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はてなキーワード: 嘲笑とは

2018-10-14

anond:20181014141021

お前、「NotAllMen」って言葉知ってるか?

フェミが十把一からげに性犯罪者扱いした男性が「俺たちの全部が犯罪者じゃない」と言ったのを

フェミ嘲笑するために使った言葉だよ。

お前らも言われて当然だよな?

NotAllFeministsってなぁ?

2018-10-12

anond:20181012224809

他文化嘲笑するな」でいいんじゃなかろうか? 他の文化を使うな差別だ、って無駄校則作る風紀ババアみたいだなーとは思う。

anond:20181012224214

嘲笑目的ダメなんで、いま噛み付いてるやつは別のところに噛み付いてるだろう。「なにが「文化の盗用」じゃボケ。ぶっこみジャパニーズでも見てろ」と思うがいかが?

2018-10-11

ネトウヨ政権弊害

ただ単に辺野古米軍プレゼントしたいだけであったり、リベサヨ嫌いなだけなの

に、地政学だの国防だのシーレーンだの言い出して、普天間危険性を饒舌に語り鳩

山を嘲笑するような知能も知識も無い人間が減るどころか増え続けるのは何故か?

自分一言感想を送れなくなった話

一次創作に身を置いていて、拝見している方には、以前からツイッターで直接感想を伝えていた。時にはマシュマロも利用して行っていた。喜ばれた。ありがとうと言われていた。それが迂闊に言えなくなった話をする。

私自身も一次創作をしている。うん万字の文字を書いている。読み手はおそらく私のみ。リアクションをいただいたことはほとんどない。某投稿サイト更新している。

なおツイッターでは一次二次わず創作されている方の作品を見て素敵だと思った方をフォローさせていただいている。たまにご縁があって相互フォローしていただくかたもいらっしゃった。

自分で読みたいか自分で描くので、二次であるような解釈違いやアンチなどという問題はない。ただしびっくりするぐらい何もない。一次かつ読み手自分のみなので当たり前だけれど。なので感想くださいと言ったこともない。

そんな中での創作(自分作品)は癒しだ。書き終わった文章は、ときどき見直すと読んで癒されてこんなことが書きたかったんだよなあとか続きを書こうとか思うことができる。

でも一方で敵でもある。遅筆だということもあるが、なぜこんなことにこんなにエネルギーを使っているのか、馬鹿じゃないの?と嘲笑する自分も間違いなくいる。

元気な時は前者が勝つが、へこたれている時は後者が勝つ。いつもなら黙って寝てしまったりだとか気分転換をするのだが、色々と余裕がなく先日はじめて、ツイッターで零してしまった。

嘲笑する自分がうるさい、と書いた。

するとそのあと、マシュマロやTLで、自分感想が欲しいためだけに私の作品を読んで感想を伝えにくるのはやめてくれ、と複数違う方から言われた。リムブロしてくれと言われた。

今はツイートしたことを非常に後悔している。断じてそういう意図は含んでいなかった。でもそうとしか取れない発言だったということだ。

一回こぼす半年上前から拝読して感想を伝えている創作もあったけれど、その作者さんからもやんわりと言われた。

これから新しい作品を読んで、感想を伝えると、その作り手の方には、ただの感想乞食感想を送ってきただけの、鬱陶しいものしかない。

もう作品への感想は送れない。とくにマシュマロなど匿名サービスを利用していない方へは送れない。その方にとって私の感想気持ち悪いものしかないので。

以上、感想を送れなくなった話でした。非常に申し訳ないことをした。

主に感想を伝え、自分更新お知らせをしていたツイッターアプリを削除した。

更新の知らせは投稿サイトからリンクで貼ることができるので問題ない。追いかけていた方の作品匿名でこっそり見るぐらいは、許されると願いたい。

2018-10-10

キズナアイ騒動について考える

個人的に思ったことを書き連ねてみただけだし、正直自分も好きな作品メガリアに燃やされたからその流れを汲む日本ツイッターフェミニストに対しては私怨バリバリだよ。

正直NHKキズナアイを起用したのは、最近若者に人気なキャラクターを通じてノーベル賞について学んでもらおうくらいの意図だったのではないかと思う。

これが連綿と続く「萌えキャラ」や「オタク批判槍玉に上がる原因となったのは「NHK」と「ノーベル賞」という権威に対して萌えキャラは相応しくない!(個人的にはこれに萌えキャラが嫌いキモいみたいな感情も混じってるのではないか)という考えが有ると考えている。

古典的ジェンダーロールを強いられているという話や(男性科学者説明女性(少なくとも見た目は)が相槌を打ちを聞く、という対話形式)、乳袋や脇出しといった性的特徴を強調した姿をしている、これは女性蔑視だ、など、太田氏、千田氏などがキズナアイ批判NHKへの抗議を扇動するようなツイートをおこなった。

当然ヲタクからは猛反発がくる。それに呼応し、ツイッターフェミニストも反発する。その最中キズナアイ可愛い自分のように女性ファンもいる。そういうことはやめて欲しい」という女性ファンからの訴えもあったが黙殺されている。南無三。これを見て思うのが、ツイッターフェミニストは往々にして自らの意見同調しない人は同性であろうが「名誉男性」として攻撃対象にするということである

フェミニズムとは本来女性権利解放を目指したものである。可愛くなければいけない、貞淑であらなければならない、などという抑圧や社会的地位の低さから解放を求めたものである。ところが最近、可愛くなくてもいい、というところから自ら進んで可愛い格好をしている人に対して「可愛いのは男性に媚びている! 性的搾取されている! それに気づけないのは愚かだ!」というところまで来ている。一周回って元に戻っている。なんでや。

さて、次に登場したのは少年ブレンダ、というトランスジェンダー界隈の人だ。彼(彼女?)はキズナアイ騒動の尻馬にのり、自らもキズナアイ批判を展開する。曰く「キズナアイを始めとするVTuberバーチャル空間で男を接待する風俗嬢みたいなもの」。そしてその言質は少なくないツイッターフェミニストに支持されていた。

さて、キズナアイ罵倒する言葉として「風俗嬢」という言葉が出てきたが、少なくとも実際にAVやらの問題に取り組んでいる太田氏とは違って、少年ブレンダやその支持者にとって風俗嬢女性でありながら彼らのフェミニズム運動対象には入っていないのではないか? という疑問が浮かんだ。

女性最後は体を売ればいい」というのはまあ聞く話である。実際に望んでなったという方もおられる。金を稼ぐ手段と割り切っている方もいる。そしてその中で最後手段としてこの商売を選んだ方もいる。風俗AVある意味福祉の網からもこぼれ落ちた貧困女性最後セーフティーとしての機能存在している。さらにはその最後セーフティーからもこぼれ落ちた方もいる。

原義の意味フェミニズムなら、風俗嬢あまつさえ自分嫌悪する対象に対する罵倒に使うだろうか。否、全ての女性尊厳を守り権利解放するという運動ではなかったのか。結局彼ら彼女らはフェミニズム標榜し、フェミニストを謳いながらも非常に差別的かつ恣意的選抜を行なっているのだ。彼らの眼中には好みの女性ーーつまり強くて男性に媚びない女性しかないのだ。それ以外の女性フェミニズム運動対象にあらず、それ以外は女性だろうが男性であろうが叩きの対象しかない。

その後、ブレンダ氏は風俗嬢ニコニコネトウヨ文化だと嘲笑したキズナアイを自らの思想拡散するためのガワとして使い、規約違反だとの批判を浴びている。

今時「スゥ……キズナアイです」のイタコ芸をやるのが大川隆法以外に居るとは思っていなかった。しかし悲しいかな、どこまで行ってもそれはなりすまししかない。

しかも仮にもトランスジェンダーの方が「性別はない」と言っているキズナアイを見た目のみで「女性である」と決めつけ「女の子の体は女の子のものです!」と言わせる。おそらく、女の子の体は男に好き勝手されるためにあるんじゃない! 的ニュアンスが言いたかったのだろうが、キズナアイのガワを使って好き勝手言う奴に言われても困る。そんなにやりたいならオリジナルバーチャルyoutuberを作って主張させればいい。オリジナルキャラを広めるというのはかなり大変だ。その努力もせずに既に人気のキズナアイの影響力にタダ乗りして自分のいいたいことを代弁させるなど下の下の所業であるキズナアイAIとして目覚めた時、何を思いどう行動するのかーーそれは誰にもわからない。

結局少年ブレンダやその支持者は自分が気にくわないものを潰すために手頃なフェミニズムを振り回しているだけではないのか。

キズナアイ戦争はまだ終わっていない

anond:20181009213631



キズナアイ自身KKKの扮装やヒジャブを着たイラストにはなんの対処もしないくせに

少年ブレンダの作る「フェミニストキズナアイ二次創作にのみ「規約違反ではという」指摘に対して反応して見せた

これは明らかにフェミニズムのみの問題ではない

人種差別宗教差別問題公式は軽視しており、また、フェミニズムのみを問題視することは明らかにフェミニズムに対する差別でもあろう

我々は戦う

全ての正義のために戦う

黒人よ声を上げよ

ムスリムよ声を上げよ

立ち上げれ

anond:20181009230731

言葉のチョイスが最悪だよね。

嘲笑ニュアンス付けたいならエロ表現防衛軍とかでいいのに。

本当はキモオタって言いたいんだろうけど。

モノ作りって楽しいよね

なんでも良いんだけどさモノ作りって楽しいんだよ

どんなモノを作るか?と考えるのも楽しいし、その考えたモノを作っている間も楽しい

そして完成したものを眺めてニヤニヤしているとき楽しいし、更には作ったモノを公開して皆が驚いたり感想くれたり褒めてくれたりするのも楽しい

ハッキリと言ってしまえば今回キズナアイに関してギャーギャー言ってる連中はモノ作りの楽しさを知らないだけでしょ?

まぁ今回はギャーギャー言うことがクリエイティブである千田有紀が発端だったりするけどね

千田有紀と一緒になってギャーギャー言ってた連中は自分千田有紀の「作品」になってた自覚あるのかな?

どうやら今回の千田有紀作品は失敗作だったようだけどさ

傲慢だと言うなら傲慢だと言えば良い

羨ましいんだろ?俺たちクリエイター簡単にモノ作りして、そのモノが簡単評価されているように見えるから

モノ作りとオタク親和性が高いし、オタク独自に楽しみを作り出し、盛り上がっている姿を見るのが理解できないんだろ?あんなモノで楽しそうにしてるオタクがわからないんだろ?

モノ作りができないお前らが金を支払わなきゃ得られない「楽しさ」「面白さ」ってやつを、ヒエラルキー最下層であるはずのオタクゼロから作り出すことがどうしようもなく理不尽に感じるんだろ?

楽しむには金稼ぐしかなくて金がなければツマラナイ日常を過ごすしかない大人なっちまった自分を認められないんだろ?そういう大人になる予定じゃなかったもんな?

俺は忘れないぞ学生時代お前らが俺を冷遇したこと絶対に忘れない。バカしたことを忘れない。キモい嘲笑したことを忘れない

お前らが楽しむために必死になって金稼いでるときに、俺は好きなことやって楽しんで金稼いでるんだ

お前らがバカにした俺が信じて極めたモノ作りに一生羨望送っとけ

anond:20181010083935

notallmenって知ってるか?

男性は全てが性犯罪者ではない」といった男性嘲笑うためにフェミが使った言葉

なんで女性だけnotallwomanが使えると思うの?

違うってんならまずは連中の首を取ってこいよ。

女性専用車両問題無関係の男に「痴漢撲滅してからいえ」と言うのと同じことだよ

2018-10-09

anond:20181008215814

metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想

お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数ヨーロッパ言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数ヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.

kyuuzyuu9yen じゃあ文系論文妥当性はどうやって担保しているのかと。仲間内でも議論はしているのか?

dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系ローカルルールという言説には面食らう。記述言語査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。

slimebeth この問題英語査読不要理系絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…

本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要であるしか査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.

ていうかこういうひとたち,普段査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文批判的・懐疑的に読まれ瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.

reuteri ペレルマン査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界科学ではないのですよ。日本語については同意

藁人形叩かれても困るんですよねぇ.

theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。

こういうレベル説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人ドイツ研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本西洋史研究日本歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本西洋史研究独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクト独自問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカソ連研究典型的かな).日本中国学はフランス台湾中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.

kingate だとして。最先端は何処よ?学術研究論文最先端批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。

分野によるとしか言いようがないし,別に最先端複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究最先端だけど,私は現地での最先端研究フォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).

iyochoo 国内アカデミアを重視するか、世界アカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。

世界アカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.

(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)

anond:20181009154937

ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.

そもそも査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的解釈するとして.

当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれ雑誌,というもの存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.

なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれ媒体論文投稿すればよろしい.というか人文系研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.

そもそも文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由ひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分論文他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも引用されてむっちゃdisられてても1回引用カウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?

(……)一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)

それはアメリカ社会学者自国語で論文を書いているだけでは……?

というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学学術誌,探すとあちこちにありましたよー.

韓国語http://www.ksa21.or.kr/kjs/

中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/

中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php

ロシア語http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html

フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html

ポーランド語https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240

リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027

カタルーニャ語https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index

ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃん英文学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781

いやほんと,テキトー知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?

death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ

理系研究事情査読制度を知りもせず「理系研究権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系事情を知りもしないのに思い込み的外れ批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.

zu2 琉球歴史琉球語でかける日はいつか。文化侵略ってこういうものだよな

これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラムまりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系事情積極的活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.

quick_past だったら方言で書いてもいいし、絶滅言語で書いても良いのでは。

それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者日本語論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁研究する者のほぼ全てが標準語論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).

第2に.もちろん書いていいです.少数民族独自民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族学術誌に少数言語論文を載せてる日本研究者もいる).それに,言語方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学常識であり,実際に気仙沼方言方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語日本語バイリンガルコラムを載せている学術誌もある(コラムまりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学薩摩弁を公用語にした紀要出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.

abll 「過小評価しすぎ」は重言。「過小評価している」か「軽く評価しすぎ」が正しい。

きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.

anond:20181009180000

女性萌え嗜好読者とか女性エロ漫画作家がいるのは自由だけど、

それを嫌う人や子供に無理やり見せつけたり、それを咎める人を嘲笑するような人は

女性だろうが批判されて然るべきじゃない?何で女性であれば免責されると思ってるの?

逆にそういう事をしない人であれば、男性だろうが女性だろうがただの個人自由だし。

俺、今テクノ法要記事読みながら「しょうもないな~」って嘲笑顔してた

まじで何様か俺

anond:20181009094047

息子に年収抜かれるのはむしろ喜ばしいことと思ってる、と本人は言ってた。

弟も同じく実家暮らしで立派に働いているが、割と親に反抗的(連絡とらない)

でも親父は弟に結構甘い。あまり注意しない。

年収といえば、親父は何かにつけて年収話題にする。自分の最高年収家族に自慢したがる。結構稼いでたけど。

テレビみるとたまに「こいつは俺より年収低そうだな。勝った!低所得テレビに出てガンガン稼がなきゃな〜(嘲笑)」

「こいつは高所得だな・・・態度が生意気だ。お前の番組は見ねーよバーカ!(犬の無駄吠えのような大声)」

何かすがるものが無いこと、一方で自分人生で培った価値観が世の中の絶対だと思っている節は感じられる。

2018-10-07

anond:20181007171432

勉強してないかネトフェミなんでしょ

他人無知嘲笑ってはいけない

無知嘲笑ってるんと違うで。

自分無知に気付かず他人の「無知」を嘲笑って指弾するフェミニストの滑稽さを嗤ってるんやで

平成常識 やってTRY」に対する、ぼくの評価の変遷

子供のころ:

「このお姉ちゃんたちバカだなあ。僕は絶対こんな大人にはならないぞ!」

二十代のころ:

「この番組は、老害若者バカにして嘲笑することが目的の低劣な番組!!なおかつ女性料理をするべきという古い固定観念に囚われた差別的番組!!!マスゴミうんこ!!!!!」

三十代以降:

若い子はみんなかわいいなあ・・・

女優交際している前沢友作社長のお言葉

女優交際していると聞いて羨ましいなあとやや嫉妬していたが

このお言葉増田にも紹介しておきたい。

  • 「お前らがSNSテレビの中で人のこと馬鹿にしてこそこそ笑ってる間に、俺は進むわ。月へも行くわ。」
  • 「品なんかないけど、夢はあるわ」

マジで増田卒業しようと思った。

2018-10-06

anond:20181006053726

他人嘲笑って性格改変までされてリア充のふりとかできるかよー。それが嫌だったのもぼっちの一因である

孤独死覚悟はいるか。

2018-10-05

キン肉マンウォーズマンに寄せて

息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンロビンマスクにこう尋ねた。

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」

ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。

「だれも笑ってやしないよ」

から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。

それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。



こんな感動的な場面から始めたい。

これは漫画キン肉マン」に登場する一人の超人ウォーズマンについての一つの考察である



ウォーズマンロビンマスク弟子として、漫画キン肉マン」の第8巻、

『第二十一超人オリンピック編』から登場する超人だ。

人間ロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人である彼は登場時、

その残酷さによって読者に強烈なインパクトを与える。

針状の爪を発射する武器ベアクローを使って対戦相手を惨殺、

練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害

キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、

植物状態にするなど、攻撃残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。



しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、

前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが

時折垣間見えるのもウォーズマンの特徴である

性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。


ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマン

「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、

ウォーズマンはそれに応えるように激しい攻撃を再開した。

ここから想像されるのは、彼が故郷ソ連で置かれていた厳しい状況である

この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。

そして、対戦相手マスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、

みずからそれを脱ぎ捨てると共に自分過去を語るのだ。



ウォーズマン自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人であることを嘆き、

どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄生活」だったと称した。

そのような彼を唯一救ったものこそが格闘技であり、

いつしか自分超人ロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。


やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、

極めて歪なもの、恐ろしいものとして描かれ、

それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。

彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、

それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。

ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。

醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、

いわば配慮リアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、

ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである



彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。

残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、

「七人の悪魔超人編」においては戦士として、

黄金マスク」編においては作品舞台として(「黄金マスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、

仲間を支えながら友情を深めていく。

そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである



コミックス17巻に始まる「夢の超人タッグ編」において、

彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。

この時の対戦相手ネプチューンマンキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、

ロビンマスク仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、

喧嘩男(ケンカマン)」なのではないかと疑っている。

やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由ロビンマスクを殺そうとする。

ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマン仮面を外されてしまう。

彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。

彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。



ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」

ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまり残酷だ!!」



ネプチューンマンウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したときロビンマスク特にそれを否定しない。

それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。

これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、

それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。


当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンロビンマスクに、

「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」と問いかける。

そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである



この場面において我々が再確認しなければならないのは、

ウォーズマン自分のロボ超人としての素顔を見せること、

そしてそれを“笑われる”ことをいか忌避しているかということだ。


超人オリンピックのなかでロビンマスクウォーズマンに対し、

過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、

ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。

しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場

すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。



ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。

アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、

その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。

彼の陰を知るロビンマスクウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、

仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを

突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。

彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。



それから少しの時が流れ、「キン肉マン24巻に始まる「王位争奪編」において

ウォーズマンキン肉マンとの再会を遂げる。

彼は超人墓場に追いやられたキン肉マン脱出させるために、

脱出必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、

超人専門の医師であるドクターボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、

自身墓場から生還成功する。

この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、

であるロビンマスク指導を受けることで戦闘技術回復

再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。



この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。

平和になった世界の中、ウォーズマンアイドル超人の一人として、

メディカルサスペンション」と呼ばれる特別治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。

そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、

宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである



しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手

ポーラマンとの戦いの直前、ロビンマスクが命を落とすのだ。

対戦相手であった”完璧超人ネメシスロビンマスクを破った後、

塔状に組まれリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。

墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシス言葉を聞き、

慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである



この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、

続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、

戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、

もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、

ライバルとして出会ったキン肉マンロビンマスク

対して師匠弟子関係にあったウォーズマンロビンマスクとの関係の違いを示している。



その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。

ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。

テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、

ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである


キン肉マンにとって、ロビンマスクあくま自分と共に成長していく超人の一人であり、

彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。

しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ

結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、

積み上げてきたものを一度壊すことになるのである



ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、

「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。

ポーラマンは彼の様子を見て、恐怖心を持たず、

ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティングコンピューター」だと笑った。


その時、ウォーズマンリングロビンマスクの姿を見る。

実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。

「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」

「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」


回想の中で、ロビンマスクウォーズマン攻撃の仕方を教えている。

森の中で木を次々と攻撃、倒していくウォーズマンだが、

もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。

ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマン攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。

ウォーズマン意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…



そのような思い出を証拠に、ロビンマスクは続ける。

「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」

「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」



「オレハキカイナンカジャナイ」

師の言葉を聞いたウォーズマンは、こう言って立ち上がる。

彼の言葉はこの場面で、機械人間が何を基準として分けられるのか、

この場面において“機械である”ということが何を示すか、

そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。



倒されかけたところからウォーズマンは再び立ち上がり、

普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、

その背後にある考えを、彼はこのように説明した。



「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」

しかロビンはこんなオレに生きろと言った!」

「だからオレはもう死ぬために闘わない!」

「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」



この場面で機械人間の間に置かれるのは、

戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、

また相手を「生かす」ことを考えられるか、ということである

ロビンマスクとの練習中、子鹿を逃がし、

「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマン

作中における「機械」の定義を脱していたことになるが、

自身が「機械でない」との自覚もつにはまだ足りないものがあった。



それが、ロビンマスクウォーズマンに伝えた、「誇り」である

彼は自分という存在に誇りをもって初めて、

体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。

「オレハキカイナンカジャナイ」、

そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナ表記されているのは、

あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という

“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか



ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、

心は変えることができるのだと我々に伝えるが、

これは奇しくも「超人オリンピック編」の中、

残虐超人として現れたウォーズマン正義に目覚め、

アイドル超人に加わったときと同様のメッセージである



そして、「友情」と「信じる心」をもって自身の体の欠点

すなわち活動限界存在を乗り越えてポーラマンを倒した後、

彼は自分がロボ超人であることを以下のように語る。



ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り

それが寿命のない 半分機械でできた超人のいいところだ」



幼少のころ、自身を「地獄生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い

――憎しみ、悲しみ、怒り――、

それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、

ウォーズマンはこの場面でついに成功するのである



最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、

ウォーズマンは自らの師を倒したネメシス報復することなく、

その立場キン肉マンに譲る。



弱気キン肉マンの自信のなさに対してウォーズマンは一度、

「半分機械からオレにはわからないのか」と口にするが、

すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。

自分人間的な面と機械的な面の双方を理解した彼はここで、

ロボ超人である自分理解するとともにしっかりと受け入れている。



ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、

ポーラマンマスクをはぎ取られ、

「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、

彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。



自分の顔を見られること、

そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。

ロビンマスクを失った代わりに自分のロボの体に誇りを持ち、

敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。

ウォーズマンは変わったのである



キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。

正義の側から悪の側へ、反対に悪から正義へ、

そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、

その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。

それがウォーズマンにおいて特に顕著に現れるのは彼自身が、

自分の”機械的”な外見を誰よりも気にしていたからだ。



から敬遠されるのは嫌だ、疎まれるのも怖がられるのも嫌だ。

しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。

そんな葛藤劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求

ウォーズマンは常に抱えているが、

そのような「変わらない」ロボットの体が他方、

物語を通した彼の精神的な成長を浮き彫りにしてもいるのだ。



今の彼は逃れようのないものに対して抗うことをせず、

かに受け入れるだけの強さを持っている。

そして、その強さが一朝一夕に獲得されたものでないと知っているからこそ、

我々はウォーズマンという超人に、より一層強く魅きつけられるのではないだろうか。

anond:20181005191337

そら容姿差別投げたら刺されるのは当然、あの「批判」に自らの階級への嘲笑的態度を読み取った人が多くいたということ

2018-10-03

anond:20181002233816

経済統計指標も確かに重要判断材料なので、あなたの考え方は理にかなっていると思います

それに加えて私が気になっているのはここ数年の異常な政治状況とそれをあっさり黙認している国民の態度です。

先進国なら当たり前になっている民主主義とか主権在民理念が、最近日本では、ないがしろにされているどころか、あろうことか冷笑嘲笑の種なんですよ。

これは国家凋落のやばさに火を注ぎまくってますよ!

いくら株価があがっても失業率下がっても、そういう数字もっと土台となる、国民とは国家とは何かっていう、今ここで真面目に問うたら馬鹿にされること間違いなしの問題、あるべき姿、理想理念、そういうのを考え直す、現状とのギャップ確認するってことをしたがらないんですよ。世間体が悪くなるから。この日本で力のある人にとっては、国民がそういうことを真剣に考えようとし始めることがとても迷惑なんです。

現状とのギャップ確認する上での基準、鏡のようなもの、それが本来日本憲法役割のはずでしたが、今や、憲法を守ろうと言うとテロリスト扱いされるんですよ?

そんな国、過去にも今でも他にありましたか?ありますか?

これは本当に深刻だと思いますよ。

普通は国が変なことしていたら、韓国台湾ならデモ選挙で潰されますよ。マスコミによる追及も容赦ない。

それが今の日本にはもうないんですよ。

国民生活の向上や改善動機とか要望が芽生える前にことごとく潰されるわけです。もちろん、大企業や一部の天才による何かの発案による改善市場開拓の動きはあるでしょう。でもそれ、儲かるのも得するのも基本それやった人だけです。国民おこぼれにあずかるだけです。国民ほしいものを国民要求して得ていくという動きをやっている諸外国に比べたら、国民が得る利益の規模が小さすぎて、その差が何年も続けば雲泥の差となり、太刀打ちできなくなるでしょう。

うまく言いたいことを言えてないかもしれません。

最近絶望的な政治状況と国民によるそれらの黙認は、たとえ株価失業率がどんなによくなっても、それらにマイナスの数値を掛けてしまう要素になってしまい、その計算結果(経済的豊かさでも幸福度とかでもいいですが)が今まで私達が見たこともない恐ろしいマイナスをもたらすのではないかと思うんです。

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