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はてなキーワード: 西洋とは

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

anond:20180218204936

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。

文系でも同じですが。研究という営みの本質文系理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているか相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラル上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)

もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。

いや、レビューオリジナル研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナル研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナル研究成果だ。博士論文書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチオリジナル研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナル研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。

ひょっとして文系研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。

から、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者彼女学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田最初和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わずレビューしか書いてないなんて研究者はいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。

いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。

そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PD東大講師、あるいはテレビ出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビ問題言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者リテラシー問題でしょ。理系学位肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由開放的性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。

文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。

うんだから文系研究者が色んな外国語勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語ドイツ語研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。

これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語地位を高めていくべきだ派と、日本アカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本文系研究者多様性は、アメリカイギリスほどじゃないにせよフランスドイツロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史英文学からアフリカ人類学オセアニアの少数言語中央アジア歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人フランス人ドイツ人がそうできるように、自分たち言語でそれらの分野の最先端研究成果を手にすることができる。東アジア中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語博論を書いて自国教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。

もちろん、日本研究を専門としていない欧米人日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたもの翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。

こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文アメリカ人日本語翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀フランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別にからずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産動物種の研究だと英語論文和文論文引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。

いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田感覚はわかるんだよ。というかそれは文系研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端研究成果を自分たち言語で読めて、どんな地域研究だって自分たち言語遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマ研究ホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史研究する上で西洋史探究されてきた研究モデル概念意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国政治についてなんの情報もなしに、自国政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツール必要なんじゃないか? ジャーナリスト政治家欧州統合アフリカ経済アメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本EU研究者アフリカ研究者アメリカ政治研究者がみんな英語論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。

2018-02-18

チキン南蛮に関する考察

チキン南蛮とは揚げ物料理であり、鶏肉唐揚げ甘酢をかけ、

さらタルタルソースを搭載した料理である

南蛮料理としては、アジ南蛮漬け歴史的には先輩である

室町時代後期、はたまた江戸時代日本に入ってきた料理である

魚を油で揚げ、そして唐辛子・葱を用いたあわせ酢に漬け込む。

今では何でも無いが、当時を考えると、斬新な料理である

南蛮とはポルトガルスペインを指す。ちなみに、スペインから

酢痛、いや酢漬けじゃないからね、なんつって。

で、ここからが本題であるが、私がネットを駆使して

調べた結果、チキン南蛮宮崎県発祥食べ物である

そして、洋食屋ロンドン」がまかない料理であったということを

突き止めた。日本西洋交流に思いを馳せる日曜の昼どき。

2018-02-17

anond:20180217123925

女性専用車両と書いてあるけれど、朝の時間のみ

ちなみに、外人でも、女性西洋車両の専用人感に男が入ると注意されるよ

2018-02-09

Babymetal

Babymetalをご存知ですか。

 

既存の組み合わせの妙、とかコレコレの再発明、とか。

要素がありすぎて説明するの難しいんです。

 

世界に受けた原因として、

21世紀版「西洋から見たオリエンタルさ」

メンバーそれぞれが世界水準以上のパフォーマー

日本人気質バカ丁寧な曲作り

とかでしょうか(異論は認めます)。

 

バンド、というよりライブを重視しているミュージカル的な複合芸術チームなんです。

音楽ステージダンス世界観 etcのどれもが高い評価を受けてます

それぞれの要素はまだまだ伸び代があるっていうからすごすぎます

 

 

ここからが本題。

そんな彼らのキャラは?

とか、いまどきネットいくらでも情報は入るのですが、

自分から一次情報に手を出さない人には、知られていないし毎回説明しないといけないんですね。

 

応援するファンがあってこそのパフォーマンスなんですけど、

ファンの立つ瀬って結構なかったりしませんか?

新聞テレビの役目は崩壊中だけどまだまだ影響力があって、日本のこの状況は違和感ありますよ。

 

 

複合芸術評価と書きましたが、個人的に一番興味があるのはこのグループキャラクター性です。

それこそバラエティや芝居やグラビアえこの素材を生かさないなんてもったいないと思います

アイドルとかエロ目線とかじゃなく、この人たちは本当に世紀の大スターなんです。

それも世界を股にかけることのできる稀有な。

 

荒れる例えですが、天皇陛下がごくたまにテレビ取材を受けられて、お人柄なりに感銘を受けることがあります

個人的彼女たちに対する反応は同じなんです笑

 

マスコミ主体のアホみたいなキャラ設定とか、パパラッチ要素はいりませんが、

彼女たちの人柄を正当に評価してあげてもいいとそろそろ思うのですよ。

 

2018-02-06

anond:20180206130052

全く改善されておらず現職の大統領ご夫妻が不倫略奪愛の末ご結婚されているんですが、これがいつ最近改善されているという話になるんでしょうか。

かに法律上行使できるんでしょうけどそんな話は全然出てきませんね。歴代大統領もおおむねこのような経歴の持ち主です。

で、

そのようなニュースになった事象をご存じないのに何故最近西洋のご事情をご存知なのですか?

anond:20180206120351

その西洋の中心たるフランス歴代大統領女性遍歴に関する見解をお伺いしたいのですが。

anond:20180206114104

今の国際社会ベース中世から近世西洋なのでそこですね

日本場合明治以降法的には明確に否定されてるはずです

西洋の影響ですね

歴史的に言えば女性が不当に制限されてるんではなく逆ですよって話なんですが

不当に搾取されていたのを未開として改めたわけです

anond:20180206113633

西洋では女性処女の方が価値があるという概念が根強かったはずです

これ、一般的概念じゃなくてピューリタニズムであって、カトリックとは対立してたよねずっと。

anond:20180206112916

自由恋愛であるないに関わらず基本的には愛人を作るのは男であって(中世欧州貴族など例外はあるでしょうけど)

西洋では女性処女の方が価値があるという概念が根強かったはずです

まり歴史的不倫男性特権であって

それを取っ払ったのが現在普遍的価値観です

2018-02-04

anond:20180204150711

西洋ポップスを拾ってきて日本語歌詞をつけるなんて誰もがやってることだし、

昭和の歌を今聞いてダサいと思うのも当たり前なので、

忌野は別に悪くないと考える。

忌野清志郎の救いがたいダサさ

セブンイレブンに入ってあの曲聞くたびに苦笑が漏れる。

日本語表現したい事があるなら新しい曲作って歌えばいいし、洋楽を歌いたいだけなら英語で歌えばいいだけなのに、原曲雰囲気台無しにする日本語歌詞つけて借り物の曲歌ってるのが最高にダサいなあと思う。

忌野清志郎って、西洋の真似事だけしていきがってる昭和のクソダサミュージシャン象徴みたいな存在だよね。

セブンも一体いつまでこんなダサいBGMにしてんだろう。

2018-02-03

anond:20180203180826

「やれ」って言うブコメ多いけど雅楽は一人じゃできない

DTMにも音の素材がない

素材はだいたい西洋のものだし、しか音階型の音楽に向けて作られている

から雅楽に応用できない(ものが多い)

楽器を揃えることは難しい。よっぽどの金持ちでなければね

さらに、雅楽基本的譜面だけでは難しいから結局口伝でやっている事が多い

譜面の書き方もきっちりしていない

きっちりやろうとすると西洋音楽になるから

政治批判してる人に「じゃあお前が政治家になれ」っていうのと同じだよ

手段資金環境もないのに出来ることじゃない

「こいつら短絡的に物事考えるなあ」ってうんざりしてるよ

2018-01-31

anond:20180131154219

それで思ったけど西洋で持てはやされているものけが芸術みたいな薄ら寒さを感じる

anond:20180131010414

瀬戸内海あたりのどこかに在住の方だろうか。あの辺りはトリエンナーレ直島アートイベントなどが盛んな地域ですね。

日本芸術アートについてはかなり後進国と言える。それでも世界に後れを取りたくないゆえに国際芸術祭トリエンナーレビエンナーレなど)はぽつぽつ開催される。でも国公立芸大美大は少なく、国内で育成する気がないというのは確かにその通り、それでも学校教育での「図工」「美術」は鑑賞よりも実際の制作の方が重視されるいびつな国なんだよな。

それから日本場合アートよりもアニメマンガの方が他の国にもてはやされるし(もう死後になった「クールジャパン」とかがそう)

日本もっと日本独自浮世絵とか日本画とか、そういうアートを発展させればよかったのに下手に西洋に憧れて中途半端油絵風景画を描く人が多くて、で、そういう人の派閥とかその辺も複雑でなかなか「育成」にはつながらない。結果、自国にもあるものからそのジャンルはいまいち海外相手にされないし、そこでのし上がるなら海外に行った方が早い。

2018-01-28

anond:20180128135824

上記ネタだが、

カタカナで書かれ、西洋語と見える漢語はそこそこありそう。

クエン酸(=枸櫞酸)とか。特に難しい漢字に多いね

2018-01-19

anond:20180119193537

マヨネーズ

現代日本でどうやって食わず嫌いになるほど食わずに避けて通れてのか解らない

珍しいから一生つらぬけば話の種になるのでは

イチジク

柔らかくて皮は薄くて中はグニュとしたしっかりと甘い実にプチプチした小さな種の食感が面白い食物繊維豊富便秘にきく

セロリ

シャキシャキした食感に爽やかな味、サラダにしてもいいしキンピラにしてもいいし、多くの西洋の煮込み料理にも欠かせない無いとアクセントが足りず寂しい、葉も味噌汁スープにしたら爽やかな味になり美味しい

イカスミスパゲティ

こってりとした魚介の旨味を楽しめる、イカの旨味が好きならそれの濃厚版で好きだと思う

ハリウッドよ、最後ジェダイでもう懲りただろ

いい加減、日本人含む不細工アジア人

むやみに映画に出すべきではないということを

 

 

彼らの自閉症ダウン症じみた幼稚な顔が

世界美的価値観に及ぼす害は計り知れないものがある

西洋価値観崩壊もつながる

 

私はハリウッドの美しい世界

日本人アジア人の小汚い顔に埋め尽くされる様を見たくはない

退廃芸術ポルノアニメで充分だ

子供向けアニメめっちゃやす

年を取り深夜アニメ録画消化に疲れてきた頃に子供が育って子供向けアニメを大量に録画して見なければならない生活になった

子供向けアニメは話が綺麗にまとまっており面白いクレヨンしんちゃんは毎週短編ギャグを二本も見れるし、妖怪ウォッチなどは数分の短編が何本も入っている

名探偵コナンプリキュアなどになると30分使うが毎回起承転結がはっきりしておりキャラも魅力的で面白い

深夜アニメに比べて話のクオリティーが安定して変なエロや媚びもなくめちゃくちゃ見やす

毎回話が一区切りするから真剣に見なくてもいつでも楽しめる

ディズニー短編に至っては主線に極端な強弱をつけたり主線を無くしたり、芸術的西洋アニメ手法を娯楽アニメに取り入れるのに成功し、どのシーンを切り取ってもイラストとしてクオリティが高く飾ってもさまになるくらいの出来のよさで、3Dアニメだけではなく2Dアニメでも日本デジタルを使いこなせず後れを取ってる感じを受けた

これが多くの人をターゲットにしたアニメクオリティと感動している

多分おそ松さんが受けたのは子供向けアニメとしての基盤とクオリティを上手く大人向けにおとしこめたから、私のように深夜アニメ疲れた人を引き込んだんだろうな。

2018-01-11

安倍晋三が嫌いな理由バカ。 嘘つき。 利己主義厚顔無恥。 威張り散らす。 血税を湯水の如く使う。 やるぞと言うポーズだけ。 漢字が読めない、書けない。 すぐカッとなる。 良心の欠片もない。

光頭半兵衛云々

‏@hage3826

2時間2時間

安倍晋三が嫌いな理由

バカ

嘘つき。

利己主義

厚顔無恥

威張り散らす。

血税を湯水の如く使う。

やるぞと言うポーズだけ。

漢字が読めない、書けない。

すぐカッとなる。

良心の欠片もない。

これでもかと権力をふるう。

アジアに強く西洋に弱い。

憲法を守らない。

米軍の犬。

まだまだ…

着物が着られなくなったのは単に機能性に劣るクソ服だからでしょ

やれ着物業界がどうの着物警察がどうの言ってるけどそんなの全く関係ないでしょ

普段着着物なんてまっすぐ切った布を縫い合わせるだけでできる服だから技術の低い時代に着られてただけであって

西洋から高い裁断や縫製の技術が入ってきて作る意味も着る意味もなくなった服。

一部高級品が伝統衣装として祭事に着られるようになったという流れは当たり前すぎるほど当たり前。

伝統衣装なんてどこの国でもそんなもんだよね。ジャングルに住む少数民族だって多少とも文明交流があれば

普通にTシャツズボン暮らしてるもん。

2018-01-09

日本人が、日本国内日本人に対して、日本の文化に根ざしたマナーを形だけ守ることを要求しただけで

奴隷的拘束だの何だの扱われる中で

日本国内日本人に対してあまり関係のない西洋マナーを遵守せよと求めるのがセーフというのがよくわからん

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