はてなキーワード: 形容とは
どう考えてもセクハラど真ん中だし。
「実がよく育ち、その重みによって枝や稲穂がしなやかな曲線を描いているさま、を形容する言い方。」
人を見て「たわわ」って形容が当たり前のように出てくるのか?
人を人として扱え。当たり前の話だ。その当たり前を破ったらそりゃ叩かれる。しかもデカデカ広告出して大っぴらに破ったらな。
「未成年じゃなきゃ良かった」とかいう謎の擁護も湧いてるがよく考えろ。
いやセクハラだ。
完全にアウトだろ。昭和かよ。今どき職場に水着のポスター貼っててエロ軽口誘発するような環境はセクハラ判定されんだぞ。
クローズドな職場でそれなのに、よりオープンな新聞が批判されねえわけねーだろ。
何より果物がまずくなる。
もう完全に「たわわ」にエロイメージついちまったじゃねえか。
どうしてくれるんだよこちとら果物農家なんだよ。売りづらいったらねえよ。
去年は大変でした。今年も大変になっていますが、マスコミが客寄せに使う分かりやすい「ショック」とは言えない、構造転換といえる変化が起きています。
昨年は、施主が得られるはずだった、住宅ローン減税での還付分を木材を筆頭に値上(2.5倍程度)したコストで吹き飛ばされた方を複数見てきました。
相場を舐めていた建設会社と設計事務所が、適切な積算ができない、材料の調達が間に合わない。その失敗を費用増や工期延長という結果から、施主から時間と資金を奪っていく様を見てきました。
施主はローン上限一杯借りるのに、「住宅価格の中で木材価格は1割内だからそこが上がっても問題ない」みたいな報道が昨年あって、実際にそう話すメーカーがいたのであっけに取られたのを覚えています。
「2つの」とタイトルにあるように、注目を浴びている北洋材(ロシア)より先に、北米にて2021年晩秋に一つの法案が通りました。この法案は150年生以上の立木伐採を規制するものです。日本国内で建てられる住宅、特に注文住宅では、窓枠やドア枠に良質な無垢材を使用します。この部分に使用される無垢材は、米栂、スプルース、米松、米ヒバ、Wオーク等、北米原産材を使用しますが、昨今の居室空間の大型化、サッシの大型化から要求される木材に、150年生以上の天然木(オールドグロス材)を使ってきました。しかし2021年の規制により、現地大手製材会社Mが法案に合わせ生産を停止し、日本の輸入量が昨年対比50~80%減になりました。そして底が抜けた円安。
この法案、SDG'sによる持続可能な森林資源を保護していく理念で制定されました。が、ソロバン勘定をする先進国なので、良質天然木の売却益<CO2排出権の売買益、になったと思います。この状況は、カナダ政府が政策転換しない限り持続していく状況です。
2021年の材料争奪戦は、無尽蔵の購買力がある北米が北米産材だけでなく、欧州材にも手を出し、各国のロックダウンにより輸出入港が制限され、検疫により迅速な荷役が出来ずコンテナ船の渋滞が混乱に拍車をかけました。翌年(2022)の材料調達計画は各社、それぞれの考え方で、西欧の既存仕入先との関係強化をした所、内地材の調達を強化した所、ロシアに多額の投資を行った所がありました。昨年の記事では、末尾で素敵なパートナーと茶化しましたが、契約主義と民主主義の西欧文化圏から外れた、力を信奉する権威主義の国との貿易がいかに難しいか、通商の途絶という最悪の形で現れました。主な貿易樹種は、赤松、カラ松、タモ、ナラ、カバ、既にカラ松を使用した合板(ラーチ合板)が国内需要に対して供給が足りず国内産丸太価格が上昇。仕上材であるタモは夏以降欠品や高騰による仕様変更を迫られると思います。今秋のプレカット市況は昨年と同じ状態になるかもしれません。
64年の木材自由化以降、石炭と同じように良質な海外産材が出材コストの安さと共に日本に普及していきました。より「適材適所」になった材料選択の自由さに、日本の杉と桧は平成不況の中で製造コストも押さえつけられ、信じられないかもしれませんが、直近まで構造用木材価格は60年代の相場より10%程度高い程度の金額で取引されていました。この環境が不自由な貿易環境の中で改善されるかもしれません。カラ松や杉の丸太価格が上がっており、より適切な利益が国内の森林組合や製材会社に回る形になりなりそうです。2021年は無くなった海外産材の需要を何とかカバーしようと増産を行っています。まだ「ショック」と形容される内容でしたので、設備投資に踏み切れる訳もなく、需要家から色々言われながら各設備が残業をしたと考えると、黙々と増産に励んでいた方々には頭が下がります。2010年代、各地域に50億前後の中規模製材工場が建設され、改善された生産設備が上手く稼働できたのがショックで済んだ一翼を担っていますが、自給率30~40%の現状で仮に30%の増産をしたとしても、50%台にしか届かないので、足りない海外材の代替には設備投資が必要な状況です。また、杉は加工性が高く構造材から仕上材に幅広く使える利点があり、昔から建築用材として使われた歴史がありました。杉の学名は「日本の隠された宝」という名前もついていますが、昔の長屋のような間取や平屋建てならともかく、洋化された生活空間による住宅においては、広い空間を保つ梁の強度が足りず、仕上材も柔軟な加工性が仇となり、非常に傷つきやすく正確に内部造作に加工するのが難しい、水に弱い、和風内装の不人気という側面もあります。世界中の木材から、使用用途に応じた強度や耐久性、質感の選択をしている適材適所かつ現代のノックダウン方式住宅製造では、杉単体で立ち向かうには難しく、集成材でのコスト革新が待たれるところです。
ちょっと長いです。
東京に上京して数週間、なんとなく暇だなあと、ふと思い立ったが吉日。
そうだ、デリヘルを呼ぼう。
経験人数が一人だけなので、もしかしたら経験人数が増えるかもなーと思っていた。
しかし僕はデリヘルを頼んだことがない。風俗にも行ったことない。
だから、店選びは慎重に行おうと思った。
(今思うと、これが罠なんだろうなと思った。)
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選んだ風俗サイトは、女の子の可愛さか何かでランク付けをしていた。
おいおい。。。って思う人もいるだろう。
そのデリヘルサイトは、"""パネルマジックはしていません """と謡っていた。
さて、電話をするぞ。
いかんせん初めてのデリヘルだったため、電話の勝手がわからんかった。
なんだったら、掛けるまでに1時間くらい要した。
そうしてようやく電話をかける。
しかし、女の子を指名しようと思った矢先、店員さんにこう言われた
これはこれは。。。
安さをとるか、安定をとるか、まさに運命の分かれ道だった。
ちなみに、安さをとった場合「90分17,000円」、安定をとった場合、「90分26,000円」だった。
一万増えとるやん、そう思った。
そこで愚かな僕は、前者を選んだ。これもよくない選択だった。
電話を切って、フルbokkiした息子を撫でた。
正直めちゃくちゃ期待していた。
一応、最低ランクでも顔出しはされていた。
みんなかわいかった。
ほんとに、パネルマジックが、ないのであれば、全員当たりじゃん。
興奮が止まらなかった。
時間が刻一刻と近づいていた。
そこで僕はある計画をしていた。
僕はにおいフェチだ。
これにより、つらく苦しい社会人人生を乗り越えよう。そう思っていた。
しかし、相手をノーパンで返すわけにもいかないため、近くにあったイトーヨーカドーで女性用下着Mサイズを購入した。
店員さんが女性だった。すっごく嫌そうな顔してレジ打ちしてた。
さあ、準備は万端だった。
時間は深夜。夜風が心地よかった。
「おまたせしました~~~~」
(嘘だろ、、、こんな人いなかったぞ。。。)
今思い出すだけでも悲しくなってくる。
僕は、このボストロール討伐のために、17,000円を支払ったのか。
(あ、でもいい匂い。)
俺は単純だった。
多分今思うと香水だろうなあ
僕はまず先制攻撃を仕掛けた。
サイトによると、
なるほどねえ。
少なくとも、全部100ありそうだった。
う~ん、詐欺!w
あ、でも、今思うと、一つだけ正しい情報があった。
身長。
基本的にデリヘルとは、おしゃべり → お風呂 → プレイ(時間の許す限り) → お風呂 の流れが鉄板。
しかし、向こうがそうさせてくれなかった。
おしゃべりの途中5分くらいで、
「あ、早くしたいよねw」
と気を使っていただいた。
ちなみに、僕がこのデリヘル嬢をボストロールと形容しているのは、見た目がそうだったからってだけではない。
お風呂に入ると、嬢は優しく竿を握ってくれた。
不覚にもbokkiした。
嬢の顔をみると、化粧崩れが見えた。
腹に隠れてアンダーヘアは見えなかった。
キスをした。
いい匂いだったに違いないが、何か根底に不愉快なにおいが混じっていた。
嬢は
「キス上手だね」
と言ってくれた。bokkiした。
それまで、体をなめられたりなんやかんやあったけど、嬢のプレイ自体は上手だったと思う(素人目線)
フォローできるポイントとしては、フェラーリは上手だった。と思っている。
僕は、今まであってきたかわいい女の子の顔を思い浮かべながら、頑張って足ピンしていた。
そして僕は果てた。
開始70分、ずっとフェラルドしてくれた嬢に(さすがに)賞賛した。
そのあとは、ひたすらドラマの話で食いつないだ。
「二回戦しようね」
とか言われたけど、まぁ、できなかったけどね。
そう、嬢はフェラキオザウルスによって口が猛烈に臭くなっていたのである。
僕の静止なんだけど、なんだろう、自分の製紙だとは思えない臭さだった。
なるほどね、これがデリヘルか。。。
時刻は午後三時を回った。
正しいっぽい感じを表す言葉。
この言葉で気づかされるのは、正しさがゼロイチではないのだということ。
正しく感じられる要素がいくつか集まって初めて、その事項は「正しい」と感じられるわけであり、
その途中の態様は「正しい」ではなく「正しみが深い」とでも形容すべきだろう。
そういや昔、某セカイ系ライトノベルを読んだときに、科学の正しさは多数決で決まるという話が載っていたが、この言葉を聞いてそれを思い出した。
科学でさえ、客観的に決まる正しさなどなく、「正しみ」あるエビデンスが積み重なることで、人々が「正しみが深い」と感じて多数決により「正しさ」が決まるのだ。
増田でも「正しさ」を求めてレスバする人々が見られるが、「正しさ」とは、ある人間が「正しい」と証明することで得られるものではないのだろう。
子供が元気に私に駆け寄ってきた。
そのときに自分の心の中になにか一つの感情が浮かび上がるのに気がついた。
私の中の経験も、知識も、何を総動員しても検討すらつかない感情だった。
それほどまでにこの感情は
深く
暗く
何かドロっとした
向こう側にいるのは間違いなく魔物だと言える
ひたすら耐える日々、そのうちに自分が耐えているという感覚さえなくなる、だが歳も取れば自分が虐待を受けてきたことはなんとなくわかる。
先程の感情の話に戻ろう。
氷のように冷たく固く、そして分厚いものだというのはわかるが、感情の説明としては全く足りていない。
その感情は私に語りかける。
「親子関係はこれではだめだ」
と。
今スグいきなりこの子供を泣かせ
この子の将来のためだ
私を虐待していた両親が私に向けた感情はおそらくこれだったのだろう。
彼らはこの感情に全く気づくこともなく飲み込まれていき自分が正しいという確信のものと私を日々追い詰め、恐怖させ、絶望のどん底に叩きつけながら生きてきたのだろう。
飲み込まれたら有る意味楽なのだろうかと思うくらいに誘惑が強い。
あまりにも辛くて吐き出させてもらった。
私が一方的に好きで好きで、完全な片思いだったけど、相手が誠実で残酷な良い人だったから何度か2人で出かけた。
それが先日、ひょんなことから私の街で彼と再会した。用事のついでで15分くらい。
マスク越しで目元しか見えない端正な顔は、必要以上にあの頃の雰囲気を思い出させた。
なんでもない話をした後、別れ際、あー好きだったなと思った。
一方で、忘れかけていた彼のもつストイックさや頑なさも一瞬で蘇った。
だらしない私が共に人生を歩む相手ではなかったんだとよくわかった。
私がうっかり脱いだままにしてしまった靴下を笑いながら冗談混じりに片付けてくれた。
ふと改めて純粋に夫のこと好きだな、私は今の私の生活がとても大切だなと思った。
この寛容さや大らかさが私には必要だった。
まだ少し、行き場のないふわふわしたうまく形容できない気持ちがある。
なんとも言えないこの特別な感情は自分だけのものなので検索しても出てこない。
懐かしい切なさの余韻というか。
もういい大人だから、こういう余韻は日々で自然に消滅することを知っている。
そしてこういう時は歌を聴くのがいいってこと、久しぶりに思い出したんだけど、なんかちょうどいい歌ないかな。
もうそんなことも忘れちゃったな。
.
彼は、紺色のスーツを筋肉質な体に対して少し窮屈そうに着ていたのが印象的だった。
スポーツをしていそうだと思った短髪。大きな声と、明快な話し方。
相反するように、いわゆるビン底と形容したくなる度の強い眼鏡を身につけていた。
彼とのこれといった思い出は特にない。
ただ、オリエンテーションのように行われたはじめの授業で彼が語った中の一言がずっと頭の片隅に残っている。
「僕が学生の頃にいちばん得意だった教科は英語で、いちばん苦手だった教科は国語です。」
私は真っ先に、なぜ得意な教科の先生にならなかったのか?と疑問に思った。
その後に、自らの苦手を無くしたかったと語っていたような気もするし、苦手という気持ちがわかるとも語っていたような気もする。
とにかく、当時は変わった先生だと思った。
授業内容についての記憶はない。
可もなく不可もなくだったのか、ストレスがなく印象的なことがなかったのかは定かでない。如何せん年数が経っている。
世の中には一定数、苦手なものに対して真摯に向き合う人がいるだろう。
彼の場合は、教諭として生徒に教える立場でありながら、苦手だった教科を教えることを選択している。
そんな彼を、私はふと思い出しては奇特だと思うのだ。
ただし、感覚的に理解しているもの、生まれながらに会得しているものを、他人に教えるのは難しい。
中には、できない他人を理解できない人や、自分ができることを他人ができないことなどあるはずがないと無意識下に思い込んでいる人もいるはずだ。
また、どちらかと言えば得意であったり、簡単な知識を有していたりするものに対し、特段興味がなければ、必要以上に深く掘り下げる人は少ないのではないだろうか。
・苦手という意識がある
・苦手ということに理解がある
・苦手への取り組み経験がある
・苦手を職にするほど得意にした
等々の、いわばスーパー教える側にいてほしい人間!!!!!!!()
…………世の中に彼のような意識を持つ人物が増えたらいいのになという気持ちを込めて。
余談だが、小学校5年生の時に担任をしてくれた女性教諭は、家庭科の先生でありながら、夫が教えている国語を教えることも得意としていた。
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その人はモデルさんで、そんなに有名な人ではないかもだけど、一部の人に物凄く刺さるような魅力を持つ人だった。
衣装から小物まですべて自作の努力家で、テレビに取り上げられたこともある。
元々モデルとしては不遇な道を歩んでいたようだけど、衣装を自作して方向性をガラッと変えてから新たな需要を掴んだのだという。
自分自身で可能性を切り開く姿勢を凄いと思ったし、尊敬していた。
彼女は不遇時代の自分にコンプレックスを抱えていたみたいで、その1回のテレビへの出演のキャプを何度も何度もTwitterに上げ、成功体験を強調した。
最初は私も嬉しく見ていたけれど、そのテレビのキャプの使いまわしが2桁を超えるようになってから異変に気付き始めた。
個人アカウントの運営において積極的な宣伝が大事というのはわかっているつもりだが、そういう宣伝目的のツイートというよりは何か...強迫観念のようなものを強く感じた。
自分は〇〇だったけれど、今は○○になった、テレビにも出た、成功してる、そういうツイートを毎日毎日、数カ月ずっと見続けるうちに、これは自分に言い聞かせているんだろうな...とわかるようになってきた。
彼女が著名なテレビ番組に出たのはその1回きりなのに、その1回を何度も何度も擦っている。
彼女を批判したいわけじゃない。過去の成功に縋るのは誰だって気持ちいい。
でも、何というか...だんだんと、全然関係ない話題からも自分の成功を強調するような話に繋げるようなツイートが多くなってきて、ちょっとはらはらしながら見ていた。
フェミニストのことを批判したり、マナーがなっていない客に苦言を呈したり。
それ自体は別に個人の意見だからいいと思うんだけど、明らかに言葉の選び方が過激になっていた。
最近はファンからの差し入れを禁止します、というお話をされていたんだけど、その中で差し入れのお菓子や花束を「生ゴミ」とガッツリ形容していて、うお~~...と思った。
差し入れが迷惑なのはわかる、でもその言い方はちょっと危ないんじゃないか。だんだん炎上に近づいてないか。大丈夫か。
また、最近になって婚活のアカウントをつくり、積極的に婚活に取り組み始めたらしい。
ちょっと婚活アカウントを覗いてみたが、恋愛に成功した者たちのことを過激な言葉で評すツイートが多く、やはり彼女の中では不遇な自分がかなりのコンプレックスになっているんだ、と感じた。
彼女は綺麗だ。創作の才があり、ストイックで、絶対に素敵な男性と出会えるだけのポテンシャルはある。
でもやり方が悉く悪手なんだ。
婚活を「試験」と称し、自分に積極的にアプローチしてくるかを判断する、連絡が来なかったら全員不合格な、などと言うが、そんな上から目線の考えで婚活が成功するはずはない。
実際にそのツイートへの反応は薄く、彼女も焦ったのか手当たり次第に婚活タグのツイートをいいねしていた...が、明らかにスパム垢のツイートも混じっている。
どうしちゃったんだ。彼女はそんなスパムも見分けられない人間ではなかったはずだ。本当に大丈夫か。
どんどんと語調が荒くなり、目についたものに噛みつき、晒して非難するようになっている。
この感想を彼女に伝えたらきっと、私は元からこうだった、この私が気に入らないならさっさと帰れ、と晒される気がするが、いやでも元のあなたはこうじゃなかったよ。
さっさと彼女のフォローを外して、何もなかったことにして忘れるのが一番なのかもしれない。
忘れよう、もうこの増田を書いて忘れることにする。
人権が人にあるものというか人の中にあるものというわけではない
人が共同で生活しようと取り決めを法としてその中に自分たちのありかたとか行動を定めたものが人権
人が自分たちを人としてそれが人であるという事を定めた集団の行動指針のことが人権
なので人にあるとかないとか人にあたえるとかあたえないとかいうものではない
人がコミュニティを形成して自分たちの扱いについて定めたものが人という形容でその人とはなにかという具体的な内容が人権
あげたりさげたりするものではない
自分が人であるということを言って聞いてくれる範囲というのが法治の範囲内
この中にあって自分を人だという事や人であるからという事の定めが人権
その上で人権があるとかないとか与えるとか与えないだとかいう発言をすることは
実際にはできない訳だけど言葉としてはなんとでも言える
言葉は万能なので赤い青とか黒い白とか朝なのに夜だったとかなんとでも作れる
結果それを意味として共通認識に昇華させようというコストを惜しまれない程度に
意味不明な雑音ですら言葉として人の情報として取り込もうとすることができることこそが他の動物との違い
それをつかって「人権を与える・奪う」なんてありえない言葉を作り出した意味について
具体的に理解可能な形容に置き換えるとするならば、「発言者が法になった」という事を紐づけることができる
自分がすきなままなんでもできるということを言う、それは自分がそうだと知覚しているということ
その状態が酩酊であったり妄想であったりすることだろうと想像できる程度には世界は平常運転のままで
発言をしているということは、自分が悦に入っていると自分で宣言していること
その世界の小ささを見て取れる範囲内でそれで満足する様子をみて楽しめる人間がそれを愛でることができる
そういう構造を妄想しやすいのが創作や空想、妄想の成果物、ゲームやフィクションだ
発言がそれらに基づいた可愛さアピールであるということでもって「人権」について言及したり人の価値などを定義することがある
要するに可愛さアピールで自己満足を両立させている行動が法に化ける世界に成りすますという大胆発言
赤子が気に入らないというだけで世界が終わるかのように泣いて不満を表したり満足な感覚だけで世界の全てを手に入れたような笑顔をするのがかわいいように
ゲーマー本人もそれをなぞっているだけなのに見た目が大人で大人の世界で生活しているから問題になってしまう
ゲーマーはもうすこし基礎的な教育をうけて人を洗脳できる程度にかわいさをアピールできる自分自身を武器として使う方法を訓練をうけておくべき
だろうとは思うが、それが解る程度の一般の大人はそういうことだということくらいわかってあげてもよいのではないかと思う
しかしそういう仕事の面をみせないで楽しくゲームをしているだけが仕事のような人間をぶったたいて気持ちよくなるという面もあるだろう
ウィッチャー3やってたら、"I don’t give a flying shite”って表現が出てきた
shiteはまあ読んで字の如くって感じでshitと同義らしく、そこはいいんだけど、flyingっていうのが良すぎるよな
クソすら与えない=クソほどの興味もない、どうでもいい みたいな表現なんだけど、そのクソに空飛ぶっていう形容が足されるわけだ
正直意味不明なんだけど、意味不明なりに意味がわかるというか、なんか、強調なんだなっていうのはすごく伝わってくる
こういうことが俺はやりたいんだよな
なんか、イタチ野郎!みたいな、よう分からん表現がたまにあんじゃん
ああいうのを取り入れていきたい
アホ、バカ、クズ、カス、あたりに加えて、パッと引き出せる罵倒語彙を増やしたい
ガンガン繰り出したいよね