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2020-05-29

工藤忍は「りんごアイドル」ですか?

たとえばタイトルの通りの問いかけをされたとしたら、工藤忍Pならきっと大多数が

「そうだよ!!!

と答えるだろう。

彼女は今流行りのりんごアイドルが当時するよりずっと前からりんごアイドル」だったと。

モバマスエピソードはもとより、デレステでもハッピーマジシャンなどで十二分にアピールされている。

そして元祖りんご農家出身アイドルかもしれない。

正真正銘の「りんごアイドルである、と。

では、他のPもその通りなのだろうか。

デレマス界隈には「りんごアイドル」が"2人"いると、そう広く認知されているだろうか。

その答えは、もしかして『NO』かもしれない。

そう思わされてしまったのは、ニコニコ大百科での工藤掲示板でのことだ。

当該掲示板は荒れに荒れ、ついには書き込み課金限定となってしまった。

それでも工藤忍Pを、ついには忍自身批評する声が書きこまれるということには、どうしても来年以降の総選挙での明るい展望を見出すことはできない。

そんな流れの中で一番気になることといえば、工藤忍の「りんごアイドル」への否定である

否定やその比較に使われているのは、新アイドルの子だ。

彼女は「りんごアイドル」として全てにおいて大成功をおさめてしまったばかりに、同じくそれだと主張する工藤忍への叩き棒として利用されてしまっている。

とはいえ敵対する主張のすべてが的外れではなく、むしろ一部工藤忍Pの言動への非難には正論もあった(とはいえ過剰な人も見受けられるが)。

そしてこの流れの中で、明確に悟ったひとつの大きなズレがあった。

りんごアイドル」の認識のズレである

まず相手の想定する「りんごアイドル」とは、新アイドルの子1人のみである

の子はとにかくすべてが特定産地のりんごでできていた。

生産量は青森には到底及ばないマイナーではあるが、だからこその強みが動画ブームにより掘り出され、遂には工藤忍にはない"声"を得た。

そしてそれを持ち上げている側は、工藤忍を「りんごアイドル」ではないという。

初の「りんごアイドル」は今流行の子である

モバマスでもデレステでも極一部でしかりんごが絡まない。

実家りんご農家というのは工藤忍Pの憶測であり公式設定ではない。

どう考えても「りんごアイドル」ではない。

それが反工藤忍P達の答えだ。

私は工藤忍は「りんごアイドル」だと思っているし、こういった声は多数派ではないだろうと考えている。

そう考えているのだが、最近どうしてもその考えに自信を持てなくなってしまった。

Twitter工藤忍を「りんごアイドル」と言っているのも、実家りんご農家だと言っているのも、思い返せば工藤忍Pやその周辺ばかりだった。

そして今入ってきている動画ブーム経由のP達にとっての工藤忍の認知度も怪しい。

彼らの「りんごアイドル」とは新アイドルのあの子であり、しか工藤忍がその流れに絡んでいたのは初期になるので、もしかして彼らは工藤忍のことを忘れている(もしくは忍が出てこなくなってから動画にハマった)可能性はあるかもしれない。

まり工藤忍は、大多数にとっては「りんごアイドル」ではない可能性がある。

今は(まとめブログの影響とはいえ)工藤忍P全体にあらぬ目が向けられている最中であり、そんな中で工藤忍を「りんごアイドル」扱いをしてしまったら、それだけで白い目で見られるかもしれない。

実際、実家りんご農家扱いすることには一部反発が見られるし、確かに実家りんご農家とする根拠には公式は薄いのは確かだ。

それでも私は工藤忍を「りんごアイドル」とは思っているが、今後そうではないという見方が主流になることも想定しなければならない。

から私はこれからは、工藤忍を「りんごアイドル」と人前で言い切る前に、相手がそう思っているのか?というスタンスを見極めてから言おうと思う。

思ったことを言って敵を増やすのではなく、味方を見極めてコミュニケーションを取らねば、この界隈は厳しいだろうから

とはいえ、どこでも言及することを避けるだけであって、工藤忍がりんごアイドルだと考えるのは辞めないが。

2020-05-27

テラスハウス潜入して後で色々エビデンスとともに暴露するYouTuberとか現れないかな。

カメラ付きメガネとか目立たない録音デバイスとか装着した男女ペアを送り込んで後でどれだけ編集されたか暴露したり、

参加者たちのメンターとして振る舞って暴発が起きないようにコントロールしたり。

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なんだかんだで続けるんじゃねという展望です。所詮テレビだし。

2020-05-22

親って孫ができたら嬉しいんだな。

最近、兄に子供が生まれた。兄曰く、俺と妹を見ていて、「そこまで結婚したくはないけど、お前らが結婚する展望がなさすぎて俺しかおらんやんと思ってした」とのこと。

すげえ責任感だなと思っていたのも束の間、結婚後すぐに兄嫁が妊娠されて出産家族初のグループラインもでき、そこに兄から赤ん坊写真動画が送られるようになってきた。

で、母親父親のめちゃくちゃ嬉しそうな反応を見てると、口には決して出してなかったけどやっぱり孫が欲しかったんだろうなと。

結婚しろとか圧をかけてくる親じゃなかった分、「なんかすまん……そして兄ちゃんありがとう……」という気持ちになった。

2020-05-20

COVID-19対策の長期的展望が一切見えてこない

雑な緊急事態制限でいろんなストレスが増大して、そのストレス対策も碌にしてないせいで

緊急事態宣言解除でため込んだストレスが一気に弾けつつある昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

治療法はもちろん検査手法確立ももうしばらく時間がかかりそうな感じだけど、

最近ニュースなんか見てると「もうしばらく我慢すればコロナ前に戻れる」みたいな空気を感じるんだよね。

いくら緊急事態宣言解除したとはいえ油断は禁物」と正論をぶち上げても、

自粛でたまったストレス雲散霧消するわけではないし、一般消費者10万、

事業者は最大200万ぽっちの小銭を1回貰ったところで凌げる時間なんか大してない。

感染者数という分かりやす数字一喜一憂したところでウィルスの根絶なんか当分無理で

手間の少ない検査手法もしくは治療薬が広く医療機関提供されるまではそれらがない前提で

対策を行うための準備を進める必要があるわけだけど、それらの準備って今どうなってるの?

マスク2枚配布」なんて馬鹿げた思い付き施策の尻拭いに人、金、時間コストをかけてる場合じゃ無いんだから

下らないメンツなんか放り投げて中止しろよ。これまでに払ったコストよりこれからかかるコスト無駄だよ。

学校9月入学議論過去にじっくり時間をかけて検討した上で取り下げたのに、また同じ話するの?

前回却下された理由解決したの?

ちょっと前まで全国規模で盛り上がってた「インバウンド需要」は壊滅的なんだけど

そのために様々なコストかけて準備してた人はどうするの?「運が悪かったな」で終わらせるの?

こういった事やらなきゃいけないときに「今年の1月ゴリ押ししようとした検察人事の正当化のための法案」の審議は必要だったの?

野党要求である「定年延長だけ分離して通せ」を拒否して全部取り下げしてまた余計な時間を後で浪費する必要性はあるの?

近視眼的な舵取りしかできない軽い神輿はいつまで担がれてるの?

自民党内の担ぎ手はほとんど誰も表立って文句言わないけど、自分たち神輿を自信を持って担いでるの?

もしそうだったら軽蔑するよ。

病的な嘘つきがクソなのは否定しようのない事実だけど、そのクソをのさばらせているのは誰なの?

COVID-19より先に対処すべき「責任逃れ」という病はどうすれば治療できるの?

2020-05-12

anond:20200512021208

ネトウヨだけど、安倍内閣の特徴は、反対派が言うような巨悪や無能ではなく、調整型で組織防衛型という点にあると思う。

これまで自民以外も含めて、政策関係ない些細なことやわきの甘い点を攻撃されて失墜していった反省から、決定的なボロを出さないことに注力した究極形態みえる。

これまで安倍首相は数々の批判さらされてきたが、いまだに収賄をはじめ一発退場の違法行為実行犯としての証拠は挙げられていない。

セクハラ女性問題特に表に出てはいない。

揚げ足をとられないように、発言抽象的になり、文書などの証拠も極力出さないようになる。

それが公正さ、誠実さに欠けていると批判されても、明確な違法行為実行犯とはならない範囲を見極めているのが巧妙。

そういう点では(そうは見えないかもしれないが)歴代内閣もっとも守りの堅い、将棋で言う穴熊のような盤石の防御態勢を作った。

状況によって組織防衛の「組織」が日本だったり内閣だったり自民だったりするが、守りに関することは動きが早くて、それ以外は調整型なので遅く、大胆な改革はしない。

組織に対して献身的であり、個人的私利私欲は意外なほど見せていないので自民党内部から刺されることもない。

首相の座に居続けることで得られる利益というのはあるだろうが、もっと直接的な欲はほぼ見せない。

調整型であることで、自民党内部や官僚多種多様産業界のどこか(農業とか製造業とか)が割を食ってその業界ぐるみで反発されることもない。

調整型・組織防衛であることのメリット政権を長く保つことができて、長期計画政策がおこなえるということ。

熟練したメンバー阿吽の呼吸で動けるようになること。

(現状できていなかったとしても、その下地ができているということ)

短期間で任務が変わる場合一般公務員などでよくあるが、1年くらいで成果が出る目先の改革に注力してしまい、

どんなに優秀な人でも長期的展望がないいきあたりばったりのことをやってしまう。

デメリットはもちろん癒着、腐敗、見えないところでルール違反をしやすいところ。

政権場合防衛的にわきを固めているので、不祥事も他の政権と同等かそれ以下であり、ことさらにそこを攻めても崩れない。

最後安倍首相の倒し方について。

今のような巨悪や無能論点とした正攻法や、揚げ足とり、違法行為に対する間接的関与で安倍首相個人を叩いても、さほどダメージは与えられないと思う。

とはいえ現状はすでに安倍首相個人一般大衆のヘイトを買いすぎているので、次の選挙自民が大ダメージを受けるのは確実ではある。

安倍首相自民を分断させ、自民党員に安倍支持を表明することがデメリットと感じさせるようになったら組織防衛が崩れていくだろう。

それに向けて内部に反安倍派を増やすような工作を今からしておくのも有効だと思う。

調整型を攻めるなら、他の先進国のような大胆でスピード感のある情報改革を進める方が国のためになる、という政策論議がいいかもしれない。

うつ防止

最近鬱々としている。

独身一人暮らし。会話する人もいない。外出自粛が続いているせいなのか、知らんが。

何やっても手詰まりというか。もう何も展望もないという気分になる。

たまに食料品を買いに外に出ると、目に入る人、近所の人が気に食わない。心の中でバカにし始める。ああダメだ、こんなことはやめよう。と一旦やめるが、次目に入る人にすぐまたケチをつける。

もともと人と話すのが苦手だった。人と話さなくなった今の生活は、だいぶ楽になっている。楽すぎて、コロナ収束するのが怖い。また、たくさんの人間と会って話さなくてはいけないのが怖い。

一度離れると、二度と戻りたくないな、職場

今の生活は続かないけれども、これ以上続くと、鬱病まっしぐらだ。どっちも地獄、、、

2020-05-08

就職氷河期

一浪での2010年卒。バブル崩壊後の第一世代に比べたらマシだと思うけれど、前年の友人の話が嘘みたいに通用しなくて苦労した。

いわゆる関関同立に通っていて、前年までは大手企業複数内定が当たり前の風潮だった。

産近甲龍の友人たちも同様に大手メーカー第一地銀内定を続々と決めていたので、就活とはそんなもんなんだろうなーと思ってた。

リーマンショック後、そんな安易展望はおおいに打ち砕かれた。採用枠が前年比半減ぐらいならまだ良い方で、6-7割減なんてところも多かった記憶がある。

なんとか地場大手メーカー内定を得たものの、それが唯一の内定で、後は惨憺たる結果だった。同期は何でこの学歴でこの会社なの?と思うようなやつも多かったので、岡村さんの理屈ある意味では正しいのかとしれない。

10年経って今更悔やむとかはないけれど、生まれた年(自分場合浪人のせいだけど)でこうも環境が変わるのは実に不公平なことと思う。

2021年卒の就活生の悲痛な叫びを多く目にしたので、何となく当時を思い出して書きたくなった。

2020-05-03

anond:20200503172003

壊れた後の展望もなしに

壊れろとか言うのはちょっと頭が悪いのかなって

2020-05-01

今の20代~30代は、老いても「近頃の若いものは」なんて言わないと思う

未来展望なんて抱いてない、燃え尽きるほど頑張る気もない、上の世代名無しのオーディエンス共にやれゆとりダメだと嘲笑され続けた

お金地位等の頑張りは上の世代に奪われ、就職も上手くできない中なんとかブラック非正規で生きてるのがたくさん

から「諦めてる」、きっと老いる前に死ぬ自殺するか、老いたとて「まあ、頑張ってね、君等が支えだよ」と他人事のように応援するだけ

そして、後の世代に「近頃の老害は気力もない、俺達が小さい頃の年寄りもっとネルギッシュだった」と揶揄される

矢部発言独身差別非モテ差別でないなら何だと?

実際に聞いてみて驚いたわ

そもそも根っこの部分で人間として致命的におかし

男尊女卑と思われても仕方ない 最低や

49歳で独身恋愛経験全然いからこんなことになる

マタニティマークあんなもん要るか?見たらわかるやろといったときドン引きした 

妊娠お腹かいと思ってるからそういう発言になる 

妊娠数ヶ月の女性のことが全くわかってないし想像もできてない

 

 

岡村個人への説教からはみ出してるじゃん。

49歳で独身恋愛経験もないから人としておかしい、人の心が分からない、男尊女卑想像力がない、最低

こうはっきり言っている。

 

 

49歳以上で独身恋愛経験ない人全体へのdisであり差別だとしか言いようがないでしょこんなん。

その歳まで独身恋愛経験ないってだけで、人として最低な異常者であることと結び付けられちゃってるじゃん。

恋愛経験なくても真面目に働いて一人で一生懸命生きてるおっさんおばさんの立場はどうなるの?

口が滑ったとか言うならそれでもいいけど最低限この部分についての詫びと撤回必要なんじゃないの?

 

 

それをもし「知らんわ繊細チンピラが!」とかって言うなら岡村に何の説教してたんだよってなるし。

追記

quetz これはトロッコ問題で全員のリスナーを救える訳ではない。緊急の事態矢部氏は大多数を救う線路を選んだ。現実は全員が幸せにはなれない、が全員が不幸になる必要もない。増田幸せになる選択をすることを願う。

いやいやいや。

岡村問題点を「49歳で独身恋愛経験全然いから」にしなければよかっただけだよね?

岡村生活態度がああ悪いこう悪いって話で終始すればよかっただけ。

岡村を諭すうえで全然必要がないところを殴りに行っちゃってますよね?

トロッコ問題でも何でもないじゃん。

高齢独身者を差別しないと岡村を注意できなかったの?そんなこと全くないよね。

  

bronson69 なぜ炎上発言をしたのか→普段からどうかと思う振舞いがあった→他人真剣に向き合うのを避けてきたからでは→環境を変えろ、結婚してはどうだ、自分結婚して女性を見る目が変わった。 この流れのどこに差別が?2020/05/01

なんで人が取り上げてることを一切スルーして別の個所取り上げつつ「どこに差別が?」とか言ってんの?

岡村個人に紐づくことで説教してる箇所についてはなんも言ってないじゃん。

「49歳で独身恋愛経験全然いからこんなことになる」という発言独身者や非モテへの差別ではないか?と言ってる。

相手の言い分まるまる迂回しないと擁護できないってのはつまりそういうことだと思うよ。

 

kincity 「恋愛経験が一切ない」というより「恋愛経験はないのにお金では買いまくってる」そのアンバランスさだろうなぁ…別に独身とかアセクシャル相手属性依らず他人に敬意を払える人は沢山いるわけで。

これはこの人の岡村評として書いてるなら賛成でも反対でもないけど(岡村に興味ないので)、

矢部発言擁護できるものではないよね。

矢部発言と違う内容だし。

擁護のつもりで書いたんじゃないなら失礼)

 

 

kuzumimizuku 岡村が今回のように色々こじらせたのは「49歳で独身恋愛経験全然ない」のが一因と断言してはいるけど「49歳で独身恋愛経験全然ない」人がみんなこじらせるわけではないことは矢部もわかってると思うけどな。

あんたが矢部という人間に謎の信頼を寄せてるのはわかったけどそれはあなた個人の容赦であって

そんな風に庇っていいなら岡村発言だってかわいい子が風俗に流れてくるのが楽しみとは言ってるけど弱者を踏みつける意図岡村だってないと思うけどな。」とか庇えますよね。

岡村を容赦しないように矢部にも謝罪撤回は求めていいと思うけどな。

 

つーかさ、個人的な感情や信頼感でジャッジをふらふらさせずに一貫性を持とうよ。 

そういう一貫性の無さが示すのって、あんたの中で「差別して虐げてもいい奴、ダメな奴」が存在してるってことだったりするよ。

 

 

ko2inte8cuko2inte8cu 「差別」ではなく「偏見」です。んで、「この偏見はなぜ悪か?論証せよ」という問題になる。「恋愛至上主義は悪である。なぜなら恋愛至上主義だからである」ではなく。

え、なんじゃこりゃ。

ほらね、「差別何が悪い、論証せよ!」とか居直るやつまで現れたよ。

こうやって問いただすの無駄じゃなかったでしょ。

矢部のあの発言だって「いい歳で結婚してない奴、恋愛してない奴は異常者になる」っていう見下しが日頃からあっての漏れ出しだよね。

 

 RRD 増田独身非モテ理由がよく分かりました。

お前は腎臓腐ってるから濾し取れなかった糞尿の毒が身体中回って脳まで来てるせいで糞みたいなコメントしか書けないんだよな。

将来に明るい展望もないから世をすね人を憎んで残り少ない余命を糞撒き散らすことに使ってるわけだ。

憐れみをもって許してやるよ。

 

 

font-da そういえば、昔読んだ非モテ論壇の誰かの話で結婚しても非モテ非モテマインドのままだという話があったのを思い出す。実際にモテるかどうかではないという意味で、今回の岡村さんの話はまさしく非モテ問題なのかも

非モテを「モテない人」と捉えて「岡村さんはモテてた!」と反論する人の多さに何とも言えない気持ちになったが

まあそこはイニシエのバズワード使ったこっちが悪かったわ。

と思ったけど

takashiz 岡村結婚できないって言ってるけど、本当は岡村成功者で恵まれ立場結婚しようと思えばできるのに他人と向き合わないからできないんだ、という話で、非モテに対する一般論ではないよ。radiko聴けって。

こういう言葉意味すら把握してないのに自信満々で「聴けって」とか言ってくる頓珍漢くんはやっぱキツいわ。

 

 

tora_17 元々女を男の所有物とする男尊女卑規範があり、そこに「非モテ男性のつらさ」カードが加わると女性憎悪性的搾取を露見させても「持たざる者の悲痛な叫び」に変換され全ての反論が「弱者差別」に曲げられてしまう。

いやいやいや

岡村女性憎悪非難するななんて一言も言ってないやん

それを岡村属性に絡めて無関係高齢独身者を巻き込むなと言ってるだけだろ

在日コリアンのキム某が凶悪連続犯罪おかしたとして、キム某本人を非難しようが処刑しようがそれは構わんけど

「アイデンティ不安定在日からそうなる」とか言って許されるのか?

単純な話を理解しような

誰が女性憎悪擁護正当化しとんの

 

 

nyankosenpainyankosenpai おまえに言ってねーよ、のぼせるな

そもそも俺は高齢独身者じゃねーよカス

差別を見かけたので「いけませんねこれは」と言うてるだけ

そんなこと一言も書いてねえのにこっちが高齢独身者だと決めつけてるコメントはこいつ以外にも多数だけど

お前らの読解力というか注意力は本当にやべえよな

それで仕事とか出来てるの?って心配になる

 

 

ikd9684 何でもかんでも自分に向いてる攻撃だと捉えるのは良くない。

kenjoukenjou 文脈を読めずにあらゆる言葉自分に向かってきていると受け取っちゃう人って、自他を切り分ける思考訓練みたいのができてないのかな。生きづらそう。

こいつらも同類

「それ差別やん」言われて「お前に言ってない」と居直っていいなら

そもそも岡村の下衆な発言だって同じ居直りしていいことになっちゃうが?

 

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2020/05/03/120301

 ただし、それを踏まえた上で、「非モテ男性差別発言」にどうアプローチすればよいのかは見えてこない。岡村さんが恋愛結婚に対する強迫観念を持つがゆえに、女性に対して敵対心を持ち、実態がわからないまま恐れたり憎んだりしているとして、そこから解放されるにはどうすれば良いのだろうか。もちろん、非モテであっても自ら恋愛結婚をしないという決断によって解放され、性差別にいたらない人もいるだろう。だが、今回は岡村さんがそうでなかったか問題になっている。ここは非モテ問題議論を追っていた私がいまだにわからないところだ。

何がわからないんですか。

恋愛経験なしだろうが非モテだろうが差別しないことはできるでしょう。

たとえば韓国人の友人知人がいなくたって、韓国人個人的に未知の存在であったって、

韓国社会への疑問や異議は持っても、韓国人悪魔化して差別しない」

「国と国との対立は努めて客観的資料を集めて論理的判断をする」ということぐらいは出来るでしょう。

   

岡村女性に関してどのような体験を持ってるかはしらない。

しかしそれを女性全般への憎悪にまで膨らませてるとすればそれはただの岡村妄想です。

妄想をやめなさいというだけでしょう。

 

非モテというのは仰るような社会的空気圧力を論じる言葉でした。

そこで苦労した人達実在すると思います

しかしそれは個人として自分人格人生を歪ませることの言い訳にはなりません。

 

いまは、あのときほど大変ではない、と思いつつも、いつでも「かわいそうさん」であった自分に引き戻される。

人間の心の動きであるのだから、それ自体否定する必要はないのだろうが、

それは「自分にそういう心の動きがあるな」とその瞬間瞬間に気付くことが大事ですよね。

あ、くだらない動きをしてるなあと常に気付いていれば、それを感情的にパニッシュするように否定せずとも消えていくものだと思います

2020-04-28

岡村攻撃したのって「女性」じゃなく「貧困者」だよね

たとえば若手芸人が「岡村さんたくさんレギュラー持ってて羨ましい。岡村さんがまた鬱病になって休業してくれたら良い仕事の枠があいて俺らが活躍できるのに」と言ったら、鬱病の人が傷つくと思う。

それを「岡村さんがまた鬱病になって休業したら良い仕事の枠があくのは事実だろ」って反論するのは違うんじゃないの?そういう話じゃない。

事実だとしても品性ってものがあるだろ、岡村さんの不幸によって若手芸人利益を得る仕組みになっていたとしても品が無さ過ぎるから言うなよって話。

鬱病貧困もイジれるようなもんじゃいからイジるなって話。

 

今回の岡村発言は、コロナ不況貧困になる人が増えたら、その一時的貧困が原因で望まない仕事に就く人が増えて、それが楽しみって言っているわけだから

コロナ失業コロナシフト減らされてる、そして貯金がなくて将来の展望が見えなくなっている「貧困男女」を攻撃したよね。

それに風俗で働くことを望まない素人女性生活苦から一時的風俗で働かざるをえなくなることが楽しみと言っているんだから

ずっと風俗で働いているベテラン風俗嬢よりも素人が来ることが楽しみと言っているんだから風俗嬢のプロフェッショナルとしての側面を尊重してるとも言えない。

ベテラン専門職より、無知新卒若い飛込営業マンが大量に欲しい、歳食ったら辞めて欲しいって言ってる経営者みたいなもんだよ。

面白くなかったとしても、コロナ収束したら絶対おもしろいことあるんですよ。

なかなかね、苦しい状態がずっと続きますからコロナ開けたらなかなかの可愛い人が、

短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります

これなぜかと言えば、短時間お金をやっぱり稼がないと苦しいですから

そうなった時に今までのお仕事よりかは、ちょっとこれ僕3カ月だと思っています

苦しい3ヶ月の間、集中的にそれなりに可愛い子がパッと働きます

で、パっとやめます。それなりの生活に戻ったら。

これは本当に貧困者に対する、金持ち芸能人から見た侮蔑搾取しかないでしょう。

2020-04-24

延命治療どうでしょう

父親入院するにあたり、そういったことを聞かれた、とさっき母親から電話があった。

父親は進行性の難病で、今後も治ることはない。たしか今年で70歳だったと思う。

まだ比較若い方ではあるが、病気病気なので、万一のときどうしますかと確認されたらしい。

家族相談されますかと言われたが、母親はその場でNoと返してしまったという。

でも、その答えに自信はなかったようで、貴方確認しないで答えてしまったけど、と

遠慮がちに連絡してきたのが先刻のこと。

その場では、介護をしているのは母親なので、自分はそれに異論はないと答えた。

しかし、自分の正直な感想を言えば

延命してる間に貰える年金治療費差し引きしてプラスなら治療してほしいし、

マイナスなら治療はいらん」だ。薄情すぎると思って言えなかったが。

実際のところ金がなければ人間生きていけないので、

決め手なんて本人の意思も何も、トータルコスト想定して

はじき出された金以外にあるのか?と常々思っているのだが、

母親としてはやはり父親に聞けないまま決めてしまったというのに気後れしているみたいだった。

ちなみに父親は昔、何が何でも生き延びたいみたいな事を言っていた気がする。

いやそう思うなら毎週末子どもが熱出しても御構い無しに朝から晩までパチ屋に入り浸らずに

その金ためとけばよかったのでは?と思うが、

自分と同じく長期的な展望を持てなかった父親にそれを求めるのも酷な話だ。

自分場合は金でしかそういうことが考えられないんだが、

他の人はそういうのってどうやって決めたのだろうかとちょっと思ったので、

こうして書いてみた。やっぱ本人に生きて欲しいかどうかなんすかね。

自分は正直どっちでもいいかなと思ってるから上記結論なとこもあります

2020-04-14

anond:20200414073213

上野

狭いのに広い。貴重なハシビロコウさんが居る。モノレール....

東山

植物園遊園地展望タワーまであって死ぬほど広い。全部まわると足が死ぬ

コアラが居るけど動かない。メダカ専門の水族館もある。

旭山

広くはないけど展示が面白い。見せ方がうまいペンギン散歩がよくオススメされるけど、アザラシが筒を通り抜けるやつが好き。

2020-04-07

anond:20200407142139

スカイツリー展望台って地表にいる時と比べて自転による移動速度が速いよね

それは影響ないのかな

スカイツリー展望台に行くと早く歳をとる問題

飛行機自動車で高速で移動すると時間の流れが遅くなって、その分で相殺できるから心配ないと思う。

スカイツリー展望台で働いています

時間の進み方がおかしいと思ってましたが、その理由がやっとわかりました

2020-04-05

anond:20200405124639

1万円なら とりあえず 配って だめなときに 責任の取り方考えろ

 ↓

責任取りたくないから1万円のために大会議(1兆)

 ↓

その金額で、進退間違えるやつをおくってきた地域はどこの都道府県だ?

 ↓

多少のトラブルしょうがない、やって、結果報告、次回どうするのか展望を報告 

当然小さな事故は山積みだろうが

事故が大きくなりすぎないようにするのは選ばれた人間経験 そういうやつを選挙で選んでくれ

事故が起きても責任取らなくてもいいですよねっていう下ネゴのために打ち合わせしてるんじゃないか?とおもわれると逆に信用毀損で進退が危ない

 

この規模なら事故が起きないわけがない。きちんと想定内に封じ込められるかどうかだけ 政治家としてのうでのみせどころだから、がんばってんだろうな

2020-03-31

「残忍な4月」大企業・中小企業を問わず、景気見通し最悪=韓国

企業がこの10年間で最も暗い4月になるという見通しを発表した。世界中を襲った新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、大企業中小企業を問わず、輸出と内需が類例なく急速に悪化しているためだ。

30日、韓国経済研究院(韓経研)が発表した売上上位企業600社の4月の景況判断指数(BSI、Business Survey Index)展望値は59.3で、世界金融危機当時の2009年1月(52)以来、11年3カ月間で最も低かった。BSIが基準値となる100より高ければ景気を肯定的にみる企業の数が否定的に見る企業の数より多いということを意味する。100より低い場合は、逆に売上規模が大きい大企業が4月の景気を非常に悲観的に見ているということだ。

特に新型コロナウイルス感染症による見通しは歴代経済危機よりも非常に急激に悪化した。一例として過去金融危機当時のBSIは5カ月かけて46.3ポイント下落したが、今回はわずか2カ月で32.7ポイント下落した。それだけ企業が感じる危機感が大きいという解釈ができる。業種別には自動車などその他輸送機器(44.2)、出版・記録物制作(46.2)などが特に暗い見通しを出した。

中小企業中央会が中小企業3150社を対象調査した業況・景気展望指数(SBHI、Small Business Health Index)も同様の結果を示した。4月の展望指数は60.6で、2014年2月に産業全体を対象統計収集して以来、過去最低値を記録した。SBHIもBSIと同じく、100以上なら景気が好転、100未満の場合悪化意味する。

製造業の見通しは71.6で、金融危機の2009年3月(70.5)以来最も低かった。実際、中小製造業の平均稼働率は69.6%で世界的な金融危機があった2009年8月(69.1%)以来の低水準まで下落している。2014年2月から調査を開始した非製造業も55と歴代最低値を記録した。業種別ではサービス業や繊維業、印刷記録媒体複製業、建設業などの前月比下げ幅が特に大きかった。

中小企業は3月現在の主要な隘路要因として内需不振(75%)、人件費の上昇(43.6%)、企業間の過当競争(35.8%)、資金調達困難(20.1%)などを挙げた。

チュ・グァンホ韓経研経済政策室長は「今回の経済危機感染症という非経済的な原因で発生したもので、いつ終わるか時期が不確実で国内危機世界危機が重なった複合危機という点から今後の体感景気がどれほど下がるか予想が難しい」と述べた。続けて「企業は業績の悪化に続いて資金市場の萎縮による信用収縮を経験し、生存の岐路に立っている」とし「最悪のシナリオに備えて十分な流動性供給被害業種への積極的支援対策が急がれる」と述べた。

あの国は順調に日本を追い抜こうとしてるね。

2020-03-27

anond:20200327143501

ちょっと分かる。衝動のような、もう死ぬしかないような気持ちときは、ただの症状だから感情や考えではないと去るのを待つこともできた。しっとりした憂鬱は、採れる対策は打った上で明るい展望が見えなくて、熟考の末のようで逃げ道が無い。死にたいというより、生きる道が無い感じ。でもまあ実際に生きていてラッキーだったね位に死にそうだったので、余生と思ってホームレスでもなんでもやって次の桜を待ってみようか。お互いに。

2020-03-24

anond:20200324234001

将来その教育をもとに自分の望む暮らしを得る展望がないのであれば、早くその旨伝えて最低限の投資だけにとどめてもらい、むしろ老後資金をためておいてくれと頼むのがいいと思う。そうではなく、教育を受けた経験をもとにお金を稼いで暮らすイメージがあるのであればやはり感謝はしたほうがいいよ。

2020-03-11

コロナ対策には戦略が感じられない

我々も国民、更には人類の一員である以上、未知の病原菌と戦うのであれば喜んで協力しよう。

だが、いうまでもなく雄図と無謀はイコールではない。周到な準備が欠かせないが、まずこの戦いの戦略上の目的が奈辺にあるかをうかがいたいと思う。

コロナウイルス対峙し、戦った姿勢だけ見せてよしとするのか。

国内からウイルスを根絶するにしても、一時的にか恒久的にか。

もし恒久的であるなら国境を閉ざして要塞化するのか否か。

それともコロナウイルスに壊滅的打撃を与え、世界から根絶するまで戦いをやめないのか。

そもそも作戦自体今季流行シーズンを乗り切るだけなのか、今夏も含め今後数年・数十年続ける長期的なものなのか。

迂遠ながらお訊きしたいものだ。」

 

このあたりの展望WHOには存在しない気がする。

世界中で10万の罹患者を出して、封じ込めに失敗してることは明らかなわけでしょ。

何年も前のSARSMERSでさえまだクスリないのに早々特効薬ができるともおもえない。

着地点をどこにもってくるの?

ゴールを決めてあげないとパニックは収まらないよ?

2020-02-29

ある中途半端絵描きの半生

子供の頃から絵を描くことが好きだった。

兄弟は年の離れた兄が一人、近所に同年代の子供もいなかったため、幼稚園から帰宅するといつもいつも一人でお絵描き工作をしていた。

母はそんな私に絵日記帳を与えた。

それから毎日出来事を絵と文章表現することが私の日課となった。

小学校入学して友達が増えても、それはあまり変わらなかった。

この頃になると好きな漫画アニメキャラクターの模写もするようになった。

ノート漫画を描き始めるようにもなった。

増田漫画家になりたいの?」

先生友達からよく聞かれたが、私はそんなつもりは全くなかった。

だって絵を描くことは日常から、それを仕事にするなんて考えは浮かばなかった。

中学校入学する頃には興味の対象アニメ漫画から音楽に移っていたので、思春期は好きなアーティスト似顔絵や、自分気持ち表現した抽象的なイラストを書き散らしていた。

当時はまだデジタルイラストなんて普及していなかったから、水彩やコミックマーカーを使ったアナログ作業

中二病臭すぎるのでもちろん誰にも見せなかったが、やっぱり絵を描くことは私の日常だった。

肝心な絵のレベルは多分中の上くらい。

そこそこ描けるが飛び抜けて上手いわけではない。

でも私が心底楽しそうに絵を描くので、美術教師には美術科のある高校を勧められたが、私はそれを断った。

絵を描くことを自分人生武器にすることに違和感があった私は、ごくごく一般的普通科に進学した。

高校入学後も美術部には入部しなかった。選択科目でも美術ではなく音楽選択した。

なんちゃって進学校の中でも勉強は中の下、人との距離の取り方が下手で友達さえうまく作れなかった。

孤独で惨めな自分気持ちを、3年間ただただノートに絵とテキスト表現し続けた。

本当のことを話せる友達なんか一人もいなかったけど、毎日自分気持ちをそうやって吐き出すことで何とか高校生活を耐え抜いた。

身分不相応な大学しか受験しなかったせいで、私は浪人生になった。

からは「偏差値ではなく、本当に好きなことができる場所に行きなさい。絵が好きなんだったらデザインCGが学べる学校検討したらどうだ?」と言われたが、反抗期だったこともあり、私はその意見無視した。

この頃時間をかけた絵は描かなくなっていたが、絵日記のような落書きのような本音吐露は密かに続けていた。

一年遅れで大学生になった。

プライドだけは無駄に高かったので、学部無視して合格した中で一番偏差値の高い大学に進学した。(それでも大した大学ではないが)

そこで人生初めての恋人ができた。

勉強アルバイト、そして友達恋人との時間ネガティブ孤独だった自分をすっかり忘れ、夢みたいに楽しい大学生活を過ごした。

この頃、絵はほとんど描かなくなっていた。

卒業間近の大学四年生2月、4年付き合った恋人に「もっと遊びたい、他の人と付き合ってみたい」と別れを告げられた。

自分の周りに靄がかかっているような、世界から一人だけ放り出されたような、そんな気持ちになった。眠ることも食べることもできず、何度も死のうと考えた。

内定を貰っていた企業には結局一度も出社できなかった。

生きている自覚もなく、ただ毎日が過ぎていくのを眺めていたある日、ふと絵を描きたいと思った。

久々だったので道具なんか何もなくて、そのあたりに落ちていたコピー用紙の裏に描いた。

そのまま色を塗りたいと思ったけど何もないので、父のスキャナを使って自分ノートパソコンに取り込んだ。

色を塗るツールなんてペインしか知らなかったので、そのままペイントを使ってマウスでひたすら色を塗り続けた。

ものすごい時間がかかったけれど、描いている間は辛いことも悲しいことも全部忘れられた。

もっともっとたくさん絵を描きたい、パソコンを使って色を着けたい、そう思って色々ネット検索して、Photoshopを知った。こんなことができるツールがあるのか、使ってみたい、そういったポジティブ気持ちがふつふつと湧いてきた。

一生に一度の新卒カードを無くし、失恋のショックで無職なんて情けなくて全然笑えないし、この先の展望なんて何もない。もちろん就活で志していた業種とは全く違うのだが、このツールを使って仕事がしてみたい、そう思った。

求人サイト必死Photoshopを扱える仕事を探し、身なりを整えて面接に行き、内定をもらった。

ただし全然別の職種であるレタッチトリミングアルバイトに応募をしたが、そちらはすでに別の人の採用が決まっていた。

Photoshopが使えないのは残念だったが、会社雰囲気業界担当者の人柄に惹かれ、同じ会社の別職種として勤務することになった。

失恋から5ヶ月、季節は夏になっていた。

初めての給料ではWacomペンタブレットを買った。

セットになっていたPhotoshop(Elements)と初めてのご対面。とても感動したのを覚えている。

その後デジタルイラストについて色々勉強し、SAIなど他のツールとも組み合わせてたくさん絵を描いた。

イラストサイトにアップすることはあったけれど、私にとって絵を描くことは相変わらず自分だけの秘めた行為だった。

この会社には3年ちょっと勤めて正社員にもしてもらったが、Photoshopを覚えたことでWeb制作に興味を持つようになり、通信教育コーディングWebデザインを学び、転職をしてWebデザイナーになった。

その後も何度か転職を繰り返し、いわゆるブラック企業で危うく死にかけたりもしたが、今は生きていくのに十分な賃金を頂き、Webディレクターとして充実した毎日を送っている。


でも昨年末結婚も考えていた恋人に別れを告げられた。私の性格が耐えられなかったそうだ。

大学卒業以来何度か失恋はしたけれど、久々にあの時と同じくらいの衝撃が襲ってきた。

眠ることも食べることもできず、何度も死のうと考えたけれど、もう大人なので仕事は休まなかった。

かなり痩せたし、薬を飲まなければ今でも眠れない。

自分の考え方や振る舞いが人に不快感を与えてないか不安でうまく会話ができなくなり、カウンセリングにも通っている。

だけど大丈夫だと思う。

この3ヶ月間仕事以外何もできなかったが、先日ふと絵が描きたくなってiPadを立ち上げた。

構図を考える。線を引く。色を塗る。それだけで辛いことも悲しいことも全部全部忘れられる。

私は人生分岐点でいつも「絵を描くこと」を選ばなかった。

だって「絵を描くこと」は私にとって救済で、それを学問仕事にして、評価されたり否定されたりしたらもう生きていけないと思ったから。

だけど「絵を描きたい」という気持ちが私をここまで連れてきてくれた。

絵が好きじゃなかったらきっと今の仕事にも出会えなかった。

から大丈夫。私はきっと立ち直れる。

2020-02-27

anond:20200227202928

若い頃なら笑ってたけど今は笑えぬ。

若い子たちにもっと未来展望が望める社会であって欲しかったけどこの先は厳しいね

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

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