はてなキーワード: 情緒とは
「(コレクターズエディションの予約)どないする?」
「まぁ(予約に会員登録必要っぽいし予約特典スルーして店頭購入で)ええやろ」
「あれっコレクターズエディションは?」
「ごめーんスタンダードエディションだけ入荷しちゃった」
「これでも私は慎重派でね近場の専門店を徹底的に調査・問い合わせさせてもらったよ その結果…コレクターズエディションの在庫がどこにもないことがわかった」
ウ…ウソやろこんなことが…こんなことが許されていいのか
まっBD対応機器も買いそびれてるからバランスは取れてるんだけどね
◇この計画性の無さは…?
まぁそれはそれとしてすずめの戸締まり御再上映だあっ
舞台挨拶は平日だから応募しようともも思っていなかった(強がり)
わ…私は…すずめを見るために早退申請したのに結局ガッツリ残業した過去があるんだっ 労働の悲哀を感じますね…
また清水崇の濫造ホラー…こいつもクソ映画っスねと思ったら別の監督だったんだ どこに需要があるんスかね 忌憚のない疑問ってヤツっス
ゴジラ-1は普通に面白そうなんだ山崎貴のサイコパス感がプラスに働きそうなんだ
何故か知らんが予告編見てるうち泣きそうになって一番戸惑っているのは俺なんだよね 情緒不安定ではないかと思われるが…
ミノル君の存在を素で忘れてた…戸締まり展でもいなかった気がする
シネコン特有の音漏れが気になる。たまたまどっかの戦闘シーンが被っちゃったんだろうけど、夜の旅館のシーンで爆発音が漏れ聞こえて違和感しかないんよ
やっぱり旅館の夜のとこからハマっていって遊園地からのめり込む感じ
気のせいかもしれんが
細部を忘れてたので懐かしい…
初めてのデートが遊園地なんてうちらXXやねぇ、相変わらず聞き取れん
マスクは世の中一周して加筆前みたいな状況になってるね
ミミズ常世の煙と陽炎、ロリすずめが転んだ時の顔の泥、駅での芹沢カーの傷かなぁ
見間違えかもしれんが、常世の炎は正直これまでイマイチ感あったから熱気がわかりやすくてよかった
比べるもんでもないけど、君たちはどう生きるかの火事シーンはやっぱ迫力すごかったし
草太のただいまはもっとアッサリ言うのかと思ったがそうでもなかった
でも100館限定で大体1日1上映だからそこは難しい…まぁそれはしょうがないというか、上映してもらえるだけありがたいんだけども
Vtuberを推し始めてから本気で推し疲れが辛いので助けて欲しい。
20代の女です。
2年くらい前に突然とあるVにハマっちゃってからしぬほど入れ込んでる。
四六時中推しのことが頭から離れなくて、推しの活動だけじゃなくて推しのことを話してる他のリスナーの呟き、他の活動者が推しに言及した情報なんかを常にサーチしてしまう。そのせいで他の趣味もできなくなった。
推しの配信が無い日はそれだけでめちゃくちゃ悲しくて寂しくて情緒不安定になる。
推しの配信で同接が良かったりチャンネル登録が伸びるとそれだけで喜んじゃうし、
逆に同接が低迷してる時期はそれだけで落ち込んで眠れなくなったりする。
推しが褒められてると嬉しいけど少しでも5chとかで叩かれてるのを見ると動揺するしいちいち顔真っ赤で擁護レスとか書いちゃう。
推しが沢山スパチャ貰ってると嬉しいけど、良い内容の配信だったのに投げてるのが自分とあと数人くらいしかいない時は無駄にイラついてしまう。
とにかく自分の一喜一憂が推しの言動や調子に左右されすぎててめちゃくちゃ辛い。
推しは同性の女Vで自分は普通に異性愛者なのでリアコとかではないです。
恋愛感情があるわけでもないのに自分がなんでこんなに推しに強烈に執着してるのかも自分でもよく分からない、しぬほど好きなんだけど好きすぎてメンタルが推しに左右されすぎるのをとにかく抜け出したいです。
推しが一回軽い炎上した時に眠れなくなって食欲も失せて3、4kgくらい痩せて会社も二日くらい休んじゃって迷惑かけてからずっと推しとの距離を考え直したいと思ってはいるけど、どこを取っても大好きな推しだから離れることもできない。
中年男性の苦い思い出話なので花火ソムリエの人は読まなくていいやつ。
二十年は昔の話だけど、抱え込んでると心理的負荷が一向に下がらないというかむしろ記憶が結晶化して死ぬまで恨み続けるのだろうなという気がしてきたのでこういう形でテキストとして吐き出す。
高校の頃、気の合う人(異性)がいた。(以降、「その人」とよぶ)
文化系の部活で一緒で、どちらも対人関係があんまり積極的ではない感じだったのだけれどなんとなく馬が合い、放課後に部室で2人~4人ぐらいでのんべんだらりとしたり、たまに一緒に帰ったり、あれやこれやは略。で、恋愛関係では無かったけど、「周囲からは付き合っているのでは?」と言われ、たびたびそういう噂も立っていた。
まあでも、当人からは何か噂が立つたびに「一緒に居るのは楽しいけれど、それはそれとしてあなたのことは異性と見れないし、噂が立つのはものすごく 迷惑なのだ」と繰り返し言われ続けていた。その一方で、誤解を受けてもしょうがないような、友達と言うにはちょっと近すぎる距離感でもあった。
当時はそういうふうに言われるのもしょーがないと思っていた……けれど、やっぱり向こうが望むような距離感を保つことに疲れたのと、「自分自身が迷惑な存在であること」というのを繰り返し言われ続けることがかなり辛かった。いや一緒に居るのは楽しかったけどそれはそれとして。
高校を卒業してからは積極的に連絡を取ることはしなかった。ついでに、大学は東京を挟んで日本の反対側ぐらいの地域に行って、物理的な距離も取った。もうこれで「自分が迷惑な存在であること(を繰り返し思い知らされること)」という思い出から脱することが出来た……と思っていた。
のだけれど、大学卒業したタイミングで高校の同窓会があって。田舎なので一次会が終わったあとは川辺でみんなして花火となり、なんとなくその人と二人きりで向き合ってひたすら線香花火を消費する流れになってた。
なんでそんな(外見上だけは)エモいシチュエーションになってるのだ。意味が分からない。
しかも、いつの間にか線香花火の玉が落ちそうになったら相手の玉と融合して延命みたいなルールまで(向こう主導で)生えていた。なんだそのエモさ。訳が分からないよ。
向こうの恋愛感情に火がついてるみたいなことはなく(双方共に「今付き合ってる人が~」という話をしてた)、その人はむかしどおり「お前は迷惑な存在なのだ」と思っているのだろうけれど、それでそんな距離を縮めるのやめれ……「そういうの恋人とやればいいでしょ俺じゃなくて」という気持ちと「でもそれはそれとして楽しい」という気持ちがせめぎ合ってこちらの情緒が壊れる。というか壊れた。高校の頃から壊れていたけれど、決定的に壊れた。
それから20年ぐらい経つけど、未だにぽっかり時間が空いたときとかにいつも心の中で「それはそれとして、お前を異性として見られないのだ」みたいな言葉が延々と反芻されてるし、その人とは最大限距離を置き続けている。
「男女間の友情が成立しうるか否か」的な問いに一般解は無いけれど、しかし一方が辛みを持ち続けてしまう関係性になってしまうとちょっと辛すぎる。そして、若い頃はストレートに「こちらはこんなに辛いのだ」みたいなことを言えなかったし、痛みを率直に言えるような(擦り切れた)年齢になってしまうと今度は「わざわざ合う機会を作って辛みを訴える」というヤバい人になってしまうので言う機会がない。
ぐるぐる。
こんな風に書くと、小説や漫画がレベルの低いものとして扱われていると思って怒る人がいる。
でも、バカにしているわけではない。
漫画や小説 = 物語 を下のものとして扱っているわけではありません。
と主張する人の意図は
と主張しているわけです。
ひとつは、漫画小説はエンターテイメントすなわち娯楽に特化しているものが多いからです。
読んだからといって、新しい知識を獲得する要素が少ないからです。
もちろんゼロではないです。
知識を伝えるために書かれた本に比べれば、その要素が少なくなりがちです。
ときにはエンターテイメントのために、正しい知識とは逆行したことが書かれていたりするからです。
ふたつめは、漫画や小説は知識ではなく情緒を育てるためのものだからです。
言い換えると「IQ」ではなくて「EQ」を育てるものだからです。
どういうことか?
それは
・素直に文字にして語るのが難しいことや、
・素直に文字するだけでは読んだ人の心に響かないことを
・逆境でも諦めずに戦い抜こう。
・強くなるってパワーだけ極端に上げても駄目なんだ、大事なのはバランスだ。
と文字にして書かれても、ピンとこないけれど
とても「伝わり」ますよね。
もちろん、こういうことを学ぶのはすごく大事なんだけれど、
Xを眺めていたら、マガポケで連載が始まった「阿武ノーマル」なる漫画の宣伝ポストが目に留まった。
1話が全文読めるようになっていたので、なんとなく気になって読んでみた。マジギレした。
キレすぎてお気持ち長文を書かずにはいられない気持ちになったので、マガポケアプリに登録・課金して2話(最新話)も読んだ(良いお客さん)。
その結果、マジギレするのは第1話のみにとどめることにした。
ここからお気持ちを語っていきたいと思う。ネタバレしかないので、よかったらXなりなんなりで検索して第1話を読んでみてほしい(これが炎上マーケティングなのか?)
まず結論から言うと、「主人公・阿武を明確に発達障害者(自閉症スペクトラム障害・ASDの特性を持った人物)として設定した上で、彼女を不気味で不可解な『アブノーマル』のように描く作劇に、発達障害者として気分を害した」ということである。
作中で「普通」代表のように描かれる阿武の先輩・相田は、学生時代の阿武を次のように表現する。
「阿武英子は単純構造だ/ぶっきらぼう/思った事をすぐ口に出す/人の事を全く考えない/要するに阿武英子は空っぽ人間だ」
ひどいdisられようである。まあdisの内容はASDあるあるだから置いておくとしても、「要するに」の後が全く要せてない気がする。
上記のdisの内容は端的に言えば「コミュニケーション力に欠ける」という点に集約されるのだが、つまり「コミュ障は空っぽ人間」ということになる。
本当にそうだろうか? 私にはそうは思えない。コミュニケーションが取れずに相手に何も伝わらなければ空っぽも同じという意味なのだろうか?
同様に、大人になった阿武が相田に就職先の斡旋を頼むシーンでは、相田は阿武のASD的な行動パターン(感情を無視して問題解決のみを意識する、情緒的な交流ができない)を「思想がない」と指摘する。
これも解せない。相田にとって「思想」とは、なんらかの理念や行動原理を意味する単語ではなく「感情を伴う対人交流によって育まれるコンテクスト」程度の意味合いのワードなのだろうか? だとすれば私の考える「思想」との乖離がかなり大きい。
(もっとも、第2話を読んだ後は、相田のこのような価値観もまた一つの「アブノーマル」として相対化される可能性はあるのかもしれない、と感じている。もしかしたら今作は、色々な登場人物の「アブノーマルさ」を戯画化しつつ「普通」という概念を相対化していく、いわば「普通じゃないは普通だよ」的な方向に進むのかもしれない。とはいえ、無料で読める第1話だけが拡散されていく可能性は高いと思うので、本稿では1話のみに絞ってマジギレしていく)。
そして、セリフでの表現以上に腹立たしかったのが、阿武の「偽物訓練」に端を発した「普通」になるための行動の描かれ方(演出)だ。
「書き物の殺人鬼」のような笑顔しか作れなかった阿武は、「普通のOL」を演じるために、同僚の榊原と相田の会話を録音して分析し、コミュニケーションのパターンを学習しようとしている。また、「変わってる」と言われたことで「何がどう変わっているのか」を確認するため榊原に矢継ぎ早に質問する(はたから見れば詰問だったが)。
これらは漫画的に誇張された行動ではあるが、私を含めたASD者は大なり小なり阿武と同じような方法で「普通」になろうとしている。
他者の会話を聞いてパターンを覚え、それを真似することで「当たり障りのないコミュニケーション」のストックを増やそうとすることも、曖昧な指摘が分からず詳しく具体的に説明してもらおうとする(そうして欲しいなと思う)ことも、私からしてみれば「当たり前の生存戦略」であり、決して「サイコな行動」ではないのだ。
にもかかわらず、上記のシーンは非常にホラー的な演出でもって描かれている。阿武の「アブノーマルさ」を浮き彫りにしようとする意図が感じられ、ASD者としては自分が必死にやっていることを「あなたたちの行動はこんなにホラーなんですよw」と茶化されている気分になってしまった。
(ちなみに、これらの行動が、作中冒頭の「死んだ金魚を食べてみる」描写と同列に扱われているのも極めて遺憾だ。一方で、後から読み返すと「どんなに『普通』を演じても、どうしても定型発達者とは異なる発想になってしまう」という悲哀が感じられるシーンでもあるような気もする)
そして、私が本編以上にキレているのが、この作品の「売り出し方」というかパッケージングの仕方?である。
「阿武英子、29歳、独身、彼氏なし。ものごとの価値基準は「普通」か否か。「普通」に固執するあまり、彼女を取り巻く人間関係が綻び始める。「普通」とは何か、「異常」とは何か、人の倫理を問う戦慄&衝撃の新感覚サイコ・サスペンス、開幕!!」
とある。
先述の通り、第2話、第3話以降の展開によっては、これは単にさまざまな「アブノーマル」なキャラクターによる群像劇ですよ、くらいの意味合いの表現なのかもしれないが、1話時点だと「阿武がいかにサイコな人間か」が焦点になっていると読まれても仕方ない書きぶりだと思う。阿武のような発達障害(の特性を持つ)人間が「普通」になる≒社会に適応するために散々努力していることを「サイコ・サスペンス」扱いされてはたまったものではない。
また、「「普通」に固執する」ということに関しても一言言いたい。これはASDの特性の一つ「こだわりの強さ」で説明できる部分ではあると思うが、私はそれ以上の意味を見出してしまった。あえてクソデカ主語で言うが、発達障害者にとって「普通」という概念は「喉から手が出るほど欲しいけど、決して手に入らないもの」だからだ。
転職する(≒社会に適応する)ために、相田から「普通」に溶け込む方法を学び始めた時から、阿武にとって「普通」になることは至上命題になっている。「普通」でなければ社会には適応できない、というメッセージを、現代日本社会に生きる私たちは物心つく前から嫌というほど浴び続けている。だが、発達障害のそもそもの定義が「脳の発達の偏り方が非定型的(=普通じゃない)」である以上、発達障害者は「普通ではない」。だから社会に適応するのが難しい。頑張って「普通」を演じることができても、素の自分は決して「普通」にはなれないし、少し気を抜いただけで「アブノーマル」な本性が漏れてしまう。
少なくとも私にとっては、「普通」になりたいと願うのは至極当たり前のことだし、そのために自分なりに努力している阿武に共感こそすれ「サイコw w w w」などと嗤うことは絶対できない。できないし、そういう感想を見ると少し悲しくなってしまう(これは私が勝手に悲しくなってるだけなのでそういう感想を書くなという話ではないです)。
以上、本当に長々とお気持ちを表明してしまった。こういうことをしてしまう時点で私が「アブノーマル」なのは証明されていると思うが、それでも書かずにはいられなかった。対戦ありがとうございました。
①「怖い・キショい」という感情
これらは分けて扱うべき別々のことであるということ
①が正ならば②も当然!としてそこの跳躍に慎重さを欠く
怖いキショいでやっちまっていいなら朝鮮人だって虐殺していいことになる
①の表明までは批判だが
②への志向を咎められて「ただの批判」「批判を拒絶された」は責任逃れ
それはつまり極めて怪しい
ならば「キショい」の方が100倍マシ
「倫理」「ライン」などと言い換えたがる人はあまり用意議論者ではない
当該各人は「なぜ自分が言い換えたくなるのか」を観察すべき
今日で二日目だが、もう前の物件に帰りたい。気軽に引っ越しするかーとか思うんじゃなかった。
2ヶ月前くらいに家自身は気に入っていたが家賃が少し高いかなーと思って家探しを始めた。都内で駅10分のファミリマンションで、徒歩3分のところでそこそこの規模のあるスーパーがあり、すぐ近くに個人経営のレストランが二三件、クリーニング屋や銭湯があるような下町情緒あふれる街で結構気に入っていた。何より駅に近い割に静かな街だったのだ良かった。
家賃にして16万、家族向けなのでしょうがないとしても、自分の給料から考えて少し高い。
3万下がって、通勤の不便もない場所に引っ越ししたのだが、これが失敗だった。
引っ越し代金として15万くらい、礼金・仲介手数料(これは良くわからないサービスを使って3.3万円で済ませた。がこれにはかなり不満があるのだが省略)で家賃1.1ヶ月分、前の住居のクリーニング代を負担するのでいきなりマイナスになる。
さらにこれは自分が確認不足だったのが悪いのだけど、エアコン設置がされてなかったということを失念しており、自分で取り付ける必要があった。エアコンを2台買って、合わせて20万くらい。
もうこの時点で三万の家賃差額でプラスにするのに回収するのにかなりの時間がかかることがわかる。
さらに内見のときに確認不足で、室内があまり清掃されてなかった。致命的なものはないのだけど、やはり風呂場のゴムパッキンの黒ずみが残っており、妻が風呂に入るときにかなり嫌がってしまった。
この点は彼女と内見したので、ふたりとも見落としていたという間抜けな話ではある。
引っ越しした結果、かなりの労力をかけて家探し・梱包・片付けをした割に対してお金も浮いておらず、家のグレードは下がり周辺環境は悪くなってしまった。前の家では気にならなかった、周りの部屋の水音が気になってしまう。
何より、前の家ならもっと気が利いたのにな、みたいなことを思ってしまうのがきつい。
今思うと家賃が多少高くてもそこにいるべきだった、なにせ気に入っていたのだから。
自分でも何故気楽に引っ越しするかーと言い出したのか分からない。奥さんがお風呂が辛いと泣くのが申し訳なくなる。
今も前の家に戻るか、今ならまだ人入ってないだろ、みたいな考えがよぎって辛い。
しかし、これをやると100万損して時間を浪費しただけになってしまう。
なぜ内見の時にちゃんと見れなかったかというと、ポンコツな仲介業者を使ってしまったからだ。
その業者はインターネットで調べれば出てくる、仲介手数料無料 or 少額というのを謳っているサービスだった。
これが内見の時間を30分区切りで区切るのだが、更に当日まで内見するための足を用意してくれないことを知らされてなかった。
そのため複数件の物件を見る際に、30分のうち見れるのは20分くらいで10分で急いで次の物件に移動しないければならなかった。
一番大きなミスは最後に見た物件と契約したのだが、これに移動するときにタクシーがぜんぜん捕まらず内見時間が残っておらず、5分くらいしか内見しなかったのだ。
その内見の仕方もよくなかった。家具が入るのか寸法を測るところからスタートしてしまい、もっとファーストインプレッションというか、
この部屋に入って幸せになれるんだろうか、みたいな印象を見る方がよかった。
この状態で契約する、という判断をしてしまったのがよくなかった。
落ち着いて、あんまりよく分かってないのだし、家の更新の迫っているから引っ越しは諦めて今の家の契約更新しよう、とするべきだった。
ともかく、これを読んだ人は内見時の清潔さ、設備有無を必ず確認してくれ。
特に誰かと暮らす家が微妙だと相手が悲しんで、それを見ているだけで辛くなるぞ。
追記)前の家で使っていた収納用具が使えなくてつらい。前の家では問題なかったのに選択の物干しが低すぎて自分のシャツが地面に擦ってしまうのがつらい。こういう不満点になりそうなところを一つ一つ確認できなかったのが自分の落ち度だ
前半風早の爽子に向ける切々とした純情やいとしげな表情、母性的な見守りは恋する少年ではなく恋する少女のリアルなそれだった。だから爽やかだったんだと思う。読み手の少女は通常自分が異性に向ける側であるときめきや恋愛感情を爽やかイケメンキャラからぐいぐい向けられるため、リアリティのバグりで風早にツボっていったのだろう。
いくらドリームを詰め込んでも一筋のリアリティがなければときめこうにもキャラの説得力がない。しかしリアルな男子高校生の内面を注入したところで夢がない(女性作家にはそれ自体が難易度が高く限界もある)。そこで代わりに女性の恋愛感情のリアリティを埋め込んだのがキャラクター風早の成功要因なのだろう。読者の視点人物たるヒロイン爽子に向けられる感情にリアリティを感じさせるトリックである。
また、これは君届に限った話ではないが女から見た男の好ましいポイントである器の大きさ、コミュニティ内での統率力、行動力、如才のないコミュ力は備えさせたまま、女の感情を面倒がる、暴力性や冷酷さ、同性集団になった時悪ノリスイッチが入る等、苦手とされがちな特性は取り除かれ、またそのことが強調して描かれている。ドリームの為の脱臭も余念がない。
尚後半はくどいくらい風早の性欲や独占欲がフィーチャーされ、全体的に暗い雰囲気になってしまった。しかも風早が爽子以外の女キャラに絶妙に当たりがキツく、感じが悪くなった。さらに脇キャラのつまんねえサイドストーリーもいちいち昭和くさい上に重苦しく、出産で視力が下がったのかキャラの顔立ちもいかめしくなり、出産で情緒がバグったのかモノローグのポエムや説明が加速し、漫画全体から売りだった爽やかさが失われ失速。
2年付き合っていた彼氏と別れて3ヶ月が経つ。
別れた理由は、私が他に気になる男性が出来てしまって、このままでは彼氏にも、その男性にも誠実ではないと思ったから別れを選んだ、というありふれたものだ。彼氏のことを嫌いになった訳ではなかったけれど、もう1人の男性との関係を諦めたくない、親密になりたいという、自分の気持ちに嘘がつけなかった。私は過去に別の人にフラれて酷く引きずっていた経験もあったから、同じ辛さや苦しみを彼氏に与えることになるのは大変心苦しかったけど、人生は一度きりだし、私の人生は私にしか舵が取れないから、私の中では仕方のないことだった。
私は彼氏をフッた側だから、当然ながらダメージは少なく、3ヶ月経った今は次の恋に向けて、けろっとした感じで気になる人にどうアプローチしようかと考えたり、一緒にご飯に行くときの服を懸命に選んだりしている。すごく楽しい。そして、あー、なんか私、最近泣いてないなーと思った。彼氏と付き合っていた時はしょっちゅう揉めて、その度に泣いて、家族や友達にずっと心配されていたのに。
周囲曰く、別れた彼氏は典型的なモラハラ男だったという。こういう言い回しを使うのは、当時の私に彼氏からモラハラされているという自覚がなかったからだ。別れた今、当時のことを振り返ってみると「ん?」と思うような出来事は多々ある。
たとえば、彼氏から私は性格を改善するように、よく言い聞かされていた。
私は元々人よりも少しネガティブで落ち込みやすい性格だが、生理前になるとその性格がより顕著に現れてしまう。月経痛はほぼ無いに等しいのだが、月経前症候群だけはやや酷く、ちょっとしたことで落ち込んでは自分を責め、さらに落ち込むという負のループに入ってしまう体質だった。もちろん、生理のせいだから仕方ないだろ!なんて堂々と開き直るつもりなどなくて、生理前はいつも迷惑かけてごめん、面倒な態度を取ってごめんと心から思っていたし、そう伝えていた。付き合い始めたばかりの頃は、丁寧に「PMS 対処法」と調べてくれて、理解を示していた彼氏だったが、数ヶ月経ったくらいから、様子がおかしくなったのだ。
「毎回情緒不安定になられて、増田も大変かもしれないけど、俺も大変なんだよ」「いくら優しい言葉かけても戻らないし、俺も傷ついてる」「俺が受け入れようとしてるんだから、少しは泣いて落ち込んで、どうしようもなくなる性格を直そうっていう姿勢を見せてほしい」
今こうやって文字に起こしてみると、かなりお察し感あるフレーズだなと自分でも思うのだが、当時の恋に盲目で、生理前で精神がブレブレな私にはこれらの言葉は心にグッサリと突き刺さる。そして思うのだ。
私が自分をコントロールできないダメダメな彼女のせいで、彼氏が怒ってる。私が悪い!全部私が悪い!
そうすると、私に残された選択肢は、謝ることしかない。泣いてばかりで、落ち込んで気持ちを戻すことができなくて、迷惑ばっかりかけてごめんなさい。ひたすら謝って、謝り続けて、少しずつでも性格を直していきますと宣言をすると、彼氏は優しくなった。「冷たい言い方しちゃってごめんね」と言って、抱きしめてくれるのだ。
しばらくすると彼氏は、私が生理前だとかは関係なく、夜に電話をしている最中に、私が途中で寝てしまった時などの些細なことでも、私を責め立てるようになった。「せっかく時間作って電話してるのに寝られて楽しくなかった。すぐに寝るんだったら電話とかもうしないから」
すごく怒った口調で言われるから、私も困惑しながら「寝ちゃってごめんなさい…」と泣きながら謝ることしかできなかった。この電話は、お互いに声聞きたいから今夜話そっかと朝に約束してのものだった。その日の仕事が思いのほか重く、私がすぐに眠くなって寝てしまったのは申し訳なかったが、そこまで言われるものなのだろうか?でも彼氏が怒っているから、きっと今回も私が悪いのだろうと思った。
極め付けには「俺じゃなくて増田が寝ちゃったのがきっかけでこうなった(気まずくなったり、喧嘩みたいになったこと)んだから、増田がどちらかと言うと加害者でしょ?俺は被害者なんだよ」と、私を加害者扱いしてきて、普通彼女相手に加害者とか言う?と思いながらも、私が悪いからそう言われても仕方ないのかと、やっぱり謝った。
他にも色々、しょうもないことをきっかけに責められて泣かされて謝ったことは数知れない。2年付き合っていて、私が泣いて謝った回数は思い出せもしないのに、彼氏が謝ったのは、たったの4回だった。いつもいつも、私が悪かった。けれど、それでも仲直りをした後は優しくて素敵な彼氏だったから、不思議と嫌いにはならなかったし、離れようという気持ちも起こらなかったのだ。
別れた今、私は彼氏とのことを振り返りながら、本当に怖いと思っている。モラハラをしてきた彼氏もそうだが、それ以上にこんなにもモラハラされているのに気がつけない盲目な自分のことが。渦中にいると本当に気がつくことができない。だって完全に洗脳されていた。どう考えても、加害者とまで言われる筋合いはなかったはずだ。何度も何度も「私が悪い」と泣いてきた。彼氏を怒らせる、出来の悪い自分のことを責めてきた。本当に私が悪かったのだろうか?絶対そんなことない。そんなことなかった。
仲の良い妹は、最近私によく「あれだけサンドバッグにされてて、よく2年も付き合ったよね」と言ってくる。付き合っていた当時から、妹は一貫して同じことを伝えてくれていた。ねえ、あいつ典型的なモラハラ男だよ、絶対別れた方がいいよ、サンドバッグにされてるよ。周囲から反対される恋愛はやめた方がいいとよく言われるが、紛れもなく事実だなと思う。先人が伝えてきただけある。
洗脳から醒めた今なら心からそう思えるが、付き合っていたときはどうしてもそう思えなかった。ちょっと怒ると怖い時もあるけど、でも優しくて素敵な人なのに、そんなに否定しなくてもいいじゃん、と思っていた。
もしも身近に、恋人がモラハラっぽいのに何で別れないんだろう?と思うような人がいたら、それは洗脳されているからだと私は言いたい。その2人だけにしか通じていない、歪な関係がそこには必ずある。そういうものを上手く構築してしまうのがモラハラをする人の特徴なんだろう。
彼氏と別れた後、気になっている男性とは、現時点で数回デートを重ねていて、私は結構良い感じなんじゃないかなと思っている。この人はモラハラをする人じゃないと信じたい。
俺たちは同じ職場の4人組だった。
仲良く遊んでた。
それが2組のカップルになってからも、2組の夫婦になってからも。
4人とも新しい職場に移った。
Aは、俺が「友達」だと思っていた人だった。
Aはよく言っていた。
「俺は浮気なんて絶対しない。家族が本当に大事だから!」「どんなことがあったって、笑いに変えればいいんだ。ネタにすればいいんだよ」
Aは、子どもと遊ぶのも得意だった。子どもたちもみんなAが好きだった。
俺たちは10年以上の付き合いだった。
子どもと誰よりも楽しそうに遊ぶAは、素晴らしいヤツに感じられた。
ところがある日、取り乱したAの奥さんから電話がかかってきた。
「Aが浮気してた。問い詰めたらいなくなった」
Aからはメールで「ごめん、もう会えない」という連絡が来たきり、見つからない……とのことだった。
自然と段々疎遠になった。
俺はAを情けないと思った。
なんでも笑いに変えるんじゃなかったのかよ。
まあ、俺のそんな気持ちも伝わったんだろうね。
友達なんて、好きだった服が破れて着れなくなるみたいに、急にいなくなるんだ……と思った。
そんなAに、気まぐれで連絡してみようと、ついさっき思いついた。
アレから8年くらいは経ったんだよな。
でも、何を話したらいいんだろう。
やっぱ、連絡をやめるか。
でも、今連絡しなかったらもうしないだろうな。
トモダチ……トモ……ダチ…………
トモ………ナニソレ……?
彼女と会うまでは、ずっと「足りない」「できない」とか思い込んでいた人生だった。
彼女は僕ととにかく違っていた。
一般には明るいと形容されるのかもしれない。情緒が安定していて、多くのことを前向きに捉えられる人だった。
どんどん惹きつけられた。生涯で1番勇気を出してアプローチしたら、なんと付き合えることになった。
かなり嬉しかった。
彼女は、一緒にどこに行っても、何をしても「幸せだね」と何かにつけて言ってくれた。彼女は自身のことを「嘘が苦手なタイプだ」とよく話していた。僕もそう感じた。僕も、彼女はなんでも素直に話してくれているように感じられた。
単純に育ちがいい人なんだと思われた。
何かと勘ぐりが強い僕には、そんな彼女とのやり取り一つ一つが本当に衝撃的だった。いつでも、素直で正直で、それでいて感情的には終始しないやりとり。一緒に過ごす時間は、僕の体に染みついた皮肉さや生きづらさを少しずつ溶かしてくれた感じがした。
ある日、彼女にそんな感覚のことを伝えた。すると、彼女はケラケラと笑って「あなたって本当に面白いね。ずっと一緒にいてもわかんないことばっかりだね」と言った。
それからほどなくして、ようやく「ああ、俺はもう十分に恵まれていたじゃないか」と思えるようになった。回復できたと思った。健康な人に癒してもらう中で、暖かい気持ちのようなものが自分を満たしていいくれたんだと思った。
次の日にプロポーズした。
この人といると楽しい……とかも、もちろんそうだけど、この人と過ごせること、その毎日が本当にありがたいことに気がつけたんだ。
そして、同時にこんな幸せな時間はずっとずっと続いていく訳ではないことにも気がついた。
ありがてぇ、ありがてぇ。
感謝を込めて、彼女の肩を揉むと「あー、幸せだわ〜」と言ってもらえるんだ。何言ってやがんだ、それはコッチのセリフだよ。
僕は幸せです。
彼女とは、ずっと一緒にいたいです。
ずっと続いていく訳じゃない、この日々を大切にしなくちゃなぁ。
気に入られるように、毎日がんばるぞー。
もっと詳細に言うと「高い声で喋る女=知能が低くて情緒が幼稚で人格もゴミでその自覚が無いマヌケ」ぐらいのイメージがある
逆にまともな女、大人の女、賢い女、かっこいい女は低い声で喋る
ここで言っておきたいのは「日本はむしろ女の高い声に寛容な方の稀有な国」というのと
「ワイは低い声の女の方が圧倒的に好ましく感じるし賢そうに感じるしセクシーだと思う」ってことや
アニメの十代女子の声にしろAVの喘ぎ声にしろもっと低い声でやってほしいわ
田舎滅べって言ってる人達は田舎が滅ぶ事でなんらかのメリット得られると思ってる訳だよね?
多分、田舎にかけられている税金が減った分だけ自分達の税負担が減ったり、浮いた分のお金が自分達へ使われると思ってるだろうけど本当にそうなるんだろうか?
田舎で生産したものを、都会に持っていって消費する事で経済が回ってる。
これは農作物や海産物とかだけじゃなくて工業製品もだし、人材についても都会は消費地だよね。
田舎が滅んだあとで都会の人達は何を消費して経済を回すつもりなんだろう?
付き合ってないのに一線を越える少年少女からしか啜れないものがある。
この一線とは性行為のことではない。
「お前そういうことは付き合うてからやるもんやぞ」と言いたくなるような距離の近い言動のことである。
たとえば「僕の心のヤバいやつ」における、市川と山田が付き合う前のボディタッチの数々。あれだ。
あいつら付き合ってないのに手を繋ぐし、ほっぺとか触るし、ベッドに押し倒したりする。付き合ってないのに。付き合ってないのに。
もうこれは一線越えてると言ってしまってよくないか。恋人じゃなきゃやんないだろそんなこと。でも市川と山田はやる。簡単に一線を越えてしまう。嬉しいなぁ。ありがとうなぁ。
付き合ってないのに一線を越える少年少女には危うさがある。世間一般のルールや順序を踏み越えて、彼らの間だけで通じるルールのもとに行動しているからだ。それが危なっかしくて美しい。
脈を探り、告白し、恋人という立場が確立された上で初めて手を繋ぐ。これがおおよその大人の思い描く順序だ。けれど、彼らは付き合ってないのに手を繋ぐ。シンプルに、お互いが繋ぎたいと思っているからだ。
実のところ、先述した順序は双方の合意を取るためのプロセスのひとつに過ぎない。だから、手を繋ぎたいという双方の意志さえ合致していれば順序を飛び越えて繋いじゃっても構わないのだ。その自由さこそが美しい。
彼らには彼らの間でだけ通じるルールと、言語がある。言葉にして伝えなくてもお互い手を繋ぎたがってることぐらい分かってしまう。人はそれを愛だとか絆だとか呼ぶ。
おじさんはね、そういう関係性を啜って生きている妖怪なんだ。きみたちが付き合う前に手を繋いだり、独占欲をちらつかせたり、距離を近づけたりするたびにね、おじさんの心の中のノブが大喜びで「ちょっと待てぃ!」ボタンを殴って、「付き合うとるど!!!!」と爆笑するんだ。大悟も思わず椅子を立ち上がって腰に手を当てて「これはやっとる」と空を仰ぐんだ。分かるかい、そういう瞬間だけがおじさんの人生の楽しみだったんだ。
でもね、きみたちね、付き合ってしまったね。
付き合うのはすごくいいことだ。そこまでのプロセスも本当によかった。おじさん胸が熱くなってね、きみたちが恋人になった回では人目も憚らず泣いてしまったよ。
のちにこの回のヤバさを人に説明したときにはね、「カイジの沼編で3段目のクルーンにパチンコ玉が溜まり切ってとうとう穴に落ちたんですよ、そういう回です」とまで言ったからね。感動に震えたのは確かだった。確かだったんだよ。
でもね、付き合ってしまっただろう。そうすると、きみたちはもう「付き合ってないのに一線を越える少年少女」ではないんだ。
きみたちはもう危なっかしくない。だからおじさんも、きみたちが不当に距離を詰めるたびに「オイオイオイオイ」だとか「あのねそういうことはね順序を踏んでね」だとか、慌てて口を挟む必要がなくなってしまったんだ。それがね、ほんのちょっと、ちょっとだけ寂しいよ。
でもね、きみたちの幸せが一番だからね。おじさんは祝福するよ。ひとつの時代を卒業して、晴れて恋人になったきみたちの未来を。妖怪・付き合ってないのに一線を越える少年少女の情緒啜りおじさんはここできみたちを見送ることにする。幸せにな。幸せになぁ。
おや、きみは僕ヤバから餌の取れなくなったこの哀れな妖怪を心配してくれるのかい。大丈夫だよ。「付き合ってないのに一線を越える少年少女」はまだまだ世の中に存在しているからね。
今おじさんが注目しているのは「邦キチ!映子さん」の2人だよ。あれはいいものだねぇ。あいつら本当に付き合ってないのかなぁ。一線越えまくってるのになぁ。おいしいなぁ。おいしいなぁ。