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はてなキーワード: 当事者とは

2021-04-18

オタクオタク

こういうラッセルよろしく再帰構造をもったオタクは確実にいると思う

マウントをとるなどを動機としてオタクコンテンツ情報集めて当事者でもないのにオタク自体にやたら詳しくなってる人

anond:20210417144154

お見合いであっても良い縁談を得て上手くまとめられるかどうか、という競争はあると思うんだが

女があてがわれる世界だとしても、男にとっては良い女を得る、女にとっては少しでもマシな男にあてがわれる、という競争は生まれるだろうし

それとも結婚相手は完全ランダムで決まって当事者には選ぶ権利が一切無い世界って前提?

そんなもんどこの世界のどこの時代でも存在しないと思うんだが…

anond:20210418005808

自分の嫌いな属性貶めるために当事者視点で酷いことを言う、こういうやり口に名前あるのだろうか

自分弱者位置づけてる人が率先して他者偏見を広めるの痛々しすぎる

みんな喧嘩がしたいんだな

フリーライターとかジャーナリストTwitter見ると喧嘩ばかりしてる

事件当事者ことなんかどうでもよくて、第三者間で喧嘩ネタにしたいだけなのかな

もし筆者がこの問題をどうにかしたいと思って拾って公表したとしても、Twitterでの喧嘩に夢中になってたら元も子もない気がする

2021-04-17

SF】 弱者男性の望む、恋愛競争の無い世界想像してみる 【未来予想】 【恋愛社会主義(笑)

結婚お見合い結婚スタンダードになり、自由恋愛不可能になり、非モテが嫌う恋愛競争は起こらなくなる

 

 その結果何が起こるか? 女は化粧で男を釣る必要がなくなるので

 女のファッション、化粧スキルは次第に落ちていく ということは顔面偏差値

 明治時代の水準まで落ちることになる

 皮肉なことだが、「競争」があるからこそ美は磨かれるものである

 

 また、社会規範により離婚なども出来ないので殺人DVも増える

 嫌なら離婚という競争手段がある現代と違って、いくら頑張っても規定された道しか歩めない女は

 家事育児などのプルーフ放棄する

 

・男の存在価値規定するモノが「甲斐性」「男らしさ(単純な強さ)」に絞られる

 なぜなら、恋愛と言う競争がなくなることで「おもしろさ」「優しさ」「中性的」「理解

 など、現代の男に与えられている魅力パラメーターのオプション必要なくなるからである

 結婚強制的に決められ、恋愛過程がなくなれば当然のことだ

 (奇しくも明治、前時代的な男の理想像と似通ってくる)

 

 そしてその結果何が起こるか?

 男の価値は「家庭にいかに金をもたらせるか」「国に奉仕できるか」というものに収斂する

 人を笑わせるお笑い芸人需要は減り、モテなくなる

 中性的な顔立ちの男は非力なのでモテなくなる

 リベラル的な優しい男の需要も減る

 男らしさや甲斐性が優先され、ブラック企業は今よりもブラックさを増していく

 単純に、ツーブロ陽キャゴリラが求められる場面が増えると考えてよいだろう 

 

 徴兵制なども本格的な議題にあがる 兵隊として国を守るのは、男らしさの証明として当然だから

 男のモテ具合は単純な力の強さというレッドオーシャン規定され、しかもそのモテ具合を使える機会は限られている

 (自由恋愛禁止されているので当然だ)

 大体において、明治時代のような社会価値観に戻ると考えて差し支えない

 

 

総括  

非モテ当事者自分としては

非モテ自称弱者男性界隈の望む世界観

皮肉なことにより我々の人生の幅を狭めると言わざるを得ない

 

競争の無い」世界はいわば社会主義であり

その社会主義は既に破たんした思想であると述べておく

anond:20210417131111

から自分が持っていない属性のことは視界に入る範囲を見ているだけではわからないのが大前提で、当事者の声を数多くヒアリングするとか、元記事にあげたような属性を途中で変えたようなレアな人から話を聞くとかするのが基本中の基本(ジェンダー学が専門の研究者は当然やっていると思うが)。それをした上でも、問題解決するための論を立てるのは相当難しく、成功例はほとんど見たことがないということ。

こういう、男性の生きづらさに興味を持つ女性でも、フェミニズム一種偏見となって、まるっきり本質に近づけていないのがもどかしい

https://note.com/fuemiad/n/n6dc95be01850

男性学を語る女性全然的外れ

当事者でもないのに訳知り顔で太田啓子あたりの書籍推して、男性から降りようとかいうの、全然的外れだよね。

YouTubeのこれはちょっと面白かったのでメモ

女性から男性になったトランスジェンダーの人(FTM)が、男になってわかった男のつらさについて語る動画

https://www.youtube.com/watch?v=XgwhFFL2LIE

忙しくて動画見てる暇がないって人に箇条書き。

1. 生きてるだけで不審者

2. 仕事に対するプレッシャー半端ない

3. マジでちやほやされない

4. マウントの取り合い

5. コミュニケーションが女のことor仕事の話だけ

6. 彼女大事にしてるとちょっとバカにされる

7. (彼女が)怒っている理由がわからない

語っている本人は、女性モテる中性系女性から陽キャ男性になったので、今流行りの弱者男性視点ではないのに注意。

1は単に被差別属性であるということ。

2が異性からは見えない、生きているだけでのしかかる重圧。

3は、陽キャが言うとモテないという意味になるけど、本質自分から声を上げないと異性からも同性から社会システムから放置される、という孤独の底にいるのがデフォということ。

そして、これによって1と2の苦痛は誰からも救済されない。

4~6は、従来の男性学でいう「男性性」の悪しき習慣だから、これを降りればというのはわかる。

7は、まあ男女のコミュニケーションの話なので置いておく。

女性の方が男性よりつらいだの、男性から降りろだの女性から語る場合、最低限このあたりがスタートラインになってほしい。

anond:20210417112650

困りごとのある層がみんなこれをし出したらっていうけど、まずできないでしょ。

障害者の人だって、正当な手段であるストライキデモすらできない(やらない)んだからw

ただ、あれが障害者代表みたいに祭り上げられんのは迷惑だなーって、当事者が思う気持ちはわかる。

anond:20210416132847

いちばん理解できたもやもやは「旅行とかじゃない必要な移動すら、こっちは命かかってんのに」ってとこ。

かに視覚障碍の場合、命を落として初めて、世間耳目を集めるってパターンになってしまう。

耳目集めてなお、ホームドアがすぐさま設置されるわけでもないしね。

それでも私(非障碍者)が、伊是名氏のパフォーマンスを支持するのは、無関心よりはいいのかなということ。

バニラエア木島さんの時も、いっときは関心をもたれたけど、あまり続かないよね。非障碍者にとっては他人事から

悪手でも関心を引いた方がいいのかなと。当事者でもないのに勝手な言い分と思うけど。

「ぶつかった後心無い言葉を浴びせられた」などの事例は、無関心や想像力の欠如から来てると思うから

この件で初めて、これまで考えても来なかったこと、障碍ある人の外出の困難さを考えてみた人もいるはず。私もあらためて考えさせられたよ。

伊是名氏への苛烈批判は、障碍者への「偏見」というより、

「人に迷惑をかけてはいけない、自分で頑張れるだけ頑張れ。できることはすべてやれ。助けを求めるのはギリギリ最終手段」という社会空気によるものだと思う。

「助けを求めるなら、頭下げろ。謙虚にしてろ。申し訳なさそうにしろ」というね。

その空気を変えなければ、障碍者に対する心のバリアも低くすることはできないんじゃないか

もちろん、伊是名氏の行動は、もともと障碍者に対する心のバリアが高かった人のバリアを、より強化したことは否めないけど。

あとは怖かったのが、私も障碍者にこんな迷惑かけられた、暴言吐かれたとかいう事例を書く人が出てきて、同調する人もいたこと。

目に見える障碍があり、サポート必要とする障碍者悪態って、数少ない悪例だけでこんなに悪印象を残してしまうもんだなと。

駅員に悪態つく事例とか暴力は非障碍者の方が圧倒的に多いはずなのに。やっぱ「助けてやってるのに、余分な仕事してるのに」その態度かよって意識があるんだよね。

よくも悪くも印象に残ってしまうからこそ、伊是名氏のパフォーマンス諸刃の剣増田が憂慮するのも当然だよね。

視覚障碍をもつ方へのサポートの仕方とか、参考になった。こういうの練習できればいいのにね。

実際サポートしたことあるけど、慣れてないからあまりうまくいかなくてお互いハッピーじゃなかったように感じた。

「恋をしない」ことは異常なのだろうか

先日Twitter話題になっていた(と思う)、アセクシャル・アロマンティック(以下、Aセク・Aロマ)をテーマにした漫画を読んだ。現在は作者がアカウントに鍵をかけたため、見れないようだ。別にかの漫画否定したい文章ではないので、これ以上の言及は避けるが。

先に言うが、私は当事者だ。漫画登場人物と同じように、他者に性欲や恋愛感情を抱いたことは無い。恐らく、これからもないだろう。

作者は「Aセク・Aロマを知ってもらうため」とツイートしていた、気がする。なにせ、私は作者のフォロワーじゃないので確認ができない。

かに「知ってもらう」ことは大事だ。実際、かの漫画を読んだことでAセク・Aロマというセクシャルマイノリティを知った人もいるのではないだろうか。

ここで私が言いたいことがある。「恋愛感情」が無いことは、異常なのだろうか。

異性愛者であろうが同性愛者であろうが、「性愛」があることが前提で、当たり前とされている。しかし世の中には、私のように「性愛」が分からない人がいる。それは、異常なのだろうか。

「それはモテない己を肯定するためでは?」「本当に好きな人に会ったことがないだけだよ」「恋はするものじゃなくて、落ちるものだ」「恋愛感情が無いなんて、冷たい人」

これは私が言われたことがある言葉だ。どれもこれも一理ある、のかもしれない。私にはよく分からないが。

恋愛感情性愛がないと、「無感情」で「冷たい」人なのだろうか。私だって、無感情では無いので面白い話で笑うし、人情話で泣くのだが。それでも冷たいのだろうか。冷たい人、とはなんだろう。

実際、Aセクでも結婚した人や結婚願望がある人はいる。Aロマでも恋愛願望がある人もいる。おそらく、Aセク・Aロマだったが無事に恋愛感情を抱けた人もいるだろう。逆に、性愛がなくなる人もいるかもしれない。

なぜなら、セクシュアリティは線引きされるものではなく、グラデーションのように、移り代われるものからだ。恐らく。少なくとも、私はそう考えている。

ここまで読んでくれた方は薄々感じていると思うが、結局私自身、セクシュアリティを完全に分かってはいない。もしかしたら本当に、「そういう人」に会ったことがないだけかもしれない。

しかし、Aセク・Aロマのような人がいることを知って、理解してくれる人がいても良いのではないだろうか。恋愛をしなければ死ぬなら話は別かもしれないが、実際私は恋愛をしなくても生きている。それでいいのではないだろうか。それでも、異常だと思われるのだろうか。

かの漫画に衝撃と悲しさを覚えた私は、両親にAセク・Aロマであることを相談した。「そういう人に会ったことがないだけだよ」と言われた。

そうなのかもしれない。が、胸のモヤモヤは晴れない。なので私はこうして、キーボードモヤモヤを叩きつけている。考えが纏まったわけでもないのに。

そもそもセクシュアリティに悩んでいない人間は、己の性について疑問に思わないのかもしれない。こうしてグダグダ悩んでいる時点で私はセクシャルマイノリティであるのかもしれない。

からない。分からいから美味しいご飯でも食べようと思う。お腹もすいたし。生きてるし。それでいいや。

おしまい

私はクソコラが嫌いだ

私はクソコラが嫌いだ。

ネットに数多存在するクソコラを見て笑えていたのは過去の話だ。

笑えなくなったのは私が間接的に「される側」になったためであり、この記事にはそれに関した懺悔の思いも含まれている。

この記事はいわゆる「お気持ち」であり、二次創作への個人的価値観もあり、また、製作であるが故に匿名にせざるを得ない情けなさをないまぜにした長ったらしい愚痴である

=====

インターネットには実写、イラストわず無数のクソコラが転がっている。

まだましなもの人物を雑に切り抜いて別の背景に合成したり、当事者から許可の降りているコラージュだ。(ぼっさんなどが最たる例だと思う)

故に、私がここで明確に「嫌い」とするクソコラは全ではなく、「製作者側の許可はなく、二次創作範疇であり、且つなんらかの二次的影響を波及させるものである

正直、公式画像使用している時点で本当に二次創作範疇であると言えるのかは微妙であるが、製作側が直接注意をしないのであれば黙認の範囲なのだと思う。

以下記事内でクソコラというワードが出た場合は、このように対象限定したものであるということである

 

また、大きめの主語となるため特定などに意味はないとは思うが、大なり小なりフェイク部分を混ぜることをご容赦願いたい。

(このような稚拙一方的な狡く読みづらい文章を読む物好きがいればの話であるが)

これは例えの話である

あるアニメにおいて、至極真っ当なキャラクター存在する。

そのキャラクター作品内では比較的人気は高くなく、しかし嫌われているわけではない。

性格や設定にある程度の尖りはあれど、それは創作キャラクターにおいては大して異様な特徴ではない。しかし、その少々尖った部分がそのキャラクターに深みを与え、個として際立たせているポイントでもある。

このようなキャラクターなど無数にいると思う。むしろこちらの方が基本的には多いはずだ。

こうしたキャラクターが、時にクソコラの餌食となるのだ。

 

今まで見てきた犠牲者達のパターンはいくつかある。例を挙げると、

画像の頭部を切り抜かれ、実写や全く異なる体型の別キャラクターの頭部にすげ替えられる

身体の一部を過剰に変形させ、原型からかけ離れた骨格になる

名称の似た別のキャラクターと融合させる

二次創作で誇張されがちな尖ったキャラクター性をより強調して変態性へ改変する

etc.

しょうもな……

問題はこれらのクソコラ犠牲者達が、前述の通り「作品内では比較的人気ではない」部分にある。

もしこのクソコラ対象がその作品で最も人気のあるキャラクターで行われていたとき不快感を顕わにする人々は多くいるし、それを声明する。

しかし、往々にして比較的人気のないキャラクターの数少ないファンたちは、これらのクソコラを楽しむ「実はそのキャラクター自体はどうでもいい大勢の人々」を前に閉口することがままある。

「言っても仕方ない」、「水を差したくない」、「自分が見なければいい」くらいの気持ちであると思う。

私もそうしたいと思っている。

 

こうしたクソコラにはさらに先の問題存在する。

それは、「キャラクターイメージの改変」だ。

少し前に、二次創作におけるキャラクター改変を糾弾する文章投稿され、話題になった。

私は該当の記事の(過激言動はともかく)内容については同意できる部分が多かった側だ。

二次創作をするにあたり、元のキャラクター性を捻じ曲げる行為は、それが必要でなければすべきではない……というべきか、「二次創作である意味が無い」というべきか……

 

特定キャラクター性を捻じ曲げたり、極端に誇張したりした作品群が広く認知されたときファン間においてあまりにもあんまりだと思える状況が起こる。

『(該当キャラクター)って、〇〇(クソコラによって付与された改変)だよね』

このキャラ改変が単独同人作家によるものであれば、作家性がついて回るためある程度「二次創作である」という感覚視覚的にも制限を与えてくれる。

しかし、クソコラは“公式画像使用している”という部分があり、故に“誰が作っても視覚的な作家性が希薄になる”のだ。

 

どういうことか?

Twitter蔓延する漫画の数コマの改変コラ画像がよい例である

その改変コラ画像は、誰が作ったものであるか、パッと見て判別できるだろうか?

少なくとも私にはできない。

そしてできないからこそ、製作者以外の人間別所使用拡散するし、更にその作家性は限りなくゼロに近づいていく。

作家性がほぼ失われた二次創作であるコラ画像が高い認知を得たとき、それは一定概念となって読者やプレイヤー認識に擦り込まれしまう。

これが最大の問題だと私は思っている。

変態ではないキャラクター変態とされたり

決して筋肉質ではないキャラクターがムキムキマッチョとされたり

言ったこともない台詞がそのキャラクター代名詞とされたり

……

そしてそれらの認識ファンの間で“常識”になる。

そしてとき無能製作側がそれを逆輸入する。

そのキャラクターを好きな者、製作に関わった私からしたら、かなり“““嫌”””なのだ

もし私がこの吐き出しを行う切っ掛けになったキャラクタークソコラが、「1人1回くらい」のものであれば何も感じなかったと思う。

ここまで汚物を垂れ流しているのも、そのキャラクタークソコラを年単位で作り続けている者たちが存在するからだ。

真っ当に作ったキャラクターが、そのクソコラによって「変態キャラ」にされているからだ。

 

この感覚はおそらく、「そのキャラクター純粋に好む人」「製作側になった人」にしかからないのだと思う。

実際、そうしたクソコラを笑って楽しんでいた人物が、己の最も好きなキャラクターにその歯牙がかかった途端に不快感を顕わにしたのを見ている。

 

クソコラに愛はなく、愛あるクソコラ存在しない。

そこにあるのは自覚のない悪意だけだ。

そのキャラクターは、お前のものではない。

 

何故ここまでこれらクソコラ嫌悪するのか。

それはかつて、クソコラとは言えないが若輩の私は知り合いの創作キャラクターを改変して遊び、当事者に苦言を呈されたことがあるからだ。

そのときは戯れのつもりであった。そのとき申し訳なかったという気持ちはあった。

が、いざ、しかも全く面識のない人間の手によって「される側」に立ったとき、愚かにもようやくその苦しみを理解してしまった。

ここ数年、私はそのことについてより深く反省し、恥ずかしかったと思い、思い出す度に身悶えするような懺悔の思いに苛まれている。

おそらく当該人物はもう気にしていないとは思うが、かといって許されたわけでもないと私は独り悔やんでいる。

これは自己嫌悪と、自己投影による己かわいさの苦しみによって引き起こされている嫌悪感の吐露だ。

 

よりにもよって商業方面での製作側になったため、そのキャラクターの全権を持っているわけではなく、個人的に釘を刺すことも出来ず、Twitter愚痴るのも都合が悪く、こうして匿名に甘んじている。

 

コラージュをやめろとは言わない。言えない。

ただ願わくば本来キャラクター尊重された上で二次創作が行われるようにならんことを。

 

 

[追記4/18]

記号については私が変えればいいだけのことに思えたので消した。

 

かに何かを強要している文章ではないし、反応に対して何か返すことはしないと思っていたが、私の文章の拙さ故に明らかに読み違えられていそうなことに関してだけ補足。

「人気キャラクタークソコラされない」のではなく、「人気キャラクタークソコラに対してはキャラクターを好む人間の母数が多いため不快感を口に出す方もそれなりに現れる上、人気キャラクターであるが故にクソコラによる二次創作認識は拡がっても同時にそれが公式ではないという感覚も伝わりやすい」ため、私が嫌悪している(記事内における)クソコラ群とは少しばかり性質が異なると考えている。

あらゆる事物には例外があることも理解している。

私がここでクソコラと呼んでいるのは、あくまで「人気が無い故に歯止めの利かなくなっているコラ画像」であって、すべてのクソコラではありません。

[追記ここまで]

2021-04-16

アセクシュアル当事者だけど、「アセクシュアル媚薬を盛って発情させる」というシチュエーションは陵辱ものとしてはよくできているのではないか

敢えて「ハッピーエンド風」に終わらせることで狂気を際立たせるという演出もある。

2021-04-15

今日もまた記事になってたけど

自分障害を負って〜とか

1人で育児をやってみて〜とか

働き始めてみて〜とかの

〇〇をしてみて・〇〇になってみて、やっと苦しみや痛みがわかりました!

昔の自分はなんて愚かだったんだろう!

から皆さんに伝えたいんです!

他人事だと思わないで!系の記事、結局こっちはまだ当事者じゃねーんだから全然関係ねーとしか思わんのだが

当事者になるまで気付かなかった奴の話を当事者になってない奴が聞かされてなんになるの?

発達障害児の退学問

まず当事者児童には何の責任もない

親や学校先生がどうにかしなきゃいけない問題

親が一方的学校押し付けるのもいけない

あと、誰も追求しないが、そもそもこの児童がいきなり問題行動をとったかどうかが書かれていない

しかしたら級友からちょっかいを受けて反撃した可能性もある

そして発達障害の行動は全て極端になるので、反撃が椅子を投げるといった行動になる事はあり得る

それを大人制御しなくてはいけないんだよ、本当は

残念ながら世の中のほとんどの人、当事者や親を含めて発達障害について分かっていない事が多過ぎる

さらに、当事者の親が実は発達障害可能性もかなり高い

発達障害について知るにはめちゃくちゃ時間がかかる

日本において、まだまだ研究がされていないので、専門家すら頼りにならないのが現状なのである

学校側にとっては分からいから、面倒だから退学させたのが本音だろう

とにかく発達障害研究もっと増やしてもらいたい

最後に、SNS上で当事者の親に対する批判を見ると、どうも同じ発達障害人間がしているのを見かける

結局障害者の敵は障害者だったりするのである

anond:20210415040309

問題を起こした当日のうちに当事者間では和解していてもう何も問題ない状態だったのに

外野腐女子アンチ勝手に話を盛って拡散して、信者もその挑発に乗った結果の炎上からなぁ。

脅威的な早さもなにも謹慎すべきみたいな論調自体が異常だった

2021-04-14

三次加害

被害当事者自身一定の理解を示しつつ対応してる第三者意見に対して、

当事者自称支援者)が当事者の頭越しに「それは二次加害だ!」とアンガレスポンスを繰り返すことで、

板挟みになった被害当事者自由意見を言う場を奪われる。

これを三次加害と呼ぶべきなのではないか

田原総一朗について

今の若い人は田原総一朗といってもピンとこないかもしれない。しか1990年代から2000年代半にかけて、彼の司会する番組政治的な影響力は半端なかった。彼がいなければ、1993年政界再編小泉政権も、その後の橋下維新なども間違いなく存在しなかった。90−00年代政治田原総一朗抜きで語ることはできない。


田原番組で持ち上げた政治家は、例外くその後に政界に大きな影響を与えている。小沢一郎辻元清美鳩山由紀夫小泉純一郎竹中平蔵橋下徹などなど。お気に入り人物に対して、いかにもな保守派左派を「噛ませ犬」として(亀井静香金子勝など見た目が悪く言葉乱暴人物をわざわざ選んで)登場させて、竹中平蔵たちの説得力正当性を高める手法も非常に老獪で巧みだった。


田原番組で推進した、小選挙区制度の官邸主導政治官僚バッシングとさまざまな新自由主義政策は、日本社会経済を深刻に衰退させたと言ってよく、民主主義も深刻に後退していることは明らかであるしかし彼は反省や後悔は一切しない。小沢一郎他人事のように批判しているかと思えば、パソナ会長として露骨税金を食い物していることがもはや子どもにでも明白な竹中平蔵については、相変わらず番組に読んで熱心に擁護している。90−00年台の政治当事者であったにも関わらず、当事者意識は皆無である。『朝生』も、かつては一流の学者も出演することが多かったが、今は質の悪いネット炎上芸人だらけになっている。


距離のあった安倍政権に対しては批判的だったが、菅政権になって助言役として呼ばれると、一転して好意的評価転向している。丸山眞男の言う「無責任の体系」は、まさに田原竹中にこそ当てはまると言えるだろう。

2021-04-12

anond:20210412180735

懸垂50回できなきゃ医者になれないわけないだろ。

障碍者という言葉を、当事者に思いをいたすこともせず、たやすく使うな。

働く女性専業主婦風俗嬢を広く救えるフェミに戻ろう

男女雇用機会均等法(1986)で「女性社会進出」というフェミニズムの具体的課題一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズム売れっ子研究者達は社会における女性表象批評男性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性貧困というリアルテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗彼女フェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このとき専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇給与で)働く女性になれば、女性生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃん評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的バカにしてる、みたいな。

女性貧困」というテーマについて地道に調査研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達上野千鶴子小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。

あと、もうひとつ女性貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカー問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASH要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方女性支援センターみたいなとこに巣くってる、男女雇均法に過剰適応した公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。

いまは働く女性専業主婦セックスワーカー、みんなを支えるような「お金労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治まれで、山川均の妻で、戦後労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前家事育児社会化を主張し、60年代日本高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代北欧福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。

その彼女名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。

あと「弱者女性弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。

anond:20210412131854

anond:20210412013123

はてな匿名ダイアリータイトルの下に書いてある

名前を隠して楽しく日記

ちゃんと受け止めるなら

名前を隠してるからって不用意な言動をするなよ、みんなが楽しめるようなものを書けよ、少なくともお前は楽しめよ』

と受け止められる訳で

 

じゃあはてなブログタイトルの下に書いてある

「思いは言葉に。」

はどう受け止められるのかって言うと

自分の思ってること書いてもいいけど、言葉だけで終わらせろよ。』

と受け止められる訳で

 

もっと言うなら

自分意見をつらつら書いてもいいけど、その意見に対してもっとエグい角度からズバズバ言われてもクレバーに受け止めろよ、どれだけ憤っても言葉だけで終わらせろよ。行動なんかにしたら法律が関わってくるから言葉でなんとかしろよ』

とも解釈できる訳で

 

まぁというか普通に増田はてなコミュニティガイドラインとか当事者から削除要請されたら日記が消されるみたいな事はこの内容を登録するボタンの下の方に書いてある訳で

そういうのが読めない人は元からやらかすタイプ仕事が出来てるようで出来てないタイプなんですね。

 

基本的他者尊重しようよ!とかそういうことを書いてあるので

はてなを何度も停止させられた結果狂って刺しに行ったあの人はただ抜け道使って匿名日記書いただけの人でしかないんよね

前に親権取られ増田いたよね?

当事者なんだしハッシーに協力するのはどうか

「男の非モテ女性不妊」論

はてぶで意味わかんないとか言ってる人いるけど、

子孫を残せないという課題を抱えているという意味では両者は似たようなものでしょう。

もちろん、子孫を残せないだけなら、男性不妊も同じなんだけど、

社会からかかるプレッシャーが男女でまるで違う。


不妊女性には、不妊であることで人生すべてを否定するような言葉が投げかけられる。

それが非モテ男性の状況と似ているというだけ。

あら?子どもが産めないの?それじゃ生きている価値が無いじゃない。

→あら?女性にもてないの?それじゃ生きている価値が無いじゃない。

あら?子どもが産めないの?だったら、養子をもらうのはどう?

→あら?女性にもてないの?だったら、女性をあてがってもらうのはどう?

あら?子どもが産めないの?ちゃん若いから努力しないとだめよ

→あら?女性にもてないの?ちゃん若いから努力しないとだめよ

みたいにね。

相手は優しさから言ってくるつもりであっても、当事者としては、うんざりするだけでしょう。


ただ、元のツイッターで「女性非モテ子どもがいることが多い」というのは間違ってる。

どんな女性であれ子供がいるなら、少なくとも一度は求められた存在なのだから、本当の非モテじゃないと思う。

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