「幸運」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 幸運とは

2023-05-22

anond:20230522063812

あら、童貞の殿方ですわね。わたくしと関係を持った殿方を幸運だと思っていただけるなんて光栄ですわ。でも、そんな大切なものをわたくし相手に捨ててしまっていいのかしら?

はてのちゃんブコメしてもらったことがない

俺もそろそろ童貞捨てたいッス。

ぜったい気持ちいいだろうなあと思う。

はてのちゃんにしてもらったことのある諸兄は幸運だ。

2023-05-19

anond:20230427085623

私が子供嫌いを克服した方法

まず自分子供が苦手な原因なんだけど

自分は予想外な事、理不尽な事が嫌いというか、苦手なんだよね。

子供特に学齢が下がる程にその発言や行動が理不尽で嫌。これは自分子供の頃からそうで、子供のくせに子供理不尽さが嫌いだったんだよね。

なので、大人になった私は子供理不尽である事を世界認知組込みパターン化して、予想外の不気味な生物という認識更新しようと努めてみたんだ。

具体的には子供に対する知識インストールした。育児書や児童精神医学に関する本なんかを読んで子供サンプルを集めた。

友人の子供はあまり役に立たなかったな。子供子供が嫌いな大人に決して素を見せたりしないし、慣れない大人笑顔を見せてはくれないし。

絵本は役に立った。あれは子供思考を良くトレースして尚且つ子供の心に寄り添っているいい教材だと思う。

結果論だが子供に好かれる(※)男性結婚したのも役に立ったな。

(※子供が好きなわけではない)

子供の扱いを心得ている人の行動を間近で観察して子供に対する恐怖心を薄める事ができたから。

子供ってちっちゃくて可愛いかもなぁと思える程度に克服できた頃、不妊治療を始めたので時間的にギリだったけど幸運にも何とか子供を産む事ができた。

自分の子供ができて驚いたのは、他所の子供と違って我が子が何を考えているのか本当に理解やすかった事。

共に過ごす時間が多かったおかげか、語彙も逐一アップデートできるので、彼が何に興味があるか何を伝えようとしているのかすんなり理解できた。何をすれば怒るのか、何をすれば喜ぶのか、こちらに返してくれる反応の全てが想定内安心して愛することができた。いや、想定外出来事さえ、コレは子供に良くある理不尽パターン、ととらえる事で落ち着いて対処できた。

自分の子供は格別にかわいいと思えると、ヨソのご家庭の子供も可愛く思えて来るのが不思議毎日子供の泣き声を聞く事で脳の一部が書き換えられたのか、泣き声は環境音のひとつになり街中で子供が泣いていても全く気にならなくなった。絶叫して要求を通そうとする声もかわいい声だなぁと思うまでになっていたよ。ホルモンのせいかな。ホルモンこわ。

自分の子供のパターンを他の子供にも当てはめる事で子供への恐怖心というか苦手を克服したので、ウチの子と全く違うタイプの子供はやっぱり少し怖いけど、子供という概念を愛することは出来るようになったと思う。

これ一通りで10年以上の年月を費やしたけど、面白い経験だったよ。急には人間変われないけど、変われないとは言ってない。私の経験時間かけてかいたので参考になったらいいけど。

2023-05-17

子育て難しく考えすぎ」男って普段はてなー価値観でいったら唾棄すべきクソ夫のはずじゃね?

高卒20歳家族3人を支えるって命を削る勢いで働いたのかと思いきや

俺は社長に訳を話して残業をさせてもらったり早く帰れるときは夜のバイトをやってたよ

追記によるとこの程度だったらしい。

それでやっていける仕事に就けてるだけでとてつもない幸運だっていうのは置いておいて

それならある程度育児をする余裕もあるだろうに育児に関する言及ゼロ

嫁と役割分担を話したら「金銭管理も含めて家のことは私に任せて」と頼もしいことを言ってくれた

嫁が切り詰めて頑張ってくれた

嫁が頑張ってくれた

俺はただ何も考えないで働く時間を増やしただけ

夏は扇風機だけだった

冷房すらない部屋で家事育児家計のやりくりは全部18歳で子供を産んだ妻に丸投げ。

日曜日は嫁と子供と一緒に遊んでごろごろして楽しかった

唯一の言及は「日曜日子供ごろごろして楽しかった~」だって

これはてなーが散々叩いてる「仕事を盾に普段家事育児に一切参加せずたまに子供と遊んでるだけ」って奴じゃね?

そんな奴がイクメンぶってピント外れの教育ぶってるって普段はてなーが骨まで燃やす案件では?

「成人して感謝言葉を述べる娘」みたいなくっさいくっさい描写をみて小さな脳がバグっちゃったんだろうけど

まあ俺は100%嘘だと確信してるからどうでもいいんですけどね

2023-05-15

anond:20230424014220

花札面白いんだけど点数システムや決めによってぜんぜん戦略が違ってくる

増田のようなジレンマを楽しめるのは幸運な例

花札大手ニンテンドーあたりが国際ルールを制定するしかないと思う

2023-05-08

ネトウヨ共産趣味にハマったから今ドツボにハマらず生きられてる

俺は中学生の時にネトウヨになりその後間髪入れずに共産趣味にハマったどうしようもない人間だ。

自分でも節操なしだと思うけれど、当時はマジも大マジで思想をころりと変えた。

今思い返すと痛々しすぎて目も当てられないけど、結果的にはあの時「未熟過激思想にハマる」という人生イベントを消化しておいたことで良かったなと感じることもあるので当時を振り返りがてら書いてみたい思う。

ネトウヨになったきっかけは多分インターネット特にようつべYouTubeだ。

YouTubeを見始めたガキがまず通る道であるヒカキンさんの動画を早々に卒業してしまった俺は、ゆっくり実況に手を出した。あの頃YouTubeにはゆっくり解説などなく、ゆっくりといえばゲーム特にマイクラ実況だったもんだ。とはいえ、そこそこ昔の動画サイトには今ほどの動画投稿されていなかったので、めぼしい動画を見つくししまった。そんな手持ち無沙汰になったまま関連動画を漁っているガキの目の前に出てきたのはサムネにでかでかと「自衛隊」の文字が載っている謎のコンテンツネトウヨ動画だった。

当時(今もかもしれないが)のYouTubeにはネトウヨ動画が溢れていた。どれもこれもやれ韓国人バカ中国人は不潔だなどと適当なことを言い散らかし、それに比べて日本人は素晴らしいとおべんちゃらを並べ立てるような内容だったが、当時の中二病入りかけ戦記物大好きクソガキには親和性が高かったらしい。

俺はすぐにネトウヨになった。女騎士よりメンタル耐性が弱かった俺は驚くほどの早さで堕ちた。

韓国中国を心底軽蔑した。自分日本人であるだけで確立されてないアイデンティティの穴は埋められた。

インターネットがこの考えを支えてくれた。ひん曲がった思想はより頑迷になっていった。

どうしようもない人間に成り下がってしまった俺を救い出してくれたのは学校図書館で借りた本だった。日本自分が心の中でさんざんバカにしてた中国韓国に各種産業で後れを取っているということを知った。

もちろん日本世界リードする分野も存在数多く。しかし、当時の俺にとって日本世界で一番ではないこと、全ての分野で近隣諸国を圧倒してるわけではないこと、それを知れただけでネトウヨ脱出するには十分だったんだ。

俺はネトウヨを辞めた。

辞めるきっかけをくれた本には感謝してる。タイトル忘れたけど。

あの本のおかげでとりあえず真人間になれた。

でも、俺が共産趣味にハマるきっかけになったのもまた本だったんだ。

こっちのタイトルは忘れもしない。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』だ。

俺は元々読書が好きな生徒だった。通学に使う電車で本を読むのが日常だった。

中三になっても読書癖は失っておらず、痛々しさも失っていなかった。何を思ったのか俺は共産主義に興味を持った。

別に特定思想に興味を持つことは悪くないと思う。でも、当時の俺は若く愚かだった。何故か『共産党宣言から読み始めた。

資本論』はちょっと太くて読みたくなかったんだと思う。そういうマセガキなので、『共産党宣言』を読むだけでマルクス思想理解した気になっていた。

共産趣味者の完成である

俺は革命を目指した。目指したからと言って何か行動を起こすことはなかった。

ニコニコ動画共産MADを見漁るだけだった。中学生も後半になるとニコニコ動画に手を出すのがちょっと乙に感じる年頃だったような気がする。

こっちはネトウヨだった時より多分ずっと痛かった。同時に平沢進にもハマってたかもっとキモかったと思う。

そんな俺を救い出してくれたのは、当時の担任一言だった。

「君、『資本論』は読まないのか?」

自分無知を貫かれた。己の愚かさと向き合わされた。

余りの恥ずかしさから、その日以来共産主義について語るのを止めた。

共産趣味とは一切の縁を絶ち、ニコニコ再生履歴を消去した。

僕はもう一度真人間になれた。

ここからが本題。

僕はこの経験から今生きていく中で大切なことをいくつも学んだと思う。生まれた国、育った場所で人を差別するべきではない。国などの大きなカテゴリに当てはめて目の前の人間評価するべきではない。不用意なことは言わない。もし何か発言するとき論理ソースを用意しておく。

こういう当たり前の考えを手に入れた。

自分が余りに無知だということも知れた。インターネットにはクソが転がっているということも身に染みて分かった。


人生の最序盤でこういう極端な思想を振りかざしておいたおかげで、僕はこれから極右にも極左にも振れることがないだろうというのは結構アドバンテージだと思う。

多分この経験がなければ今頃どっかのカルトに引っかかっていたのではないかと思う。

自分客観視する能力や真偽を確認しようとする意識というのはドツボにハマって初めて手に入れたものなので。

幸運にも人生の序盤でドツボにハマって恥をかけたから、後の人生で何とかなってる。

実際問題、周りを見渡すと今ネトウヨ思想にハマってたりする人間結構いる。

余りにも見てられない場合にはちょっとお小言を漏らしたりしてしまう。

でも聞く耳を持たないのがほとんどだ。ネトウヨ自分で気づく日が来ない限り抜け出せることはきっとないだろう。


もし子供インターネットを与えて変なものに触れないか気をもんでる親御さんがいたら安心してほしい。

子供勝手に染まって勝手に抜け出していく。その時に免疫ができる。その後はもう大丈夫だ。(n = 1)

後々染まる方が面倒くさい、僕の周りにいるそういう人たちのように。歳をとればとるほど抜け出しにくくなるのだから難しい。


僕はもう極端なものに傾倒しないと思うし、そうならないように気を付けている。これが良い事なのか悪い事なのか分からない。

でも、一つだけ言えるのは僕にとってネトウヨ共産趣味にハマった経験はそう悪いものではないってことだ。

2023-05-03

anond:20230503123025

結婚できた増田の妻は「頑固に絶対結婚する!という態度を、少しも微動だにしなかった」わけで、親との調整はしてないよ。

その結果、時とともに受け入れられたのは幸運で、絶縁が続いていた可能性もあった。その覚悟結婚を選んだ。

2023-05-02

フォロワー2桁から始めるド底辺同人活動

当方男性、R18オリジナル活動中。

イラスト垢のTwitter歴はもう10年近くになる。

これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。

ちなみに現在フォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。

これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。

それでも読み進める酔狂紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。

(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)

-----------

これはノートシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感承認欲求と生きがいにまみれた記録である

-----------

かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。

「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場イラストである

絵を描くのは物心いたこから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。

それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!

ということでTwitterイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。

-----------

なんか最初気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。

当時は「ハッシュタグ馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。

そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。

「このままじゃTwitter孤独死する」

当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログであるイイネRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。

そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。

というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。

フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!

-----------

ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの4コマ?みたいなやつとか描いてた。

いっっっっや社畜やりながら本出すの無理ゲーじゃね?????

衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!

そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。

うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。

社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。

一度だけドハマりした作品版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。

というかその直前のコミティア頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である

でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。

無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。

小さいオンリーイベントだったから起きた奇跡だ。

この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。

あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げますあなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)

-----------

こうして3年ほど経った頃……

「伸びねーーーー増えねーーー」

と思っていた。

当然である

絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであん練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である特定性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。

伸びるワケがない。

「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。

無理やぞ???

ここTwitterやぞ?????

たまーにいるけどね、そういう良い意味無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。

けどな、俺ザコキャラから!!!絵上手くないくせに承認欲求人一倍から!!!豆腐メンタル麻婆豆腐から!!!

とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。

けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。

-----------

そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。

俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイインターネットに繋いだら絶対

高額請求が来る」と信じて疑わない母からまれ生粋デジタル音痴であるアナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。

ヨドバシカメラペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。

かといって液タブとかいう神のツール10フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。

かつて「描線デジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。

もともと速記用のペンイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビュー全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味ダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである

これに懲りて俺は素直にデッサン教室に通いだした。

絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。

死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。

ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである

初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。

当然である

周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである

もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。

が、爆睡家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。

そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングコロナ禍が始まった。

実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。

-----------

一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。

ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。

UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。

そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託申請をしてみたことがある。

規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。

問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。

5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。

がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。

-----------

少し距離をおこうと思って活動停止。

……が、余計に病んだ。

しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。

自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。

(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)

ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。

なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイト作ってみたい」とかい思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。

なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。

-----------

進むも地獄、戻るも地獄精神状態半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中とあるバズツイを目にする。

お絵描き民にとってiPadはマジ神」みたいなやつである

さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっち根暗オタク社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。

知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。

お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UI直感的でツールアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。

ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。

フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである

-----------

それが×年前のこと。

ここからオリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。

といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。

フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)

デジタルバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。

やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。

いつでもどこででも描けるiPad社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。

デジタル作画ワンタッチ消しゴムが使えるので描くこと自体ハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法自分なりに学ぼうとした。

だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。

-----------

数ヶ月後、それらの勢いでオリジナル同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後人間にそういう話するか?)。

実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ち申請

が、思ったよりあっさり通った。

同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。

やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロ仕事ぶりに、尊敬畏敬の念しかない。

ついでに大手電子書籍にも登録

みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。

そもそも底辺自分がなぜ身分不相応にも書店委託電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、

「そこでの売上が決して0冊ではない」

という確固たる事実である

作品作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。

コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である

ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。

そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である

しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。

それと俺のエロ本を交換してくれるってコトである

そんな嬉しいことある

紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。

とはいえピコ手ピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?

とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。

-----------

フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。

頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。

1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである

普段活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわフォロワーを増やしていった。

ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まりRTしてもらえることも出てきた。

その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。

まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である

「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。

UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。

-----------

そして20××年末コミケである

コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。

開場して1020分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて

新刊1冊ください」

と言い放った。

新刊1冊ください…

しんかんいっさつください…?

シンカンイッサツクダサイ…!?

げんしけんで見たアレだ!!!(うろ覚え)

それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?

マ?!!?!?!???!!?!?

つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??

シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???

それを俺のところに???こんな弱小サークルが出したエロ本買いに来てくれたの?????

マ?!!?!?!???!!?!??(2回目)

文字数制限引っかかったぽいから続く

anond:20230502230901

2023-04-30

母親知的障害者だった

10歳のときに両親が離婚し、母方に引き取られた。

以来、就職まで、祖父人間のクズを煮詰めたようなDVセクハラジジイ)、祖母、母、きょうだい1人、私の5人で暮らしていた。

私の母親は、昔から「何か他の家のお母さんとは違う」と思っていた。

私が小さい頃、私の素行を注意した老夫婦に「うるせえジジババが」と言い返したり、中学生の時の塾の進路相談祖父クズだが金だけはあって塾に行けたのは幸運だった)を、ろくに話もしないで終えてしま先生を困らせたり、騒がしい近所の家に対し抗議の意として化粧品の瓶を投げ込んだり。

DVを働く祖父に対して「クソジジイ」などと罵り、事態悪化させるのも困りものだった。

一番印象的だったのは、私が高校生の時の出来事

当時はまだガラケーの世で、月額315円の占いサイトとかそういう有料サービスがたくさんあった。母親は知らないうちにそれらに多数登録してしまい、解約方法が分からず月に何万も携帯料金を払い続け、それを家族に隠していた(知的障害があると、問題が生じていても誰かに相談できず放置し続けてしまうことがある)。

携帯料金の明細を見た私はすぐに有料サービスを全部解約させ、二度とこういうことがないようにと、有料サービス誘導画面の説明をした。

「まるで親と子が逆みたいだ」と思った。このあたりからなんとなく「うちの母親には知的な遅れがあるのではないか」と考えるようになった。

また、きょうだいにも、母親より少し重いが軽度の知的障害があった。

しかし、祖父は「障害者一族から出たら終わり」という考えの上、自分大学に進学できなかったコンプレックスもあり、きょうだいは無理やり名前を書けば受かる大学に進学させられた。

必修科目をシステム登録できず留年仕掛けたり、コンビニカラオケバイトも数日で退職勧奨されたり、見ていられない状況だった。

どうにかきょうだい療育を受けさせられないか居住自治体に問い合わせたこともあったが、母親に反対されて断念した。母親は私が通っていた中学特別支援学級にいたダウン症の子を引き合いに出し、「あんなのと一緒にするのか」と宣った。ちなみに、福祉業界の知人いわく、「障害者が他の障害者差別するのはよくあること」らしい。

私の就職が決まり大学4年の終わりになるころ、祖父経済的精神的・身体DVが極まり、家の中はめちゃくちゃだった。

ある日、母親が半ば錯乱状態で「お前らみんな包丁持ってきて殺してやる」と繰り返し叫んでいた。それを聞いた私は「この人はやりかねない」と恐ろしくなり、そこから半年くらい死恐怖症に苦しんだ。このとき出会った禅の思想は今でも心のお守りである

就職後、結婚したことを期に実家とは縁を切った。

祖父に関しては悩みもしなかったが、母親については何年も逡巡した。母親の知能だと、「なぜ子どもから縁を切られ、会えない状況が続いているのか」、一生理解できない可能性があるからだ。

しかし、3年、5年と絶縁している期間が長くなるにつれ、「これが私と母親との適切な距離なんだ」と感じるようになった。今では母親のことは「支援必要他人」として認識している。何かあったら、行政の然るべき部署につなげることはやぶさかではない。

ここまで書いてきて意外かもしれないが、私は知的障害者が育児することについて全く否定しない。

子育てをしてはいけない人間」を指すとき、そうである者と、そうでない者の境はなんだろう?明確な線を引けない限り、それを誰かにあてはめることはしないというのが、私の立場だ。私自身苦労は多かったし、支援が欲しかったとは思うが、母親のことは、今となっては全く恨んでいない。

今後知的障害の子育てについて支援する動きが増えるなら私も応援したい。自分がしてほしかったように。

胃腸について知ってること全部書く

この記事、半分くらいはしっくり来たんだけどブコメ案の定否定的だった

https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/cf8119b2b399388bdd094591eed6a8d4ab23d504

まあそれはいいや

 

胃腸について知ってることをだいたい書きたい

 

病気

胃腸人間の3大不調の中の一つだ、というのは嘘なんだけど

そう言ってもいいくらいに不調の元になっていると思う

胃腸が元気な人はとんでもなく幸運から自覚してほしい

あと胃腸不調トークに混ざってこないでほしい、安易に「病院行きなよ」なんて言わないでほしい、それいちょハラですよ

 

俺はよくいる胃腸不調系男子で、最悪期は朝に水を一滴でも飲んだら1時間後に激痛が走り全部くだすという学生生活をおくっていた

いわゆる過敏性腸症候群IBS)だ

珍しい病気ではないが、そもそもよく分かってない病気である

というか胃腸関係の一部の病気マジでふさけんなというくらい何も分かっていない

 

三大何もわかってないやつ

胃腸系・自律神経系・神経障害

 

特に分かってないのが過敏性腸症候群機能性ディスペプシアだと思うが

これらは「症状はあるが原因が見つからない」タイプで、機能障害とか言われたりする

まり「元からそうだし、治らないし、死なないから帰っていいよ」って医者から言われるやつ

2010年くらいにIBS認知が広がったけど、それより前は本当に「これは病気じゃない」とか言われたし、今でも曖昧な診断・治療しかされない

から治るもんでもないし、研究も進んでないし、効く薬もないし、誤診断も多いから一生病院はしごすることを覚悟しなきゃならない

 

いつも槍玉に挙げられる原因が「ストレス」だが、そんなわけはない

ストレスでも腹痛になるが、ストレスがなくてもなる

ストレスあくまで一つのトリガーしか無いが、医者には「ストレスをなくせ」と言われる

 

そういえば機能性ディスペプシアという診断も3回くらい受けてるんだけど、たぶん誤診だと思う

胆のうに強い医者にかかったらどうやら胆のうが原因くさいという話になって薬が効いたか

胃腸お腹関係セカンドオピニオンじゃ足りない

 

個人

胃腸問題個人差が非常に大きい

上で書いたような病気の有無もそうだし、腸内細菌も違う

腸内細菌という生態系個人差もあるし食生活でも変わるからもう分かりっこない

腸内細菌移植というのも治療法としてあがってるが全然一般化されていない

  

あとは胃の形やら、腸の長さやらでも違うし、民族によっても違う

から下手すると海外胃腸についての研究日本人適用されなかったりする

海苔海藻を消化して栄養にできるのは日本人と一部の民族くらいというのは有名な話

そう考えると「昔の日本人がどうしてたか」は考える材料として有りだと思う

 

1日3食は必要問題

これは研究者間でも答えが出ていない問題

なんだけど、だから個人差が大きいから答えなんて人それぞれなんだよ

 

1日3食が始まったのは江戸時代後期から研究レベルで3色が良いってなったのは1930年代から

んでここ数十年は食育で「朝ごはんを必ず食べろ」とされていたと思う(今はどうなんだろう?)

これが今の大人の1日3食信仰につながってると思う

ていうか3食信仰の人はそこまで学校教育のこと信じてるのか?

給食を残すの絶対NGみたいなのとか、牛乳飲ませるのとか、そりゃ栄養不足だった時代は正解だったかもしれないけど今はどうなん?っていうネタがたくさんあるのに

あいいや

とりあえず日本以外では3食じゃない所も多い

 

おそらく医者は「基本3食、人によってはそれ以外」みたいに言う人が多いと思う

俺も一回「朝は食べないでください」と言われた、別に医者信じてないし今は軽く食べてるけど

 

1日何食がいいか問題は、個人差と、何を目指すかに依存する

例えば3食は、エネルギー栄養摂取効率目的にして言われている

ボディビルダーなんかは、空腹があると筋肉の分解が起こると言われていて、それを防ぐために1日5食みたいな人が多いイメージ(きんにくんが5か6だったはず)

ダイエットする人は、むしろ空腹を作るために1日1食みたいな人も居る

 

あとは空腹時を作る方が胃腸を休ませる効果があるとか

とりあえず言えることは1食の人も5食の人も別に病気にもなってないし不健康にもなってないし

それ言うなら何を食べるかの方が大事だろと思う

 

疲れた、気が向いたら続きかく

お腹が痛い時に考えられる病気

 

便秘個人

 

胃腸はなぜこんなに難しいか

 

2023-04-27

マジでこの手の話題って、知能と所得の断絶しか感じねーのよな

その1:まず第一公園個人の庭ではありません

揚げ足取りでもなんでもなく、公園パブリックスペースであり、プライベートスペースではありません

これは単なる事実です

 

 

その2:合理的理由がある場合パブリックスペースは最も立場が弱い人に寄り添うべきです

下記の教育してる人らは平然と自分が身勝手クズであることを開き直るよな↓↓↓

イジメられる側に何か要因があるにしろそれはイジメていい理由にはならんって話だから

まあでもその要因持ちにかかわらないようにしたりするのをイジメ判定されるとちょっとキツイものがあるわね

自分の子供にはヤバイ奴と付き合うなって強く言ってあるし

https://anond.hatelabo.jp/20230426100802#

 

あなたホームレスしておらず、経済的に自立もしています

そこが、図書館であろうが、公園であろうが、公共交通機(電車バス)であろうが、

あなたは下記の行動が出来ます

 

本を借りて、"自宅"(ホームレスじゃないから自宅がある)や"カフェ"(ホームレスじゃないか収入もある)で本を読む

ホームレスが嫌なら、公園から出て、ホームレスがいない別の公園へ行く、"自宅"で過ごす

ホームレスが嫌なら、電車から降りて別の車両へ移動する、マイカータクシーレンタカーを利用する

 

ちなみにこれ、

どこでもどの時間帯でもベビーカー子ども連れ回したり、
パブリックスペースプライベートスペースのどこでも(電車バスサイゼガストショッピングモールスーパー他)子どもを騒がさせている連中を避けるために、
みんな当たり前にしていることなんですわ

 

もちろん増田納税者のひとりなのだからパブリックスペースの利用方法に関して、どんなご意見・ご要望を持つの自由ではあるのだけど、

自分が何を言っているか理解できるようになった方がいいし、クズ自覚はあった方がいいぞ

 

 

その3:生活能力ない人に個人的な援助してはいけない。それは公的機関お仕事だし思いやりファンドみたいなので手助けした方が良い。

困窮者への支援や金の貸し借りの話は、増田で定期的に出る話題なので省略しますね

お金自己管理出来ない成人の面倒をみるって常人経済力では出来ない

伯母は叔父の面倒みるのに数千万ぶち込んでる

金ないなら面倒を無理してみようとせず行政支援団体に任せた方がいいぞ

フツーに養育手帳貰えるはずだし

https://anond.hatelabo.jp/20211130225853#

 

関連増田:寂しいけど仕方がない。むしろ誰が困っている時に自分が何か手助けする力を持って生まれ幸運感謝しよう

https://anond.hatelabo.jp/20230105131810#

 

関連増田:これ定期的に増田に出る話題。ワイは貸した側だから元増田気持ちわからんでも無いがあげたと思って忘れろとしか言えない

https://anond.hatelabo.jp/20230105130407#

 

 

お分かりになりましたか

anond:20230427130207 anond:20230427200121 anond:20230427091026

2023-04-25

フリーランスは老後の自分からの前借り

最近は流石に数が減ったけど、数年前は若者フリーランスを薦めるのが流行った

特にITエンジニア業界

終身雇用年功序列崩壊した現代社会では会社に飼い殺される生き方フィットしない

フリーランスエンジニアになれば中抜き搾取がなくなって儲かるし、

変化の早い時代では主体的スキルアップできる現場を選べるフリーランスという働き方は大きな武器

こんな調子

20年前と比べて平均所得が100万も下がっている時代

手取り一見大きく増えるフリーランスにはそれなりに魅力的に見える部分があったが

冷静になって考えてみると、純粋所得が増えたのは優秀か幸運な超少数で

ほとんどのフリーランスは単に歳老い未来自分から前借りしているにすぎない

まり会社員が働いて会社折半しつつ納めている厚生年金を払わないで今現在自分の懐に入れているだけ

厚生年金の掛け金も払わないで自分の懐に入れているだけ

雇われサラリーマンなら年老い場合保険として納めているお金を、今の消費に回しているか一見金周りがよく見えるだけというのが本質

生涯所得人生の中で若くて元気なうちに大きく配分して、老後は金周りが悪くなるのも仕方ないというのも一つの生き方から本人がどう生きたいか次第だが

フリーランス所得が高いように見える内訳には老後の稼ぎを前借りしている分が少なからずあるだろう

2023-04-22

anond:20230420221726

他人経営してるところに勝手自分価値観つけてもね

対価を支払うことでその規定範囲内を使わせてもらってるだけだからそういう個人の感想が通せるところを利用させてもらえてるのは幸運だよね

自分あい時間におちつける場所にすこしのお金を落とすお客と

労働者生産者みんなにお給料を払って生活を支えている経営者の収支目標合致していればいいのだけど

自分が落ち着く場所がほしいからほかの客が来ないように工夫をして結局お店がなくなったなんてことになったら本末転倒だよね

2023-04-21

所謂レイプドラッグ男性にとっても怖いという話

パンデミック前に体験したほんのり(と当時は思っていた)怖い話を残しておきたいと思います


当方外資系商社営業部で働いている身なのですが、時折他国の支社に出張する機会があり、初めて上司を伴わずに一人で出張となったのが2018の事でした。行先はタイバンコク


数日間の忙しい仕事や打ち合わせを終え少し気も楽になった私は、一人であったこともあって独身男性好奇心のままに夜の街に繰り出すことにしました。


ここでなぜか日本人特有シャイさを発揮した私は、日本人の溢れる某エリアを避け、バンコク中心部から北東に離れた歓楽街に向かいました(念のためエリアの具体名は避けたいと思います)。有名歓楽街では女性を品定めして「買う」スタイルが主流であるのですが、当時彼女がいた私は海外とはいえそれも気が引け、そのバンコク北東エリアではセクシー女性と一緒に飲んで楽しむというスタイルがメインとネットで見かけたのも私を後押ししました。


22時頃現地に到着すると、そこら中ネオンサインで目がくらむというような感じでもなく、一目見て外国人と見受けられる男性陣もまばらです。予想以上のローカル感に少々面喰らいましたが、それらしきバーにとりあえず飛び込んでみました。


店内は50名程度はくつろげるであろうスペースのバーで、奥のステージでは5,6人のお姉さんがやる気のない感じで体を音楽に合わせて揺らせています

稼ぎ時であろうと思われるのですが、店内には数名の地元客と思われる人たちしかおらず、外国人は私一人でした。今考えると繁盛店でなく、外国人もいない時点で危ない香りがするのですが、興奮と好奇心MAXに達していた私にはそのことは全く気になりませんでした。


空いている席に着くと、小さめのドドリアのような小太りのおばさんがドリンクとフードのメニューを運んできます地元密着型であるためか価格はとてもリーズナブルで、万が一の事を考えてかなりの額を両替してきた私の心配杞憂に終わりました。一通り注文を終えると、ミニドドリアは「ガール?」と言います。どうやら席に女の子を付けたいか、という事のようです。満面の爽やかな(つもりでとても気持ちの悪い)笑みで「プリーズ!」と言うと、ミニドドリアが去って行った後に小柄の可愛い女の子が私のもとにやって来ました。


女の子はとても可愛い!某ダレ〇ガレさんを小柄にしたような彼女は、私のもとに来るなり隣の席ではなく私の太ももの上に座りました。片言の英語コミュニケーションを取りつつ、私の手を彼女の体のあちらこちらに導く彼女に、この時点で私の興奮はマックスです。気持ちが大きくなるうえに彼女におねだりもされ、オーダーも進みますドリンクや追加注文をするたびに席で現金で払うシステムなのですが、現地の通貨になれていない私は正しい紙幣を探すのに苦心し、彼女に助けてもらう始末でした。今考えるとこれがいかに無警戒だったか


さて、そんな形で楽しく30分ほど飲んでいた所なのですが、まだビールカクテルを2杯ほど飲んだだけなのに、急に頭が朦朧としてきました。右手でダレノ〇レさんのお尻を撫でながら、楽しさでIQ2になった頭で必死に考えます。「これはもしや…何か盛られた!?」そうこうしている間にも、ますます頭が働かなくなってきます。横にいる女の子に私を心配する素振りが一切ないのも、ますます私の不安煽りました。


(寝込みに財布の金を根こそぎ取られる…?痴態を撮影されて脅される…?まさか体を切り裂かれて臓器が…)と最悪のシナリオが頭によぎった私は、「今日は帰る」と女の子に告げ、もつれる足で何とか店の出口に向かいました。そばにいる店員は口々に「レストレスト!」と言ってきます。いよいよ危ない感じがしてきました。

ひどい千鳥足で出口までの道のりは永遠にも思えましたが、店のドアを開け、外で目に付いた最初タクシーに飛び乗りました。



その後の一時間ほどの事は全く覚えていません。幸運だったのはタクシー運転手が超が付くほどの聖人だったことです。行先も告げずに気を失った私をとりあえず安全バンコク中心部まで送り届け、そこで車を停めて起こしてくれました。彼の言うところによると、私の後を追って店員タクシーのもとへやって来て、「この外国人は気分が悪いみたいだからうちで介抱する」と車から降ろすようにしきりに促していたようです。そこで車から降ろされ店に帰されていたら、果たして無事に帰国できたか分かりません。


ちなみにその後、混ぜ込まれた薬物の質が悪かったせいか、宿舎のベッドからほぼ動けない状態上下の口からマーライオンに2日間悩まされたのですが、理由理由だけに同僚にも何も話せず、ただの体調不良を決め込んだのでした…


日本でもニュースなどで、女性ターゲットにした「デートレイプドラッグ」が報道されることがありますしか男性でも私のような形でターゲットになることがあるとは想像だにしておりませんでした。

ハルシオンデパスのような即効性のある薬を、しかも店までグルになって仕込まれると、ほぼ対抗策がありません。私のような無鉄砲エロ河童は少ないと思いますが、海外にお出かけの際にはくれぐれもお気を付けください。



※5chにも同様の話を書き込んでいますが、流用ではなく書き込み者と本増田は同一人物です。

お笑い芸人ネタを書く人へ

ネタを書かないほうの人を、一番のアクターだと思ってくれ。

ずっと。一生。

最初はずっと一緒にネタをやってたのに、番組企画とかユニットライブとかで、外部の人の「アクターとしての可能性」に気が付いて、そのまま元の相方との活動が少なるケース。本当しんどい

俺はお前が彼に書く台本と、お前が書く台本を演じる彼が好きなんだよ。

ファンエゴなのはよくわかってるし、のびのびと一番に面白いと思うことを追求している姿を見せてもらえるのはとても幸運だと思う。

ネタを書く人にはなんの罪もない。だからしんどい。

リソースを割く優先順位を決めたとき、一番上に来るのが外部の人と絡むことなんだ。今一番やりたいことそっちなんだ、ふーんという気持ちになる。

ごめんな。いつか帰ってきてくれたらうれしいよ。待ってるからな。

anond:20230421153533

1世紀の大プリニウスは、『博物誌』の中で、カエサル名前の由来をこう記している。

Auspicatius enecta parente gignuntur, sicut Scipio Africanus prior natus primusque Caesarum a caeso matris utero dictus, qua de causa et Caesones appellati.(母の死によって産み落とされるとより幸運である。そのようにして生まれた初代のスキピオアフリカヌスのように、また母の子宮を切ったことによってそう呼ばれた最初カエサルのように。また同じ理由でカエソもそう呼ばれる)

— 大プリニウス、『博物誌』第7巻 9章 47節

カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタに宛てた書簡存在することから、実際にカエサル帝王切開で生まれ可能性は極めて低い。また、カエサル家はカエサルが初代ではない。

7世紀スペインイシドールスによって記された『語源』では、因果関係が逆転して記されている。

カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマ貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた(caeso)胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪(caesarie)を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。

— イシドールス、『語源』第9巻 3章 12

イシドールスによる『語源』は後世に典拠として採用されることが多かったため、caesarという単語は、本来意味と誤りを含んだ由来を併せ持ちながら、16世紀以降成立した帝王切開技術を追うように、ラテン語のsectio caesareaという名称へと結び付いたと考えられる。

このあたりの話じゃないの

anond:20230420141024

学校友達って「ほぼ毎日顔を合わせ同じ空間時間を共有する」という単純接触効果バリバリ環境で、かつ「学校が嫌な雰囲気になるのも困るので、一旦それなりに仲良くなったらそんな揉めないように普通はお互い気を遣う」という補正が働く。だから学校出たら「意外と自分はこいつのこと好きじゃなかった」と気付くのはよくあること。

学生時代友達と同じように付き合い続けられるって事例は、本当にめっちゃめちゃ仲が良くてかつ幸運が味方した場合に限られるぞ。パワーバランスどうこうとかそんな難しい話ではない。

AもBもあなたも実は大してお互いのことを好きじゃなかったんだよ。それだけ。

先輩パパママの皆さまマジで教えて欲しいんだけど客観的には正直可愛くない子供に「自分可愛いか」て聞かれた時どうしてんの?

元増田と絶賛似たような感じの増田父です。

タイトルどおりなんだけどさ、娘は可愛いんだけどさ、俺と妻の顔面的に、正直まあそんなすごい可愛い美人になる未来想像つきにくいのよ。

で、思春期での自己相対化というか、いつか娘から自分は(顔面偏差値的な意味で)可愛いのか?」という質問が出てくることが予想されるわけじゃん。

幸運な偶然でマジで可愛い美人になってたらいいんだけど、多分そうはならんしさ、そこでしょうもない嘘はつきたくないわけよ。

でも娘を傷つけたいわけじゃないんだよ。

そういうわけで意味としては「自分としては大変可愛いと思っているが世間標準的意味ではそこまで可愛いわけではない」という話をせざるを得ないと思うんだよ。

皆さんどんな感じで伝えてた? ホント教えて欲しい。

anond:20230420161744

2023-04-20

転職して2年くらい経った

転職サイトの登録解除をしておらず、未だにオファーがきました!メールが届く

前にうっかりメール開いてしまったときがあったが、その後転職サイトの人が電話をかけてきたらしい(幸運にも留守電だった)

すまん、もう転職してるんや……

それはそうとしてなにもやってなくてもオファー来るの怖いなあって思った

そんなもんかな

2023-04-19

anond:20230417170020

断言できる。それは無い。

なんせテロしかけた所で一般人犠牲にした時点で民意を得られないからだ。

まりテロどころかクーデターレベルまでいかないとテロリストの思想実現にはこぎつけられない。

今回に関してはパイプ爆弾を使っており無差別殺人手前だった。

最前列主婦子供が居たが、たまたま起爆設定を間違えていてあの人達は助かったがそうでなければ死んでいた。

これで民意が得られると思うなら大間違いだ。

今回はたまたま市民犠牲が出なかった幸運からこういう話になっているからして、前提がおかしい。

から無視してやる奴は出るかも知れないが今回のようにテロが発生するにも根底の原因が~みたいな話には絶対にならない。

2023-04-17

セックス依存症だった?

増田アラフォー男性

ふと思いついたので、テキトーに書いていく。

若い女性を期待した方は回れ右してほしい。

数年前に某プロゴルファーの「セックス依存症」の記事を見て、「あ、自分もこれだった」と思った。

本当のところ病名になるほどだったかは分からないが、記録しておく。というか一種ライティングセラピーとして、増田のためにここに記述しておく。

同じような経験をしてる人は、人生破綻する可能性があるので、参考にしてほしい。

特にTwitterマッチングアプリオフパコ自慢をしている人を見ると、「真っ当な生活に戻れるのか?」と心配になる。

~~セックス依存症(?)になったきっか

自分が「セックス依存症(?)」になった原因ははっきりしていて、継続的に2人以上の女性と肉体関係を持ったことだ。

特に道程大学入学して、2〜3ヶ月で肉体関係女性が二人もできたことが大きい。

一人は彼女

もう一人はバイト先の先輩。

詳しい内容はR指定となるため割愛する。

そんな感じで始まった大学生活

そういうサークルに入っていたわけでもなく、相手の入れ替わりはあったが、常に1〜3人程度のパートナーがおり、大学生活中は3日中2日はセックスしてた。

本当に在学中4年間は自己処理しないほどだった。

社会人になってから会社ストレスに潰されそうになりながら、やっぱり常に1〜3人のパートナーを作りセックス三昧だった。

~~症状

こういった環境に長くいると感覚おかしくなり、以下のような症状が出てくる。

まず、常に2人以上パートナーがいると、自己肯定感が強い。

自分に抱かれる女性幸せに決まってるとさえ感じ始める。

自己肯定感が自信につながり、そのためか寄ってくる女性も多くなる。

一人で寝るとき孤独感が半端なくなる。

飲み会に異性がいると、「抱けるかな?」が念頭になる。

というか新しく異性に出会うと「抱けるかな?」と思ってしまう。

パートナーが1人だけだと、「俺は1人にしか相手にされない程度なのか」と自己肯定感が極端に下がる。

3日もセックスしていないと、自己肯定感はどん底状態で、抱ける女性を探し始める。

また、上記のような状態が数年続いた後、急にパートナーが0人になると禁断症状が出てくる挙句女性簡単に抱けると錯覚しており、最悪の状態になる。

以前ニュースで、モテそうな男子大学生が道すがら女性を襲ったという話を見たが、おそらく上記のような状態だったのだろう。

~~セックス依存症(?)からの脱却

この状態から抜け出せたのは、以下のような幸運が重なったためだと思う。

浮気に忍耐強い彼女ができた。

今となっては自分人生を救ってくれた女神

色々あって結婚したが、それによって周囲のパートナーになりえそうな親しい女友達が、蜘蛛の子を散らすように増田と遊ばなくなった。

思えば真っ当な女友達ばかりだったのかも。今でも年賀状程度で交友関係は続いている。

結婚してすぐに子供が産まれ共働き子供の面倒を見ることにより自分時間がなくなった。

結婚〜1人目赤ちゃん時代ははセックス禁断症状が凄く、自己肯定感の低下と欲求不満ストレスが凄かった。

この頃、Twitterライティングセラピーもどきを始めた。

気がついたらに2児の父となり、子供セックスになった。

人生を救ってくれたのは女神自分の子供だった。

~~セックス三昧、経験できて良かった?

快楽に溺れ、禁断症状に苦しみ、平穏生活を得た今感じることは、「経験しないほうがよかったかも」だ。

違法薬物と一緒で、経験した快楽は手放し難いし、今でもその快楽を覚えている。

また、セックスに膨大なエネルギーを注ぎ、それにより失った経験も多いように感じる。

大学社会人彼女がいてもセックスありきの逢瀬で、旅行なんて全然行かなかった。

性欲が高まるとあの頃に戻りたいと思う時もあるが、今の生活を手放したくないという感情が、それを抑える。

経験した快楽と、それによって失ったであろう真っ当な恋愛価値観が「経験しない方がよかったかも」を導き出す。

隣の芝生が青く見えるだけかもしれないが、学生時代プラトニック恋愛をし、浮気をせず、刺激の強すぎるセックスを避けた方が人は幸せなのもと、最近思い始めた。

友人も多く失った。

職場では上記のような経験を隠し、女性とも積極的に喋らないようにした。

最近は久しぶりに喋る女性同僚に対してはどもりがちになり、異性として見られない。

不思議だが、それにより心の平穏が得られているようにも感じる。

2023-04-15

おっぱいでっかくなってみて、貧乳で良かったと思った

ノーブラで365日差し支えない貧乳だったけど、子供産んだら2サイズ上がった(わざわざメジャーで測った)。

当初は「うひょー谷間がある〜ww」とか鏡の前でポージングしてたけどそのうち色々と胸のある人の苦労がわかってきた。

まず胸の下に汗が貯まる。貧乳ワイ、この現象最初理解できず何故不快なのかしばらく分からなかった。胸の下拭くなんて習慣身に付いてないし、母乳パッドが蒸れることも相まってあせもだらけに。

それから走るときマジで邪魔。まじでバインバインってなるんだな。

何と言っても、自分意思関係なく体が変化するのってやっぱりショックを受けるんだなと。自分の体に対してコレジャナイ感を抱いてしまう。

授乳が終われば胸はしぼむので、これが豊胸手術とか不可逆なものじゃなくてよかった。

思春期の頃から家族まな板とか甘食とか毎日のように馬鹿にされ、付き合った人にも「ないよりある方がいいに決まってんだろww」と言われ、最大のコンプレックスだと思っていた貧乳だったが、こんな形で「お試し」をして、元の自分で良かったと思えたのは幸運だった。

贔屓(推し)が元贔屓(元推し)になるまで~好きと義務の間で~

※前書き

贔屓というのは宝塚で言う推しのようなものです。

分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。

◾︎本文

(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)

なぜ贔屓が元贔屓になったのか?

っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?

贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。

最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。

この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。

元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンピークは2番手時代~2作目あたりでした。

元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまりファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。

入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。

ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないか憶測が飛び交ったり。

しかも元贔屓はファンが少なかった!!笑

入出に来るようなファンしかり。

ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います

今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。

日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリー死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。

その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。

2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。

追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンから批判は凄かった。

本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。

発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。

紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。

幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。

披露初日もムラまで行って開演アナウンストップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。

披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。

トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。

この頃の私は純粋ファンだったように思う。

でも思ってみればこの頃から色々とおかしくなっていった。

自分が好きで行っていた入出も途中から自分意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。

観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。

劇場東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。

そして私は上演作品が嫌いだった。

トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。

特に退団公演、観劇していて怒りが沸いた公演は初めてだった。

初日幕間のファン流れる通夜のような雰囲気、みんなが

「これが退団公演か……」

「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」

と思ったに違いない。

ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。

良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。

観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。

やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。

退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため

『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』

と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。

元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。

だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。

「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」

私は勝手に裏切られたような気持ちになってしまった。

そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。

「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。

「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」

トップになって何がしたかったんだろう」

「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」

一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。

しか無駄ファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。

タニマチの事だとか、ファン派閥とか、、、

会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。

宝塚にいるの、辛かったのかな」

「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」

「仮初めでも演じてもいいか舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」

そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。

ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。

何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。

言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。

元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。

2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。

それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手トップ初期の頃とは少し違っていた。

目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。

「私が観たかったのはこんなのじゃない」と思ってしまった。

そう思った時に気づいてしまった。

結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。

退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。

それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。

周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。

あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。

ヨナラショーでもパレードでも泣けなかった。

観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。

結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。

うそれは好きだからファンからというよりもはや意地のようなものだった。

ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。

終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。

退団後しばらくは私はいから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。

パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっとからな気がする。

それとももしかしたら最初からきじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。

でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。

元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。

ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。

退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは

YOUは何しに日本へ?」だった。

ドイツ在住の宝塚ファンに密着したというもの

たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。

私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋ファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。

この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。

その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。

私が今とても贔屓が好きなのは反動もあるのかもしれない。

正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。

だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)

私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。

贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。

今、楽しくてしょうがない。

お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。

感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ

お茶会お話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。

握手をするときは緊張するし、そしてほとんど覚えてない。

文字びっしり便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。

そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。

そうだ、元贔屓を応援していた時だ。

私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ち応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。

そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。

元贔屓は確かに私の贔屓だった。

私は確かにあの人のことが好きだった。

誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。

長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。

「ずっと好きです」

いつまでも応援しています

元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。

それは嘘じゃないと思う。

2023-04-08

ラッキーなことがあったとき、こんなことで幸運使ってもったいね・・・と思うのは素人

パチンコ好きは毎回が抽選だと知ってるからどんなつまらないことでも運を試す

2023-04-07

anond:20230406110512

そのうちナイフ持ちだしそうになるから嫌々従う(という名の避難)をし始めるってワケ

この手合いは犬猫叱るように一発かまされるのが幸運だと思うわ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん