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はてなキーワード: 能動とは

2021-05-06

anond:20210505194726

外科や器質的疾患、足の骨が折れた男性や、大腸がんになった女性は、「骨折定義は?」「大腸がんになって差別された具体例は?」と聞かれることはまずない。

ここに微妙論理飛躍があるんよ。

まり弱者男性一口に言っても、「病気障害」で受動的に社会性を失った人もいれば、「他人交流する努力を怠った」「劣等感をこじらせ周囲を拒絶した」などで能動的に社会性を失った人もいる。前者は骨折大腸がんに例えられるかもしれないが、後者は違う。後者レッテル貼りしているのも自分自身だ。

そういう多様な弱者を一括にして論じようとするから破綻する。弱者男性差別っていうのは問題矮小化して聞こえはいいが実像のない無為言葉なんだよ。

2021-05-05

anond:20210505161308

動物が嫌いって人間として基本的な部分が欠落してるだろ

人間だって動物だし、人間幼児かに嫌悪感を示しそうで怖い

虐待は論外って言っても普通人間より論外に対する閾値は低そうだし

なによりそれを宣言するというのが怖い。普通嫌いでもそれなりに対応するのにな

宣言するってのは主張だからな、主張するってことは能動的に嫌いってことで

それはつまりもうあと一歩で虐待者という予断を持たれて当然だよな

しか増田利用者とか捕まってないのが不思議なくらいじゃね

2021-05-03

anond:20210503043523

金を払い内容を読み判断なんて時間を要する作業をやる人はいない

そっかなー俺は受動趣味に15000時間能動趣味に4000時間費やしたけど

 

でも確かにVTuberとか鬼滅とかネット時代でも宣伝の力は強いなーって思うね

特に鬼滅

でもAKB王朝の没落をみよ

100回死に続けた電通をみよ

永遠に続く王朝なんて、無い

そんなもの存在しない

止まない雨なんてもの存在しない

他人の事なんか気にせずに、

自分が精いっぱい楽しむ事だけ考えればいいんだ

時間を取り返す為に

2021-05-01

能動的に愛することとしての去るものを追わずをやった

2021-04-28

首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

これも結構前の話になる。

「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。

そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。

内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。

あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。

ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。

当時の俺は大学入学したての、ピカピカの一年生でした。

兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校レベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学

その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。

あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。

オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラシマシです。

しか高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。

職場学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなた引っ越ししまいましょう。(経験則

そんなこんなで深夜までゲームやらアニメうつつを抜かしては、中途半端時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。

気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。

それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元カラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋立ち読みしてたり。

入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。

何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。

大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。

夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。

そんなんで仲の良い友達全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設ビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。

いや、完全に余談でした。すみません

とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。

話を戻します。

俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。

自分ママとパパと話すけど、ふたり全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。

そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。

そんなこんなで気付いたら第一父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。

第二の父親は、俺は子供ながらに「良い人」だと思った。

そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。

一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。

仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。

多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?

中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホント幸せだったと思う。ボンボンボンボンで、当時Xbox360COD4ネット対戦してたの俺だけちゃうレベルで。

母親も、その時が一番楽しかったんじゃないかな?

俺も兄貴母親父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。

で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。

これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います

首の回らないレベル借金も抱えることになったと。

そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから

ベロンベロン状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。

うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。

そんな紆余曲折を経る中で、第二の親父が俺に放った言葉

「お前なんて、オレの本当の子供じゃねえんだからな?」

この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます

しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。

酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。

それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。

そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。

第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。

こっからはもう蛇足なんで、ちょっと飛ばし飛ばし

小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学ダメになったのか、不思議だなぁ。

母子家庭あんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。

大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分自分を戒めたりもして。

そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。

深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親ワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。

で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。

無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります

うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。

思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。

とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります

「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。

ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。

なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。

なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。

そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。

俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます

えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。

正直ワインときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。

「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります

人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。

マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。

未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。

しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。

首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります

未だに後悔しています

あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。

母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。

兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。

でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。

母親自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。

救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。

ある日、大学に行った。四月の上旬。はっきりと覚えてる。

ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。

なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。

ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。

凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。

首にかけているスカーフ素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。

抱き抱えた母親身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。

「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。

そして震える指でスマホをうって、まず兄にコールした。

兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。

しかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。

ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」

と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。

家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。

俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、

待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。

でも本当に現実現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。

ここではどうにもならないから、と救急車に乗り込んだ。

ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。

俺「こんなんなっちゃったな」

兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」

俺「そうだなぁ」

こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています

ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。

確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。

翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまたことを覚えてます

そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます

そしてずっと病院に居るわけにもいかいから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。

三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。

母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます

からない、本当に今でもわかりません。

あのワインの日から自分に何が出来たかをずっと考えています

間違いなくサインとなっていたあの日ちょっとでも行動を起こす勇気自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。

2021-04-27

anond:20210427133717

signifiant は現在分詞なので能動、一方 signifié は過去分詞なので受動。このように文法(というか語の形態)を考えれば一発でわかる。(英語で言えば signifier と signified に相当)

でも、これ、フランス語を全く知らないとわからなくて当然だよね。

2021-04-22

とある精神障害経験して

とある精神障害経験した

現在寛解している

自分他人理解できない辛さを味わった

そして色々なものを失った

今後、家族や友人や同僚が同じような苦しみを味わったらと考えた

能動的にできることはそう多くないだろう(しない方が良い場合もある)

その人の苦しみを正確に理解することはできないであろう

ただ、「その人が苦しんでいる」ということの理解だけは欠かさぬ生きようと思った

支えてくれた家族や友人や同僚にさらなる感謝を込めて

2021-04-15

受動的でも毎日9時10時まで黙々と働ける受動性があるなら需要あるぞ

終業時間だけ能動性出して帰ろうとかしなければ。

anond:20210415154936

能動的かつ社会適合性のある人が求められるんやで。

それがいやだったら能力一発でぶち抜いて黙らせないといけない。

君にはそれができるのかという話。

anond:20210415103732

上昇志向はありませんが、仕事を与えられれば精一杯頑張るし、質問するし、自分が成長できると思っていました。

採用されないということは、そういう適性がないんだと言われてる気がして、自信は前ほどありません。

就活では「リーダー」が人気ですが、リーダーばっかりでも社会が回らないし、私みたいな下につくタイプ人間だって採用してくれてもいいのにな、と思ったりします。

そうなんだよな、何でもかんでも「能動的」、「積極的」が求められてて、「受動的」なところが見られると、撥ねられてしまう。

受動だっていーじゃねーかよ、なー。

そういう人間だって働くチャンスクれよー。


美大でてるって、どんなことやってたのか分からないけど、例えば漆器職人みたいなのはだめなのかな。

職人になろうとすると、少なくても数年は弟子から無理かな。

彼氏のところから離れなきゃならないし、給料なんてほとんど無いだろうし、斜陽産業だしなぁ。

ブラックじゃない会社採用されることをお祈りします。

あんまし根詰めて頑張らない方がいいかもね、精神やられちゃうよ。

2021-04-11

競馬は嫌い、ウマ娘は好きな私が桜花賞の売上増に眉をしかめる理由

本日日本中競馬施行したレース桜花賞において、前年比30%増、182億超もの売上があったそうだ。

巷ではこれを、本年2月リリースされたスマホアプリゲームウマ娘プリティーダービー(以下「ウマ娘」)の人気のおかげだと話題になっている。

ツイッター検索してみると、ウマ娘のおかげで競馬への偏見がなくなった、本物の競馬に興味が出た等の意見が実際に多く見られた。

私もウマ娘プレイしてみたが、よく出来た面白いゲームであり、なおかつプレイすることで自然競馬知識が身に付く作りになっている。

そのため、競馬経験者が興味を持つのも頷ける。

ウマ娘ファンが実際の競馬人口の増加に寄与しているのは間違いないだろう。

しかし、私はこの流れを是としない。

競馬ウマ娘は違う。

ウマ娘は育成を楽しむ「ゲーム」だが、競馬は「賭博なのだ

私は競馬が嫌いだ。

周りと話を合わせるために馬券を買ったこともある。勝敗一喜一憂したこともある。

勝った馬券の馬が最終コーナーを周り先頭を駆けてきた際の興奮や、負けた際の落胆は、他ではそう味わえるものではない。

それが問題なのだ

競馬にはまった人間は興奮を得るために馬券を買う。馬券を通してドーパミンを分泌させている。馬券がなければドーパミンが得られなくなってしまうのだ。

所謂ギャンブル中毒である

さらに言おう。

ウマ娘自分で行動を選択し、ウマ娘を育てていく楽しみがある。

しか競馬にはそれがない。競走馬を育てるのは馬主であり、厩舎関係者であり、それを見る我々は、所詮は外側の人間なのである

ウマ娘の楽しみには能動性があるのに対し、競馬のそれはどこまで言っても受け身なのだ

私には、生産性がなく、ただただ受動的にコンテンツを消費するだけのように感じられてならない。

競馬で勝ち続けることな普通人間にはできるはずもない。

勝ち越したとしても競馬に賭けた時間に見合うものであるといえるのだろうか。

一瞬の快楽を何回も得るために金と時間を浪費し、残るものがあると言えるだろうか。

若者向けCMウマ娘人気で競馬人口を増やそうとする流れがあるが、こんなもの未来ある若者が手を出すべきものではない。

他にやることが何もないような人間けが競馬にはまればいい。

私は過去競馬に手を出し、2か月で数万をスってしまった。

競馬にかけた時間の全てが無駄に感じて仕方がない。2か月と数万で済んで良かったと思うべきであろうか。

ウマ娘についても、ある程度楽しめたのでもうこれ以上はプレイしなくていいかと思っている。

競馬ウマ娘にかける時間があるなら、資格勉強筋トレでもしているほうがマシだろう。

自分自身を育成し、少しでも上のランクに上げるために。

anond:20210411094316

弱者男性が具体案なくわがまま喚いてるだけなのが能動的にカウントされんの?

anond:20210411093904

問題視されないことと問題ではないことは別。

問題視される」という受け身な考えじゃなくて「問題提起する」と能動的な動きにならないのはなんで?

そこは人のせいにはできないよ?

2021-04-10

コミュニケーションは多い方が良い←嘘

コミュニケーションなんぞ少なくてもルールが整備されててスタッフ能動的に動いて判断できるなら問題ない

2021-04-07

猫を鍛える

とあるボカロPが若手の歌い手コラボして作った5年前の良曲スコップしてここ一、二週間ずっと愛聴してるのだが、流れるコメント自分敬遠して一度も能動的に聴こうとしたことのない著名バンドじゃねぇかwというのを二つも見てしまって以来、好奇心が猫を殺さないように、前にもましてそのバンドの曲を検索して聴こうとする気持ちを抑えている。。。

2021-04-06

anond:20210406154303

いいたいことはわかるけどそれは無宗教とかではなくて「無信仰信仰方法自由(とりとめのない・まとまりのない・定型でない)にしてるということではないでしょうか

信仰宗教は違うのかというとそれはもう文字意味も違うので違うのだと思います

どの神様に、と選べる時点で無宗教宗教宗派に属していないといえると感じるのは、選択できる範囲や競合をできる組織体内にあるということでもないし完全に別団体に属したものを選べることを自由(無節操さ)だといえるところからです

宗教に属す宗派に属すということが「その教義の行動規範に則る」べきであるというところからになるでしょう

宗教は人の考えや行動を縛り自由を奪うものなのかといわれたら、言い方次第ではそうだといえるでしょう


自由という範疇についてすこし絞っておくと

自由を奪うことは罪であり悪であり宗教道徳といった観念から排除されるべきものととらえるのは早計でしょう

選択肢として明示し行動として示したものを許諾の例として言葉にしなければ実質制限されていることも自由範疇におさめることができます

どんな宗教悪事自由ではなく制限され道徳権利自由からそれらを排除にむかわせるべきだとしていますが時に悪事とされる善行にあたることもあるでしょう

自己犠牲として自発的に損失を被ることについて、自己犠牲になりたいと思った本人の行動がどこからが本人の意思決定であったか、その根源たるを他の人の意思であるというところまでつきつめると洗脳による自害自損ともいえるでしょう

それがどこまで近い段階であっても言葉にしなければ「美しい自己犠牲」とも言えるわけです

自由で公平で自発的なのか、恣意的他人欲求だったのか、視野自由にできるのならどれも自己責任でありますし、どれも他人所為でもあります

この定義方法を、議論考察研究文化形成生活安全性自発性に任せる部分を安全かつ効率的に使うためには関係者認識共通させる必要があります

その基準定義宗教なわけです

Aの宗教ではこれをしていいが、この場面ではBの協議にしたがう、Cの教徒とおなじ慣習をもちつつ、Dの祝い事に参加する、これが問題なのは主催者の意に沿わない参加者が発生するということです

その土地では年齢や性別に大きく関係する分類や層づくりがあって行動様式がある、それは土地の形状や生産物文化継承方法について試行錯誤の結果できたものだとして、それをどの視野範囲からかわからないけれども否定をする必要性や異なる文化への融合を促進する必要性など、人の欲求という根源以外にないわけです

これをもとに行動を個人が大きく他人を巻き込むと、独占的な判断継承されるべき文化や人々の生活などがその人の基準のみで変化しま

民主主義多数決といった構造で全体的な存続と発展の利をとるために組織されている一つの目標団体が、多目的に他情報積極的に取り込み侵食する必要はないのです

日本は結果として無宗教という無制限で垣根のない侵食を行える体制がありますが、これが陸続きの土地ならば過去大陸を大幅に占領した戦争などに近いことになるのではないかと思います日本島国日本以外にその文化も習慣もひろまることがありませんでした

この自由という行動者にとってだけ都合がよくて状況を受ける側の圧倒的不利さをせき止める防壁として戒律などがあります

培ってきた文化財産、知恵や技が家族一族を存続させるために必要であるのに、ただ血脈のなかでも一人秀でた人がいたので対応できる新技術に乗り換えたとしたら、次の世代一族はそれを継承できるのか、できなかった場合についての対策をしなくてはならないのではないか、その保守性などが宗教という組織体自由制限自由を得るための礎となるわけです

自由自由みたいなことになってしま言葉の使い方が混乱を招くわけですが、選択権を握るためには選択できる手段をもっていなくては「自由選択することすらままならなくなる」のです

両手にあまる自由をふんだんに持ち選んだりえらばなかったりすることができる、という状態自由ともいえますが過剰な供給で十分に生活ができなくなり結果として選択ができなくなる状態においこまれることを自由とまた同じ言葉で表すのは、理解をもとめるためには効率的でもないし意味のないことでしょう

自由という状態を過剰に与えるということは選択しないという自由を与えることにもなってしまう、つまり自由侵害するために自由供給されているともみれます

選択肢を狭くすることで状況を予測やすくする、想定した状況にあわせて対策を行い対処し乗り切る、その中にある判断や行動の種類の多さについて自由という言葉を使うべきなのではないでしょうか


さてお話を戻して宗教というのが行動を縛るということ、それは状況の発生予測を絞ることで行動の選択をしやす解決をしやすい方向へ導くためのルール規則単位である宗教のあるべきところだろうと私は考えます

宗教というならば、複数の神の名の下つまりコードネームのようなもの定義にある行動規範にのっとり判断し行動するという手段複数あるということになるかもしれません

それが戒律を越えなければ可能かもしれませんが、健康文化による財産生産を失う可能性があるものだとすれば到底受け入れられるものではないはずです

日本調理方法さえまちがっていなければ牛でも豚でも鶏でも食べれます これは宗教によるものということでもありますがこれは宗教による教育と統率が必要いからです

気温が50度を超える環境冷蔵庫家屋に扉が密閉できる状態でなく、電気も家庭に全てあるわけではなく、調理方法も保管方法も十分に洗浄された水が供給されていない状態無宗教日本とおなじ文化必要とする人権を唱えたところで、人権を守るためにはその土地戒律をまもったほうがより安全ではあるということがあります

これ豆知識としてこの土地では、という情報が何年間、どの範囲でどこまで残るものでしょうか

それを残すための独立組織宗教団体です

お布施などで共同運営しだれのところに優遇されることな中立でいて安全のためだけに情報継承する立場聖人という代替概念でその尊厳意味づけて形作っているのが宗教です

これを複数またいでいいとこどりをするのが、経済力などで圧倒的に安全性保障を引き受けられる個人団体、または暴力などで制圧した強制力でなければできないでしょう

その場ごとにルールがかわるのであれば、みな知恵などなくその場で判断した欲求をそれぞれに解消していけばよいだけです


日本無宗教なのはほとんどの生活行動範囲安全なため危険回避するための教えが伝承される必要がなくなっているところです

交通安全山登り川遊びで人は死にます これを避けるために必要な教えがあるはずですがこれらの発生原因をほとんど人に置き換えられるのが現状です

まり神様によって救われたり悪魔によって害をなされたりするわけではないので概念ではなく「責任者賠償要求する」という解決方法が人のあつまりにおけるルールになっているのです

責任者不在の害を受けるところには近づかないという行動規範定義づける必要がないため宗教に縛られることがなくなるのです

個人や団体において弱みや充分に練度の高まっていない部分にほかの人が了承を得ながら近づいてきて根こそぎもっていかれる、なんて詐欺犯罪から身を守るための小規模な団体の積み重ねや知恵も裁判で公平に、などと考えているかもしれません

それぞれの個人責任において自由という自分からみて選択肢が複数あること、それが他人からみて自分を奪い取る対象にしている人からもおなじ数があることが公平、といった形でそれらの安全担保しているのが政府国家がいざとなれば自分という個人をまもってくれる、その象徴日本人にさえうまれれば日本人の象徴として存在している天皇自分日本人だとして人権自由国家を通じてまもってもらえるはずだ、と言葉にはしていませんが実質その構造をもっているのが日本人の宗教といえば宗教ではあるでしょう

その宗教に属しているからこそほかの宗教に属さないということはあるかもしれません



男性女性は、と議論をするときにまず男性女性議論であればその人数から層や傾向を定義してその話をするべきでしょう

宗教宗派戒律ルールもそうです

男性100人いればそのうち5人が、女性ならば8人が、という割合や、具体的に割合から引き出された数字で話すときは「でもそうでない人がいるでしょう」とはならないはずなのです

「それ、あなた感想ですよね」ってそれは人が人の口から言っているのでその人の責任における言動あきらかでしょう

その進めたい方向と目的にあわせて議論をすすめていくところに、ルールことな干渉があるとどうなるでしょうか

いまは「そういう例の人」という100人以外でかつ数例、1例ごとに全然ちがう数例をもちだして100人構成比較議論する基準が「人であるから」というのではお話になりません

「それあなた意見ですよね」というのは誰の意見ならば、どの意見ならば、意見とは何人がどこから出せば「その人の意見」ではなくなり、その発信者責任を持つ言動以上に求められる言葉はなんの必要があるのでしょうか

裁判官が有罪と口にしたら「それあなた意見ですよね」と言うのでしょうか そうではないとしたらどの口で言うべきなのでしょうか

裁判官は裁判所のルールにしたがって、国家ルールに従って定義されたその役職で行動をしているわけでその人が構成であるということがそれらの代弁代行に意味なすことができるわけです

一人が自己責任権利において他の人に干渉するのであればそれこそ借り物の権利でほかの人の守られるべきと大きな組織定義している範囲侵害されるべきではないでしょう

これらルールにのっとり、ルール適用範囲ではルールに従った行動をし責任を果たし権利を得るという環境づくりが宗教というくくりであったり団体定義方法なのです


日本では、海外では、といったところで海外でしていることが日本でしていいのか、といった境界安全繁栄目的のために定義する最大が国家であり、そこから法的には自治体単位で、人のより能動的な生産や貢献活動の促進のために定義していない範囲だけれども、できるだけ広い範囲で知見を共有し無駄闘争議論を省き、豊かさへ行動するのに安心できるよう定義するのが宗教で、そこから地方ルールや家ルール個人ごとの約束などがあるわけです。

まり神様を何体コレクションするかということが宗教に属するということではなく、宗教ごとの福音をいくつ得たいかということが宗教に属すということではなく、自分宗教に属することで行動範囲限定利益を最大化するということ、これについて多くの人が専属的に属しているか、もしくはしていないかということにおいて、無宗教という属さない人が比較的多くいるということです

自由時間抑制しより賃金収入を拡大し効率化するためにサラリーマンになったり、収入を最低限にして自由時間を多く得るためにフリーターとなる、それらを選べる自由という選択肢の幅が宗教自由といったところでしょうか

会社につとめながら、フリーター自由さを味わい、フリーター責任の小ささを同じ労働をしている人間なのだからと訴えるのは、その組織に属している他の人が迷惑するということなのでそれを避けるためのルール戒律罰則があるわけです

複数の神を信仰する自由は、個人可能範囲自由謳歌してもらって問題ないのですが、異なるルールをほかの定義からもってくるのを禁止し、その傾向をできるだけ排除することで安定性と安心感、長期にわたる組織体の維持にあてているわけです

いかがだったでしょうか?

日本人が無宗教という表現に、いくつかばかり参考や選択肢の候補になりましたでしょうか?

2021-04-05

雑誌映画秘宝』の記憶(42)

旧体制映画秘宝』と「女性(を含めた他者)との関係構築」の話】

 枕から始めますが、世の中には「勝ち負け」を付けたがり、その基準として「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉を持った異性の人数(の多寡)」を持ち出したがるタイプ男性存在します。

 一つの例を挙げます

 某男性お笑い芸人は、過去に「オレのことを批判したり嫌ったりしている人間よりも、オレの方がいっぱい女たちを抱いとるねん!」という主旨のことを著書に書いていました。つまり、これを言うことによって「オレよりも異性との性交渉経験人数が少ない奴には、オレを批判する資格が無い!」と彼は言いたかったわけです。他にも似たような物言いで「オレを批判する人間は、オレよりも金稼いどるんか?」等も有りましたね。そのように言いながらも、彼とは段違いと言っても過言ではない『才能が有って、しか興行収入の実績も有る映画監督』のことを「この監督は『映画の基本』が分かってませんねえ」と批判していたのだから面白いものです。5本目の映画は撮らないのでしょうか?

 ところで、その某お笑い芸人は、自身が司会を務めていた音楽番組の場で、番組ゲストミュージシャンたちから以下のような暴露トークをされて、全国放送電波で流されました。

 曰く「後輩芸人たちがセッティングした合コンの場で、その某お笑い芸人が『お持ち帰り』の対象として狙いを定めた合コン参加者女性を、後輩芸人たちが複数人で囲んで『✕✕さんに抱かれたいと思ってんのやろ?!』『✕✕さんに抱かれたいて言え!』と囃し立てる」(※飲食店で、その某お笑い芸人合コン現場を目撃したと云う、番組ゲスト男性ミュージシャン)

 曰く「劇場出待ちをする女性ファンたちの間では『中学生ぐらいがストライクゾーン』と云う噂が共有されていたから、自分(=音楽番組ゲスト女性ミュージシャン)も中学生の頃に、その某お笑い芸人からナンパされるのを狙って劇場出待ちに行った」(※番組ゲスト女性ミュージシャン)

 そういえば、その某お笑い芸人番組に度々ゲスト出演していた梅宮辰夫が、若い頃の話として「狙っている女性がいた時は、自分の所有するプレジャーボートに乗るように誘い、逃げられない沖合の海に連れ出してから行為に及んだ」と語っていましたね。梅宮辰夫は「面白おかしい話」として語っていたようですが、私は「身の毛もよだつ、おぞましい話」と思いました。

 こういう「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉の人数(の多寡)」を矢鱈と持ち出したり、面白おかしく語りたがり、自慢したがる人間には、警戒した方が良いと思います。それは兎も角。

 この手の男性は「『経験人数』や『経験場所』や『風俗店遊んだ話』などを自慢したがる一方で『紳士的な方法で異性と距離を縮めていった過程』を話さない/話せない」と云う特徴があります

 彼らが何故それを話さない/話せないのかを考えるに、彼らが「女性と『対等な関係』の下で『一対一で向き合う』ことを怖れている/避けている」もしくは「女性と対等な関係になることは『男としての恥/屈辱である」と云う考えの持ち主であることが理由ではなかろうかと、私は推測しています。おそらく「上下関係」や「力関係」が介在しない場では、彼らは自力女性口説くことも満足にできないのではないでしょうか?相手が「弁えない女性」の場合には特に

 さて、長い枕から本題に移ります

 はてな匿名ダイアリー引用するために『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』その他を読み返し始めたところ、町山智浩らが話す「女性に関する話題」に関する『或ること』に改めて気づきました。

 曰く「ラムちゃんみたいに、奥さんの方から転がり込んで来た」

 曰く「高橋ヨシキが『自分女性パートナーの胸を揉んでいい』と言うから、揉ませてもらってキスもした」 

 曰く「女性から聞かされた話を(聞かされたことも忘れて)、その女性当人に対して上から目線で教えようとした」

 曰く「どこそこの風俗店が云々」

 曰く「誰それのオコボレを目当てに、後から着いて行って云々」etc.

 このように、町山智浩らの周囲から出る「女性に関する話題」には「『対等な関係』として『一対一』で女性と向き合った話」が乏しいことに気づきます。聞かれてもいないのに、わざわざ自分の方から女性に関する話題」を持ち出しているのにも関わらず、明らかに乏しいのです。「奥さんが転がり込んで来た」という話も、要するに「棚ボタ」なのであって、決して「自ら主体的能動的に動いた話」ではないことにも注目して下さい。

 おそらく、町山智浩自身にも「自分たちは『きちんと一対一で対等に女性と向き合った』と云う経験に乏しい」という自覚と、それに伴う「劣等感」が有るのではないでしょうか。そのことが、目下の者や読者に対して頻りに「オレたち『大人の男』ってのはさあ」という『説教』をかまそうとする町山智浩らの動機になったように思えます

 しかし、いくら説教をかまそうとしたところで「経験していないこと」や「体現できていないこと」を語るのは土台不可能なわけですから、いずれどこかで無理が生じます

 一時期の町山智浩は、頻りに「恋愛論」を語っていました。あれだけ『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』等で自ら何度も「若い頃はモテなかった!モテなかった!」と書いていたのに「今さら正気か?」と私は感じたものです。それでも町山智浩は、自分に都合が良いように捏造/美化した記憶を語って流布させることで「過去を上書き改変すること」が出来ると考えていたのでしょう。

 しかし、某地方映画関係者などから情報漏れ出した途端、町山智浩は「恋愛論」を語るのを止めたようです。おそらく、自分実像を知る人間から情報暴露をされたら、薄っぺらい「恋愛論」による目眩ましなど一溜まりもないことを理解たからだと考えられます

 例の騒動の時には「女性から教えてもらったことを、その女性に教えようとする『マンスプレイニング』の気質の持ち主である」ことをも示唆されていましたが、このマンスプレイニング気質も、根本に「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」という気持ちが有ることの顕れだと思います

 この「女性(を含めた他者)との『対等な関係』を構築することができないのではないか?」という疑いは、高橋ヨシキてらさわホークについても同様に向けることができます

 現在高橋ヨシキてらさわホークは、自分たちよりも年齢の若い女性アメコミ翻訳家ヒップホップミュージシャン等とばかりつるんで配信に勤しんだり、あるいは、自分たちよりも知識が乏しい人間が集う『共感シアター』など「上から安心してマンスプレイニングすることができる場」に閉じ籠もってばかりいますが、これは何故でしょうか?

 私はこれも、結局は彼らが「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」ことの顕れだと推測しています

 対等な関係に堪えられないから、自分理解できないコンテンツ/ジャンル自分女性パートナーが楽しむ姿に我慢ならず、その価値観否定したり、馬鹿呼ばわりしたりするのです。

 そんな高橋ヨシキ著作悪魔が憐れむ歌――暗黒映画入門』が、ちくま文庫から目出度く再刊されました。同書に田野辺尚人が寄せた解説を読むと、高橋ヨシキは「魂の自由を重んじている人間」とのことです。

 そんな「魂の自由を重んじている」人間が、自分女性パートナーの肉体を町山智浩に献上したところを見ると、高橋ヨシキは「女性には魂が無い。したがって、女性の魂には自由が無い」と考えていると見ても、さほど間違いではなさそうです。

 よかったら皆さんも一度、高橋ヨシキの本を読んでみて下さい。

 長くなったので、とりあえず今回はここまでにします。

 ヘイル・サタン

2021-03-30

拉がれている。

組織で思うような立ち位置を占められないでいる。

同期に抜かれ、後輩に抜かれ、非常に辛い気持ちだ。

なぜ辛いのだろう。

虚栄心とは人によく思われたいという気持ちで、野心は何かを自分の力で成し遂げたいという気持ち、と言ったのは塩野七生だったと思うが、俺は虚栄心が大きいのだと思う。昇進をして何かを成し遂げたいという気持ちはなかった。みんなで受ける昇進試験自分も取り組んで、みんなと一緒に昇進をしたいだけだった。それができなくて、恥ずかしくて、辛いのだ。

人に遅れを取ったことはあまりなかった。概ね、マジョリティしか結構優位な立場社会生活を送っていた。

そういうコンプレックスから自由に生きていた。俺は、俺が優れている人間だと思っていた。評価もされていた。薄っぺら言葉ではなく、人事評価という形でも返してもらっていた。

それが、これだ。

まりにも辛くて、転職活動もして、悪くない条件のところに拾ってもらえそうだった。だが、最後最後で踏み切れなかった。

なぜ踏み切れなかったか。拾い先がネット上でクソ叩かれているところで、就職したところで胸を張れそうになかったのと、少子高齢化の影響をモロに受けて30年後には倒産してそうだな、と思ったから。

転職動機ネガティブなら、転職をやめた理由ネガティブだな、と気がついて本当に嫌になった。

思い返してみれば、何かをしようという強い動機がなかった。ずーとそうだった。みんながすることをして、その中でたまたま悪くない位置を占めてきただけだ。

ほんとうの意味で、能動的であったことは、なかった。

屈辱、汚辱、とんでもない悲しみ、身も世もない恥で息も苦しくて、後輩にタメ口をきかれて、席次を譲って。クソが!!!!!!!!!

今、俺は組織に拉がれようとしている。ないがしろにされても、生活のために縋りつかざるを得ないから。なんてひどい人生なっちゃったんだろう。

そう思っていた。

だけれども、これは変わるためのチャンスなんじゃないんだろうか、と思えないでもない。小手先昇進試験技術ブラッシュアップするだけでなく。

少し野心的になろう。数年、昇進をフイにしている。取り返し難い。それでも、まだ、やり直せる。やり直せると信じたい。

2021-03-26

anond:20210326232641

ソシャゲは、いかにハマらせるかを企業努力として日々アップデートしてるわけだから

抜けられて何より。

そこはいいとして、「推し」にパワーをつぎ込む、っていうのにイマイチ共感できないんだよね。

仮託するばっかりじゃなくて、自分能動的に取り組みゃいいのに、って思うんだけど、どうだろう。

オレが楽しみ方を知らないだけなのかな。

サウナブームの正体

サウナに行くことしかSNSに書くことしかない、無の人間の蓄積。

サウナ飯をアップロードするのはまだわかる。Swarmチェックインするのもまあわかる。

Instagramロッカーキー画像をアップ、サウナ好きが集まるクラブイベント、年越し水風呂

挙句の果てに浴室内にスマホ持ち込んで写真撮ってる馬鹿まで見た。全員全裸なんだが。ちなみにしきじでの出来事

お前ら頭沸いてるんじゃねぇのか?水風呂に頭突っ込んでそのまま〇ね。

せめて、その醜く出っ張った腹を何とかしろサウナでは痩せないぞ。

あとイキタイに感想文を投稿するのも別にいいが、日本ピンサロ研究会みたいな文体キモいんだよ。

どっちも到達という意味では同じだが、射精って物理的に快感がある現象と、ととのいからのディープリラックス物理的にも精神的にも違うだろ。

それに、サウナ能動的に楽しむ趣味とは違って、パターン化してるし、受動的に楽しめるから無の人間でもある程度楽しめる。

受動趣味であることを自覚しろ。他に趣味を持て、そもそもサウナーってなんだ、お前はただの異常発汗男性だ。

身の程をわきまえろ。

2021-03-25

anond:20210325201219

疲れてて、誰が歌って誰が歌われて誰が好感を持つのか一瞬混乱した。主語がなくて能動態と受動態が入り混じっても成立してて凄い。

相手に聞くのが一番いいのでは?

2021-03-23

婚活市場を延々と彷徨ってる人間って受動的なんだよな

アプリ使って何人にあったとか、パーティーに何回参加したとか

から能動だってわけではないんだよな

出会いの場に出かけて行って、仮に300人の異性がいたとして、

極端な話、自分は誰がきてもOKだと決めていれば、ほぼほぼ間違いなく誰かとは付き合えるわけじゃん

でも、現実的にはなかなかマッチングしない

なぜかというと選り好みするからだよな

そりゃ人間からどうしても合う合わないはあるから、選り好みも仕方がないのだが、

一方で選り好みするってのは人生における受動的な態度で、婚活市場彷徨ってる人間はそれが強すぎるんだよ

他人属性を変える事はできないし、他人気持ちも変えることはできない

しかし、婚活が終わらない人というのは、偶然にも自分が気に入った属性を持っている人間が、

偶然自分のことを気に入って、自分のことを幸せにしてくれるのを待ち続けている。だから、いつまで経っても奇跡が起こらず婚活が終わらないんだよ

連中に足りないのは、マッチングする相手じゃなくて自分の力で自分幸せにしてやるという気持ち

2021-03-20

anond:20210320150928

「それなりの大学出たら最低でも『まあまあ良い企業』に新卒で入ってナンボ、じゃなきゃ負け組人生

氷河期世代就活時期って、まだまだこういう価値観が根強かったってのはあるよね

今風に言えば働き方の多様性に乏しかったというか

現代からすると「もっと能動的に動いてのし上がれる方法が沢山あるだろ!自分の頭で考えろよ!」って言いたくなっちゃうんだけど

当時の、特に中流階級ではこれ以外の価値観は発想すら難しかったし、発想できても身近な人間に先達がだれもいなかった

から新卒就活失敗して「人生オワタ」つって廃人みたいに非正規労働突入したやつらは多かったんだと思う

俺は仕事柄その世代の人たちと絡むことが多いけど彼らが他の世代と比べて甘えてるか?無能か?と言ったら否だと思うね

運が悪かった、それに尽きる

恐らく幼少期を上り調子バブル経済下で過ごして楽観的な教育受けてきた世代だというのも良くなかったろうな

それが社会に出る直前で梯子外されて、散々楽してきた奴らに「自己責任」とか言われる

世を恨むようになるのも仕方ない

2021-03-19

半端者だけど

せっかく親が金出してくれて麻布っていう学校に入れてもらったのに、遊びすぎて大学受験失敗して三流私大に入っちゃって、就職でもよくわからん機械メーカー営業なのにゴリゴリ機械弄って。そんで彼女妊娠しちゃったか結婚して、結果的に転勤と転職でそこそこいい待遇で働いてる。今日は在宅だから自室でタバコ吸いながらメール送ったりパワポ書いたりしてる。

受験失敗したときは首括ろうかと思ったけど、今ではぼんやりした暮らしやす人生に大体満足しちゃったな。麻布の同期と飲むときはやっぱりもっと頑張らなきゃなと思うけど、一晩寝れば忘れちゃう麻布でさえこんくらいすごいんだから、一流大学の人はめちゃくちゃ頑張って能動的に人生生きてるんだろな。俺は半端者だから、そこそこな暮らしで満足しちゃうんだな。

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