はてなキーワード: 居候とは
実家はわけあってネットがつながらないので親戚の事務所に営業時間は居候してネットしてます。
そこでは漫画も調べるのですが、エロいのが出てきそうなシチュを表現できるキーワードが思いつくとすぐpixivとか漁るモードになって、家に帰って抜くことばかりに頭がいっぱいになってしまいます。場合によってはたまらず営業終わり前に帰ります。
これって漫画とかの二次元文化がそんなに好きでないってことなんでしょうか?
とはいえ、おかずのほとんどは二次元に限られるので、二次元が嫌いというのもなんか違和感があります。どう自分を解釈したらいいのかわからなくなりました。教えてください。
dorawiiより
猿が快適そうな文明的な暮らしをしててコロンブスがそこに押し掛けて居候してることについての説明を徹底的に避けてるよね
植民地主義を美化するには猿はもっと悲惨な暮らしをさせてりゃいいんじゃないかなあ?
そして猿の家に居候しながら人力車をこがせてるの見たら我々は「なんだこいつ図々しいオカマだな」と思うよね?
コロンブスは全然かっこよくもないしよい取引をしてるようにも見えず猿に甘えまくっている
これが植民地美化になるのはナーゼ~?w
引っ込みつかないんだろうけど内容に踏み込んだのが最悪の失策だったよね
いまからでも話をそらして「コロンブスはタブーだからアウト!」に逃げ戻っていいよ?
みんなそうしてるのになんで君だけ苦難の道歩んでるの?
学生時代のこと
入学当初、地方から出てきた俺は期待や緊張やらで毎日がなんとも言えないそわそわした気分だった。
ある日学生課で手続きのことなどを色々聞いていたら、後ろから声をかけられた。
「あ、~学部ですか?私もです」
淡い茶色のふわふわしたパーマが特徴的な、明るそうな女の子だった。
それをきっかけにして入学当初はその子(以下M)と一緒になることが多かった。
徐々にそれぞれ別の友達も出来ていったが、共通の友達同士でのグループ付き合いもあり、よく一緒に遊んだりしていた。
そしていつの間にかMは俺の友達の一人と付き合うことになった。正直Mは俺の事を内心気になってるんじゃないかと勝手に思いこんでたので少し驚いた。
でも自分から積極的にモーションをかけるようにも見えなかったし、押しに弱そうだったので流れで付き合うことにしたのかなと思ったりした。
俺は俺でMのことはなんとなく気になってはいたけど、これといったきっかけもないまま友達関係になってしまったので、
学生時代の変化は大きいもので、1年もすれば遊び方なども互いにだんだん変わってきて、一緒になることは減っていった。
Mは実家から通っていたし真面目タイプだったが、俺は少しずつ悪い遊びなども覚えていって大学をサボる事も増えていった。
それでもたまに、なにかのタイミングで二人だけになることがあった。
人が少なくなった夕方過ぎの食堂や、同じ科のたまり場になっていたソファを置いた棟の踊り場なんかでばったり会ったりすると「おう」なんて言って
「最近どうなの?そちらは」なんて昔なじみのようなしっとりとした会話になった。
それらについてMとは深い話はしなかったけど、「なんか面食いだよね~」とかからかうような事は言われたりした。
Mは俺の友達と付き合っていたのでそのどちらからも話を聞くことはあった。
俺の友達は少し強引なタイプで、Mを振り回してるなと感じる事も多かった。
たまに心配になって聞くと、まあ腹立つけど、そういう振り回されるの嫌いじゃないのかもと言って顔を赤くしてた。
俺は特に嫉妬心もなかったし、へーそうなんだなあくらいにしか思ってなかった。
大学生活が終わりを迎えようとするころには俺もMも付き合ってた相手とは既に別れてしばらく経っていた。
恋愛より就職の事で忙しかったし、他の友だちも含めてみんなで集まるということもその頃にはずいぶん減ってしまっていた。
大学は少し田舎にあったので、東京に就職する予定だった俺はアパートを引き払う必要があった。
先に東京に住んでいた兄弟の家にしばらく居候させてもらうことになって、必要なものは友達に手伝ってもらって運んだりしていた。
俺の借りていたアパートは大学にかなり近かったこともあって、在学中はちょっとしたたまり場のようにもなっていた。
卒業間際には在学中よく遊びに来ていた友達が入れ代わり立ち代わり、懐かしむように俺の部屋に遊びにきた。
ある日、大方荷物も運び終えてほとんど空っぽになったその部屋にMがやってきた。
「なんかさー~ちゃんに聞いたらみんな〇〇くんの家に遊びに行ってるって聞いてー じゃあ私も行ってみようかなーって」
Mも以前は時々遊びに来ることがあったのだ。
久しぶりにゆっくり二人で話せたこともあって、昔話は尽きることがなくて昼に来たのにあっという間に夕方になっていた。
色んな笑い話、共通の友達が心を壊して大学を辞めた時のこと、一緒にしたバイト先のこと、重い話もあったけどとにかくたくさん話した。
Mとはそんなに遊ぶこともなくなっていたのに、こんなに共有していたことがあったんだなって改めて驚いたりもした。
さすがにそろそろ話題も尽きたかなというころ、急に思い出したかのようにMがそう言った。
色んな話はしていたけど、出会った入学当初の事だけはいつの間にか二人の間で絶対に話に出ることはなくなっていた。
まるでタブーみたいに、なかった事かのようになっていたのだ。
「そうそう!ね!」
そこまで言ってMはしばらく黙ってしまった。
「あーそうだ、恥ずかしいわーw」
と言って顔を赤くしてまた黙ってしまった。
「あのころさー 私さーけっこうあれ、、◯◯くんの事けっこう好きだったんだよね~アハハ」
Mがそう言って顔を真赤にしたまま大きく笑った。
内心やっぱそうだったのかと思いながらも「え、えー、そうなの?」と白々しく俺は驚いてみせて「でもいつくらいから?」と聞いた。
「いやーわかんない、好きなのかもなーって感じ?ふはは」
「そっかあ、、でも俺もけっこう気になってたよ」
「えーー嘘だあ、だって全然私〇〇くんのタイプじゃないじゃん!」
「いやほんと、かわいいし」
そんな会話を一通りして、学生生活の忘れ物のような答え合わせを二人で終えた。
ベッドはもう運んだ後だったけど寝るためにマットレスや布団はまだ残っていた。
特になんのきっかけもなくごく自然に彼女にキスをしてしまった。
そのまま二人でセックスをした。
ゴムをつけてるときに「フフ」と笑った彼女が急に大人びて見えた。
感動はないしすごくドキドキするというのもないけど。
とにかく心地よかった。
事が終わって二人で横になって手をつないだ。
しばらく顔を見つめ合ってどちらともなく笑いだしたらその後発作のように笑いが止まらなくなった。
特撮に関しては100点満点です。こんなにナチュラルな、そらぞらしさ・嘘っぽさのない映像効果はハリウッド映画でもなかなかない。そらオスカーも獲るわと思った。
特に、海、波、しぶきの演出が素晴らしい。海上シーンは最高です。
稚拙もいいとこ……。
致命的なネタバレを含むので、これから見ようって人は以後は読まぬがよろしい。
プロット以前に全体として語彙が貧弱で、「あたまわるいひとががんばって書いたセリフ」という印象ばかりが目立った。素人ラノベみたいな感じ。
言葉遣いもそう。当時の言葉遣いそのままである必要はもちろんないけど、終戦直後の昭和20年代という舞台にふさわしい言い回しが多少は使われていないと奇妙な感じになる。テレビ時代劇だってマイルドにアレンジはされてるけど一応「ござる」とか「そのほう」とか言うでしょ。そういう、時代を映すムード作りがセリフにない。
そして「さすがにその時代、そんな言い回しする? その単語あった?」みたいな現代的な表現が出てきては興を削ぐ。
こんなの、専門家にちょっとリファインさせるだけでぐんと真実味が増すと思うんだけどなあ。
あと秋津(佐々木蔵之介)が野田(吉岡秀隆)に対してガクシャと渾名をつけて呼び捨てにしたりタメ口なのも違和感がある。学者は技官とは言え元将校という設定で、元下士官の秋津が気安く茶化したりイジッたりできる階級ではなかったんじゃないだろうか。ガチガチのタテ社会での上下関係は、組織を離れてもずっと続くものだ。渾名で呼び捨てなんてちょっと信じられない。関係ないけどガクシャが船に乗ってると「ガンバの冒険」を思い出す。
そしてプロット。
物語の背骨になっている「大戸島玉砕は主人公のせい」という前提がまず苦しい。実際にあのとき零戦の機関砲でゴジラが撃退できたかどうかは不確実で、少なくとも「敷島が撃てば確実に撃退できた」と言えるバランスのゴジラではなかった(どっちみち敷島が特攻から逃げなければあの島にはいなかったのだし)。敷島(神木隆之介)が気に病むのも橘(青木崇高)が敷島を恨むのも当人たちの思い込み以上の根拠が薄く、物語を駆動するトルクがまったく足りない。
まして「大戸島玉砕は橘の責任というデマを流したら腹を立てた橘が現れる」という敷島の幼稚な策略。なにこれ。子供? 子供なの? もうちょっとマシな作戦なかった?
敷島家の隣人澄子さん(安藤サクラ)の役柄も最後まで謎だった。復員してきた敷島に繰り返し毒を吐いていた前半のサイコな印象と優しく敷島家をサポートする後半の印象とがまったくチグハグで、ずっと身構えていなければいけなかった。前半のサイコキャラ必要?
あともう典子(浜辺美波)。典子関連はもう完全に意味わからなかったしどうでもよかった。
初対面の敷島の家に転がり込む初手から「は?」っていう感じだった。バックグラウンドもキャラクターもフワフワ、敷島への思慕の念もまともに描かれず、自立したいって働きだしたわりにいつまでも敷島の家に居候してるし、ゴジラが咥え上げた電車から振り落とされても誰もが即死と確信する爆風に巻き込まれてもキレイな顔で生きていた。不死身か。ゴジラ並みの回復力じゃねーか。
キャラクターがフワフワと言えば、ほかならぬ主人公敷島クンのフワフワぶりも目を覆うものだった。薄っぺらくありきたりなメンヘラ演出は神木隆之介クンの演技力とは関係なく説得力ゼロだったし、意志薄弱なのか臆病者なのかただのボーッとしたやつなのか人物造形がまったく不徹底だった。そのせいで「典子の死をきっかけに自分の中の戦争を終わらせる決意を固める」という重要な心境の変化もヌルッとしていたし、当の典子は死んでなかったっていうんだから吉本新喜劇のように全員ズッコケてしまう。敷島の行動原理のコアとなる「敷島の中でまだ終わっていない戦争」というテーマからして扱いがぞんざいで、もっと丁寧に描きこむべきだったんじゃないだろうか。まあ、特攻から逃げたとかはともかく大戸島玉砕に関しては前述の通りなので、いくら描きこんでも説得力は生まれ得なかったのかもしれないが。
それはそれとして、典子との死別は非常に重く重要な節目であり、〈実は生きてましたぁ!よかったよかった!〉と簡単に済ませていいような出来事ではないと思う。だったら話は違ってくるじゃん、となるレベルの卓袱台返しであり、典子は安らかに死なせておくべきだったと思う。
俺は同居人から態度が悪いとよく言われる。でも俺はその責任は相手にあると思ってる。
3人でルームシェアしてる感じを想定して欲しい。
(俺の部屋に二人居候が居ると言い換えても良い)
俺は同居人(彼らをA、Bとする)の事を頭が悪いと感じる事が多々あり、それがどうしても態度に出てしまってるらしい。
常にバカにしてるわけでは無いんだけど、バカな事をされると「はぁ。。。」みたいになる。
その態度が気に入らないと言われるのだが、俺からしたら、おまえらこそちゃんと考えて生きろよ、と思ってしまう。
例えば先日はこんな事があった。
俺が所有してるゲーム機でAはよく遊ぶ。Aにとってはこのゲームで遊ぶ事がかなり重要との事。
(俺とBはたまに使う程度)
Aは買い換えて欲しそうだったが、表立ってそう要求してはこない。
たまたまメルカリで上位互換品が安くなってたので買ったがHDMIケーブルが無かった。
早く動作確認をして受取評価をしたかったがAがちょうどオンラインゲームをしていて、すぐに抜けられない状況らしくHDMIケーブルが使えない。
(この日、この時に届きそう、というのはAも把握していて、更にAが普段やってるゲームがちゃんと動作するか見ることで動作確認としようと事前に相談して決めていてこの状態なので、、、だけど、まあ、これはそこまで問題ではない)
Aも新しいゲーム機が来る事を喜んでいたし、ゲーム機を主に使うのはAなので
「じゃあ俺は仕事があるからあとは任せても良い?前にも言ったけどBが帰ってくるまでに設置まで終わらせたいから動作確認も含めて設置までしてくれない?」
と伝えた。「了解」と返事が返ってきた。
Bが帰ってくるまでに設置を完了しなければならない事はAも承知している。
なぜならBは更に残念な人でケーブル類によくひっかかったりして機器を壊す事が多いからだ。
そしてBは翌々日まで家に居るので、その日帰ってくるまでに終わらせなければならない。
俺は別の部屋で仕事をしていたが不安になったので(Bが帰ってくる時間までに動作確認と設置が終わりそうなギリギリな時間に)大丈夫かなと思って見に行ったらAは今度は別のゲームをしていた。
「Bが帰ってくるまでに設置終わりそう?」
俺は、やんわりと言った。
「ん~、無理そう。てかなんで俺がやる必要あるの?やっといてよ」
(そう言いながらゲームを続ける)
俺「いやBが帰ってくるまでに終わらないと次は二日後だからさ」
A「ん?その時やれば良いじゃん」
A「ん?すれば良いじゃん」
A「あ~、それはそうか。ごめんごめん」
そう言ってキリが良いところまでゲームをしてHDMIケーブルだけ借りて俺の部屋で俺が動作確認をして、設置は後日俺がやる、という事になった。
そして次の日こう言った。
(いや、それおまえのせいじゃね?)
こんな感じである。
常にこんな感じなのである。
残念ながら俺はこういう人を同じ人間だと認識できない。なんというか、動物、とまでは言わないが魂が抜けた人?NPC?そんな感じに思える。
(もちろん俺の知能がもっと高ければすべて先回りしてこんな無駄なストレスを抱えずに済むんだろうけど、そこまで俺の責任なの?)
ではどういう人なら俺は自分と同じ人間なんだと認識できるだろうか?と考えてみた。
まず俺がゲーム機を買った事を伝えた時に
「おー、それは嬉しい!じゃあ(ゲーム機使ってるの俺だし、インストールしてるゲームソフトも俺のが多いから)Bが居ない時に俺が動作確認から設置まで全部やっとくよ」
と答える人なら完璧だ。
(そういう関係性なのでお互い特に変な遠慮はしないものと想定して欲しい)
ここで更に「俺が半分出そうか?」まで言えたら完璧を超えてるけど、そこまでは全く求めてない。
しかし実際にはこれだった。
A「え?マジで。やりぃ。じゃあ古いやつ俺の部屋に置いて良い?」
俺「いや、ジャンクとして売ろうと思ってるんだよね」
A「え~、良いじゃん売らなくても。まだ使えるから俺の部屋に置きたい」
俺「でもディスプレイ無いでしょ?買うの?」
A「あ、そうか。うーん。おまえの部屋に余ってなかったっけ?」
俺「いや、あれは使ってるから無理」
この溢れ出る図々しい感じね。
俺「Bが帰ってくるまでに設置終わりそう?」
A「うお!やべ、もうそんな時間か。ごめんごめん速攻で動作確認やっとくわ。設置までは今日終わらなくても困るのは俺だから大丈夫だよね?また後で設置しとくから」
ちなみにゲーム機を設置してある場所は主にAとBのせいでごちゃごちゃしてて、設置するのもまあまあ面倒な感じである事を付け加えておく。
こういう相手がこういう対応をしてきた時に残念な感じを出さずに対応しないといけないものなの?
なんか読み返すと俺が舐められてるだけにも見えてくるけど、どちらかというと怖いと言われる事が多いし、俺の言う事に従おうとする姿勢は見えるので、決して舐められててこういう態度なのではなく、頭が回ってないと感じる。
というかわざとやる程知能が高いとは決して思えない。
見終わった後に思ったことは地方の性風俗関連の歴史は消えかかってるなという印象
東京の性風俗すらキャンセルカルチャー好きのメディアによって消えかかってるのに地方の性風俗なんかもっと相手にされないだろう
風俗はもう大阪の新地の性風俗ぐらいしか残っていないぐらい均一化されて地方独自のものはなくなっていく
吉原展で展示されている作品類は春画の影響が単純に強いので海外へ幾らか資料が渡ったのは幸いしていると感じている
もう保管できません…各地の博物館・美術館で収蔵品あふれ返る 新しい置き場所がつくれないなら何か工夫は:東京新聞 TOKYO Web
横須賀で居候していた時にオババから戦前から戦後に掛けて今の船越付近に赤線青線が合って、そこで軍人さん捕まえて幸せになった人もいるから
昔は食い扶持減らしで身売りしてってパターンはまだあったからそんな感じで受け止めている人が居たんだと思った
まず、しばらくここに投稿することができなくなったことを心よりお詫びさせて頂きたい。
私の身に何か起こったのではないかと心配してくださる方もいたであろう。現在、何事もなく生活できている。
ここでの注意喚起がストックホルム貴族の息のかかった遠縁の血縁者の目につき、工作員たちから逃れるために各地を転々としていたのである。その後実家や土地の整理などに追われており、はてな匿名ダイアリーにアクセスすることすらできなかった。
工作員の1人が私の主張に理解を示しており、彼から誘われとある過疎地域のワクチン接種会場で出動医としての勤務に就いた。もちろん、私にストックホルム貴族による虐殺計画に加担するつもりはなく、接種会場に訪れた方々に注意喚起を行うつもりであった。
過疎地域と侮っていたが、出動医、看護師、自治体職員までストックホルム貴族の影響下に置かれており、結局私は目的を果たすことのできないまま退去させられたのである。
そこから印旛郡の某自治体に戻り、そこに新しい生活の拠点を確保し、インターネット環境を整えようやく今に至るのである。
ここで再び自己紹介をさせて頂きたい。
父は教師をしながら祖父と共に清酒用の米を作り、休日には空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。母は音楽教師であり、米農家に嫁ぎながら遂に一度も田んぼに足を踏み入れないまま生涯を終えた気位の高い女性であった。
何事も起きない小さな町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた。在学中ストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの有色人種虐殺計画を知った。一橋大学商学部卒業後、叔父宅での居候期間を経た後に神戸大学医学部医学科に入学。学部教育を終え大学院医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。さらに帰郷後にはサナトリウムにて亥鼻の工作員たちから拘束される屈辱を受けた。
今の説明でいうと設営後、開場してすぐ
「私が苦労したことで他人が幸せになっているのに、他人が(苦労につりあうほど)私を幸せにしてくれない」
と感じたのだそうだ。
天秤の左、「本人の苦労~」の部分は、イベ申し込み、はじめてデジ絵をならって入稿、など。
完璧主義で初めてでも一人でなんとかできてしまっていただけに、苦労が表にみえなくてフォローできなかった。
天秤の右、「他人が私を~」の部分、端的にいって交流がなかった。
本来いるべき同ジャンル参加者がおらず、新刊本の交換などが実質上発生しなかった。
また推しのコスプレさんもいなかった。というか買い子の殺到風景は怖いよたしかに。
さらにいえばやはり最近は警備などのため参加料が高騰している。金銭面でも報われない。
やはり作品を通じて喜んでもらえる質はあるんだということが
(Xの不調にもかかわらず)じわじわと送り主を動かした。
「次に目指すは無配!だがイベントはまだ決めない」と
おっしゃっておられて、ああ~楽しみなんじゃ~。
なんならうちのスペの椅子をいつでも用意します(いきなり合同化居候OK)。
と面と向かっていうとヒかれるので……ここでいっといた
生まれは違うが、川口に10年以上暮らし、その後蕨に2年半います。
元記事にある通りクルド人の方たちが暮らしているのは芝のあたりなので、自分が住んでいるエリアとは離れています。
とはいえご近所ネットワークで色々噂がないわけではなく、また現住所近くにもそれっぽい方たちが暮らしていますが、ご近所付き合いの範囲では特に恐ろしい話などは聞きません。
まぁ、道端でやたらデカい声で話している外国人とか、食べかすの鳥の骨とかを空き地に捨てる人なんかはいますが、クルド人なのかどうかは知らないし、日本人でもガラの悪い人が割りと多いので(笑)、外国人だから特にどうというのはありません。
割りと近所付き合いがあるので、お友達には外国出身、日本とのミックスなど色々いますが、特に問題もないし彼彼女らについて悪く言っているのも聞いたことがありません。
元記事の続きに「外国人は既に共生している」とあって言い得て妙だと思いましたが、共生とか大げさなワードを使わなくてもその辺に住んでて勝手に「共存」しているし、大体人間なんてほっとけば多様なんだから、「多様性」とか掲げなくても特に頑張らなければ勝手に多様です。
一部の吹き上がっている人みたいのが無用な「頑張り」をしているだけだと思います。その「頑張り」が信義信条によるものなのか、強迫観念的なものなのか、お金のためなのかは知りませんが。
たまたま当方アラブ地域にまあまあの期間暮らした経験がありアラビア語もわかるため、普通の日本人よりはいくらか「その辺のノリ」が理解できます。
もちろんアラブとクルドは違うのですが、氏族社会的な要素が多かれ少なかれ残っていることでは共通しています(エジプトでは「タール」と呼ばれる仇討ちの習慣が割りと最近まで残っていて、氏族の一人がやられたら相手の氏族の一人もとっちめる、その相手がなんの罪も犯しておらず、何なら事件当時生まれてなくてもやられる、みたいのがあったようです。今ではコミカルな映画のネタになっています)。
クルド人問題で「血縁者が病院に集まって業務を妨害」みたいなニュースがあり、まぁ業務に支障が出たならこれは確かに問題なので、(暴走車や過積載車と同じように)(日本人外国人の区別なく)犯罪は犯罪として取り締まってほしいですが、「血縁」というのは誤解があるなぁ、と思います。
この辺は高野秀行さんのソマリランドについての本などを読んで頂けると一番てっとり早いのですが(当方高野さんのファンで、本はほとんど読んでいます)、氏族というのは丁度日本の戦国大名とか、ヤクザの親子盃みたいな「仮想血縁」であって、文字通り本当に血が繋がっているとは限りません(もちろん繋がっていることもあります)。ある種の契約関係みたいなものです。
この「仮想血縁」というのは人類史的に多分かなり広く深く見られるもので、現代日本でもマイルドヤンキー層は「兄弟分」みたいな絆を大切にすることが多いですし、ほんの少し前、昭和の高度成長期くらいまでは「血の繋がっていない家族」みたいのは割りとよくあったと思います(昭和のアニメでは実子でない子とかよくわからない居候とか登場しますよね)。
この「仮想血縁」はびっくりするくらい網の目のように広がっていて、丁度暴走族のチームが場合によって法律よりチームの掟を重視するように、氏族の繋がりを国民国家の法に優先するケースがあります。
そういう意味では国民国家と相性が悪いのは事実で、国民国家幻想が奇跡的にうまくハマってしまったアジアの小国にあっては氏族文化の人たちとの軋轢が生じやすい傾向はあるかもしれません。
ただ「仮想血縁」社会は世界のかなりの地域に多少なりとも残っていますし、例えば自分が何らかの事情で外国に暮らさざるを得なくなってしまった状況を想像すれば、そうした人の繋がりを大切にするのは理解できなくもないでしょう。
結論としてはしょーもないですが、もういるものはいるし、別に常に問題を起こしているわけでもなく、逆に人は日本人だろうが外国人だろうが時々問題を起こすものなので、ぼちぼちやっていくしかないです。
あんまり強い縛りとか理想とか持たないことです。「こんなもんやろ」で手を打ちましょう。
さらに余談なのですが、「仮想血縁」とか言っていますが、そもそも「血縁」自体がもとから仮想的です。
もちろん生物学的な血縁は間違いなくあるし、今ならDNA検査なんかで同定できますが、ちょっと前まで母はともかく父は誰だかわからない、なんてのは普通にあったでしょう。
そして象徴的「父」を基準に考えられた「血縁」もまた、生物学的というよりは象徴的・言語的に構成された仮想物です。
そういう仮想物を大切にして生きてきたのが人類ということです。
犬は自分のお父さんとか全然気にしません。うちにも犬がいて、実のお父さんと会ったことがありますが、特に親子の対面的なものはなかったです。
今日の事はどこかに書き記して、そして忘れたかったから、この日記帳に記して捨てるつもりだ。
昨日、初めて限界を超えて酒を飲んでいた。
自分は酒を好む性格ではなく、ましてや日常的に飲むことはない。
3%の酒くらいが関の山で、それでも2,3本飲めば終わりしておく。
その原因はもっと単純で、計画中の旅行の代金をもっと安くできたはずなのに、それを選ばなかった事を後悔したこと。
そして、その後悔を覆すためのキャンセルができないと知ったことだった。
しようと思えばもっとできるのかもしれないが、そうしたならば折角の休学中の身分を活かしきれないと思っている。
それに何より、休学後、つまりは来年度の内定先の月収を超えてしまうのは、何となく、来年度からの仕事に身が入らなさそうで嫌だったのだ。
そんな我が儘による月10万程度の稼ぎ。
それを優に超える出費というのは、慎重に選ばなければいけなかった。
それなのに、キャンセル不可。ついでに変更不可。
もっと安くする手段があったはずなのに、慣れていないという理由から友人に全てを任せてしまって、いろいろと決められた時には手遅れだった。
数万単位の金は戻ってこない。やり場のない感情だったから、愚痴を言うほかは無かった。
私は母に対し、愚痴を言った。
母がよくそうするように。
私はもう解決しないことを愚痴って、気持ちの整理を付けようとしたのかもしれない。
もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答は欲しくなかった。
しかし、愚痴を聞いた母の回答は私の予想以上のものではなかった。
もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答をくれた。
私はその回答を予想していた。母はその通りに答えた。だから最初から、濃いめの酒を私は準備していたのだろう。
それでは足りなかった。
いつもは母が愚痴を言う方で、それが逆転した希少な状況。
そして、私の愚痴の原因は、数万円程度の失敗。取り返そうと思えば、いつでも取り返せる額だ。
だから、私を面白おかしくいじろうとする意図が見て取れた。例えそうでなくとも、私はそう感じた。
私はすぐに酒を飲み干し、買い物に行くと言って外に飛び出した。
そして、コンビニで濃いめの酒を数本買った。
外は幸いにも涼しく、天気が良かった。
日はすっかり沈んでいて辺りは暗く、住宅街を抜けた先の河川敷に移動してしまえば、辺りの暗さは一層に増している。
つまらなかった。
すぐに酔いは回らない。酔いが回っても楽しくもない。自分を責める声だけが、自分の口から漏れ出していく。
だけれど、その大小を決めるのは私である。
途中で何人もの人々とすれ違ったはずだ。
自転車のヘッドライト、ペットの光る首輪、ランニングする人々。
誰も私を気に留めない。
発狂した。
だから、いろいろ上手くいったこともあるし、だからこそ、上手くいかなったこともある。
休学の理由もそうだ。
研究室という閉鎖空間において、パワハラ気質の教授という最悪な人間にあたってしまったが、それでも魅力的な研究をしていると思っていたから、ついていこうと頑張ってきた。
だが、そんなもので人を見るべきではなかった。
研究という科学的なプロセスにおいても、科学的事実よりも人格という感情論を優先して上に立つ者を選ぶべきだったのである。
幸いにも私は、その環境を脱し、色々な苦労を経て、就職先とバイト先を見つけることができた。
ただ、私の性格というものは、どうにも変わり切れていなかった。
今は実家に戻っていて、いわば、居候のような状況で、居心地が良いとは言い難い。
だから度々、客観的には帰りの遅くなる母を思いやって、主観的には居心地の悪さを緩和するために、そして、小言を言われないように、家事を手伝った。
そして、度々、私は母の愚痴を聞いてやるのだった。
さて、発狂した私の話に戻そう。
私は発狂のあと、酷くなる頭痛を治めるために水を買いにコンビニに行った。
水のペットボトル、酒の缶。
それを買って、再び、河川敷に戻る。
空を仰ぎ、水を飲む。頭痛はずっと続き、私を苦しめる。
自分が何もかもの原因で、自分のせいであり、自分が悪いんだと、私は自覚した。
その時、自転車が通り過ぎた。
座り込んでいる私に一瞥もくれずに。
私は買って来た酒の缶を地面に叩きつけた。
噴水みたいに酒があふれ出す。
私の心の中のように。
気が付けば時刻は夜11時を回っていた。
私のスマートフォンは、何の通知も受け取っていなかった。
膨大な数のラインを母に送った覚えはある。それを受けてから、掛かってきた母の電話に出る気は無かった。
これからの私も、これまでの私も、今の私も、他人の事を思いやるくらいはできると思っていた。
傲慢だったらしい。
帰ってみれば、母は寝る準備を済ませていた。
私は一言だけ、たぶん「ただいま」とかいう当たり障りのない言葉を取りあえず投げつけて、ベットの上で、床で、風呂で、眠れない時間を過ごした。
一度だけ、母が目を覚ましていたような気がするが、あれは気のせいだったということにしておく。
そして、朝日が昇った。
私はまだ痛む頭を抱えながら、外に出た。
清々しい朝だった。
私の気分も晴れ晴れとしていた。
心の枷が外れたような気がした。
そのことに気づいただけでも、十分だった。
思いやりは、最小限で十分だと気が付けた。