はてなキーワード: 不登校とは
四谷大塚盛り上がってるけど、個人的には練馬の校長の方がショックだし防ぎようがない事例だと思う。
いうて塾は営利企業だから評判第一、どこの大手塾もこの事件で対策に乗り出すだろうし、密室二人きりの指導を禁止するだけでも実効性は上がる。
住所の漏洩についてはどうしようもない感じがするけど。少なくとも中学受験なら、通学区域(小学校名)も住所も知らないでも指導できるのかな?
対して校長は学校トップだし、トップの行動は誰も止められんわけで。共犯いた四谷大塚も大概だけど、公立中トップによる犯罪って悪質そのものだよね。
悪質さを比べてもしゃあないけど、塾は嫌ならやめるってできるが、公立中は簡単に辞めますってならない。
ちゃんと不登校になれればいいけど、高校受験のことやら友達とか部活のこととか考えると、我慢するって選択も無理はない。
こんな重大事件が起こってんのに、学校はこういう対策に乗り出すの鈍い感じよね。現場ではちょっと違うのかな?
発達障害の人は非凡な才能があり、それをいかして仕事をしているというキラキラしたストーリーを見かける。
私はまったくそういうのがない、何も取り柄がない普通の発達障害。そして、障害の程度が中途半端すぎて障害年金も障害者雇用も福祉サービスも引っかからないので、普通の人より出来ない健常者として生きていかないといけない。そんな中途半端な障害者の紹介がないので、人生のロールモデルがいなくてこの先どうしていけばいいのか悩んでいる。50年近く生きていき、理解ある彼君は一度もいたことがないため、お一人様の老後を過ごすことは決まっている。
私が間違えたのは、診断を受けたことと、それに起因して自分が出来ない人と思いこんでしまったことではないかと思っている。
大学時代に違和感があって発達障害の診断を受け、知り合いのつてで就職した。事務アシスタントと清掃の仕事だが、簡単な仕事だけを行っていた。ここは障害をオープンにして就職したので、一応の障害の配慮はあった。
しかし、配慮しすぎたのか、簡単な仕事をずっと続けることになった。変化がよくないということで新しい仕事であったり、スキルの獲得ということがなかった。なので、15年間同じ職場にいたのだが、スキルの獲得もなく、キャリアアップとは程遠く、昇給も賞与も手当も一切ない状態だった。
給与は上がらないのか?という相談をしたことがあったが、「時給換算をするとパートの時給を上回るのでこれ以上は上がらない」というよく分からない回答をされて、それ以上何も言えなかった。というか、私はもしかしてパート職員だったのか?という疑問が今でも残る。
経済状態がギリギリすぎて、二次障害の鬱が悪化した(後にこの鬱は双極性障害の鬱であったことが分かったのだが、15年の勤務のうちに鬱だと思っていた二次障害は双極性障害になっていた)。経済的安定を図るために手帳を取得して、障害者控除と障害年金を取ることを主治医から提案された。
手帳を取得し、年金を申請したが年金は落ちた。たぶん、不登校であったり、休職をした期間がないからではないだろうかと予測される。年金申請時の私の状態は、仕事は辛うじて行っていたのだが、自宅では寝たきりで生活はほぼ出来てなかった。食事や身辺の清潔さを保つことができず、帰ってきて布団の中に入ってそのまま動けなくなっていた。
当時、私が住んでいた県は精神障害の人への年金支給がとても厳しい所だった。それもあるかもしれない。
手帳を取得したことにより、障害者控除を受けることで住民税の非課税世帯になった。非課税世帯になっても私の手取りは12万円程度だったので、一週間で使えるお金は4000円程度しかなく、この経済問題が私の鬱の悪化を加速していたように思う。この時の私は貧困妄想が過度に酷く、いかに迷惑をかけずき死ねるのをずっと考えていた。アパートの廊下は壁際しか歩けず(気をつけないと無意識に外側へ踏み出しそうになる衝動を抑えていた)、ベランダ側の窓は閉め切っていた。
ここまでしても15年も同じ所にいたのは、自分はここ以外では働けない、ほかの職場は障害に理解してもらえず、さらに精神的に悪くなると思い込んでいたのと、職場の人に思いこまされていたということがある。
友人が転職をしたことで、転職の仕方が分かった。転職サービスに登録したが、全てに断られた。何もスキルがなく、無駄に15年を過ごしていたので当たり前だと思う。障害者用の転職サービスにも登録したが、ここもすべてお断りをされた。中途障害の人を求めているのではないかと気がついて、絶望したことをおぼえている。
転職活動を2年以上して、在庫管理の仕事へ転職する事ができた。障害はクローズドで健常者のふりをして転職をした。初めて、手取りが20万以上になって、あんなに酷かった鬱が和らいで安定したことに驚いた。
結局この仕事は2年ほど働いて、さらに健常者として転職した。今度は清掃がメインとなる仕事であるが、新卒から約18年ほどで初めて定期昇給、退職金、通勤手当、確定拠出年金がある仕事に就くことができた。前職より手取りは少し減ったが、昇給があるという安定感が今の精神的安定に少し役立ってる。
私みたいに中途半端な障害程度な人は健常者の振りして普通のまともな企業に新卒で入って、スキルを獲得するのがよいと思う。それか、診断が在学中にでたら、就労移行支援を受けて、大企業の障害者雇用に潜り込むのが一番よいように思う。
私のようになにも取り柄のない発達障害は本当に中途半端すぎて生きにくい。なので、新卒カードを無駄なく使わないと、私のように無駄に若い時を過ごしてしまうことになる。
病院は病気を治すための場所であって人生を楽にするための場所ではない。
考えてみれば当たり前のことだが、わかっていなかった。
一番最初の記憶は、幼稚園の同じお友達が、別の子と仲良くしてるから、その子と同じ習い事をしたいと母親に頼んでいる場面だ。
物心ついたときから、上手に人付き合いをすることができない。相手の領域に入り過ぎたり、入らなさ過ぎたりする。一番の友達、というのが出来たことがない。それがいつもずっと辛い。
環境が変わる度に連絡先をリセットする。昔のことは思い出したくない。恥と自己嫌悪で消えたくなるから。
毎日、眠る前に一日のことを思い出して反省会をする。上司への受け答え、後輩との雑談、一つずつ思い返して駄目出しをする。一日を巻き戻してやり直したくなる。
中学の頃から不登校を繰り返し、大学は2年通って中退した。毎日何かしら不安で、明日が来なければいいのにと毎晩祈った。人並みに生きることができないで、家族に迷惑ばかりかけている。
人並みに生きたい。
職場を三つ変わって、ついに出勤もままならなくなり、これが最後の手段だと覚悟を決めて、精神科を予約した。怒られるかと思っていたら、先生も看護師も優しくて、あっさり鬱病の診断が出た。辛い人生だったけど、でもなにもかもこれで解決だと肩の荷が降りたようでほっとした。
半年休職して、職場に戻った。上司はパワフル系だけど、最近の風潮もあってすごく気を使ってくれている。多分、客観的に見ると私はすごく恵まれている。
最初に薬を処方された時、まずは半年間薬を飲み続けて、症状が落ち着いてきたらだんだん減らしていきましょうね、と言われた。一年半経ったが、まだ薬は飲み続けている。量は増えこそすれ、全く減る気配がない。減らすと明白に症状が悪化するので減らすことができない。
薬を飲んでいるおかげで、仕事を休むことはなくなった。どんなに辛くとも、ひとまず起きて職場に行くことはできる。毎日眠るのが辛くても、睡眠導入剤で眠ることはできる。
通院時に、今月の様子はどうでしたかと聞かれる。いつも通り変わらずと答える。時々、先生の言う通り、隔日で薬の量を減らしてみるが、気分の落ち込みが激しいのですぐに元の量に戻る。先生に呆れられてるんじゃないかと思って病院に行くのが怖い。
毎晩の反省会は相変わらず。私自身の言動が変わっていないのだから当たり前だ。
当たり前のことだが、病院は病気を治す場所であって、人生のお悩みなんでも相談所ではない。一年半前の私は、仕事が辛くて職場に行くこともままならなかった。お陰様で今は職場に行くことはできるようになったが、仕事の辛さの裏側にある人生の辛さは一ミリも変わっていない。
病院に行くのは最後の手段のつもりだったので、これがうまく行かなかったらどうしようか考えていなかった。生きるのがひたすら苦痛なので明日が来るのが怖い。
ドカタ以外は全員不登校だと思ってるの?やばすぎ
これは勉強ができる、スポーツができる、美少年、家柄、関係ないような気がする。
もっと複雑な因子が絡み合って発生しているような気がする。
私のクラスにも一人授業中にゲロをした男子がいて、クラス中が騒然となったが、その子が翌朝学校に来てもいじめられることはなかった。
その子が性格がいい子で優しく、お父さんがPTA役員をしていることも関わっているのかもしれないが、それよりももっと何か違う要因があるような気がするのだ。
もしそこで「ゲロ田ゲロ男」とか「ゲロゲロゲロッピ」とか言って馬鹿にしようとする輩が1人か2人いて、その輩に積極的に服従するような空気が起きたら、その子は瞬く間にいじめの標的になった気がする。
「偶然にも」その子がいじめられキャラではなく、「偶然にも」馬鹿にする奴がいなく、「偶然にも」それに同調する群衆の空気も発生しなかった。
「増田くんお風呂入ってる~~~臭いからキレイにしてあげるね~~~(バケツの水バシャー」
みたいなのが小中学校の教室で繰り広げられることがあったじゃないですか?
まあ、あの頃「コレ」をやられて傷ついた側だった僕たちは、今度はインターネットで「コレ」をやる側に回ってたりするわけですが。
鳥トマト先生の作風って究極的には「コレ」だと思うんですよね。
特定の何かを平気な顔して嘲笑い、自分たちの短絡的な笑いの種にして弄ぶ。
ただこれが純粋に悪意と嘲笑だけだと流石に自分の中の「良心回路」みたいのがピリピリ痛むわけで。
だからそこにちょっと正義感みたいのを加えることで大義名分の力でイジメ行為の臭みを取ろうとするわけです。
一時期やたら流行ったら韓国人への攻撃だったり、「フェミニストを名乗る人たち」がなんでも性加害扱いするのだったり。
鳥トマト先生はその路線を極めることで現代日本において一定数の太い読者を獲得するに至っています。
特定の「disっても許されそうななにか」を見定め、それを面白おかしく嘲笑することで楽しい時間を生み出す。
イジメっ子の時間の潰し方を漫画の中でやってみせるわけですね。
別にそれが悪いとは思いません。
だって僕らはさんざんインターネットでそれをやってきたし、そういうコンテンツはインターネットの外に置いても大好きです。
政治家をもしたキャラクターが悪し様に描かれる展開を見て楽しくキャッキャッして過ごしてきたわけですからね今日までもこれからも。
テコンダー朴みたいな露骨に特定の集団をコケにしているような漫画でやっぱり楽しくなっちゃうんですから。
でもね、そういう作品から逆流して「でも増田って本当に臭すぎるからさ、マジで不登校にしたほうが学校のためなんじゃないかな……」みたいなヒートアップの仕方をするのだけはやめてほしいんですよ。
イジメコンテンツのために振り上げた正義感を暴走させて、現実のものとして正義のもとにアレコレパンチするのを始めるのは危険すぎる。
鳥トマト先生の良くない所は、「これはあくまで漫画の中で作られたサンドバックですよ。現実の人たちを同じようにサンドバッグにしちゃダメ🙅」ってちゃんと言わない所。
それをやらずに毎回そのまま「今回のサンドバッグも気持ちよかったね~~~こういう奴ら皆嫌いでしょ~~~???イエーーーーーーイ!!!!」で終わらせちゃう所。
だから毎回コメント欄とかで「でもマジで田舎の因習、都会の軽薄さ、日本の悪しき風潮みたいのって滅びるべきだよね。ウンウン」みたいにマジメに語ろうとしちゃう人たちが出て変な流れになる。
そこまでする話じゃないでしょ。
「増田くんは臭いからキレイにしてあげようぜ~~~」は単なる『イジメとして楽しむための大義名分』であって、『真剣に取り組むべき僕らの課題』じゃないんだよ。