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はてなキーワード: 創作とは

2018-10-15

明治時代の始め頃のことだ。 名古屋県郊外殺人事件が起こった。

喧嘩騒ぎの延長線で結果的に死に至ったというだけの、当時としてはそこそこありふれたつまらない事件と思われていたのだが……。

そのときの様々な資料を突き合わせて読み解いていくと意外なことがわかった。

そもそも、そんなつまらない事件の記録が多方面に残っていることが不自然なのだ

明らかに辻褄の合わない、創作されたと思われる記述も多い。

どれが正しいのかはっきりとはわからないのだが、蓋然性のある結論としては、そんな事件は無かったとするとあらゆる辻褄が合う。

よかった。 殺された人なんていなかったんだ。

.

そして、一瞬で勃起した陰茎から放出された大量の精液が全裸少女達にふりそそいだのは別の話。

anond:20181015112257

それは俺。

創作において工夫が見られないもの面白いとは思えないけど、君は工夫がなくてもOK立場

anond:20181015111529

何かしらの工夫に対して人は「おもしろい」と感じるんだから、その「おもしろい」と感じる対象となる創作上の工夫はあるでしょ。さすがに。

増田はてなを使ったドタバタ創作が読みたい

電車でいつもすれ違うあの人が、実はよく見るブクマカで…とか

憧れの彼女が突如スマフォ執筆し出したのは増田だったとか

そういう、知らない人だと思ったら近くにいて、本音ダだ漏れててさぁ大変!…みたいなやつ。

VtuberバーチャルYoutuberだったころ、

最初は「誰これ」「不思議」という感覚があった。

現実存在しないアニメキャラなのに、Youtuberと同じに動画でしゃべってる。

企業運営しているということさえなかなか表に出なかった。

そういうファンタジー面白かった。

アニメキャラ人間のように動いていて、現実人間と対等に話している、それが面白かったのに。

女性記号だ」と言われてる。

現実人間と同じ基準評価批判されるのも、一人の人格として認められてるからだ、とみることもできる。

今度は「キャラクター創作責任はだれか」と。

Vtuber主体性が誰にあるとか、責任は誰とか。

現実的に考えれば、そういうのは出てくるだろう。問題があった時に訴えを聞くのはVtuberではなく、リアルの誰かだ。

でもさ、そういうのがあいまいだったか不思議面白かった面もあるわけで。

この議論に首を突っ込んで、クリアにしていこうとすればするほど、夢が覚めていくような気がする。

スタッフの誰か一人でも、Vtuberより前に出て説明してしまえば、Vtuber所属タレント、あるいはキャラクターのようになってしまうわけで。

なんだかな。

Vtuber概念はこうだ」「Vtuberはこう説明できる」と決まってしまったら、なんだかな。

手品の種まで知ってても手品を好きかとか…ちょっと違う…「ぼんやり見ていてただ楽しい」を卒業しないとだめなんだろうか、とか。

TBSいらすとやアナウンサーみたいに、種も仕掛けも目的も分かってるキャラクターじゃないとだめなんだろうか。

あれだ、今度の箱根駅伝で「Vtuberファンです!」とアピールしてくれる大学生希望だ。

パンピ創作者A子の話

A子はちょっとした創作物を作っている。

近頃は知り合いに頼まれ製作を行っているようだ。

しかし世の中には創作をしない人間が大多数を占め、その大多数にとっては製作者の時間や想いなど関係がない。

かまし人間がいるものだとたまにネット上でも話題に上がる。

さて、A子の元にもそんな人間が現れた。

彼女ーB美ーはA子がお世話になっている人の親戚だという。

そういう事情と大量の注文により知り合い価格で、また、無料で追加制作を承っていたA子であったが、今度の注文はB美の友達へのプレゼント用であった。

もちろん面識などない。

通常価格で承る案件である

しかしB美にとっては知り合い価格通常価格

正直に料金を言うと大層驚かれたようだ。

それがA子には我慢ならなかった。

ボランティアでやってるんじゃない」

「厚かましいにも程がある」

作業の合間に愚痴を零す。

普段からA子には何を言ったところで火に油である私だが、あまりの言い様に「創作しない人には分からないんだよ」とたしなめた。

それがやはり気に障ったらしい。

わかる。

なんだかよく覚えていないが、創作者らしいことを言っていたような気がする。

一介の創作である私にも大変よく理解のできることを言っていた。

先に述べたように、それを作ることのしない人には分からない領域である

知らないことは、分からないのだ。

それはさておき、A子の名刺には秘密がある。

素敵な装飾をあしらった、センスのよい名刺だ。

一見、何の問題もなく見えるそれだが、この装飾はA子が描いたものではない。

なんと画像検索で出てきた画像素材、そのSAMPLE文字を消して使ったものである

さら無料素材ならまだしも、どこから取ってきたのかも分からないと言うから驚きだ。

この際無料も有料も関係ない。

SAMPLEが付いている時点で、無断利用はご法度であろう。

しかもそれは名刺に留まっていなかったのだ。

完全に商業利用である

それを知る私は、先のA子の愚痴に疑問しか湧かなかった。

から創作しない人には分からない」と油を注いでみたところもあるのだが、そんなこと知る由もないA子はヒートアップ

私も私で、よせばいいのに素材の無断利用のことに言及した。

A子の言い分はこうだ。

「私の作品は頼まれもの。絵は私に頼まれものじゃあない」

かにそうである

しかし私から見れば画像素材も"ボランティア"ではない。

商品には提示された料金を支払わなければならない。

当たり前のことだ。

根本は同じことを話しているのに何故分からないのか。

A子から見れば私は絵のことになるとムキになるらしいが、生憎私は絵を描かないので例えこれが画像素材でなくとも引き合いに出したであろう。

結局、何を言ったところでムキになるの一点張りで面倒くさくなり打ち止めた。

今回、良い機会だと思い素材のことに言及してみたのだが、どうすれば理解してくれるのだろう。

知らないものは、分からない。

わかる。

だけど、とても悲しい。

パンピオタクの溝だよね、わかる…。

2018-10-14

同人誌転売はやめてほしい。

はいわゆる腐女子です。私には好きなジャンルがある。そのジャンル二次創作を行っている。自分同人誌を作ったことは数えるほどしかないが、そのジャンルイベントで本を買ったりしている。Twitterでその作品好きな人と話したりしていた。

そんな私の好きなジャンルで悲しいことに同人誌転売されるということが起こった。某フリマアプリに売られていた。

私は悲しかった。自分の本が転売されていたわけではなかったが悲しかった。私はイベントも遠方のために参加できなかったので作者さんが通販してくださるもの頼みで、通販のなかったり完売したものTwitterのその本がいかに素敵だったかというTLの感想をうらやましく眺めていた。

そんな本の数々がフリマアプリで売られていた。転売について気がついたひとが報告して何度か削除され、また出品されるということが3度ほど行われた。

その出品しているアカウントを見てみると、過去にはそのジャンル同人誌、他ジャンル同人誌、グッズ、限定グッズのいくつかも売買されていた。

同人誌の出品物のコメントを見てみると「一度だけ読んだ」や「暗部に保管」などそんなことが書かれていた。

それを見て、同じジャンルが本当に好きな人間なんだということは分かった。だからこそ余計に怒りを覚えたし、悲しかった。

転売目当てではなく、本当に本が読みたくて買って、一度読んで満足して、中古屋では高く買い取ってもらえないから原価近くで売れるフリマアプリオークションで売っている、ということであろう。

そしてそのフリマアプリアカウントではサークルチケットも売られていた。つまりは、サークル参加する人間だったのだ。

同じジャンルにこのような人間がいるということはひどく恐ろしく、たとえこの先本を出したとしてももしかたらこの人が買っていくかもしれない。サークルも参加するのかもしれない。

昨今、奥付にオークションフリマアプリでの転売を禁ずる文面を載せることは当たり前となっている。しかしながら、これに法的な強制力はない。同人活動性善説に基づくものなのだと実感する。

転売された方々はせめて同人誌専門の中古屋等に売ってくれ、と言うがそれでも本当は自分一生懸命、命を削って作った作品簡単に手離してほしくはないだろう。

せめて見えないところで、ということだろう。いくら中古屋に売るからと言って面を向かって「売ってきます」や「処分します」なんて言われたくないだろう。古本屋自分の本が並んでいるのを想像すると胸が締め付けられそうである

自分転売されたわけではない。しかしながら、この一連の騒動創作意欲を削がれるという気持ちもありありと分かってしまう。自分だったらと想像したくもない。

転売されてない私にも、これほどまでにダメージがあるのだから転売されたひとの気持を想像するとただただ辛い。

転売はやめてほしい。

嫌いな字書きを二年間監視した末のポエム

 二年間監視していた女性同人作家がいる。

 私は彼女が嫌いだったけれど、彼女は私が好きなようだった。リプライで、コメントで、DMで、何度も好きだと伝えられた。彼女が私のファン自称していたのは、そのジャンルでそのカップリングを書く作家が、当時はまだ少なかったからだ。

 デリケートジャンルだった訳で、そこに関しては多くは語りたくないけれど、彼女の事だけは、声だかに話したい。誰でも良いから、私が彼女に抱いた巨大な感情を知って欲しい。この感情は少なくとも嫉妬じゃない。私は、彼女を手酷く馬鹿にしたいだけ。でも、私以外の人が彼女馬鹿にするのは、凄くいや。誰にも共感できないと思うし、共感して欲しくない。この憎悪は私だけが背負って生きていきたい。

 まず、私の事。

 私は、そのジャンルの、そのカップリング(以降ABと書く)で活動する同人作家の中で、私はなかなか優れていると思っていた。ブックマークの数も、評価の数も、フォロワーの数も、私が一番多かった。そのくせ、私は誰一人フォローせず、誰のどんな作品ブックマークしなかった。私が何に影響され、普段どんな生活を送り、どのような感情創作活動をしているのか、あまり知られたくなかった。マシーンのように、不定期に、キャプションも空欄のままの作品を、そっと投稿する。すぐに私の作品大勢から評価される。それが何より気持ちよかった。私はABの界隈では「人気者」だった。いかにもオタク染みていて、私が大嫌いな賞賛の一つでもある、「神」という呼び名で崇められ、不特定多数から崇敬された。

 次に、彼女の事。

 私がこのジャンルで最も優れている、というおごりは、ABで活動し始めて一年ほど経ってから、徐々に揺らぎ始めた。とても恐ろしい経験だった。十年以上前に、このジャンル活動していて、一時期は離れていたが、私の作品を読んで影響され、またABの創作活動を始めたと、そう語る人物が現れた。それが「彼女」だった。

 彼女の方から、私に丁寧なメッセージを送り、それから、私のツイッターアカウントフォローしてきた。彼女は私より十歳ほど年上で、理知的で、社交的な、そういう普通女性だった。初め、彼女は私の信者の一人に過ぎなかった。しかし、次第に、私は彼女存在を恐れるようになった。自分でも気付かない内に、彼女作品、もしくは彼女自身に、背後からにじり寄られ、両の手のひらで、首を絞められるような錯覚に陥った。

 何故なら彼女は、私よりも、私が愛する二人に関する知識が深かったからだ。上辺だけじゃない、もっと奥のところ、つまり関係性の考察が私よりもずっと優れていた。それは私に大きな不安感を与えた。初めて、他人の事を脅威だと感じた。彼女作品は、正直、拙かったけれど、どこか惹かれるものがあった。少し多すぎる改行の隙間、句読点の少ない文章の終わり、生き生きとした、人物の躍動を感じた。描写はとにかく簡素で、今二人はどこにいて、どんな体制で、何をしているのか、さっぱり分からなかったけれど、矯正前の乱れた歯並び、にきび跡の残る頬、デビュー当時の乱暴な喋り方といった、妙なリアリティ、そういうものが光っていた。それは誰もがわざわざ書きたがらない部分であったし、あえて言うなら余計な部分であった。それなのに、彼女はそれを描いた。荒削りなのに、かえってくっきりと形作られ、私の脳味噌の裏っ側にこびり付いた。私はそれが悔しかった。

 彼女は、十年以上前の二人の関係性を知っていて、しかし言ってしまえばただそれだけの事で、知識量の差はあれど、現在の二人の関係考察し、創作するのなら、大した問題では無い。と、私は自身に向かって必死にそう言い聞かせていた。

 この頃から、私は彼女の行動を毎日監視し始めた。彼女は、ABの他にも、様々な物に手を伸ばしていた。ツイッターでは、鍵を掛けたアカウントで、女性アイドルスポーツ選手可愛い可愛いと褒めそやし、片手間に自カプの作品投稿していた。そして週末には贔屓の選手応援する為に、何度も何度も海外へ行っていた。タイオーストラリア中国韓国イギリスネパール。いつ働いているのか、いつ眠っているのか、ついに最後まで何も分からない人だったけれど、金も暇も学もある人だった。

 しかし、彼女の一番嫌いな所はそこではない。彼女はよく、フォロワー食事をしていた。対面の席に、人の手が写り込んでいる、カフェ居酒屋写真が、画像欄の大半を占めていた。そのようなツイート投稿される度に、私は嫉妬で狂うようになった。スマートフォンを放り投げて、かんしゃくを起こしそうになるのを、グッとこらえて、そのツイートを見て見ぬ振りをした。泣きそうになった。

 彼女の事を一番知っているのは私だと思っていたし、彼女は私の事が一番好きなのだと、そう思い込んでいた。それは私の勝手妄想だったけど。でも、あの時は本気でそう思い込んでいた。でもそうじゃなかった。私は彼女の一番ではなかったようだった。

 私は彼女とだけ、よくリプライを送り合っていた。他のフォロワーには素っ気ない返信ばかりして、見向きもしなかったけれど、彼女にだけは、何度か読み直した返信を、少し緊張しながら送っていた。私は所詮、ここ数年のABしか知らない女だったから、彼女に落胆される事だけは、絶対に避けなければならなかった。

 手放しに認めて欲しかったのだと思う。数百人から匿名評価より、ちっぽけな彼女からの、ちっぽけな一人分の評価が、喉から手が出るほど欲しかった。私は彼女が大嫌いだったし、懐かれるのはうざったらしかったけれど、嫌われるのはもっと嫌だった。彼女作品に対して「好き」とはただの一度も伝えなかったけれど、私の作品彼女がつまらないと感じるのは、絶対に嫌だった。

 結局、そのジャンルの、ABとはこれっぽっちも無関係な部分が、とてもじゃないけど見ていられなくなって、私は呆気なくABから離れた。移動先のカップリングは、ABとは何もかもが違う。そのソシャゲジャンルでは、以前よりも作品への評価が恐ろしく低い。ブックマークフォロワー数もなかなか増えない。伸び悩む閲覧数を見て、ある種の諦観を抱いている。今までの経験から、このカップリングは、長くて一年だな、と見当を付けている。ゲーム内のイベントで高い順位を取るよりも、定期考査の結果で十位以内に入りたい。私は今年大学受験を控えている。

 もし、彼女がこれを読んだとしても、まさか「あの」人物だとは、考えもしないだろう。ね、そうでしょ。アラサーだと自虐気味にツイートしていた彼女が、浅ましい十代の私に対して抱いた感情の全てを、いっそ知り尽くしてみたい。きっと私は、顔も知らない、十も年上の彼女に、言いようのない羨望を抱いていた。唯一勝っていると思っていた小説だって、心のどこかで、彼女には劣ると感じていた。

 ふとした時、彼女に会いたい、と思う。

 彼女の住む都内マンション天井に、直径一センチにも満たない、ちいちゃな穴を開けて、屋根裏の暗がりから、そっと生活を覗いてみたい。ノーメイクのその顔を一目見てみたいと思う。間の抜けた声を聞いてみたいと思う。彼女馬鹿にしてみたい。何でもいいから、私より劣っている部分を探して、なんだ、この程度の人か、と落胆したい気分になる。

 私が、日々の中、ふと彼女の事を思い出すように、彼女も私の事を思い出す時は、あるのだろうか。大嫌いな人だけど、どこか虚しい。悲しくはないけれど、一向に清々しい気持ちにもならない。プールサイドに落ちたまま、拾われない、錆びたヘアピンのような、惨めな気分。

 あの人が綴った言葉も、あの人自身存在も、私の脳味噌の裏っ側に、まだベットリとどす黒くこびり付いている。

anond:20181014161017

直接嫌がらせされてるわけじゃないのなら無視するしかないでしょ。

俺は最初以外ずっと一次創作から二次創作の借り物のキャラに上っ面のストーリーを演じさせて何が楽しいのか理解できない。

そもそも著作権的に黙認されてるだけでグレーなのも多いのに頒布という名目で金のやり取りするのはどうなの?

いい作品を描く人が流行に乗っただけの二次創作者の半分も閲覧されていないのに怒りすら感じる!…けどそんなこと言ったってしょうがないでしょ。

創作の楽しみ方は人それぞれ、リスペクトの仕方も人それぞれ、自分がいいと思うものをやり続けるしかないのでは。

https://anond.hatelabo.jp/20181014142437

同意

自主的主体的ならOKって暴論なんだよね。

ジェンダーロールの押し付けが悪という主張なら、主体的かどうかは関係なく、女性性的役割固定化するような格好をするのを一律許してはいけないことになる。

ブラック企業の例えを借りるなら、「企業サビ残強要するのはNGだが、自主的サビ残するのはOK」なんて暴論が通らないのと同じ。

そこまで考えが及ばないというか、理解が浅いというか、オタクフォビアに目がくらんで何も考えてないというか、なんというかもうアホ。

maruX 企業によって運営されているキズナアイの着る服を決めるのは誰なわけ?そしてその企業の決定は誰を意識したものなの?なんでそれと女が主体的に決定したファッションとを混同できる?

rci おっ、呼ばれたぞ。私もはてブ有名人の仲間入りやな。それぞれ意見の違う人達をこれまた雑に放り込んだきらいはあるが、まとめ乙。わかる人に伝わればいいんです。服装は本人が決めること。これだけ。

lightly この件こそ二次三次創作現実区別がついてない人が多すぎでは。生身の女性主体的に服を選ぶことと、女性表象がどう描かれどのような文脈で扱われるか、というのは全く別物。(創作者や絵師性別関係なく)

感想が怖くて読めない話とその他

とある界隈で2次創作をしている。小説らしきものを書く、ただそれだけの人間だ。

これは書き捨てたいと思って、書いただけの話だ。とりとめのないことを心の赴くままに吐き捨てた。私の話で、私以外の何者にも関係ない話だから読み流してほしい。思うがままに何の順序も考えず、適当に書き連ねただけのものだ。

大まかには1次創作から2次創作に移った時の話と感想が苦手って話だけど。

昔1次創作をしていた頃がある。その時は2次創作なんて物は知らなくてただひたすらに1次創作に耽っていた。2次創作を知ったのはなんとなく始めたツイッターだった。なんとなく自分の好きなラノベタイトル検索して、引っかかったのが2次創作だった。

ああこういう創作もあるのかと思った。

私が知っているはずの世界と、根を同じにして別の花を咲かせた世界と思った。だけど大樹になることは出来ずに、ただ大樹に寄り添うように花を咲かす創作だと思った。

初めて2次創作を書いたとき2次創作に逃げるんですか?という内容のことを言われたことがある。

その時1次創作をやっている方に少数ながら2次創作を見下している方がいることも知った。「自分世界創造できないくせに」といった種類の言葉を何度か見た。

その時、彼もしくは彼女の言うことが理解できなかった。今も理解できない。2次創作が何故「逃げる」ことになるのか理解できなかったのだ。今では少しだけその方の言いたかたことはわかるけれど、共感することも理解を示すこともできない。

私は1次創作をしていた身として世界を創る難しさも楽しさも苦しさも少しは味わった身ではある。

私は2次創作を行なっている身として他人が描いた世界に自らの書きたいことを表現する罪深さと難しさと楽しさを少しは知っている。

かに世界があるというのは書きやすいことを認めよう。世界観やキャラクターといった大樹がしっかりと根付いている世界で行う2次創作は書きやすい。だけどそれだけだ。

だけど1次創作だって世界を創った私には世界観、キャラクターストーリーは分かっている。私の中には世界観やキャラクターといった大樹は根付いている。ストーリーという枝葉まで理解できている。だから書きやすさは変わらないと思った。

だけど誤解しないでほしい。

読んでもらった時に理解されやすい、評価されやすいというのは2次創作だと思う。だけど書きやすさについては変わらないと思うと私の意見を述べてるに過ぎないのだ。

1次創作だろうが2次創作だろうが、書くのはしんどい

それに1次創作しろ2次創作しろ、私は書きたかった話を書いただけだ。

私にとってはただそれだけのことだったから、なんで「逃げ」と言われたのか理解できなかった。

私は感想を貰いたくない人間だ。そのくせ承認欲求は人並みにある。支部小説をあげて、ブクマされたら嬉しい。n人があなた小説ブックマークしましたって通知が来たら嬉しいのだ。

だけど私は感想が読めない人間なのだ支部感想の通知も切っている。

感想を書くのにはかなりの労力が必要だと分かってるから悪いとは思う。だけど私は読むことができないから貰いたくない。その労力に見合う何かを私は受け取れない。付け加えていうのならば、私はその労力に値する何かを返すことも出来ない。

端的に言えば怖いのだ。心が弱い。私は自分の心が豆腐以下だと知っている。何でポッキリ心が折れるのかわからない。

感想というのは基本的善意によって書かれたものだろう。だが中には罵詈雑言を入れる人間もいると知ってるからだ。

私は弱小物書きだから誹謗中傷ガンガン送られてきたとかそんなことはない。

一度、二度ぐらい誤って感想を見たときちょっとした私の柔い心に針が刺さったことがあるから見たくない。それだけだ。

でも小説は読んで頂けたら嬉しい。楽しんで頂けたのなら嬉しいのだ。

だけど私は自分の心の弱さを知っている。

書くことが好きだという気持ちを無くしたくないから、感想は読めない。

申し訳ないなとは思う。

悪いと思う。

だけど善意を悪意かもしれないと疑う自分がいる。

きっと私はこれから感想を読むことはないと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20180925051542

わかるわーー 上からのクソ返信ばかりなのでコメントなんか読んでないだろうけど、めっちゃわかる。私はあなたみたいな文章力いから吐き出すこともできないけど。そうしてグルグルしてドロドロして創作していくしかないんだろうな。

神はみな穢れなき妖精のように思えるけど、誰もおおっぴらにしないだけで実はみんなドログチャしてんだろって考えることで自分を慰めているよ。他人のことが気にならない創作者なんているのかなあ

二次創作活動をしている。気がつけばツイッターフォロワーもそこそこいて、ピクシブフォロワーもそこそこいる。ブクマいいねリツイート結構貰う。

販売会でも持っていった本は完売できるし、通販も二日三日で売り切れてしまう。

きっと、そこそこなんだと思う。

ある程度の創作者が、誰かに見てもらいたい、理解してもらいたい、賞賛してもらいたいって願う、その立場に近い位置はいると、自分でも思う。

ただ、怖い。

たくさんの目が怖い。

もともとごく少数の知人に見せるために創作をしていた。それこそ二次じゃなくて、一次で。

それがいつのまにか二次にはまり、しばらくするとぼちぼち良い評価を貰うようになって、それが嬉しかった。ツイッターもやっていないあの頃、十ついたブクマに友人に見て見て、と嬉しそうに報告していた。

ある時、爆発的に評価された。

その作品は、その万を超えるであろう創作のあるジャンルの中で、ブクマ数順に並べ替えて上から数えればすぐに見つかる程だ。

しかった。純粋に嬉しかった。こうなればいい、ああなればいい、絵空事妄想がここまで評価されたのだ。気がつけばフォロワーも増えていて、いいねブクマ投稿してから時間が経った今でもポツリポツリと伸びる。

そこからだった。

作品を上げれば、一定数は必ずブクマいいねを貰えるようになった。

嬉しい、と。そう思っていた。

認められている、共感されている、評価されている。それは創作者が必ず願うことで、嬉しいに決まっている。

ただ、一度疑ってしまった。

「この人の作品から

創作の内容じゃなく、私自身だから

なにを言ってるんだお前は、と自分でも思う。でも違うのだ。フォローしてくれている人が、上げて数分もしないうちにブクマをする。それは、本当に内容を見て、素敵だ、好きだ、共感できる、と思ってくれたのだろうか。この人の作品なら間違い無い、と思い込みブクマじゃないだろうか。

このブクマ数は、いいねは、自分作品の正当な評価なのだろうか?

人間から、誰だって依怙贔屓してしまうと思う。その贔屓の対象になっていないのか、不安で仕方ない。自分は本当に、この評価に値する作品創作できているのか、分からない。誰も教えてくれない。かけてるよ、すごいよ、と言ってくれる人はきっと贔屓目で見てくれているからだと、一度疑ってしまった自分は、信じられない。

フォローしないで、と思う。自分を見ないで、と思う。見て欲しいのは作品だ。そこに自分を入れないで欲しい。

最近創作をし始めた人に、相談される。ブクマが伸びない、いいねが伸びない、閲覧数が増えない。どうすればいい、と聞かれるのだ。

その人からすればきっと、自分はその人の憧れの対象なのかもしれない。

いい子ちゃん優等生自分は、「人目なんて気にして創作しちゃダメだよ。他人の為の創作じゃなくて、自分の好きなもの創作しよう」と模範回答をする。

本音は、そんなこと聞かないでと叫びたい。

最初の一つこそ、正当な評価かもしれない。けれどもだんだん、usersタグに引き寄せられて色眼鏡評価が増えてるのかもしれない。この人の作品から、という評価かもしれない。

自分を見ないで欲しい。

フォロワー多くていいな、と言われても、やめてほしい。違うのだ。自分はただ、創作したいだけなのだ評価して欲しくて創作を始めたんじゃない。私にとって創作はもう呼吸と同じもので、息を吐けたからと言って賞賛して欲しいわけじゃない。ただ、吐き出した息に混じった酸素を誰かが吸うのかもしれない、そう思って世に出してみただけだ。

評価してほしい、賞賛されたい。

しかにそう願う時もあったはずなのに。

いつから人の目がこんなに怖くなったんだろう。

そんな面倒くせえ感じなら創作やめちまえ、と思うが、やめられない。

結局自分は息を吸うように創作し、見ないで、と願いつつ世の中に自分の好きなものを増やすべく作品晒していくのだ。

anond:20181014013948

遅くにありがとうございます

おっしゃられた通り調べてみました。

なんかできそうな気がします。

知識欲より、創作欲です。昔小さい頃バンゲリングベイとか、ピットフォールとか、作りたいなと当時C言語少しやったのを今やってみたいと思ったのです。昔の人間ですので、基礎からなのか、もっと便利なものがあるのかすら分からなくて。

ありがとうございます

ここは親切な方が多いですね。

好きなものを好きでいたい

最近好きな漫画アニメを観たりするのが少しつらい。

作品に対しこれは正しいのか誰も傷つけていないかという視点に囚われすぎてしまい、考え方が極端になってしまったように思う。

例えば〇〇系が流行る中で△△は素晴らしいみたいなのがあれば、じゃあ〇〇はダメっていうんですか!みたいなヤバい思考になってる。

誰も〇〇がダメなんて言っていないし、それが好きな自分のことも悪く言ってない。にも関わらず間違っているような感覚になる。拡散され示される数の多さにひとつの考えと受け入れられなくなる。

これはもう自分自身の問題しかない。

ただ好きなジャンル踏み台にされるのはやっぱりつらい。

でも自分がそれを批判しても相手がしてることと何も変わらないし、誰かの口を塞いでしまうことになるかもしれない。

自分はいじめられたつもりしかなかったけど思い返せば誰かを傷つけてた、みたいな罪悪感を感じる。

結局自分自身にブーメランが刺さってしまう。

足を引っ張ってる感じがして申し訳ない。私は新しい女性理想像になれないことに嫉妬しているのかもしれない。

正直今流行ってる漫画女子への煽り文句も割としんどい。一時期流行った呪いみたいなのを違う意味自分でかけてしまってる感覚

夢見がちでも、好きな作品量産型だと笑われても、時にキャラ自己投影して、古い価値観に縛られ、それが創作無自覚に反映されていたとしても、その考えや好みを誰かに押し付けたりしないようにしたいと思った。

好きなことには変わりないけど、本当につらくなったらジャンル自体から離れよう。

感想が苦手な人間の話

はじめての投稿自分語りもどうかと思うが、全く折り合いがつけられないで数年経とうとしているので、ここらで吐き出す場所が欲しくなった。

わたしオタクであり、小説書きの端くれだ。

好きなジャンル二次創作を細々と書いている。pixivTwitter投稿して、年に1回あるかないかの頻度で本も作る。

まあpixiv投稿した作品とて、ブクマが100超えたら御の字と言うレベルだ。それを踏まえた話として見てほしい。

タイトル通りだが、私は人から感想をもらうことが苦手だ。

苦手なくせに、感想は欲しいと思っているし珍しくいただくことがあったならすごく嬉しく思う。

だが苦手なのだ

我ながら面倒くさい性格だと思うのだが、その理由が明確にひとつある。

貰える感想を信じられないということだ。

例えば親しい友人が私の作品を読んでくれて、「よかったよ」と感想をくれたとしよう。

その時は嬉し恥ずかしの気持ちでいるが、後になって思うのだ、「友達から気遣って当たり障りのない感じで感想をくれたのではないか」と。

極論、「よかったよ」「面白かったよ」くらいならば読まなくても言えるだろう。

もちろん、ちゃんと読まないとわからない作中のあれこれを織り込んだ感想をくれる方もいる。ただこれだって「気を遣って」なんとかひねり出してくれたに過ぎないのではないかと思ってしまう。

友達だと言う時点で読まなくても別に友情に亀裂など入らないのだから、無理しなくてもいいよと度々私は口にする。

そう言う面倒な思考回路が回るのだ。

冷静になって考えればそんなことはなかろう、矛盾だらけだとわかっていても。

なら匿名や友人とまでは言わない程度の付き合いの人からもらう感想はどうなのかというと、

友人の時よりは楽だがそれでもやはり疑ってしまう。

「私が欲しいっていうから」仕方なく、「相互フォローとして繋がってるから儀礼的なものとして、あるいは「おだてることでなんらかの益を得たいから」という打算、そういうものを疑ってしまう。

最初は嬉しいって心から思えるのに、1日とか時間が経つと急速にその気持ちは冷めていく。

被害妄想しかない。

わかっていながら止められない。

私程度の書き手が選り好みするなどおこがましいにもほどがあるのだが、結局、私が感想に求めていることは言葉通りの承認なのだ

「こういう作品があったっていい」、「こういう(ジャンルキャラの)愛し方があったっていい」みたいに、許して欲しいだけなのだ。多分。

普段マイナーものばかり書いてきたからそう思うのかはわからないけれど。

そういうわけで、私が人様に感想を綴る際は余程のことでなければ匿名ツールを使う。私が認知される必要性はないし、神からの返事という益を得たいわけでもないからだ。

その上で私の心が震えたところ、結果そのカプを推せるようになることもままあるのでそういうことも告げる。本当にこの作品出会えてよかったとも伝える。

ご本人からしてみれば恐怖を感じるかもしれないが、そう何回も送ったりはしないので勘弁してもらいたい。

そう言ってるあたり自分のことしか考えられなくなっている証拠だろう。創作と向き合うにはなにかしらの狂気必要だと思うが、こと私に関しては感想というもの一つでこうも簡単に落ちぶれることができてしまう。

から私は感想というものがすこぶる苦手だ。何年たっても、健全に向き合える気がしないのである

そういうことを、設置直後以来ほとんど稼働していないマシュマロを見ながら思った。

2018-10-13

創作系とかクリエイティブ系のことって他人と話す事特にないよね

手法なら手の内ばらしたくないか他人に言うもんでないし、好みの話なら人それぞれになっちゃって合わないのが見えてるし、、、

創作って最高だな!

現実の嫌いな奴を創作世界いくらでも苦しめたり、

現実では決して結ばれない好きな奴と結ばれるようにしたり最高だ!

有名絵師さんとネタ被りした

前説として、この話は誰も悪者がいない話、そして、私の中で既に完結している話である

私は小説主体二次創作をしている人間だ。才能はないものの、創作するが楽しくて今も続けている。

タイトル通り、これは私が有名絵師さんとネタ被りをした時の話だ。

事の発端は、公式から供給があったことにある。新衣装披露してくれたキャラクターはとても可愛く、皆こぞってキャラクターネタに書き始めた。

私も勿論、薄い脳みそを働かせ、"可能性"という"可能性"を字に起こした。一筋の光りが刺し、プロットを切った。

しかしながら、そのプロットを切った時点で『特殊性ネタであることが伺えた。正直、悩んだ私は、仲の良かった同じカプの絵かき友だちのBさんに相談した。

Bさんはネタを絶賛し「私もそのネタ描きたい」とまで言ってくれたのだ。ほっとした私はすぐ下書きに取り掛かり、7000字近くのSSを書いた。

書いている最中、仲の良かったBさんが非公開ツイッターで進捗応援コメントをつけて、私の相談した特殊ネタの絵を披露してくれた。私は絵を活力にして、小説に励み、『特殊性癖』ではあるものの、ただの戯言にすぎない小説を書き上げ、ウェブ公開した。

後日、自身が書いたその小説

「この話の元ネタ、Aさんですよね?」

といった内容のメッセ匿名で届いた。

Aさんはとても人気な作家さんで、私もAさんの大ファンには間違い。

私はとてもショックを受けた。

ショックを受けたのと同時に、嫌な予感が的中してしまった、とも思った。

何故こんなメッセージが送られてきてしまったのか、これには少々込み入った事情がある。

上記でBさんが特殊ネタを絵にしてくれたと書いたが、これは実は、続きがある。

Bさんが書いたネタ絵師のCさんが、

『そういう"可能性"もあるのか。』

と呟いたのだ。

そして、その呟きに反応したのが、

Aさんだった。

ここで一旦、相互関係の話をする。

・AさんとCさんは相互関係にある。

・BさんとCさんも相互関係にある。

・そして、AさんとBさんは相互ではない。どちらか一方がフォローしているということも、ない。無縁の関係だった。

肝心の私というと、全員をフォローしていて、相互なのは、【Bさんのみ】だ。

先程、書いたようにAさんはCさんの呟きに反応し、絵を書いた。私の考えていたものと同じ『特殊ネタ』だ。

すべてを見ていた私はその『特殊ネタ

の絵をAさんがウェブ公開するまでに、小説を書きあげることは出来ていなかった。

この時点で、すべてを見ていた私は小説を上げることが少しだけ嫌になっていた。

しかしながらBさんが絵まで書いて絶賛してくれた話だ、勇気を出して小説を公開した。

結果は、上記で書いたとおりだ。

二次創作は、『n番煎じを躊躇するな』この言葉に尽きると思う。(死語かどうかさておいて)

ネタ被りを気にしていては、個性創作も死んでしまう。だから鋼の意志創作をしている。

しかし、傷付かないワケではないのだ。

私は「元ネタ、Aさんですよね?」と言われて、少なからず傷付いたし、頭にきた。

匿名者は事実を知らないことは明白だ。

だが、匿名者の言葉は、私が考えた一生懸命考えたネタを、他人の発想から来たネタだろうと勝手パクリだと言われたようなものだった。

自分で産んだ作品を、他人の子だと言われたような気がした。紛れもない、私の子なのに。

最初に言った通り、この話に悪者はいない。

そのかわり、着地点がない。

Aさんは、萌えネタを気の向くまま、書いた。

Bさんは、応援したい気持ちを絵にしてくれた。

Cさんは、可能性について呟いた。

匿名者は思ったことを指摘した。善意有る行動だ。何よりも、平凡な草みたいな私の作品に目を通してくれた人だ。

敷いて言えば、私が遅筆なのが悪かったのかも知れない。時間は巻き戻らない。小説を書くのにも、時間がかかる。

ちょっとした行き違い、ボタンのかけ違いだった。

創作者として、自身作品を一番愛してやれるのは自分自身だ。

悪意のあるオマージュや敬意が感じられないリスペクトは、作品を殺してしまう。

何が良くて、何が悪いか。

境界線を見極めて、これから創作を楽しんで行きたい。

ツイッターでの人間関係ツイッター疲れ

私は二次創作活動をしている。

大半のSNSには登録し、作品投稿したり次イベント頒布する同人誌宣伝使用したりしている。

その中でも特に活用しているのがツイッターだ。

上記のような使い方+同じ趣味作品CP好きな人フォローし、時にフォローされて交流を深めることにも利用している。

しかし、最近ツイッターアカウントを消してしまおうかと私は悩んでいる。

私は同人活動を始めたのは数年前からだが、ツイッターはそれ以前から利用していた。

ただ、頻繁に呟きをするわけでもなく、本当に登録しているという形だけのものだった。

それが今は、朝起きたらツイッターを開き、昼休憩でツイッターを開き、夜就寝前にツイッターを開く。ご飯3食食べるのと同じようにツイッターをしている。

自分でもツイッター中毒なのだろうなとは思うけれどもやめられない。(中毒なんだからそりゃそうだ)

やめられない理由ひとつに、ツイッターの「いいね」や「リツイート」の機能があげられる。

これ自体はい機能だと思うし、この機能に私もずいぶん救われた。

でもこれが私自身を苦しめるものひとつになってしまった。

作品投稿すればリンクをつけてツイッターに呟く。

原稿の進捗を呟く。

萌えツイートする。

そこに目に見える形で「いいね」や「リツイート」が押される。

単純に気分がいい。

満たされたような気持ちになった。

いいね」や「リツイート」というのは、大半が「あなた共感しますよ」「あなたのこの作品・呟きいいね!」という意味合いで使われているだろう。(リツイート場合リツイートされた先での反応にもよるけど)

最初は、自分創作したものいいねリツイートで広まり感想いただき共感してくれる人、自分共感する人と交流を深められ、なんて最高なんだという思いでいっぱいだった。

なにせ、私がWeb創作をしだした頃は個人サイトに溢れ、サーチやBBSWeb拍手やメールフォームなどを積極的に設置するスタイルで、イベントなどに出ない限り同じ趣味の方と交流できないだけでなく、感想ひとつ貰える機会もなかなかなかった。

それだけに、ラフ感想を送り合え、なおかつ思いを言葉にするのが難しい人や直接感想を送るのが難しい人は「いいね」や「リツイート」で好意を示せるのだからツイッターはすごいと思う。

からだ。だからこそ、手軽に人と繋がれるこのツールにのめり込み、疲れ果て、今そこから離れようとしている。

いいね」や「リツイート」、「フォロワー」の数が目に見えるのだからもっと欲しい、もっともっとという欲求が生まれた。

それがいつしか、以前よりも反応がないと「あれ、今回のは良くなかったかな…」とあれだけかきたかったネタのはずなのに、ひとつ作品を作ったというスッキリとした気持ちにならなくなってきてしまったのだ。

感想が欲しい』『反応がないから辞めます』系のツイートが定期的にバズる度に、「自分楽しいから創作してるだけで、感想貰えなかったから辞めるというのはどうなの?」という意見が出るけれど、私は心の中で「そうだよね。私もそう思う」という思いと、「でも感想はやっぱり欲しいよ…」という思いに苛まれる。

感想別にいらない、系の人の話を見ていても、正直、「ツイッター作品投稿サイトにあげている時点で、やっぱり誰かに見て欲しいんだよ。承認欲求あって当たり前だよ。人だもの」と思ってしまう。

そうじゃない、と言い続ける人もいるだろうけど、人が見る場所投稿しているのだから、少なから承認欲求があるはずなのだ

そういうものだと思っているし、駄目なこととも思わない。

でも、そんな思いとは裏腹に「承認欲求があることが見えるのはなんか嫌な人間みたい」という思いも同時に抱えてしまう。

それが今になって、だんだんと苦しくなってきてしまった。

また人間関係でも、現実人間関係とはまた違っている。

それが私は最後までどこかしっくりこない事があった。

ツイッターでの交流基本的本名でないやり取りになる。

同人仲間でも、私の本名を知っているのはひとにぎりの仲のいい人たちだけだ。

そんな中、ツイッターで知り合って、お泊まりし合うような仲になった友人。

LINEでもやり取りするし、本当の親友だと思っているが、最近その友人がツイッターの裏アカウントを削除した。

そのアカウントは身内のみ招待している状態で、私もその中の1人だった。

それが、別でもアカウントを作っていて、その裏アカウントさらに少数の人としか繋がっていないようだった。

それにものすごくショックを受けた。

アカウントをかなり転々としていたその友人だけど、私のこともずっとフォローしてくれていたのに、どうして。

嫌になったのかな。

何かしたのかな。

そんな思いがぐるぐると渦巻いて、しんどい

相手にとって私はボタン一つで離れられる存在だし、他に仲良くしてた人(中にはちょっと愚痴を言っていた人)とは繋がっていて、私との繋がりはもういいんだ、と思った。

そう考えてしま自分が嫌だし、なんだかその友人に執着しているようでそれも苦しい。

リアルだと、直接何かを言い合ったり出来る。

でもあくまでも始まりネットからだし、直接会うには距離も離れすぎている。

LINEで連絡を取っても、裏のさらに裏垢を教えてもいない人間が知っていたとなったら、それはそれで相手も気味悪がるだろう。

表垢では繋がったままなのが、またしんどい

いっそ全部すっぱり切ってくれればいいのに

ああ、でもそれはそれで精神ダメージは大きいだろうな…とか思ったり。

ツイッターの恐ろしい面だと思う。

ボタン一つで相手交流を断つことが出来る。

上記の事があり、なんだかもうすべて疲れてしまった。

ツイッターでの愚痴

文字しか相手を見ていないのにその人の人間性を否定する。

自分の考えの押し付け

ツイッターは本当に素晴らしいツールであるというのは、私の本当の気持ちだ。

知らない世界を教えてくれるし、気軽に心が救われることもある。

でも、なんだか疲れちゃったなぁ。

こんな気にし過ぎな性格ではなかったのにな。

ああ、これがツイッター疲れか。

勉強会女子】おれもネットで知り合った人に粘着されたことある

ネット上で創作をしている者なんだけど、それを通じて知り合った女の子粘着されたことある

の子創作していて、おれのファンだということでツイッターフォローしてきた。おれも悪い気がしないかフォロー返しした。

そしたらおれのツイートに対してちょくちょくリプライしてくるようになった。

おれは面倒に思ったけど、まぁ、当たり障りのない普通リプライを返していた。

事態おかしくなったのは、おれが六本木美術展に興味があるという登校をしたら、DMで「一緒に行きませんか?」ときたこと。

(面倒くさくなったのでここらへん省く)

要するに展覧会を見た後にプラネタリウムに言ったんだけど、六本木プラネタリウムって知っている人は知っているけど、座席がなくて自由に寝転がれんのね。

そこで2人で寝転がったら彼女が手を握ってきた。どのぐらいかからないけど、次は身体を起こしてキスしてきて、そのまま覆いかぶさってきた。

その状態がしばらく続いて(その間、ずっと沈黙)、彼女が口を開いたと思ったら小声で「彼女ますか?」と聞いていた。

彼女はいたのだけど、どう返していいかからず黙っていた。すると「付き合いませんか?」と言ってくる。

おれが逡巡しているとさら彼女は「好きなんです」と言う。この時点でおれの陰茎はMAX勃起していた。そこでおれはズボンのチャックをあけて「やばい、しゃぶって」と言った。

すると彼女はしゃぶってくれた。すっきりしたおれは特に交際への返事をせず、駅まで彼女を送って分かれた。

別れ際にLINEを交換したんだけど、これがよくなかった。毎日毎日LINEがきた。他愛のない。おれが返事をしないでいると誤送信のふりをして送ってきたりもした。

おれは彼女がいたので、これは苦痛だった。たまに彼女と会ってセックスをすると、「セフレ扱いしている」と怒り出した。これはもう無理だと感じた。

おれが思わせぶりな態度を取ったのが悪かったのかもしれない。でも明確な返事をしない時点で気づいてほしいし、性欲解消に走っている時点で察してほしい。

こういった男女の行違いっていうのは男女かかわらずあるし、粘着するのが男性特有のものではない。性別に原因を求める議論はまったく意味がないと思う。

萌え絵エロ批判とかジェンダーロールの問題って性的魅力を使うのが卑怯ってことでしょ?

まあ理屈は分かるんだけど、なんで二次元創作フィクション)に目が向くんだろ。

自分二次元から内容は全く規制する必要は無いという表現の自由至上主義という立場じゃないけど、

なんか他に力を入れるべき問題が山積みじゃんって気がする。

例えばミスキャンなんて、中身も審査対象ですなんてのは建前で見た目で選んでいるわけで、そこでの

評価就職を有利にしている(アナウンサー等)。

大学進学率が7割を超えてる東京都じゃ大学に進学するのが普通ことなんだろうけど、全国平均は5割程度で、

女子の進学率が4割未満の県もある。

大学に進学できる女性エリートだ。

就職が専門的な知識ではなくて外見で決まるという傾向にお墨付きを与えるようなミスキャンなんてのをエリート

ある女子大生が看過しているのは問題なんじゃないの?

もちろん批判があって取りやめになった大学があるのも知ってる。

でもこういうサイト国立の名門大学でも行われているのを見ると、意識が低いと言わざるを得ない。

もちろん女性だけのせいではなくて男性問題でもある。

https://misscolle.com/

2018-10-11

anond:20181011155426

要らないというか別に必要としてないのに描き手はみんな必要と思われてるのがなんか心苦しい

TLで「感想要らない描き手はいない」「創作やってて感想欲しくない奴はおかしい」って良く見かけるし

貰ったら嬉しいけど別に求めてないとも言えない空気なんだよなぁ、最近

美術学校あがりの売れてない作家って

身内の囲いの中だけで生きてるように感じるのは気のせい?

絵や小物が売れない売れない嘆いている作家が多いけど、まず外に売ろうとしていないじゃない、と思ってしまう。

デザフェスとか展示とかで作家同士がツイッターやらラインやら名刺やら交換しまくってるけど、

創作仲間の輪を広げてそこから自分の名を売っていこうという大義名分に甘えて、身内で周りを固めてるようにしか見えない。

売り手連中しかいない中で売ろうとしても売れるわけないんじゃないかなぁ…

ただのぼやきです

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