はてなキーワード: 問題点とは
現在人気エントリに上がってるアサクリ関連のこの2つの増田さ、書き込み時間が思いっきりニートなんだわ
この論法なんて名付けたらいいんだろ? 7/26 15:42
https://anond.hatelabo.jp/20240726154243
アサクリ・弥助騒動問題点箇条書き 自分用備忘兼ねて 7/26 11:25
https://anond.hatelabo.jp/20240726112514
いやいやお前ら、働けよ
「なんて名付けたらいいんだろ?」
「自分用備忘兼ねて」
じゃねぇよ、働けニート、お前らそんな事してる場合じゃねぇだろ
もっと重要な事あるだろ、お前らの人生、良い歳したおっさんが何やってんだよ、たかがゲームの話題によ、親が泣いてるぞマジで
労働っていう一番初歩的な所で社会に参加する事すら出来てないのに、その社会で起きた炎上にはいっちょ前に参加すんのって
「なんて名付けたらいいんだろ?」
「自分用備忘兼ねて」
じゃねぇだろマジで
意味不明で何の生産性も無い事やってないで今すぐに履歴書書いてハロワ行って来いよ
今の子供たちは夏休みだけどお前の夏休みは何年延長中なんだよ、もう大人なんだからいい加減働けよ、この国のGDP下げてるのお前らだよ
俺は悲しいよ、情けないよ
後から?
知ったときも、知った後も問題点ははっきりしてたしらこれからも変わらないけど?
それだけ教えて
どうせ逃げるだろうけどさ
逃げるだろうから、何度も書くよ
これにだけ答えて
「トーマス・ロックリーによって『黒人奴隷は日本発祥』というデマが広がっている」というデマ - 電脳塵芥
って話がバズってるけどさ
問題は、地元の名士のあいだでアフリカ人奴隷を使うことが流行したってことを言ってる学者がいることであってさ
『黒人奴隷は日本発祥』なんてのは、問題を大きく見せて注目集めたいやつの自己顕示欲モリモリの戯言に過ぎない
極端なことを言ってるやつをピックアップしてきて、問題点から目を逸らそうとしてくるのおかしない?
これよくあるんだよ
慰安婦はいなかったとか、南京大虐殺はなかったとかいう極端な意見を拾って来て、保守は歴史修正しようとしてるみたいなこと言い出すやつ
慰安婦はいたけど韓国側が主張するような存在ではない、中国が主張するような南京大虐殺はなかったんじゃないか
「氷河期世代」を一括りにして批判するのは不適切です。どの世代にも多様な背景や経験を持つ人々がいます。一部の個人の行動を全世代に適用するのは誤りです。
氷河期世代は、経済的な困難や就職難の時期に成人した世代です。これは彼らの選択や努力の欠如ではなく、経済状況の影響を大きく受けています。バブル時代の給料を基準にして判断したという主張も、実際には多くの人々が経済環境の変化に対応して柔軟に行動しています。
英語やITに関する知識が若い世代に劣るという指摘もありますが、これは個人差が大きい問題です。氷河期世代にも高い技術スキルを持つ人が多く、また新しいスキルを学び続けている人もいます。
「爪弾き者にされている」「子供部屋おじさん」という表現は、社会的な孤立感を煽るものであり、これに対する理解と支援が必要です。彼らが責任を放棄しているという主張も、全ての状況に当てはまるわけではありません。社会全体での支援や理解が求められます。
新聞とかに取り上げられたので、今まで騒動を追ってない人まで、話題に入ってくるようになったみたいなので、なぜここまで炎上しているのか箇条書きで書いてみる。備忘兼ねて。
・ゲーム内容がフィクションでファンタジー色強めであるにもかかわらず、史実に忠実であることをインタビュー等で強調してしまったこと
→結果的にファンタジーを史実であると言った状態になってしまった
・リサーチをちゃんとしたと言ったにもかかわらず、杜撰な日本描写で文化に対する扱いが粗雑
→季節外れの農作物や、おかしな畳、変な屋敷や城、鎧兜のおかしな描写、神道と仏教の混同、家紋の上下反転 etc...
・コンセプトアートがGoogle画像をトレースしたかAIで作成したかのような奇妙な作りであること
→ガードレールや軽トラックを描写、中国の仏像を左右反転で使用、日本にいない尻尾の長い猿、江戸時代ではなく明治の写真のトレース etc...
・コンセプトアートが盗用をしていること
→実在の現代の団体の旗模様を使用しているなど著作権を侵害している
・ジャパンエキスポのアサクリブースでAmazonや中国ECサイトで買った適当なものを陳列
ttps://togetter.com/id/laymans8/t/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%BA
ttps://www.youtube.com/watch?v=FnYyYDpC00Y
ttps://www.youtube.com/watch?v=IgK8UsSZQ9c
ロックリー氏の発言はとにかく誇張が多すぎる上に、ロックリー氏があちこちで情報をばらまいているため収拾がつかなくなっている。
Wikipediaは言うまでもなく、BBC、CNN、Time、スミソニアン、日本在住の黒人Youtuberの動画インタビュー、ブリタニカ百科事典(Web版) etc..
誤解されがちだがロックリー氏の誇張は上記のBBCやCNNなどのWeb版での影響が非常に大きい。
そのため日本版の書籍を見てもよくわからないことが多い(後追いで入ってきた人は日本版の書籍ばかり見ていることが多い。
例えばwikipediaが間違っていると言うと、BBCやCNNに元ネタがあるという突っ込みが来ることがあるが、そもそもCNNの元ネタもロックリーである。
■黒人陰謀論(黒人中心主義、アフロセントリズム)と日本文化の伸張
そもそもの問題点として昔から黒人が日本で活躍したという陰謀論は存在した。
坂上田村麻呂黒人説がそうだが、このデマは100年前から存在している。
また、こちらはあまり知られていないが「日本の諺に、侍が勇敢であるためには、黒人の血が少し入っている必要がある」というデマも存在する。
黒人蔑視やアジア人蔑視として始まったものだが、今では黒人中心主義者のネタに使われているようだ。
もともとこれらの陰謀論は小規模ながら連綿と続いてきたものだが近年の日本のポップカルチャーの欧米での急激な浸透により明らかに陰謀論が拡張している節がある。
特にディズニー+のドラマSHOGUNの大ヒットあたりから急激に増えている印象がありこちらも収拾がつかなくなりつつある。
■ポリティカルコレクトネスの矛盾とアジア人軽視への抵抗とアジア人の透明化
アサクリ騒動を日本だけおっていると気づかないが、周辺メディアの油の注ぎ方もすさまじい。
海外のゲーム界隈はもはや右翼と左翼の闘争の場と化しており過激な発言や争いばかり起きている。
実はそもそも以前に似たような炎上が発生している。それはバイオハザード5が発売された当初、白人キャラが黒人を殺しまくるのは非常に問題があるとい主張であった。
これはシェバという黒人女性キャラをパートナーとして追加することで一先ず炎上を沈下させた経緯がある(ただ言っておくとすでに10年以上前の話である)
それに対して最近IGNは5は黒人差別の文脈からリメイクできないと記事を作っていた。
ところが似たようなポジションのアサクリは問題ないとしており、これも炎上の要因であった。
欧米のメディアがこの手の人種問題を取り上げるとき、基本的にアジア人は白人と一括りにされマジョリティなのでお前たちも差別の責任を負うべきだという論調であることが多い。
しかし実態としては日本人ならわかるだろうが、アジア人は実際には差別されており事件が起こる。
アジア人はアメリカの人権擁護の隙間に入り込んでしまっており意見を無視されることがしばしばだ。
今回の件でもアサクリに文句をつけているのは"白人であり日本人ではない"という主張が大勢を占めておりほとんど無視されていた。
UBIが今回謝罪したことで初めて日本人が抗議していることを認めた人も多い(ちなみにまだそう主張してる人はいっぱいいる)
今回の炎上騒動はこれらの争点がひとまとめになった結果起きたもので一面的な情報を追いかけてもなぜ炎上しているのか把握できない(ていうか多分俺も全部把握できてない)
日本のポップカルチャーはまだまだ産業的に伸びる気配が強く、また弥助の件についてもハリウッド映画化やブロードウェイミュージカルが発表されており収まる気配はない。
前提としてシステムの問題点の話をしてるのであって精神論とか人生哲学とか個人的利益の話はしてないです。
存在を教えればそれが出来るようになるわけではないのだからほぼ何の意味もないですね。
あとは税務署に行けば、申告書の書き方は教えてくれる。
そのような行動力のある人間前提のシステムというのもまあやはり奇妙に感じますね。
一部のマニアが使うだけならいいですがほとんどの国民が利用しなければならないシステムであることを考えるとユーザービリティに欠けてると言わざるを得ないです。
経費を計上したり控除制度を適用して納税額を減らしたいなら、自分の利のための話なんだから、それくらい自分で知識得て活用する努力せえや。
こういうのも税金に限らずシステムを有効活用するためにシステムについて学ぶ必要があるというのもシステム的にみればひどく無駄に感じますね。
PCを使うのにコンピューターサイエンスの知識が必要だとすればそれはかなり不親切で使いにくいシステムと言わざるをえないでしょう。
古今東西どこもかしこもやることは同じだからか次々と出てくるが、似たような事しか言わなくなったので終了
====
現代社会において、生成AIはその革新的な技術で多くの注目を集めていますが、その影響力を懸念する人々も少なくありません。私たちが目にするSNS上の活動やキャンペーンの背後には、影響力を行使しようとするフリーランスのイラストレーターたちがいます。彼らは、生成AIの使用に対する反対意見を広めるために、さまざまな群衆心理を操作する手法を駆使しています。今回は、その中でも特に顕著な手法について詳しく見ていきましょう。
やあ、みんな!今日はちょっと真面目な話を馴れ馴れしく語ってみるよ。俺は反反反AIの立場なんだけど、要するにAIに対して中立寄りで、良いところも悪いところも認めてるんだ。でも、反反AI派の連中の理屈にはどうも納得いかないことが多いんだよね。だから、今日はその辺りをぶっちゃけてみようと思う。
まず、反反AIってのは「AI反対派に反対する」ってこと。つまり、AI推進派ってわけだ。AIの進化にワクワクしてるし、AIが社会を良くすると信じてる人たちね。もちろん、AIには素晴らしい可能性があるって俺も思うけど、反反AIの理屈にはツッコミどころがいっぱいあるんだよ。
反反AI派は、AIがあれば全ての問題が解決できるって信じてるみたいだけど、そんなことないって。確かにAIは強力なツールだけど、万能じゃない。クリエイティブな領域でAIがどれだけ役立つかって話もあるけど、人間の感性や独自のアイデアを完全に再現できるわけじゃないんだよね。AIは創造性を補完することはできても、全てを代替することはできないんだ。
よく聞くのが、AIが人間の仕事を奪うって話。反反AI派は「新しい仕事が生まれるから問題ない」って言うけど、そんなに単純な話じゃないよね。新しい仕事も出てくるけど、適応できない人もいるわけで、その人たちの支援がどうなるかって問題は無視できないんだ。AIの導入には慎重にならないといけないってことだよ。
反反AIの理屈には、倫理的な問題が抜けてることが多いんだよね。AIがどんなデータを学習するか、どう使われるかっていうのはめちゃくちゃ重要な問題なんだ。AIが偏見を学習してしまったら、その影響は甚大だよ。反反AI派は「そんなこと心配しなくても大丈夫」って言うけど、実際に問題が起きたらどうするんだよ?先を見据えた議論が必要だろ。
さて、ここで登場するのが反反反反AI派。これまたややこしいけど、要するにAIを全面的に支持する立場だ。彼らはAIの進化を最大限に活用して、社会をより良くしていこうって考えてるんだ。俺としては、AIに対して全面的に賛成するのもどうかと思うけど、彼らの意見も一理あると思うんだよね。まあこの記事で書いたような問題点を無視するような意見には納得できないけどね。
結局のところ、俺が言いたいのは、AIにはメリットもデメリットもあるってこと。反反AI派の理屈には偏りがあって、問題を過小評価してる部分が多いんだ。AIの進化を享受しつつも、その影響をしっかりと考えて、適切に使っていくことが必要だってことを忘れちゃいけないんだよ。
だからさ、みんなもAIについてもっと多角的に考えてみようぜ。反反反AIとしての俺の立場から言うと、盲信するんじゃなくて、しっかり考えて使っていくことが大事なんだ。じゃあまたな、次の記事で会おうぜ!
ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。
そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者が発症する誤嚥性肺炎である。
内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。
特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家が存在しない。
肺炎だから呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。
精神科は認知症診療が業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である。
脳神経内科医は嚥下や認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。
そんなわけで多くの場合は内科医が手分けして診療することになる。
そういうわけだから、誤嚥性肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドラインも2013年から更新されていない。また誤嚥性肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いものが出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだものは殆どみない。患者自身が何を体験しているかを推定している文章は殆ど読んだことがない。
病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師の説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍の説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。
もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針は大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。
にもかかわらず、認知症患者の誤嚥性肺炎は最も多い入院かつ、その患者は入院期間が長い傾向にある。入手可能なデータだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥性肺炎が関連している印象がある。
誤嚥性肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥性肺炎を起こすことでさらに認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設へ退院することが難しくなり、転院を試みることになる。
典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者は施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから、治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症=治療不可能な疾患があることは意識されない。
ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。
退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態を誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄のリスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。
そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる。身体機能も食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。
しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能・認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、活動に制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能がさらに低下して退院していく。
だから人によっては一か月とか半年後に誤嚥性肺炎を再び発症する。
家族や医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。
そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。
というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間の感覚があるのだろうか。
本人にとって長生きすることの体験の価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。
というのは逃げなんじゃないか。
状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快の感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。
なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識が障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)
どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。
多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。
仮に唱えたとしても、それはせん妄や認知症の悪化としてとらえられてしまう。
老衰の過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。
ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力、食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である。
多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎で入院したときに認知機能について評価されることは稀だ。
実際には、その人の生活にどれだけの介護が必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。
進行した認知症で入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。
訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥のリスクを減らし、肺炎を治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。
医療において、患者の権利は尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療を選択することもできる。
しかし患者自身が認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。
そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療を希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージを希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)
しかし問題があって、認知症が進行するほどに高齢な患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。
親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。
そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験を想像しながら話す場合も、めったにない。
意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。
「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」
この二つを満たすことが無益な治療の定義である。この概念を提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者を対象としている。
彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益な治療は倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である。
高度に進行した認知症患者の誤嚥性肺炎の治療は、厳密な意味での無益な治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。
この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。
そこで死に至る疾患である印象が失われた。
専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である。医療系ガイドラインはエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥性肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値に踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である。
人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン、人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドラインは存在するが、そもそも高度な認知症を合併した誤嚥性肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事と認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである。
さらに状況が不利なのは、個々の病院のKey performance indexは、病床利用率であることだ。
認知症患者の誤嚥性肺炎は、しばしば酸素を必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域に病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度は使用される。そのため、誤嚥性肺炎の患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。
介護施設に入所した場合は、誤嚥性肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟が複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。
介護施設から搬送された患者が誤嚥性肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。
一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥性肺炎の治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥性肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。
訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。
病院の経営構造、施設の訴訟回避、医師の不勉強と説明不足、そしてEBMと患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ちと多忙さ、患者自身が自己の権利や利益を主張できないこと、家族の意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。
現在誤嚥性肺炎を入院で担当する主な職種である内科医は、糖尿病の外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。
専門医制度が煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なからず認知症高齢者の誤嚥性肺炎を診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しかし構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。
僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。
進行した認知症患者の誤嚥性肺炎とは延期可能な老衰である、という共通の認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実、認知機能が低下していない高齢者で、延命を希望しない方は多い。その延命の意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。
誤嚥性肺炎の診療は、所謂延命と解釈することが可能な範疇に入ると僕は考えている。
後期高齢者の医療費自己負担額一割と、高額療養費の高齢者優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥性肺炎の入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。
アメリカ社会の経済的格差を書いているニュース記事を読んでいると、あちらは日本以上にすさまじいことになっている。
上位1%の階級が、アメリカの全資産の3割を保有していて、下位50%が国全体の2%の資産しか持ってないのだ。
資本主義を突き詰めると、今のアメリカのようになってしまうのだ。
資本主義経済の矛盾や問題点が限界に達すると、資本主義社会から社会主義・共産主義に移行するというマルクスの提言を思い出してみる。
大統領選に出馬しようとしているトランプさんの言うことを聞いていても、言っていることは過激だけど、内容について考えてみる。
彼は「上位エスタブリッシュメントに虐げられてきた(白人)労働者は今こそ立ち上がって団結せよ、支配階級を倒せ」と主張しているように見える。
なんだ、トランプさんって資本主義の申し子のように見えて、マルクス主義者そのものではないか。
トランプさんがかぶっている野球帽も、共産主義を表す赤色だし。
社会主義・共産主義社会では労働者の勤労意欲は減退し、生産性が低下して経済は停滞すると言われているが、今のアメリカを見ているとそうとも言い切れない。
確かに、範囲が広がることで「弱者男性」という概念が曖昧になるリスクがあります。しかし、弱者男性の問題は多様であり、特定の定義に縛られることで重要な側面が見過ごされる危険性もあります。定義を広く設定することで、多様な問題に対する包括的なアプローチが可能となり、さまざまな背景や状況に応じた柔軟な支援策を講じることができます。
リソースの分散が生じる可能性はありますが、支援の効果を最大化するためには、支援の範囲を広げて多様なニーズに対応することが重要です。リソースの配分を工夫し、効率的かつ効果的に支援を提供することで、広範な対象に対しても十分な支援を行うことが可能です。また、支援の範囲を広げることで、支援を必要とする新たな層が見つかり、社会全体の問題解決に貢献することができます。
「弱者男性」という概念を広げることで男性全体が弱者として認識されるリスクはありますが、正しい教育と啓発活動を通じて、そのような誤解を防ぐことができます。弱者男性の問題を多様な観点から理解し、それぞれの背景や状況に応じた支援を行うことで、ステレオタイプの強化を防ぎ、より公正な社会を実現することができます。
弱者男性に焦点を当てることが他の社会的問題への関心を薄れさせるリスクはありますが、多様な社会的問題に対する包括的なアプローチを採ることが重要です。弱者男性の問題を解決することで、他の社会的問題にも波及効果が期待でき、全体的な社会の公正さや平等が向上する可能性があります。つまり、弱者男性の問題を解決することは、他のマイノリティグループの権利向上にもつながるのです。
広範な定義に基づく対策は、具体的な問題に対応するのが難しいとされていますが、包括的なアプローチを取ることで、個々のケースに対応するための柔軟な戦略や政策を策定することが可能です。多様な問題に対応するための具体的な支援策を講じることで、実効性のある支援が可能となります。例えば、支援の提供を通じて具体的なニーズを把握し、それに基づいて適切な対策を講じることで、支援の効果を高めることができます。
弱者男性の範囲を広げることで生じるリスクや問題点は確かに存在しますが、それ以上に多様な問題に対して包括的な支援を提供することで、より公正で平等な社会を実現する可能性があります。定義を広く設定し、柔軟かつ効果的な支援策を講じることで、多様なニーズに対応し、社会全体の問題解決に貢献することができるのです。
この投稿にはいくつか問題点があります。まず、「みんな」や「普通に」といった表現が曖昧で根拠が不明確です。これにより、投稿者の意見がどれほどの支持を受けているのか、またその意見がどれほど普遍的であるのかが分かりません。「みんな」という言葉を使うことで、多くの人々が同意しているかのように見せかける手法は、議論の信頼性を損ないます。
次に、「普通にありえないレベルの悪口」や「生理的にムリ」といった主張も、具体的な事実や例示が欠けており、単なる感情的な反応に過ぎません。感情的な反応だけでは建設的な議論にはならず、問題の本質を見失う原因となります。
さらに、「一般的にこういうモヤモヤ受け止めるのって成熟した男の人なら絶対マスト」という表現も問題です。「一般的に」という表現は、一般の常識や広く受け入れられている価値観に基づいているかのように見せかけていますが、具体的な根拠が示されていません。このような曖昧な表現は、主張の信憑性を損ないます。
また、「日本の未来は安泰だなって思えた」という結論も、具体的な論拠が示されていないため、単なる願望や感情に基づいた意見と受け取られかねません。議論や意見交換においては、具体的なデータや事例を基にした根拠が必要です。
最後に、投稿全体が感情的な表現に偏っており、冷静で論理的な議論の基盤が欠けています。批判や意見を述べる際には、感情に流されず、具体的な事実やデータに基づいた論理的な説明が求められます。
総じて、この投稿は根拠が不明確であり、感情的な表現に依存しているため、信頼性に欠けるといえます。より建設的な議論を行うためには、具体的な根拠を示し、論理的に主張を展開することが重要です。
弱者男性の範囲を広げることにはいくつかの問題点があります。以下にその代表的なものを5つ挙げます:
範囲が広がると「弱者男性」という概念が曖昧になり、支援や対策が具体的になりにくくなります。特定の問題に焦点を当てた支援策が困難になり、結果として有効な解決策を見つけにくくなります。
支援や援助のリソースが限られている中で、対象が広がるとリソースの分散が生じ、本当に必要としている人々への支援が手薄になる可能性があります。これにより、支援の効果が低下することがあります。
ステレオタイプの強化:
「弱者男性」という範囲を広げすぎると、男性全体が弱者として認識されるリスクがあります。これにより、男性に対するステレオタイプや偏見が強化され、性別に基づく不平等が逆に悪化する可能性があります。
弱者男性に焦点を当てすぎると、他の重要な社会問題(例えば女性の権利やLGBTQ+の権利など)への関心が薄れ、全体的な社会の公正さや平等が損なわれる可能性があります。
実効性の欠如:
広範な定義に基づく対策は、具体的な問題に対応するのが難しくなります。個々のケースに対応するための具体的な戦略や政策が不明確になると、実効性のある支援が難しくなり、結果的に支援の効果が見えにくくなります。
何を当たり前なことを。
だから結婚交際相手を選ぶにも見た目がいい方が圧倒的に有利だし、
ルッキズムの問題点を理解してる人の多い増田世界ですら「清潔感」とかいうふわふわワードに包んで見た目を揶揄する人が多いわけで。
別にシナリオに不服はない(沙都子と梨花がぶつかるシーンはとても良かった)
のだがやはり尺余り感が目に付くというか〇明し編そんなやらんでもとっとと終わらせて余った分CS版のシナリオか羽入の過去話やってもよかったような気がする
もしうみねこの続編があるならちゃんと竜騎士先生に2クールなら2クール分のシナリオを描き下ろしてもらってほしい
尺をちゃんと伝えてやってほしい
もちろんそれは極論で現代において個人的にはあらゆる暴力に反対したいし、気に入らないことがあれば暴力で解決したらいいってことがまかり通ったらもうなんでもありになってしまうというのはその通りなんだけど
暴力すなわち民主主義そのものへの攻撃というロジックはどうなんだと。
代議制にしてもそれを普通選挙で選ぶというのも民主主義を担保するための制度にすぎなくて民主主義そのものではなく、民主主義というのは国民に主権があるということと理解してるんだけど、
政治家が好き放題やってむしろその民主主義を担保するための制度を壊して行った時に(負けたら不正選挙だと騒いで支持者らが議事堂を襲撃するのを煽ったり、選挙に勝てば何やってもいいと三権もメディアもワガグンも国有地も官僚機構もアンコンしたりすることが想定される)、民主主義を担保する制度が信頼を失って政治が国民のものでなくなり、民主主義的手続きのもとで公正な意見表明、主義主張の実現ができないとなったときに、そのとき「民主主義を守る」立場からの暴力が選択肢として出てくるのは必然じゃないかと。
色々な意味で民主主義が危機に瀕していることが多くの国民の目の前に明らかになっているもとでの事件であって
暴力を振るった人間を個人的に民主主義に挑戦したテロリストとして抹殺するということだけで本当にいいのかと思う。
はっきり言ってジェノサイドジョーと呼ばれてる現職大統領の「暴力は良くない」も、いよいよ金権腐敗が明らかな自民党政府の言う「民主主義への挑戦を許してはならない」も意味の無い空文句だし「暴力で社会は変わらない」なんてのはただの嘘だし
結局「今のシステムのもとで民主主義は確かに保障されている」という"前提"を政治の側がしっかり表明し、示していくことでしかテロを非難して暴力を排除していくという論理展開が立てられないはずだ。
日本語のXを見ているといま現在ある選挙制度(実際はそこにも明らかな問題点がある)を守ることだけが民主主義みたいな話が当然のようにまかり通ってるけどそれは違うよね。
長年統一教会にがっつり支配された自民党政治のもとで司法の場でも立法府の場でも統一教会被害者が圧倒的に不利でその声が潰されてきて、不公正な政治的忖度のもとで名称変更まで認められた。
そのもとで起こった安倍殺しに「言論で戦え」「ちゃんと民主主義の手続きを踏め」と、そうはっきり山上に言える人が日本のどこにいるのかという話。
暇空なんかより石丸よりこういう人間こそが相手していてイライラする。
はっきり言えば人間のクズだと思う。
段々嫌になってきた
罪悪感が湧いてきた
…と考えるとどうかな、
という気もする
少し抵抗がある
たまに不安になるよ
本当に語尾が全てこんな感じ。
「私は私の責任においてこう主張する!」と言い切る箇所が一つもない。
その感情も「自分が主体的にこう感じる」ではなく「こう感じさせられた」と言わんばかり。
「あ、この人と話するの無駄だな」
「あ、この人は話し合いにならないタイプだな」
ってわかる。
心のどこかで「これって普通の家じゃないよね」という思いがあって
なんだこの理由。
これがお前の主張の根拠?
「正常」 「異常」って何?
これさ、なんかデータを取って平均値がこうだとか中央値はこれですって言ってんですらなくて
お前一個人の気持ちや感じ方を超怠惰に正当化する方法として「普通」って言ってるだけだよな?
つまりお前の話って1から10までガキの様なナマの気持ちを垂れ流してるだけなのよ。
・ご意見 「どうかなーどうかなー」 「ちょっとどうかなと思うのも事実」!
・その心は? 「普通そうだし!」 「一般家庭ではそうだし!」
お前の相手してるとこっちの脳まで腐りそう。
知能が低すぎてちっちゃな子供みたい。
それで、今日も「晩ごはんはステーキにしよう」と夫に言われたので、
「流石に食べ過ぎじゃない?肉屋の人もびっくりするんじゃない?」と冗談っぽく伝えてみた
そしたら、「あーそんな嫌ならもういいよ、当分いらない、今日は一人で食いなよ」って不貞腐れてそのまま仕事に出かけていった
いつもこんな感じだ
夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る
お前の問題点は「献立に口をはさむこと」とは別の部分にあります。
おめーが反対するんだろ??ならおめーの意見としておめーの論拠で言えよ!!!
この「冗談っぽく伝えてみた」にはお前と言う人間の問題点の全てが出てるわ。
お前が盾突きたいならお前が気迫を固めて盾突くんだよ。
「冗談っぽく」ってなに?冗談て言葉の意味わかってる?お前のそれの何処に笑える要素があるの?
「伝えてみた」ってなに?言うか言わないか、自分の責任で気迫持って述べるってことが出来ないのか???
仮に本当に肉屋が「この客週4でステーキ食ってる!」ってびっくりしたとしたら、それがなんなんだよ。
話にならねえ。
どういう人生過ごしてきたら成人既婚者でこんな仕上がりになるのかなって不思議でしょうがない。
こんな何一つ自分の意思と論拠で「こうだ!」って言えない人間でも結婚できるの不思議だね。
折衝したり話あったりって能力が皆無で思考もボンヤリ口もボンヤリでも専業主婦さまでございますか。
ちなみに夫とは仲がいい方だ
違いますぅ。
お前の思考パターンと物言うパターンが死ぬほどムカつくカススタイルだからですう。
実際俺もお前に盾突かれたら「あーもういい」ってなるよ。
だって話になんねえじゃん。
お前が主体的に「私は今日どうしても寿司食いたいからステーキは却下!」 っていうなら話になるよ。
若しくはきちんと収入支出貯蓄額ライフプランをExcelにでもまとめて
「月にこれだけ貯蓄したいから食費は月幾らまでにしませんか!」っていうなら話になるよ。
でも全然じゃんお前。
言うこと全部フワフワで、何一つ思考がパキッとしてないバカ丸出しで。
「なんかー」 「どうかと思うのも事実ー」 「普通ー」 「一般ー」
責任逃れ口調ばっかり板について。
お前はそういう、相手に対して超失礼で話になんねえ態度を繰り返したことで
夫ですら「もういい」って回避するようになってるわけ、お前とのシリアスな話し合いを。
こんな人間的に全然尊敬できない話にならねえやつと夫が結婚したのは何故だろう?
お前の実家が凄い資産家とかでなければ、おまんこパワーに目がくらんだとしか思えない。
お前そのままでずっといけるつもりか?いつまで夫婦円満だろうな?
夫の「収入の浮き沈みが激しい自営業」ってのが既にそれほど普通じゃないし、
令和6年にもなって専業主婦の妻ってのも全然普通じゃねえんだよな。
なんて言われたら余計なお世話だろ?お前にはお前の事情がある。
なら夫の週4ステーキに反対する時も「普通は」なんて言葉だけは使っちゃダメだろ?
どうしてその程度のこともネットで関係ねえ奴に突っ込まれる前に自分で気付けないんだ?
お前がまともに相手されないのは当然です。
何故ならお前の思考スタイルとコミュニケーションスタイルが腐りきっているからです。
週4で同じステーキ食わせてくる異常者より100倍ストレスフルなのがお前です。
(本当にお前の気にしてることが家計ならね。そうじゃないようにも見えるが。)
これは一歩一歩やるしかない。
お前等って女が家庭の愚痴を垂れてたら100%同調して味方するよな。
でもさ、この女がバカなのって
もしくは「話になんねえからもういいよ」って見限られて
誰にも真面目に相手されないからこんな風になった部分もあると思わねえか?
ネットで顔も知らねえやつだからこそ言える直言暴言ってものもあるよな。
俺はどう考えたって俺の方がこの女に真面目に向き合ってると思うし
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
みつ
@tonomistu
蓮舫は街頭演説で双子が幼かった時に靴紐を結ぶのを待ってあげられなかった、その三分を待てなかったとの後悔を吐露し子育て中の親のゆとりを作りたいと訴えた。鈴木涼美は朝日新聞で蓮舫は「泥臭い生活を送る者たちとの精神的つながりを失った」と書いているがどれ程蓮舫の訴えを聴いたのか疑問。
泥臭い生活=貧乏暇無しで結婚ましてや出産なんて到底望めない生活、だよ!!!
そういう層からしたら育児の苦労話なんて、高級車を買ったらメンテが大変でつれえわーと自虐風自慢しているのと同じだし、
子育て中の親のゆとりを作りたいだなんて言われたらますます搾取されるんじゃないかと警戒するわ
蓮舫の訴えを聴いていたらそれこそそう言われても仕方がないだろうに
なんで聴いていないと決め付けるのか
忙しくて結婚も出産もままならない人達が多くいるだろう場所で本当にそんな話をしたなら
「泥臭い生活を送る者たちとの精神的つながりを失った」と言われるのは妥当だと思う。
はっきり言ってセンス無さすぎ
これを難癖だと思えるのはおかしいよ
東京の女性の多くが小池百合子を支持する理由をちゃんと考えた方がいいよ!!