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はてなキーワード: 卑近とは

2022-08-29

anond:20220828030644

そこまで極端じゃないが、親は絶対愛玩用搾取用を分けてるよねと思う。

分け隔てなくはしてないよねって思う。

愛玩用の子の無法は許されても、搾取の子の無法は許されないとか。

愛玩用には割かし何でも与えられるが、搾取用には何も与えられないとか。

どちらが愛玩用でどちらが搾取用になるのかは本人の性格と親との相性によるんだろうな。

卑近な例だと、甘えん坊の方が母には愛され、手下みたいな感じのほうが父には愛されそうだが、夫婦パワーバランスによって家の搾取用・愛玩用も決まる。

搾取の子供になっちゃったら、成人したら可能な限り逃げることだろうな。

親は変わらないかもしれないけれど、親と関わらないことで心の平穏は保てる。

2022-08-26

anond:20220826003132

本に囲まれることと、本を読むことは別の話だね。

そして、他人添削批評してもらうというのを繰り返さ差ないと文章力はつかないだろうね。

図書館非正規雇用職員にそういう訓練をしたことがある人がどれだけいるのかは知らんけど...

卑近な例だと、論文業務文書添削してもらうというのがありそうだが、果たして図書館非正規雇用職員にこれまでそういう機会があったか

2022-08-23

自我の切り売り

ここ10年くらいで一気に、配信者、が増えたと思う。

それこそ昔はニコ生くらいしかなかったのが、今ではスマホ一台あれば、無限配信サービスもあるから、増えるのは自明なんだが。

かくいう自分も、配信者をやっていた。同接は多くて15名くらいの、底辺底辺だ。

話すこと自体は好きだったし、YouTube収益化ができたときは嬉しかった。(スパチャを投げられるとかそんなことはないので半年収益は数円だったが)

推しイラストレーターイラストを依頼とか、配信者でなければできなかっただろう。

そう、自分を切り売りした結果としてできることは増えるので錯覚しがちなのだが、擦り減っていくものは、かけがえのない大切な何かなのだ

これをうまく説明する語彙が、自分にはないのだが。

皿の上に差し出しているソレは、簡単に消費されていいものではないし、消費される側もする側も、麻痺しているように感じる。

配信者側は今言ったように、できることが増えていくから、擦り減ったものには目が行きにくいし、

視聴者側も「配信者が好きでやっていることだから自分も好きに応援しよう」と考えるものだ。

さら根深いのが、思うに、「素人である」ことだと思う。

自分もそうだが、とりたてて絵がうまいわけでも、歌が上手いわけでもない。トークも平凡だと思う。

絵や歌、ゲームの巧みさなど売れるだけの芸があるなら、それを売れる。だが、自分も含め、素人にはそれが無い。だから自分のものを切り売りするしかない。

枯れたスポンジから血が滴るようになっても、売れる芸などないからだ。

そこまでして承認欲求をかなえたいものなのか、とは自分も思う。

自分場合は、始めたきっかけは承認欲求だったのだと思うが、今となっては素人自分の話をなぜか面白いと聞いてくれる人がいるから、その人たちに自分のできる範囲内で精一杯お礼がしたい、そんな感情なのだ

から、ひとくちに承認欲求肥大化問題、というのも自分としては違うと感じる。

等身大自分を切り売りして、売った分だけできることが増えて、承認欲求も満たされて、

気が付いたら致死量まで擦り減っていた何かによって、いつか、死んでしまうのではないか

少なくとも自分は擦り減った結果、あんなに話すことが好きだったのに、「ああ、こんなにもことばって伝わらないんだ」という絶望を得た。

どれだけことばを重ねても、

「なるほど!××ということですね!」「自分がいつ××だと言った!?

と頭を抱えることが多く、それが耐えきれなかったんだろうと思う。

ことば、言語というもの相手自分が一意のものを思い浮かべるためのコミュニケーションツールだと思っていたばかりに、本当につらかった。

今となっては、いつ、どこで、誰と話す時だとしても、「どうせ自分言葉は伝わらないのだ」という諦観絶望支配するようになった。

まあ、自分の具体例で言えば話が通じないやつを放置、ということができなかった自分不器用さに原因があると思うから別に構わないのだが。

それでも、「話が通じる人もいる」ということを信じられなくなったのは、自分にとっては大きな損失だろうとは思う。

最近トレンドひとつに、「夢を追いかける若い少年少女を消費する」文脈があるような気がする。

もちろん、これは最近に限らず昔からそうで、だからオーディション番組甲子園はみんなが好きなんだろう。

ただ、ネットの普及、SNSの浸透、素人でも誰でも配信ができるという状況が、これを加速させ、卑近にしているように思えてならない。

少なくとも、オーディション番組甲子園のように、覚悟をもって飛び込む、ということはなく、敷居が低く気軽に飛び込めるようになっているのは間違いないだろう。

それに加え、先でも述べたがオーディション番組甲子園のように、明確な一芸を競うなら、そこまで自我は痛めつけられないと思う。そこでの失敗は能力の不足(まあ運もあるだろうが)と割り切ることは比較的容易だ。自分を切り売りする場合に比べれば。

オーバーリアクションばかりしていると、寿命を縮めるという。

ひとの感情は、それだけコストのかかるものなのだ

決して簡単に消費されて良いものではないはずだ。簡単に皿の上に載せて供して良いものではないはずだ。

と、思うのだが、私だけだろうか。

2022-07-19

anond:20220719171224

リベラリスト根拠は(中略)個人へ委ねられている。この問題点現在まさに問題視されている特定宗教団体問題と殆んど違いがない

現在まさに問題視されている特定宗教団体、すなわち旧統一教会問題は、霊感商法によって破産にまでいたる多額の献金プレッシャーマインドコントロール、合同結婚による海外への日本人女性に対するhuman trafficking など人権無視の疑いのある諸活動と、そのような団体政権与党の関与の疑いでは?

かに自称愛国者たちの言論活動反日を掲げるカルト関係世論的には重要ポイントになるだろう。

思想的な対立であるかのように言ってるけどどこまでも卑近で単純な話だと思うんだがなぁ

追記元増田は要するにリベラルだってカルトじゃん!と言っているっぽくて、そのうえで同じカルトなんだからこれは思想内容の対立だ!と持っていこうとしているように見える。しかし実際はリベラリズム、あるいは保守主義でさえ思想のもの特定個人権威に頼ったものとは言い切れず、さらに本件の問題統一教会活動内容そのものにあると思われるがいかがか

2022-07-13

法や道徳を守らないのが成功のための唯一の道なのかよ 2022.8.8 22:40追記

追記する】

なんで1ヶ月前に書いた増田が今更ホッテントリに入るのか……

ひろゆきやガーシーは書いた当時に話題になってたから話の枕にしただけで別に羨ましくもなんともないよ(22:45追記: 羨ましくもなんともないは言いすぎた ちょっとうらやましい お金ほしい)

「日々を心安らかに過ごすことが成功です」みたいな人の話は別の機会に聞くから回れ右してほしいんだけど、少なくとも収入知名度の点でほとんどのはてなーよりも成功してるでしょ?そのくらいは共通認識にできませんこと?

天才は法に縛られない!お前は凡人だから成功できないだけだ!みたいなウスラトンカチなこと言ってるのがいるが、別に凡人なのは自覚してるからくだらねえ話すんなよ

天才「かつ」法に縛られない人間ばかりが成功してるように見えるからそんな社会ダメじゃね?って話をしてんのよ。なんなら道徳的天才よりも法に縛られないだけの奴のほうが成功してね?俺は道徳的天才成功してほしい

ちなみにビジネスの話ね?個人成功で言うと基準曖昧になるから、みんなが聞いたことがあるような大企業グレーゾーンを通ってきてない企業なんてある?

追記した】

ガーシーが話題になってるし、あとひろゆきとか、例が卑近すぎるなら大きいところではマーク・ザッカーバーグとかイーロン・マスクとか

詐欺的な行為とか違法、脱法的なことで金や注目を集めて事業を拡大していくのが成功のためには必要に思えてならない

企業単位でもソフトバンクなんか違法スレスレっていうかダメじゃね?みたいなこともあるし、飲食チェーンで労働基準法守ってるところなんて皆無だし

ときどき話題になるようなベンチャー貧テックみたいな知的障害ボーダーを狙うオレオレ詐欺みたいの出てくるしメルカリは盗品市だし

大きくなってからようやく色々整備したようなところは実際あるかもしれんけど、拡大時期から律儀にルールを守ってた大企業なんて存在するのかな

ルールを守りましょう、他の人を大事しましょう、って教育しておいて、そうでない人が成功してもてはやされるのはなんだかなあ

2022-07-08

サイゼリヤ番号化問題について

qyosshy 誤注文がなくなって客にも店にもやさしいシステムしか思えん。聞き間違いだの頼んだ頼んでないだのが発生する仕組みを倫理的に正しいと思える感覚理解できん。/ 労働者側の視点が無いんだろうなあって思う。

yP0hKHY1zjyP0hKHY1zj 何十年も前からバーコードという形で生が番号化されているのだが、それを当たり前のように受け入れてきてファミレスの数少ないメニューの3桁の番号化で急に危機感を持つところがかわいい

akutsu-koumiakutsu-koumi 気に入らん人は騒いでおれば良いと思いますよ。でも銀行ATMを導入して倫理が損なわれましたかセルフレジの普及が人の機械化を推進しまたか自分漠然とした抵抗感を尤もらしい言葉に置き換えているだけでは?

slimebethslimebeth この手の人が下らないのは文中の老婆のような上の世代が嫌がってたことはあっさり受け入れてる点だな。文明の利便は享受したい、若い世代感覚は受け入れられない、我々世代情緒けが真っ当!てのは老人の我儘だ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/anatatachi_ohno/status/1544470962011115521



このブクマ連中の言っていることは一応は正しい。しかし、人間機械産業システム論理に組み込まれて、人間が取り替え可能部品のようになっていくことへの抵抗感や違和感は、マルクスウェーバーアーレントフーコー主題でもある。大野さんを老害断罪するのなら、これらの偉大な(とされる)哲学者老害断罪されなければならないだろう。

「新しい便利なモノ」に対して、何も考えずにさっさと適応できてしまう人と、違和感抵抗感を覚えながら少しずつ適応していく人と、どちらが人間としての主体性を持っているかと言えば、やはり後者であろう。前者の人は、今の中国のような独裁権威主義体制にも「便利だからいいじゃん」と、あっさり順応できてしまうに違いない。


ただもともとの最初エピソードサイゼリヤという、主題の大きさに比してあまり卑近な(個人的意見では不適切な)事例だったので、誤解を招きやすい面があったのは確か。また前後文脈大事なので、切り取られるのが宿命Twitterでは、論じるのに最も向かないタイプ議論でもある。GAFAのような事例で、字数を費やして活字で論じるべきだろう。

2022-06-22

anond:20220622172814

そうなんだよね。どっかのタイミングでそういう文化として定着しちゃったんだろうけど、一貫性はないし謎。

卑近な例が思いつかなくて挙げられなかったんだけど、例えば論文誌のPNASを「ピーナス」と読んでひんしゅくを買うみたいなやつ。ピーエヌエーエスでいいだろっていう。

2022-05-27

シン・ウルトラマンは『ベルリン・天使の詩

シンマンさんが「人間を好きになった」ように見えない、という感想を時々見かける。id:whkr さんのブログの、理解できない対象への好奇心、という解釈は納得できる。

自分も鑑賞後に、長澤まさみLOVEみたいな卑近な解りやすさを避けたんだろうな、と思いつつ、自分なりに少し考えた。

https://twitter.com/y_gurizou/status/1528323226899648512

https://twitter.com/y_gurizou/status/1528494336773869568

映画は、シンマンさんの監視員立場を逸脱した罪を贖う物語として再構築されており、勿論、贖罪テーマにした文学映画は多くあるけれど、人間への思い入れによって天使立場を逸脱してしまった、という『ベルリン・天使の詩』が、補助線として近いかな、という感想です。

2022-05-07

anond:20220507223421

卑近な例で言えば男女で公衆トイレ構造は異なるが、そういう直接は作用しないほんの少しの環境の差が心理的性差を生み出している可能性は大いにあると思っている

誰がなんと言おうと男は男として育てられるし女は女として育てられるのは事実なのだから、そういう逃れ得ない環境要因は無視できないはずだ

そういう作用を不十分な現在脳科学だかで「肉体による性差はない」と断言できるだろうか

2022-03-20

どうして弱者男性定義程度でそう揉めるんだろうね。

そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性財産相続権がないわけだから

んで、この社会は「男子優遇社会なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり男子優遇社会」の中で相対的弱者だった。これが前近代封建社会における弱者男性だよ。

上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性人権なんざ薄っぺら封建主義から人道人権重要近代主義に移行する仮定で、女性尊重するに当たっての「物語」として男性女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。

でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的ものから仕方ない。

「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐なのだ」みたいな価値観日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画だってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。

しかし、前述したように封建的だった時代から男性女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化要請された。

時代が進み現代になっても、この文化はあちこち根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。

現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会個人主義自由主義の社会だ。

にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性その男性の能力財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから弱者搾取ではないか? これが現代弱者男性でしょ。

別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。

歴史に学べとは言うけれど

歴史に学ぶ、というのはそんな簡単ではないと思う。そもそも現在が本当にその歴史と同じ状況なのか?ということをまず考えなくちゃいけない。

かつてヨーロッパヒトラーズデーテン地方併合を黙認したのも、「歴史に学んだ」(そっちの方がうまく収まると考えた)からであり、結果的にそれは悪手だった(と政治学教科書に書いてあった気もするが詳細はよく覚えとらん)


卑近な例で恐縮だが「歴史に学ぶ」といえるのは、次のようなミクロレベルのものくらいしかないのではないか

例えば、夏目漱石時代は「小説なんて読んだらバカになる」と言われ、彼の小説も蔑まれていたと聞く。

今は「なろう小説」や「異世界転生もの」が盛んにバカにされているけども、それははたして正当な評価なのだろうか?自分人間のよくある「新しいものバカにする」習性にハマっているだけという可能性を考えると、簡単バカにはできないように思える。

2022-03-07

自分の想いを子の名前に託す行為に可哀そうという人は、好きな野球チームやタレントにちなんだ名前をつけられた多くの子供達にも同じ感情を抱いて生きてきたのかな

https://b.hatena.ne.jp/entry/4716189011670940290/comment/n-styles

これ普通そうじゃない…? って思ったんだけど、この書きぶりを見るにそうじゃないのが世の中では普通なのかもしれん。

正確には可哀そうだとは思わない(他人名前に対してそう思うべきではない)が、名前をつける側がそういうことをしてはいけないと思う。だってその人のアイデンティティになるもの卑近実在のものに依ってるのって、それを知ったときに嫌な気分じゃない? 万一それが好きだったらいいけど、明らかに他人の好みを押しつける形でしょう。

これは二分法じゃなく程度の問題で、どこに線を引くかという話でもある。自分名前をつけられる側だったら、すでに実在がない歴史的もの偉人とか)なら許容範囲かなー。死んだじいちゃん名前、とかでもOK。つける側だったらそもそも具体的なものから名前を取らないと思う。

2022-01-31

十二夜空の青を微分せよ街の明りは無視してもよい ある和歌分析

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華

概要構造構成分析結論を述べる。

概要
詠人

川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程ひとつだろう。

歌全体が試験問題体裁をとる。

単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニック掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。

分析

配置

テスト12     

光景 夜空の青   

テスト微分せよ   

光景 街のあかり  

テスト無視してもよい

物理地学問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討する。

内容は上記のとおりテスト光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズム形成している。


リズムベクトル

テスト光景、ふたつの要素は卑近受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有神話的要素がうかぶ

テスト机上教室公共拘束試練事象命令

光 景天空外界自己解放自由心象想像



テスト光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムベクトルは、おとなとこども、他発と自発受動能動服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生生活リズムベクトルのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのもの表徴する。


単語分析

問十二

夜空

微分

明り

無視

良い


各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつ単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。

述部の分析

展開は三部で序破急をとる。

序・問十二

テスト問題からはじまる文章表現そもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。

十二は天文暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。


破・夜空の青を微分せよ

専門術語の唐突な投入は文脈を破砕し衝撃を生む。

この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空打ち上げる。

微分される夜空の青とは何か。

それは学問対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。


急・街の明りは無視してもよい

街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。


結論

この歌はテスト問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟想像記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。

上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春限定叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値限定できるのか。

そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為自己世界のはざまからまれ認識の、つまり哲学科学原初のすがたであり、その姿勢現代短歌流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。

結句を復唱したい。

俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。

時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものから

2021-12-19

anond:20211219222726

あーはいはい

そーゆー卑近ゴシップにアンタす~ぐクラッとイッちゃう性質?(苦笑)

…アソーに騙されたの、まだ治ってないの?

2021-11-28

卑猥」って単語が突然出てきてびっくりしてたら「卑近」だった

俺が悪かった

2021-10-01

忘れたくないことを思い出せる方法発見した

しかしたら大発明では?と思うので書いてみる。

例えば出先で、「しまった、今日録画しようと思ってた深夜ドラマの録画をセットしとくの忘れた!」と思った時。

(卑近な例ですみません。小さく生きている人間なので)

家に帰ってから録画予約すればいいんだけど帰る頃には結局忘れちゃうんだよなー。

リマインダーセットしたりするんだけど、リマインダー見るの忘れちゃうし。

そんな時にこうすると思い出せることに気づいた。

まず、やらなきゃいけないことを、漠然と「忘れないようにしよう」ではなく、具体的に「いつ」「どのような状況で」やるのかを決める。

例えば録画予約だったら「家に帰って手を洗ったら服を着替える前にやろう」みたいな感じ。

次に自分が実際にそうしているところを頭の中に思い描いてみる。

手を洗ってタオルで拭いて、部屋に入って番組表を表示してリモコンを向けている一連の動作

それだけ。

で、案の定家に帰る頃には録画予約のことなんかすっかり忘れてるわけで。

だけど家について手を洗っていると不思議と「そういえば録画予約しなきゃ」と思い出すんだよな。

ポイントは、全く関係ない日常動作と、忘れたくないことを結びつけて記憶しておくことっぽい

なんというか、自分自分ちょっとした催眠術をかけているような感じ。


お試しあれ。

自分以外の人の試してみた感想も聞きたい。

2021-09-20

表現必然性を求めること自体が抑圧でしょ

なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの?

https://anond.hatelabo.jp/20210920015426

思考力の低さを露呈する文章ブコメです。

 

 

1,誰があなたの乳やあなた日常の話を?

私は胸が揺れる表現が苦手です。

自分日常生活にない表現からです。

いきなりですが、アホでは?

 

私も胸が揺れる表現が苦手です。

笑っちゃうから

でも「自分日常生活にない表現から嫌」なんてマヌケ説明しません。

なんであなた日常生活にある表現しかしちゃいけないの?

 

胸が揺れたら不快なのと胸の形をキープする為にブラジャーをつけています

胸は上向きでいてほしいので、ホールド力の高いブラジャーが好きです。

から日常生活動作で揺れる事は殆ど無いです。

から、友人知人の胸が揺れているところは、殆どたことがないです。

でもそれって、私にとっては非日常で、できるだけおっぱいが揺れないように暮らしてるんです。

ご苦労さんです。

でも誰も「あなたあなたの友人知人の胸が揺れている」とは言ってません。

頭か心にご病気があるのでは?

 

でも、公共の場では見たくないな…と思います

性的なパーツのアピール必要な場面は限られていると思うからです。

えっ、これが結論???

ならば、長々と書いてた「私の日常で胸は揺れない」という話と結論が全く関係していません!

  

頭悪いのを治してから発言してください。

バカ文章は読むのがとてもめんどくさい。

ちゃんと読んだけど徒労でした。あなた無礼です。

 

   

2.「性的」とは

でも、公共の場では見たくないな…と思います

性的なパーツのアピール必要な場面は限られていると思うからです。

私は「性的なパーツアピールの取り締まり」に賛成か反対か問われたら反対です。(乳揺れなんか好きじゃないですが)

だって性的」も「アピール」もなんのことだかさっぱりわからないんですもの

そこがきちんと定義されずに無限に広がるポテンシャルを秘めてる限りはその基準とがめだてに反対です。

 

バカはこういうとすぐ「取り締まられるべき基準など自明だ!」などとバカを丸出しにして威張ります

しかタリバンあなた達と同じ正義、「公共の場性的なパーツのアピールは見たくない」を実践した結果

あの国では女性は髪の毛も肌も全て覆ってしか外出できなくなっています

女性の髪の毛は性的だし、それを出して外に歩くことがふしだらなアピールである、それは自明のことだとタリバン戦士は思っています。 

自分お気持ち教義自明と思ってるので議論不可能です。バカって怖いですね。

 

現状ではあなたがたの正義タリバン正義は全く同じです。

あなたがたが「性的」や「アピール」の基準を明確にするまではね。

 

悪意があるというよりは頭が悪くて思考が緩いだけなのでしょうが(最善の相)、

何が「性的」で何が「アピール」なのかよくよく考えて

客観的基準模索して発表してください。

それぐらいの労も厭うならば人の自由欲望制限するなんて言う大それた夢のほうを捨てたらいいんです。

 

みなさんは公共の場股間が強調された表現をみたいですか?

積極的に見たくはないけどバカが取り締まろうとすることには反対です。

股間や乳を擁護するのではなくバカによるタリバン的な暴力性を警戒するということです。

私は股間や乳を見て気分が良くはなりませんが大した悪影響があるとも思えない。

一方でタリバンバカ調子づくことは社会ものすごい悪影響があります

 

 

3,表現必然性を求めること自体がヤバくね?

なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの?

一番カチンとくるのここなんですよね。

「なんで」って質問自体バカの極みでしょ?

そこを本気で問うたら全ての表現なんかする必要なくね?

自分の言ってることの意味を分かってないですよね。バカから

 

あなたも私も乳揺れという表現を好みません。

けど乳を揺らす表現をしたい人がいる。それを見たい人がいる。

必然性ないよね!?」「無いならやめられるよね!?って本気で言ってる?

 

それがどういう帰結になるかわかってるのでしょうか。

あなたが好んで選択するあらゆる漫画映画ドラマMVといったコンテンツちょっとしたデザインあなた自身が発するなんらかの絵や言葉

それ全部突然現れたアホに必然性ないよね!?」「無いならやめられるよね!?って言われても飲まなきゃいけないんですよ。

  

バカ抽象的な話だけで問題点理解できないか卑近な例で説明すると、

学校会社で人の持ち物やら服やら髪やら靴やらにいちいち「学校に持ってくる必然性がない」「会社にその格好でくる必要がない」って取り締まりたがるアホいたでしょ、

あれと同じことをやってるんですよ。

 

必然性があるのかないのか」と言う質問に応じるなら「ない」かもしれない、

「ない」って答えるとそのアホの望むチョイスを押し付けられるわけ。

何このアホアホシステム

 

かに胸を揺らすことの必然性はないです。

胸を揺さないことの必然性と同じぐらいには。

 

必然性ないだろ」が表現をやめさせる理由になると思ってる人は

全く根本的に、完璧に、箸にも棒にも引っ掛からない、超ド級の、馬鹿です。

 

 

4.「異常」とは? 

元増田バカさと関連する形でバカブコメがついてる(トップ人気!)から引用します。

zheyang

戸定梨香の動画、乳が揺れてるのにスカートと腰のリボンが揺れてない。

乳への異常な執着が伺える。その執着を警察動画で見せることが適当なのかっていう話。 倫理

2021/09/20

乳に対する異常な執着が伺えるらしいんですが、  

まずどこからが「異常な」執着なのか、何によって判定するのか教えて欲しいんですよね。

 

揺れたら異常なのか。揺れなくても大きいだけで異常なのか。胸元が開くと異常なのか。肩はいいのか。

客観的ラインとその論理説明できるならよし、そうではなく都度決めてるならそれはただのあなたがたの主観感情であって

そんなものあなたがたの中ですらブレブレに動くし、まして他人が共有できるものではないんですよ。

 

きっとこの人達はこれっぱかしのこと聞かれても答えに窮するんだけど(なんにも考えてないから)

自分の発した言葉意味説明出来ないのは醜態であるという基本的認識がこんにち発言する人全員に欲しい。

 

それで、

そもそもなんでこの人達がこういう微妙かつ自分達での定義すらできない「必然性」や「正常」なんていう弱弱しい論陣で戦おうとしてるかというと

フェミニスト議連がぶち上げた「性犯罪を誘発する」のような規制理由無理筋であることは判断突いちゃってるからなんですよね。

 

フェミニスト議連の主張が間違ってることをこの人達は言外に、無意識に、判断出来ちゃってる。

でもフェミニスト議連方向性である表現規制には乗りたい。

もはや論理合理性関係ない。

正にお気持ち。 

 

 

蛇足

スカートリボンが揺れてないのに乳が揺れてるのは異常だ!」って本当に笑っちゃうというかレベルが低いというか、

世の中には乳に全然興味がなくスカートや髪の毛の揺れこそが少女の可愛さを表現するんだと信じてその描写に打ち込む漫画家とか幾らでも居るし

それは異常な執着ではないんですかね?

https://pbs.twimg.com/media/E1_HNmHUcAQhlbD.jpg

単なる関心の方向性しかないでしょそんなもん。

 

っていったらスカートの皴の繊細な描写も異常として取り締まりだすのかな。

  

ついき

saiusaruzzz 元増田は「女性にとって胸を揺さないことの必然性」を説明していて、だから胸を揺らすことは女性にとって「自己表現とはなりにくいという話では。

から元増田にとって乳を揺らすことが自己表現でないことは元増田自由です。 こんなん何度も言わせないでほしい。

でも元増田以外の人達が乳を揺らす表現選択することはその人達勝手であって、元増田が「私の日常には無い」と宣言すること自体おかしくね?関係ないじゃん。

「私が全女性の代表です」とか「私が女性性を統括管理しております」とかい気持ちが出始めてるならそれは心の病気です。

 

比較として髪の毛を出す人は、根本的に話がズレているような印象

何もズレていません。

乳だけに反応するあなた達の乳児性や視野の狭さ反応パターンの貧しさを言っているんです。

 

「異常な執着」という雑な話に乗るなら私は例えとして出したこ漫画家の方が遥かに繊細で徹底的な執着を持った異常者だと思う。

https://twitter.com/siiteiebahiro/status/1252618446677803008/photo/1 

あの雑でへったくそvtuberの3Dモデルなんかよりこの人のイラスト見てると100倍ゾワゾワする。

 

あなた達は表現に対する見識も洞察力も関心もなく

乳ばっかり見て「揺れた!異常だ!」ってまあほんとに何を狩ってるつもりだか。

 

あなたたちはすごーーーくわかりやすい表層的なシグナルに反応するカエルです。

そんで自分が反応したものに対してカエルの浅はかな考察を加えておせっかいレッテルを貼る。 

 

あなた達が追えてるのは「表現者の異常な執着」なんて上等なものではなく、単に「自分カエル脳の反応パターン」です。

その表現有害であるなんて証明できたこともなく、自分カエル脳が興奮したことを持って「許されるはずがない!」と喚いてるんです。

現代文化に馴染めるポテンシャルがないんですよ、ほんとは。

中世アフガンに生まれてたらフシダラ女狩りや魔女狩り自分の脳の興奮を他人転嫁出来たのにね。

  

Arturo_Ui 長すぎて読む気が失せたんですが、「スカートの皴の繊細な描写」って、「プリーツ」のこと? 

皺くちゃのスカートを繊細に描写されても、「生活が苦しくてアイロン当ててる暇もないんだな」としか思わんですよ。 ところで

2021/09/20

「あれは皴じゃなくてプリーツって言うんだぞ!ボクチャン知ってる!」ですか。

おしえてくれてありがとう!むずかしいこと知っててえらいでちゅねー。

 

私はプリーツの話ではなくスカートの動きで生じる皴の描写話をしています

リーツをコツコツ描くぐらいは並みの漫画家でもやります

例に挙げた人はプリーツの上で重なったり折り畳まれたりするスカートの布地の形を追求して描写してるんです。

この人の理想の「活き活きとした少女」がスカートに皴を作りまくりながら躍動する絵をずーーーっと描いてる人です。

 

ね?具体例を画像で出されてすらどこが凄いのか何に執着してるのか着目する脳機能がないんです。

この程度のお粗末な解像度しかない人達から「胸が揺れた!」みたいな表現狩りが大好きなんですよね。

「肌が見えた!」っていう蛮人となんもかわんねえ。

言葉がわかる振りしたカエルちゃんです。 

 

 

nicoyou “乳を揺らす表現をしたい人がいる。それを見たい人がいる。”うん。それはいいと思う。VTuberで揺れるのもいいと思う。ただ公共の場に持ってきたら見たくない人にまで押し付けることになってない?って話じゃない? 増田

2021/09/20 リンク

からだって乳揺れも股間別に見たくねーんだよ。

けど取り締まる気はない。理由は上述の通り。

お前等がそれでも自分基準の取り締まりをやりたいならせめてその「性的」「アピール」の基準ぐらい示したらどうですか?と言ってるの。

ていうかこれ全部本文に書いたよね?

 

toaruR 性的に受け取られることを「期待した」表現かどうかで一線引けますよ(´-`)揺らす性的魅力によって消費されることを期待しているのなら、それは性的表現だという風にね

2021/09/20 リンク

おめーみてーな脳の回転がすごうく悪い人の為にタリバンの例えをしてあげたんですけどね(´-`)

  

タリバンは女が髪や肌を出して歩いてるだけで「男を誘っている」「アピールしている」と判定していきり立ってその女を取り締まるわけです。

一方であなたの様な頭のにぶうい規制派さんでも、日本まれ日本育ちならまあ髪や顔の肌を取り締まりたい感性は持っていませんよね?

 

まりあなたタリバンも「性的アピールは許さん!」という同じ文言正義の信奉者であるにもかかわらず

その具体的な基準全然違うわけです。正義の味方同士ですら基準全然自明でない。

 

性的に受け取られることを「期待した」表現かどうかで一線引けます

どこにどうやって引くんでちゅか?

それが単なるお前の個人的な反応ではないということを誰が証明するんでちゅか?

せめてちゃんと明文化して基準案として出してみたらどうでちゅか?

 

しってた?頭悪くない人間でも自分の考えまとめるために紙に書くんだよ?

君達は頭悪いんだからなおさらちゃん文字で何枚も書いて考えまとめないとダメじゃん。

  

なんだろう、自分卑猥なほどの頭の悪さを自信満々にアピールしてくるのやめてもらっていいですか?

私の個人的感覚では、低品質vtuber動画公共空間流れることなんかより、

こういう気持ち悪いほど頭悪い人間にいっちょ前の発言権与えられてることの方が不道徳なことだと感じるんですよね。

本来お前等のそれ、口からウンコしてるよう変な音の放出は取り締まりたいところです。

お前等が唱えるような、自分感情任せの「自明」のルールでいいならね。

2021-07-23

日本一ソフトウェア絶対に許さない。死んでも許さない。(追記)(再追記

オリジナル日本語版が出て時間が経ってからリリースから流出避けのために資料を絞ってるわけではないだろうになぜこんなに誤訳が多い……

引用はすべてスーパーダンガンロンパ2とdanganronpa2より)

軽微な事柄

「(前略)必要以上に勢い良くボタンを叩いた。」

"(前略)vigorously slammed the button more times than he needed to."

砂漠オアシスのようなさわやかな誤訳しか日本一ソフトウェアが免罪されるわけではない。

良くない

「斬新なローションプレイだね!じゃ、脱いでおいたほうがいいかな?」

"Ooooh, fresh coconut lotion! Would it be better if I take off my clothes first?"

ココナッツの汁をローションとして使うことが斬新だと言ってるのに英語版ではココナッツ汁が新鮮ということになっている。

かに採りたて新鮮だがそういうことを言ってるんじゃない。

*******

「嫌な手だな…」

"I wouldn't want to get punched by those hands..."

彼の言葉は手に対するものに見えるが実質は直前の相手発言への呆れというかツッコミというかだろう。

しか英語版ではその発言同意or黙認していることになり意味が違ってくる。

*******

「ほら、醜い顔だよね… 」

"Look, he has such a horrible expression on his face, don'tcha think...?"

心をぞわぞわさせるどぎつくて悪意あるセリフがごく普通描写になっている。

直訳してくれてればよかったのに。

*******

「チッ、細かいヤローだ…!」

"Tch! Nosy bitch...!"

かいヤロー呼ばわりされているのは彼の会話相手(男)でありbitch(女)ではない。

かに女子話題は出てくるが、このシーンで細かいといえるとしたら男の方である

追記2021/7/24/

  • bitchは男にも使うという指摘がいくつかあるが、

 この二つによりこのbitchはほぼ間違いなく話題に出た女キャラを指すと思われているだろう。

 ちなみにbitchは性的意味を含まないことが多いのは知っている。というかこのゲーム内でのbitchはすべてただのクソ女か意味のない悪態として使われていた。

追記終わり

*******

『けど…全国から優秀な学生だけを集めた学園なんだろ?』

"But...it's an academy that recruits only exceptional students from around the world, right?"

辞書を引かないのだろうか。

全体的に日本語がよくわかっていない訳が多い。

ひどい


「おいっ、何をしているっ!」「やめろっ!!」

"What the hell!? What going on here!?" "Th-This is...!"

有能で状況を正しく把握していた彼だが英語版ではとろい間抜け

********

「なんだよ…オメーもあの窓が気になんのか?」

"What...? Are you still thinkin' about that window?"

なにをどうやったらこんな訳になってしまうのか見当もつかない。

*******

「なんだぁ…使えない…」

"Aww...how useless..."

原文は話し相手無能呼ばわりしているが、英語版ではそれ(物)は壊れているか使用できないという意味のようだ。

意味も印象も全然違う。

*******

「このふとどき者っ!わたくしはそんなに膝の軽い女ではありません!」

"Imbecile! I am not some woman with flexible legs!"

「惜しい!もう少し上です。」

"O-O-Of course you're not! You're much classier than

that."

「けど…速く走れそうだな。」

"With legs like those, I could prolly do the splits real easy."

英語版はflexible legsなるドンピシャ言い回しがありながら活用(ancleでもhipでもいいだろうに)しないでつまらない訳をあてた。

二つ目セリフ発言者の表情も合ってない。

*******

「目覚めたぞ!」

"I have awoken!"

クラスメイト変態化を目撃した驚きが英語版では起床報告になっている。

本筋と関係ないのが救い。

*******

「わからないんだったらいいよ…わからないまま終わればいいよ…」

"It's fine if you don't understand... You can just see the end without knowing."

危うく見逃すところだった。感じたモヤモヤに従って立ち止まってみてよかった。

日本語版では「謎が解けないまま終了」だが英語版では「終了することに気づかない」。

クソひどい

「ボクらは昔から、そういう風に教わってきたはずだよ。」

「直接的に言葉で言われなくたって、ボクらを取り巻く世界を見ればわかるよね。」

テレビネット新聞から垂れ流される“希望溢れるメッセージ”がそう言ってるもん…」

「勝てない人間も…頑張らない人間も…頑張っても勝てない人間も…」

「…等しく無価値クズなんだって。」

"For a long time, humans have been taught that if you try hard enough, you can accomplish anything."

"Even if we weren't told this directly, you'd know it just by looking at the world around us."

"The Internet, TV, and newspapers are overflowing with hopeful messages that say exactly that..."

"But people who can't win...people who don't try to win...people who try their best and still can't win..."

"...They are all worthless trash."

気づいた瞬間血の気が引いた、個人的に最低最悪の誤訳機械翻訳にかけてもこうはならない。

元の文章にありもしない"if you try hard enough, you can accomplish anything"と"But"を入れようとした時点でおかしいと思わなかったのだろうか。

また英語版だと彼は"Internet, TV, and newspapers"に賛同していないことになるが、それなら"hopeful messages"と形容するのは不可解だと気づいてくれよ。

たとえ皮肉反語でもそれは言わないだろう。

訳者は単純に読み違えたのか勝手自分主義主張を入れ込んだのか。

個人的には中間をとって、先入観に惑わされて誤読したのだろうと思っている。

かに英語版敵役とかちょっと厨二かひねくれもの主人公とかライバルが言いそうな、または苦い現実を地道に描くような物語によく出てきそうな言葉だ。

でも彼はそうじゃない。

彼を、ちょっと幼げで熱情的で小物っぽい狂信者を表したセリフをよくもこんな訳にしてくれたものだ。

*******

「たとえば、夜の社交場で朝まで青春謳歌した帰りに、

通勤学者と逆に歩く自分に酔うような気分っす!」

"It's like the smug feeling you get when you explain something

with an elaborate metaphor no one understands!"

これで済むならこの世に警察翻訳家はいらない。

同時通訳者の逸話で、どこかに招かれてスピーチした人が日本語に訳しにくいジョークを言ったとき

「この方は面白いジョークを言いました。みなさん笑ってください」と言って

その場を丸く収めたという話を思い出すが、ゲーム訳者は客に笑えと頼む仕事ではない。

かに英語版もどことな彼女がいいそうなセリフだが日本一ソフトウェアの罪が軽くなるわけではない。

 ******

「オメーがオレを殴んだよ。」

"You're going to punch yourself."

だってお前…いつも俺を信じてなかったろ?」

"I mean...you always believed in me, didn't you?"

良いシーンで誤訳。二つも誤訳。どうしてそうなるのか意味不明すぎて恐怖すら感じる誤訳

おまけ

詳細は伏せるが日本語版ではあるキャラの口調が一時変わる。それはいいけど英語版微妙追従してるのが困る。

英語に口調の違いなどほとんどないのに無駄に一部だけ変更してるから違和感しかない。誤字脱字だと思った人が多いだろうなあ、あれ。

ささいなことだとは思ったがここはあえて日本語版に背きその変更は削っていつもと同じ口調にしてもらった。

*******

「そうか? 栄養ドリンクに見えなくもないけど…」

"Really? It looks like some kind of dietary supplement to me...Protein powder, maybe...?"

ぷっwwぷろていんwww

リアルで吹いた訳。その人がプロテインなんて持ってると思ったか

ここで出てくるのは茶色で小さめの瓶。彼にはオロナミンcデカビタのようなものに見えたのだろう。

しかし他の人に尋ねたところ、海外にはそのような容器に入ったエナドリはないらしいかプロテインにされてても仕方がない。

ちなみにこの訳の違いによる実害はない。

*******

田中セリフはなぜか軒並み高品質だった。ソニアほとんどのネタ再現されていないのと鮮やかなコントラストを成していた。

*******

左右田の口癖は「メンドクセー」というものだが、残念なことに英語版ではこれが毎回違う単語で訳されており口癖になっていない。

彼が手間や時間がかかる作業についてそう表現したことは一度(あいまいなのを含めれば二度)しかない。

あとは全て、怖い・不安という気持ちときにのみメンドクセーと言っている。

臆病だったり地味に泥臭くこつこつ努力したりする左右田が恐怖を面倒という言葉に変えることでのんきで軽薄なパリピを装っている描写だと思っている。

これが好きなので英語版でも再現して欲しかった。

ちなみに、一度だけの純粋に手間がかかることをメンドクセーと呼ぶシーンは

みんなの手間を省こうと努力して成功したがそれでも手間が残ってしまったとき

「メンドクセーけどヨロシク(意訳)」だからむしろ上の思いを強化している。

*******

友達と仲間はそこそこ区別して使われているが英語版では全てfriendになっている。

なんとかしようと思ったが仲間をうまく表せる言葉英語にはないようだ。

他の人に聞いたところそこの言語には仲間にあたる言葉があるようで一度は喜んだ……が

実際のところとあるきっかからその言葉は廃れて今ではほぼ皮肉しか使われないと言われ不意に

歴史自分卑近物事に直結した音を聞いた。

最後

  1. これで全部ではない。
  2. 一番許せないのは自分自身だ。絶対に許さない。死んでも許さない。

追記2021/7/24/

 日本語解釈は怪しくても英文破綻なくきれい

 その人はゴッド・オブ・ウォーに戻しておいたそうだ。

  • 例えば通貨として円が出てきたり、もっとマトモなこと言えよの意味で「日本語通じない」などというシーンがある。

 それを英語版では円をそのままドルだったり"you don't speak English"だったりして違和感しかない。

 ありがたいことに他の人はこれもyenに直したり"Don't you understand in human terms?"という意味の訳文にしたりしてくれた。

2021-06-30

anond:20210630182511

そりゃほとんどの人は大した見識なんかなくて自分にとって卑近な例に事寄せて(それがこじつけだとも気づかず)憶測するのが精一杯よ

ある特定テーマについて俯瞰的に考えなおかつ多方面のありうる反論に対して隙を見せないような意見を述べるのは普通人間のなせる業じゃない。

2021-05-31

反出生主義と神とフロイト

まとめ


デカルトから始まる近代的自我

デカルトといえば有名なのが「われ思う故にわれあり(コギト)」。ここから近代的自我が始まった。

あらゆるものを疑ってかかったとしても今思考している自分のこの思考自体存在否定できない。

よって思考している自分存在している。



自我というもの存在確立したデカルト三段論法西洋に影響を与えまくったが、特に注意しなくていけないのは神の存在を使わなくても自我存在規定できるという点だった。

でも実際のところデカルト自体はコギトから神の存在証明を行っている。神の存在証明する時代要請があったのだけれどそれについては後で触れる。

フランス革命と神の死

時代は流れてフランス革命が起こり国民国家誕生する。国民国家誕生すると神が死ぬ

どういうことかというと、それまでの王による国の支配がどういう理屈正当化されてきたのかということを説明する必要がある。

王権神授説」というやつだ。それまでの王族による支配権は神が王に与えた権利だった。

神がこの世界を作って人間も作ったのだから神には人間支配する権利がある。王は神に権利を与えられたので国民支配する権利がある。



中世神学者たちが大真面目に神の存在証明に邁進した理由がこれでわかるが、

彼らは頭の体操をしていたのではなく、国家の礎として必要公共事業として神の存在証明し続ける必要があったのだ。ご苦労さま。

ところが、王が打倒されて国民自分たちの代表によって自分たちを支配する国民国家が生まれると、神は必要なくなる。

これがいわゆるかの有名な「神は死んだである

そして神に変わったもの国民自我と理性のみとなり、国民は唯一絶対ものであるそれらによって自分自身の足のみによって立つことになる。

これにて「近代的自我」いっちょあがりだ。

神と反出生主義になんの関係が?


神が存在すると反出生主義は成り立たない。

なぜなら人間が生まれてくるのは神が「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」といったからだし、日本で言えばイザナキ神が妻ともめて「いとしい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう。」といったためだからだ。

これには同意意志確認も入り込む余地がない。

神様が決めたことだから仕方がないのである

なので神がいる前提だと反出生主義は成り立たない。

フロイトによる無意識発見


更に時代は進みフロイトが登場する。

フロイトといえば精神分析だが、あとで精神分析手法全然間違ってたということがわかったせいで、その功績についても一般的には忘れられている気がする。

フロイトの偉大な功績は2つあって、1つ目は「精神科学まな板の上に載せたこと」それ自体

2つ目は今回話題にしたい「無意識発見」。

フロイト夢分析過程人間が表層意識には浮かんでいない、既に忘却している過去トラウマに影響されて現在の行動を選択していることに気がついた。

患者自身自分理性的に考えて選択した結果だと思っていても実は意識に登ってきていない「無意識」によって人間の行動や症状が変化する。

これはすごい発見だった。それまでは人間の行動は意識、つまり自我コントロールしているとされていたのだから

フロイト無意識の例で言うと、チャップリンの「ライムライト」という映画がある。

あの映画オチヒロインは忘れていた過去トラウマを思い出し、それを乗り越えることで身体的な症状も克服する。

これはフィクションだし、ちょっとフロイト的すぎるので、もっと卑近な例を出すと、

犬が苦手だなあと思っていたら、実は記憶にないくらい小さな頃に犬に噛まれたことがあった、とか

梅干し写真を見たら、「梅干しをこれから食べよう」と意識しなくてもつばが出るとか(パブロフの犬)。

映画映像の途中で肉眼では認識できないように一枚だけコーラ写真を入れておくと映画館でコーラの売上がのびるだとか(サブリミナル効果)。

こういう感じで無意識人間の行動に大きく影響を与えるということは、今では常識にまでなっているけれど、これを言い出した始めの人がフロイトというわけだ。

フロイト原始的欲望とかが無意識の正体だと考えてなんでもそれで説明しようとして失敗したわけだが、(夢分析の本とか何でも性欲で説明しようとしていてやばい)。フロイトの後続の研究者たちは無意識概念さらに発展させていった。

不随意運動からエス

表層意識に上らないのに人間の行動に影響を与えているもの、といえば「不随意運動」だ。

たとえば、眩しい光みたら瞳孔が小さくなるとか、膝を叩いたら足が上がるとかが有名だけどそれだけじゃない。

心臓が動くのを意識して止めたり動かしたりできる人はいいから鼓動も不随意運動には入る。

呼吸も意識すれば止められるけど意識しなくても止まるわけじゃない。意識しているとき随意運動意識していないとき不随意運動といえる。

表層意識には上らないのでこれらも無意識だ。

ところで人間意識は脳の一部である大脳新皮質で起こっている反応であることもわかってくる。

脳のその部分以外で起こっているこのと大半も無意識下で行われている。細胞代謝とか。

さらさらに、全ての行動に当てはまるわけじゃんないみたいだけど、「人間がある行動をとろうと表層意識で考える一瞬前に、既にその行動を取るためのニューロンが発火している」なんて話も出てくる。

さてそうすると、どうなるかというと、人間自分意識自分の体をコントロールしているという考えは実は間違いで、人間活動の大部分は無意識コントロールしていることになる。

意識が肉体(無意識)をコントロールしているという従来の主従の逆転がここで起こっている。

ここまで来ると「無意識」を拡張しすぎて「無意識」ってなにって話になってしまう。細胞代謝のことを「無意識」という言葉でまとめるのは違和感があるから

ここでいいたいのは「表層意識下に上らないすべてのもの」みたいな意味であり、一般的言葉の「無意識」とはちょっと違うものになってしまうので哲学者はこれに「エス」とかい名前をつけた。

なんでコギトが間違ってるのか


意識ではなくエス人間の行動を決めるのである。というか人間が何を考えるのかもエスが決めているといえるのだとするとコギトがおかしなことになってくる。

「われ思う故にわれあり」ではなく、「われ思わされているゆえにエスがある。われはあるかどうかわからない」に修正しなければならない。

反出生主義は全てを理性で説明しようとしすぎる


反出生主義の理屈を雑にまとめると、

「生きるのは苦痛である苦痛でない場合もあるが生んでみないと分からないのでいわばギャンブルである

「生まれる際に両親は子に生まれてもいいかという同意を取っていない」

「よって生むのは無責任であり生むべきではない」

理屈の通った三段論法に見える。

しか人間の9割は無意識下の存在であることを踏まえて見ると、見え方が違ってくる。

第一登場人物である「子」は産まされるという受動的な立場ということになっているが、同意を取るべきタイミングには意識存在しない。つまり無意識である

無意識相手に無理やり生まれることを強制するのかと反出生主義者はいうのだが、これまでの議論無意識エス)こそが人間の大部分であることをこれまで延々と説明してきた。

で、重要なことはその「エス自体は生まれてこようとする方向性を持っている、ということである

今だに現代人は意識がなければ何も決定することはできないと思っているが、むしろ無意識が先にあって意識が後から形付けられたといえる。そして人間の肉体の不随意運動は生き残ろう、という方向で行動を起こす。

精子の蠕動だって不随意運動だし、卵子排出だって不随意運動なのでこれらはエスである

胎児は産道を通るとき自分の体をねじって頭蓋骨を変形させながら外に出てくる。生まれてこようとする意志がそこには感じられるが、もちろん意識自我もない。

だがそれらの反射が自分自身ではない、というのもおかしな話である

それらはエスであり、自分自身である


それらが全て生まれてこようという方向に方向付けられているのに、「本当は生まれてきたくなかった」というのはどういうことなのだろうか。

自意識肥大化


自意識、理性を過大に評価するのが現代人の病巣であってこれは単に、いまだにデカルト呪いがとけていないのだと思う。

「生まれてこないほうがよかった」という人間だって、それはそれで大変な状況なのは間違いないのだけれど、ひざを叩けば足が上がるし、急に熱いものに触れられたら自分を守るために手を引っ込める。

生きたくないとか言うけど呼吸は止められなければ、心臓勝手に動いている。

体中の細胞栄養を取り込んで代謝をせっせと行っている。

どう見ても肉体は生きようとしている。

やっていることと言っていることが違う。

でも不思議なことは何もない。自意識なんて人間のほんの一部でしかいかである

自己境界定義自我から少し広げることをおすすめする


自己定義自我に狭めるべきではない。それは単にその方が精神衛生上いいというだけの話ではなく間違っている。

エス定義自意識に上がらないすべてのものと書いたが、哲学者によるとこれはつまり自我」以外の「世界全て」のことを指すらしい。

流石にそこまで悟ることは難しいが、自己定義自分不随意運動、や無意識の習慣程度にまで広げておけばデカルトの作った罠にはまらないで済む。


哲学やっとこうぜ


若いうちに哲学やっとくといいよ。

2021-05-14

漫画男性向けと女性向けに分かれているのはなぜですか

漫画雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。

それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛イケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。

けれども雑誌文化ということであれば日本近代文学雑誌文化です。同人誌です。

しかラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。

それについて調べてみると文学そもそも女が見るようなもんじゃなかった時代販路なりが成立したんだろうといいます

(漫画手塚リボンの騎士赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画分岐していた。 )

しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。

ㅤㅤ

しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画音楽小説と似た事情だと思います

映画音楽を男や女しかしまなかった時期があったとは考えにくいですね。

映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています

(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)

音楽にしてもそう。伝統音楽典型的でしょう。ケルト音楽ケチャ中国音楽を男女の一方しかしまなかったということがあったでしょうか。

(まあ中国音楽ドラマで悪の皇帝宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)

他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなもの部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。

現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。

ちなみにゲーム場合ハクティビズムが源流にあってこれはギーク趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います

ㅤㅤㅤㅤ

映画音楽場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います

けれども娯楽本位だから、チープな文化から男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。

映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛主題としてきた多くの映画別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたか作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別凌駕したのでしょうか。

そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います

映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます

ㅤㅤㅤㅤ

音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノ即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画漫画との違いはありません。

ㅤㅤㅤㅤ

媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。

その意味では音楽を除き映画漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます

また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在美術に男女差が見られない理由過去販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。

映画は実写。小説デフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。

また小説との比較では、小説は文が主体漫画は絵が主体という違いがあります

これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。

しか問題主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います

ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。

漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題しかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。

ㅤㅤㅤㅤ

蛇足

ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。

もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います

しかしたとえばNHKゴールデンタイムバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテン日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。

それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。

名前雑学とか医学知識かいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。

人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難ルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。

男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。

しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれしまうと思います

逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサー適当バラエティタレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的番組が生まれるのだと思います

2021-03-15

anond:20210314235710

アニメ業界作画マン物語らせん駄作になるって法則あるじゃん

たまたま取り巻きが優秀で若いうちに金ヅルも見つかっただけで、取り巻きを巻き込んで思春期から連なるルサンチマン的な感情作画に乗せて旧劇作れただけで、

ストーリーテラーとしては宮崎富野に遠く及ばない空っぽの人なんじゃないかだんだん思うようになってきたよ。その証拠に本人が充足されて会社経営なんて卑近活動を続けて結果このザマだしな。

1世代下だけど谷口とか水島のほうがよっぽど物語を作ることに真剣だと思うよ

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

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倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-02-14

anond:20210214120826

お疲れ。ゴールは明確に見えているのになかなか距離が縮まらない感じなのかな?焦る気持ちが出るよな。

集中力には睡眠栄養運動大事らしいよ。頑張りすぎることでどこかバランスが崩れると、逆に悪影響が出るかもしれない。

社会への帰属はかなり欲求の段階としては高度、本能から遠いとも言えるからもっと卑近な喜びを認めてモチベに変えてみたらどうだろうか。

終わったらゆっくり遊べるぜ、とか、うまいものいっぱい食べてやるぜ、とか、バイトして金貯めて旅行行くぜ、とか。

生活の中から社会コミットするヒントが見つかるケースもあるみたいよ。

2021-01-25

次の時代西欧パブリックエネミーは中国日本韓国になるのでは?

中国の人がかかわるオンラインミーティングみたいのに出席したところ、これ見よがしにマスクをせず複数人が同じ場所に在籍していて、中国では COVID-19 を抑え込んでいるというようなことをアピールしているように思われた。実際のところ市中では皆マスクをして生活しているようであり、それは「そのように言われてやっているパフォーマンス」に過ぎないのだろうが、とにかく「そういうパフォーマンスをしたほうがいい」と思っている人が多くいるのはわかる。

翻って日本のことを考えたときに「ワクチンなり封じ込めなりでCOVID-19を消滅させればあとは元通りの生活をするだけ」という考えはほぼコンセンサスなのではないかと思う。結局、「コロナ以前」へどこかで戻ろう、戻るべきと考えているのは、中国と同じだ。

一方で、ヨーロッパアメリカでは「元通り」という気分にはなれないほど人が死にまくっている。多くの人が心に傷を負い、新型コロナ自体の影響力が小さくなったとしても、恒久的な変化を人心と社会は受けている。感染状況があまりに軽微であるため、おそらく、中国人、日本人、韓国人はその変化を理解しないだろう。もっと卑近な言い方をすれば欧米空気を読まずに無神経な行動を取りまくるのではなかろうか。その結果、欧米の人々や社会極東アジアにたいして反発するが、我々はおそらくそれを「差別」としてしか受け取らないのではないだろうか(実際そこには強烈な差別の要素も含まれるだろうから)。

第一次世界大戦によるヨーロッパ空気の変化」を読めなかった日本ナチスに並ぶ第二次世界大戦パブリックエネミーになったことが繰り返される可能性はそれなりにあるんじゃなかかろうか。

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