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はてなキーワード: 意識的とは

2023-09-28

現代において、人々は無意識受動的な消費者となり、自らの欲望価値観を忘れがちである。これは、iPhone柴犬の購入にも現れている。

iPhoneの例は既に触れたが、柴犬の購入も同じ構図を示す。柴犬日本の象徴的な犬種で、その愛らしい容姿に人々は魅了される。しかし、多くの柴犬の飼い主は、本当に自分に合った犬種理解せず、流行に乗って柴犬を選ぶ。これは受動的な消費の典型である

iPhone柴犬の飼い主が、何も考えずに流行に乗る態度は、自分自身の本当の価値欲望を見失う結果となる。それでは、真の幸福や満足感は得られない。

一方、ポメラはその優れた機能性とシンプルさで、使用者積極的創造者へと変貌させる。ポメラ使用者は、自分の考えや価値に従って、意識的選択をする。ポメラは、その人の本当のニーズに応え、個人創造力を引き出す。

柴犬iPhone購入者とは違い、ポメラユーザー自己主体性を保持し、能動的な生き方選択する。これにより、ポメラ使用者自己実現の道をしっかりと歩んでいく。

結論として、iPhone柴犬受動的な消費者象徴であるが、ポメラ主体性創造力を高めるツールであるポメラを選ぶことは、自分生活価値責任を持つことを意味する。

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続き

いくつかの詳細

もう少し詳しく説明すると、このような図式になる。地下に埋まった塊茎を手に入れるために、人類となるべき一族は掘削棒を発明した。大型動物待ち伏せして狩るようになり、スピード、持久力、武器が殺しのカギを握るようになった。このことは、歯、腕、脚の変化だけでなく、化石の傷のパターン洞窟発見された食事や骨、そして生き残った現代ハンターがどのように大型動物を狩っていたかからもわかる。

競合する肉食動物すべてからヒトの系統を分けた画期的な点は、複合食と火を使って調理する食べ物だった。つまり、消化に使うカロリーはるかに少なくて済んだのだ。リチャード・ランガムが論じているように、余分なカロリーは成長期の脳のために使われたのである

待ち伏せ狩りは当てにならず、ハンターは1ヶ月に1度しか大きな獲物を仕留めないかもしれない。人類はそれに対処するために社会組織を変えた。食料は本拠地グループ全体で共有するようになった。この変化は、全員が通常の肉を食べることを意味するが、肉のない日には、ハンターは塊茎や他の果物野菜に頼ることができる。

霊長類祖先や初期の人類は、この変化に2つの方法対処していたようだ。第一に、おいしい食料をみんなで分け合うために、ハンター同士の競争制限し、いじめっ子を懲らしめる方法を見つけた。

第二に、新しい育児スタイルを考案した。フェミニスト霊長類学者サラ・ハーディは、霊長類幼児殺しのパターンについて、また男女関係における重要な変化として、母親が幼い子どもの世話を他の女性男性に任せるようになった経緯について、幅広く書いている。もうひとつの変化は、霊長類の中で唯一、ヒトが男女ともに女性の閉経年齢を過ぎても生きるようになったこである進化的な利点は、年寄りの専門知識が貴重であるということもあるが、年寄り育児をするということもあるようだ。

これらの違いやその他のさまざまな違いによって、人類は他の類人猿よりも早く増殖することができた。そしてある時期には、世界中に急速に広まることができた。

この初期の歴史は、人類学者世界中のほぼ同時代狩猟採集民のグループから報告された社会の種類と一致している。その鍵は、富や余剰がないことである

人々は定期的に移動する。もう片方の腰に子供を抱えたまま、持てる以上のものを所有する者はいない。バンドには縛りがない。人々は常にグループを変え、誰もが他のいくつかのバンド現実または架空親族を持っている。食べ物セックス、その他何かをめぐって緊張が高まると、誰かが移動する。つまり女性男性も囚われることはなく、こうした社会では、性別による不平等規則的なパターン存在しない。そして、いじめっ子抑制する能力は、最近狩猟採集民のもうひとつ重要パターンである

これは人類学者証言からもわかる。しかし、類人猿祖先から解剖学的変化から証拠もある。他のオスと戦うために使われていたオスの大きな犬歯は姿を消し、体格差も大きくなくなった。ヒトのオスはメスより約15%大きい。他の霊長類との比較によれば、これはオスの支配意味するが、それほど大きなものではない。

男性性器は多くの点で変化した。霊長類や他の多くの種では、睾丸の大きさは性的パートナーシップの独占度を示している。ヒトの睾丸の大きさはその中間位置し、一夫一婦制の慣習が浮気によって変化したこと示唆している。

ヒトのペニスの変化は多岐にわたる。コーミエとジョーンズは、『家畜化されたペニス』という適切なタイトルの本の中で、これらの変化はすべて女性選択による交尾相手選択の結果であると主張している。

女性の性欲の変化はさらに著しい。他の霊長類では、メスは排卵ときだけセックスをする。ヒトのメスは一年セックスをする。これは、より多くのセックス可能であることを意味するが、性的に活発なオスとメスの比率が1対1であることを意味する。他の類人猿霊長類では、2対1から40対1まで様々である。このことは、ペアの絆や男女平等が生まれやすかったことを示唆している。

霊長類学者人類学者クリストファーボームは、重要論文と影響力のある2冊の本の中で、パズル最後ピース提示した。ボームは、狩猟採集集団平等と共有は、文化的かつ意識的に達成されたものだと主張している。

彼によれば、私たちは、服従し、競争し、支配することを奨励する類人猿遺産を保持している。しかし、人間が生き残るためには、自分の中に湧き上がる嫉妬攻撃性、利己主義を抑え、他人利己主義を抑えるために、意識的に協力し合わなければならなかった。

ボームの考えは、今では広く受け入れられている。これらはすべて、人が生まれつき平等主義的であったり、非暴力的であったりするからではない。私たちの中にその可能性があるからであり、その反対でもある。しか私たちは、生き残るためには分かち合い、平等主義でなければならないことを理解していた。

ボーム理論は、私たちの大きな脳にも合致する。科学者たちは長い間、大きな脳は手や狩猟武器や道具に関係していると考えていた。しかし、他の霊長類では、脳の大きさを最もよく予測できるのは集団の大きさである

ほとんどの霊長類では、支配階層に立つかどうかは、複雑で絶えず移り変わる政治的世界同盟を築く能力にかかっている。そしてオスが繁殖するチャンスは、そのヒエラルキーにおける地位によって決まる。社会的知性は非常に重要である10人のグループでは、45の異なる人間関係を把握しなければならない。20人の集団では190通りの人間関係がある。200人の村では......計算してみてほしい。

そしておそらく、人間においては、いじめ抑制し、平等に生き、分かち合う能力が、社会的知性の決定的な成果だったのだろう。競争に使える頭脳は、協力にも使えるのだ。

要約すると

まとめると、多くの分野の学者たちの研究によって、200万年かけて進化した特定生態学ニッチへの人間適応が、約20万年前の人類の出現につながったという首尾一貫した図式を提示することが可能になったのであるしかし、サラ・ハーディクリストファーボームとの簡単意見の相違を除けば、グレイバーとウェングローは、この印象的な新材料の数々を無視することによって対処している。

実際、もしそれを受け入れていたら、彼らはこの適応平等主義的性格と、それが特定環境物質的条件と密接に結びついている度合いの両方を受け入れなければならなくなるだろう。

自由選択へのコミットメントにしがみつき自分たちの政治的プロジェクトを無傷で維持するために、彼らの議論はひるんだり潜ったりする。

文章は緻密でありながら、華やかさと権威に満ちている。この本はすごいスピードで唸りを上げる。適当な図解は疲れるし、非連続的な言い回しや心のゆらぎを解きほぐすのは難しい。読者は、彼らの証拠使用はしばしば信頼できないことを警告されるべきである。ハザ族、モンタナイス・ナスカピ族、シルック族、ヌエル族に会ったことのない無知な人は、細部に狂気を感じるだろう。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143807

https://anond.hatelabo.jp/20230925133441

仕事でも同じような人ばかり。

メガベンチャーとかJTCとかで働いてきたけど、人口の半分どころじゃない数いる。

能力的な問題のこともあれば、本人のやる気や意識的問題のこともある。

 

あと高学歴でもダメな人はいっぱーいいる。たくさん見てきた。

高学歴ダメにするような変な社風のJTCとかもある。

2023-09-24

人生を変える映画などない

人生を変える映画は無い。

人生を変えるほどに大きな影響与えてくれた本は少なからずある。この本がなければ読んでいなかったならば、現在の私はないと言い切れる本も数冊ある。ところが映画にはそれがない。もちろんテレビにもない。

かに面白かったと言える映画もある。テレビ番組もある。ただしそれだけである。あー面白かった。それだけなのだ

ただの暇つぶしと言うことである

映画熱狂する人々を見るに、どうやら私の理解が及んでいないところがあるようだと思い。意識的に多くの映画作品に触れるようにしてきたのだが、結局のところ結論はそういうことである人生を変える映画などと言うものはない。

それどころか、気持ち悪い、人を洗脳する意図を持ったとしか言いようのない作品が少なくない。トップガンマーヴェリックとか、そもそも作品無印トップガンからしてそうである臨場感を持って劇場で上映される映画作品、何が善で何が悪なのか、浅薄善悪二元論を唱えるような映画が多くなっているようにも思われる。アメリカ映画に多いような気がする。気持ち悪い。

そんな有害作品に接することからして、不健全であり、時間無駄どころか、金銭無駄いである。

2023-09-21

ショッピングモールに頼らず生きていきてぇという話

なんかよぉ……

最近思うんだけどさ、みんな何か一つに寄りかかろうとしすぎじゃない?

Twitterだかxだかについて皆が話してるのを眺めてて思う……

1人に、1か所に全てを求めようとしすぎ。

例えるなら、田舎バカかいショッピングモールみたいな感じ。

昔は違ったじゃん。野菜八百屋で、魚は魚屋で、本は本屋で買ったじゃん。

絵はpixivに(その前は個人サイトに)、動画YouTubeニコニコに、好きな人日記ブログに、知りたいことは検索エンジンに、それぞれを見たい時に見たい場所へそれぞれアクセスしに行ったじゃん。

それが一箇所で手に入るのがTwitterで、それをすごい!画期的!って楽しんでる期間がしばらくあったけれど、そろそろそれが当たり前になってきて、品揃え悪いなとか、私は今甘い物食べたくないのに勧めてきて不愉快、みたいなことが増えてきてる。甘い物が見たくない気分ならモールを出て漬物屋にでも行けばいいんだけど、そのへんのコントロールがどんどん下手くそになってないか日曜日に買い物するならモールでしょみたいな。何にも深く考える段階がない。Twitterカスになったと感じるのは、もちろん事実そうなのだと思うが、こっちのコントロール機能カスになってきているというのもあると思う。

そりゃショッピングモールは便利だし、楽だからその価値はすごいものではあるんだけど、それならその便利や時短享受しようという心構えでいるべきなんだよな。〇〇屋に行くって行為って、それなりに何か求めて身構えて行くってことだし。そういう身構えがないと、何かと不愉快は増えるものだ。覚悟していれば受け止められるものも急だと受け止めにくくなる。見る物のコントロールは、ほとんど精神コントロールに直結しているので、その辺が上手な人は自分の機嫌をよく保つのも上手い気がする。

人もおんなじ。生み出す作品が良い人も、人格が信頼できる人も、容姿が良い人も、楽しい気持ちの日に会いたい人も、悲しいときに慰めてほしい人も、全部別のカテゴリで、自分気持ちで付き合い方を変えて良いのに、それら全てを兼ね備えた人を求めてるみたいなところあるよね。そうじゃないなら殴ってもよし、みたいな。

これってAだと思う、という人に、いやこいつにはBって視点が欠けてるぜ、いやお前はCってことを分かってない、みたいな喧嘩今日も起きている。それって、別に喧嘩するようなことじゃないじゃん。それぞれの意見が集まることはいいことであって、それを聞いて自分の中でABCの配分を調整して自分意見クリエイトすればいいだけなのに、発言するなら最初からABC全部セットにしてお出ししないと許さねぇ、っていうのはやっぱり求めすぎなのではないか。.

その上で、今そのショッピングモールが潰れそうになってるわけでしょ。もうそショッピングモールが儲ける影で街の本屋魚屋は潰れてて、行くところはぐんと減っちゃっている。依存してた場所がなくなるからみんな右往左往してる。

企業はいだって全てのシェアを掌握したがる。みんなもそれが楽だから大手に乗りたがる。でもそれが進み切って最大手が死んだ時には、焼け野原と、右往左往する人間しか残らない。全てが完全な優れた推しに全てを委ねて貢いだのに、それが沈んだら何にも残らない。そのために切り捨てた友や時間やチャンスの死骸が転がるばかり。

からでも、意識的にいろんなものに寄りかかりたいな、と最近思う。Twitterってザッピングしてるようでいて結局Twitterというもの依存してるからあんまり意味ない。Twitterを見たい気分の時に能動的に、積極的Twitterを見て、そうじゃない時には別のSNS見て、探したいもの自分検索して、本読んで、新聞読んで、テレビ見て、近所の友達と喋って、遠方の友人とも喋って、職場の人と話して、そして何も見たくない時は何も見ないでいたい。惰性で暇を持て余すのでなく、積極的暇人になりたい。そういうふうにやっていきてぇな。意識的に…能動的に…

それが青い鳥を奪ってスーパーアプリを作ろうとしてる奴にこの非力な腕で勝つ唯一の方法から……(私怨)

2023-09-15

意識的にならんとエントロピーがー

ダラダラと情報摂取してると世のカオスに飲まれていくような感じがしない?

2023-09-13

「やべー増田番付」に入れてほしくてやってるならお前は入れないから諦めろ

https://anond.hatelabo.jp/20230912211524

お前のような「いかにも私はやばいやつです」っていうキャラ意識的にやってる養殖物には興味ないんだよペッ!

2023-09-12

basic number theoryかい一年に100ページ理解できればいい方という数学書があるそうだが

これって1日何時間読むのに当てる想定で言ってるのかまず分からない。受験生がよく18時間勉強してるとか言ってるけどそれぐらいのペースを想定してるなら、それこそこの一冊の本全部理解するだけでに司法試験合格レベル勉強時間を要することのなってしまう。それでもまだ数学者としてやっと一人前になった程度でスタートを切ったレベルって感じなんだろ。

となれば数学者って弁護士より勉強してるはずなのに全然弁護士より頭いいとか意識的には思われてないよね。言われてみればそう思うと納得する人はいるだろうけど。

2023-09-11

なぜ被害者たちはジャニー喜多川尊敬していると言うのだろう、とい

ジャニー喜多川事件

告発者たちの証言には一貫性がある。

彼らの年代の散らばりを見ても、信憑性は高い。

その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。

勝手な印象である

その勝手な印象について書いていく。

ジャニー行為は、あまり執拗で、強迫的に反復され続けている。

対象未成年少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。


そんなことを考えていたら、調査委員会報告書で、ジャニー喜多川自身が幼少期から被害を受けていたという話が出た。

その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。


ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。

「だから免責だ」ということではない。

ジャニー喜多川のやったことは卑怯卑劣犯罪だ。

彼は自分権力を利用して、少年たちを搾取した。

これは間違いなく、最初確認しなくてはならないことだ。


そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである

であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川純粋憎悪を見せず、

「それでも尊敬している」

感謝している」

と述べるのかも、わかる気がしたのだ。



あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか

というか、成長できずに、彼自身メンタリティ少年のままだったのではないか

愛想がよくても、精神的には大人社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。

PTSD苦痛癒してくれる存在だと思っていた。

まり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。

自分を救ってくれる天使にすら見えていたかもしれない。


そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか

ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。

これは暴力性がわかりやすい。

しかジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか

からわかりづらい。

ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。

(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)

彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。

すごい人である

雲の上の人だ。

そのすごいジャニーさんが、無名自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。

それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか


いま、自分少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。

ジャニーにとってはおおいなる喜びだったのではないか

彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。


言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。


行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。

しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである

もちろん、性加害は許されない。

彼は、少年たちの意志無視して性行為を強いた。

あくま自分が救われるためだ。

自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為依存した。


加害者には認知の歪みがあることが多い。

彼らは、相手の反応を自分に都合よく解釈する。

相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。

ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。

単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実無視したのではないか

考えたくなかったからだ。

少年たちを愛している。

彼はそう信じていただろう。

これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。

ここが、ジャニー暴力性のわかりづらさだ。

実際のところ、ジャニーがやったのは、相手依存し、傷つけ、侵略する行為だった。

しかし、それを愛と呼んだ。

その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感少年たちに与えただろう。

被害者たちがジャニー否定できないのは、意識的計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。

彼は孤独で哀れな存在だった。

それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。

そういうあわれさが、ジャニーにはあったのではないか

別にジャニーのあわれさは少年のせいではない。

ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまものだ。


性愛でなくても、自分問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。

毒親と言われるのはそういう人たちだ。


ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣ものだったかもしれない。

しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。

彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独少年だったのではないか

自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。

そのために目前の少年自我を踏みにじり、搾取したのだ。

からジャニーの苦しみはますます深まっていっただろう。

おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。

依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。


そして被害者は増え続けた。


それは愛ではない。

それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。

「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。


かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。

誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。

そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。


姉のメリー氏がすべきは、ジャニー犯罪隠蔽ではなかった。

歪められた価値観から救い出すことだった。

だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。


当事者の会は、声に出せてよかったと思う。

彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。

だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。

被害をおおやけにする必要はないと思う。

それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニー呪いを解いてほしいと思う。

あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。

それでも、あれは愛だと思う必要はない。

anond:20230911133535

ワイはヴィーガン食でも特に問題はないというか、むしろ美味いと思うからこそ高い金掛けてわざわざ食べてるけどな

美味しいので楽しい。ただワイはヴィーガンじゃないけどね

 

しかし、ワイも意識的動物性タンパク質摂った方がええかも知れん

運動不足過ぎるからジムに通い始めたけどいろいろえらいことになってます

肉食べはするけど、高タンパクとか意識してね〜のよな

ただの嗜好品和牛しか食わん。それとたまに銘柄

鶏肉外食なら食べるけど家ではチキンスパイスカレーと鳥つみれしか食わん

2023-09-07

anond:20230906232248

意識的に1デス2キル以上を達成して人生を終えたならそれはそれで価値あると思うよ

2023-09-04

友達がいない時は女の子描きがちだったのだけど

友達ができてからは男キャラばかり描いている

意識的に変えたつもりはなかったけど無意識のうちに想定客層が変わったんだろうな

君たちはどう生きるか2周目感想

パンフだけ前に買ってたけど、情報量なすぎィ!許すけど

で、すぐ再婚してんじゃんって前に言ったら、4年空いてるって返されて、あっそうだっけ?ってしたけど

戦争の3年目に母が死んで4年目に東京を離れただから1年やないかい!

キムタクさぁ…まぁ甲斐性はありまくるから許すけど

関係ないけど予告編の首(たけしのやつ)

初っ端合戦後の放置された死体映すのが理解ってる

跡取りは普通に信忠じゃ…?と思うけど、下剋上上等でやってんだから本来なら血筋関係なく実力主義でやるべきだよね

本能寺前みたいだし甲州征伐とか干殺しのエグいのもやるかね

唯の戦国アウトレイジは勘弁な!

出征のシーンとか、悲惨すぎずに戦時下を描いてるのが上手い

で、新海の今更311も偉かったけど、今更戦時下パヤオエライ

パンフによると意識的戦争中の話にしたみたいだが

アオサギ母親が生きてるってのは嘘は言ってないけど、助けを求めてるのは嘘よな

マヒトの寝言聞いてて罠にかけたとか?

ナツコの看病してた上品婆さん、トランク漁りの時にもいたっけ?


ナツコが弓でアオサギ退けるけど、何故か部屋にあった弓矢もそれ用なんだろうな


夏子さんの足跡ダイナミック足跡じゃん!てなった


塔の入り口にも英語ラテン語?)で何か書いてあったが読めん

我を学ぶものは死すと一緒か?

あと墓の主もよくわかんない


初回だとキリコさん=ババアがマヒトが言うまでわかんなかったが、分かってから聞くと声一緒だわ

実は声優変わってたとかだと恥ずかしいけど

初回で奴隷が回す棒じゃん!ってなったけど、回して引き上げてるから有用機械だった…


バーニングロリマザーワラワラごと焼いてんの意図的と言うか

この娘なんか容赦ないんよね

ペリカンワラワラ喰う担当で飢えてるけど、インコはそうでもない感じが…

でもアイツラ同族喰いとかしてそうなんだよね

鍛冶屋って結局誰だったんだ?ロリマザーかと思ったけど…

で、バーニングロリマザーなんだけど

別れのとこでマヒトが息子だと認識してたのがわかるんよね

で、ナツコの息子であるももわかってるから

父親が同じなのも知ってるだろうし(そのうえで喜んでそうだけど)

ドアの所でキムタク見てこいつか~ってなってたんじゃねーかな

あと、すずめの戸締まりで、幼すずめが常世で草太に会った事で「刷り込み完了」「あうっあうっ」されてたんじゃねーか説があるけど

マザーもここで「しっかり脳に"キムタク"植え付けられとるやん」状態になったのではないかと考えられる

まっ現実に戻った時は全部忘れてたらしいかバランスは取れてるけどね


見直したら石拾ってポケットに入れてるのな

割と手癖悪い

ババア人形ちょっと触ってたし

あとインコ大王為政者の鑑だけど、下々のインコは知性ゼロすぎるのよな

からこそあそこまで高潔にならなきゃだったのかもだが

階段落とすのも退路を断ってるって感じもあっていい

しっかり生き残ってるし

お前たちの現実って、醜くないか

大爺様は早めに継がせるの諦めてるのよな

そら大王は怒るよ

石の意思ってダジャレか?シンジを信じるとか信頼ダーとかに通じる


ほんで、去年の秋からすずめの戸締まり、シン仮面ライダー君たちはどう生きるかと観て

性欲異常者、庵野パヤオの新作見れてハッピーハッピーなんすけど、

これら全部、主人公クライマックスで「もっと人と関わろう、友達作ろう」みたいなことをセリフで語るって共通点があるんすよね

単に説明台詞ってわけじゃなく、作中でもすずめ→若すずめへの励まし、本郷イチローへの説得、マヒト→大叔父への宣言として、伝えることに意味を持たせてる

一昨年のシンエヴァも第三村パートとかネオンジェネシスとか大体そんな感じだし

それは観客へのメッセージでもあろうし、作品制作過程でもやっぱコミュニケーション大事だよね~って実感でもあろうけど

ただ、それが受け手に伝わってるかっつーと、イマイチな感じがするんだよね

で、それは表現側の問題というより、観客側がスルーしてるっつーか

2023-09-03

anond:20230830104359

随意記憶とは

日常生活で遭遇する手がかりが意識的努力なしに過去記憶を呼び起こすときに生じる記憶の下位構成要素である

その対極にある自発的記憶は、過去を思い出そうと意図的努力することを特徴とする。

2023-09-02

精神構造

日本人精神構造について理解してない人が多い。

主な理由は2つあって、

  1. 嘘つきが多い
  2. ドラッグ合法化されていない

 

後者については南米等に行けば、メスカリン入りのジュース等が普通に売られているので簡単解決する。

問題は前者で、普段から自分本音ごまかして生きてる人は、自分精神構造を観察できない。

 

たとえば「夢とは何か?」と尋ねても、正確に答えられる人は少ない。従って、見た夢の意味理解できない人が多い。

白昼夢は寝ているときに見る夢よりも解析が簡単で、潜在意識構造理解するための材料として使えるだろう。

意識構造理解できていない人は、言い方を換えれば「自分自身について十分に理解できていない」ということでもあり、不幸になる可能性が高いという印象がある。

日本人自殺が多いのは偶然ではない。

 

無意識的に空想が始まることは普通ではないらしい

https://anond.hatelabo.jp/20230829161200

私は無意識的に空想が始まることがある。

空想には2パターンある。

私自身が現実から離れた職業立場人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン

・私の考えと無関係他人の主張が勝手に流れてくるパターン他人パターン

いずれのパターンも歩いている最中電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。

 

 

なりきりパターンについて。

現実と全く無関係空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。

多くの場合、私が現実と全く異なる職業についている。

空想の例。

天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。

建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりデザイン実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。

・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句推敲しながら山道散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。

私は平凡なオフィスワーカーなので上記職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。

没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。

 

 

他人パターンについて。

他人政治的意見などが勝手に頭の中に流れ込んでくる。

空想の例。

皇居都心の発展の妨げなので京都市移転すべきだ。

独立して活動可能軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地存在する現状は、米国属国である。速やかに核武装して相互破壊確証確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国から侵略に備えるべきである

・稀にだが、勝手作曲が始まることもある。音楽ジャンルボサノヴァが多い。

特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論私自身の考えになっている。

例えば、皇居京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都空港が遠いので公務において不便ではないかとか。

 

 

こうした空想勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。

その人は、現実仕事生活に思いを巡らすことはあっても、現実無関係空想勝手に始まることはないらしい。

空想ではなく夢を見ているのではないか、とも言われた。

歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。

 

 

私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。

現実仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトリーダー新人教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司から普通人間だと認識されている

・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)

・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている

・以前最大で月間200時間残業経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。

・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。

 

 

ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。

なので勝手空想が始まることは普通だと思っていた。

しろ空想が始まらない人がいることに驚かされた。

現実仕事生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?

また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。

とても不思議である

 

この増田を見た率直な感想は「今の日本人ユダヤ人よりも知性が低い」ということ。

なぜか?

 

人間価値観は、

  1. 経験:有/無
  2. 感情:好/嫌
  3. 論理:真/偽

の3つから構成されている。

 

このうち経験について、今の人間技術では「自分と同じ経験他人と共有する方法がない」ということが理解できていない。

自分の得た経験について、自分自身では納得できても、他人証明する手段がない。

例えば「神に会った」という精神患者等がいた場合、その患者自分経験正当性実在性をどうやって証明すればいいのか?どうやって、自分と同じ経験他人経験させることができるのか?

経験性質特にその証明方法について理解できていれば、増田のように「とても不思議である。」などとは決して言わない。

(正確には「自分と同じ経験他人と共有する方法がない」ではなくて、一定の条件下においては可能なのだが、長くなるのでここでは割愛趣旨とはズレてくるので)

 

昔の日本人日常生活大麻を利用していたが、敗戦後は禁止された。

ドラッグを使って人間精神構造研究する医療分野があるけど、なぜ一般人には禁止されているか?その本当の理由を知らない人が多い。

夢の意味など、精神構造理解できていない日本人は、日本とは違う法律外国旅行したらいいかもね?(コロナの影響が残っているので安全には注意が必要

2023-08-31

anond:20230831070419

それが問題なんだよな。

モンスター化している社員や生徒が自分自身チーム内のモンスター存在となっている自覚が無いケースが多いと思う。

 

うちの職場でいたモンスター社員はチームで動いていた周りの社員悪口や「あいつがいなくても俺が全部できる」と吹聴しつつパワハラ気味に辞めさせておいて、自分仕事が回らなくなったら助けてくれなかった上司が悪いと訴えていた奴。周囲は彼自身ミスの多さや勝手仕事を持ち帰っているのを注意されていたのを見ているから無理だろうと思っていたら案の定だった。

上司は全く無関心どころか声をかけたり相談に乗ったり得意先や関連会社への同行とかフォローをしていたんだけどね。

本社だけならまだしもうちの会社がある市の議員にまで話しに行ってたっていうんだから驚いたわ。

思いのほか大事になってしまったけど、結局社外の誤解は晴れて今は以前と変わらず仕事ができている。

 

世のパワハラいじめ問題一見被害者とされる立場人間意識的にあるいは無自覚になんらかのハラスメントで周囲の人間加害者化している可能性もあるから、こういうトラブルは両者の言い分と経緯と実態を把握しないと正しい処断は下せないと思う。

そもそも人間各々自分自身能力について受容したり認識できていればこういう問題は起きにくいんじゃないか

これの一因として就活の時の嘘つき合戦自分を高く見積もらせていることが背景にあるんじゃないかとも思ったんだが、これってトリビアになりませんかね?

2023-08-30

脳みそ不思議すぎ

生きているとふと鼻歌が出ることがある。

好きな曲だったり、大昔に聞いてた曲だったり。

先日、自転車に乗っていると俺は突然Yukiプリズム鼻歌っていた。

20年前の曲だ。

 

最初鼻歌を歌いながら、はてこれは誰のなんて曲だったっけ?

翌日もまた同じ曲を歌っていた。

なぜこのメロディを突然歌い出したのだろうか。

流石に気になり鼻歌検索で調べたらYUKIプリズムだとわかった。

 

わかって驚いた。

その数日前に息子が虹の仕組みが知りたいと言うたのでプリズム分光器)を買ったばかりだったのだ。

しかしそれとYUKIプリズム意識的脳内紐づけはしていない。

曲名すら覚えていないのだから

 

だが脳は自然と繋げていたのだ。

なにそれすげぇ

2023-08-29

anond:20230829222159

男女平等ジェンダー平等)は男女のためのものであって男性のご機嫌取りの為にあるわけじゃない。

男性武力支配構造を築いてきた歴史の中でそれが意識的にも無意識的にも継承されているのが今の時代

>男女比率を均等に取るために女性政治家優遇などがあればそれは批判的な意見もあるだろう。

男性政治家が家柄や性別コネ優遇されている中、何故女性だけに批判が集中するのか

今の政治社会平等だと信じていること自体性差別主義者の証

公正しようとしない限り女性意見が汲み取られることはない

無意識的に空想が始まることは普通ではないらしい 追記(2023/09/07)

私は無意識的に空想が始まることがある。

空想には2パターンある。

私自身が現実から離れた職業立場人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン

・私の考えと無関係他人の主張が勝手に流れてくるパターン他人パターン

いずれのパターンも歩いている最中電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。


なりきりパターンについて。

現実と全く無関係空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。

多くの場合、私が現実と全く異なる職業についている。

空想の例。

天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。

建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりデザイン実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。

・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句推敲しながら山道散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。

私は平凡なオフィスワーカーなので上記職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。

没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。


他人パターンについて。

他人政治的意見などが勝手に頭の中に流れ込んでくる。

空想の例。

皇居都心の発展の妨げなので京都市移転すべきだ。

独立して活動可能軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地存在する現状は、米国属国である。速やかに核武装して相互破壊確証確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国から侵略に備えるべきである

・稀にだが、勝手作曲が始まることもある。音楽ジャンルボサノヴァが多い。

特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論私自身の考えになっている。

例えば、皇居京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都空港が遠いので公務において不便ではないかとか。


こうした空想勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。

その人は、現実仕事生活に思いを巡らすことはあっても、現実無関係空想勝手に始まることはないらしい。

空想ではなく夢を見ているのではないか、とも言われた。

歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。


私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。

現実仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトリーダー新人教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司から普通人間だと認識されている

・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)

・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている

・以前最大で月間200時間残業経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。

・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。


ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。

なので勝手空想が始まることは普通だと思っていた。

しろ空想が始まらない人がいることに驚かされた。

現実仕事生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?

また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。

とても不思議である


追記(2023/09/07)

返信・はてブコメントを頂いたので、主要なもの抽出のうえ、私からリアクション追記する。

私自身は空想癖で困ってはいないが、同じことで悩んでいる方の参考になる可能性があるので、情報共有として……。


虐待や近親者の死といった高ストレスに晒された経験はないか? ストレスへの防衛反応として空想癖にはまっているのではないか

虐待や近親者の死はないが、金銭的に苦労した時期があった。

一日三食食べられない時期があり、公立高校学費すら捻出できない程度に、実家お金がなかった。大学時代奨学金アルバイト学費生活費の全てを賄っていたが、積み重なっていく借入額を見て、返済が常に不安だった。当時、また卒業してから数年間も、学費不足で大学を除籍される悪夢をよく見ていた。貧乏日本中にたくさんいるので客観的には大した悪条件でないが、当時の私にとっては人生上の最大の問題だった。


自分空想癖がある。しか日常生活社会生活に支障なければ問題なし)

私も同意見。私が病気ではないか心配くださる方もいたが、生活に支障はないので、解決すべき問題だとは捉えていない。

空想漫画小説にすると良い)

以前小説小金を稼いだことがある。しか漫画小説競争が激しく、生き残れるのは本当に僅かな人たちだけなので、職業にするのはおすすめしない。

私の場合プロットをまとまるだけで数ヶ月かかるがそれでも編集会議を通過できるとは限らず、そのうえ1〜2年かけてようやく一冊書いても、経済的に報われる可能性は低い。

家庭や本業会社員)がある状況で、それらを少なから犠牲にしてまでやりたいことではないと思ったので今は書いていない。趣味で別ジャンル創作はしているが。



他人の主張が勝手に流れ込んでくるのは統合失調症ではないか

私は社交性が低く、感情的淡々としており、猜疑心が強い方なので、統合失調症的な傾向があることは否定しない。

しか取引先とのコミュニケーションや、日々の会議ファシリテーション特許のような論理性を要求される文書理解ができていることから病気ではなくあくま個人気質性格範疇と捉えている。

他人の主張が流れ込んでくる件については、その折々で議論されている時事問題に関した主張が流れ込んでくるケースが多いことから、どこかで見聞きした他人の主張を頭の中で勝手に反芻しているもの解釈している。というか、今、そう思った。現に最近ビッグモーター社や世界景気減速といったトピックが多い


ADHDあるある?)

ADHDだけでなくASDでも空想に耽りがちらしい。

私の診断結果ではADHDの傾向は全く無かった。ASDの傾向はややあった。それでも発達障害といえるレベルでは全くなく、個人性格範疇とのことだったが。

そのため私の場合ADHDASDが原因ではないとみている。

2023-08-28

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2023-08-26

anond:20230826142503

【2】と【4】の解像度が低い

その中で【2】に反論するなら性的表現問題になるとき性嫌悪が原因ではない

被害を受けた人間トラウマ嫌悪が一番強い根拠になりがちだが、彼女らは普通に描かれた制服少女女性を見て嫌悪を感じるだろうか?

その前に性的描写された表現存在問題視されていると認められないのが歪んでいる、「未成年性的描写したもの社会が許容すべきでない」、未成年でなくても「女性身体性的記号化した状態普通としてはいけない」が本当の理由である

アンフェはすっかり忘れているが、全く性的表現を狙ったわけではない蘇民祭ポスター性的に見えすぎるという理由で取り下げられているし、電車同性愛啓蒙広告下着を見せたイラストリベラル側の思想運動だったのにも関わらず誰にも反対されずに取り下げられた(両方とも成人の表現である)、男性の消費が許されているなんてことは全くない

意図せず性的になってしまうということは男性でも女性でも起き、性的記号ポルノメッセージでなくても受け入れられない、女性ではさら性的表現普通のものとして使ってしまいがちなので炎上が起きる

成人の身体をどこまで性的に扱って良いか議論余地があるが、そのときに考えとして決定的に違うのが「性的表現として狙って演出し、過度なポルノにならない範囲に収めているかどうか」で、男性表現は当然そうなっているのに、女性表現は「普通状態性的描写、消費すること」が基本的問題トリガーになっている

なぜ男子高校の不自然な腹チラや短パンがないのかという疑問が例のPRにはついていたが、二次元においてキャラクター自然露出している範囲の差はあまりにも大きく、性的に扱われる差が存在し、男性キャラクターTPO関係なく露出していたら誰もが不自然だと感じるからである

男性の同等の表現を持ってこようとすると女性向けにしか存在せず、女性向けのサービスを含んで不自然露出をしたイケメン美少女より圧倒的に受け入れられない

よくポルノですらないもの文句をつけられるのが気に入らないという発言者がいるが、ポルノではないものに肉体的、性的表現使用されているか問題になるのであり、前提として美少女性的描写することが普通になってしまっている感覚が間違っていると言える

ちなみにここから【4】に話を繋げられるが長いので簡略化するとオタク大衆化した深夜アニメ作品ほとんどは意識的性的記号があえて排されているものが多く、男性向けアダルト文脈を残す萌えとは異なる文化を作っている、萌え普通になったと認識しているオタク男性萌え文化大衆化メソッドを全く通っていないので、古典的萌えから性的表現を消した深夜アニメ美少女の登場から京アニ美少女の変遷をあまり認識していないらしい、ただ深夜アニメ流行ったと思っている

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