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はてなキーワード: 意識的とは

2018-11-15

anond:20181114225809

痴漢盗撮治安問題社会問題だと思うけど、それ以外は全部ネットの吹き溜まりクズ共の発言じゃねーか。

なんでわざわざアンチ板とかまとめサイトとかそういうところに行って中傷発言を拾ってくるんだよ。

憧れや崇拝・絶賛といった光があるところには、必ず妬みや恨みが集まる。それが人間の真理。人気があればあるほどアンチだって湧いてくる。

自分他人中傷をして笑ってる連中は下品だし哀れだしそうはなりたくないと思うよ。でも、自分の嫌いな誰かの不幸を願う気持ちは誰にだってないわけじゃない。好感を持たない相手ゴシップ記事ははっきりいって楽しい

具体的に「〇〇の悪口を言うなんて許さない」あるいは「〇〇のレイプ同人を出すなんて許せない」って言うんだったらむしろたくさんのオタクが「そーだ、そーだ!」って言ってわらわら集まってくると思うよ。でもデカ主語

男性の皆さんは女性一方的性的対象にする行為を全てやめてください」「オタクの皆さんはまともと思われたかったら女性キャラに対する悪口をいうような輩を自分たちの集団の中から完全に排除してください」なんて言われたら猛反発を受けるのは目に見えてるんだ。意識的にせよ無意識にせよ自分加害者になりうるという加害性の自覚があるからこそ闇を世界から一掃しようなんて思考は恐ろしいものに見えるし、それを実際実行に移そうとするならディストピア管理社会への入り口だよね。

2018-11-14

どうせお前なんかに便秘の苦しみはわかんねーよ!

それが彼女が僕を振る際に言い放った最後の言葉だった。

あれから1ヶ月。

彼女日常からいなくなったストレスからか僕もすっかり便秘になってしまった。


ブフォ と、意識的に屁を出してみる。

臭い。ガス中のうんこの濃度が高い。

嗅覚への不快な刺激と共に、彼女の顔と思い出がちらほらとよみがえる。

彼女もまだ、このにおいの屁をしているのだろうか。

2018-11-13

anond:20181113120140

いや、自転車に乗ってる時だけ傍若無人運転になる人ってのは少なから存在する。

「いつもマナーの悪いもの」の責任ではなく、自転車は、ごく常識的範囲に収まっている人のマナーを悪くさせる可能性が高いツールだと考えたほうがいい。じゃないと迷惑レベルまで違法駐輪が発生する理由分からん。「いつもマナーが悪い人」は、他のことにおいてそこまで大量にひとところには発生しないのだから

自転車って、周りよりスピードがあるものを操ってて場合によっては人を殺す可能性もゼロじゃないということを忘れがち。日常的に利用するものにとっては必要不可欠であることと、より強い自動車があるせいで自転車以外の責任を見つけやすいからか、そもそも交通上、行動を許されるエリアあいまいからか。乗り手はかなり「あいまいものに乗ってる」ことをかなり意識的になった方が良いと、乗り手として思う。

2018-11-09

anond:20181109170250

一種適応現象なので無理では。

そりゃ意識的に低くすることはできるだろうけど。

長く続けるうちに無意識のうちに高い声だした時の方が好感を得られる・楽しい気持ちいい・コミュニケーションがうまくいく、のような感覚フィードバックが積み重なってきて自ずとテンション高めの声に固定化されていくんだろう。

電話で声が高くなるのや、アニメ女性声優普通の演技をしても「萌え声」と捉えられるようになるのと同じこと。テレビショッピングもいい例かもしれない。

ちなみにキズナアイ比較ハスキーな声だと思うんだけど、彼女の初期はもっと低めだった。

とはいえ単にテンションが低めだったという程度で、今の声もそれなりに地声に近い自然さはある。高く聞こえるとしたら告知などで声を張っている時だ。

だが、彼女挨拶(「はいどーもキズナアイです」)をモノマネするVtuberを見ると、どれも本物以上に高い声でキンキンした感じになっている。

そのへんは興味深く、その現象のヒントがあるように思う。

本物はテンション高めの挨拶だとしても、もっとハスキーっぽさや肩の力の抜け感も聞き取れるトーであるのに、それを聞く側はなかなか認識しづらいのかもしれない。

2018-11-05

フェミ学者がやってることは昔から何も変わらない

https://anond.hatelabo.jp/20181104065044

8年前にも山口一男から「まったく科学ではないよ」と喝破されている。

フェミ劣化したのではなく、元々こんなものだったのに学問っぽい体裁だったから騙されてただけ。

http://www.vcasi.org/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%B8%80%E7%94%B7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC

山口 日本社会学教育研究では、社会学ヒューマティと分離していないんでしょうね。ヒューマティ自体重要ですが、それと社会科学としての分析意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学学部教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますからヒューマティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本研究者は、しばしばその境界意識せずヒューマティ科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンス研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト的解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くとき思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。

2018-11-04

萌え絵フェミオタクアート

ゾーニングのやり方として、「ポルノとして作られたものポルノとして扱う」のは至極当たり前だとは思うけど、いわゆる「萌え絵」は「性欲を刺激するポルノ」を目的として描かれているわけではない。

キズナアイポルノじゃない。

多分、フェミオタクのこのあたりの認識の差がどうにも埋められない。

萌え絵を見慣れない、つまりバックグラウンドにあるコンテクストを知らない人は、その表現ポルノと見えてしま可能性はたしかにある。

だがオタクとしてそのコンテクストの中に入り込んでしまえば、萌え絵の「表現」は様々に抽象化された記号にすぎないことがよくわかる。

性欲を刺激するための表現ではなく、魅力的な女の子構成するための「お約束なのだ

そもそもマンガアニメは高度に記号化された表現手法である

村上隆はそんなハイコンテクストオタク文化を理解したうえで、その文脈の中に入れない人たちからみた「偏見」と「ずれ」を意識的作品に反映させた、と思ってる。

2018-11-01

anond:20181101151047

なるほど。

かに女性に求めるもの若い頃と変わってないってのはある。

でもそういうのは、意識的に変えれるもんでもないしな。

自然に変化してればよかったんだろうけど、難しい。

2018-10-31

anond:20181031171829

つらいですね。

何が理由かもわかんない場合は、それ増田さんだけにされてることかどうかを

考えてみたらよいかも。

誰にだって感じ悪い人、いい年して機嫌悪いと態度に出る人はいらっしゃいます

増田さんが意識的にその方に意地悪でもしたなら気にするべきかも知れないけど、

そうでもないなら、まったく別原因で八つ当たりする人もいるんで、

元気出してくださいな。

anond:20181031075622

25歳の健康夫婦排卵日を意識的に狙って中出し性交一年間続けて、それでも20%くらいしか妊娠しない…みたいな感じだよね?今の妊娠出産に関する言説って。

どこに書いてんのそれ。

あ、「排卵日はそもそも妊娠率が低い、妊娠やすいのはその前日&前々日」だから

そういう意味での「排卵日狙っても確率は低い」って文脈記事

安全日はない、か…

私も昔はよくそう聞いていたけれど、今は逆の言説が目立つ気がする。

排卵日に性交しても妊娠するとは限らない、年齢が高くなると確率は格段に落ちる、って。安全日はないどころか全ての日が安全日みたいに言われてると思う。

妊娠出産に関して言われる事が、フェミニストの言う事(安全日はない)と世間の主流(簡単妊娠はしない)とで違い過ぎるという違和感

25歳の健康夫婦排卵日を意識的に狙って中出し性交一年間続けて、それでも20%くらいしか妊娠しない…みたいな感じだよね?今の妊娠出産に関する言説って。

そしてその確率女性が30代半ばくらいになると急激に落ちるって。普通にしてたら避妊不要と思わせるような言われ方なんだよなあ。

いや、何か、本当に滅多な事では妊娠しないかのような記述ばかりじゃね?妊娠出産関連の女性向けの記事って。

2018-10-28

鬱になるとウンコすらまともにできない

認知症が進行すると、脳が呼吸することを忘れて死んでしまうっていうやん。脳の病気って怖いよな。鬱ってそれと似てて、脳がやられて無意識領域がやられちまう。なまじ意識的ことならヨイショー!とやる気出してやることもできるんだが、なにせ無意識になるもんだから意識ではどうにもできない。脳様の機嫌しだい。さすがに呼吸はできるが、排泄、睡眠食事、朝が来たら起き上がるということ……当たり前のことが全然できなくなる。脳がバグるってそんだけ恐ろしいんだ。そのくせ理性はちゃんと残っていやがるから自分の無力さを嘆くということは一丁前にできるんだよなあ。鬱って怖いよほんとに。部下を鬱にする?殺人だと思う。

2018-10-27

グリンピース自分より強い人に会ったことがない。

分かる人いる?

小学校3年位でグリンピース(じゃんけんあいこならドンッて言うやつ)を知ってからほぼ負けたことかない。

相手が次出すのがなんか分かって、それに合わせてやってるとほぼ負けない。

今、自分40歳

娘とグリンピースやって勝ってばかりで娘が泣いてしまうから、どうやって負けようかって何度かやって(ドンッて言うタイミングを遅らせればいいんだけど、なんかそれだけは自分に嘘ついて、相手にも失礼で嫌だったからやらなかったんだけれど)。

娘が出したいのが分かるから、勝たないためにそれは避けて出すってやってて気付いた(大体は分かるけど全部分かるわけではなくて、このパターンだとこの確率高いなって感覚なので、自分が分からないと思えるパターンに持ち込む感じ)。

自分はいつも自分がされて嫌なことは相手にもしないって考えてて、そして相手気持ちを考えてしまう癖があって、それ前提で動いてしまうのだけど、

グリンピースでも無意識でそれやってた。

自分が出したい→相手が出したい→相手はこれ出すな。

って無意識でやってた。

ゲームから今まではそれにそこまで意識的に向き合うことはなかったし必要もなかったから考えてなかったけど、

娘に勝たせようと(自分が出す手は考えるけどドンッには手を抜かないように)向き合おうとして、自分無意識にやってることが分かった。

この感覚によって、そしてこれが自然過ぎて相手の心地よさありきの行動に瞬間的に動いてしまって、

後になって、別にそこまでする必要ないし自分を出せばいいのになんであの瞬間にそうしてしまったんだろうって自己嫌悪に陥る感じ。

意識的に直そうとすると、逆にしようって思いが強すぎて(瞬間的な行動は簡単な事前プログラムな行動しかできなくて)、それだと意地悪すぎて、それでやり過ぎたってまた落ち込む。

同じような感覚の人いますか?

2018-10-24

anond:20181024200709

ニュースなどではよく、加害者が「男・女」と言われ、被害者が「男性女性」と言われるから、「男・女」っていうと乱暴な印象になるのかな。

でも男は多少乱暴に扱っても大丈夫という一般的思い込みもあるので、よく「男・女性」という書き方になる。

ちなみに自分は1つの文章内では、「男・女」「男性女性」を意識的統一する。

2018-10-21

あいはふかくておもかるい

夫が昨年倒れてからもうすぐ一年が経つ。

今は手術もして、成功して、退院して、休職中で自宅療養しながらもリハビリ出勤の話も出てくる、そんな回復度合い。

死んでてもおかしくなかったので、今こうして家にいて、無理はしちゃいけないにしろお酒飲んだりご飯を食べたり外を歩いたり車を運転したり旅行に行ったりできてること自体、小さな奇跡の積み重ねなんだと思う。

それでも、病気の段階によって人の抱える悩みは少しずつ変わってゆくのだな、ということが実感として感じられる。私は聞いていることしかできないのだけど。

最初からずっと夫の意識はあるので(手術のための麻酔時と就寝時以外は入院中もずっと普通に話せた)、未だにそんな大病だったのかしら…と思うときもあるのだけど、6時間にもおよぶ手術をしたんだから軽い病いではないことは確かだ。

入院当初はなんでこんなことに…からはじまって、今は仕事に復帰することへの不安と、昼間ひとりでいることで外とのつながりがないことをとても不安がっている。

私はただ聞く。

私はもともとただ話を聴くことがすごく苦手で、アドバイスをしてしまっては「そういうことじゃない、解決策なんか自分でも分かってる!」と怒られた。私の周りには似た者が集まるせいかアドバイスして欲しい時しか愚痴らないので、しばらくただ話を聴くということが難しかった。

食事も多少塩分に気をつけるくらいなので、調味料を全部減塩にして、野菜意識的にとって…といろいろ工夫はしているけど、そんなに厳しい制限ではないのでゆるゆるとやっている。

私には趣味があって、それでかなり発散しているところはあるんだけど、病気の段階によって変わってゆく夫の不安を聞いて、貯め込む自分が時々しんどくなる。世の中にはこんな程度どころでない悩みの人々がいることは重々承知しているが、軽い悩みをたくさん抱え込むことによってだんだん重くなってくることもあるのだと知る。

仕事から早く帰りたいのに遅く帰りたい。

寄り道がしたい。

もちろんどこそこで買い物して帰るから遅くなる、と言えばいいよ行っておいでよという答えが返ってくることも分かってるし、それは病気でなくても同居人がいるのなら事前に伝えるのは当然のことなので当たり前なのであるが。

(つづきは後ほど)

と書いたもののそんな大した話ではなくて。

今までも普通に仕事帰りに予定があれば伝えていたし、ふいに寄り道したくなればそうメールして伝えれば特に制限されたこともない。

でもここまで回復するまでに、私は彼からいくつかの本音を聞いてしまっている。

手術後に原因不明利き手のしびれと痛みが取れなくて、しばしばイライラしていた。しかし私は無事に夫が退院できて、生活ができていることが楽しくて、少し浮かれていた。ちょっと調子にのっていたのだ。

そしてイライラした夫から、元気だった頃に私が趣味遠征していたことをよく思っていなかったのだと言われた。

反対されたことなどほとんどなく、いつも笑顔で送り出してくれていたのだが、そうではないときもあったと知った。夫はそれを言ったあと、しまった、という顔をした。今でも時々思い出しては「イライラしてたからってあんなこと言ってごめんね」と言われるし「これからも気にしないで行きたい時は行っておいで」とも言ってくれる。

言葉に甘えて一度、行ってみた。

それは思っていた以上に楽しくて、ひとりで眠ることもふいに予定を変更することも、夜ちゃんホテルに着いてこんなことやあんなことがあったよと夫に電話で話すことも、すべてが楽しかった。調子に乗ってまた行こうと思うほどに。

それでも彼から本音を聞いたことはたぶん忘れないだろうし、それを根に持ってどうこうしたいわけでもない。

ただ、そう思っていたということを覚えているだけだ。

からなんだよ、とこれに目を留めた人は思うだろう。

ただ、今私に溜まっている小さな愚痴の数々のかたまりを、ポロッと出しておきたいだけです。

回復度合いで変わっていく小さくも大きな不安を、ただ聞くことしかできない私が、抱えきれなくなってすべてが嫌になる前に、ただ出しておきたいだけ。

夫を好きな気持ちが変わってしまわないように。

病めるときも健やかなるときも、変わらずあいしつづけられるように。

2018-10-20

anond:20181020165322

自分子供の頃はそんな感じだったが、意識的にわからなくても無意識的にはわかっていたはずだと思う。

2018-10-19

的を得るが誤用指摘されることが見直されたなら役不足も見直すべき。

役不足ってのは戦前にはすでに誤用の使われ方が確認されてるし、もう本来意味で「こんなしょぼい仕事役不足だ」「ジュリーコンサートは、観客が集まらなかったので役不足として中止になった」みたいな文脈で使うことはほとんどないはず。本来意味で使うとちょっと傲慢に感じてしまうから意識的に使うのを避けるようになったと思うんだよね。結果としてお前じゃ役に負けてるという意味で使いたい、というように意識が変わってしまたことを認めるべき。

役不足警察は大して文章も読まないようなやつばかりなのは明らかで、明らかに役不足。ちなみにすべからくは使わないで表現した。

2018-10-18

恋人仕事の話を毎日聞かされるのが苦痛

4月から新しい職場で働き始めた私の恋人は以前勤めていた業界とは違う事もあり、10月になった今でも仕事に慣れないのか一ヶ月ほど前から毎日仕事の事で泣いている。

5年もの付き合いの中で今までこんな事は無かったので、最初の頃は仕事終わりに迎えに行ったりして付き添ったり、会って話を聞いてたりした。

けれど、最近は1ヶ月前と同じ話を何回も繰り返す彼女の話に自分まで気が滅入り、LINEすらも返すのが億劫になって来た。 色々アドバイスしているにも関わらず、問題は一向に良くならず毎日同じ話ばかり。

自身仕事時間仕事ことのみ、プライベートプライベートと完全に割り切る派なので会う度、電話をする度に仕事の事を持ち出してくる彼女の話を聞くのが本当に苦痛

もう会いたくないなというのが本音。でも、ここで別れるとなると僕という精神的な支え(?)がなくなるのは残された彼女可哀想という情やこれくらい男として支えなければならないという使命感もある。4年も付き合ったのだし、こんな事で別れるのは結局は自分優先のエゴイズムなのだという気もする。けれど意識的彼女距離を置こうとしている自分もいる。

なんだか最近仕事終わった後にゆっくりと休めている気がしない。あぁ、疲れたなあ。

花の湯温泉はどこにあるか

文庫原作令丈ヒロ子は「有馬温泉モデルにした」と言っているし、映画版監督は「有馬温泉ロケしつつ東伊豆にした」と言っているので「東伊豆」と答えればそれで終わりである。終わりではあるが原作TVアニメ映画でなんとなく場所に関する話が出てくるところから裏付けしたい。

大まかな場所としては東日本にある。ウリ坊が関西弁を話しているのが東京在住だったおっこに珍しがられているかである原作では「東京の隣の県」にあるという話題(cf.「若おかみは中学生!」)が出てくる。東京の隣の県というと厳密には埼玉千葉神奈川山梨が当てはまるのだが静岡伊豆半島と茨城南部(つくば)くらいまでは意識的にも隣感はある。実際映画ではおっこは「伊豆急花の湯線 花の湯温泉駅」から歩いて「春の屋」に行っており映画版監督の言っていることは整合性が取れている。映画版には出てこないウリ坊の弟の孫は文庫原作で、東京在住ながら2時間半かけて花の湯温泉に遊びに来ており(cf.鳥居くんの、今日もいい日」)、この時間電車に乗っている時間か、ドアツードアかにもよるが東伊豆ならいい線いっていると言える。

いっぽうでイマイチ整合が取れないのはTVアニメ版( https://www.youtube.com/watch?v=Yz_StwkXDMc )の最寄り駅である

おっこは赤い外観のクロスシート電車東京から旅立つ。渓谷を渡るトラス鉄橋からパンアップすると海辺の街がみえ場所を通る電車をどこかで降り、「花の湯温泉駅」行きバスに乗り換え、つづら折りを登ったバスを降りたあと温泉街、(映画版にもあった)源泉塔を通り、秋好旅館入り口をかすめて春の屋に到着する。電車は海を背景に「右から左に」走るのであるが、電車東京から離れつつ太平洋側を走っているなら基本北上するしかなくなる。もちろん例外があってそれは伊豆箱根鉄道の駿豆線なら、同じ風景があるかどうかは別として駿河湾を背に東京から離れることができる。ちなみに、TVアニメ版のスタッフは設定を映画版から流用しつつ、雰囲気を掴むために伊豆修善寺ロケハンに行っているのだが、駿豆線踊り子号は本数少ないながら乗り入れており、赤い外観の電車も色を別にすれば185系に見えなくもなく、修善寺ロケハンも納得である。納得いかないのは乗り換えたバスが「花の湯温泉駅」行きバスなことであり、電車温泉駅に行けるのならいちいちバスに乗り換える必要はないわけでここはDVD化の際に修正してほしいところであるDVDは既に発売済みであった。

なお映画版監督は「お気に入りキャラクターはピンふり。花の湯温泉を背負うのはおっこではなくピンふり」と語っている(一部引用にあたり改変あり)ので、リアル花の湯温泉を見つけた方々にはそこで名言ピンクのふりふりを振りまきつつ頑張る秋野真月を探していただきたい。

2018-10-16

anond:20181016023133

私はこないだ便意我慢してたらくしゃみの拍子にうんこ漏らしたからみんなも括約筋鍛えようね(悲しい)

直腸ウンコが溜まるとセンサー便意を伝えますが、その信号の半分は脳に行き、残り半分は括約筋に到達してこれを緩めます

括約筋のうち外側の筋肉意識的に締めることができますが、内側は自分意思では締めることができません。

括約筋の力の8割は内側が占めます

要するに括約筋を鍛えてもウンコ我慢できないのです。

直腸まできているウンコを出さないで身体にいいこと少しもありませんし、そもそもウンコ我慢しなければならなくなったのは人類の長い歴史の中ではつい最近のことです。

悲しいことではありませんので元気出してください。

2018-10-14

女性女性らしい格好をするのは良くない。たとえ自己決定であっても。

人類をどの属性で切り取っても同じ分散になるまで均質な多様性が達成されない状態で、ある属性所属する人が、”その属性らしい”服装やふるまいをするのは、ステレオタイプの強化を招くので望ましくない。

さらにいえば、均質な多様性が達成されていたとしても、自己決定選択された服装やふるまいに属性内で偏りが生じれば、ステレオタイプ再生産につながる恐れがある。

服装を例にとれば、社会的規範が先にあってステレオタイプが生み出されたわけではなく、最初はみんな全裸属性差が無かったところから、毛皮を纏った段階で自然発生的に被服部位の男女差が生じ、長い年月をかけて現在のようなステレオタイプを生み出してきたという歴史がある。

真に多様性が認められる社会を達成するには、個々人が自分の好悪で選択をするのではなく、意識的バランスを取るように動く必要がある。

フォロワーに謝る絵師にもやっとする

(はじめに: 増田性格がとても卑屈です)

フォロワーに謝る絵師は何なんだ?何様?

ツイッターをやっていると、フォロワー絵師が「たくさんRTしてしまってすみません><」「最近絵を上げてなくてすいません!」と言っているところをよく見る

なんなの?何様なの?

もしかして私の知らないところで誰かにまれて絵を描いてる?

こんな些細なことでいちいちモヤモヤしたくない…

私自身がキッズなので敏感に反応してしまうのだが、大人フォロワーはこんな他人のどうでもいいことにいちいち反応したりしない。

私の憧れの絵師は、おしゃれな自炊写真旅行の報告、仕事愚痴とかこそ言うがそもそも私みたいにツイッターに常駐したりなんてしない。し、自分のしたいようにやってフォロワーに謝ったりなんかしない(むしろ○○しないのか、などと言われてもきちんと丁寧に反論して自分権利ガッチリ確保している)

私はそう言うスマートSNSの使い方に憧れているから、意識的に何日かおきにしかツイートしないようにするとか、何か言いたいことがあるような時しかツイートしないようにしている。

なぜ自分フォロワーに謝る絵師が嫌いなのか、実は明確に理解していないが「遠回しに態度がでかい」ことが気にさわるのかな…と考察している。(何かいい答えあったら教えてください)

あぁ早く大人になりたい。

ついこの間20歳になった。20代になればもっと大人っぽくなれると信じていたけど、いつまでたっても私は自分理想に近づけない。落ち着きがないのが悪いのか?なぜ他人がこんなに嫌いなのか。

目につく他人挙動にいちいち反感を抱くようになってしまってから、気にさわる相互をみんなミュートした。最近はもっぱら、他人との繋がりが薄いと評判のtumblrに引きこもって原稿作業をしているけど、大人になったフォロワーに訊きたい。どうやったら大人になれますか?大人っぽい発言をして、大人っぽい価値観のもとで誰も不快にせず誰かに憧れられるようなライフスタイルが出来ますか?

そうして今月も私はリンネルを買って帰り、写真映えのためにお酒を選んだりする。

anond:20181014145637

社会意識的なところではジェンダーフリー化で解決するだろう。

だが、「女の心なのに、体は男なので子供が産めない」、「便所は男用・女用どちらに入るべきか」など現実の壁はどうしてもあるのではないか

2018-10-13

他人の体に気安く触ってるシーンがつらい

人が他人の体を気軽に触っているシーンを目にすることが、目の前でもテレビの中の出来事でも、この数年でかなりの苦痛になった。こんな嫌悪感、別人の感覚のようだと、自分感情だなんて信じられない心地もある。

わたしはかつて触る人間だった。販売員という仕事をしていて、職場女性しかいなくて、コミュニケーションのつもりで同僚の体を触る、セクハラを働く人間だった。当時のことは、本当に反省している。当時の同僚に責められたら、謝罪を尽くすしかないと思っている。

当時はわたし自身が、触られることに抵抗が少なかった。特に、異性に触れてもらえることは女性として魅力があると認められていると感じていた。(痴漢にはその頃から気持ち悪さを感じてはいた。わたしなりの線引きがあった。)

販売員仕事を辞め、大きな会社営業の職についた。その会社は、コンプライアンス比較的整っていたことと、同僚たちのその辺の意識がしっかりしていたこと、特に40代男性Sさんは、徹底した気遣いで、例えば女性が落としたものを渡す時でも肩を叩くことはなく、視界に入る位置へそっと回り、声をかけるという、意識的に触らない人だったことが、わたし感覚を叩き直してくれた。

たとえ毎日一緒にいる間柄でも、必要なければ体に触れるべきではないのだ。意識的に他人の体に触れるべき機会なんてものは、(仕事にもよるけど)日常生活でそんなにない。それくらい、他人の体に触れることには、意味や与える影響が大きく、慎重であるべきだった。

人に気安く触るべきじゃない、というマナーを知ってから電車必要以上に近く立つ人にも、人混みの中、すれ違いざまに他人の鞄を撫でていく人にも、テレビの中で、筋肉すごーい!と言いながら男性の体を触る人にも、その触る先が女性の豊かな胸に変わった場合でも、うわぁ、見たくなかった…という気持ちになるようになった。

不思議だ。触り触られることを受け入れてきたのに、こんなにも感覚は変わるものだろうか。(結婚をした、というのもあるかもしれない。今は他人性的異性として意識されることにすら嫌悪感がある。)

人に害を与えないという点で、多少はましな人間になれつつあると信じたいのと、かつてのわたしみたいな人は、早く触られてる人の不快感に気付いてさっさとやめてほしい。あとテレビバラエティであっても他人に気安く触るの控えてほしい。

2018-10-11

山口一男・シカゴ大学教授日本社会学は総じて科学的ではない」

http://www.vcasi.org/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%B8%80%E7%94%B7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC

――手法としては経済学に影響を受けつつ、世界観としてそれ採用するのではないわけですね。

山口 ないですね。社会学というわれわれの学問自由なわけですね。悪く言えばいい加減。分析の最終的な評価にあたっては方法論的厳密さが求められるけれど、その背後には多種多様研究者がいるんですね。エスノグラフィーをやっている人や街へ出てインタビューする事例研究をやっている人なのです。そういった研究ある意味科学的ではないと僕は思っているけれど、彼らは時々すごくいい洞察をする。すると、彼らの洞察データで裏づけできるか、一般可能か、といった問題へと発展していくので、分業だと思っています

ただ、そういう観点から見ると、日本社会学は総じて科学的ではないということになってしまますね。相変わらず古典的理論家が何をどう言ったという文脈解釈エスノグラフィーが中心ですから例外はたくさんいますが、やはり少数です。4000人ぐらいが所属している日本社会学会では、計量分析に真面目に取り組んでいる研究者は1割程度しかいないと聞きました(笑)アメリカ社会学会では逆に計量分析が7割程度エスノグラフィー純粋理論は非常に少ない。ましてや古典理論解釈をやっている人はほとんど希少価値を帯びているといっていいです。

――そういった違いは日米の大学教育の結果なのでしょうか?

山口 日本社会学教育研究では、社会学ヒューマティと分離していないんでしょうね。ヒューマティ自体重要ですが、それと社会科学としての分析意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学学部教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますからヒューマティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本研究者は、しばしばその境界意識せずヒューマティ科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンス研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くとき思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。

社会科学」としての社会学に対する意識希薄な背景には、日本では多くの社会学科が文学部にあることも影響しているのかもしれませんね。計量なんかやったって人の本音のところはわからないよ、みたいなことを言う人もかなりいました(笑)。僕は実証しなければ、一般的なことは何も言えないよって言うんですが。

2018-10-06

同人やってて鬱になってしまった

から絵を描くのが好きな子供だった。

小学生のころは学年で一番絵がうまかったし、中学くらいでもまだ学校で一番上手かったんじゃないだろうか。ここまでは、卑下せずに言える。

でも高校くらいから、自分よりうまい人が身近に現れ始めた。

初めは努力してそれを超えようとしたけれど、「去年絵を描き始めたからまだ初心者~」なんて言ってる子が私よりずっと上手くて、

同人もやってて、所謂「神絵師」の人たちからちやほやされていたりとか、

バリバリリア充の子が、「pixivデイリー入った~」って言っていたりとかしたあたりで、一回駄目になった。

その頃は部活が忙しかったのもあって、私は絵を描くことから次第に離れてしまった。代わりに小説を書くようになった。

小説小学生くらいから書き続けていて、こちらの方が劣等感を覚えずに執筆ができた)

その後それでも絵がうまくなりたいと美大に入って、さら悪化した。

美大なんてそれこそ絵の上手い人が履いて捨てるほどいる、というか絵がうまいことは個性にならない、絵が下手であることのほうが個性だった。

私は人前で絵を描けなくなったし、絵を描いているとも言えなくなったし、「小説を描いてるんだよ~」と言うことしかできなくなった。

それでもあきらめきれなくて、このころから同人を始めた。

漫画小説を同時に出していた。同人やったことある人はわかると思うんだけど、普通同人誌って売れるのは圧倒的に漫画小説なんだけど、(ジャンルにも寄るけど)

私の場合はほぼトントン小説のほうが売れるくらいの体だったので、だんだん漫画を描くのがしんどくなって描かなくなり始めた。

いや、それでも描いていたけれど。

それを二、三年。

やっぱりだめだ、とまた絵に帰ってきた。そろそろDV男を切れないメンヘラ彼女みたいな状態である

小説を書く量を意識的に減らして、漫画を沢山描くようになった。一年で1000ページくらいは描いたんじゃないか。上達は、すこしはした。確かに、したよ。でも、元が悪かったんだろうな。

同じころ、一人の人に会ったんだ。

同い年の子だった。絵がとてもうまかった。そんなのもう驚かない、傷つくこともない。

けれど、絵がうまくて、話がうまくて、描くのは早くて、仕事が私よりずっとできて、きちんとした暮らしを続けていて、人望があって、…

私は、彼女に何一つ勝てなかった。

赤の他人だ、この世界はいろんな人がいる、

それこそ同い年でオリンピックを連破してるような人だっている。だから、比べること自体ナンセンスだってちゃんとわかっていたつもりだった。

でも、耐えられなくなった。

何一つ勝てない。何一つ優れていない。

私が一人で泣きながら呻いている間に彼女は働いて、私の倍近いお給料を貰って、私の家の倍くらいの家賃の綺麗な家に住んで、漫画を描いて…たくさんの人と楽しそうに話して、友達がたくさんいて、…

人格技能生活も何一つ否定できるところが、嫌いになれるところがなかった。もう、私はだめだった。

ダメだ。

何を描いても、きっと誰も喜んでくれないんだよ。いや、喜んでもらっているのに、わかるのに、その言葉を受け取れなくなってしまった。

絵が、うまくなりたいな。人に、読んでほしいな。褒めてほしい、認めてほしい、喜んでほしい。

私を、絵を描く機械だと思って、コンテンツだと思って、消費してほしい。そういうものになりたい。

私は私を好きになりたい、認めてあげたい。頑張ったのは本当なのに、私が一番私を許せない。拙い右手を許せない。

あの人もこんな苦しい思いをしたことがあるんだろうか。

さて、原稿に戻ります。今年はあと200ページくらい、描きたい話があるから

誰かが読んでくれますように。喜んでくれますように。

誰かの部屋の本棚に、そっと置かれる本になりますように。

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