はてなキーワード: 欲望とは
小学生のときの学校での性教育で、精子が卵子にたどり着いて・・・ってのを習ったときに、母親に「どうやってたどり着くの?空中とか泳いでいくの?」と訊いたら「そんなふざけたことを訊くな!!!」といきなり怒鳴られて泣いた。
ジャンプとかで裸とか水着の女性が出てくるものがあったときは遠慮なく捨てられた。
TVとかでもまあ似たようなもん。
チャンネルを変える前に「性を売り物にしてる」と罵倒しまくってた。
金ちゃんの仮装大賞もけなしてたなあ。バニーガールが出てくるから。
まあ俺もええかげんおっさんだから理性では「別に性は悪いことじゃない」というのはわかる。
でも無意識下というのか、考え方の根底に性は汚い唾棄すべきものという考えもこびりついてる。
世間だって性はタブー扱いしてるだろ、という言い訳も武器にしたくなる。
色恋沙汰や性欲なんかどうでもいい、という男がかっこいいと今でも思ってる。
それが俺の理想像になってる。
恋愛はした。セックスもしようとしたけど、駄目だった。勃たなかった。
もはやアレが恋愛だったのかどうか、その時の気持ちももう完全に忘れたけど。
恋愛、セックスをしたいと同時に、それらをしたくないというジレンマがいい年こいてもずっと続いてる。
そういうのと縁がなさそうなものばかり読んだり観たりしてる。
そういうのが皆無な作品は少ない。
でも一線を超えて朝を迎える、とかいうやつを見るとマジで凹む。
最初はギャグコメディだと思ってたのにそういう展開になると裏切られた気分になる。
こうやって凹んでる自分に凹む。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
俺は90年代を生きた人間だけど、「何か暗い雰囲気があったよね」なんて全年代に言えることだろうが。何ならバブル時代にすら「狂乱の裏には人々のドス黒い欲望があったよね」なんて言えるわ。更に言えば2000年代も、2010年代も、あと10年もすれば「何となく暗かったよね……」みたいなこと言い出すアホがおるわ。その年代が暗いかどうかはお前の感じ方次第じゃボケ。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
シリーズでだいたい共通してるのが一般人が捕まってバケモノが生み出されるというものがある
その中で「欲望を開放する」とか「悩みを語る」とか「夢が閉じ込められる」とかの被害を受ける事がある
もし自分が捕まってしまって「何人もの裸の女に囲まれてセックス三昧の人生送れたらな~」なんて夢がみんなの前で晒されてしまったら
プリキュアに助けられたとしてもその後の人生は後ろ指刺されて絶望ではなかろうか
いや、むしろプリキュアに「この人は助けなくても良いんじゃない?」って思われたりしないか
そう考えると敵の幹部は全ての戦闘でプリキュアに1勝もできてないのではなく、お話になっていない部分で俺みたいなのが犠牲になってプリキュアもそこまで本気で助けてくれずに負けてる戦闘もあったりするのではないだろうか
そう考えると捕まりたくないな~って思う
子供が言ってんならまだしも。
ネットの言論空間で前線張ってるキミたちの体たらくには、ため息しか出ない。
考えてみてよ。
仲良くなる過程で、だんだん近づいていくんだから、最初の距離感が遠いのは自明でしょ。
ゆえに。
一緒に過ごさないと分からないような好きな人の細かい性格の粗(アラ)は見えてない。
分かった?
新しい問題が出てきましたね。
どうして男の人たちは好きになった女の子の粗が見えても好きなままでいられるのでしょうか。
答え。
性欲。
性欲にドライブされて女性の人格なんて見えてなくてオッパイと若さしか評価してないんだったらどれだけ関係が近くなろうと無関係に欲望は維持される。
男「結局、金目当てかよ。」
女「結局、体目当てかよ。」
若くて美しい女に己の欲望を満たされ尽くした金持ちの男は思った。「誰も俺の心には興味が無いんだな。女は結局金目当てなんだな。」
ひたすらに金持ちにモテる若くて美しい女は思った。「誰も私の心には興味がないんだな。男って結局体目当てなんだな。」
男が、金持ちの家に生まれた生まれつきの金持ちであろうが自分の力で財をなした者であろうが、金は生まれつき己の肉体に備わっているものではないし、金は自分ではない。
「出る杭はSNSに打たれる」間違いなくて草
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
完璧主義者って言われることに対しては特に誇らしくもなんともない
けど言葉が良いように捉えられすぎだよね
思い通りに行かなかったら怒るだろう
それが欲望とかじゃなくてルールの遂行とかにすげかわるとたちが悪い
ただこの障害のお陰で得してることもいっぱいある
我儘をどうにかしたい
欲のない欲深き人間なんだよ
どうしたらいいんだ
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
旦那が子供の世話をしない。時短で仕事帰って、保育園にお迎えに行って、買い物して、料理作ってるのは私なんだが?
帰って速攻テレビ見るな。子供の相手してくれ。洗濯物脱ぎっぱなしにするな。子供風呂入らせるとか、保育園の用意とか、それくらいしろ。お前の子供だぞ??
頼んだら嫌そうな顔するな。お前の稼ぎが多いのは私が早く帰ってきてるからだが?
ご飯の用意くらい自分でしろ。温めるくらいできるよな?お客様じゃないんだから。
洗い物も水につけるだけとか、アホなの?誰が洗うか知ってるの??
最近、不安と混乱でいっぱい。キチガイになってしまったのではないかと思う。他人の悪口や愚痴を聞くと、異常に反応してしまう。感情が高ぶり、心が乱れ、自傷してしまう。この間はフォークを太ももに突き刺してしまった。理性が崩壊し、制御不能な欲望が押し怯えつつも、自制し続けなければならない。し衝動は時折抑え切れず、リスカもした。
女性っぽく書いてみる。
旦那が子供の世話をしない。時短で仕事帰って、保育園にお迎えに行って、買い物して、料理作ってるのは私なんだが?
帰って速攻テレビ見るな。子供の相手してくれ。洗濯物脱ぎっぱなしにするな。子供風呂入らせるとか、保育園の用意とか、それくらいしろ。お前の子供だぞ??
頼んだら嫌そうな顔するな。お前の稼ぎが多いのは私が早く帰ってきてるからだが?
ご飯の用意くらい自分でしろ。温めるくらいできるよな?お客様じゃないんだから。
洗い物も水につけるだけとか、アホなの?誰が洗うか知ってるの??
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
「二次元の子供にしか興味無い」って人には「二次元の子供には手が届かないから、現実の子供で我慢しよう」なんて発想は無い。
一方、「現実の大人にしか興味無い」って人には「現実の大人には手が届かないから、現実の子供で我慢しよう」という発想がある。
だから怖いんだよ。
たとえ大人であったとしても、「現実の人間を性的対象としている」というのは、小児性愛と地続きの欲望なんだから、社会全体で"No"を突きつけなきゃいけないんだよ。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
「二次元の子供にしか興味無い」って人には「二次元の子供には手が届かないから、現実の子供で我慢しよう」なんて発想は無い。
一方、「現実の大人にしか興味無い」って人には「現実の大人には手が届かないから、現実の子供で我慢しよう」という発想がある。
だから怖いんだよ。
たとえ大人であったとしても、「現実の人間を性的対象としている」というのは、小児性愛と地続きの欲望なんだから、社会全体で"No"を突きつけなきゃいけないんだよ。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
「二次元の子供にしか興味無い」って人には「二次元の子供には手が届かないから、現実の子供で我慢しよう」なんて発想は無い。
一方、「現実の大人にしか興味無い」って人には「現実の大人には手が届かないから、現実の子供で我慢しよう」という発想がある。
だから怖いんだよ。
たとえ大人であったとしても、「現実の人間を性的対象としている」というのは、小児性愛と地続きの欲望なんだから、社会全体で"No"を突きつけなきゃいけないんだよ。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。