はてなキーワード: リラックスとは
5チームの総当たりを行うラグビーワールドカップのグループリーグは長い。
すでに9月末、日本の空にはすっかり秋の涼しい空気が流れてきた。
季節を跨いで行われるラグビーW杯、みんな楽しんでいるだろうか。
プールDの第3戦、遠いフランス・トゥルーズで日本代表はサモア代表と戦う。
サモアとは前大会でも予選リーグで相対し、その時はキックで効率的に攻めた日本が勝利したが、今大会のサモアは今までとは違う。
自国に国際レベルのリーグがないために、W杯ごとに欧州やスーパーラグビー選手で急に代表が結成される彼らは、チームとしてのまとまりに欠き、規律の乱れで反則をしがちという長年の弱点があったのだが、前大会後に国際プロリーグ、スーパーラグビーに自国メンバーで構成されるモアナ・パシフィカを送り込んで、一つのチームとして組織的にプレーできる選手たちを育ててきた。
また、祖父母までがその国の出身で、かつ他国の代表で過去3年間試合に出場していなければ、1度だけ代表の所属国を変更できるという規定の変更により、元オーストラリア代表のクリスチャン・リアリーファノ、元ニュージーランド代表のチャーリー・ファウアウイナなどの経験豊富なメンバーがサモア代表に加わった。
リアリーファノは白血病を克服したあと、ジャパンラグビー・トップリーグでもプレーしており、日本でも知られた存在だ。
W杯入ってからのスタッツを見ると、サモアはランでキャリーする距離よりキックで前進した距離の方が長い。
同じアイランダーのチームでも自陣からも持って走るフィジーとは随分違う。
キックで前進してセットプレーからのパワフルなランと衝突で押し切るという攻撃の形が見えてくる。
タッチキックで大きく前進するシーンがたくさん見られるなら、それはサモアの形になっている。
遂行面で、大会に入ってからのサモアは、リアリーファノのゲームメイクとキックで、きちんとラックを作った落ち着いた攻撃をしている印象で、試合を左右するような重大な反則も過去に比べてとても少ない。
反面、カウンターや攻撃のオプションとしてはイングランドやアルゼンチンより少ない。
キチンとしたゲームの入りにまだ慣れていないのか、ノリどころを見逃しがちで、スイッチが入るのに時間がかかる印象もある。
守備面でも規律が改善されてよく守ってるが、タックルの成功率自体は高くなく、自陣深くまでの侵入を度々許している。
日本は反則に気をつけてセットプレーを渡さず、相手陣にボールを運び続ければ封じる目もありそうだ。
スクラムやラインアウトが重要になるのだが、大会前の不安視されたパフォーマンスとは打って変わって、W杯に入ってからの日本のセットプレーは目を覚ましたように安定していて、封じ込めは現実的にも見える。
ただ、万一シンビンなどで人数を欠くと、強力なフィジカルの圧力をモロに受けてしまう。
分析が封じるのか、経験でアップグレードされたパワーが押し切るのか。
トゥールーズの観客の大歓声を背に、ウォークライ、シバタウを披露したサモアのキックオフでゲームは始まった
キックオフ直後の1分、日本はキックで攻め入りたいサモアに反則をしてしまい、機会を与えてしまう。
ショットで先制点をとりにきたサモアは外したものの、蹴り返した日本のキックで結局セットプレーに。
しかしこれを耐え切り、今度は今度は日本がサモアの反則からキックで敵陣に入り込む。
相手の形になりかけたのに凌いだのは幸先が良い。
ラインアウトはスティールされたが、その後も相手の後方にキックを蹴る。
日本はキックで相手を常に後方に下げて、消耗を避けつつ侵入を防ぐ戦術だ。
ハイパントがどちらに入るかはその後のセットプレーの結果に直結する。
ここもサモアの狙い所で、圧力に負けるとサモアの前進を許してしまうが、反則をせず止めた。
日本代表はゲームを左右するポイントが締まっていて幸先がよい。
すると12分にレメキのビッグゲインから、ピーター“ラピース”ラブスカフニが先制のトライ!
キックオフから反撃したいサモアはランでボールを持ち込んでPKを獲得。
深い位置から、立て続けのラインアウト、スクラムで攻め立てる。
サモアは自分達の形でトライを取りたいし、日本は相手の長い攻めを徒労に終わらせたい。
結果はサモアのショットで3点を許したが、日本は相手が意図したプレーで結果をださせなかったことで流れを押しとどめた。
リスタートからのPGで日本はすぐさま3点を返すと、ライリー、レメキの鋭いランからでリーチが追加のトライ!
3点を取るのに15分を要したサモアに対し、日本が10点を取るのに要した時間は3分。
この効率の差はなにか。
サモアの攻撃オプションの少なさが時間の無駄遣いにつながっているように見える。
前半の残り時間でなんとしてもトライが欲しいサモアと、リードを守りたい日本。
サモアはこのW杯でよく攻めをコントローしてきたタウマテイネを、日本はスクラムの要の堀江を互いにイエローで欠く形となる。
フィジカルに勝るサモア相手に人数を欠くのは避けたかった試合のポイントだ。
サモアにとっては嬉しく、日本にとっては避けたかったトライだった。
数字だけだと、サモアが圧倒したようにも見えるが、ピッチ上の実際の出来事を突き合わせてみると、攻め手がないまま長時間ボールを持ったサモアと短時間でスコアする日本という形となった。
ちなみに前半の残り時間がほとんどない中、退出した堀江に変わってリーチがラインアウトを投げ入れるという珍しいシーンがあり、この件についてラグビープレーヤーの同僚に解説を求めたところ「ああいった場面で対処がわからずチームに迷いが広がるのを嫌ったのかもしれない」ということだった。
本物は自分がすべきことがわかっている時、いちいち人の指示を待ったりしたい。
目の前に為すべきことがあれば、リーチは余計なことは言わず、ただそれを為す。
ブライトンではリスクを恐れずスクラムを選んで勝利を呼び込んだ。
ニュージーランドの自宅では最高のコンディションを維持するためリビングにサウナを作った。
そして、トゥルーズで黙ってラインアウトを投げ入れたリーチは、ハーフタイムにジェイミーに怒られた。
怒られることを恐れて為すべきことを引っ込めたりしたい。
リーチはそんな漢だ。
日本とサモア、互いに14人で始まった後半にどう言った修正をしてくるか注目だが、日本は前半に引き続いてサモアのラインの後方にキックを蹴る。
前半に長時間の攻めで体力を使いすぎたサモアに対してさらに無駄なランを強いる作戦のようだ。
ここで今大会をよく我慢しているサモアは、ついにゲームを大きく動かす反則をしてしまう。
ラブスカフニに対するベン・ラムの肩から入ったタックルが頭に当たってしまい、レッドカードの可能性もある一時退出。
そしてシンビン開けの堀江が戻った日本が、1人分のアドバンテージを活かしてモールでトライ!
国際映像に写りこんだラグビー芸人しんやのガッツポーズがトライに華を添える。
ベン・ラムが審査でレッドカードになったことによって、サモアは残り30分、14人で2トライ2ゴールを追うこととなった。
ラグビーを見る時に、前後半をさらに半分に分けて、20分、40分、60分、80分に四分割すると、20分と60分で試合の様相が変わることがよくある。
60分からの日本は今まで蹴ってきたキックを蹴らずにボールを持って走る戦術に切り替えた。
対するサモアにもうできることは少ないが、少ない選択肢が迷いを消して流れが変わることがある。
サモアはラックの近場を縦にこじ開けて、オフロードをつなぐ、往時の戦術に勝利をかけた。
これが実って65分にリアフィーファノが飛び込んでトライ!
残り10分を残して、日本もサモアも、互いに最後の切り札を出す展開となる。
素早い展開とランで侵入してキックで3点を持ち帰る日本に、フィジカルで縦に押し込みトライで追い縋るサモア。
最終盤スタジアムが両観客からの大歓声に包まれる中、日本がボールをピッチから蹴出してノーサイド。
最後に押し込まれたものの、後半は日本がテリトリーも支配率も返した形で、これはベン・ラムの退場もあるけど、60分からキックではなくランで攻める日本のプランがこういう結果になったのだろう。
ゲーム全体をみると、サモアはやはり攻撃のオプションが少なかった。
フィジカルの強さは最大の強みだが、正面からドーン、ドーンとくる感じ。
圧力はあったものの「予想外の何が出るかという怖さ」がなく、日本が全力を出せるかどうかというゲームだったように思う。
「やるべきことができなかった。そのおかげで日本が陣地を広げることができたと思う。もっとボールに向かっていけばもっとスコアを取れるポジションに行けたと思う。過去3試合でもそういう傾向だった。だから、この展開は自分もチームも責任を取るべきだ。しかし、努力をしてきたことには誇りに思う」
とマプスワHC。
試合前に感じていた「きちんとしたゲームメイクだが、以前より大人しくなりすぎ」という印象はある程度サモア自身も感じているようだった。
フィジカルの強さに、もしハイパンの優位性や、スラロームのようなランなどの攻撃オプションがあったのなら対処が難しいチームだった。
「まだ1試合残っている。やるべきことがある。次に進めないかもしれないけど、2027年の豪州大会に向けても頑張っていきたい。とにかくイングランド戦に全力を尽くし、明るい気持ちで終えられるようにしたいが、まだ試合は終わっていないんだ」
明暗は別れ、これで予選突破が厳しくなったサモアに対して、日本はあと1勝で予選突破が決まる状況になった。
ベスト4を目標に掲げる日本、しかし決勝トーナメントの前に立ちはだかるのが、先週、日本に先立ってサモアを退けたアルゼンチンだ。
南米最強のチーム相手に突破をかける大一番は、3連休の中日、10月8日の20:00にキックオフだ。
今度結婚するんだけどさ、二人ともあんまお金ないから寝室1つとリビングと台所みたいな部屋に住むことになりそうなんだけどさ…
この前ふと、え?これオナニーするときどうすればいいの!?!?!?ってことに気付いた。
いや、結婚すんならセックスせぇやという意見は分かるし、セックスはするつもりだけど、オナニーはなんていうか身繕いの一環というかさ、寝る前の習慣になってる訳よ。
毎日同じタイミングで一発オナニーしてから寝るのが習慣になってるの。多分だけど毎日セックスはしないじゃん。
やべー!これトイレでオナニーしろってこと!?でもまったりオナニーでリラックスする習慣だったからトイレじゃリラックスできないし、長時間立て籠ってたらさすがに気付かれると思う。
相手が寝るのを待って気付かれないように…も無理だろうなぁ。
そんで相手に気付かれたらなんか向こうにプレッシャーを与えてしまいそう。
残るは風呂かな!?長風呂が好きってことにして、スマホ持ち込んでも不自然じゃないもんな!
一緒に住む前に練習しといたほうがいい?
『万物の黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的に冒険的で実験的なものであり、自由と平等の呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである。歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつの体制から抜け出せなくなっており、その理由を理解しようと努めなければならない。
これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たちの人間性を規定する政治的本能や社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先が平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。
彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類は歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせや虐待、支配も実験しただろうと主張しているようだ。
G&Wは、私たちが革命の過程で社会的、道徳的に人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間の言語、意識、親族関係、道徳は漸進的な進化の過程で進化し、それが巨大な社会的・政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間は本来利己的で競争的だから社会主義は不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的な偏見に挑戦することであった。
私はいつもこう答えていた。そう、私たちは類人猿の一種である。そう、私たちは霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的な本能を持っている。しかし、それが私たちの成功の原因ではない。優秀な母親や父親になる能力、自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力、道徳的なルールを確立する能力、他人が自分を見ているように自分も見ている能力、音楽、ダンス、言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命の産物であり、成功した革命なのだ。
この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファー・ボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスとジェンダーの力学についての言及を一切省くことで、政治的な観点から安全策を講じた理論のバージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスなバージョンなのである。
ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的な競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者を支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下からの集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団を支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たちの祖先のチンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観にコミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである。
G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑、羞恥、遠ざけ......他の霊長類に類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団で採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術が進化の過程で人間の本性を形成する上で重要な役割を果たしたという考えである。
ボームの説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類は基本的に平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)
唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉は引用に値する:
ひとたびどこかのバンドが平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的な拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)
これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類は基本的に平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつの特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである。
かなり不当なことに、『万物の黎明』は現代の進化論を社会進化論と混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀の物語である。ダーウィニズムは科学的であると私たちは語り聞かされるが、実際は純粋な神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類の起源に関する視点を、読者が真剣に検討することを期待している。
この著者たちが認める唯一の科学は「考古学的科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治や社会生活については、古代の人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物の黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。
このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術と象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近の証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ、幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端のダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学、儀式の実行パターン、性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.
残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間の本能と心理の形成における集団的育児の重要な役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別な神話を「重要なもの」と表現している。そして、「エデンの園は存在せず、一人のイヴも存在しなかったのだから、このような洞察は部分的なものにしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話に疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディの画期的な研究が、私たちの共通のミトコンドリアDNAの祖先の年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実を無視すること--は、明らかに、人類の起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。
中石器時代や新石器時代の考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽や言語に対する生得的能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!
タイトルは深刻な誤解を招く。『万物の黎明』? 『万物のティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期のフランスとスペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学が面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。
G&Wにとって、狩猟採集民の祖先がアフリカでもっと早くから平等主義的なライフスタイルを確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。
つまり、狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間の文化的・知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。
ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的な抵抗が狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型であると結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立を有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベルの政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいかに危険かを理解する知性があると彼は説明した。
しかしG&Wによれば、富の不平等は問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀にヨーロッパの「文明」を批判したファースト・アメリカンのカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初のアメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。
G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:
こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉が示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等は本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?
どんな未来?アフリカの狩猟採集民からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代の都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。
はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的、政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。
(続く……)
胸ばっかり見るな
って女がよく言うし
気づいてるとも言うけど
それは男も同じなんよね
男(ウヒョヒョぺぇぺぇでかいンゴ)
女(貴様胸を見ているな)
男(チィィ!気づかれたか!)
女(お前の行動は手に取るようにわかる)
女(なんだと!?)
見られていることと
気づかれていることを
把握した上でのやりとりなんよね
まあ男も気づいてるんよね
金玉をガン見されてるの
金玉見放題なわけないんよ
気をつけて欲しい
あるところにちんちんがいました。ちんちんは大きくなりたいと願っていました。ちんちんは大きくなれないと価値がない、と幼い頃から教えられていたからです。だから、ちんちんは毎日毎日大きくなりたいと願いましたが、願いも虚しく大きくなることはできませんでした。周りはどんどん大きくなるのに、ちんちんは大きくなれなかったのです。ちんちんは焦りますが、ちんちんが大きくなることはありませんでした。
やがて、ちんちんは大きくなるために旅に出ました。長老が西にある都にちんちんが大きくなるための秘術があるのだと言いました。
西へ旅をする途中、悪人に襲われてピンチの人がいました。ちんちんは大きくなるために武術の修行もしていましたから、ちんちん滅殺拳で悪人たちを瞬殺して人助けをしました。
助けた人は、おまんこでした。
その人を見た瞬間、ちんちんに電撃が走りました。衝撃でした。体が一気に巨大化したのです。誰よりも大きく逞しくなり、おまんこは惚れてしまいその場で挿入するように促しました。
首の疲れが取れるし、足もリラックスする
「左翼にな〜れ!」ってね
おっさんは魔法も使えないし、少女でもない。魔法少女とは対極の存在である。プリキュアも美少年は救えてもおっさんは救えない。やつらは美形しか救わない。
(こんなこと書くと原西って鬼の首取ったように書き込むんだろ?)
しかしおっさんにだって魔法少女になりたいという欲求はある。当然ある。だが少女にもなれないし魔法も使えない。救いはないのか。ないのか。
そもそもとして、魔法少女だからといって少女に独占させてなるものか。魔法おっさんではダメだ。魔法少女をおっさんがやらなければならない。
まず、考えなければいけないのは害獣である。魔法少女に付き纏い、魔法を与えるなんか可愛らしい存在。それが害獣。害獣から魔法を与えてもらわないと話にならない。
慣習的に害獣はおっさんにアクセスしてこない。少女ばかりを狙うロリコンである。であれば、魔法少女になりそうな少女をマークして付け狙うことで、害獣を発見することができる。
害獣を発見したら、魔法少女にするように交渉する。無論、相手はロリコンであるから、簡単にはいかないだろう。そこで出てくるのがはてサの金玉である。はてサの金玉を見た害獣は有無を言わさず魔法少女にしてくれるだろう。害獣にとってもはてサの金玉は神秘的な魅力があふれているのである。
魔法の力を得たらあとは変身するだけであるが、このままでは魔法おっさんになってしまう。魔法少女になるためには何が必要か。
はてサの金玉である。はてサの金玉を身につけることで、魔法おっさんであることに気づかれない。みんなはてサの金玉を見ているので、魔法少女の格好をした誰かとしてしか認識されない。つまり、魔法おっさんではなく魔法少女として認識される。魔法少女になれるのだ。
「そうなの?」
「ああ、左右の金玉をくっ付けると磁場が生まれ、電気が生まれる」
「すごい」
「素敵」
「美味しいの?」
「飲みたい」
「ワンダフル!」
「しかも若返る」
「ほら、これだよ」
「わあ、ありがとう!」
「そうなの?」
「残念ね」
「どうやって?」
「そんなので増えるかな?」
「えっそんなことできるの?」
「培養肉の原理を使うのさ。これではてサがいなくても金玉が手に入る」
こうして世界は救われた
しかしはてサの金玉が世界で溢れ返ったため、世界は金玉だらけになった
君は今、金玉に住んでいるのだ
さあ、地面に耳をつけてごらん
はてサの声が聴こえるよ
かわいいね
ああ、かわいいね
はてサ〜
金玉〜
どうか〜
これ以上〜
増えないで〜
愛しい〜
はてサの〜
金玉〜
き〜ん〜た〜ま〜
新宿駅の地下で前を歩くぶつかりおじさんを見かけた
振り向きもせず歩いている
迷惑なやつだなと思っていたが
ふと横の方からもう一人ぶつかりおじさんが現れた
ぶつかりおじさん達は引かれ合うようにだんだんと近づいていき
ついにぶつかりおじさん同士でぶつかってしまった
その瞬間、青白い光を発し
誰も気づいていないが
その場所へ行くと
「わずかなゆらぎ」を見つけた
しかしそれは
よくよく見ると
わぁ!
すごい!
かっこいい!
「これは……ザーメン!」
なんて言おうものなら、隣にいた蘭が、
って圧をかけてくるに違いなく、それに焦ったコナンが、
「こ、これは阿笠博士が」
と口を滑らせたら最後、阿笠博士とコナンと哀の淫猥な日々が明らかになり、阿笠博士が児童虐待で逮捕されてしまう。バッドエンド。
では、こんなバッドエンドにならないように、ザーメンを発見するにはどうすれば良いか。
「これは……ザーメン」
こうなったところで、小五郎が現れてなんで蘭がザーメンなんて知ってるんだと怒ればいい。そうすると、最終的に蘭は新一のザーメンティッシュを漁っていたことが発覚し、バーローな展開になってバッドエンドは回避されるが、ヒロインとしてどうなの? という問題は残るため、このルートも回避したい。
ではどうすれば良いか。
「これは……ザーメン」
と言い訳することで、はてサの金玉お触り会が開かれていたことが判明する。そこではてサのザーメンを知ったとなれば、そんな変質者逮捕しなきゃダメと蘭は主張するが、実際に目の当たりにしたはてサの金玉の魅力にやられてしまい、事態は有耶無耶に。
おじさんとしても一つだけ言いたいことがある
最近素直じゃない人が増えたと思う
仕事を任せた時に、何かをやってもらう→チェックする→何かしらのフィードバックをする
っていう流れがあると思うんだけど
この時にネガティブなフィードバックされることを嫌がる人が増えた
仕事のことだから「こういう理由で次からこうしてね」→「次からそうしますね」で済む話なんだけど
「次からこうしてね」→「・・・わかりました」みたいなちょっと不服そうなニュアンスの人が増えた
趣味のサークルで仲良くしてくれてるZ世代にそれとなく聞いたところ
自分はそうではないが、
「例え友達同士であろうと他人に何か注意めいたことを言われること自体が嫌という人は多い」と言っていた
なんか途上国っぽいなと思った
俺の伝え方に問題があるのかもしれないので
一応、妻や子供に聞いた
この世にそんな存在していいのは
そう
金玉!
素直な気持ちで
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ジャニーズが新会社を設立して名前が変わるって報道が出ております。新しい会社でジャニーズのタレントはアイドルや俳優業を続けるのでしょう。ジャニーズという名前が今後も重くのしかかるのかもしれませんが、そのことはまあいいです。
新しい会社になるのだから、新しいことを始めた方がいいわけですよ。そのために、株式会社はてな社と業務提携を行うのが良いと私は考えるわけです。
なぜかわかりますか?
はてなと新ジャニーズが手を組んでいったいなにができるのか。それは、はてなブログです。新ジャニーズのタレントがみんなはてなブログをやるのです。
鼻で笑いましたね?
笑いごとじゃないですよ。これは本気と書いてマジです。
新ジャニーズの面々がはてなブログを書くことで、急激にはてなブックマークの知名度が向上することでしょう。ジャニーズのファンが大挙としてやってきてアカウントを作り、毎日新ジャニーズの日記がブックマークを独占します。はてな社の売り上げも大幅アップ間違いなしです。関連の仕事も入ってきてはてなとしてはガッポガッポでしょう。
ここで賢明なみなさまの疑問点を当てましょう。
まさにそこです。そもそもブログなど今更新しく始めてどうするんだ。そう言いたい気持ちもわかります。
だから、まず、ブログの内容は、政治のことしか書かないようにします。それも左翼側の大きく偏らせた記事を書いてもらうようにします。世間から新ジャニーズが左翼になったと言ってもらえるほど偏らせます。
タレントに政治色をつけてどうする気でも狂ったか。と言いたくなる気持ちもわかります。しかしどうでしょうか。1年も続ければ、もう立派なはてサの出来上がりです。みんな新ジャニーズをはてサとして認識します。
もうお分かりでしょう。
つまり
そこには
そう!ジャニーズタレントのはてサの金玉が大量に誕生するのです!!!
これは革命的な出来事です。今までのはてサの金玉は、金玉はよくても持っている男が冴えない男ばかりでした。そこが問題、欠点でした。
しかし!!!ジャニーズタレントによって金玉の欠点が解消されれば、はてサの金玉は完璧になり、完璧なはてサの金玉を手に入れたジャニーズタレントは世界に求められる人気を獲得します。winwin、八方よし、誰も損をしないのです。
どうです?
みなさん株やってますか?
投資信託の積立だけ?
ダメですダメです。そんなの投資に入りません。だってリスク感じてないでしょ?
投資っていうのはリスクを受け入れてリターンを狙いに行くんです。
積立NISAが損する可能性があるというのは頭にあるけど、自分が損するなんて微塵も思っていないでしょう?
痛みを伴うからこそ、果実は美味しい。何十年後に収穫できる果物をせっせと育ててどうするんですか。果物食べたいでしょ?
だったら積極的にリスクをとるしかないんです。投資をしましょう。
でも、どの株に投資すればいいかわからない。タイミングもわからない。
そうですね。それは難しい。難しすぎる。プロでも確かなことは言えません。プロだからこそ信用できないとも言えますが。
じゃあ、何に投資をすればいいか。簡単です。みなさんが使っているサービスの運営会社、株式会社はてなです。
現在はてなは業績が最悪で、株価は上場来安値を日々更新し続けるような劣悪のコンディションです。しかし、はてなにはあるんです。金の鉱脈が。それさえ活かせれば10倍100倍は狙えます。
それは
それを知りたい方は
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なんつって
嘘です
教えます
はてサの金玉は万能です。言うなれば現代の賢者の石です。誰もが欲しがります。これを活かせば業績はうなぎのぼり間違いなし。
弱者男性って何だよクソが!!!無邪気に人をバカにするんじゃねえよ!!
はてなのクソども!!!弱男って流行らせたのお前らだろ!!!!!!
ていうか弱男って何なんだよ!クソが!!!弱いのがそんなに悪いのかよ!!弱えよ!!!
サービス残業のどブラックで悪いか!!!そこ雇ってくれるところがねえんだよ!!!弱くなるだろうが!!!!どうやって強くなれんだよ!!!!!!!
のり弁食って生きてんだよ!!!!安物弁当で生きてて悪いか!!!おしゃれな店なんて知らねえよ!!!!!!
玉子なんてもう買えねえよ!!決まってんだろ!!!高すぎるだろうがよ!!!!!
美食倶楽部じゃねえんだよ!!!普通の玉子ぐらい好きに食わせろよ!ご飯にかけさせろよ!納豆にかけさせろよ!!!!!!
味なんてしらねえよ!!!腹いっぱい食わせろ!くそがよ!!どんどん苦しくなる!!貧しくなる!誰のせいだよ!!!俺のせいじゃねえよ!!!!!
しんどくて泣ける!!!!!!ゴミみたいなカネで死ぬほどこき使われて贅沢できず女にも無視されて弱男だってバカにされていいかげんにしろよ!!!!!お前らクソが!!!!!!
いいことなんてなかったのにこんなに馬鹿にされて生きていかなきゃいけないんだよ!!!!!!!!!!!
それはギター。
しかしギターは一人でも楽しめるし、人と一緒でも楽しめるという点でもとてもいいと思う。
さすがに会社で弾きまくるは無理だけど家の中ならちょっとした隙間時間の遊びにちょうどよい
今まで隙間時間の遊びといえばスマホでゲームしたりネットで動画見たりが多かった。
これだと頭も体もなかなか休まらない。
ギターだと体の使う場所が変わるからか、すごくリラックスできるしいいリフレッシュにもなる。
これは好む音楽スタイルにもよるんだが、俺の場合目指したいのは一人でそれなりに上手く弾くことだ。
完全に自己満足だし誰に聞かせたいとかもないが、こんな風に弾きたいという目標があるので少しでも上達したらそれだけで嬉しいし楽しい。
俺自身はギターコレクター的な考えもその資金もないけど、色んなタイプのギターがほしいなとは思う。
見た目が好きなギターってずっと見てられる。見ててうっとりしちゃう感じは車のそれと似てるかもしれないが、車よりはずっとコスパがよいし場所も取らない。
ギターはまあそれほどいじるとこはないんだけど、好きな人はこのネックの木材は~でとか、ここのパーツは変えてこっちのにしたとか、
色んなこだわりでカスタムする人もいたりするらしい。
またアンプやエフェクターなんかも揃えだすとさすがに沼る可能性高いが、自分の場合はギターで出したい音は限られてるのでちょうどいいバランスになりそう。
爺さんになってどのくらい弾けるのか分からないけど、たまによぼよぼ爺さんが弾いたりもしてるの見たことあるのでまあいけるんじゃないか。
逆にギターやっとけばボケ防止にもよいんじゃないか。あとギター弾いてる爺ってかっこよくないか。
ちなみに今までハマってきた趣味として、カメラ(及び写真)、テニス、自転車、キャンプ、登山などもある。
いずれも細々と続けてるといえば続けてるんだけど、以前ほど散財はしなくなったし、たまにキャンプとか行ければそれでいいかなくらいの熱量。
ギターに関してはとにかく練習が必要なのだが、他の趣味がスケジューリング、新しい機材などへの気移りなど煩わしい面があり、
その点ギターに関しては恐らく最初に1本それなりのものさえ変えば、少なくとも今後1~2年くらいはそのギターを弾きこなすという目標だけでやっていけそう。
そしてアウトドアではないので来月のこの辺の週末を狙って予定してとか段取りも必要ないのも良い。
まあギターにかぎらず楽器演奏みたいなことならピアノでも管楽器とかでもだいたい当てはまりそうだけど、お手軽さで言えばギターはかなり始めやすい部類だと思う。
2016年、はてなオフ会に参加したHagex、Midas、Kotoriko、kaerudayo、私、warulawの6人は、初対面の楽しみと緊張が入り混じった日を迎えました。オンラインで築いた繋がりが、現実の出会いでどのように変わるのか、心躍る瞬間が待っていました。
当日、会場に足を踏み入れると、既にwarulawが笑顔で出迎えてくれました。彼の陽気な雰囲気が、会場に明るい空気をもたらしました。
初めての対面とは思えないくらい、オンラインでの交流がすでに深い絆を築いていました。
イベントは、緊張感漂う自己紹介からスタートしました。新たな仲間を前にして、皆少し緊張気味。
Hagexは面白いジョークで緊張をほぐし、Midasは冷静な態度で場を落ち着かせ、Kotorikoは笑顔を振りまき、kaerudayoはリラックスした雰囲気を作り、warulawは愉快な話題で場を盛り上げ、そして私はみんなの話に耳を傾けながら、内心の緊張を隠すことができませんでした。
オフ会では、オンラインで共有していた趣味や興味について熱心に語り合いました。技術的なディスカッションから音楽、映画、アートまで、幅広いトピックが飛び交いました。
Hagexとwarulawは、陽気なトークで笑いを誘い、Midasは深い洞察を提供し、Kotorikoは会場を笑いに包み、kaerudayoは興味深いエピソードを披露し、私は会話に参加しながらも、内心では楽しい緊張を感じていました。
そして、オフ会のハイライトはプレゼント交換の時間でした。皆が用意した贈り物は、お互いの関心や思いを反映していて、その瞬間、オンラインの交流がより現実的な友情へと変わっていく様子が感じられました。
オフ会の終わりには、全員で記念の写真を撮影しました。笑顔や照れ笑いが写真に収められ、この日の楽しさと特別な瞬間を形に残しました。
別れの時、緊張が和らぎ、愉快なひとときが心に残りました。次回の再会を約束して、それぞれの場所へと帰っていきました。
この2016年のはてなオフ会は、オンラインコミュニティが育んだ絆が、現実の世界で更に深まった素晴らしい出来事でした。
Hagex、Midas、Kotoriko、kaerudayo、私、warulawの6人は、異なる個性や趣味を持ちながらも、笑いと緊張、そして共通の興味を通じて、一生の思い出を作りました。
今日のモヤっとした嫌なことを考えてしまうのをやめたく、逆に良かったことを無理矢理さがしてみる
仕事の連絡や取り回しについて、今日の段取りはなかなか良かった気がする、我ながら
新人さんのフォロー案件も順調に進んでいる こちらの準備もうまくできたし、新人さんもよく気づいてくれてうれしい
お客さん部署の担当さんとは最近よく通話するが、コミュニケーションがより円滑になったというか、率直な話ができるようになってきたと感じている
自分の誕生日プレゼントにと買った香水がとても良く、癒される 寝る前にもリラックスできて心地良い
こんなにたくさん良いことがあった
「全部食べて皿が空になった」という結果=理想状態が重要であり、
もっと言えば大皿料理という集団戦において、最も軍功をあげた(手早くタスクを消化した)ものとして賞賛されるべき、とさえ考えているのではないか。
食べ尽くし系、色々なパターンがある。
大皿になると発動するタイプ、相手の皿から盗むタイプ、家庭でやるタイプ、飲み会でやるタイプ、冷蔵庫を漁るタイプ。
自制のなさに慄くところもあるが、一方で共感(?)できるところもあったりする。
私にも「食べ尽くしたい」と思う心はある。
みんなが大皿から料理をとったあと、結構な量が残る場合がある。
また俗に言う遠慮の塊が残ったりする。
私は「後少しで完了するタスクが放置されてるのが気になってしまう」タイプでもある。
マルチタスクが苦手なのもある。視界や思考から完全に消したいのだ。
そんなことをするので、毎度序盤でだいぶお腹いっぱいになってしまう。
最後らへんはひーこらいいながら食べる。
「完食教育」「お残しはゆるしまへんで」「世界に誇るMOTTAINAIの精神」「米一粒は汗一粒」「農家の皆さんに申し訳ないと思わないのか」───。
我々日本人はこのような言葉で幼い頃から食べ尽くすことを美徳と刷り込まれて生きてきた。
しかし食べ過ぎは健康に悪いのだから、残すこともまた理に適ってるはずなのだ。)
あなたも、ご飯を米粒一つ残らず完食したとき、奇妙に爽快な達成感を得ないだろうか。
やってやった。成し遂げた。達成した。そんな気分になったことはないだろうか。
あるいは、中途半端に残された残飯を見て、不快な思いをしたことはないだろうか。
韓国など、むしろ残すのがマナーとされる文化圏では発生し得ないその感覚。
「食べ尽くし系」はこの感覚の極まった場所に存在するのではないだろうか。
食事を多人数でのリラックスしたコミュニケーションの場と捉えているか
ただ食べる時間と捉えるかどうかでも、違いがあると思う。
食事にだけ集中してるし、美味しいものを食べる時は、自然と箸が進んでしまう。
そもそも家族は全員バラバラにご飯を食べる家庭だったから、一人で食べるのがスタンダード。
母親は子供のご飯を作ってラップしてテーブルに置いたら、別の家事をやっていた。
一家揃っての食事は、もっぱら週末の外食の時にだけ行われるものだった。
これらの習慣が影響してるのか?
こんな風になりがちだった。
大皿では終わりが個人で閉じないので、モヤモヤとしたものを抱えて残タスクを見つめる自分がいる。
はよ食べないのかなあ。話してるうちに冷たくなるぞ?次の料理もくるしスペース作らなきゃ…。
「美味しい!これあったかいうちに食べたほうが美味いですよ」とそそのかしてみる。
スルーされた。うーむ。