はてなキーワード: 剣術とは
俺が寝る時にしてる妄想も聞いてくれよ
なろうの都合の良いファンタジー的な世界観で、魔術が存在する世界で、生きていくには魔術が使えないといけない。子供達は魔術学校で魔術を学ぶ。魔術を使うには魔力が必要で、その世界の人間は皆血管に血が流れるように体内に魔力が流れている。
主人公は何故か体内に魔力が一切流れておらず、魔術を全く使うことができない。学園でも落ちこぼれの存在。しかし剣術に関してはものすごい師匠がいて幼い頃から鍛えられており、魔術が一歳使えない代わりに剣術は一流。
ある日主人公は一族に伝わる禁書を開く。そこには一族に伝わる魔剣の封印の場所が記されており、主人公はその魔剣の封印を解いてしまう。その魔剣は人間が手に持った瞬間、体内の魔力を全て吸い付くし、死に至らせてしまう魔剣であった。しかし主人公は魔力を一切持たないため、魔剣を持ってもなんともない。魔剣と主人公の物語が始まる!的な
主人公を落ちこぼれ扱いしていたエリートと剣で対決して勝ったり、魔剣を作った伝説の剣聖がまだ生きていてそいつがラスボスだったり。そんな妄想。
○ご飯
○調子
落ち着いた。
○ リベリオンズ Secret Game 2nd Stage
先日遊んだキラークイーンの続編、ちゃんと繋がってるのでそちらを遊んでからの方が面白いやつ。
(こういうの正直に言って欲しいよね、前にEVE GEをコレからでも遊べるって書いてるレビュー読んで、幾ら商業レビューでお決まりの文句とはいえ限度というものがあるだろって思った)
ゲームシステムは似たようなというか、特にシステムはない読むだけのやつ。
前作と同じ世界観で同じ黒幕が行っていた別のデスゲームの物語。
一人増えて14人の登場人物がそれぞれ異なるクリア条件を満たすために殺し合いのゲームが展開していく。
前作とルールは結構違っていて、特徴的なのはデスゲームものながらクリア条件が平和でオリエンテーリング的なノリなところ。
舞台が開放的な山奥の廃村なのも、そんな雰囲気を出しているけど、勿論あのゲスな黒幕がそのままで終わるわけもない。
タイトルになっている2ndStageは続編の2という意味以外にも、この作品自体の意味もある展開が待っている。
四つのシナリオがあるが、登場人物やクリア条件は全て同等で、主人公が出会うヒロインによって話が分岐していく。あるルートでは恋仲になる二人が、別のルートでは戦うことになったりする、読者しか知らない関係性の妙が面白い構成は前作を踏襲している。
ルールの穴をつく展開や、疑心暗鬼の恐ろしさ、キャラの生き死ににまつわるハラハラする描写など、デスゲームらしさがちゃんとしていて、ジャンル自体の楽しみがいっぱい詰まっている。
前作とは違い、キャラクタの戦闘能力が武器よりも、個人の能力(特殊な意味じゃなく筋力とか技術の意味ね)に依存しているシーンが多いのは賛否がありそうかな。
特に主人公とルートヒロインの生死もマチマチなため、常に緊張感を持ちながら読めたのは良かった。
デスゲームは初期設定をちゃんと最後までやるだけで面白い構成だと思っているので、この点で満足できた。
そしてなんといっても魅力的なキャラクタ達が見所。
好きになったキャラがいっぱいいるので一人ずつ紹介したい。
まず全体を通じて超重要な立ち位置でタイトルの意味を強く内包した藤堂悠奈。
彼女の誰も死なせないという目標と「理不尽に屈しない者」「理不尽に曝されている者を救う事」という心情が全員の意識を変えて行くことになる。
美少女ゲームに登場する女性ながら、彼女の心情的に絶対に男性とくっ付かないと言い切れる程芯の通ったキャラだ。(いや全年齢移植で遊んでるから原作では普通にあったら申し訳ないが)
戦闘面の強さは上の中か、上の下で最上位の面々には敵わない感じながら、精神面での恐ろしいほどの強さが凄まじいキャラ。
どんな状況でも目標と心情が一切ブレないため、疑心暗鬼な状況でも、ものすごく安心できた。
彼女が自称するヒーローという役目を常に全うした、今作の真の主人公だった。
次に典型的なチンピラで暴力に躊躇がないことが取り柄の黒河正規。
ところが暴力の強さでは上には上がいるし、倫理観の無さでも上には上がいるしで、かませ犬ポジション……
かと思いきや、これまた真の主人公(感想で言いたくなるフレーズなあまり二人目だ)。
粗暴なキャラが色々なキャラとの交流で変わっていく展開が多く、成長率が凄まじい。
特にルートBでは大活躍しラストの一枚絵はかなり格好良く激るシーンだった。
見た目は怖いが芯は優しいのは創作の類例なのだけど、4ルートを通じてよく伝わってくる多層的なキャラの有り様が好きになった。
それから、暴力最強格の二人、剣術使いのロリな蒔岡玲と、チェーンソーでメイドの粕谷瞳。
女性キャラが体躯に似合わない大きな武器を振り回すのイイよねって言うのもあるけど、超常的な設定は無い物語にしては異能じみた戦闘能力なのが格好いいし頼れる。
二人とも獲物が近接武器なのに当たり前みたいに拳銃と戦えるのは、若干リアリティラインが気になりはした。
倫理観の無さも大概なので、敵に回るとおそろしく、味方だと頼り甲斐があるので、緊張の緩急に毎回使われてたのが印象的。
二人とも自分の意思での戦いより暴力装置として使われる機会が多く、エピソード毎に付き従う相手が違うことで生まれる人間関係の妙が面白い。
そして最後の最後で全部を持って行ったとも言うべき上野まり子。
というデスゲームものでは真っ先に悲惨なことになる立場だけあって色々と大変。
カップリング相手になるボクサーの真島章則との関係性も助けられて、献身的な態度に絆されてなど、ベタをやってるなあと、好きでも嫌いでもない地味な印象のキャラだった。
ところが、最後の最後のオーラスで、この作品の所謂「タイトル回収」の役という大任を果たすことになる。
重かった。
このリベリオンズという物語を最初から最後の手前まで引っ張った悠奈のバトンを受け継いで、ゴールテープを切るラストランナーが、まり子だ。
僕が脳内で開催していた好きなキャラレースでも最後の瞬間に一気に最後尾から追い上げてきて、めちゃくちゃ好きなキャラになった。
他にも、常に冷静沈着でめちゃくちゃ頼りになるが一人称視点だと弱さが見えるギャップが可愛い司、黒崎のカップリング相手になる非暴力よりの使者荻原、倫理観の無さが異常な伊藤、ヘタレなモヤシ系オタクながらここぞの場面では毎回自分の命を堂々と賭け金にできる充など、良いキャラクタが沢山出てきたゲームだった。
色々なキャラを語ったけど、やっぱり最初に書いた藤堂悠奈が一番好きだ。
彼女がみんなの生き方を変えていくところが面白く、他の挙げたキャラも悠奈との関係値のシーンが印象強い。
原作が美少女ゲームなのでそうはならなかったけど、彼女がもっと主役として出っ張って百合っぽい雰囲気になるのも面白かったかもだ。
シークレットゲームシリーズとしては、本当に悠奈が主役のエピソードが追加されたPC版があるみたいなので、そちらもいつかプレイしたい。
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。
増田「くらえっ!!」
増田はその鍛え上げた剣術で攻撃を試みる。しかし、弱者男性に剣は効かない。
ブクマカ「増田!弱者男性には剣は効かないぞ!魔法でなければ!」
弱者男性の両手から光がほとばしり、増田に向かって放たれた。その光を浴びた瞬間、増田の石化してしまった。
ブクマカは必死になって解呪の呪文を唱えた。すると、石化した体がみるみると元に戻っていく。
弱者男性「ふはははは!隙だらけだ!」
弱者男性「まだまだぁ!!オラァ!!オラァ!!オラァ!!」
増田「うぅ……。奴め強いぞ……」
増田「分かった!」
ブクマカの放った強烈な竜巻によって、砂埃が舞い上がり視界が悪くなった。
弱者男性「小賢しい真似を……!」
増田は渾身の力を込めて斬りかかった。
またしても両者の技が激しくぶつかり合う。
なんかもう「メモリを64GBぐらい持ってないほうが悪い」みたいな時代になってきてる。
とにかくバベルを後から伸ばしやすいコードであるのが正しくて処理速度重視で人間にリーダブルじゃないコード書くと「自己満足」「一時的に早いだけ」「後で困る」ってボコスカに叩かれる時代。
昔のSFCソフトにあったような芸術的な実装は失われて、「重いと感じるなら端末を買い換えないほうが悪い」「サーバーが足りないなら買い足さない方が悪い」で全部通せるっていう甘ったれた思想が蔓延するようになった。
ジェダイとかもライトセーバー開発される前と後で「最近の若者は触れれば終わりの剣術に頼り切っている」「当てただけでは斬れない剣の時代と違って重さを載せなくなった」「スポチャンみたいな動きしかみんなしてない」って愚痴ってる老害がいたんだろうね。
でもよー最近の「リーダーブルデース」って言い訳の元に描かれた人間様至上主義のコードの機械に対する配慮の無さにはどうしても苛ついちまうぜ。
ガキの頃、水や食べ物を大事にしない若者に対して老人がガミガミ言って、災害が来て貴重になってから子供が泣き出したのみて老人が「ざまぁwwwwもう遅いwwwww」するなろう小説みたいな学習まんが読んだことあるけど、まーそのノリだわなー。
俺もジジイだークソジジイだーメモリ不足になってから嘆いてももう遅いwwwwwざまぁwwwwwするチャンスを虎視眈々と伺う妖怪になって最後はバーチャル陰陽師にデジタル調伏されるんだ―
芝居で人気を博し江戸でお馴染みの美しき不良少年となった「お若えの」こと白井権八ですが、そのモデルとなった平井権八も大変興味深い人物であり、恋人の小紫とともに江戸の人々の興味関心の対象であったようですのでひとつご紹介いたします。
平井権八は、延宝3年(1675)11月3日に鈴ヶ森の刑場で磔刑に処せられた人物です。
もとは剣術自慢の因幡鳥取藩士であった権八は、どういうわけか父の同僚である本庄助太夫なる人物を斬り殺してしまい、鳥取を出て江戸へやってきました。
そして吉原三浦屋の小紫(こむらさき)という遊女と馴染みになってお金に困り、権八は揚げ代のために辻斬りによる強盗殺人を繰り返してしまいます。
実録小説『幡随院長兵衛』によれば、権八が江戸へ出て5年間のあいだに「刀にかけたる人の数、手帳に留めたる分のみにても百三十二人」ということで、数字はおそらく誇張されているとは思われますが恐ろしい辻斬り犯であったことが伺えます。
指名手配犯となってしまった権八は自首しますが、小紫に会うために手鎖を外して脱走などを試み、ついに処刑されてしまいます。
権八の処刑後、権八が自分のために重ねた罪を知った小紫は、悲しいことに目黒東昌寺におかれた権八の墓の前で自ら命を絶ってしまったのでした。
東昌寺のお坊さんは、この地に「比翼塚」を建立して二人を弔いました。比翼塚というのは心中したりして命を落としたカップルの遺体を一緒に葬った塚ことです。権八小紫の比翼塚は現在も下目黒に残されており、役者さんが参拝に訪れることもあるようですよ。
ちなみに、舞台の上の「南無妙法蓮華経」と書かれた巨大な石は、平井権八が処刑された時の鈴ヶ森にはまだ建立されていなかったものだそうです。さらに、年代的に幡随院長兵衛と出会っていたはずがないこともわかっています。
しかし美少年の大量殺人犯というモチーフの魅力から、男気溢れる侠客の幡随院長兵衛との男色めいた芝居づくりがなされるなどして現在に至ります。
人によってはそう感じる人もいるということだな。
赤松健ファンならばエントリタイトルの時点で色々察して貰えるだろうが、赤松健をパンチラ暴力系ヒロインが登場するラブコメ漫画家としか認識してない層へ説明しなくてはなるまい
赤松健は確かにデビュー作で「ひと夏のKIDSゲーム(通称ひと夏)」というラブコメを描いては居るものの、ひと夏は赤松健の作風から言えば異質で「A・Iが止まらない!(通称AI止ま/アイとま)」の連載終了後に描かれた短編ラブコメ「いつだってMyサンタ!(通称Myサンタ)」と共に赤松健をバトル漫画と解するファンの間では別枠扱いされている
赤松健作品が大好きで追いかけ続ける熱意を常に持ち続けている、というわけではない他の作家を追い掛けている漫画好きからすると「そんなバカな!?赤松健はパンチラ暴力系ヒロインが大好きなラブコメ漫画家だろ!!!」と思ってしまうのも無理はない。こういう認識は週刊少年マガジン編集部がそのように広報した結果だからだ
しかし、はじめての週刊連載作である「AIとま」の終盤から赤松健はバトル漫画家である本性を示し始めるのだ
いまさらAI止まのネタバレもクソもないが一応ボカすとAI止まは終盤でバトルすることになる
「人気が落ちてきてテコ入れのバトルだろ?少年漫画なんだし」と思うだろうが、そうではない
では「AIとま」の連載が終了し、短編「Myサンタ」が掲載された後に新たな連載としてはじまった「ラブひな」を見てみよう
この流れの時点でファンはウンウンと頷いてくれていると信じたいが「ラブひな」は終盤バトルする
いや何なら「ラブひな」は以後の赤松健作品へ強く影響を残す剣術「神鳴流」を用いる女性キャラクターが登場したはじめての作品だ
「AIとま」の頃よりもバトル要素が濃くなってる
さて「ラブひな」の連載が終了し、新たにはじまった連載「魔法先生ネギま!(通称ネギま)」を見てみよう
もう完全に我慢できなくなった赤松健は終盤どころか中盤からバトル展開をはじめてしまい、赤松健をパンチラ暴力系ヒロインが登場するラブコメ漫画家であると誤解していた一部の読者が「ネギまはラブコメだったよな?」と困惑させた
何なら当の週刊少年マガジン編集部も困惑していた様子が見て取れ「ネギま」は連載終了してしまうのである
赤松健は週刊少年マガジンへ対して美少女漫画を持ち込んだ功績を評価され、週刊少年マガジン編集部は「赤松健先生にはメッチャ貢献して貰ったし、もう好きにやらせたら良いんじゃね?」と思ったのか「ネギま」の後に続く新連載が赤松健待望のバトル漫画「UQ HOLDER!(通称UQ)」だ
ちなみに原作者としてアニメ「陸上防衛隊まおちゃん(通称陸まお)」もやっているが当然これもバトル
「「表現の自由」の闘い方」で掲載された「ヤマーダクエスト」が赤松健の今までの作風と違うと思ってるなら赤松健作品の読み込みが足りないと正直言わざる得ない
赤松健をパンチラ暴力系ヒロインが登場するラブコメ漫画家ではなく、パンチラ暴力系ヒロインが登場するバトル漫画家だと思って読めば今まで通りの作風だと気付くことが出来る
最近webtoonクリエイターの募集よく見るけど、何でどこも脳死で異世界ファンタジーばっかり作ってるんだ?
確かに異世界転生ファンタジーの人気作があるっていうのは分かる
けど娯楽って「色んな種類の中から選べる楽しさ」があってこそじゃないの?
実際海外産でランキング上位の作品って、歴史物とか喧嘩アクションとか恋愛物とかホラーとか、色々バラエティ豊かじゃん
俺もそう
それに人気作の模倣を大量に作って、全部が大ヒットすると思ってんの?
「大正時代の和風剣術アクション」を大量に作りましょう!ってやってるようなもんで
でも『鬼滅っぽい何か』が大量につくられたとしても、
を読んで、そう言えば自分も似たような事を思っていたなと思い出した。
昔ジョジョが大好きだった時期にネットでこれを見てショックを受けたんだ
ジョジョのパクリ検証画像その1(写真、イラスト編)
ttps://web.archive.org/web/20120724071231/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/12.html
ジョジョのパクリ糾弾スレテンプレその2
ttps://web.archive.org/web/20120717131810/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/13.html
ジョジョのパクリ糾弾スレテンプレその3
ttps://web.archive.org/web/20121112141851/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/15.html
ジョジョのパクリ検証画像その4(楳図かずお編)
ttps://web.archive.org/web/20121112231135/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/18.html
おまけ1
ttps://web.archive.org/web/20121112112347/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/19.html
おまけ2
ttps://web.archive.org/web/20121112105337/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/17.html
ジョジョって滅茶苦茶独特で個性あんなあああーーーって思ってたから、割と元ネタからまんま拝借してるのがショックだった
数年くらいはショックを引き摺っていた気がするけど、それはそれとしてスティール・ボール・ランも読み続けていたしいつしかショックから立ち直っていた気がする
それでもこれを見た後に最近の漫画はパクリがどうの言われてるのを見ると「いやジョジョの方がずっと昔にそのまんまパクってるよ」とは言いたくなる
…
ナルトの一話でイルカ先生とナルトのエピソードにマジで感動していたのに、
後年読んだうしおととらでほぼ同じ流れのシーンがあってあの感動の名シーンもパクリだったんかい!と本気でショック受けてそれからナルトも読まなくなった気がする
ttps://pbs.twimg.com/media/EE62-x_UUAASDsP?format=jpg&name=medium
大友克洋や沙村広明、忍空に影響を受けた事は公言してるのにそのままエピソードをパクったうしとらと藤田和日郎には何も言及無いんかい!とは思った
…
ハンターハンターの方はジョジョと違って漁っても昔のテンプレサイトとか出て来ないけど
伊藤潤二作品から結構そのままパクってた検証画像があったと思う
幽遊白書の一話も何かの恋愛物作品からそのままパクってた、って画像を昔ネットで見てショックを受けた覚えがある
だからハンターハンターがパクられる側になってもそれは自分がやった事をそのままされてるだけだから人に言えないんじゃねえかなぁって思っちゃう
…
最近流行りの鬼滅もジョジョ、ブリーチ、銀魂あたりから影響受けてる事は吾峠呼世晴先生が自分の好きな作品に挙げてるけど
我間乱って比較的マイナーな少年漫画からそのまんま剣術の型をパクってきたんじゃないの?みたいな話は一切聞いた事無いし
絵柄とかキャラクターの造形とか昔の少女漫画にまんまそっくりのがあるとも聞いたけど誰も話題にしている所も見た事が無い
鬼滅の刃がパクってきた作品まとめwiki
こじつけじゃあねーか?みたいな奴もあるし、自分が好きな作品から影響受けたキャラをそのまま自分の作品に出すのは微笑ましい感じで嫌いじゃないけど
…
ここからが本題だけど
何故「古塔つみ氏」や「呪術廻戦(BLACK CAT等も)」のパクリ、トレースとされる物は許されず
「ジョジョの奇妙な冒険」と「荒木飛呂彦氏」、「ハンターハンター」と「冨樫義博」のパクリ・トレースとされる物が許されるのか
これはもう滅茶苦茶単純な話で
これ以外に答えは無いと思う。
仮にジョジョの奇妙な冒険やハンターハンターが今イチからジャンプで連載されて面白い!って話題になっても、トレースだのパクリだのは絶対炎上するよ。
元ネタが週刊少年ジャンプの読者が知らなさそうなマイナーな物から取っている、というのもあると思う。バレないようにこっそりやれ、って事だろうね。
例えば今手塚治虫や藤子不二雄があの海外の名作からネタをパクっていた!なんて誰かの目に入っても炎上するとは思わない
何故なら偉大な先人漫画家には「権威」があり、「権威」とは「力」だからだ。要は力がある強い人の不正を糾弾しよう、なんて皆思わない訳ですね
だからまあ、パクリやトレースが叩かれる人は人気や権威が無い人なんだろうな、と思ってる。完全オリジナルで作品を作るクリエイターなんて居ない訳だしね
って反論が来る事は分かっていた。実際自分もそう思う。そう思うけど
ここら辺のめっちゃ良い台詞と名場面だなァァァーーーって思ってた所が他の作品からのパクリ…というか模倣だったのは当時凄い衝撃だった
空手バカ一代面白いし名作だし荒木先生も少年時代に梶原一騎作品に触れた年代の人だから影響大きいのは分かるけどね
ナルトの一話もそうだけど、感動の名場面を他の作品から他の作品から拝借したって展開は元の作品を知ってる人はパロディ・オマージュとして楽しめても
ひょっとして一昔前にガンダムSEEDが同じガンダムシリーズにも関わらず初代ガンダムやZガンダムのパクリと言われたのも同じような理由なんだろうか?
今となっては当時のあの熱狂なんて思い出せる訳もないけど…
荒木飛呂彦先生が原哲夫先生の元アシスタントという事は知っていたけど、ジョナサンが槍を振り回すシーンがまんま北斗の拳でケンシロウが槍を振り回すシーンと同じだったのは驚いたかな
YouTubeを見ていたら何故かおすすめに鞭杆(べんがん)の動画が出て来たので見ていた
投稿日が13年前で一体どうしておすすめに出て来たか不明だが套路と用法を見ているとなるほどなぁと思った
ちなみに鞭杆(べんがん)とは中国の山岳地帯の羊飼いが長さ120センチ前後の杖を武器として使い始めた中国山西省地方の伝統武術の粋らしい
套路を見ていると上段の受け方に何通りかあって突き、下段にも同様の攻防があるようだった
ただ剣術だとその受け方はしないので120センチの棒での攻防が前提条件であるようだ
2017年に使用期限が切れているパブロンを部屋の中から発掘し、適当に飲んで誤魔化してみる
総合感冒薬なので発熱以外にも咳や鼻水などを抑える副作用がある。
副作用というと語弊がある。パブロンとしては風邪薬なんだから主要な薬効を発揮しているだけに過ぎ無い。
横着して新しく解熱剤を買わなかったのは私本人である。自業自得であり、この程度の副作用ははなから受け入れるつもりでいた。
しかし発熱くらいどうにかなるという楽観的な予想に反して、発熱は38度台をキープし続ける。
発熱によって体力を消耗するのは悪手である、本来ワクチン摂取後の休みの期間の大半は寝て過ごすことを前提に考えていたのだが、純粋に睡眠欲求が感じられ無い。
全ての症状が睡眠をするべきだという主張を叫んでいるが、脳内のホルモンバランスはこれらに相反して、睡眠は不要であると切り捨てる。
私は寝る前に軽く空想をして楽しむ趣味がある。趣味というよりは日課。日課というよりは習性とか性質といった類のものである。
一つの妄想にはメインヒロインと、それを取り巻く空想世界、多くの場合は異世界などが含まれる。
昨日は各ヒロインをティーパーティーの空間に拉致して、合わせてみようという試みの妄想を展開した。
女の子は三人、異世界転生で獲得した剣術を使い、幼い頃から剣の手解きをした女騎士。お兄ちゃんである私のことが大好きなアイドルの妹、悪魔をレイプして産ませた、羊のツノを持つ娘(12歳)。
彼女らを話し合わせ、その背後に私という男がいることを認識させて、私たちおんなじ人のことが好きなんだ…といった情景をニヨニヨしながら愛でるといった、趣味の悪い妄想である。
ちなみに、女剣士とアイドルちゃんは物語世界で私と死別をしている。
このお茶会で、私という男との関係を語るには、私との死別した経験を語らなければなら無い。
彼女たちとの交流や死別の仕方は、いくらでもディテールを掘り下げて語る事ができるが、長くなるのでここでは割愛する。
そしたら、もう彼女たちはボロボロ泣いちゃって、本当に愛おしいんだよね。
最悪の別れ方、殺され方、死に方をしているから、心に傷を負ってしまってるんだよ。
そこに颯爽と死んだはずの私が登場して、彼女たちの心労を労うわけ、顔をグシャグチャにして強く抱きついてくる反応は、本当に心のちんこに響く。
彼女ら本当にいい子なんだよ。そんな子にこれほどの悲痛な経験をさせてしまったこととかを考えると、私も布団の中で嗚咽を噛み殺して泣いていました。
そんなこと言い出したらハムレットは「王が急死する。王の弟クローディアスは王妃と結婚し、後継者としてデンマーク王の座に就く。父王の死と母の早い再婚とで憂いに沈む王子ハムレットは、従臣から父の亡霊が夜な夜なエルシノアの城壁に現れるという話を聞き、自らも確かめる。父の亡霊に会ったハムレットは、実は父の死はクローディアスによる毒殺だったと告げられる。
復讐を誓ったハムレットは狂気を装う。王と王妃はその変貌ぶりに憂慮するが、宰相ポローニアスは、その原因を娘オフィーリアへの実らぬ恋ゆえだと察する。父の命令で探りを入れるオフィーリアを、ハムレットは無下に扱う。やがて、王が父を暗殺したという確かな証拠を掴んだハムレットだが、母である王妃と会話しているところを隠れて盗み聞きしていたポローニアスを、王と誤って刺殺してしまう(「ねずみかな」という台詞があるが、本当にねずみと思っていたわけではない)。オフィーリアは度重なる悲しみのあまり狂い、やがて溺死する。ポローニアスの息子レアティーズは、父と妹の仇をとろうと怒りを募らす。ハムレットの存在に危険を感じた王はレアティーズと結託し、毒剣と毒入りの酒を用意して、ハムレットを剣術試合に招き、秘かに殺そうとする。しかし試合のさなか、王妃が毒入りとは知らずに酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズ両者とも試合中に毒剣で傷を負う。死にゆくレアティーズから真相を聞かされたハムレットは、王を殺して復讐を果たした後、事の顛末を語り伝えてくれるよう親友ホレイショーに言い残し、この世を去ってゆく。」
だしグレートギャツビーは
「舞台は1922年、狂騒の20年代のアメリカ。語り手のニック・キャラウェイは、イェール大学を卒業後ほどなくして戦争に従軍し、休戦の後に故郷の中西部へと帰ってきたものの、そこで孤独感を覚えた。証券会社で働くことを口実に、彼はニューヨーク郊外のロングアイランドにあるウェスト・エッグ(英語版)へと引っ越してくる。
隣の大邸宅に住むジェイ・ギャツビーなる人物は、毎夜豪華なパーティーを開いており、ある日ニックはそのパーティーに招かれる。しかし、パーティーの参加者たちはギャツビーについて正確なことを何一つ知らず、彼の過去に関してさまざまな流言飛語が飛び交っている。
やがて、ニックはギャツビーと親交を深めていく中で、彼が5年もの間胸に秘めていたある想いを知ることになる。」
じゃん?