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はてなキーワード: 人種とは

2017-08-19

頭が悪い思考解像度が低い

バカはいだって極論が大好き。

からよく言う言葉だがこれは大体あってる。

頭が良い人だって時折極論に走ることはある。

だがバカはいだって極論に走る。

バカの目には世界が極論に映る。

バカ自分の目に映る極論だらけの世界を見てきたのでそれが普通だと思っている。

バカの目には周りの人間自分より賢いとは映らない。

それを理解するためには世界を細かく認識できなければいけないからだ。

そのためバカはいだって強気で物を語る。

極論で語るのが普通だと思っているのだ。

白か黒かより先の世界認識するためには、1ビットよりも大きいカラーマップ必要となる。

多くのバカにはそれすらない。

ビットでもまだ足りない。

自分認識やすい物に関してだけは何とか白と黒だけでは語れない物があるとようやく分かる。

しかし2ビットと1ビットの差は本当に大きい。

白と黒だけでない世界を知ることによって自分認識能力の低さを疑うことが出来るようになる。

ビットレベルバカと2ビットレベルバカでは全く違う人種と言ってすらいい。

そして我々はなまじっかバカでないせいで2ビット未満の、1ビットレベルバカを正しく認識するのが難しくなる。

まりにも人種が違うからだ。

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170817111241

学も教養もなく、論理的思考も最低限の倫理観もない、そんな人種「正義の味方」コスプレをし始めるとだいたいあんな感じになるんだよね

差別はいけない

でもはてサ差別していい

あいつらは劣等人種から迫害すべきだ

なら

アファーマティブアクション100%差別から即刻全廃すべきだな

性別人種といった生まれついたもの不利益を受けてる人間がいるぞ

https://anond.hatelabo.jp/20170818033821

う~ん。君が辛い思いをしたのはわかるけど、いかに叩き代行・火付け役生業としているはてな民と言えども、それだけだと難しいと思うよ。

その自称詳しい人が人種女性差別主義者ネトウヨやアベ支持者だったりするような証拠を持ってきてくれさえすればお手伝いできたかもしれない。

2017-08-17

砂の惑星」の端っこのドロドロ(消滅済み)

または砂の惑星に関するわずかな気に入らなさと、それがひょんなことから消滅したという、徹頭徹尾勝手な一視聴者のおはなし。


最近ネット上で砂の惑星云々という話を見かけ、はてデューンがどうしたのか(リンチホドロフスキー原作?)、と思ったらボカロ曲だった。

[niconico:sm31606995]

増田ってはてな記法ニコニコ記法ダメでしたっけ?一応直URL

http://www.nicovideo.jp/watch/sm31606995

そもそも私はここ数年ずっとニコニコ動画から離れており、なんとなく退会していなかったなー、というレベルだった。また当時から自分自身ボカロ創作DTMをやったことは一度もない、ただのイナゴめいた消費者である。そういうわけで、砂の惑星キャッチするのもこのように出遅れたわけだが、一度聴いてはしばらく延々ローテしていた。

エントリでは別に砂の惑星に関する解釈は扱わない。ただ聴いていて一箇所、「メルトショックで生まれ生命」というくだりに引っかかるものがあった、という話がしたい。また先に結論を書いてしまうが、下記リンクインタビューを読んでたらその引っかかりがなくなっちゃった、という話でもある。

http://natalie.mu/music/pp/hachi_ryo

なんのことだ具体的に、と言われると、まあボカロ曲メルト」に関する揉め事の話だ。当時を覚えている方なら「ああその件か」「今更その話をするのか」と一発で分かるし呆れるだろう。作り手側でない私が書く権利もないのだが、どうかご容赦を。

(ルシフェル指パッチン)老害チックな話をしよう。あれは9年…いや10年前の話だ。当時ニコニコ動画ボーカロイド初音ミクの来訪に沸いていた。私もその場に居合わせていた。つまり、「メルトショックで生命が生まれる前に」初音ミクと会っていた。

メルトショックとは…いや、別にここで長々と書く必要はないのか。知らない方は、丸投げになってしまうが、ニコニコ大百科で「初音ミク」「メルト」「メルトショック」を引いて見てほしい。

しかし、あの時の燃え上がり方というか、燃えていた側の感情はどう表現すればいいのだろう。実のところあれは「解釈違い」に近い感覚だったようにも思う。ボカロキャラクターであり、自分自身について歌うのがメジャーだった(という意識があった)。そこにそうではない曲がやってきて流行した。そこの不気味さと、不気味だと勝手に感じてしま偏見さは説明が難しい。

またメルトショックには、歌ってみた流行も大きな要素としてある。メルト自体流行することがショックだった、流行の中に歌ってみたが入っていた。分かりづらいがメルトショックはそのような二重構造だった。本エントリ後者関係ないが…と最初は思ったのだが、冷静に考えるとあるかもしれない。メルト歌ってみた勢に(それまで以上に)好評を博す要素があった。それ以前の曲は(メルトほど極端なレベルでは)なかった。その要素とは、恐らくは前述した不気味さのことである

まりこういうことだ。1000年草も生えない砂の惑星には違和感がある。こちらとしては1001年草が生えてなかったイメージなのだ。…もちろんこれは悪質な冗談だし、言い過ぎだし、事実ではないし、あと1年は長過ぎなんだが(3ヶ月ぐらい?)。

また流石に「メルト以降こそが枯らしておいて、今更砂まみれとは、まさしく草も生えないわい!!」とも言わない。そこまで歴史修正する気は流石にない。流石に。流石ですお兄様(殴)。それでも違和感がある、と言ってしまうのは、まあまあ私の性根が捻じ曲がっているせいであり(というより私一人が勝手に言っているだけであり)、いかなる創作者・消費者責任でもない。

その違和感が、上記URLインタビューを読んで消えたのだ。理由は…自分でもよく分からない。

不当な理由勝手逆恨みしておいて、意味不明理由勝手に許すとは何様だ手前、しかも許すって上から目線でよぉ、と怒られればもう平身低頭するしかない。あと一番申し訳ないのは、曲そのものではなく、関連する別情報を知ったことによって感想が変わるというなんか現代芸術みたいなダサい真似をしてしまったことである。これ本当にすみません(ハイコンテクストっていうんだっけ)。曲(動画)の話は曲を聴く(見る)ことのみで語れよってね…。

一つ考えられるとすれば、これはある意味人種的かつ気分的な問題だったのかもしれない。めちゃくちゃ頭のおかしい話なのだが、メルトという曲に罪はなく、作った側と受け入れている側の気持ちがよく分からない、的な。ここで側、側、と言っているのは、つまりそれまでのボカロ「層」とは違うんじゃないか、という偏見があったということなのだ。「クズたちの受け皿として機能していた」。その皿に以前は何が入っていただろうという。居場所がないというと言い過ぎだが、ボカロボカロオタクのものだった。そこにメルトである。居場所のないヤツらAの居場所に居場所のないヤツらBがやってきて、同じ穴の中でムジナが金網デスマッチというイメージ別にボカロボカロオタのもんじゃねーとか、こういう人種イメージ自体が誤解だとか間違いだという正論は、実はあまり重要ではなく、デスマッチ存在こそが大事だった。もちろん、インタビューを読んだだけでその間違いを訂正するのもそこそこ下品申し訳ないのだが。作った人がどういう人だったのか、10年弱も経ってようやくわかったわけだ。これは向こうも居場所のない弱者っぽいか安心した、という意味では決してない。ムジナ穴の取り合いにおいては相手の強弱などどうでもよく、相手がいることそのもの重要なのに、相手の顔をよく知らなかった(また、たかが知る・知らないの差だけで問題解決した気になってしまう)ことが問題なのだ

ところで、ニコ動全面の砂漠化についてはよく分からない。パンツレスリングが大量削除されて淫夢が台頭し始めたのは覚えてるが。衰退したとかなんとか聞くが、黎明期の未成熟時代、まるでシリア民兵でっち上げ鉄板シマテクニカルのような状態を見てきた老害にとっては「ニコ動に一体何を期待しているのか」「無残さこそニコ動よ」という底意地の腐った感覚もなくはない。いやIFの改悪とかは当時からあったし流石に嫌だったが…。なんとなく、生放送と超会議をやり始めた(ことを重視する価値観シフトした)のが悪いきっかけだったような印象があるのだが、まあこれも無根拠世代差別なのであろう。

これから砂の惑星にどんな植物が生えるのかは分からない。生えた植物が我々や向こう(あえて主語を大きくしてみた)に都合の良い植物かもわからない。トリフィドビオランテかもしれないし、最新のゴジラかもしれない。違う惑星に生えて、結局ニコ動砂漠のままかもしれない。

ただ、全く生えない、ということはないような気がするのだ。



余談

砂の惑星MV、途中で座ってる初音ミクの「あーかったりぃ…」って表情が素敵。

https://anond.hatelabo.jp/20170817030606

まず、明日食うものも困ってる人だけが飢餓じゃない。その前提がおかしい。食うものがあっても生きるのに十分な栄養をとれない人たちがアメリカにもたくさんいる。そして、それはアメリカ競争社会に敗れた人たちであることは間違いない。それが、人種ごとに別れて抗議するってのは一つの問題だとは思う。けど、白人が寄り集まってそれをしちゃいけないってことではないし、海外貧困を優先する理由にもならない。

自分国民生命財産保証するってのは、勝手理屈でも詭弁でもなく近代国家絶対的ルールでそれがないがしろにされる可能性はゼロな。だから餓死者がでる責任第一義的にその国家にある。先進国サポートをする役割責任はあっても、命の保証まですることはない。

そして、アメリカ国内相対的格差が解消されれば今回のような集会は間違いなく縮小する。被差別感情を克服できるかは個人問題だけど、それを表に出す機会は間違いなく減るだろうな。

2017-08-16

自分脳内他人脳内区別曖昧大人の多さ

誰にでもツーカー出来ると思いこんでる奴らが沢山いて目眩がする。

初めて行くコンビニでもレジで「セブン!」と注文すればマイルドセブンライトが出てくると思い込んでるような人種

伝えるべき情報の3割も伝えれば相手が残りの7割を脳内で補ってくれて当然だといつも考えてる人達

彼らは病気だ。

自分が知らないことは皆も知らないと思っているし、自分が昨日知ったことは皆も昨日知ったとすら考える。

他人他人で、自分自分

そういう感覚がまだ身についてないのだろう。

皆一緒でお手てつないで同調圧力しましょうねの世界純粋培養されすぎたんだろうか。

そういう連中は言葉の使い方が雑だ。

唐突に「ザギンでシースー」みたいな喋り方を始める。

何も面白くないのにニヤニヤと笑いながらそうやって喋る。

頭の悪い相手とわざわざ喧嘩してもしょうがいか愛想笑いで受け答えするけど、本心では馬鹿なの?死ぬの?と思っている。

自分他人自分区別がついてるから、思っているだけじゃこちらが本心では嫌がっている事は伝わらないと知っている。

からいつまでたっても奴らがそういう生き方をして他人迷惑をかけていくのを辞めないのも仕方ないと割り切ってる。

だって教えてないんだから

そういうの迷惑ですよってこちらが教えてないんだから仕方ない。

何で教えないのかと問われれば、わざわざ頭の悪い奴らと言い合いなんてするだけで損だからだ。

彼らは本当に可哀想な輩だ。

そうやって見捨てられ続けて歳だけ食った子供のまま太鼓腹だけが大きく育って心の有り様は幼稚園児のまま。

自分が言っていいものか悩むけど、誰か手を差し伸べて救ってやろうと考える人は周りに居なかったのだろうか。

そして、そういう救われずにここまで育った大人が沢山いることに、日本人の冷酷さを感じざるを得ない。

https://anond.hatelabo.jp/20170816012916

不良は最初体制に反抗するけど

次第に周囲の大人から文字通りの鉄拳制裁食らって

最後は両親にカンシャ&地元で土方、ウヨ拗らせて街宣車ってパターンじゃね?

 

一生で必ず思想が反転する稀有人種

2017-08-15

TVの外国人吹き替えについて

テレビ外国人が喋ると吹き替えにするの本当にやめてほしい。

ネイティブ感情が伝わらない。

なんで一般人映画キャラクターみたいな作られた喋り方をするんだ?

テレビ局吹き替え声優仕事斡旋でもしてるのか?

全部字幕にしてくれ。

外国人ファンタジー人間みたいな扱いになってるのが、

人種に対する考え方としてすごく遅れてる。

運動できない

自分も物凄い運動音痴で、体育の時間まりの辛さに涙が出たこともあるし心無い言葉を投げかけられたこともあり

思い出すと息苦しくなる、体育の時間があると思ったら小学生中学生の頃に戻りたいなんて絶対に思わない

体育の授業を受けなくてもよくなったというのは大人になってよかったことベスト3に入るくらい体育が嫌いで運動音痴


しかし、アメトーークの「運動神経悪い芸人」は好きだ

リンカーン芸人大運動会ロンドンハーツスポーツテストも何度も見たことがある

辻・加護若い頃にめちゃイケ運動会をやってて、足が遅いわすっ転ぶわで大変なことになっていたのもよく覚えている


自分は社交的でなかったのもあり、体育の時間で失敗したら貶されるでもなく励まされるでもなく周囲は静まり返った

教室で辛そうにしている人を見たら「大丈夫?」と声をかける子も体育の時間はどれだけ相手が肩で息を切らしゼエゼエヒューヒュー喉を鳴らしていても何も言わなかった

中学生の時はみんな気を使ってバスケの時はパスを回さなかったし、高校の時は先生も一切口出ししなかったのでバトミントン時間ではひとりで壁打ちをしていた

なので運動音痴芸人たちがボールさばきを失敗する様でスタジオ芸人たちが笑っている姿はとてもほっとする

あの芸人たちは仲の良い者同士だし、けしていじめで笑っているわけではないのだ

運動ができないことを笑ってもよい関係、笑ってもよい空間がそこにはある


自分にとってあそこで起こる笑いは、野球の珍プレー集であるとか、

歩き始めたばかりの子犬がポテポテと歩いていたら足がもつれて顎から地面に滑り込んでしまう姿だとか、

赤ちゃんが積み木のおもちゃをうまく積み上げられなくて崩してしまう様だとか、そういったものを見た時に起こる笑いと大差ないのだ

あのコーナーをよく思わない人は、自分芸人という人種を良く思っていないから、彼らが笑うことや笑われることが「嘲笑」に見えてしまうだけなのだと思う

また、けして怠けてやっているわけではなく、本気でやっているのにどうしてもうまく体が動かせない、ボールが追えない、そういった人間が本当に存在しているのだ、ふざけているわけではなく全力でやっているのにできない、というのを周知することに役立っている、と思う


プールの飛び込み失敗動画がとても危険から放送すべきではない、という意見ならともかく、あのコーナーの存在意義のもの

運動音痴非コミュ人間全員が否定するわけではないというのはささやかに主張したい

差別とは何か? わからなくってきた。

身分に関する差別階級職業に関する差別人種民族文化に関する差別言語地域に関する差別/ 

性に関する差別能力に関する差別病人に関する差別

 

 

こんなにたくさんある。そして、差別を受けて不利益を被っている人々に対する優遇政策逆差別として

批判されることがある。差別永遠に解消されることはないのではないか?難しい問題だ。

ネット右翼をはじめとするネオナショナリストはとても進歩的な人たち

日本国民の「右傾化」が叫ばれて久しい。現政権は「保守政権」と自称している。

なるほど、保守。たしかにそのネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る。

しかしながら私はこの保守、あるいはネオナショナリストこそ日本国において最も急進的で未来希望を託している人種なのでは無いかと思えてならない。

現代日本さながらラピュタのようだ。我々の足元には確たる基盤がなく、ゆらゆらと宙に浮いている。それには様々な原因があるだろうが、今回は三つの思想的敗北によるということで話を進めていく。

まず、第二次世界大戦敗戦がある。明治以来国民支配してきた全体主義国粋主義が間違いであったことを身を以て知った我々は頼るべきイデオロギーを失った。1回目の敗北である

次に我々が依拠せんとしたのは共産主義であるソ連や他の共産国秘密主義のためにその惨状を知らない日本人共産主義桃源郷に夢を馳せた。東大闘争に始まったこの熱は日本中をのぼせ上らせたが、セクト間争い、連合赤軍、そしてソ連崩壊と暗黒面が目につき、我々は夢から醒めた。

バブル崩壊アメリカ式資本主義敗戦からずっと生き残り続けた。奇跡復興宗主国アメリカのど真ん中の大きなビルを買えるくらい、日本資本主義化において成功を収める。しかしそれは文字通り膨らんで行く泡であり、遂には弾け、資本主義さえも信じられなくなった。

主義無思想無宗教日本に残されたものは、敗戦国という烙印と無機質なハコモノだけであった。今までならば誇るべき別の点のお陰でさほど気にしないで入られた「戦後レジーム」が今更になって癪に触る。

こうしたアイデンティティ喪失によって創り上げられたのがネオナショナリズムである

先に「ネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る」と書いた。しか歴史上どこに立ち戻るべき過去があるというのか?日本帝国政治体制が戦禍を巻き起こし(彼らが全てアメリカの陰謀であると主張したところで同じことである米国にまんまとしてやられ冷静さを失う体制のどこが間違っていないというのか)、華々しい経済も泡沫と消えた。立ち戻るべき場所本来どこにも無い。では彼らはどうするか?

過去を作り出せ」ばいいのである

美しい日本日本帝国真実書店に立ち寄れば過去を美化している本が並んでいる。しかし彼らの言葉の指す「かつての日本」は過去ベースとしたファンタジーなのである

かの有名な江戸しぐさを思い出して欲しい。教科書にも掲載されたデマであるが、あれは全く過去ベースとしたファンタジーである。いわばベイマックスフランシストーキョーや銀魂大江戸のような「そうであったかもしれない日本」の姿であり、それは過去存在していない以上幻想以外の何者でも無い。

当たり前の話だが、戦前日本を知るものはもはや生きていない。戦争の怖さは子供にもわかるだろうが、怖い社会を感ずるためにはある程度の年齢が必要から誰も知らない、ということは現在の我々が過去を思う時、そのほとんどは幻想に頼るしかないということであるモニターの奥の二次元世界となんら変わらない。現在過去との間には次元を隔てる障害があり、こちからあちらへは干渉できない。

しかアニメネオ日本は格好がいい。しかしそれを現実で語ればアニメ脳、ゲーム脳と言われるのがオチだろう。同じようなことをやっているのがまさにネオナショナリスト達なのである

ネオナショナリストは現時点での閉塞感を解消するためにカッコいい幻想過去投影した。そして「これに戻るのだ」と主張しながら未来を作ろうとする。

結果、彼らは前しか向いていない。過去を省みてはいないではないか。これがいわゆる保守こそが進歩的な人たちだという理由である

私は右傾化否定肯定もしない。戦後から不安定さの解決のために右往左往してきた日本人を思えば、当然の帰結だろうと思う。お粗末な思想、主張だが、日本国民がそれを望むのであれば、それも良かろうと思っている。なに、高い授業料になったって構いやしない。

ただ、一つだけ加えておきたいことがある。私は先程からネオナショナリスト思想根本幻想ファンタジーアニメ的だと主張してきた。幻想現実ではない、ありえないものなのである。つまりは霊的なもの、神的なもの呪い的なもの、それらと変わりないオカルティズムだ。オカルトによって国が動くのだとしたら、あなたは怖いと思うだろうか、素晴らしいと思うのだろうか、それを尋ねてこの紙片にピリオドを打ちたい。

2017-08-14

https://anond.hatelabo.jp/20170814150211

DQN田舎だと、むしろ村社会積極的に参加するし、一番田舎に帰ってきやすいのもDQNで、一番馴染んでるのもDQN

DQNは身内を大事にするから基本的田舎村社会に一番近い存在なんだがな。子連れDQN田舎で爺の次に見かける人種だよ。

デレマスのsuperlove☆が大好きって話

タイトルそのまま。

superlove☆の話というより、それが好きな1ファンである私の話なので、興味のある方だけお付き合いください。

先に前提を話しますと、私はおそらくアセクシャルと呼ばれる人種です。平たく言うと、恋愛感情が持てない。

しかしたら、恋愛が出来ないのではなくて、運命の人出会ってないだけ。そう信じてめでたく三十路です。

試しに付き合った方とも性行為…というか、キスすら出来ずに別れ、もしや同性なら?と思うも試す度胸もなく(イメトレではやはり恋愛感情は持てなかった)他人がごく当たり前に抱く恋愛感情憧憬と畏怖を覚える日々でした。

以上、前提終わり。

さて、巷ではシンデレラ5thが終わった頃ですね。全通しました。最高でした。

しかし、話は4thまで遡ります

4thは運命的でした。ままゆに惚れ直したこと。そして、superlove☆を届けてもらったことです。

superlove☆自体CDで聴いていましたが、そのときは「かわいい~」くらいの印象でした。

しかし、4thで、イエパが終わって、そのままセンターに躍り出たのじょがsuperlove☆を歌った時、この曲が真っ直ぐに私の心に刺さりました。

「どんな愛も愛は愛じゃん」

のじょが真っ直ぐにきらきらと歌ってるのを見て、不意打ちで号泣してしまいました。

昔の恋人に別れるときに言われた、「キスもできないなんて、あなたは私のことが好きではないんだよ」という諭すような、諦めたような別れのセリフを思い出しました。

わたしは、キスなんてしなくても、一緒に食事して、笑って、たまに映画なんかみたりして、それで十分だったことを思い出して、そこにのじょの「どんな愛も愛は愛じゃん」って言葉が響きました。

恋人には否定されたけど、確かにそれは恋人になんてならくても、友達でもできることだったけど、私は元恋人とそれをしていたかった。とられたくなかった。それは確かに私の愛だったのではないか、と。

世間一般の愛の形ではないけど、相手に愛ではないと否定された愛でもです。人を愛せないと泣いた日々が救われた気がしたんです。認めてもらえた気がしました。あなたの愛はその形をして、確かに存在してるんだよって。「あとはもう気づくだけじゃん」ってのじょが手をさしのべてくれたから気がつけました。

「パパにママお姉ちゃんに」愛を歌うのじょを見て、私のまわりにはちゃんと愛が溢れていることを思い出して、また泣きました。「アタシなりにとどけたいよ」って歌うのじょを見て、私も、どんなに世間一般ではない形の愛でも伝えることを諦めちゃいけないって思えました。

そしてきっと、愛の形に「上も下もない」んだろうなって思いました。

のじょが「ドアの外も怖くはない」って歌ってくれたから、ドアを開こうと思えました。

「だれもきみを傷付けない」って言葉を信じたいって思いました。

抱えてる不安をぽい!ってして、幸せになっていいんだよって、本当に、肯定感?というんでしょうか?すごく救われたんです。

CDの時点で気がつけよって感じなんですけど、多分これはのじょの、生のパフォーマンスがあったからこそ、心に響いたんだと思います

歌詞だけ見たら「誰も君を傷付けない……わけねーだろ!」って感じですよきっと。

のじょが心から笑顔で、全力で、真っ直ぐに愛をこめて届けてくれたから、私の心にささったんだと思います

それ以来、superlove☆は大好きな歌です。

5thでますます進化したのじょのsuperlove☆を聴いて、改めてそう思いました。

そんな気持ちを吐き出したくて書きました。

すっきりしました。以上です。

あ、superlove☆はスペル大文字なんですが、変換的なあれこれがアレなんで見逃してください。

ちなみにアイマスには祖母が亡くなった時に、「ポジティブ!」という曲で救われたこともありました。ありがとうアイマス

以上です。

superlove☆だいすき!

これからも私なりの愛でアイマスを支えて行きます

男女平等」とか明らかに間違っているだろ

例のGoogleの件がホットタイミングで、日頃思っていることを吐き出したい。

まず私の考え方として、下記を前提としている。

これを共有した上で議論を進めたい。

前提

  (例のエンジニアの話で言えば、適正のない男性と適正のある女性がいた場合後者を取るべき)

  (エンジニアになりたい女性がいたとして、男性よりも教育の機会を得られないのはダメ

以下本題

男女平等って言うけど、男と女は違うだろ。生物学的に。

私は男で、子供の頃から女性は大切にしろ」と言われて育ってきた。

理由は、「女性の方が力が弱い」から

例えば、一緒に歩いている女性が重い荷物を持っていたら、代わりに自分が持ったりする。

でもこれ「男女平等」的にアウトなんだろう?

(「男女平等」とか言う輩って、ここで「それは別」とか言ってくるイメージ

男には男の得意な事があり、女には女の得意なことがある。

その逆も然りだ。

各々得意な方をやるべきだし、苦手な部分は補い合った方が良いに決まっている。

そこを「得意なことも苦手なことも双方同じようにすべき」みたいなことを言うから、話がおかしくなる。

男と女で違うものは違うし、違いを尊重しましょう。」でいいはずだ。

あと、前提の部分にも書いたけど、

属性での違い以上に、個人ごとの違いの方が大きいのは理解している。


けれども、そんな個人ごとの違いを

属性からくる先入観を一切排除して判断すべし、

なんてものは無理なんじゃないか

日本新卒採用活動で言えば、まずは出身大学なり高校なりで、

ある程度判断せざるを得ないのは周知の事実

だいたい企業活動において、

本来個人の」資質判断すべきだが、)自社の採用戦略上、

特定属性人間のみを集めて(「差別」して)雇用すること自体に何の問題があるのか。

(今では法律上NGだが、法律の方がおかしい)

もし、それが事実に拠らない不当な偏見であれば、

上記のような「差別」を行わない企業の方が、結果的に良い人材が集まるわけで、

競争上の優位性をつくることができるわけだ。

なので、件のGoogleについて、

企業としての採用戦略上、「差別をしない」という選択は、

Google勝手であり、企業の考え方と合わない人材解雇することは

それはそれで問題ないということになるのだが。

少なくとも、個人が、

男性、あるいは女性が、特定職能について

適正がない傾向にあると判断することは、不当ではないし、

それを、私企業が行ったとしても、その企業自由である

その判断の結果は、(その他のあらゆる判断と同じように)判断を行った者が責任を負えば良い。

ところで、自分の知る限り、仕事ができない「女性エンジニア」には会ったことがない。

仕事ができない「男性エンジニア」はたくさんいたが)

個人経験則で、男女の得意・不得意分野を判断するのは、あまり上策ではないかもしれない。

ちなみに、私は

女性マネジメントに向かない」と思っているが、果たして

2017-08-13

何で「関西は悪」「関西日本にあらず」みたいなのが盛り上がって

独立運動が起きないんだろうね。というか、独立って言ってる奴なんていない。

なんなんだろう、根本では同じ人種と思ってるからなのかなー。

親の話が下手かつ性格悪くて辛い

都会に来て何で自分はこんなに会話が下手なのか不思議だった

でも田舎に戻って分かった

うちの親がべらぼうに会話が下手なんだ

思い通りの返答がこなければすぐに黙るし

口を開いて出てくるのは文句ばかり

たとえば食事感想も8割方が自分の口に合わないからこの料理はまずいぞきっと変な味付けで安物の材料を誤魔化してるんだろうなって類いの代物

こうしてる自分文句ばかりだ

駄目な所受け継いじゃったなあ

反面教師に出来てるつもりで出来てなかった

コミュ障子供作るなよ

自分は作らないようにしよ

こんな人種再生産したくないよ

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 脚注

[1] この文書はもっぱらグーグルマウンテンビューキャンパスでの視点から書かれている。私は他のオフィスや国について語ることはできない。

[2] もちろん、私にもバイアスがあるかもしれないし、自分視点を支持する証拠だけを見ているのかもしれない。政治的バイアス観点からは、私は古典的自由主義者であり、個人主義と理性に強く価値を置いていると思う。私はこの文書について喜んでさらなる議論を行いたいし、例証を挙げたい。

[3] 私は、この文書を通じて”技術職”を、ほぼソフトウェアエンジニアリングという意味で使っている。

[4] ロマンチックな男女関係において、男性はより強く地位によって値踏みされ、女性は美貌によって値踏みされるさらにこれには生物学的起源があり、文化的普遍性がある。

[5] Stretch、BOLD、CSSI、Engineering Practicum(ある程度は)、それと特定ジェンダー及び人種のためのいくつかの他のグーグル提供の内部、外部プログラム

[6] 代わりにある特定層のための潜在的なGooglegeistのOKR設定。私たちは、特定グループにとっての環境を良くすること(それはサーベイスコアによって確認できる。)によっても、保護された地位に基づく差別化(それは違法であり、すでになされていると私は見ている。)によっても、組織レベルでの登用を増進させられる。登用増進OKRは後者インセンティブとなりうるし、組織間でのゼロサム闘争を作り出しかねない。

[7] 共産主義資本主義より道徳的にも経済的にも優れていることを約束する。しかし、その試みは全て道徳的には堕落経済的には失敗している。自由民主主義社会労働者階級が”資本主義の抑圧者”を倒そうとしていないことが明らかになったときマルクス主義知識人階級闘争からジェンダー人種政治へと移行した。抑圧者-被抑圧者の中核的な力学は残り、今や抑圧者は”白人で、ストレートで、シスジェンダーの家父長制”である

[8] 皮肉にも、IQテストは当初能力主義貴族政治犠牲者を助けとなることを意味していた時代左派によって擁護された。

[9] もちろん、全国的な総計において、女性さまざな理由男性より賃金が低い。ただ同じ職業につく限り、女性男性と同じだけの賃金を得ている。女性男性よりお金を使い、給与というもの従業員がどれだけのもの犠牲にしたか(例えば、より多くの時間ストレス危険)の指標であることを思えば、権力に関わるステレオタイプを考え直す必要がある。

[10] 伝統的なジェンダーシステム支援必要男性というアイデアをうまく扱えない。男性は強く、不平を言わず、自ら問題対処することを期待される。男性問題は、ジェンダーによる行為主体性の考え方によって、しばしば犠牲者というよりは個人的な失敗とみなされる。これは泣き言、不平、弱さの現れとみなされることを恐れて、男性男性問題(それが個人的ものにせよ集団的ものにせよ)に注意を払うことを妨げている。

[11] 政治的正しさは、”社会的に恵まれない人たちや差別されている人たちの集団排除し、軽んじ、侮辱すると受け取られるような表現と行動を避けること”と定義される。それでなぜそれが左派現象であり、権威主義者の道具であるのか明らかだろう。

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 後編

提案

私は多様性が悪いとか、グーグル社会100%公正であるとか、既存バイアス修正されるべきでないとか、あるいはマイノリティマジョリティと同じ経験をしているなどと私が言っていないことは明らかであると願う。私が言いたいのは私たちには特定イデオロギーと一致しない考え方や証拠に対する不寛容があるということだ。私はまた人々を特定ジェンダーロールに縛り付けるべきだとも言っていない。私は全く反対のことを主張している:人々をグループの中の一人(部族主義)としてではなく、個人として扱うことだ。

具体的な提案としては:


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次で最後

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 脚注

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 中編②

グーグルバイアス有害

私はジェンダー人種多様性を強く信奉している。またそのためにもっと努力すべきとも思う。しかしながら、ジェンダー人種平等な登用を達成しようと、グーグルはいくつかの差別的慣行を作り出した:

これらの慣行私たちバイアスが作り出した誤った仮定に基づくものであり、実際に人種とジェンダーの緊張関係を増加させる私たち上級管理職私たちのやっていることは道徳的にも経済的にも正しいことだと説明されてきたが、証拠なしにはグーグルにとって取り返しのつかないほど害となりうる左派イデオロギー[7]を覆い隠すものしかない。

私たちはなぜ盲目なのか

私たちは皆バイアスを持ち、私たちの内的価値に反する考えを却下するために動機付けられた推論を利用する。右派が”神>人間自然”という階層に反する科学否定するように(例えば、進化気候変動)、左派は人々の生物学差異に関する科学を否定する傾向がある(例えば、IQ[8]と性差)。感謝すべきことに、気候学者進化生物学者は普通右派ではない。不幸なことに、圧倒的多数人文学者と社会科学者は左派寄りである(およそ95%)。このことは莫大な確証バイアスを作り出し、研究されてきたことを捻じ曲げ、社会構築主義ジェンダー賃金格差のような神話を維持する[9]。グーグル左派的傾向は私たちをこのバイアスに対して盲目にし、その結果に対して無批判にさせ、また高度に政治的プログラム正当化する。

女性弱者とみなす左派との親和性に加えて、一般人間女性保護すべき対象とみるバイアスがある。前述したように、これはおそらく、男性生物学的には使い捨てであり、女性男性に比べ一般協調性があり、同調性があることから進化したものだ。私たちには広範な政府グーグルプログラム研究領域女性保護する法的、社会的規範があるが、男性男性に影響するジェンダー問題について文句を言うと、ミソジニストで泣き言を言う人間とのレッテルを貼られる[10]。ほとんど全ての男女の違いは、女性の抑圧の一形態として解釈される。人生における多くのことと同じように、ジェンダーの違いはしばしば”隣の芝生は青い”の一ケースだ。不幸なことに、納税者グーグルお金は芝生の片方だけに水をやることに費やされている。

この弱者とみなされる者に対する同じ同情が政治的正しさ[11]を作り出す。それは議論を制約し、それらの原因を増やすために暴力と恥を利用する極端に敏感なPC権威主義者自己満足であるグーグル大学でみられるような暴力的左派の抗議行動を抱えているわけではないにしても、TGIFミーティング私たち文化における頻繁な恥辱は同様の沈黙、つまり心理的安全でない環境を作り出した。

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グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 後編

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