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2017-09-26

そもそも首相自由解散できるという根拠憲法7条3号というのは、無理がある。

そもそも首相自由解散できるという根拠憲法7条3号というのは、無理がある。

私は解散権総理にあるというのは問題ないと考えていたが、憲法学者でそう主張する人はほぼ皆無のようだ。

解散権総理にあるという解釈、元は吉田茂の強引な解釈が始まりだったという。

安倍自民党反論があるなら根拠を出してほしい。無理だと思うが。

あ、あと「朝鮮人にはわからない」とか「安倍総理解散権がないなんて半日」とか、そういうのは根拠にはならないので、よろしく。

by 匿名さん 2017-09-23 20:20:08

憲法69条は、衆議院内閣を不信任した場合には「10日以内に衆議院解散“され”ない限り」内閣総辞職しなければならない……と規定している。しかし、憲法の全条文のどこを探しても、解散権主体(つまり、どの機関解散を「決定」する権限を有しているか)についての規定はない。

国会国民から選ばれたのだから、その立法機関内閣根拠薄弱な形で解散させることは問題があるということ。

もっとも、安倍総理不正選挙しまくったり、「私は立法府の長です。」などと言ってるから何もわかっていないのだろうが。

2017-09-01

https://anond.hatelabo.jp/20170831081521

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52604?page=3

指揮室の奥には、豪華なつくりの部屋があった。木目調の調度から、ここが大臣級以上の執務室であることはすぐわかったという。そして机の上には、赤い電話がポツンと置いてある。なるほど、そこは内閣総理大臣の専用室だったのだ。

舞い上がった軍事ジャーナリスト氏が、深い椅子に座って、赤い電話に手を伸ばすと、幹部が「ワシントンに掛かってしまう!」とその手を払った。そしてあらためて、「何も触るな」と厳重注意を受けてしまったのだ。

という記事をがちで書いているなら、本当に電話なのでは?

今の技術とは違うかもしれないけれど、実際に見られるものとしては旧吉田茂邸には官邸直通の電話があるらしいよ。

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7631/p1131020.html

室内には、黒電話写真下)が展示されています

おや?

電話にはダイヤルがありませんが・・・

それもそのはず、首相官邸直通なんだそうです。

2017-08-06

「○○やったことない奴は○○を批判するな」を適用した場合,最も批判可能者が多い総理大臣安倍晋三…ではない

第1位 芦田均 13名

1948年3月10日就任から4月17日鈴木貫太郎死去)までの期間。内訳は

若槻礼次郎岡田啓介広田弘毅平沼騏一郎阿部信行
米内光政東條英機,小磯國昭,鈴木貫太郎東久邇宮稔彦王
幣原喜重郎吉田茂片山哲

一方で次代の吉田茂は,在任中に批判可能者が3名(東久邇宮稔彦王片山哲芦田均)にまで減少した。

これは歴代首相経験者が5名しかいなかった第4次伊藤内閣1900-1901)以来の低水準である

第2位 片山哲野田佳彦安倍晋三 12

片山芦田の1代前の首相

就任全期間(1947年5月24日1948年3月10日)にわたって,上記リストから自身を除いた12名が存命であった。

野田就任全期間(2011年9月2日2012年12月26日),安倍は2度目の就任期間(2012年12月26日~)が該当。

内訳は下記からそれぞれ自身を除いた12

中曽根康弘海部俊樹細川護熙羽田孜村山富市
森喜朗小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎
鳩山由紀夫菅直人野田佳彦

なお臨時代理経験者を含めた場合野田安倍に対してはは青木幹雄が加わるが,芦田片山に対しても後藤文夫が加わるため変動はない。

第5位以降

批判可能11名:幣原喜重郎吉田茂菅直人

批判可能10名:東久邇宮稔彦王森喜朗鳩山由紀夫

絶対に今が最大だろうと思って調べ始めたが戦中・戦後の混乱期には及ばなかった。ガセ情報に気を付けよう。

日本で「存命の元首相」の人数が最大となったのはいつですか? - ... - Yahoo!知恵袋

日本の総理大臣、総理大臣経験者で存命中の人で最も多かった時は最高何人... - Yahoo!知恵袋

関係ないが名字が濁音から始まる総理経験者は臨時代理後藤文夫を除き存在しない。

2017-04-26

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/katarenakaltutatoukyoudaikuusyuunosinjitu.html

戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカ日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線ガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

 D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書コピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷陸軍省参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑浜離宮上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行三菱商事日本興業銀行横浜正金銀行東京銀行第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町霞ヶ関でも、内閣府国会議事堂警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界アメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構

 A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察マークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞正力松太郎朝日新聞緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。

 イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。

 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省経産省防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一重光葵吉田茂近衛文麿などを「自由主義者穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルン鮎川義介浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカ自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカ共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。

 A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。

 しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。

 この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。

 分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義インチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。

 A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地自衛隊施設へ変わった。横田基地在日米軍司令部であり、すべての在日米軍自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。

 とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイグアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋東アジアを管轄する兵站補給基地だ。

 東京都港区六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。

 そのほかにも府中、由木、大和田硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。

 地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。

 B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県埼玉県神奈川県新潟県山梨県長野県静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。

 羽田空港成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。

 A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。

 B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。

 F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。

 司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる

2017-04-25

日本護衛艦人名をつけるとするなら

アメリカだと、ロナルドレーガンとかカールビンソンとか

フランスはシャルルドゴール

かっこいいよね

日本人名絶対つけないことになっているけど、もしつけるなら誰になるか?

お札みたいだなーと思うと、岩倉具視板垣退助とか?

歴代首相なら伊藤博文吉田茂とか?

歴史偉人なら、藤原鎌足楠木正成徳川家康とか?

かっこ悪い!!

なんでだろ?

かが、いずもこんごうベストな気がする

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2016-07-07

銀行はなぜ合併しなければならなかったのか

江戸時代日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。

明治政府戊辰戦争後、

などといった問題対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度

というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で

といった状態で、日本近代金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本国立銀行への転換が進んでいった。

しか殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。

結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。

このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦関東大震災突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後景気後退震災によって銀行には不良債権が蓄積された。

上記のように各地に雑多に存在する金融資本江戸時代のそれを引きずっていたため近代銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。

その状態さらに 1929 年 1024 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。

かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。

こうした集権的かつ計画的経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後日本の内政を主導した。

全然関係ない話だが、社会主義国家主義反自由主義という思想セットは革新官僚リーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。

戦後岸が政界進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義廃止され、戦後資金流通の円滑化のために戦後地銀いくら設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。

このような情勢のなかで、戦後日本金融当局==大蔵省銀行に対して

  • とにかく安定して資金供給を行うこと
  • 間違っても競争などしないこと

を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。

これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合兵庫銀行倒産するに至った。

また長らくの護送船団によって日本金融システム陳腐化は著しく国際社会において東京金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。

これらの問題対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由サービス投資を行えるようになった。

ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣バブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。

そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行山一證券破綻、翌 98 年には橋本内閣総辞職現在まで続く長い長い不景気が始まった。

しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。

結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己立場防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか

そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。

僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほ現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。

2015-11-11

安倍晋三ってなんで「安定」してんだろ?

いや、メディアで見る程度の印象論なんだけど。

例えば、小泉純一郎が強かったのは、よくわかるんだよね。

政策の是非は別として、北朝鮮に乗り込んで拉致被害者連れて帰ってきたり、

郵政民営化すれば世の中良くなるような幻想ふりまいて圧勝したり、

そりゃ支持率維持して、長期政権にもなるよねって感じだ。

他に、自分リアルタイムでしっている人でいうと橋下龍太朗なんかは、なんだかんだいって、

アメリカ通商代表に「ハードネゴシエイタ―」と言われる程度の実力はある人だし、

ビジュアルとかたたずまいとかに、それなりに人気が出そうな要素はあった。

小渕恵三は、気さくさとか人柄とかが、だんだん知られるようになって、それなりに支持があったし。

過去首相は、まあ、いろいろその後つくられた伝説とかあるんだろうが、

吉田茂、岸伸介、池田勇人佐藤栄作田中角栄中曽根康弘あたりは、

それなりの人物だったんだろうと思う。

一方、森喜朗なんかは、首相当時から失言選挙大敗したりしてたし、

鳩山、管あたりは、もう自壊しちゃった感じ。

村山富市なんかは、もう勢力争いの駒として

たまたまはまっちゃった感じだ。

まあ、案外、そこそこの総理大臣だったという気もするが。

野田佳彦は、案外中国にもいうべきことは発言してたし、

筋を通すいい人っぽかったけど、

逆に「いい人」で筋を通しすぎちゃったんだろうなあとか思う。


で、安倍晋三だが、このままいけば、とりあえず株価を持ちなおさせて、安保政策を転換させて、

民主党時代の混乱を収束させて、それなりの長期政権を築いた、実績のある首相ということになるんだろうけど、

なんか、メディアに出演してちょっと都合悪いこと言われるとすぐキレる程度に器は小さいし

あんなに、メディアで器の小ささを露呈する首相過去にいなかったように思う。

過去首相であれば適当にいなしていたような場面でキレている)

滑舌は悪いし、知性は感じないし、

かといって迫力もそんなに感じないし、そこまでビジュアルがいいって感じでもないし典型的ボンボンって感じだし。

ネトウヨの支持を上手く集めたって理屈は分からなくはないが、

それにしても、もうちょっと別の人いなかったのかなあ?という気もするし。

まだ、麻生太郎のほうが、人としての器はマシって印象があるが

タイミング問題なのかなあ?なんだろう?

神輿は軽いほうがいい」とばかりに担がれてるってことなの?

2015-10-14

 鎌倉の町で最も醜悪な歴史遺物は、鎌倉駅西口にあるウォーナー博士への感謝碑だろう。

 連合軍文化財保存に留意して、京都鎌倉などの古都への爆撃を控えた ― 今もってこれを信じている人は多いが、具体的にそれを進言したのがウォーナー博士だとされている。この「都市伝説」は、吉田守男氏の研究によって事実ではないことが既に明らかにされている。

 京都鎌倉が大規模空襲に遭わなかったのは(必ずしも空襲が無かったわけではなかった)、原爆投下予定地として残されていたり、軍事施設がないため空襲候補リストの下位にランクされていたためであった。

 なぜそのような都市伝説が広がったのか。直接的には1945年11月11日朝日新聞記事に由来している。朝日新聞はこの記事をどういう根拠で書いたのだろうか。

 GHQによる対日工作の一環と見るのが文脈的には妥当だが、そうではないのだとしても連合軍積極的には否定肯定もしなかった。鎌倉だけではなく奈良など全国にあるウォーナー顕彰碑日本側の有力者が建立に尽力している。鎌倉の碑については吉田茂元首相も関与したようだ。

 ウォーナー博士自身は繰り返しそのような事実はない、自分はそういうことには関わっていないと明言していたが、「謙虚な人柄」と解釈されてその言い分は無視されてしまったようだ。

 GHQの思惑は別にして、この伝説日本側で相応に受け入れられたのは、二つの要因が重なっているように思われる。

 ひとつには「東洋スイス」を理想像とする戦後社会主義左翼の「非武装中立論」に合致していたこと。軍備ではなく文化に力を入れれば、襲ってくる野蛮人などいないという、非現実的なある種の選民思想であるスイスでさえ行っていない非武装中立という絵空事を強化する例として、文化の力、というものが過剰に喧伝されたものである

 もう一つの要因は、京都奈良鎌倉に在住する人々の選民思想を刺激したことだと考える。

 文化財があるから鎌倉を爆撃してはいけないという考えは逆に言えば文化財など無い、貧民が住む沿岸工業地帯などは爆撃されても構わないという考えと紙一重であるし、人によってはほとんどイコールであった。とにかく連合軍無差別に何百万人という非戦闘員虐殺したのである。その事実を前にして、自分たち居住区は文化財があったから爆撃されなかった、ありがとう、と言ってしまえる神経が醜悪でないのだとしたら、いったい何が醜悪なのか。

 この意味において私はあの碑をこのうえなく醜悪なものだ、というのである

 あれは我が国の、文化人と呼ばれる人たちの程度の低さ、無責任体質、奢り切った選民思想結晶のものである。それらは軍部上層部にあってはこの国をいったんは滅ぼす要因になったが、それは軍部のみにあったのではなかった。

 徹底してものを考えない、いや、徹底してものを考えるという行為ポーズにして自らの装飾にすることにしか関心のない「指導者層」は左翼の中にも、むしろ左翼の中に顕著に存在するものだった。

 ウォーナー博士はそう言う人々とはまるで違う、知的に誠実な人だったので、顕彰碑は彼に対する侮辱であるし、我々にとっては恥そのものである

 だが、だからこそ、あの碑は我々の愚かさ、傲慢さの証拠として残しておくべきである鎌倉と言う町の、底音部に流れる奇怪さが具現化したものとして。

2015-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20150927171351

いや俺の考えじゃなくて当時の国会議事録とかに残ってるよ。

吉田茂が「9条では戦力は一切駄目、自衛も駄目」って言って、共産党とかが「いくらなんでもそれはおかしいだろ」って突っ込んでたんだよ。

2014-11-19

浮世絵の興奮が覚めないのでもう少し書き綴る

http://anond.hatelabo.jp/20141117014426

思ったよりもブックマークがついた。

ありがとう

しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。

生で見ればわかる。

博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!

いや、説得力がないのはわかる。

入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。

浮世絵をみたことで、ようやく美術ってものがわかったんだよ。

自分解釈だけどさ。

で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。

ピカソって下手だろ。

正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?

って思ってた。

どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?

って思ってた。

こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg

こんなの(ゴッホ)

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

こんなの(ピカソ)

http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg

で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?

ぜったいおかしい。

と。

ところがだ、浮世絵をみて全てを理解した。

「塗り」の限界

油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。

塗った上に、さらに色を重ねられる。

油絵なんて描いたことがないから想像なんだけど。

もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。

筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。

小学校の頃かな、ある油絵をみたんだ。

畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。

「うへー」

って思ったよ。

化粧みたいなものなんじゃないかな。

どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。

それが油絵

で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。

色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。

もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?

明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。

たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?

壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。

どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。

比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。

というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。

ハッハーw

線のチカラ

「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。

線が絵になる。輪郭が形を作る。

輪郭を強調することは、恥じゃない。

写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。

なんのことはない。

輪郭を強調させればいい。そうしたら対象物はどうなるか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg

こうなる。マネの笛を吹く少年

なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。

色のチカラ

改めて考える。

本当に背景は暗くなければいけないのか?

対象物を浮かび上がらせることがそんなに重要なのか?

明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。

色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?

こうなる。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/

ナンダコレハ?ナンダコレハ?」

になるだろゼッタイ

色を重ねずに、並べる

浮世絵場合、色を重ねずに、並べるんだな。

油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg

富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。

人間視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。

色を重ねるとどんどん濁るのに、脳内で作るいろは淀まない。

筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg

そう、ゴッホに戻る。

明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D#mediaviewer/File:Edouard_Manet_037.jpg

これはマネ。

製作年は笛を吹く少年から10年くらい経ってるらしい。

なんだこの浮世絵美人画ポーズ

浮世絵のような明るい色彩。

影もない。

明るさといえば、雪あかり表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛

漫画浮世絵である

輪郭線、点描、1トーングラデーション効果線、etc....現代漫画表現にすごくすごく似てると思う。

そう。

僕らが日々読んでいる漫画とは、浮世絵だよ。きっと。

恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。

浮世絵を見ていて気がついたのは、絵にはお約束がある。

縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。

絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。

しかし、多くは生きている。

たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/

真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。

http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg

漫画ではもうお約束である

浮世絵時代発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。

と、僕は感じた。

というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。

馬鹿正直に人間視点で真横から写生なんかしてない。

あくまエンターテイメント

これとか、どうみても漫画コマだろ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/

ここまで書いてこういうのも変なはなしですが

ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん

騙されたと思って、是非、是非!

なんで薦めるのかといいます

みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。

もうホント漫画感覚で。

当時、ずいぶん安かったんだと聞きます

今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。

から、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。

世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類幸福だと思うのです。

書ききれないので今日はここまで

ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人名前が出たのは葛飾北斎だそうです。

徳川家康坂本龍馬松下幸之助AKB吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。

まり、生で見れば誰でもわかるんです。

凄さが。

2013-09-09

左翼のお粗末さ

 地元の「九条の会」が主催する講座に参加した。

 私自身は改憲派なんだけど、護憲派意見に興味があったから行った。

 びっくりしたのが、護憲派の人たちが思考停止してること。

 戦争放棄憲法に書けば、戦争がなくなると思ってる。

   私「抑止力としての敵地攻撃能力平和維持には必要なんじゃ……」

   参加者九条を墨守すれば戦争回避できます

 九条題目のように唱えるばかり。宗教みたい。

 吉田茂よろしく、九条を利用してアメリカから派兵要請を拒否しようとか、平和シンボルとして九条を柔軟に運用しようとか、護憲の理由付けがごっそり抜けてる。

 理屈があって護憲ならまだ分かるんだけど、とにかく九条死守の一点張りはあまりにも知恵がなさすぎる。

 そもそも「九条の会」の講座が、お年寄りの茶話会みたいになってる。

 誰が入院したとか、孫と遠出したとか、病院サロンみたいな話ばかりしてる。

 私が政治の話しようとすると、「そんなデリケートな話題ふるな」って露骨に嫌な顔する。何のために集まってるんですか?

 九条っていう題目ネタにして、交流したいだけ。ネタにはあまり意味がなくて、コミュニケーションを取ることが目的創価学会と似てる。

 有権者のオツムがこの程度なのを思うと、改憲派の私でも「九条がなくなったら、自衛隊アメリカ軍の一部になる恐れがある」って考えちゃう

 困るのは、こういう人たちが選挙でそれなりに力を発揮すること。

 九条の会って高齢者が多くて、投票率が高い。

 他の左翼系団体はどうなのかな?

 主義主張の中身というより、頭の良し悪しが心配

2011-09-19

ゼークト的総理大臣分類

有能な怠け者

政局、政争を乗り越え長期政権を維持。怠け者なので人材を有効活用し、ある程度政策実現する。

有能な働き者

有能だが敵を作り志半ばで倒れる。後世からの評価は高い。

無能な怠け者

バカと神輿は軽いほうがいい。

無能な働き者

やらなくていいことをやり、言わなくていいことを言う。総理大臣を辞めても余計なことをするので処刑したほうがよい。

2011-05-23

政局日本アメリカ実験台でしたw」

政局日本アメリカ実験台でしたw」

 

(みんせいきょく、Government Section、通称GS)は、

連合国軍最高司令官総司令部GHQ/SCAP)内部組織

GHQのなかで占領政策の中心を担った。

 

日本占領目的である軍閥財閥解体軍国主義集団の解散、軍国主義思想の破壊遂行し、

日本民主化政策の中心的役割を担った。また、意図的に労働組合を成長させたり、

本国では達成できなかった社会主義的な統制経済を試みたり、

日本でニュー・ディール政策の実験を行っていたが、インフレーションが激しく進行し、

 

また絶大な権力の元に、ケーディス大佐らをはじめ汚職蔓延した日本社会党片山哲

日本民主党芦田均革新進歩主義政党政権を支え、保守吉田茂らを嫌っていたが、

片山芦田内閣はいずれも短命に終わった。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%94%BF%E5%B1%80

2010-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20101223214012

理系標準化しやすいか世界も含めて序列化しやすいけど、文系能力標準化しいからな。吉田茂が現代に出てきても力を発揮できるかどうか。

2009-07-01

多少どころではない金持ちのはなし

父親の一族は九州炭鉱で財をなしたひとで、母親吉田茂娘。

自身の資産は数十億程度だが、グループ企業や兄弟が所有している資産も多く、その実態が表にでてくることはない。

渋谷の豪邸は土地代だけで50億を超えるといわれるが課税評価額は4億程度しかない。

もちろん、そんなに純資産があっても今年の収入は数千万程度。

しわけ程度に公開してみたかんじだ。

他方、こちら"も"父親が総理大臣

母親ブリジストン創業者の長女。

母親から相続したブリジストンの所有株式だけで50億ぐらい。

弟も同程度の所有をおこなっている。

まだ母親名義だが豪邸があり数十億の資産価値があるといわれている。

数百億円あつめようと思えばあつめられるひとたちが庶民のため!と合戦を繰り広げている。


アホくさ・・・。

日本の政治財界もたどると何本かの金持ちに行きつく。

日本だけではない。

世界もそうだ。

お金を使い彼らのルールプレイする以上この呪縛から逃れることはない。

http://anond.hatelabo.jp/20090630173224

MBA漁師に諭す話しがあったが、

稼がないと減っていく程度のお金なら、

稼がなくても実はさしたる差はない。

ばっくとぅぶつぶつ交換。

2009-06-28

anond:20090628104629

英語表現だと普通にThankyou!とかメールの最後につける。

これはなんのためにするかというと、

「悪意がある」とかそういった誤解を招かないためなんだ。

いやいや、単なる習慣に過ぎない。そして誤解を防ぐ役にもたたない。

Occupied Japan時代、マッカーサー吉田茂首相に出した書簡の冒頭のDearを「親愛なる」とわざと直訳して公開し、吉田内閣GHQとの親密な関係を演出した。それ以後のマッカーサー日本内閣との関係を誤解されないように書簡にDearをつけなくなったというのは有名な話。

2009-06-27

児ポ単純所持禁止の後ろから軍靴の音が聞こえる

まずは少し歴史の話をしよう。日本警察の話だ。

第二次大戦後に日本警察地方行政に組み込まれた。

戦前日本特高警察による情報統制が行われ、表現や報道の自由規制されたからだ。それらの規制の中で日本国内に戦争に向かう空気が醸成され、国民マスコミ戦争を望むようになった。反対する人間逮捕された。

その反省から、戦後GHQ日本政府警察組織地方に分散させた。

しかし、1953年警察法が改正されて、警察庁が国内の警察組織の中央組織となった。警察を抱えるには財源が足りないため、多くの各地方自治体警察組織中央政府に戻そうとした。

その一方で戦前の状況を知っている人達(その当時の多くの人、特に大都市圏)が大きな警察組織を作ることに反対したので、吉田茂内閣国会内に警官隊を入れざるをえないような混乱の中で数ヶ月の論戦を押し切って警察法を改正した。

さて、児ポ単純所持禁止について話そう。

特高警察アカを撲滅するということで、大きな力を与えられていたが、現代の日本アカ規制する必要はないので違う対象が必要となる。

日本国内で対象になるものは何だろうか。

一つはテロだ。日本国民のほとんどはテロに反対だ。テロ対策のために警察は「共謀」を取り締まる法律を作ろうとした。実際にテロ行為を行う前に「共謀しただけで逮捕可能」という法律を通そうとしたのだが、あまりに対象範囲が広く、国会法律は通らなかった。

もう一つの対象児童ポルノだ。

児童を性的搾取することは悪と日本国民のほとんどが考えるし、強く主張する人達も多い。

しかしながら、今回の日本児ポ単純所持禁止は児童ポルノ定義曖昧であり、いくらでも恣意的に適用できる危険法律となっている。警察組織は愚かでないので濫用しないだろうが、簡単に別件逮捕に利用できる法律となっている。

さらに創作物も対象にする改正することも検討されている。

戦前について話そう。

大正時代日本民主主義の道を確実に歩いていた。

その日本昭和になってファシズム国家に転落した最初の一歩は、特高警察による共産主義思想の取り締まりだった。その頃の日本にどれぐらいの共産主義者がいたのだろうか?

現代の日本人軍隊を厳しく監視して、文民統制を試みている。

その一方で警察への監視が甘すぎるのではないだろうか?

パチンコ関連組織への天下り性風俗店の恣意的な取り締まり、度々発覚する横領

警察組織の腐敗は酷くなる一方で、共謀罪など都合のいい法律を通そうとする権力志向

監視して、正すべきは警察組織も同じである。

また軍靴の音を響かせる空気を作り出しては、戦前の二の舞となるかもしれない。

我々は先人の過ちに学ぶべきである。

2009-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20090420053708

東大ってのは本来陛下にお仕えする官僚を育成する機関らしいよ。

麻生さんが東大に行こうとしたら吉田茂に止められたというし。

だから皇居掃除も昔は東大生がやっていたんだって。

2008-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20081116162902

いやいやいやいや、そういった単純な部分でのミスなんて誰だってやることで、例えば吉田茂の孫であっても簡単な漢字の読み方でさえ間違ってしまうわけで、ホッケ料理方法を知らないくらいで人を馬鹿扱いできるのかというとそうではないわけで、

「それしきの断片的情報で」人をどうだと決めつけるのが危険だと言ってるんじゃないか? 実際にホッケを煮つける料理方法もあるし、踏襲ではなく腐臭だったのかもしれないぞ。常に、そういった可能性を頭の中にとどめておかないと……足元すくわれるぞ、って事なんじゃないか、たぶん。

2008-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20080808161644

ファッション方面のブランドはなー。

一度調べたことがあるけど、フランスってナポレオン三世のころから衣服に関しての法律無茶苦茶凄かったらしいじゃん。

付加価値をつけるために法律職人が一体になって、文化的保護政策をとっていて、いわゆる「芸術家」とは違う道を歩んでいたらしい。

日本じゃファッションデザイナーが強権に保護されたり命令されたりしたら、いわゆる「芸術家気質」で反発して、まとまらないんじゃないかなぁ。

あ、あと一般的日本人ブランド観っくらい陳腐でださいものはないよ。

欧米ではブランド品は持つべき人が持っているわけで」なんて言ってるけど、

エルメスだってヴィトンだって、階級社会の行き詰まりを懸念して庶民階級富裕層狙いのラインナップを作り始めて

もう何十年になっているやら。

真のセレブ権力者とか上流貴族層とか)はほとんど受注生産でしょ。すでに完成している物を買うのは庶民だよ。

吉田茂イギリス大使(だっけ?)時代、部下が着ている服が既製品だと見るや馘首にしたって逸話がある。

2008-01-06

安倍首相の最大の弱点は“学歴”??教育改革は、学歴コンプレックスの現れ?

先ほど、すごいことを発見しました。それは、「政権長期政権かどうかは、首相学歴ズバリ、比例する傾向にある」ということです。この学歴問題を引き合いに出すのは「タブー」になっているのですが、歴代首相を論じる以上は首相出身大学について語らないわけには行かないのです。

歴代首相学歴をザッと調べてみました。

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吉田茂 東京帝国大学法科大学政治卒業

片山哲 東大法卒 弁護士

鳩山一郎 東大法卒

石橋湛山 早大文卒

岸信介 東大法卒 商工官僚

池田勇人 京大法卒 大蔵官僚

佐藤榮作 東大法卒 運輸官僚

田中角榮 中央工学校卒 会社社長(+一級建築士

三木武夫 明大法卒

福田赳夫 東大法卒 大蔵官僚

大平正芳 東京大卒 大蔵官僚

鈴木善幸 農林省水産講習所(現東京海洋大学)卒 漁協役員

中曾根康弘 東大法卒 内務官僚

竹下登 早大商卒 島根県議(+雄弁会早大高等学院出身)

宇野宗佑 神戸商大中退 滋賀県

海部俊樹 早大法卒 議員秘書

宮澤喜一 東大法卒 大蔵官僚

細川護熙 上智大法卒 熊本県知事

羽田孜 成城大経卒 会社員(+成城学園高等学校

村山富市 明大政経卒 大分県

橋本龍太郎 慶大法卒 会社

小渕恵三 早大院修 会社役員

森喜朗 早大商卒 新聞記者(+雄弁会

小泉純一郎 慶大経卒 議員秘書

安倍晋三 成蹊大法卒 会社員(+成蹊学園(小学校中学校高等学校))

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

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これを見て分かることは非常に多い。まず気が付くのは、宮澤喜一首相を最後に東大出身の首相がいない、ということです。ここ数代は、慶応早大のたすきがけ的な形で続いています。

そして、一般的な「偏差値」が高い大学を出た政治家首相になると「長期政権」になるということです。これは、上の履歴書をみると明らかです。

調べるまでは、まさかそんなことは、と思っていましたが、「政治家における学歴差別」は歴然として存在するのです。これで、なぜ安倍首相が不人気なのか、信望がないのかがよく分かりました。偏差値の高い大学出身の首相は、まわりに似たような学歴政治家がたくさんいるワケです。そうすると「同窓会ネットワーク」の層が厚い。

同じ大学の仲間意識で皆が支え合うという意識があるわけです。これは、アメリカにおいても同様で、ブッシュ大統領はあれだけバカだと言われていますが、しっかりエスタブリッシュメント大学のイエール卒業し、しかも、エリートクラブ出身です。それを考えると、安倍首相は哀れなくらいに学歴が低い。いや、学歴が低いといよりは、彼の場合には「受験を経験していない」のです。

受験を経験していないということは、「忍耐力がない」「修羅場の経験がない」という風に一般的に判断されます。しかも、安倍首相小学校からのエスカレーターです。普通受験して成蹊大学に入っているわけではない。これは非常にマイナス点です。

日本では、東大受験に成功することが最高のステータスシンボルであり、東大は一時期までは総理大臣を供給する大学でした。アメリカジャパン・ハンドラーズの研究には「東大」の研究書もいくつもあるんです。東大官僚制度と政治家ネットワークを持つ。これが日本の最大のパワーだったわけです。

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最も有名なのはチャルマーズ・ジョンソンが共著で加わっている以下の本。ハードカバー版しかない。表紙の「東大」という文字が笑えます。

An Empire of Schools: Japan's Universities and the Molding of a National Power Elite (Hardcover)

by Robert L. Cutts (Author), Chalmers Johnson (Introduction)

Table of Contents

Foreword

Preface

Ch. 1 If There Is a God, He Went to Todai

Ch. 2 First Principles: The Society

Ch. 3 First Principles: The Individual

Ch. 4 The Ivory Basement

Ch. 5 A Tale of Two Citizens

Ch. 6 The Leisure Class

Ch. 7 Who's on Top: The Women Elites

Ch. 8 Family: She's Got the Whole World in Her Hands

Ch. 9 Weapons

Ch. 10 Making It

Ch. 11 Fifty Ways to Lever the Governed

Ch. 12 Reform: No Exit

http://www.amazon.com/Empire-Schools-Universities-Molding-National/dp/1563248433/ref=sr_1_6/102-8054700-3864949?ie=UTF8&s=books&qid=1182385355&sr=8-6

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同様に、早稲田大学は在野の精神早大雄弁会を結成し、これも政治家供給源になってきました。慶応大学もどうように政財界に太いパイプがある。小泉前首相と綿貫国民新党党首の共通項はともに慶応出身というところです。意外なところで接点があって、それが情報交換のきっかけになったりする。

慶大出身の綿貫氏

そこに行くと、大変失礼なのですが、成蹊大学出身の有力政治家というのはほとんどいません。政治家の仲間がいないということは、つながるネットワークが少ない、ということ。安倍首相ネットワークは「安晋会」のようないかがわしい人たちの集まった後援会組織だったり、父親の晋太郎の時代からのサポートスタッフです。

安倍晋太郎は、病気で早くに亡くなっており、これを継ぐ形で晋三が政治家になっています。安倍家には、東大出身の寛信という三菱商事中国支社のエリートビジネスマンもいましたが、なぜか彼ではなく、晋三に白羽の矢が立っている。

そうなると、何にも自分だけの基盤がないエスカレーター学歴の彼には、父の周辺の後援会に頼るしかなかった。そうなれば、晋三はいいなりです。広域ナントカ団だったり、地元土建業者だったりがまとわりついてくる。それをさばくのは側近たる秘書なのでしょう。

こうなると、なぜ東大出身の寛信氏が後継者にならなかったのかが気になります。順当に東大出の晋太郎が総理大臣になっていれば、晋三が後継者になることはなかったのではないか、と強く思います。しかも、晋三氏には「南カリフォルニア大学」在学時の学歴詐称疑惑で騒がれたこともあります。結局、卒業はしていないということだったようです。民主党代議士学歴詐称を追及している段階で噴出した問題でした。

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安倍一族の“学歴”一覧

安倍寛(祖父)=東大

岸信介(祖父)=東大

佐藤市郎(大叔父)=海軍大学校主席

佐藤栄作東大

安倍晋太郎(父)=東大

安倍寛信(兄)=東大

岸信夫(弟)=慶応

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上のリストに戻りますが、小学校卒業田中角栄内閣は、やはり短命政権でした。しかし、彼は安倍首相と違い、たたき上げで、一級建築士資格も持っていた。だから、それなりにポイントは高かったのだろうと思います。鈴木善幸首相もやっぱり短命政権宇野宗佑首相も、羽田孜首相も・・・・。みんな“ポイント”が低かった。

これを法則化して理解した上で他の首相をみていくと、細川護煕首相上智大学出身。細川政権は約一年しか続いていません。早大出身の海部政権は約三年続いています。この事実から、キリスト教大学である上智大学は、首相になる場合の「持ち点」が少し低い、ということになるでしょう。ちなみに政治家では野田聖子さんが上智出身です。村山首相明治大というのも微妙なところなのでしょう。

そこに行くと、面白いのは、故・三塚博さんと小渕優子さんです。三塚さんは、派閥の領袖も務めた大政治家です。彼は、東京獣医畜産専門学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部学士入学し、1951年卒業。在学中は雄弁会に所属しています。わざわざ早稲田学士入学しています。これは雄弁会に入るためでしょう。雄弁会というのは、今は威光もかげってきましたが、それでも現内閣では山本金融大臣を初め出身者が多い。森元首相竹下首相雄弁会ネットワークです。三塚さんは学士入学で早稲田に入って持ち点を上げようとしたわけです。残念ながら、その努力は報われませんでしたが、閣僚にはなっています。

早稲田大学大学院公共経営研究科修了:小渕優子

同様に、早稲田大学社会人になった後に入学したケースとしては、元首相の娘さんである小渕優子さんの例があります。彼女の場合は大学院です。小渕さんは、羽田首相と同じ、成城大学出身です。この大学は意外に政治家が多い。しかし首相になったのは羽田さんだけです。しかも短命政権でした。

そこで小渕さんは、女性なので雄弁会には入れないのですが、早稲田大学政治家をやりながら入学するという「奇策」に打って出ました。これは凄い。さすがは政治家の娘です。政治感覚が鋭いなあと思います。成城大学では幾ら政治家として頑張っても総理大臣はなれない、と冷酷に判断したのでしょう。早稲田に入学したということは、早稲田出身の政治家ネットワークの末席に置いてもらえる可能性がある、ということです。それでもなかなか首相への道は厳しいでしょうが・・・・。なんだか応援したくなりますね。

そう考えると、小学校からのエスカレーター安倍晋三という人が首相になっていることは、国際的な一大スキャンダルである可能性が高いのです。安倍首相が国際的に影が薄いのも早稲田慶応ネットワークに入っていないからかもしれない。そう考えると、一応、外国政治家の経歴を調査する情報機関の間では、東大早稲田慶応の当たりの大学は評価されている、という見方も出来そうです。これが安倍さん慶応幼稚舎出身だったらもう少し違ったのかもしれないですね。

そのようにしながら、日本の政治家を出身大学別に持ち点でプロファイリングしていくのも面白いと思います。同じ慶応早稲田でも、政経学部か文学部か(例:石橋湛山)、第一部(昼間)か第二部(夜間)かで大きく違うのでしょう。私の出身は早稲田の一.五部と言われた社学出身なので、政治家的には微妙ポジションでしょう。

こういう当たり前のことは差別になるといってタブー視されていますが、やはり安倍政権坊ちゃん政権だったのです。周りに大学ネットワークがないから、変なおかしい団体が支援者として食っ付いてくるわけです。そう考えると、やはり安倍政権、長くないでしょう。

ここでどう考えるべきか判断に苦しむのは、ポスト安倍麻生太郎外相の扱いです。学習院大学政経学部政治学卒業とあります。その他、スタンフォードロンドン大学留学しているようですが学位があるかどうかは分かりません。学習院というのはどういう扱いになるか。彼は皇族の血が入っていると同時に、カトリック教徒です。クリスチャン政治家では、大平首相がいますが、これは短命政権に終わりました。(病気だったからかもしれないですが)学習院出身の首相はいないので、これが持ち点が高いのか、低いのかは分からない。ただ成蹊大学出の安倍首相よりは間違いなく麻生外相の方が持ち点は高いはずです。

そこへいくと、同じように微妙なのが東大出身の谷垣禎一財務大臣です。彼が首相になれば久々の東大出身総理となります。しかし、彼は消費税を上げたりして、短命政権になるでしょう。その後に、つまり消費税上げをやった後に、民主党政権が出来るかもしれない。

つまり、大蔵官僚が、自民党責任をおっかぶせて自分たちは民主党政権コントロールするという考え方です。官僚を統制しているのは一部にはアメリカです。今の官僚制度をコントロールできる角栄のような政治家がいないので、官僚制度も政治家同様、アメリカに目を向けて指示を仰いでいるんでしょうね。

そう考えると、安倍首相がやたらと左翼思想を批判したり、「美しい国」というようないかがわしいタイプ保守思想を喧伝したがるのも、東大学歴に対するコンプレックスなのかもしれないですね。安倍家、佐藤家には東大出身が多いですからね。東大といえば、左翼思想丸山真男、というわけです。「家庭の事情」で教育改革をやられては非常に困るわけですが・・・・。

まあ、政治家価値学歴だけで決まるというわけではないでしょうが、実際に統計的に結果が出てしまっているのは隠せませんね。

代々木ゼミ偏差値表をみながら、地元政治家プロファイルしてみてはいかがでしょうか?

http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/nyushi.html#rank

2008-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20080103170351

大日本帝国日本国で、国体が変わったということは認識するべきだと思う。

吉田茂が第45代総理大臣というのが納得いかない。

徳川家康初代将軍だろう?

だったら吉田茂も初代総理大臣だよ。

国体が変わったという認識が必要では?」という主張には特に反論したいわけじゃないけど、徳川家康は「江戸幕府」の初代将軍だからその例自体は別と考えて問題ない。「鎌倉幕府」の初代将軍源頼朝だ。そしてそれに対して「坂上田村麻呂の立場は!」とか誰も突っ込まない。

それから、戦後当時の政府人の感覚では「国体政治体制」ではなく、「国体天皇を中心とした国家であること」であって、だから「国体護持」とは天皇戦争裁判にかけないことを意味した。降伏判断を遅らせて原爆を二発食らったのもソ連の参戦を招いたのもいわゆる「無条件降伏」したのも占領を受け入れ米兵駐留を受け入れ民主主義を受け入れ東京裁判を受け入れたのも、全ては「天皇制」護持のため。そしてそれは政府の人の単なる暴走じゃなくて、彼らが日本人全体の「空気を読んだ」からだというのがおおむね妥当だと思う。ホント日本人天皇が大好きだよな。

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