はてなキーワード: 意識的とは
入眠下手な俺が寄せ集めで作った入眠メソッドが最近いい感じなので、忘れないうちに書き留めておく。
まず、布団に入って仰向けになる。
手は胸やお腹の上ではなく、布団の中で手のひらを上に向けてお尻の左右に置く。
意識して肩の位置をできるだけ下げる。肩を落とすと言うのかな。
肩→手方向にも、胸→背中(つまり、床向き)にも下げる。これが結構重要。
そしたら胸に空気を目一杯吸う。数秒息を止めて、ゆっくり吐く。これを数回くりかえす。
それから深呼吸を繰り返す。ここからは目一杯は吸わない7,8,9割くらいでいい。
ゆっくりたっぷり吸って、吐くときは吸う時よりゆっくり時間をかけて吐き出し、吐く時に体の力が抜けるのを意識する。
まずは目と唇。
目は閉じ、唇目閉じるが、強く閉じず、どちらも触れるかふれないかくらいを意識して力を抜く。
目の周り、頬、頭、喉、首の後ろ、意識する場所を移動しながら、吐く息に合わせて力を抜いていく。
お腹、腹筋、腰、ふとももの内側や外側、裏側、表側、ひざ、ふくらはぎ、脛、足首、足裏.足指。
順に吐く息にに合わせて意識を移動させながら、力が抜けてリラックスするのをイメージする。
これを何周か繰り返す。
最初は丁寧に意識するが、だんだん、全体をざっと流す感じになる。
これだけで寝られそうに無かったら、緊張弛緩法をやる。
息を吸いながら左の拳を固めて、敷布団に強く押し付け左腕に力を入れる。
息を吐きながら力を抜き、左手の力が抜けてリラックスしていくのをイメージする。
この時力は100%はかけない。6,70%でいい。
右腕もする。
息を吸いながら左脚踵を敷布団に押し付けて、ふくらはぎ、太もも、お尻に力を入れる。
息を吐きながら力を緩める、左脚の力が抜けていくのをイメージをする。
右脚もする。
一回でもいいが、気が済むまで二、三回。
また、息を吐きながら全身から順に力を抜いていくやつをやる。
緊張弛緩法の最中にあまりないので、充分に力が抜けてきているときはとばしてもいい。
全身の力が抜けてきたら、深呼吸を続けながら、体とまくら・敷布団が触れている部分を順に意識していく
後頭部、せなか、肩、二の腕、手、腰、尻、もも、ふくらはぎ、かかと。
触れている部分が暖かく、溶け合って、地面に溶けて落ちていくイメージをする。
これをしばらく続ける。
飽きたら、掛け布団に抱きついて横寝の態勢に入る。
寝られず、退屈したら、また仰向けになって、深呼吸しながら体の力を順に抜いていくやつ、触れている部分を意識しながら深呼吸するやつをやるを繰り返す。
途中目の前にみえるもやもやや耳鳴りが起きたらそれに意識を集中させて眠ってしまってもいい。
ストレッチやサウナは、血行が良くなりすぎるからサウナや入浴とは時間を話した方がいいらしい
筋トレはやめた方がいいらしい
風呂2分、サウナ6〜8分、水風呂1分〜1分30秒、休憩・外気浴5,6分、風呂2分、サウナ5,6分、水風呂10秒から20秒(外気浴なし)
時間より脈拍を目安にしたほうがいい
ここぞという時に、たまに入る人は3セットいってもいいのかも
時間をかけすぎると、今が興奮して逆に眠れなくなるので、アダルトコンテンツの視聴や刺激は適度な時間に留めておく
明らかにポワポワで眠れそうな時はいらないが、身体がこわばっていたりするときはリラックス出来るのでサクッと抜いておこう
全体で30分くらいに収まるのが目安
睡眠の質のためには無音が一番いいらしいが、メインルーティンが退屈になって継続できなさそうなら、アンビエントミュージックやラジオをかけてもいい
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい音で
寝つきかけて、大きな音で起きてしまうのはよくない
自分の寝室はカーテンから差し込む街灯や車の光が気になるし、日が出てから寝てることが多いので、アイマスクはマストアイテム
気にならないという人でも、遮断するとリラックス出来る人もいるので、試す価値がある思う
深呼吸と意識誘導をうまくやるために、はある種の集中力が必要だし、コツがある
朝一回5分とか10分でいい
食物繊維を十分に摂る
地面に溶けるパートと意識する場所を順に移動して力を抜いていくパートは適宜、行き来して繰り返していいが、これと深呼吸を続けても、体の力は完全に抜けているのに頭だけ起きていて寝付けない状態が自分にはよく起きる
そのまま、アリス式睡眠法の要領で寝られればいいが、だめなら、飽きたところで、一旦横向きになって普通に寝付くのを待つ、だめなら、また仰向けに戻ってまた、元のルーティンに戻る
まずはレシピ通りに試すのがいいかもしれないけど、自分にとっていいものだけ真似すればいい
本か読んだことのある漫画でも読んで、意識的に早めに布団に入ってメインルーティンをやるんだ
こんなのは全部気休め
深刻な病状の前には無力
精神的な疾患や、なかなか解消できない悩み事があったり、強いストレスを感じている時には、小手先のテクニックでは太刀打ちできない。
今は依存しにくく良く効くいい薬もある
毎日晩酌するより、薬で寝た方が脳にも肝臓にも優しく、依存もしづらいという医者もいるくらい
不眠は万病の元なので軽く見ないで
しばらくちゃんと眠れていないなら、色々うまくいかないのも本当のあなたの実力ではない
三食きちんと食べて、たくせん眠れる日が続いたら、あなたの本当の力を発揮できる日が必ず来る
高校ん時行った家庭科の強制ボランティアで、人が話してる時には相手の目を見ろって注意された。社会性に関する指摘においては非常に素直なので、それ以来かなり意識的に実践してる。
10年近く経った今でもまだ慣れない。ゲームで水中入った時の酸素ゲージみたいにストレスがキューーーッッッと上昇する。適宜目線を下げてゲージを回復させないと無理。
必ずしも目を見なくとも鼻の辺り見てればいいとかネットで見てそれも実践してみるけど、あんまり変わらんような気もする。
胸元開き目の相手だとあんまり目線を下げてもアレなので、回復度の低い首か顎辺りまでしか行けなくて疲れる。おれは性欲を隠すのがカッコいいと今でも全然思ってるし、チビ(事実)とか陰気(事実)とか言われても別に構わないけれどガッついた人間だと思われるのは嫌だ。
常日頃からしっかり目線合わせてたら気が狂うので面接とかタイマンの面談とかの場でしかやらんけど、常日頃からやらないから慣れないんだろうなと思う。
統合前のVポイントをメインポイントに設定していると思ってたけど、確認したら未設定になってたからTポイントにしておいた。これで自動で変更されるはず?
統合前のVポイントをメインポイントに設定しているお客さまが、引き続きVポイントをメインポイントとして設定するには2024年4月28日(予定)以降にメインポイントを青と黄色のVポイントへ変更いただく必要があります。
Tポイントをメインポイント設定しているお客さまは、自動的に青と黄色のVポイントに切り替わります。Vポイントアッププログラムを利用したい場合は、別途お手続きが必要となります。※1
対象のコンビニ・飲食店のポイントアップだから普段遣いしないならいらないかも?
条件3以外はやってるっぽいので、3が面倒そうならやらない
https://www.smbc-card.com/mem/for_sbi/sbi_vpoint/point.jsp
上記No.10~12のVポイントを獲得するには下記条件をすべて達成する必要があります。
(条件1~3については、2024年4月28日(日)(予定)からSBI証券WEBページにてお手続きできます。)
条件1
Vポイントアッププログラム対象カードをお持ちのうえSMBC IDに登録すること
条件2
条件3
条件4
10万円で0.75%を目指す。
利用期間の集計は2023年10月1日(日)~2024年9月30日(月)。前年度分かと思ってたら固定だった。
(分かりづらいところにあった https://www.smbc-card.com/nyukai/pop/details_gold_nl.jsp#pattern_a)
https://www.smbc-card.com/mem/cardinfo/cardinfo4010785.jsp
深呼吸を意識的にやるようにしたら頭痛が治まったという漫画を読んだけど、
年取って、気づくと呼吸が止まってることが増えた気がするし、
まだ40歳なんだけど、体中の筋肉が弱っていってるのを最近になって強く感じている
30歳超えたときももちろん「あー、筋力弱っていってるなぁ」と思ったけど
やっぱ40超えてもう一段階衰えが加速した
…とは思わないが、(他の多くの言語と同じように)注意して使わなければまったくナンセンスな議論を平気で生み出してしまう言語ではある。
自分が最近特に気になっているのが、修飾部の制限用法と非制限用法の無節操な混同である。
これは英語のtoxic masculinityの訳語なので、当然この「有害な」という修飾は制限用法であり、「無害な男らしさ」の存在も暗に示すものである。
しかし、これを日本語にした言葉自体には、非制限用法の解釈もあり得てしまう。再翻訳すれば、"masculinity, which is toxic"(この有害なる男らしさ、とでも再々翻訳しようか)という解釈が可能だということである。
これが、時には無意識に、時には意識的に、日本語の議論を混乱させているのを昨今切に感じる。
「有害な男らしさ」を語る議論は、「男らしさの肯定か否定か」ということではないはずだ。
「何が有害な男らしさで、何が無害な(または有益な)男らしさか」を弁別することであるはずだ。
「有害な男らしさ」の定義なんてしないまま、前者の極論に持っていきたいことが丸見えのくだらない対立論しかメディアにはない。
(以下略)
飽きた。
ここから、ハリウッド映画の「依頼人」を例に、海外では女にも「有益な男らしさ」が求められること、「有益な男らしさ」がなければ誠実に議論する社会はあり得ないという話をしようと思ったが、そんなことはここまで読んで、わかる奴は既にわかってる話だし、わからない奴は何を言ってもわからないだろう。
非論理的な自然言語だからこそ論理的に使うのだという発想が社会になく、学校で教えてもいないから、良い大学を出ても平気でこの程度の基本的な文法事項も注意しないで使う、それどころかそういう詭弁で煙にまくのを賢いとすら思っている「インテリ(瀬川深)」がいっぱいいるような国では、保守もリベラルもないのである。
そして、こんな根本的にその議論の誠実さを証明するようなトピックをもこそこそと避け、あわよくば自分が何を言ってるかも曖昧なまま、反撃されずに気持ちよく他人を叩ければ良いという国民性こそ、日本のすべての凋落の元凶なわけである。
最初に私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である。
口幅ったいがプロを自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。
話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており
私自身いつかは仕事のフローに生成AIにまつわる技術を意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。
その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。
何らかの法的規制あるいは運用上のガイドラインが必要だという立場にいる。
大別すればAI規制派であるが、スタンスは総論賛成各論反対、ぐらいの温度感で事態を静観していると思って欲しい。
昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について
一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。
重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。
私自身、作品がAIの学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感も体験し、理解している。
おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが
皮相的な党派性にとらわれて本質的な議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。
勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的で冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。
今現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。
しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。
反AIの言動が過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で
規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。
生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。
・現在主流である拡散モデルの学習・生成機序を理解すること。生成物は学習した画像の切り貼りやコラージュではない。何十億という画像データを数GBに圧縮することはできない。
※学習データの画像にほぼ近いものを再現することがある、という海外論文を引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的な確率の低さである。
・著作権法・隣接権の概念や文化庁及び政府見解を理解すること。人・AIを問わず学習行為は規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である。
・開発企業や使用者に対する非現実的な要求をしても事態は解決しない。
・成果物の類似性・依拠性(LoRAなど)については肖像権、著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である。
・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身のモラルの問題であり、より正確に言えばSNSの問題である。
(誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせ、ラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的なコンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である)
公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。
現状における事実或いは公的な見解であり、これらを推進派や技術者のレトリックと断じて耳を塞いではいけない。
彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉のテーブルにつくことすらできない。
実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。
規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実の解釈で争うべきだ。
”お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。
おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。
夜職が弱男を笑う増田が人気なので再掲する。以下では、女性が夜職で稼ぐことが簡単ではなくても、全ての女性は女性であるだけで男よりはモテるし、そのことによって得られる利益はあるだろうという話をしている。
女が弱男を嗤うとき、「モテるくらいで何だ」と言ったりするけれど、これは意識的にあるいは無意識的に、「モテ」の便益を安く見積もっているか無視していると感じる。
一昔前ならばモテるだけで衣食住のほぼすべてに男から金を出してもらえたわけだし、そのような風潮がなくなった現代においても、生活費も住居のローンも完全に折半して、プレゼントも完全に同額のものを贈りあっています、なんて家庭は少ないだろう。ほとんどの場合は男の金に多少なりとも乗っかっているんじゃないのか。
特に結婚前の、付き合っている段階においては、女にいい顔をしたいから尚更であろう。金銭的な面だけでなくて、女の機嫌が悪くなったら手を変え品を変え男はご機嫌を取ったりするだろう。これが「モテ」の便益ではなくて何なんだ。
加えて言えば、完全に金銭的負担を折半しており、心理的にも互いに支え合うケースがあったとしても、それは個人一人では辿り着けない生活ステージではないのか。分かりやすいところで言えば、二人で金を出し合うことで、個人では住めないマンションに住める、いつでも悩みを打ち明けて相談できる相手がいる、など。
「モテ」のおかげで女であるだけで得られる便益は多岐にわたるわけで、「モテないくらいで」と弱男を嗤う風潮は、理不尽に感じてしまう。こういうことを書くと、私も弱男認定されて嗤われるんだろうが、まあ構やしない。
夜ふかしをして以下の動画をみた。
収穫があったと思うのは、まず自由意志というものがあるなら、それはランダム性とは関係がなく、また生きていく上で便利なものであろうということ。
例えば大統領演説の原稿を書くという作業があるとき、自由意志が使われるなら的を射たものであるはずだ。
自由意志に関係がありそうなものとして「意識的努力」と「自動操縦」について話しているが、
意志力が強いと言われる人の多くは習慣化能力が高く、それは自動操縦的であり、意志力が高いわけではない可能性があるという。
では意志力を要する「意識的努力」がどこで使われるかというと、例えば「計画」という作業には意識的努力が必要だが、これは将来的に行われるであろうタスクのエネルギーを減らすために行われることが多いという。
一部の科学者は人々に対して「自由意志は存在しない」ことを説得しようとしているが、実用的に見るとこれは逆効果だという。
どういうことかというと、自由意志が存在すると信じていれば悪さをする可能性が減るわけである。
自由意志が無いと考えれば「コントロールできない、なら悪さもしょうがない」と考えてしまうわけである。
「自我の枯渇」という点は興味深い話だが、要するにタスクをこなせばこなすほど消耗し、自制心は減っていくということだ。
このため、意識的努力をするためには、十分なエネルギーを残している必要がある。
「自制心」と「知性」は基本的に向上させればさせるほどよく、マイナス面が無いという。
つまり意識とは存在する意味の一つであり、意識を持った主体がこの世に存在しなければ宇宙の存在も無意味である。
そして自由意志は、意識の持つ機能の一つである。予め決められた通りの人生を決定論的に歩むなら、それもまた存在の意義を失わせるに違いない。
①見たり聞いたり想像する力が弱い
③予想外の出来事に弱い
⑤人とのコミュニケーションが不得意
⑥力加減ができない
あと1分ごとに無意識に手の甲をベロベロ舐めたり、なんとなく臭かったり(隣の席なのでストレスが半端ない)。
「想像力の乏しさ」という意味では、中学生レベルの語彙しか使わない僕の説明すら全然理解してくれないし、文章を書かせると大体グッチャグチャ。
文法や文章構成からして色々とおかしい。文章すらコミュ障ってどうなんだ。
1年間フィードバックして改善の兆しは見られない。そのフィードバック時の返事もハイハイハイと上の空だが、本人としては情報を噛み砕くの精一杯なのだろう。
残酷なことに一切の成長も見られない。「読めない」「書けない」「話せない」の三重苦で苦しみ続けている。愛嬌を作る余裕もなく、丸裸に傷つくしかできないタイプ。
今日なんて、たいしたタスクでもないのに、自分の中で仕事をコントロールできずキャパオーバーになっていた。
で、頭を掻きむしり「「もう、どうすればいいのかっ!」と妙にデカい声で訴え、ワーッってなってた。
超人の女上司が優しく指導していたが、本音ではだいぶイラついていると思う。
一番ダメなのは自己肯定感の低さ。自分自身を無能と思ってるので、説明も自身なさげで、基本的に信用する気にならない。唯一の救いは……根が真面目なので腐らず真摯な姿勢は維持するところか。
この話にオチはないが、悪気は無いのに、ここまで人を不愉快な気分にさせる女がいるということが驚きではあった。
上司は20代後半で、そんな年も離れていないんだが、頭脳明晰で、どんな仕事でも出来る。
見た目こそ、ゆるふわお姉さん系キャラだが、男顔負けのメンタル強者。
ある意味で社畜の鏡みたいな人だ。(前職で80-120時間以上残業したときはさすがにメンタルをやられたそうだか)
我が強いが、優しく厳しい。
自分の強烈なバイタリティをそのまま他人には当てはめられないと前職時代に自覚したそうなので
そんな上司と先日、月1の面談があったので、仕事の話はそっちのけで昔話をしていたわけです。生育歴が気になったからだ。
上司は「応仁の乱」勃発地といわれる「御霊神社」の近くに住んでいたそうだが、いわゆる心霊物件だった。
誰かがリモコンを操作して、勝手に部屋の電気が消えたり、テレビが突然消えたりするわ。
そのときは見知らぬ女性が足元に立っていたそうだが、「実害はないから」と放置していたという。
しかも部屋の契約期間が終わるまで2年間ずっと住んでいたというメンタルには恐れ入る。
本人は霊感などなく、家電類も引っ越したら正常に戻ったので、「あ、そういう物件だったのね」とあっけらかんと語っていた。
「怖くなかったの?」と聞いてみると
「理詰めで説教してくる母親の方が怖かったので、それと比べれば大したことなかった」そうです。
生きた人間の方がよっぽど怖いのかねえ。
で、上司の名言に「仕事に打ち負かされれるという発想がダメなんだよね。むしろ仕事を〇してやるぐらいの感覚がないとダメだよ」というのがあって、パンクだよなあと感心したり。
基本的には、 Bloomberg 欧州で原発の運転停止相次ぐ、再生可能エネルギー急増で需要低下のコメント欄についての話になる。
記事も誤解されがちかもしれないが、常識に欠けた斜め上のコメントにたくさんの星がついてる様に感じたので語らせてくれ。
「欧州の電力政策/再生可能エネルギー政策が成功している」 かのように読んだ人のコメントが見受けられるが、そもそもとして、今回の記事は残念だがその逆だ。
はじめに、前に見たニュースを小話として取り上げたい。
日本の自称エネルギー研究者が「ドイツは再生エネルギーで電力輸出国なんです。」と触れてたのだが、これは誤解されがちなだなと思った。
この言説は一面だけをみれば、まったく間違ったことは言っていないし実際にフランスドイツ間でもドイツからの電力輸出量が2022年までは優っている。
ただし、再生エネルギーは意識的に発電させる事ができない。自分たちが発電できる時は他でも発電できてて、自分たちが発電できない時は他でも発電できてないと言う形になり
発電が盛んな時はクズみたいな値段で電気を引き取ってもらって、需要が逼迫してくると身を切るような値段で電気を購入すると言う事が起きる。
それなのに、再生可能エネルギー賦課金や固定価格買取制度(FIT)みたいな市場に介入したい意向が働いていて、更に色々と市場を歪ませている。
この小話の教訓的なことは、
1)電力では年単位の発電量が価値にそのまま繋がるわけではないこと。
2)ベースロード電源がなければどこまで行っても不安定な供給になること。
4)市場が歪んで居て、その歪みが印象としては真逆に映ること。
そして、本筋のBloomberg記事の『欧州で原発の運転停止相次ぐ、再生可能エネルギー急増で需要低下』も基本的にはこの教訓をそのまま再生したような話だ。
記事の中にもあるように [2050年までに世界の原子力発電を3倍に増やす] が国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)で言われていることだし、脱原発が安直に正義など何処にも書いてないし、(まともな人は)誰も言っていない。
それにプラスして、EDFと言うフランスの電力会社組織の経営問題が上がっていた事を知っていれば十分だろう。そして、現在もまだフランスは原発の稼働年数を増やしたり新規増設を計画してたりする。
つまり、この記事も「脱原発が進んでいる」みたいな話ではなくて、再生可能エネルギー投資が熱狂した結果、電力環境の歪みは悪化するだろうと言う話なのだ。
(再生可能エネルギー投資に敵意しかないような文になってしまったが、本当に純粋な再生可能エネルギーの研究開発には期待している。
女が弱男を嗤うとき、「モテるくらいで何だ」と言ったりするけれど、これは意識的にあるいは無意識的に、「モテ」の便益を安く見積もっているか無視していると感じる。
一昔前ならばモテるだけで衣食住のほぼすべてに男から金を出してもらえたわけだし、そのような風潮がなくなった現代においても、生活費も住居のローンも完全に折半して、プレゼントも完全に同額のものを贈りあっています、なんて家庭は少ないだろう。ほとんどの場合は男の金に多少なりとも乗っかっているんじゃないのか。
特に結婚前の、付き合っている段階においては、女にいい顔をしたいから尚更であろう。金銭的な面だけでなくて、女の機嫌が悪くなったら手を変え品を変え男はご機嫌を取ったりするだろう。これが「モテ」の便益ではなくて何なんだ。
加えて言えば、完全に金銭的負担を折半しており、心理的にも互いに支え合うケースがあったとしても、それは個人一人では辿り着けない生活ステージではないのか。分かりやすいところで言えば、二人で金を出し合うことで、個人では住めないマンションに住める、いつでも悩みを打ち明けて相談できる相手がいる、など。
「モテ」のおかげで女であるだけで得られる便益は多岐にわたるわけで、「モテないくらいで」と弱男を嗤う風潮は、理不尽に感じてしまう。こういうことを書くと、私も弱男認定されて嗤われるんだろうが、まあ構やしない。
『オッペンハイマー』観た。
元カノが死んでから自分を責めたり、実験の爆発を目の当たりにしてから水爆反対への心変わりに向かっていったりと、オッペンハイマーには自分のやってる事への当事者意識の薄さみたいなのがあるのかなって感じがした。
「絶対悪」のナチスドイツなき後にもまだ(瀕死の)日本がいるじゃないかと研究を続けて、いざ実験が成功して投下した後になってから果てしない核軍拡競争への憂いで気持ちが揺れ始める。赤狩りの時代が強調されてはいたとはいえ、水爆はソ連への牽制だという言い分にもあまり強く言い返せない。
ストローズの「奴は瓶から出した原爆の魔神を元に戻そうとしてる」みたいな台詞は、オッペンハイマー憎しで出た言葉かもしれないけど彼のふわふわした感じを端的に表していたような気がした。トルーマンに腰抜けと一蹴されたのも。
学生時代に病んでたのは、物理学なんかやってると唯物論的な方面で実存的不安を抱えるようになるんだろうか。ピカソやストラヴィンスキーに触れるシーンでそう思った。それに対してセックス不足だろと言われてたのも、そういう抽象的な事ばかり考えずに地に足つけて生活したら、的な意味だったんだろうか。共産主義と唯物論は結び付けられて語られるようだけど、活動に傾倒していったのもそういう事なんだろうか。
日本にまつわる描写が淡白だっていう感想もあるらしいけど、自分は投下後に言われていた「国内で抗議が"起こらない"のが心配だ」みたいな台詞が結構印象的だった。
劇中で何度も鳴り響くオッペンハイマーの功績を称える足音は軍靴の音に重なるものがあった。
実験シーンで爆破音を大分遅らせる演出は、まあそうなるだろうなあと思わせる猶予になってしまったけど、それを補って余りある ほどにオッペンハイマーが抱いたであろうアンビバレントな感情を思わせられた。
「ほぼ0%」だからまあ大丈夫だろうと研究を続けたり、爆破の直前に賭けをしてたり、防護服を着る事もなく目視で爆発を眺めたり、実験が成功すれば無邪気に熱狂する辺り、研究者達からはどこか呑気さを感じる。
それはしばしばハリウッド映画で非難されていた核兵器への認識の無頓着さへによるものではなく、むしろそういったものに関して意識的に描いているんだと思う。思いたい。核兵器が実戦投入される以前の出来事を描いたシーンでもあるし。
ローレンスやラビは出会いからの関係が比較的重点的に描かれてたけど、他にも色々と博士や政府の人間が出てくる中で、それ誰だっけって人名が飛び交ったりして分かり辛い部分も多かった。
証人に呼ばれたローレンスと廊下で鉢合わせて、結局彼が来なかったシーンもいまいち意味が分からなかった。冒頭の1. 核融合 2. 核分裂も何か象徴的な事を言っているのだろうけどいまいちよく分からなかった。
ただ3つのパートが徐々に絡み合っていってオッペンハイマーの人生が語られる感じは、テネットとかインセプションに比べたら大分と分かりやすかった気がした。
プロジェクトX、よりは粛々と進むマンハッタン計画、胃が痛くなるような小部屋の尋問、ストローズの閣僚入りに向けた公聴会、というそれぞれのシーンの要点を抑えた上で2度目に観たら前半の印象も大分鮮明になってより分かりやすくなった。
今の所世界は滅んでないけど核兵器も滅んでいないらしいし、これからどうなんでしょうねえ。この手の作品を観て大量破壊兵器はよろしくないですねえ、平和は個々人の意識によって作られるものですよねえ、というポーズを取りつつ、まあ言うても別にボーッと生きてたって自分の生きてる間くらいは大丈夫っしょ……って思ってる自分がいますねえ。
ガールズノート。基本女性誌に描いてる作家の青年誌連載漫画だが、青年誌に描いたものだかろちって意識的に画風を変えた跡みたいなものは見られない。
絵柄を変えずともストーリーで男性向け女性向けを描き分けられるという自身なのか。それともサブリミナルレベルできちんと画風も変えていたりして?
(確かに下着姿という意味でお色気要素は大目だったが、それならティーンズラブのほうがよっぽど露出度高いのに女性向けだからなあ?よくわからん)
量子力学は、測定が行われるまで粒子は重ね合わせの状態、つまり同時に 2 つの状態にある可能性があることを示唆している。
そのとき初めて、粒子を記述する波動関数は 2 つの状態のいずれかに崩壊する。
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、波動関数の崩壊は意識のある観察者が関与したときに起こる。
意識が崩壊を引き起こすのではなく、波動関数が自然に崩壊し、その過程で意識が生じるとペンローズは示唆した。
この仮説の奇妙さにもかかわらず、最近の実験結果は、そのようなプロセスが脳の微小管内で起こっていることを示唆している。
意識はすべてを包括しており、現実そのものを構成しており、物質世界は単なる幻想である、と言う人もいる。
意識は幻想であり、実際の現象的な経験や意識的な制御の感覚はないと言う人も。
この見解によれば私たちは「ただの無力な観客であり、ただ乗り物に乗っているだけ」である。
そして、脳をコンピューターとして見る人もいる。
脳機能は歴史的に、蝋の「封印リング」としての記憶という古代ギリシャの考え方から、電信交換回路、ホログラム、コンピューターに至るまで、現代の情報技術と比較されてきた。
神経科学者、哲学者、人工知能 (AI) の支持者は、脳を、可変強度のシナプスで接続された単純なアルゴリズムのニューロンからなる複雑なコンピューターに例えている。
これらのプロセスは、意識を持たない「自動操縦」機能には適しているかもしれないが、意識を考慮することはできない。
意識を基本的なものとして捉え、宇宙の微細な構造や物理学に何らかの形でつながっていると考える人たちもいる。
例えば、意識は量子領域と古典的領域の間の境界における活動である「量子波動関数の崩壊」という客観的還元プロセスに関連しているというペンローズの見解が含まれる。
基礎物理学とのそのようなつながりをスピリチュアルなもの、他者や宇宙とのつながりと見る人もいるが、意識が現実の基本的な特徴であり、生命そのものよりもずっと前に発達したものであることの証拠であると考える人もいる。
ペンローズは、客観的還元を意識の科学的根拠としてだけでなく、量子力学の「測定問題」の解決策としても提案していた。
20世紀初頭以来、量子粒子は、シュレディンガー方程式に従った波動関数として数学的に記述され、複数の可能な状態および/または位置を同時に重ね合わせて存在できることが知られてきた。
なぜなら、初期の量子研究者にとって、測定または意識的な観察という行為自体が、波動関数を明確な状態と位置に「崩壊」させるように見えたからである。
前提条件を成り立たせる暗黙の前提を無視すれば『それは簡単であるといえる』って
同じ意味を2回繰り返しただけやんけ
『殺人は簡単に違いない、なぜなら衝動的に社会性さえ無視すれば実現しうるからである』
ロジカルに言葉を置き換えてやったけど、衝動(後先考えない)の必然性なんか何処にもないやろ?
後先考えて計画的に殺人する方が殺人に成功する期待度は上がって、結果簡単になるし
もちろん後先考えるというXの精神状態または表現の中に意識的に社会性を無視するも含めるで?
増田が意図的に隠した『違いない』に『後先考えていない』という思考または精神状態はなんの結びつきもないやろ証明でもないし
なんなら、殺人という結果には必ずしも悪意は要らないのよ?
それは定義上、危険運転致死傷だとでも言うなら凶器が限定されるから益々簡単じゃないし
炒め料理の場合は、強火で手早く加熱しましょう。弱火で加熱すると水分が出て水っぽく仕上がり、旨みも流れ出てしまいます。
加熱中に菜箸で動かすと、きのこの繊維から水分が出てうまみが逃げやすいので、香りが立ってから上下を返しましょう。
きのこは水洗いすると水分を吸収しておいしくなくなりますので、水洗いはなるべくさけましょう。ふきんやペーパーでさっと拭くことでたいていの汚れは落とせます。
きのこにはビタミンB群やカリウムなどの栄養素が豊富に含まれています。水溶性の栄養素なので、栄養が溶け出た煮汁も一緒に食べられる料理にすることで栄養をムダなく摂取することができます。スープやあんかけなどにして煮汁ごと食べるのがおすすめです。
きのこにはカルシウムの吸収率を上げる「ビタミンD」が豊富に含まれており、カルシウムを意識的に摂りたいときに力を発揮します。牛乳やヨーグルトなどのカルシウム源と一緒にきのこを食べましょう。
多くのきのこに含まれているうま味成分「グアニル酸」は、「グルタミン酸」と一緒に摂るとうま味をより強く感じられます。グルタミン酸を多く含む食品には昆布・トマト・チーズなどがあり、きのことの相性も抜群です。
ネタバレあり。
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オッペンハイマー、まず理解するのにアメリカ人の伝記物なので当時のアメリカの歴史を知っておく必要がある。さらにノーランのあまり説明せず、時間軸をぶった切るスタイルがすごいのでよりわかりづらくなっている。
話の流れとしては、1954年(カラー)と、1959年(白黒)の話の二軸になっている。
1954年、当時のマッカーシーの赤狩りでオッペンハイマーがソ連のスパイ容疑かけられて狭い部屋の公聴会で責められて、最終的に公職追放されるまでのところがメイン。その中でオッペンハイマーが自分の過去を回想するという形で原爆開発の流れが示される。
そして、ややこしいのは白黒で示されるストローズの話。あの白黒の場面は1959年のことで、オッペンハイマーは出てこない。当時ストローズが商務長官に任命されそうになり、公開の公聴会がひらかれている。アメリカでは長官に任命されるときに公開の公聴会が開かれてどうするか決めるというのを知っていないとあのシーン自体が何をやってるか全然わかんないんだよな。そしてその公聴会でストローズはオッペンハイマーを陥れたことを追求され、反対が多く長官になれなかったということが表現される。
このオッペンハイマーとストローズ2人が一番絡まるシーン、湖の畔でストローズがアインシュタインに無視されるところってのは映画では一番最初に出てくるが、戦後の話だってのもまぁわかりづらい。
それで、そういうことを知った上で見直すと、映画オッペンハイマーはオッペンハイマー自身と、ストローズという二人のキャラの話を混ぜているとわかる。
オッペンハイマーは天才で破天荒な女性関係が滅茶苦茶なのかとか、自分がどういう立場なのかわかっていながら共産主義関係者を積極的に絡ませたり…それこそ弟誘うの駄目だと思うんだけど…とか、そういうの。自分が大学院のころに世話になった教授が似たような超天才型で、それに振り回された経験があり、あー天才ってこういうところあるよね…自分勝手に好きにやるよね…って思った。そういうのもあって、本人に感情移入しづらかった。
そして、オッペンハイマーの原爆への後悔は、確かに後悔しているんだけど、後悔している自分に酔ってる、可哀想な自分が可哀想てのを表現している感を感じてしまった。これは愛人が死んだときの態度で表現されているようで、あそこも自分のせいで人が死んだこと自体は後悔してるけど、こんなに後悔してます!自分が悲しくて泣いちゃってます!慰めて欲しい!っていうオーラがすごい。
でも、自分かわいそう感の強さにうーんって思ってたら、作中でもトルーマンには馬鹿にされて、ストローズには後悔なんてしてないっていわれて、奥さんからも殉教者になる自分に酔ってるだろみたいなこと言われてるから、意識的に表現してるんじゃないかな…と深読みした。
それで、正直、オッペンハイマー自身よりも、ストローズの方がすごく魅力的に感じた。RDJの演技がすごい。まぁ政治家って時点で普通の人間ではないのだけど、人間性がずれてる天才と比べる形で一人の人間を表現していた。小物さ、狡猾さ、天才とは違う尊大さ、そういうところを会話や態度で表現していて、とても魅力的だった。もう一人の主人公…というか主人公が2人いると思ったし、この映画はオッペンハイマーを舞台装置にしたストローズの話なんじゃないのかって思った。
とにかく、すごい作品だった。見て良かった。