はてなキーワード: 隣国とは
さもそういう主張が真っ当で正しいことみたいに信じてる人がいるみたいだけど、そういう人ってとことんウクライナ戦争に関して他人事なんだなって思ってげんなりする
その隣国の暴挙を目の当たりにし、さらに核保有国相手では簡単にアメリカもヨーロッパも味方になって一緒に戦ってくれることはないというのが明らかになっている
そんな中で日本が自分の国を守っていくには、軍事だけでなく、国際社会のあらゆる場面で存在感を発揮し、自分たちは西側、自由主義国であることをアピールする必要がある
要するに、日本がどの陣営の所属でどんな考え方を持つか主張し続けることで、正面から敵対するのは得策ではないと共産主義国に思わせなきゃいけない
ウクライナはロシアとヨーロッパの緩衝地帯だから、という意識もあるのだろうし、東アジアでは北朝鮮が緩衝地帯という意識なのだろうけど、現実は日本韓国北朝鮮の三か国が緩衝地帯だ
アメリカからすると三国すべて失うのは安全保障上問題だから日本をバックアップするだろうと思われるとはいえ、最終的には防波堤という意識しかなかろう
中国も核を持ちアメリカと友好ではない以上、日本でいつ何が起こってもおかしくはない
そんな状況を本気で自分事と考えたら、ファシズムの動画に日本の天皇が入っているのはまずい
日本は今でもその子孫を象徴として掲げているので、過去と決別し歴史修正をせず直視する、というなら天皇家を滅さなくては辻褄が合わない
現実それはできないのだから、歴史修正と言われようが当時の政治家の責任であり天皇家はかかわりがないとしなくては今の日本の不利益になる
感謝を求めるのも同じこと
いくら武器弾薬供与国への感謝だから日本は関係ない、とは言え、ことあるごとにウクライナ自身に日本の貢献を発信してもらうことが、有事の際の日本防衛につながる
ウクライナを日本が支援するのは、可哀そうだからではなくて、助け合いをしっかりしとかないと日本も助けてもらえないからだ
だからこそ、感謝を求めるのは当然だし、それがないのなら支援など国益につながらないことになってしまう
ウクライナはウクライナで国民総民兵。救急車にのって兵隊が運ばれたりするんだから、救急車だってうつし、民間人の避難所に武器が保管されていたりするからそこも爆撃対象になる。
ウクライナの自業自得とは言わないけども、まぁそこが狙われるよう肉の壁にしているのも一つの事実。
とはいえ、最近ロシアの残虐性が話題になるが、チェチェンでもどこでもロシアは同じことを繰り返してきた。
単純に降伏を強要する、停戦を強要するために最も効くからである。
少なくともこれまではそういう実績があった。
ゼレンスキー氏は間違いなくこうなることを知っていたと思う。
一つの地域で数百〜数千程度の死者がでることは織り込み済みだと思われる。
なぜならロシアはそういう作戦をとってくる国であることを、隣国の大統領が知らないわけがないからである。
だからこの程度の死者数はむしろ政治利用するための体の良い口実として利用するのである。
この虐殺が起きたところで、もともと計算通りなので、彼に心理的ダメージはない。
こうなると厄介な問題が一つ。
逆にウクライナはゼレンスキー氏がある程度の民間人の虐殺が発生しても織り込み済みということは、彼の予想を遥かに超える被害がないと停戦を強要できない。
それこそ核くらいのね。
戦術核で足りるのだろうか。戦略核が必要なレベルなのだろうか。
そうでなければ停戦合意の歳に、ロシアが、、というかプーチンが国民へ説明できる手土産にならないのだ。
プーチンは今、多くの国から経済制裁を受けて、貧しくなっていくロシア国民にたいし、これだけのものがあるから今を耐え凌ごうと説明できなければならない。
キエフ郊外の虐殺をみたゼレンスキー氏の対応から察するに、当面、、、現状のままいけばそれこそあと半年〜一年単位で戦争が続く。
その間どれだけウクライナの住民が死のうとも、ゼレンスキーにとっては関係がない。
長引けばプーチンにとって不利なので、プーチンはどこかのタイミングで核を使うしかなくなるだろう。
イヤな話だ。
現在ハンガリーはCOVID-19の対応能力が欠乏して死亡率が急激に上昇し(隣国オーストリアの3倍)、政府の予算執行にも問題を抱えている
民間経済も2014年にはウクライナ動乱で大きくダメージを受けた(COVID-19の影響より大きい!)記憶も薄れていない
とりあえず大多数の市民は原状回復を求めていたし、批判もあったし、与党もそこまで言うほど優勢ではなかった
そこに余計な問題を追加で抱え込もうとした左派が自ら支持を失った
実際都市部では左派は優勢なので意識の高い(煽りではなく)EUとの連帯意識のある層には届いたが、首都と2都市の中核部以外の大衆は受け入れなかった
オスマン帝国におけるアルメニア人は、中央政府と共存共栄する共同体であった。
19世紀に入ると、カトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け特権を享受する
さらに1803年~1815年のナポレオン戦争により西欧において民族主義が高まると、
アルメニア人富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めた。
1877年の露土戦争で、ロシア帝国が勝利し南カフカスとアルメニア人居住地帯の北東部を占領。
ロシアはオスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年のサン・ステファノ条約で
オスマン帝国東部の六州におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。
ロシアという後ろ盾を得たことを機に、オスマン帝国領内でアルメニア民族運動が盛り上がり、
帝国外ではアルメニア人民族主義者によるアルメニア独立を目標とする政党が結成された。
やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う者も現れた。
露土戦争のときアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、
アルメニア人を国内にありながら外国と通謀して「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。
④1894年、オスマン政府による「暴動鎮圧」としてのアルメニア人虐殺
1894年、アナトリア東部のビトリス県でムスリムとアルメニア人の大規模な衝突が起き、
オスマン政府は正規軍と非正規部隊を動員して衝突を鎮圧し2万人の犠牲者を出した。
アルメニア人政党はこれを国際世論に訴え、西欧諸国はオスマン帝国を批判。
1895年1月、英仏露の列強は共同でアナトリア東部の行政改革案を提示して、その履行をオスマン帝国に要求した。
オスマン帝国はそれらの要求を受諾するも、履行しないため、アルメニア人による履行要求デモが行われた。
デモに対して「外圧を笠に着た横暴」と感じたムスリム民衆が激高しアルメニア人を襲撃。
1905年7月21日、アルメニア革命連盟が爆弾によってアブデュルハミト2世暗殺を試み、
護衛26人が死亡、アブデュルハミト2世は軽傷で済み失敗に終わった。
アルメニア人15,000-30,000人がムスリム住民に虐殺された。
オスマン帝国が同盟国側、ロシア帝国が連合国側で第一次世界大戦に参戦した。
オスマン帝国に対するゲリラ活動を行ったりしてムスリムが殺害された。
これに対してオスマン帝国はイスタンブールでアルメニア系の著名人たちを逮捕・追放し、
著名でないアルメニア人たちをシリアの砂漠に徒歩で強制移住させる虐待を行い、
60万人から80万人のアルメニア人たちが強制移住等の迫害により死亡した。
1918年3月、アルメニア革命連盟が、アルメニア人虐殺への報復として、
バクー(現在はアゼルバイジャンの首都)にて3,000-12,000人のムスリムを虐殺した。
ロシア帝国崩壊により民族主義的な社会主義政党のアルメニア革命連盟を中心として
⑩1918年、同時期に建国された隣国アゼルバイジャンと領土をめぐり戦争になる。
⑪1918年、同時期に建国された隣国ジョージアとも戦争になる。
アルメニア第一共和国が倒れアルメニア・ソビエト社会主義共和国というソビエト連邦構成共和国になる
1938年4月6日に大粛清の一環としてホレン1世が殺害され、8月4日にエチミアジンの総本山が閉鎖された。
1936年にアルメニアの人口を70万人まで減らしてグルジアへ併合することを目論んで、アルメニア人をシベリアへ強制移住させた。
スターリンは戦争によって疲弊したアルメニア経済の復興を期待して、アルメニアの人口増大と労働力強化のために、
キプロス、フランス、ギリシャ、イラク、レバノン、シリアなどに散っていたアルメニア人をアルメニアに帰還させるキャンペーンを開始した。
帰還者には食品券やよい住宅などの優遇措置が与えられたために、在来のアルメニア人との間に衝突がもたらされた。
また、帰還者の話すアルメニア語(西アルメニア語)と、従来のアルメニア人の話すアルメニア語(東アルメニア語)と分岐していたため、
ソ連がアゼルバイジャンに編入したナゴルノ・カラバフ自治州(アルメニア人住民が多数派)が、
ナゴルノ・カラバフの「アゼルバイジャン化」を懸念し、同地とアルメニアの統合を求める運動を開始。
1988年2月29日にアゼルバイジャンのスムガイトで発生した民族暴動。
市内の路上やアパートで、アルメニア人住民に対するアゼルバイジャン人の群集の襲撃事件が発生し、
アルメニア人26人が死亡した。この事件の後、全てのアルメニア人が町から脱出した。
アルメニアで大地震が発生。死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る。
震央に近い地域の高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。
旧ロシア帝国領におけるアルメニア人共同体がソビエト連邦から独立してアルメニア共和国が誕生した。
それからずっとアゼルバイジャンと、ナゴルノ・カラバフ自治州を巡って戦争してる
アルメニア人の歴史を見てるとユダヤ人に似ている気がするのだけど
イスラエルはアゼルバイジャン軍に武器供与するなどアゼルバイジャンの味方らしい
そして日本はトルコの海底トンネル事業に大成建設が参画してたりなどトルコと蜜月