩衝国家日本も迫られる平和構築の課題 東京外国語大学教授伊勢崎賢治氏に聞く | 長周新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/kokusai/22976

ウクライナ戦争では「アメリカが悪い」とか「ミンスク合意が」とか「ロシア満州事変と同じことやってるんだから日本は先に自分過去反省しろ」とか言ってたよ。

まあなんというか、いろんな意味普通新聞ではないか普通新聞に書けないようなことも書けて、時々正論を言ったりもするけれど、

やっぱり普通新聞ではないかあんまここをソースになんか言うのもあれだなぁって感じですかね。

その辺の一般人はともかくこれを真のジャーナリズムとか言って持ち上げてる学者先生とか議員先生はもうちょっとソース選んだ方がいいと思います

ソーススプートニクとか、ソースはHanadaとか、ソース世界日報とか、そういう感じ。

ていうか長周新聞記事いいねしたりリツイートしたりしている共産党員のアカウントがいてすごい。

毛沢東盲従集団機関誌広報した罪で糾弾されない?

2022-05-16

保険業古代貿易船の保険から始まっているので、海運造船業界と保険業界は異種同業

船同士の事故、難破、事故船があえてコンテナを捨てざるを得なかった場合、過失割合、どちらの船がどこまで損害を負うのか

ドイツ帝国が率先して、国際法をまとめる国際法協会を作り、共同海損の保険規則を作った

 

そのドイツシーメンス薩摩閥海軍軍人斎藤実などに贈賄したのはバレたが、当時の検事総長忖度思想検察平沼騏一郎

しまいには満州事変がおきて犬養が暗殺され、斎藤実軍事政権が初登場

ナチス内閣保険会社アリアンツ出身閣僚が仕切り、平沼騏一郎大審院長やら総理大臣になった

 

まりナチス保険業界・海運造船業界が、日本の人事をやって戦争計画を推進したようなもん(あるいは国際法協会も)

ロシア政治家もよく「国際法がー」言うが、彼らは国際法協会の何だろうな

226事件だって斎藤の口を封じるための暗殺事件だったかもしれないしなぁ

 

組織を知って世界事情が分かっても、戦争止めれるわけじゃないけどな

2022-04-17

ロシアによって起こされたショック一覧

アメリカ介入ショック

イギリス式栄光孤立ショック

ウッドショック

円ショック

オイルショック

海産物ショック

キーフ言い換えショック

軍人騙されショック

警告お手紙ショック

コロナ風化ショック

債務不履行ショック

人道街道ショック

スペースXショック

戦争勃発ショック

ソ連復活ショック

大本営発表ショック

チェルノブイリ塹壕ショック

ツイッター活躍ショック

テーブル長すぎショック

ドローン強すぎショック

ハッカー戦争ショック

貧困ロシアの方がひどかったショック

プーチン暴落ショック

平和条約拒否ショック

北方領土返すきなしショック

満州事変リバイバルショック

民間人大量虐殺ショック

牟田口廉也リバイバルショック

メンヘラ通話ショック

モスクワ沈没

闇市略奪品販売ショック

輸出入規制ショック

よわよわロシア軍ショック

ライブカメラショック

糧食転売流しショック

ルーブルショック

レンドリース法ショック

ワリエワショック

Zショック

2022-03-26

中国ロシア擁護いまいちぱっとしない理由

「いまロシアがやってることって満州事変旧日本軍そのまんまだから国内世論全然共感してくれなくておおっぴらにロシアを支持できない」って分析があってちょっと納得してしまった

2022-03-16

anond:20220316160926

松岡首相はそれがかっこいいと思ったんかなあ

日本は、大正9年(1920)に創設された国際連盟常任理事国でしたが、満州事変を契機に脱退することになります昭和8年(1933)2月24日国際連盟総会では、中国統治権承認し、日本軍の撤退を求める報告案に対して、賛成42、反対1、棄権1という形で、各国の意思が示されました。反対票を投じた松岡洋右ほか日本代表団は議場から退場。日本は、3月27日国際連盟脱退に関する詔書を発表すると共に、連盟に脱退を通告しました。

https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s08_1933_01.html

2022-03-13

なんで日本人プーチン他人事として笑えているのか不思議でならない

満州事変まで遡らなくても、まさに自民党が繰り返しやってきた憲法改正や軍備増強の向かう先はこの路線だが?

もちろんこれは共産党投票して日本の軍備を骨抜きにしたらウクライナ側になった時に死ぬことも意味してる。

真剣に考えろ。

国家とは人殺し同士で睨み合う人殺しであることを自覚しろ

プーチン明日日本だ。

ウクライナ明日日本だ。

プーチン明日韓国であり中国だ。

ウクライナ明日北朝鮮であり台湾だ。

俺たちの国が突然侵略を始めるし、突然侵略もされる。

戦争怖かったね~~80年前にあったらしいよ~~~」でのんきに話し合っているのをいい加減やめろ。

悲惨戦争体験ジジイやらせるのはもうやめろ。

もっと最近戦争してた国の外人を連れてきてやらせろ。

ボケジジイから「いや~~マジ怖かったっすわ……戦争が終わったあともね~~闇市お菓子盗んだらボッコボッコですよ。今でも傷残ってますよ。本当戦争って最悪。あとね、不発弾見つけて泥団子みたいな感覚でピカピカに磨いてたら爆発しちゃってそれで友達も腕なくなっちゃたんすよ。戦争って本当最悪だと思いません?いや~~でも天皇マジで格好良かったわ~~お兄ちゃん兵隊になったときヤッター!と思ったもん。マッカーサーも格好良かったね~~~救世主だー!って感じよ」みたいな話聞かされても「(は?単にこのジジイとダチがクズバカゲロカスだったから辛い目にあっただけでは?僕たちはバカじゃないしクズじゃないし騙されないから平気で~~~す)」としか思われんよ。

2022-03-08

anond:20220308150638

はい増田君に宿題です。

以下のリスト全てに、「先に仕掛けたほうが負けた」かどうか回答しなさい。

1904年1905年 - 日露戦争

1911年1912年 - 伊土戦争

1912年 - 第一バルカン戦争

1913年 - 第二次バルカン戦争

1914年1918年 - 第一次世界大戦

1917年1922年 - ロシア内戦

1917年1921年 - ウクライナソビエト戦争

1918年1919年 - ウクライナポーランド戦争

1918年1919年 - ハンガリールーマニア戦争

1919年1921年 - アイルランド独立戦争

1919年1921年 - ポーランドソビエト戦争

1919年 - 第三次アフガン戦争

1919年1922年 - 希土戦争

1921年 - コト戦争

1922年1923年 - アイルランド内戦

1926年1949年 - 国共内戦

1931年1933年 - 満州事変

1932年1938年 - チャコ戦争

1934年 - サウジイエメン戦争

1935年1936年 - 第二次エチオピア戦争

1936年1939年 - スペイン内戦

1937年1945年 - 日中戦争

1938年 - 張鼓峰事件

1939年 - ノモンハン事件

1939年1945年 - 第二次世界大戦

1939年1940年 - 冬戦争

1941年1944年 - 継続戦争

1941年1945年 - 独ソ戦

1941年1945年 - 太平洋戦争

1945年1949年 - インドネシア独立戦争

1945年1954年 - 第一次インドシナ戦争

1946年1949年 - ギリシャ内戦

1948年1971年 - 印パ戦争

1947年1949年 - 第一次印パ戦争

1965年1966年 - 第二次印パ戦争

1971年 - 第三次印パ戦争

1948年 - 第一次中東戦争

1956年 - 第二次中東戦争

1967年 - 第三次中東戦争

1973年 - 第四次中東戦争

1948年~(継続) - パレスチナ紛争

1948年~(継続) - ミャンマー紛争

1949年~(継続) - 東トルキスタン紛争

1950年1951年 - チベット紛争

1950年~(継続[1])- 朝鮮戦争

1954年1962年 - アルジェリア戦争

1955年1972年 - 第一スーダン内戦

1956年 - ハンガリー動乱

1959年 - チベット動乱

1959年1962年 - 中印国境紛争

1959年1975年 - ラオス内戦

1960年1965年 - コンゴ動乱

1960年1996年 - グアテマラ内戦

1960年1975年 - ベトナム戦争

1961年 - ピッグス湾事件

1961年 - ゴア併合

1961年1962年 - 西イリア紛争

1962年1969年 - 北イエメン内戦

1962年1963年 - ベネズエラの反乱

1963年1968年 - アルジェリアモロッコ国境紛争

1963年1964年 - キプロス内戦

1963年1966年 - インドネシアマレーシア紛争

1964年~(継続) - コロンビア紛争

1965年 - ドミニカ内戦

1965年1979年 - ローデシア紛争

1965年1984年 - チャド内戦

1967年1970年 - ビアフラ戦争

1968年 - プラハの春チェコ事件

1969年 - 中ソ国境紛争

1969年 - サッカー戦争

1969年1998年 - 北アイルランド紛争

1969年~(継続) - フィリピン紛争

1970年 - ヨルダン内戦

1971年1992年 - カンボジア内戦

1971年~(継続) - カシミール紛争

1973年 第四次中東戦争

1974年 - キプロス紛争

1975年1989年 - ナミビア独立戦争

1975年1990年 - レバノン内戦

1975年 - インドネシア東ティモール侵攻

1975年2002年 - アンゴラ内戦

1976年~(継続) - 西サハラ紛争

1977年1979年 - ウガンダタンザニア戦争

1978年1988年 - オガデン戦争

1979年 - 中越戦争

1979年1989年 - ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻

1979年1990年 - ニカラグア内戦

1980年1992年 - エルサルバドル内戦

1980年1988年 - イランイラク戦争

1980年~(継続) - ペルー紛争

1982年 - フォークランド紛争

1983年2004年 - 第二次スーダン内戦

1983年 - グレナダ侵攻

1983年2009年 - スリランカ内戦

1979年1990年 - 中越国境紛争

1986年1987年 - トヨタ戦争

1987年~(継続) - ブルンジ内戦

1988年1994年 - ナゴルノ・カラバフ戦争

1989年2001年 - アフガニスタン内戦

1989年1992年 - 第一南オセチア紛争

1989年 - パナマ侵攻

1989年1990年 - エチオピア内戦

1989年1996年 - リベリア内戦

1990年1994年 - ルワンダ紛争

1990年1991年 - 湾岸戦争

1991年2001年 - シエラレオネ紛争

1991年2000年 - ユーゴスラビア紛争

1991年 - 十日間戦争

1991年1995年 - クロアチア戦

1992年1995年 - ボスニア紛争

1999年2000年 - コソボ紛争

2001年 - マケドニア紛争

1991年2001年 - ジブチ内戦

1991年2002年 - アルジェリア内戦

1991年~(継続) - ソマリア内戦

1991年~(継続) - カザマン紛争

1992年 - オセチアイングーシ紛争

1992年1994年 - アブハジア紛争

1994年 - イエメン内戦

1994年1996年 - 第一次チェチェン紛争

1995年1998年 - ハニーシュ群島紛争

1996年1998年 - 第一コンゴ戦争

1998年2000年 - エチオピア・エリトリア国境紛争

1998年2002年 - 第二次コンゴ戦争

1998年2001年 - ポソ宗教戦争

1999年2009年 - 第二次チェチェン紛争

1999年 - 東ティモール紛争

1999年 - カルギル紛争

2000年~(継続) - インドネシア紛争

2001年~(継続) - パキスタン紛争

2002年2003年 - コートジボワール内戦

2003年 - リベリア内戦

2003年2011年 - イラク戦争・Category:イラク戦争

2003年~(継続) - ダルフール紛争

2004年~(継続) - サリン紛争

2004年~(継続) - タイ紛争

2004年~(継続) - ワジリスタン紛争

2006年 - 東ティモール内乱

2006年 - イスラエルガザ侵攻・レバノン侵攻

2006年 - エチオピアソマリア侵攻

2006年2009年 - スリランカ内戦

2008年 - 第二次南オセチア紛争グルジア紛争

2008年2009年 - イスラエルガザ紛争

2011年 - シナ紛争

2011年 - リビア内戦

2011年~(継続) - シリア内戦

2012年~(継続) - マリ北部紛争

2013年 - スールー王国軍によるラハダトゥ侵攻

2014年 - ISISによるイラク内戦

2014年 - イスラエルガザ侵攻

2014年〜(継続) - クリミア危機ウクライナ東部紛争

2014年2020年 -2014年リビア内戦

2015年〜(継続) - 2015年イエメン内戦

2017年 - マラウィの戦い

2020年 - 2020年ナゴルノ・カラバフ紛争

2021年 - パンシール紛争

2022年 - 2022年ロシアウクライナ侵攻

2022-03-03

anond:20220303235414

なんで出来ないの?大日本帝国勝手真珠湾したり、満州事変起こす国だけだから政権さないといけないけど、

ゼレンスキーロシアに攻めきたの?

2022-03-01

はてサってロシア批判したらいけない縛りプレイでもしてるの?

https://twitter.com/hokusyu82/status/1496719301310824449

いちいち西側とか日本とかで相対化しないといけないの?

というか満州事変から満州国も相当雑だから国際社会から批判されて、国連を脱退する事態になったんでしょうが

リアルタイムで人が死んでるのにこんな事しか言えないのか?

他のツイート見ても本とか記事宣伝ばかりだだし。

これついてるブックマークも似たりよったり、

はてサって本当クソだな。

ロシアの開戦理由が雑だって言ってる人もいるが、多分プーチンの中ではウクライナNATO加盟→ロシア敵対ロシアへの侵略というルートが当然に「見えて」いるんだと思う。昔の日本もそうでしょ。石原莞爾には世界最終戦争的なものが「見えて」いたか満州事変を起こした。

https://twitter.com/hokusyu82/status/1496719301310824449

2022-02-27

anond:20220227102733

戦時公債」「戦時国債」ともいう。

紛争・事変や戦争に伴って発生する巨額の財政支出の財源に充てるため、政府が発行する債券有価証券)の総称

通常の債務と全く変わらない国の「借金」であり、後日に税収などから購入者へ償還しなければならない。

日本では明治中期の「日清戦争」を皮切りに、戦争を行う度に大々的な戦時債券の発行が行われた。

例えば、日露戦争では国内で6億円、海外で7億円もの債券を発行した(当時の資産価値で)。

この戦争による戦時債券の償還には1930年代頃までかかった。

その後、1930年代1940年代になると「満州事変」「支那事変」「太平洋戦争」と立て続けに長期の戦争が発生。

財政が逼迫した政府は直接の国債のみならず、政府系金融機関を通じて国民に半強制的債券購入を強いた。

個人向けの無記名債券が大量に発行されて自治体に割り当てられ、労働者への給与も一部が債券で支払われた。

また、債券の償還に際しても、支払を現金の代わりに新たに発行された債券で行うような有様であった。

1945年8月太平洋戦争終戦に伴い、多くの国民が貯蓄の取り崩し、債権の回収にかかった。

また同時に、政府から軍需関連企業に向けて一斉に巨額の支払いが行われている。

この膨大な金の流れがハイパーインフレ引き起こし日本国内物価戦前の300~400倍にまで跳ね上がった。

結果、国民が買わされた戦時債券ほとんど無価値になってしまっている。

2022-02-24

野党支持者「ロシア9条があればこうならなかった」

えっマジでこの理論で次の参議院選挙うつもりなの?

立憲、共産社民はどこまで議席減らすかわからなくなってきたな

2022-02-17

anond:20220217122003

世界終戦論、は石原莞爾代表的著作である

関東軍参謀であった石原はこのイデオロギーに基づいて奉天郊外柳条湖事件を起こし、

これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始したこと満州事変となった。

なお、石原自身戦後にはこの思想を捨てている。



最終戦争では航空機大量破壊兵器によって殲滅戦略実施され極めて短期間のうちに戦争終結することになる。このような最終戦争を戦う国としてはブロック化したいくつかの勢力を列挙することができる。つまり世界ヨーロッパソビエト連邦東亜南北アメリカ連合国家へと発展し、つまり日本天皇盟主とする東亜と、ヒトラーを中心としたヨーロッパアメリカを中心とした南北アメリカと、中立のようだが南北アメリカ寄りのソ連対立となる。しかヨーロッパ大国が密集しているため、うまくまとまることができない。ソビエト連邦全体主義いかにも強そうに見えるが、ヨシフ・スターリンの死後は内部崩壊する。そうなると、東亜連盟と、アメリカ合衆国の決戦となる。その決勝戦最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまることになる。これは東洋王道西洋覇道のどちらが世界統一において原理となるのかを決定する戦争となる。

最終戦争勃発の条件として石原は、

東亜諸民族の団結、即ち東亜連盟の結成。

米国が完全に西洋の中心たる位置を占むること。

決戦兵器が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ること。

の3つを挙げている。

2021-12-04

anond:20211204011112

ポリコレのない世界に行きたいんか?

面白ければ表現自由であればヒトラー万歳満州事変慰安婦バンザイ奴隷農場を持ってる白人にペコペコしてるアジア人映画でも文句言えない映画業界でほんまにいいんか?

2021-11-24

IOC中国迎合なのは歴史的に見て当然なのかもよ

ベルリン大会開催や、満州事変後で国際連盟も脱退していた日本開催地に選んだ歴史があり、特にそれを後から反省したという話も無いんで、IOCにしてみれば「中国で女が一人消されたからってそれが何? 世界平和のためには、各国でギスギ批判し合うのはダメでしょ。」って意識だろうと思うよ。

2021-11-23

anond:20211122222827

お宅の娘さん、満州事変クンニ✋(👁👅👁)出来ませぇーーん(泣)

2021-09-08

anond:20210908205420

その生命である石油外国勢力によって抑えられてしまった日本外国勢力を打倒して奪うという選択肢を取らざる得なかったんだな。だって他の選択肢はほぼ間違いなく「今の日本」には繋がることはない選択肢であったろうから

石油は元々ほぼ全てを輸入で賄っていたから、外国勢力によって抑えられてしまったという表現おかしい。

そもそもABCD包囲網日本石油禁輸となったのは、国際連盟を脱退してまでして満州事変を起こして満州国建国したのが原因だ。満州石油採掘できる訳でもないから、満州など放棄すればよかったのだ。それ以前に、朝鮮台湾統治すら不完全だったのに、満州に攻め込んだのは無謀と言わざるを得ない。

満州現在では中国領土となっているので、満州放棄して国際連盟協調するという選択を取ったとしても「今の日本」には十分に繋がり得るであろう。

2021-07-29

東京裁判被告人一覧

死刑

東条英機

 近衛内閣陸相を務め、東条内閣では首相陸相、内相を兼任米国宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。

板垣征四郎

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。

土肥原賢二

 陸軍大将満州国建国華北分離工作において中心的役割を果たした。

松井石根

 陸軍大将南京大虐殺責任を問われた。

木村兵太郎

 陸軍軍人。東条内閣陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。

武藤章

 陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。

広田弘毅

 文官岡田内閣外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。

終身刑

小磯国昭

 陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相就任し、戦争継続した。

荒木貞夫

 陸軍大将。犬養、斉藤内閣陸相を務めた。皇道派代表格であったため、二・二六事件予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。

梅津美治郎

 陸軍大将シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定中国要求した。陸軍次官関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。

南次郎

 陸軍大将若槻内閣陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。

畑俊六

 陸軍大将阿部・米内内閣陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。

大島浩

 陸軍中将ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。

鈴木貞一

 陸軍中将。近衛・東条内閣企画院総裁内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。

佐藤賢了

 陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。

橋本欣五郎

 陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社桜会」を結成、三月事件十月事件企画するも失敗。

嶋田太郎

 海軍大将。東条内閣での海相軍令部総長を務めた。

岡敬純

 海軍中将。対米開戦を強硬に主張した。戦時中海軍次官就任

平沼騏一郎

 山本内閣法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。

木戸幸一

 近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。

賀屋興宣

 近衛・東条内閣大蔵大臣を務め、戦時財政を担った。

星野直樹

 満州国国務院総務長官、近衛内閣企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。

白鳥敏夫

 スウェーデン公使として、日独伊三国同盟締結に貢献した。

懲役20

東郷茂徳

 東条内閣外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦責任者とされた。

懲役5年

重光葵

 東條・小磯内閣外相を務めた。降伏文書に調印した。

免訴

永野修身

 海軍大将広田内閣海相を務め、その後、連合艦隊司令長官軍令部総長歴任し、戦時中元帥就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。

松岡洋右

 ジュネーブ国連会議全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。

大川周明

 学者満州事変二・二六事件五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判梅毒による精神異常のため免訴された。

その他

本庄

 陸軍大将関東軍司令官として満州事変承認戦後戦犯指名されたが自決した。

石原莞爾

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機対立したため予備役編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。

近衛文麿

 第一内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯指名されたが、服毒自殺した。

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