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2019-02-20

直接言えないのでここに書きます

わたしの想いを。

拝啓、某くん

八月の中央線新宿から武蔵小金井に向かう電車の中で。

初めて大きな失敗をした君が「周りから目線に押し潰されるようだった」と胸中の苦しみと一緒に溢したほんの少しの涙が、恋慕の始まりでした。

客もまばらに乗っていた中央線が、確かにあの時二人だけの世界になったような。何もかもから取り残されたような。

決して私だけのものではない、皆の王子様の”ほんもの“が、私だけに確かに垣間見えたあの瞬間。

きみに恋をしました。

きみに幸せになってもらいたいと願いました。

あの時のわたしは正直ちょっぴり嬉しかったんです。みんなの王子様が私だけに吐露してくれた自分自身の断片が。日頃の取り繕っている彼の比ではない崇高な輝きが。


九月にわたし自分の不甲斐なさに耐えきれなくなって電話した時、

「忘れたのかあの約束を」

「覚えてるのは俺だけなのか」

「” 俺ら2人で絶対成功する “ って」

覚えてないわけがない。覚えてないわけが

しろ覚えているのは、その言葉に縋って生きていたのは私だけだと思ってたのに。

初秋の星が綺麗だった夜空の下で、公園のベンチに座ってこみ上げる何かを噛み締めながら、心の中で唱えた。

やっぱりきみは王子様だ。

そのカリスマ性が、その気遣いの上手さが、年相応の単純さが、嘘のつけない正直さが、どうにも眩しすぎて、きらきらしすぎて。

いつしか私の方が劣情を拗らせてしまった。

先週チゲ鍋をつつきながら友人に仄めかした言葉だけど、

好きな人には幸せになってもらいたい。勿論自分と付き合ってほしい気持ちはあるけど、到底自分なんかではと劣等感に苛まれるし、実際そうであるから釣り合わないのを理解しているのにも関わらず無闇に関係を壊すなんてことはしたくない。

どうか、可愛くて素敵で、きみをきちんと幸せにしてあげられる女の子と素敵な生涯を歩んで、結婚式に呼んでほしい。ビシッと決めるのはきみには似合わないよと軽口を叩きながら、色々な人に祝福されて幸せになる君を見て、ああ好きだったなと泣きたい。きみが幸せで本当によかったと泣きたい。

話しながらこみ上げてきたものは、きっとチゲ鍋の辛さのせいだ。

というわけで、

拝啓わたし王子様へ

きみの輝きはたくさんの人を幸せにすることができる

無論わたしも、随分と幸せにしてもらっている

から

きみも素敵な人と素敵な人生を歩んで

幸せになってください

きみの幸せわたし幸せです

四月からはお互い今みたいに会うこともなくなってしまって、もうきっと話をすることもだいぶ減るだろう

意気地なしで弱気で卑屈で、そのうえ実力もないから、きみに助けてもらうばかりの一年で、ほんとうに迷惑かけてばかりでごめんなさい きみに何もできてなくて足を引っ張ってばかりでほんとにごめんなさい

でも

人生のほんの一ページ分でも、わたしと過ごしてくれてありがとう

けがえのない時間でした きみと2人で色んなことを話す時間が大好きで 愛おしくて 宝物でした

きみからもらった言葉も想いも全部わたしの中にたくさん取っておいてあるんだ

月並み言葉だけど

これから人生たくさん笑ってたくさん泣いてたくさん失敗してたくさん成功して

自分の夢を掴んで

どうか 幸せになってください

結婚式には呼んでね えへ

わたしより

フリーゲームといえばLGBTの4人が無人島で自活するゲームがあったな

最後夫婦王子が追いかけてきて自爆して全員死ぬ話だった

ほかのエンディングがあるのか探したけどあれ一種類なんかな

2019-02-19

anond:20190219183345

日本だと「A男とB男の関係同性愛しか見えないからA×Bは公式文句は言わせない」

ってのは腐女子界隈に実在するけど(んでB×A派と争ってたりするが「A男とB男の関係公式同性愛である」って認識だってのはどっちみち共通なわけで)

「前作では同性愛者ではないが、続編では同性愛者にしろ」ってのは見ないなあ

まあ「前作では恋人はいないが続編では恋人を用意しろ」ってのなら履いて捨てるほどいるし

別にエルサが異性愛であるとは表現されてないんだからそれが同性でもいいだろ、ってのは別につの意見としてあってもいいと思うけど

ただアメリカはともかく、日本だとアナ雪前作は「異性愛至上主義から解放」ではなく「恋愛至上主義から解放」として受け取られた感があるし

もしエルサに同性の恋人が出来たら「結局相手王子から女に変わっただけで恋愛至上主義である事には変わらないのかよ」

批判する人多そうだし、ディズニーもそういう意見があるのは十分承知だろ

モアナやシュガラ2でヒロインに男の恋人作らなかったのもその辺の配慮だろうし

それに基本的アナ雪は家族愛テーマから(その後発表された短編もそうだし)

そこに他の人間が入ってくる事は考えにくいと思うけどな

エルサにアナ以上に大切な恋人(男だろうが女だろうが)が出来たらぶち壊しだろ

2019-02-17

昔、日比谷の某 商業施設トイレに友人と並んでいたら

男役の方らしい人がニッコリと微笑みかけて通り過ぎた

一瞬で心が掴まれ

なんて素敵な人!!っていう

ヅカファンではないけど、気持ちは分かる気がした

絵に描いたような王子なのだ

女性男役からこそ、ってのはあると思う

いつか機会があったら一度観劇してみたい

anond:20190216212643

実力ある戦士が何でもかんでもやってくれて

自分は調度品のそろった部屋で紅茶を飲んでクッキーをかじるだけ

めぼしい能力はない

男だとイケメンで紐は微妙な扱いだけど女だと勝ち組

絵本王子様と結婚した白雪姫もそんなだった

2019-02-16

女って差別主義者だよな

女が主人公絵本ってことごとく不幸な少女王子様と結婚する話じゃん

身分や富で人を差別してるからこういう話しかできない

なんでキモ金と結婚する話じゃダメなんだよ

ふざけんな

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

2019-02-14

anond:20190214193806

人の切実な願いをキモい一刀両断するのは差別

デブ少女王子様と結婚したいという願いと本質的に何も変わらない

anond:20190214132856

国を滅ぼしたあと、その国の王子を皆殺しにするようなもんだよ。

「まだ赤ん坊王子が悪いわけじゃない」と言ったところで、

その王子を旗印にして残党が集まるのは避けねばならん。

2019-02-13

うさんくさいイケメン

今回「青汁王子」なる人物逮捕されたというニュースを見て、初めて彼の存在を知ったわけだけど、コイツ見るからにうさんくさくね?商売とかやるときは、顔立ちが整ってるかどうかよりも、「この人から買いたい」と思わせる信頼感と愛嬌大事だと思うんだけど。個人的にはジャパネットたかたの前社長とか好き。なんか「高田社長オススメなら買いますよ!」って言いたくならない?まぁ実際のところそんなにジャパネットで買い物はしてないけど、少なくとも青汁王子のところから買いたいとは思わない。

あと、政治家でやけに若くてイケメンなのもうさんくさい特に「まだ30代!」などと若さアピールするのとか「○児の父」とか、個人的属性しか売り物のないヤツはダメっぽく見える。申し訳ないけど、こういう時は学歴効果絶大。特に今まで政治家として実績のない場合、「東大法学部卒」とか「早稲田政経学部卒」とかいうのは効くね。「弁護士」とか「元○○省キャリア組官僚」みたいな頭よさげ資格や経歴も頼りになりそうな気がする。整ったカッコいい顔よりも柔和で信頼感を感じさせる顔とか、頭良さそうで頼りになりそうな顔の方が有利じゃないかと思う。具体例思いつかないけど。

個人的には嫌いだけど、選挙活動自己PRうまいなと思うのは橋下徹。お前結局大阪府大阪市をさんざんかき回して何を残したのって感じだけど、弁護士という賢げな資格を持っているうえに物議を醸すような発言をして、「この人なら何かやってくれそう」と期待させる能力天下一品だと思う。

結局政治家能力判断する手段ってほとんどないかイメージ知名度選挙なっちゃうんだよね。それにしても小池百合子の「12のゼロ」とかい公約アホだよなぁ…。「花粉症ゼロ」とか「満員電車ゼロ」とかやれるもんならやってみろって感じだし、「原発ゼロ」って都知事権限であれこれできるもんじゃないだろう。あの都知事選で小池百合子が勝ったのは、彼女知名度が高いのと、自民公明が推薦する候補を間違えたからとしか思えない。

2019-02-12

青汁王子に対抗したい

・鼻汁王子

我慢王子

・(ただの)汁王子

ウケそうなのはどれ?

青汁王子って…

他の色の汁王子もいるのかな

こらこら、白汁王子の名は俺のものだぞ

2019-02-11

王様ランキング

王族長男で、巨人の両親を持ちながらも、自身は体が小さく、短剣すらまともに振れないほど非力な王子ボッジ。 しかも耳が聞こえず、言葉が話せないボッジは、周りからは次期王の器ではないと噂され、どこか空虚毎日を過ごしていた。 しかし、ひょんなことから心が通じる「カゲ」という友達を得て、人生が輝き始める。

2019-02-08

anond:20190208213731

下方婚くんの、王子様像があまりにもワンパターンすぎるのだよなぁ。

稼ぐ以外にもとことん女に合わせて気配り配慮尽くす方に全振りした男もいるんだぞ。

仮に稼ぐ女が選ぶのはそういう男。

女は下方婚しろの人はKKO王女様が嫁入りにでも来ると思ってんだろうか

KKO増田で連投したところで王女様は王子様と結婚するし

王女様じゃなくても増田で暴れてるKKO見てたらKKOのところに嫁に行きたいと思う人は減る一方だと思う

売れ残り女の特徴 白馬王子様を待つ 自分から絶対動かない

売れ残り男の特徴 顔が悪い

白馬に乗った王子様の反対は

黒毛和牛に乗られた女王様

2019-02-06

最近漫画って

元の漫画があって、それを描いた作者が原作とか監修で、別の漫画家が新しく描くみたいなの多くない?

NA●UTOの次世代のやつとか3●のライオンとか。

あとギャグ系で進●の巨人とかテニ●の王子様とか4コマでやってるやつ。

前者の方はさ、作者の気持ち的にもう描きたくないのかね?編集側に言われてイヤイヤみいたいな感じだったりするのかな?

後者の方はさ、もう公式同人誌だよなっていう。

あれ作画担当する漫画家も気持ち的にどうなんだろうね?

元が人気漫画から普通に読み切りとか連載描く以上の読者が最初からいるわけじゃん?

ラッキーって思うのかな?自分作品勝負したいだろうにね。

好きで読んでた漫画がそのパターンで復活してきた時、「おっ!」て思うんだけど作画が違うってわかった途端に萎えて「いいや別に」ってなるんだよなぁ…元の作者の絵で見たいわ…

2019-01-30

橋本治

ブコメが図らずも橋本治レファレンス様相となっているが、自分にとって意外なIDが影響を受けている。さすがにファン裾野も広いのだなと思う一方で、お前は影響を受けてその仕上がりなのかという驚きもある。もちろん大きなお世話ではあるが。

ブコメ界のミソジニー王子様ことKoshianX、橋本治に影響を受けてアレだとしたら、もし少量でも読んでいなかったら王子様どころか非モテミソジニーの暗黒帝王になっていてもおかしくないだろうと戦慄する。読んでくれてよかった。橋本治も山ほど文章を書いた甲斐があろう。いやしかし、橋本治を読んで影響を受けてアレってある種すごい強固だ。影響を受けたと言いたいだけで影響受けてないんなら別に良いのだが、いや俺は確実に影響を受けたのだというのなら編み物編んで出直してほしいところではある。

あとはtokage3だ、私にとってのtokage3は、過剰な嫌中韓、マイルド極右自称現実派その実態は脇が甘いキュートナイスガイという印象なのだが、橋本治若い頃に摂取して今の仕上がりというのはなかなか興味深い。どこをどう読んで今の仕上がりになっているのか一度じっくり話がしてみたい気もする。

anond:20190129204803

雑な駄文を読んでくれたようでありがとう

>エアプまるだし。

エアプ初めて聞いた。今調べた。まさに自分のこと。MMORPGほとんど経験なくて、ドラクエXだっけ?をちょっとやってやめたくらい。

>「神話が語り継がれているのは普遍的な魅力があるから」というのと、「読者が英雄になりたい」論がまったく噛み合ってないぞ。

ここは確かに雑です。

主語が少し大きいかもしれないけれど、物語を読むときって何らかの形で、登場人物自分自身を投影するということが起こるように思っています異世界転生ものしろ神話・昔ばなしの英雄譚にしろ、何らかの形で感情移入投影が起こる。

神話世界には自分投影するというと誇大的になるかもしれないけれど、個人的読書体験として、自分王子でも何でもないけれども、ホメロスでもマハーラーヤナでも主人公に対するいくばくかの投影があったために物語を楽しむことができたのかなと思っています勝手想像だけど、ムラの長老がたき火を囲んで部族の子供たちに建国神話を聞かせるなんてイベントが、その時代には娯楽の一つであって、私がラノベを読むのと同じようなわくわく感を、その時代の子供たちも持っていたかもしれない、などと考えます

物語を楽しむためには投影がなされる、その意味では神話ラノベも同じようであって、主人公への投影を容易にする点では、普通の人が転生して大きな力を得るという形式は、優れた構造といえるかなと思います

>「異世界転生には神話類型が見られるから魅力的である」で済むところに、ゲーム云々を持ち出す必要があるか?

>「異世界ものが下敷きにしているMMORPG」?SAOからの流れでMMORPGの要素が一部に取り込まれているだけで、ジャンル全体に言えるような傾向ではまったくないが?

ジャンルもすべて把握しているわけではないので、この界隈の知識不足は否めないですね。

語りたいこととしては、異世界転生ものへの批判対象の一つである、「スキルレベルステータス」といったモチーフのことです。これらはMMOでないRPG起源があると思いますが、異世界転生ものが量産される背景として、MMORPG主人公になれないユーザーフラストレーションが、少なくとも初期にはあったと思っていますSAOMMORPRGの要素が取り込まれているというよりは、MMORPGを題材そのものとして取り扱っているように思います

なぜゲームを持ち出す必要があるのかというと、まさしくご指摘の通り、エアプな私が、ゲーム的な異世界転生ものをそれなりに楽しんで読んでいる傾向があるからです。MMORPGへのフラストレーションが著者の動機にある(あった)と考えているのに、フラストレーションを持つほどにMMORPG親しみを持たない”エアプ”の自分が、そこそこ異世界物を読むのはなぜなのか?それは、異世界物がライトな消費物としての、物語であったとしても、何らかの普遍的構造を持っているのではないか?という疑問がエントリーの原点になっているからです。

>つか異世界ハーレムで挙げるべきは異類婚姻譚よりマレビ信仰だろ。異類婚姻譚を挙げるならモンスター転生などを挙げるべきだろ。

レビ信仰も、場合によっては異類婚姻譚の亜型ととらえることはできるかもしれません。

https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-56.pdf

モンスターのような外形上明らかな異質性を持つ”異類”でなかったとしても、異世界ものでは異世界を訪れており、そこで生活している人を転生以前の世界と変わらぬように描いていたとしても、構造上は、転生者にとって異類であると思います

>まあ結局は後知恵の辻褄合わせとしか思わんがな。

おっしゃる通り。異類婚姻譚をもちだしたのは、神話類型に寄せるためのこじつけ感は否めませんが、ハーレム展開とまでいかなくても美しい異性と結ばれたいという構造はやはり神話・昔ばなしと同根と思えてしまます

>次はロクに研究対象も読まずに文学論モドキを騙る馬鹿がなぜ出てくるのか分析してくれよ。

jungianでもないのに、神話類型を持ち出して、文学もどきを語っても、ちゃんと読んで批評してくれるからです。ありがとう

2019-01-29

美女と野獣へのルッキズム批判だとか

映画チラ見して当時の物申すみたいな勢いの美醜周りへの批判とか思い出して色々考えたから覚書き

その当時の批判の主流は心の美醜が見た目に繋がるような表現違和感があるみたいなのでそこに繋がる感じで野獣が王子に戻ったラストに心云々言っといて結局それかよ、美男美女かよだとか野獣の方がかっこいいしとか野獣のままでハッピーエンドでいいじゃん的なのが付いて回っててその時はあんまよくわかねえというか最初の以外はそれ批判以前のただの感想やんけ!(感想自由)ってなってて(最初違和感にも違和感があったけどそのままにやってた)それで今改めて考えたのはそもそも美醜で人間判断してた王子ベルという美しくはあるけどそれに囚われない知性ある女性と心で惹かれ合い醜い心の象徴とするその野獣の姿で愛を成就しなんてざっくり内容からし物語としての教訓は見た目で判断する事の愚かさ真の愛はそこに囚われない(ロマンチック)って事だろうしベルの美しさはディズニーにおいてのプリンセスヒロインに課せられるメタ的なルッキズム価値観によるものでも当然あるけれどそれは美女と野獣という作品への批判としては的が外れているように思うしむしろこの作品においては美醜を扱う上でベルが美しいとされ知性や冒険心と並び持つとする事でこそその中からベル自身が何を選び大切にするかの選択意味を持ち生きてくるように思うから王子の美しさと共に決して物語必然性のない美貌ではなく魔女のそれにしてもまさにルッキズム的な王子に対する皮肉としてで解ければそこを否定する事になる呪いを与えてるとこからもむしろルッキズムを悪としているようにしか見えなくて批判で言われてた違和感への違和感の正体はそこへの漠然とした何でこの話でそんな事思うんや…というやつだったんだと思う

それはガストンに顕著で元々アニメヒーロー的な外見でハンサムという設定ではあったけど見ようにはそうでもないキャラクターデザインだったガストンに実写でルークエヴァンスがあてられた事で美しい見た目に美しい心が宿るというようなルッキズム否定するキャラクターとして野獣との対比もよりはっきりとなってそのハンサムさはベルや野獣の心を引き立てる装置としてやっぱり皮肉的に使われたわけだから作品としてルッキズムに則るのならそれこそシンデレラ最初アニメ作品うごとにそうでなくなっている)のようにガストンルッキズム的美醜観において醜いか善い人間であるべきで敢えてそうしていないのはそれがメッセージの一旦であるという証拠でもあると思う(すごいぞガストン

じゃあ何でそんな批判を思うのかとも考えて単純に物語としてじゃなく表現の部分部分に気を取られちゃう形になっちゃったのかなっていうのと後はそういう発想それ自体が単なる美醜じゃなく絶対的客観的な美がカーストのように存在するというようなルッキズム的前提でもって無意識にでも恣意的になされているのじゃないかって事で冒頭で野獣のかっこよさを示す事を批判以前の感想としたのは王子という美しい存在に対する醜いとされる野獣という構図の上で野獣の見目を讃えて"美"であるとする事だけではただの作中における美醜の定義への抗議またはむしろ逆に作品ルッキズムであるという批判内容を否定する(野獣を客観的に美しいとするのは作中の醜いという定義は外見を指すものではないもしくはキャラクター主観を越えるものではないとする事で作品として見た目に心を比例させているという批判は当て嵌まらなくなるように思う)もので美を是とするルッキズムであるという前提に立った批判として体を為してないのではないのかと思ったからだけどもでもそれが野獣をかっこいいとする価値観ルッキズム的な本来の(あるとしている)美醜観に沿うものではないのでそこ自体への反発の提示批判の一旦になるのだという発想の元されたと考えれば批判としてはそこの意味に限るなら理解できるしまた野獣の姿を醜いと定義するそれこそをルッキズム的だという意味でのまずそこから違和感であるならとも思うけど批判とやってそこに客観性を持ち出すのであれば野獣をルッキズム的美醜観による被害者であるとするのはその見た目を作品内での単なる主観文化的役割としてでなくルッキズム的な定義によって作品を越えたとこで醜いとやっているわけで本来ルッキズム的美醜と美醜はイコールではなく真理として絶対的な美を定義するものでもないのに作品内での美醜についての価値観を語るのにわざわざそれを作品へ持ち込み批判材料としたのはその当人がそこにルッキズム基準における美醜を見たからに違いなく美女と野獣はルッキズム価値観において野獣を醜いものとしている、という批判はそういう事ではないのかという話で

それらは全部今回自分で当時を思っての単なる仮定であるんだけどそんな批判を挙げたのと同じ層からその後シェイプオブウォーター美女と野獣のアンチテーゼだとする意見が出て(監督否定してた)明らかにそれが"彼"をルッキズム弱者とする前提の上で敢えて美しさと定義しているとやって監督がただ美しいと思うものを美しいと描いているというようなルッキズムとはまさに反対にある主観的美醜観という視点が丸々端から欠如した美しいものをそう描く作品とそうでないものを美しいとする価値観で描く対比の構図と捉えたものだった事を思うとあながち間違いでもないように見えるし(客観的な美しさを定義するとしているルッキズムに美しさは一概には定義できず個人的宗教的文化的ものであるという主観的美醜観で対するのならアンチテーゼとし得るけどそういう論理での批判自分は見かけなかった)美女と野獣のラストを美醜に重点を置き"結局それかよ"と受け取るのも"見目の美しさは心の美しさに比例する"と判断するその過程でその醜さを作品における主観的な域のものでないとするまたそれを見出すのに野獣という存在が含む要素やその世界での立ち位置でなく外見のみに焦点を絞るその視点も(実際フランス版では王子の外見的な美醜より傲慢さが醜さの象徴としてフィーチャーされている)見た目が重要だとするルッキズム価値観に左右されてのものにも思えるし王子の姿にしても野獣の姿から解放作品で醜い心を象徴すると定義されている以上心の変化を客観的証明するためのもの言うなれば愛の象徴であって(野獣の姿はベルに真の愛が満たされていない事を示す)外見なんて関係ないのならそれこそ望まれものであるはずなのにそこを否定するのは"王子の美しさ"という見た目に囚われその他の要素より重要視している事に他ならないのだしそれはまさにルッキズム価値観に則ってまずわざわざ美醜を選り分けてそこからそれらを"美しいもの""醜いもの"という絶対的な前提において肯定否定する事がルッキズム批判になるというような無意識ルッキズムというかそれは言うなら

美しいかいかなんて誰が決めたの?ルッキズムなんて!見た目で判断とか最悪!

というのに次いでの

○○ちゃんだって素敵なのにね!

という言い様で○○ちゃんと○○ちゃん普通にかわいいと思う人間美的感覚ルッキズム基準でそうでないぞと正面から否定カースト内の位置を告げるみたいなものでシェイプオブウォーターにおけるそれは

××くん○○ちゃんのこと好きなの?見た目じゃなく中身で見るんだね!いい事だよ!

もしくは

××くん"には"○○ちゃんかわいいんだね!素晴らしいことだよ!

というようなやつでその上で自分は美醜で人を判断しない公平な人間だと主張するような話でそれは批判として果たしてというかルッキズムへの批判のためにはルッキズム価値観においての美醜を踏襲しなきゃいけないというパラドックスを思ってなのか(そんな必要には特にない)それこそ考えれば考えるほど違和感でいっぱいになるという話で

要はルッキズムとか言ってないでふたりとも愛を見つけてその証に野獣は呪いがとけてハッピーエンド万々歳やんけ!でいいと思ったという話

2019-01-28

anond:20190126211910

萩尾望都の「11人いる!」はISというか、幼いうちは性別が定まらないが成人するにしたがって自分性別選択するみたいな人種の子が出てきたような記憶がある。その子性自認はもともと男で男になるつもりだったんだけど、物語の中で主人公(男)のことを好きになっていくうちに女になるのもいいかなあってゆらぐ、みたいな話があった気がするけどめっちゃうろ覚えでごめん。

あと山岸涼子の「日出処の天子」は主人公厩戸王子が絶世の美少年で、もうひとりの主人公である曾我毛人と初対面の時女性と間違えられて一目ぼれされる。その後もことあるごとに女装するシーンはある。性自認は謎。

anond:20190126211910

個人的趣味漫画より小説になるけど…

漫画

僕と彼女のxxx(入れ替わり)

イズァローン伝説(幼い時は両性具有

(なろう)

親友王子腰巾着呪い男性女性

女になったエルフ親友を助けたらパーティー追放されたので、二人でまったり暮らそうと思います(宝箱トラップ男性女性

親友がTS娘になって、俺と結婚したいと言うが、断固断る(性転換病がある世界男性女性

発情期っ!?(獣人女の子TS転生)

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