はてなキーワード: 戦前とは
昔はチンポでピアノ弾いてたけどキメるところはキメるリーダー、みたいな面白がり方してた人たち、それ、開戦前までプーチンのこと愛嬌と冷酷さが同居する面白マッチョとして消費してたのと方向として同じだと思うから、もうやめた方がいいと思う(もう廃れてるのかもしれないが)。
ゼレンスキーを評価するときに政治家としての手腕じゃない部分でよく言及されるチンポピアノ、なんか気持ち悪いトレンドだな、と思ってたけど、ようやく言葉になった。いま地球上で最大級の悪とされるアイコンのかつての楽しみ方と、同じことをその相手にもやってんだもん。しかも、開戦後に。
良い悪いは別にして、戦闘中の為政者はみんな純度100の「怖い人」なんだよ、たぶん。この人たちは一つ一つの命より国體の方が大事で、国土と国家が守られてはじめて命がその中に入る余地が生じるって考えてるんだと思う。完全に停戦するまで、戦時の首脳にとって命には戦力に変換して消費する以外の意味はないし、消費できない命には価値がないんじゃねえかな。
何度も言うけど、人間としての良い悪いは別だし、ゼレンスキーを悪党とは思わないけど、チンポでピアノとか、やっぱ楽しんでちゃダメだった。ましてや、かつての「面白おじさん」が侵略者になったときに、そのカウンターに同じ消費のしかたを転用したここ数ヶ月は、知性として最悪のタイミングだったと思う。
30年前は確かに今よりはげ山が多かった気がする
今やもっさもさだもんな日本の山
ウクライナ戦争でまた林業の需要が伸びるのだろうか?https://twitter.com/jyukkanzakakai/status/1281673056625152000
ウクライナ情勢が最終的にどうなるかまだわからんが、現状において孫子の兵法から考えてみたい。
まず、短期決戦想定なら、それが失敗した時に手を引くべきだったね。
キーウに空挺降して奇襲(斬首作戦)に失敗した時に手を引いていればもっと傷は浅かったと思う。
孫子でいう「小敵の堅は大敵の擒なり」に反してる(敵が予想以上に強いなら引けと)。
自軍が強いからごり押しいけると思ったのなら「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」に反している(自軍を過大評価して、敵を過小評価しすぎた)。
追い詰めすぎてゼレンスキー覚醒して「窮寇には追ることなかれ」に反した(窮鼠猫を噛むから追い詰めすぎるな)。
なにより、兵を動かしての侵略戦争は、「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」にも反してる(戦争は莫大なコストがかかるから、戦わずに勝つの最善)。
プーチンは変な愛国本読んだのかどうかは知らんがルースキーミールに嵌るぐらいなら、孫子の兵法を読むべきだったな。
第2章ドンバスの戦いについてなら、「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」に反している(戦う前から勝つルートを考えろ、戦いを始めたから勝ちルートを考えていたら負ける)。
不必要に民間人を虐殺したり、強制移住政策をしたことで、「将とは、智、信、仁、勇、厳なり。」にも反している。
逆にプーチンができたことは、「兵は詭道なり」かな(用兵とは騙し合いだ)。
開戦前は攻撃の意図はないと嘘を付き、偽装の撤退をして油断させてからの進撃を行った。全部偵察衛星でばれてたみたいだけど。
他にもこれに反しているとか間違ってるよとかの意見があったら教えて。
当たり前だ。
30年だゾ。
そんな戦争してきた国が、他にあるか?
近い将来、ラピュータなんだよ。
狂った国は滅ぶしかない。
ただ、君のこの失われた30年を世界に知ってもらう必要はある。
英訳してね。
もう二度と
なんて言わせないように。
ウォシュレットだけやんけ。アホか。
2011年のアニメと2021年のゲームをひとまとめに同時代として語ることで
2100年代ごろの人間のように見せる演出技法なのかとおもったのだが
どうもそういうのとは違うらしい
↑
今やってるrageのvalorantのイベント、6000人の集客だったらしい
それでつぶやきで日本初的なニュアンスでつぶやくのをよく見るようになった
この子ら闘劇とか知らないんだろうなとかおっさんのおれは思ったりする
そういえばRIZINを観戦しに行ったとき、若者が「朝倉未来は総合格闘技流行らせた人で歴史に残るわ~」みたいなこといってて
まぁとにかく若者ってそういうもんだと思うし批判するつもりはない
かつてトキワ壮の住人は、手塚が漫画を作ったということをよく言っていたし、それが日本の漫画読者にも広まったが
いまの研究者ならそれは違うと断言するだろう
夏目房之介がいってたけど、手塚が始めたとされる表現のあれこれは戦前からすでに存在したものが多い
これは戦争によって漫画が断絶しているから当時の子供たちだったトキワ壮の人たちが知らないのもしょうがない事だともいってたな
一部の認識力が格別におかしい輩以外はフェミニストが勝ち続けていると正しく認識できていることだろう。
そもそも『セクハラ』なんて概念が社会にすっかり浸透してしまった時点でもう取り返しがつかない。
一昔前なら森元のわきまえてる発言が糾弾されることもなかったはずだ。
実際故石原慎太郎は言いたい放題言えてたわけだし。
ネットのアンチフェミが四六時中やってるようなクソ投げはまったく逆効果であることは言うまでもないだろう。
ミソジニストのやべーやつらという評判を広めて首を絞めているだけでしかない。
最悪、オタク文化丸ごと巻き込んで滅びるだろう。
ちょうど今のロシアのように。
自分の先祖は高祖父が林業家で、祖母は小さい森林を相続していたので、やはり伐採と杉植林をしていた。でも60年以上伐採してない。1ヘクタール未満では補助金も出ないので手が付けられない。今や花粉症の元だ。
ところが2015年に国交省が再測量した結果、面積は2ヘクタール近くだったことが分かった。幸い土地評価額は30万円以下で固定資産税がかからないギリギリの面積だったので税金問題は生じなかった。
しかし誤差程度の数字ではない。祖母もその次世代も補助金が出ないと勘違いしてて伐採しなかったことになる。
測量の錯誤が戦前戦後のいつに行われたか知りたいが、これが閉鎖登記簿も見つからない(小作制度廃止時代の土地の接収はおおむね閉鎖登記簿に記録されているのだが)。こうして面積を「錯誤」されていたために杉や檜を伐採しなかった山林所有者は他にもいるはずだ。
つまりかつての法務局や国交省、あるいは農林省は、花粉症源の植林を推進したうえ、あちこちの土地面積を補助金対象以下に錯誤することで伐採を妨害し、花粉症源を維持したのだろうか?
いずれにせよ彼らは地積情報を仕切っている。霞が関の裁判所が土地譲渡を受けたときは面積は「大きめに錯誤」されている。売り主はさぞ税金を得たことだろう。
https://apeman.hatenablog.com/entry/2022/04/26/150727
何かこの件については左翼の側のレッテル貼りが酷くてそっちに対して反論したくなるな
誰が国家の代表者として語られるべきかというのはあくまで解釈の問題であって
南京大虐殺否定論や従軍慰安婦否定論のように、事実そのものを否定したがる歴史修正主義とは全然違うでしょう
私は戦前の大日本帝国は紛れもなく帝国主義の侵略国家でファシズム国家だったと思うし、大日本帝国という国をナチスドイツやファシストイタリアと並べる事には何ら不満はない
でもその場合昭和天皇の位置はムッソリーニではなくイタリア国王だろうと言っているだけ
そして天皇制は廃止すべきだと思っているがそれはあくまで今後憲法改正して実現すべき事であって、過去を変える事は出来ないでしょう
東京裁判史観の元で昭和天皇が無罪とされて象徴天皇にそのままスライドしたという過去を否定してヒトラーやムッソリーニと並べる事の方がよっぽど歴史修正主義的だと思う
昭和天皇の方の写真はウクライナの方も下げたんだし、向こうにとってもそれが正しい認識だって事でいいじゃんとしか思わないんだが。
昭和天皇って戦前と戦後を生きた人でその評価もかなり難しい人なんだよね。戦中日本のトップである以上ヒトラーとかと並べられるのは致し方ないけど、ここまで評価の難しくセンシティブな人物を雑に使っちゃうのは馬鹿すぎる。
悪いとは言わないけどただひたすらに軽薄で馬鹿な行動だったね
「昭和天皇の戦争責任は追求しない」というのがサンフランシスコ条約体制下で行われた「手打ち」であって、連合国側も東京裁判を通じてそれを認めたわけだから、少なくとも戦後の国際秩序を踏まえた国同士の関係の中で「やっぱり昭和天皇に責任があったよね」という話を蒸し返すのはどうなの、という話はある。
一方で、これはどこまで行っても手打ちでしかないので、「ヒロヒトは枢軸国のリーダーの一人としてナチスドイツに加担した」という批判を事実ベースできちんと否定できたわけではない。
それよりもさらに問題なのは、日本という国が戦後を始めるにあたって「戦前の国体を引き継ぐ」という前提に立ってしまったので、先の戦争の責任を完全に清算するチャンスを逸してしまった、ということなんだよね。日本国憲法が大日本帝国憲法の改正という形で天皇から公布された、というのが象徴的。
もうとっくになくなってる元陸軍人の俺の祖父は海軍と沖縄人が大嫌いだった。祖父は太平洋戦争中は憲兵将校として市ヶ谷にいたらしい。しかし各地で前線指揮官になっていた帝大生士官たちがあまりにひどい有様でバタバタ死んでいくので、本来前線に出ない佐官も再び前線に立つようになった。尉官の時に満州で前線指揮の経験があった祖父も沖縄に行ったのだが酷かったそうだ。
本来軍が基地として使う予定の壕が沖縄の現地民でごった返している。ここに入れろと喚いて強引に入ってきたらしい。帝大生指揮官たちは気弱なところがあって入れてしまったそう。沖縄の人間たちが戦前準備を怠け過ぎてロクな壕ができてなかったのが原因。もう沖縄には逃げる場所なんてほとんどなかったそうだが、ここに置いておくわけにはいかない。それでなんとか祖父たちが兵士に命じて無理やり追い出したらしい。その時祖父たちは沖縄の人たちがおにぎりや揚げ菓子みたいな大量の食糧を持っていたことが気になった。後から現地を調査してわかったのが沖縄は本来納めるはずの食糧を全く国に収めず隠していて、町ぐるみで徴兵逃れをしていたこともわかった。つまり本土の人間に比べて戦争に協力する気が全くなかった。極め付けは後から来た将校たちから「阿南閣下たちが何やらずっと会議している。もしかしたら降伏かもしれん」という話が漏れた時。あろうことか沖縄の人たちの何人かは「Welcome」「Help」『Hello』と英語で書かれた米軍へのアピール用の垂れ幕とかを秘密裏に作ってた。発見した祖父たちは激怒して民宿か何かをやってたその現地民たちを顔が変形するくらい殴って半殺しにしたらしい。
そんで戦争が終わってみると、結局責任のほとんどを陸軍がかぶることになった。なぜかといえば陸軍が必死に戦っているうちに海軍部はアメリカとコンタクトをとりながら、太平洋戦争への海軍の関与を示す書類を次々と処分していたから。
祖父は佐官と言っても重要な会議なんかに関わる立場になかったし、占領地での勤務もなかったため短期間の公職追放のみで処罰や逮捕はなかった。その後いろんな仕事をして最後は知り合いの作った貿易会社に落ち着いた。それから孫の俺が産まれたんだが、祖父は陸士の同期や軍での部下には物凄く気にかけていたが、決して沖縄の人間と海軍人を許さないまま亡くなった。