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はてなキーワード: 円満とは

2024-07-19

ホロスタの円満契約解除って何なんやろなぁ

企業としてマネジメントサポート継続することが困難」

という文言から察するに

・本人がメンヘラすぎてマネージャー迷惑をかけ続けとっかえひっかえでついに担当する人間がいなくなった

もっとクリエイター方面(本人曰く漫画家らしい)に手を伸ばしたかったが事務所方針がストリーマー意向で食い違っており話し合って決裂

かなぁ

もしマネージャー所属メンバーパワハラ迷惑をかけていたらそういう文言が入るはずだがそれもないしま外野からはよくわからないよね

でも海外クレーマー対策でYAGOOがコメントしてるけど円満っぽくみえ仕草逆効果なんじゃないかなぁ

2024-07-15

ダメ出しばかりするのもどうかと思うので雑に修正してみました

父親に対する感情ゼロを言う設定に無理があったので、比較自然な形に年齢を修正しました
後ほど、別の増田で設定通りの年齢設定で修正しまanond:20240715002416

  

20年以上会ってない実の父のSNSを見つけた。

わたし小学校へ入ったばかりの頃、他所に女を作って母とわたしを捨てた父だ。

 

母はわたし小学校3年生の頃には再婚をして、兄弟もできた。

今の父(養父)を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛

奨学金自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。

 

から、表面上は実の父に対する感情がないふりをしていた。無を装っていた。

中学生になるまで毎年誕生日にはプレゼント手紙をもらっていたけど、何も感じていないかのように振る舞っていた。

「ふーん。ラッキー」くらいの反応しか見せなかった。

 

実際は、心の奥底では父からの贈り物に喜びや複雑な思いを感じていたけど、それを表に出すことは出来なかった。

母や養父を傷つけたくない、新しい家族の和を乱したくないという思いが強くて、実の父に対する感情を押し殺していた。

養父わたしを実の娘のように思ってくれていることに対しての気持ちゼロじゃなくて、実の父とのつながりを示すようなことは避けていた。

そうすることで、家族の中での自分立場を守ろうとしていたのかもしれない。

  

母は時々、実の父の話をしてくれたけど、私は表面上無関心を装っていた。知らない芸能人の話でも聞いてるような態度を取っていた。

実際は、話を聞くたびに胸が締め付けられるような感覚があったけど、それを悟られないように努めていた。

ただ、母の声の調子や表情から彼女の複雑な気持ちが伝わってきて、それを見るのが辛かった。

母の心の痛みを感じ取りながらも、自分気持ちを抑え込むのに必死だった。

 

わたし結婚した時、母から実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど

「なんでそんなこと聞くんだろう。出すわけないじゃん」って思った。今のお父さんに悪いじゃん、って。

 

でも、子どもが生まれて、子育てにもすこし慣れてきた今。なぜか、実の父のことが急に気になった。

それで、色々探してSNSをみつけて、ブログがあったから読んでみた。

  

それからブログを読んでいるうちに、長年抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。

父の日常や趣味、考え方を知るにつれ、自分の中にある似た部分に気づき、知らなかった父の人間性に触れた。

そして、突然、今まで味わったことのない喪失感と同時に、やり直せるかもしれないという希望が湧き上がってきた。

自分もびっくりするくらいわんわん泣いた。今まで築けなかった関係、聞けなかった話、共有できなかった時間、全てが一度に押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。

 

そして、その感情の中で、すごく父に会ってみたくなった。

今までもらっていたプレゼント手紙のお礼も、やっと素直な気持ちで伝えたくなった。

長年の沈黙を破る勇気が湧いてきて、SNS経由で連絡をしてみた。すると、思いがけずあっさりと繋がることができた。

 

20年以上も会ってない子どもからの突然の連絡なんて気味が悪いかな、とか、拒絶される可能性もなくはないなと思うと怖かったから、

「連絡がきて嬉しい」と言ってもらえて安心してまた泣いた。

 

そして今もやりとりが続いていて、過去の母との思い出の話やこれまでのお互いの話をたくさんLINEで話してる。

これからゆっくり距離を縮めていけたらいきたいなと思う反面、複雑な気持ちもある。

母の心情を考えると、この状況を伝えるべきか、あるいは黙っておくべきなのか、悩んでしまう。

母を傷つけたくないという思いと、実の父との関係を再構築していきたい気持ちの間で揺れている。

 

さらになって、父に会いたくなった理由について自分なりに考えてみた。

子どもが生まれて、自分も親になったことで、家族のことを考える機会が増えたのが大きいのかも。

それに、今の生活が落ち着いてきたってのもあると思う。

自分の中に安定感が出てきたから、過去のことと向き合える余裕ができたんだと思う。

もし父から会うことを拒否されても、今なら立ち直れる気がしたからだ。

 

夫に相談した時、「感動的な再会みたいなのを望んでるなら、傷付くかもしれないよ」って言われたけど、

家族がいてくれるから、どんな結果でも大丈夫って思った。

 

 

学生のころや、結婚前は、意識的に実の父への感情を抑え込んでいたんだと思う。

自分を守るためでもあったし、母や養父への気遣いでもあった。

子どもの頃から、母の気持ちを察して、実の父のことを口にするのを避けていた。

でも、心の中では「お母さん、私にも実の父に会う権利があるんじゃないかな」って思っていた。

ただ、その気持ちを素直に伝える勇気はなかった。

 

実の父との関係を築くことは、新しい家族への裏切りのように感じていたのかもしれない。

今になって振り返ると、その頃の自分気持ちがよく分かる。

でも、当時はそれが精一杯のやり方だった。

母や養父を大切に思う気持ちと、実の父への複雑な思いの間で揺れていたんだと思う。

 

今、自分の子どもが生まれて、新しい家族ができた喜びに満ちている。

この幸せ気持ちが、過去を見つめ直す勇気をくれたのかもしれない。

自分人生幸福と安定感があるからこそ、実の父との関係を考える余裕ができたんだと思う。

手放しで良い父親だったとは言えないけど、これまで育ててくれた養父への感謝気持ちも、より深まった。

  

自分が親になって初めて、両方の両親の気持ちが少し分かるようになった気がする。

特に母の立場が本当に理解できるようになった。浮気離婚して、しか子どもを置いていったという父の行動が、母にどれほどの傷を与えたか

もし自分がそんな目に遭ったら、立ち直るのにどれだけの時間がかかるだろう。想像するだけで胸が痛む。

 

からこそ、実の父と連絡を取り始めたことが、母の気持ちを踏みにじってしまうのではないか不安がある。

また、円満とは言えない養父との関係を崩さないかという不安もある。

でも同時に、20年以上越しに実の父の存在を改めて受け入れ、複雑な感情と向き合えるようになったことは、わたしにとって大切な一歩だとも感じている。

 

まだ迷いはあるけれど、長年封印していた感情の蓋を開けたことで、何か大切なものを取り戻せた気がする。

これから実の父とどんな関係を築いていけるか分からないけれど、少なくとも自分の中で何かが変わり始めた。

子育ての喜びと、過去との和解兆し。この二つが重なって、人生の新しいページを開いた感覚がある。

それは、複雑だけど、希望に満ちた、大切な過程だと思う。

 

これから人生で、私の子どもにも、両方の祖父存在を伝えられたらいいな、そんな穏やかな気持ちでいる。

ただ、それを実現するには、まず母の気持ちを大切にしながら、慎重に進めていく必要があるだろう。

この複雑な感情を、どうやって家族全員に理解してもらえるだろうか。

特に母には、私の気持ちを受け入れてもらえるだろうか。

それでも、今なら冷静に、そして思いやりを持って話し合える気がする。

これから関係づくりは、ゆっくりと、でも誠実に進めていきたいと思う。

2024-07-04

anond:20240704070911

大手企業サラリーマンだったら半年1年は病気療養で休職できるんだから漫画家だって同じことできたっていいだろ…。

底辺中小だと病気した時点で、円満自己都合退職強要される?それはSo…。

2024-06-29

円満退職という存在しない概念を真に受けてる人いるよね

表向き良好な関係を取り繕ってるだけで、不満がなければ辞めませんよ

2024-06-24

結婚してしばらくはよかったんだけど、義実家の親戚との金銭トラブルがあって色々幻滅したりして。

別れたいけど円満はいかないんだろうな。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-17

anond:20240617130950

うんちする時トイレに一緒に入って実況してあげるといいよ

家庭円満秘訣

2024-06-13

anond:20240613072823

増田はお前が円満な家庭を築くためのボロ雑巾ではない。お前がボロ雑巾のように他人を扱っただけと同じぐらいの扱いを家族が受けますように。

2024-06-12

anond:20240612110922

途中で読むのやめたけど、旦那愚痴をXに書き連ねるような人が円満な家庭を作れることは不可能だしそもそも子供も生まれない。まず生まれるような行為が無い

2024-06-07

anond:20240607171357

セックスレス盾にするのって10年たってもいけるもん?

え、嫁から慰謝料なんて取る気はないけどな、円満バイバイできるならそれでいい。

問題は住むところかなー。

家の近くに嫁の実家となるアパートはあるけど、激狭いからな。

後は子供かなー、どっちについていくってなったら間違いなく全員嫁に行くって言いそう。

嫁がそもそも3人相手にしきるのも嫌って言いそうだけど。

ってなると今の持ち家から俺だけ出ていくってほうがスムーズなんだろうな。

てか今の収入で今の生活とりあえず保ってる状態から、そこに+で自分家賃生活費って、さらに金稼がないときついんじゃね感。

ここは財産分与とかで変わるもんなんかな?

2024-06-05

anond:20240605222538

大人になれば関係ないって言ってるのは介護したことないやつ

ネット民ほとんどがそうだろうけど

円満親子に介護で初めて問題が発生するパターンもある

こっちの方が絶望感深かったりもする

anond:20240604102726

プライベートで二人で会おうとしたら、それはもう下心というか恋愛アプローチなんよ

それに応じたらあとはお互いの下心のすり合わせタイム

お互いの下心の相性が良ければ恋愛関係になるし、相性が悪ければ円満に双方が引き下がる。その後はプライベートで二人では会わない

シンプルな話だろ。恋愛可能ゼロなのにプライベートで二人で会うから揉めるんだよ

2024-06-04

anond:20240604161706

ステレオタイプ円満な家庭を理想としてるようには読み取れないけど何を羨ましがっているんだ

2024-06-02

男性トラウマあるから一人で楽しく生きていく

先日彼氏と別れた。

自分に対して性的欲求を向けられると強烈な嫌悪が走ることに気づいて、

それに耐えるくらいだったら独りの方がよっぽど幸せだと思ったので。

これは自分の内側の問題申し訳ないということを丁寧に説明して、円満に別れてもらった。

私は下ネタの話を聞いてるだけだとめちゃくちゃ楽しいんだけど、その欲求自分に向くとものすごく嫌で

分析してみると多分幼い頃住宅街痴漢にあった経験とかがきっかけなんだろうなと。

からと言って別に男性全体を恨むつもりもない。

貯蓄もあるし仕事楽しいし、一人や友達楽しいこともいっぱいあるってわかっているか特に困ることはない。

恨んだり悩んだりするより、今の自分をご機嫌にすることに時間お金を使っていこうと思う。

筑前煮っぽい何かを生成した

筑前煮に入れるような野菜ほうれん草ひじきシーフードミックス、余ってるもの全部入りでほぼめんつゆで煮た

余ったものカレー味噌汁めんつゆで煮るで対応できる

名状しがたい料理を作ることが家庭円満のコツである

独身だけど…

2024-05-31

   平和だった時代東京では、根画手部ふきちのように、知能指数計算技術の方を用いて、現場円満解決し、拳銃腕力使用しない時代があったが、最近のように、

   頭を使っても分からないバカが実際には多数潜伏しているような社会では、巡査の投げる力や、撃つ力の方が実際的であるような社会になっていると思う。

     むろん、暴力団が1万人で向かって来て、数人の巡査では対処できない、という場合も想定できるが、1万人の暴力団無線車に向かってくるなどという事例は最近社会では

  聞いたことがないし、高齢女性包丁をもって近所誘い合わせて出てきたとしても、 発生しないことを考えても意味がないように思う。

     魅力的な定理、魅力的な技術というのはたくさんあるものである。 数学の何が面白いのか。二次関数を書いて最小値を求める、二次方程式を解く、そういうつまらない作業ばかりで

  面白い問題を体系的にやった経験がない。 数学は、定理発見して証明し、技術を用いて大きな問題を完成させる精神作業である

   この石村智という裁判官の書いたものは、結局、専門知識や、解釈技術企業秘密としたうえで、大分地裁に座っているだけのカスの書いたものであり、四囲の状況からすると、裁判官

   住所は、大手付近マンションの高層階にあることが想定される。

     ところで、一般人の誰もしらない専門知識解釈技術企業秘密とした上、裁判所に座っているだけの犯罪者に魅力を持つものはいないし、そもそも、そのような職業選択する者は

  いないと解される。

2024-05-30

退職メールテンプレート

さて、4月入社諸君もそろそろ退職したくなってきた頃だと思う。

巷では退職代行などが流行っているようだが、円満退職練習をするのも悪く無い。

退職時のメールというのは、そう何度も書くことが無いので、つい考え込んでしまう人もいるだろう。

以下にテンプレートを用意するので、さっそく使ってみてくれ。

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件名**:退職のご挨拶(○○部/氏名)

お世話になっております。○○部の○○です。

この度、一身上の都合により、○月○日をもちまして退職することとなりました。

これまでの間、皆様には大変お世話になり、心より感謝申し上げます特に○○プロジェクトでは、多くのご指導とご協力をいただきしたことを、深く感謝いたします。

退職後のことについてはまだ未定ではありますが、○○業界での経験を生かして、次のステップに進んでいく所存です。

今後の連絡先は以下の通りです。何かございましたら、お気軽にご連絡ください。

Eメール:example@example.com

電話番号:090-1234-5678

最後になりますが、皆様のご健康とご多幸、そして会社さらなる発展をお祈り申し上げます

今まで本当にありがとうございました

○○部 ○○

氏名

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このテンプレートをもとに、自身の状況に合わせて具体的なエピソードや将来に対する展望なんかを厚く書いておくと、オリジナリティ高まるぞ。

では素敵な退職ライフを。

2024-05-28

anond:20240528100846

俺はそんな感じなので浮気した

家庭壊すような深いやつじゃなくて仕事休み取るけど家には仕事って言って出かけてデートするようなやつ

飲み会あるから泊ってくるって言いながらデートするとか

セックスレスイライラを家で出しちゃうよりは外で女作った方が円満になるぞ

2024-05-24

20年ほど円満に別れた彼氏パンツを干している

防犯で男がいるぞアピールたかった

パンツをもらったんだ

ほしては取り込み

また干して

2024-05-23

長くファンをしてると色々見る

最近の子供は知らないだろうけど小五郎声優騒動とくダネ!とかでも報じられるくらいの騒動だったのだ。

周囲も、蘭役の方も泣いて続けることを望んだが神谷明降板した。声優業界の闇のような話だったが、後に当時の読売Pとトムス協力で神谷明声のシティーハンターを作ることになる。

で、神谷明指名したのが小山力也であり2009年からキャストの一員になった。たまに見る人は色々いうが、ファンとしてはもう殆どの小五郎は彼の声で再生される。性格もあってイベント副音声では愛されおじさんだ。

白鳥警部塩沢兼人が亡くなったときはこれも驚きで、あまり話題に出ていないのだが後任は井上和彦である。たらればを言っても仕方ないが、まぁ令和ならありえないキャスティングで今も続いている。

今でも荒れるキャスティングといえば白馬探の声だ。もともと石田彰ボイスだったのだが、まじっく快斗制作となった際に宮野真守になってしまった。それが最近、本編外で聞こえる白馬の声が石田彰に戻っているのでザワついている最中だ。

最も衝撃だったのは高山みなみ青山剛昌結婚離婚だろう。これがまぁ円満離婚で(そもそも友情結婚だったのかもしれない)後の話に続く。

赤井秀一過去恋人を演じるのは玉川紗己子現在池田秀一の妻なのだが、二人のキャラのシーンを盛り込んだらちょっと演じにくいというクレームが入ったとか。

で、同じようなケースで少し拗れてるのが古谷徹バーボン)と小山茉美ベルモット)で中の人は元夫婦なのだが…作中を見たらお察しである。二人がどういう関係なのかは分からないしイベント共演もしているが、青山円満離婚すぎてあまり他所夫婦関係に気を遣ってない気もしている。

余談だが青山が「赤井シャアだけど安室は俺オリジナルキャラ」と言っているので別に古谷徹じゃなくてもいいと思う。

今年の映画は中森警部が目立っていた。長年、石塚運昇がやったキャラ石井康嗣が演じており自然で好評だ。

他にも惜しまれつつ声優を交代した人はたくさんいる。青子の声優多すぎ問題などもあるが、最近だとキャメル役の梁田清之が満を持してのキャメルSP回を前にして亡くなってしまたことが未だに寂しい。後任の乃村健次もまた自然で素晴らしいのだが。

面白い交代劇では灰原母の鈴木弘子がご勇退なされ、後任が灰原役の林原めぐみになったりしたことか。

逆に松本管理官を演じた加藤精三が亡くなってから松本管理官は登場しなくなり…似たようなキャラとして黒田管理官が出てきたりしている。

まぁとにかくYAIBAも含めると長い歴史なのでこんなの一部ではあるのだが…声優結構頻繁に交代をしてきた。

声優の命もあるから早くコナンを終わらせろと言う声もよく聞く。青山インタビューで少し気にしているがある程度は諦めが見える。おそらく高山みなみが降りるときコナンが終わるときだというのも察する。

から自分死ぬ気がするコナン声優青山のもとに行けばいいと思う。なんかわりとさらっと結末教えてくれるらしいから。

とにかくまぁ、色んなことがあるよなぁ。

1996年1月8日アニメが開始。これも歴史である

2024-05-22

配属されてきた新人

挨拶質問以外一切口を開かないし、目も合わせない

こちから何を話しかけても何の脈絡のない「はい」の一言で終わらせて話を打ち切る

趣味はなにもないし、何にも興味がないし、何も楽しいと思わないらしい

テレビ動画映画も見ないし、ネットSNSも見ないし、ゲームもしないし、LINEもやってない、とにかく何もやってないらしい

・そのくせスマホはiPhoneProMaxでiPadを持っていることもバレているし、AppleWatchを身に着けている

 

多分結構オタク気質なんだろうけど、極親しい人間以外とは1ミリも関わりたくないと言う強い意志を感じる。

 

ただうちは割りと仕事の割り振りで、能力よりも円満人間関係を築けているかどうか(人間関係が良ければ周りが助けてくれるから)を重視する、ちょっと昭和気質なところがあるし、しかし人との関係を構築することに消極的人間を無理に組み込んであげる程親切丁寧でもないので、人材的にはミスマッチと言わざるを得ず、お互いが不幸になる前にいい落とし所を見つけられればいいねと思っている。

2024-05-21

anond:20240521112433

結婚して子供いて家族円満で高年収な30歳パパの趣味ゲームなら不快に思わないけど、

独身童貞実家住み低年収ブサイクハゲ30歳の趣味ゲームだと良い歳こいて何してんだこのクズって思う。

趣味や年齢は関係無く、弱男は何してもキモい

弱男の趣味が仮にピラティスだとしても「女と接点求めてそう」って思われる

2024-05-17

フェミニスト大嫌いな人こそ、特権階級の女様が主人公ドラマ、虎と翼を見るといい

なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから

ドラマ主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことな享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生

大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリート同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる

寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである

寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。

ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。

と、寅子の痛さを中心に4月ドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。

だが伊藤沙莉の演じる寅子はとっても魅力的である

「虎と翼」は、現代問題昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれリベラルな家に生まれ弁護士になり、戦争時代突入し、色々あって戦後日本初の裁判官になるスーパーウーマンである

ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。

寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的しか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大入試における性差別不正はつい最近出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。

これは、女性人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。

そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。

結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等利益享受する側には届かない」、「上品批判下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である

これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪い価値観である。学友たちはこの呪い価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。

平等と戦うに十分な恵まれ武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週から戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆さらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。

その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマ主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。

たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。

そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。

フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。

寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーション尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。

寅子の両親や兄夫婦明治家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑ちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルエリート父親会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。

また、法曹界への女性進出を後押しする立場であるリベラル派の教授弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権問題提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。

単にドラマとしても面白いので、ぜひ。

フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。

ところで最後全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用しかないが。

ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。

しかし、このニッポンドットコム笹川財団由来のかなり右寄り情報サイトなのだが、それでも「高度成長期ストック90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。

2024-05-15

anond:20240515200542

うーん普通に離婚かなあ

その前に興信所を使って調査して弁護士にも話す

不貞があればしかるべき対応、なければ円満離婚でいいよ

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