はてなキーワード: 他者とは
・国は日本銀行券を発行出来るが民間は発行出来ない。発行すればそれは偽札である。
・日本銀行券は日銀により発行され、その時に負債側に発行分の金額が記載される。つまり日銀券とは日銀にとっての負債であり、それ以外にとっては日銀に対する債権である。
・日銀券が負債に記載されるのは兌換紙幣であった時代の名残りであり、不換紙幣に移行した現在では負債として記載されているだけで何の債務性を持たない。
・銀行では貸出時の信用創造により預金通貨が創造される。預金通貨は銀行に対する債権であり、銀行にとっては負債である。
・つまりお金とは日本銀行券であれ預金通貨であれ電子マネーであれ本質的には他者への債権である。よって債務関係によってお金が発生している原理上、返済・債権の回収等の債務関係の解消と同時にお金も消滅する。
日本銀行は法的に政府から独立しているが明らかに国の機関の一つである。よく言われる中央銀行の独立性も手段に限定しているものであり目標は政府が決定する上に人事権も政府にある。よって政府と中央銀行は実質的には一体のものとみなせる。よって税金は国が自らが発行し民間に供給した通貨を回収する行為である。
『万物の黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的に冒険的で実験的なものであり、自由と平等の呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである。歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつの体制から抜け出せなくなっており、その理由を理解しようと努めなければならない。
これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たちの人間性を規定する政治的本能や社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先が平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。
彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類は歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせや虐待、支配も実験しただろうと主張しているようだ。
G&Wは、私たちが革命の過程で社会的、道徳的に人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間の言語、意識、親族関係、道徳は漸進的な進化の過程で進化し、それが巨大な社会的・政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間は本来利己的で競争的だから社会主義は不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的な偏見に挑戦することであった。
私はいつもこう答えていた。そう、私たちは類人猿の一種である。そう、私たちは霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的な本能を持っている。しかし、それが私たちの成功の原因ではない。優秀な母親や父親になる能力、自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力、道徳的なルールを確立する能力、他人が自分を見ているように自分も見ている能力、音楽、ダンス、言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命の産物であり、成功した革命なのだ。
この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファー・ボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスとジェンダーの力学についての言及を一切省くことで、政治的な観点から安全策を講じた理論のバージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスなバージョンなのである。
ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的な競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者を支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下からの集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団を支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たちの祖先のチンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観にコミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである。
G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑、羞恥、遠ざけ......他の霊長類に類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団で採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術が進化の過程で人間の本性を形成する上で重要な役割を果たしたという考えである。
ボームの説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類は基本的に平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)
唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉は引用に値する:
ひとたびどこかのバンドが平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的な拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)
これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類は基本的に平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつの特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである。
かなり不当なことに、『万物の黎明』は現代の進化論を社会進化論と混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀の物語である。ダーウィニズムは科学的であると私たちは語り聞かされるが、実際は純粋な神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類の起源に関する視点を、読者が真剣に検討することを期待している。
この著者たちが認める唯一の科学は「考古学的科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治や社会生活については、古代の人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物の黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。
このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術と象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近の証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ、幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端のダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学、儀式の実行パターン、性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.
残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間の本能と心理の形成における集団的育児の重要な役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別な神話を「重要なもの」と表現している。そして、「エデンの園は存在せず、一人のイヴも存在しなかったのだから、このような洞察は部分的なものにしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話に疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディの画期的な研究が、私たちの共通のミトコンドリアDNAの祖先の年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実を無視すること--は、明らかに、人類の起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。
中石器時代や新石器時代の考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽や言語に対する生得的能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!
タイトルは深刻な誤解を招く。『万物の黎明』? 『万物のティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期のフランスとスペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学が面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。
G&Wにとって、狩猟採集民の祖先がアフリカでもっと早くから平等主義的なライフスタイルを確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。
つまり、狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間の文化的・知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。
ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的な抵抗が狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型であると結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立を有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベルの政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいかに危険かを理解する知性があると彼は説明した。
しかしG&Wによれば、富の不平等は問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀にヨーロッパの「文明」を批判したファースト・アメリカンのカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初のアメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。
G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:
こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉が示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等は本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?
どんな未来?アフリカの狩猟採集民からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代の都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。
はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的、政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。
(続く……)
定理1 何も考えていない警察官が巡回している以上その警察官から見た場合に不審者などは発見できないのだから基本的に不審者がいるわけがない。
事実1 警察官としてではなく旅行者として交番を訪れる場合の警官の対応は一般に不審である。
事実2 平成23年ごろから、森脇が、チャイルドロックなどを導入し、困るようにしてやろうか、などと増田に書き込みをしている。
事実3 森脇は延岡消防署に2階に隠れており、刺激すると我慢できずに出てくることから、様々な場所にいると解される。
事実4 ぷちくらというのの実体は何もできない卑怯者の弱者である。 補題 前田はその、何もできないぷちくらもしくはOpechiの事が一番好き。
事実5 USBメモリを移動させたりしているのは、母親もしくは森脇である。
定理3 高級ホテルや裁判所については、インターネットでわいせつサイトをみている者の顔をしているときは、必ず満室であると言われて利用を断られる。
→ このことからこのような場所を利用する場合、そういう者ではないような顔を作成して臨場しなければいけない。
令和の大定理 もはやブサイクだから、などというものはない。 ブサイクでもブサイクでなくても、年を取っている、何もないような顔をしているだけで他者は襲い掛かってくる。
昔は授乳なんておっぱいポロンして乳首は乳児の顔で隠して母乳あげてたんですよ。
言ってみれば令和の時代でもそうやって母乳あげてても何も問題ないんですよ。
それなのに女性のおっぱいは他者に見せてはならない神聖なものみたいに扱う女性たちが、おっぱいポロンして授乳させることは良くないことだと言い始めたんですよね。
だからその場でおっぱいポロンかあるいはケープで隠す程度で十分なのに、授乳室が必要だなんて意見が出てきたんです。
そして一度授乳室が作られると、授乳室はあって当然、授乳室以外で授乳させるのは非常識、授乳室を設置しないのは女性差別、という意識が作られたんですね。
そして今、授乳室を作っても「こんな授乳室では授乳できない。作り直しなさい。」という女たちが現れたわけですね。
最初からずっと「授乳なんてその辺でおっぱいポロンしてやればいいんだよ」って価値観で生きていた方が生きやすかっただろうに。
子が最近つたい歩きをするようになり、家で見るのも大変なので
気晴らしにあちこち子育てサロンや支援センターに連れていくようになった
ありがたいことに我が子は、人見知りもせず愛想が良い方らしく
他のお母さん方にも遠慮無く向かっていく
私自身はといえば、否定的な親の元で育ったためか自己肯定感が低く、
他者と関わるのが怖いので(回避性パーソナリティ障害?)
初めは子育てサロンに行くことをとても躊躇していた
しかし我が子が他の人に可愛がられているのを見ると、
自分までこの世界に受け入れられたような、少し救われたような気がして
今はいろんな人に我が子を見てほしいと思っている
しかし、これは子どもに依存してしまっているのだろうか?とふと思う
自分だけでは得られないことを子どもを通じて得ようとしているのだろうか?
多少親バカになるのは当然だとは思うけれど…
読んでて悲しくなったので書いた。
完全なる弱者である自分の子どもにハイスペの遺伝子を組み込むことで、その子どもを愛そうとしている。
ただしこの子どもを愛すというのは条件付きの愛になる。本来夫や彼氏に行くはずだった求愛行動がこの子どもに行く。絶対に離したくないという観念が、子の自立を妨げるようになり、絶えず子を束縛するようになる。
多くのシングルマザーの子どもは、どうであれ「かつて愛した人の子ども」であることが大半である(そうでない場合もあるが)。
こうした他のシングルマザーとのズレは、育児の場で大いに影響し、子は他者とのコミュニケーションが苦手になる。マイノリティの中でさらにマイノリティとなるのだ。逆境を跳ね返す能力がなければならない。
子が自分自身の人生を生きる上で最大の障害となるのはこの母親である。
自分の人生でできなかったすべてが、この子に託される。この母は、人生において子以外に依存先がなくなっているからだ。子にとって自立の最大の敵が母親になるのは不幸なことだ。母親の人生を歩まされる。
子どもはたいてい、13歳ごろから自立し始める。増田が41歳ぐらいのころだろう。18歳時点においては経済的にはともかくとして精神的には自立する。
増田が46歳になったころに、また今のような状態が再びやってくる。いや、より大きな孤独の状態がやってくるということに耐えきれるのだろうか。
まだ居もしない子どもへの強烈な依存が垣間見える。適当な男ではダメな理由は、プライドが許さないからであろう。「こんな男では、私に釣り合ってない」と考えている。
そうした今現在「全然選ばれない」ような女性は、46歳ではもう「50歳ぐらいの汚いおじさんですら相手にしない」ような女になりかねないのではないか。そして子は離れていこうとする。
また、文章を読んで気になった点は「そこまで可愛くなく」「そんなに洒落っ気もない」「人並みに頑張ってはいる」と書いている見栄である。
他の点「愛嬌もない」「男に媚を売るのも嫌い」と書いている点に関しては断定している割に、その点に関してプライドがあるのがよりめんどくささを助長している。
つまり、本当はフツメンババアなどではない。ブサイクババアなのである。その自覚が足りない。ブサイクババアのくせに性格も良くないのだ。
「そのへんの女より可愛くて洒落っ気はあるのだが、『つまらない男ごときに媚を売る』ことができないために、婚活市場では、意味わからんけど『無価値』となってしまう」と考えているのだろう。しっくりこないか?
これは他の女性をバカにしていることに気付いていない。つまり自分の相場を度外視して「本当の私は彼女たちよりも価値が高いのだが、バカな男どもはそれに気付かない」と、自分の中で折り合いをつけてしまっている。
自己愛が異常だ。フェミニストはミサンドリストであるという点で不幸だが、増田はミサンドリストな上に、女性も嫌いなのではないか。学校でのカーストはどこに位置していた?
教育関係というその仕事も、『子どもという弱者なら自分が支配できるから』という考えが根底にあるのではないか。わからんけど。なおこれはイネーブリングといわれている。
おそらくこの増田は毒親育ちなのかもしれない。若いときに、可愛くもないのに化粧をしないことを選ばされた女性は大変である。あとで追いつかなければならないからだ。
「女の武器を使うのは悪いこと」という、おそらく増田の母親から強固に植え付けられた観念が罪悪感を抱かせる。未熟なスキルもそれを助長する。
そうした先延ばしのツケが今来ているのだろう。
中身が全く可愛くもないのに美も底辺という、弱者女性である自覚が足りていないのではないか。そしてそれを改善しようとする気もない。
「今現在の、ありのままの自分」を愛してほしい、自分が認めた人間からだけに強烈に愛されたいのかもしれない。
美を鍛えるのが苦行なのは「女の苦しみ」の1つだろう。「なぜこんな目に遭わさなければならないのか」と考えたくなる。多くの女は人生の早い段階でそれを乗り越えている。最近では男もやっているが……
ともあれ、理想の自分と現実の自分がすさまじく乖離している。だから人見知りなのではないか。
婚活疲れによるメンタル崩壊が第3の選択肢を選ばせているのだろうが、それは回避性パーソナリティ障害ではないだろうか。今までそうやって生きてきたのではないか。
そしてまた今回も問題の先送りをしようとしている。
自分が「下」だと思っている女性が、本当は圧倒的に自立しており、圧倒的に「上」であることに気付くべきときなのではないか。
これは俺の勝手な憶測・俺の勝手な印象だから、ふふっと笑って流しても構わない。
だが、子どもができてからではもう戻れない。今、己の存在価値・アイデンティティが問われているのだ。己と真剣に向き合うときが来たのではないか。
子どもを持ちたいと思う気持ちはわかる。ただ、まだ本気で戦ってもいないのに「婚活で惨敗した」あなたに、子を幸せにできるのか。撤退ではなく惨敗なのだ。
甘えとは言わないけど、なんでも他責思考だったり、都合が悪い事は覚えてませんって言ったり、フォローに対して感謝の気持ちや誠意が無いのは自分に甘いと思う。
欠勤が多い、ミスが多いのは仕方がない。
欠勤が多い分は上司に相談して人員補充しか対策のしようがないし、ミスが多く行動の順序が自分本位なのは多少目をつむり、優しく丁寧な口調で具体的な業務内容と完了時間を何度も棒読みで言い続けるしかない。
でも、何かあるたびに身内がこう言ってたから~、○○さんはこう言ってたので~、と言われても、それはTPOによって解釈は異なるし、行動の責任を他者へ丸投げしているし、こちらとしてはミスの原因分析がしたいのに、覚えていないと言えば怒られないと思ってるんだな~としか思わない。
まず覚えていないという事は無いようにメモしたりしようねと言っても都合が悪い事は覚えていないと言うから意味ない。致命的なミスが無いように周囲は注意をしておくしかないだろう。
ミスが起きてしまった場合、注意したいのは、周囲が善意でフォローしたり、助けたりせず本人にやらせる事だ。(※本人にフォロー内容を指示するのは可、本人から助けの要請があれば対応する。)
厳しいようだが、これまで周囲にサポートされて当たり前という環境で育ってきたので、何もせずぼうっとしていれば勝手に周りがなんとかしてくれるという意識がある。精神科医Tomy先生の解説では、「雛(鳥)人間」と言う。
でも需要と供給は成り立つので、そういうタイプは助けてくれる人が現れるまで待ってたり、可愛い子ぶってできないという態度を見せていると誰かが優しく助けてくれる。(※多分それをやってもらって愛情や好意の確認をしているような気がする。)そーいうのは人のために尽くす喜びを感じる人に任せればいい。頑張ってほしい。できれば無料ウーバーイーツみたいに無料であなたの言う事何でも聞きます奴隷システム的なやつを誰かが作ってほしい。
私の用語では勘違い痛いおばさんとしている。勘違い痛いおばさんは大体自分の事を可愛いと思っている。可愛いから自分が出来なくて当たり前だし、助けてもらって当たり前だと思ってる。そのため感謝の気持ちも無いし、女王様気分なので対価を払おうとする気持ちも無い。
優しい人が多い職場では、上司が上手くフォローしてと最初は指示をするが、上司も大体他人事なので、大変だね~としか言わない。(※うちが無能すぎるだけかもしれない。)だから具体的にどのくらいフォローをしていて業務負担がどの程度か数値的に表し、改善案を提示したり、心身共に限界な優秀な社員がいる事を訴えた方が話が早い。そうしたら優秀な社員と勘違い痛いおばさんを天秤に量り、おおよそ優秀な社員を選ぶだろう。
と、まあ書き連ねたが、正直他人の事だしマジでどーでもいいって思ってる。負担になるのもしょうがないし、勘違い痛いおばさんが一生他責思考で成長しないのも自分に関係ないしどーでもいい。
ただ、私の大学の恩師もアスペであり、他人の感情と行動というものを幾万幾通りも学び、理解していないけど覚えて実践して適応している、と話していたことがずっと残っている。先生は決して他責ではなかった。努力している人もいるというのを勘違い痛いおばさんを見ると言いたくなるけど、どーでもいいという気持ちで今日もフォローしながら一緒に働いている。一人一人特性が違うと言うなら、自分の特性を理解して、できる事を検証して、できない事はなぜできないか原因分析をしてみて、それでもできないなら全部他者にやらせるんじゃなくて、できない部分だけ分析した結果の理由を添えて頼ったりすればいいんじゃないだろうか。(こんなん言っても理解できなかったり謎解釈されるのもだるいんで放っておいた方がいいんですけどね。まあでも本当に全体の士気は下がるし、優秀な人はどんどん離れていってしまうから、悪循環になる原因や仕組みから整理した方がいい。感情を抜きにして制度上可能な事、特性上配慮してほしい事、単に病名ではなく何ができて何ができないか、どういった配慮をしてほしいかを就業規則と折り合いがつけられるとお互いすっきりすると思う。)
※個人的にはSNS(特にX)特定するのはマジでおすすめ。 当日欠勤しそうな日は1時間前ぐらいには辛い辛い言ってて欠勤するんだな~って分かるし、欠勤してんのに辛いけどご飯食べられたってめっちゃ元気にお昼ご飯あげてんな~とか分かる。仕事中もスマホいじってたりするとリアタイで何考えてるか分かるし、これが地雷なのか~とか分かるから自分だけ敵になりにくい。
火炎放射器の写真を出して着火装置に手をかけると言ってる人に相当するようなやばい人って居る?
右翼の街宣車で酷いこと言ってる人くらいはいるかもしれんが、決してマジョリティーではないし、世間からは迷惑だと思われてる対象でしょ。
このエントリに限らず通貨発行権持ってる国が国内への財政支出するのに増税する必要があると思い込んでる人が多いのなんでなんだ?
それともユーロ加盟国のヨーロッパやフランスに発行権握られてるアフリカみたいに日本に通貨発行権ないと思ってるのか?
それか金本位制かなんかだと思っていて通貨発行量に物理資源の制約がかかっていると思っているのか?
それともお金は労働したらどこからともなく湧いてくるものと思っていて政府はお金を作れないため民間から集めないといけないもの、と思っているのか?
あと若干突っ込んだ話すると
そもそも政府側が通貨発行するときは中央銀行が自行のBSの負債側に発行分の金額を計上してその見合い資産として通貨を発行するわけだけど(*1参照、意味分からんと思うかもしれんが日銀のHPでしっかり説明されてる。要は法定通貨っていうのは中央銀行の負債、つまり中央銀行以外にとっては中央銀行への債権ということになる。)、
これは金本位制やってたときは兌換紙幣だったから銀行券と金との交換義務があったから債務性があったわけだが、金との交換義務がない現状だと銀行券は負債側に記載されているだけで債務性は一切ない。今 中央銀行に銀行券持っていったら何かと交換してくれると思ってるなら認識を改めるべき。
一方、民間銀行の場合も借り入れ時に借入者のBSの負債側に借り入れ額が計上された時に資産側で預金通貨が信用創造されるわけだけど、(預金通貨であって日本銀行券のような法定通貨ではない。法定通貨を創造してたら偽札作ってることになる)民間の場合は明らかにいつかは返済しないといけないわけで債務性がある。しかも返済されたら預金通貨は消滅する(他者の負債、他者への債権が通貨であることが頭に入ってるなら負債が消えたら債権である通貨も消えることは直感的に理解出来るはず)
この債務性・返済義務の有無の対比から考えても政府が支出をするために民間から金を集めないといけない、というのは明らかにおかしくないか?
あと、法定通貨が中央銀行への債権であることは説明したが、中央銀行は一応独立してるが明らかに政府の一機関なわけで
その政府が法定通貨を税金とかで集めるってことは自分で発行した債権を回収してる行為、つまり負債の返済なわけで実質的に通貨を消滅させてるだけなんよ。
財政支出するために税金を集めないといけないとする発想やはりおかしくないか?
1*https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/outline/a23.htm
++お断り
しかもその多くが男
「ぼくちんの子供を産んでぼくちんとぼくちんの子供を世話する事はうちの嫁にとって至上の幸せのはず!」って幻想崩されたくないんだね
こんなの別に「最近」の話でもなくて、昔から母親ばっかの育児コミュニティ行けば「育児が辛いから保育園に預けて息抜きする為に働いてる」みたいな人沢山いたよ
保育園は待機児童で入れないから子が幼稚園入れるまで待って幼稚園入れたら延長保育も入れて自分はパートでようやく解放された!って人も多かった
働きたくないで御座る!専業主婦志望で御座る!が実際の女性の多数派(いまだに!)
地獄w
じゃあ女も男と同じように死ぬまで同じぐらいの稼得責任背負って働きなさいよ
それなら堂々と育児折半要求すればいいし保育園にも入れればいい
「最低65歳まで何があっても逃げずに責任ある仕事で家計を支え続けること」が
育児に比べて天国ならそっちを選べばいいじゃん男からも歓迎されると思うよ
妻子を路頭に迷わせない責任背負って外で働き続けるのは好きでやってると思ってんのか
自分の大変さは極大に強調するのに
どうしてそんなに自分のことだけで頭がいっぱいで
客観視とか相対視とかが出来ないんだ
いい歳のおばさんやお婆さんでそれは本当に幼稚じゃないんか
何歳で人間が完成するんだお前らは
「そんなんで(大人、社会人、親、等の文脈上は然るべき他者への配慮をすべからく持つべきである、といった意味合いが込められたと思われる任意の単語)として恥ずかしくないの?」
この問いかけは疑問ではなく反語であり「はい恥ずかしく思います」という返答を想定している。
想定通りの返答をすると、こちらが立場に応じた然るべき義務を果たさなかった事を認めた、と相手は受け止める。これにより相手はこちらに非があったという結論を相互間の認識とし、納得してその場が収まる。
また相手はこのようなの流れを然るべきものとして想定している。
想定に反し「いいえ、特に恥とは思いません」と返すと、そうですか、それは価値観の相違ですね。と話が終わってしまう。
相手はこちらに非があったと認めさせる事、また場合によってそれに応じた何らかの措置を要求しているため、このまま話が終わる事を望まない。
議論の続行を目論み、道徳観が共有されていない事を承知の上で、自分の価値観こそが正常なものでありこちらのそれは誤ったものであると主張する。また、場合によりこちらの価値観を改めるよう要求する。
このようにして、価値観の相違により生じた紛争をこちらの道徳観に還元して解決を図ろうとする。
この場合、「人間性(この場合、社会性と同様の意味で用いられていると考えられる)を疑う」といった表現が用いられる。
こういう文脈でよく使われる「人間性」って言葉が嫌いです。ほとんど「お前が気に入らない」と変わらないような意味なのに、なんか自分は正当な側に立っているって信じて疑わないような感じがするんで。責める内容が常識の範疇に収まるような妥当なもんならともかく、こういう言葉を使う人に限って自分のマイルールに過ぎないようなことを他人にまで要求してたりする。
言うだけなら小学生でも言えるよな
たとえ自己認識が正しくてもそれを他者にも伝わる形で説明できなきゃしょうがない
相手に理想を求めた時、指示するべきことは多岐に渡る。すべてのテストで100点を取る、家に帰ってもずっと勉強する、友達とのかかわりでは衝突を起こさない等である。
更に、苦労すればするほど偉い、などといったの認知の歪みがある場合には、コレに加えて、相手が苦労していないと許せないという考えが加わってしまう。
事実として、理想をそのまま実現すれば良い結果が得られるのは間違いないだろう。
しかし、そうはならない。理想は実現するのはコストを要するからだ。
自分のした苦労というのは相手に10%も伝わらない。それは逆もまた然りである。
相手が苦労して実現した理想に対し、それを報うのに一体どれほどのコストが必要になるのだろうか?
相手から自分に伝わる苦労が10%、自分から相手に伝わる苦労が10%である。
相手の100倍苦労しなければ、相手はやったことが報われたと思わないだろう。
ちょっとした緩和として、相手に礼を言うというのはある。礼の効果はデカい。
デカいが、相手に理想を押し付ける人間に礼を言われた事がない。そりゃそうか。
一方で義務がある。これは、何かを成す為に必要な最低限の事を指す。この何かというのは人それぞれで、その人に合った目標がある事が大前提としてある。
義務は相手に求めるコストが少ない。一方でやってもらう事も少ない。
報われたと思う事で、指示されたという不快感を帳消しにできる。
こういった積み重ねをすることで長期的な信頼を得られる。
質問に答えてみろ
表現の自由はどのような歴史的背景を持っていますか?どのような国や地域で発展しましたか?
表現の自由はどのような法的保護を受けていますか?国際的な条約や宣言、国内法や憲法などはありますか?
表現の自由はどのような倫理的原則に基づいていますか?人権や民主主義、多様性や寛容性などは関係しますか?
表現の自由はどのような社会的価値を持っていますか?創造性やイノベーション、批判的思考や公共討論などは促進されますか?
表現の自由はどのような制限や規制に直面していますか?検閲や暴力、名誉毀損やプライバシー侵害などはありますか?
表現の自由はどのような課題や問題に直面していますか?偽情報やヘイトスピーチ、テロリズムや過激主義などはありますか?
表現の自由はどのように実践されていますか?ジャーナリズムや芸術、教育や科学などは例として挙げられますか?
表現の自由はどのように発展していますか?インターネットやソーシャルメディア、人工知能やビッグデータなどは影響を与えていますか?
表現の自由はどのような歴史的背景を持っていますか?どのような国や地域で発展しましたか?
表現の自由はどのような法的保護を受けていますか?国際的な条約や宣言、国内法や憲法などはありますか?
表現の自由はどのような倫理的原則に基づいていますか?人権や民主主義、多様性や寛容性などは関係しますか?
表現の自由はどのような社会的価値を持っていますか?創造性やイノベーション、批判的思考や公共討論などは促進されますか?
表現の自由はどのような制限や規制に直面していますか?検閲や暴力、名誉毀損やプライバシー侵害などはありますか?
表現の自由はどのような課題や問題に直面していますか?偽情報やヘイトスピーチ、テロリズムや過激主義などはありますか?
表現の自由はどのように実践されていますか?ジャーナリズムや芸術、教育や科学などは例として挙げられますか?
表現の自由はどのように発展していますか?インターネットやソーシャルメディア、人工知能やビッグデータなどは影響を与えていますか?
「手帳や診断名は持ってないけど健常レベルでもない人」ってザラにいるじゃん?
そういう人にマジギレする人を減らしたいんだよね。
自分が出来て当然と思ってることを何度も失敗する人を見ると人間はキレる。
「いちいちキレることに意味ないでしょ」って言っても納得しない。
しかし「能力的にあることが出来なくて、当人の了見とか注意とか努力の問題じゃない人」ってのは明らかに居る。
或時には人をキレさせ、またある時は自分から社会に向かってキレている。
単にある種の障害があってそれを当人も他者も上手く認識できてないだけ、みたいな。
そういう概念がくっつけばそういうものとして理解できるようになるから。
大雑把に「発達障害」と括る表現に対し当事者や当事者の親が抗議するようになった。
ASDとかADHDとか名前の付いた発達障害以外は発達障害のラベルを使うなと。
そんなのだってここ数十年で理解が深まったばかりなのに占有権を主張しだし、
名前のまだない障碍者を同じ括りからはじき出そうとするようになった。
人間はなわばりを張る生き物で、障碍者でもそれは変わらないというわけだ。
そういうことなので
多分昔は「うすのろ」とか「ぴんぼけ」とか言われてた大グループから
でもまだ明らかに残ってるわけじゃん。
「Bさん」はやめてくれ。
全ての人間との関係が完全に絶たれていて、許せるとしてせいぜい年1回顔を合わせるかどうかでメールも月1あるかどうかの肉親だけが唯一の交友関係みたいのを求めてるんだろ?
そんな奴見たことねえよ。
鬱ごはんですら主人公は承認欲求を満たすためにTwitterで交友しちゃってるんだぜ?
無理だよ。
スイス・アーミー・マンでさえスイス・アーミー・マンがいるし、キャスト・アウェイだって行って帰ってくる場所がある。
ショーシャンクのレッドにだって、書き置きを残していくような相手がいたんだからな。
鬱野のUber Eatsみたいに同業者とさえ交友を経ち、店員相手の経済活動の中にだけ人との関わりがあり、他者を拒絶し承認を求めないが故にネットでも誰とも関わらない、そんな孤独のスーパーヒーローみたいなのを求めているのか?
いないだろ。
地球が滅んで最後の日になった物語でさえ、主人公はやがて生き残りを見つけてソイツラと関わっていくもんだ。
女主人公だからってことじゃなく男主人公であろうと変わらんだろ。
本当に孤独であり続ける人間の物語なんてこの世界のどこにも存在しない。
それはもう物語にならねえんだよ。
連載会議や脚本会議を通らねえから作品として世に出てこねえし、そうじゃない素人のWEB漫画だって、作者がわざわざ無償で漫画を世の中に後悔するような露出趣味じみた感性をもってる時点で、その分身たる主人公たちもまた人と関わろうとしちまうんだよ。
地獄じみてるぜ