はてなキーワード: 粛々ととは
元増田だけど、これの話かな。http://tarosoku.com/?p=266376
使ってる言葉が諸々正確じゃない(認可→登録査定、異議申し立て→無効審判etc.)ので、
この質問した人に説明を正しく理解できる知識があるかとか、自分に都合のいい解釈をしていないかとかは正直怪しいとは思うんだけど、
いろいろ今回の背景や流れを知った上で「悪意がある」と特許庁が認識するのはあり得る話かとは思う。
(なぜならこういった商標ゴロは昔からいるし、直近でも元弁理士が大規模な商標ゴロやり出して特許庁も手を焼いてるから。
でも繰り返すけど現段階で電凸で特許庁が自ら登録を考慮し直すことは制度上ないし(あったら自分だって日頃の業務で鬼電しまくって他社の登録商標を消したい)
業務妨害レベルだとその分心象も悪くなり得て不利だから止めるべき。
それに結局無効審判請求がされたとしても、特許庁は法に基づいて、請求人から提出された証拠で無効かどうか粛々と判断するので)
ただ、「取り消しの方向で再審査するつもり」はだいぶ本人の願望が入った聞き取りと思っていて、
『権利者からの異議申立(※正しくは無効審判請求)があれば、確約はできないが(審判の結果商標法に反すると判断されれば)取消の方向になる(と思われる)』
ぐらいの話だと思う。
(審判手続に関しては「審判官」という別部署の役職の人が権限を持つので、本来この部署の方が勝手に「取消の方向で再検討します」とは言えないはず)
先使用権→これか。柚葉自身も恐らく正しい理解をしないまま喋ってるね。
https://twitter.com/Yuzuha_YouTube/status/1526099665703227392
匿名の増田の方を信じろとは言わんので、解説してる弁護士法人のサイトを貼っておくね。
https://www.ishioroshi.com/biz/kaisetu/shouhyou/index/sensiyouken/
「その商標が自己の業務にかかる商品・役務(サービス)を表すものとして需要者の間に広く認識されていること」というのは
平たく言うと、『(ゆっくり茶番劇は)私自身が提供する商品(サービス)を表す商標として(=私自身のものとして)みんなに知られてました』という意味なので注意ね。
それを主張できる人って(自然発生したものだから、神主含めて)誰もいないと思う。
「法律で定められています」とは言うけど実際の法律は異なるので、法の裏付けもなくいつでもひっくり返せるただの口約束レベル。
収益化くらいは達成している規模のVtuberをやっていてメインコンテンツはゲーム実況。
毎日雑談配信している人もいるが、みんなどこから話題を引っ張ってるんだといつも不思議に思う。
ゲーム実況の中でもストーリー系のRPGとかをやるとき、基本は初見のゲームを選ぶ。
ただ、如何せん頭が悪いのでリアルタイムでストーリーの理解が追い付かないことが多い。
これはとてもマズい。
コメント欄がイライラしはじめると、そのイライラに対して自治をしようとする人が現れる。
この世の地獄だ。
なので、最近は初見と言いながらも攻略サイトとかを見てあらかじめ大きな流れは押さえておく。
そのうえでまるで初見みたいなリアクションをしながらゲームを進める。
「これはこういうことかな?」とさも今考えましたというように予習通りの反応をする。
にわかに「くるぞ」「あっ」「この先は…」と色めき立つコメント欄を見ていないふりをして
粛々とストーリーを進め「まさかこんなことになるなんて!」と悲壮感に充ちた演技をする。
そっか。それはよかった。
ゲーム実況なんかゲームで遊んでるだけじゃんと言われることもあるが
私にとっては本当に「お仕事」だ。
金カムについて近頃はTwitterでも批判的な意見をチラホラ見かけた。
特に目についたのが(量が多かったかはわからない。気になるものだから意識に上っただけかも)アイヌの描き方が問題だという意見だった。
問題である事実はわかったがどう問題なのかピンと来なかった。何が差別なのか。
だから調べてみた。普通に考えたら差別だろみたいな意見が多かった。普通を得られていない私の意識はきっと低くて、でも普通をどこから得るべきなのかわからない。
アイヌの人のアカウントがあった。『これだから和人は』『日本の恥』『クソ和人』そういう言葉が並んでいた。でも私はこれだからアイヌは、とは言わないのにな。
「どういうところが差別なんでしょうか。」という旨のツイートがあった。引用でボロクソいわれていた。うるせえよ わからないやつはガタガタ言うな だからバカなんだよ でもこの人はわからないから知ろうとしたんじゃないのか。わからないことは罪かもしれないけど、でもわからない時点でもう全部ダメなのか。
私はこの望んだわけでもなく能動的におかしたわけでもない、生まれたときには背中におぶさっていた途方のない罪をいつまで背負いつづけなければならないんだろうな。と思った。クソ呼ばわりされて、和人として一くくりにされて、知ろうという姿勢とか気持ちとかそういうものは無視されて、別にそれで許されるわけでもない。
「そういう態度こそがさあ…」というのもあるんだろう。そういわれてもそうですねとしか言えない。そうですね、罪なんでしょうね。そういう感情の先の、罪を償う方法は閉ざされているし、どうにもならない。
Twitterで『医療従事者、自粛』とかってキーワードで検索すると「コロナ脳の医療従事者」「今まで自粛の被害を受けた業界の赤字分を賠償するぐらいの責任は果たしてください」「自粛によって職失った方もおられるし緩和ムードの中医療従事者側が自粛って言うとムカつくのは当然なのかなと」「おい、医療従事者!お前らが自粛しろというから自粛したら、経済がむちゃくちゃだ!」「お前たち医者の仕事を守るために自粛して、俺たちは仕事を失った」みたいなお話が目に入ってきます。
たとえば、このtweetの引用リツイートとかもある種、毒を煮詰めたような内容となっております。
https://twitter.com/healthlonglife1/status/1521639779078914048?s=21&t=gwm0ebAE7s5KEXdEh47Rqg
私も医療に携わる1人ですが、院内でクラスターになると非常に面倒なのは確かなので、現場のスタッフは感染リスクを避けるための行動がそりゃあ望ましい。
だからといって医療に携わる人が「オマエら、はしゃぎやがって」「俺らは我慢しているのに」というのは何かが違う気がする。
うまく言語化はできませんが、自分は自分にコントロールできることを粛々とやるのが望ましいと私は考えています。
自分がなりたい自分になれる行動をなるべくとれるようにすることが私にとっては大切なのです。
目の前の患者さん、私の周囲のスタッフにとって、適切な行動は何か。
このお休みは家の掃除をして、ゲームをして過ごしました。Diablo2Rがサーバーに繋がらなくて残念でしたが、自分のやりたい行動がとれて、私は幸せです。
※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与。
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、関連する記述は削除した。(5/8)
何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクがバッシング対象で、ホストは共感の対象なのか?フェミニストの性質の中にその答えが眠っている。
「フェミニストの活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???」
こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか。
何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。
何故、フェミニストは、「海、似合って無いね」動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性を搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。
何故、成人指定でも無いお色気漫画のゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニングに抵抗し自由を求めてしまうフェミニストが出て来てしまうのだろうか。
フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。
フェミニストは、「〜だから、ダメ」というタイプの論理を多用する。
フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理のタイプで起きる。
一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプの論理を使用する事については慎重だ。
この論理を使用する場合、フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。
これはどういう事を意味するのか。
フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。
そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。
「一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。
次の論戦を見てみよう。
https://togetter.com/li/1873195
この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである。
小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象を問題にしており、表現を修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品そのものが広告掲載に不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生の解釈を伺っています。
「たわわ」の広告表象が問題であるのか、作品が問題であるのか、という質問である。小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。
小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから、小宮氏にはどちらとも言えないのである。
UN WOMANのコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり、結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態を示唆しているからである。
多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人の無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである。
最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。
理由は簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているからである。
シチュエーションによって、議論の構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。
良し悪しに関する客観的な物差しの不在はまた、男性に向ける物差しを自分に適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。
「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求を男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。
それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範をインストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分に適用していない、という事である。
「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかりやすい例である。男女間で別の基準を適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである。
フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。
自分が悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分がおかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである。
なので、フェミニストが自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である。常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。
私見だが、
この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理は破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。
フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズムが他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。
フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。
大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任な人間の集まりなのだろうか?
オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書きは不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手を攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。
たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。
演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?
この文を読んで、「アカデミックなバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないからダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。
フェミニストは自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか。
また、上記の逆になるように行動するようなフェミニストは健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。
他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。
若い世代でフェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニスト・フェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。
面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマは批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。
BL無罪の人なんて、フェミニストの矛盾を体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分に問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。
lacucaracha:
有罪だから語るべきものがない、って不思議な論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形の問題よりも先に、たわわのように複雑な議論が必要な事象を糾弾したのは何故?
cinefuk:
「女性差別的な文化を脱するために」と、特定の人間を貶めるためにフェミニストが結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。
(女性原作者のオープンレターをフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)
「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミの批判より反フェミが盛り上げてる印象
たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上の責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?
ウクライナが抵抗したから戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。
todomadrid:
園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも、広告のバッシングは広告主や媒体、もしくは痴漢をバッシングしているのであって、オタクをバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。
何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズムの卑怯さの構造を説明したんだからしっかり読め。
フェミニストのオタクバッシングは結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。
kohgethu:
誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
https://www.jprime.jp/articles/-/23703
Domino-R:
一昔前に、一部の女性が自分はフェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。
フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。
フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造がクリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。
今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからないね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます?
こっちに移動
弟妹(と義弟義妹)達はいつも金ない金ないと言っているが、私や夫の倍以上の収入がある。そしてそれを湯水のごとくに遣うので、見た感じ裕福そうだ。
一方、私と夫は二人で弟ひとり分にも収入は満たないけれど、しかし特別生活苦というほどでもなく、二人の子供を育てている。そんな様子を見て私の両親は、実は貧乏のふりをして夫の収入があり得んくらいに高いのではないか、あるいは株でも転がしているのか、はたまた宝くじを当てたんじゃないかとゲスの勘繰りをするのだが、そんなことはない。ただ日々の仕事を粛々と勤め子供達を育てているだけなのが我が家だ。
弟妹達が無理だと言って手も着けなかった事を、私と夫は当たり前の如くにやってのけている。
思えば、子供の頃からずっとそんな感じで、弟妹達がすぐに出来ない・わかんないといって投げ出した事を私は黙々とやっていた。私はきょうだいの中で唯一のガリ勉だ。
勉強は沢山したけれど、様々な不運不幸が重なって、それが仕事と収入には繋がらなかったけど、なにかにつけ地道にコツコツとやりがちであるという性格は、人生がちょっと王道から外れることはあっても地獄に落ちる事を防ぐには役に立つようだ。
夫との関係においても、性格がぴったりと合う訳ではないがすぐ癇癪を起こさずにほどほど付き合っていけている。お互いにほどほどに寛容だと思う。子供達に対してもそうだ。
弟妹達は昔から人嫌いという訳でもないのに容易く人間関係をスパスパと切るし、それ以前に相手に100%を求めるので結果誰も選べないということになりがちだ。私と夫の地味暮らしを面と向かってせせら笑うくらいで、こうなるくらいなら結婚もましてや子育てなんて真っ平ごめんなのだろう。
高学歴高収入の人たちほど子供を持つという記事を読んだ。家庭の維持や子育てにはお金が不可欠なのは言うまでもないけれど、高学歴高収入になるような人達の気質も、そういう生活を選択して生きるのに有利なんじゃないかと思う。
そんなにお金持ちじゃなくても子供を育てているのは、我が家だけではない。ただ、少ないとは思うけれど。子育てをしていると子供繋がりで多くの子育て中の人達と出会うけれども、辛抱強いという点では共通していそうだなと思う。私の弟妹達みたいに嫌になったらすぐ投げ出すような人は、多くないように見える。時には不平不満を漏らしつつも、なんだかんだやり遂げる、そういう人達なのではないだろうか。
通ってた職場の社食でよく近くの席になる人が、一週間丸々同じ固定メニューで、その繰り返しでやたら目についてたんだよね
ちょっと怖いしキモいのもあったってのは言い訳だけど、「あの人って発達障害とか自閉症なの?同じメニューばっかとかw」って
仲良くしてた人同士で噂してた、はずだったんだけど、それがチクられたのか広まったのか、本人経由で上司の耳に入ったんだよね・・・
で、何かメンタルがどうこうで言われた人の問題が大きくて、私はさっさと切られたw
でも入ってる会社もヤバかったみたいで、それが原因で派遣元からも紹介出来ないし賠償請求したいぐらいだと言われて仕事終わったorz
ブコメでもあるけど、失業保険貰えるのなら手続きしてもらおうかな
誰か代わりにやって欲しい(笑)
ふーん、やっぱり可能性はあったのかなぁ
人間て事実を指摘されると発狂するって言うけど傾向があったのは間違いなかったかも(笑)
でも真実を事実って言っちゃあ私みたいな悲惨な理不尽になるから、気をつけて心の中で叫ぶだけにしなくちゃいけないね・・・
皆は真似しないでねw
同じ派遣元からチームで入ってたんだけど、派遣元全員かは分からないけど何人かは切られたみたいで、
ぶっちゃけ私のせいっぽくて担当者から滅茶苦茶キレられてたから、巻き添え食らった人にはガチでごめんとか言いようが無い・・・すみませんここで代わりに謝っておきます
hrmk4 イチローのルーチンだったらかっこいい。ジンクスでも何でも、自分との約束を守れたことの達成感、肯定感って結構すごい。
やってた人はイチローみたいなかっこいい感じでも無かったしなぁ・・・よくいるパッとしない人w
だから余計に目立ったのかもねー
一応慰めてくれる人もいたんだけどね、私が悪いのかフルボッコされたけど(笑)
まあ露悪はあるかもな、ぶっちゃけ、どうせ派遣だし私が思ってる以上にKYみたいだし親友も何度も失ってるから(笑)
色々あって開き直る様にしてるよ
去年に長年の独身仲間だった子と、ガチの親友だと思ってた子と、そこまでじゃ無いけど仲良かった子に裏切られたから
もう空気読めない系女子として開き直って行きてやる!ってのはちょっとあると思うw
今回は開き直り過ぎたけどね。。。反省して次からは気をつけまーす
tasknow 人間関係じゃない件
まあ、端的に言って……
これに言及してる自称「フェミニズム」の人達、これ全て偽物の「エセミニズム」ですわな。
例えば、今や日本では見られない「ブルマー」。これ、そもそもは女性解放運動が元ですわな。
この言葉も「女性」などという言葉が付くのも気に食いませんが、それを一概に否定するのも先史の日本で戦った者たちへの侮蔑でしょうし、今は問いません。
まあ、斯様な運動に微塵の興味も無い方は知らんかもしれませんが。元々は、そういうもので御座います。
まあ、その丈が不要に一律で短くなるのは実際問題よろしくない事で御座いましょう。それに関しては構いません。徒に性別で衣服を統一し、剰え羞恥を与うるするなど、フェミニズムの意向に真っ向から叛逆するもので御座いましょう。
然し乍ら、そこから選択の権を奪うならば、それはそれでまたフェミニズムに真っ向から叛逆するものに御座います。
何故なら、そもそものフェミニズムとは「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」という意向に対して異を唱えたものでありませば、決してその逆ではないからで御座います。
そもそもに於いてミニスカートも同じくフェミニズム運動の賜物であるという事を、今の日本人はご存知無いのでしょうか。
男性は上体とはいえ裸体を晒しても問題はなく、女性は規制せねばならない。これを何故に許すのか?
フェミニズムの本質とは、男女同権にて男女平等。あくまで人間の尊厳に拘うものであります。
「それは男性の性欲が問題なのである」「男性が性的な目で女性を見るが故に、その自由を我々は妨げられるのである」……剰え、「これに同意しない者は名誉男性であり、女性の敵である」と。
果て、上記の話を全く聴いていないのでしょうか?と問わざるを得ません。
「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」
貴方方の仰ることは、「なので、そのような端ない恰好をする事は許さない」としか聞こえませぬ。それが女性の締め付け以外の何であるというのでしょうか?
無論、その間には数々の論理を入れているのでしょうが。全く以て意味の無い無理屈としか思えません。
真に男女同権を志すなれば、そこで唱うるべきは最低でも「男性も性を隠し、女性と同様に慎め」であり「女性の姿や格好に文句を言う」などというものでは無いでしょう。
或いは「男性も今以上に性的魅力を解放し、性的消費されよ、そうやって虎視眈々と狙わるることを粛々と受け入れよ」というのが男女同権なのではと思われまする。
そして、そのように男性を性的な目で見るような創作は今や無数に存在する。これが数十年も前なら考えられなかった事です。
また、昔と異なり医学の発達した今、まだ技術的には難しく、一般的な制度や倫理も今は許さぬとはいえ、男性でも出産をするという可能性も見えてきております。
あらゆるリスクも、コストも分け合う未来というのは、近くなっていると考えて良いでしょう。そういった自由を常に勝ち得てきた。
だのに未だに我々はフェミニズムを唱えながら、その口で男性だ女性だで区別を為す。
真のフェミニズムとは、男女なる概念を社会通念から消し去ることだと言っても過言ではありません。
無論、その自由を奪う事は許されません故、あくまで名乗るのも志向するのも自由でしょう。
然し、真のフェミニズムとは「どのような身体を持とうとも、その意は自由に選べること」であり、決して人の嗜好を怪しからん端なしと規制することではない。
それこそ、人の衣服を規制する名誉男性の仕業と言って差し支えないでしょう。そうやって、子供の服まで勝手に規制するような親の役割に終始していれば満足なら、一人で人形遊びしているのがお似合いでしょう。永久に締め付けの再生産をすれば宜しい。
されど、そのように本質を損なった批判や非難は、何を述べ立てようと偽善であり、偽のフェミニズムである。
それを言う側も聞く側も履き違えるなというのが、私の結論であります。このような存在を自称でも「フェミニズム」と取られられる方が迷惑なのですから。
本当に恥を知ると良い。としか。
前のは消えました哉。滑稽。