はてなキーワード: 欲望とは
ささやかな胸でいい
大きすぎなくていい
誰も気づかない
有り触れた乳輪でいい
あなたが項垂れた その先に吸い付ける
そんな胸でいい
ただ黙々と 乳首伸ばして
ブラの隙間が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の胸の丈を知るの
望まぬとも胸の離れは進み続ける
求めるほど遠ざかる 大事な肉こそ
腹の肉が攫ってゆく
思い出の身体に根を張ってる
此処で何時迄も待ってる
飾らない胸でいい
巨乳でなくていい
一頻りの唾液に 流されぬような
ふとした快楽を そっと覚えさせるような
そんな胸でいい
そんな胸がいい
ただ君が揉むなら僕も揉むから
その美しく強く伸びた乳首は
誰にも見えやしないけれど
ベッドの上に咲き誇れ
ただ君が揉むなら僕も揉むから
何十年先も揉み続ける胸
ベッドの上に さあ咲き誇れ
ささやかな胸でいい
大袈裟でなくていい
消して萎まない
そんな胸がいい
ささやかな胸でいい
大きすぎなくていい
誰も気づかない
有り触れた乳輪でいい
飾らない胸でいい
華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 身があればいい
一頻りの唾液に流されぬような
ふとした快楽を そっと覚えさせるような
そんな胸がいい
「弱者男性と結婚したくない、子供作りたくない」という意見にはそりゃそうだろうなと思う。
ただこれ、見方を変えたら「強者男性から性的に欲望されない、魅力のない女性は子孫を残さない」という状況への言外の同意なんだよね。
これはまた、「役に立たない」遺伝子は男性も女性も切り捨てられるのは普通のこと、という認識の表明であり、つまり優生思想の肯定なわけだ。
これからの社会は、優生思想を糾弾するんじゃなく、それがヒトという動物のもつ当たり前の性向、種としての本能だと認めて、優生思想を前提とした倫理観、社会通念を築いていく必要がある。
含み益が1億を超えてるって、それ、普通ならバラ色の未来みたいに思えるけど、実際はなんか違うんだよな。
「得られることの全てを求めるなかれ、失うことを恐れよ」ってのは、まさにこの状況にピッタリだと思う。
投資家の心って、たぶん普通の人のそれとは違って、常に恐れと欲望、冷静と衝動の間を行ったり来たりするんだよ。
ビットコイン、こいつはまるで歴史の中の金銀のようなものだよな。
例えば、アメリカの西部開拓時代、ゴールドラッシュの時だって、金を掘って大金持ちになった人もいれば、
逆に手を出して貧しくなった奴だっている。リスクとリターンが常にセットであるってのは、現代のデジタル通貨にも同じだ。
含み益が1億円。これ、単なる数字じゃねぇんだよ。
でもさ、問題は「いつ利益確定するか」ってこと。損失を恐れて売り時を逃すのか、欲張ってさらに上がると信じて放置するのか。
例えば、ナポレオンがロシア侵攻を決断した時みたいに、もう後には引けないって瞬間が来る。
それが上手くいけば大きな勝利だが、失敗すればどうなるか。彼は結局、無理をして失敗した。
だからこそ、リスクを取る覚悟ってのは、ある意味で勇気でもあり、愚かでもある。
だって、後悔の種がどっちに転ぶかなんて誰にもわからないからな。
だが、確実に言えるのは、利益を確定しないで保有してるだけでは、
結局手に入れたお金が現実的なモノとして感じられなくなるってことだ。
あの「一攫千金」の夢に心奪われて、あれよあれよと言う間に、気づけば利益が紙切れになっている。
歴史の中の資産バブルだって、今となっては全てが泡沫のように消えたからな。
「売り時」と「買い時」っていうのは、言葉にすると簡単だけど、それを感じるには経験と直感がいるんだ。
で、俺が思うに、そんなの、結局その人がどれだけ自分の価値観と向き合ってきたかで決まる。
例えば、アートを売る時、「価値が下がる前に売ろう」って決断することがある。
それって、実際にはそのアートが持っている感情をも手放すようなもんだ。
値動きが激しいからこそ、確定しないと恐怖に駆られるけど、
あの過去の大きな上昇を見て、「もっと上がるんじゃないか」って期待してしまう。
でもさ、ちょっと考えてみろよ。じゃあ、この1億円、実際に手にしたらどうだ?
結局、ビットコインってのは、現実世界ではすぐに使うことができないし、だからこそ余計にその魅力に引き寄せられるんだよな。
でも、もし俺があえて言うなら、ここで一度リセットして、次の一歩に踏み出すのがいいんじゃないかと思う。
欲をかいても、結果的にその利益は手に入らないことだってあるしな。
それでも、「後悔の無いように生きる」という意味では、やっぱり自分の信じるものに従うことが一番大事だよな。
「選択の時」に直面した時、その後の行動が何よりも大切だよな。
井上尚弥の試合の無料配信以外誰が見てるのか全く不明でお馴染みの動画配信サービスLeminoで
「欲望三部作」と題して大々的に宣伝してる作品の一つの原作にZ李を採用してしまう
もっと言えば、ラブドールで致している男の人の行為を見るのが好きな人。
はい、私です。
特殊な癖(へき)の範疇なのでしょうと思います。だからここで書いています。
性の対象になるのは男の人のみです。
だけど、男の人に思い切り犯されている可愛いお人形さんを見るのが好き。
物言わぬお人形さんを相手に一生懸命気持ちよくなってる男の人の様子を見るのが好きです。
時には下に装着されたホールで、時にはすごく冷たくて弾力ありそうで大きな胸で、時には口で。
果てた後に体液で汚されても、なお表情を変えないお人形さんを見てとても興奮します。
実際に見たことはありません(当たり前)
動画ですね。
男の人の顔は映ってても映ってなくてもいいです。
男の人の美醜は問いません。
そもそも人形を愛すると言う行為自体がマイノリティ性癖だろうと思うし、自慰行為の一つでしかないとは思います。
ただ、人形を生き物として愛する感情は幼児期に誰しも経験が多いものだと思います。
親以外の他者に愛着を示す第一歩は、人形や動物のかたちをしたものを、自分とは異なる生き物としてその感情を想像できるところから始まります。
その延長線上にあり、性的な感情や倒錯が入り混じる見立て遊びが、お人形を使った自慰行為であると思います。
小難しい理論をこねましたが、とりあえず私は生身の女が演技がましく喘ぎ声を出しているアダルトなビデオより、究極の独りよがりの行為である、人形相手に好き勝手やってる行為を見るのが興奮します。
私がいわゆるマゾヒスト寄りの癖を持つのにも関係しているかもしれません。
もしかしたら、あのくらい好き勝手やられても何も顔色を変えず、なんなら存在するかどうかも含めて男の人の欲望を一方的に叶えられる存在になれればいいのにと、
でも私には尊厳もありますし、物理的にも限界があります。あんなにたくさん激しく挿出されましたら、色んなところにガタが出て1週間ももたないでしょう。
だから、壊れてしまっても替えが利いて、勝手に利用されるお人形さんに憧れがあるかもしれません。
終わり。
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
例えば、↓ちょうどこのトピックでリベラルと保守が大喧嘩してる。
〈18年前の女児刺傷容疑で逮捕〉「少女が腹部から血を流してると興奮する」男は過去、70件以上余罪も「死刑が怖かった」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shueisha.online/articles/-/252087
保守派
tune2011 ↓ 人の心配する前に自分のおつむのチェックをしてくれよ…。この稀有な欲望の異常者とこの間の生協学生が関連するというcinefukさんの主張には1ミリの根拠も科学性もない。感情ではなく理性で発言する様に出来ない?
リベラル派
Domino-R ↓オマエこそ本格的にぶっ壊れてるな。異常者とラベリングすればノーカンか? どうせ正常と異常の間に手前勝手に引いた分割線だろそれ。つかそれが違法かどうかにしか問題性を見いだせないか?
保守派
preciar こんなナチュラル異常者の犯行に、エロマンガが何の関係あるっつうんだよ?あからさまな関係妄想は病気だから頭の病院へ行け <上位コメ/女の子を刃物で刺すのは違法ですよ?
リベラル派
cinefuk ロリリョナ漫画を生協で買えるとアピールした学生の何処が悪い!の延長線にこれがあるのかも知れんのだよ。「合法」(禁止されない)と、「大手を振ってアピールできる」(世間からの許容、常識の範囲)には差がある
保守の皆さんね、エログロ変態漫画を擁護しようとしすぎて完全に変になってんのよ。
社会風紀の維持や犯罪予防というのは、本来は保守派の方がよっぽど大事にしてた価値観だと思ってたけど。
意識が低すぎる所が良い
・感想が正直、文句ばっか言ってる(バカにしてるわけではない)
・欲望に正直
・人生詰んでる
まだ新人だからか15万人しかいないが数倍は行くんじゃないかな
あと撮り貯めてるっぽいからマジで人気なかった頃からこのノリでやってたと考えるとウケる(最新動画でもオリンピックの頃だから結構前)
金というか資産に働いてもらうにも、それを持ってなきゃ何も始まらない。
無い金は増やせないし、無い土地も貸せないし、無い株からは何も得られない。
生まれついてのボンボンではないから、それを手にするには働いて金貯めるか、でなきゃ借りるしかない。
投資というか投機的な運用でさえ、元手が知れてりゃ増える額も同じことだし。
そこでレバレッジですよ!
というほどの度胸もない。
借金して、別にやりたくもないし儲かる保証もない事業を無理やり始めた所で、楽に金を集めるために苦労するなら実に本末転倒だ。
寿命や若さや欲望が永遠なら、金を享楽に回さずコツコツ貯めるのもやぶさかではないけど。
この身の時間を使って何かしらスキルを得て高給の職を得ようってのも本質的には同じことだよな。
過去は言葉でしかなくて、未来なんて存在すらしなくて、ただ現在の連続だけがある。その今まさに感じている欲求をほっぽってやるべきことなんてあんのかな。
まあ漠然と生き急ごうとする気持ちも薄れてきて「今」への執着とかもなくなってきたら、先の満足のために今を犠牲にするのも悪かないかな。とか思うようになんのかな。
でもそんな風にすっかり欲望を去勢されて安定を得た先には実にディフェンシブな満足感しか残ってない、なんて事にはならねえかな。そこに燃えるような喜びの実感ってあるんかな。
まあ消費と貯蓄なんて程度というかバランス感の問題だよな、とか、そういう保守的な心を安全な生き方と自己弁護していきながら生きていくしかねえのかな。
なんて、色んな楽しさを知りたい気持ちに嘘をついて、いつかそれが本当になってしまうんかな。
ほどほどな無欲さに至って、悩みがほどほどなら喜びもほどほどにしかない人生になってしまわねえか、それだけがどうしようもなく恐ろしいぜ。
昔、同作者の短編集『チョコレートダイアリイ』がとても好きだったので読んでみた。
『チョコレートダイアリイ』とは違って何を描くかよりも何を語るかに力を入れている感じで、説教くさい。と思ったら作者の初期作品集だった。
登場人物のモラルがいい感じに壊れている。当たり前の様に教師と「恋愛」したり、馬鹿が頭のいい子にヤッた男の数でマウント取って妊娠して中絶とか。今だったら創作の世界にしてもありえないと言われそうだが、これが描かれた90年代初頭はこれが普通とたぶん思われていた。
今年唐突にSLAMDUNKにハマった勢いでこちらにも手を出してみる。
現代と倫理観が違い過ぎるせいで異世界ファンタジーを読むような気分。
新免武蔵と本位田又八って、名前で既に勝敗がついている感じで又八可哀想。実力で敵わないからとエロ方面で勝とうとするのを見て、男も女もそういうとこは一緒だなぁと思った。
野武士の子分たちが、エロエロしいが反抗的なお甲さんのことを、親分亡きあとにブチ犯しに行くぞっていうとき、俺もいっぺんヤッてみたかったんだぁ〜、俺も俺も〜、などと言い合うところ、やろうとしている事に対して心が一周回ってピュアみたいな野武士ーズがかわいい。(気のせい)
1巻だからかもしれないが、まだ面白いのかどうなのかよくわからない。アクションシーンはすごかった。
カドコミオリジナルの作品だが、内容はかなりガッツリ目にBLだった。ただし商業BLレーベル外の作品なので商業BL特有のお約束や縛りからは自由な作風。
主人公の淀井はクラスメイトの村瀬のことを気にかけている。というのも、村瀬がイジメの標的となった原因が淀井の不用意な一言だったからだ。美化委員同士親交を深めるという名目で村瀬に近づいた淀井。ところが村瀬は淀井に対してとある欲望を懐いていて……。という話。
ダークな作風だけど、寡黙な村瀬が文章でのみ饒舌に語る世界の美しさや淀井への想いには胸を打たれる。
で、その中で力のある者が王位に就いたのです。
そのためにはライバルを容赦ない殺戮を繰り返して天皇(大王)直属の伴造に統括する体制を作り上げた、まぁ極道と同じなのです。
しかし、そのままではただの成り上がり者なので権威付けが必要だった。
もともと日本にあった土着信仰を、さも関係あるかのように天皇と結び付けた。
そして、大陸から仏教が入ってくると、その宗教的権威を天皇統治に利用しない手はなく、鎮護国家として仏教を利用し、天皇や多くの皇族を出家させて高僧にした。仏教の権威を利用し、そのために仏教を保護したのです。
釈迦が欲望を抑えるために作った仏教を、広大な荘園を所有し天皇権力の権威付けに利用するというただ欲望のためだけに利用した。お釈迦さんが聞いたらこんなことのために仏教作ったんじゃないと怒るでしょうね。
そして、壬申の乱で大海人皇子が大友皇子を打倒すべく吉野から東方に遠征し伊勢の豪族度会氏を服属させた時、伊勢の太陽神アマテルの威光が見えたので、「そのおかげで大友皇子に勝利した!」と信じ込み、伊勢にあった地方神話の地方神アマテルを皇祖神に格上げした。
で、「その末裔の神武天皇という架空の天皇が初代天皇なのである」という筋書きで、天皇統治の正統性の根拠として作り上げたのが伊勢出身の稗田阿礼創作の「記紀」。
まぁしょせんこんな程度の家系なので歴史的にもロクでもないことばかりやってきました。
事もあろうに大嘗会で神聖な高御座に女官を連れ込んで情事を楽しんだ花山天皇。
この層ってまさに昔の化石ハラスメントジジイと同じ感覚してるんだよね
女の欲望は特権を維持しながら男を蔑む事なので、ポストポリコレ時代とは女性の社会進出と女の欲望の解放の時代であり、形だけ取り繕っても滲み出ていたモノが溢れ出す時代だよ
女子中学生をエロ撮影していた埼玉水着撮影会守れとネットオタクが一丸となって大規模に猛り狂ってた奴とか、東京で1000人のオタクでデモまでやって「俺は女子中学生エロく撮影したい男です!」と主張を恥ずかしげもなくやっていたし
その女子中学生エロ撮影会やってた運営が今度は埼玉の廃校舎で学生撮影会やると言い出して、近隣住民が二年前まで子供達が通っていた校舎で子供の性的興行やるなと反対したら、オタク達が水着撮影会禁止の次は着地撮影会も禁止にする気かー!!!と怒り狂っていたし。
現実と漫画の区別がつかないフェミと冷笑してたオタクが児童への性犯罪で逮捕されたり、しずかちゃんの風呂シーンを守れと署名活動していたオタクが塾の生徒盗撮して個人情報と共にペド仲間たちと共有して強姦計画立ててたし。
実在の子供を性的に消費したいって欲望を微塵も隠さなくなってきて、しかもその欲望を表現の自由でゴリおししてきてて、最近のオタクのペドっぷり怖いよ。
常日頃のリベラル界隈の言動や今回の大統領選を見てもそうとしか思えん
「ギリギリ接戦のいい勝負をして、惜しいところで敗れたがっている」ように見えるんだよな
そうすることで仲間内からの応援(≒金)を得て、また与党批判だけしてりゃいい美味しいポジションに居続けたい……そんな暗い欲望が透けて見える
弱者男性だが、確かに女さんの押し付けというのは存在するし男女平等と言う体裁で女さんの欲望を男以上に醜い形で押し通そうとしてるなとも感じる
俺は中学生の頃から田舎者のくせにファッション雑誌読んでたし、今さら言われるまでもなく化粧水だの美容液だのは使ってた
ちなみにこれはCHOKi CHOKiなど当時のファッション雑誌と、脱オタクファッションの影響であり女さんの影響では間違ってもない
高校生の頃にドラッグストアでフェイスパック買おうとしたら、知らないおばちゃんが血相変えて男のくせにと絡んできて「母の買い物のついでですよ」と答えたのも懐かしい思い出だ
そんな俺が韓流にハマってクソフェミ思想に目覚めた母親とネットで女さんに煽られたのもあるが、メンズメイク?そんなのもあるのかと試してみるのもおかしな流れではないだろう