はてなキーワード: 論理とは
スマホ時代で手書きの文字を書く機会が減っても「字の汚い人はどんな人?」に興味を持つ人は多い。総じて「字を本気で綺麗に書こうとしてない人」や「時間をかけてゆっくり字を書くつもりがない人」が字が汚い。そのことから、「字の汚さ」と「頭の回転の速さ・思考量の多さ」の相関も言われる。
「思考速度(書きたい内容の多さ)に、手の動きが追い付かない」ので、崩した走り書きのような文字になってしまうというあれね。
ただ本気でお手本通りに時間をかけて綺麗に書けば、個人差はあれど少しは綺麗な字が書けるはずで、根本は「字を綺麗に書くことを重視してない」や「人から自分の字を評価されることも重視してない」に近いところがある。
美しい文字を書くには、書道でも墨をゆっくり摺る所から始まる。
そこから精神を落ち着けた上で、一筆一筆を丁寧かつ流麗に動かす手間のかかる作業なわけだが書道までいかずとも硬筆でも、「とにかく読めて意味が分かればいいだろ・丁寧に書くのは時間の無駄」の価値観が強いと、一文字一文字丁寧に書き上げるがまだるっこしくて思考速度に合わせて汚い走り書きになる…
「字が汚い人は頭が良い」の通説は本当なのか?
20年以上、教育に携わってる身から言えるのは、字が汚い人のほとんどは、
ってのが大半。
なお本当に天才は、たしかに頭が良すぎて字が汚いけど、論理性に富むし考えはスマートだから、自分がレアケースなのも理解してる。
簡単に言うと朝日新聞もアメリカもロシアと中国に簡単に勝てると思ったら負けました。つきましては日本が戦って。
という頭がおかしい。
そもそも2014年からドンバスで死んだ子供たちは無辜の命ではないと。
こういうバカが支局長とは笑わせるそもそも中国のどこが脅威だ言ってみろ。
本当にふざけている。腐り切っている。
勝てないんだから切腹です。嘘つき!嘘つき!お前らは本当に腐り切っている。
心ある人は購読をやめよう。こんな腐り切っているゴミに金は出せん。
ウクライナ支援の長期化 突きつけられた二つの「正面」どう向き合う
https://www.asahi.com/articles/ASR5Y516FR5SUHBI043.html
連載:多事奏論
無辜(むこ)の人々の命が無残に奪われる現状をみれば、G7で確認された「必要とされる限りの揺るぎないウクライナへの支持」に背は向けられないと思う。ゼレンスキー氏の広島入りが報じられた直後、ワシントンでコルビー氏に改めて話を聞いた。「ウクライナ支援が必要でないとは思わない。ただ、台湾を結びつける論理は、旧ソ連との冷戦に勝つにはベトナム戦争への勝利が必要だといった過去の論理と同じだ」。米国はベトナムで徐々に関与の度合いを深めて泥沼にはまり、結果として国力がそがれた。中国との競争が激しさを増すいま、米国は軍事力、経済力を集中すべき、という主張に揺るぎは無かった。
話を聞いていて、米国にはもはや、二つの「戦闘正面」に向き合う余力はない、という現実を突きつけられた思いがした。
終わりの見えないロシアの侵攻と膨らみ続ける中国の脅威は、日本にとっても二つの正面である。国際社会の平和と安定を導くために、なにを優先し、限られた資源をどう使うか。投げかけられた問いに、私たちも、より真剣に向き合っていく必要がある。
競馬ファンの「家畜だろうが警察犬だろうが全部人間のエゴなんだから競馬だって許されるだろ」みたいな主張、
「出産なんてどうせ親のエゴなんだから貧乏だろうが障害が遺伝しようが全部エゴだしいいじゃん」みたいなバカ親の詭弁と被るんだよなぁ
エゴは良くないものであるからこそ完全に排除できないにしても最小限に留める努力が必要にも関わらず、開き直ってどこまでもエゴを拡大しようとするその醜悪さたるや
どういう論理で導出されたか理解できないんだが現にマイナンバーカード忌避者=脱税者みたいな言論がまかりとおってしまうのが日本人の気質なのだから、この際、利便性向上のために指紋を取られたってどうってことなかろうもん
他人と会話が出来ない。続かない。
とにかく自分は話下手で、思ったことを人に上手く伝えられない。
『意志を伝える』って、主張そのものだったり、そう感じた根拠だったり、あるいは話をわかりやすくするための例えだったりを順序立てて話すことだと思う。鶏肉とねぎを串打ちしてねぎまにする、みたいな。それが上手くいかない。自分が話したいことを文章化した結果、口から出力されたものは「肉肉肉ねぎいちご!」とかいうゲテモノだったりする。いちごって何だよ、って思うかもしれないけど本当にいちごが出てくる。「中まで火が通って甘くてトロトロの焼きねぎ」と言いたかったのに、咄嗟に言葉が出てこなくて、それが「いちご」になる。ゆっくり考えれば自分の思考に対して適切な表現が思い浮かぶんだろうけど、テンポのいい会話が求められている場面で、そんな悠長な沈黙が許されるはずもなく、結果、考えていることと微妙に関連しつつも違う概念が吐き出される。
だから自分が伝えたいことは、基本、自分の思っている通りに理解されない。相手の反応や返答を見て、「自分が言いたかったのはそういう意味じゃないんだけどなあ」と思うことは本当に多い。100%自分が悪い。でも訂正する気力もない。だってその訂正でさえ、上みたいなぐちゃぐちゃな文章になってしまうから。
こうなってくるともう諦めるしかない。で、ここで話すことをやめてしまうので、会話がぱったりと終わってしまう。これならまだいい方で、前提条件の説明が面倒な内容になってくると、もはや最初から話す気力もなくなる。どうせ喋ったところで相手を混乱させるだけだし。「結局、何が言いたかったの?」って詰られるのが怖い。詰られるは大袈裟にしても、自分が話し終わった後の、周囲の「?」という空気と苦笑いがきつい。
友達同士の会話ならまだいい。問題は大学の授業や就活のグループ面接でこれをやらかしたとき。論理性を欠いた意見なんか当然評価の最低値で、かといって最後まで沈黙を貫くのは「議論に参加する気ある?」と詰められる(そりゃそうだ)。別に人の話を聞いてないわけじゃなくて、頭の中ではちゃんと話題に対する自分の思考が形成されているし、「紙に記述して」と言われたら過不足なく文章化できる。話すことだけが上手くいかない。紙に書けるなら口でも喋れるだろって思うかもしれないけど、自分の中にある思考って靄状の不定形で不明瞭なイメージになっていて、文章だとそれに一番近い言葉が見つかるまで何度も選び直すことができる。でも口語だと言葉を選ぶのはその場その場の一瞬だから(加えて会話の途中で急に黙り込むのもよくない)、全体として話が破綻する。
擁護しようもなく自分が悪いんだけど、一方で本来の自分が適切に評価されてないという不満も感じていて、疲れてしまった。
本当どうしたらいいんだろう。
昔はここまで酷くなかったと思うんだけどなあ。
結局革命肯定の論理を援用(悪用)して、他国を政権転覆させまくっている某国に欺瞞があるって話なんだよな
革命を扇動すれば自然法のお墨付きで他国を崩壊させられるってことか、いやー知らなかった
革命を僭称(扇動)して暴力による政権転覆を起こしてしまえば、それが正常な革命であったかどうかはもう誰にも分からないってことかあ
いや俺が世間知らずだった
まあ、俺はgpt批判を進めるわ。結局革命肯定はイデオロギーの一つで、現代日本人の常識とは相容れないからね
もうちょっと詰めてやっていこう
俺だ
昔は統計より論理だろという時代だったんだが、案外統計がうまく行っちゃったので、結果そうなってる
厳密には理解していない(論理的で出した結論ではない)が、「皆が言ってるからそうなんだろう」の精神で答えを出している
と言うか実は人間の脳も案外統計的なのでは?という説まで出ている
仕事をする際に、体系化された知識ではなく、統計的にやってるケースが有る
いわゆる「経験と勘」がそれだ
何事もそうだと思うが、体系化=論理というのは非常に難しい
しかもそれを覚えて実際に使うのは非常に困難が伴うし
それができてしまうと、一気に誰でもできるようになるし、今なら自動化されてしまうので
結果残る仕事が「経験と勘」なものになっていくという事情がある
本当はよくないと思いながら、「まあいけるやろ」の精神でやってる
世の中の専門家の結構な割合が経験と勘でやってるが、そんなことをおおっぴらに言ったら信用が落ちるので誰も言わない
言わないどころか知ったかぶりをする
世の中には3種類の人間が居ると思う
C 体系的に理解できる
Aは無能、Cが本物、Bは偽物だ
俺はBだ、Cにはなれそうにない、なれたとしてコストが掛かりすぎる
そんな論理はないぞ
メンテナンスを重視しても売れないといった論理が多いのですが、
家電メーカーは汚いところ、汚れるところに手を触れさせない、目に見せないことで「顧客に気づかせない」方策をとっていると感じています。
アプリで言えば「エラーを表示しない」「そもそもエラーを検知しない」に近しい行為だと思います。
つまり、メンテナンスのニーズがないのではなく「メンテナンスの必要性をそもそも気づいていない」が正解だと思います。
製氷機であれば汚れ具合がわかる仕組み=エラーを表示
製氷機を洗える仕組み=エラーの解除
にあたるイメージです。
ですので、エラーの解除が業者任せでもそれはそれでありかなとは思います。
あくまで私の記憶でしかないのでツッコミどころが多々あるかと思いますが、
ネットやテレビで汚いことが話題になる→製品が対応するというパターンが多いです。
・洗濯槽のカビ
・エアコンのカビ
洗濯槽にはカビが生えることを知り、市販の洗浄剤で洗う人が出始める。(専用の洗剤ではなくオキシクリーンなどの洗剤です)
という時系列ですね。
エアコンも昔から存在している製品ですが、顧客がクリーニングを意識し始めてから数年しか経っていないですよね。
こちらも自動洗浄機能がついたり、ガビ防止フィルターが売られたりしてから顧客が意識しだしたのではなく
顧客がカビの存在を知る→なんとか対策をしだす→対応した製品が出る
現在進行形でいくと
製氷機はクエン酸での洗浄という顧客がなんとかするフェーズですね。
ドラム式洗濯機も1年で見えない部分に埃の塊がびっしりになることを知っている顧客はどれぐらいいるんでしょうか?
顧客に見えないように隠しているのだからニーズがないのは当たり前です。
隠す→ニーズがない→隠すの継続→ニーズがないというループから顧客が逃れる方法は
テレビやネットで「実はこんなに汚れているんです」って何かの拍子で話題になるパターンしかないと思いますよ。
海外の女性とも何人も付き合ったけど、日本人の女性と付き合うと思うこと。
それは責任を取りたくないことだ。
女性の役員比率が低いのも、女性国会議員比率が少ないのも、女性医学部生が少ないのもそうだ。
奢り奢られも、デートにサイゼリヤも、プレゼントに4℃も本質はそこではない。
デートに行きたければ自分で店を選べばいいし、買いたいものは自分で買えばいいし、買ってほしければ素直にねだれば良いのだ。
とにかく言い出しっぺではなく受け身のまま、自分を気分良くして欲しいのだ。
でもそれは言えない。
私を嫌な気分にした、だから悪いのである。それが正いしいのだ。
これらの日本共産党の外交政策の根本にある考え方は、あらゆる紛争問題を国連憲章にしたがって平和的な話し合いで解決すること、地域のあれこれの国を排除するのでなく、あらゆる国を包摂した平和の枠組みをつくり、強化していくことにある。
奈良女児殺害事件を機にフィギュア萌え族が嫌われるようになったけれど、
結果としてそのことでオタクコンテンツが抱える暴力傾向や女性蔑視が社会に与える影響が少なくなり、弱者や女性に優しい世界になりましたという映画を作って、
オタクが文句を言ってきたら「この映画はフィクションです。登場する事件、人物、地名、団体名は現実とは無関係です」「お前のお気持ちが傷ついた以外に何か被害あるの?」とせせら笑ってやろう。
それでも「その通りだ。そのような映画を発表すること自体は自由だ」と言えたら本物だ。
逆に一人でも文句をつけてきたら、「推しの子問題に対するオタクの論理を適用すればこの映画も許されるはずです。これに文句をつけるヤツがいるということは、推しの子に対するオタクの姿勢が誤りであることが証明されました」と発表すればいい。