はてなキーワード: 男の子とは
藤子が関わってる出版社やアニメの制作会社で、誰かおかしいと指摘してくれる人はいなかったのかな。
たまに日常生活(仕事でもプライベートでも)で、自分に与えられた物事を順番通りにクリアしないと気が済まず,
それを一旦後回しにしたりすることができない人に遭遇する。特に仕事上のことに関しては、どうしたもんかと困っている。
高校受験時に、一つの問題につまずくずっとその問題に時間を費やしてしまう同級生の男の子がいた。
受験は問1から順に解かなければいけないという決まりはない。時間勝負だから、時間配分に気を付け、
得意な大問から先に解く、悩みそうな問題はとりあえず後に回しにするなども必要だ。場合によっては捨てるという選択もある。
そのことは再三アドバイスしたのだけど、どうもその男の子は与えられた順番通りにやりたいというこだわりがあるのか、
分からない問題を一旦保留することが許せないかのようだった。分からない問題が分からないままになることが気持ち悪いらしかった。
問題集で単元ごと、分野ごとに問題を解くとけっこうできる子だった。
模試のような総復習だと、分からない問題が出たとたんにそこに留まるため、時間を浪費してしまう。
私の友人(女性)に、ゲームが好きで、RPGを好んでプレイしている人がいる。
ドラクエやゼル伝なんかを想像すると分かりやすいが、プレイしているとメインストーリーの攻略とは別のサブクエストを与えられることがある。
こういったサブクエストは、メインストーリーの攻略には影響しないことが大半だ。(影響するものはメインクエスト扱いになる。)
だからパッとやってクリアできなかったら、とりあえず後回しにするという手もある。受注したクエストはメニューで管理できるし、あとからまた挑戦できるのだ。
それでも友人はサブクエストに完遂できるまでこだわり、与えられたサブクエストを順にクリアしようとするから、
一つのRPGをクリアするまで3年も4年もかかることがあるようで、よく「いつまで経っても終わらない」と愚痴っていた。
どうやら手元に来たミッションは完遂しないと居心地が悪いというか、やはり保留にできないらしい。
こういう、手元に来たタスク、ミッション、与えられたことを保留できない人というのはこれまでに何人もいた。
その人のこだわりが強いことによりその人自身が時間を浪費したり能力が発揮できないのは、もったいないけど個人の自由だからいいと思う。
いま手元にある謎や難題をクリアして今すっきりしたいという気持ちもよく分かるし、モヤモヤ引き摺りたくない気持ちも分かる。
手元に対応中のタスクを複数かかえ同時並行で進めるのがしんどい気持ちもよく分かる。
でも仕事や、他者にも不利益が及ぶ場合は別だ。物事には優先順位がある。
分からないこと、理解できないことに一事が万事くよくよ立ち止まって深く考えてはいられない現実がある。
職場の部下。社内の業務改善提案のためのパワポ資料を作っていて、パワポの図形に変なところを見つけるとちまちま微調整していた。
そこに社内と他部署から急ぎの案件がきて、明らかにパワポ資料よりも急ぎの案件のほうが優先順位が高いトラブル対応だった。
でも部下、どうにもパワポが気になるらしくて、気が付くと急いでパワポの体裁を弄って修正しようといるんだよね。
書式やレイアウトや図形の細かいところが気になっちゃうのは分かる。分かるよ。でもいまの優先順位はそれじゃないんだ。
気付くたびに注意するんだけど、どうにもパワポが気になるようで、バレないように弄っている(バレているけど)。
たぶん本人としては、トラブル対応が急ぎの案件だから、パワポ作業を早く終えてトラブル対応に本腰入れようとしているんだろうな。
でも今はトラブル対応の方が大事なんだ。私たちの部署、リスク管理の部署だよ。トラブル対応は本務なんですよ。
パワポは今月中になんとかするのが目標で、トラブル対応は今しなければいけないんだ。
でもパワポを中途半端なまま保留するのが、本人としてはすご~く嫌なんだろう。
部下はこれまでも、「優先順位そこ?」「とりあえず保留にすべきじゃない?」ということはあった。
これまで人生であってきた、手元にあるタスクを保留にできない人たちのことを思い出す。
たぶん、好き好んでそうしているのではなく、「どうしても気持ち悪くて保留にできない、後回しにできない」んだろうなと思う。
いじめっ子扱いされるリスクを持ってでも働きかけをするように言いましょう
男ならブルーカラーで出稼ぎして仕送りしてくれるという可能性はある
既にブルーカラーは海外だと月給100万とかいうところも出始めてるから、現状でも日本と4-5倍の差がある
今後日本円が強くなることはあんま考えられん(極端に弱くなることもないと思うけど)し、日本の賃金水準が良くなることも考えにくいから、男の子でブルーカラーで仕送りを頼むっていうのはアリなのかもしれないけど、まあレアケースよね
をまだ悩んでいる。
結婚は21歳の時だった。
周りは、「さあ あとは子供を産むだけだね!」と言う。
同い年の友人たちは、「子供が欲しい、結婚したい、だからあなたが羨ましい」と言う。
わからない。
今後の人生で自分が子供を産み育てるかもしれない未来に不安を感じる。
命を預かるということが、どれほど責任の重いことかわからない。
それがいつになるかわからない。
大体、「よし、自分は子供を育てられるくらい大人になったぞ!」
と思う瞬間など訪れるものだろうか。
これから25歳、27歳…と年齢を重ねる。
28歳ごろになってくると、
今度は周りから「早く産まないと!」と言われる。
じゃあやっぱり早く産まないと!と考えだすと、
「子供を育てる財力がないのに子供を産もうとするな」とした意見と、
「子供も産めば何とかなるから、あまりお金の心配で踏みとどまらないほうが良い」とした意見を聞く。
前者は、主にネットでよく見る。
後者は、主に私の身の回りの人が実際に言ってきたことである(田舎なので)。
前者については、子供を産み育てるのに十分な財力を確保するのに
後者については、今は昔ほど行政が金銭的な子育て支援もしてくれないし、
何より賃金と税金の関係で、昔と比べて「どうにかなる」時代ではない。
こう考えていくと、やはり子供を産むという行為をまったく希望的に感じられなくなる。
共働きの状態で「子供を産み育てるのに十分な財力を確保」できたとする。
しかし、結局女性側はどう頑張っても出産のためにキャリアを途絶えさせることになる。
「出産で一時 仕事をしていなかった人」という紛れもない事実が付いて回る。
この事実をプラスに捉えてくれる会社が、今の日本に果たしてどれほどあるだろう。
お互いにフルで稼ぎながら面倒を見るのは限界がある。
体をぼろぼろにする必要もない、キャリアを途絶えさせる必要のない男性が羨ましい。
でもなぜか、友人たちはそんなことはあっさり受け入れたような様子で、「子供が欲しい!」と言っている。
子供を産んだあと、五体満足で生きていられるかも怪しい。
日本では、10万人の子供が生まれたら、3,200人の母親が亡くなっていることになる。
子供を産んだ後自分が元気に生きていられるかも、確かではない。
なのに友人たちは、まるで出産後も自分が元気で生きていられることを信じて疑わないみたいなのだ。
高齢になってくる親に、赤子の子育てを押しつけるのは忍びない。
かといって、今の時代に専業主婦を希望する、などというと、それはそれで叩かれる。
今の時代、専業主婦とはいってもパートや非正規雇用で働いている人が殆どだが、それでも世間は冷ややかだ。
子持ちの母親、というだけで厄介そうな顔をされる。
かといって専業主婦も選べない。
果たしてこんな調子で、安心して子供を産もう!と思える未来なんてやってくるのだろうか、
そんなことを考える最中、
これ以外にも、うんざりするような政策が次々に飛び出していて、
選挙にちゃんと参加して投票している私も、政治のこの有様に辟易としている。
投票に行っても年々悪くなっていくような国の情勢に、
かと言って周りの同い年の友人たちは、「子供ほしい!」というくせに
自分たちが何も考えていなくても、子育てをやっていけると信じているみたいである。
仮に私が女の子を産んだとしても、
安心して通学させることもできない。
娘に同じ思いをさせたくない、と強く思う。
仮に男の子を生んだとしても、
通学路にはプリウスミサイル、電車には「誰でもよかった」と嘯いて女子供を殺す人。
そんな心配を抱かずに済む人だけが、子供を産めるのかもしれない。
期待したり要求したり羨んだりする。
ただ私は、少なくともこれだけの不安を抱えたまま
子供を産み育てることはしない。
でなければ、子供を産み育てることを、後悔しそうで怖いからだ。
周りの人は、「産まなければ後悔する」
「老後が困る」「孫を見られない親が悲しむ」
と脅すようなこともある。
確かに後悔するかもしれない、と思う。
子供を産むということだけは、「やらない後悔よりやって後悔」をしてはいけないことだと思う。
それでも、私はまだ迷っている。
はたまた、子供を産むことが”良い”とされる社会に怯えている気持ちから、逃げられる時が来るのか。
何が正しいのか、全くわからない。
をまだ悩んでいる。
結婚は21歳の時だった。
周りは、「さあ あとは子供を産むだけだね!」と言う。
同い年の友人たちは、「子供が欲しい、結婚したい、だからあなたが羨ましい」と言う。
わからない。
今後の人生で自分が子供を産み育てるかもしれない未来に不安を感じる。
命を預かるということが、どれほど責任の重いことかわからない。
それがいつになるかわからない。
大体、「よし、自分は子供を育てられるくらい大人になったぞ!」
と思う瞬間など訪れるものだろうか。
これから25歳、27歳…と年齢を重ねる。
28歳ごろになってくると、
今度は周りから「早く産まないと!」と言われる。
じゃあやっぱり早く産まないと!と考えだすと、
「子供を育てる財力がないのに子供を産もうとするな」とした意見と、
「子供も産めば何とかなるから、あまりお金の心配で踏みとどまらないほうが良い」とした意見を聞く。
前者は、主にネットでよく見る。
後者は、主に私の身の回りの人が実際に言ってきたことである(田舎なので)。
前者については、子供を産み育てるのに十分な財力を確保するのに
後者については、今は昔ほど行政が金銭的な子育て支援もしてくれないし、
何より賃金と税金の関係で、昔と比べて「どうにかなる」時代ではない。
こう考えていくと、やはり子供を産むという行為をまったく希望的に感じられなくなる。
共働きの状態で「子供を産み育てるのに十分な財力を確保」できたとする。
しかし、結局女性側はどう頑張っても出産のためにキャリアを途絶えさせることになる。
「出産で一時 仕事をしていなかった人」という紛れもない事実が付いて回る。
この事実をプラスに捉えてくれる会社が、今の日本に果たしてどれほどあるだろう。
お互いにフルで稼ぎながら面倒を見るのは限界がある。
体をぼろぼろにする必要もない、キャリアを途絶えさせる必要のない男性が羨ましい。
でもなぜか、友人たちはそんなことはあっさり受け入れたような様子で、「子供が欲しい!」と言っている。
子供を産んだあと、五体満足で生きていられるかも怪しい。
日本では、10万人の子供が生まれたら、3,200人の母親が亡くなっていることになる。
子供を産んだ後自分が元気に生きていられるかも、確かではない。
なのに友人たちは、まるで出産後も自分が元気で生きていられることを信じて疑わないみたいなのだ。
高齢になってくる親に、赤子の子育てを押しつけるのは忍びない。
かといって、今の時代に専業主婦を希望する、などというと、それはそれで叩かれる。
今の時代、専業主婦とはいってもパートや非正規雇用で働いている人が殆どだが、それでも世間は冷ややかだ。
子持ちの母親、というだけで厄介そうな顔をされる。
かといって専業主婦も選べない。
果たしてこんな調子で、安心して子供を産もう!と思える未来なんてやってくるのだろうか、
そんなことを考える最中、
これ以外にも、うんざりするような政策が次々に飛び出していて、
選挙にちゃんと参加して投票している私も、政治のこの有様に辟易としている。
投票に行っても年々悪くなっていくような国の情勢に、
かと言って周りの同い年の友人たちは、「子供ほしい!」というくせに
自分たちが何も考えていなくても、子育てをやっていけると信じているみたいである。
仮に私が女の子を産んだとしても、
安心して通学させることもできない。
娘に同じ思いをさせたくない、と強く思う。
仮に男の子を生んだとしても、
通学路にはプリウスミサイル、電車には「誰でもよかった」と嘯いて女子供を殺す人。
そんな心配を抱かずに済む人だけが、子供を産めるのかもしれない。
期待したり要求したり羨んだりする。
ただ私は、少なくともこれだけの不安を抱えたまま
子供を産み育てることはしない。
でなければ、子供を産み育てることを、後悔しそうで怖いからだ。
周りの人は、「産まなければ後悔する」
「老後が困る」「孫を見られない親が悲しむ」
と脅すようなこともある。
確かに後悔するかもしれない、と思う。
子供を産むということだけは、「やらない後悔よりやって後悔」をしてはいけないことだと思う。
それでも、私はまだ迷っている。
はたまた、子供を産むことが”良い”とされる社会に怯えている気持ちから、逃げられる時が来るのか。
何が正しいのか、全くわからない。
これを男女逆にして「父親が娘の体液のついたシーツを洗って…」ってするとどうだろう
おばさん←産める人数が少ないのでダメ。
病気などで出産能力のない女←医療食い虫、メリット皆無なのでダメ。
付き合いもないし確かめたわけでもないけど、多分そうだ。
この小さい男の子、小学校に上がってないくらいの子だが、昼でも夜でも部屋を走り回る。
私は自宅で仕事をしているので、頭上を行ったり来たりどすどすやられるととても辛い。
管理会社にお願いして注意を促してもらおうと思ったこともあるが、どの部屋からの苦情か推測されるのが怖くてやめた。
素直に対策を取ってくれそうな親とは思えないのもある。
いつも椅子か何かを引きずるし、23時とか24時に掃除機をかけ始める。
階下への騒音など気にしていない。
走らないよう子どもに言い聞かせたり、騒音対策を取ったりもしていないだろう。
子どもが走るのは仕方ないし、こちらが耐えたり慣れたりするのが平和かなと諦めている。
ところでこの上の階の住人は、子どもをベランダに締め出すことがある。
子どもも慣れているのか、嘘っぽい嗚咽でごめんなさいとかトイレ行きたいとか言う。オエオエ泣く声が大きいからかすぐ回収される。
こういう罰の是非は置いておいて、多分なんのお仕置きにもなっていないと思う。
不思議なのは、子どもが部屋を走り回るのをそのままにしておく親が、ベランダに放り出すほど気に食わないことってなんなのかってことだ。
これわかる。
酒の勢いで性の話になった。
ギャハハハハ
きっっっっっっっしょ
って言ったら先輩の男性に逆に怒られた。そんなこと言うもんじゃないってさ。
いま考えると明らかに歪んでるよね。
息子よ、いくらペーパーで拭ってもね。
ぬめり気を取り去ってもね。
息子よ、毎回シーツを洗ってる母には分かるんです。
ママ友達に聞いた話。
嫌らしいポーズで。何枚も、何枚も。
それ聞いてゾッとしちゃって。
ピクシーブなんかは、リアルな少女の裸体を生成を禁止してるらしい。
表向きには、実在の少女の写真を学習してる可能性が否定できないから、と言ってるらしいけど。
でもそれなら、普通のAIイラストだって少女の写真を元にしてる可能性は否定できない、でしょ。
だから多分、子どもの性の尊厳を守りたいのが、方針を決めた誰かの本音なんだと思う。
同じ教室で学ぶ仲間であるはずの女の子を、頭の中で性欲のオモチャにするグロテスク。
先生は、やめてね、って注意したりしない、クギを刺すくらい自由なはずなのに。
子どもたちは、分別のつかない未熟な時期に、女性 = 性的消費される生き物 って学習させられる。
女の子はいつしか、そんな扱いに反発するのに疲れて、心を麻痺させてしまう。
うちの息子は悪をしてない。
クラスメイトの女の子を、想像のイメージの中でさえ、おなじ人間として丁重に扱ってる。
息子よ、母は信じていますよ。
それにしても、夢精してて良かった、と思うなんてねえ。