はてなキーワード: バリキャリとは
妊娠のつわりや、出産の痛みのひどさ 股を麻酔無しでハサミで切って、患部をこすりながらでっかい物体を引きずり出すて どう考えても拷問でしょ‥ どうしても怖くて無理だった
臆病者で苦痛がとにかく怖い こんなに恐ろしく痛みを避けられない世界に新たに命を作り出すのは罪だなという気持ちもある
めでたく35歳を迎え、生涯独身子なしが確定したので、これからの人生どうすべきか困っている
人生の目的は決まっており、親をちゃんと看取り、自分自身も老衰で苦しまずに逝くことだが、達成が難しそうで困っている
知り合いの老衰死者はみんな90を超えていた 90まで穏やかに生きることができるのか
いい老人ホームを選んでもらい、手続きをしてもらい、身元引受人になってもらい、定期的に会いに行ってちゃんと世話されるか確認してもらう
線が悪いと誤嚥性肺炎などで苦しい死を迎えることになる 肺炎で死ぬのはつらいよ‥
金を貯めれば良いというものでもない
身よりもなく、頭もボケかけた老人から金なんていくらでも奪えるからだ
また、金を払ったからといってちゃんと世話をしてくれる保証はない なぜなら、世話をチェックしてくれる身内がないからだ 老人ホームでは身寄りのない老人が虐待されると聞く
わかってはいたけど、天涯孤独老人の心細さに、今から胸が冷える
親を看取ったら、その時点で安楽死をさせてもらえないだろうか‥?
結婚したいけど相手も私も別姓がいいんよねってことで結婚延び延びになってて、
お互い割と経済的に自立してるけど、お金もったいないから今年から同棲もはじめたわけ。
で、とりあえず事実婚にするか?どうしようか?みたいな感じになってて、お盆に帰省してた既婚友だちに会ったときにその話をしたのよ。
既婚の彼女は夫の姓を名乗ってて、
私は「別姓にしたいから事実婚かなーって感じなのよねー、はやく夫婦別姓認められれば楽なんだけどねー」って話をしたらさ、
「前の仕事(小売の接客)のときは変な客に名前覚えられてキモかったけど結婚したおかげでもう名字違うしって思って乗り切れた」とか、とにかく名字を変えて良かった、名字変わったくらいで困ることなんてほとんどないのに大げさすぎるよ??とか言われてびっくりした。
夫婦別姓は選択制だから友達ちゃんは名字変えてハッピーならええやん!変えたければ変えて良いんだよ!って話もして、
私と彼はお互いに割と珍しい名字で、そこそこ気に入ってもいるからお互いに残したいよね〜って感じだし
、私は仕事でメールアドレスやら名刺どうする、取引先とかいつなんて言う?たかだか私事の結婚で?みたいなの考えるだけでめんどくなっちゃう人だからさ〜って言ったの。
そしたら増田ちゃんはバリキャリ思考だもんね(笑)って鼻で笑う感じに言われてしまった。
悲しかった。
私は仕事が軌道に乗ってきて自分の裁量でできることも増えて楽しくなってきてるし、何かあったときのこと考えたら少しでも稼いで自立できる状況を維持したほうが良いよな〜って考えから働き続けたいなってだけだし、それが実現可能なのはいわゆる「バリキャリ」をやってくれてた先人たちのおかげなんだけども。
その日の数日後にその既婚友達とも面識のある別のお友達(独身)に会った。二人ふくめ、地元の同級生のゆるいいつメンみたいな感じ。
私と既婚友達が会ってた翌日に、既婚友達から連絡が来て何人かでお茶しに行ってたらしい。その連絡は私を除くいつメン皆宛で、その場では私を馬鹿にする話をしてたらしい🥲
独身友達は(なんでそこの二人そんなこじれてる??)と心配してくれて、連絡くれて会うことになったのだ🥲
増田ちゃんはバリキャリで稼いでるからお高い価値観でモノ言くところある、それでも社会で働いていけるんだもんね、そういう人が社会回してくだざってるのか〜とか、
仕事でもプライベートでも男に使われてたまるかって必死になってるんだろうな〜って思う、かわいそう、
みたいな褒めてるふうにけなしたり、まんま貶したりって感じに言われてたらしくて
さすがに卑屈すぎる、むしろ既婚友達のメンタルがやばそうと言われた。冷静になるとたしかにそうだなって思う。
既婚友達ちゃんはいま転勤族の旦那についてずっと各地点々としてる状態で、パートでもなかなか働きにくい(数年に一度だけど急に引っ越しになるかもしれない)から結婚したあと一瞬パートで働いた以外はずっと専業で子育てしてる状況だし、増田ちゃんや私がいまも働いてるのたぶん羨ましいんだよ、そこは気使ってやらんといかんのかもね〜……でもあそこまで言われる筋合いはねえよな🥲ってなった。
それでもやっぱ私が私の名字をどうしたいって話すだけであんなバカにされてハブってやろうみたいなこと今更されると思わなかった🥲
シンママバリキャリ正社員であまり家にいなかった母の代わりに、よく私の面倒を見てくれた(ちなみに同居)。
幼稚園の送り迎えも、日々の食事も、祖母と一緒だった。母が残業で夜遅くなる時は、祖母の部屋でテレビを見て、そのまま寝落ちしてた。祖母は、なぜか夜テレビを見る時に電気をつけない人で、真っ暗闇の中、古い毛布にくるまって、テレビを見てた。
自然が好きで、桜やら福寿草やら、車で見に連れて行ってくれた。遠すぎてどこにいるか見えない貴重な鳥とか。
大きくなってからはそんなに出かけたりはしなかった。祖母も免許を返納したし。
私が大学進学で家を出てからは、たまに帰って雑談したりしてた。
一昨日、「話があるので来て欲しい」とLINEがあった。
これ、読みやすいように書いてるだけで、本当はやたら多すぎる「、」とほぼひらがなのLINE(やっと今年漢字変換が出来るようになった!)。
ちょうど暇だったので、その日のうちに実家へ行った。在来線で1時間弱だからすぐ行ける。
そこではじめて、大腸がんのステージ3である事を知らされた。入院と手術。入院する日も、手術する日も決まっていて、数日後だった。
で、今日がその入院日だった。親戚と3人で病院に付き添い、書類を書いたり、荷物整理をしたりした。
祖母のいないところで聞いたんだけど、親戚としては、別にそんな生きてなくても……って感じらしい。弱ったまま生きてるのが1番手間ひまがかかるから。
みんなそんな感じっぽくて、「死んでもまあ別にいっか」という空気が流れていた。私は何も言えなかった。
帰ってきてお風呂入って、2時間くらい涙止まんなくて、髪も乾かしてない。なんなら乾き始めてる。
気分転換にYouTubeを見てもダメ。もう祖父母の代は鬼籍に入られているだろうなという年代の人(30代以上くらい)が映ると「この人もおばあちゃんを見送ったのかな」なんて考えてしまって見てられない。
親戚いわく「死ぬとかでは無い」らしいけど、でもさ、もう祖母82歳なんだよね。この手術は成功して帰ってきても、なんか色々もうすぐなんだなーって。で、そういうときに、まわりと親戚みーんな「まあ別に死んでもええんちゃんう?」みたいなの。泣いてるの私だけ。
がん治療は苦しいと時々聞くので、痛みや苦しみがあるなら極力祖母には味わってほしくない。でも私としては1秒でも長く生きてて欲しくて、でもそれって祖母の苦しい時間を伸ばすだけなんじゃないかなって。
俺はこれまで積極的にほしいとは思わなかったんだけど、最近欲しくなってきた。
妻と二人の人生も悪くないが老後寂しそうだし、
愛する妻と自分との間に子供ができたらどんな人生を送るのか興味が出ている。
しかし、妻が乗り気ではない。
理由は3つ。
生んだ後もある程度仕事をセーブしなければならないことが嫌だそうだ。
もちろん俺も子育ては分担する気だが、仕事上どうしても抜けられないタイミングがあるため、妻の子育て比重が大きくなることは自明だ。
妻は「わたしなんかが母親になったら子供はかわいそうだ」と言う。
発言の意図を紐解くと、幼少期に母親との関わりが希薄で母親像がおぼろげであること、
自分のような能力の低い人間のDNAを受け継ぐ人間がかわいそうであること
などを挙げた。
確かに妻は子供のころ、家庭の事情で親と一緒にいる時間が短く寂しい思いをしたらしい。
個人的には能力の低い人間云々に関しては、妻の自己肯定感の低さに起因すると思っている。
「それ相手のほうが100%悪くね?」といった類のトラブルですら「私にも原因があったし対処を考えなきゃ」と自分を追い詰めている。
ただ、客観的には学歴も職歴もそこそこ立派だし、周囲からの評価もついてきている。
みっつめは、不確実性の増えることへの不安。
こどもの人生と責任について、考えなければならないことが増えるのが嫌だそうだ。
親がコントロールできる範囲はごく限られたもので、だいたいはコントロールできないものと思いつつも、
子供に可能な限り広い選択肢を与えなければ「親失格」と感じられるそうだ。
これらのことを説明され、俺は何と言葉をかけていいか分からなくなってしまった。
子供は欲しいが、妻に無理をさせたくない。妻と別れることは考えていない。
暇つぶしに見るXでは、よくワーママと専業主婦が争っている。働きながら、あるいは働かずに子どもと向き合った。それが正しかったかどうかは、何十年か経ってみないと分からない。
以下は、平成初期に単身赴任の父+専業主婦からパート、フルタイムを経て自営となった母の間で育った私の事例である。
人の記憶はいつから残っているのか、幼稚園の頃に、母親が自分をおざなりにし始めたな、と感じたのを覚えている。それまで一番に迎えに来てくれていたのに、ある時を境に先生とふたりきりで、最後まで待つようになったからだ。
産まれたときから母親が忙しく、保育園に毎日遅くまで預けられていた妹は、おそらく母と過ごした時間は私より短いが、寂しかったという記憶はないらしい。人は最初からもっていないことよりも、一度手にしていものを手放すほうが辛い。
小学生の頃、学童から帰って、保育園に妹を迎えに行って、ご飯を食べて、お風呂に入って、それでもまだ家に大人がいない日があった。一度、母親が日付を変わったくらいに帰ってきたことがあって、覚えてないけれど、その日は何故か早く帰ってきて欲しくて、妹が寝たあともずっと起きていて、疲れた母親の前でどうしてもっと早く帰ってきてくれないの?とわんわん泣いたのを覚えている。最初はごめんね、と慰めていた母もだんだん苛立ってきて、じゃあ仕事辞めたらいいの?と叫んで机の上に山積みになった本や書類を床に叩きつけた。母も限界だったんだろう。今なら分かる。ただ、その時は、ああ、親を困らせた私が悪いのだと感じた。実家の床にはその時の傷がいまだに残っている。それから私は、母が遅いという理由では泣かなくなった。
中学生の頃まで、進んで出来の悪い生徒の面倒を見たりする一方で、上手く友人関係が築けなかった。いざこざを起こして、親に電話がかかってきたことも少なくない。成人してから愛着障害に関する本を読んで、片足を突っ込んでいたのだとわかった。人から必要とされたり、周りの関心を集めたりすることでしか、自分の価値を感じられなかったのだ。
勉強がまずまず得意だったこと、(両親が全力で働いてくれたから)お金で惨めな思いをせずに済んだこと、教師と周りの人間に恵まれたことで、腐らずに済んだ。自他の区別がつき、自分で自分を大切にすることを学んだ。それなりの大学に進み、それなりの会社に入り、(自分で言うのは恥ずかしいが)世間でいうバリキャリという属性になった。人間関係も人並みに構築できるようになった。
思春期になる頃には、過干渉の母親を疎む友人が多く、そういう母親は大抵、拠り所のなさそうな属性であった。子を一人の自立した人間として尊重しながら(放置された結果そうなったに過ぎないのだが)、格好良く働く母を羨ましがられることも少なくなかった。
辛いときもあったが、振り返れば一時的なものだし、親も私自身も、当時はああするしかなかった。もちろん運が良かったというのもあるが、母は頑張った。私も頑張った。そういう風に消化していた。
結婚後、何気なく小さかった頃の話をして、夫に寂しかったんだねと言われたとき、涙が止まらなくて、ああ、寂しかったんだなと思った。母を怒らせたあの日から、寂しいと言ってはいけない、思ったらだめなんだと、ずっとずっと思ってたけれど、別にそうじゃないんだな、寂しいと思ってもいい、それを口に出して言っていいんだということがわかった。
いつか帰省したとき母親に、小さい頃寂しかったと、初めて口に出して言うことができた。別に謝って欲しかったわけではなく、あの時寂しかったのだということをわかってほしかった。軽く言うつもりだったのに涙ぐんでしまって、あさっての方向を見ながら言ったら、母は、あのときはどうしようもなかったけど、未だに後悔するわ、寂しい思いさせたね、ごめんね。と言った。ちらっと見たら同じように涙ぐんでた。あの日のことは、母もずっと覚えていた。
もうすぐ子どもが生まれる。私はきっと子どもを産んでも仕事をやめない。理由は色々あるが、何より親の経済力が子の選択肢を広げることを身を持って知っているから。そのせいで、子供に寂しい思いをさせることがあるかもしれない。それは仕方がない。ただ、子供が寂しいときに寂しいと声に出せるような関係を構築したいし、その気持ちに付き合ってあげたい。いつかの私のように、自分の中の小さな自分を泣かせたままにしなくていいように。
追記)
ずっと読み専だったはてな、思っていたよりも沢山の人に読んでもらえて嬉しかったです。コメントも全部読みました。ありがとうございました。
この記事は、私がDINKSをしていた間に数年かけて消化したことの一つで、妊娠をきっかけに改めて思い返すようになり、今の気持ちを形に残しておこうと思って書き留めたものです。
自分の事例をベースに考えると、子の情緒形成という観点で、養育者が濃密に関わっておくべき期間は長く見積もって10数年程度あるのだということだと思います。
ナイーブだった私がサバイブできたのは運要素が大きいことは自覚しており、かつ上述の期間はかけがえのない時間ではあるということを理解しつつも
・コメントしてくださった一部の方や妹のように放置されたことが情緒形成に悪影響を与えないケースもある(子どもによる)
これらの点を踏まえると、夫だけの稼ぎで暮らせないわけではない(実家もそうでした)状況であっても、自分のためにも、家族のためにも、その情緒形成の期間を働かずに過ごすのは私にとっては悪手だなと思っています。いかに悪影響を最小限にして、家族一丸となって波を乗り越えるかということなのかなと。
父についてはどなたか言及してくださったとおり、物心ついたときからほとんど家にいなかったので、それが当たり前でした。昔気質の人で、わずかに家にいたときも家事育児にはノータッチでした。今は夫婦ともに融通の利きやすい職場なので、なんとか両立したいと思っています。また数年後にここに書いたことを振り返れますように。
実際に養ってる女数人を見た感じ、養われてる男の共通項って「メンタルが安定してて欲がない」んだわ
メンタルが安定してて欲がないってのは、普通のサラリーマンと結婚して専業主婦で幸せにやってる女と同じ
見た目はまちまち 年齢はだいたい同等から男が下。年上の男を養ってる年下妻は知り合いにいない
バリクソ稼いでる女社長のヒモとかならそういうのもいるのかもしれないけど、普通の企業で働いてるバリキャリ女が容姿端麗男を養ってるのは見たことない
やっぱり欲があるからそういう外見になってるので、よっぽど経済的メリットがない限りは黙って養われてくれないよ
男が女がではなく、欲があるほうが稼いで金を獲得する、欲がないほうが家を守るというのが良いんだと思う
養われるのも一種の才能だね