はてなキーワード: フラフラとは
同期と学生時代のことをお互いに振り返ったりしてるんだけど、自分には「自分は勉強ができるタイプの人間だ」と自覚したことがないなと気が付いた
大学に入ってからやっと人並み以上に受験勉強を頑張ってきた人間なんだと意識したぐらいだから
高校受験は落ちて大して賢くもない私立に行ったし、大学受験も1度落ちてる
中学でも高校でも成績はそこまで良くなかった 人から頭いいって思われたことは多分ない
大学入学後に地元の知り合いに驚かれたぐらいだ 勉強頑張ったんだねって
あれよあれよと言う間にそこそこの大学に入って、ついでに大学院まで通うことができて
なんだか不思議な感じだ
中学時代、すごく勉強ができて皆から頭が良いと思われていた同級生は何人もいて
やっぱり皆賢い高校に行ってたんだけど 大学は私立の人が多かった
なんで?俺より賢かったじゃんって
私立でも就職には困らないしまあそんなもんか〜って思ったときもあったけど
受験って本当なんなんだろうな
あいつらが毎日塾に通って遊びの用事も全部断って勉強頑張ってたのは私大に行くためだったのか?
そんなに受験って難しいのか
比較的近年だとテトリスからの落ちもの、カーマック先生のBSPツリーからのスキャンラインによるWolfenstein 3DやDOOM、
BSPから領域分割し、ポータルからのPVSで描画するQuake、今はマシンパワーが向上して力技でもなんとかなってしまってるけど…😟
そもそもPongがあり、ブロック崩しになり、日本側でブロック崩しのブロックがウネウネ左右に動いたり、ボールを砲台から発射した方が面白くね?
みたいな発想からブロック崩しのルールを改造してインベーダーになり、それがゼビウスなどの2Dシューティングゲームというジャンルとして確立する
パックマン、いわゆるドットイーターもそうだし、マッピーもドットイーターであるが、トランポリンによる上下階の移動、ドアで敵のネコをやっつける、
スクロールしないと先が見えないため、横移動がかなり博打要素がある、など単なるドットイーターというのともかなり違う
倉庫番はやはり凄い
プログラミングができる人はすぐ作れると思う
プログラミングができない人も、倉庫番を作れるように挑戦してみると良いと思う
ゲームのルールにしろ、アルゴリズムにしろ、こんなに単純なのになんて効果が凄いんだ、なんでこんなに面白いんだ、という感動を味わってほしい
寧ろ、誰でも到達しうる仕組みでありながら、思いつかなかった、目からうろこ、というアルゴリズムが個人的には素晴らしいと思っている
昔はゲームエンジンがUnityやUnrealみたいに確立したものはなく、自分でゼロから書いたりしていたわけで、
そうなると物理エンジンも書かなければいけないわけだけど、適当でいいかげんな打撃系を書いたりしたものである
今のゲームエンジンではそうないが、いいかげんなので、何かの間違いでキャラクターがぶっ飛んでいったりしてしまうのである
ゲームを面白くするコード、コアの部分というのは、本当に一画面に収まるようなものであった気がする
それこそ、倉庫番なんてそうだろう
考えてみれば、昔は今までになかった新しいジャンルのゲーム、というのが登場する余地があった
もちろん、インベーダーがギャラクシアンやゼビウスになったり、倉庫番がフラッピーになったり、模倣や改良がメインであることは現在も変わらないが、
現在は新しいジャンルのゲーム、新しいルールの発明、ということはほぼ皆無であろう
しかし、テトリスを初めて見たときの衝撃のようなものを、もう一度味わいたいとか、できることなら自分で作ってみたいぐらいの気がする
みんながコピーを作っているのなら、みんなは仕事でゲームを作っているわけだから、お金にならなければならないわけだけど、
趣味で作るなら、尚更、市販されているようなゲームのコピーを作るのはバカげているのではないか
いや、学ぶは真似ぶというのは正しいのだけど、いわゆるインディーズなら、新しいルールを発明したいものである
考えてみれば、マインクラフトも新しいルールを発明したゲームのような気がする
Notchもマインクラフトをどこかの企業に所属して開発したわけではない
彼の経歴は空白が多い気がするし、なんとなく生活保護をもらっていたとか、フラフラしていた時期があるんじゃないかという気がするし、
そういえばハリーポッターの作者の女性も生活保護だった気がするし、
どこか社会をドロップアウトしたアウトローならば、やはり市販されてるゲームのコピーを開発しても駄目だ
地元の祭りに出かけたが、祭り用に設置されたゴミ捨て場に缶詰みかんの缶がやたらと多いのが気になった。
ゴミ捨て場にあった缶はこれなのか、と思う。
今日は9月中旬なのに最高気温35度の快晴で暑かったのでこれを買うことにした。
その時はたしか午後2時頃だったと思う。
「どっ缶冷凍みかん」はシロップ漬けのみかんの缶詰を凍らせただけの代物だ。
凍っていてふたを開けるのに力が必要なのか、冷たくて直接触れることができないのか、店員は軍手を着用して仰々しいペンチで開封していた。
スーパーで120円くらいで売っているような400グラムのみかん缶を凍らせただけで500円だ。
他の屋台の店が鉄板で焼きそばやイカやベビーカステラを焼いて汗を流してあくせくしているのに比べたらずいぶんと楽してるのではないか、と思った。
持ち運ぶ際、スプーンを缶の中に入れようとしたが、内容物がガチガチに凍っていてスプーンが刺さらなかった。
しかも、あまりにも冷たいので、持ち運んでいる最中に左手から右手へ、そしてまた右手から左手へと何回も持ち替えた。
おかげで、熱かった体を冷ますことができてよかったけれども。
そして、気温と体温とで缶詰の周囲が解け始めると、ようやくシロップが飲めるようになった。
とはいえ、最初に溶けるのは水なのであまり甘くはなかったけれども。
すると、缶の中に隙間ができてスプーンを入れる余地ができるので、少しずつ削って食べられるようになったのである。
そのうちに缶の中は氷からシャーベットへと次第に変化していくので、スプーンがジャクジャクと入るようになってどんどんと食べられるようになっていく。
ガチガチのカチワリ氷から、シャリシャリのシャーベットへと変化していくのを楽しみながら味わったのだ。
そのうちに、暑さでフラフラだった体も頭もすっかり冷えてきて、気持ちもシャキッとしてきた。
ああ、うまかった!
ただし、この「どっ缶冷凍みかん」をうまいと思うには、炎天下の屋外であることが条件だろう。
エアコンの効いた屋内でこんなにも冷たくて量の多いものは、とてもじゃないが食べられたものじゃないだろう。
ゆえに、私はこの「どっ缶冷凍みかん」を人生で初めて食べてとても気に入ったけれども、今年はもう「どっ缶冷凍みかん」を食べることができなくて残念だ。
ああ、早くも来年の夏が待ち遠しい。
大学時代、俺の行ってた学部はひとつだけ独立したキャンパスを持っていた もともと別大学だったのが統合されたので、前大学のキャンパスをそのまま使っていた感じだ
キャンパスがある場所はまあ山で、「何もない山奥」というにはそれなりにものがあるんだけど、しかし他の街中にあるキャンパスと比べるとかなり見劣りする立地だった
そこは彩都という街で、彩都はバブル時代にガンガン山を切り拓いて計画都市の高級住宅街をやるぞー!つって途中まで景気良くやってたんだけど、バブル崩壊かなんかで計画がオシャカになってしまって、全てが途中で投げ出された……みたいなストーリーを持っていた これは俺が人から聞いた話を適当に脳内補完したものなので、全然間違っている可能性アリ
背景はとにかく実際のところ、彩都はでかいマンションやいい感じの住宅街がフツっと途切れて途中からただ切り拓かれただけの更地になり、更地の先は切り拓かれてすらいない山となる、という、独特の景観を持っていた
そんでキャンパスのまわり、徒歩でフラッといける圏内に安いチェーン店とかはなく、歓楽街みたいなものも当然なく、交通手段はモノレール(割高)がメインなので行きにくい、というような感じで、とにかく隔絶された雰囲気があった
講義が少ない日にキャンパスのまわりをフラフラ散歩してみたりすると、もう全然人とすれ違わなくて、道は広くて綺麗、マンションはデカい、気軽に入れるウェルカムな雰囲気の店は全然ない、というので、なんつうのかな、知らんけど共産圏みたいというか、そういう独特の孤独感っていうんですかね、ソリチュード、そういうものがあったように思う
あっでも、在学中にでっけえディスカウントスーパーができて、そこはちょっとウェルカム感あったな いや、無かった気もする 売ってるものが全部デカくて、店内通路も妙に広くて、冷房がムチャクチャ効いてて激寒、ずっとオリジナルのコマーシャルソングが流れている、という空間だった
やっぱあの街って"そう"だったわ デカく、孤高 そういう雰囲気があって、それは実のところ好ましかった
そう、好ましかったんですよ
で、それはそれとしてですよ、この前久しぶりに大学の近くに行ってですよ、ちょうど俺が卒業したくらいに移転したという、新しいキャンパスを覗いてみたわけですよ
すげえ立派だったんだよなあ
まず、なにやら大規模な都市計画が動いたってハナシで、中心市街地から伸びていた電車の線を二駅ぶんくらい延伸して、その駅に直結する形でキャンパスが設けられているわけよ
そんでなんか、大学ってだけではなくて市民交流の場も兼ねよう、みたいな構想があったらしくて、図書館なんかが市民図書館と大学図書館を合体させたオシャレな感じの建物になっている
俺たちの時代には図書館には当然なにも入ってなかったし、そもそもキャンパス内にあるのは最低限の機能を備えた学食だけだった(ササミチーズカツはマジで美味かったですけどね)
大衆に迎合したからといって専門性も損なわれていない感じだった 1階は広く読みやすい本が集められてて、3階とか4階に行くと誰が読むねんって感じの本の集合になっていた まったく悪くなかった 自習室とかワーキングスペースみたいなのもあって、全体的にカッコよかった
まあ実際、よく考えると俺たちの時代の図書館にもそういうのはあった気がするんだけど、根本的な機能が同じでも、古く薄暗い場所にあるものと新しく明るい場所にあるものでは、後者の方がイケて見えるわけじゃないですか
そういうことなんですよね
そんでこれはまあ偶然なんだろうけど、キャンパスに隣接するところに酒メインのスーパーとか揚げたて天ぷらのチェーンとかそういうものがある
俺が大学時代、わざわざ地図を見ながらバスに乗って来て、天ぷらを食って酒スーパーを覗いて帰ったあのコースが、キャンパスに隣接している
キャンパスの建物自体もなんかよくわかんねえ網目状の構造物がついてたり、ガラス張りっぽい感じだったりしてカッコいい
直結する駅は地下(?)にあって、そこまで降りるエスカレーターが長くてアイコニックだ 駅構内でキューバサンドを売ってたり、謎のアーティストがジャズみたいなのを演奏していたりもした
俺は彩都が好きだったし、空きコマに巨大ディスカウントスーパーに走って100円のタコ焼きを買って、ボロボロの部室でひとりそれを食うのはかなり良い体験だったと素直に思っている
いっぽうで、あの新しいキャンパスで大学時代を過ごしていたら、俺はもっと文化的な4年間を過ごせていたんじゃないか?という思いも捨てきれない
あのわかりやすくカッコいい図書館にだったらもう少し通ってたかもしれん 天ぷらを常食していたかもしれん スーパー銭湯の常連になってたかもしれん
キャンパスを出て散歩すっぞ!と思って外に出る道を歩いてたら「マムシに注意」って書いてある看板が立ってて心底ビビったり、キャンパスの裏にある山を登ってそこにある公園のトイレに入ったらカマドウマみてえな虫がメチャクチャ死んでたり、ああいう体験も確かに悪くはなかった リトアニア語の集中講義を受けるなら、ああいう孤立した場所で受けるほうがより没入感が出てよかったと思う
悪くはなかった一方で、あと何年か遅く生まれていたら、あるいはもっとアーバンなキャンパスライフを送ることもできていたのかも、と思うと、少し悔しかったりするわけですよ
人生ってそういうもんですよね
やさしいと言われ続ける人生。
昔はこの頃にはお金に困ることも、自分に向き合うことも無いと思っていた。
、、、、
若い頃は就職難民の大卒でバイトでフラフラもしたが、今は程よく裁量性の仕事でサラリーマンをできているし。
なんとか食うには困らないでいられるし
巡り合わせか子供はできなかったけど妻と猫とそこそこな生活をできている。
なにを欲張ることがあるか。
好きでもない仕事を好きな振りして働けばなんとなく日は過ぎるし。
体が弱く潔癖気味で、規律が厳しい妻に合わせて、息を殺しながら暗闇で夕食を食べようとも
虫の居所が悪くてモノの配置のズレ一つで人格否定の罵声が飛んでも謝れば仲直りできるし。
そこそこ熱があるフリして仕事をして、中間管理職として業務委託からの文句と会社の板挟みに対応すればいいし。
世の中仕事がない人も、あってもブラック企業で倒れる寸前の人も、家族がいない人もいるのだ。
振り返ると僕はどこにいるのか。
「二人の女に金玉を片方ずつしゃぶらせて体温の違いを楽しむ」というプレイを前に官能小説で読んだのだが、実際にそんなプレイはあるのだろうか。
玉袋が千畳敷のように広いならともかう、常識的な陰嚢の大きさにおいては、二人の人間が同時にフグリを口に含もうとした場合、それは二人の女が真正面から対峙するような歪な陣を引くしかなかろう。
一人の男に対して直角に真横から二人の女が真正面から向かい合い、それぞれの側から男の太ももにあごを載せることになるだろう。
男がベッドに体を預けるのならば、それは三人の男女によって作り出される等身大の十字架である。
男から見えるのはベッドからはみ出た足をフラフラとさせながら必死に睾丸を口に含む横顔だ。
そんなものを見せられれば、両者のわずかな体温や舌使いの差異よりも、滑稽な二人の雌の姿に対する征服感の方が遥かに勝るのではないだろうか?
実際どうなんだろうか。
あの官能小説を書いた作者は自分の身を持ってその経験をしているのか。
はたまたXVIDEOSかなにかを探せばそういったプレイの動画はいくらでも見つかるのか。
どちらにせよ、二人の女に同時に分け与えるには男一人の巾着袋は狭すぎるように思えてならないのだ。
トラ転をし損ねたことがある。
トラック転生。
現代日本とはかけ離れた世界で目を覚まし、なぜこんな場所に?と最後の記憶を辿る。
蘇る光景は横断歩道のど真ん中、爆走するトラックが目の前に……という奴である。
疲れ切った私が、ぼおっと信号機を見つめ、緑の光に吸い寄せられるようにフラフラと歩き出す。
すると視界の右端が眩く照らされた。
驚く間もなく足を止めれば、目の前をワゴン車が全速力で通り過ぎた。
私は呆然として立ちすくみ、信号機を確認し、直角の位置に停車していた車を「おい、私今信号守ってたよな?」という目で見た。
程なくして歩行者用信号が点滅し始めたので、足早に渡り切り、そのまま振り返らず家路に着いた。
一分にも満たない出来事だった。
だが、この十数秒が私を変えてしまったのだ。
あの時、銀色のワゴン車が目の前を通り過ぎたあの瞬間、私は、確かに落胆した。
「助かった」でも「危ない」でもなく、「あぁ、残念」と、思ってしまった。
それでも明日更新のweb漫画や週末の友人との約束の方が大切だと思っていた。
徒に人生を投げ出すより、自分の意志で積み上げることの方がはるかに好ましいと考えていた。そのはずだった。
だが蓋を開ければどうだ。
今日も食事は美味で、仕事は順調で、来月には旅行が控えている。
それはあの時、私があの一歩をとどまったからに外ならない。
オフィス街で信号待ちをしていると、救急車が右手から来た。信号は青に変わったが、歩道に立つ会社勤めらしい人々は誰も動かないし、私も動かない。対岸にいた一人のサラリーマンが、救急車に気付かず道路に降りようとした。一歩踏み出したところで隣に誰も歩み出してこないことを不思議に思い、左右を見回し、救急車が来ていることをここで初めて認識し、バックステップで歩道に戻った。救急車は速度を緩めながらも止まることなく通過できた。私は(差別的かもしれないが)不注意なのはだいたい女性だと思っていたので、この日男性が不注意をしたことに少し驚いた。
こんなこともあった。車の往来の少ない真っ直ぐな道を、一人の若い女性が横断しようとしている。ところが左手の、いわば対向車線しか確認していない。女性の右手から乗用車が一台、だんだん近づいてきている。あの女性が右に振り向けば、車に気付いて横断しないだろうと思いつつ、心配になって眺めていると、女性はとうとう右を向くことなく横断を開始した。乗用車もまた女性に警戒していたのか徐行しており、横断を始めた女性の手前で停止することで事故は起こらなかった。しかしあれが下手をすると事故に繋がるんだろうなという発見と、その場面を安全に目撃したことについての一種の感慨深さがあった。
こんなこともあった。ある日突如として雪が降り、昼の気温に溶け、夜の気温にまた凍った。一日にして道はスケートリンクのようになり、昼に自転車を使った人は乗って帰れないだろうという状態だった。しかし果敢にも乗る人はいるのである。大学生らしい男性が一人、乗っては転び、乗っては転びしていた。そういうおもちゃのように何度も立ち上がっては滑って転ぶので、傍目にも諦めた方がいいのではないかと思っていたものの、彼は諦めなかった。その横を歩いて通りながら、彼がこちら側に倒れていませんように、と祈った。彼はいつも車道側に倒れ込んでいて、危なっかしいなと思った。
免許を初めて取った時、教室のような部屋に教官らしい人が入ってきて、事故を起こさないようにという話を始めた。そして事故が頻発する状況を教えてくれた。夜間に横断歩道以外のところを渡る高齢の歩行者との接触が最も多いということだった。それを聞いて、どう気を付ければいいのだろうかと疑問に思っていると、教官も特にいい言い回しを思い付かなかったようで、少し口淀んだ後に「とにかく気を付けてください」と締めた。野生動物みたいなものかと思った。
道行く人には様々な事情がある。事情とは糸のようなもので、糸が多いほど人はがんじがらめになり、判断の柔軟性を欠く。歩行者と車、歩行者と自転車、自転車と車、いずれの組み合わせでもがんじがらめ同士が偶然重なり合うと事故になるんだろうと、これらの件から思いを馳せた。交通事故が起きる現場は滑稽なようでいて、本人たちはきっと心から真剣に行き来しているのだと思う。しかし移動に真剣になるということが、既に社会に対して真摯ではない対応であることを常に念じておきたい。
一担当・一係長が背負ってはいけないような案件を次々に背負わされていく。
ある事業における致命的な要素の決定権をごく一部だけ握らされ、その上で上司連中からは「早く何とかしろ」「絶対なんとかしろ」「俺はよく分からんからやり方は任せる」ばかり言われる。
現場の調整先からは「マジで困ってるんですけど?」という電話がしょっちゅう来るし、頼みの綱と思っていた業者からは「いやーこの納期じゃ無理っすねー」という断りがバシバシ入る。
そんな案件を自分の担当分で10個、部下達の分も入れれば20、30と抱えさせられる。
仕込まれた爆弾の数々は予算不足を旗印にトリアージを繰り返されてきた致命傷である。
「予算が足りないなら優先順位をつければいい」というちょっとだけ経営者感覚を齧っただけみたいな発言の元に何度もやってきたコストカットの影響が出ているわけだ。
「5年後に影響が出ますよ」を「じゃあ俺が別の部署に移ったあとに問題になるってことだから俺とは無関係だな」と考えられる奴だけが公務員の世界では出世する。
多分だけど、民間でも同じだとは思う。
民間との違いは民間は自分の会社が潰れないために今その瞬間を死物狂いにならないといけない所があるけど、公務員は潰れることがそもそも出来ないという現実に対して「20年後、30年後も俺達はこの業界でこの仕事をしている」という視点で物を見ないといけないってことだ。
エッセンシャルワークとはそういうものだと思うが、その現実を頑なに受け入れない人間ばかりが上に行き、ソイツラが放りだした責任を結局は現場が取らされる。
どれか一つの案件にだけ注力できるならやり甲斐はあるだろうが、それを10も20も並行してやらされると、結局自分自身もトリアージを繰り返すことぐらいしか出来ない。
ヒト・モノ・カネは当然のように足りず、思いつきでつけ足され続けるセキュリティ制度のせいで業務効率は日々悪化する。
俺も全くそう思う。
就職先に悩んでいる時に町中の公務員スクールにフラフラと吸い寄せられ「公務員っていうのは基本的なことが身についている人ってイメージが強いでしょ?だから転職も有利なんだよ」とスクールの勧誘に騙されたのが良くなかった。
頑張って勉強した果てに通ったんだからと辞めるタイミングを逃し、流石にこのままではまずいと転職活動をするも「うーん。その年齢で経験したことがあるのは公務員だけ?うーん。ビジネス感覚がなさそうー」みたいな感じで次々と面接は落とされて今の仕事を続けている。
ある日職場でバッタリと倒れ込んで精神科の診断書でも貰えば用務員みたいな立場に入り込めるかも知れないが、その立場になったらなったで半端な「俺は公務員様だぜ?偉いぜ?」を令和にもなって引きずっている連中にアゴで使われるのは結局ストレスかも知れない。
俺も人のことは言えないが、公務員連中はマジで他人をアゴで使う。そういう態度での働き方を教育されているから、公務という神聖な業務を効率的に進めるにあたって民草に協力を仰ぎ公権力の力で労働力をほぼ無償で吸い上げることが業務の一環であるかのように考える空気が間違いなくあるし、それを前提として実際そうしないと回らないような業務量を押し付けられている。
公務員はクビにならないから異常者が多いという話があるが、実際私の職場にも私を含めて顔つきから自閉症を感じ取らせるような連中が沢山潜んでいる。
大体5人に1人ぐらいはうっすらと自閉症顔だ。
基礎学力と一般常識を教科書経由でひたすら積み上たテストの点数で半分以上の結果が決まるという世界は、自閉傾向の人間に対して(他の世界での就職活動と比較して)本当に有利だと思うし、実際俺もそのおかげで公務員様になれたのだと思っている。
自閉症スレスレのギリ健が公権力を振るうことを推奨されるような立場につくと、どうしても頭のおかしくなる奴が出てくる。
それは上司連中の中にも混じってきており、一部のキチガイが「こんなのは民間にやらせればいいだろう。契約前に作業をさせたら事前着工?シランガナ」と無茶苦茶な指示書をウォーターフォールの高みから放り投げてきて、「こんなの本当にこのままやったら全員捕まるだろ・・・」という状況に日々追い込まれたりもするわけだ。
俺はもう無理だ。
現場から上がる悲鳴を受け止めるには俺の心臓は小さすぎるし、上から降ってくる狂言をうまく躱すには俺の足腰は貧弱すぎる。
1◯年続けられた生活だから今後も続けられはするのだろうが、それはどこかで「働き方改革の波が来て公務員の職場環境も変わるし、クソみたいな連中は皆クビを切られ、そして日本も失われた時間を取り戻して予算が沢山つく」というありもしない希望にすがっていたからだろう。
もっと言えば「なんかめっちゃ転職しやすい市場になって、公務員しか経験のないアラフォーのおっちゃんでも普通にいい会社に潜り込めるようになる。つーかその状況で公務員の魅力化対策が行われて今の仕事もかなりマシになる」という願望を思い描けていたからだ。
もしかしたら「宝くじがあたって」とか「突然小説の才能に目覚めて」とか「株の配当が」などのよりありもしない空想を信じていたのかも。
いい加減もう無理だ。
現実に追いつかれた。
どのタイミングで人生をやり直せば良いのかと夢を広げるのもいい加減疲れた。
この時代のこの日本にこの自分として生まれ落ちた時点で半分ぐらい負けているわけで、IFストーリーの最適解は「もっと未来の豊かな時代に、優秀な遺伝子をコーデイネートしてもらって、人間なんぞじゃなくてご立派なAI様に育ててもらっていれば」なんだろうと思うわけだ。
疲れた。
上を見るから苦しいんだろう。
下を見なければ。
昨日、配達のオッチャンがこんな暑い中で汗だくになってプンプン酸味のある香りを立てながら荷物を持ってきていたが、アレは大変な仕事だと思う。
荷物はどれもお客様の大切な品であり、中には壊れたら取り返しのつかない特注品もあるだろう。
どこにでもある些細な荷物でも、明日の仕事に使うから今日中に届かないと困ってしまうものもあるだろう。
それを1日に100も200も丁寧に扱うのだ。
マンションごとにシステムの違うオートロックと格闘し、時には自動扉に荷物が挟まれそうになるのを自分の体でブロックし、そうして届けようとしたら留守だったり居留守だったり、そんな仕事をひたすらやって、賃金は最低賃金よりは少しマシなだけ。
きっと彼らの業界も公務員のように残業代がチョロまかされているのだと思う。
予算の関係というより、労働時間の上限と実際に受けている仕事量のアンバランスによって残業時間を誤魔化せとうい指示をきっと彼らも受けている。
公務員のおまけみたいなボーナスさえ羨ましくなるような、それこそ年間で10万×2とかのちょっとしたお小遣い程度で、普段の賃金は残業代や移動時間が誤魔化されて実質の時給は最低賃金未満になっていたら?
最悪だろうな。
ああ最悪すぎる。
そういう人達のことを考える度に、「俺はまだマシなんだ」と希望が湧いてくる。
いざとなったら「あっ・・・メンタルが・・・あっ・・・」と倒れ込んでしまえばいいんだ。
責任なんてのは最終的に上の連中が取ればいいんだ。
人脈を繋ぐためだと毎日飲み歩いてもパンクしない程度の給料をアイツラがもらっている理由は、いざとなったら責任を取って腹を切るためじゃないか。
なんで俺がこんなにも必死になって全部自分の責任であるかのように背負い込まなきゃならんのだ。
そもそもを言えば、国民の側が小さな政府を望んできた結果が現状だろ。
公的な仕事をつくのに一番必要なのは「俺は最底辺よりはマシ」という心意気と「ぶっちゃけ俺が背負う責任ってごく一部だけだろ」という開き直りだ。
それだけはシッカリ身についているし、それしか身についていない。
国民もそれを望んでいる。
「真下が見えるから気づけるって話」どこにそんなことが書いてあるんだ
あと、真下なら自転車でも見えるし、真下なんて見てたら自転車でもLUUPでも危ないわボケが
何かソースあるんですか?
ここまで馬鹿では何を言っても理解できないってことだけがわかった
一人で死ね
左右にふらつくのは重心が固定できているか否かなので、こぐかどうかは関係ない
前輪が何かに躓いただけで人間が前に射出されるシステムなので、受け身は取れない
交通強者側になるので周りからの視認性よりも周りを視認できるかの方が大切
元増田だよ
何か手落ちがあったんじゃないか、と悩んでいたので、みなさんのお言葉が沁みました
どうしても外出自体をキャンセルできない場合も多いので、これまでの対策は続けつつ、できることがあれば、他にも対策はしていきます
病院:倒れた際、駅員さんに救急車を呼んでいただいてたようで、救急病院へ搬送されました
(倒れてしばらくは意識が朦朧としてて、断るとかそういうのもできなかった。一部地域では救急車や救急枠が足らない最中、本当に申し訳なさでいっぱいでした)
なお、送られた病院では点滴の針がうまく入らず、元々採血や点滴が苦手なため、迷走神経反射を起こして悪化しそうなので、断って帰りました。点滴の代わりに家にあるOS1を飲みました。たまたまだけど、あってよかった
予後:24時間くらい、エアコンが効いていないところにいると、急激にぼんやりしてくる、だるさを感じる、フラフラした感じが出る、などありました。24時間たった後はほぼ元通り、後遺症なし
新たな対策:水分を一気飲みしにくいストロー付きタンブラーを導入しつつ、クールネックリング?を買いました。家事で外に出たあと、これで首を冷やし、水分をとることで、これまであまり意識してなかったちょい飲みや、身体のクールダウンをもっと意識してするようにしました
PMS:病院行ってお薬もらってます。偏頭痛の方も頭痛外来で頓服でてます
食事:減ってないです。太らないようにしたい…
筋トレ:始めたばかりで2か月くらい続けている。お腹はへこみはじめた気がする
用事:イメージ的には「家族が病院へ診察を受けに行くので、その付き添い」でしょうか
(細かくは違うけど、そういうイメージの外出でした)
道のり:行き先は電車で片道90分くらい。時間は午後まるまるという感じ
行きは着席できるが、帰りは混み合っていたので、そこの悪条件の影響はあったと思う
誰かの参考になるかもしれないので、ここはどうだったんだろう?みたいなコメントに対する情報を記しておきます
皆さんもどうぞご自愛ください