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はてなキーワード: フロイトとは

2020-05-12

anond:20200511081541

一般はもちろん、オタク界隈でも大ブームになったとは言い難いはずだよな?

エロゲ一定の評価を受けたのはゼロ年代ネット空間における、評論においてではないか

ここら辺のルーツはまず、西洋人を真似て芸術評論してみようとした

浅田彰らの批評空間が、ベースにあるはずでそこの影響を受けて、大塚英志東浩紀オタク文化評論をしてる。

一方で別の文脈オタキング同人誌における作品評論もあって、

彼らはフロイト精神分析民俗学を用いて(解説書・新書レベルだが)、評論を行っているので近親交配のように

批評空間の流れに合流していると思われる。

指摘しておきたいのは、上述の流れは偏差値65以上の人たちと50~65の人たちが合流しているのであって

50未満のオタクたちは、かなりのボリューム存在しているであろうに取り残されている。

(こういった背景が、なおざりにされているので、質アニメvs美少女動物園という対立軸

最近オタクルーツを探らない論に通じてしまっているのがあると思う)


で、重要なのは芸術評論というのは、実は人文エリートの中でもトップクラス作業領域

実家が太くて、曾祖父の代やそれ以上から文化資本潤沢な、文化貴族のやるもんなんだよ。

西洋で言えば、フロイトやT.S.エリオット、W.H. オーデンみたいな人たちね。

こういう人らは学術用語ぶん回して評論するとかしなくて、すごいハイコンテクスト

「青、いいよね」をさらに嫌らしく発展させたような、言語ゲームをばりばり行う人たちなので

上述の浅田彰等々でもくらいつくのは、すごく難しい領域なんだな。


でも、一応は日本人としてもそれを真似してみたいという欲求はあるわけだ。

ここで登場するのが、大塚英志東浩紀薫陶を受けたポストモダン

この哲学思想において、これまでメジャーとされた文学価値観より

マイナーとされた文学価値観も光るものがあるぞ!って流れが強く打ち出された。

こうして、評論したい欲求マイナーから価値抽出してやるぞって意気込みが合わさって

エロゲーを評論しようって流れが、一時的とは言えど生まれたのだと俺は考えている。

2020-05-09

増田ってフロイト先生が言うところの肛門期のやつ多いよな

ウンコ話題大好きだし、自己中心的だし

2020-05-08

バンクシーの絵が皮肉とか言ってるの日本だけってのを見て、ほんまかいなとtwitterでironyとかcynicalとか少ない知識検索かけたら、まあほんと皮肉だと言っている人の少ないこと。皮肉だと思えないこともないけど、感謝する手紙ついてるし。

日本ツイッターには深読みを得意とする野生のフロイト先生が多いこと多いこと。

anond:20200508193819

遺骨盗りが多いんだよね

から仏舎利争奪戦が後を絶たなかったし、近年ではフロイト王夫人の遺骨が狙われた

2020-05-02

数人でマラソンコースに誤って立ち入ってしまい、自分以外全員がサッと歩道に戻る中、フワッとしたジャンプゆっくりしか戻れなかった…という夢を見た。説明してよフロイトさん。

2020-04-18

シュールでクスっと笑える増田を書きたい。

https://nogreenplace.hateblo.jp/entry/2020/04/17/193620

どうすればいいんですか?

誰か教えてください。

ベルギーシュルレアリスム画家として知られる、ルネ・マグリットの絵を文章表現したら良いのでしょうか。

そして、増田を「この世界に関する私たち知識を深める手立て」として昇華させるべきなのでしょうか。

それとも、シュルレアリスムの基本概念であるオートマティスム、すなわち、自動記述を極めるべく、

理性に制御されない純粋思考表現するために、できるだけ無意識に近い状態で浮かんでくる言葉投稿し続けるべきでしょうか。

それとも、フロイトが主張する「不気味なもの」すなわち、驚愕をもたらす話し、不安をかき立てる話し、ぞっとするような恐ろしさを与える話し

を書くべきなんでしょうか。


どうすればいいんですか?

誰か教えてください。

2020-04-03

anond:20200403102850

普通にフロイト防衛規制合理化じゃん?

童話でいキツネの酸っぱい葡萄のやつ

ちなみに女さんやフェミ叩きも防衛機制みたいなもんじゃね。

俺は男だしDTでもねーけどな

2020-03-23

鉄腕アトムブルマーと。

幼いころからブルマーが大好きで、それは一貫しており今でも変わっていない。

ただし、ブルマーを盗むような真似をしたことはなく、単純にお尻が好きらしい。ブルマー単体にはそこまで興味はない。お尻の部分に色がついていてふとももは素肌のまま、その色の対比に対するフェティシズムだ。

そうしたわけで、競泳水着レオタードも好きだし、パイロットスーツも色分けされていれば許容範囲だ。バニーガールかわいい

逆に、お腹の見えるビキニはそこまで好きではない。おっぱいとお尻を隠すだけの扇情的な姿よりも、上半身パーカー羽織ったビキニ姿のほうが興奮する。上半身をしっかりと覆いながらも下半身露出しているのが好きだ。だから上半身ジャージ下半身ブルマー、いわゆるジャーブルは最高だ。同じ理屈ミニスカートパンチラ防止のブルマーも素敵だ。もちろん、チアアンスコも好物だ。ショートパンツ女子もいい。ただ、なぜかストパンにはそこまで食指が動かない。白い下着は紺色のブルマーほど好きではないからだろう。臙脂や緑のブルマーかわいいが、紺色にはかなわない。でも、陸上女子レーシングショーツは、ブルマーに似ているからかへそ出しでも興奮する。腹筋もかっこいい。

それはさておき、これには何か原体験があるのだろうか。確かにYMCA体操教室で、優しいブルマー姿のお姉さんが、といっても自分は低学年で相手はせいぜい高学年くらいなのだけれど、よく構ってくれたから、そういう好印象があったのかもしれない。それに、跳び箱や鉄棒平均台やマット運動をするために並んでいると、必然的に後ろからブルマーを見ることになるから、それでお尻が大好きになったのではないか。あるいはプールの授業の女子スクール水着に何か思うところがあったのか。

そういう風に説明できれば、さぞわかりやすいことだろう。しかし、自分にはそれよりもさかのぼ記憶がある。鉄腕アトムだ。子供のころ、白黒時代アニメを紹介している番組で見たのが、アトムとのファーストコンタクトだ。

鉄腕アトム少年の姿をしているが、なぜかパンツ一丁で空を飛ぶ。その姿を、自分はなぜかかっこいいと思っていた。どうしてパンツ一丁がかっこいいと思ったのか、その理屈はわからない。でも、小学校に上る以前に青のパンツ一丁でポーズを決めてみたいという願望があった。持っていたパンツは白だけだったのに。今にして思えば、それは性器と直結する以前の性欲だったのかもしれない。おちんちんよりもお尻のほうがエッチだと思っていた覚えがあるのだが、これはフロイトのいう肛門期性欲なのだろうか。

やがてその原=性欲が対象少年から女性へと移し、ブルマーフェチに変わっていったのではないか。今でもレオタード競泳水着も、青や紺が一番かわいいと思っている。

それにしても、こういう風に自分の性欲というかフェティシズム起源を、はっきり覚えている増田はどれくらいいるんだろう?

2020-03-20

こじらせててつらいのでカウンセリング行ったら楽になった話

スペック

(いくつかフェイクあり)

この記事を書いた理由

カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。

それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。

増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。

増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。

どのようなことで困っていたか

長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的ものだけを箇条書きで挙げる。

カウンセラーはどんな人?

臨床心理士資格を持っている50代の女性中学生くらいの子供がいるらしい。

髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。

実際のカウンセリングではどんなことをするのか

初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。

二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談きっかけに、突破口を開いたこともある。

夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議経験だった。箱庭療法最初の一回も、自分心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。

これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。

治療も後半になると、こうした技法ほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。

カウンセリングの進行、そこで自分はどう変化していったか

始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分カウンセリング技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイト著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから必然的相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つの人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。

カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活自慰行為風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。

そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。

最後に、カウンセリング時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなた感覚はそれほどおかしものではない」という趣旨言葉を返してくれるだけで、自分過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。

カウンセリングの中で、カウンセラーを好きになること

ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月ことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分軽蔑しない彼女存在が尊く思われた。

珍しくないことだが、自分カウンセラー好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなた尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人尊重することを身をもって学んだ。

一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。

カウンセリングを通じての自分認識の変化

過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事感謝することを学べたように思う。

また、自分の恐れの感情トラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。

もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。

何よりも現実検討能力がついた。不安不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安エネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。

上記の悩みに自分は具体的にはどんな答えを見つけていったか

悩みの解決過程言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。

過去いじめ、対人関係トラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分女性から不快な思いをさせられた経験から絶対女性を傷つけてはいけないというルール自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。

それに、世間はいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性自分暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。

フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。

仕事に関しては、転職をした。自分能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。

男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。

その中で、家族との関係改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間からこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。

処女厨ロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックス気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。

女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子かわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。

同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。

死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。

カウンセリングを終えたきっか

カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。

とても感謝はしているけれども、自分自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日出来事淡々カウンセラーに報告するだけみたいになっていた。

というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ

ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。

最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。

そして、僕は無事にカウンセリング卒業した。

続き→ anond:20200320072823

2020-01-29

トップをねらえ!」の入浴中のユングフロイト股間のボカシにド

フリクリ プログレ」冒頭のヒドミちゃんの尻の間からのぞく陰部のボカシにドキドキする。

2020-01-12

anond:20200112043844

最近ADHDと診断された30代東大卒男だが、わかる。問題はバックレるかどうかじゃなくて、「成功する可能性」だけで満足できてしまうこと。

実際に成功するかどうかは本人の幸福にとって問題じゃないんだよ。だからといって、一般の人が思う「失敗を怖がっている」とか「プライドが高い」とかも完全に的外れ大間違い。

「まだチャンスがあると思える」事の方が、実際にチャンスを生かして成功することよりも、自分幸福にとって、ずっと重要なんだよ。

失敗しまくっているから、失敗しても自分人生がそこまでは悪くならないと知っている。成功体験がないのが問題でもなく、何回も成功した経験はあるが、大して嬉しくなかった。ADHD報酬系にも問題があるから成功時の「得した」感が普通より低い。だから、実際に成功たか失敗したかよりも、「成功する希望があるか」「成功する可能性があるか」といった期待感を持てるかどうかの方が、本人にとって生きる上でずっとずっと重要なんだ。「成功する可能性」の期待感だけあれば、希望を持って生きられる。「成功する可能性」が生きる希望なので、「成功する可能性」の期待感喪失を避けることが最優先になる。

バックレれば、「バックレなければ成功たかどうか」は誰にも永久にわからない。だから、「成功した可能性」は残る。「バックレなければ成功たかも」と思える。「バックレた」のは自分の行動だから自分で決められる。

まり、「バックレる」ことによって、「成功たかどうかの決定権は自分が持っていたんだ」と思うことができる。「やれば自分成功たかも」と思える。繰り返しになるが、「失敗を怖がっている」のとは全く違う。「自分にもチャンスがある」と思えなくなることを避けているのであって、たとえ失敗しても「またチャンスがある」と思えるのであれば全く問題ない。

たぶん、君が努力して手に入れようとしたものを手に入れる直前で手放してしまうのは、こういう理由だ。努力すると、同時に、「同程度の努力をもう一度行うのは不可能」という感覚も増す。最後最後で、成功をつかみかけて万一失敗したら、「同程度の努力をもう一度行うのは不可能」と知っているので、「自分成功たかも」とは思えなくなる。期待感を持って生きられなくなる。本人の幸福にとって重要なのは、結果ではなく期待感。なので、期待感の方が優先され、直前でバックレる。そうすれば、「もう二度手に入れる事が不可能ものを失った」とは思わなくて済む。自分人生に不可逆的なダメージを負った、とは思わなくて済む。「自分がバックレていなければ手に入れられたはず」と思えるし、「人生に不可逆なことはない、未だ何も失っていない」と思い続けたまま生きられる。

で、どうすればいいかわからん。結局、「幸福の感じ方」の問題感性問題成功すること自体よりも、チャンスがあると思えることの方がはるか重要

自分場合は、バックレる直前まで何もせずにいて、直前から努力して当たって砕ける…というタイプだったので、現実世界でも最低限の幸福は手に入れられた。

若いうちはそれで何とかなる。20代まではね。一般の、普通の「失敗した人」に紛れて暮らしていける。多分、元増田より年上だからアドバイスするとしたら、一般向けの「失敗を怖がるな」とか、その手の自己啓発のようなアドバイスは基本、役に立たないと思った方がいい。直すなら自問自答したり、ちょっとでも成功したら贅沢したりしてよいとかルールを作ったりして、「成功すること自体による幸福」の方を、「チャンスがあると思える期待感による幸福」より重要に感じられるようにするしかないと思う。それは、一般の人が行うやり方とは似て非なるものになると思う。

追記

合格しているのに手続きしない話はこれでは説明できない」という意見があった。また、「回避性パーソナリティ障害」というのがあるというのも初めて知った。

回避性パーソナリティ障害」については読んだけど、要するに人から批判されることを徹底的に避けるという話で、「合格しているのに手続きしない場合」を説明できないことについては回避性パーソナリティ障害説も同様だと思う。

合格しているのに手続きしない話」は、おそらく、「合格のもの」が成功なのではなく、「合格したことによって他人から自分評価が上がる/幸せになる」ところまでを「成功」だと無意識認識しているのだと思う。そう考えれば、上と同じ「成功する可能性を維持したい」説で説明できる。元増田資格危険物取扱者乙4種?)は、自分は分野外なので正確には知らないが、少なくとも弁護士公認会計士のような難関資格の類ではないことは確かだろう。つまり合格して手続きしたところで自分評価が上がったり、自分生活がよくなるとは限らない。せっかく合格して手続きしても、「成功」と思えるような外的評価が得られないかもしれない。そうなると、やはり、「成功する可能性」は失われる可能性がある。「手続き」しなければ、「成功する可能性がある」状態は保持できる。だから元増田にとって、「手続きする」のは億劫からやらないのではなく、そもそも「損するかもしれない行為」、自分幸せに生きるために必要な「成功する可能性」を不可逆的に毀損するかもしれない行為。だから無意識のうちに手続きしたくない、そんなのありえない、と思ってしまう。例えて言えば、近視の人がレーシック手術を受けるのと同じだと思う。高い確率で目がよくなるが、低い確率疲れ目のような症状が出るかもしれず、角膜削るので一度手術すると絶対に元には戻れない。だから、近視の人でも皆がレーシック受けるという選択をするわけではないことは理解できる。これと同じ。

追記2:

別に元増田の原因が「これだ」と決めつけているわけでもなく、元増田自身がこの仮説で納得するかどうかもわからない。そもそも元増田ADHDかどうかもわからないし、発達障害かどうかすらわからない。ADHDだが、この話は自分に全く当てはまっていないと思う読者もいるだろう。ただ、結局のところ、発達障害かどうかはキレイに分けられるわけではなく、中間段階があるもので濃淡のある連続的なもので、万人が少しはもっている傾向が極端に現れて生活に支障をきたすのが発達障害、というのは、おそらく学術的にも正しい言説だと思う。

元増田自分の症状の両方を説明できる、現時点で一番合理的な仮説と自分が思えるのが「可能性を実現より重視してしまう」説だというだけ。自分一年前は全然違う仮説を持っていたし、単に「失敗を恐れているだけ」なのではないかと思って自分を追い込んでみたこともあるが、どれも、自分先延ばしにして直前になってやり始める症状をうまく説明できなかった。別に失敗してもクビになるとかキャリアに大きな影響を及ぼさない場面でも、「できるだけ良いものを」と思うと先延ばし癖が出るのが自分の症状。

この「可能性による期待感を結果より重視する」説だと、選択肢が多いければ多いほど幸せになるはずだが、そうはならない。多分、選択肢が増えすぎることを忌避する傾向(選択選好)も、普通の人と同様、同時に持っていて、これも考慮しないといけないのだと思う。スーパーで同じ「プリン」というカテゴリのものを、様々な種類のものをたくさん仕入れすぎると、結局迷って買う人が少なくなるというアレだ。自分場合は、選択肢が少なくても、場合によっては選択肢が1通りしかなくて、それを行うか行わないか選ぶだけでも、「その選択肢を実現するか実現しないか自分の好きに決められる状態を維持したい」ということになり、結局最後最後まで決定権を行使しない。なんにせよ、何かが実現してしまうと、その何かが「実現しなかった」という可能性は0になってしまうわけで…実現しないことが後々プラスに働く可能性もあるような場合、なるべく、実現しない選択肢に後から切り替えられるように、最後最後まで決定をしない傾向がある。自分場合ね。多分、元増田も、そのあたりまでちゃん考慮して、「可能性による期待感を結果より重視」以外に、もう1つ2つ仮説を立てないと、ちゃん現象をうまくモデル化できないと思う。

追記3:

ブコメにいくつか返信。

>「東大卒って言う必要性ある?」

ある。元増田がその一人になるかどうかはわからないが、「先延ばし」症状に真剣に悩んでいて、この記事を読むことで症状が緩和される人が一人でもが出てくるなら喜ばしい。

音楽と同じで、何が刺さるかは人それぞれなので、合わない人が人がいることは想定内。だが、読んでもらわないと仕方がない。注目度を上げるためには、「東大卒」を出した方がよい。

それが鼻について気に食わない人も出てくるだろうが、そういう人は自分の「先延ばし」症状で真剣に悩んだ経験がないのだと思う。

本当に先延ばし症状に苦しんでいるのであれば、書き手東大卒だろうが高卒だろうがそんなことはどうでもよくて、自分の症状の一部に当てはまる部分があるかどうかを必死に考えるはずだから

>それを世間一般に「失敗が怖い」「プライドが高い」と言うのだ…

うそう、この手の分析開陳すると、「それを失敗が怖いというのだ」という反論をする人が必ず出てくる。結論から言えば、この手の発言は単なるマウンティングだと思っている。

1)仮に、世間の一部に「失敗が怖い」=「可能からくる期待感を結果より重視すること」を常識だと思っている人たちがいたとしても、これほど「腑に落ちた」というブコメがつくということは、明らかのその常識は一部の限られた人たちの常識であることは否めないだろう。自分常識が皆にとっても常識だと思うのは間違いだ。

2)「失敗が怖い」から、「バックレ」までの間を説明してくれ。先延ばしにしたりバックレたりしたら確実に失敗するのだから、「失敗が怖い」とその時点で矛盾するだろう。

3)「プライドが高い」の「プライド」とは何か、定義したうえで、「プライドが高い」となぜ先延ばしやバックレにつながるのか、説明してくれ。

4)少なくとも自分は、「失敗が怖い」とも「プライドが高い」も、自分先延ばし症状を改善するうえで役に立たなかった。真剣に「失敗が怖いのだろうか」と思って、失敗したらどれぐらい損をするのか多少強引にでも金額に換算し、失敗しても大した損にはならないと分かっている場面でも、先延ばしは発生した。「プライドが高いのだろうか」と考えて、実際に自尊心を低く保つように努力してみたこともあるが、先延ばし症状の改善には全く役立たなかった。「失敗が怖い」も「プライドが高い」も、結局、本人の症状改善につながらないなら分析として意味がないんじゃないか

自分経験したが、結局、この手の発言は、先延ばし症状を持っていない人間が、極端な先延ばし症状を持っている人間一般的な「弱さ」と結び付け、自分より格下に位置づけると同時に、惑わせて先延ばし症状の改善を遅らせる効果しかない。極めて悪質で卑怯な類のマウンティングだと思う。例えていえば、食べ物アレルギーのない人間が、食べ物アレルギーを持っている人間に対して、アレルギー存在自体を知ろうともせずに、「そういうのを、世間一般には食わず嫌いというのだ」と言って、歪んだ善意説教するのと同じ。赤ん坊蜂蜜与えて殺しておいて、「自分は悪くない」というジジババと同じだよ。何もいいことがない。

先延ばし症状に10年以上苦しんできて、いろんな人からいろんな事を言われたが、結局、アレルギーと同じで、症状を持っている人間がそれぞれ対処法を見つけて対処するしかないのだよ。

医者の反応もアレルギー比較すると分かりやすい。重篤で生死にかかわるようなアレルギーには医者真剣になって対応してくれるが、軽度なら医者一般的な注意をするだけ。

精神科医も同じで、今にも自殺しそうな患者をたくさん抱えている中で、先延ばし症状で困っている人間なんて、軽度の話だから大して真剣対応してくれない。だから、本人が自分対処法を考えるしかないのだよ。

追記4:

「見通しが立たないこと自体、不確実性自体を避けていると考えた方が説明がつきやすいのでは?」という意見があった。その可能性は自分でも考えたし、確かにその傾向はあるが、その仮説だと、そもそも成功するかどうかわからない資格試験とか大学受験とかスポーツ大会とか、そういうものに参加すること自体を極力避けようとするはずなので、何かに挑戦することそのものを避けないとおかしくなる。元増田自分も、何かに挑戦すること自体、挑戦への入り口自体は、特に精神葛藤なしに行えている。また、不確実性を忌避する傾向は普通の人にもある程度ある話なので(大学受験で滑り止めを受けるとか)、不確実性を避ける話は関係していると思うが、「不確実性を避ける」だけでは説明できないと思う。

追記5:

「不成功防衛」のキーワードも何回か見た。要するに、「成功しないことで自分を守る」という話のようだけど、結局、何をしたら「自分を守る」ことになるのかよくわからないし、自分の何を守っているのかも人それぞれ。なので、何にでも当てはまってしまうように見える。フロイトをひいて解説しているものもあるが、フロイト今日のような統計科学としての心理学が発達する前の人だし、あんまり信用できない。

人間が何を幸福と思うのか、リスク回避の傾向がどの程度あるのか、などは、統計が発達した後、行動経済学心理実験を通じたよく調べられている話。この記事に書いたことも、その辺の書店に売っている、プロスペクト理論の話にヒントを得て書いた。ちゃんと考えれば、意思決定の仕組みが定型発達と先延ばし症状のある人で、意思決定の仕組みがどのように違うのか、少数の器質的ハイパーラメタの値の違いで説明できるように思う。

追記6:

「では、どうすればいいか?」については、言及すると、「自分にはそれが合わなかった」という人がワラワラ出てくるだろうから意図的に放り投げて最初から言及しなかった。とりあえず、自分自身について書くと、今のところ一番有効だったのがスマホマルチタイマーアプリ。5分とか7分とか、そのレベルまでやることを細分化して、とりあえず目先のことを1つ終わらせる。

ただ、現状の不満は、どのタイマーアプリも「時間を測っていない瞬間」が存在すること。これによって、すぐにタイマーを回し忘れて、気が付いたら膨大な時間が過ぎている。とりあえず、「何かタスクをやっている」「休憩している」の2つでいいから、ボタンを押すとタイマーが切り替わると同時に時間計測を始めて、「時間を測っていない瞬間」が存在しないようなタイマーアプリを誰か開発してほしい。ストップウォッチより、何も入れないとデフォルトで5分とか15分とか計測時間自動的に設定されるタイプタイマーの方が自分には効果的だった。あとは、スマホのある場所職場か自宅かぐらいはスマホなら取れるので、その辺も考慮してくれるとなおうれしい。

追記7:

東大卒と名乗らなかったら、こんなにコメントつかなかったのでは」は、自分もそう思う。増田は、「東大」の名前効果的に出せるので良い。ハンドルネームでも本名でも、名前を出している状況で東大卒と名乗ると、必ず反感を持って個人的粘着してくる人が現れるので、自分から東大卒を名乗ることは基本的には難しい。

2019-12-26

自分感情って自分の思い通りにならないんだなぁ。なんか知らないうちに強い憎しみが育っていた。

自分のことは自分の思い通りにならないってフロイトを読んで知っていたはずだったのに。

進歩的思想とは距離を置いていたはずだったのに。

自律幻想に首まで浸かっていたなんて笑ってしまうなぁ。

2019-11-28

負の性欲に対する自分なりの見解

性欲=性的理由による欲求の事とすると

意味が通る。男が女を守りたいと思うのも性欲だし、女が男に守られたいと思うのも性欲。

男が暴力的ものを好むのも、一種の性欲だととらえた上での概念フロイト提唱して性欲のとらえ方に近いのではないか

根底には「性欲は加害性をある程度持っている」という認識必要

そしてこれは男女問わず言える事で、例えば男が年齢が上で、かつ容姿の良くない女性拒否した場合も性欲になる。

これは正常で社会的に許される「負の性欲」である

その性欲が行き過ぎると、「年増、ブス」等の侮蔑語女性を傷つける。twitter晒す。これは社会的に許されない「負の性欲」だ。

ある意味、「男性に多くみられる性欲」に対するミラーリングとして生まれた事は否定できないが、認識としては正しいと思う。

今までは男性DM晒したり、容姿にすぐれない男を叩いたり、抱かれたくない男ランキング等が普通に存在していた。

対して女性求愛晒したり、容姿にすぐれない女を叩いたり、ブスランキング等は雑誌の小欄でさえ目を付けられ叩かれてきた。

誰もが傷つかない社会を目指すというのなら、このような行き過ぎた「負の性欲」を作り対処していくのは大切だと思うし、

「性欲」が尊重されるべきなのと同時に、社会的に許される範囲内の「負の性欲」も尊重されるべきだ。

「負の性欲」という概念車輪の再発明

「負の性欲」という概念Twitter話題になってるけど、これってフロイト提唱した広義の性欲の一種じゃない?

2019-10-26

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

 「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

○第5章『妊娠中絶:「 Permalink | 記事への反応(1) | 21:07

2019-10-25

anond:20191025010004

何見ても性に関連づけるフロイトみたいな相手に性と関係しない魅力的な女性キャラ想像する方が無理あるだろ

2019-09-20

anond:20190920075152

人間攻撃欲や支配欲や異質なもの排除したい気持ち本能的に持っているものから

いじめ差別本能自然のことで、何一つ悪い事をしてる訳じゃないよ!

とはならないだろうに

「そういう気持ちを持つ」だけなら別にいいんだよ。ただ、それを特定の人に向けたらそらダメだって話。

憲法19条の「思想及び良心の自由」っていうやつで、

他者人権抵触しない限りにおいて内心の自由は最大限保障されるべきという考え方。

そもそも自分だって食事で殺しをすることを正当化しながら生きてるだろ?

本質的に生きてるだけで他の生物生命他人立ち位置も奪うもので、

人間本質に関わる汚い部分を正当化していけないのなら、そもそも生きてるのがおかしいはず。

それに、本能的に人間には差別かいじめとか(性欲とか)汚いものを持ってるのはもう色んな専門家が言ってる。

ユダヤ人アインシュタインナチス虐殺にあってた時に

心理学者フロイトが「どうすれば戦争は無くなるか」に答えた書簡が興味深いから読んでみたらいいよ。

こことか。

http://news.kodansha.co.jp/20170123_b01

最近だと脳科学者の中野信子氏が「ヒトは「いじめ」をやめられない」って本を書いてた。

脳科学である著者は、いじめをなくすことより、この本能をどのようにコントロールするのかという方向に、

いじめ回避策が見いだせる、と説いている。」ってことらしい。

多分、心理学生物的にはいじめや差別気持ちは誰しもが持っているのが普通なんだと思う。

からこそ、そういう気持ち自体否定するんじゃなくて、

相手気持ちを考えるとかでその攻撃性を人様に向けないようにするのが教育という話なんじゃないか

もちろん男の性欲についても同じな。

男児女児にやっていると「〇〇くんは△△ちゃんの事が好きでやってるんだから」で済まされる

なんでそういう話になるのかわからんけど、これはアウトだわ。男の側が悪い。

俺が言ってるのは、男がどういう気持ちを持っても自由だし、

それを直接嫌がってる誰かに直接向けない限り見て見ぬ振りをしてやれっていう話。

この例みたいに嫌がってる相手に「直接」向けたらアウト。

一方で、想像するだけとか直接の行動を起こさなければセーフだ。

どんな考え方や気持ちを持ってもいいが、それを人に向けてはいけない、なら別に両立するだろ?

で、「想像されるだけでも我慢できない」って話になるなら、多分それは男の感情を誤解してるだけだから

勉強して理解したら「そんなもんか」で済むレベルの話なので、

別に我慢」なんて言葉は出てこなくなるだろって話。

下の方は例が悪かったな。付き合い出す直前ぐらいを想定してたんだが。

ややこしくなるから別の例にするが、少し前に流行った

「男の家に泊まったのなら性行為同意したのと同じか」って議論があったよな。

そら理屈で行ったら、それだけで同意したなんていうのはおかしいけどさ、

からしたらそれを一晩我慢し続けるってのは拷問っていう話なんだよ。

別にどちらかが悪いとかどっちが正しいって話じゃなく、

お互いの感情理解してトラブルになったり相手を苦しませないように

配慮できるようになりましょう、って話で、

それをお互いにするのが俺のいう性教育だって言ってる。

まぁ、わざと生きにくい考え方を選んで一生男の感情と戦っていくのを選ぶなら

自由にすればいいと思うけど、すごい生きづらい考え方を選んでるように見える。

絶対になくならない人間本能否定して戦うとか地獄しか思えない。

悪い言い方をすると、増田自分(女)のことしか考えてないのよ。

どうすれば男も女も楽に生きられるか、両方の立場を考えてないわけ。

逆に性教育できてない男は、自分(男)のことしか考えてないのよ。

から女性が怖いと思う気持ちとか女心とか生理とかが理解できなくて傷つけたりしてる。

その溝を埋めて相手立場理解して尊重しましょうっていうのが性教育っていう話。

俺はまだ子供いないけど、増田を見てると絶対性教育しようって思ったわ。

2019-08-19

anond:20190819200649

たとえば心理学でも未だにフロイトの言うことを全面的に支持してたらもはや宗教だけど(その手の宗教はたまに見るけど)、ああいうのをたたき台理論を進めたのが現代心理"学"という学問なわけだよね。批判と再構築を繰り返すことで少しずつ真実へと近づいていくのが学問

フェミニズム学問としては批判を受け入れているけど、まあ「現時点での結論」を教条として社会運動に関わったりするから宗教っぽさもあって、その辺複雑かも。フェミニストうんざりすることは少なくないけど、ギリギリ学問としての体裁は保ってるんじゃないかな。

恋愛工学学問と呼ばれるに足るためには、藤沢数希以外の(十分多くの)論客批判的に引用したりして議論が発達してからじゃないのかな。そういう未来はあり得ると思うよ。でも現状はまだその域に達してないかな。

2019-08-13

anond:20190813030011

別にこの手の物語構造論が正解なわけでもないし、読む側にとって親が不自然にいないと感じるのも

その通りなんだからしょうがないじゃん

「作劇方法として親殺しを意識してるのだと思う」くらいに言わないと。

心理学的にオカルトしかないユングフロイトもつ最近まで批評手段として使われてたし、狭い界隈の常識を知ってて当然みたいに言わない方がいいのでは

2019-08-10

怒ること自体が好きな奴、多すぎでは?

デカルトだかフロイトだかの心理学じゃないけど、怒ることそのもの目的になってキレたくてキレてる奴絶対いるよな?

暴徒化するための理由が転がってきたから喜んで暴れてるっていうかね。

なんでこの程度のことにそんなに怒れんの?ってぐらいにキレまくってる人が大勢いて変だなーと思ってたんだ。

それをよく見ると、なーんかやたらと気持ちよさそうにキレてるんだわ。

コイツら、楽しんでるなーキレることを楽しんでるなーってね。

アレだよ。

なんJ弁護士と一緒だね。

社会のものコンテンツとして消費するための都合がいい理由を探して回ってる人種なのだろうね。

アニメオタクスポーツファンに多いタイプだね。

子供向け娯楽を卒業しない層となんで被ってるのかは知らんけど。

あと逆に意識高そうな分野にも多いね

自分他人からどう見られてるのか気にしてる奴って変なストレスが貯まるのかなー。

まあ、意識高いアニメオタクは最悪ですわ。

繊細すぎる理由で全力でキレるからね。

まあ流石にガソリン撒く奴や殺害予告するのは、アニメオタクからとか関係ない個人的キチガイだろうけどさ、オタクめっちゃ多いこと考えると意外と件数少ないし。

話逸れたな。

別にアニメオタク批判したいんじゃないから。

なんかさー最近ネットでもテレビでも全体的に一部の奴らのキレかたがチンピラすぎて怖いっつー話よ。

正義はそんなに気持ちいかい?

気に食わないものに激昂して暴れまわるのは楽しいかい

まあ、気持ちいいよな。

じゃなきゃウルトラマン民主党もN国もここまで流行らんかったわな。

そういう国民性なんだなー

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