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はてなキーワード: 西洋とは

2018-11-11

anond:20181111224145

そういう大きい嘘は許されるけど

人種や設定の細かなミスは許されないって

脚本術の本にもたくさん書いてあるな

 

現代ものドラマでも、アメコミヒーローものでも

黒人がやたら弁護士医師だったりすると不自然に思うだろ?

 

ちなみにゴブリンとかああいう手合は

大抵西洋ファンタジーだと中東当たりか黄色人種(黄禍論的に)

モチーフ場合が多い

 

ロードオブザリング敵役なんて、モロ『東夷』という言葉

日本甲冑からデザインを取り入れてたりするw

anond:20181111222842

オタクでもないのにファンタジーの設定にケチつけてんのか……

 

???

オタクだろうと無かろうと

中世西洋を模した時代背景に

アジア人がいるのは不自然に思うはずだがね

 

まずは常識を身に着けてみてはどうだろう

ホラ、地図を開いて❤

なろう系小説もそだけど、なんで西洋ファンタジーに平然とアジア人(日本人)が居るわけ?

ポリコレ枠?

地理的には黒人アラブ人いる方がまだ自然だよね?

 

とりあえず、全部白人で揃えて欲しいな

興ざめる

 

 

PS.サムライなんて要らんでしょ

ゲースロだとラニスター家の軍隊

日本甲冑意識した鎧で代用してたし

スタイルだけ真似れば、わざわざポリコレ意識してアジア人出す必要もない

統一性もないしな  西洋人で充分

2018-11-09

anond:20181109110947

西洋古典名作好きはディズニーアンチ多いよね

逆にディズニー絵本特撮絵本ポケモン妖怪ウォッチなんかの絵本百均絵本も平気で子供に与えるけど

萌え絵絵本だけは駄目だ、って層がいるとは思えない

2018-11-05

愛国心がうらやましい

アメリカ報道見てると右も左も「愛国心」を持っていて、馬鹿でも一つの信念になってる。

その内実はそれぞれ違うんだろうが。

日本でもネトウヨが噴き上がっていたころは愛国心が一つの軸になるかと思ったが、徐々にその内実が「作られた伝統」「利権擁護」に過ぎないことがバレてきて鎮静化してしまった。

司馬遼太郎が昔、「愛国心というのはそんなに複雑なもんではなくて、ふるさと馬鹿にされたときに抱く素朴な怒りの感情だ」という趣旨のことを言っていたことがあったが、個人主義が進み過ぎてふるさとに何の愛着もない。そもそも隣近所の人の顔すら知らないんだからどうしようもない。

ここまで書いてて気づいたが、「愛国心」が何だと言う以前に、「国」「日本国」とは何かという点がものすごく曖昧だな。

アメリカ建国者が明確な理念を持って作った国だから、「アメリカとは何か」と問われれば建国理念を思い起こすことができるのだろう。

日本は大昔の王権豪族自分利権を守るために形成していった国だから、こういうのが無い。

戦後憲法理念をそれに代置できるかと言われると、押し付け憲法論を採らないとしても、結局西洋で作られた理念を具体化したものから、それが「日本理念」と言われてもピンと来ないところがある。

これまで数多くの研究者が「日本思想とは何か」というテーマに取り組んできた気持ちが分かる気がする。

この国は国民が共有する理念が本当に存在しない。

それによって生じるメリットもたくさんあるんだろうが、国全体が貧しくなってる現代だとただただツラい。

2018-11-02

anond:20181102083615

ルパンに限らず西洋古典ピカレスクロマンなんて基本バッドエンドなんだが?

あれ見て犯罪者になろうと思う奴はサイコパスだろ

2018-10-28

anond:20181027090921

まぁ明治以降西洋の知を輸入して社会を作っていったんだし、知の発明元の風土とはチグハグな部分もあったりするし、劣等感必然的に生まれる気がするな。

戦争に勝っていても、ドイツ的な価値基準が優勢になるだけで、やはり芸術に関してはどこか劣っている、というか自分のもので無いような価値観は生まれざるを得ないだろう。

 

明治以前は、中国(明とか清とか色々変わってるけど)の知で社会を作っていたし、中国コンプレックスがあったんだろう。

西洋の知を吸収することで清は倒せたが、その後戦争に負けて、コンプレックスはより面倒な構造になってしまった。

 

考えて見ると、そんな西洋の知も外部(数学中東で発展した+中東まれヤハウェ信仰の影響は色濃く残る)からの輸入や混交で成り立ってたりもするので、そこまで劣等感を感じる必要は無いと思うんだけどな。

 

ただ、アートマーケットはそんなことはそっちのけで、欲望のままに動くので、そこまで真に受けなくてもいいのではと思う。

anond:20181027090921

そら西洋トップレベルと比べれば当然日本人が劣ってるだろうよ

平均レベルと比べてどうなのか

西洋にも売れず飛ばずで落ちぶれてる芸術家脂肪なんてイクラでも居て

そういうのが社会を恨んでアウシュビッツガス室を作るんだろう

2018-10-27

[]

今日東京"国立"パンティー館へ行って参りましたわ。

これ"くにたち"でしたのね。

まず入り口は色とりどりのパンティーが無数に並んでおりましたわ。そのあとパンティーの歴史世界パンティー、日本パンティーと続いて展示されておりましたわ。

パンティストッキングとふんどし脈絡なく展示してあり困惑しましたわ。あの増田鯖が憤るのも頷けますわ。

西洋パンティーのパンティーはTバックが多目でしたわ。

また日本パンティーに比べてきわどい物ばかりでしたわ。

お土産コーナーでわたくしに合った青のパンティーを購入しましたわ。

鯖なので履けないから被りますわ!鯖なので履けないから被りますわ!


anond:20181021103630

anond:20181015010418

終戦後の「日本西洋より劣っている」という自信の喪失芸術にも波及した、って学芸員さんから聞いた事がある。

それに抗った作品を作り上げた作家さんもいる。

作り手も受け手も、「日本西洋より劣っている」から抜け出せてないんだと思う。

海外評価された日本芸術(に限らないな、文化全般)なら飛びつくし

2018-10-26

なんで西側人間って優しくなれるのか

ペットショップでの生体販売禁止したり、ジャーナリスト拘束の自己責任論を疑問視したり。西洋社会は優しい判断をすると人が多いよね。もちろん例外はあるだろうけど、なんでこんな優しい判断マジョリティに来れるのか不思議。そりゃ日本でも生体販売価格反対とか、ジャーナリスト自己責任論を否定する優しい人はいるけど、社会の中心には来ないじゃん。動物福祉なんてなくていいし自己責任論は大流行だし。なんであいつらあんなに優しくなれるんだろうなあ……

2018-10-22

anond:20181021093430

現代美術理解してることと頭の良さは関係ないんだけど、なんでこういう人が多いんだろうね。



一般人印象派以前の藝術も理解できないんだけど、あれらはまだ大衆的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。

言ってることがよくわからない。理解っていうのは神話とかの寓意性のことかな?それとも絵画史の流れや歴史的な背景とかかな?研究者でもなければ解説で補えばいいんじゃないかな。


>それまで大衆的な要素+芸術的な要素だった美術絵画(彫刻)が、現代アートへと移行する時に大衆的な要素を切り捨てたのね。より純粋な藝術に進化するために。

さらによくわからない。コンセプチュアルアートミニマルアート派生してきたことについて言っているのかな。現代美術はどちらかというと、大衆的な美意識を取り込んできた歴史だと思うんだけどな。


>だから、それまで大衆部分だけを受け取って喜んでた一般人は急にわからなくなりヒステリーを起こした。

>だけど、藝術理解者は印象派以前にも藝術部分しか見てないか一般人が何を騒いでるのかわからない。

もっとからない…。歴史的に見ても、新しい表現表現がでてきて反発するのはまず芸術家というか、君の言う「藝術理解者」そのものなんだよね。



一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタクアート論もその変奏)、全く質の違うもの

工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなものクリエイティブじゃない。

日本エリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東田舎者からクリエイティブ理解できない。すぐに「工芸品」を持ち上げる。怖いんだろう。自分理解できない藝術が。佐藤可士和デザインですら大多数は理解できないんだものあん教科書的なものですら。

うーん、話がごちゃごちゃだね。工芸品も現代アートになるよ。オタクアート論は関係ないよ。工芸ももちろんクリエイティブだし、掃除とは関係ないよ。

ただ、役所的なところで工芸というかテクニック重視のものが持ち上げられるのは仕方ないね、わかりやすいし理解も得られやすいからね。

佐藤可士和デザインは受け入れられていると言えるでしょう。個人的に残念だったのはザハかな。


>とにかくアジアって文化後進国なのね。トップ日本ですらこうなのだから東京"国立"博物館デュシャン日本美術脈絡なく展示してホルホルしてるレベルもの

アジア文化後進国と見なすような西洋中心的な視点から脱却しよう、というのがまさに今の現代美術のメイントピックの一つだと思うんだけど、大丈夫


>まず日本に生まれた時点で、現代アート理解するには圧倒的に不利。

それはそのとおりなんだけど、「アメリカに生まれた時点で萌えアニメ理解するのは圧倒的に不利」と言ってるのと同じなんだよね。それはそうでしょう。


アートって歴史上一度も大衆相手にしてないので。

>昔は王侯貴族宗教的権威で、今は超金持ち美術批評家

? 例えば聖人の像なんかは大衆啓蒙用だよね。想定してる歴史範囲が狭すぎるのかな。


民主主義恩恵で、一般人美術館で億の作品を数百円で見れるようになっただけで泣いて喜ぶべき。

? 民主主義関係なさすぎて泣いた。


>そしてあれは、将来のお客さんとアーティスト入り口としてやってるの。1000人に1人、将来アートに貢献する人材いるかもしれないと信じて。

そんなこと考えてる人いないと思うなあ。


金持ちにもアーティストにもなれない一般人はまあ、おこぼれで"文化的"コスプレしてインスタグラムでもやればいいんだと思うよ。

おこぼれ?文化的?の意味がわからないけど、コスプレいいよね。



アート勉強し始めの高校生とかかなあ。頑張ってね。

2018-10-21

anond:20181016202406

オリジナルに近い作品でも「日本人が考える西洋架空世界」て、なんで大抵、人名地名英語ドイツ語ぽくなるのか

フィン語とかチェコ語とかハンガリー語とかから引っ張ってきたら、大いに意外性あると思うんだが

格闘技ってなんで一対一しかしないの?

プロレスプロレスからのぞくとしても

危険すぎるのかな

テニスだとダブルスとかあるし

剣道とか武器系だと出来る気がする

サッカーとかみたいに集団戦でチームスポーツにすればそれなりに人気出そうな気がするけどな

西洋系ので少しやってるくらいか

ちなみに自分は城の中から石を投げ落とす役がやりたいです

引き篭もる方がすきー

2018-10-20

人魚姫シンデレラを見せないらしいのでオタク知識マウントする

家庭毎の事情からこれは一人のオタクから意見だと思って欲しい。結局決めるのは親だしな。

オタクは思うのだ、古典には古典の良さがあり、古典を知るということは古典歴史的背景を知るということだと。

知ることが大事だと思うから女優キーラナイトリーが取った選択を、オタクらしく知識マウントを取って否定してやろうと思う。

もちろんオタク目線から否定を更に否定してくれても構わない。

例えば人魚姫を例に挙げると、人魚姫文学上の分類で異類婚姻譚という人間と異類(人間以外の動物妖精・神など)が婚姻する物語だ。

この異類婚姻譚歴史は古く神話時代にまで及び、典型的物語構成と言える。

人魚姫西洋文化歴史的背景を考えればニンフと呼ばれる水の妖精ルーツであると考えられ、ニンフおとぎ話神話を紐解けば悲恋物語が多いというのはこのジャンルでは共通認識だと言える。

そもそも世界中を見てみても異類婚姻譚特に水の精関連では悲恋が多いので、人魚姫は本当に典型的物語構成である

西洋以外の例を挙げるのであればインド神話の水の精アプラサスで、アプラサスは特にアジア圏の異類婚姻譚へ強い影響力を示しており、実は形を変えて後の時代日本へまで伝わっており、アプラサスが鶴の恩返しや天女の羽衣狐の嫁入りなどへ派生したという説もある。

更に日本では天女という概念自体仏教ルーツとしたもので、愛の神マーラ色欲魔物マラ・飛天を経て伝わってきたという見方が根強いんだ。

マーラも翼を備えていた時期があり、翼を備えていたマーラガルーダ派生したという説もある。ちなみにガルーダは後の時代日本天狗として表現されるようになったらしい。

オタクらしい知識マウントをキメたところで最後意見を言おうか。

これらの知識古典歴史を知ったことで獲得したものだ。

ジェンダーフェミニズム歴史女性の権利の獲得の歴史であると言って間違いはないはずで、その獲得した女性の権利には「学び」もあったはず。

個人的主観だがジェンダーフェミニズムは「女性にふさわしくない知識は学ばなくとも良い」という価値観を打破してきたものと感じているが、女優キーラナイトリーが取った選択ジェンダーフェミニズム歴史協調するものなのか?と疑念が尽きない。

シンデレラ1つ取ってみても当時の文化事情などを考慮せずに現代価値観でぶった切ってるんだもんな。

はっきりと言ってしまえば鼻で笑いたくなるクソみたいなジェンダーフェミニズム観だと感じるのだが、まぁオタク戯言だと思っていつも通りスルーしてくれや。

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2018-10-17

anond:20160822214301

西洋コンプじゃないってわざわざ言ってるけど、実際どうだか

欧州在住だけど、漢字入れ墨してる人とか日本語プリントした服とかそこそこ見かける

よく知ってる文字からこそ良さが分からないのでは?

2018-10-13

太っていると楽

女でも太ってると基本的性的に見られないんだよね。でも女性向けの美容グッズや美容医療たっぷり使ってるから、肌はすべすべだし髪もサラサラだし、口臭加齢臭もない。禿げてもないし。こぎれいなおっさんになれている気がする。おっさん枠って楽だなあと思うこの頃。

裸になっても「力士」、よく言っても「西洋画の裸婦」って感じだから病院とかでも恥ずかしくないんだよね。世間身体を恥ずかしいものとされていない、求められていない感覚ってこんなに楽なんだな〜、と元スリムな女としての私は思う。この間も乳がん検査してきたんだけど、全然平気だった。裸のまま病院廊下モデル歩きできるレベル自分の体に自信を持つ、これが私だと胸を張る感覚というの?よく言われるやつ。あれをちょっと実感したよねー。

もちろん、夫のように世の中には一風変わったデブ専もいるんだけどたぶん1000人に1人くらいの確率からリアル生活では実質いないようなものなんだよね。だからおっさん枠でいられる。もちろん、私の姉のように、あんたそんなに太ってたら女として終わってるよ!と怒る人もいるけど、今はフェミニズムが頑張ってくれてるからハイハイミソジニー乙、とか、ボディシェイム乙、プラスサイズモデルアシュリー・グラハムを見て出直してくるのだ!って思えるからマジで気楽。

2018-10-12

anond:20181012115730

人間が仲悪いのは仕方ないよ。問題西洋領域国民国家中東イスラム統一国家のどちらが戦争を減らしテロを減らすかだよ。

2018-10-11

anond:20181011132250

コーラン普遍的な真理だけど西洋法はどんどん改正していくから国ごとに法律バラバラなんだよな。

2018-10-10

anond:20181010180415

GPL汚染してきたり西洋まれだけあってなかなか侵略的な宗教だよな

anond:20181010170738

からから言ってんだよ

結局明治保守自称リベラルも、人を殴って従わせようという性根は同じで、ただご本尊として置いてるものがが違うだけなんだって

こういう奴らは明治時代に生まれていたら、西洋の尻馬に乗ってホモ弾圧してたわけ

萌え絵の話とか性的だなんだ言われるの、「みんな絵がうまくなったからじゃないの」と思っている。

ボディラインとか、デッサンが昔のデフォルメより本物に近くなった。

極端な例えをするけど、00年代くらいまでの絵柄は浮世絵最近の絵柄は西洋美術

顔ではなく、体のデフォルメ

昔のアニメなんかは割と極端にかかれていた気がする。

そこに比べると、最近の絵柄は本来比率に近いものが多いと思う。

時代劇見てて浮世絵美人絵に大して、なんて美人なんだ!!っていう感覚

昭和平成時代の人にはなかなかわからないと思うけど、

西洋美術の写実性はどの時代の人がみてもわかりやす美人美人に見えるはず。

春画西洋美術の裸婦並べてどっちが性的に見えますかって聞いたら多分西洋美術…いや、どうかな…さすがに春画かな…

特にまとまらなかったんだけど、つまりはみんな絵がうまくなって

現実人間想像やすくなったってことなんじゃないかな!!ってことなんですけどね。

あとはまあ、昔なら本屋に行かないと見れないはずのものネットの普及で

お手軽に目に入ってしまうからっていうのもあるんだろうな。

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